楳図かずお×クローネンバーグ×探偵ナイト!! かつてない衝撃作『バイオレンス・ボイジャー』

 デジタル化の進む現代社会において、アナログ感たっぷりな新しい恐怖の扉が開いた。京都出身・宇治茶監督が3年半の歳月を費やして完成させたゲキメーション『バイオレンス・ボイジャー』は、観客にどこか懐かしく、そしてとんでもない恐怖のズンドコを体験させてくれる怪作だ。ざっくり説明するならば、楳図かずお先生が描くような恐怖漫画の世界に、SF映画『ザ・フライ』(86)などで知られるデヴィッド・クローネンバーグ監督っぽい気持ち悪さを加え、さらに関西の人気番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の笑いと感動をミックスさせた闇鍋風味の映像作品なのである。いや、まるで分かんないよ、という人はもう観るしかない。

 物語はこんな感じ。日本の山村に暮らす米国人の少年・ボビー(声:悠木碧)は親友のあっくん(声:高橋茂雄)と山を越えて、隣村にいる友達に逢いに行こうとする。その途中で見つけたのが、「バイオレンス・ボイジャー」と名付けられた寂れた娯楽施設。この施設を運営するおっさん・古池(声:田口トモロヲ)の好意で無料入場したボビーらだったが、そこは子どもたちを生け捕りにするための狩猟場だった。古池に捕まった子どもたちは次々と改造手術を受け、グロテスクなクリーチャーへと姿を変えるはめに。ボビーたちは施設内で倒れていた少女・時子(声:前田好美)を助けながら、懸命の脱出を図る―。京都から上京した宇治茶監督にゲキメーションの世界について語ってもらった。

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――「とんでもないものを観てしまった!」というのが『バイオレンス・ボジャー』を見終わっての感想です。楳図かずおワールドに、『悪魔のいけにえ』(74)などの米国のホラー映画を掛け合わせたような内容ですね

宇治茶 そういっていただけると、うれしいです。スルーされるのが、いちばん哀しいので。「なんじゃこりゃ」的に楽しんでもらえればと思っています。大好きな楳図かずおさんの世界に、いろんなホラー映画の要素など、自分の好きなものを次々に押し込んだ作品なんです。他にも諸星大二郎さんの漫画や松本人志さんの笑いなどからも大きな影響を受けています。

――楳図かずお原作のアニメ『妖怪伝 猫目小僧』(1976年/東京12チャンネル)は「ゲキメーション」と称した切り絵風の映像作品でしたが、その系譜を受け継ぐものでしょうか?

宇治茶 はい。『妖怪伝 猫目小僧』はリアルタイムでは観ていませんが、ネットで見つけて、ゲキメーションという手法を知ったんです。大学の卒業制作を何にしようか考えているときに、『墓場鬼太郎』(2008年/フジテレビ系)のオープニング曲にもなっていた電気グルーヴの「モノノケダンス」のプロモーションビデオも観ました。これも妖怪たちが紙人形化されていて動くゲキメーションの手法でした。それがあって、大学の卒業制作でゲキメーション手法の作品をつくり、前作『燃える仏像人間』(13)で商業監督デビューすることになったんです。なので、この世界で商業作品として存在するゲキメーションは、『猫目小僧』と「モノノケダンス」、僕がつくった『燃える仏像人間』『バイオレンス・ボイジャー』の4作品しかありません。

――普通のアニメーションをつくろうとは思わなかった?

宇治茶 普通のアニメーションはつくるのが大変そうだなぁと(笑)。以前から僕は絵を描くのが好きで、アクリル絵の具で描いていたんです。このタッチを活かすには、ゲキメーションがいちばんよかった。映画もつくりたかったし、自分の描いた絵もそのまま活かせる。僕の求めていた手法がゲキメーションだったんです。

――『バイオレンス・ボイジャー』は恐怖だけでなく、油断していると笑いもふいに襲ってきますね。

宇治茶 笑いも好きなんです。松本人志さんの笑いが大好きで、『バイオレンス・ボイジャー』はほぼ一人で原画を描いたんですが、作業中はずっと松本さんのラジオを聴いていました。楳図かずおさんの恐怖漫画も、怖いシーンの連続の中にふと「なにこれ?」と吹き出したくなるような笑いが混ざっていますよね。狙いすぎると寒い感じになってしまうので、自然と面白さが出てくるようにしました。『探偵!ナイトスクープ』からも影響を受けています。桂小枝さんが寂れた遊園地をレポートする「パラダイス」が好きなんです。「パラダイス」はおかしなおっさんが経営者として現われることが多いんですが、そんな「パラダイス」でもし殺戮が行われていたら……という妄想を膨らませたのが『バイオレンス・ボイジャー』なんです。

――子どもたちに確実にトラウマを植え付ける『バイオレンス・ボイジャー』ですが、宇治茶監督自身の恐怖体験を教えてください。小学生の頃、好きだった女の子に遠足中のバスでゲロを浴びせられた……みたいな恐ろしい目には遭っていませんか?

宇治茶 いや、そんな体験はしていません(笑)。実生活ではあんまり恐ろしい目には遭ってないかもしれません。やっぱり、テレビや映画から受けた恐怖が今でも残っていますね。小学校へ上がる前にテレビで、特撮映画『シンドバッド 虎の目大冒険』(77)を観たんですが、特撮監督レイ・ハリーハウゼンの手掛けるストップモーションアニメがすごく不気味で印象に残っています。デヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』(86)やポール・バーホーベン監督の『ロボコップ』(87)も小学生のときにテレビ放映で観て、すごくショックを受けました。

――人間がハエと融合したり、殉職した警官が勝手にサイボーグ化されてしまう。宇治茶監督の作品と通じるものがありますね

宇治茶 一度改造されたら、もとの姿には戻れないという不可逆な怖さがありますよね。『仮面ライダー』(毎日放送)も改造人間ですが、変身した後に人間の姿に戻ることができるので、あんまり怖くないんです。クローネンバーグ監督がインタビューで面白いことを話していました。「主人公は別の存在に変わってしまうが、本人視点にしてみれば新しい次元に移ることができたわけで、それほどの悲劇ではない」みたいなことを語っていたんです。よく分からないけど、面白いなぁと。『バイオレンス・ボイジャー』のラストシーンは、クローネンバーグ監督のその言葉に感化されたものになっています。クローネンバーグの難しい言葉が、自分で作品にしてみたことでようやく理解できたような気がしています。

――あぁ、宇治茶監督自身も別の次元に移っちゃったんですね。この気持ち悪〜い感じは、デヴィッド・リンチ監督の作品も彷彿させますが……。

宇治茶 リンチ監督のデビュー作『イレイザーヘッド』(77)は好きなんですが、その後の作品はクローネンバーグほどは好きじゃないんですよね。どうしてかは自分でも分からないんですが。

――あまりオシャレすぎるとダメなんでしょうか?

宇治茶 そうなのかもしれません。アートっぽいところが鼻につくのかもしれませんね(笑)。

――原画3,000枚をほぼひとりで黙々と描いたそうですが、ご家族から心配されませんか?

宇治茶 はっきりと口にはしませんが、心配されていると思います。『燃える仏像人間』は、家族に「これ、面白いの?」と言われました(苦笑)。今回、よしもとの芸人さんたちに声優のオファーをしたところ、理想のキャスティングができました。テレビで活躍している人気芸人さんたちに出てもらえて、よかったです。家族には「すごいやろ?」と自慢しています(笑)。

――ナレーションは、なんと松本人志!

宇治茶 はい。前作『燃える仏像人間』を松本さんに観ていただき、「面白かった。手伝えることあったら言ってな」という言葉をいただいていたので、ダメもとでオファーしたらOKいただいたんです。松本さんのオリジナルビデオ『ヴィジュアルバム』(98〜99年)も大好きです。コメディコメディしていないというか、不条理な世界に真剣に生きているというか。でも、それでいて、どっか笑えてくるんですよね。今回のナレーション録りのときは、緊張しすぎて1回収録し終わった直後に、「はい、OKです」と言ってしまったんです。でも、松本さんが「いや、もう1回とっとこうか」と言ってくださって、合計3回録りました。最後の3回目が素晴しかったので、本編ではそれを使っています。松本さんの厚意は本当にうれしかったし、それを無駄にしないようにしたいです。

――ゲキメーションという手法ですが、原画のテイストを最大限に活かすこの手法は、まだまだ可能性があるように思います。映像化が不可能とされている楳図かずお先生の代表作『14歳』なども、ゲキメーションなら可能ですよね。

宇治茶 そうですね、確かに! 楳図さんの『14歳』は、僕のこれまでの人生の中で最大に好きな漫画です。もし可能ならやってみたいし、僕自身が映像化された『14歳』をぜひ観てみたいです。恐れ多いんですが、『14歳』のパイロット版を一度つくってみましょうか。ゲキメーションに関しては、僕以外にも作り手が現われれば、さらに面白くなってくると思うんです。基本、オリジナルストーリーのものを僕はつくっていくつもりですが、チャンスがあれば僕が好きな漫画家さんの原作ものにも挑戦してみたいです。『バイオレンス・ボイジャー』はPG12ですが、大人が同伴すれば小っちゃい子でも観ることができます。先行上映された「沖縄国際映画祭」では子どもたちが怖がって、次々と退席していきました。多くの人のトラウマになれればいいなと思っています。きっと、10年後とかに「昔観た不気味な映画なんだっけなぁ。あっ、これや!」と懐かしく楽しめると思います(笑)。

(取材・文=長野辰次)

『バイオレンス・ボイジャー』

監督・脚本・編集・キャラクターデザイン・撮影/宇治茶

声の出演/悠木碧、田中直樹(ココリコ)、藤田咲、高橋茂雄(サバンナ)、小野大輔、田口トモロヲ、松本人志

配給/よしもとクリエイティブ・エージェンシー PG12

5月24日(金)よりシネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー

(c)吉本興業

http://violencevoyager.com/

●宇治茶(うじちゃ)

1986年京都府宇治市出身。京都嵯峨芸術大学観光デザイン学科卒業。大学の卒業制作でゲキメーション『RETNEPRAC2』(09)を制作。ゲキメーション第2弾『宇宙妖怪戦争』(10)を経て、安斎レオプロデュースによる長編『燃える仏像人間』(13)で商業監督デビュー。文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞を受賞。『燃える仏像人間』は冒頭と最後に実写パートがあるため、純度100%の長編ゲキメーションは『バイオレンス・ボジャー』が初となる。楳図かずおと諸星大二郎の漫画が大好き。

「ヴィーガンを強制しているわけではない」動物はごはんじゃないデモ行進の代表に真意を聞く!

