ほとんどの女性が足を踏み入れることのない世界、吉原遊廓。男のあこがれの場所とされる一方、女性にとってもどこか魅力を惹かれる町ではないだろうか。そこで今回、ソープ嬢歴28年のゆかさんと、サイゾーウーマンで「おちぶれ続けるアラフォー風俗嬢と男たち」を連載中の曼荼羅さんに、その面白くも不思議な吉原事情と、風俗の世界について語ってもらった。
<プロフィール>
・曼荼羅さん
30代でデリヘルで風俗嬢デビュー。出稼ぎ&吉原ソープを掛け持ちした後、現在は素人童貞などセックスに自信のない悩める男性のためにプライベートレッスンを展開。
・ゆかさん(55)
20歳のとき、吉原の高級店で風俗嬢デビュー。48歳で上がるまでソープ嬢歴28年。これまで2万人の男性を相手にし、稼いだお金は約3億円。ソープを上がって初めて就いた昼職はお弁当屋さん。しかし、人間関係がうまくいかず現在は無職。36歳と35歳の娘も風俗嬢である。
――お二人が風俗業界に入ったきっかけを教えてください。
曼荼羅さん(以下、曼) 20代は昼職の仕事をしてたんですけど、30代に入ってから借金がきっかけでデリヘルデビュー。稼げないといわれる時代に風俗業界に入って、熟女ホテヘル、出稼ぎ、吉原激安ソープを経て、今年セックスレッスンの店を開業しました。
ゆかさん(以下、ゆか) 私は18歳で結婚したら、旦那に商売やってた時の借金があることがわかって。それで、自分の旦那に吉原に連れて行かれたの。旦那がよく行く店に。
曼 旦那さんに!? デビューは高級店ですよね?
ゆか 「グランド宝石」っていうお店。高校卒業時にはおなかが大きくて、子どもを生んじゃってたけど、まだ若くてかわいいから高級店でって。月300万円稼いで、1年で3000万円くらい返したんですよ。それでも、まだ1億くらい借金ある人で。もうダメだと思って、裁判所に子どもを連れて「協議離婚してください」って駆け込んだ。
曼 風俗を上がったのは?
ゆか 48歳。20歳から28年間ソープ一本で働いて。最初は1本6万5000円の高級店で、手取りは4万円くらい。だんだん年齢とともに格安店に移動して、最後の3年間にいた店は、手取り1万2000円くらいで。それでも、お茶引きそうな日(※客が来ない日)がいっぱいあって、屈辱的だったんですよね。
――その28年間で何人くらい接客したんですか?
ゆか 2万人とヤったからね。指名がかぶるから正確な人数は2万人じゃないけど、2万人を接客して、それが×2回だと4万回使ったんだと思って。
曼 2万人ってあんまりいないですね。風俗を上がって、マットの講師をやってる50歳すぎの方でも、1万人とか。2万人だったら、バックが3万円だったとしても軽く6億円いきますね。
ゆか でも最後はバックが1万円だったりしたから。計算してないけど3~4億くらい? でも、月々の生活費だけで、「なんでなくなっちゃうんだろう」って思っちゃう。日々の生活費、親の家や自分のマンション買ったり、子どもを学校に入れたり、あとお墓と車。私、おしゃれしないけど、見栄っ張りだから車だけはベンツかBMWしか乗らなかった。それが自分の名刺代わりだったの。
――風俗嬢が40歳になると働く場所も少なくなり、給料も下がる。いわゆる「風俗嬢40歳限界説」といわれていますが、お二人も40代で引退、アラフォーで開業と新しい道を選ばれてますよね。
曼 同業の同世代女性に会うと、「40代の壁は大きいよ」って何度も聞きますね。働ける店がまず限られてきちゃうので。
ゆか 限られてくるね。単価も安くなってくるし。
曼 特にソープは若い人を採りたがっているので。今、ざらに風俗歴20年っていう人が増えてきていて、風俗嬢も高齢化しているんですよね。20歳で風俗デビューしてから20年だと、もう40歳ですもんね。30歳以上になると、固定客を持っているか、相当ハードなことができないと雇ってもらえないし。
ゆか 「信長」っていう、超熟女店があるんです。70年くらいの歴史がある老舗なんだけど、そこは50代60代もいて、みんなノースキンで総額1万円、手取り6千円。
曼 ゆかさんが、風俗を上がられた理由は?
