女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 先日発表された、世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版で、過去最低の121位となった日本。なぜこの国は、女性が生きにくいのか。「女性活躍」という時代のもと、なぜ私たち女性は苦しくなっているのだろうか。

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは強烈なセクシズムの姿だ。だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

なぜ日本で女性運動は“後退”した?

 第1回では、安倍首相が1993年に議員当選した直後から積極的に関わってきた「慰安婦」問題とフェミニズムへのバックラッシュを振り返りながら、保守派の狙いを浮き彫りにしつつ、日本における女性運動の“後退”についても考えたい。

 本稿でいうバックラッシュとは、男女共同参画社会の流れを止めようとする政治・市民運動の総称を指す。女性差別撤廃条約や、国連での会議の積み重ねなどを経て、95年に北京で国連世界女性会議が開催された。こうした動きを受け、日本でも99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、その直後から保守派の“攻撃”が始まる。国会や地方議会では、保守系議員の質問の中で、男女共同参画条例への攻撃が行われたり、男女共同参画条例制定に向けたタウンミーティングに保守派が押しかけて「フェミニズムは共産主義」などとわめいたりすることもあった。右派論壇誌などでも男女共同参画は「過激なフェミニズム」の陰謀などとして批判され、ネット上でも叩かれるなど、あらゆる手段でのフェミニズムへの反動の動きがあった。

 ほかにも、都立養護学校での性教育に都議が介入した七生養護学校事件(※1)や、母子衛生研究会発行の性教育副教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』が、不備もないのに山谷えり子参議院議員の批判によって回収・絶版となった事件に象徴されるような性教育バックラッシュが起こった。また東京都国分寺市での上野千鶴子・東大教授(当時)の講演キャンセルや、福井県生活学習館から上野氏らの著作を含む約150冊が書棚から撤去される(※2)など、さまざまな事案が全国で起こった。

 多くの事案で、日本会議系団体の動きがみられ、人脈的にも重なりが見られる。彼らの狙いは一体なんだったのか。バックラッシュについて、行政側や女性運動関係者、バックラッシャーと呼ばれる保守団体/議員側双方の聞き取りをまとめた共著『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキ、勁草書房)を持つ、モンタナ州立大学教員の山口智美さんに話を聞いた。

――まず初めに、安倍政権を支える「日本会議」についてご説明いただけますか。

山口智美氏(以下、山口) 日本会議は、会員4万人ほどの保守団体です。それだけでは大きな勢力ではないのですが、神社本庁や、新生佛教教団などといった宗教団体が参加しているため、裾野が広く、動員に長けていて、署名・集会活動を得意としています。共通のイシューを持っている団体というよりは、右派団体の集合体といったようなイメージでしょうか。「日本会議国会議員懇談会」には安倍首相をはじめ、現内閣の閣僚が多く名を連ねています。

※1 都立七生養護学校(現七生特別支援学校)では、知的障害を持つ子どもたちが理解しやすいように工夫を凝らした人形や歌を通じて性教育を行っていたが、03年7月に土屋敬之都議(当時)が都議会でこれを批判。後日、都議や杉並区議らと共に産経新聞の記者が同校を訪れ、教材や授業内容を非難。翌日には産経新聞が「まるでアダルト・ショップ」と記事にした。校長をはじめ大量の教員が処分されたが、一部の教員らが裁判を起こす。13年に最高裁が原告・被告双方の上告を棄却。それにより、当時の都議3人と都に計210万円の賠償を命じた一、二審判決が確定した。

※2 06年4月に「福井県生活学習館 ユー・アイふくい」の情報ルームに置かれていた図書が、男女共同参画の内容にふさわしくないと撤去されたもの。その苦情は、県が委嘱した男女共同参画推進員のひとりが申し立てたのだったが、実は彼は反フェミニズム側の統一教会(当時)関係者であり、行政制度を利用してバックラッシュを行った事例として知られる。『社会運動の戸惑い』には、彼への聞き取りも収録されている。

――バックラッシュとは、どの期間の流れを指すのでしょうか?

山口 男女共同参画行政へのバックラッシュは、99年の男女共同参画社会基本法の成立がきっかけとなり、実際に運動が起きて広がったのが00年からでした。基本法は理念が書かれたもので、これに基づいた条例が各自治体で制定されていきました。ちょうど02~05年が一番バックラッシュの激しかった時期ですね。そこで攻撃に利用されたのが、95年に東京都の外郭団体だった東京女性財団が発行したパンフレットの中で提起された「ジェンダー・フリー」という概念でした。「ジェンダーにとらわれない態度や意識」といった意味合いで使われ始め、その後、主に行政のパンフレットや講座などを通じて広がった概念でした。ですが、定義が曖昧なカタカナ語だったこともあり、2000年代に男女共同参画へのバックラッシュが本格化した際に、保守派によるバッシングの格好のターゲットになってしまいました。保守派は「ジェンダー・フリー」概念の曖昧さにつけ込んで、「性差の無視」「人間を中性化し、カタツムリ化をめざす」「ひな祭りなどの伝統を破壊する」、さらには「日本社会全体の解体」をめざす、などと解釈します。そしてそれを右派論壇で拡散し、条例制定に反対する議会質問でも活用するなどと、攻撃に利用していったのです。

 そして05年には政府が第二次男女共同参画基本計画を出し、「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」として、「ジェンダー・フリー」という用語は国としては使用しないという趣旨の文言が入れられたことで、保守派にとっては一定の満足ができる内容になり、バックラッシュの動きが落ち着いてきます。でも、日本軍「慰安婦」問題に目を向けてみると、90年代半ばからすでに反動の動きが始まっていました。もうひとつ、96年に法制審議会から選択的夫婦別姓に関する民法改正の答申が出たことも、背景としては大きいと思います。日本会議の前身となる運動は、95年に「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」を結成して、大規模な集会や署名集めなどを始めていました。

――「慰安婦」問題が一般的に表面化したのは、91年に金学順さんが「慰安婦」として初めて名乗り出たことです。これは保守派にとっても大きな衝撃だったのでしょうか?

山口 名乗り出自体には、実はそれほど大きな反発はなかったように思います。それよりも、96年に中学校用歴史教科書に「慰安婦」の記述が掲載されたことに保守の人たちは危機感を覚えたようです。同年には「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が生まれ、それまで保守の運動にかかわったことのない人、例えば漫画『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)で歴史認識問題を取り上げた小林よしのりさんらが参加するなどの動きもあり、地域レベルでも保守の運動に参加したことがなかった市民が、つくる会の教科書運動に関わり始めるなど、運動の広がりを見せました。教科書採択は市町村の教育委員会が担当するため、運動も地域密着にならざるを得ない。すると各地を結ぶネットワークが生まれてきます。これが現在に至るまでの保守派の大きな流れのひとつになっています。

――「慰安婦」否定や教科書問題、男女共同参画へのバックラッシュに関わっている人物は重なり、安倍政権に近い人が多いですね。例えば八木秀次・麗澤大教授は「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」の理事長を務め、安倍政権のブレーンとも言われる存在。バックラッシュ当時は、統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)系の雑誌「世界思」』(世界思想社)のインタビューで「(ジェンダー・フリーには)ポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでる」と批判的な発言をしています。また、安倍首相が推進議員連盟の会長を務めていた、「親学推進協会」会長の高橋史朗・麗澤大特任教授は、性教育や夫婦別姓、男女共同参画への批判記事を書き、「つくる会」では副会長を務めていました。さらに高橋氏は現在も「慰安婦」問題など歴史認識に関わる国内外での動きにも深く関わっています。

山口 以前、保守派の方に話を聞いたところ、歴史教科書の最初の採択運動が01年夏に失敗に終わり、彼らの中でも大きな喪失感が広がったようです。もちろん運動を離れた人もいましたが、「次は何をしようか」と目を向けたときに、よく知らない間に通っていた男女共同参画社会基本法があったと言っていました。そして、男女共同参画条例制定の動きが地域レベルでも起きてきたことで、危機感が高まりました。こうして保守派は男女共同参画の条例づくりへの反対運動を展開していったのですが、その際に教科書採択運動でできたネットワークが活用されたのだと思います。それを引っ張ってきたのが、「諸君!」(文藝春秋)や「正論」(産経新聞社)などの右派論壇や、保守系団体の機関紙などで活躍していた学者、評論家、ジャーナリストでした。