 「動物はごはんじゃない」――そんな言葉が、いまネットを中心に注目を浴びている。これは、「動物への非倫理的扱いをなくし、動物が動物らしくある権利と尊厳を守る活動を行う」NPO法人・アニマルライツセンターが、6月1日に東京・渋谷で行うデモ行進の名称であり、食肉の生活を送る人たちは、この言葉に大きな衝撃を受けるとともに反発心を見せているようだ。

 動物由来のものを一切口にしない厳格なベジタリアン「ヴィーガン」の思想を押し付けられているように感じた人が多かったようで、「ヴィーガンになりたい人はなればいいが、なぜ強制するのか」「食べる食べないは自由」と怒りを滲ませながら疑問を投げかける声や、「肉を食べないなんて体に悪い」と健康面からヴィーガンに反対する声、はたまた「自分は一生肉を食べ続ける」といった宣言まで飛び出す事態に。

 さらに、アニマルライツセンターをはじめ、動物の権利保護を訴える人たちが、「動物虐待」の写真を大々的に使って活動を行っていることに対し、「気分が悪くなる」「不快」「街の人たちに、配慮が足りないのではないか」と訴える者もいる。「動物虐待」の写真で、動物の権利と尊厳を守ろうと訴えることにより、逆に反感を買っているような印象もあるが、なぜこうした運動を続けるのか――今回、その意図を、アニマルライツセンターの代表理事・岡田千尋氏にお聞きした。

反発の声は「とてもよくわかります」

――「動物はごはんじゃないデモ行進」が話題を集めていますが、一部で「ヴィーガンになることを強制するな」などといった声が出ています。

岡田千尋氏(以下、岡田) 実はアニマルライツセンターは、ヴィーガンになることを強制しているわけではなく、同会の理事の中には、健康上の理由から「放牧の卵は食べる」という人もいます。また、以前理事だった方にも、「日本人には古来の日本食が一番合っている」という考えから、天然のお魚を少しだけいただき、しかし卵や乳製品、肉は、動物にとって残酷だから食べないという人がいました。一方で私は、一切動物性のものは口にしません。各自のライフスタイルがどうであれ、動物たちにとって少しでもいい環境を作りたい、犠牲を減らしていきたいという行動さえできれば、「私たちと同じ気持ちを持っている人」なのだと思っています。

――動物由来のものは一切口にしてはいけないという教えがあり、それを広める活動をしているのだと思っていました。

岡田 私たちは、日本の畜産の現状などを、なるべく国内にある農場内の写真を使い、「自分たちが動物に対してどういうことをしているのか」「自分たちはどういうものを食べているのか」を、深く知ってもらいたいと思って活動をしています。皆さん、ショックを受けると思うのですが、そこで自分のライフスタイルを「どう判断するか」は、その人自身。強制する権限はありません。ただ「知ってください」という思いなんです。

――運動に対する反発の声をどのように受け止めていますか。

岡田 普段、何の疑いもなく食べてきたものに対して、「現実はすごく残酷なんだよ」と言われると、自分たちの食生活を否定されたような気持ちになると思うので、「なんで今、そんなことを指摘されなきゃいけないの?」といった反発を招いてしまうことは、とてもよくわかります。ただ、そういった反応をきっかけとして、次のステップにつながることも多いのです。また1か10かだけでなく、動物たちの苦しみを減らすための、いろんな解決策を示しています。例えば「アニマルウェルフェア(動物福祉)」に配慮した飼育への転換などです。私も昔は、何も知らないまま動物を食べていたのですが、現実を知ってとてもショックを受け、「どうして今まで知らせてくれなかったの?」と思い、動物を食べていたことを強く後悔しました。そういった気づきを人々に与えたいと思っています。

――残酷な写真を用いることで、むしろ反感を買っている気もするのですが、その意図を教えてください。

岡田 先ほどもお話した通り、私たちが使っている写真は、独自に調査したり、農場の内部の方からいただいた近年の日本の写真で、特に「日本のもの」を見せることにこだわっています。19年前に私が活動を始めた頃は、日本の写真ではなく、海外の写真が主に使われていたため、どこか私自身「日本人は、動物に対してそんなひどいことしないんじゃないかな?」と感じていたんですね。しかし、実際に現場を見てみると、そんなことはなかった。

 例えば、肉用の子豚を産まされる母豚が妊娠ストール(妊娠期間中に単頭飼育される個別の狭い檻)に拘束されていたり、動物が日常的に人から蹴られているというのも目の当たりにしました。かつての私がそうだったように、現実を知らばければ、人は「いいようにしか解釈しない」んです。動物は人間の言葉を発することはできませんし、外に出てきて声を上げることもできません。こうした「弱者」の「見えないところ」の犠牲は、いくらでもいいように解釈できてしまう。だから、「日本」の「写真や動画」を見せることにこだわっているんです。真実を知らなければ、それに対する解決策も生まれないと思います。日本は特に「臭いものには蓋」の傾向が強いので、写真に衝撃を受け、「なぜ残酷な写真を見せられなければいけないのか」と怒りを覚えた人がいても、無視されるよりはいいと感じています。

――例えば、「ヴィーガンはオシャレ、健康的、おいしい」など、ポジティブな発信方法もありますよね。

岡田 ヴィーガンの「楽しそうな側面」は、ただ一過性のブームで、「飽きたら次にいく」みたいな感じになってしまうのではないでしょうか。能動的な行動を起こすためには、やはり「現実を知って問題意識を持つこと」が重要だと感じています。今のような活動をする中でも、アニマルライツセンターの会員になってくださる方はいます。同会は、1987年に発足し、かつては犬や猫の問題を中心に取り組み、主に相談業務を行っていたそうなのですが、私が代表を引き継ぎ、犬や猫のシェルター事業を辞めて啓発活動のみにしたときは、寄付の金額は下がりました。ただその後、毛皮問題や畜産動物の問題に取り組み始めて、少しずつ寄付金額は回復していっています。活動自体は大きくなっていると感じていますね。

――先ほど、例に挙がった豚の妊娠ストール問題に関しては、どうなることが理想だと感じていますか。

岡田 妊娠ストールから解放してあげて、豚たちが相互に遊んだり、「綺麗好き」という元来の習性を発揮できるなど、豚が「正しい扱いを受ける」ことです。そういったところが見られると、やっぱり私たちも安心しますよね。「アニマルウェルフェア」は、動物の福祉を考えるものですが、実は畜産農家のためでもあると思っています。採卵養鶏業で使用される鶏の飼育方法「バタリーケージ」は、ワイヤーでできたケージを連ねて、その中に、鶏たちをほとんど身動きが取れないくらいぎゅうぎゅうに詰めるんです。バタリーケージの中は臭いがすごくて、鶏たちの悲鳴や爪で網を「カチャカチャ」と踏む音が鳴り響いているような状況で、従業員はそこで死体を取り除いていく作業をしたり、異常がないかを1日に何回か確認したりする仕事をしています。従業員も、そういったところで長くは働きたくないと思うんですよね。一方で、「アニマルウェルフェア」に配慮した放牧飼育のところは、農家の方自身も、癒やされる空間になりますし、大きなメリットだと感じます。

 また、放牧で飼育してると、動物に使う抗菌薬(抗生物質)やワクチンの投与量も大分抑えられますので、私たち“食べる側”にもメリットがあります。というのも、抗菌薬を投与された動物には薬剤耐性菌が発生するのですが、食や環境を通して人間に耐性菌が伝播し、抗生物質が効かなくなる……といった問題が出てくるんです。こうした背景もあって、国際獣疫事務局(OIE)も「アニマルウェルフェア」の考え方を踏まえた飼養管理の普及を進めています。

――「ヴィーガンを強制をする団体」という世間のイメージと、実際の活動内容にギャップが生じているように思います。

岡田 そうですね。ただやっぱり、皆さんに「行動はしてほしい」という気持ちはあります。例えば、いつも食べている卵を少し減らして、ケージ飼いではなく平飼いの卵を買ってみるとか、東京都庁や内閣府の食堂でも実施されている「ミートフリーマンデー」のように、週に一度は動物や健康のことを考えて肉を減らしてみるとか。私たちは一人の厳格なヴィーガンを作りたいわけではなく、一人でも多くの人がちょっとずつでも動物のことを考えたり、行動を起こすことで、そうすれば、社会は変わっていくのではないかなと思っています。

ゆたぼん父・中村幸也氏、心屋仁之助氏……臨床心理士が語る「疑惑の心理カウンセラー」への違和感

 5月5日のこどもの日、「琉球新報」が取り上げた「少年革命家ゆたぼん」なるYoutuberが、いま世間から注目を浴びている。同紙によると、ゆたぼんは沖縄在住の10歳の少年で、小学校3年生時、宿題を拒否したところ、放課後や休み時間に宿題をさせられ、学校側に不満を抱いたとのこと。担任の言うことを聞く同級生がロボットに見え、「俺までロボットになってしまう」と感じたことから、以来「自由登校」というスタイルを取っているそうだ。彼は、自身の経験から「不登校は不幸じゃない」と訴えている。

 そんなゆたぼんに対し、世間ではさまざまな意見が飛び交うことに。「いまの時代、学校だけが学びの場ではない」といった賛同の意見もあれば、「宿題をやりたくないのはわがままでは?」といった否定の意見もあり、「義務教育とは何か」についての議論にまで発展しているのだ。

 そんな中、独特の感性を持つゆたぼんを育んだ“中村家の教育方針”を知りたがる人は多かったようで、ゆたぼんの父親である心理カウンセラーで作家の中村幸也氏にも、世間の関心が寄せられるように。するとまもなく、中村氏が公式ブログにつづったエピソードに、「疑問を抱いた」という声がネット上で上がりだしたのだ。

 例えば、「働かないのは悪い事か?」というエントリーでは、「本気で働きたい人がガッツリ稼いで、そのお金を働きたくない人にまわせば、みんながハッピーに暮らせるのではないか?」と自身の考えを述べているのだが、ネット上では「どうして働きたくない人のために、ほかの人が働くのかなければいけないのか」といった声が噴出。また、中村一家が、大阪から沖縄へ移住したことを報告するエントリーでは、長女が移住計画を途中で放棄したとし、「贅沢でわがまま」と痛烈に批判。「学校に従わない子はいい子で、親に従わない子はわがままなの?」といった指摘が飛び交ったのだ。

 さらに、中村氏が、心理カウンセラー・心屋仁之助氏を尊敬しているとみられる内容のエントリーが見つかると、ネット上は騒然。心屋氏は昨年、「娘を叩いてしまう」と悩む母親に対して、「キミの娘さん叩かれるために生まれてきたのよ」とアドバイスし、大炎上した過去があるなど、以前からネット上では、「心理学ではなくスピリチュアルの人では?」と疑惑の目で見られていた人物なのだ。

