万引き番組の“ヤラセ疑惑”をGメンが解説! 「犯人は演技している」の意味とは……?

 長年、現場で万引き犯と対峙し、数々のテレビ番組にも出演している“万引きGメン”の伊東ゆうさん。前編に引き続き、テレビの万引きGメン特集の裏側、そして万引き犯とそれを取り締まるGメンはどんな人たちなのか? また日々どんな考えを持って仕事をしているのか? 話をお聞きした。

(前編はこちら)

番組をヤラセと勘違いする原因は“犯人の演技”

――伊東さんのお話をお聞きしていると、万引きの現場を撮影すること自体が難しくなっているように感じるのですが、撮影で、その、“無理”をしたりはしないんですか?

伊東ゆう氏(以下、伊東) ヤラセのことですかね? よくSNSとかで「これヤラセだろ」とか叩いている人いますが、見てもらえばわかると思いますけど、実際に警察の方も呼んでいますから、ヤラセなんかあり得ないですよ。まあ、犯人の言い訳が嘘で、芝居染みているときなんかは、ヤラセっぽく見えるかもしれませんけどね。

――犯人が演技をしているんですか?

伊東 はい。盗む気満々の人なんかは、入店する時点で“お客さんの演技”をしています。大体の万引き犯は、客の振りをして犯行に及ぶので、ある意味仕方ないかもしれませんね。万引き犯は、子どもが何かいたずらするときのいたずらっぽい顔、言い換えれば“悪意の顔”をしています。みんなああいう顔になってしまうんです。年を取ると、もっとその顔つきが悪くなりますね。「悪い顔してんなぁ」と思いますよ。我々Gメンはその微妙な差や、客としての違和感を覚えて追尾するわけです。

 次に、捕まった時の“弁解の演技”ですね。ある老人が「息子が30年引きこもってて」と、重い話を大げさにするんですよ。それで家族に迎えに来てもらったら、その息子が迎えに来た、という話がありましたね。現場ではわかりきっているので、まずは相手にしませんが、「平気で噓をつく」「わざとらしい」という“犯罪者の演技”の部分をテレビで初めて見た人たちが、騙されて「ヤラセ」だと言っているんじゃないでしょうか?

――テレビの撮影で「これはダメだろう」とお蔵入りになったエピソードとかありますか?

伊東 カメラに気づいて「撮影やめろ!」っていう奴はいますね。あと最近だと、公務員の女性が、撮影しているカメラに気づかないでそのまま警察に連れて行かれたんですが、ずっと自殺を仄めかすようなことを言ってたんですね。「職場でいじめられてて、家族にも嫌われて生きている価値がない」「今日も職場でお弁当を投げつけられました、死にたいです」とか。それで私も、現場のスタッフに「これはヤバい。放送したのに気づいたら命断つかもしれない。本物だよ」と伝え、結局、現場の判断で「これは、なかったことにしよう」とお蔵入りになりましたね。話も重いし、せっかく撮れたのにお蔵入りになるしで散々でした。

――やっと撮れた映像がお蔵入りになったり、そもそも撮影が成功しなかったりと大変な苦労をされていますが、それでも協力を続けている理由はなぜですか?

伊東 世の中の風潮として、万引きが軽く見られているのを、あらためたいんです。『万引き家族』でテーマとして取り上げられたように、万引きは社会問題の巣窟で、育児放棄、DV、薬物、介護問題と、今の日本社会のいろんな負の部分が集約されています。そこに巻き込まれて、結果として万引きをしてしまった人たちを何とかしたいという気持ちもある。あと私はGメンの社会的地位の向上を図りたいっていう思いもありますね。こんな大変なんだから、もうちょっとギャラよこせ、みたいなね(笑)。

――お給料は、そんなに高くないんですか?

伊東 1人捕まえていくらみたいな成功報酬は全然ありません。店舗から「このGメンさんお願いします」と指名されれば指名料が入ることはありますが。万引きGメンはたいてい日給月給制です。それも1日1万円~9,500円くらいですよ。

――テレビ出演で顔バレしたりして、業務に支障が出たりはしませんか?

伊東 顔は知られてますけど、それでお客様にバレたことは、まったくないですね。大体買い物してる人って、ほかの人の顔なんて見てないじゃないですか。それこそバレるのは、万引き犯か店員さんくらいで。店員さんにはたまに「伊東さん、今日は入ってるんですね」って声を掛けられますよ。

 万引き犯にバレないために、変装はしますね。特に夏だと服自体が軽いので、着替えを持っていきます。黒いTシャツと白いTシャツ、あと帽子とか。たまに気づくと追いかけてくる奴がいるんですよ。「あれ、こいつ何だ」ってね。するとバックヤードに入って、白Tシャツから黒Tシャツに着替えて、帽子かぶって、入り口から入り直して、またそいつを見張る。そいつは、さっきの白いTシャツ姿の私をずっと探してて。それでいないからと油断して万引きしたときに捕まえて「ばぁー」って、やったことありますね。

――Gメンに向いている人向いていない人っていますか?

伊東 Gメンには2種類のタイプがいて、その両方を兼ね備えたハイブリッドもいます。店内を歩き回れる体力があり、気配を消し、偶然品物をカバンの中に入れるのを見つけるタイプ。次に、店に入ってきた瞬間から「あっ、この人やるな」と察知し、不審者の心の動きを読めるタイプ。本来はその両方を兼ね備えたハイブリッドが一番いいですね。あと、男女差は、勇気と体力、それに溶け込み度の違いはありますね。 性別による現場の向き不向きはあっても、能力差はないでしょう。

 元警察官の方は、Gメンに向かないです。気配が出ちゃいますし、彼らの仕事は捕まえた後がほとんどなんで、あまり経験を生かせません。就職してもやめてしまいますね。Gメンに向いているというと、元スーパーの店長とかですかね。あと、私の相棒なんですけど、元はパチンコホールの店長なんですよ。店長の仕事はゴト師(※不正にパチンコ台やスロット台を操作して利益を得る人物)の摘発。モニター越しに「あ、こいつやるぞ」と、ゴト師を見つけて、捕まえる。あとは私もそうなんですが、金融業者は多いですね。なんというか、一連の仕事が似てるんですよ。人を追い込むという点で。

――万引きGメンが人を追い込むというのは想像しにくいですが。

伊東 盗るのを見守って、金を払わずに外に出るまで追いつめ、犯罪を成立させる。それは、結果として、「犯人に仕立て上げている」とも言えるんですよ。目の前で犯罪を行わせるわけですから。金融で言えば「金利少し高いけどお金貸しますよ」という部分ですね。その先は万引きの場合「警察を呼びます」だけど、金融は「返さないなら給料や不動産差し押さえますよ」となる。追い込んだ結果として、相手は「お金払います」って言うことになるのも共通しているなと。

 万引きをしようとしている人の前に姿を見せ、盗るのをやめさせればいいものを、盗らせてから捕まえるわけじゃないですか。ずるい仕事だとは思いますね。ぶっちゃけ、恥ずかしいときもありますよ、自分でやってて。

――万引きGメンをテレビでご覧になっている視聴者は、皆さんの行動を見て溜飲を下げたりしている人もいるとは思います。

伊東 Gメンはいかに騒動を起こすかっていう仕事なんですが、違和感は覚えますね。Gメンやお店の人が、まさに万引きしている人のところに行って、「ダメですよ」といえば、大抵の人は商品を出すはず。今は全国で少しずつ、そういった店内での声かけ運動も始まってるんですよ。あと、万引きをやらせるというか、犯罪者を生み出すお店じゃダメだよなという思いはあります。なるべく、万引きできないようなお店を作るのも大事なのではないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 伊東さんはGメンの仕事をこなしつつも、「犯罪者に仕立てあげる」というその特殊な取り締まり方法に悩んでもいる。また万引きをさせない店づくりやシステムの構築に向けて、日々全国の警察組織や有識者ヒアリング、講演会活動を行っているそうだ。皆さんもテレビで万引きGメン特集をご覧になる際、少し本記事の伊東さんの言葉を思い出してみてほしい。

伊東ゆう(いとう・ゆう)
1971年、東京生まれ。 フリーライター、万引き対策専門家、万引きGメン。1999年より5000人以上の万引き犯を捕捉してきた経験を持つ現役保安員。『万引きGメンは見た!』(2011、河出書房新社)『万引き老人』(16、双葉社)を上梓すると大きな話題を呼び、『実録!犯罪列島シリーズ』『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(ともにTBS系)をはじめとする多数の番組で特集された。現役保安員として活躍する一方、講演活動とメディア出演による「店内声かけ」の普及に努め、「万引きさせない環境作り」に情熱を傾ける。

現在、香川大学教育学部特別講師、香川県万引き対策協議会メンバー、北海道万引き防止ウィーブネットワークアドバイザー、岩手県万引防止対策協議会講師、ジーワンセキュリティサービス株式会社取締役会長。

万引き番組の“ヤラセ疑惑”をGメンが解説! 「犯人は演技している」の意味とは……?

