「吉原遊廓はすごい!」は作られた“幻想”? 江戸時代~現代をめぐる風俗文化のウラ側

 “吉原”――そう聞くと、きっと思い浮かべるのは、風俗、花魁、遊郭、といった言葉たちではないでしょうか? 江戸時代の代表的な遊郭としてはもちろん、吉原は今でも東京都台東区に存在し、日本一のソープランド街として知られています。江戸時代の吉原は、今もなおさまざまなカルチャーで題材にされ続けていますが、その誕生からちょうど400年を迎えた今年、江戸の性風俗を研究した著作を多数執筆している作家・永井義男氏が風俗史家・下川耿史氏と共著で『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』(辰巳出版)を刊行。

 そこで、永井氏のほか、アラフォー現役風俗嬢の曼荼羅氏、『風俗嬢という生き方』(光文社)などの著者・中塩智恵子氏にお集まりいただき、三者の目線から吉原を存分に語り合ってもらいました。

<出席者>
永井義男(ながい・よしお)
1949年生まれ。『算学奇人伝』(祥伝社文庫)で第6回開高健賞を受賞。時代小説家として100作以上の著作を持ち、最近では江戸の性風俗を研究した著作を多数刊行している。著書に『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』(同)、『本当はブラックな江戸時代』(辰巳出版)、『江戸の売春』(河出書房新社)など。

曼荼羅(まんだら)
デリヘルで風俗デビューし、出稼ぎ&吉原ソープを掛け持ちした後、現在は素人童貞などSEXに自信のない悩める男性のためにプライベートレッスンをしているアラフォー風俗嬢。

中塩智恵子(なかしお・ちえこ)
1974年生まれ。宮城県石巻市出身。アダルト系出版社を経てフリーランスのライターに。現在は主に週刊誌で執筆。政治家、文化人、芸能人、風俗嬢、ウリセンボーイ等と幅広い取材活動を行う。近著に『男娼』(光文社)、『風俗嬢という生き方』(同)

 今もなお残る“吉原ブランド”の背景とは

――『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』を読んで、曼荼羅さん、中塩さんはどう思われましたか?

曼荼羅 同じ風俗嬢として、遊廓で働く女性に対しての共感がかなりありました。もちろん、知らないこともたくさんありましたね。江戸時代からずっと続いてきて、今もなお生きていることもたくさんあって、大昔なのに遠くない感じがしました。

永井義男(以下、永井) ありがとうございます。日本人の、男の中の吉原の文化はまだ続いていると思います。

曼荼羅 確かに、今でも「吉原は別格だ!」という感じは続いていると実感することが多いんですが、そもそもなんでそんなに“別格感”があったんでしょうか? 独特のブランディングというか、ほかの風俗とは違う何かを感じます。

永井 僕はね、吉原って富士山に似ていると思うんですよ。富士山ってきれいだとは思うんですけど、日本中に、似ている山って結構あるんですよね。でも、日本人は物心ついた時から絵や写真、文章なんかでも「富士山はきれいだ」というある種の刷り込みをされているでしょう? その上で富士山を見るから、余計きれいに見えるんですね。

曼荼羅 確かにそうですね。吉原も同じなんですか?

永井 そう。吉原も同じで、遊廓自体は全国にあったんですが、吉原の場合は文化も含めて、物心ついた時から「吉原はすごいんだ」「吉原の遊女は天女のようなんだ」って聞かされて育つんです。だから、皆江戸に行ったら、とにかく吉原に行きたいと考えたり、花魁道中を見て感動したりするんですね。もちろん吉原はすごかったと思いますが、あまりにも吉原だけが突出しているというのは、むしろ文化になってしまっているからなんです。

中塩智恵子(以下、中塩) そうやって“吉原”というブランドが作られていったんですね。

永井 当時から吉原はいろいろな戯作(小説)や浮世絵の題材になり、そうした作品で有名になって、有名だからまた作品になって……という具合で、どんどん“遊廓=吉原”というイメージが固まっていったようですね。

曼荼羅 いまだに全国から「あの吉原だ!」という感じでお客さんが来ますからね。ブランド力は伊達じゃないです。

永井 外国人も日本の文化として吉原を知っている人が多いですから、お客さんとしても結構いるんじゃないでしょうか?

曼荼羅 いますね! 外国人もそうですけど、童貞の方なんかも「一度は吉原に」と意を決してお小遣いをためてくる方が多いです。

永井 今も昔も、変わってないですね。

曼荼羅 今も昔も、男の方は「一度は吉原に行くぞ!」と夢と希望を持っているわけですよね。吉原で働いている女性側も、同じ感覚が少しあるなって感じました。

中塩 女性側も希望や野心を持って、働く場所を吉原に決めるものなのでしょうか?

曼荼羅 「せっかくこの仕事をするなら吉原に行こう」って、覚悟を決めてくる女性は結構いますね。地方から、月に10日くらい出稼ぎに来てるシングルマザーの方の中には、子どものために腹を決めている感じの女性もいました。一方で、昼の仕事をする代わりに、時間の融通が利く早番でソープに出て、朝の7時くらいから夕方の16時くらいまで働くというシングルマザーの方も。子どもが帰ってくる時間に帰るんです。

永井 江戸時代は、今よりもっと女性の職業が少なかった。だから、いわゆるシングルマザーで子どもを育てるというのは、まず不可能でした。江戸時代は死別や離縁をしてもすぐ再婚することが多かったのですが、なぜかというと、結局1人では生きていけないからなんですね。女性は旦那さんがいないと経済的に生きていけない、男性は奥さんがいないと子どもを一人で育てられない。だから、恋愛うんぬんより先にすぐ再婚でした。

曼荼羅 恋愛より先にすぐ結婚だったんですね。

永井 そうです。恋愛より愛情より、先に生活の安定が大事でした。よく、「武士の妻は貞淑で、夫が死んでも操を守り通す」なんていいますけど、亭主が死ぬとすぐ再婚していましたね。それは身分の高い武士を除いて、庶民も武士も同じでした。

曼荼羅 それと、吉原で働く女性の“プライドの高さ”も多分、江戸時代から変わっていないんじゃないかなって思うんですが、どうでしょうか? 私は吉原以外の場所でもいくつか働いたことがあるのですが、ほかと比べて、吉原独特のプライドの高さを感じました。

永井 江戸時代から、プライドは持っていたと思いますよ。昔は“張り見世(はりみせ)”といって、道に面した店先に遊女が居並び、格子の内側から自分の姿を見せて客を待つ場所があったんですが、これは吉原独特で、ほかの岡場所(吉原以外の、非公認の私娼街)は何もないところに座らされていました。だから、格子の内側に座って、男たちから「美人だな~」なんて言われるのは、やはり“誇り”であり、格が違うことの象徴だったんです。その分、プライドも高くなるでしょうね。

曼荼羅 その名残がいまだにあるって、本当にすごいです。

永井 それも文化として続いているんですね。

 江戸時代にも風俗情報誌、送迎、指名制度が?

中塩 今はかなり減りましたが、少し前まで風俗情報誌はたくさん出回っていました。江戸時代にも“吉原細見(よしわらさいけん)”という風俗情報誌があった、と書いてあって驚きでした。

永井 店名、場所、遊女の名前……そういう情報が全部載っているものがありましたね。

中塩 いわゆる名鑑ですね! これ、作っていた方は吉原で働いていたんでしょうか?

永井 最初に作ったのは、歌麿や写楽を売り出したことでも知られる蔦屋重三郎(現在のTSUTAYAとは無関係)。彼のアイディアで出したら大ヒットしたそうです。ただ、当時は著作権や版権などない時代ですから、売れたらほかも“わー!”と一斉に作るんですね。だから、いろいろな版元から出ています。掲載されている情報はほぼ同じですがね。

曼荼羅 有料だったんでしょうか?

永井 値段はよくわからないのですが、有料でした。吉原に行く人はもちろん、お土産として買った人も多いと思います。吉原は高くて遊べなかったけど、“吉原細見”くらいなら買えるので、お土産として持って帰ったんですね。東京は空襲だの震災だので結構焼けてしまいましたが、地方の旧家なんかの蔵を探すと、まだ出てくるんです。

曼荼羅 ご先祖さん、吉原に遊びに行っていたってバレちゃいますね(笑)。

中塩 そうですね(笑)。風俗情報誌があったなら、例えば今でいうお客様の“送迎”みたいなのはあったんでしょうか? 吉原は最寄駅から遠いこともあって送迎車が出ていますよね。

永井 車での送迎、というのはもちろんありませんが、船宿はなじみの客になると、サービスで「お送りします」って提灯をもってお店まで送り届ける、というのはあったようですよ。あくまで“おもてなし”という意味での送迎ですね。

曼荼羅 今でいう、“指名制度”みたいなのもあったんでしょうか?

永井 はい。吉原は“永久指名制度”だったそうです。その子と決めたら、その店ではその子だけ。それがルールだったみたいです。

曼荼羅 それいいですね! 同じ店の中で何人も指名してしまうと、女の子の間でそのお客さんが有名になってしまったり、トラブルになってしまったりしますからね。

永井 今は皆さん仕事が終われば家に帰れるでしょうけど、吉原の女性は職住同一ですから、朝から晩まで一緒にいなきゃならない。だから、働いている女性が客のことでもめないように、その辺の配慮はしっかりしていたみたいですね。

(後編につづく)

井上公造氏に聞く「自由に恋愛したいなら、芸能人辞めるべき」という“名言”に込めた思い

inouekouzousan

 「自由に恋愛したいのなら、芸能人を辞めるべきです」――ジャニーズやAKB48など、アイドルの熱愛スキャンダルが巻き起こるたびに、ファンの間で“拡散”される言葉をご存じだろうか。2015年、芸能リポーター・井上公造氏が、トークアプリ「755」で、一般ユーザーからの「芸能人も1人の人なんだから恋愛してもいいと思うんですけどね」というコメントに返信した言葉で、以下がその全文である。

「それは違います。自由に恋愛したいのなら、芸能人を辞めるべきです。彼ら、彼女らは、自分自身が商品です。恋愛しても構わないタイミング、年齢、キャリア、様々な条件があります。その分、一般人より高い収入を得ているのです。それでも、人を好きになるのが人間です。だったら、バレないように努力しないと!ファンによって支えられている以上、企業努力は必要不可欠です」

 応援しているアイドルの熱愛が発覚したファンたちは、井上氏の言葉をTwitterなどに投稿・拡散することで、自分の気持ちを代弁してもらっているのかもしれない。

 ここ最近も、アイドルたちの熱愛スキャンダルは後を絶たないが、今回、井上氏本人に、あらためてこの“名言”についてインタビューを行った。自身の発言がアイドルファンの間で長く支持されていることは「まったく知りませんでした」と驚く井上氏に、この言葉に込められた思いや意図、また芸能スキャンダルに対する考えを語ってもらった。

 井上氏いわく、「自由に恋愛したいのなら、芸能人を辞めるべきです」といった旨の発言は、「以前からテレビでも言っている」とのこと。「755」では、広く“芸能人”としたものの、「僕はどちらかと言えば、“アイドル”を対象にして言っています」と語る。

「当然のことながら、『アイドルは人間』であり、僕は『人間を辞めろ』とは言っていませんし、また基本的人権の観点から『恋愛は自由にしていい』とも思っています。けれども芸能人は“その人本人が商品”なわけで、アイドルは特にそのウエイトが大きいんです。ファンがアイドルのコンサートや舞台に行ったり、CDを買ったりするのには、『あなたのことが大好き』『付き合いたい』『あわよくば結婚したい』といった“疑似恋愛”の要素が含まれています。また、ジャニーズであればJr.時代から、AKBであれば研修生の頃から応援し続けることで“アイドルを育てる”という要素もありますよね」

 その人の“演技”や“音楽”が好きである以前に、その人自身のことが好き――確かに、アイドルファンはそういった側面が大きいだろう。だからこそ、ファンは熱愛報道に失望し、また一部の事務所が人気低下を避けるために“恋愛禁止”をルール化するわけだが、井上氏は、「それでもアイドルが人を好きになってしまうことはある」とあらためて強調した上で、こう持論を述べる。