 こうした流れから、現在、中村氏と心屋氏の肩書である「心理カウンセラー」が話題の的になっている。心理カウンセラーと聞くと、「臨床心理士」を思い浮かべる人が多いだろうが、両氏ともに同資格は取得しておらず、中村氏は「日本メンタルヘルス協会」の講座で心理について学び、心屋氏は「日本NLP協会」の「プラクティショナー」と「マスタープラクティショナー」の認定コースを受講した経験があるとのこと。耳慣れない団体だけに、中村氏や心屋氏に対して「心理カウンセラーを名乗ってもよいのか?」といった疑問の声も聞こえてくる。今回、神奈川大学心理相談センター所長、人間科学部教授である臨床心理士の杉山崇氏に、現在の心理カウンセラー界の実情について、話を聞いた。

 日本には現在、心理に関する資格は枚挙に暇がなく、さまざまな認定講座や試験が実施されている。杉山氏いわく、最もよく知られる資格は「臨床心理士」で、民間資格だが、もともと文部科学省が認可(現在は内閣府が認可)している公益法人が認定しているため「半民半官の資格と言える」そうだ。また2017年、新たに定められた国家資格「公認心理師」も、最近世間で認知されるようになり、双方とも、基本的には大学や大学院の科目履修/修了が受験条件となる「難易度の高い資格」「信頼度の高い資格」と言えるとのこと。一見、心理カウンセラーは、臨床心理士や公認心理師が就く仕事のように思えるが、実際は、「名乗ったもの勝ち」になっているという。

「心理カウンセラーという資格があるわけではなく、心理カウンセラーを名乗ることを規制する法律もないため、誰もが名乗りたい放題になっています。一概に『臨床心理士や公認心理師以外は信頼度が低い』とは言えないですが、厚生労働省や文部科学省のチェックがないまま、各団体が独自に実施している講座や資格試験は、クオリティーコントロールが難しい面はあると思います」

 臨床心理士も公認心理師も、「サイエンティスト-プラクティショナーモデル」に基づいて作られた資格だという。これは「『心理学という科学を修めた人間が、カウンセリングを行う』という意味。そのため、この資格を得るには、大学/大学院レベルでの心理学教育を受け、理論や研究の知見などを理解し、心の動きや仕組みを科学的に考えることができることが前提になる」そうだ。

 中村氏が心理について学んだという日本メンタルヘルス協会の代表・衛藤信之氏は、同協会の公式サイトによると「日本で従来おこなわれていた、理論中心の心理学に変わり、実戦的な日常で使えるコミュニケーションプログラムを開発」(原文ママ)したと紹介されているが、「”理論中心の心理学に変わり”という言葉には、『どこまで科学的に心を捉えられるのか』『心に対する合理的な考察をどのように深めているのだろうか』という疑問は抱いてしまいます」。

 中村氏や心屋氏のように、臨床心理士や公認心理師ではないにもかかわらず、「心理カウンセラー」を名乗る人を、同資格取得者たちはどう見ているのだろうか。

「昔からそういった人は多くいるので、我々臨床心理士たちは、『気にしていない』『同業者とは思わない』といった感じではあるものの、心理カウンセラーという言葉で、一緒くたにされるのを嫌がる人もいるようです。やはり臨床心理士、また公認心理師もそうですが、ちゃんと時間をかけて厳しいトレーニングと勉強をしなければ取得できないハードルの高い資格ですから、同じだとみなされることに不満を抱くのでしょう」

 ただし、カウンセリングを提供する自治体や事業所などが、心理カウンセラーを採用する際、概ね「臨床心理士、公認心理師」を条件にしているため、「こうした資格のない心理カウンセラーが、私たちの仕事を圧迫していることはない」という。臨床心理士、公認心理師ではない心理カウンセラーの増殖を問題視するより、「臨床心理士、公認心理師の社会的な信頼を高めることに集中しようというのが、今の業界の空気」だそうだ。

 また杉山氏いわく、「心理カウンセラー」と名乗る中村氏や心屋氏の言動には、臨床心理士や公認心理師とは違うかもしれないと感じるところもあるという。

「中村氏は、『あきらめる勇気 人生はあきらめが9割 残りの1割で幸福になる方法』(ハート出版)という本を出しているそうですが、最近は心理療法でも『あきらめること』の意義が注目されており、あきらめることを提案することについては、科学的にも間違っていないと思います。しかし、臨床心理士や公認心理師は、クライアントから、どういう状況で、何を望んで、何に困っているのかを十分に教えてもらったうえで助言や提案を行い、さらに、それに対してどのように感じたかを聞くことができる状況でないと、カウンセリングはしません。したがって『本気で働きたい人がガッツリ稼いで、そのお金を働きたくない人にまわせば、みんながハッピーに暮らせるのではないか?』という発信は滅多にしません。この考え方で誰が幸せになれるのかよくわかりませんし、その科学的な根拠も良くわからないからです」

 また、心屋氏は、「自分の性格を変えることで問題を解決する」というカウンセリングが好まれ、一部で絶大な支持を集める心理カウンセラーであり、ネット上では「宗教のように見える」「心屋氏に依存しているような人も見受けられる」などとも指摘されているが、杉山氏は「心理カウンセラーの仕事は、クライアントを“カウンセリングの必要がない状態”にすることが目的であり、クライアントをファンにしたり、依存させたりすることは目的ではない」と断言した。

「心理学という科学に基づく心理カウンセラーにとって必要なのは、『心とはわからないものだ』という前提に立って、心を考える合理的な手がかりをたくさん持つ努力を続けることだと思います。それが人の心を科学的に学ぶ必然性にもつながってきます」

 最後に「臨床心理士、公認心理師も、そして心理学という科学も“絶対的な存在”ではないとは思います。大事なことはカウンセリングを受ける人が幸せになることです。そのためには、自分はどんなカウンセリングを求めているのかイメージを持ち、自分に合った人を見つけることが大事です」とアドバイスしてくれた杉山氏。「心理カウンセラーという職種自体には資格がない」からこそ、受ける側には、心理カウンセラーを見極める目が必要とされるようだ。

“神の沈黙”をデビュー作で描き切った注目の才能!! 岩井俊二、是枝裕和の再来を思わせる新鋭監督現わる

 神さまは本当にいるの? 人間は死んだらどうなるの? 誰しも子どもの頃に頭を悩めた問題ではないだろうか。大人たちに尋ねても答えてはもらえず、結局答えが分からないまま自分も大人になってしまった。そんな少年期のモヤモヤ感を瑞々しい映像で、ユーモアと残酷さを交えて描いてみせたのが新人・奥山大史監督だ。長編デビュー作『僕はイエス様が嫌い』は奥山監督が青山学院大学在学中に撮った低予算の自主映画ながら、スペインのサンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞(22歳での同賞受賞は史上最年少記録)。ストックホルム国際映画祭とダブリン国際映画祭では最優秀撮影賞を受賞するなど、すでに海外でその才能が高く評価されている。

 物語の主人公は、転校先の小学校がミッション系だったことに戸惑う少年・ユラ(佐藤結良)。神の存在について考えるようになったユラの前に小さな小さな神さま(チャド・マレーン)が現われ、ひとりぼっちだったユラは「友達ができますように」と祈る。その願いは叶えられ、サッカーが得意な和馬(大熊理樹)という親友ができる。次々とユラの願いを叶えてくれる神さまだったが、やがてユラに大きな試練も与えることに―。

 現在は大手広告会社に勤める奥山監督に、宗教や死生観という深淵なテーマを扱ったデビュー作について語ってもらった。

──『僕はイエス様が嫌い』は学生時代に撮った作品ですが、青山学院大学には映画学科はありませんよね?

奥山大史(以下、奥山) はい、芸術系の大学のような映画学科はありません。大学の卒業制作として撮ったわけではなく、あくまでも学生が撮った自主映画です。でも、社会人になったらのんびり自主映画をつくる余裕もなくなるだろうから、その前に形になるものを残しておきたいという思いがあり、学生時代の集大成のつもりで撮り上げた作品なんです。

──神さまはいるの? 死後の世界はあるの? と子どもの頃は真剣に考えましたが、大人になると悩んでいたことさえも忘れてしまう。そんな誰もが体験した宗教観や死生観を、デビュー作で見事に描いています。

奥山 大人になると忙しくなるので、いくら考えても仕方ないってことなんでしょうね。僕自身、子どもの頃に「本当に神さまはいるのかな」とすごく考えていた時期があります。その頃の体験を、映画を撮ることで改めて考えるようになりました。最初はもっとガチガチに宗教観や死生観を描いたものにしようとプロットを書いてみたんですが、あまりに取っ付きにくい偏った宗教映画になってしまいそうだったので、もう少し普遍性のある一人の少年の成長ドラマにすることにしたんです。

神さまはイマジナリーフレンドだった!?

──ひとりぼっちのユラの前に、愛嬌のある小さな神さまが現われる。神さまを子どもの頭の中にいるイマジナリーフレンドとして描いている点が斬新でした。現実に対して非力な子どもたちにとって、神さまはイマジナリーフレンドと同じくらい身近な存在なんだなと感じました。

奥山 姿が見えないのに、みんながその存在を信じている神さまって、どこかイマジナリーフレンドと近いものなのかもしれません。何か迷ったときに相談にのってくれたり、答えへと導いてくれる神さまは、子どもたちにとって、とても身近な存在だと思います。特定の宗教じゃなくても、自分だけの神さま、困ったときに悩みを共有してくれるイマジナリーフレンドって、みんないたんじゃないかと思うんです。

──ひとりっ子のユラの望みを、小さな神さまは次々と叶えてくれる。『ドラえもん』ののび太とドラえもんの関係も連想させます。

奥山 そう言われれば、確かにそうですね(笑)。映画をつくっているときは意識していませんでしたが、3Dアニメ版『STAND BY ME ドラえもん』(14)も、のび太の前からドラえもんが消えてしまう物語でした。“神の沈黙”というか“ドラえもんの沈黙”が描かれていたわけですよね。オールマイティーな存在がいて、自分の味方になってくれるけど、やがて姿を消してしまうという展開は、ある意味では少年の成長ドラマを描く上での王道なのかもしれません。王道の世界に宗教を絡めたところが、観てくれた人たちには新鮮に感じてもらえたようです。

──千円札を折って作った紙人形と神さまを紙相撲対決させるなど、けっこうブラックジョークも効いています。

奥山 そうですね(笑)。小道具を使うときは、単純にそのシーンを盛り上げるためだけじゃなくて、物語の伏線になるように考えました。そうじゃないと出す意味がないと思うんです。でも、あまり説明的になり過ぎないようにも意識しました。観ていただいた方に考える余白がちょっとあるくらいが、楽しんで観てもらえるんじゃないかと思うんです。神さまを演じてくれたチャド・マレーンさんに海外の映画祭向けの英語字幕も付けてもらったんですが、お笑い芸人なだけあって、字幕を出すタイミングや意訳の仕方が抜群だとほめてもらっています。海外で評価が高かったのは、チャドさんの力がかなりあると思います。サンセバスチャン映画祭に応募するための仮編集版、映画祭上映版、その後の修正版……と編集し直す度に、チャドさんが英語字幕を付け直してくれたので、本当に感謝しています。

──ユラがミッション系の学校に転校し……というストーリーは、奥山監督自身の体験がベースになっているんですよね?