 長年、現場で万引き犯と対峙し、数々のテレビ番組にも出演している“万引きGメン”の伊東ゆうさん。前編に引き続き、テレビの万引きGメン特集の裏側、そして万引き犯とそれを取り締まるGメンはどんな人たちなのか? また日々どんな考えを持って仕事をしているのか? 話をお聞きした。

(前編はこちら)

番組をヤラセと勘違いする原因は“犯人の演技”

――伊東さんのお話をお聞きしていると、万引きの現場を撮影すること自体が難しくなっているように感じるのですが、撮影で、その、“無理”をしたりはしないんですか?

伊東ゆう氏(以下、伊東) ヤラセのことですかね? よくSNSとかで「これヤラセだろ」とか叩いている人いますが、見てもらえばわかると思いますけど、実際に警察の方も呼んでいますから、ヤラセなんかあり得ないですよ。まあ、犯人の言い訳が嘘で、芝居染みているときなんかは、ヤラセっぽく見えるかもしれませんけどね。

――犯人が演技をしているんですか?

伊東 はい。盗む気満々の人なんかは、入店する時点で“お客さんの演技”をしています。大体の万引き犯は、客の振りをして犯行に及ぶので、ある意味仕方ないかもしれませんね。万引き犯は、子どもが何かいたずらするときのいたずらっぽい顔、言い換えれば“悪意の顔”をしています。みんなああいう顔になってしまうんです。年を取ると、もっとその顔つきが悪くなりますね。「悪い顔してんなぁ」と思いますよ。我々Gメンはその微妙な差や、客としての違和感を覚えて追尾するわけです。

 次に、捕まった時の“弁解の演技”ですね。ある老人が「息子が30年引きこもってて」と、重い話を大げさにするんですよ。それで家族に迎えに来てもらったら、その息子が迎えに来た、という話がありましたね。現場ではわかりきっているので、まずは相手にしませんが、「平気で噓をつく」「わざとらしい」という“犯罪者の演技”の部分をテレビで初めて見た人たちが、騙されて「ヤラセ」だと言っているんじゃないでしょうか?

――テレビの撮影で「これはダメだろう」とお蔵入りになったエピソードとかありますか?

伊東 カメラに気づいて「撮影やめろ!」っていう奴はいますね。あと最近だと、公務員の女性が、撮影しているカメラに気づかないでそのまま警察に連れて行かれたんですが、ずっと自殺を仄めかすようなことを言ってたんですね。「職場でいじめられてて、家族にも嫌われて生きている価値がない」「今日も職場でお弁当を投げつけられました、死にたいです」とか。それで私も、現場のスタッフに「これはヤバい。放送したのに気づいたら命断つかもしれない。本物だよ」と伝え、結局、現場の判断で「これは、なかったことにしよう」とお蔵入りになりましたね。話も重いし、せっかく撮れたのにお蔵入りになるしで散々でした。

――やっと撮れた映像がお蔵入りになったり、そもそも撮影が成功しなかったりと大変な苦労をされていますが、それでも協力を続けている理由はなぜですか?

伊東 世の中の風潮として、万引きが軽く見られているのを、あらためたいんです。『万引き家族』でテーマとして取り上げられたように、万引きは社会問題の巣窟で、育児放棄、DV、薬物、介護問題と、今の日本社会のいろんな負の部分が集約されています。そこに巻き込まれて、結果として万引きをしてしまった人たちを何とかしたいという気持ちもある。あと私はGメンの社会的地位の向上を図りたいっていう思いもありますね。こんな大変なんだから、もうちょっとギャラよこせ、みたいなね(笑)。

――お給料は、そんなに高くないんですか?

伊東 1人捕まえていくらみたいな成功報酬は全然ありません。店舗から「このGメンさんお願いします」と指名されれば指名料が入ることはありますが。万引きGメンはたいてい日給月給制です。それも1日1万円~9,500円くらいですよ。

――テレビ出演で顔バレしたりして、業務に支障が出たりはしませんか?

伊東 顔は知られてますけど、それでお客様にバレたことは、まったくないですね。大体買い物してる人って、ほかの人の顔なんて見てないじゃないですか。それこそバレるのは、万引き犯か店員さんくらいで。店員さんにはたまに「伊東さん、今日は入ってるんですね」って声を掛けられますよ。

 万引き犯にバレないために、変装はしますね。特に夏だと服自体が軽いので、着替えを持っていきます。黒いTシャツと白いTシャツ、あと帽子とか。たまに気づくと追いかけてくる奴がいるんですよ。「あれ、こいつ何だ」ってね。するとバックヤードに入って、白Tシャツから黒Tシャツに着替えて、帽子かぶって、入り口から入り直して、またそいつを見張る。そいつは、さっきの白いTシャツ姿の私をずっと探してて。それでいないからと油断して万引きしたときに捕まえて「ばぁー」って、やったことありますね。

――Gメンに向いている人向いていない人っていますか?

伊東 Gメンには2種類のタイプがいて、その両方を兼ね備えたハイブリッドもいます。店内を歩き回れる体力があり、気配を消し、偶然品物をカバンの中に入れるのを見つけるタイプ。次に、店に入ってきた瞬間から「あっ、この人やるな」と察知し、不審者の心の動きを読めるタイプ。本来はその両方を兼ね備えたハイブリッドが一番いいですね。あと、男女差は、勇気と体力、それに溶け込み度の違いはありますね。 性別による現場の向き不向きはあっても、能力差はないでしょう。

 元警察官の方は、Gメンに向かないです。気配が出ちゃいますし、彼らの仕事は捕まえた後がほとんどなんで、あまり経験を生かせません。就職してもやめてしまいますね。Gメンに向いているというと、元スーパーの店長とかですかね。あと、私の相棒なんですけど、元はパチンコホールの店長なんですよ。店長の仕事はゴト師(※不正にパチンコ台やスロット台を操作して利益を得る人物)の摘発。モニター越しに「あ、こいつやるぞ」と、ゴト師を見つけて、捕まえる。あとは私もそうなんですが、金融業者は多いですね。なんというか、一連の仕事が似てるんですよ。人を追い込むという点で。

――万引きGメンが人を追い込むというのは想像しにくいですが。

伊東 盗るのを見守って、金を払わずに外に出るまで追いつめ、犯罪を成立させる。それは、結果として、「犯人に仕立て上げている」とも言えるんですよ。目の前で犯罪を行わせるわけですから。金融で言えば「金利少し高いけどお金貸しますよ」という部分ですね。その先は万引きの場合「警察を呼びます」だけど、金融は「返さないなら給料や不動産差し押さえますよ」となる。追い込んだ結果として、相手は「お金払います」って言うことになるのも共通しているなと。

 万引きをしようとしている人の前に姿を見せ、盗るのをやめさせればいいものを、盗らせてから捕まえるわけじゃないですか。ずるい仕事だとは思いますね。ぶっちゃけ、恥ずかしいときもありますよ、自分でやってて。

――万引きGメンをテレビでご覧になっている視聴者は、皆さんの行動を見て溜飲を下げたりしている人もいるとは思います。

伊東 Gメンはいかに騒動を起こすかっていう仕事なんですが、違和感は覚えますね。Gメンやお店の人が、まさに万引きしている人のところに行って、「ダメですよ」といえば、大抵の人は商品を出すはず。今は全国で少しずつ、そういった店内での声かけ運動も始まってるんですよ。あと、万引きをやらせるというか、犯罪者を生み出すお店じゃダメだよなという思いはあります。なるべく、万引きできないようなお店を作るのも大事なのではないでしょうか。