「アイドルが恋愛をするというのは、“ルール上やってはいけないこと”であり、それをやるのであれば、バレないよう、エネルギーとお金を注がなくてはいけません。例えば、アイドルが恋人とホテルに泊まるとします。一緒にホテルを訪れ、同じ部屋に泊まるのは、もうその時点でダメだと思います。別々にチェックイン・チェックアウトする、コネクティングルーム(それぞれ独立した部屋だが、必要に応じて続き部屋になる部屋。廊下に出なくても行き来できるのが特徴)を使用するといった努力が必要。部屋の中までは、撮影されませんからね。コネクティングルームは、富裕層の人がお手伝いさんを連れて宿泊する際などに使われる部屋だけに、宿泊料も高額なのですが、バレないためには、こういったところにお金を遣わなくてはいけないのです」

 また外食をする際は「入り口が複数あるお店を選び、時間をズラして入店・退店する」、同棲する際も「同じマンションだが別々の部屋を借りる」などのバレない工夫をする、すなわち企業努力をしなければいけないという井上氏。つまり、「完璧に“言い逃れがきく”ようにしなければいけません。でも、みんなそういった努力を怠っているから、すぐバレてしまう。しかもバレた上でさらに嘘をつくから、二重三重に大変なことになるんです。アイドルがどういったものかを知ってアイドルになったんだったら、自分の商品価値を下げることをする、また『そうは言っても……』などと反論するのは、やはりいけないことだと思います」。

 「アイドルは恋愛を隠さなければいけない」という価値観は今に始まったことではないが、最近は「かなりゆるくなってきている」という。

「昭和時代のアイドルは、『平凡』や『明星』といったアイドル雑誌で、『ファーストキスの相手は……隣の家のワンちゃんと』なんて言っていましたから。おニャン子クラブも、ステージ上での発言は、全て秋元康さんが台本を書いていたそうですが、AKBは、自分の言葉で話しますし、異性に関するトークもしますよね。そこだけ見てもアイドルはかなり変わったと思います。ただ、かつて“恋愛なんてしていません”と言っていた元アイドルたちが、今になって『あの当時恋愛してました』と明かすことはよくあるんです。やっぱりみんな恋愛してるんですよ(笑)。アイドルは選ばれしカッコいい、可愛いモテる人たちですし、若ければそりゃあ恋愛もしたいのは当然ですよ。でもみんなバレないように頑張っていたんです」

 かつて、当時モーニング娘。のリーダーだった矢口真里と藤本美貴は、熱愛スキャンダルの責任を取る形でグループを脱退したが、最近のアイドルでは特にお咎めナシのケースも少なくない。しかし、ここで気になるのが、アイドルの熱愛スキャンダルを“暴く側”の存在だ。ネット上でも、井上氏の「バレないように努力しないと」という発言に対し、「芸能リポーターが熱愛を暴くから悪い!」といった声も少なくないのだ。

「どの分野にも言えるのですが、報じる人がいるからこそ、その分野に興味を持つ人が生まれるんです。芸能リポーターは、芸能人の恋愛を暴くだけが仕事ではなく、例えば『万引き家族』が『カンヌ国際映画祭』でパルム・ドールを受賞した背景であるとか、西城秀樹さんのような偉大なスターが亡くなった際に『こういう方でした』と話すなど、いろいろあります。その中に、恋愛や不倫もある……ということなんです。『恋愛や不倫は知りたくないから報じるな』と言う人がいるかもしれませんが、一方でそこに興味を持つ人もいます。そもそも取材とは、取材対象者の仕事面での活躍だけでなく、その人となりにも肉薄することであり、『芸能リポーターが報じるから悪い』というのは、筋違いだと思います」

 井上氏は、古くから業界に身を置く芸能プロダクションの社長に「井上、最近お前たちは優しすぎるぞ!」などと発破をかけられることもあるという。

「スーパースターというのは、たくさんのスキャンダルを乗り越えることで、人間としての厚みが出て、さらに成長する……マドンナやマイケル・ジャクソン、日本で言えば、松田聖子さんや大竹しのぶさんもそうですよね。その社長は『だから、もっとどんどんお前らは追及すべきなんだ』『潰れる奴は所詮その程度、それを乗り越えてこそ本物のスーパースターが生まれる』『最近、スーパースターが生まれないのは、お前らが優しすぎるからだ!』なんて言っていましたよ」

 かつてアイドルに、「お前らに見つかったら俺らの負け。でもお前らに見つからないように遊んでやる!」と宣戦布告されたこともあるという井上氏。そんな“豪快”とも言えるプロダクションやタレントの話を聞いていると、昨今ネットでよく言われる「事務所は、自社タレントの熱愛スキャンダルもみ消す」といったウワサの真偽が気になるところだが……。

「これは僕に限った話ですが、事務所から『このネタやらないでくれ』と言われたことってないんです。ただ、『子どもの受験があるから、今はやめてほしい』『CMの契約のタイミングが1カ月後にあるから、そこまで待ってくれ』とお願いされることはありましたが、『一切やらないでくれ』と言われた記憶は、僕のやってきた中ではない。僕の知らないところでそういったことがないとは言い切れないですけどね。テレビなので、結局、僕らの方から『このネタをやります』というわけではない面もありますし」

 長年、芸能リポーターとして活動し、数多くのタレント、芸能プロダクション関係者と直接顔を合わせて話を聞いてきた井上氏。芸能ニュースを報じる側として、今こんなことを思っているという。

「過去を遡るのはよくない、ということです。独身時代に不倫スキャンダルを起こしたものの、別の人と結婚して、今はお子さんがいらっしゃるという方がいますが、過去の不倫を掘り返して今あらためて報じることで、お子さんが学校でいじめられたら、誰が責任を取るんだろう……と感じることがあります。それこそ僕は、過去に誰と誰が付き合っていたかなんて山のように知っていますが(笑)、『たとえ10知っていたとしても、10報じる必要はあるのか?』『伝えていい/伝えるべきニュースと、伝えない方がいい/伝えるべきでないニュースもある』といったことを考えてから、報じようと思っています。これはあくまで“僕のやり方”ですけどね」

 このように、世間や本人、その周囲への影響を考えた上で、さまざまな芸能ニュースを報じてきた井上氏。だからこそ、「自由に恋愛したいのなら、芸能人を辞めるべきです」というアイドルのプロ意識を真摯に問う言葉が、ファンの心を打った……ということなのかもしれない。

井上公造(いのうえ・こうぞう)
1956年、福岡市に生まれる。西南学院大学商学部を卒業後、フリーライター、竹書房編集長を経て、サンケイ新聞社に入社。サンケイスポーツ文化社会部記者として、事件・芸能取材を担当する。86年、芸能リポーターに転身。98年には「有限会社メディアボックス」(現在「株式会社KOZOクリエイターズ」)を設立した。現在、日本テレビ『スッキリ』、読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』『上沼・高田のクギズケ!』、朝日放送『おはよう朝日です』『キャスト』などにレギュラー出演。芸能ジャーナリズムで幅広く活躍すると同時に、番組企画、芸能情報配信サービスなども精力的に行っている。

ラバーガール“夢”の全国ツアーへ! その意気込みは「家族に見られるのが恥ずかしい……」!?

 キングオブコントで決勝に進出すること2回。片や俳優としても活躍し、片や脚本や監督業もこなす。着実にマルチなコント師の地位を固めているラバーガール。しかし、悲願のキングオブコント優勝に向け念願の全国ツアーをスタートするこのインタビューで、彼らの口から飛び出すのは、不満、不安、愚痴、自虐……。的確すぎる自己分析に漂うこのわびさびこそ、永遠の中堅モラトリアム、ラバーガールの真骨頂なのかもしれない。

――全国ツアーのチラシのビジュアル……一度見たら忘れられないですね。デザインもそうですが、「スタイリッシュなコントをあなたに……」っていうキャッチもすごい……。

ラバーガール飛永(以下飛永) いつも単独ライブをやる時は、おしゃれでかっこいいもの作ってもらうんですけど、それだとちょっと伝わりづらいのかなっていうのが、まずありまして。顔がどーんと出てる方がわかりやすいなって。そういうのを突き詰めていくと、演歌の地方巡業のディナーショーチラシが一番ベストなんじゃないか、というところに辿りつきました。

ラバーガール大水(以下大水) 演歌の方たちは、全国を回っているじゃないですか、長年。そういう方たちが、ああいうチラシにしているということは、あれが正解なんだっていう。

飛永 ホールの入り口にどーんってポスター貼り出されるので、居並ぶ演歌の方たちに見劣りしないチラシをつくらないと。

――「爆笑オンステージ」という文言で、「ああおもしろいやつだ」というのも伝わる(笑)。

飛永 営業で書かれたりはありますけれどね。でも、もう言っちゃった方がいいんじゃないかっていう。逆をいえば、僕らがこれをやったらギャグにもなるかなっていうのもあったので、あえてそうしたというか。でも、意外とこういうダサいチラシをつくろうと思ってお願いしたら、ダサい感が、すごい難しくて。最初サンプルで上がってきたものとか、本当に手を抜いた感じにも見えちゃったんですよ。ダサいのをギャグにすることの難しさを知りました。

大水 「追加公演決定!」っていうこれも、いかにもっていう感じでね(笑)。

――よくスーパーに置いてありますよね。演歌の方がたくさん出られている謎のステージチケット。

飛永 年齢層が高い人にも来ていただきたいんですよ。シソンヌもちょうど全国ツアーをやっていて、おしゃれにすると、そっちともかぶっちゃうなーというところもありますね(笑)。

■大水は青森に凱旋、飛永は……?

――先行販売の手応えはいかがですか?

飛永 動員数が3,000人ぐらいなんですよ。今まで最高で、東京だけで1,000人ちょいぐらいなので、その3倍もある。

大水 東京は大丈夫そうですけど、それ以外が、まったく見当つかないですね。

――8月4日の石川公演は、なんと県内最大の花火大会とかぶってるらしいです……。

大水 え?? 初耳。知らなかったな。それやばいな。花火のライブビューイングとかやった方が入るんじゃないかな。

飛永 同時に見れます、とか。

――頑張れば、ライブを見てから花火に行ける時間なんですかね……?

飛永 そのハシゴしますかね? しないでしょ。

大水 普段ラバーガールのライブ見たい人でも、花火行く日ですもん。

飛永 絶対花火だよ。

大水 そもそも花火行きたい人がラバーガールには来ないもんね。マイナス要素しかないよね。

飛永 このツアー、いい要素がないな。唯一、大水さんの故郷の青森ですかね。

大水 200くらいのキャパなんで、知り合いとかは多少来ると思うけど……。

飛永 去年、青森の一番大きいお祭りのMCをさせてもらったんだよね。そこで「実は青森出身なんです」って言ったんですけど「えーー」みたいな。まったく知られてない状況だった(笑)。

――あれ? 飛永さんの地元の静岡は入ってないんですか?

飛永 ないですね。静岡って……じゃっかん冷めている感じがあるんですね。だから、地元に帰ってもあまり凱旋感もなくて……うーん、ちょっと恥ずかしいですしね。今回は、外させてもらいました。

――冷めてる感じというのは……?

飛永 静岡に営業に行って、ウケたなっていう思い出がない。

大水 青森も恥ずかしいけどな。家族の前でネタやるって。

飛永 絶対来るもんね。青森行ったら。

大水 絶対、来る。絶対、教えないようにしてても、どこかから嗅ぎつけて来る。今回のツアーも、僕は言ってなかったんですけれど、お姉ちゃんとラインのやりとりしてたときに「そういえば青森でやるんだって?」って言われて。

――ご家族に感想を言われることは?

大水 1回、営業に行って言われたのは「たまには違う内容も見たいな」って。

飛永 そうだよな(笑)。

大水 営業って、わりと一緒のネタだから。

――営業は、初めての人を対象にしていますもんね(笑)。

大水 毎回来る人は対象にしてないです(笑)。

飛永 今回はね、違うネタもあるし。大水さんの家族もうれしいライブ。

――「全国ツアーは、芸人を始めたときからの夢」という大水さんのコメントがネットニュースになっていましたが、今回ようやく、その夢が叶うと。

飛永 そうそう。大水さんそれ書いてたけど、聞いたことねーけどなって。ウソじゃないかなと思って。見出しになってたよ。

大水 いや、あれはですね、最後にすごい真面目な文章をわーって書いて、「夢でした」って。「なので今から福岡の地へ出発します」「早えーよ」みたいなことを言うために、それまで真面目に書いたんですけど、そこだけ切り取られてしまった。

飛永 そうなの?