 もうひとつバックラッシュの動きを後押ししたのは、インターネットです。95年に発売された「Windows 95」によってパソコン、インターネットが多くの人に普及するようになり、99年には「2ちゃんねる」などの掲示板サイトが生まれました。バックラッシュの際には、「フェミナチを監視する掲示板」などの掲示板サイトや、活動家のブログが運動を助けました。また、この頃には産経新聞や世界日報など、右派メディアの情報もネット上で手に入れやすくなっていました。2000年代半ばになると、排外主義を打ち出す「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が生まれますが、彼らは動画やストリーミングなどを積極的に使ってきました。ネットの影響はすごく大きい。

――在特会もそうですが、保守派にとって「慰安婦」問題の否定は長年のテーマです。戦時性暴力の問題である「慰安婦」問題こそ、植民地主義やレイシズムの問題はもちろんのこと、女性の権利侵害を浮き彫りにする問題でもあります。

山口 第二次以降の安倍内閣は、「女性活躍」とか「女性が輝く社会」を打ち出しているので、フェミニズムへの反動性が見えづらいのですが、歴史を振り返ってみても、「慰安婦」問題否定の動きの裏には必ず安倍さんがいます。彼は93年に政界入りしてすぐに自民党の「歴史・検討委員会」のメンバーに名を連ねます。同会は、95年に「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する『大東亜戦争の総括』(展転社)という本を発売するのですが、その中にも安倍さんが出てきます。その後、97年に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)では事務局長を務め、同じ97年に日本会議が結成されるとその議連にも参加します。

 00年には、日本軍の戦時性暴力を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(※3)が行われましたが、法廷を取り上げたドキュメンタリー番組を制作したNHKに圧力をかけて番組を改変させている。05年には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が設置され、その座長を務めました。そして06年に第一次安倍内閣が成立し、07年3月には「慰安婦」の強制連行はなかったという発言もしている。だからこうしてみると、彼は「慰安婦」問題とジェンダー平等、両方へのバックラッシュにずっと関わっているんですね。

※3 元「慰安婦」らが日本で起こした裁判では被害の事実認定はされるものの、国家損害賠償は認められなかったことを受け、日本軍の戦時性暴力の責任の所在を明らかにするために行われた民衆法廷(抗議活動のひとつ)。「慰安婦」だけでなく、日本軍兵士だった男性が自ら行った強姦の事実について証言した。NHKはETV特集『戦争をどう裁くか』の第2夜放送「問われる戦時性暴力」(01年1月30日放送)でこの裁判を取り上げたのだが、最も注目を集めていた昭和天皇への有罪判決についてまったく言及しないなど、不自然な構成となっていた。05年には朝日新聞が、放送前に安倍氏と故・中川昭一氏がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたと報じた。

――行政の男女共同参画へのバックラッシュとして、山口さんが印象に残っている事例を教えてください。

山口 男女共同参画へのバックラッシュは、男女共同参画条例の制定、当時次々に建てられていた男女共同参画センターやそこで行われていた啓発活動への反対、ジェンダー平等教育や性教育、アカデミックなフェミニズムへの批判など、さまざまな側面がありました。当時の保守派は、男女共同参画やフェミニズムを、「『男らしさ、女らしさ』を完全に否定する」「マルクス主義や共産主義に基づく革命思想である」「日本を破滅に導く」など、時には荒唐無稽とも思える主張を行い、センセーショナルにフェミニズムを攻撃していました。

 ただ、実際の動きとしては、02年6月に制定された山口県宇部市の男女共同参画条例作りをめぐる動きが、私は印象に残っています。それまでは男女共同参画やフェミニズムの動きにひたすら反対してきた保守派が、宇部市の男女共同参画条例では、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」「専業主婦を否定することなく」などの、性別による固定的な役割分担にとらわれないことをうたう男女共同参画社会基本法の本来の方向性と異なる内容の文言が含まれた条例を提案してきたのです。そして可決されたこの条例は、フェミニストたちに大きな衝撃を与えました。この動きの中で大きな役割を果たしていたのが、先ほども日本会議に関わる宗教団体として触れた、山口県に本部を持つ新生佛教教団系の新聞、日本時事評論でした。これ以降、保守派は男女共同参画に反対するだけでなく、自分たちの方向性に沿った内容の条例作りに関わり始め、すでにできた条例については文言の変更を要求するようになっていく、その大きな転機となったのが宇部市の条例だったのです。

 ただでさえわかりづらい「男女共同参画」の中身を、保守派が主張する内容にすり替えてしまうという動きは、現在の安倍政権の男女共同参画や「女性活躍」の政策に帰結しているともいえると思います。

――ジェンダー平等に反対するだけでなく、保守派は性的マイノリティの権利向上にも反対していますね。

山口 性的マイノリティに関しては、宮崎県都城市の事案が象徴的です。同市は03年12月に、当時の岩橋辰也市長のもとで「男女共同参画社会づくり条例」を制定しました。条例の中で「男女共同参画社会」を、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もってすべての人が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義しました。これは、「性別又は性的指向にかかわらず」という言葉で性的マイノリティの権利擁護を明文化した、全国で初めての条例でした。ただ成立過程を見てみると、統一教会系の世界日報が「“同性愛解放区”に向かう都城市」といった記事を出し、実際に保守派議員への働きかけも行っていました。結果、わずか1票差で条例は可決されました。しかし、04年12月の市長選で岩橋氏が落選し、新市長のもと市町村合併が行われると、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」から「性別又は性的指向にかかわらず」をカットして「すべての人の人権」に変更されたうえで条例が再制定されました。男女共同参画へのバックラッシュの中には、LGBTなど性的マイノリティへの攻撃が含まれていたことはとても重要なのですが、フェミニズムの立場で運動をしてきた人たちの間でも、その視点が抜けるという問題を抱えてきたと思います。

――保守派による、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの攻撃はあったのでしょうか?

山口 リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関しては、男女共同参画へのバックラッシュよりもずっと古くから反動の動きがあります。72年の優生保護法“改悪案”(人工妊娠中絶の要件から、「経済的理由」を削除し、「障害をもつ胎児」を加えようとするなど)に向けて、宗教団体の「生長の家」が当時、大々的なキャンペーンを行っています。また、82年にも「生長の家」が、「経済的理由」を削除するという提案を再び行いました。どちらも保守派の提案は通らなかったのですが、現在の「日本会議」のリーダー層の中には当時、「生長の家」の運動に関わっていた人たちがいるというつながりがあります。また、バックラッシュの時に大きな役割を果たした統一教会でも、同性愛や両性愛を否定するというのが教義の前提にありますし、中絶は禁じられています。もともと欧米のキリスト系保守団体が同性愛に反対し、中絶の禁止をずっと訴えてきて、当時のアメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が禁欲を性教育のベースとする動きがありました。統一教会はこうした海外の動向をきちんと見ており、禁欲性教育を日本にも取り入れようとした。

――「男らしさ、女らしさを否定しない」「専業主婦を否定しない」などの彼らの主張や中絶禁止へのこだわりを見ると、女性を家庭内ケア労働に従事させるために性別役割分業、「女性=産む性」への固執が見えてきます。

山口 女性が「産む性」であることの維持には、すごくこだわっています。性別役割分業でいえば、保守派が目指すのは、家庭や地域社会の相互互助を日本の伝統・美徳とした大平正芳内閣の提唱した「日本型福祉社会」なのです。社会保障や教育といった分野での公(おおやけ)の役割を小さくしようとする、新自由主義社会に合わせてアップデートした家制度、つまり子育てや介護の問題を社会化せずに、家族内での相互扶助の問題に終始させたいのです。そこで子育てや介護を担わされるのは、日本社会の現状を考えれば、女性になってしまうことでしょう。自民党が02年に出した改憲草案の中で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた24条には「家族は互いに助け合わなければならない」という文言が新たに加えられています。これはまさに「日本型福祉社会」的なあり方を志向するものだといえます。

 昨年、杉田水脈衆議員議員がLGBTの人たちは「生産性」がないと発言して批判を浴びましたが、その杉田議員は次世代の党に所属して いた14年に「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を訴える質問を国会で行っています。また、杉田議員は「慰安婦」問題を否定する活動を繰り広げてきた人でもあります。00年代初めのバックラッシュの時代だけではなく、現在に至っても、男女共同参画やフェミニズム批判と、性的マイノリティへのバッシング、さらには「慰安婦」問題などの歴史認識問題もつながったものだということが明らかです。

