おむつなし育児が提唱する“お説”を検証「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」!?

 紙か布か。これから育児を始める、もしくは育児始めたての親たちにとって〈おむつ〉は関心の高いトピックスでしょう。ところが、そのどちらでもない方法が存在します。それは〈おむつなし育児〉。

 発言小町にもたびたび登場する物件で、「おむつなし育児の友人が泊まりに来る」なるトピでは「絨毯や布団に漏らされたらどうするんだ」「信じられません」「断ったほうがいい」といった意見が続出。ただ、実際は〈糞尿垂れ流し〉ではなく〈普段はおむつをつけていても、タイミングを見て排泄時には極力おむつの外で出させる〉というもののよう。

 おむつなし育児を布教する団体のHPでは、〈早期トイレトレーニングではなく「気持ちよい自然な排泄」〉が目的であると強調されています。でも、おむつなし育児の謳う〈自然な排泄〉って?

 同ホームページにも名前を連ねる〈おむつなし育児研究メンバー〉は、共著で『赤ちゃんにおむつはいらない-失われた身体技法を求めて』(勁草書房)なる書籍を出していますのでそれをウォッチしていきましょう。

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 中心人物は、経血コントロールでお馴染みの作家・三砂(みさご)ちづる氏(過去記事ご参照)。三砂氏を編者とし、おむつなし育児研究所の所長を務める和田智代氏(書籍では「知代」と表記)や、NPO自然育児友の会の事務局に関わったという伊藤恵美子氏など、複数のメンバーが執筆しています。同書ではおむつなし育児は〈2006年から2年間、トヨタ財団の助成で行った研究〉であり〈保育士、母子保健・育児関係者、民俗学者などが研究メンバー〉と説明。

「排泄の話なのに、小児科医や泌尿器科医はいないのねえ~」と思う方も多いかもしれません。その点については、冒頭で三砂氏がこう力説しています。

「おむつなし育児は、こうすればこのようによいことがある、という科学的因果関係を求めるものではない。以前は誰もがやっていた、人間の知恵、である。赤ちゃんをご機嫌よくすこやかに育て、関わる人間の共感能力をも上げる知恵であった。そこで育ってくる人がまた、本当の意味でのコミュニケーションの能力、すなわち共感能力の高い人になっていくことはおそらく疑いのないことであろう」

 失われた身体技法! 古の知恵! そこに真の豊かさと健康が! 経血コントロールといい、三砂氏は本当にこの手の物語がお好きですね。しかし健康や社会にそれほどいいものであるなら、医学的根拠(科学的根拠)もあればなおよし、だと思うのですが。なぜそこを避けるのか、なんだか不自然。

 母親が自信をつけ、赤ちゃんの機嫌よくなる!?
 おむつなし育児のざっくりした概要は次の通りです。

・首の座らない赤ちゃんも、母親がタイミングを察しておまるの上にぶら下げてあげると(やり手水=やりちょうず、というそう)気持ちよく排泄できる。おむつでするよりも、うんちをたくさんする傾向がある。

・排泄のタイミングを常に気にする必要が出てくるので、お互いのコミュニケーションが取りやすい。母親の自信にも繋がる。

・おむつが汚れるという不快な感覚を味わうことが減少し、常に機嫌がよくなる。

・おむつをしていないほうが排泄の感覚が発達するようで、排泄の自立(タイミングを見て自分でトイレでできる)が早くなる。

 要は、おむつの中でしない=自然な排泄と言いたいよう。おまるやトイレに出す習慣は小さな赤ちゃんでもできる自然なこと! という按配です。

 一般的には、膀胱や脳がある程度発達する1歳を過ぎないとトイレを意識するのは難しいとされています。しかし、経験上そんなことはない! と主張するのです。この他、おむつなし育児を実践する保育園の「おむつをつけないほうが赤ちゃんの動きが活発」という意見や、パンツを履いていると漏らすのに、履かずにいると漏らさないなど面白いエピソードも。

 一部は「なるほどな~」と思えるもののもありましたが、「これこそが、赤ちゃんの心に寄り添った、赤ちゃん主体の育児である!」というお説がどうにも飲み込みにくい。手をかけてあげている、子どもの欲求が把握できるという、大人側の満足では? という気がします。だっておむつの中に排泄したって、速攻変えてあげれば、とりわけ機嫌悪くなったりしないと思うのですが(個人差は大きいでしょうけど)。五感が育つ! というけれど、おむつ外れの時期が少し早いことだけが、その根拠なのか? という(あ、科学的根拠を求めちゃいけないんでしたっけ)。

 高齢者が語る昔のおむつ事情や、東南アジアの育児法などを紹介しながら、こんな話も登場します。

「全身全霊で赤ちゃんに注意を向けていれば、排泄のタイミングはわかる!」

「布おむつの時代だって、不思議とおんぶしているときに漏らされることなんてなかった(対して紙おむつのほうが、尿の感覚が短く、小刻みにちょろちょろ出していると言う話)!」

「おむつなし育児とまでいかずとも、布おむつは濡れたままにしておけないので、必然と常に清潔な状態が保てる」

 など。ううーん、そんなに昔の赤ちゃんはお尻ピッカピカな状態に手厚くケアされていたんでしょうか。

 ちなみに私が「昔の子育てあるある」として90代の祖母に聞いたことがあるのは、「子守で兄妹をおんぶさせられている男児たちが、遊びに夢中になり赤ちゃんほったらかし→おぶった背中は赤ちゃんのお漏らしでドロドロ」なんてエピソードです。子だくさんで家事労働がハンパなかった時代は、赤ちゃんが雑に育てられていたのも、納得。

 そのイメージが強いからか、常に母親が赤ちゃんの排泄を察知し、お尻ピカピカ状態をキープしていることを「当たり前にできていた」と言われても……「マジで~!?」と穿った眼差ししか向けられないんですよね。経血コントロールと同じで〈できていた人もいただろうけど〉という話です。

自然じゃない排泄、とは?
 おむつなし育児研究メンバーの主張する〈自然じゃない排泄〉もご紹介していきましょう。

・紙オムツは石油由来の製品であるから、さらっとしているとはいえ気持ちが悪い。実際につけたことがあるお年寄りもそう言っている!
→気持ちいいか悪いかは、慣れ親しんでいるかや、好みの問題かと。

・戦前の雑誌『主婦の友』にも「赤ちゃんにおむつをつけるのは悪い習慣」「赤ちゃんは本当はおむつを当てられるのはいやだと思っている!」と書いてある。
→昔の、さらにただの雑誌記事を根拠にされても出てくるのは乾いた笑いのみ。

・股に分厚い布を充てるなんて、気持ちよいはずがない。
→布ナプの人たちは、あったかくて気持ちいい! と言っておりますがこれはいかに。

・おむつの中で排泄することに慣れてしまっているところから、トイレでの排泄に移行させるのは親子ともに大変なエネルギーがいるので、不幸なコミュニケーションとなってしまうケースも多い。
→手間暇かけて「大変」な思いをするのは、自然派育児の好物かと思っていましたが、これはダメなんですね。

 さらに「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」「紙おむつに頼ると、赤ちゃんに手をかけなくなってしまう」という高齢者のコメントをわざわざ採用し、〈おむつは基本的に不快であり、大人が自分の都合で快適な生活を追求したいだけのよろしくないもの!〉と言いたいだけではという記述がザックザク出てきます。

「紙オムツはほったらかしにしがち」という主張を引き合いに出す実例も失笑もの。保育園への聞き取り調査でわかった、「1日の使用枚数を制限している親がいて、その家の子どもはいつも登園時に紙おむつがパンパンでかわいそう」というエピソードなのですから。いや、特殊な例を出されて、紙おむつ家庭全般の話のように言われましてもねえ~(確かに一定数存在はするでしょうけど、じゃあ布おむつユーザーは100%清潔にしているかといえば、それも違うでしょう)。

 一般的な紙おむつの使い方も〈出たら変える〉ものなので、コミュニケーションやスキンシップの頻度はそんなに大差ないはず。紙おむつへの偏見に満ち溢れていることだけが、よ~くわかる本だと言えるでしょう。

 さらに研究チームが子育て中の母親たちにおむつなし育児を実践してもらった、その結果報告も凄かった。

「実際に体験したお母さんたちの表情が違う。やさしくおだやかになった」

「排泄ということにまっすぐ向きあっているだけで、なんだかこんなにおだやかで楽しくなれるのだ、ということはわたしたち自身にとっても励まされることだった」

 それが排泄によるものなのか、特殊なミッションに取り組んでいる仲間との交流が楽しいのか、一体、誰が判断できるのか。仮にも「研究」を名乗るチームが、嗜好と主観が入りまくりの調査結果を発表するのって恥ずかしくないのかな~。価値観の違いってやつでしょうか。