大水 真面目なところだけ見出しになっちゃって、すげー恥ずかしかった(笑)。このチラシで、「夢でした」ってコメントって、完全にガチのやつじゃんか。

■「スタイリッシュ」と「キングオブコント」

――確かに(笑)。でも実際ラバーガールさんは「スタイリッシュなコント」と言われていますが、それについてご本人はどのようにお考えですか?

飛永 「スタイリッシュ」とか「シティ派コント」って言われますけど、静岡と青森出身ですからね。

――スタイリッシュは、あえて意識しているんですか?

飛永 そうですね。それは、人力舎っていう事務所に入ってるというのもですが、シティボーイズとかアンジャッシュとか、そういう東京コントの芸風をちゃんと踏まないといけないな、というのを何年か前に僕は決めたというか。放送作家のオークラさんに言われたのかな。「そこは意識してやった方がいいよ」と。ベースを、ちゃんとした方がカッコいいな、っていうのは思ってます。

大水 一時期ちょっと「スタイリッシュ」みたいなことを言うのが恥ずかしいという時期があったんですけれど。「意外と俺たちベタだし」って。でも、それってあんまり得ねえなと。スタイリッシュって言っちゃった方がいいんじゃないかな、っていう気持ちには、なってきましたね。

――しかし「スタイリッシュコント」で、その価値観と最も遠いように思われる「賞レース」を戦わなければいけないというのも、難しいものがあるよなぁと感じます。

飛永 そうですね。本当は関係ないところでやりたいんですけれど、世間がそうなってきちゃってるから。本当は、シティボーイズのような、どっかで「お客さんが笑わなくてもいいや」っていうのを突き通したいということがあるんですけれど、勝負の場ができちゃってるんで、戦わないといけないし、逃げるのも違うかな、みたいな。そういう葛藤はありますね。

大水 本当は戦いたくないですからね。いろいろおもしろい人がいていいじゃんって。でも大会がある以上、出ないでスカしてるのもカッコ悪いし。

飛永 やっぱ、おもしろい人は優勝してるしね。

大水 できれば優勝して、もう出たくない。

飛永 それは一番大きいですね。

――出なくてもいい理由は、もはや優勝するしかない?

飛永 それか、何か犯罪を犯すか。出なくていいっていうのはね。

大水 出れない(笑)。

――実は調べてみると、人力舎さんの芸人は、キングオブコントの決勝までいくと解散するんですよ。リンゴスターとか、巨匠とか……。

大水 確かに……。

――外側から見ると「これからなのに」と思ってしまうのですが。

飛永 目標がなくなる、っていうのはあるかもしれない。「キングオブコント決勝進出」を目標にしちゃうと。

大水 決勝行って、優勝できなかった。決勝いくことによって、仕事が増えるかなと思っていたら、そこまで増えない。そうなると、もっと大きい悩みがのしかかってくる。ネタ以外の悩みが。食っていけないんじゃないかとか。そうなると行き詰まって、結果解散になっちゃうんじゃないですか。

飛永 あと、「世に出てないけどおもしろい」と思われていたのが、世に出ちゃうと「こんなもんか」みたいな気持ちになる。お客さんのウケとか。そこに耐えられるかどうか。決勝いったことによって、ライブに来てくれるお客さんが減るっていうのも実際あるんですよ。

――そのパターンもあるんですね!

飛永 青田買い目的で見に来ていたお客さんが減って。

大水 キングオブコントで知ってやってきたお客さんも、やがていなくなって、誰もいなくなっちゃって。

――想像しただけで恐ろしいです。

大水 毎年、ライブで勢いがある人たちが準決勝の客席を埋めて、お客さんたちも決勝に上げたい、みたいな空気があるんですよね。後押しが。それは悪いことではないんですが、いざ決勝でテレビに出ちゃうと、そのお客さんもちょっと冷めちゃう、みたいな現象が起こる。

飛永 発掘した感だよね。でもその魔法が、翌年から消えちゃいますから。

大水 僕ら、あまりそういう思いをしてこなかったから。そこまでお客さんに人気なかったし。誰か人気のあるやつが必ず上にいたという感じですね。

飛永 何十組か集まるライブだと、うちらはMCとか頼まれても断ったり。消極的っていうのもあるんですけど。あまりライブで求められる感じじゃない。同世代の芸人ともつるまないし、仲良い感じを出さないようにやってきちゃったんで、孤独感はずっとあります。テレビのスタッフとか、作家さんとか、いろんな人とも、一緒に何もやれていないな、という感覚はずっとありますね。単独ライブをやっても、お客さんを巻き込んで、拍手喝采! みたいな状況が、あんまりないから。お客さんも、普通に笑わないしね。本当にウケない時あるから。千秋楽の出待ちひとりもいなかったし(笑)。

大水 「誰のためにやってるのかな?」って思う時はあります。一定の距離が、ずっと保たれている。

飛永 達成感とか、あまりないですよね。結局、自分のせいでそうなってるんでしょうけど。かまってちゃんなのかもしれないです。歩み寄らないくせに、「孤独だ……」みたいな。

――そのお話を踏まえると、より一層「爆笑オンステージ」というキャッチに深みを感じます。

大水 逆にハードルが下がってる(笑)。

■ライブに「業界人が来る」という評価

――シソンヌさんや東京03さんのライブは「業界人がたくさん来る」というのが一つ代名詞のようにウリ文句になっていますが、ラバーガールさんもそうですか?

飛永 来てたとしても、楽屋には来ないですね。別に仲良くないから。マネジャーが呼んで、業界の方も来てくれてるんでしょうけれど、僕らとの距離はすごいありますね。それこそ大水さんはドラマや映画にも出てるんで、俳優さんの知り合いとかいっぱいいるはずなんですよ。ずる賢くやれば、そういう人たちをいっぱい呼んで、SNSに写真あげてもらったり。でも、結局来るのって、前にやっていた番組のメイクさんとかなんです。

大水 いいんだけどね(笑)。

飛永 来てくれるのはうれしいんだけど、もう少し拡散力のある人を呼んだ方が本当よかったな、という反省はしますよね。

――積極的に声をかけないのは、なぜなんでしょうか?

大水 なんですかね。あれじゃないですか、結婚式、誰呼ぶか呼ばない問題みたいな。どこまで呼んだらいいかわからなくなるやつ。

飛永 意外と前回、前々回の単独は早めにチケットが売れちゃって、関係者枠が少ないって言われて。そうなると誰を呼んだらいいんだ? となり、結局誰も呼ばない。

大水 その結果、メイクさん、もしくは知らない後輩がすげーぞろぞろ来る(笑)。

飛永 楽屋の挨拶でね、「初めまして、1年目の……」みたいな。

――いろんなジャンルの方とお知り合いというのが、ひとつのステータスである芸人さんも多いと思うのですが、あまりそういう欲がない?

大水 どっかで、そういうのダセーと思ってるんでしょうね。

飛永 客観的には「大水さんの知り合い誰か呼んでくれればいいのに」とか思いますけれど(笑)。

大水 いざ、自分となると……変にカッコつけてるのかもしれないですね。もっとキャパがでかくて、「いっぱい関係者呼べます」なら、なりふり構わず声もかけるでしょうが、いつも微妙な数なんですよ。だから厳選しないといけない。

飛永 厳選しすぎて、結果、3年目の子が1年目の子を紹介しくてる(笑)。

大水 自分たちができればいいんですけれども、マネジャーなり、誰か考えてくれる人が今後は必要かな、ということが課題ですね。

飛永 マネジャーも付き合い長いから、僕たちと一緒に悩む感じになっちゃって。実行力が弱いんですよ(笑)。

大水 いろいろ考えて、現実的なことを考えて、一周してくる感じ。

大水 「初回なんで赤字覚悟で!」みたいな感じだったらいいんですけれども、なんとか「損出すなよ」の空気感というか、そのへんも考えろよ感、ありますね。でも、それって芸人の仕事じゃないなと思うんです。それでも最近は、自分たちでやらなきゃっていう気持ちと、実際に動いてくれる方との気持ちが合致してきた。

■人力舎という事務所

――人力舎さんは、吉本みたいに上下関係はあまり強くなさそうですが、一方で「すごく面倒を見てあげる」みたいなイメージもなくて。

飛永 ドライではありますね。

大水 事務所に動いてもらうには、具体的なものを投げないといけないっていうのはありますね。その分、これやりたい、これやりたくない、ということをハッキリ言える良さもある。

――とはいえラバーガールさんが、ほかの事務所にいるイメージも湧かないですよね。人力舎らしさは意識されていますか?

飛永 今となっちゃ、先輩たちもネタをそんなにやっちゃいないですけれど、やっぱ、矢作さんをはじめ、カッコいい人たちがいっぱいいるんで「そうなりたい」みたいな気持ちはどこかにはありますね。でも、後輩見ると、そういう世代でもないんですよ。仲良しお笑いサークルみたいな感じの雰囲気のほうが強い。

――スクールの延長みたいな。

飛永 営業で若手がやってるネタを、別の若手も同じやつやってたりして「あのネタって、誰々もやってたよね」って言うと「それは、みんなで共有しようっていうネタなんです」って。

大水 普通に、東京03さんのショートコントをやってたりするんです。若手の中では著作権フリーみたいなことになってるらしい。でも飯塚さんに聞いたら「いや、ぜんぜんそんなこと言ったことないし、現役でやってるネタだし」って。

飛永 結構、怒ってた。あと、毎年、後輩たちが先輩のネタをカバーするっていうライブがあるんですよ。本音を言ったらやられるの嫌ですけど、僕らだけ断るのも口うるさい先輩みたいでアレじゃないですか。でも前に一度、俺たちのネタやった後輩の動画見たら、ボケの方がおかっぱのカツラをかぶって、すげーいじられてたんですよ。

大水 最悪だよ。

飛永 見た目で笑いとってる(笑)。

――三四郎さんも、確かうしろシティの阿諏訪さんもそうだったと思うのですが、人力舎のスクールを卒業して別の事務所でブレイクするという、このパターンが多いのはなぜでしょうか。

飛永 時代として瞬発的に売れないといけないというか、わかりやすい人が売れる時代なんじゃないですか。人力舎に入っている時点で、そういうのに向いてない人が集まってる。ほんとは、そこで地道にコツコツやんなくちゃいけないんだけど、その前に解散しちゃうことが多いのかもしれない。

大水 先輩のネタをカバーしてる場合じゃないよ。

飛永 自分が3年目、4年目の頃、先輩のネタをカバーしろって言われたらヤダもんな。

大水 そのへんの感覚がまったく違う。

■50歳のラバーガール像

――ご自身の感覚的にはラバーガールさんは若手ですか? それとも中堅?