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 伊東さんはGメンの仕事をこなしつつも、「犯罪者に仕立てあげる」というその特殊な取り締まり方法に悩んでもいる。また万引きをさせない店づくりやシステムの構築に向けて、日々全国の警察組織や有識者ヒアリング、講演会活動を行っているそうだ。皆さんもテレビで万引きGメン特集をご覧になる際、少し本記事の伊東さんの言葉を思い出してみてほしい。

伊東ゆう(いとう・ゆう)
1971年、東京生まれ。 フリーライター、万引き対策専門家、万引きGメン。1999年より5000人以上の万引き犯を捕捉してきた経験を持つ現役保安員。『万引きGメンは見た!』(2011、河出書房新社)『万引き老人』(16、双葉社)を上梓すると大きな話題を呼び、『実録!犯罪列島シリーズ』『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(ともにTBS系)をはじめとする多数の番組で特集された。現役保安員として活躍する一方、講演活動とメディア出演による「店内声かけ」の普及に努め、「万引きさせない環境作り」に情熱を傾ける。

現在、香川大学教育学部特別講師、香川県万引き対策協議会メンバー、北海道万引き防止ウィーブネットワークアドバイザー、岩手県万引防止対策協議会講師、ジーワンセキュリティサービス株式会社取締役会長。

万引き番組のウラ側をGメン暴露! 「カメラがバレた!」過酷な撮影現場の実態

「112.702」

 この数字は警視庁が2016年に検挙した万引き犯の人数です(『平成29年版 犯罪白書 窃盗 認知件数・検挙件数・検挙率の推移』より)。1件ごとの被害額は少額でも、個人経営のコンビニや書店などの小売店にとって被害が重なれば大変な打撃になり、万引きが一因で閉店に追い込まれる店舗もあります。店舗側も指をくわえて見ているわけではありません。万引き犯取り締まり専門のセキュリティースタッフを配置して防衛しています。いわゆる“万引きGメン”です。

 本サイトでは、オンナ万引きGメンの澄江さんが、さまざまな現場で出会った万引き犯についてレポートをしていますが、テレビでも万引きGメンの特集はたびたび放送されています。また、第71回カンヌ国際映画祭にてパルム・ドールという最高の賞を与えられ、一躍注目を浴びた是枝裕和監督の『万引き家族』も、そのタイトルの通り、万引きが大きなテーマに取り上げられた作品です。

 今回、『万引き家族』の制作協力やテレビの万引きGメン特集にもたびたび出演し、本サイトの澄江さんのコラムも監修している、万引き対策専門家の伊東ゆうさんに取材を行うことに。『万引き家族』協力の経緯やテレビの万引きGメン特集の知られざるエピソード、Gメンだけが知る万引き犯の実態をお伺いしました。

『万引き家族』は別タイトルだった

――『万引き家族』は世界的に注目されましたね。協力のきっかけはなんだったんですか?

伊東ゆうさん(以下、伊東) 「是枝監督の新作映画『声に出して呼んで(仮)』に、家族で万引きするシーンがあるから協力願えませんか」というメールがきて、面白そうだなぁと思って制作事務所に出向き、レクチャーしました。私も映画が好きなので、ノーギャラだったけど喜んでお受けしたわけです。

――元々のタイトルは違っていたんですね。是枝監督とは話したんですか?

伊東 確かそんな感じのタイトルで、『万引き家族』なんてタイトルじゃなかったですね。だから公開されて「あれ?」となりました。実は、製作スタッフの方たちとお話しただけで、是枝監督とは会ったことないんですよ。誰が出るとかもまったく知らなかったですね。タイトルが変わったのも、万引きっていう字面がやっぱりインパクト強かったのかなぁって。

――レクチャーでは、どんな内容のお話をしたんですか?

伊東 詳しくは言えないですけど、万引き現場の写真を見せたり、家族でやるときの手口を教えたり。各地で万引き対策の講演会もやっているので、そういった資料を交えて説明しました。嵐の日に呼び出されて、2時間くらいインタビューを受けました。

――伊東さんはTBS系『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』やフジテレビ系『おたすけJAPAN』などで、実際に撮影隊の前で、日本や海外の万引き犯を捕捉していますが、撮影現場で捕まえるのは大変ですか?

伊東 『おたすけジャパン』(※海外で困っている人のところへ日本のプロフェッショナルが派遣され、お助けするというバラエティ番組)でインドネシアのスーパーに行ったときは、現地のコーディネーターに頼んで、事前に店舗のレイアウトを送ってもらいました。入手した資料を基に「やるならこの辺だろうから、こことここにカメラを置こう」などと打ち合わせてから現地入りしたのです。でも、いざ行ってみたら全然いなかった。そもそも客がいなかった(苦笑)。かなりキツかったですけど、1週間の撮影予定の最終日に、なんとか1人捕まえることができました。

――海外まで行って、捕まえられなかったら絶望的ですね。

伊東 どの国も関係なく、スーパーでの撮影は難しいんですよ。スーパーの万引きは基本的に「人混みに紛れて」ですから。平日の混んでる時間帯に行くと常習者が紛れています。『ジョブチューン』の時は、5日で8人捕まえました。お客さんの多いスーパーでは、1日1人は、万引きする人が必ずいる。 そう信じてやっているわけです。

 こういった撮影を成功させるには事前のリサーチと準備がかなり大事です。その店舗で混む曜日の確認、あと天候ですね。雨が降ると来ないところが多いです。カレンダーで言うと、万引きが活発になるのは給料日前と生活保護の支給前ですね。撮影中も気が抜けません、食事休憩や撮影機材のメディアの交換などで、万引き犯が「普段と雰囲気が違う」と撮影隊の殺気のようなものを感じ取って、バレたりしてしまうんです。なので、撮影で捕まる犯人の多くは空気の変化にまったく気づかない老人、油断している常習犯ばかりになります。

――万引きを実行する瞬間を映像で押さえるには、撮影ポイントに気を使いそうですね

伊東 まず開店前に下見して、万引き犯が盗りそうなスポットに定点カメラを置いたり、買い物カートに仕込んだりしています。私が一緒に仕事をしているテレビマンたちは、『警察24時』とか詐欺の潜入調査とか、皆さんがテレビでご覧になっているような事件系の番組のスタッフが多いですが、お店にお買い物に来られているお客様に紛れて撮影をすることが初めてなんていう方も。最初は戸惑ったり、挙動不審になったりして、「不審者がいる」と、警備室に通報されたこともありました。

――万引きする瞬間を映像に収めるのは、そう簡単ではないと。

伊東 万引き犯を捕捉する仕事は、言うなれば心を読む仕事です。撮影現場でも、私が万引き犯の心を読んで、その心理的変遷を実況し、撮影ポイントまでガイドしている感じですね。インカムで常に撮影隊同士は会話していますから、ディレクターさんやカメラマンさんが私の声を聞いて動く。「この人ですよー」とか「いま5番通路に入りました」とか「そこ曲がったら入れますよ」とか。

――そうすることで、テレビで流れるような決定的瞬間が押さえられるということなんですね。伊東さんはテレビに出ることでメリット、デメリットって感じたことありますか?

伊東 Gメンの会社としては、メリットってほとんどないんじゃないですかね、高額なギャラというわけでもないし。私個人では撮影隊と長期のロケになったりするわけですが、それが楽しいというのがありますね。

 万引きGメンは1人で仕事をすることが多いんです。デパートなど広い施設だとパートナーと組んで見回ることもありますけど、基本的に1人で仕事をしています。それに前職でも基本的に単独行動が多くて集団で動いたことがなかったんです。そんな中で、長期間を撮影隊と過ごして犯人を捕捉していくのは今までにない新鮮な経験でもあり、学生時代の合宿のような感覚で成功したら達成感があって楽しいんですよ。あとは撮影現場を提供してくれた店長さんから「プロは違うね、ありがとう」と感謝されることがうれしいですね。なんだかんだお金のためじゃないような気がしますね。

――撮影できる犯人は老人や油断している常習犯が多いということですが、テレビでは見られない万引き犯もいるんですか?