 おまけにもうひとつ、世の親たちが排泄物は不潔と忌み嫌っているようなニュアンスも感じましたが、それも完全に「最近の親たちは~」というイメージ先行。

 一部は申し訳程度に〈現代日本の母親は、大家族だった昔と違ってひとりの肩に家事育児の労働負荷や精神的負担がのしかかっているので、負荷を軽減する意味もある〉と補足はあるものの、子どもに全力を投じて「丁寧な子育てをしましょう」というスタンスは一貫。「専門家に依存」「育児書のノウハウに従う」「他の親子のケースを鵜呑みにする」などの育児は、手軽だけど危険! と警鐘を慣らし、手探りで赤ちゃんの排泄と向き合ってこそ、本当の喜びが得られると主張しています。おむつなし育児を「非言語コミュニケーションを磨く黄金の機会!」と、それらしい言葉でアピールしますが、やっぱり私の耳には「楽すんなよ」としか聞こえませんでした。

自然な子育ての輪が広がった結果
 おむつなし育児は、もちろん巷ではスタンダードではなく、完全なる〈エクストリーム育児〉でしょう。そこで「私たちが語らねば!」となるようで、次のような提案までもが登場します。

「親から子供への自然発生的な伝承が無理なのであれば、ネット社会を逆手にとって、自分がまねしたいと思える先輩像を地域の母親たちからマッチングし、そこで伝承していくような形が用意できれば、解決するのかもしれない。実際に、NPO法人自然育児友の会では、『自然な子育て』という志向を共有する母親同士が、ネットや会報をきっかけに出会い、全国各地域で集う場を設けている」

 そういった自然派育児サークルが、育児系トンデモの魔窟となっていることは、当連載の体験談でもご紹介した通り。同書の初版は2009年。約10年後である今、自然派育児周りには、善意を装った怪しいビジネスが集まる場となっている現状を、この本のメンバーたちはご存じでしょうか。サークルに関しては間接的な問題でしょうが、現代の母親たちの悩みを増やさないでいただきたい。古の知恵も結構ですけど。

「大変な時代に戻れと言っているのではない」と言いつつ、結局は「手間をかけてない『楽』な子育ての中で、今母親たちはもがき苦しんでいるとは言えないだろうか」と語る矛盾。いすれにしても、〈この研究会がそう思った〉というだけのお説ですので、真に受ける必要はどこにもないのですが。

 子どもが〈赤ちゃん〉でいる時間は本当に短く、その限りある時間を豊かに過ごしてほしいという想いは伝わってきます。しかし、〈私たちの考える最高の育児〉が、母親たちの実情に沿っているかは別の話ですから、現代のスタンダートをやたらとディスられても迷惑千万。スマホ育児、ミルク育児、ベビーカー、ベビーフードetc……便利で楽なものの周辺に必ず現れる脅しトークは、見世物小屋の口上「親の因果が子に報い~」くらいの与太話として、BGM的に聞き流しておきましょう。

おむつなし育児が提唱する“お説”を検証「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」!?

 紙か布か。これから育児を始める、もしくは育児始めたての親たちにとって〈おむつ〉は関心の高いトピックスでしょう。ところが、そのどちらでもない方法が存在します。それは〈おむつなし育児〉。

 発言小町にもたびたび登場する物件で、「おむつなし育児の友人が泊まりに来る」なるトピでは「絨毯や布団に漏らされたらどうするんだ」「信じられません」「断ったほうがいい」といった意見が続出。ただ、実際は〈糞尿垂れ流し〉ではなく〈普段はおむつをつけていても、タイミングを見て排泄時には極力おむつの外で出させる〉というもののよう。

 おむつなし育児を布教する団体のHPでは、〈早期トイレトレーニングではなく「気持ちよい自然な排泄」〉が目的であると強調されています。でも、おむつなし育児の謳う〈自然な排泄〉って?

 同ホームページにも名前を連ねる〈おむつなし育児研究メンバー〉は、共著で『赤ちゃんにおむつはいらない-失われた身体技法を求めて』(勁草書房)なる書籍を出していますのでそれをウォッチしていきましょう。

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 中心人物は、経血コントロールでお馴染みの作家・三砂(みさご)ちづる氏(過去記事ご参照)。三砂氏を編者とし、おむつなし育児研究所の所長を務める和田智代氏(書籍では「知代」と表記)や、NPO自然育児友の会の事務局に関わったという伊藤恵美子氏など、複数のメンバーが執筆しています。同書ではおむつなし育児は〈2006年から2年間、トヨタ財団の助成で行った研究〉であり〈保育士、母子保健・育児関係者、民俗学者などが研究メンバー〉と説明。

「排泄の話なのに、小児科医や泌尿器科医はいないのねえ~」と思う方も多いかもしれません。その点については、冒頭で三砂氏がこう力説しています。

「おむつなし育児は、こうすればこのようによいことがある、という科学的因果関係を求めるものではない。以前は誰もがやっていた、人間の知恵、である。赤ちゃんをご機嫌よくすこやかに育て、関わる人間の共感能力をも上げる知恵であった。そこで育ってくる人がまた、本当の意味でのコミュニケーションの能力、すなわち共感能力の高い人になっていくことはおそらく疑いのないことであろう」

 失われた身体技法! 古の知恵! そこに真の豊かさと健康が! 経血コントロールといい、三砂氏は本当にこの手の物語がお好きですね。しかし健康や社会にそれほどいいものであるなら、医学的根拠(科学的根拠)もあればなおよし、だと思うのですが。なぜそこを避けるのか、なんだか不自然。

 母親が自信をつけ、赤ちゃんの機嫌よくなる!?
 おむつなし育児のざっくりした概要は次の通りです。

・首の座らない赤ちゃんも、母親がタイミングを察しておまるの上にぶら下げてあげると(やり手水=やりちょうず、というそう)気持ちよく排泄できる。おむつでするよりも、うんちをたくさんする傾向がある。

・排泄のタイミングを常に気にする必要が出てくるので、お互いのコミュニケーションが取りやすい。母親の自信にも繋がる。

・おむつが汚れるという不快な感覚を味わうことが減少し、常に機嫌がよくなる。

・おむつをしていないほうが排泄の感覚が発達するようで、排泄の自立(タイミングを見て自分でトイレでできる)が早くなる。

 要は、おむつの中でしない=自然な排泄と言いたいよう。おまるやトイレに出す習慣は小さな赤ちゃんでもできる自然なこと! という按配です。

 一般的には、膀胱や脳がある程度発達する1歳を過ぎないとトイレを意識するのは難しいとされています。しかし、経験上そんなことはない! と主張するのです。この他、おむつなし育児を実践する保育園の「おむつをつけないほうが赤ちゃんの動きが活発」という意見や、パンツを履いていると漏らすのに、履かずにいると漏らさないなど面白いエピソードも。

 一部は「なるほどな~」と思えるもののもありましたが、「これこそが、赤ちゃんの心に寄り添った、赤ちゃん主体の育児である!」というお説がどうにも飲み込みにくい。手をかけてあげている、子どもの欲求が把握できるという、大人側の満足では? という気がします。だっておむつの中に排泄したって、速攻変えてあげれば、とりわけ機嫌悪くなったりしないと思うのですが(個人差は大きいでしょうけど)。五感が育つ! というけれど、おむつ外れの時期が少し早いことだけが、その根拠なのか? という(あ、科学的根拠を求めちゃいけないんでしたっけ)。

 高齢者が語る昔のおむつ事情や、東南アジアの育児法などを紹介しながら、こんな話も登場します。

「全身全霊で赤ちゃんに注意を向けていれば、排泄のタイミングはわかる!」

「布おむつの時代だって、不思議とおんぶしているときに漏らされることなんてなかった(対して紙おむつのほうが、尿の感覚が短く、小刻みにちょろちょろ出していると言う話)!」

「おむつなし育児とまでいかずとも、布おむつは濡れたままにしておけないので、必然と常に清潔な状態が保てる」

 など。ううーん、そんなに昔の赤ちゃんはお尻ピッカピカな状態に手厚くケアされていたんでしょうか。

 ちなみに私が「昔の子育てあるある」として90代の祖母に聞いたことがあるのは、「子守で兄妹をおんぶさせられている男児たちが、遊びに夢中になり赤ちゃんほったらかし→おぶった背中は赤ちゃんのお漏らしでドロドロ」なんてエピソードです。子だくさんで家事労働がハンパなかった時代は、赤ちゃんが雑に育てられていたのも、納得。