飛永 ギリギリ若手で括られることもあるんですけど、あと、5年、多くて7年ぐらいはそういう雰囲気でいけると思うんですけど、50歳になったら、この感じじゃいけないですよね。どっかで自分のフィールドを確立しないと50歳以降食えないな、っていう不安はあります。

大水 朝まで飲めなくなったり、将来のことを考えると、家を買うとしたらあと数年でなんとかしなきゃいけないんじゃないかとか……ローン、45歳を超えたら組めなくなるじゃないですか。そうなると、あと10年もないんですよ。今はなんとなく生活はできているけど、もういっこ上に早くいかなきゃな、っていうのはね。

飛永 やな話だな(笑)。

大水 なかなか50歳のおじさん、学園祭に呼ばれなさそうじゃないですか。実際の仕事のリミットは50歳ギリだよね。

――実行委員の学生さんが、しゃべりづらくなりますもんね(笑)。

大水 昔はそれ40歳だったんだけど、だんだん上がってきたというのもある。だから、それでいいわけじゃなくて、そのままだとヤバイから、早くどこかで切りたい。それこそ全国ツアーでお客さん増やして、人に頼らずとも食えていける場所をつくらないと。今はそうやって、もがく時期なのかな、という気がしますね。

飛永 個人的には、去年HKT48さんの企画で映画監督をやらせてもらったり、「サンリオピューロランド」の「ぐでたまショー」で脚本を書かせてもらったり、そういうのも楽しかったり、手応えがあったりするんですけど、それをやるためにはやっぱりコントがおもしろくないと……という気持ちですね。おもしろいコントやってるから別のジャンルに呼ばれてるわけであって、コントはちゃんとやっていかなきゃなって思います。

大水 やりたいというよりも、やっていかなきゃなーですね。

――売れるって、どういうイメージですか? お2人の中で。

飛永 事務所に入った当時はやっぱり『めちゃイケ』や『はねる』のような、テレビでコントをやって、有名になって……が黄金ラインでした。なれるもんなら、そこになりたかった。うちの事務所の先輩もいい感じだったし。『エンタ』やってる頃はネタ番組もいっぱいあったんで、それでいけたんですが、今、ネタ番組も呼ばれずらくなってきて。俺たち新鮮味もないし。

大水 ちょうど呼ばれずらいんですよね。若手のフレッシュさはないし。かといって、『ENGEIグランドスラム』みたいなすごい人たちより、ちょっと下にいるというか。毎回言われるのは「(キャスティングで)名前は出てるんだけど、最終的に会議で落ちちゃいました」みたいな。絶妙な位置にいる。そういう意味では、J2みたいな感じ。天皇杯を獲ればフィーチャーされるけど。

飛永 リアルな話だな。

大水 かといって、J1に上がっちゃうと下位という、複雑な心境もあるんですけれど、J2上位の今の位置の方が、安定してるなみたいな気持ちもあるし。

――ラーメンズのように、テレビという枠から外れて売れるというやり方もありますよね。

大水 そうですね。そんな売れ方のラインがあるんだ、みたいに思いましたよね。どうなんだろう。そうなれたらいいですが……どこかで、2人とも「カリスマ性がないな」という気持ちがあるんですよ、自分たちに。カリスマ性があるように見せる、自己プロデュースも必要じゃないですか。あえてカッコつけてみせるとか。そういうのもあんまりできないし、なかなか。慎ましいんだよな(笑)。

――お2人とも、お姉ちゃんが2人いると伺いましたが、「末っ子長男」気質というのも、なんらか影響してますかね?

飛永 ああ……あると思いますよ。「われが、われが」じゃない感じは。

大水 どこかで、お兄ちゃんタイプの人を味方につけないと、もういっこ上にはいけないなっていう気持ちは、ずっとありますね。すでに自分たちのベストは出してる。ずっと出し続けてるので……!!
(取材・文=西澤千央)

●「ラバーガールベストネタライブツアー 爆笑オンステージ」

2018年7/23(月) in 福岡@スカラエスパシオ
18:30開場 19:00開演

7/25(水) in 広島@広島YMCA国際文化ホール
18:30開場 19:00開演

7/27(金)・28(土) in 大阪@ABCホール
27(金) 18:30開場 19:00開演
28(土) 11:30開場 12:00開演

★特別公演「ラバーガールと仲間たち ネタ&企画の爆笑オンステージ」
28(土) 16:30開場 17:00開演
この公演は、ラバーガールが仲の良いゲストしずるとラブレターズを迎え、各コンビのネタと企画が盛りだくさんの内容でお送りします。
※ラバーガールは、27(金)と28(土)昼公演では披露していないネタを披露する予定です。

8/4(土) in 金沢@石川県教育会館
16:30開場 17:00開演

8/5(日) in 新潟@新潟県民会館 小ホール
17:00開場 17:30開演

8/12(日) in 青森@BLACK BOX
16:30開場 17:00開演

8/13(月) in 仙台@仙台市福祉プラザ ふれあいホール
17:30開場 18:00開演

8/16(木) in 東京@座・高円寺2
 18:00開場 18:30開演

詳細はこちらから
http://www.p-jinriki.com/event/2018/07/004101.php
◆一般発売日7/1(日)10:00~
◆チケット取扱い イープラス
http://eplus.jp/rubbergirl/
◆チケット料金 前売り3,200円/ 当日3,700円
※消費税込、各手数料別、全席指定

お問合せ:
プロダクション人力舎
http://www.p-jinriki.com/

●ラバーガール
飛永翼(上)と大水洋介(下)からなるお笑いコンビ。2001年結成。2010年・14年『キングオブコント』決勝進出。

「私はブスなのではないか」容姿コンプレックスに苦しむ大人が増加、“終わらない思春期”問題

 妹・有村架純に対する、劣等感を赤裸々に明かし、現在バラエティでの露出を増やしている姉・有村藍里。姉妹間の容姿コンプレックスをテーマに、兄弟姉妹間と容姿、それぞれのコンプレックスについて、精神科専門医である銀座泰明クリニックの茅野分(ちの・ぶん)先生に解説いただいた。後編では、コンプレックスの背景、向き合い方を掘り下げる。

(前編はこちら)

――先ほど「若い女性にとって、“美しさ”は絶対的な価値観」と言われていましたが、容姿コンプレックスは、若い時期特有のものなのですか?

茅野分氏(以下、茅野) 思春期まではどうしても生じます。ある程度、思春期を越えて、青年期、大人になって自己や他者を客観視できるようになり、割り切って物事を見られるようになれば、おのずと減少していくのが普通です。ただ、最近では、大人になってからもコンプレックスに苦しむ人がいるようですね。

 20年ほど前は、大体18歳くらいまでと考えられていた思春期が、今では30~40歳に延びていると言われています。原因として、親の過保護や過干渉により子どもが独立できなかったり、非正規雇用などで収入が得られずに実家で暮らさざるを得なかったりということが考えられます。つまり、まだ思春期が終わっていない……“終わらない思春期”の人が多くなっているんです。過度にコンプレックスに悩む大人は、もしかしたら“終わらない思春期”なのかもしれません。

――青年期以降になっても容姿コンプレックスが消えない場合は、どうすればよいのでしょうか?

茅野 さまざまな心理療法を試してみたり、容姿コンプレックスを抱いている対象者と“距離”を離してみたりすることが有効です。物理的に距離をあけてしまえば、周りから比べられる声も聞かずに済みますからね。そして、女性の場合は40歳を過ぎるとエストロゲン(女性ホルモンの一種)が低下し、おのずとそうした葛藤も消えていくことが多いですから、無理をして解消しようと思い詰めなくてもいいと思いますよ。

――有村藍里さんと有村架純さんは“芸能界”という同じ土俵に立っているから余計に比べられてしまうのかもしれませんね。

茅野 そうですね。しかし、同じ土俵だからといって同じ戦法で戦わなければいけないわけではありませんよね。芸能界に入れているくらいですし、日々努力をしている藍里さんは、もうすでに美人だと思うのですが……。容姿だけにこだわらず、何かプラスアルファ――“容姿”ではなく“能力”を磨くことを考えていくしかないと思います。

――兄弟姉妹間のコンプレックスも、容姿コンプレックスも、両親の愛情が影響しているんですね。

茅野 ご両親が分け隔てなく愛情を傾けられたら、それが一番良いのです。しかし、親だからと言ってなんでも完璧にできるわけではありませんから、なかなか難しい問題。可愛く出来の良い子に愛情が向く親もいれば、出来が悪く手のかかる子に愛情が向く親もいます。

――親からの愛情をしっかり受け止めていれば、こうしたコンプレックスを抱きにくいのでしょうか?

茅野 醜形恐怖に関しては発症しにくいかもしれませんが……親が愛情を注ぎすぎて過保護・過干渉な状態になってしまうケースもあります。過保護・過干渉の多くは、「私のようになってほしくない」「私の果たせなかった夢を果たしてほしい」などの母の気持ちが重くのしかかり、子どもがプレッシャーやストレスで精神を病むんです。

――ちなみに、兄弟間ではどういったコンプレックスが起こり得るのでしょうか?

茅野 姉妹間に比べ、兄弟間では“容姿”よりも、“学歴”“年収”“勤め先”などで比べられがちで、どちらかというと幼少期より、大人になってからそのようなコンプレックスを抱くことの方が多いようです。

――姉妹間の容姿コンプレックスは、例えば姉の立場で言うと「私はブス・妹は可愛い」というケースを想定しがちなんですが、逆に「私はカワイイ・妹はブス」というのもまた、容姿に“執着している”という点では同じコンプレックスと捉えてよいのでしょうか?

茅野 同じです。“ありのままの自分”を自分で愛せないことから、人と比べて「私はカワイイ」と自分を作り続けてしまうわけです。それは自己陶酔などではなく、自分自身は無力で価値がなく、何の取り柄もない無意味な存在であるという“劣等感”があるからではないでしょうか。これは専門用語でいうと“自己愛性パーソナリティ障害”と言います。

 「自分が自分であればよい、自分は自分以上でないし、自分以下でもない」という気持ちが持てることを目標にすべきですが、ただ、姉妹間の容姿コンプレックスは姉妹だけの問題ではなく、やはりご両親や周りの環境も多大に影響してくるので、「これを改善すればいい」と一言で言えないのが現状です。

――なかなか根深い問題ですね。

茅野 しかし、容姿コンプレックスにかぎらず、「コンプレックスは決して悪いものじゃない」ということを知っておいてほしいです。コンプレックスがあるからこそ、それを糧に頑張れたり、解消するために努力したり。例えばスポーツ選手では兄弟・姉妹で活躍されている方々も多いと思いますが、成長期に関していえば、早く生まれて体格・知能ともに発達している兄や姉の方が当然優位ではあるものの、弟や妹はその背中を追って成長していく。そして、兄や姉に負けまいと頑張ってきたらいつのまにかメダルが取れていた……などの逸話がたくさんありますよね。

――確かに、お笑い芸人の尼神インター・誠子さんも双子の妹に対して強い容姿コンプレックスを抱いていたそうですが、それが糧になりお笑い芸人を目指し、見事夢を叶えられましたよね。

茅野 そうですね。要は、“生かし方次第”ということです。コンプレックスを抱えるのは人として当たり前。ただその思いに呑み込まれないようにして、うまく付き合っていければいいですね。
(取材・文=ヨコシマリンコ)

茅野分(ちの・ぶん)
銀座泰明クリニック院長。群馬大学医学部卒業後、同大学付属病院、前橋赤十字病院、佐久総合病院にて、精神医療・身体医療、救急医療・地域医療等に従事。慶應義塾大学病院精神神経科で診療、社会精神医学の臨床・研究に取り組む。同大学大学院修了後、銀座泰明クリニックで診療。
銀座泰明クリニック公式サイト

有村藍里が、妹・架純に劣等感抱くワケ――精神科医が語る、姉妹間の“容姿コンプレックス”

 姉や妹に対して、容姿に差があると感じ、コンプレックスを抱いたことはないだろうか。それは、しばしば芸能界でも見て取れる時がある。女優・有村架純の姉である、タレント・有村藍里は、テレビで妹に対する強烈な容姿コンプレックスを明かして一躍話題となった。

 藍里は、架純について、「(鼻の下に縦線を描くというメークをすると)ちょっと妹に似てるって言われる。遺伝子的にも、妹が私の中ではかわいいの最上級。一番なれそうな位置なので、描いたら似るなら描こうかな」「妹と比べると声くらいしか似ている部分がない」「妹は可愛い」などと発言。こうした藍里の言動に対し、姉妹のいる女性からは「気持ちが痛いほどわかる」「同じ親から生まれたのに……って悩んだことある」といった共感の声が多く上がっている。

 そもそも、“姉妹間の容姿コンプレックス”はなぜ生まれるのか? また、悩んでいる女性に救いはないのか? 今回、精神科専門医である銀座泰明クリニックの茅野分(ちの・ぶん)先生に話を伺った。

コンプレックス=生存競争?

――有村藍里さんが「妹の方が可愛い」といった気持ちを吐露したように、姉や妹に対して容姿コンプレックスを抱く女性の心理的状況をどのように感じますか?

茅野分氏(以下、茅野) まず、広く兄弟姉妹間でのコンプレックスとは、一言で言うと、「同胞葛藤(どうほうかっとう)」なのではないでしょうか。「同胞葛藤」とは、親の愛情を求めて、兄弟姉妹間に生じる心理的な葛藤のこと。姉として、妹を可愛いと思う半面、容姿や親の愛情の違いなどで劣等感を抱いたり、妬んだりしてしまいます。

――「同胞葛藤」はどのように生まれるものなのでしょうか?

茅野 今でこそ少子高齢化といわれていますが、昔は兄弟姉妹が5~6人いるのが当たり前でしたから、その中で“どうすれば親の愛情を受けられるか”“どれだけの食事を得られるか”“どれだけ教育的な支援を得られるか”などという、いわゆる生存競争がありました。昭和の高度経済成長期、1940年代後半から50年代前半くらいまでの人にとって、「同胞葛藤」というのは、兄弟姉妹間での生き残りをかけた中で生まれるものだったわけです。

――現代ではどうでしょうか?