奥山 はい、幼稚園の途中から大学までミッション系の学校に通いました。最初はすごく戸惑いがありました。みんな楽しげに礼拝堂で聖句を唱えているんですが、どうして姿も見えないものをそんなに信じることができるんだろうって。集団で祈るという行為にも抵抗がありました。でも、子どもの頃の記憶をすべて鮮明に覚えていたわけではなくて、脚本を書く前に母校に1週間ほど通い、いろいろと思い出していった感じでした。ユラが親友となる和馬と仲良くなり、そして別れることになるのも、僕自身の体験を投影したものです。僕にとって初めての親しい人との死別でした。彼が亡くなったとき、周囲の人たちが意外とあっさりと日常生活に戻っていったことにも違和感がありましたし、自分も亡くなったらこんなふうに忘れられていくんだなぁ……とか考えるようになったんです。

──映画とはもしかすると、二度と逢えない人と再会するためのタイムマシン的な装置なのかもしれませんね。

奥山 そうですね……。『僕はイエス様が嫌い』に関していえば、自分の中で消化されてなかった記憶を追体験したいという気持ちが強かったように思います。主人公の少年には自分の過去を投影させていますし、追体験することで胸の中に消化されずにいた想いにもう一度向かい合いたかったんだと思うんです。撮影中は忙しすぎて、当時を振り返る余裕はありませんでしたが、脚本を書いている間や編集中は、思い出すことが多かったですね。今回、映画をつくったいちばんの動機である亡くなった親友のお母さんに完成したDVDを届けに行ったんです。そのとき親友のお母さんに「一緒に観よう」と言われ、観ることにしました。多分、映画をつくってなかったら、親友のお母さんと一緒にそんな時間を過ごすこともなかったでしょうね。自分の中で消化できずにいた記憶が少しだけ消化できたというか、整理できたんじゃないかなと思うんです。

男の子がいちばん美しい年齢

──子どもたちがいつも窓から外の景色を眺めているのが印象的です。

奥山 窓から外の様子を眺めている姿って、人間がいちばん美しく撮れるカットだと僕は思っているんです。一定の方向から光が当たるので、陰影がはっきり出ますし、子どもを撮っていてもそうだと思います。人が窓から外を眺めているカットって、僕はすごく魅力的だと感じているんです。

──中学校に上がる前の男の子たちが主人公。大人でも子どもでもない、曖昧な年齢ですね。

奥山 僕自身がその年齢の頃に体験したことを描いたということもありますが、あの年齢の男の子たちを主人公にしてよかったなと思っています。小5から中1にかけてが、男の子がいちばん美しい年齢じゃないかと僕は思っているんです。和馬役の大熊くんはユラ役の佐藤くんより1歳年上なんですが、久しぶりに会うとすっかり大人びていました。あの年頃の少年は1歳年齢を重ねるだけで、すごく変わります。男の子が子どもでも大人でもない時期って、すごく短い。でも、その儚さみたいなものが危うさを感じさせますし、魅力的でもあるんじゃないでしょうか。撮影期間は1週間だけで、夜8時以降は子どもたちの撮影はできないとか、いろんな規制はありましたが、子どもたちと同じ旅館に泊まっていたこともあり、一緒になって遊んだり、カップラーメンを食べたり、楽しく過ごすことができました。

 

奥山監督に影響を与えた人物は?

──子どもたちの豊かな世界を描いた、という点で是枝裕和監督の『誰も知らない』(04)なども連想させますね。

奥山 もちろん、是枝さんの作品は大好きですし、子どもたちには脚本を見せないという演出方法は是枝さんからの影響です。でも、是枝さんも最初からその手法を見つけていたわけではなく、いろんな人たちの影響を受けながら体得したものだと思うんです。僕自身、中学の頃に「大人計画」の舞台を観たことで演技の世界に魅了されたことが映画を撮るようになったきっかけですし、1シーン1カットで撮影するという手法は海外の監督からの影響で、構図は写真を撮ることで学んだものです。一人からではなく、いろんなものから影響を受けています。今回は自分の実体験がベースになっていますし、何を描きたいのか、何を伝えたいのかがはっきりしていれば、伝え方は誰かの影響を受けたものでもかまわないと思うんです。

──前作『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』(18)は短編映画でしたが、大竹しのぶ主演作。よく学生監督のオファーに大竹さんが応えてくれましたね。

奥山 もともとはテレビ番組『岩井俊二のMOVIEラボ』(NHK教育)向けにつくった1分程度の映像だったんですが、短編映画として残したいと思い、大人計画の舞台「ふくすけ」に出演していた大竹さんにオファーしたんです。事務所宛に手紙を送ったんですが、半年くらいそのままになっていたので、自分で企画書を持って事務所を訪ねました。1日だけの撮影で10分程度の短編ですが、企画から完成まで2年半ほど掛かったんです。大竹さんが出演してくれて、本当にラッキーでした。

──現在は大手広告会社に勤務しているわけですが、映画監督としての今後の活動予定は?

奥山 国内でこれからようやく劇場公開されるので、どんな反応があるのか楽しみにしているところです。「一緒に何かやろう」と声を掛けてくださる方もいて、ありがたいです。構想はいくつかありますが、まだ具体的な脚本はできていません。今は会社で広告全般にまつわる仕事をしているところです。脳の使い方が映画を撮るときはとはまったく違いますね(笑)。いろいろと勉強になります。映画監督をしていく上で視野の広さを持つことは大切なので、会社での経験もきっと役立つんじゃないかと信じているんです

 窓から差し込む冬の日差しを浴びた少年たちの姿を繊細に映し出すカメラワークは岩井俊二監督を思わせ、子どもたちだけの豊饒な世界は是枝裕和監督の作品を連想させる。奥山監督いわく、他にもいろんな人物や作品から刺激を受けてきたそうだ。新しい才能の誕生を、映画の神さまもきっと祝福するに違いない。

(取材・文=長野辰次/撮影=尾藤能暢)

神の沈黙をデビュー作で描き切った注目の才能!! 岩井俊二、是枝裕和の再来を思わせる新鋭監督現わるの画像5

『僕はイエス様が嫌い』
監督・撮影・脚本・編集/奥山大史
出演/佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、木引優子、ただのあつ子、二瓶鮫一、秋山建一、大迫一平、北山雅康、佐伯日菜子
配給/ショウゲート 5月31日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次ロードショー
(C)2019閉会宣言
https://jesus-movie.com

●奥山大史(おくやま・ひろし)
1996年東京都生まれ。初長編映画『僕はイエス様が嫌い』がサンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞、ストックホルム国際映画祭とダブリン国際映画祭で最優秀撮影賞、マカオ国際映画祭でスペシャルメンションを受賞した。大竹しのぶが主演した短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』(18)は釜山国際映画祭に正式出品されている。小川紗良監督『最期の星』(18)では撮影監督を務めた他、GUやLOFTのCM撮影も担当。

“神の沈黙”をデビュー作で描き切った注目の才能!! 岩井俊二、是枝裕和の再来を思わせる新鋭監督現わる

 神さまは本当にいるの? 人間は死んだらどうなるの? 誰しも子どもの頃に頭を悩めた問題ではないだろうか。大人たちに尋ねても答えてはもらえず、結局答えが分からないまま自分も大人になってしまった。そんな少年期のモヤモヤ感を瑞々しい映像で、ユーモアと残酷さを交えて描いてみせたのが新人・奥山大史監督だ。長編デビュー作『僕はイエス様が嫌い』は奥山監督が青山学院大学在学中に撮った低予算の自主映画ながら、スペインのサンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞(22歳での同賞受賞は史上最年少記録)。ストックホルム国際映画祭とダブリン国際映画祭では最優秀撮影賞を受賞するなど、すでに海外でその才能が高く評価されている。

 物語の主人公は、転校先の小学校がミッション系だったことに戸惑う少年・ユラ(佐藤結良)。神の存在について考えるようになったユラの前に小さな小さな神さま(チャド・マレーン)が現われ、ひとりぼっちだったユラは「友達ができますように」と祈る。その願いは叶えられ、サッカーが得意な和馬(大熊理樹)という親友ができる。次々とユラの願いを叶えてくれる神さまだったが、やがてユラに大きな試練も与えることに―。

 現在は大手広告会社に勤める奥山監督に、宗教や死生観という深淵なテーマを扱ったデビュー作について語ってもらった。

──『僕はイエス様が嫌い』は学生時代に撮った作品ですが、青山学院大学には映画学科はありませんよね?

奥山大史(以下、奥山) はい、芸術系の大学のような映画学科はありません。大学の卒業制作として撮ったわけではなく、あくまでも学生が撮った自主映画です。でも、社会人になったらのんびり自主映画をつくる余裕もなくなるだろうから、その前に形になるものを残しておきたいという思いがあり、学生時代の集大成のつもりで撮り上げた作品なんです。

──神さまはいるの? 死後の世界はあるの? と子どもの頃は真剣に考えましたが、大人になると悩んでいたことさえも忘れてしまう。そんな誰もが体験した宗教観や死生観を、デビュー作で見事に描いています。

奥山 大人になると忙しくなるので、いくら考えても仕方ないってことなんでしょうね。僕自身、子どもの頃に「本当に神さまはいるのかな」とすごく考えていた時期があります。その頃の体験を、映画を撮ることで改めて考えるようになりました。最初はもっとガチガチに宗教観や死生観を描いたものにしようとプロットを書いてみたんですが、あまりに取っ付きにくい偏った宗教映画になってしまいそうだったので、もう少し普遍性のある一人の少年の成長ドラマにすることにしたんです。

神さまはイマジナリーフレンドだった!?