 そのイメージが強いからか、常に母親が赤ちゃんの排泄を察知し、お尻ピカピカ状態をキープしていることを「当たり前にできていた」と言われても……「マジで~!?」と穿った眼差ししか向けられないんですよね。経血コントロールと同じで〈できていた人もいただろうけど〉という話です。

自然じゃない排泄、とは?
 おむつなし育児研究メンバーの主張する〈自然じゃない排泄〉もご紹介していきましょう。

・紙オムツは石油由来の製品であるから、さらっとしているとはいえ気持ちが悪い。実際につけたことがあるお年寄りもそう言っている!
→気持ちいいか悪いかは、慣れ親しんでいるかや、好みの問題かと。

・戦前の雑誌『主婦の友』にも「赤ちゃんにおむつをつけるのは悪い習慣」「赤ちゃんは本当はおむつを当てられるのはいやだと思っている!」と書いてある。
→昔の、さらにただの雑誌記事を根拠にされても出てくるのは乾いた笑いのみ。

・股に分厚い布を充てるなんて、気持ちよいはずがない。
→布ナプの人たちは、あったかくて気持ちいい! と言っておりますがこれはいかに。

・おむつの中で排泄することに慣れてしまっているところから、トイレでの排泄に移行させるのは親子ともに大変なエネルギーがいるので、不幸なコミュニケーションとなってしまうケースも多い。
→手間暇かけて「大変」な思いをするのは、自然派育児の好物かと思っていましたが、これはダメなんですね。

 さらに「いつまでもおむつをしているのは悪いこと」「紙おむつに頼ると、赤ちゃんに手をかけなくなってしまう」という高齢者のコメントをわざわざ採用し、〈おむつは基本的に不快であり、大人が自分の都合で快適な生活を追求したいだけのよろしくないもの!〉と言いたいだけではという記述がザックザク出てきます。

「紙オムツはほったらかしにしがち」という主張を引き合いに出す実例も失笑もの。保育園への聞き取り調査でわかった、「1日の使用枚数を制限している親がいて、その家の子どもはいつも登園時に紙おむつがパンパンでかわいそう」というエピソードなのですから。いや、特殊な例を出されて、紙おむつ家庭全般の話のように言われましてもねえ~(確かに一定数存在はするでしょうけど、じゃあ布おむつユーザーは100%清潔にしているかといえば、それも違うでしょう)。

 一般的な紙おむつの使い方も〈出たら変える〉ものなので、コミュニケーションやスキンシップの頻度はそんなに大差ないはず。紙おむつへの偏見に満ち溢れていることだけが、よ~くわかる本だと言えるでしょう。

 さらに研究チームが子育て中の母親たちにおむつなし育児を実践してもらった、その結果報告も凄かった。

「実際に体験したお母さんたちの表情が違う。やさしくおだやかになった」

「排泄ということにまっすぐ向きあっているだけで、なんだかこんなにおだやかで楽しくなれるのだ、ということはわたしたち自身にとっても励まされることだった」

 それが排泄によるものなのか、特殊なミッションに取り組んでいる仲間との交流が楽しいのか、一体、誰が判断できるのか。仮にも「研究」を名乗るチームが、嗜好と主観が入りまくりの調査結果を発表するのって恥ずかしくないのかな~。価値観の違いってやつでしょうか。

 おまけにもうひとつ、世の親たちが排泄物は不潔と忌み嫌っているようなニュアンスも感じましたが、それも完全に「最近の親たちは~」というイメージ先行。

 一部は申し訳程度に〈現代日本の母親は、大家族だった昔と違ってひとりの肩に家事育児の労働負荷や精神的負担がのしかかっているので、負荷を軽減する意味もある〉と補足はあるものの、子どもに全力を投じて「丁寧な子育てをしましょう」というスタンスは一貫。「専門家に依存」「育児書のノウハウに従う」「他の親子のケースを鵜呑みにする」などの育児は、手軽だけど危険! と警鐘を慣らし、手探りで赤ちゃんの排泄と向き合ってこそ、本当の喜びが得られると主張しています。おむつなし育児を「非言語コミュニケーションを磨く黄金の機会!」と、それらしい言葉でアピールしますが、やっぱり私の耳には「楽すんなよ」としか聞こえませんでした。

自然な子育ての輪が広がった結果
 おむつなし育児は、もちろん巷ではスタンダードではなく、完全なる〈エクストリーム育児〉でしょう。そこで「私たちが語らねば!」となるようで、次のような提案までもが登場します。

「親から子供への自然発生的な伝承が無理なのであれば、ネット社会を逆手にとって、自分がまねしたいと思える先輩像を地域の母親たちからマッチングし、そこで伝承していくような形が用意できれば、解決するのかもしれない。実際に、NPO法人自然育児友の会では、『自然な子育て』という志向を共有する母親同士が、ネットや会報をきっかけに出会い、全国各地域で集う場を設けている」

 そういった自然派育児サークルが、育児系トンデモの魔窟となっていることは、当連載の体験談でもご紹介した通り。同書の初版は2009年。約10年後である今、自然派育児周りには、善意を装った怪しいビジネスが集まる場となっている現状を、この本のメンバーたちはご存じでしょうか。サークルに関しては間接的な問題でしょうが、現代の母親たちの悩みを増やさないでいただきたい。古の知恵も結構ですけど。

「大変な時代に戻れと言っているのではない」と言いつつ、結局は「手間をかけてない『楽』な子育ての中で、今母親たちはもがき苦しんでいるとは言えないだろうか」と語る矛盾。いすれにしても、〈この研究会がそう思った〉というだけのお説ですので、真に受ける必要はどこにもないのですが。

 子どもが〈赤ちゃん〉でいる時間は本当に短く、その限りある時間を豊かに過ごしてほしいという想いは伝わってきます。しかし、〈私たちの考える最高の育児〉が、母親たちの実情に沿っているかは別の話ですから、現代のスタンダートをやたらとディスられても迷惑千万。スマホ育児、ミルク育児、ベビーカー、ベビーフードetc……便利で楽なものの周辺に必ず現れる脅しトークは、見世物小屋の口上「親の因果が子に報い~」くらいの与太話として、BGM的に聞き流しておきましょう。

新宿のミスドに「ジャックバウアー似」が登場! 出会い系で見つかる外人オトコの質は?

 

出会い系でまさかの「エリートの卵」を一発ゲット!?

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前回はこちら:アソコの毛は「全剃り」すべき? ドイツ語講師のフリードリヒと初デートで起きた“障壁”)

 

 直接対面するのは初めてとなる、外国人男性とデートの日。私は、新宿の待ち合わせ場所へドキドキしながら早歩きで向かっていました。

 私が“外専女子”を始めた約8年ほど前には、「Tinder」のような出会い系アプリなど皆無。外専女子がナンパ以外の手段で外国人男性と出会うには、某・「外国人男性と日本人女性のための出会い系サイト」しかなかったのです。このサイトのことは後日説明するとして……。使いはじめてすぐに理想の男性とマッチし、デートの運びとなりました。

 彼の名はデヴィット(仮名)、29歳。身長は183センチ、アイスランド出身で母国の国立大学に籍を置き、日本の某・頭いい大学院に交換留学生として来日中。4カ国語を操り、将来は教授か学者の道を約束された、エリートの卵なのです。プロフィール画像を見ると、子どもの頃好きだった俳優のキーファー・サザーランドに似ている! ブロンドに青い目、そしてシャクレ好きの私にはたまらない、ちょいシャクレイケメン。そんな相手が本当に現れるのか……?

