浮浪者が寝顔にオシッコ、父は援交で逮捕!? 「ほぼ路上」で暮らした13歳の“楽しい日常”

 家庭内DV当たり前の壮絶な家から、母親&兄妹と“昼逃げ”した先は、通行人と目が合う吹きっさらしの“ほぼ路上”だった――。

 連載がスタートするや、たちまち話題となった実録漫画『ほとんど路上生活』。6月2日に単行本(小学館刊)が発売された作者の川路智代さんに、その濃厚な数年間を伺った。なぜしばらくDVから逃げなかったのか。なぜ“ほぼ路上”に住み続けることができたのか。学校には通えたのか。これだけハードな生活を送っていてなぜ、病まずに生きていけたのか。平成末期とは思えぬ、驚きのサバイバル・ライフとは。

 

――この漫画を描くに至ったきっかけは、なんだったのでしょうか?

川路智代さん(以下、川路) 現担当編集さんに創作漫画を持ち込んだ際、「エッセイコミックは描けますか?」と言われたんです。そこで、自分の人生で何か面白いことはあったかなと思い返してみると、「そういえば中学生の頃、4年間だけ“ほぼ路上”に住んでいたなあ」と思い出したんです。それまで、すっぽりと忘れていましたから。

――それは、「忘れるほどたいしたことなかった」ということですか?

川路 そうですね。客観的には壮絶ですが、楽しかったので。

 川路さんが当時暮らしたのは、母親の実家であった魚屋に併設した宴会場。「客がいないから」と川路さん一家4人の住まいとなったが……。ドアがないため、外を歩く通行人と目が合う。天敵、虫や雨風との攻防戦。そして、寝顔に小便をかけてくるおじさんや、羽交い締めしてくるおじさんなど、侵入する不審者との戦い。数々のサバイバルを、川路さんは経験したのだ。しかしそうした暮らしを、笑顔で「楽しかった」と回想する。

 

川路 不思議なもので、人間って楽しい記憶ほど忘れちゃうし、思い出すことはないようで。一方で、宴会場に住む以前に暮らしていた実家での嫌な記憶は、嫌というほど残っています。

――実家は田舎の資産家で、祖父母、両親、兄妹と暮らしていたんですよね。物心ついて以降、覚えている記憶はどんなものですか?

川路 4、5歳頃ですかね、当時から絵を描くのが好きで、ずっと絵を描いていたことを覚えています。父親は、子どもが苦手だったのか、風呂から出た妹を唐突にスリッパで叩きまくるなどしていました。一方、祖母のほうは、子どもに対してはすごく優しくて、私のことも可愛がってくれていたように思います。

だけどある時、私が家の受話器をいたずらしたことで、祖父にぶん殴られて大泣きしたことがあったんです。すると兄が、祖母に連れられ、真剣な表情で私の前にやってきまして、おもむろに正座をして「智ちゃんは、殴られていないよ」と言ってきました。訳がわからないまま「なんで? 殴られたよ?」と返すと、「いや、殴られてないよ」と……。理解できず、パニックに陥りましたね。

――祖父に殴られたはずなのに、兄が来て、しかも殴られた事実を否定したんですか? 

川路 はい、今思えば、祖母は祖父をかばうために、兄に口裏を合わせるよう強要したのだと思います。当時は子どもでしたから、兄も大人の言うことを聞くしかなかったんでしょう。結構、ごちゃごちゃした内情の家でした。

――ですが、そうした“つらさ”などを感じさせない明るい作風です。当時は、「こんなつらい生活、嫌だ」とふさぎ込んでいたんでしょうか?

川路 いえ、つらいことはつらかったけど、そんなふうには思いませんでした。比較対象がなかったし、子どもって、自分がいる環境を受け入れる能力が長けているように思います。私はあの家で、それが当たり前のように育ったので。今でこそ「DV」という言葉を使っていますが、私にとっては「しつけ」でしたしね。祖父も父も、荒ぶっていましたね。

 作中、遺産相続で祖父と父が言い争う声を聞くシーンや、母や兄、妹が顔中にあざを作っている描写もある。祖父はまさに「荒ぶる」という言葉どおり粗暴なイメージを想起させる一方、父は違う。作中では、いつも表情の変わらぬ薄ら笑いを浮かべ、見方によっては可愛くも見えてくる「熊」として描かれている。

 

川路 これまでは父親の顔を忘れかけていたのですが、この漫画を描くにあたり思い出したんですよ。本当にあの絵のままの顔。喜怒哀楽がなくて、何を考えているのかまったくわからない不気味な人でした。顔は優しくて、とても暴力を振るうようには見えないし。

――作中では一切ありませんでしたが、父親らしいことをしてもらった記憶はありますか?

川路 ひとつだけあります。とある年の節分の日、四つんばいになった父の背中に私が馬乗りになり、手のひらに乗せた豆を父の口の前に差し出すと、食べてくれました。今考えれば、すっごい気持ち悪いんですけど(笑)。

――異常な家庭環境は、隠そうと思っても他人から見ると違和感を覚えることがあるかと思います。当時通っていた保育所や幼稚園の先生には、何か指摘されなかったんでしょうか?

川路 記憶にないですね。指摘されても、母親が必死にごまかしていたんだと思います。とにかく人の世話にならないように。

 父と結婚した母に降りかかったのは、まさに苦行だった。喜怒哀楽もなく会話もない夫。荒ぶる祖父。立つことが困難な曽祖父の介護を平然と押し付け、人一倍資産に執着する祖母。母は文句ひとつなく、自分の実家に泣きつくことなく、日々を真摯に生きた。子どもたちが生まれてからも、苦行を一手に背負い続けた。

 

川路 母のそういう話は、最近初めて聞いたんです。母も私と同じで、宴会場での記憶はないのに、嫌なことは本当によく覚えているんですよ。10時間以上話していましたが、それでも足りなそうなほどでした。

――祖父母や父の、母に対する仕打ちは、とても十数年前のエピソードだとは思えぬほどです。

川路 田舎ですからね~。たしかにあそこは簡単には逃げられそうにないです。すごく狭いコミュニティで、噂で成り立っている場所で、身動きが取れなかったんでしょうね。

――祖母の自殺の動機はなんだったのでしょうか?

川路 父には兄弟がいましたが、家系なのか、父含めほとんど働いていませんでした。それに、代々、女遊びと金遣いだけは荒かったそうで。曽曽祖父くらいかな、彼は女学校に出向き、「このなかで一番計算の早い娘を出してくれ」と言い、その子と結婚し、仕事をすべて任せたそうです。祖母も祖母なりに、何か悩み続けていたことがあったんだと思います。

 父もパチンコ狂いとして描かれ、働くそぶりは一切みせない。母と兄妹が家を出てからも、風俗店へ行ったり、女子高生と援助交際をし逮捕にまで至っている。そのおかげで晴れて両親が離婚できることになり、登場人物全員が歓喜に包まれた。

川路 家にいたときも、父が女の人の香水の匂いをさせて帰ってくることがありましたが、当時のことを母は、「本当にどうでもよかった。生きることに精一杯だったから」と振り返っていました。

――「生きることに精一杯」、たしかに日々の苦行がありすぎて、“死なずに生きる”だけでも相当なエネルギーを使う環境です。一方で宴会場での暮らしも、「生きることに精一杯=サバイバル」といった印象を受けます。たとえば、不審者が侵入し羽交い締めにしてきたり……。

川路 漫画に描いた人々をはじめ、動物の鳴きマネをするおばさんや、必ず外でうんちをしてしまうおじさんなど、町の顔として慣れ親しんでいたので、実は特に気にしていませんでした。「治安が悪いなあ」と思う程度で(笑)。一度、頭のしっかりした空き巣が侵入したことがあったそうで、母とカチ合うと、「○○さん家かと思いました」と言ったそう。母は腹が立って追い出したと話していましたが、いや警察呼べよ、と(笑)。あと、早朝、ホームレスの人に鍋を盗まれたことがありました。あれは朝ごはんが作れず最悪でしたね! その後裁判所から、裁判に出るか否かの電話がありましたが、母は「鍋ひとつで恥ずかしいから」と断っていました。

 宴会場での出来事を、笑顔まじりで話す川路さん。ふと気づくのは、彼女は当時、中学生だったということ。が、作中でもインタビュー中でも、学校でのエピソードがない。そう、川路さんは、学校には通っていなかったのだ。

川路 中学校には、1年生のとき最初の2、3カ月だけ行き、嫌になって行かなくなりました。転校生ということもあり浮いてしまったのと、もともと集団行動が苦手だったし、家で絵を描いている方が楽しかったから、母にそれを許してもらったんです。

――どんな生活をしていたんですか? 1日のスケジュールは?

川路 朝はみんなと一緒に起きて家のことを手伝い、妹の着替えなどをし、学校へ行く兄と妹を見送ってからは、家で絵を描いてすごしたり。外に出るときは、ローカルスーパーや、夜仕事の母が動物園に連れていってくれたりもしました。「絵を描くためには、いろいろなものを見ておいたほうがいいでしょう」と、貧乏なりに楽しんでいましたね。で、夕方には同級生が帰宅するので、家にこもっていました。

――一般的な母親は、義務教育は無理をしてでも行かせがちです。が、川路さんの母は、好きなことを積極的に学ばせてくれたんですね。

川路 普通はあり得ないですけどね。小さい頃から「漫画家になる」と言っていたようで、そのつもりでいてくれたみたいです。それに、中学校の校長先生がいい人で、絵の先生でもあったようで、たまに会いに行き一緒にデッサンをしていました。

――壮絶な幼少期を経験したからには、思春期にはリストカットなどをするなど病みそうなものですが、そうした段階は経ていないんですね。

川路 母がとにかく強く、病まないタイプなので、辛抱できたのかもしれません。あとは、父の血も入っているからかなあ。顔にナメクジが這っていてもなんとも思わないような人だから、私もそんな感じなのかもしれません。私はリストカットなど、自分を傷つけることも、薬を飲んだことも一度もないんです。リストカットに対しては、「血がすごく出るし、痛そう。でもやっちゃうってことは、痛くないのかな」と思うくらいの凡人の発想です。とにかく環境に恵まれていたんだと思います。

――宴会場での一連の経験がもたらしたものはありますか?