――日本会議や安倍政権によって女性の権利が奪われかねないという危機感は、なかなか社会で共有されません。バックラッシュの全体像は一般的にまったく知られていませんし、日本型福祉社会への布石である24条改憲は、「自衛隊明記」「緊急事態条項」などの他の改憲項目に比べて報道量も少ないように感じます。

山口 マスコミ業界ではまだまだ男性が多く、例えば大手新聞社に勤める彼らは高給取りで、専業主婦を配偶者に持つ人たちも多いようです。彼らのジェンダー観は、実は日本会議と同じようなものなのではと思う時もあります。むしろ日本会議の人たちの方が、ある意味「素直」に本音を発しているといえるのかもしれません。一時期「日本会議」の研究本がブームとなりましたが、そうした書籍の筆者のほとんどが男性でした。それらの本では、「慰安婦」問題については教科書問題の項目で多少触れられているものもありましたが、フェミニズムへのバックラッシュについてはほとんど記載がなく、見落とされています。日本会議があれだけ熱を入れてフェミニズムへの反対運動に関わってきたにもかかわらず、これだけ無視されるのはおかしいと思います。

――改めて、バックラッシュというのは何を後退させたと思いますか?

山口 いろんなものを後退させたと思いますが、ひとつは行政の対応ですね。内容的には不十分とはいえ男女共同参画社会基本法ができて、これから男女共同参画に向けた社会を作っていこうという機運がありました。それがバックラッシュによって、行政の腰が引けてしまった。それまで市民がフェミニズムの講座を受けたりパンフレットを作ってみたり、男女共同参画センターを活動の場にしたりしていたのに、予算も減らされ、そういった運動がかなり後退しました。また、行政の講座も、男女共同参画との関連が不明なもの、例えば婚活講座などが男女共同参画の名のもとで行われるようにもなっています。今や、「男女共同参画」という名称も消えつつあり、「女性活躍」や「少子化対策」などに取って代わられてしまっています。

 もう一点、重要な後退としては、第一次安倍政権のもとで、06年に政権最大の成果である教育基本法の「改正」が行われたことがあります。ここで「愛国心」教育など新たな項目が入り込んできました。愛国心教育ももちろん問題ですが、この「改正」において「家庭教育」の条項(※4)を入れられたのは非常に影響が大きかった。そして、第二次安倍政権以降は、表向き政権は経済成長戦略として「女性活躍」や、「女性が輝く社会」をうたってきましたが、実際にはフェミニズム側はやられっぱなしになっている状況だと思います。安倍政権のもとで、女性やマイノリティにとって住みやすい社会になったでしょうか? 多くの女性にとっては、仕事と家事、育児、介護などさまざまな負担を抱え込みながら、ますます生活は苦しくなり、女性の間の格差が広がっている状態にはなっていないでしょうか。同じひとり親世帯でもシングルマザーの方が貧困率が高かったり、非正規雇用の比率も女性の方が圧倒的に多かったり、男女の賃金格差も続いており、多くの女性は苦しい生活を強いられています。性教育の広がりは頓挫し、選択的夫婦別姓の導入も進んでいませんし、性暴力の加害が問われない判決も相次いでいます。さらに日本軍「慰安婦」問題の解決も程遠いどころか、政権が積極的に歴史の事実の否定に必死となり、国内のみならず海外でも、「少女像」設置などの戦時性暴力の歴史を記憶する動きに圧力をかけているという状況です。

――「南京虐殺はなかった」など意図的に事実を歪曲した主張を右派雑誌に掲載し、極端な言説で支持者を広げる歴史修正主義者の動きと、バックラッシュ当時の保守派の動きは似通っています。『社会運動の戸惑い』の中で、当時の女性運動側にいた関係者の話として、バックラッシュ側が「『条例ができると男女のトイレがいっしょになります』と何度も繰り返していたことを、『そんなことに反応するのってばかばかしい』と思っていたのに、あっという間に社会に浸透した」と振り返りつつ、「わかりやすいメッセージってものすごく浸透がはやいんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを踏まえると、バックラッシュから学ぶことも多いと思います。

山口 先ほども言ったように、歴史修正主義の主張を展開する人たちと、フェミニズムへのバックラッシュに関わってきた人たちは同じなので、そのやり方にも当然共通性はあります。そして、今振り返ると、当時のフェミニズムの対抗は概ね失敗に終わったと私は思っています。バックラッシュの主張を受けた形での腰の引けた反論しかできなかった。当初は相手の主張をバカにして、まともに取り合わなかった。もちろん、小山エミさんや荻上チキさんらネット上でバックラッシュ批判の言論を展開してきた人たちはいました。さらに、フェミニズム批判の主張の中に、まともに取り上げる必要がないものが多々あるのも事実で、フェミニストがそうしたものに対して必ず議論を行わねばならないとも思いません。むしろ議論に応えるえることで、土俵に乗ってしまい、相手の問題設定に縛られてしまうという問題が発生することもあります。例えば、当時、日本女性学会がバックラッシャーの主張を批判する『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)を出版しました。ですが、Q&A形式を使う中で問題のありかが、ひな祭りの是非などといった保守派が設定したものにずらされてしまい、守りに入った反論しかできなくなってしまったこともありました。

 さらに、バックラッシュに対抗していく上で、フィールドワークや分析もせずに、バックラッシャーを新自由主義のもとで冷遇され、鬱憤を抱えている男性と決めつけてしまっていたのも問題でした。実際に私が会ったバックラッシャーの男性は、保守的な家庭観を持ちつつ、実は配偶者は活動的だったり、社交的だったりするケースもありましたし、フェミニズムをかなりしっかり勉強している人もいました。そして、勉強した上で、あえて効果を狙って、大げさでトンデモとも見える論を使ってフェミニズム批判をしている人もいました。男女共同参画へのバックラッシュに対抗しようとした人たちが、バックラッシュの動きが「慰安婦」問題バッシングと人脈や運動の仕方において共通点があると十分に気づけなかったことも、失敗の一因だと思います。さらに性的少数者へのバッシングも同時に起きていたのに、それに留意していたとも言い難い。私自身も含め、フェミニズム側も、バックラッシュについて誰が、どんな目的で、どんなネットワークを持っているか、彼らの主張と運動の組み立て方を冷静に分析するなど、バックラッシュ当時の対応を反省し、再検討する必要があります。

※4 新設された10条のこと。子の教育についての第一義的責任を保護者に求めている。同時に、国や自治体が家庭教育支援の名のもとに、家庭教育に介入する余地が生まれている。教育基本法の改悪や家庭条項の問題点については、次回以降取り上げる。

山口智美(やまぐち・ともみ)
モンタナ州立大学教員。専門は文化人類学、フェミニズム。アメリカにおける「慰安婦」の碑や像の設置と、それに反対する日本政府や右派団体の動向にも詳しい。共著に、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(青弓社)、『エトセトラ VOL.2 特集 We Love田嶋陽子!』(エトセトラブックス)など。現在、斉藤正美と共著で『田嶋陽子論』(青土社)執筆中。

女性やマイノリティの権利、女性運動はなぜ“後退”したのか――バックラッシュ~現代に続く安倍政権の狙いを読む

 先日発表された、世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版で、過去最低の121位となった日本。なぜこの国は、女性が生きにくいのか。「女性活躍」という時代のもと、なぜ私たち女性は苦しくなっているのだろうか。

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止・再開騒動や補助金の不交付をめぐる騒動、徴用工訴訟に端を発した日韓対立など、安倍晋三首相や政権中枢、それを支える日本最大の保守団体「日本会議」の歴史修正主義が日本社会を文化的・経済的に混乱させている。安倍首相は、国会議員としてのキャリア初期から「慰安婦」問題を否定し、歴史修正主義の動きに関わり、各方面に圧力をかけてきた。その姿勢から見えてくるのは強烈なセクシズムの姿だ。だが、第二次安倍政権以降、「女性活躍」政策を打ち出しているために、その反動性が見えづらくなっている。しかし、今後国会で争点になるであろう憲法、教育、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の“改悪”を通して女性や子ども、マイノリティの権利は脅かされ、「多様性ある社会」も後退の危機に瀕することが予想される。そこで今回の特集では、安倍政権や日本会議の狙いと危険性を、項目ごとに検証する。

なぜ日本で女性運動は“後退”した?