 一抹の不安を抱えながら、待ち合わせ場所のミスタードーナツ周辺を見渡すと……いました。そこに1人だけ、キラキラしたオーラをまとった外国人男性が! 「あの、デヴィットさん?」と訊くと、流暢な日本語で「やあ、ツバキ! 会えてうれしいよ」って。顔もプロフィールに偽りなし、さらに、ちょいロン毛という私にはうれしすぎるオプションまで(笑)。服装は開襟シャツにチノパンにスニーカーという、日本人男性が着るとなんともビミョ〜な組み合わせだけど、イケメン外国人だとぜんっぜん大丈夫。身長も私より約30センチ(私は152センチ)高く、頭ひとつ分彼の背が高いのがいろんな妄想をかき立てる……。キスする時はどうなるの、手はつなげるかな、腕組んだ方がいいのかな、そして……ムフフ。

 私は、デート中の気まずい沈黙を防ぐため、あらかじめ目をつけておいたとあるバーに行かないかと勧め、お店へと歩き出すことに。その途中、人通りの多い歩道では建物側に私を歩かせ、人にぶつからないよう守りながら歩いてくれるデヴィット。こんな気遣い、日本人男性にはな〜い! 感激! これぞ、外専女子が一番最初に感動する、外国人男性による「レディを大事にする攻撃」。さらに、彼は歩いている時も、ときおり私の目をじっと見つめてニコっとほほ笑んでくれるのでした。

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 そうしてバーに着き、いい感じで横並びで座っておしゃべり。気さくな彼が祖国アイスランドの話をしてくれたり、お互いの話をしたりであっという間に数時間。いい感じに盛り上がったところで、彼は時計を見て「もうこんな時間だ。帰ってレポートしなきゃいけないんだ」と言うではないですか。そんなに遅い時間でもないので、ああ、私のことが気に入らなかったんだなと思い、せめて露骨にがっかり感が顔に出てしまわないよう、にこやかに「じゃ、送っていくね」と言い、私たちは駅へ。

 「こんなイケメン、簡単には振り向いてくれないよな」と思いながら駅に着き、じゃあね、で終わると思ってたら彼が「ところでツバキは今週末、暇?」と訊いてきた! 絶対ないと思っていた2度目のお誘いに、ふたつ返事でデートの約束をしたのでした。さらには彼が「おやすみ。楽しい夜を」と言い、スッと腰をかがめて背の低い私の唇にキスしてきたではないですか!! その時の、地獄からドーンと天国へ打ち上げられた感は今でも忘れられません。

 週末。昼過ぎに私と彼は待ち合わせし、彼の希望で猫カフェにいくことに。このチョイスも、猫を3匹飼っている猫好きな私には大ヒット。彼は猫を優しく撫でながら「猫は自立していて美しい生き物だよね……」と言うので、彼の美しい横顔にみとれながら「自立して日本に住んでいるあなたも美しいよ」と言うと「そうだね」と返してきた。おお、さすがイケメンエリートの卵、自信があって当たり前。日本人だと「そんなことないよ」と思ってもない謙遜しちゃうんだけど、外国人は基本お世辞や社交辞令がないので、私のような行間とか読めない鈍い人間にとって付き合っていて楽なのです。

 さて、制限時間が過ぎて、私たちは外へ。飲みに行くにはまだ日は高いし、デヴィットも帰りたそうではない。どうしようかと2人で話していたところ、普段なら公園や美術館など思い当たるのに、ドキドキしてなにも浮かばない私の目を彼はその青い目で優しく覗き込み「どうする?」と言ってきた。その時の私は「もうなにがなんでもこのイケメンのデヴィットを離したくない!」という気持ちで頭がいっぱい、ポンと口から出たのが「ねえ、ウチにこない?」でした……。

すると、彼は「いいよ」と返事! 突然の誘いに嫌なそぶりも見せず、だけど手をつなぐわけでもなく、腕を組むわけでもなく……。淡々とした雰囲気のまま、2人で家に向かうことに。一体これはどういう状態なのか? 次回につづく!

 

(隔週火曜日・次回は5月8日更新)


<著者プロフィール>

音咲椿(おとさき・つばき)
男性向けグラビア誌編集長を経て、ポット出版社刊「女の子×女の子のためのエロチックブック・Carmilla」にてイラスト・漫画家デビュー。
単行本「イケメン外国人たちとベッドで異文化交流した結果。」(ぶんか社刊)好評発売・配信中。テレビ出演多数。


 

嵐・二宮和也が『ブラックペアン』で魅せた迫力の「眼」…サディスティックな天才外科医に痺れる!!

 嵐の二宮和也が主演する医療ドラマ『ブラックペアン』(TBS系)の第1話が4月22日に25分拡大版で放送され、平均視聴率は13.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と好調な滑り出しを見せた。原作は、フジテレビ系列でドラマ化・映画化もされた『チーム・バチスタの栄光』などのヒット作家・海堂尊氏の小説『ブラックペアン1988』で、『チーム・バチスタ』以前の時代に東城大学病院で起こった事件を描いている。冒頭から緊迫した場面で視聴者をグイグイ引き込んで離さないスリリングな演出、そして「さすが!」と唸らせる二宮和也の演技力は圧巻だった。第1話を振り返ってみよう。

第1話あらすじ~血飛沫の手術室~
 二宮和也が演じるのは、東海地方にある私立東城大学医学部付属病院の外科医・渡海(とかい)。総合外科学教室(通称・佐伯外科)のヒラ医局員だが、天才的な手術の腕を持ち、手術成功率は100%。ほとんど仮眠室で生活している。手術室には執刀医でなく“助手”として入るが、難しい局面に陥れば執刀を交代し見事に成功させてしまう。

 総合外科学教室の研修医(一年目)である世良(竹内涼真)がストーリーテラーとなり、物語はスタートした。舞台となる東城大学病院には、天才的な手術技能を持つ心臓外科の権威・佐伯教授(内野聖陽)のオペを求めて、世界中から多くの患者たちが集まってくる。そこに割り込むのが、国立の超一流大学病院である帝華大学病院のエリート医師たち。帝華大は最新医療用機器「スナイプ」によって、佐伯教授にしか為し得ない、人工心肺を使わず心臓を動かしたまま手術を行う“佐伯式”を「誰でも出来る術式」として広めようとしている。

 帝華大側の言い分は、「佐伯教授の腕は確かだが、イチ地方の職人に過ぎない。あんな男に日本の医療の未来を託すわけにはいかない」。それももっともで、佐伯教授が病気や事故で、あるいは加齢で今と同じ水準の手術が出来なくなる可能性はいくらでもあり、後継者も育っておらず佐伯式の技術を広める手筈も整っていない以上、佐伯教授頼みの東城大学病院はなんだか間抜けに見える。

 しかし一方で、科学技術の力を過信しすぎる帝華大にも問題がないとは言えない。第1話では、帝華大が刺客として東城大学病院へ送り込んだ新任講師・高階(小泉孝太郎)が持ち込んだ最新医療用機器「スナイプ」の使用に関する悶着がメインとなった。ちなみに高階は、『チーム・バチスタ』では東城大学病院の院長にのぼりつめている。

 高階は、世良が担当する高齢の女性患者・皆川(山村紅葉)の手術への「スナイプ」使用を提案。佐伯教授は、自身と渡海が助手に入ることを条件に承諾したが、渡海は高階に「今回の手術で私が途中で代わるなんて事態が起きたら、彼に辞表を書いてもらいます」と要求、高階も「スナイプでの手術が成功したら渡海は病院を辞めるべき」と言いだす。お互いに譲らず火花を散らす、渡海と高階。

 そして手術当日、渡海は海外で「スナイプ」使用手術での死亡例があるという事実を高階に突きつけ、「お前そのおもちゃ持って出て行け。それ人殺してんだろ?」と詰め寄る。しかし佐伯教授はスナイプによる手術続行を指示。手術は成功したが……かのように見えたが、皆川の容態は急変。内蔵が破裂し、大出血を起こしていた。原因は、高階がCTの検査結果をきちんと確認していなかったことにある。高階は心臓しか見ておらず、患者の全身状態の把握を怠った。皆川にスナイプ使用の手術をすればこうなるであろうことを渡海も佐伯教授も予想しており、だから渡海は執刀を代わると言い、だから佐伯教授は「スナイプで続行」と指示したのだった。

 高階はショックを受けるが、渡海は「この婆さん殺したらお前死ね。辞表書くか? お前の退職金で助けてやる」と痛罵。皆川と信頼関係を築いていた世良が、「いくら払えば助けてくれるんですか? 僕の患者です!」と土下座したことで渡海はオペ室に戻り、皆川を救命したのだった。うーん、渡海センセイまるでブラックジャック。

 第1話から多くの開腹手術シーンが描かれたが、どれもこれも血飛沫がビューッと飛び散る壮絶さで、グロ耐性の低い視聴者にはしんどいシーンも多かったかもしれない。「渡海先生が何とかしてくれる」にしても、血まみれでパニック状態に陥っている手術室は衝撃度が強かった……。