川路 「人間って優しいんだなあ」と知ることができたことでしょうか。実家では、家族といえど他人だったし、人間関係でこじれまくっていたから。宴会場では、私が絵を描いていると路上から話しかけてくれる優しい人がいたり。学校は行きませんでしたが、その分ほかの楽しさがありました。

 あとは、他人への偏見を持たないようになりました。どれだけ変な人でも、「その人にはその人の人生があるから」と思えて、気に留めないようになりました。自分だっていつどうなるかわからないし、「変人」だと思われる人生が、自分にはすごく身近に感じられます。なぜかというと、私には私の人生があって、その青春時代の思い出を「普通ではない」とみなさんに楽しんでいただけているからです。

――だから、不審者に対しても親しみを込めて話されるんですね。最後に、この漫画をどんな人に読んでほしく、どう感じてほしいですか?

川路 理想としては、小学生や中学生など、子どもに読んでもらいたいです。小さいうちから、「いろいろな人生を経験している人がいるんだ」というのを知っておいたほうがお得だぞ、と。そうすることで、世の中にある偏見を取っ払ってほしい。もし、子どもを持つ読者さんがいましたら、ぜひ読ませてあげてほしいと思います。

(文=有山千春)

 

<プロフィール>

川路智代(かわじ・ともよ)
日本画+少女漫画の表現技法を追求する漫画家。本作がデビュー作。
無料コミック・小説投稿サイト『エブリスタ』で『ほとんど路上生活』を連載中。
同作の単行本は6月2日、全国書店で発売。

日本映画界から実写ヒット作が消えてしまった!? 『シン・ゴジラ』以降の主流なき邦画界を考える

 興収83億円を記録した『シン・ゴジラ』(16)を最後に、日本の実写映画から50億円を超えるメガヒット作が生まれていない。『シン・ゴジラ』や250億円の興収を上げた劇場アニメ『君の名は。』(16)が牽引する形で、2016年の日本映画界は今世紀最大となる2,355億円の興収を記録。続く17年もディズニー映画『美女と野獣』など洋画の大ヒットに恵まれ、前年に次ぐ2,285億円という高い数字を残した。アイドル俳優たちをキャスティングした学園青春もの、いわゆるキラキラ映画は費用対効果のよさから次々と製作されているが、以前は20億円が業界でのヒットの目安だったのが10億円にハードルが下がるなど、ヒットの規模は小さくなりつつある。また、東日本大震災直後の社会状況を反映させた『シン・ゴジラ』『君の名は。』のように、世代を越えた話題を集めるには至っていない。全体の興収結果を見る限りでは好調さをキープしているように見える映画界だが、本当にそうだろうか。2018年上半期も終わろうとしているが、今の邦画シーンはどういう状況なのか、映画ビジネスに詳しい映画ジャーナリストの大高宏雄氏に聞いてみた。

大高「2018年に入り、特に邦画実写作品が低迷しています。1月から5月、20億円を超えた作品が1本もありませんでした。“邦画の大ヒット作がないのでは?“という問いに答えるのなら、大ヒット作は生まれています。東宝が3月に公開した『ドラえもん のび太の宝島』は53億円、4月に公開した『名探偵コナン ゼロの執行人』は80億円に迫り、どちらもシリーズ歴代No.1の大ヒットになっています。特に入場者への特典を付けることもない『名探偵コナン』の6年連続での記録更新は目を見張るものがあります。第1作『──時計仕掛けの摩天楼』(97)は興収11億円ですから、すごい伸び率です。今や国民的アニメの位置を盤石なものにしていると言えるでしょう。アニメに偏り始めましたが、日本映画界にはヒット作は生まれています。以前とはヒットの構造が変わったということなんです」

 劇場版『名探偵コナン』は、原作コミック&TVアニメの知名度に加え、ハリウッド映画ばりの大掛かりなアクションシーンやサスペンス要素がふんだんに盛り込まれ、幅広い層を取り込んだGWに欠かせない定番シリーズとなっている。『ドラえもん のび太の宝島』は東宝のヒットメーカー・川村元気プロデューサーが脚本を担当している。人気アニメシリーズがマンネリ化に陥らない工夫をしている一方、実写映画に元気がないのが気になるところだ。大高氏は『シン・ゴジラ』以降、日本の実写映画が活性化できずにいる原因のひとつとして、17年に公開された『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(東宝、ワーナー共同配給)、『無限の住人』『鋼の錬金術師』(ワーナー配給)の不振を挙げている。3作品とも知名度の高い人気コミックを原作にした話題性抜群のアクション大作だったが、『鋼の錬金術師』は興収10億円、『無限の住人』『ジョジョの奇妙な冒険』は10億円に届いていない。3作品とも配給側が狙ったような興収結果を残すことはできなかった。

大高「日本ならではのエンタメ大作になるのではと、この3本には期待していたんです。人気コミックをベースにして、どんな新しい世界を見せてくれるんだろうと、公開が始まるまでワクワクでした。個人的には、『無限の住人』は三池崇史監督らしさが出ていて面白かったと思います。ただ、一般的にはどうだったでしょうか。この3本が興行的に失敗した原因は、いろいろ考えられます。キャスティングの問題、深みのない世界観……。でも、興行的に成功しなかった作品のことは、誰も分析しようとはしません。今や、まるで最初から存在しなかった作品のようになっていないか。次から次に新作が登場してくるので、当たらなかった作品のことを配給側も批評する側もかまっている余裕がありません。しかしですよ、ハリウッドがマーベルコミックをアメコミ映画として実写化して成果を上げているように、これらの作品もうまくやっていれば“ジャパコミ映画”として、日本映画に新しい路線を切り開くことができたんじゃないかと思うんです。そこを綿密に分析する必要があるのではないか。人気コミックを巧みに実写コメディ化した福田雄一監督の『銀魂』(ワーナー配給)は興収39億円を記録し、17年の実写邦画No.1ヒット作になっています。この成功は大きなヒントです。映画界の企画の貧困さは以前から言われていることで、そのことを今さら指摘してもどうにもなりません。求められるのは具体性です。人気テレビドラマの劇場版は、1980~90年代にドン底状態にあった日本映画界を活性化させる役割を果たしましたが、それに代わる新しいエンタメ大作にどう取り組んでいくかが課題ではないでしょうか」

■時間を費やした下地づくりの重要性

 今年のGW興行は、東映配給、役所広司や松坂桃李ら新旧実力派俳優たちが熱演した『孤狼の血』(現在公開中)が注目を集めたが、週間興収ランキング初登場3位といまいちな数字だった。作品に込められた熱気が、残念ながら世間一般にまで浸透できずにいる。興収は10億円に届くかどうか微妙なところだ。

大高「東映の実録ヤクザ映画『仁義なき戦い』(73)と比較されがちな白石和彌監督の『孤狼の血』ですが、『仁義なき戦い』は東映の任侠路線という下地があったからこそ熱狂的に受け入れられた作品です。『孤狼の血』は作品としての評価は高いものの、今の大多数の観客がヤクザ映画を見てみよう、楽しもうという下地がない状況での公開でした。役所広司が汚れ役もやれることは分かっているわけで、映画『娼年』(R18+)が単館系で3億円を超える大ヒットとなっている松坂桃李を思い切って主演にしてもよかったと思います。旧体依然とした大きな組織に、上司の命令に素直に従うだけだった新人刑事役の松坂桃李が闘いを挑むという構図は、マスコミで騒がれている日大アメフト部問題と似ている気がします。ヤクザ映画へのオマージュといった視点を越え、今の日本社会に果敢に斬り込くんでいく方向性がほしかった。東映は『孤狼の血』のシリーズ化を考えているようですが、宣伝も含め戦略を練り直す必要があるでしょう」

 日本映画界に明るいニュースをもたらしたのは、カンヌ映画祭パルムドールを受賞したギャガ配給、是枝裕和監督の『万引き家族』(6月8日公開)だ。是枝監督作はカンヌ映画祭審査員賞を受賞した福山雅治主演作『そして父になる』(13)が興収32億円のヒット作となっており、『万引き家族』も期待されている。

大高「福山雅治が主演した『そして父になる』に比べるとキャストバリューは低いかもしれませんが、カンヌで受賞した直後での公開なので、かなりのヒットになるのではないかと思います。ただし、是枝監督はいきなりカンヌ映画祭で受賞したのではなく、今年で5回目の参加です。海外の映画祭に挑戦し続けてきたという長年の下地があったからこそ、今回の最高賞受賞に繋がったわけです。何事も下地は大切です。是枝監督が海外の映画祭で評価されたことで、これに続こうとする若い世代が必ず現われるはず。日本映画界、というより日本映画の今後において、これは大きな意味を持つと考えられます」

 1991年から続く「日本映画プロフェッショナル大賞」の主宰者でもある大高氏。今年の「第27回日プロ大賞」作品賞を受賞した『勝手にふるえてろ』の大九明子監督、浅野忠信が同賞の主演男優賞に選ばれた『幼な子われらに生まれ』の三島有紀子監督、同じく新人監督賞に選ばれた『愚行録』の石川慶監督らにも期待を寄せている。

大高「90年代の日プロ大賞はオリジナルビデオの世界や単館系興行の分野で活躍していた三池監督や黒沢清監督を高く評価してきました。2人は強烈な作家性の持ち主ですが、今回受賞した大九監督らは今の時代に大切な問題意識を存分に汲み取りながら、その上で演出上の持ち味を発揮できる職人的タイプではないかと思います。三島監督は『ビブリア古書堂の事件手帖』の公開が11月に控え、大九監督は『美人が婚活してみたら』が19年に公開予定となっています。石川監督はデビュー作『愚行録』を製作・配給したオフィス北野がこれからどうなるのか状況がまだ読めませんが、新人ながらあれだけの傑作を放った才人。将来が楽しみな監督です」

 夏には、東宝の川村元気プロデューサーが参加している細田守監督の劇場アニメ『未来のミライ』(7月20日公開)や大根仁監督の『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(8月31日公開)、福田監督が再び小栗旬とタッグを組んだ『銀魂2』(8月17日公開)、ピンク映画やオリジナルビデオで充分なキャリアを重ねてきた城定秀夫監督の『ご主人様と呼ばせてください 私の奴隷になりなさい・第2章』などの公開が待っている。2018年下半期には、サプライズヒットが生まれるだろうか。
(取材・文=長野辰次)

●大高宏雄(おおたか・ひろお)
1954年浜松市生まれ。文化通信社特別編集委員、映画ジャーナリスト。92年から「日本映画プロフェッショナル大賞」を主宰している。「キネマ旬報」にて「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞の毎週金曜の夕刊にて「チャートの裏側」などを連載。主な著書に『映画賞を一人で作った男 日プロ大賞の18年』(愛育社)、『昭和の女優 官能・エロ映画の時代』(鹿砦社)などがある。