──ひとりぼっちのユラの前に、愛嬌のある小さな神さまが現われる。神さまを子どもの頭の中にいるイマジナリーフレンドとして描いている点が斬新でした。現実に対して非力な子どもたちにとって、神さまはイマジナリーフレンドと同じくらい身近な存在なんだなと感じました。

奥山 姿が見えないのに、みんながその存在を信じている神さまって、どこかイマジナリーフレンドと近いものなのかもしれません。何か迷ったときに相談にのってくれたり、答えへと導いてくれる神さまは、子どもたちにとって、とても身近な存在だと思います。特定の宗教じゃなくても、自分だけの神さま、困ったときに悩みを共有してくれるイマジナリーフレンドって、みんないたんじゃないかと思うんです。

──ひとりっ子のユラの望みを、小さな神さまは次々と叶えてくれる。『ドラえもん』ののび太とドラえもんの関係も連想させます。

奥山 そう言われれば、確かにそうですね(笑)。映画をつくっているときは意識していませんでしたが、3Dアニメ版『STAND BY ME ドラえもん』(14)も、のび太の前からドラえもんが消えてしまう物語でした。“神の沈黙”というか“ドラえもんの沈黙”が描かれていたわけですよね。オールマイティーな存在がいて、自分の味方になってくれるけど、やがて姿を消してしまうという展開は、ある意味では少年の成長ドラマを描く上での王道なのかもしれません。王道の世界に宗教を絡めたところが、観てくれた人たちには新鮮に感じてもらえたようです。

──千円札を折って作った紙人形と神さまを紙相撲対決させるなど、けっこうブラックジョークも効いています。

奥山 そうですね(笑)。小道具を使うときは、単純にそのシーンを盛り上げるためだけじゃなくて、物語の伏線になるように考えました。そうじゃないと出す意味がないと思うんです。でも、あまり説明的になり過ぎないようにも意識しました。観ていただいた方に考える余白がちょっとあるくらいが、楽しんで観てもらえるんじゃないかと思うんです。神さまを演じてくれたチャド・マレーンさんに海外の映画祭向けの英語字幕も付けてもらったんですが、お笑い芸人なだけあって、字幕を出すタイミングや意訳の仕方が抜群だとほめてもらっています。海外で評価が高かったのは、チャドさんの力がかなりあると思います。サンセバスチャン映画祭に応募するための仮編集版、映画祭上映版、その後の修正版……と編集し直す度に、チャドさんが英語字幕を付け直してくれたので、本当に感謝しています。

──ユラがミッション系の学校に転校し……というストーリーは、奥山監督自身の体験がベースになっているんですよね?

奥山 はい、幼稚園の途中から大学までミッション系の学校に通いました。最初はすごく戸惑いがありました。みんな楽しげに礼拝堂で聖句を唱えているんですが、どうして姿も見えないものをそんなに信じることができるんだろうって。集団で祈るという行為にも抵抗がありました。でも、子どもの頃の記憶をすべて鮮明に覚えていたわけではなくて、脚本を書く前に母校に1週間ほど通い、いろいろと思い出していった感じでした。ユラが親友となる和馬と仲良くなり、そして別れることになるのも、僕自身の体験を投影したものです。僕にとって初めての親しい人との死別でした。彼が亡くなったとき、周囲の人たちが意外とあっさりと日常生活に戻っていったことにも違和感がありましたし、自分も亡くなったらこんなふうに忘れられていくんだなぁ……とか考えるようになったんです。

──映画とはもしかすると、二度と逢えない人と再会するためのタイムマシン的な装置なのかもしれませんね。

奥山 そうですね……。『僕はイエス様が嫌い』に関していえば、自分の中で消化されてなかった記憶を追体験したいという気持ちが強かったように思います。主人公の少年には自分の過去を投影させていますし、追体験することで胸の中に消化されずにいた想いにもう一度向かい合いたかったんだと思うんです。撮影中は忙しすぎて、当時を振り返る余裕はありませんでしたが、脚本を書いている間や編集中は、思い出すことが多かったですね。今回、映画をつくったいちばんの動機である亡くなった親友のお母さんに完成したDVDを届けに行ったんです。そのとき親友のお母さんに「一緒に観よう」と言われ、観ることにしました。多分、映画をつくってなかったら、親友のお母さんと一緒にそんな時間を過ごすこともなかったでしょうね。自分の中で消化できずにいた記憶が少しだけ消化できたというか、整理できたんじゃないかなと思うんです。

男の子がいちばん美しい年齢

──子どもたちがいつも窓から外の景色を眺めているのが印象的です。

奥山 窓から外の様子を眺めている姿って、人間がいちばん美しく撮れるカットだと僕は思っているんです。一定の方向から光が当たるので、陰影がはっきり出ますし、子どもを撮っていてもそうだと思います。人が窓から外を眺めているカットって、僕はすごく魅力的だと感じているんです。

──中学校に上がる前の男の子たちが主人公。大人でも子どもでもない、曖昧な年齢ですね。

奥山 僕自身がその年齢の頃に体験したことを描いたということもありますが、あの年齢の男の子たちを主人公にしてよかったなと思っています。小5から中1にかけてが、男の子がいちばん美しい年齢じゃないかと僕は思っているんです。和馬役の大熊くんはユラ役の佐藤くんより1歳年上なんですが、久しぶりに会うとすっかり大人びていました。あの年頃の少年は1歳年齢を重ねるだけで、すごく変わります。男の子が子どもでも大人でもない時期って、すごく短い。でも、その儚さみたいなものが危うさを感じさせますし、魅力的でもあるんじゃないでしょうか。撮影期間は1週間だけで、夜8時以降は子どもたちの撮影はできないとか、いろんな規制はありましたが、子どもたちと同じ旅館に泊まっていたこともあり、一緒になって遊んだり、カップラーメンを食べたり、楽しく過ごすことができました。

 

奥山監督に影響を与えた人物は?

──子どもたちの豊かな世界を描いた、という点で是枝裕和監督の『誰も知らない』(04)なども連想させますね。

奥山 もちろん、是枝さんの作品は大好きですし、子どもたちには脚本を見せないという演出方法は是枝さんからの影響です。でも、是枝さんも最初からその手法を見つけていたわけではなく、いろんな人たちの影響を受けながら体得したものだと思うんです。僕自身、中学の頃に「大人計画」の舞台を観たことで演技の世界に魅了されたことが映画を撮るようになったきっかけですし、1シーン1カットで撮影するという手法は海外の監督からの影響で、構図は写真を撮ることで学んだものです。一人からではなく、いろんなものから影響を受けています。今回は自分の実体験がベースになっていますし、何を描きたいのか、何を伝えたいのかがはっきりしていれば、伝え方は誰かの影響を受けたものでもかまわないと思うんです。

──前作『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』(18)は短編映画でしたが、大竹しのぶ主演作。よく学生監督のオファーに大竹さんが応えてくれましたね。

奥山 もともとはテレビ番組『岩井俊二のMOVIEラボ』(NHK教育)向けにつくった1分程度の映像だったんですが、短編映画として残したいと思い、大人計画の舞台「ふくすけ」に出演していた大竹さんにオファーしたんです。事務所宛に手紙を送ったんですが、半年くらいそのままになっていたので、自分で企画書を持って事務所を訪ねました。1日だけの撮影で10分程度の短編ですが、企画から完成まで2年半ほど掛かったんです。大竹さんが出演してくれて、本当にラッキーでした。

──現在は大手広告会社に勤務しているわけですが、映画監督としての今後の活動予定は?

奥山 国内でこれからようやく劇場公開されるので、どんな反応があるのか楽しみにしているところです。「一緒に何かやろう」と声を掛けてくださる方もいて、ありがたいです。構想はいくつかありますが、まだ具体的な脚本はできていません。今は会社で広告全般にまつわる仕事をしているところです。脳の使い方が映画を撮るときはとはまったく違いますね(笑)。いろいろと勉強になります。映画監督をしていく上で視野の広さを持つことは大切なので、会社での経験もきっと役立つんじゃないかと信じているんです

 窓から差し込む冬の日差しを浴びた少年たちの姿を繊細に映し出すカメラワークは岩井俊二監督を思わせ、子どもたちだけの豊饒な世界は是枝裕和監督の作品を連想させる。奥山監督いわく、他にもいろんな人物や作品から刺激を受けてきたそうだ。新しい才能の誕生を、映画の神さまもきっと祝福するに違いない。

(取材・文=長野辰次/撮影=尾藤能暢)

神の沈黙をデビュー作で描き切った注目の才能!! 岩井俊二、是枝裕和の再来を思わせる新鋭監督現わるの画像5

『僕はイエス様が嫌い』
監督・撮影・脚本・編集/奥山大史
出演/佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、木引優子、ただのあつ子、二瓶鮫一、秋山建一、大迫一平、北山雅康、佐伯日菜子
配給/ショウゲート 5月31日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次ロードショー
(C)2019閉会宣言
https://jesus-movie.com

●奥山大史(おくやま・ひろし)
1996年東京都生まれ。初長編映画『僕はイエス様が嫌い』がサンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞、ストックホルム国際映画祭とダブリン国際映画祭で最優秀撮影賞、マカオ国際映画祭でスペシャルメンションを受賞した。大竹しのぶが主演した短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』(18)は釜山国際映画祭に正式出品されている。小川紗良監督『最期の星』(18)では撮影監督を務めた他、GUやLOFTのCM撮影も担当。

田中圭・斎藤工を見いだしたBL映画プロデューサーに聞く、次にブレークする俳優

 『おっさんずラブ』『きのう何食べた』『窮鼠はチーズの夢を見る』……今、続々と“男性同士の恋愛”を描いた映像作品が生み出され、かつてない“BL旋風”が吹き荒れている。2006~11年に映画『タクミくんシリーズ』を大ヒットさせた、BL映像化のパイオニア・株式会社ビデオプランニングの三木和史氏は、昨今の状況をどう見ているのだろうか。後編では、三木氏がキャスティングの際に重要視していることなど、映画制作の裏話も飛び出した。

(前編はこちら)

田中圭、斎藤工をいち早く主演に抜てきしたワケ

――昨今、かつてないほど男性同士の恋愛をテーマにした作品が増えていますが、監督やキャスト、脚本家など、総合的に地上波の条件にマッチしないとドラマの企画が進まない状態は、今も昔も変わっていないのでしょうか。

三木和史氏(以下、三木) そうですね。だから、『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)は本当によくやったと思います。このドラマがヒットしたことで、局上層部の人たちも「これが世間に受け入れられるのか」と、インプットしたはずです。でも『おっさんずラブ』だって、最初はキャスティングするのに苦労したはずですよ。結果的に田中圭さんが出演したことで、ヒットしましたけど。

――BL作品ではないですが、三木さんも田中さん主演映画『びったれ!!!』(15年)を作られていますよね。

三木 そうです。おかげさまで今、DVDが売れています。いや~、ありがたい(笑)!

――満面の笑みですね(笑)。そんな“未来の売れっ子”をいち早くキャスティングしていたところに、先見の明を感じます。

三木 いやいや、そんなものはなくて、キャストの起用基準はシンプルに「その作品に合うか、合わないか」だけです。映画『タクミくんシリーズ2「虹色の硝子」』(09年)の主演だった、浜尾京介くんもそう。あの時は約300人オーディションをして決め手に欠けていたところ、最後にやってきた浜尾くんが、原作イメージそのままの雰囲気を持っていて、彼に決めたんです。「売れてる俳優だから使おう」ということではなく、「原作の雰囲気を裏切らないキャスト」だったことが、ファンに刺さった要因の一つだと思っているので、やはり作品との相性は大切ですよね。

――斎藤工さんのことも、無名時代から起用されていますよね。

三木 映画『ユリシス』(06年)で初めて起用した当時、彼にはすでに大勢のファンがいました。それで、「彼で映画を作ったら儲かるんじゃないのか?」と思ったんです。その当時から、男前で色気があったことをよく覚えていますね。結果的に、『ユリシス』が予想以上に儲かって、制作側が「彼はいけるぞ! もう1本やろう!」となり、“同性に憧れる”という内容の青春映画『スキトモ』(07年)ほか、ビデオプランニングの作品に10本ほど出演してもらいました。

――そんな裏話があったのですね! では、今後ブレークしそうな俳優を挙げるなら、誰でしょうか?