悪魔というより小悪魔的な二宮和也「ケケケケ」
 原作では新人の世良が主人公かつ狂言回しで、渡海は魅力的な脇役の一人にもかかわらず、ドラマでは渡海にスポットを当てた。それだけ渡海のダークな存在感が面白いということなのだろう。そして渡海を演じる二宮和也が、見事にキャラクターの魅力を際立たせている。

 まず渡海が最初に登場するのは、冒頭、佐伯教授が執刀中に別の特別室患者が急変し緊急オペが必要になり手術室がピンチを迎えるところだった。緊急オペを担当したのは佐伯教授の一番弟子である横山医師(岡田浩暉)だが、ミスをして窮地に陥ってしまう。そこへ現れたのが、“オペ室の悪魔”と呼ばれる超凄腕医師・渡海。渡海は、横山に対して「辞表書けよ。お前の退職金、一千万で、(手術ミスを)揉み消してやるよ」と言い、横山がYESの意思表示をしたところで執刀交代、テキパキ指示を出しあっという間に縫合を終える。

 淡々と、ひたすら淡々と手を動かす渡海。さらに“佐伯式”での手術も「はい、やるよ」とサラッとやろうとし、周囲を圧倒する。手術中は大きなマスクをしており、目の演技が重要になってくるが、二宮和也の“目”は、まさに口ほどに物を言う。与えられたキャラクターの設定ももちろんだが、彼自身が放つ威圧感はその小柄な体躯に似つかわしくないほど重い。

 また、渡海の口癖は「邪魔」。手術室でも、仮眠室でも、患者の病室でも、クールに「邪魔」。手術以外の場面では悪魔というより小悪魔的で、セリフの語尾に「ケケケケ」という笑い声が付随しているわけではないのに、「ケケケケ」と空耳が聞こえてきそうだ。平凡なフリーターやサラリーマンも馴染むが、クセの強い男を演じさせれば二宮和也はさらに活きる。

 派閥争いのある大病院に、型破りで傲慢な金にうるさい天才外科医……という構図だけを見れば大ヒットコンテンツ『ドクターX』(テレビ朝日系)をはじめとした医療ドラマと同じではあるが、結局のところ、痛快医療エンタメは面白いのである。なんと次週29日放送の第2話も25分拡大版ということで、TBSも相当な気合を入れている『ブラックペアン』。高階はまだ完敗したわけではなくこの先もガンガン東城大学病院をかきまわしていき、佐伯教授もウラがありそうな存在、渡海はただの変人ではなくある目的のもとに上記のようなスタイルで仕事をしているようで……ここから三カ月、最終回まで見逃せない。

※第1話はTBSオンデマンド、Paraviでも配信中

渋谷すばるの円満退所は「見せしめ」!? 取材陣に見せた不器用で心優しい素顔

 皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです! ドキッとするような出来事ばかりの昨今だけど、やっぱり関ジャニ∞渋谷すばるくんのことを聞いた時は「えーーーーーっ」と思わず絶叫しちゃったわ。

 週刊誌の記者から「渋谷すばる、脱退するってよ」と聞いた矢先、一気にニュースは広がっていったんだけど、事務所サイドに当たったスポーツ紙の記者たちから「脱退だけで済む話じゃないから会見するんだって」と聞かされた3日後。安田章大くんはケガのために出席できなかったけど、4月15日に前代未聞の関ジャニ∞メンバー全員集合での緊急会見が開かれたわ。

 eighterの皆さんが「すばるが脱退なんてありえない。ウソだ」と言いながら泣いていた中で“退所会見”の準備が着々と進められていてね……。なんだかなぁと切ない気持ちになっていたんだけど、翌日の4月16日には二宮和也くん主演の肝いりドラマ『ブラックペアン』(TBS系)の会見があるわけで。「バレちゃしょうがないけど、二宮の邪魔だけはさせない。こうなったらすばるの件はとっとと片付けちゃいたい」という事務所サイドの思いが伝わってきて、なんだかなぁ感は募る一方。

 さらにマスコミの間では「いきなり脱退退所ってどうにもヘンだろ? 渋谷すばるも叩けばホコリがバンバン出てくるからね。女性問題ならまだいいけど、何かあったんじゃないかとみんな躍起になって探ってる」というキナ臭い状態だったから、とにかく素早く対応して「何もありませんよ。事務所初の円満脱退! 円満退所です」って報道にしたかったみたいよ。

 そんな慌ただしい中、マスコミ映え抜群の超一流ホテルで会見が行われたんだけど、すばるくんだけじゃなくてメンバー全員がスーツ姿で登場した瞬間に「あ、本当にすばるくん、退所するんだ」と実感しちゃったのよね。

 改まった感満載だったし、メンバーやスタッフの表情も固いし、ピリピリヒリヒリした空気で、もういたたまれないって感じで。「さっき目薬をさしたんで」と可愛い言い訳をしつつ、目にうっすらと涙を浮かべながら自分の素直な気持ちを表明したすばるくんの言葉にジーンとして、いろんな思い出が甦ってきちゃって。

「すばるくんってぶっきらぼうだけど、根は優しくて繊細で、話していてもいい奴だったなぁ」とアツもウルウルしていると、当の主役より瞳からポロポロ涙を流す横山裕くんを発見。隣にいた記者も「ヨコらしいよね。あの泣きっぷり」って言ってたけど、目と鼻を真っ赤にして泣くヨコの姿がまたちょっと涙を誘い……。とはいえ緊張のせいなのか、人を射るようないつも以上に鋭い目付きで会場を見回す錦戸亮くんの表情を見て肝を冷やしたり、ホント不思議な空気が漂う会見だったのよね。

 今後のすばるくんは、海外も視野に入れたアーティスト活動をしていきたいらしく、あの歌唱力があれば怖いものナシだろうけど、実際どうなるかは謎。確かに今までのジャニーズの脱退騒動はいつも突然で、会見などもなく、ある日こっそり退所していたってことが多かったから、すばるくんのようにメンバーに送り出される立派な門出はなかったし、まさに事務所が強調する“円満脱退&円満退所”なんだろうけど……事情通たちによると「見せしめ」なんですって。

「これからすばるのような事案が増えるのも困るから、事務所は応援する気なんてさらさらないよ。はっきり言えば『出て行きたいならどうぞ。だけどここまでよ』ってことだよ。SMAPの解散、3人の退所で激しくイメージダウンしたから、今回はそれだけは何としても絶対に払拭したかった。だからお金をかけて豪華ホテルでメンバー揃っての会見にして華々しく送り出したけど、ある意味、見せしめでもある。関ジャニ∞の記念となる夏コンに出ないすばるにとっては、退所までの日々が生き疑獄になる可能性もある。

今のジャニーズ事務所は体制も変わったし、CDデビューできないジャニーズJr.たちだってわんさかいる。年齢だけ重ねてしまって30歳目前に退所を考えているメンバーたちも多い。そんな中ですばるが成功したら、それこそ『俺も俺も』状態になるからね。そんなの許せるはずないし、金輪際“円満”なんて文字は辞書にない事務所だから」

 なんだか寒々しい話だけど、本当にどうなるのかしら?

 すばるくんの歌唱力は折り紙付きだけど、それが残念なことに邪魔をした部分もあったみたいなのよね。今思うと、言葉の端々に「グループにメインボーカル2人はいらない」という思いがあったみたいでね。いつもは軽く聞き逃してしまっていたんだけど、関ジャニ∞は、歌唱力の高いすばるくんと亮ちゃんがメインボーカルを張っているものね。もちろんお互いがお互いをリスペクトしていたけど、あーんまり2人が一緒にいる所は見たことなかったかな。あの怖いものナシの亮ちゃんが珍しく気を使う人がすばるくんで、呼び捨てではなく「すばるくん」呼びだったしね。微妙な距離感で発言にはとても神経を使っていたわ。

 会見で村上信五くんが「すばるは口下手」と言ってたけど、インタビューではいつも真剣に答えてくれてたの。「俺ね、たった一度だけしか会ってない人でも、簡単に縁を切るなんてできないんだ。だって何かの縁があって巡り会ったんだから、すぐにバイバイするわけにはいかない。だけど、上辺だけで付き合うのも嫌い。そんなに人付き合いが得意なわけじゃないのにさ。要するに面倒臭い男なんだよね」って言ってた時があって、それがとても印象に残ってるの。時間がなくてマネージャー氏に急かされても「ちょっと待って。まだちゃんと話が終わってないから」って言ってくれたこともあって、アツ的には“言葉を大切にする優しい男子だなぁ”って感謝することが多かったの。