「認知症でなくとも性格は変わる」高齢ドライバーの免許返納問題、家族の説得が難航するワケ

 5月28日、神奈川県茅ヶ崎市の国道で、90歳の女が運転する乗用車が、次々と歩行者をはね、うち1名が死亡するという事故が起こった。超高齢社会を迎えつつある日本において、“高齢ドライバーによる自動車事故”は、深刻な問題となっており、警視庁交通総務課によると、事故全体に占める高齢運転者(原付以上<特殊車を含む>を運転している65歳以上の者)の事故割合は、平成20年は11.1%だったが、29年には17.9%に増加しているという。

 警視庁のサイトを見ると、「高齢運転者は、自分で安全運転を心掛けているつもりでも、他人が客観的にみると安全運転とは言えないところがあると言われています」と指摘し、安全運転を支援するシステムを搭載した車(安全運転サポート車)の普及啓発に取り組んでいると紹介される一方、運転免許の自主返納サポートにも尽力していることがうかがえる。

 高齢運転者の事故と聞いて、一番に思い浮かぶのは、やはり“認知症”による影響だろう。2017年3月12日に施行された改正道路交通法では、75歳以上の免許保有者は、免許更新時に約30分の認知機能検査が必要となり、認知機能が低下している恐れがある場合は、実車指導と個別指導を含めた計3時間の「高度化講習」を受けて免許更新、また認知症の恐れがある場合は、後日臨時適性検査、または医師の診断が必要で、認知症だと判明した場合には、免許証の停止または取り消しとなる。これに加えて、特定の違反行為があった場合、臨時に認知機能検査も実施されているのだ。

 こうした対策が取られてはいるが、家族としては、認知症でなくとも高齢になれば運転を控えてほしい、免許を返納してほしいのが本音だろう。事実、今回事故を起こした容疑者も、3月に運転免許証を更新した際の認知機能検査で問題は見つからなかったものの、息子から免許返納を勧められていたとのこと。それでも、容疑者は免許を返納せず、大事故を起こしてしまったのだ。

 今回の事故をめぐっては、家族が高齢者に対して免許返納の説得をするのが難航する実情が浮き彫りになった。立正大学心理学部教授で、『高齢ドライバー』(文春新書)の著者・所正文氏は、今回の事故を「たとえ90歳になっても、運転免許を持っているような方は、まだ体が動くうちは運転し続けたいのでしょうね。車の運転は自立の象徴であるからです。運転断念後の生活の道筋ができていれば返納を受け入れると思いますが、単に周辺者が『危ないからやめろ』と言ってもなかなか受け入れません」と語る。

 確かに、「車の運転をやめるように言うのは、高齢者の尊厳を傷つけかねない行為」などといった論調で伝える新聞やテレビは多い。しかし、ネット上では「運転免許を取得できる年齢が定められているように、免許を返納する年齢も決めちゃえばいいのに」「地方だと、確かに足がなくなるって問題があるけど、免許返納ってそこまで重大なこと?」などとさまざまな声が上がっている。こうした意識の違いが、免許返納の説得を難しくさせている要因になっているのかもしれない。

 また、『介護というお仕事』(講談社)などの著者である介護ジャーナリスト・小山朝子氏は、加害者が「認知機能検査に問題がなく、ゴールド免許で、息子さんも『認知症のようには思えなかった』とお話されている点が、今回の事故の特徴だと思います」と前置きしつつ、認知症でなくとも、高齢者と家族間で、免許返納の話し合いが進まなくなるケースはあるという。実際に小山氏は、「娘の『免許返納』の提案を一切聞き入れない、ゴールド免許の80代」「地方に住んでいて、生活の足がなくなるのは困ると、返納を受け入れられない90代」など、さまざまな高齢者の話を見聞きしてきた。

「個人差はありますが、老年期(おもに65歳以上)になると、性格面で変化が生じることがあります。例えば、他者の意見を聞き入れない、用心深くなるなど。若い頃は、新しいものにチャレンジしようという意欲があった人でも、年を重ねると『危ない橋を渡りたくない』と考える傾向にあります。例えば、これまで食べたことがない、聞いたこともない食材が食卓に並んでいると、『食べたくない』と言う高齢者がいますが、『これを食べるとアレルギー反応が起きるのではないか?』『病気になるのではないか?』などと考えてしまう。このような不安の背景には、配偶者や友人を失うといった喪失体験が増え、自分の命に対する不安が増していることも考えられます」

 これらは“加齢性変化”といわれ、一般的に起こりうることで、苦労する家庭は少なくないという。こうした性格の変化が、少なからず免許返納の説得に影響を及ぼす可能性は否定できない。

 また、ほかの人から言われたことを、「批判ではないのに『批判されている』と受け取り、攻撃的になるなど、心理的な影響が大きくなる傾向があります。逆に傷つきやすくなって、抑うつ(気分が落ち込んで何もしたくない状態)になる人もいます」。

 先月11日、愛知県に住む83歳の男が、自宅に自ら放火し、警察の簡易聴取に「運転免許の返納をめぐって家族と口論になった。自暴自棄になり、死んでやろうと思って放火した」と供述していたというが、「このケースも、加齢性変化による心理的な影響があったことも考えられます」。

「高齢者に関する研究を行っていたアメリカの精神科医、ロバート・N・バトラー氏は『年を重ねると、自分を頼る、自分自身に誇りを持つ傾向がある』と示しています。“行動に強い責任感をもつようになる”ということです。免許返納をしたくないのは、『人に頼らないで、自分でできることはしたい』という意思の表れでもあるのではないでしょうか。一方、高齢者は新たな環境への適応が難しくなり、保守的傾向が強くなります。『運転しない生活への変化』に拒否感があることも考えられます」

 誰にでも起こりうる加齢性変化。しかし、家族がそのことを知らないままだと、「父母が、祖父母が変わってしまった」と大きなショックを受けることになるのではないか。

「免許返納の話をする以前に、高齢者とその家族の間で、コミュニケーションが取れていないケースも考えられますよね。このような場合は、医師やケアマネジャーなど、第三者を介入させるのも手かもしれません。2000年に、介護保険制度が始まり、介護をサービスとして頼むことへの敷居が低くなってきましたし、高齢者の運転事故が社会問題となっている現在、免許返納にしても、家族だけで抱えこむのは得策ではないかもしれません」

 そもそも「健常でも、年を取ると性格が変わる」と知ること、また「ほかの家も同じようなことで悩んでいる」と思うだけで、家族の心は少し楽になり、高齢者への接し方を工夫するきっかけになりうるという。こうしたちょっとした意識の変化が、免許返納への第一歩となるのかもしれない。

 なお、前出の所氏も「この問題は警察による免許規制や高齢ドライバーを抱える家族のみの問題だけではなく、広い視点で捉える必要があります。キーワードは『多職種連携』と『地域連携』です」と語り、高齢者の免許返納問題の発展的な対策を紹介してくれた。

「熊本県を皮切りに九州各県、鳥取県などで免許更新現場に看護師・保健師を同席させた注目すべきシステムが展開されております。これは、高齢ドライバーから健康状況をはじめ生活全般について親身に話を聞き、地域事情に精通した看護師たちが具体的に助言・指導するというシステムです。これによって、確実に免許返納が増えているようです。私は、この数年、現地調査を行っておりますが、西日本から徐々に浸透してきているこのシステムが、免許返納の今後の切り札になるように感じております」

 今後もさまざまな議論が繰り広げられるであろう高齢者の免許返納問題。二度と痛ましい事故が起こらないよう、誰もが他人事ではなく向き合っていくべきなのではないだろうか。

 

「認知症でなくとも性格は変わる」高齢ドライバーの免許返納問題、家族の説得が難航するワケ

 5月28日、神奈川県茅ヶ崎市の国道で、90歳の女が運転する乗用車が、次々と歩行者をはね、うち1名が死亡するという事故が起こった。超高齢社会を迎えつつある日本において、“高齢ドライバーによる自動車事故”は、深刻な問題となっており、警視庁交通総務課によると、事故全体に占める高齢運転者(原付以上<特殊車を含む>を運転している65歳以上の者)の事故割合は、平成20年は11.1%だったが、29年には17.9%に増加しているという。

 警視庁のサイトを見ると、「高齢運転者は、自分で安全運転を心掛けているつもりでも、他人が客観的にみると安全運転とは言えないところがあると言われています」と指摘し、安全運転を支援するシステムを搭載した車(安全運転サポート車)の普及啓発に取り組んでいると紹介される一方、運転免許の自主返納サポートにも尽力していることがうかがえる。

 高齢運転者の事故と聞いて、一番に思い浮かぶのは、やはり“認知症”による影響だろう。2017年3月12日に施行された改正道路交通法では、75歳以上の免許保有者は、免許更新時に約30分の認知機能検査が必要となり、認知機能が低下している恐れがある場合は、実車指導と個別指導を含めた計3時間の「高度化講習」を受けて免許更新、また認知症の恐れがある場合は、後日臨時適性検査、または医師の診断が必要で、認知症だと判明した場合には、免許証の停止または取り消しとなる。これに加えて、特定の違反行為があった場合、臨時に認知機能検査も実施されているのだ。

 こうした対策が取られてはいるが、家族としては、認知症でなくとも高齢になれば運転を控えてほしい、免許を返納してほしいのが本音だろう。事実、今回事故を起こした容疑者も、3月に運転免許証を更新した際の認知機能検査で問題は見つからなかったものの、息子から免許返納を勧められていたとのこと。それでも、容疑者は免許を返納せず、大事故を起こしてしまったのだ。

 今回の事故をめぐっては、家族が高齢者に対して免許返納の説得をするのが難航する実情が浮き彫りになった。立正大学心理学部教授で、『高齢ドライバー』(文春新書)の著者・所正文氏は、今回の事故を「たとえ90歳になっても、運転免許を持っているような方は、まだ体が動くうちは運転し続けたいのでしょうね。車の運転は自立の象徴であるからです。運転断念後の生活の道筋ができていれば返納を受け入れると思いますが、単に周辺者が『危ないからやめろ』と言ってもなかなか受け入れません」と語る。

 確かに、「車の運転をやめるように言うのは、高齢者の尊厳を傷つけかねない行為」などといった論調で伝える新聞やテレビは多い。しかし、ネット上では「運転免許を取得できる年齢が定められているように、免許を返納する年齢も決めちゃえばいいのに」「地方だと、確かに足がなくなるって問題があるけど、免許返納ってそこまで重大なこと?」などとさまざまな声が上がっている。こうした意識の違いが、免許返納の説得を難しくさせている要因になっているのかもしれない。