ゆか 私の場合は、「膝が限界」で正座ができなくなっちゃった。それが一番致命的でね。無理して座ればできるけれど、痛い表情になって「こいつ俺のこと嫌なのかな」と思われたらダメだって。
曼 ソープ嬢あるあるですね。膝小僧真っ黒の人はソープ嬢、っていうのがバレやすいというか。それくらい真っ黒になるんですよね。
ゆか 浴槽での膝歩きはキツい。お医者さんには「なんのスポーツで、そんなに膝を痛めたんですか?」って聞かれたけど、「ソープ嬢で膝歩きしてました」とか言えないし。
曼 私は、なぜかネットで特定されて、晒されてしまうんですね。私のTwitterのアカウントとブログを、在籍するお店のスレッドに全部書かれてしまうので、ブログに「半年で3回も性病もらった」と書くと、お店から「あなたが書いたブログを読んで、店の女の子が怖くて出勤できないって言う」って注意されて。お店を変えても、特定されてアンチに晒されたので、だったらもう自分でやろうって……。ネットに晒されることで、お店を辞めなきゃいけない女の子って今は少なくないと思いますね。
――稼げた時代から稼げない時代へ……。風俗業界も時代とともに変化していますが、昔はどうだったんでしょう?
ゆか 私が風俗業界に入った1983年の頃は、バブルの始まりですごい時代だったから。お客さんは降って湧く状態だった。もうひっきりなし。待合室には常にお客さんが20人くらいいたし、立って待ってる人もいるくらい。
曼 最高月収とか覚えています?
ゆか 最高月収は320万。1ドル365円の時代。生理休暇はみんな海外だったけど、私はちっちゃい子どもが2人いるから、行けないんですよ。だから、そのお金を貯めてきた。毎日、車で出勤していたんだけど、当時、吉原の駐車料金は1カ月7万円。家の駐車場が3万円で、それだけでも10万円。
曼 時代が違う。吉原で働いている人はタクシーをすぐ使うんですけど、今は不景気で儲からないから歩いている人も多いです。私は原付で通っていた(笑)。
ゆか あとは「はとバス」が来てたこともある! 男性限定のツアーで、浅草とか観光した後に、吉原に来るっていう。第一目的はそれ(笑)。
曼 すごい。今昔話ですね。お店の人が言うんですか? 「今日はとバスの団体さんが来る」とか。
ゆか そうそう。「今日は、はとバスの何名様だから、みんなこの時間入って」って。田舎のお客さんは、みんな靴下の中やベルトの中にお金を隠してたの。東京は危険な場所だと警戒してたのね。
曼 芸能人も来てました?
ゆか ええ。ジャニーズグループのS。
曼 えーーーーー!!!!
ゆか 私じゃなくて「C」で働いてた女の子から聞いた話だけど、Sの5人が貸し切りで、ほかのお客様を一切入れない状態で来てて。8部屋あるんだけど、女の子が8人待機していて、1人終わったら次の部屋の女の子に行って、みたいに、たらいまわししながら遊んでたって。
曼 あー。あそこジャニーズ御用達なんですよね。今もありますよね。
ゆか 終わったら、下の待合室で「こうだったよ」「ああだったよ」ってメンバー同士で話してたらしいよ。私が接客したのは、昔、お笑いブームの時によく来ていたYさん。面白い人だった。あと、最近テレビに出てないけどTのKくん。あの人は性格が出てた。「疲れることはやらなくていいからね」って言ってくれる、いい人だった。
曼 優しい!
ゆか あと、俳優のIくん。
曼 今、話題ですよね!
ゆか 私が30歳くらいの頃だったかな。ドラマの打ち上げで、ジャニーズのKと俳優のSだったかな、一緒に来てて。Iくんは副乳なの。初めて見たんだけど、4つ乳首があって。でも言えなかったし、さすがに4つは舐められなかった。
曼 私だったら実験する。「こっちも気持ちいい?」とか言いたいかも。全部舐めてみる? みたいな(笑)。Iのプレイはどうだったんですか?
ゆか イチャコラ的な感じ。お風呂入っていたら「早くぅーー」みたいに、手をつないで甘えてきた。マザコンっていうか、ロリコンっていうか、イチャコラ。
曼 今の嫁とも、そうですよね。でも、ドラマの打ち上げで高級ソープとはバブルですね。今はあんまり聞いたことないですね。
――後編は、仕事を通して変化した男性観やセックス観、風俗嬢のセカンドキャリアに迫ります。
「先日から通ってる美容院が雑誌廃止してiPad Proでdマガジンを読ませてくれるようになったんだけど、美容師さん側も気遣わなくてよくなったし、お客さんも200誌以上の中から好きなものを読めるって喜んでるからdマガジンにしてよかった…って美容師さん言ってた」


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