茅野 現在は出生率が1.5を切っていますから、ほとんどが1人っ子の家庭ということになります。ですから、必然的に「同胞葛藤」は減っています。これから10~20年後の家庭ではさらに「同胞葛藤」は減っていくでしょう。兄弟姉妹間におけるコンプレックス問題は最後の時代にきているのではないかと思います。

――藍里さんと架純さんは、現代を生きる2人姉妹なのですが、にもかかわらず容姿コンプレックスを抱いてしまうというのは、どういった背景があるのでしょうか?

茅野 お二人に当てはまるかは断言できませんが、“幼少期から親御さんのかける愛情の度合いが異なっていた”というケースは多いですね。娘さんが2人いたら、親御さんは、たとえどちらかが可愛かろうが、優秀であろうが、同等に扱うべきなのに、そうではなかったのかもしれません。もちろん、親御さんの教育的な配慮がなされていたのにもかかわらず、小学校、中学校とあがっていくうちに、親戚や友達などとの関わりも増え、そういう近い人たちに姉妹間で比べられたり、心無いことを言われてしまうと、やがてそれがコンプレックスになることもあります。

――友達より姉妹に対してコンプレックスを抱きやすいのでしょうか?

茅野 ケースバイケースでしょうが、より身近にいる姉妹の方が大きいのかもしれませんね。もちろん、個人差はありますから一概にとは言えませんが、特に、歳が近いとどうしても比べられてしまう、その分、コンプレックスを抱きやすくなるという背景はあると思います。

――一方で“容姿”コンプレックスとは何かについても、詳しくお聞きしたいのですが。

茅野 若い女性にとって、“美しさ”は絶対的な価値観と考えられがちで、美しくなるために多くの時間と労力、お金を費やす方がいます。決して醜くないのにもかかわらず、人と比べ自分がブスだと思い込んでしまう……それが容姿コンプレックスです。ひどくなると「醜形恐怖」と言われ、自分の容姿容貌が醜いのではないかと恐れ続ける心の病気につながるケースもあります。

――病的なまでに容姿コンプレックスを感じてしまう精神状態=「醜形恐怖」ということでしょうか?

茅野 彼女たちに共通する精神状態として、“ボディイメージの障害”があります。彼女たちは、“否定的な自己像”を抱いており、常に「自分はブスなのではないか」「太っているのではないか」「周りから受け入れられないのではないか」などと恐れ、悩んでいます。そして、周囲の視線を過剰に気にして“対人恐怖”となってしまい、自分の顔・形を変えることに執心するようになります。

――例えば、整形を繰り返してしまうとか。

茅野 はい。しかし、整形手術を契機に生まれ変わったように人生が明るくなる方もいらっしゃるようです。私の大学時代からの友人に、湘南美容外科の相川佳之先生がいますが、彼いわく「心療内科医や精神科医と同じように、僕らは美容整形外科手術を通して患者さんの『心』も治療している」とのことで、整形によって気持ちが満たされ、容姿コンプレックスが改善されるなら、それも1つの手だと思います。

―― 一方で、他者から見て明らかに不自然なほど整形を繰り返し、にもかかわらず「もっと手術をしてほしい」と執着してしまう人もいますよね。

茅野 キレイになっているのにもかかわらず、自分を客観視できなくなってしまうということですね。「自分はブスなのではないか」という思い込みから逃れられなくなってしまう。醜形恐怖とは、さまざまな要因が重なってなることもあるので一概には言えませんが、幼少期からの両親との愛情関係が影響するとも言われています。

(後編につづく)

「男性も楽になる」ジェンダー論はおかしい――女性を“わかってるふう”の男性の問題点

 「男以上に成功してはいけない」「女は馬鹿だ」「家事も育児も女の仕事」といった、男性社会から求められる女性の生きづらさをつづった『「女子」という呪い』(集英社クリエイティブ)を上梓した、作家の雨宮処凛さん。男性視点でジェンダーを研究している社会学者の平山亮さんとの対談の前編では、男女の生きづらさの定義や、男性の受け身性について語ってもらった。後編では、どうすれば女性の生きづらさを男性は理解することができるのかに迫る。

前編はこちら:男女の“生きづらさ”の違いとは? 「共に被害者」という主張が強くなっているジェンダー論

■女性は過剰に責任を取らされてきた

平山亮さん(以下、平山) ジェンダーは非対称で、性被害者であっても、女性は過剰に責任を取らされてきました。だからある意味「あなたは悪くないんだよ、呪いのせいだよ」と、いったん責任を解除してあげる必要があります。逆に男性は「性欲のせいだ」と主張すれば受け入れられたり、責任を取らずに済ませてもらえる言説の方があふれているので、それ以上、責任を解除してあげる必要はないと思います。

 女性性の規範で女性がつらいというのと、男性性の規範で縛られて男性がつらいというのを同列に並べるのは危険です。男性のほうに同じように解除をしてあげると、ますます「男性性のせいだから本人に責任はない」という流れができて、男性に甘くなってしまう心配があります。

雨宮処凛さん(以下、雨宮) 「女性は過剰に責任を取らされてきた」とおっしゃいましたが、こんなことを思ってくれる男性って、きっとほとんどいないと思います。「俺らが責任を取ってきて、女は俺らの陰にいて守られてきたのに」くらいに思っている人が多い気がします。ゴミ出しをしても被害者意識、皿を洗っても被害者意識、痴漢をしても被害者意識……。

平山 そう。男性はとことん“被害者”できたから、もう少し加害性のようなものを見つめてくれないと変えられないんです。雨宮さんの本の中にもありましたが、男性に責任を取らせないようにしている女性もいます。

雨宮 そうしないとモテないとか、生きていけないという圧力もありますからね。でも、男性をうまくおだてて気持ち良くさせて家事をやらせるって、なんでそこまでサービスをしなきゃいけないのか、とても不思議です。

平山 最近はジェンダーやフェミニズムの話をすると「男性にも役に立つから」とか「これは男性にとっても楽になるから」といった話を入れないといけないというか、「男性の苦労もわかった上で話しています」と言わないといけないモードがあります。私はそれがすごく気に入りません。

雨宮 そういうことを言わないと、男性は聞く耳を持ってくれないですよね。

平山 でも、聞く耳をもたせるために使った「男性にも役に立つから」ということを悪用しだす人もいるんです。以前、お会いした女性運動家の方が講演に行った際、男性になんとか話を聞いてもらいたくて、男性の生きづらさについても語ったんですって。そうしたら、逆に「男だってつらいんだから被害者だ」と男性が言い始めて、手に負えなくなったという……。その方は、男性にもジェンダー問題に関心をもってもらおうとすごく頑張っていたのに、逆効果になってしまったことについて、すごく申し訳ないと思っているんです。

雨宮 女性としては、そういう男性にこそ、変わってもらいたいと思っているんですよね。でも、麻生太郎財務相をはじめ、“なぜセクハラはいけないのか”というところから理解できない男性がけっこういます。どんな男性なら、わかってくれるのでしょうか?

平山 ハラスメントや性暴力が起こった際、割とわかっているふうの男性って、「暴力を振るわない僕たちが、暴力を振るう男をなんとかしようモード」になることが多いです。でもおそらく、女性が期待しているのは、必ずしもそこではありません。性暴力事件だけでなく、普通のカップルの間でも、同意のない性交渉などは起きているかもしれないんです。普段男性のしていることが、いかにハラスメントや性暴力と地続きなのかを理解させないといけません。

 今どきの男性って、露骨なセクハラ発言はしないかもしれませんが、「セクハラをするのは異常な男性だけ、正常な僕らは女性の気持ちをわかってあげられる」と「自分だけは大丈夫」と思っている人もいます。でも、本当に考えなければならないのは、普段男性がやっていることが、本当に女性軽視になっていないかということです。例えば、女性軽視のメンタリティという点で、「正常な僕ら」と痴漢をする「異常な男性」は、そこまで違わないかもしれない、ということから考えないといけません。

 少し前に、女性専用車両に乗り込んで女性を攻撃する男性軍団が話題になりましたよね。あれを見て、「なんで私はあの軍団の中にいなかったのだろう?」と思ったことがありました。あの人たちは男性が感じる理不尽さをため込んで、女性を攻撃する方向に行ってしまった人たちです。辛うじて私はそちら側へは行かなかったけど、男性性と折り合いをつけられない私とあの人たちは、ほぼ紙一重だったのではないかなと感じています。何のきっかけで女性を攻撃する側に回るかはわかりません。

――女性専用車両に乗り込んで攻撃する男性と、平山さんの違いは何ですか?

平山 それを次に書こうと思って、まだ考え中です。でも、そういうふうな問いかけをしないと解決しないのではないかなと思っています。

平山 日本は一見近代的に見えるのですが、女性差別のような価値観は変わらないところがすごい国だと思います。しかも、その不当性を訴えることが“ワガママ”という捉え方をされるじゃないですか。「みんな我慢しているのだから、1人だけ言ってはいけない」というところがありますよね。言いづらいし、言いづらい雰囲気を誰も変えてくれない。

雨宮 中国の女性に「日本は先進国だと思ってたのに、日本の女性が世界で一番かわいそうだ」と同情されたことがあります。中国では結婚後も共働きの人が多いですが、男性も普通に家事をするそうです。日本人は中国と同じように共働きも多いのに、女性の負担が大きすぎて、求められるものが多すぎると。

平山 「性差別がおかしい」と言える雰囲気が日本はまだ全然作れていなくて、結局それは男性側の問題です。「女性が困っている」「女性差別は不当だ」という声は散々あちこちにあるわけで、それを「ヒステリーだ」とか「男性のことを理解していない」と、おとしめてきただけ。

雨宮 女性が怒っても、「生理中だから怒っている」とか、「更年期障害だから怒っている」とか、そんな言葉で済まされてしまうので、言うだけ辱められるんですよね。

平山 言えば叩かれ、言わなかったら言わなかったで「別に現状で問題ないってことじゃん」とされてしまう。少し語弊があるかもしれませんが、変な話、そろそろ男性はドMになりましょう。「痛い話」に快感を覚えなくてもいいけど、「痛い話」にわめき立てず、いったん丸ごと受け入れられるようにならないと。

雨宮 でも、それくらいの気持ちになってくれて初めて、ようやくちょっとだけわかったと思える程度ですよね。

平山 そう。ジェンダーの話って、男性に聞こえがいいはずがないんです。だから、なんとか男性に聞かせようと男性の生きづらさや、男性にとっても得なんだよというエピソードを付け加えて聞かせようとしている人もいますが、そもそも論として、男性にとって聞こえのいいジェンダー論って何かおかしいという前提でいたほうがいいです。だから、「耳の痛い話かもしれないけど、一回聞いて」「別に反応したり批評したりしなくていいから、黙って聞いて」と思います。

雨宮 男性にとって一番難しいですね。

平山 そこをなんとか聞かせる方向で頑張りたいですね。

雨宮 男性にとって耳が痛い話って、女性にとってはどういう話になるんですか? 私が男性だったら、おそらく自分が責められているような気分になって、#MeTooにすごくドキドキすると思うんです。怒られる、責められる、自分のキャリアをすべて失うということにおびえているから、逆ギレするような感じになるのではないかと。

平山 私のイメージだと、女性のほうがつらい話が多くないですか? 男性がキャリアを失うのではないかとおっしゃっていますが、この本だって雨宮さんは「書くのが怖かった」と書かれていますよね。女性がジェンダー問題を訴えるのは、別にのびのびとやっているわけではないことを男性はわかっていません。叩かれるかもしれないし、身近な男性から嫌われるかもしれない。女性がジェンダーの話をすると「ワガママを言っている」と言われがちですが、本当は逆で、いろんな恐怖に耐えて言っているので、雨宮さんはすごいと思います。男性の私がジェンダーに関して本を出すのは簡単なんですよ(笑)。

雨宮 そんなことはないです! まず、男性のジェンダー論自体をなかなか聞き出せないですよね。

平山 私が『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)を書いたとき、男性からは反応が薄かったんです。多分、「痛っ!」って思っているんだけど、言い返さない。黙らせたからOKとは思っていないのですが、少なくとも「男のほうがつらいんだ」と反論されにくいのだとしたら、どんどん男性のほうがジェンダーに関して言わないといけないところがあります。