伊東 いますね。若い人とか外国人の犯人には、撮影がバレます。同じ人がずっといて、自分の周りを囲んでるから、おかしいと気づくんですよ。万引きをやっても撮影に気づかれて一度バッグに隠したモノを出されちゃったりする。カメラに気づかれて逆に因縁を付けられて、撮影ストップになったこともありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 万引き犯の性質によって、撮影できる犯人、できない犯人がいるというのは驚きである。テレビだけの印象で、「万引き犯=高齢者犯罪」と感じている人もいるかもしれないが、その認識はあらためるべきなのかもしれない。

 後編では、さらにテレビではわからない万引き犯の実像やテレビ出演による苦労、Gメンという仕事について、より詳しく語っていただく。

(後編につづく)

伊東ゆう(いとう・ゆう)
1971年、東京生まれ。 フリーライター、万引き対策専門家、万引きGメン。1999年より5000人以上の万引き犯を捕捉してきた経験を持つ現役保安員。『万引きGメンは見た!』(2011、河出書房新社)『万引き老人』(16、双葉社)を上梓すると大きな話題を呼び、『実録!犯罪列島シリーズ』『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(ともにTBS系)をはじめとする多数の番組で特集された。現役保安員として活躍する一方、講演活動とメディア出演による「店内声かけ」の普及に努め、「万引きさせない環境作り」に情熱を傾ける。

現在、香川大学教育学部特別講師、香川県万引き対策協議会メンバー、北海道万引き防止ウィーブネットワークアドバイザー、岩手県万引防止対策協議会講師、ジーワンセキュリティサービス株式会社取締役会長。

食品添加物、紙おむつ、医薬品にNO! “脅し系ナチュラル”に女性がハマる罠

第5回「自然派・ナチュラルに傾倒する女」

 意識が高いのはいいけれど、突き詰めすぎると、ちょっと怪しく見えてくる……。あなたの周囲にも、そんな「ナチュラル」に傾倒する女はいませんか? 「女子がハマりやすいコミュニティ&ビジネスの闇」シリーズ第5弾のテーマは「自然派・ナチュラルに傾倒する女』。添加物を憎み、ナチュラルを愛する彼女たちがハマった罠とは……?

■「そのお菓子、添加物とお砂糖がたくさん入ってるけど大丈夫?」

 ある程度年齢を重ねると、仲の良かった友達同士でも、どうしても価値観のズレが生じてくるものです。浜田結衣さん(パート・31歳)は、SNSに投稿した写真をきっかけに、10年来の友達との“ズレ”を感じたといいます。

「うちの息子は2歳で、アンパンマンのソフトせんべいが大好物。SNSに息子がおせんべいを食べている姿をアップしたところ、大学時代の友達Y子から、コメントがついたんです」

 コメントの内容は、結衣さんの息子が食べているソフトせんべいについてでした。

「『そのお菓子食べさせて平気? お砂糖と添加物たっぷりだよ〜!』って書いてありました。久々にコンタクトを取ってきたと思ったら、私の子育てにダメ出しされたみたいで、正直言って気分が悪かったです」

 しかし、その発言は結衣さんに対してだけではありませんでした。Y子さんの投稿は、ほとんどが添加物の危険性や紙おむつが環境に与える影響などに関することばかり。いつの間にかY子さんは化学物質に対する危険性を周知する活動をしていたようなのです。

「Y子の投稿のコメント欄は、添加物やオーガニック食品に関する質疑応答で埋め尽くされていました。そのような“自然派”に興味がある人が大勢いることにびっくりしましたし、専門家でもないのに『◯◯をすると子どもの発育に影響する』などと教祖のようにアドバイスしているY子に衝撃を受けました。ほとんど宗教ですよ、あれは」

 一方、小学生の子どもを持つ永野初美さん(パート・35歳)の周りにも、自然な自己治癒力を高めるために、予防接種を受けさせないと断言するママ友がいるといいます。

「『予防接種は、体に毒を入れているようなもの』と、しきりに言っていましたね。強い薬も絶対使わせたくないそうで、子どもに湿疹が出たときも自然治癒させていました。ステロイドを使えば、すぐ治るはずなのに……。かゆいのを我慢する子どもの姿は、かわいそうでしたよ」

 自然派由来の食べ物、衣類、医療しか受け入れない……。もはや「ナチュラル」という宗教を信仰しているような女たち。そうなってしまったきっかけは、どこにあるのでしょうか?

「自然派、ナチュラルに傾倒していくきっかけはいろいろあると思いますが、先輩ママたちからの影響を受けてハマっていく人が特に多いのではと感じます。また、助産院の助産師から助言を受けたり、市から紹介された子育てサークルで教えられたというケースもよく聞きますね」

 そう語るのは、『安心のペットボトル温灸』(夜間飛行)などの著書を持つアシル治療室院長の鍼灸師・若林理砂先生。自然派に傾倒するのは、比較的、高学歴で高収入の女性が多いといいます。これは日本に限らず、外国のナチュラリストにも当てはまるんだとか。

「まず、自然派な生活を実現するには、お金がかかります。オーガニック食材や無添加のナチュラルおやつは、普通のものよりも割高ですから、ある程度の収入がないと続けられないんです。また、頭のいい女性ほど、もっともらしい自然派の『理屈』に共鳴しがち。そして、『やるからにはしっかり取り組まなければ』という生真面目さが災いし、よりストイックにナチュラルを信仰するようになります」

 そして、ナチュラル信仰にハマるのは、ほとんどの場合が女性。市場を見ても、「化学物質を徹底的に排除した麻素材の男性用下着』などは見かけません。それはひとえに、月経や妊娠・出産をする女性のほうが、衣食は「自分の体とダイレクトにつながっていることを実感しているため」だと若林先生は言います。

 しかし、自然派の理屈は、医学に沿っているとはいえないものが多く、○○しないと××になるなど、不安を煽る要素も多分に含むのが現実。若林先生はこれを“脅し系ナチュラル”と呼び、うかつに飛びつくことへの警鐘を鳴らします。

「ナチュラル信仰の人の間では、冷たいものを摂ると逆子になるとか、紙ナプキンはポリマーが子宮に蓄積していくなどと、医学的にはなんの根拠もない情報が行き交っています。ほかにも、紙おむつは生殖器周りの感覚が鈍って頭が悪くなるなどの迷信が、固く信じられていたりします。もちろん、これらの説を裏付けるような厳密なデータはありません」

 砂糖や油脂についても、摂りすぎが体によくないのは子どもに限った話ではなく、大人も同じ。そして、それらを完全に断つことが子どもの健康に直結する、というわけではないと若林先生。また、ナチュラルやオーガニックを好む人は、スピリチュアル信仰へと、スライドしてハマっていく傾向があるんだとか。

「自然派もスピリチュアルも、内容は違いますが、お客様になるタイプの女性はほぼ同じです。自然派から入って、だんだんとスピリチュアル要素を含んでいくこともあれば、その逆もあります。同じお盆の上にあるので、つながるきっかけがたくさんあるのが原因ですね」

 自然派とスピリチュアルが組み合わさることで、根拠のない健康法でも「これをしないと、子ども(や自分)に害が及ぶかもしれない」と思い込んでしまう。ちょっとやりすぎかな、と感じていても、ここまでくるとやめたくてもやめられないという人が多いそう。また、宗教じみていると思う感覚も、あながち間違ってはいないと若林先生は言います。

「加工食品や、白砂糖などの精製物の禁止は、元をたどれば宗教団体が提唱していることでもあります。ナチュラリストの考え方には、その戒律が紛れ込んでいたりすることが多く、知らないうちに取り込まれてしまうんです。だからこそ、自然派に傾倒する人は、ある種の修行者のようなストイックさを発揮してしまうのかもしれません」

 とはいえ、布ナプキンは肌がかぶれやすい人には向いているし、オーガニック食材もカラダに良くて環境負荷が低いのは事実。しっかりと考えた上で自然派なモノを生活に取り入れる意義は、大いにあるとのこと。