 第1回では、安倍首相が1993年に議員当選した直後から積極的に関わってきた「慰安婦」問題とフェミニズムへのバックラッシュを振り返りながら、保守派の狙いを浮き彫りにしつつ、日本における女性運動の“後退”についても考えたい。

 本稿でいうバックラッシュとは、男女共同参画社会の流れを止めようとする政治・市民運動の総称を指す。女性差別撤廃条約や、国連での会議の積み重ねなどを経て、95年に北京で国連世界女性会議が開催された。こうした動きを受け、日本でも99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、その直後から保守派の“攻撃”が始まる。国会や地方議会では、保守系議員の質問の中で、男女共同参画条例への攻撃が行われたり、男女共同参画条例制定に向けたタウンミーティングに保守派が押しかけて「フェミニズムは共産主義」などとわめいたりすることもあった。右派論壇誌などでも男女共同参画は「過激なフェミニズム」の陰謀などとして批判され、ネット上でも叩かれるなど、あらゆる手段でのフェミニズムへの反動の動きがあった。

 ほかにも、都立養護学校での性教育に都議が介入した七生養護学校事件(※1)や、母子衛生研究会発行の性教育副教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』が、不備もないのに山谷えり子参議院議員の批判によって回収・絶版となった事件に象徴されるような性教育バックラッシュが起こった。また東京都国分寺市での上野千鶴子・東大教授(当時)の講演キャンセルや、福井県生活学習館から上野氏らの著作を含む約150冊が書棚から撤去される(※2)など、さまざまな事案が全国で起こった。

 多くの事案で、日本会議系団体の動きがみられ、人脈的にも重なりが見られる。彼らの狙いは一体なんだったのか。バックラッシュについて、行政側や女性運動関係者、バックラッシャーと呼ばれる保守団体/議員側双方の聞き取りをまとめた共著『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキ、勁草書房)を持つ、モンタナ州立大学教員の山口智美さんに話を聞いた。

――まず初めに、安倍政権を支える「日本会議」についてご説明いただけますか。

山口智美氏(以下、山口) 日本会議は、会員4万人ほどの保守団体です。それだけでは大きな勢力ではないのですが、神社本庁や、新生佛教教団などといった宗教団体が参加しているため、裾野が広く、動員に長けていて、署名・集会活動を得意としています。共通のイシューを持っている団体というよりは、右派団体の集合体といったようなイメージでしょうか。「日本会議国会議員懇談会」には安倍首相をはじめ、現内閣の閣僚が多く名を連ねています。

※1 都立七生養護学校(現七生特別支援学校)では、知的障害を持つ子どもたちが理解しやすいように工夫を凝らした人形や歌を通じて性教育を行っていたが、03年7月に土屋敬之都議(当時)が都議会でこれを批判。後日、都議や杉並区議らと共に産経新聞の記者が同校を訪れ、教材や授業内容を非難。翌日には産経新聞が「まるでアダルト・ショップ」と記事にした。校長をはじめ大量の教員が処分されたが、一部の教員らが裁判を起こす。13年に最高裁が原告・被告双方の上告を棄却。それにより、当時の都議3人と都に計210万円の賠償を命じた一、二審判決が確定した。

※2 06年4月に「福井県生活学習館 ユー・アイふくい」の情報ルームに置かれていた図書が、男女共同参画の内容にふさわしくないと撤去されたもの。その苦情は、県が委嘱した男女共同参画推進員のひとりが申し立てたのだったが、実は彼は反フェミニズム側の統一教会(当時)関係者であり、行政制度を利用してバックラッシュを行った事例として知られる。『社会運動の戸惑い』には、彼への聞き取りも収録されている。

――バックラッシュとは、どの期間の流れを指すのでしょうか?

山口 男女共同参画行政へのバックラッシュは、99年の男女共同参画社会基本法の成立がきっかけとなり、実際に運動が起きて広がったのが00年からでした。基本法は理念が書かれたもので、これに基づいた条例が各自治体で制定されていきました。ちょうど02~05年が一番バックラッシュの激しかった時期ですね。そこで攻撃に利用されたのが、95年に東京都の外郭団体だった東京女性財団が発行したパンフレットの中で提起された「ジェンダー・フリー」という概念でした。「ジェンダーにとらわれない態度や意識」といった意味合いで使われ始め、その後、主に行政のパンフレットや講座などを通じて広がった概念でした。ですが、定義が曖昧なカタカナ語だったこともあり、2000年代に男女共同参画へのバックラッシュが本格化した際に、保守派によるバッシングの格好のターゲットになってしまいました。保守派は「ジェンダー・フリー」概念の曖昧さにつけ込んで、「性差の無視」「人間を中性化し、カタツムリ化をめざす」「ひな祭りなどの伝統を破壊する」、さらには「日本社会全体の解体」をめざす、などと解釈します。そしてそれを右派論壇で拡散し、条例制定に反対する議会質問でも活用するなどと、攻撃に利用していったのです。

 そして05年には政府が第二次男女共同参画基本計画を出し、「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる」として、「ジェンダー・フリー」という用語は国としては使用しないという趣旨の文言が入れられたことで、保守派にとっては一定の満足ができる内容になり、バックラッシュの動きが落ち着いてきます。でも、日本軍「慰安婦」問題に目を向けてみると、90年代半ばからすでに反動の動きが始まっていました。もうひとつ、96年に法制審議会から選択的夫婦別姓に関する民法改正の答申が出たことも、背景としては大きいと思います。日本会議の前身となる運動は、95年に「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」を結成して、大規模な集会や署名集めなどを始めていました。

――「慰安婦」問題が一般的に表面化したのは、91年に金学順さんが「慰安婦」として初めて名乗り出たことです。これは保守派にとっても大きな衝撃だったのでしょうか?

山口 名乗り出自体には、実はそれほど大きな反発はなかったように思います。それよりも、96年に中学校用歴史教科書に「慰安婦」の記述が掲載されたことに保守の人たちは危機感を覚えたようです。同年には「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が生まれ、それまで保守の運動にかかわったことのない人、例えば漫画『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)で歴史認識問題を取り上げた小林よしのりさんらが参加するなどの動きもあり、地域レベルでも保守の運動に参加したことがなかった市民が、つくる会の教科書運動に関わり始めるなど、運動の広がりを見せました。教科書採択は市町村の教育委員会が担当するため、運動も地域密着にならざるを得ない。すると各地を結ぶネットワークが生まれてきます。これが現在に至るまでの保守派の大きな流れのひとつになっています。

――「慰安婦」否定や教科書問題、男女共同参画へのバックラッシュに関わっている人物は重なり、安倍政権に近い人が多いですね。例えば八木秀次・麗澤大教授は「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」の理事長を務め、安倍政権のブレーンとも言われる存在。バックラッシュ当時は、統一教会(現「世界平和統一家庭連合」)系の雑誌「世界思」』(世界思想社)のインタビューで「(ジェンダー・フリーには)ポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでる」と批判的な発言をしています。また、安倍首相が推進議員連盟の会長を務めていた、「親学推進協会」会長の高橋史朗・麗澤大特任教授は、性教育や夫婦別姓、男女共同参画への批判記事を書き、「つくる会」では副会長を務めていました。さらに高橋氏は現在も「慰安婦」問題など歴史認識に関わる国内外での動きにも深く関わっています。

山口 以前、保守派の方に話を聞いたところ、歴史教科書の最初の採択運動が01年夏に失敗に終わり、彼らの中でも大きな喪失感が広がったようです。もちろん運動を離れた人もいましたが、「次は何をしようか」と目を向けたときに、よく知らない間に通っていた男女共同参画社会基本法があったと言っていました。そして、男女共同参画条例制定の動きが地域レベルでも起きてきたことで、危機感が高まりました。こうして保守派は男女共同参画の条例づくりへの反対運動を展開していったのですが、その際に教科書採択運動でできたネットワークが活用されたのだと思います。それを引っ張ってきたのが、「諸君!」(文藝春秋)や「正論」(産経新聞社)などの右派論壇や、保守系団体の機関紙などで活躍していた学者、評論家、ジャーナリストでした。