 まだ世間に名前が知られていなかったデビュー当初のコンサートで囲み取材を受けていた時、リポーターさんが間違って「シブヤさん」と呼んでしまったのだけど、その時もきっぱりと「シブタニスバルです。シブヤじゃありません」とちゃんと主張して。アイドルだと普通はヘラヘラ笑ってネタっぽく否定するんだけど、すばるくんは真剣に訴えていて、すごく凛々しかったのよね。まぁ基本の名前を間違えちゃうリポーターさんもどうかと思うけど、こんな部分でさえ、最初から普通のアイドルとは一線を画していたのかもしれないわ。

 ただ、人によって渋谷すばる像はずいぶん違っていて、取材中に「機嫌が悪くて一切喋らなかった」とか「今日はeightみんなの悪ふざけが過ぎて、女性カメラマンを泣かせてた。ひどい言葉を投げつけて。音頭をとったのはすばるだった」とかネガティブな噂も聞こえてきて、どれが本当のすばるくんなのか、たまにわからなくなる時があったの。アツはそんなすばるくんは見たことがなかったしね。

 まだデビュー前、大阪から仕事のたびに上京していた時があって、「東京には慣れへん」って嘆いていたから、当時はまだあった都内の“メトロカード”をプレゼントしたら、後日「東京の地下鉄、難しい。けど乗ってみた。ありがとな!」ってわざわざ言いに来てくれたり。あれも確実に渋谷すばるだったんだけどなぁ。

 音楽が好きで、歌が大好きで、「歌うって簡単なことじゃない。いろんな表現があるから」と言ってたっけ。KinKi Kidsの堂本剛くんが好きで「リスペクトしてる」って言ってたのに、会見では「事務所で尊敬する先輩はいない」旨の発言をしてたから、ちょっと悲しくなっちゃった。まぁね、人は成長するし変わるものだけど……。

 何度インタビューしても、渋谷すばるくんの本当の所はわからなかったけれど、アップダウンはあっても彼はきっと心優しい人だと思うの。そうじゃなきゃあんな「脱退&退所会見」なんてしなかったはずだし。願わくばこのまま変な報道が出ないことを祈るばかり。

 ……と思って、マスコミのお友達に「すばるくん、何か出た?」と聞いてみたら「今はもうそれ所じゃないよ。福田淳一元財務事務次官のセクハラ疑惑にテレビ朝日も参戦したし、米山隆一新潟県知事の女子大生との不謹慎なお遊びに、貴乃花一門が消滅するんじゃないかとか、次から次へと事件が立て続けに起こって。渋谷すばるは運がいいとも言える。紙面はどこも世間の関心が向けられた政界や角界でいっぱい。すっかり埋められた」ですって。あー、もう最後までなんだかなぁの連続だわ。

 とにかくすばるくん、あなたの今後をeighterはもとより、後輩たちもじっと見守っているから、先頭を切ってしっかり歩いて行ってね。必ずや一回り大きくなって私たちの前に帰ってきてくれること、信じてます。無限の可能性を持つ渋谷すばるの活躍をみんなで待ちましょ!

「性」に振り回されるキャラクターが登場するマンガ3冊 性行為の同意、女子高校生、母性

 今月14日からスタートした特集「性を語ること」。今回は「ホンシェルジュ」にて様々な社会現象を考える際に参考になるマンガの紹介をしている立命館大学准教授・富永京子さんに特集テーマにあったマンガをご紹介いただきました。

 富永さんが取り上げてくださった『やれたかも委員会』(双葉社)、『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(講談社)、『HORIZON BLUE』(青林堂)の三冊のマンガレビューを読み通して感じたのは私たちの生活には「性」という言葉が常に付き纏っている、ということでした。

▽特集「性を語ること」

吉田貴司『やれたかも委員会』(双葉社)

『やれたかも委員会』(双葉社)
 主に男性が、過去に女性と「やれたかも」(性行為に至れたかも)というエピソードを披露し、評定員がやれたか否か判定するという漫画。回想シーンをやけにリアル足らしめているディティールや、ユニークな審査員三人による「やれた」「やれたとは言えない」という判定、どこか漂うシュールな雰囲気などが個性的な作品です。一概に「やれたかも」といっても、何を「同意」や「可能性」のサインとして見るかは難しいところです。一つひとつのエピソードを見ても、そのボーダーが非常に多様であることが見て取れるのではないでしょうか。こうした認識の相違は、そのまま性行為の同意に関する議論にも繋がっていきます。

 性暴力の定義をめぐる問題に見られるように、「性行為の同意」の議論は現代において非常に大きなイッシューです。登場人物はほとんど男性ですが、単純に男性・女性では割り切れない「同意」のありようを考える上でも重要なテキストでしょう。

 この漫画を性加害-被害に関する啓発イベントに用いた事例も見られます。中央大学では『やれたかも委員会』を再現しつつ、参加者が言及した性行為の同意に関する認識のすれ違いを、会場も巻き込んで議論することで、性被害における加害者と被害者の認識のズレを議論するというイベントが開催されました。カジュアルな「あるある」体験談を入り口に、間口を広げながら難しい課題につなげるこの漫画は、まさに「性」を語る、という主題にはぴったりの作品でしょう。

岡田麿里・絵本奈央『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(講談社)

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(講談社)
 主人公・和紗たち文芸部の女子5名は、「死ぬ前にしたいこと」という話題で盛り上がっていたところ、部員の一人が発した「セックス」という一言をきっかけに「性」に振り回される日々を送ることになる――というあらすじの作品。男子から寄せられた好意にまんざらでもない一方で、頑なになってしまう「り香」、愛情へと変わっていく幼なじみへの好意を自覚しつつも変わってしまうのが怖い主人公の「和紗」など、それぞれのキャラクターの思いが交錯しながらストーリーが進む……というと切なくて甘酸っぱい物語のように聞こえますが、一方で生々しいリアリティに満ちているのも特徴です。

 文芸部の主人公たちは、美少女である新菜を除いては「掃き溜め」と呼ばれるような存在だし、和紗が想いを寄せる幼なじみの泉はスクールカーストが上昇してしまって、うかつに学内で話すこともできない。彼女たちの「性」は、陽キャラやスクールカースト高めの女子よりも、どこか鬱々としていて表には出しづらく、時折「2ショットチャット」(二人用チャットで性行為や性的な会話を行うサービスであり、出会い系、買春売春等を目的に利用されることもある)などのアンダーグラウンドな方面に向かってしまいます。

 女子高生、部活、恋愛という主題でなおかつ少年漫画誌に掲載されているため、キラキラした美しいものとして「性」が語られるのかと思いきや、10代女子が奥底に抱える、性と直面する泥臭さやみっともなさを存分に抉り出してくれる作品です。

近藤ようこ『HORIZON BLUE』(青林堂)

『Horizon blue』(青林堂)
 近年、『血の轍』(小学館)や『凪のお暇』(秋田書店)など、親と子の関係に基づくネガティブな感情や愛憎を描いた作品(たびたび「毒親」漫画と呼ばれたりします)で優れた漫画がよく取り上げられますが、『HORIZON BLUE』は1990年刊行の作品。一人の女性が結婚と出産、そして子殺し未遂に至るまでの経緯を幼少期から描くことで、著者いわく「『生み、育てる』性としてではなく、『殺し、死ぬ』性としての女性性」(著書あとがき)を描き切った、類を見ない名作です。

 上述したような近年の「毒親」との関係を描く漫画との違いは、子供目線から親の異常性を描くのみに留まらず、親がいかにして「異常」と言われてしまうような行為に至ったかという点を重点的に描いているところにあるでしょう。

 女は常に子供を愛するもの、女は常に母性を持っているもの――こうした価値観に、生涯を通じて悩まされてきた主人公・晴子。妹に対して劣等感を抱き、周囲からの評価に苦しみ続ける彼女の「普通の母親に…普通の女になりたいんです」という言葉は、何らかの形で「普通」を強いられている私たちの心に強く響くのではないでしょうか。

 この作品に限らず、近藤ようこの作品は女のすぐれた「生活史」であり、性に関する主題を強く押し出しておらずとも、台詞や小道具のひとつひとつが、雄弁に「性」が生み出す葛藤を物語っています。ぜひ手にとってみて下さい。

富永京子(とみなが きょうこ)
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専門は社会学、社会運動論。主著に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)。Webサイト「ホンシェルジュ」で「マンガを社会学する」を連載中。

「性」に振り回されるキャラクターが登場するマンガ3冊 性行為の同意、女子高校生、母性

 今月14日からスタートした特集「性を語ること」。今回は「ホンシェルジュ」にて様々な社会現象を考える際に参考になるマンガの紹介をしている立命館大学准教授・富永京子さんに特集テーマにあったマンガをご紹介いただきました。