「要するに、何を根拠に、どの程度取り入れるかを、自分で判断することが大事なんです。怖い言説を耳にしても、真に受けず、自分でちゃんと調べることを、必ずしてほしいです。そうしないと、伝わってくるナチュラルな説を盲目的に信じてしまい、呪いにかけられたように自然派を頼るようになってしまいます。また、質問を受けた医師や理系の方々は、バカにせず、話を聞いて質問に答えてあげてほしいです。皆さん、不安から、自然派の教えに傾倒していくのです」

 妊娠中や子育て期間は心が不安定になりがちですが、それを自然派由来の食べ物や衣類が根底から救ってくれるわけではないのです。選択肢に困ったら、正しいものを選ぶために、きちんと調べて正しい知識を身につけること。くれぐれも“直感”なんてものに頼らないよう、気をつけたいですね。
(島野美穂/清談社)

若林理砂(わかばやし・りさ)
1976年生まれ。鍼灸師・アシル治療室院長。東京医療専門学校にて鍼灸免許を取得し、その後、早稲田大学第二文学部・思想宗教系専修にて主に宗教を学ぶ。2004年アシル治療室を開設。現在は初診予約を停止しているほどの人気。古武術を学び、趣味はカポエィラ。主な著書に『安心のペットボトル温灸』(夜間飛行)、『その痛みやめまい、お天気のせいです――自分で自律神経を整えて治すカンタン解消法』(廣済堂出版健康人新書)、『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話──「寝る・食う・動く」を整える』(ミシマ社)など。夜間飛行より、メールマガジン「鍼灸師が教える一人でできる養生法」を配信中。

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

ヴィーガンは「恐怖心を煽るカルト宗教に似てる」? ネットで炎上しやすい理由とは?

第4回『ヴィーガン女子』

 取材コラム「女子がハマりやすいコミュニティ&ビジネスの闇」、第4弾のテーマは「ヴィーガン女子」。オシャレで、意識の高い女性が選択しているようにみえる「ヴィーガン」という生き方。考え方は人それぞれだから、何にこだわって生きていてもいいんだけど、実際に普通の人と、ヴィーガンの人たちの間に、なんとなく距離感ができているような……。菜食主義とそうでない人が、たびたびネット上でトラブルになるのは、どうしてなのでしょうか? その理由を探ります。

■SNSで流れてくる動物虐待の画像にうんざり…

 今年の春にお台場で行われた『肉フェス2018』で、出入り口付近に「ヴィーガンになろう」という立て看板が置かれていた。さらにその近くには、動物の屠殺現場の写真も……。

 この画像がTwitterに投稿されたことをきっかけに、「肉を食べる人は事実を知るべき」というヴィーガン派と、「ヴィーガンの考え方を強要するな」という反ヴィーガン派のバトルへと発展しました。また、同時期にホリエモンこと堀江貴文さんが「ヴィーガンとかまじ健康に悪いと思うよ」とTwitterに投稿し、こちらも物議を醸しました。

 そもそもヴィーガンとは、動物性食品の一切を断ち、菜食だけで生活する人のことをいいます。ベジタリアンと違い、ヴィーガンは卵やハチミツ、乳製品も口にしません。また、食事だけでなく革製品や毛皮類などの動物製品を使わない人も。ヴィーガンと一口に言っても、細かくタイプが分かれています。

 ここ数年でヴィーガン専用のレストランやカフェも増えてきているものの、ヴィーガンに対して恐怖心を抱いている人も少なくありません。大橋加奈子さん(30歳・事務職)もその1人で、「SNSで動物虐待の画像を見てしまうのが、本当にストレス」と嘆きます。

「学生時代の友人・M子は、動物が好きで昔から捨て猫の保護活動をしていました。ヴィーガンになった直接的なきっかけはわかりませんが、動物への愛情が発展したのかなと思っています」

 加奈子さんは、M子さんと深い友達付き合いはなかったものの、SNSでヴィーガンを普及させようとするM子さんの投稿に悩まされていたといいます。

「タイムラインを見てると、突然、動物が屠殺されている写真が出てくるんです。投稿者はM子で『食用にされる動物たちの残酷な現状を知ってほしい』みたいなことが書かれていました。私的にはグロ画像なので、見たくないものを見せられるこっちの身にもなってほしい。ヴィーガンに興味湧くどころか、M子の行動が怖いという印象しかないです」

 繰り返し流されるグロテスクな画像に嫌気が差した加奈子さんは、こっそりとM子さんをブロックしたといいます。

「動物の権利保護がきっかけでヴィーガンを始めた人の中には、<肉食=悪><畜産業=悪><動物実験=悪>と考えている人が多くいます。そのため、『肉を食べる人も悪い!』という考えに陥り、早く目覚めさせてあげたいと、攻撃的になってしまうんです」

 そう語るのは、ベジタリアンやヴィーガンの食生活を紹介するサイト「パリ・スタイル」を運営する石田千恵さん。石田さんもかつて、菜食主義になろうとしたものの、あることが原因で断念した過去があるといいます。

「菜食主義には、健康的でなおかつオシャレなイメージがあったので、気軽な気持ちで始めてみようと思ったんです。ところが調べてみると、菜食主義を勧める人のブログやTwitterには、屠殺される直前の豚や、サルが縛り付けられて実験されている現場など、動物が苦しむ画像ばかりが並んでいました。それらは、見ていて気持ちのいいものではありませんでした」

 もちろん、菜食主義を勧める人が全員攻撃的なわけではありませんが、「普及のやり方に疑問を持った」という石田さんは、菜食主義を始める前に断念したのです。このような攻撃的な一面は、ヴィーガンにネガティブなイメージがつく理由の1つだと石田さんは言います。また、「動物の権利保護」が目的のヴィーガンの極端な考え方は、カルト宗教と似ている部分があるとも指摘。

「両者とも何かを“禁止”して、それに強くこだわります。そして、『守らないと、よくないことが起きる』という恐怖心をあおって普及させます。何を信じるのも個人の自由ですが、それを人に押し付ければ、嫌がられて当然です」

 実は、石田さん自身、母親が某カルト宗教の信者だったことによる、大きな家庭内のトラブルを経験したそうです。

「母が信仰を家族に押し付けようとするあまり、命に関わる事件にまで発展しました。あくまで私の家庭の話ではありますが、考えを周囲に押し付けることは、そんな事態にもなり得るという例です」

 ヴィーガンの考え方をもっと多くの人に認知してほしいのであれば、「まずは、肉食に対する批判をやめること」だと言います。

「ヴィーガンが嫌われるのは、肉を食べる人たちのことを認めず、肉食はひどい・非人道的だと批判して、菜食主義を押し付ける人が少なからずいることが原因です。『押し付けではなく、現実を見せているだけ』という意見もありますが、人を不快にさせる画像を見せるのは、ただの悪趣味です。それよりも、オシャレなヴィーガン・カフェの食事や、高品質なせっけんがあることなどをポジティブにアピールしたほうが、より多くの人から理解されるはずです」

 ヴィーガンという生き方は、決して危険だったり攻撃的なものではありません。問題は、その価値観の伝え方にあるという石田さん。動物の権利保護といった正義感を満たしたり、恐怖心を植え付けることだけが、ヴィーガンの喜びではないはず。食べておいしい、使ったら良かった、そうしたポジティブな実感こそ、多くの人の関心を集めることにつながるのではないでしょうか。
(島野美穂/清談社)

(取材協力)
石田千恵
オシャレで優雅なパリ生活を応援するサイト「パリ・スタイル」の運営者。自身のパリ滞在の経験をもとに、美容やファッション情報のほか、オーガニック食品など健康情報も発信している。
パリ・スタイル

ヴィーガンは「恐怖心を煽るカルト宗教に似てる」? ネットで炎上しやすい理由とは?