三木 今年1月クールのドラマ『広告会社、独身寮のおかずくん』(テレビ神奈川)で起用した、黒羽麻璃央と崎山つばさくんでしょうか。彼らとは『俺旅。』(東名阪ネット6)でも一緒に仕事をしていて、『広告会社、独身寮のおかずくん』も彼らに合うんじゃないかと思い、起用しました。2人とも色気があるし、これからもっと売れると思いますよ。

 あとは、業界的に「売れる」と言われているのが、ドラマ『中学聖日記』(18年、TBS系)で一躍有名になった、岡田健史くんですね。彼は、今の所属事務所が福岡から東京に連れてきたときに会いましたが、ほかの子と素材がまったく違う。まだまだ芝居はうまくないけど、ほかの人が持ってないオーラを感じます。

――たとえば、『タクミくんシリーズ』に岡田くんが出演する、なんてことは……。

三木 脚本が良ければ、その可能性はあるかもしれないですね(笑)。テレビ東京の深夜で、しかも“ゲイカップル”が主人公のドラマ『きのう何食べた?』に、西島秀俊さんと内野聖陽さんが出演を決めたのは、おそらく安達奈緒子さんの脚本が面白かったからだと思うんです。条件さえ揃えば、ジャニーズアイドルだって、大物俳優だってBLをやってくれる時代にはなりましたよね。

 誰かTBSの「火10」枠で『タクミくんシリーズ』をやらせてくれないかなあ。『花のち晴れ~花男 Next Season~』と同じ恋愛青春モノですよ? たまたま女子が登場しなくて、男子同士が恋愛するというだけで、『タクミくん』と『花男』に違いはないと思うんですが。

――それでは最後に、三木さんがこれから挑戦したいと思っている作品を教えてください。

三木 僕は常に、“面白いものを作る”ことだけを考えています。5月10日から『初恋 お父さん、チビがいなくなりました』(株式会社ビデオプランニング制作)という映画が公開されていますが、これも熟年層の恋愛を描きたいというのがきっかけでした。ちなみに、イチオシの俳優・佐藤流司くんも出演しているので、ぜひ(笑)。そういうわけで、面白ければBLだろうがなんだろうが、ジャンルは関係ありません。それを見る人たちに面白く提供するために、チャレンジし続けていきたいですね。
(番田アミ)

『おっさんずラブ』BLブームはまやかし!? BL映画界のパイオニア語る“ヒット”のウラ側

 昨年春に放送されたドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)が、今年の夏に映画化する。2016年に“単発深夜ドラマ”として放送されたあと、好評を受け18年に深夜枠で連続ドラマ化。視聴率こそ振るわなかったが、最終話が近づくにつれネット上で人気が高まり、ドラマ放送中は「#おっさんずラブ」がTwitterのトレンドワード上位に浮上し、世界トレンド1位にもなった。深夜の単発ドラマが映画化まで飛躍した同作は、“平成最後の大ヒットドラマ”と言っても過言ではないだろう。

 また、現在放送中の西島秀俊と内野聖陽によるW主演ドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京系)も、ネット上を中心に好評を博している。第1話の見逃し配信は120万回を突破し、これは動画配信サービス「ネットもテレ東」の過去最高再生回数だといい、数字でも結果を残した。20年公開の、関ジャニ∞・大倉忠義と、若手きっての実力派俳優・成田凌が主演によるW主演映画『窮鼠はチーズの夢を見る』も、ネットで早くも注目を集めている。これらに共通するのは、すべて男性同士の恋愛を扱った作品、いわゆる“BL作品”であることだ。

 かつてBLは「影でコソコソ楽しむ」ものだったが、そんな話は今や昔。ついにジャニーズにまで波及、かつてない盛り上がりを見せている。そこで、06~11年に映画『タクミくんシリーズ』を大ヒットさせた、BL映像化のパイオニア的存在であるビデオプランニングのプロデューサー・三木和史氏に、昨今のBL映像作品を取り巻く状況について語っていただいた。

BL企画が通らないのは「男同士でキスする」からじゃない!?

――近年、BLの映像作品が増えていますが、“先駆者”として、この状況に思うことはありますか。

三木和史氏(以下、三木) 実は僕も、3年前に『窮鼠はチーズの夢を見る』の原作を映像化しようと、版権を取りにいったんですよ。原作、めちゃくちゃ傑作じゃないですか。だから映画化したかったんですが、「上映規模が小さいと、ちょっと……」と難色を示されて。まあ、僕らがやるとすると低予算で、上映館数は全国でも10カ所ほどになってしまいます。ジャニーズの大倉くんと、人気若手俳優の成田くんが演じて、行定勲監督ときたら、そりゃあ上映規模は大きいでしょう。「やられたー!」と思いましたね。

――ほかにも、NHKでは現在『腐女子、うっかりゲイに告る。』という、ゲイの主人公が登場するドラマが放送されています。

三木 NHKだからやれることに限界はありそうですが、チャレンジ精神は感じますね。要は、“BL”に終始しなければいいんですよ。“BL”になると、おのずと規模が小さくなり、キャスティング時にプロダクションが難色を示すから、企画自体通りにくいんです。

――「“BL”に終始しなければいい」といいますと……?

三木 例えば、俳優を作品に出すかどうか決めるとき、プロダクションが重要視しているのは“規模”なんです。上映館数が多いとか、宣伝をたくさんするとか、そこが基準になっています。我々のように規模が小さいと、“BLというジャンルの作品”になってしまい、前向きに進めてくれるところが少ないんですよ。

――なるほど。では、テレビ局や芸能事務所がBL作品を承諾しにくい理由は、「男同士の恋愛描写があるから」ではない、ということでしょうか。

三木 そうです。台本に男性同士のキスシーンがあっても、役者たちは納得して演じますからね。『窮鼠はチーズの夢を見る』は男性同士の恋愛を描いているけれど、それ以前に、実績のある行定勲監督の作品だから、「なんか世界に通用しそう!」と思わせる力がある。男性同士の恋愛をテーマにしながらも、“BL作品”の枠組みを超えているから、映画化できたんじゃないでしょうか。……じゃあ、大きな映画会社にBLの企画を通せばいいのかというと、それもまた難しい。

――それは一体なぜでしょうか?

三木 大手の映画会社には、BLに魅力を感じる人や、作品としてやりたいと思う人が少ないんだと思います。一般的じゃないと思っているから、わからないプロデューサ―が多いなと感じます。一般的だと思わせるには、やっぱり「○○賞受賞」とか、監督・脚本家のネームバリューは大きいです。

 例えば、日本で06年に公開された洋画『ブロークバック・マウンテン』も男性同士の恋愛を描いていますが、作品として素晴らしく、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、アカデミー賞で監督賞などを受賞しましたよね。このころまだ日本では、男性同士の恋愛を描いた作品は少なかったと思いますが、受賞をきっかけに「見てみよう」と思った人は多かったはずです。でも逆に言えば、賞を取らなかったら、どんなに内容がよくても“BL作品”で終わっていたかもしれない。結局、日本人って賞の権威とか、ヒット作を生み出した監督・脚本家に弱いじゃないですか(笑)。

――おっしゃる通り、「○○賞を取ったんだから面白いだろう」とか思っちゃいます(笑)。とはいえ、三木さんがBL映画を手がけていた約10年前と比べると、BL作品を映像化することに対するハードルが下がったような印象を受けますが、実際はそうでもないのでしょうか。

三木 確かに、市民権は得ました。当時、BL映画の出演者は2.5次元俳優が主でしたが、昔は2.5次元舞台自体、『ミュージカル「テニスの王子様」』くらいしかなくて、コアなファンだけのものでしたよね。それが今は2.5次元舞台の公演が増え、俳優のファン層も広がり、客がたくさんついていることを知った制作者が「2.5次元の舞台を作りたい」と思うようになった。なので、10年前よりも2.5次元俳優が出演する作品自体の注目度が上がったとは感じます。でも、それはそれ、これはこれ。“BL”を題材にした映画やドラマとなると、やはりまだまだ難しいです。

――公開規模の大小以外にも、ネックになることがあるのでしょうか。

三木 『おっさんずラブ』見てましたか? 僕は面白く見てましたけど、吉田鋼太郎さん演じる“部長”のキャラクターがバラエティ要素を含んでいたことで、あそこまで多くの人に受け入れられ、人気が出たと思うんです。「こうすればテレビでもBLできるのか」と得心しましたね。しかし、男性同士の恋愛をバラエティ要素ナシで、“王道”の恋愛ドラマにしようとすると、どこもやりたがらないという……。

 実は『タクミくんシリーズ』のドラマ化を、以前某局に提案したんです。『タクミくんシリーズ』をご存知の方はわかると思いますが、『おっさんずラブ』とはちょっと方向が違って、“ド王道”の学園恋愛物語なんですよ。原作は根強い人気があるし、キャラクターも魅力的だし、すでにしっかりファンもついているし、絶対にドラマ化するべきだと思っています。

 余談ですが、『タクミくんシリーズ』を映画化した時、ファンの方たちが本当に熱くて驚きました。公開当時、「タクミくんファン 九州支部」と名乗る30人くらいのファンが、手紙入りの分厚いアルバムを私宛に送ってくれて。中には「1万本見た映画の中で、一番よかった」なんて書いてあるんです。「そんなわけあるか!」と思うけど(笑)、とてもうれしかったですね。これだけ熱い作品なのに、テレビ局的には「倫理的にしんどい」らしく、ドラマ化を断られたんです。

――同性愛に対して倫理を問うとは……言葉を失います。

三木 「男性同士の恋愛モノは、いくら内容が深くても、倫理的にちょっと……」ってね。要するに、テレビ局には「恋愛は男女でするべきだ!」みたいな、古い固定観念が残っているんですよね。

――でも、今年1月クールには“デリヘル”を題材にしたドラマ『フルーツ宅急便』(テレビ東京)が放送されていました。これも「倫理的にしんどい」とツッコまれそうな題材ですが……。