 富永さんが取り上げてくださった『やれたかも委員会』(双葉社)、『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(講談社)、『HORIZON BLUE』(青林堂)の三冊のマンガレビューを読み通して感じたのは私たちの生活には「性」という言葉が常に付き纏っている、ということでした。

▽特集「性を語ること」

吉田貴司『やれたかも委員会』(双葉社)

『やれたかも委員会』(双葉社)
 主に男性が、過去に女性と「やれたかも」(性行為に至れたかも)というエピソードを披露し、評定員がやれたか否か判定するという漫画。回想シーンをやけにリアル足らしめているディティールや、ユニークな審査員三人による「やれた」「やれたとは言えない」という判定、どこか漂うシュールな雰囲気などが個性的な作品です。一概に「やれたかも」といっても、何を「同意」や「可能性」のサインとして見るかは難しいところです。一つひとつのエピソードを見ても、そのボーダーが非常に多様であることが見て取れるのではないでしょうか。こうした認識の相違は、そのまま性行為の同意に関する議論にも繋がっていきます。

 性暴力の定義をめぐる問題に見られるように、「性行為の同意」の議論は現代において非常に大きなイッシューです。登場人物はほとんど男性ですが、単純に男性・女性では割り切れない「同意」のありようを考える上でも重要なテキストでしょう。

 この漫画を性加害-被害に関する啓発イベントに用いた事例も見られます。中央大学では『やれたかも委員会』を再現しつつ、参加者が言及した性行為の同意に関する認識のすれ違いを、会場も巻き込んで議論することで、性被害における加害者と被害者の認識のズレを議論するというイベントが開催されました。カジュアルな「あるある」体験談を入り口に、間口を広げながら難しい課題につなげるこの漫画は、まさに「性」を語る、という主題にはぴったりの作品でしょう。

岡田麿里・絵本奈央『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(講談社)

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(講談社)
 主人公・和紗たち文芸部の女子5名は、「死ぬ前にしたいこと」という話題で盛り上がっていたところ、部員の一人が発した「セックス」という一言をきっかけに「性」に振り回される日々を送ることになる――というあらすじの作品。男子から寄せられた好意にまんざらでもない一方で、頑なになってしまう「り香」、愛情へと変わっていく幼なじみへの好意を自覚しつつも変わってしまうのが怖い主人公の「和紗」など、それぞれのキャラクターの思いが交錯しながらストーリーが進む……というと切なくて甘酸っぱい物語のように聞こえますが、一方で生々しいリアリティに満ちているのも特徴です。

 文芸部の主人公たちは、美少女である新菜を除いては「掃き溜め」と呼ばれるような存在だし、和紗が想いを寄せる幼なじみの泉はスクールカーストが上昇してしまって、うかつに学内で話すこともできない。彼女たちの「性」は、陽キャラやスクールカースト高めの女子よりも、どこか鬱々としていて表には出しづらく、時折「2ショットチャット」(二人用チャットで性行為や性的な会話を行うサービスであり、出会い系、買春売春等を目的に利用されることもある)などのアンダーグラウンドな方面に向かってしまいます。

 女子高生、部活、恋愛という主題でなおかつ少年漫画誌に掲載されているため、キラキラした美しいものとして「性」が語られるのかと思いきや、10代女子が奥底に抱える、性と直面する泥臭さやみっともなさを存分に抉り出してくれる作品です。

近藤ようこ『HORIZON BLUE』(青林堂)

『Horizon blue』(青林堂)
 近年、『血の轍』(小学館)や『凪のお暇』(秋田書店)など、親と子の関係に基づくネガティブな感情や愛憎を描いた作品(たびたび「毒親」漫画と呼ばれたりします)で優れた漫画がよく取り上げられますが、『HORIZON BLUE』は1990年刊行の作品。一人の女性が結婚と出産、そして子殺し未遂に至るまでの経緯を幼少期から描くことで、著者いわく「『生み、育てる』性としてではなく、『殺し、死ぬ』性としての女性性」(著書あとがき)を描き切った、類を見ない名作です。

 上述したような近年の「毒親」との関係を描く漫画との違いは、子供目線から親の異常性を描くのみに留まらず、親がいかにして「異常」と言われてしまうような行為に至ったかという点を重点的に描いているところにあるでしょう。

 女は常に子供を愛するもの、女は常に母性を持っているもの――こうした価値観に、生涯を通じて悩まされてきた主人公・晴子。妹に対して劣等感を抱き、周囲からの評価に苦しみ続ける彼女の「普通の母親に…普通の女になりたいんです」という言葉は、何らかの形で「普通」を強いられている私たちの心に強く響くのではないでしょうか。

 この作品に限らず、近藤ようこの作品は女のすぐれた「生活史」であり、性に関する主題を強く押し出しておらずとも、台詞や小道具のひとつひとつが、雄弁に「性」が生み出す葛藤を物語っています。ぜひ手にとってみて下さい。

富永京子(とみなが きょうこ)
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専門は社会学、社会運動論。主著に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)。Webサイト「ホンシェルジュ」で「マンガを社会学する」を連載中。

コスプレイヤー市場への参入は迷走? 多角化? 「ニコニコ動画」の改善も始めたドワンゴの行方

 もう手当たり次第なのか……。ドワンゴが、新たな挑戦として始めた、コスプレイヤー専用のエージェンシーサービス「COSPLAY AGENCY」。もはや、『ニコニコ動画』では稼げないとなった中での暗中模索か、それとも遠大な展望があるのか。

 この「COSPLAY AGENCY」は、企業などから依頼を受け、イベントやメディアへの出演の増えているコスプレイヤーをキャスティングする、いわば芸能事務所的な業態だ。ドワンゴでは、これまで「池袋ハロウィンコスプレフェス」などの運営実績があるが、これを背景に新たな展開を模索しているものとみられる。

「ニコニコ動画はオワコンといわれていますが、ドワンゴ自体に、まだまだ会社としての体力はあります。近年、下手なテレビタレントよりも集客力を持つコスプレイヤーに目を付けるのは、ビジネスとしては正しい。ただ、これでニコ動の凋落した部分を支えられるとは思えません」(芸能関係者)

 一時の隆盛を知るユーザーにとっては、もはやニコ動は過去のコンテンツ。よくも悪くも話題になるYouTubeに、大きく水をあけられていると言わざるを得ない。

 ただ、経営の多角化の一方で、もともとの屋台骨ともいえるニコ動の改善も進んでいるという。

 今年1月には「動画と生放送サービスの改善報告会」を開催。この席ではログインなしでの視聴、フルHD動画視聴や投稿機能の改善など、サービス全般に関して大幅な見直しが行われることが発表された。

「2018年中には、インターフェース全般も含めて、大幅な改善が行われる見込みです。ユーザーにとってはかなり使いやすい動画投稿サイトになるでしょう。ただし、それによって離れてしまったユーザーが戻ってくるかは未知数ですね」(事情を知る関係者)

 かつてのニコ動は、そのカオスっぷりゆえに、文字通り毎日がお祭りのような楽しさだった。あの楽しさをもう一度楽しめるなら、とてもうれしいと誰もが思うのではないか。
(文=是枝了以)

コスプレイヤー市場への参入は迷走? 多角化? 「ニコニコ動画」の改善も始めたドワンゴの行方

 もう手当たり次第なのか……。ドワンゴが、新たな挑戦として始めた、コスプレイヤー専用のエージェンシーサービス「COSPLAY AGENCY」。もはや、『ニコニコ動画』では稼げないとなった中での暗中模索か、それとも遠大な展望があるのか。

 この「COSPLAY AGENCY」は、企業などから依頼を受け、イベントやメディアへの出演の増えているコスプレイヤーをキャスティングする、いわば芸能事務所的な業態だ。ドワンゴでは、これまで「池袋ハロウィンコスプレフェス」などの運営実績があるが、これを背景に新たな展開を模索しているものとみられる。

「ニコニコ動画はオワコンといわれていますが、ドワンゴ自体に、まだまだ会社としての体力はあります。近年、下手なテレビタレントよりも集客力を持つコスプレイヤーに目を付けるのは、ビジネスとしては正しい。ただ、これでニコ動の凋落した部分を支えられるとは思えません」(芸能関係者)

 一時の隆盛を知るユーザーにとっては、もはやニコ動は過去のコンテンツ。よくも悪くも話題になるYouTubeに、大きく水をあけられていると言わざるを得ない。

 ただ、経営の多角化の一方で、もともとの屋台骨ともいえるニコ動の改善も進んでいるという。

 今年1月には「動画と生放送サービスの改善報告会」を開催。この席ではログインなしでの視聴、フルHD動画視聴や投稿機能の改善など、サービス全般に関して大幅な見直しが行われることが発表された。

「2018年中には、インターフェース全般も含めて、大幅な改善が行われる見込みです。ユーザーにとってはかなり使いやすい動画投稿サイトになるでしょう。ただし、それによって離れてしまったユーザーが戻ってくるかは未知数ですね」(事情を知る関係者)

 かつてのニコ動は、そのカオスっぷりゆえに、文字通り毎日がお祭りのような楽しさだった。あの楽しさをもう一度楽しめるなら、とてもうれしいと誰もが思うのではないか。
(文=是枝了以)

『花のち晴れ』視聴率は7.4%惨敗でも、キンプリ平野紫耀のヘタレ王子ぶりは神がかっていた!