第4回『ヴィーガン女子』

 取材コラム「女子がハマりやすいコミュニティ&ビジネスの闇」、第4弾のテーマは「ヴィーガン女子」。オシャレで、意識の高い女性が選択しているようにみえる「ヴィーガン」という生き方。考え方は人それぞれだから、何にこだわって生きていてもいいんだけど、実際に普通の人と、ヴィーガンの人たちの間に、なんとなく距離感ができているような……。菜食主義とそうでない人が、たびたびネット上でトラブルになるのは、どうしてなのでしょうか? その理由を探ります。

■SNSで流れてくる動物虐待の画像にうんざり…

 今年の春にお台場で行われた『肉フェス2018』で、出入り口付近に「ヴィーガンになろう」という立て看板が置かれていた。さらにその近くには、動物の屠殺現場の写真も……。

 この画像がTwitterに投稿されたことをきっかけに、「肉を食べる人は事実を知るべき」というヴィーガン派と、「ヴィーガンの考え方を強要するな」という反ヴィーガン派のバトルへと発展しました。また、同時期にホリエモンこと堀江貴文さんが「ヴィーガンとかまじ健康に悪いと思うよ」とTwitterに投稿し、こちらも物議を醸しました。

 そもそもヴィーガンとは、動物性食品の一切を断ち、菜食だけで生活する人のことをいいます。ベジタリアンと違い、ヴィーガンは卵やハチミツ、乳製品も口にしません。また、食事だけでなく革製品や毛皮類などの動物製品を使わない人も。ヴィーガンと一口に言っても、細かくタイプが分かれています。

 ここ数年でヴィーガン専用のレストランやカフェも増えてきているものの、ヴィーガンに対して恐怖心を抱いている人も少なくありません。大橋加奈子さん(30歳・事務職)もその1人で、「SNSで動物虐待の画像を見てしまうのが、本当にストレス」と嘆きます。

「学生時代の友人・M子は、動物が好きで昔から捨て猫の保護活動をしていました。ヴィーガンになった直接的なきっかけはわかりませんが、動物への愛情が発展したのかなと思っています」

 加奈子さんは、M子さんと深い友達付き合いはなかったものの、SNSでヴィーガンを普及させようとするM子さんの投稿に悩まされていたといいます。

「タイムラインを見てると、突然、動物が屠殺されている写真が出てくるんです。投稿者はM子で『食用にされる動物たちの残酷な現状を知ってほしい』みたいなことが書かれていました。私的にはグロ画像なので、見たくないものを見せられるこっちの身にもなってほしい。ヴィーガンに興味湧くどころか、M子の行動が怖いという印象しかないです」

 繰り返し流されるグロテスクな画像に嫌気が差した加奈子さんは、こっそりとM子さんをブロックしたといいます。

「動物の権利保護がきっかけでヴィーガンを始めた人の中には、<肉食=悪><畜産業=悪><動物実験=悪>と考えている人が多くいます。そのため、『肉を食べる人も悪い!』という考えに陥り、早く目覚めさせてあげたいと、攻撃的になってしまうんです」

 そう語るのは、ベジタリアンやヴィーガンの食生活を紹介するサイト「パリ・スタイル」を運営する石田千恵さん。石田さんもかつて、菜食主義になろうとしたものの、あることが原因で断念した過去があるといいます。

「菜食主義には、健康的でなおかつオシャレなイメージがあったので、気軽な気持ちで始めてみようと思ったんです。ところが調べてみると、菜食主義を勧める人のブログやTwitterには、屠殺される直前の豚や、サルが縛り付けられて実験されている現場など、動物が苦しむ画像ばかりが並んでいました。それらは、見ていて気持ちのいいものではありませんでした」

 もちろん、菜食主義を勧める人が全員攻撃的なわけではありませんが、「普及のやり方に疑問を持った」という石田さんは、菜食主義を始める前に断念したのです。このような攻撃的な一面は、ヴィーガンにネガティブなイメージがつく理由の1つだと石田さんは言います。また、「動物の権利保護」が目的のヴィーガンの極端な考え方は、カルト宗教と似ている部分があるとも指摘。

「両者とも何かを“禁止”して、それに強くこだわります。そして、『守らないと、よくないことが起きる』という恐怖心をあおって普及させます。何を信じるのも個人の自由ですが、それを人に押し付ければ、嫌がられて当然です」

 実は、石田さん自身、母親が某カルト宗教の信者だったことによる、大きな家庭内のトラブルを経験したそうです。

「母が信仰を家族に押し付けようとするあまり、命に関わる事件にまで発展しました。あくまで私の家庭の話ではありますが、考えを周囲に押し付けることは、そんな事態にもなり得るという例です」

 ヴィーガンの考え方をもっと多くの人に認知してほしいのであれば、「まずは、肉食に対する批判をやめること」だと言います。

「ヴィーガンが嫌われるのは、肉を食べる人たちのことを認めず、肉食はひどい・非人道的だと批判して、菜食主義を押し付ける人が少なからずいることが原因です。『押し付けではなく、現実を見せているだけ』という意見もありますが、人を不快にさせる画像を見せるのは、ただの悪趣味です。それよりも、オシャレなヴィーガン・カフェの食事や、高品質なせっけんがあることなどをポジティブにアピールしたほうが、より多くの人から理解されるはずです」

 ヴィーガンという生き方は、決して危険だったり攻撃的なものではありません。問題は、その価値観の伝え方にあるという石田さん。動物の権利保護といった正義感を満たしたり、恐怖心を植え付けることだけが、ヴィーガンの喜びではないはず。食べておいしい、使ったら良かった、そうしたポジティブな実感こそ、多くの人の関心を集めることにつながるのではないでしょうか。
(島野美穂/清談社)

(取材協力)
石田千恵
オシャレで優雅なパリ生活を応援するサイト「パリ・スタイル」の運営者。自身のパリ滞在の経験をもとに、美容やファッション情報のほか、オーガニック食品など健康情報も発信している。
パリ・スタイル

”元祖イケメン俳優”原田龍二、「ジュノンボーイ」から「裸のおじさん」になるまで

 数多くのTVドラマやVシネ作品に出演する、俳優・原田龍二。芸歴26年を数えるベテラン俳優が最近、“裸”で注目を集めている。きっかけは、2016年末の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)で、アキラ100%と共に披露した“全裸お盆芸”だ。昨年も同番組で「変態仮面」姿を披露し、視聴者に強烈なインパクトを残した。すっかり世間的に「裸の人」というイメージが定着した中で、今年10月、デジタル写真集「愛」シリーズ(全4タイトル/講談社)を刊行。露出度高めに、その肉体を披露している。なぜ原田龍二は“裸のおじさん”になったのか――。

***

――あらためてじっくり写真集を見せていただくと、意外とムキムキな体というわけではないんですね。もちろん筋肉はついているものの、48歳の円熟味も感じました。

原田 やろうと思えばもっと鍛えられるんですが、自分自身でそんなにバキバキの肉体を見たくないんです。だからプロテインも飲まず、ジムにも行かず、自宅でできることだけをやっています。トレーニングは毎日10分程度で、それほど一生懸命にやっているわけではないですね。

――なぜ自分で、そういう体は見たくないんですか?

原田 旅番組で温泉に入らせてもらう機会があったときなどに、主張しないようにしたいんです。メインはあくまで温泉で、僕は言ってみればそこにお邪魔している小動物。ビースティ・ボーイズの一員にすぎないんですよ。そこでバキバキの体をしていたら、視聴者は「鍛えてるな~」って思っちゃうじゃないですか。観てほしいのは、そこじゃない。かといって、ダルダルの体では見栄えがよくないから、最低限の体作りをキープしています。何事も、主張しないけど、その人の主義がそこに見える、くらいの頃合いが好きですね。

――主義といえば、番組で温泉に入る際には、水着やタオルを身に着けないのがこだわりだとお聞きしました。

原田 旅番組で「撮影のために特別に許可を得てタオルを使用しています」みたいなテロップが入るでしょう? 僕はあれが、温泉に対してすごく失礼だと思うんです。入る側にとっても、布切れ一枚巻いているのといないのとでは、お湯の感じ方が全然違ってきてしまう。入らせてもらう側として、気持ちよく入るのが使命だと思うんです。だからスタッフの方は大変だろうけど、カメラアングルや映像で処理していただいてます。

――そんなにお湯の感触が違うんですね。

原田 雲泥の差です。最初に温泉番組に出たときは、葉っぱで隠したんですよ(笑)。新潟県の雨飾温泉という、林の中にある露天風呂に行ったときでした。隠す用のバスタオルがちょうどなかったので、「じゃあこれでいいですよ」って、そのへんにあった葉っぱを何枚か取って。なんでも自然にやりたいんです。温泉で布をまとうのは、自然じゃないですから。

――今回、写真集発売に際して「全裸バスタブ会見」を開かれましたが、ここでも全裸を貫いたのは、その主義によるものなんですか?