 また、『介護というお仕事』(講談社)などの著者である介護ジャーナリスト・小山朝子氏は、加害者が「認知機能検査に問題がなく、ゴールド免許で、息子さんも『認知症のようには思えなかった』とお話されている点が、今回の事故の特徴だと思います」と前置きしつつ、認知症でなくとも、高齢者と家族間で、免許返納の話し合いが進まなくなるケースはあるという。実際に小山氏は、「娘の『免許返納』の提案を一切聞き入れない、ゴールド免許の80代」「地方に住んでいて、生活の足がなくなるのは困ると、返納を受け入れられない90代」など、さまざまな高齢者の話を見聞きしてきた。

「個人差はありますが、老年期(おもに65歳以上)になると、性格面で変化が生じることがあります。例えば、他者の意見を聞き入れない、用心深くなるなど。若い頃は、新しいものにチャレンジしようという意欲があった人でも、年を重ねると『危ない橋を渡りたくない』と考える傾向にあります。例えば、これまで食べたことがない、聞いたこともない食材が食卓に並んでいると、『食べたくない』と言う高齢者がいますが、『これを食べるとアレルギー反応が起きるのではないか?』『病気になるのではないか?』などと考えてしまう。このような不安の背景には、配偶者や友人を失うといった喪失体験が増え、自分の命に対する不安が増していることも考えられます」

 これらは“加齢性変化”といわれ、一般的に起こりうることで、苦労する家庭は少なくないという。こうした性格の変化が、少なからず免許返納の説得に影響を及ぼす可能性は否定できない。

 また、ほかの人から言われたことを、「批判ではないのに『批判されている』と受け取り、攻撃的になるなど、心理的な影響が大きくなる傾向があります。逆に傷つきやすくなって、抑うつ(気分が落ち込んで何もしたくない状態)になる人もいます」。

 先月11日、愛知県に住む83歳の男が、自宅に自ら放火し、警察の簡易聴取に「運転免許の返納をめぐって家族と口論になった。自暴自棄になり、死んでやろうと思って放火した」と供述していたというが、「このケースも、加齢性変化による心理的な影響があったことも考えられます」。

「高齢者に関する研究を行っていたアメリカの精神科医、ロバート・N・バトラー氏は『年を重ねると、自分を頼る、自分自身に誇りを持つ傾向がある』と示しています。“行動に強い責任感をもつようになる”ということです。免許返納をしたくないのは、『人に頼らないで、自分でできることはしたい』という意思の表れでもあるのではないでしょうか。一方、高齢者は新たな環境への適応が難しくなり、保守的傾向が強くなります。『運転しない生活への変化』に拒否感があることも考えられます」

 誰にでも起こりうる加齢性変化。しかし、家族がそのことを知らないままだと、「父母が、祖父母が変わってしまった」と大きなショックを受けることになるのではないか。

「免許返納の話をする以前に、高齢者とその家族の間で、コミュニケーションが取れていないケースも考えられますよね。このような場合は、医師やケアマネジャーなど、第三者を介入させるのも手かもしれません。2000年に、介護保険制度が始まり、介護をサービスとして頼むことへの敷居が低くなってきましたし、高齢者の運転事故が社会問題となっている現在、免許返納にしても、家族だけで抱えこむのは得策ではないかもしれません」

 そもそも「健常でも、年を取ると性格が変わる」と知ること、また「ほかの家も同じようなことで悩んでいる」と思うだけで、家族の心は少し楽になり、高齢者への接し方を工夫するきっかけになりうるという。こうしたちょっとした意識の変化が、免許返納への第一歩となるのかもしれない。

 なお、前出の所氏も「この問題は警察による免許規制や高齢ドライバーを抱える家族のみの問題だけではなく、広い視点で捉える必要があります。キーワードは『多職種連携』と『地域連携』です」と語り、高齢者の免許返納問題の発展的な対策を紹介してくれた。

「熊本県を皮切りに九州各県、鳥取県などで免許更新現場に看護師・保健師を同席させた注目すべきシステムが展開されております。これは、高齢ドライバーから健康状況をはじめ生活全般について親身に話を聞き、地域事情に精通した看護師たちが具体的に助言・指導するというシステムです。これによって、確実に免許返納が増えているようです。私は、この数年、現地調査を行っておりますが、西日本から徐々に浸透してきているこのシステムが、免許返納の今後の切り札になるように感じております」

 今後もさまざまな議論が繰り広げられるであろう高齢者の免許返納問題。二度と痛ましい事故が起こらないよう、誰もが他人事ではなく向き合っていくべきなのではないだろうか。

 

『あなたには帰る家がある』より怖い不満! 言ってはいけない夫婦間の「ファイナルワード」

 中谷美紀主演のドラマ『あなたには帰る家がある』(TBS系)では、妻たちの本音が炸裂するセリフが満載で話題となっています。共働きなのに家事や育児をしない夫、そんな夫に不満を爆発させる妻の姿が世の奥様たちの共感を集めているとか。しかし、いくら夫に不満があっても、絶対に口にしてはいけない一言というものが存在します。それを言ったが最後、夫婦関係の修復は不可能……。そんな夫婦間の「ファイナルワード」、あなたは口にしていませんか?

■30年以上連れ添った妻を死に至らしめた一言

 何気なく放った一言が、夫婦関係を永遠に分かつこともあります。たとえば2015年に起きた事件では、友人家族と新年会を楽しんだ夫婦が2次会の会場へ移動する途中、「2次会に行けて、お前ええ身分やのう」という妻の一言に夫が激高。長女が運転する車内で、妻を何度も殴り、死に至らしめています。

 また、一橋大学を卒業したエリート夫が妻を頭部破壊に至るまで執拗に殴って殺害したという事件が17年に起きています。殺害の動機は就寝中の夫が妻から「あなたのせいでパソコンが壊れた」と起こされ、口論になったことだったとか。第三者からみれば、どちらもほんの些細な一言。凶行の引き金がどこにあったのか……夫婦間のファイナルワードはどこに潜んでいるかわからないものです。

■実際にあった妻たちのファイナルワード

 これらは極端な例ですが、実際に夫婦を危機的局面に追い込んだ妻たちのファイナルワードには、どんなものが存在するのでしょうか? 離婚を考えるほどのキツい一言を言われたことがあるという男性たちに聞いてみました。

「久しぶりに家でゆっくりできる休日だったので、のんびり寝ていたら、子どもから『パパ元気ないね』と言われたんです。それに対し、妻が『パパは休日死んでるんだよ~、でも明日からまた生き返るから大丈夫』と笑顔でつぶやき、働いていない自分には価値がないんだなあと寝たふりをしながら、泣きそうになりました」(27歳/工場勤務)

 週6勤務で、基本的に休みが1日しかないという彼は、「日曜日の昼くらい、ゴロゴロ寝ていて何がいけないんでしょうか……」と、うつろに語ります。

 一方、「自分のことなら我慢できるが、親のことを言われると腹は立つ」と話すのは会社経営者の男性(45歳)。独身時代からマイルールを決めて家事を行ってきたという彼は、おおざっぱな奥様と、家事のやり方で衝突することが多いそう。

「洗濯物をまったく色分けしないので注意したところ『そういうとこ、お義母さんとソックリだね〜』と嫌味たっぷりに言われた時は、初めてモノを投げそうになりました」

 気の強い奥様の暴言には慣れっこという出版社勤務の男性(40歳)も、やはり度が過ぎると“離婚”の文字が頭に浮かぶとか。

「妻はじゃれてるつもりなのかもしれないけど、『キモい』『うざい』と頻繁に言われて、さすがにへこみます。付き合い始めた頃は『かっこいい』って言ってくれてたんだけど……。かといって、ほかの女の子に癒やしを求めたら、浮気だ不倫だと言われるのは確実なので、離婚したほうがマシなのかもって思います」

 また、男性のプライドにかかわる仕事や金銭面への口出しも「ファイナルワード」になってしまう可能性が高いようです。

「仕事やお金のことをあれこれ言われるのは、腹が立つし、耐えられない。いまだに妻に言われた『そういうのは、もっと稼いでから言ってくれない?』の一言は、頭から離れません。子どもがいなければ離婚してましたね」(28歳/営業)

 男性は、妻からの辛辣なファイナルワードに、かなり心を痛めているようです。一方で、日頃から溜め込んでいた怒りが爆発したことで、夫婦関係が悪くなってしまったと自覚している妻も。

「家では基本的に何もしない夫。『爪切りどこー?』『のど渇いたー』と日常的にこき使われて、ついに爆発。『私はお前の家政婦じゃねーんだよ!』とキレてしまった。夫の呆然とした顔は忘れられません。それからギクシャクした関係が続きましたけど、言えてスッキリしたので後悔はしてません」(27歳/専業主婦)

 本来、最もラブラブで熱い時間を過ごす新婚旅行の時ですら、些細な“ファイナルワード”が最悪の展開を招くこともあります。

「新婚旅行でスペインに行った時の話。現地はものすごく暑くて喉が渇いていたのに、旦那は自分だけ水をごくごく飲んでいました。イラッとして『私にも水ちょうだい!』って言ったら、逆ギレ。最悪の新婚旅行になりました……。いまだになんで水ごときで、あんなにけんかになったのかわからない」(29歳/事務職)

 キレやすい男性って、言葉尻や言い方に突っかかってくることもあるので、本当に難しいですよね。もちろん、ファイナルワードがきっかけで離婚を考えるのは、男性だけではありません。

「『家で何もしないね』と言った途端に、旦那は『オレだって大変なんだよ!』とキレだして大けんかになった。共働きなのに、意味がわからない……早く離婚したいです」(28歳/パート)

 司法統計によると1985年には8位だった夫の離婚動機「妻からの精神的虐待」は、2014年には2位に急浮上したというデータもあります。「妻が怖い」「妻の暴言がつらい」と感じている男性は少なくないよう。とはいえ、怒りを我慢するだけじゃやっていけないし、甘やかして調子に乗られるのも腹立たしい。結婚したとはいえ、もともとは赤の他人ですから、つかず離れず、「親しき中にも礼儀あり」の精神を忘れないようにすべきかもしれません……と言うは易しですね。
(ジョージ山田/清談社)

『イッテQ!』いとうあさこへの「オナラ強要」はコンプライアンス的にどう? 弁護士が解説

 昨年、放送10周年を迎え、『第54回ギャラクシー賞』のテレビ部門で特別賞に輝くなど、老若男女から愛される『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)。テレビ離れが叫ばれる昨今、「視聴率20%」を叩きだせる稀有なバラエティ番組として、業界からも一目置かれているが、5月20日に放送された企画「いとうあさこのミステリーツアー」の内容に、視聴者から「ひどすぎる」「不快感しかない」「チャンネル替えた」といった批判の声が飛び交ってしまったのだ。一体、あの優良番組に何が起こったのか?