 4月17日に放送開始した新連続ドラマ『花のち晴れ~花男 Next Season~』(TBS系)の初回平均視聴率は、7.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。『花より男子』(同)でスーパーヒーロー道明寺司を演じた嵐の松本潤が道明寺司役で出演したことも話題となり、TwitterなどSNSでは盛り上がったが、数字の面では合格ラインを下回ってしまった。

 しかし、数字は低かったとはいえ、『花のち晴れ~花男 Next Season~』のドラマとしての出来が悪いというわけでは決してなかった。まず杉咲花が演じるヒロイン・江戸川音(えどがわ・おと)は非常に魅力的な人物として描かれていたし、ダブル主演のKing&Prince・平野紫耀が演じる超大金持ちの神楽木晴(かぐらぎ・はると)のヘタレ王子ぶりも悪くない。演出やストーリー構成に矛盾もなくこれから始まる青春ラブストーリーへのワクワク感を十分に高める内容だった。注目の第一話を振り返ってみたい。

平野紫耀が適役すぎる…!
 『花のち晴れ~花男 Next Season~』の舞台は、F4卒業から2年後、凋落の一途を辿っている英徳学園の高等部。音は化粧品会社の社長令嬢で、高校入学までは大変裕福な暮らしを送っていたが、会社の倒産により一転、貧乏生活に。父(反町隆史)は遠洋漁業に出て行き(伏線の可能性アリ)、生まれながらのお嬢様である母(菊池桃子)は貧乏生活に馴染めず、音が家事を担い週5でコンビニバイトもしながら家計を支えている状況だ。

 英徳学園ではC5(コレクトファイブ)なるトップ集団による“庶民狩り”が横行しており、庶民に転落したことがバレたら否応ナシに退学させられるため、音は身を縮めて学園生活を送り続けている。学費も相当高いのだろうし退学すればいいのにと思ってしまうが、許婚の馳天馬(はせ・てんま)との結婚の約束はなぜか「音がちゃんと英徳学園を卒業できたら」という条件つきのため、こそこそしつつも学園生活を継続しているのだった(この条件は闘病の末亡くなった天馬の実母の遺言なのだが)。

 さてC5のリーダーに君臨するのが、道明寺と並ぶ日本三代財閥のひとつ神楽木ホールディングスの御曹司である神楽木晴。平野紫耀は高めのハスキーボイスかつ、やや舌足らずな喋りなので、本物の超イケメン役を演じたら違和感が強かっただろうが、晴は顔こそイケメンでスーパー金持ちであるものの、喧嘩は弱いし見栄っ張りだしヘタレなお坊ちゃまなので、幼稚さを感じさせる平野ボイスが見事にマッチしており、魅力的なキャラクターに仕上がっている。視聴者のヘタレBOY萌えがはかどることは間違いない。

 そんな晴のヘタレぶりを知っているのは、一部の使用人たちと、C5の男子メンバーだけ(紅一点の不動産王令嬢は知らない)。晴が「『ありがとう』しか喋れないくせに七カ国語をしゃべれると豪語したり」「弱いくせに喧嘩が強いという嘘を流したり」「あやしげな開運グッズをすぐ信じて買い漁ったり」することを知っていて「努力の方向が間違ってるんだよお前は」と呆れる様子のC5、仲のよさがうかがえて微笑ましい。

 しかし晴のヘタレぶりが、C5の外に漏れてしまった。こっそり通販で注文していた<カリスマ性に磨きがかかる火星の石>なるスピグッズをコンビニに受け取りに行ったところで、バイト中の音に遭遇してしまうのだ。音は「庶民だってことがC5にバレた! どうしよう退学になっちゃう!」と焦り、晴は「消えてなくなりてえ、ウワァ~~~~! 今すぐ人を殺せる吹き矢が欲しい!」と狼狽する。さてどうなるか。ここからが面白かった。

 翌日、英徳学園の正門前に3人の不良男子が現れて暴れ出した。女子生徒が恫喝されているのに、ただ見ているしかできないどころか、立ち去ろうとする晴に、音は啖呵を切る。

「守ってくれないんですか? 英徳を守るって言ってたのに! いつも偉そうにふんぞりかえって、何がコレクト5よ! 正しき5人なんて名乗る資格、あなたにはない。そんなの買う暇があるなら心を磨けば? ほんとしょーもない人!」

 ここで晴が、幼少期に不良にカツアゲされている同級生を助けられず影で見ているだけの自分を救ってくれた道明寺司の思い出を回想(宇多田ヒカルのイメージソングとともに)。道明寺は余裕で3人の不良たちを蹴散らし、弱虫な晴を「しょーもない」と一喝、「強くなれ。大切なものを守るには強くなるんだ」と鼓舞したのだ。その思い出を胸に、道明寺のような強い男になるべく、晴は……スピグッズ等を買いまくっているのだった。うん、努力の方向性が違う。

 ともあれ、かつて道明寺に言われたのと同じ「しょーもない」という言葉を音からぶつけられ、「もう二度と、誰にも、しょーもないなんて言わせねえ」と勇気を奮い立たせた晴は、不良たちに向かっていく。ラッキーパンチが決まり、三人もの不良男子をKOした晴は賞賛を浴びてイイ気分に。さらにC5から「音がお前にホレてしまえば、火星の石のことで脅されたりはしないはず」とアドバイスを受けて、晴は音を自宅(尋常じゃないレベルの豪邸)のガーデンパーティーに招いた。

杉咲花が魅力的なヒロインに命を吹き込む
 晴の計画では、夢のようなセレブぶりに音はすぐメロメロになるはずだったのだが、晴があまりにナチュラルに“庶民”を見下し、それを悪いことと認識すらしていないことを露呈してしまったがために、音は激怒。「あんたってほんとしょーもない! 二度と話しかけないで。もうほっといて」と、二度めの「しょーもない」をぶつけて立ち去ってしまう。そもそも音は一年半前まで上流階級のお嬢様としてセレブ生活を堪能していたのだから、いくら金持ちぶりを披露してもさほど驚きはしない。

 何で音が怒っているのか理解できない晴。根っからの悪人というわけではなく、天然ヘタレBOYだから仕方ないのだが……。しかも晴は、自分に対してここまで率直に「しょーもない」と叱りつけてきた相手は、道明寺と音だけということで、早くも音へのリスペクトが芽生えそうな様子だ。

 高慢ちきな王子様ぶりと、その純朴っぷりを同時に表現できるうえ顔面が超イケメンという若手役者、今は平野紫耀以外に考えられない。まさに適役だ。かねてより若手演技派との評価が高い杉咲花も、その評価に違わぬ堂々とした存在感があり、ヒロインにふさわしかった。彼女の演技によって、ヒロインが凛として品のある、魅力的な少女として描き出されている。『花より男子』の井上真央もそうだったが、ハイスペイケメンに取り合いされるほど魅力的な庶民ヒロインの役に説得力を持たせられる女優はそうそういない。杉咲もまた、適役だと思う。

 第一話のラストは、音に婚約者がいること、その婚約者がライバル・桃園学園の生徒会長でIT企業の御曹司・馳天馬(中川大志)であることを、晴が知るシーンだった。これから晴は音にガチ恋し、“音をめぐる三角関係”と、ライバル学園同士の抗争が展開していくのだろうが、ますます面白くなっていく予感しかない。若手アイドルのプロモーションドラマだと予想して敬遠した視聴者もいるかもしれないが、まったくそんなことはなく、レベルの高いコンテンツだと断言できる。

(清水美早紀)