 でも、これは私も気をつけようと思っているのですが、男性である自分の声のほうが通りやすいから、“救世主”のような気分になってしまう、はた迷惑な男フェミニストも一部います。

雨宮 はた迷惑な男フェミニストでヒロイズムに燃え上がっちゃっている人って、一番厄介かもしれないですね。

平山 ヒロイズムに燃える男フェミニストは、結局“男性がいないとダメな世の中”にせずにはいられない、フェミニストぶった家父長制みたいな感じですよね。理想は「いてもいなくてもどっちでもいい男」だと思います。昔は生存戦略として結婚が必要でしたが、今はうっとうしい男が増えてきて、女性がのびのび生きようとするのを邪魔する。結局、生存戦略的にはいなきゃいけないか、いてくれないほうがむしろ生きやすいか、その両極しかありません。だから、男が「いてもいなくてもい」になって初めて、女性と男性は自由な関係をつくれる。

雨宮 自分の親世代までは、配偶者がいないとなかなか生活ができませんでしたが、「いてもいなくてもどっちでもいい男」を実現するためには、まずは女性が自立できる社会が整っているということですよね。そしたらいつでも別れられますし、シングルマザー=貧困でなくなります。一番いい男は、女性の人生を邪魔しない人ですよね。
(姫野桂)

雨宮処凛(あまみや・かりん)
1975年生まれ。作家、活動家。バンギャル、右翼活動を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』(筑摩書房)でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ!難民化する若者たち』(同)はJCJ賞受賞。反貧困ネットワーク世話人。著書に『非正規・単身・アラフォー女性 「失われた世代」の絶望と希望』(光文社新書)など多数。

平山亮(ひらやま・りょう)
1979年生まれ。東京大学文学部、同大学大学院人文社会系研究科修士課程を経て、オレゴン州立大学大学院博士課程修了。専門は社会学、ジェンダー論。東京都健康長寿医療センター研究所、福祉と生活ケア研究チーム研究員。現在は中高齢期の親子関係と高齢者介護をテーマに、男性とケア/男性のケアの問題を研究中。主な著書に『迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から』(共著・光文社新書)、『きょうだいリスク』(共著・朝日新書)。

男女の“生きづらさ”の違いとは? 「共に被害者」という主張が強くなっているジェンダー論

 昨年、世界経済フォーラムが発表した、世界各国における男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は世界144カ国中114位。過去最低だった前年の111位よりさらに後退した。この指数にも表れているような、数々の女性の生きづらさの事例を、作家の雨宮処凛さんは著書『「女子」という呪い』(集英社クリエイティブ)でつづっている。その雨宮さんと、著書に『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)があり、男性視点でジェンダーを研究している社会学者の平山亮さんに、社会が男女に求める矛盾や男女の生きづらさについて語ってもらった。

■男らしさや女らしさは、周りの人とのやりとりの中で押し付けられていく

――まずは、雨宮さんが考える「女性の生きづらさ」について、あらためて教えてください。

雨宮処凛さん(以下、雨宮) 『「女子」という呪い』の裏表紙の帯にも書いてありますが、「男以上に成功するな」とか、「女は馬鹿なほうが可愛い」とか、「男の浮気は笑って許せ」などと言われ、小さい頃からそうした概念を刷り込まれている一方で、仕事をして自立しつつ、結婚・出産をして家事も育児もするのが当然だとするダブルスタンダードがあります。人間としての幸せと女性としての幸せのラインが分かれていて、どちらを取るかを常に迫られながら、どちらも実現しろという圧力もある。また、結婚によって名字が変わるのも女性というのが、まだまだ一般的です。

 私が特につらかったのは、女同士のマウンティングです。持っているブランドとか彼氏のランクだとか、そのような格付けの同調圧力のようなものに、10代、20代の頃は苦しめられました。また、セクハラであっても、自分のせいなのではないかと口を封じてしまうことがあります。そのようなもの全般が、女性の生きづらさだと思っています。

平山亮さん(以下、平山) 私が雨宮さんの本を読んで鋭いなと思ったのは、男らしさや女らしさは、周りの人とのやりとりの中で押し付けられていくと書かれていることです。ジェンダーの話は、男らしさ規範や女らしさ規範が空から突然降りてくるかのように書かれていることが多いのですが、雨宮さんは、規範を日常生活にしつこく持ち込んでくる誰かがいること、特におっさんが女らしさについてケチをつけてくるのだということを書かれていて、私はとても納得しました。

――平山さんは著書の中で、男性の生きづらさと女性の生きづらさは比較できるものではないと書かれています。この点について、詳しくお聞きしたいです。

平山 多分、自分の意のままにならないことをなんでも「生きづらさ」と言ってしまって、「生きづらさ」という言葉を乱用している人が一部いるんです。社会が求める「男性は家族を養ってナンボ」という男らしさの規範を達成できないことを「生きづらさ」と言っている人がいますが、家族を養ってナンボという規範をよく考えてみると、要は「家族を自分の支配下に置かせたい」ということです。

 だとすると、例えば男女の賃金格差がはっきりあって、男性と比べて女性が1人で生きていくのが難しいという生きづらさと、男性が家族を養ってナンボという規範を達成できないままならなさというのは、少し違っています。生きづらさという言葉が幅広く受け取られることによって、本当は一緒にしてはいけないものまで一緒にしている人がいるということを私は危惧しています。最近のジェンダー論では、「男性も女性も共に被害者である」という主張が、わりと強くなっているように感じます。

雨宮 男女とも被害者であると訴えるほうが、多くの人から支持を受けますよね。

平山 雨宮さんは、そのような傾向をどう考えてらっしゃいますか?

雨宮 この本を出した際のイベントでお客さんに接したとき「男のほうがつらいんだ」とか「男のつらさもわかってくれ」という意見は多くいただきました。でも、そうやって言える男性はまだいいと思います。確かに、男性は、男性にしかされないハラスメントを受けることもあります。例えば上司にキャバクラや風俗への同行を強要される、大量の飲酒を強いられる、上半身裸になるなど宴会芸をさせられたり、靴に注いだビールを飲ませるという会社もありました。本人からすると死ぬほどつらいのに、みんなが笑っているからその空気を壊せない。宴会芸などを喜んでやる男性も中にはいますが、本当につらい人でも「男らしくない」「男のくせに」と黙らされてしまいます。

 とても雑な言い方をすると、男性に求められているものは「働け、稼げ、以上」という感じがします。女性の場合はいろんな道があるからこその生きづらさですが、男性は働いて賃金を獲得しないと生きる価値がないということが前提になった上で、ひとつしかない道の生きづらさです。ひきこもりに男性が多いのも、そのことと関係があるでしょう。だから、生きづらさにおいて比較はできません。「男だってつらいんだ」という反応が来るのはわかりますが、「どっちがつらい合戦」をやっても絶対に答えは出ないでしょうし、それはあまり意味がないことだと思います。

平山 先ほど雨宮さんがおっしゃった、男性にしか起こらないハラスメントのお話で思い出すのが、私の個人的な体験です。私は全然覚えていないのですが、初めて幼稚園に行って帰宅したとき、親に「怖い」と言ったそうなんです。男の子たちは普通に遊んでいるように見えるのだけど、実はすごくお互いを牽制し合って、自分のほうが上であると誇示しようとしていたことを「怖い」と言ったようです。遊びモードの中で相手を抑えつけることが普通に行われていて、笑いに変えてしまっているところがあるので、男性のハラスメントは見えにくいです。

雨宮 平山さんの著書『迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から』(光文社新書)の中で、弱音も含めた介護の話ができる男性同士の友人がいる人もいれば、全くいない、逆に男友達に会うと惨めに思えて傷つくという人もいると書かれていましたよね。なんかすごくわかるというか、親戚のおじさんなんかを含めた年配の男性の会話を見ていると、「俺のほうが偉いんだ」という競争ばかりで、かわいそうになるくらい貧しいコミュニケーションだなと感じます。

平山 コミュニケーションが貧しいし、独り言合戦のようですよね。自分はこういうことを知っている、僕はもっと知っているという話ばかりで、あまり自分がどう思っているかを話すことを訓練されてきていないような。

――そのような男性による牽制は、大きな社会問題にまでなった、日大アメフト部の選手が、監督の指示で関西学院大学の選手に違反タックルをしかけた事件にも通ずるよう思えます。ネット上では、この選手と同様のパワハラ被害者として、元TOKIOの山口達也によるわいせつ事件被害者の女子高生と比較するツイートが話題になっていました。女子高生には「(もう大人なのに)男の部屋に行く女子高生が悪い。自己責任だ」という二次加害が見受けられる一方、選手には「まだ20歳なのにかわいそう」と同情する意見が多いということを並べて、男女の非対称を訴えているのですが。

平山 私はあまりネットに詳しくないので、正しく理解できているかどうかわからないのですが、山口事件の被害者の女子高生と、日大アメフト部の学生を比較できるのだということにびっくりしました。というのは、アメフト部の学生は確かに上からの圧力は受けましたが、加害者になってしまったわけです。けれど、山口事件で被害に遭った女子高生に加害性は一切ありません。女子高生と違反タックルを受けた関西学院大学の学生を並べるのならわかりますが、加害性のない女子高生と日大アメフト部の選手を並べてしまうことが怖いなと感じています。

 これは男女の問題だけではないのかもしれないのですが、「マジョリティ特権」というのは、責任を解除してもらえるというか、自分がやった行為や自分が置かれた状況を説明するための理由を周りが勝手に用意してくれることだと思うんです。だからそういう点で見ると、男性と女性はとても対照的で、男性は「妻の頼み方や言い方が悪いから、家事をやる気がなくなった」と言いますが、女性は「自分の頼み方や言い方が悪いから、家事をしてもらえない」と言います。

雨宮 言い方が悪いからやる気なくなるって、甘え腐ってるというか……。

平山 性犯罪をめぐっても「防御しなかった女性が悪い」というふうに、過剰なまでに全部が自分の責任であるという“主体”にならされる女性と、責任主体にならず「露出の多い格好で歩いていた女性が現れたからやってしまった」というふうに、あくまで男性を“受け身”に置く説明が幅を利かせている。だから、男性の受け身性のようなものは、すごく理解してもらいやすい傾向にあります。そうすると、アメフト部の選手も「上から言われてやらされたんだよね」という共感がすっと降りてくる。だけど、女性の場合そのようなことは許されず、あくまでもその女性の意思とか判断というのが原因に求められます。

雨宮 その通りですね。被害を受けた女子高生のほうは、完全に受け身です。

平山 男性は自分から能動的にやらなければいけないといった規範があるように言われていますが、一般的に男性の行動は、いつも受け身で理解をしてもらえるんです。
(後編へつづく)

(姫野桂)

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

 「表現の自由はどうなるんだ」「現実とフィクションの違いもわからないなんて」「じゃあサスペンスドラマも全部放送中止だね」――テレビ朝日が6月18日、7月開始予定の連続ドラマ『幸色のワンルーム』の放送を取りやめることを発表した途端、ネット上には、こんな激しい言葉が飛び交うこことなった。

 同ドラマの原作は、もともと2016年9月より『世の中いろんな人がいると言う話』というタイトルでTwitterに投稿された作品で、翌17年2月からは漫画サイト「ガンガンpixivコミック」にて連載が始まり、コミックスは重版含め累計75万部を突破している。

 両親から虐待、同級生からイジメ、教師から性的暴行を受け、行き場を失った14歳の少女が、ある日、マスク姿の“お兄さん”に誘拐され、“幸”という名をもらい、同居生活を送る――というストーリーだ。原作漫画が公開されているサイトでは、「その日、少女は誘拐された。しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。 少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?」といったあらすじ紹介が確認できる。

 今回、テレビ朝日が放送を取りやめた背景には、同作が、「実際の誘拐事件をモチーフにしているのではないか」「被害者を傷つける」「誘拐を肯定している」などと批判されたことが関係するとみられる。ネット上では以前から、埼玉県朝霞市で誘拐された少女が2年の監禁生活を経て、16年3月に保護された事件を想起させるといわれ、原作のはくり氏は事件と作品は無関係だとしつつも、物議を醸していたのだ。

 しかし、ひとたび放送取りやめのニュースが流れると、一転してネット上には異論が噴出することに。あくまでフィクションの作品であり、これまでも犯罪を扱った作品は多数あるにもかかわらず、なぜ『幸色のワンルーム』だけ……といった論調で、『ルパン三世』『名探偵コナン』といったアニメ作品、また実際に起こった犯罪をモチーフにしたドラマや映画作品などの例を出し、「これらも放送してはいけないことになる」と声を上げたのだ。