 いとうは、同企画でオランダに渡り、国内の“気になる話題”を調査。牧場を訪れ、「ゲップで牛を呼び寄せることができる」という男性と対面し、いとうもこれにチャレンジすることに。炭酸飲料を飲んで、ゲップを放ったのだが、不発に終わった。

 また、「ゾーフレックス」という、軍が対化学兵器用スーツに使用している特殊な繊維でできた“オナラの臭いがしない”という消臭パンツを着用し、本当に臭いが消えるのかも検証。いとうが男性スタッフ2名とともに、さつまいもを食べたり、運動するなどしてオナラを誘発したのだが、そこで一番に放ったのがいとうだった。男性2名がいとうの尻の辺りに顔を近づけ、オナラの臭いチェックをするという映像は、インパクト大だったようだ。

 こうした、いとうの体を張ったロケには、視聴者から「こんなことなかなかできない!」「すごいものを見た」という驚きと感動の声も出ていたが、その一方で、「どうして、あさこにあんな下品なことをさせるの?」「あさこがかわいそう……」「小学生男子しか喜ばないような企画、ただただ不快だった」といった、ブーイングが巻き起こることに。さらには、「これってあさこに対するパワハラ、セクハラじゃない?」「あさこは仕事をまっとうしてるかもしれないけど、視聴者は不愉快な気持ちになる」「コンプライアンス的にどうなの?」などと、制作サイドを痛烈に批判する指摘もあった。

 ここ最近、「テレビはコンプライアンス重視の時代になった」とよく言われるが、果たしていとうへのゲップ&オナラ強要は、また視聴者が不快になる企画を放送することは、問題ではないのだろうか? 弁護士法人ALG&Associatesの山岸純弁護士に話を聞いた。

 そもそもコンプライアンスは、日本において「法令遵守」いわれ、もう少し噛み砕くと、企業が、法律違反・社会的秩序やモラルから逸脱した行為を行わないと遵守することを指すが、山岸氏は、今回の『イッテQ』への批判について、「いとうあさこさんの一件に関しては、単純に『見ていると気持ち悪くなる』という視聴者目線のレベルの話であって、テレビ界におけるコンプライアンスなどという高尚な話ではありません」ときっぱり言う。

「確かに、最近は『セクハラ・パワハラは、これらを受けた人がどう思う・どう感じるかによって成立するかどうかが決まる』と言われているので、出演者本人が番組内の演出について、『パワハラだ、セクハラだ』と言うことができます。しかしその意味では、“外野”である視聴者が『テレビ界におけるコンプライアンス』などと騒ぎ立てても、何の意味もありません」

 山岸氏は、「いとうあさこに対するパワハラ・セクハラ」を、視聴者があたかも「自分に対するパワハラ・セクハラ」と勘違いしていると指摘する。

「テレビの演出について、たとえ視聴者がどう思い、どう感じたとしても、『視聴者に対するパワハラ・セクハラ』は世の中にありません。したがって、視聴者が『これはパワハラ・セクハラじゃないのか!』などと憤慨したところで、コンプライアンスもへったくれもないわけです」

 しかし、いとうへのゲップやオナラシーンが、ただ気持ち悪かったのでなく、「セクハラ・パワハラの構図に見えたことが不愉快だった」と感じる視聴者もいたようだ。いとうの心情は別として、このシーンが“法律違反・社会的秩序やモラルから逸脱した行為を行わない”という点からズレていると感じる人がいても頷けるが、一部視聴者の抱いたこうした“セクハラ・パワハラという構図”への違和感は「BPO(放送倫理・番組向上機構)の審議」に委ねられることになるという。コンプライアンスという言葉自体は世間に広く浸透しているものの、その詳細はまだまだ不透明な部分が多いのかもしれない。

 山岸氏は、現在のテレビ界全体において、こんな“矛盾した事象”を見ることができるという。

「パワハラ・セクハラ以外にも、『やりすぎでは?』という番組はあるかもしれません。しかし他方で、昔は裸やグロものが平気で映っていたが、最近では見かけなくて残念、などとよく言われます。これらの、一見すると矛盾とも感じるような事象は、結局のところ、『時勢に合わせ視聴率を失わないように』、しかしながら『視聴率を上げるために』という観点から、各キー局の番組編成会議などが、さまざまなリサーチ結果などから調整しているため生まれているのではないでしょうか」

 テレビ局にとって、確かに視聴率は命。そんな中「『やりすぎでは?』という番組が、視聴率を失い淘汰されていくか、それとも世間に好まれて高視聴率を出すかは、その時勢の総体的な意見が決めるもの」と山岸氏は語る。だからこそ、「そういったリサーチをしているテレビ局に対して、視聴者側が一件一件“コンプライアンス違反かどうか”を騒ぎ立てる必要はない」という意見をとるそうだ。

 確かに、“コンプライアンス違反”という言葉が独り歩きしている感は否めないが、実際に番組を見るのは視聴者自身。テレビ局が“コンプライアンス”について熟考しているのであれば、視聴者側も“コンプライアンス”とは何か? について知ることは大切なのかもしれない。

ハイスペック男性のゲット率は◯割!? “港区女子”が明かす、驚きの実態とは?

minatokujoshi 「港区女子」。東京都港区あたりに住んでおり、主に西麻布や六本木界隈に生息。インスタグラムには定期的に高級レストランでの食事をアップし、女磨きに精を出す。その美しさや知性で男性を翻弄し、欲深い部分も隠しはせず、野心と生命力に満ち溢れた女性たち……(偏見です)。そんな港区女子が狙うのは高収入で見た目も良い「ハイスペック男性」。そんじょそこらの男には目もくれず、意識高い系のIT社員やベンチャー企業の経営者などと交流を深め、モテまくっている印象があります(偏見です)。とはいえ、そんなハイスペ男子ってどれだけ存在するんでしょうか? そして、港区女子がハイスペ男子たちをゲットする確率はどれほどのものなのでしょうか?

■ハイスペックでも恋愛対象になるかどうかは別の話

「最近は、もう日本で出歩くこともなくなってきたので、そういう情報には疎いんですよね…(微笑)」

 に、日本では出歩かない……!? 開口一番、いきなりワールドワイドな話で筆者を驚愕させたのは、白金高輪在住でCAをされているゆりえさん(29歳、仮名)。なんでも最近は、友人と遊んだり、彼氏とデートするのはもっぱら海外。一応、港区に居を構えてはいるものの、界隈の情報は入ってこないんだとか。想像のはるか上をいく、これぞ港区女子です。

「基本的に港区女子はアッパーなライフスタイルを好んでいて、ハイスペックな男性しか認めません。私の周りは医者とか、職業柄もあるけどパイロットをゲットした子が多いかな。会社経営者と結婚して、港区から海外移住した子もいますね」

 スタイル抜群の美女・ゆりえさんは、そう語りながら微笑む。眩しい……。徹夜明けで牛丼をかっ込んでいるような女性編集者に囲まれて日々働いている筆者からすれば、ゆりえさんから溢れだす輝きや自信は、眩しすぎて直視できません。

「港区女子の理想はみんな高いですよ。年収1000万円以上の男じゃないと話にならないというか、土俵にも上がってこないっていうか……。医者のなかでも特に開業医とかは人気ですね」

 やはり港区女子が、ハイスペ男子と交流があることは紛れもない事実のようです。それにしても、一体、どこに行けばそんな男性に出会えるのでしょうか?

「ほとんど飲み会とか合コンかな? そういうアッパーな男性が集う飲み会に誘われるためには、優秀な幹事のコとつながっておく必要性があります」

 前のめりで話を聞く私に若干引き気味なゆりえさん。つまり、ゆりえさんのようなキラキラ女子と1人つながっておけば、芋づる式にその上流階級な飲み会に引き上げてもらえるってこと !? もうソフトバンクの無料クーポンでミスタードーナツの行列に並ばなくてもいい生活ができるかも……。そのためなら、いくらでもキラキラ女子に媚を売る準備はできています。なんなら今この瞬間がアッパー系飲み会の仲間に入れてもらう大チャンスなのでは?

 そんな筆者の下心を見透かすように、ゆりえさんは「でも、幹事のコが合コンに呼ぶのは、可愛くて、お酒が飲めて、明るくて、気が使えるコ。女性本人のスペックが高くなかったら、そもそも呼ばれないですよ」と微笑みました。残念なことに、私は1つも当てはまっていません。参加条件を一切満たしていないので、筆者の夢のジャンプアップ計画は数秒で頓挫してしまいました。

 改めて冷静に考えてみると、いくらアッパー系の飲み会とはいえ、この世の中に高収入高学歴で、さらに独身のナイスガイが何人もいるなんて、にわかには信じられません。イイ男はすぐ売れるっていうし、ハイスペ男子とかいいながら、ただの愛人を探している妻子持ちゲス野郎だったり、性格に難ありだったりするんじゃないですか?

「うーん、お金持ちの独身でいいなら、世の中にいっぱいいますけどね。この前行った合コンでは、年収はみんな2000万円クラス。もちろん未婚でした。ただ、なぜかみんな背が低かったんですよね……。あと、すごいお金持ってても歯が汚いとか。私、歯並び汚い人だけは許せない(笑)! たとえハイスペックでも、恋愛対象になるかどうかは、また別の話ですよね?」

 つまり港区女子はハイスペック男性にしか興味はないが、年収や肩書だけではなくルックスや性格も含めた厳しい審美眼で精査しているようなのです。年収2000万円ならハゲでもチビでもデブでも歯周病でもいいや、と思う筆者とは、求めるハードルが違います。一体、港区女子の(というか、ゆりえさんの)お眼鏡にかなう理想の男性とは、どのような人なのでしょうか

「私は世界基準で動ける人がタイプ。ハイスペックの条件も国によって変わってくるじゃないですか」

 条件が国によって変わる? 嫌いな芸能人が同じとか、寝る前に食べても怒らないとか、これまで男性を選ぶ時に、そんなみみっちい選抜基準しか浮かんでこなかった自分が恥ずかしいレベル。

「たとえばアメリカで結婚するのであれば、年収2000〜3000万円は欲しいです。なにかとお金がかかる国なので。でも税金の安いシンガポールだったら年収1000万円でも暮らしていけるかな? 福祉制度が充実していて教育資金や老後にお金がかからないドイツ、北欧でも年収1000万円は欲しいですね」

 なるほど。その国の経済状況によって結婚相手の条件を変えるわけですね。では仮に日本で生活するのであれば、どういった男性がゆりえさんの条件をクリアできるのでしょうか?