三木 『フルーツ宅急便』はデルヘルを題材にしていても、監督が映画『凶悪』(13年)の白石和彌さんと、映画『横道世之介』(13年)の沖田修一さんなんですよね。彼らが監督で、濱田岳さんが主演という要素は、やはり強い。だから『タクミくんシリーズ』も、旬の監督や俳優をキャスティングできれば、状況は変わってくるはずなんです。脚本家も同様に、例えば「宮藤官九郎さんを連れてきました!」となれば、局上層部は彼が濃厚なBL作品を書いたとしても、「クドカンは知ってる! OK!」となっちゃうでしょうね。
(番田アミ)

■後編へ続く

皇后となる雅子さま、「適応障害」は今――「小室圭さんがいい影響与えた」と精神科医が指摘

 5月1日、皇太子さまが新天皇として即位されるのに伴い、雅子さまが皇后となる。日本国民が新しい時代の幕開けに希望を抱きつつ、新たな天皇・皇后に期待を寄せているが、そんな中、今あらためて雅子さまの“病状”に関心が集まっているようだ。

 雅子さまは、2003年12月、体調を崩して宮内庁病院に入院。翌年7月には、精神科医・大野裕医師の診断によって「適応障害」との病名が発表された。その後、雅子さまは、長い療養生活に入り、ご公務や宮中行事を欠席されることが目立つように。また、長女・愛子さまが、学習院初等科での児童同士のトラブルから、体調不良となって学校を欠席されたとか、中等科でも不規則登校が続くとかいったことが起こるたび、雅子さまのメンタル面に心配の声が飛び交ったものだった。

 しかし17年頃から、その病状に関して、「ご快復著しい」と盛んに報道されるように。17年には、泊まりがけで、秋田県の「献血運動推進全国大会」に出席したほか、地方訪問を積極的に行い、昨年1月には、新年恒例の「講書始の儀」に15年ぶりに出席、また同11月にも、園遊会の全工程に15年ぶりに参加されたのだ。こうした雅子さまの変化は、「新皇后へのご自覚の現れ」などと言われているが、一方で、今年1月に行われた「歌会始の儀」は欠席、また2月の天皇皇后両陛下主催の茶会にも姿を見せず、「やはりご体調に波があるのか」「皇后になられることで、病状が悪化する可能性もあるのでは」などと、世間ではささやかれている。

 雅子さまの適応障害は今後どうなると考えられるのか。今回、『一億総他責社会』(イースト・プレス)や『高学歴モンスター~一流大学卒の迷惑な人たち~』(小学館)などの著者である精神科医・片田珠美氏に話を聞いた。

 片田氏はまず、雅子さまが「適応障害」であるとされている点について、こんな疑問を投げかける。

「雅子さまは、適応障害ではなく、『産後うつ』だと思います。産後うつは、妊娠・出産によるホルモンバランスの急激な変化、そして育児不安によって起こる抑うつ状態で、少なくとも10人に1人の割合で発症するとも言われるほど、珍しくない病気なんです。ホルモンバランスの急激な変化は、妊娠・出産した女性全てに起こりますし、育児不安という点に関しては、第1子出産直後に特に多い。愛子さまも、第1子ですし、雅子さまは育児に大きな不安を抱えていたと思います。加えて、雅子さまは完璧主義のように見受けられます。だからこそ、東大からハーバード、そして外交官へという輝かしい経歴を歩んでこられたのでしょうが、育児に関しても百点満点でなければならないと思われたのではないでしょうか。しかも“皇室の姫君”の育児をするわけですから、その重圧は、計り知れないほど大きかったはずです」

 つまり、雅子さまには、「産後うつになりやすい要因がかなりそろっていた」と片田氏。一方で、適応障害は、読んで字の如く「環境に適応できない」せいで、抑うつ気分や不安が生じ、行動面で支障をきたす障害であり、「6カ月くらいで治ることが多い」という。

「基本的に環境に慣れることによって病状は改善するので、雅子さまの場合、03年に体調を崩され、それから16年近く続くのは考えにくいと、私は思います。大野先生も、発表当時は、まさかここまで続くとは考えてらっしゃらなかったかもしれません。もしくは、これは個人的な見解ですが、もしかしたら『うつ』というのは体裁が悪いと判断され、『適応障害』と発表された可能性もあるのではないかと、思うところはありますね」

 しかし、産後うつは、これほどまで長期化するものだろうか。03年当時、2歳だった愛子さまは、現在17歳の高校生だ。

「雅子さまは、産後うつが“遷延化”したと考えられます。その原因は、愛子さまが女児であることから、『跡継ぎとなる第二子の男児を産んでほしい』というプレッシャーにさらされたことなのではないでしょうか。さらに決定的だったのが、03年、湯浅利夫宮内庁長官(当時)による『秋篠宮様のお考えはあると思うが、皇室と秋篠宮一家の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい』という発言です。これはつまり、『雅子さまにはもう期待していない』ということで、当時、40歳を目前としていた雅子さまにとって、これほどショックな言葉はなかったのではないでしょうか。これまで成功を積み重ねてきた完璧主義の雅子さまには、耐え難い屈辱だったと思います」

 その後、愛子さまが成長すると、学校内でのトラブルから欠席が続くように。これもまた、雅子さまの精神面を揺るがしたのではないかと、世間では見る向きが強い。母親のメンタルの不調は、「子どもに伝染してしまうことがあり、特に雅子さまと愛子さまは母子一体感が強いのでなおさらでしょう」と片田氏は語る。皮肉なことに、雅子さまが「ご快復著しい」と言われるようになったのは、16年末、愛子さまが“激やせ”し、世間を騒がせたことがきっかけだったのではないかと片田氏。その際、「雅子さまは思い悩まれながらも、『子どもは思い通りになるわけではない』『子育ては完璧にやれるものではない』と受け入れられるになったように思います」という。そんな完璧主義からの脱却が、ご快復につながったと見ることもできるだろう。

 さらに、片田氏は、雅子さまご快復を後押しした最大の要因は、「少々、意地悪な見方かもしれませんが、『小室圭さん』ではないでしょうか」と話す。小室さんとは、言わずもがな、現在、秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚延期騒動の渦中にいる人物である。母親の借金トラブルが問題視される中、米大学に留学したことにより、国民から「本当に眞子さまと結婚する気があるのか」と、懐疑的な目で見られている。「結婚反対」を強く主張する者も少なくない状況だ。

「雅子さまはこれまでずっと、紀子さまと比較され続けてきたと思います。紀子さまは、男児である悠仁さまを出産され、娘である眞子さま、佳子さまが不登校になることも、摂食障害を疑われることもなかった。美智子さまから気に入られているという話もありますよね。雅子さまは、そんな紀子さまに対して、強いコンプレックスを抱かれていたのではないでしょうか。特に、『皇室に嫁いだが、男児を産めなかった』という点でのコンプレックスは、今の時代には見合わないかもしれませんが、払拭しがたいと思います。しかし、そんな順調にやってきた紀子さま、ひいては秋篠宮家が、小室さんの騒動で揉めに揉めている。何事も完璧にはいかないものだと、雅子さまはお気持ちが少し楽になられたと思いますよ。期せずして、小室さんが雅子さまの心を救った面はあるでしょう」

 そんな雅子さまが、5月1日より、皇后となる。今後、メンタル面はどうなるのかが気になるところだが……。

「安定していくことを願っていますが、やはり皇后のプレッシャーは大きいと思いますし、雅子さまは完璧主義なので、“ゼロヒャク思考”に陥ってしまうことはあり得ます。『完璧にできなければ意味がない』『完璧にできない私はダメだ』と思い詰め、不安定になってしまうこともあるかもしれませんね。やはり、完璧主義の呪縛に囚われすぎないようになさってほしいですし、何より『美智子さまとご自分を比べないこと』がとても重要だと思います。国民から敬愛される美智子さまのように『なれない』と思い悩むことで、ご公務に行けなくなってしまう可能性があるからです。やはりご公務を行わなければ、国民からの敬愛は得られませんが、ただご公務を完璧にやらなければいけないと重圧を感じることで、ご公務に行けなくなる恐れもあります。その折り合いをどうつけるかが大切だと思います」

 宮内庁関係者も「美智子さまはこうしておられました」などと、美智子さまと比較するようなものの言い方をするのは避けるべきと片田氏。もともと雅子さまは、「皇室外交をしたい」との思いから、皇室に入られたらしいが、「皇后になることで、その思いを実現できる、能力を発揮できると考えるのがよいと思います」という。新たな時代「令和」の皇后となる雅子さまのご活躍を、一国民として心から祈りたい。

皇后となる雅子さま、「適応障害」は今――「小室圭さんがいい影響与えた」と精神科医が指摘

 5月1日、皇太子さまが新天皇として即位されるのに伴い、雅子さまが皇后となる。日本国民が新しい時代の幕開けに希望を抱きつつ、新たな天皇・皇后に期待を寄せているが、そんな中、今あらためて雅子さまの“病状”に関心が集まっているようだ。

 雅子さまは、2003年12月、体調を崩して宮内庁病院に入院。翌年7月には、精神科医・大野裕医師の診断によって「適応障害」との病名が発表された。その後、雅子さまは、長い療養生活に入り、ご公務や宮中行事を欠席されることが目立つように。また、長女・愛子さまが、学習院初等科での児童同士のトラブルから、体調不良となって学校を欠席されたとか、中等科でも不規則登校が続くとかいったことが起こるたび、雅子さまのメンタル面に心配の声が飛び交ったものだった。

 しかし17年頃から、その病状に関して、「ご快復著しい」と盛んに報道されるように。17年には、泊まりがけで、秋田県の「献血運動推進全国大会」に出席したほか、地方訪問を積極的に行い、昨年1月には、新年恒例の「講書始の儀」に15年ぶりに出席、また同11月にも、園遊会の全工程に15年ぶりに参加されたのだ。こうした雅子さまの変化は、「新皇后へのご自覚の現れ」などと言われているが、一方で、今年1月に行われた「歌会始の儀」は欠席、また2月の天皇皇后両陛下主催の茶会にも姿を見せず、「やはりご体調に波があるのか」「皇后になられることで、病状が悪化する可能性もあるのでは」などと、世間ではささやかれている。

 雅子さまの適応障害は今後どうなると考えられるのか。今回、『一億総他責社会』(イースト・プレス)や『高学歴モンスター~一流大学卒の迷惑な人たち~』(小学館)などの著者である精神科医・片田珠美氏に話を聞いた。

 片田氏はまず、雅子さまが「適応障害」であるとされている点について、こんな疑問を投げかける。

「雅子さまは、適応障害ではなく、『産後うつ』だと思います。産後うつは、妊娠・出産によるホルモンバランスの急激な変化、そして育児不安によって起こる抑うつ状態で、少なくとも10人に1人の割合で発症するとも言われるほど、珍しくない病気なんです。ホルモンバランスの急激な変化は、妊娠・出産した女性全てに起こりますし、育児不安という点に関しては、第1子出産直後に特に多い。愛子さまも、第1子ですし、雅子さまは育児に大きな不安を抱えていたと思います。加えて、雅子さまは完璧主義のように見受けられます。だからこそ、東大からハーバード、そして外交官へという輝かしい経歴を歩んでこられたのでしょうが、育児に関しても百点満点でなければならないと思われたのではないでしょうか。しかも“皇室の姫君”の育児をするわけですから、その重圧は、計り知れないほど大きかったはずです」