原田 最初は水着を用意しようかという話もあったんですが、「全裸」とうたうからには全裸でやるべきだな、と。会見では「本当に全裸なんですか?」って聞かれて、桶で隠して「全裸です」とやる場面もあったので、本当にはいてなくてよかったです。そこで海パンはいてたら、ズッコケちゃいますよね。

――原田さんの「はいていない」といえば、やはり16年末の『ガキ使』での、アキラ100%さんとの共演ですよね。観ていた誰もが驚いたと思いますが、なぜ出演することになったんでしょうか?

原田 おそらくスタッフの方が、僕がそういう入浴スタイルでやってるのを観て「この人だったら、やってくれるんじゃないか」ってことでオファーをいただいたんだと思うんですけど、真意はわからないです。お話をいただいて、チャンスだと思いました。自分も、ダウンタウンのお2人が好きで『ガキ使』はもちろん観てましたし、あんなに注目される番組もないので、喜んで引き受けました。

――断るという選択肢は、自分の中になかった?

原田 なかったですね。「イエス」か「大イエス」か。「大イエス」ですよね(笑)。そして、出るからには全力でやろう、と。「テテーン、アウトー!」の音が聞こえた時、「ヨシッ!」と思いましたね。反響は本当に大きくて、ロケであちこちに行ったときに、若い方から声をかけられることも増えました。関西のバラエティ番組などに呼んでいただいたときも、やはり「なんで(『ガキ使』に)出られたんですか?」と質問していただけて、そうすると、いろいろ話すことができる。かっこつけたエピソードより、ちょっと面白かったりダサかったりする話をするほうが楽しいし、喜んでいただけるんですよね。自分自身、「かっこいいですね」と言われるのは当然うれしいですが、「面白いですね」と言われるほうがもっとうれしいです。

――とはいえ、原田さんは二枚目俳優のイメージが強いですし、プロフィールをさかのぼれば、「第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」準グランプリですよね。これは意外と知られていない気がしますが……。

原田 当然そうでしょうね。知らなくていいんですけど、こんな人間も出てるんですよ(笑)。

――ジュノンボーイといえば、今も昔もイケメン俳優の登竜門です。原田さんは、「イケメン」と呼ばれることに抵抗はないですか? 

原田 そう言っていただくことは多いですが、自分の中では「『イケメン』じゃねぇぞ」っていう感じでした。僕の生きざまの全部を知って「イケメンですね」と言われるんだったらいいですけど、表面だけ見てそう言われることに対しては、ずっと「おいおい」って思ってます。そもそも今となっては、「イケメン」って言葉自体が、だんだんチープになってきていますよね。何をもってイケメンというのか? かっこよく見えればイケメンなのか? 僕は、それは違うと思います。

――確かに、「イケメン」という言葉自体、食傷気味になってきているかもしれません。

原田 たとえば、殺されそうになっている人が目の前にいたときに、そこで自分の命を張って助けることができるかどうか。本当のイケメンかそうでないかの分かれ道って、そういうところだと思います。たとえが大げさだけど(笑)。見かけじゃなく、行動や思想も全部ひっくるめて「いい男」が、本当のイケメンなんだと思う。芸能界って、とかく内面のかっこよさに触れられる機会があまりないんです。ロングインタビューや密着取材があっても、本質的な部分にはなかなか迫れないから、「イケメン」という言葉で片付けられちゃうのかな、という気はします。本当は、もっとその人のかっこよさを表現する的確な言葉があるはずなんですよ。

――そういうふうに「イケメン」の一語で回収されてしまうことへの反発から、『ガキ使』のようなぶっとんだことに挑戦したかった……という気持ちもあるんでしょうか?

原田 いや、今はもうどう思われてもいいですし、どういうふうに形容されても自由だと思っています。自分さえ自尊心をしっかり握りしめていればいい話で、「裸になって面白いことやってくださいよ」って言われて、やって笑ってもらえたらいいですから。ブルース・リーじゃないですけど、水のようにいろいろ形を変えながら、心は常に白くいたいですね。いろんな色に染まれるように。今は“裸色”に染まってます(笑)。

――思い描いていた未来は裸色ではなかったと思うんですが、若い頃から現在のような立ち位置を目指していたんですか? 

原田 いえ、僕はそもそも数年でやめると思っていたというか、そういう予定だったんですよ。予定が狂って、こんなに長くやることになりました。できると思ってなかったんです。人前に出て何かやるのが恥ずかしいし、人の期待に応えられない。役者って、「恥ずかしい」と思っていたら、できない仕事なんですよ。一番いらない感情ですから。だから向いてないし、これは到底続けられないな、と。今も何も変わってないです。慣れてきてはいるけど、基本的に人前で何かやるのはすごく苦手です。

――そうなんですか? 全裸バスタブ会見をやっておきながら!?

原田 あれは、マスコミのみなさんがわざわざ来てくださってますし、何しろ裸って、かっこつけないでいいじゃないですか。若い頃から、かっこつけるのは本当に苦手です。自分の見せ方もわからないから、芝居でも監督とディスカッションして「いや、俺はこう思う」なんて1回も言ったことないですね。

――でも、役によっては当然「かっこつけてくれ」と要求されることもありますよね?

原田 もちろん、かっこいい役もたくさんやらせていただきましたけど、疲れますね……。「かっこいい」と言われることは当然嫌じゃないけど、言われないほうが楽ではあります。ただ、どう考えてもかっこいいとはいえない「変態仮面」の姿でも、「かっこいい」と言われたことがあるので、人の意見は十人十色なんですよね。だからもう、そこは気にしていないです。

――昔からのファンの中には、失礼ながら「めちゃくちゃかっこいい俳優さんだと思って好きだったのに、変わってしまった……」と思う人はいないんでしょうか?

原田 もちろん、そういうご意見もあります(笑)。でも、その方のためだけにやっているわけじゃないですから。否定的な意見はあって当然だし、それでいいと思います。一方で「あの頃はこういうことはしなかったけど、今は今でいいですね」と、昔から温かい目でずっと見てくれている方もいて、それはうれしいです。基本的に、僕が仕事を選んで発信しているわけではなくて、いただいた仕事をその都度全力でやるだけですから、それについてきてくれるんだったら「ありがとうございます」と。一方で、若い人からは「風変わりなおじさん」って思われてますけど、それで本望です。だって、本当に変なおじさんだから(笑)。

(取材・文=斎藤岬)

”元祖イケメン俳優”原田龍二、「ジュノンボーイ」から「裸のおじさん」になるまで

 数多くのTVドラマやVシネ作品に出演する、俳優・原田龍二。芸歴26年を数えるベテラン俳優が最近、“裸”で注目を集めている。きっかけは、2016年末の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)で、アキラ100%と共に披露した“全裸お盆芸”だ。昨年も同番組で「変態仮面」姿を披露し、視聴者に強烈なインパクトを残した。すっかり世間的に「裸の人」というイメージが定着した中で、今年10月、デジタル写真集「愛」シリーズ(全4タイトル/講談社)を刊行。露出度高めに、その肉体を披露している。なぜ原田龍二は“裸のおじさん”になったのか――。

***

――あらためてじっくり写真集を見せていただくと、意外とムキムキな体というわけではないんですね。もちろん筋肉はついているものの、48歳の円熟味も感じました。

原田 やろうと思えばもっと鍛えられるんですが、自分自身でそんなにバキバキの肉体を見たくないんです。だからプロテインも飲まず、ジムにも行かず、自宅でできることだけをやっています。トレーニングは毎日10分程度で、それほど一生懸命にやっているわけではないですね。

――なぜ自分で、そういう体は見たくないんですか?