「そうですね……。日本もそろそろTシャツ・ジーンズでは歩けない国になってきてるから、やっぱり年収3000万円は欲しいかな」

 恥ずかしながら、Tシャツ・ジーンズ姿で毎日地元の商店街を闊歩している筆者。そんな意識の低さがハイスペック男性との縁を遠ざけているのかもしれません。一方、常に高い意識を持ち続ける港区女子、やはりハイスペ男子のゲット率は高いようです。

「港区女子はなかなか手は出さないけど、狙った獲物は絶対逃さないタイプ。あくまで体感ですけど、ハイスペック男性のゲット率は8割強……ぐらいじゃないでしょうか」

 さまざまな格差を感じる発言が飛び出した今回の取材。実は今まで港区女子は「東京カレンダー」(東京カレンダー株式会社)のなかだけに生息する架空の生き物と思っていたのですが、どうやら実在するだけではなく、「東京カレンダー」以上にキラキラ・ ギラギラした女性だったということが、一番の驚きでした。

 ハイスペック男性も超希少生物だと思っていましたが、彼らは筆者のような庶民の見しらぬところで、徹底したラグジュアリー志向を持ち、ハイスペックな男性のみを意識した女性たちが颯爽と捕獲していたのです。港区女子のたくましさと理想を実現するためのパッションを、少し見習わねばと思った次第なのでした。
(藤野ゆり/清談社)

このドロ臭さは、「競輪版ロッキー」と呼びたい!! 『ガチ星』が生ぬるい邦画界に追込みを掛ける

 サイコーに熱い映画が、福岡からやってきた! 例えるなら、福岡県民のソウルフードである豚骨ラーメンと辛子めんたいを食べ合わせたような、こってり&スパイシーな味わい。福岡を拠点に国際的に活躍する映像ディレクター・江口カン監督の劇場デビュー作となる『ガチ星』がそれだ。高校卒業後、競輪選手を目指していたという異色の経歴を持つ無名俳優・安部賢一をオーディションで主役に抜擢。家族や友達の善意をことごとく裏切ってきた中年クズ男が、過酷な競輪の世界で再起を目指すという超泥くさい人間ドラマが繰り広げられる。キラキラ映画全盛の日本映画界にドロドロ映画で追込みを掛ける江口監督と主演の安部に熱い胸の内を吐き出してもらった。

 まずは『ガチ星』のストーリーを紹介しよう。主人公は福岡のプロ野球球団・ホークスの中継ぎ投手・濱島(安部賢一)。恵まれた体格と体力を誇る濱島だったが、登板する度に打ち込まれてしまう。憂さ晴らしで酒びたりとなり、戦力外通告されるはめに。妻や息子と別れ、親友の居酒屋でバイト生活を始めるも、親友の奥さんとゲス不倫。さらには酒、パチンコ、借金に溺れてしまう。生き地獄に陥った濱島がすがったのは、なじみの店主(博多華丸)のラーメン屋で聞いた「競輪学校には年齢制限がない」という情報だった。40歳を目前にした濱島は再起を賭けて競輪界へ飛び込むが、競輪学校で待っていたのは年齢の離れた濱島に対する猛烈なシゴキとイジメ。壮絶な闘いの中で、濱島はようやく自分に欠けていたものに気づく―。

 競輪の世界を舞台に、中年男の死にものぐるいの再生を描いた『ガチ星』。カンヌ国際広告祭で3年連続受賞するなど売れっ子CMディレクターだった江口監督が40歳を過ぎ、人生の折り返し地点からの新しい挑戦として選んだのが映画製作だった。東京ではなく、福岡だからこそ生まれた映画だと江口監督は断言する。

江口「普段は僕が生まれ育った福岡をベースにして仕事をしているんですが、映画製作はやっぱり東京だろうと、東京にいる映画関係者たちに企画を持ち掛けたんです。ですが、全員から無理だと言われました。いまどきの若者たちは競輪に興味を持たないと。言われたことはもっともなんですが、でも競輪の映画がないからこそ、僕はつくってみたいと思った。誰もやっていないからこそ、挑戦してみたいと。それで福岡のテレビ局(テレビ西日本)のローカル枠で深夜ドラマとして放送させてもらい、新たに音入れなどして再構成することで劇場版として完成させたんです。もちろん、キラキラ映画が人気なのは分かります。震災や経済の低迷が続き、明るい映画を求める人は多いでしょう。でも、僕はボクシングの世界を描いた『ロッキー』(76)や『レイジング・ブル』(80)、『どついたるねん』(89)みたいな男臭い映画が大好き。小倉が発祥の地である競輪を題材に、自分自身が熱くなった男のドラマを描きたかったんです」

 そう、『ガチ星』をひと言でいえば「競輪版ロッキー」の世界なのだ。怠惰な日常生活に流されてきた主人公がしっかりと現実を見つめ、体を張って闘うことでようやく覚醒を果たす。福岡から近い韓国のヤン・イクチュン監督&主演作『息もできない』(08)も、江口監督が刺激を受けた映画の一本だ。また、江口監督は福岡在住の川島透監督を“師”と仰いでいることも興味深い。川島監督は故金子正次が主演した『竜二』(83)で鮮烈なデビューを飾った。『ガチ星』に主演した安部も俳優として目立つ実績はなかったが、懸命に喰らい付くことで主役の座を手に入れた。

安部「中学までは甲子園を目指していたんですが、肩を壊して野球は断念しました。高校卒業後、父が競輪選手ということもあって、競輪学校を4回受験したんです。父からは厳しく鍛えられましたが、やはり家族ということで僕にどこか甘えがあったのかもしれません。結局、競輪学校の入学試験には100分の4秒ほど足りずに落ち、当時は年齢制限があったので諦めたんです。25歳で役者の道を目指して大分から上京したものの、オーディションに落ち続ける生活。40歳を迎え、最後のオーディションのつもりで受けたのが『ガチ星』でした。これに落ちたら、大分に帰るつもりだったんです」

■恥も外聞もかなぐり捨てた最後のオーディション

 ところが『ガチ星』のオーディション直前に安部は体調を崩し、高熱を出してしまう。熱が下がらない状態のままオーディションに参加した安部は、全力を出しきれないまま落選。野球、競輪での失敗を経験している安部のキャリアに注目していた江口監督はOKを出したかったが、安部の明るさやスマートさがネックとなっていた。

江口「役者って、どうしても自分をよく見せようとしてしまうもの。僕がイメージしていた濱島の酒や人間関係にだらしない雰囲気と全然違ったんです。伊豆にある競輪学校でロケハンする際、被写体として彼をもう一度呼び、その合間に再度オーディションしたんですが、やっぱりダメ。諦め切れなかった彼は、その場で泣き出したんです。そこまでこの役に賭けているのかと分かると、こちらも情が湧いてしまう(苦笑)。後日、最後の最後のオーディションをやったところ、そのときはようやく身にまとっていたものを全て脱ぎ去って、カメラの前に立っていたんです」

安部「言い訳になると思って、僕からは口にしませんでしたが、実はずっと熱が下がらなかったんです。2度もオーディションに失敗したけれど、まだ主演俳優は決まっていないと分かったので、ここは泣いてでも喚いてでも、しがみついてやろうと(笑)。1週間後に行なわれた最後のオーディションは体調も回復し、自分のすべてをさらけ出す覚悟でした。多分、『ガチ星』に出ていなかったら、実家に戻って、それこそ濱島みたいに地元の友達を頼って働いていたと思います」

江口「僕は基本、役者の涙は信じないんだけどね(笑)。福岡の人間って、ダメなヤツに対してどこか甘さがあるのかもしれない。でも、最後のオーディションでは、彼は濱島そのものになりきってくれていた。僕もこの映画には賭けているので、これなら一緒に心中できる、信頼してタッグを組めると思えたんです」

■ダメ人間を甘やかしてしまう、福岡という街の恐ろしさ

 競輪学校では、クランクイン前に他の若手キャストと共に1カ月の合宿特訓。10キロ体重を増やし、無精ひげを伸ばし、より濱島へと近づいていった。また、東京で暮らす安部に対して、福岡で映画の準備を進めた江口監督はスマホでダメ出しを続けたという。

安部「毎日、濱島になりきった不機嫌な表情を、LINEで江口監督に送り続けたんです。撮影前はそれが日課になっていました。たまに江口監督から返事がこなくて、深夜2時すぎまで寝ないで待っていたこともあります」

江口「ごめん、その晩は酒を呑んでてLINEを返しそびれた(笑)。LINEでのやりとりでの演出は初めてだったけど、離れた場所にいる役者に対して、これは意外と有効だと分かり、他の作品でもやっています。要は一度掴んだ役のイメージを撮影当日まで忘れさせないことが肝心なんです」

安部「競輪学校近くの登坂コースを登るのもキツかったし、バンクを周回するシーンは何度も何度もリハが続くのでヘトヘトになり、先導するプロの競輪選手に付いていくだけで必死でした。ドラマパートでも江口監督から厳しいダメ出しが続きましたが、厳しい分だけ江口監督やスタッフのみんなが『ガチ星』に熱い情熱を注いでいることを実感できたんです」

 福岡は気候が穏やかで、美味しい食材に恵まれ、気のいい性格の人間が多い。だが、そんな居心地のよい環境に甘えて、『ガチ星』の主人公・濱島は救いようのないクズ人間へと堕ちていく。ゲロを吐き、汚物まみれとなる濱島を目覚めさせるのは、家族や友人たちの優しさではなく、競輪学校で出会った天才的レーサー・久松(福山翔大)というライバルの存在であり、生と死の境界線ギリギリに自分は立っているのだというシビアな現実認識だった。甘さを排除した展開に、地元・福岡にいながら第一線で活躍を続ける江口監督の並々ならぬ想いも感じさせる。

江口「7年ごしで『ガチ星』を完成できたことで、これからも福岡を拠点に無名の俳優たちを起用した映画を撮っていきたいという気持ちが強まりました。すでに何本かは準備中です。東京の人にも『へぇ、こんな映画もあるんだ』と外国映画を観るような感覚で楽しんでほしい」