 そこで今回、『幸色のワンルーム』の実写ドラマ化が発表された際、Twitter上で、“反対”を表明した弁護士・太田啓子氏に取材を行った。なぜ、同作を実写ドラマ化すべきではないのか、「あくまでフィクション」と主張している人が見落としている“視点”を詳しく解説してもらった。

 太田氏は、同作のキャラクター・幸について、「誘拐された方も喜んでる」という描かれ方をされていることに対して、疑問を抱いているようだ。

「『誘拐ドラマがダメなら、殺人ドラマも強盗ドラマもダメってこと?』と言う人がいますが、ここには決定的な違いがあると思います。殺人や強盗は『悪いこと』という共通認識、不動の前提がある一方、誘拐に関しては『悪いこと』と認識しない人がいるのです。例えば、現実で殺人事件が起きたときに、『殺害された方も喜んでる』なんて言う人はいませんが、女の子が誘拐されたとき、『誘拐された方も喜んでる』『家出した女子を家にかくまっただけ』『女子も男の心につけこんで、いい思いをしていた』などと言う人が出てきます。『誘拐は、被害者の意思に反している』『被害者は、怖くて誘拐犯から離れられなかった』という当たり前のことを、当たり前だと思えない人がいるのです」

 『幸色のワンルーム』のモチーフになったのではないかとされる朝霞市の事件でも、同様のことを口にする人はいた。少女が閉じ込められていたアパートの周辺は住宅街で、コンビニや交番などもあり、少女が1人でスーパーに買い物に行くこともあったなどと報じられると、「少女は逃げたくないから逃げなかった」といった声も出てきたのだ。しかし実際、「怖くて逃げ出せなかった」と少女は供述している。

 また太田氏は、「殺人犯」「強盗犯」と「誘拐犯」では、その行為自体への認知に違いがあると指摘する。

「現実の殺人事件、強盗事件の犯人は『これは人を殺す行為だ』『これは強盗だ』ということを通常は認識しているでしょう。その上で『こんなひどいやつは殺されて当然なんだ』『金に困っていたんだから仕方なかったんだ』『あいつは金持ちなんだから、これくらいとられてもどうってことないはずだ』などと、その行為を正当化したり軽く考えようとするようなことはあるかもしれませんが、行為そのものが『人を殺す行為だ』とか『無理矢理財産を奪う行為だ』という認識は普通はしているはずです」

 しかし一方で、誘拐犯はというと、「例えば、朝霞市での事件や新潟で女児を9年監禁していた事件などでは、犯人は『仲の良い友達として暮らしていた』『自分と一緒にいることを嫌がっていたはずはない』などという趣旨の供述をします。罪を軽くしたくて嘘を強弁しているというより、行為自体への認知が歪んでおり、本気でそのように思い込んでいるのではないでしょうか。強盗や殺人と違い、そもそも自分の行為が、被害者の意思に反する誘拐であること自体、認識していないことが往々にあります。行為自体への認知に歪みがあることが、よく見られるという点……それが、『殺人や強盗』と『誘拐』の重要な違いです」。

 例えば『名探偵コナン』や『ルパン三世』の中で描かれる殺人や強盗は、「殺人、強盗として描かれており『人を殺したけれど実は殺人じゃない』というような歪んだ認知に基づく描写はされません。ところが『幸色のワンルーム』では、幸が『お兄さんがしたことは誘拐だ』と言いつつも、それが幸の意思に反することだとは描かれていないのです。幸は、お兄さんと一緒にいることを喜び、肯定しているという描写になっています。これは、実際の女児誘拐犯が『こうであってほしい』と勝手に思い込んでいる歪んだ認知そのものの描写です」と、太田氏は述べる。

 太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者や一部の人が事件に抱いたであろう妄想を作品にしたものであり、「実在の被害者に対する中傷そのものだと思う」という。作者が「事件とは関係ない」といった発言をしている点についても、「本人が言えばいいっていう問題ではないですよね」と、太田氏は疑問を投げかける。

 実際、作品を発表したタイミング的に、同作と朝霞市の事件を重ね合わせる人は少なくなかった。作者としては、作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要なのかもしれない。

 太田氏は、ドラマ制作サイドの姿勢にも違和感を覚えたそうだ。ドラマの公式SNSが、女優・山田杏奈の写真に「#背景はお兄さんが撮った盗撮写真」「#1000枚近くあります」というハッシュタグをつけて宣伝活動を行っていたという。

「盗撮やストーキングは、人権を脅かすということが、現代日本では“共通認識になっていない”からこそ、ああいうことをすると思うんです。フィクションも世の中の社会規範を作っていくものなわけで、『好きな女の子を盗撮する、それも純愛の1つの形なんだ』という考えを肯定的に描くのはどうなのかと。社会規範を作るうえで、そういった影響を持ってしまう作品を“公共の電波に乗せる”のはよくないと思います」

 太田氏は、この“公共の”という点を強調し、「例えば、一部の人が楽しむ同人誌とは訳が違う。公共の電波に乗せるのは、表現者の社会的責任を伴い、おかしな社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と語る。

 表現者が考えることが重要

 同じ犯罪でも、「殺人」「強盗」といった確固とした社会規範があるものと、「誘拐」といった確固たる社会規範がないもので、その扱いを変えなければいけない――。太田氏の話からは、そんな公共の電波に乗せる作品についての指標が見えてくる。

「なぜ、誘拐における、歪んだ認知の肯定的な描写を問題にすべきなのかですが、どのような状況下であっても歪んだ認知を肯定的に描いてはいけない、とは思いません。現状の社会でその描写をすることの意味を、表現者が考えることが重要です。現実の事件の被害者への揶揄、中傷にあたるような表現は、同人誌のような閉じた空間であればともかく、公共空間で行うことは社会的に許されるものではないでしょう。例えば、すでに『性的な目的がある誘拐は悪い』『誘拐された側は、第三者と接触する機会があっても、怖くて助けを求められないのが当然。助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない』ということが、誰も疑わないような常識だ、というような社会であれば、また話は、違うかもしれないと思います」

 しかし、今の日本社会ではそうした“誰も疑わないような常識がない”のが実情だろう。

「現に朝霞の事件でそうであったように、『女子中学生も逃げなかったんだから一緒にいられてよかったんだろう』というようなことを誰でも見られるSNSなどで公言し、そう信じたい人たちが少なからず存在する社会です。例えば性的被害を訴えた場合もそうで、『本当は合意があったのにはめたんだな』などと、女性が被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気の社会の中で、『女児を誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか」

 『幸色のワンルーム』放送取りやめに異議を唱える人は、「同作に反対する人がどの点を問題視しているのか、把握できていないのではないかな、と思ってしまいます」と語る太田氏。

「表現の自由って批判をされない権利ではないし、公共の空間で何をやってもいい権利でもありません。また、重要なこととして、表現物発信における社会的責任意識を問うことは、公権力による表現の自由の弾圧とは違います。東日本大震災後、サザンオールスターズの桑田佳祐さんは、ライブ『TSUNAMI』を自粛していたそうですが、それは『自分の意図と関わりなく、大津波で家族を失うなど、つらい思いをしたファンに、自分の言葉がどう感じられるかを思いやった上での判断』だったのだと思います。これにも是非の論争はあるようですが、社会の中で生きる表現者としての1つの見識だと感じます。永遠に公の場で歌わないと決めていらっしゃるわけでもないでしょうし、社会の中で自分の言葉がどう受け止められるかが変われば、また違う判断をされてもおかしくないですよね」

 太田氏は、『幸色のワンルーム』放映に関しても「そういう、今の社会の中で自分が発信する表現物がどういう意味を持つか、どういう影響を与えるかという“社会の中で表現する者としての責任意識の有無を問うという範疇の問題”」であると考えているという。

「私も含め、放映を批判した人たちは、例えば法律をつくって、女児誘拐を肯定的に描くことを禁止しましょうなどということは言っていないのに、『表現の自由への弾圧』などというのは、議論の次元を誤解した的はずれな反応です。表現物や表現者のスタンスへの批判や論評も、表現の自由の行使ですしね。そうではなく、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのですが」

 『幸色のワンルーム』は、テレビ朝日での放送は取りやめとなったものの、制作した朝日放送では予定通り放送が決定している。こうした判断が下った背景について、「被害者少女が関東に住んでいるから、関西だけの放送になったのでは」と見る向きもあるが、「被害者の少女が見なければいいという問題ではない」と太田氏は指摘する。ドラマ開始後、再びこの問題は議論を呼びそうだが、果たして、どんな意見が飛び交うことになるのだろうか。

太田啓子(おおた・けいこ)
弁護士、湘南合同法律事務所。国際基督教大学を卒業後、2002年に弁護士登録(神奈川県弁護士会)。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバー。13年4月より憲法カフェを開始するほか、14年11月より「怒れる女子会」呼びかけ人。

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

 「表現の自由はどうなるんだ」「現実とフィクションの違いもわからないなんて」「じゃあサスペンスドラマも全部放送中止だね」――テレビ朝日が6月18日、7月開始予定の連続ドラマ『幸色のワンルーム』の放送を取りやめることを発表した途端、ネット上には、こんな激しい言葉が飛び交うこことなった。

 同ドラマの原作は、もともと2016年9月より『世の中いろんな人がいると言う話』というタイトルでTwitterに投稿された作品で、翌17年2月からは漫画サイト「ガンガンpixivコミック」にて連載が始まり、コミックスは重版含め累計75万部を突破している。

 両親から虐待、同級生からイジメ、教師から性的暴行を受け、行き場を失った14歳の少女が、ある日、マスク姿の“お兄さん”に誘拐され、“幸”という名をもらい、同居生活を送る――というストーリーだ。原作漫画が公開されているサイトでは、「その日、少女は誘拐された。しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。 少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?」といったあらすじ紹介が確認できる。

 今回、テレビ朝日が放送を取りやめた背景には、同作が、「実際の誘拐事件をモチーフにしているのではないか」「被害者を傷つける」「誘拐を肯定している」などと批判されたことが関係するとみられる。ネット上では以前から、埼玉県朝霞市で誘拐された少女が2年の監禁生活を経て、16年3月に保護された事件を想起させるといわれ、原作のはくり氏は事件と作品は無関係だとしつつも、物議を醸していたのだ。

 しかし、ひとたび放送取りやめのニュースが流れると、一転してネット上には異論が噴出することに。あくまでフィクションの作品であり、これまでも犯罪を扱った作品は多数あるにもかかわらず、なぜ『幸色のワンルーム』だけ……といった論調で、『ルパン三世』『名探偵コナン』といったアニメ作品、また実際に起こった犯罪をモチーフにしたドラマや映画作品などの例を出し、「これらも放送してはいけないことになる」と声を上げたのだ。

 そこで今回、『幸色のワンルーム』の実写ドラマ化が発表された際、Twitter上で、“反対”を表明した弁護士・太田啓子氏に取材を行った。なぜ、同作を実写ドラマ化すべきではないのか、「あくまでフィクション」と主張している人が見落としている“視点”を詳しく解説してもらった。

 太田氏は、同作のキャラクター・幸について、「誘拐された方も喜んでる」という描かれ方をされていることに対して、疑問を抱いているようだ。

「『誘拐ドラマがダメなら、殺人ドラマも強盗ドラマもダメってこと?』と言う人がいますが、ここには決定的な違いがあると思います。殺人や強盗は『悪いこと』という共通認識、不動の前提がある一方、誘拐に関しては『悪いこと』と認識しない人がいるのです。例えば、現実で殺人事件が起きたときに、『殺害された方も喜んでる』なんて言う人はいませんが、女の子が誘拐されたとき、『誘拐された方も喜んでる』『家出した女子を家にかくまっただけ』『女子も男の心につけこんで、いい思いをしていた』などと言う人が出てきます。『誘拐は、被害者の意思に反している』『被害者は、怖くて誘拐犯から離れられなかった』という当たり前のことを、当たり前だと思えない人がいるのです」