原田 旅番組で温泉に入らせてもらう機会があったときなどに、主張しないようにしたいんです。メインはあくまで温泉で、僕は言ってみればそこにお邪魔している小動物。ビースティ・ボーイズの一員にすぎないんですよ。そこでバキバキの体をしていたら、視聴者は「鍛えてるな~」って思っちゃうじゃないですか。観てほしいのは、そこじゃない。かといって、ダルダルの体では見栄えがよくないから、最低限の体作りをキープしています。何事も、主張しないけど、その人の主義がそこに見える、くらいの頃合いが好きですね。

――主義といえば、番組で温泉に入る際には、水着やタオルを身に着けないのがこだわりだとお聞きしました。

原田 旅番組で「撮影のために特別に許可を得てタオルを使用しています」みたいなテロップが入るでしょう? 僕はあれが、温泉に対してすごく失礼だと思うんです。入る側にとっても、布切れ一枚巻いているのといないのとでは、お湯の感じ方が全然違ってきてしまう。入らせてもらう側として、気持ちよく入るのが使命だと思うんです。だからスタッフの方は大変だろうけど、カメラアングルや映像で処理していただいてます。

――そんなにお湯の感触が違うんですね。

原田 雲泥の差です。最初に温泉番組に出たときは、葉っぱで隠したんですよ(笑)。新潟県の雨飾温泉という、林の中にある露天風呂に行ったときでした。隠す用のバスタオルがちょうどなかったので、「じゃあこれでいいですよ」って、そのへんにあった葉っぱを何枚か取って。なんでも自然にやりたいんです。温泉で布をまとうのは、自然じゃないですから。

――今回、写真集発売に際して「全裸バスタブ会見」を開かれましたが、ここでも全裸を貫いたのは、その主義によるものなんですか?

原田 最初は水着を用意しようかという話もあったんですが、「全裸」とうたうからには全裸でやるべきだな、と。会見では「本当に全裸なんですか?」って聞かれて、桶で隠して「全裸です」とやる場面もあったので、本当にはいてなくてよかったです。そこで海パンはいてたら、ズッコケちゃいますよね。

――原田さんの「はいていない」といえば、やはり16年末の『ガキ使』での、アキラ100%さんとの共演ですよね。観ていた誰もが驚いたと思いますが、なぜ出演することになったんでしょうか?

原田 おそらくスタッフの方が、僕がそういう入浴スタイルでやってるのを観て「この人だったら、やってくれるんじゃないか」ってことでオファーをいただいたんだと思うんですけど、真意はわからないです。お話をいただいて、チャンスだと思いました。自分も、ダウンタウンのお2人が好きで『ガキ使』はもちろん観てましたし、あんなに注目される番組もないので、喜んで引き受けました。

――断るという選択肢は、自分の中になかった?

原田 なかったですね。「イエス」か「大イエス」か。「大イエス」ですよね(笑)。そして、出るからには全力でやろう、と。「テテーン、アウトー!」の音が聞こえた時、「ヨシッ!」と思いましたね。反響は本当に大きくて、ロケであちこちに行ったときに、若い方から声をかけられることも増えました。関西のバラエティ番組などに呼んでいただいたときも、やはり「なんで(『ガキ使』に)出られたんですか?」と質問していただけて、そうすると、いろいろ話すことができる。かっこつけたエピソードより、ちょっと面白かったりダサかったりする話をするほうが楽しいし、喜んでいただけるんですよね。自分自身、「かっこいいですね」と言われるのは当然うれしいですが、「面白いですね」と言われるほうがもっとうれしいです。

――とはいえ、原田さんは二枚目俳優のイメージが強いですし、プロフィールをさかのぼれば、「第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」準グランプリですよね。これは意外と知られていない気がしますが……。

原田 当然そうでしょうね。知らなくていいんですけど、こんな人間も出てるんですよ(笑)。

――ジュノンボーイといえば、今も昔もイケメン俳優の登竜門です。原田さんは、「イケメン」と呼ばれることに抵抗はないですか? 

原田 そう言っていただくことは多いですが、自分の中では「『イケメン』じゃねぇぞ」っていう感じでした。僕の生きざまの全部を知って「イケメンですね」と言われるんだったらいいですけど、表面だけ見てそう言われることに対しては、ずっと「おいおい」って思ってます。そもそも今となっては、「イケメン」って言葉自体が、だんだんチープになってきていますよね。何をもってイケメンというのか? かっこよく見えればイケメンなのか? 僕は、それは違うと思います。

――確かに、「イケメン」という言葉自体、食傷気味になってきているかもしれません。

原田 たとえば、殺されそうになっている人が目の前にいたときに、そこで自分の命を張って助けることができるかどうか。本当のイケメンかそうでないかの分かれ道って、そういうところだと思います。たとえが大げさだけど(笑)。見かけじゃなく、行動や思想も全部ひっくるめて「いい男」が、本当のイケメンなんだと思う。芸能界って、とかく内面のかっこよさに触れられる機会があまりないんです。ロングインタビューや密着取材があっても、本質的な部分にはなかなか迫れないから、「イケメン」という言葉で片付けられちゃうのかな、という気はします。本当は、もっとその人のかっこよさを表現する的確な言葉があるはずなんですよ。

――そういうふうに「イケメン」の一語で回収されてしまうことへの反発から、『ガキ使』のようなぶっとんだことに挑戦したかった……という気持ちもあるんでしょうか?

原田 いや、今はもうどう思われてもいいですし、どういうふうに形容されても自由だと思っています。自分さえ自尊心をしっかり握りしめていればいい話で、「裸になって面白いことやってくださいよ」って言われて、やって笑ってもらえたらいいですから。ブルース・リーじゃないですけど、水のようにいろいろ形を変えながら、心は常に白くいたいですね。いろんな色に染まれるように。今は“裸色”に染まってます(笑)。

――思い描いていた未来は裸色ではなかったと思うんですが、若い頃から現在のような立ち位置を目指していたんですか? 

原田 いえ、僕はそもそも数年でやめると思っていたというか、そういう予定だったんですよ。予定が狂って、こんなに長くやることになりました。できると思ってなかったんです。人前に出て何かやるのが恥ずかしいし、人の期待に応えられない。役者って、「恥ずかしい」と思っていたら、できない仕事なんですよ。一番いらない感情ですから。だから向いてないし、これは到底続けられないな、と。今も何も変わってないです。慣れてきてはいるけど、基本的に人前で何かやるのはすごく苦手です。

――そうなんですか? 全裸バスタブ会見をやっておきながら!?

原田 あれは、マスコミのみなさんがわざわざ来てくださってますし、何しろ裸って、かっこつけないでいいじゃないですか。若い頃から、かっこつけるのは本当に苦手です。自分の見せ方もわからないから、芝居でも監督とディスカッションして「いや、俺はこう思う」なんて1回も言ったことないですね。

――でも、役によっては当然「かっこつけてくれ」と要求されることもありますよね?

原田 もちろん、かっこいい役もたくさんやらせていただきましたけど、疲れますね……。「かっこいい」と言われることは当然嫌じゃないけど、言われないほうが楽ではあります。ただ、どう考えてもかっこいいとはいえない「変態仮面」の姿でも、「かっこいい」と言われたことがあるので、人の意見は十人十色なんですよね。だからもう、そこは気にしていないです。

――昔からのファンの中には、失礼ながら「めちゃくちゃかっこいい俳優さんだと思って好きだったのに、変わってしまった……」と思う人はいないんでしょうか?

原田 もちろん、そういうご意見もあります(笑)。でも、その方のためだけにやっているわけじゃないですから。否定的な意見はあって当然だし、それでいいと思います。一方で「あの頃はこういうことはしなかったけど、今は今でいいですね」と、昔から温かい目でずっと見てくれている方もいて、それはうれしいです。基本的に、僕が仕事を選んで発信しているわけではなくて、いただいた仕事をその都度全力でやるだけですから、それについてきてくれるんだったら「ありがとうございます」と。一方で、若い人からは「風変わりなおじさん」って思われてますけど、それで本望です。だって、本当に変なおじさんだから(笑)。

(取材・文=斎藤岬)