安部「蜷川幸雄さんが演出する舞台に出たときに、『お前は体がデカいんだから、何もせずに堂々とそこに立っていればいいんだ』と言われたんですが、『ガチ星』の濱島を最後まで演じきったことで、蜷川さんの言葉を実感できたように思います。役になるための準備を充分した上で、本番では演技に頼ることなく、役そのものになりきっていることが大事なんだなと。他の監督の作品にもチャレンジし、江口監督にまた呼んでもらえるような俳優になりたいですね。ここからがスタートです」

 豚骨ラーメンのようにクセがあり、辛子めんたいのようのホットな映画『ガチ星』が完成した。面白い映画に飢えていた大人の観客たちの食欲を充分に満たすに違いない。
(取材・文=長野辰次/撮影=尾藤能揚)

『ガチ星』
監督/江口カン 脚本/金沢知樹
出演/安部賢一、福山翔大、林田麻里、船崎良、森崎健吾、伊藤公一、吉澤尚吾、西原誠吾、博多華丸、モロ師岡
配給/マグネタイズ 5月26日(土)より新宿K’s cinema、小倉昭和館ほか全国順次公開 
(C)2017 空気/PYLON
http://gachiboshi.jp

●江口カン(えぐち・かん)
福岡県出身。九州工科大学画像設計科卒業。CMディレクターとして手掛けた「ナイキ ジャパン」「おしい!広島」「スニッカーズ」などのCMが人気を集める。2007年から3年連続で「カンヌ国際広告祭」受賞。13年には博多華丸、富田靖子主演ドラマ『めんたいぴりり』(テレビ西日本)のディレクターを務めた。15年には続編『めんたいぴりり2』がオンエアされ、2作連続で日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。16年はNHK大河ドラマ『真田丸』番宣ムービー『ダメ田十勇士』が話題に。19年1月に映画『めんたいぴりり』が公開予定。

●安部賢一(あべ・けんいち)
大分県出身。高校卒業後、競輪選手を目指すが競輪学校に合格できずに断念。役者の道へ進むも、オーディションは落選ばかりという下積み生活が続いた。舞台では蜷川幸雄演出「タンゴ・冬の終わり」「ひばり」(シアターコクーン)、映画では北野武監督の『監督・ばんざい』(07)や『アキレスと亀』(08)などに出演している。『ガチ星』は初めての主演作。

「石橋貴明のバブルノリ」が嫌われてしまうワケ――フジ『たいむとんねる』大コケを考える

 「バブル世代に武勇伝を語られても面白くない」――そんな痛烈な批判を巻き起こしたのが、4月にスタートした深夜バラエティ『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)だ。

 今年3月、とんねるずのご長寿番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』(同)が終了、そして新たに石橋をMCに据えて『たいむとんねる』が始まったのだが、「石橋貴明とミッツ・マングローブがゲストと『勝手に語り継ぎたい昔のアレコレ』を掘り起し『あったねぇ~!懐かしい~!』を共有する」(公式サイトより)という内容が視聴者にウケにくかったのか、工藤静香をゲストに迎えた「イケイケだった80年代テレビ業界」という初回の視聴率は、3.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と大コケしてしまった。

 いったい同番組の何が不評を買ったのか。ネット上に飛び交う初回視聴者の声を見ていくと、「石橋が80年代のイケイケ話をドヤ顔で語るってダサい」「バブル時代はとっくに終わってるんだけど……」「石橋はもうオワコンでしょ」など、「石橋×バブル」の組み合わせに、時代遅れ感を抱いている若い世代が多く見受けられた。しかし昨今メディアでは、バブルカルチャーを目にする機会が多い。特に昨年は、「OK!バブリー!!」のギャグで知られるバブル芸人こと平野ノラ、また大阪府登美丘高校ダンス部のバブリーダンスが若者を中心に大ブレーク。バブルカルチャーのリバイバルイベントも各地で盛んに行われているという。

 そんな人気コンテンツであるバブルが、石橋と組み合わさることで、なぜ人に煙たがられてしまうのだろうか? そんな疑問を解消すべく、元吉本芸人で、“コミュニケーション学”や“笑い”に関する研究をしている桜美林大学講師・瀬沼文彰氏に取材を行った。

若者はバブルを“ネタ”として消費する

 最初に、瀬沼氏は、若者間のバブルブームをどのように見ているのだろうか。

「若者は、バブルを“ネタ”として消費をしていると思います。そういった流れを牽引したのは、やはり平野ノラさんなのではないでしょうか。ノラさんから『バブルってこういうふうに見ると面白いよね』というヒントをもらい、若者がネタとして楽しむようになったと見ています。また、バブルの自由さ、存在感、キラキラした感じは、SNSとの相性がよく、例えば“バブル的な写真”をインスタグラムに投稿すると『いいね!』がもらえる……みたいなところから、ブームになっていったと感じています」

 いまの若者が、バブルを本気で実践しようとすると、圧倒的にお金が足りないのは事実。しかし、「今はシェアの文化が発達し、高級バックやハイブランドファッションのレンタルシステムがあったり、リムジンもみんなお金を出し合って借りることができるんです。あと、SNOWなど、デジタル加工が発達しているので、写真にバブル的なキラキラ加工を施せる。意外とバブルって実践できるんですよ」とのこと。

「若者は、バブル的なキラキラした日が、ずっと続くのではなく、“たまにあるといいな”という感覚のようです。リアルが充実していることをアピールしたい半面、『私、すごいでしょ?』と自慢して周りから浮くことを避けたいという思いがあるのでしょうね。バブルを“ネタ”として消費するのも、“これは冗談だよ”と予防線を張っているように思いますし、むしろ、バブル的なキラキラ感を楽しむのではなく、『私はバブルを面白いと思っている』という自分のセンスをSNSでアピールさえできれば、満足なのかもしれません」

 ただし、メディアで騒がれるバブルブームは、「マスコミ主導なブームという印象がある」という瀬沼氏。若者の間で生まれたのではなく、「ノラさんのような影響力のある人から“降りてきた”ものだと思います」。

とんねるずの成り上がり方がバブル的だった

 若者にとって、“周りから浮かない、適度なキラキラ感の自己演出ツール”の1つになっているというバブル。一方で、石橋はなぜ嫌われるのだろうか? まず瀬沼氏は、人々が石橋に感じる“バブル感”を紐解いてくれた。

「『みなさんのおかげでした』でよく見られた“フジテレビの大掛かりなセット”での企画がそういったイメージを生んだのかなと。また、『“イマココ”を最大限楽しむ、先のことを考えない』といったノリや、内輪の業界ネタ、上から目線でガンガンものを言うスタイルなども、バブルっぽいと受け止められるのではないでしょうか。あと石橋さん……というか、とんねるずは、素人として出場したお笑いコンクールで活躍し、デビューを果たしたんですが、そのままの勢いで、素人やアイドル、テレビにあまり出ていない俳優、ときには大御所までもイジる、スタジオを壊して暴れまくるといったノリでどんどん成り上がっていったコンビなんです。その勢いこそバブルノリだと捉えられるのではないでしょうか」

 そんな石橋のバブルノリが若い世代にウケないのは、ズバリ「“冗談だから”“ネタだから”という予防線が張り巡らされていないから」と瀬沼氏は考察を繰り広げる。

「石橋さんが『たいむとんねる』で語った80年代のイケイケエピソードは、視聴者の若者からしたら、直接的すぎてしまい、“ギャグ”に聞こえないと思うんです。もしかしたら本人は、ネタとして言っているのかもしれませんが、視聴者は、ガチの自慢話をされているとしか受け取れないのでは。あと単純に、昔話だから共感できないというのもあると思いますね。それから、いまの若者は、“話している内容+見た目”に面白さを見いだす傾向があり、ノラさんも、あの“見た目”でのバブル感もあるからこそ、若者にウケたと思うんです。そう考えると、石橋さんにはそういった見た目としての面白さは演出できていないので、ウケにくいのかもしれませんね」

よしもと的笑いの中でオワコン化した石橋

 若者の感性に合わないという石橋のバブルノリは、同様に今の芸能界やバラエティの空気からもズレてしまい、“オワコン”化して見えるという。

「今の芸能界やテレビって、“礼儀と挨拶”が徹底され、番組内でも空気を乱さぬように謙虚にならざるを得ないんです。またバラエティでは、“よしもと的な笑い”が寡占化している状態。“よしもと的な笑い”とは、基本的にボケとツッコミの笑いが大半で、みんなで協力して盛り上げていくスタイルなのですが、これは1954年、よしもとが『吉本ヴァラエティ』(毎日放送)という新喜劇の前進となる舞台をテレビで放送し始めた頃から、ずっと受け継がれているものなんです。MCの仕切りがいて、誰かが何かを言ったらそれをみんなで拾う。また、面白いキャラの人がいてそれをみんなでイジる――そういった、みんなで面白くしていくスタイルの今のバラエティに、石橋さんのような1人のパワーで全てを壊せてしまうような人は合わないと感じます」

 確かに、石橋はワンマンスタイルで、みんなで協力し合って笑いを作り上げていくというタイプではない。一方で、わかりやすく濃いキャラの持ち主でもないだろう。

「“みんなで一緒に”という、よしもと的笑いに慣れた人からすると、石橋さんの場を壊すことによる笑いは、パワハラ上司的に見えるかもしれません。若手芸人と絡んでいても、接待されているように見え、“現実を忘れられる”というバラエティの良さを感じにくいんですね。また、コンプライアンス重視の今のテレビ局では、“めちゃくちゃやる”という芸風の石橋さんを起用しづらい面もありますね。以前、『みなさんのおかげでした』で保毛尾田保毛男をリバイバルした際、『差別的な笑いってどうなの?』と炎上したように、世間でポリティカル・コレクトネスが定着したことも、石橋さんが敬遠される理由だと考えられます」

石橋は、SNSに活路を見いだすべき!?