 もうひとつバックラッシュの動きを後押ししたのは、インターネットです。95年に発売された「Windows 95」によってパソコン、インターネットが多くの人に普及するようになり、99年には「2ちゃんねる」などの掲示板サイトが生まれました。バックラッシュの際には、「フェミナチを監視する掲示板」などの掲示板サイトや、活動家のブログが運動を助けました。また、この頃には産経新聞や世界日報など、右派メディアの情報もネット上で手に入れやすくなっていました。2000年代半ばになると、排外主義を打ち出す「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が生まれますが、彼らは動画やストリーミングなどを積極的に使ってきました。ネットの影響はすごく大きい。

――在特会もそうですが、保守派にとって「慰安婦」問題の否定は長年のテーマです。戦時性暴力の問題である「慰安婦」問題こそ、植民地主義やレイシズムの問題はもちろんのこと、女性の権利侵害を浮き彫りにする問題でもあります。

山口 第二次以降の安倍内閣は、「女性活躍」とか「女性が輝く社会」を打ち出しているので、フェミニズムへの反動性が見えづらいのですが、歴史を振り返ってみても、「慰安婦」問題否定の動きの裏には必ず安倍さんがいます。彼は93年に政界入りしてすぐに自民党の「歴史・検討委員会」のメンバーに名を連ねます。同会は、95年に「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と主張する『大東亜戦争の総括』(展転社)という本を発売するのですが、その中にも安倍さんが出てきます。その後、97年に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)では事務局長を務め、同じ97年に日本会議が結成されるとその議連にも参加します。

 00年には、日本軍の戦時性暴力を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(※3)が行われましたが、法廷を取り上げたドキュメンタリー番組を制作したNHKに圧力をかけて番組を改変させている。05年には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が設置され、その座長を務めました。そして06年に第一次安倍内閣が成立し、07年3月には「慰安婦」の強制連行はなかったという発言もしている。だからこうしてみると、彼は「慰安婦」問題とジェンダー平等、両方へのバックラッシュにずっと関わっているんですね。

※3 元「慰安婦」らが日本で起こした裁判では被害の事実認定はされるものの、国家損害賠償は認められなかったことを受け、日本軍の戦時性暴力の責任の所在を明らかにするために行われた民衆法廷(抗議活動のひとつ)。「慰安婦」だけでなく、日本軍兵士だった男性が自ら行った強姦の事実について証言した。NHKはETV特集『戦争をどう裁くか』の第2夜放送「問われる戦時性暴力」(01年1月30日放送)でこの裁判を取り上げたのだが、最も注目を集めていた昭和天皇への有罪判決についてまったく言及しないなど、不自然な構成となっていた。05年には朝日新聞が、放送前に安倍氏と故・中川昭一氏がNHK幹部に圧力をかけて番組内容を改変させたと報じた。

――行政の男女共同参画へのバックラッシュとして、山口さんが印象に残っている事例を教えてください。

山口 男女共同参画へのバックラッシュは、男女共同参画条例の制定、当時次々に建てられていた男女共同参画センターやそこで行われていた啓発活動への反対、ジェンダー平等教育や性教育、アカデミックなフェミニズムへの批判など、さまざまな側面がありました。当時の保守派は、男女共同参画やフェミニズムを、「『男らしさ、女らしさ』を完全に否定する」「マルクス主義や共産主義に基づく革命思想である」「日本を破滅に導く」など、時には荒唐無稽とも思える主張を行い、センセーショナルにフェミニズムを攻撃していました。

 ただ、実際の動きとしては、02年6月に制定された山口県宇部市の男女共同参画条例作りをめぐる動きが、私は印象に残っています。それまでは男女共同参画やフェミニズムの動きにひたすら反対してきた保守派が、宇部市の男女共同参画条例では、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」「専業主婦を否定することなく」などの、性別による固定的な役割分担にとらわれないことをうたう男女共同参画社会基本法の本来の方向性と異なる内容の文言が含まれた条例を提案してきたのです。そして可決されたこの条例は、フェミニストたちに大きな衝撃を与えました。この動きの中で大きな役割を果たしていたのが、先ほども日本会議に関わる宗教団体として触れた、山口県に本部を持つ新生佛教教団系の新聞、日本時事評論でした。これ以降、保守派は男女共同参画に反対するだけでなく、自分たちの方向性に沿った内容の条例作りに関わり始め、すでにできた条例については文言の変更を要求するようになっていく、その大きな転機となったのが宇部市の条例だったのです。

 ただでさえわかりづらい「男女共同参画」の中身を、保守派が主張する内容にすり替えてしまうという動きは、現在の安倍政権の男女共同参画や「女性活躍」の政策に帰結しているともいえると思います。

――ジェンダー平等に反対するだけでなく、保守派は性的マイノリティの権利向上にも反対していますね。

山口 性的マイノリティに関しては、宮崎県都城市の事案が象徴的です。同市は03年12月に、当時の岩橋辰也市長のもとで「男女共同参画社会づくり条例」を制定しました。条例の中で「男女共同参画社会」を、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もってすべての人が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義しました。これは、「性別又は性的指向にかかわらず」という言葉で性的マイノリティの権利擁護を明文化した、全国で初めての条例でした。ただ成立過程を見てみると、統一教会系の世界日報が「“同性愛解放区”に向かう都城市」といった記事を出し、実際に保守派議員への働きかけも行っていました。結果、わずか1票差で条例は可決されました。しかし、04年12月の市長選で岩橋氏が落選し、新市長のもと市町村合併が行われると、「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権」から「性別又は性的指向にかかわらず」をカットして「すべての人の人権」に変更されたうえで条例が再制定されました。男女共同参画へのバックラッシュの中には、LGBTなど性的マイノリティへの攻撃が含まれていたことはとても重要なのですが、フェミニズムの立場で運動をしてきた人たちの間でも、その視点が抜けるという問題を抱えてきたと思います。

――保守派による、リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの攻撃はあったのでしょうか?

山口 リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関しては、男女共同参画へのバックラッシュよりもずっと古くから反動の動きがあります。72年の優生保護法“改悪案”(人工妊娠中絶の要件から、「経済的理由」を削除し、「障害をもつ胎児」を加えようとするなど)に向けて、宗教団体の「生長の家」が当時、大々的なキャンペーンを行っています。また、82年にも「生長の家」が、「経済的理由」を削除するという提案を再び行いました。どちらも保守派の提案は通らなかったのですが、現在の「日本会議」のリーダー層の中には当時、「生長の家」の運動に関わっていた人たちがいるというつながりがあります。また、バックラッシュの時に大きな役割を果たした統一教会でも、同性愛や両性愛を否定するというのが教義の前提にありますし、中絶は禁じられています。もともと欧米のキリスト系保守団体が同性愛に反対し、中絶の禁止をずっと訴えてきて、当時のアメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が禁欲を性教育のベースとする動きがありました。統一教会はこうした海外の動向をきちんと見ており、禁欲性教育を日本にも取り入れようとした。

――「男らしさ、女らしさを否定しない」「専業主婦を否定しない」などの彼らの主張や中絶禁止へのこだわりを見ると、女性を家庭内ケア労働に従事させるために性別役割分業、「女性=産む性」への固執が見えてきます。

山口 女性が「産む性」であることの維持には、すごくこだわっています。性別役割分業でいえば、保守派が目指すのは、家庭や地域社会の相互互助を日本の伝統・美徳とした大平正芳内閣の提唱した「日本型福祉社会」なのです。社会保障や教育といった分野での公(おおやけ)の役割を小さくしようとする、新自由主義社会に合わせてアップデートした家制度、つまり子育てや介護の問題を社会化せずに、家族内での相互扶助の問題に終始させたいのです。そこで子育てや介護を担わされるのは、日本社会の現状を考えれば、女性になってしまうことでしょう。自民党が02年に出した改憲草案の中で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた24条には「家族は互いに助け合わなければならない」という文言が新たに加えられています。これはまさに「日本型福祉社会」的なあり方を志向するものだといえます。

 昨年、杉田水脈衆議員議員がLGBTの人たちは「生産性」がないと発言して批判を浴びましたが、その杉田議員は次世代の党に所属して いた14年に「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を訴える質問を国会で行っています。また、杉田議員は「慰安婦」問題を否定する活動を繰り広げてきた人でもあります。00年代初めのバックラッシュの時代だけではなく、現在に至っても、男女共同参画やフェミニズム批判と、性的マイノリティへのバッシング、さらには「慰安婦」問題などの歴史認識問題もつながったものだということが明らかです。

――日本会議や安倍政権によって女性の権利が奪われかねないという危機感は、なかなか社会で共有されません。バックラッシュの全体像は一般的にまったく知られていませんし、日本型福祉社会への布石である24条改憲は、「自衛隊明記」「緊急事態条項」などの他の改憲項目に比べて報道量も少ないように感じます。

山口 マスコミ業界ではまだまだ男性が多く、例えば大手新聞社に勤める彼らは高給取りで、専業主婦を配偶者に持つ人たちも多いようです。彼らのジェンダー観は、実は日本会議と同じようなものなのではと思う時もあります。むしろ日本会議の人たちの方が、ある意味「素直」に本音を発しているといえるのかもしれません。一時期「日本会議」の研究本がブームとなりましたが、そうした書籍の筆者のほとんどが男性でした。それらの本では、「慰安婦」問題については教科書問題の項目で多少触れられているものもありましたが、フェミニズムへのバックラッシュについてはほとんど記載がなく、見落とされています。日本会議があれだけ熱を入れてフェミニズムへの反対運動に関わってきたにもかかわらず、これだけ無視されるのはおかしいと思います。

――改めて、バックラッシュというのは何を後退させたと思いますか?