 つまり、雅子さまには、「産後うつになりやすい要因がかなりそろっていた」と片田氏。一方で、適応障害は、読んで字の如く「環境に適応できない」せいで、抑うつ気分や不安が生じ、行動面で支障をきたす障害であり、「6カ月くらいで治ることが多い」という。

「基本的に環境に慣れることによって病状は改善するので、雅子さまの場合、03年に体調を崩され、それから16年近く続くのは考えにくいと、私は思います。大野先生も、発表当時は、まさかここまで続くとは考えてらっしゃらなかったかもしれません。もしくは、これは個人的な見解ですが、もしかしたら『うつ』というのは体裁が悪いと判断され、『適応障害』と発表された可能性もあるのではないかと、思うところはありますね」

 しかし、産後うつは、これほどまで長期化するものだろうか。03年当時、2歳だった愛子さまは、現在17歳の高校生だ。

「雅子さまは、産後うつが“遷延化”したと考えられます。その原因は、愛子さまが女児であることから、『跡継ぎとなる第二子の男児を産んでほしい』というプレッシャーにさらされたことなのではないでしょうか。さらに決定的だったのが、03年、湯浅利夫宮内庁長官(当時)による『秋篠宮様のお考えはあると思うが、皇室と秋篠宮一家の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい』という発言です。これはつまり、『雅子さまにはもう期待していない』ということで、当時、40歳を目前としていた雅子さまにとって、これほどショックな言葉はなかったのではないでしょうか。これまで成功を積み重ねてきた完璧主義の雅子さまには、耐え難い屈辱だったと思います」

 その後、愛子さまが成長すると、学校内でのトラブルから欠席が続くように。これもまた、雅子さまの精神面を揺るがしたのではないかと、世間では見る向きが強い。母親のメンタルの不調は、「子どもに伝染してしまうことがあり、特に雅子さまと愛子さまは母子一体感が強いのでなおさらでしょう」と片田氏は語る。皮肉なことに、雅子さまが「ご快復著しい」と言われるようになったのは、16年末、愛子さまが“激やせ”し、世間を騒がせたことがきっかけだったのではないかと片田氏。その際、「雅子さまは思い悩まれながらも、『子どもは思い通りになるわけではない』『子育ては完璧にやれるものではない』と受け入れられるになったように思います」という。そんな完璧主義からの脱却が、ご快復につながったと見ることもできるだろう。

 さらに、片田氏は、雅子さまご快復を後押しした最大の要因は、「少々、意地悪な見方かもしれませんが、『小室圭さん』ではないでしょうか」と話す。小室さんとは、言わずもがな、現在、秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚延期騒動の渦中にいる人物である。母親の借金トラブルが問題視される中、米大学に留学したことにより、国民から「本当に眞子さまと結婚する気があるのか」と、懐疑的な目で見られている。「結婚反対」を強く主張する者も少なくない状況だ。

「雅子さまはこれまでずっと、紀子さまと比較され続けてきたと思います。紀子さまは、男児である悠仁さまを出産され、娘である眞子さま、佳子さまが不登校になることも、摂食障害を疑われることもなかった。美智子さまから気に入られているという話もありますよね。雅子さまは、そんな紀子さまに対して、強いコンプレックスを抱かれていたのではないでしょうか。特に、『皇室に嫁いだが、男児を産めなかった』という点でのコンプレックスは、今の時代には見合わないかもしれませんが、払拭しがたいと思います。しかし、そんな順調にやってきた紀子さま、ひいては秋篠宮家が、小室さんの騒動で揉めに揉めている。何事も完璧にはいかないものだと、雅子さまはお気持ちが少し楽になられたと思いますよ。期せずして、小室さんが雅子さまの心を救った面はあるでしょう」

 そんな雅子さまが、5月1日より、皇后となる。今後、メンタル面はどうなるのかが気になるところだが……。

「安定していくことを願っていますが、やはり皇后のプレッシャーは大きいと思いますし、雅子さまは完璧主義なので、“ゼロヒャク思考”に陥ってしまうことはあり得ます。『完璧にできなければ意味がない』『完璧にできない私はダメだ』と思い詰め、不安定になってしまうこともあるかもしれませんね。やはり、完璧主義の呪縛に囚われすぎないようになさってほしいですし、何より『美智子さまとご自分を比べないこと』がとても重要だと思います。国民から敬愛される美智子さまのように『なれない』と思い悩むことで、ご公務に行けなくなってしまう可能性があるからです。やはりご公務を行わなければ、国民からの敬愛は得られませんが、ただご公務を完璧にやらなければいけないと重圧を感じることで、ご公務に行けなくなる恐れもあります。その折り合いをどうつけるかが大切だと思います」

 宮内庁関係者も「美智子さまはこうしておられました」などと、美智子さまと比較するようなものの言い方をするのは避けるべきと片田氏。もともと雅子さまは、「皇室外交をしたい」との思いから、皇室に入られたらしいが、「皇后になることで、その思いを実現できる、能力を発揮できると考えるのがよいと思います」という。新たな時代「令和」の皇后となる雅子さまのご活躍を、一国民として心から祈りたい。

チケット転売の舞台となる売買サイトやTwitterはどうなる? チケット転売規制法を弁護士がスッキリ解説!

 6月に施行される「チケット転売規制法」を、弁護士法人ALG&Associates山岸純弁護士から、2回にわたり解説してもらっている。

【前編】チケット転売規制法は「高額チケットに苦しむ国民救済」が目的じゃない! 弁護士がスッキリ解説
【中編】「当選権利は対象?」「サイン会は?」「ディズニーランドは?」チケット転売規制法を弁護士がスッキリ解説!

 最終回となる今回は、高額転売の舞台にチケット転売サイトやtwitterやメルカリといったサイトは罪になるのか? という点や、一部チケットではすでにおなじみの「チケットの記名者以外は入場無効」という文言の法的な根拠について伺う。

 

チケット転売の「プラットフォーム」は罪に問われる?

――高額転売が問題となったチケット転売サイト「チケットキャンプ」は2018年に閉鎖されましたが、類似サイトは今だ存在します。こういったサービスは、法律施行後は存在しえないのでしょうか?

山岸純弁護士(以下、山岸) こういったサイトは高額転売の場所を提供しているだけなんですよね。 チケット転売規制法を見ると、不正転売をしてはいけない、そして不正転売を目的に買ってはいけないとありますが「場所の提供者」は規制の対象になっていません。

 これはソープランドの構造に似ているんです。ソープランドの経営者は売春に違反していません。なぜなら、あそこでお客さんと女性が「たまたま」恋愛関係になり、たまたまそこに金銭が発生しているという構図なんです。

 こういったチケット転売サイトが「どうしてもコンサートに行きたい人とコンサートに行けなくなってしまった人をマッチングするサービスです」ときれいにうたっていれば、ぐうの音も出ないわけです。ただ、もし「儲けたい人集まれ! 高額転売可!」と記載していればアウトでしょう。これでは犯罪を教唆しており、教唆犯になります。

 ただそこは当然、うまくやるんでしょうね。どこの会社も「当社は転売目的の利用を禁止しています」とか「転売をして利益を得ようと思っている利用者は当社の規則により排除します」と規約に書くのでしょう。 そこで何かあったとしても「売り手がたまたま行けなくなったからと言っている以上、うちとしてはこれ以上突っ込めない」と言えばもう、どうしようもない。これはメルカリなどのフリマサイトでも同じことが言えます。

――歯がゆいですね。

山岸 でも、このあたりはAIの活躍に期待できます。AIが「この人は1ヶ月に5回も「どうしても行けなくなってしまった」と出品している。不自然だ」と自動的に出品停止にする。実際こういう風に動いていくはずなので、改善されていくとは思いますよ。

――Twitterでもチケットを買いたい、売りたいというやりとりをよく見ますが、Twitter社は問題にならないのでしょうか。

山岸 おそらく、利用約款などでこういう投稿を禁止したりしているのだと思いますよ。「当社はしっかりと取り締まっています」とアピールするためにね。

――ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(以下、USJ)の入場チケットは営利目的の有無にかかわらず、すべての転売を禁止しておりキャンセルも認めていません。それに対し、NPO法人消費者支援機構関西が規約改善を申し入れています。

 USJの場合、中編(記事はこちらから)で説明頂いた通り、遊戯施設であり今回のチケット転売規制法には該当しませんよね。そうなると、USJが掲げる転売禁止などの規制は、どこまで効力のあるものなのでしょうか。

山岸 そのチケットに名前が書いてある場合、法律上それは「記名式債券」と呼ばれます。

 チケットとは、あることができる権利を紙の上にのせたものです。「切符」がそうですよね。130円区間を乗車することができる権利が紙きれに乗っかっているんです。 切符には名前が書いていませんよね。切符を持ってる人は誰でも130円分の区間に乗れます。

 一方で、記名式債権は「この書かれた名前の人のみに、うちはサービスを提供します」という債権です。「定期券」がそうですよね。

――確かに、ほかの人の定期券は使えないですよね。

山岸 鉄道会社の定期券は記名者以外は使えないという条件のもと発行しています。同様に、USJがチケットに「入場券・山岸純」と記載している場合、私しか使ってはいけないでしょうね。ただ、私以外の人がそのチケットを使って入ろうとする場合、最終的に入場を拒否するかどうかは施設側の判断になります。

――なるほど。6月に施行されるチケット転売規制法以外に、既存の「記名式債券のルール」もあるんですね。

 遊戯施設のようなチケット転売規制法の対象ではないチケットでも、記名されたチケットならば「記名式債券のルール」に基づいて、チケットの名義と入場者が異なると施設側から入場を拒まれる可能性があると。

山岸 はい。あとは施設側の判断によることになります。

 最後に、繰り返しになりますが、今回の「チケット転売規制法」は直接的には興行主のために作られた法律になります。高額でしかチケットを入手できず、競合興行先へファンが流れることを防止することが主目的です。

 ただ誤解しないでいただきたいのは、広い目で見れば、すべての法律は国民のために作られている、という点です。チケットが高額で出回らないようにすれば、今チケットを高額でしか購入できず困っている人だけでなく、将来あるアイドルのファンになりチケットを購入しようとしたものの、定価で買えず、転売価格が高すぎて購入できない、という人にとっても助けになりますよね。今この時だけではなく、法律の対象は「広くあまねく国民のため」なのです。

(文/石徹白未亜 [http://itoshiromia.com/])