 そんな石橋について、瀬沼氏は、「年とともにバブルノリ自体は弱まっていると思う」といった印象も受けるそうだ。

「『たいむとんねる』を見ると、昔に比べると落ち着いたなぁとも思います。当時の勢いを面白く求めている人は絶対にいると思うので、個人的には、ネットやSNSに活路を見いだしてほしいですね。本人はそういったものに否定的みたいですが、例えばTwitterでの素人いじり、YouTubeで大暴れするなど、“炎上”も含めて面白くなるのではないかと。規制のないところで、自由に暴れて、日本をかき乱してほしいです」

 ただ、『たいむとんねる』に対しても、このまま“大爆死”だけで終わるのはもったいないという。

「売れ続けている芸人って、ちょっとずつ新しいキャラをプラスしていこうとするんです。例えば、ダウンタウンの松本人志さん、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんは、“知的な面”を出し、コメンテーターなどをするようになったのですが、一方で、石橋さんは、こうした“新たなキャラを見せること”をあまりしてこなかった。だからこそ、石橋さんは、『たいむとんねる』で新たなキャラを確立してみてはどうだろうと思いますね。過去のアレコレを振り返るという番組内容は、視聴者の『僕も、私も話したい!』という気持ちをくすぐると思うので、石橋さんには“人の共感を引き出す”新たなキャラを目指して、番組を盛り上げてほしいです」

 「バブル的な勢いを失くして落ち着いた」というネガティブな面も、見ようによっては、新たな魅力につながるということか。ご長寿番組が終わった今、石橋がどのような進化を遂げるのか見守っていきたい。

【著書紹介】
ユーモア力の時代―日常生活をもっと笑うために』(日本地域社会研究所)
生活の中にユーモアがあると、自分が見ている世界や日常はもっと面白くなる――そんな“ユーモア”について分析、その効果の大きさと影響力を示すとともに、誰にでもできるユーモア力アップの方法と技術を具体的に紹介した1冊。

「石橋貴明のバブルノリ」が嫌われてしまうワケ――フジ『たいむとんねる』大コケを考える

 「バブル世代に武勇伝を語られても面白くない」――そんな痛烈な批判を巻き起こしたのが、4月にスタートした深夜バラエティ『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)だ。

 今年3月、とんねるずのご長寿番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』(同)が終了、そして新たに石橋をMCに据えて『たいむとんねる』が始まったのだが、「石橋貴明とミッツ・マングローブがゲストと『勝手に語り継ぎたい昔のアレコレ』を掘り起し『あったねぇ~!懐かしい~!』を共有する」(公式サイトより)という内容が視聴者にウケにくかったのか、工藤静香をゲストに迎えた「イケイケだった80年代テレビ業界」という初回の視聴率は、3.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と大コケしてしまった。

 いったい同番組の何が不評を買ったのか。ネット上に飛び交う初回視聴者の声を見ていくと、「石橋が80年代のイケイケ話をドヤ顔で語るってダサい」「バブル時代はとっくに終わってるんだけど……」「石橋はもうオワコンでしょ」など、「石橋×バブル」の組み合わせに、時代遅れ感を抱いている若い世代が多く見受けられた。しかし昨今メディアでは、バブルカルチャーを目にする機会が多い。特に昨年は、「OK!バブリー!!」のギャグで知られるバブル芸人こと平野ノラ、また大阪府登美丘高校ダンス部のバブリーダンスが若者を中心に大ブレーク。バブルカルチャーのリバイバルイベントも各地で盛んに行われているという。

 そんな人気コンテンツであるバブルが、石橋と組み合わさることで、なぜ人に煙たがられてしまうのだろうか? そんな疑問を解消すべく、元吉本芸人で、“コミュニケーション学”や“笑い”に関する研究をしている桜美林大学講師・瀬沼文彰氏に取材を行った。

若者はバブルを“ネタ”として消費する

 最初に、瀬沼氏は、若者間のバブルブームをどのように見ているのだろうか。

「若者は、バブルを“ネタ”として消費をしていると思います。そういった流れを牽引したのは、やはり平野ノラさんなのではないでしょうか。ノラさんから『バブルってこういうふうに見ると面白いよね』というヒントをもらい、若者がネタとして楽しむようになったと見ています。また、バブルの自由さ、存在感、キラキラした感じは、SNSとの相性がよく、例えば“バブル的な写真”をインスタグラムに投稿すると『いいね!』がもらえる……みたいなところから、ブームになっていったと感じています」

 いまの若者が、バブルを本気で実践しようとすると、圧倒的にお金が足りないのは事実。しかし、「今はシェアの文化が発達し、高級バックやハイブランドファッションのレンタルシステムがあったり、リムジンもみんなお金を出し合って借りることができるんです。あと、SNOWなど、デジタル加工が発達しているので、写真にバブル的なキラキラ加工を施せる。意外とバブルって実践できるんですよ」とのこと。

「若者は、バブル的なキラキラした日が、ずっと続くのではなく、“たまにあるといいな”という感覚のようです。リアルが充実していることをアピールしたい半面、『私、すごいでしょ?』と自慢して周りから浮くことを避けたいという思いがあるのでしょうね。バブルを“ネタ”として消費するのも、“これは冗談だよ”と予防線を張っているように思いますし、むしろ、バブル的なキラキラ感を楽しむのではなく、『私はバブルを面白いと思っている』という自分のセンスをSNSでアピールさえできれば、満足なのかもしれません」

 ただし、メディアで騒がれるバブルブームは、「マスコミ主導なブームという印象がある」という瀬沼氏。若者の間で生まれたのではなく、「ノラさんのような影響力のある人から“降りてきた”ものだと思います」。

とんねるずの成り上がり方がバブル的だった

 若者にとって、“周りから浮かない、適度なキラキラ感の自己演出ツール”の1つになっているというバブル。一方で、石橋はなぜ嫌われるのだろうか? まず瀬沼氏は、人々が石橋に感じる“バブル感”を紐解いてくれた。

「『みなさんのおかげでした』でよく見られた“フジテレビの大掛かりなセット”での企画がそういったイメージを生んだのかなと。また、『“イマココ”を最大限楽しむ、先のことを考えない』といったノリや、内輪の業界ネタ、上から目線でガンガンものを言うスタイルなども、バブルっぽいと受け止められるのではないでしょうか。あと石橋さん……というか、とんねるずは、素人として出場したお笑いコンクールで活躍し、デビューを果たしたんですが、そのままの勢いで、素人やアイドル、テレビにあまり出ていない俳優、ときには大御所までもイジる、スタジオを壊して暴れまくるといったノリでどんどん成り上がっていったコンビなんです。その勢いこそバブルノリだと捉えられるのではないでしょうか」

 そんな石橋のバブルノリが若い世代にウケないのは、ズバリ「“冗談だから”“ネタだから”という予防線が張り巡らされていないから」と瀬沼氏は考察を繰り広げる。

「石橋さんが『たいむとんねる』で語った80年代のイケイケエピソードは、視聴者の若者からしたら、直接的すぎてしまい、“ギャグ”に聞こえないと思うんです。もしかしたら本人は、ネタとして言っているのかもしれませんが、視聴者は、ガチの自慢話をされているとしか受け取れないのでは。あと単純に、昔話だから共感できないというのもあると思いますね。それから、いまの若者は、“話している内容+見た目”に面白さを見いだす傾向があり、ノラさんも、あの“見た目”でのバブル感もあるからこそ、若者にウケたと思うんです。そう考えると、石橋さんにはそういった見た目としての面白さは演出できていないので、ウケにくいのかもしれませんね」

よしもと的笑いの中でオワコン化した石橋

 若者の感性に合わないという石橋のバブルノリは、同様に今の芸能界やバラエティの空気からもズレてしまい、“オワコン”化して見えるという。

「今の芸能界やテレビって、“礼儀と挨拶”が徹底され、番組内でも空気を乱さぬように謙虚にならざるを得ないんです。またバラエティでは、“よしもと的な笑い”が寡占化している状態。“よしもと的な笑い”とは、基本的にボケとツッコミの笑いが大半で、みんなで協力して盛り上げていくスタイルなのですが、これは1954年、よしもとが『吉本ヴァラエティ』(毎日放送)という新喜劇の前進となる舞台をテレビで放送し始めた頃から、ずっと受け継がれているものなんです。MCの仕切りがいて、誰かが何かを言ったらそれをみんなで拾う。また、面白いキャラの人がいてそれをみんなでイジる――そういった、みんなで面白くしていくスタイルの今のバラエティに、石橋さんのような1人のパワーで全てを壊せてしまうような人は合わないと感じます」

 確かに、石橋はワンマンスタイルで、みんなで協力し合って笑いを作り上げていくというタイプではない。一方で、わかりやすく濃いキャラの持ち主でもないだろう。

「“みんなで一緒に”という、よしもと的笑いに慣れた人からすると、石橋さんの場を壊すことによる笑いは、パワハラ上司的に見えるかもしれません。若手芸人と絡んでいても、接待されているように見え、“現実を忘れられる”というバラエティの良さを感じにくいんですね。また、コンプライアンス重視の今のテレビ局では、“めちゃくちゃやる”という芸風の石橋さんを起用しづらい面もありますね。以前、『みなさんのおかげでした』で保毛尾田保毛男をリバイバルした際、『差別的な笑いってどうなの?』と炎上したように、世間でポリティカル・コレクトネスが定着したことも、石橋さんが敬遠される理由だと考えられます」

石橋は、SNSに活路を見いだすべき!?

 そんな石橋について、瀬沼氏は、「年とともにバブルノリ自体は弱まっていると思う」といった印象も受けるそうだ。

「『たいむとんねる』を見ると、昔に比べると落ち着いたなぁとも思います。当時の勢いを面白く求めている人は絶対にいると思うので、個人的には、ネットやSNSに活路を見いだしてほしいですね。本人はそういったものに否定的みたいですが、例えばTwitterでの素人いじり、YouTubeで大暴れするなど、“炎上”も含めて面白くなるのではないかと。規制のないところで、自由に暴れて、日本をかき乱してほしいです」

 ただ、『たいむとんねる』に対しても、このまま“大爆死”だけで終わるのはもったいないという。

「売れ続けている芸人って、ちょっとずつ新しいキャラをプラスしていこうとするんです。例えば、ダウンタウンの松本人志さん、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんは、“知的な面”を出し、コメンテーターなどをするようになったのですが、一方で、石橋さんは、こうした“新たなキャラを見せること”をあまりしてこなかった。だからこそ、石橋さんは、『たいむとんねる』で新たなキャラを確立してみてはどうだろうと思いますね。過去のアレコレを振り返るという番組内容は、視聴者の『僕も、私も話したい!』という気持ちをくすぐると思うので、石橋さんには“人の共感を引き出す”新たなキャラを目指して、番組を盛り上げてほしいです」

 「バブル的な勢いを失くして落ち着いた」というネガティブな面も、見ようによっては、新たな魅力につながるということか。ご長寿番組が終わった今、石橋がどのような進化を遂げるのか見守っていきたい。

【著書紹介】
ユーモア力の時代―日常生活をもっと笑うために』(日本地域社会研究所)
生活の中にユーモアがあると、自分が見ている世界や日常はもっと面白くなる――そんな“ユーモア”について分析、その効果の大きさと影響力を示すとともに、誰にでもできるユーモア力アップの方法と技術を具体的に紹介した1冊。