山口 いろんなものを後退させたと思いますが、ひとつは行政の対応ですね。内容的には不十分とはいえ男女共同参画社会基本法ができて、これから男女共同参画に向けた社会を作っていこうという機運がありました。それがバックラッシュによって、行政の腰が引けてしまった。それまで市民がフェミニズムの講座を受けたりパンフレットを作ってみたり、男女共同参画センターを活動の場にしたりしていたのに、予算も減らされ、そういった運動がかなり後退しました。また、行政の講座も、男女共同参画との関連が不明なもの、例えば婚活講座などが男女共同参画の名のもとで行われるようにもなっています。今や、「男女共同参画」という名称も消えつつあり、「女性活躍」や「少子化対策」などに取って代わられてしまっています。

 もう一点、重要な後退としては、第一次安倍政権のもとで、06年に政権最大の成果である教育基本法の「改正」が行われたことがあります。ここで「愛国心」教育など新たな項目が入り込んできました。愛国心教育ももちろん問題ですが、この「改正」において「家庭教育」の条項(※4)を入れられたのは非常に影響が大きかった。そして、第二次安倍政権以降は、表向き政権は経済成長戦略として「女性活躍」や、「女性が輝く社会」をうたってきましたが、実際にはフェミニズム側はやられっぱなしになっている状況だと思います。安倍政権のもとで、女性やマイノリティにとって住みやすい社会になったでしょうか? 多くの女性にとっては、仕事と家事、育児、介護などさまざまな負担を抱え込みながら、ますます生活は苦しくなり、女性の間の格差が広がっている状態にはなっていないでしょうか。同じひとり親世帯でもシングルマザーの方が貧困率が高かったり、非正規雇用の比率も女性の方が圧倒的に多かったり、男女の賃金格差も続いており、多くの女性は苦しい生活を強いられています。性教育の広がりは頓挫し、選択的夫婦別姓の導入も進んでいませんし、性暴力の加害が問われない判決も相次いでいます。さらに日本軍「慰安婦」問題の解決も程遠いどころか、政権が積極的に歴史の事実の否定に必死となり、国内のみならず海外でも、「少女像」設置などの戦時性暴力の歴史を記憶する動きに圧力をかけているという状況です。

――「南京虐殺はなかった」など意図的に事実を歪曲した主張を右派雑誌に掲載し、極端な言説で支持者を広げる歴史修正主義者の動きと、バックラッシュ当時の保守派の動きは似通っています。『社会運動の戸惑い』の中で、当時の女性運動側にいた関係者の話として、バックラッシュ側が「『条例ができると男女のトイレがいっしょになります』と何度も繰り返していたことを、『そんなことに反応するのってばかばかしい』と思っていたのに、あっという間に社会に浸透した」と振り返りつつ、「わかりやすいメッセージってものすごく浸透がはやいんです」とおっしゃっていたのが印象的でした。それを踏まえると、バックラッシュから学ぶことも多いと思います。

山口 先ほども言ったように、歴史修正主義の主張を展開する人たちと、フェミニズムへのバックラッシュに関わってきた人たちは同じなので、そのやり方にも当然共通性はあります。そして、今振り返ると、当時のフェミニズムの対抗は概ね失敗に終わったと私は思っています。バックラッシュの主張を受けた形での腰の引けた反論しかできなかった。当初は相手の主張をバカにして、まともに取り合わなかった。もちろん、小山エミさんや荻上チキさんらネット上でバックラッシュ批判の言論を展開してきた人たちはいました。さらに、フェミニズム批判の主張の中に、まともに取り上げる必要がないものが多々あるのも事実で、フェミニストがそうしたものに対して必ず議論を行わねばならないとも思いません。むしろ議論に応えるえることで、土俵に乗ってしまい、相手の問題設定に縛られてしまうという問題が発生することもあります。例えば、当時、日本女性学会がバックラッシャーの主張を批判する『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)を出版しました。ですが、Q&A形式を使う中で問題のありかが、ひな祭りの是非などといった保守派が設定したものにずらされてしまい、守りに入った反論しかできなくなってしまったこともありました。

 さらに、バックラッシュに対抗していく上で、フィールドワークや分析もせずに、バックラッシャーを新自由主義のもとで冷遇され、鬱憤を抱えている男性と決めつけてしまっていたのも問題でした。実際に私が会ったバックラッシャーの男性は、保守的な家庭観を持ちつつ、実は配偶者は活動的だったり、社交的だったりするケースもありましたし、フェミニズムをかなりしっかり勉強している人もいました。そして、勉強した上で、あえて効果を狙って、大げさでトンデモとも見える論を使ってフェミニズム批判をしている人もいました。男女共同参画へのバックラッシュに対抗しようとした人たちが、バックラッシュの動きが「慰安婦」問題バッシングと人脈や運動の仕方において共通点があると十分に気づけなかったことも、失敗の一因だと思います。さらに性的少数者へのバッシングも同時に起きていたのに、それに留意していたとも言い難い。私自身も含め、フェミニズム側も、バックラッシュについて誰が、どんな目的で、どんなネットワークを持っているか、彼らの主張と運動の組み立て方を冷静に分析するなど、バックラッシュ当時の対応を反省し、再検討する必要があります。

※4 新設された10条のこと。子の教育についての第一義的責任を保護者に求めている。同時に、国や自治体が家庭教育支援の名のもとに、家庭教育に介入する余地が生まれている。教育基本法の改悪や家庭条項の問題点については、次回以降取り上げる。

山口智美(やまぐち・ともみ)
モンタナ州立大学教員。専門は文化人類学、フェミニズム。アメリカにおける「慰安婦」の碑や像の設置と、それに反対する日本政府や右派団体の動向にも詳しい。共著に、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(青弓社)、『エトセトラ VOL.2 特集 We Love田嶋陽子!』(エトセトラブックス)など。現在、斉藤正美と共著で『田嶋陽子論』(青土社)執筆中。

サイテー映画との出会いは人生を大きく変える!? 『死霊の盆踊り』ほか映画史に残る珍作奇作たち

 日本におけるサイテー映画の歴史の発火点となったのが、米国映画『死霊の盆踊り』(原題『Orgy of the dead』、1965年製作)だった。死霊化したトップレスダンサーたちが墓場で延々と踊り続けるだけという超低予算のホラー映画だが、1987年に日本で劇場公開された『死霊の盆踊り』は邦題のセンスのよさもあって劇場が満席になるという珍事となった。ちなみに『死霊の盆踊り』は、カンヌ国際映画祭常連の配給会社ギャガ(当時の社名はギャガ・コミュニケーションズ)の配給第3弾作品だった。

 80年代の日本ではまだ知られていなかったが、観た者の脳みそを空っぽにしてしまう『死霊の盆踊り』の脚本を書いたのは“史上最低の映画監督”として名を馳せることになるエド・ウッドだった。エド・ウッドの代表作『プラン9・フロム・アウタースペース』(59)と共に『死霊の盆踊り』も年末年始にリバイバル上映される。サイテー映画の仕掛け人である映画評論家の江戸木純氏と、これまでに『八仙飯店之人肉饅頭』(93)や『ムカデ人間』(09)など数々の鬼畜映画を配給してきた映画プロデューサーの叶井俊太郎氏が、30年以上にわたって関わってきたサイテー映画について語り尽くした。