 『幸色のワンルーム』のモチーフになったのではないかとされる朝霞市の事件でも、同様のことを口にする人はいた。少女が閉じ込められていたアパートの周辺は住宅街で、コンビニや交番などもあり、少女が1人でスーパーに買い物に行くこともあったなどと報じられると、「少女は逃げたくないから逃げなかった」といった声も出てきたのだ。しかし実際、「怖くて逃げ出せなかった」と少女は供述している。

 また太田氏は、「殺人犯」「強盗犯」と「誘拐犯」では、その行為自体への認知に違いがあると指摘する。

「現実の殺人事件、強盗事件の犯人は『これは人を殺す行為だ』『これは強盗だ』ということを通常は認識しているでしょう。その上で『こんなひどいやつは殺されて当然なんだ』『金に困っていたんだから仕方なかったんだ』『あいつは金持ちなんだから、これくらいとられてもどうってことないはずだ』などと、その行為を正当化したり軽く考えようとするようなことはあるかもしれませんが、行為そのものが『人を殺す行為だ』とか『無理矢理財産を奪う行為だ』という認識は普通はしているはずです」

 しかし一方で、誘拐犯はというと、「例えば、朝霞市での事件や新潟で女児を9年監禁していた事件などでは、犯人は『仲の良い友達として暮らしていた』『自分と一緒にいることを嫌がっていたはずはない』などという趣旨の供述をします。罪を軽くしたくて嘘を強弁しているというより、行為自体への認知が歪んでおり、本気でそのように思い込んでいるのではないでしょうか。強盗や殺人と違い、そもそも自分の行為が、被害者の意思に反する誘拐であること自体、認識していないことが往々にあります。行為自体への認知に歪みがあることが、よく見られるという点……それが、『殺人や強盗』と『誘拐』の重要な違いです」。

 例えば『名探偵コナン』や『ルパン三世』の中で描かれる殺人や強盗は、「殺人、強盗として描かれており『人を殺したけれど実は殺人じゃない』というような歪んだ認知に基づく描写はされません。ところが『幸色のワンルーム』では、幸が『お兄さんがしたことは誘拐だ』と言いつつも、それが幸の意思に反することだとは描かれていないのです。幸は、お兄さんと一緒にいることを喜び、肯定しているという描写になっています。これは、実際の女児誘拐犯が『こうであってほしい』と勝手に思い込んでいる歪んだ認知そのものの描写です」と、太田氏は述べる。

 太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者や一部の人が事件に抱いたであろう妄想を作品にしたものであり、「実在の被害者に対する中傷そのものだと思う」という。作者が「事件とは関係ない」といった発言をしている点についても、「本人が言えばいいっていう問題ではないですよね」と、太田氏は疑問を投げかける。

 実際、作品を発表したタイミング的に、同作と朝霞市の事件を重ね合わせる人は少なくなかった。作者としては、作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要なのかもしれない。

 太田氏は、ドラマ制作サイドの姿勢にも違和感を覚えたそうだ。ドラマの公式SNSが、女優・山田杏奈の写真に「#背景はお兄さんが撮った盗撮写真」「#1000枚近くあります」というハッシュタグをつけて宣伝活動を行っていたという。

「盗撮やストーキングは、人権を脅かすということが、現代日本では“共通認識になっていない”からこそ、ああいうことをすると思うんです。フィクションも世の中の社会規範を作っていくものなわけで、『好きな女の子を盗撮する、それも純愛の1つの形なんだ』という考えを肯定的に描くのはどうなのかと。社会規範を作るうえで、そういった影響を持ってしまう作品を“公共の電波に乗せる”のはよくないと思います」

 太田氏は、この“公共の”という点を強調し、「例えば、一部の人が楽しむ同人誌とは訳が違う。公共の電波に乗せるのは、表現者の社会的責任を伴い、おかしな社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と語る。

 表現者が考えることが重要

 同じ犯罪でも、「殺人」「強盗」といった確固とした社会規範があるものと、「誘拐」といった確固たる社会規範がないもので、その扱いを変えなければいけない――。太田氏の話からは、そんな公共の電波に乗せる作品についての指標が見えてくる。

「なぜ、誘拐における、歪んだ認知の肯定的な描写を問題にすべきなのかですが、どのような状況下であっても歪んだ認知を肯定的に描いてはいけない、とは思いません。現状の社会でその描写をすることの意味を、表現者が考えることが重要です。現実の事件の被害者への揶揄、中傷にあたるような表現は、同人誌のような閉じた空間であればともかく、公共空間で行うことは社会的に許されるものではないでしょう。例えば、すでに『性的な目的がある誘拐は悪い』『誘拐された側は、第三者と接触する機会があっても、怖くて助けを求められないのが当然。助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない』ということが、誰も疑わないような常識だ、というような社会であれば、また話は、違うかもしれないと思います」

 しかし、今の日本社会ではそうした“誰も疑わないような常識がない”のが実情だろう。

「現に朝霞の事件でそうであったように、『女子中学生も逃げなかったんだから一緒にいられてよかったんだろう』というようなことを誰でも見られるSNSなどで公言し、そう信じたい人たちが少なからず存在する社会です。例えば性的被害を訴えた場合もそうで、『本当は合意があったのにはめたんだな』などと、女性が被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気の社会の中で、『女児を誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか」

 『幸色のワンルーム』放送取りやめに異議を唱える人は、「同作に反対する人がどの点を問題視しているのか、把握できていないのではないかな、と思ってしまいます」と語る太田氏。

「表現の自由って批判をされない権利ではないし、公共の空間で何をやってもいい権利でもありません。また、重要なこととして、表現物発信における社会的責任意識を問うことは、公権力による表現の自由の弾圧とは違います。東日本大震災後、サザンオールスターズの桑田佳祐さんは、ライブ『TSUNAMI』を自粛していたそうですが、それは『自分の意図と関わりなく、大津波で家族を失うなど、つらい思いをしたファンに、自分の言葉がどう感じられるかを思いやった上での判断』だったのだと思います。これにも是非の論争はあるようですが、社会の中で生きる表現者としての1つの見識だと感じます。永遠に公の場で歌わないと決めていらっしゃるわけでもないでしょうし、社会の中で自分の言葉がどう受け止められるかが変われば、また違う判断をされてもおかしくないですよね」

 太田氏は、『幸色のワンルーム』放映に関しても「そういう、今の社会の中で自分が発信する表現物がどういう意味を持つか、どういう影響を与えるかという“社会の中で表現する者としての責任意識の有無を問うという範疇の問題”」であると考えているという。

「私も含め、放映を批判した人たちは、例えば法律をつくって、女児誘拐を肯定的に描くことを禁止しましょうなどということは言っていないのに、『表現の自由への弾圧』などというのは、議論の次元を誤解した的はずれな反応です。表現物や表現者のスタンスへの批判や論評も、表現の自由の行使ですしね。そうではなく、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのですが」

 『幸色のワンルーム』は、テレビ朝日での放送は取りやめとなったものの、制作した朝日放送では予定通り放送が決定している。こうした判断が下った背景について、「被害者少女が関東に住んでいるから、関西だけの放送になったのでは」と見る向きもあるが、「被害者の少女が見なければいいという問題ではない」と太田氏は指摘する。ドラマ開始後、再びこの問題は議論を呼びそうだが、果たして、どんな意見が飛び交うことになるのだろうか。

太田啓子(おおた・けいこ)
弁護士、湘南合同法律事務所。国際基督教大学を卒業後、2002年に弁護士登録(神奈川県弁護士会)。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバー。13年4月より憲法カフェを開始するほか、14年11月より「怒れる女子会」呼びかけ人。

女性議員はいなくてもいい!? “政治家の質向上”に必要なことを専門家に聞いた

 日本でも女性の社会進出が当たり前になってきたとはいえ、政治の世界ではいまだに男性中心だ。IPU(列国議会同盟)のデータによれば、2018 年5月時点で日本の女性議員の割合は10.1%。これは世界193カ国中160位で、先進国の中でも特に低い数値となっている。

 では、なぜ日本は女性議員が少ないのか? 女性議員が少ないことで起こるデメリット、女性議員が増えることによるメリット、さらに具体的にどのようにすれば女性議員は増えていくのかについて、編著に『日本の女性議員 どうすれば増えるのか』(朝日選書)がある、上智大学法学部教授の三浦まり氏に詳しい話を聞いた。

■根強く残る「性別役割分業」

 先進国の中でも特に日本は女性議員数が少ない。その要因のひとつとして、「性別役割分業」が大きく影響していると、三浦氏は指摘する。

「『男は外での仕事』『女性は家庭の仕事』を担うべきとする意識が諸外国に比べて根強い日本では、男の仕事とされる政治に、女性がそもそも参加しづらい背景があります。さらに選挙で当選するには、家族の支援も重要となりますが、女性の場合、夫の協力もあまり期待できないため、立候補するにしてもハードルが高いのです」

 また、政治家という職業、特に選挙が頻繁にある衆議院議員の場合は、長時間労働でありながら休日がほとんどない。しかもスケジュールは流動的なので、家族に対する責任と両立させることが非常に難しい。そのため三浦氏によれば、実際に女性政治家は男性政治家と比べて独身者や子どものいない割合が多く、家族に頼れない厳しい状況にあるのが現状なのだという。

 文化的な要因としても、「政治は男性の仕事」という考え方が、男女問わず、日本国民の間で根強いことも大きい。さらに政党が公認候補をほとんど男性だけに決定していることも、女性が擁立されにくい背景となっている。妊娠・出産する女性議員への有権者からのバッシングに対して、政党幹部が守ることもあまりない。構造的にも女性議員が増えにくいのが現状なのだ。

■女性議員が少ないことで、女性のための政策が生まれづらい弊害が

 女性議員が少ない現状、どのような弊害が生じているのだろうか? まずは、妊娠や育児に関する問題解決が後回しになっていると、三浦氏は言う。

「一般に女性が関心を持つ分野は、外交や防衛、経済対策などに比べて、政治的に重要ではないと思われがちで、政策に反映されないことが多くあります。たとえば、不妊治療や待機児童、セクハラ問題などは、これまで政治的な場での議論がなかなか進まず、解決が先延ばしになってきました。女性と男性で物の見方や優先順位が異なる政策をめぐっては、現状では男性側の主張が通ってしまいがち。しかし、女性議員が増えれば、ゆがんだ構造は是正され、バランスの取れた議論が生まれるはずです」

 現状では、少数の女性議員が世の中の女性の声を代弁する形になっているが、女性議員が増加し、男女の数が均等になってくると、女性の「代弁」という役割ではなく、個々人の特性が生かされた動きができるようになるとも、三浦氏は語る。

 “女性議員”から個人としての議員へ――そうした政治の変化に伴い、社会においても固定的な男女役割が柔軟に変わっていくことが期待できる上、女性議員が増えれば、男性議員間の競争もより激しくなり、政治家の質が上がると予想されるのだ。

 それでは、具体的に女性議員を増やすには、どうすればいいのだろうか?

 今年5月16日に「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律案」が参議院で可決、成立した。この法案成立の意義は大きいと、三浦氏は語る。

「今までは、どの政党も、女性議員を増やすことに本気では取り組んでいませんでした。しかし、今回の法律が成立したことで、各政党は基本原則として選挙の立候補者数の男女均等を目指すことが求められるようになったわけです」

 現職議員を降ろしてまで新人女性を擁立することは難しい。そのため、議席をこれから獲得していく野党が新人候補としていかに女性を擁立できるかが、法律に実効性を持たせる鍵になってくると三浦氏はいう。

「多くの先進国を見ても、リベラルな政党が女性候補者を多数擁立し、政権交代を起こすことによって、女性議員が増えています。そして、選挙に負けた保守政党が『こっちも女性を増やさないと、また負けてしまう』と焦ることで競争が起き、全体として徐々に女性議員が増えているのが世界の趨勢なのです」

 1990年代後半までは、イギリスやアメリカなどでも今の日本と同様、女性議員が少なかったが、今ではイギリスは28.5%、アメリカでも19.7%と変わってきている。日本と同じく、女性議員が少なかった韓国では、候補者の一定比率を女性に割り当てる「クオータ制」を法的に義務づけて17%まで上がっている。

 今回成立した「政治分野における男女共同参画推進法」は基本原則を定めたもので、政党に対する罰則はない。しかし、男女格差を測る「ジェンダー・キャップ指数」が世界で114位の日本においては、今後は「クオータ制」を採用して、さらに法的な強制力を強めるといった策を講じなければ、現状の大幅な改善は難しいかもしれない。
(福田晃広/清談社)