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――1987年に『死霊の盆踊り』が日本で劇場公開されたことで、我が国でのサイテー映画の歴史が始まった。江戸木さんにとっても、思い出深い作品ですね。

江戸木 “史上最低”というフレーズは、実は僕が苦し紛れで付けたものです(笑)。当時のギャガは今と違って、ビデオの版権を売るエージェントだった。創業直後で、社員は東北新社から移った僕も入れて3名だけ。創業者の藤村哲哉社長がマニアックな映画を扱う米国の会社ライノ・エンタテインメントから、中身を観ないで10本まとめて買ってきた中の1本が『死霊の盆踊り』だった。女性のヌードがあって、狼男やミイラ男も出るホラーものだから、ビデオ化したら売れるだろうってことだったんだけど、観たら本当にひどかった。セールスポイントがまるでないので、仕方なく“史上最低”と呼んで売った。当初は『ディスコ・ハカバカーナ 亡霊たちの盆踊り』という邦題を考えていたんだけど、あるプレゼンの際に「“死霊の盆踊り”みたいな映画です」と説明したら大ウケしたんで、『死霊の盆踊り』に決まったんです。ビデオは5000本も売れました(笑)。

叶井 『死霊の盆踊り』は東京ファンタスティック映画祭でも上映したでしょ? 会場に人が溢れていて、すごい盛り上がってた。訳が分からなかった。当時の俺、学生だったけど、あの異様なノリにはついていけなかったから。

江戸木 ホラーマスクをみんなで被って、渋谷の歩行者天国で踊ったの、『トゥナイト』(テレビ朝日系)が取材に来てくれるっていうから。でも、本当は『死霊の盆踊り』は東京ファンタの正式参加作品じゃなかった。東京ファンタの小松沢陽一プロデューサーに「面白い映画ない?」ときかれて、『死霊の盆踊り』があるよと話したら、東京ファンタでやろうと言ってくれて。当時の東京ファンタは渋谷でいちばん大きな劇場だったパンテオンでやっていたけど、上映するのに35ミリフィルムを用意しなくちゃいけなかった。そのことをA・C・スティーブン監督に国際電話で伝えたら大喜びして、自腹で日本に来ると言い出した。ところが、東京ファンタを主催していたニッポン放送が「いくらなんでもコレはだめ!」と怒って、東京ファンタで上映できなくなって。それで急遽、パンテオンのすぐ近くにあった渋谷松竹を借りて上映したんだよ。東京ファンタ“惨禍”作品ということにして。スティーブン監督はもう亡くなったけど、最後まで東京ファンタで上映されたと信じていたと思うよ。「こんなに感動的な上映会は初めてだ」と感激してたから。その後、『死霊の盆踊り2』の台本まで渡されたし(笑)。日本で製作費を集めてくれって。

叶井 『死霊の盆踊り2』? 誰も映画化しないよ!

江戸木 話の内容はまったく同じ。舞台が宇宙になって、音楽がロックになるだけ。『エドウッド』(94)を映画化したティム・バートン監督を取材した際に、「スティーブン監督が書いた続編の台本があるけど興味ないか?」と尋ねたら、「すごくある」っていうから渡したんだけど、それっきりになった(笑)。

叶井 『エドウッド』で描かれて、有名になった『プラン9・フロム・アウタースペース』も劇場公開するんだ。江戸木純というペンネームは、エド・ウッドが由来なわけでしょ。エド・ウッドが好きなんですね。

江戸木 「死霊の盆踊り』は映画を売るサラリーマンの仕事としてのベストを尽くして、最善の結果になったと思う。でも、決してサイテー映画が大好きで、サイテー映画ばかり観ているわけじゃないから(笑)。まぁ、『死霊の盆踊り』はこれまでに50回以上は観て、愛着はあるよ。江戸木純は確かにエド・ウッド・ジュニアから思い付いたペンネームなんだけど、売り込んだ雑誌や出版社から原稿も書いてくれと頼まれて、会社員だったから本名を名乗ることができず、便宜的に付けた名前。エド・ウッド作品は『死霊の盆踊り』以外は観たことがなかったのに、いつの間にか「江戸木純」としての仕事が僕の本業になってしまった(笑)。

叶井 でも、なんで今、『死霊の盆踊り』と『プラン9』なの?

江戸木 サイテーの時代だから、サイテーな映画で盛り上がってほしい。というのは冗談だけど、時間をかけて準備していたものがこの年末にたまたまできることになった。『死霊の盆踊り』は日本公開から32年とすごく中途半端なんだけど、カラーライズ化された『プラン9』も一度きちんと劇場公開したいとだいぶ前から計画はしてた。2018年は僕が日本に紹介したインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)の4K版を公開したんだけど、これがけっこーしんどかった。インド映画界と仕事するのは、なかなか大変なの。その分、面白い体験もいっぱいするけどね。『ムトゥ』の権利を買うためにインドに渡ったときも、プロデューサーがサイババの信者で「君たちが日本から来ることはサイババが予言していた。この映画は日本で必ず大ヒットする」と言われた。そのときは「大丈夫か、この人」と思ったけど、本当に大ヒットしたからね。インド映画は配給自体が一種の神秘体験でもあるんだけど、いろいろと体力や神経をつかう。『ムトゥ』がひと段落したことで、ようやくこの2本の上映ができることになったんだ。

叶井 今回の『死霊の盆踊り』と『プラン9』の売りは何なの?

江戸木 これまではスタンダードサイズで上映されていたんだけど、もともとは横長のビスタサイズで上映されることを前提にして撮影されていたもので、初めてのビスタサイズでの一般上映。横長のビスタサイズで観ると、案外計算された映画だということが分かる。裸で踊っているダンサーたちも当時の米国のストリップダンサーたちで、けっこうレベルが高い。猫のコスプレで踊る女性がいるんだけど、作家の岩井志麻子さんのコスプレ姿にそっくり。岩井さんのコスプレは、『死霊の盆踊り』の影響じゃないかな?

ー1980年代に流行ったミュージカル『キャッツ』だと思います。

江戸木 そうか。でも、「キャッツ』の元ネタは『死霊の盆踊り』だという説もある。『キャッツ』も『死霊の盆踊り』もストーリーはほぼ同じ。ただ、猫が踊っているかトップレスダンサーかの違いくらいだよ(笑)。

叶井 『死霊の盆踊り』も実写版『キャッツ』も、気持ち悪いという点ではよく似ているよね。

――叶井さんは90年代に映画業界に入り、香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』(93)を大ヒットさせて映画業界の名物男に。

叶井 江戸木さんがきっかけですよ。僕がいたアルバトロス社に、江戸木さんがアドバイザーをしていたJCAという会社が「こんな映画があるんだけど」と『人肉饅頭』を売り込みにきた。当時のアルバトロス社はフランスの文芸映画を扱うような会社だったけど、ビデオ部門を立ち上げることになり、『人肉饅頭』しかないと俺も猛プッシュした。江戸木さんとの付き合いは『人肉饅頭』からだよね。『人肉饅頭』が当たったんで、『人肉天婦羅』(93)、『人肉竹輪』(93)、『香港人肉厨房』(92)とひどい映画を次々とリリースしたよね。

江戸木 90年代前半の香港は、97年の中国返還を直前に控え、「三流片」と呼ばれるトンデモない映画がどんどん作られていた時期だった。『実録 幼女丸焼き事件』(93)は中国大陸から流れてきた元人民解放軍が香港でマフィア化しているという内容で、サイモン・ヤムが主演。今の中国では絶対に無理。『人肉饅頭』で犯人役を演じたアンソニー・ウォンは、主演映画『淪落の人』の舞台あいさつのためについ先日、東京に来てた。僕は舞台あいさつの司会をしたんだけど、すごくいい人で驚いた。『淪落の人』も感動必至の感動作(2020年2月公開予定)。アンソニー・ウォンが出演した『エボラ・シンドローム 悪魔の殺人ウィルス』(96)や『ザ・ミッション 非情の掟』(99)の宣伝プロデュースをしたことを本人に伝えると、笑っていたけどね。

叶井 最近、アンソニー・ウォンはあまり映画に出てないんじゃない?

江戸木 香港のデモ運動を支持するようなコメントをSNSでしているから、映画に出れなくなっている。反体制的な発言をするタレントは、中国政府が映画会社に圧力を掛けて、映画に出演できなくしてしまうから。それでもアンソニー・ウォンは男気のある人で、低予算で制作された『淪落の人』にはノーギャラで出演している。逆にジャッキー・チェンは中国でシネコン・チェーンのオーナーとして大儲けして、中国寄りの発言ばかりで、今の香港ではかなり嫌われている。

叶井 アンソニー・ウォンはタブーのない、自由を愛する人なんだね。

――ネクロフィリア(死体嗜好家)を主人公にした『ネクロマンティック』(87)も、映画マニアの間で話題を呼びました。

叶井 江戸木さんが雑誌で“ヤバい映画”の特集記事を組んでいて、そのときに紹介していたのが『ネクロマンティック』や『ラットマン』(93)だった。俺、江戸木さんが紹介した映画は全部日本でリリースしようと使命感に燃えていたから(笑)。でも、江戸木さん、ドイツで発禁扱いされていた『ネクロマンティック』をよく発掘してきたよね。

江戸木 ホロコースト問題で廃刊になった、月刊誌「マルコポーロ」に書いた「マジで危ないビョーキ映画コレクション」を読んだんだね。以前から『ネクロマンティック』というドイツ映画があることは知っていたけど、観る手段がなかった。それでカンヌ映画祭に行ったときに、『ネクロマンティック』を知らないかと尋ねて回ったら、うまく当たった。映画マーケットは「松・竹・梅」となっていて、お金のある映画会社はホテルの一室をブース代わりにしていて、お金のあまりない会社は会場を仕切られたブースを使って営業している。それより、もっとお金のない人はスーツケースの中にビデオと資料を詰め込んで営業している。『ネクロマンティック』を持ってた売人は、さもヤバイもののようにこっそりとスーツケースからビデオを取り出してみせた。あのときはドキドキした(笑)。

叶井 『ネクロマンティック』の主演俳優ダクタリ・ロレンツは、たまたま日本にいて「NOVA」の英会話講師のアルバイトをしていたんだよね。死姦映画に主演したせいでドイツで俳優業を続けられなくなって日本に来たらしい。「日本で『ネクロマンティック』をリリースされると、英会話の講師ができなくなってしまう」と泣きつかれたんだけど、「5万円あげるから」って言ったら緊急来日記者会見に出てくれることになった。結局、「NOVA」はクビになってドイツに帰ったんだけど、俺のところに『モスラ』のラジコンを送ってくれと電話を掛けてきて、渋谷のパルコで買った5~6万円するモスラのラジコンを送ったら、『キラーコンドーム』(96)のうねうね動く巨大コンドームとして使われていた。俺の送ったラジコンが『キラーコンドーム』の小道具になったかと思うと、ちょっと感動したね。

江戸木 イタリア映画『ラットマン』もひどかった。

叶井 世界一小さい人ネルソン・デ・ラ・ロッサさんが、人を殺しまくるというひどい内容。日本テレビの「世界の奇人さん大集合」みたいな番組に出演することになって来日させたんだけど、空港まで取材に来ていた女性誌のカメラマンがロッサさんに「スーツケースの中に入って」とか無茶なことを頼んで写真を撮っていた。今だったら、大問題でしょう。ロッサさん本当に小さくて70センチくらいしか身長がなかったんだけど、そんなに小さいならホテルに泊まらなくてもいいんじゃないとか誰かが言い出して、俺のアパートに泊めることになってさ。浴室のバスタオルとか入れる籐籠で2日間寝てもらった。ひどい話だよね。

江戸木 その話は初めて聞いた。サイテー映画にはサイテーなエピソードがいろいろとあるもんだね。

――江戸木さんが発掘した北朝鮮映画『プルサガリ 伝説の大怪獣』(85)も、忘れられない作品です。

江戸木 別に僕が発掘したわけじゃないですよ。これはJCAから新しいビデオ・レーベルのプロデュースを頼まれて、よくその事務所に出入りしていたんだけど、たまたまその会社が北朝鮮映画の窓口という人から相談を受けていて、『プルガサリ』の35ミリフィルムがその事務所に積まれていた。見せてもらったら新品のきれいなフィルムで、映画も面白い。これはちゃんと公開すべきだと思ったので新レーベル「レイジング・サンダー」の配給で劇場公開したんです。『ムトゥ』と同じ年、1998年の7月公開で、キネカ大森1館の公開だったけど予想以上のヒットになった。でも、その数週間後、北朝鮮がテポドンを発射した途端、劇場はガラガラになっちゃった。(笑)

叶井 「レイジング・サンダー」がなくなったのは残念。『プルサガリ』はリメイクされたんでしょ?

江戸木 そう、脱北したシン・サンオクというプロデューサーが、米国に渡ってルーマニア・ロケでつくった。『ガルガメス』(96)という題名で、日本でもビデオ発売されたことがあります。舞台は中世のヨーロッパなんだけど、物語はまったく同じ。けっこう、よくできたファミリー映画だったよ。

――お話を聞いていると、江戸木さんの映画紹介が叶井さんの映画人生を大きく左右したようですね。

江戸木 叶井くんと僕には共通の知人がいて、その人からの影響が大きいと思う。

叶井 映画宣伝会社イーグルスカンパニーの梶原和男さん! 僕が映画業界に入ったのも梶原さんから声を掛けられたから。ラジオ局でバイトしていたら、ちょくちょく梶原さんが映画の売り込みに来て知り合って、梶原さんの紹介でアルバトロスに入社することになった。すごい宣伝マンだった。

江戸木 どの映画にも「これは実話だ」「5分に一度は必ず~」というキャッチフレーズをつけてしまうし、香港映画やフランス映画だと売れないとかいって、香港・米国合作映画とかフランス・米国合作映画に勝手に変えてしまう人だった。ジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき』(85)の邦題を考えたのも梶原さん。

叶井 梶原一騎と一緒に「三協映画」を立ち上げた人で、角川映画『犬神家の一族』(76)などの宣伝もやってた。うさん臭い映画宣伝といえば、梶原さんの独壇場だった。梶原さんの宣伝スタイルを受け継いだのは、今や江戸木さんと俺のふたりだけですよ。

江戸木 梶原さんが映画人生を賭けてつくったベトナム戦争アクション『ブルドッグ』(92)もすごい映画だった。フィリピンで撮影したんだけど、撮影がずるずると延びて製作費に2億円くらい費やしてしまったという。すごくチープな『エクスペンダブルズ』(10)みたいな話なんだけど、全編突っ込みどころ満載のすごい怪作だった。

叶井 そうそう! 『ブルドッグ』もリバイバル上映するべきですよ

ー日本にも知られざるサイテー映画があったわけですか。映画評論家の水野晴郎さんが撮った『シベリア超特急』(96)と比べてどうですか?

江戸木 どっちも同じくらい、楽しい映画です(笑)。水野さんの『シベ超』シリーズはいつかちゃんと再評価されるべき作品だと思いますね。

 

――叶井さんはアルバトロス時代に『アメリ』(01)を大ヒットさせ、その後独立。トルネード・フィルムは残念なことになりました。

叶井 残念な結果でした。みなさんには大変ご迷惑をお掛けしました。河崎実監督の『日本以外全部沈没』(06)はヒットしたんだけど、全国公開した『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』(08)で調子に乗りすぎてしまいました。

江戸木 『日本以外全部沈没』は面白かった。「日本のエド・ウッド」を自称している河崎監督は特殊な才能の持ち主だと思う。

叶井 本人には言えないけど、河崎監督は製作費が100万円でも1億円でも、完成させる映画のクオリティーは変わらないと思う。それってすごい才能だよね。河崎監督の最新作『ロバマン』は2020年1月10日(金)公開なので、こちらもよろしくお願いします。

――その後の叶井さんはトランスフォーマー社に再就職し、『ムカデ人間』(09)がヒット。2018年からはサイゾー社に席を置き、パリ人肉事件で有名な佐川一政のドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』(17)を劇場公開。『人肉饅頭』から手がけてきた作品は、すべて鬼畜系一色で一貫しているのはすごい。

叶井 最初にやった『人肉饅頭』がやっぱり大きい。『人肉饅頭』の宣伝のために、佐川さんに応援コメントをもらったりしたからね。やっぱり、佐川さんのことはずっと気になっていたから。『カニバ』はヒットとは言えないけど、赤字にはなってないよ。今は『ムカデ人間』を撮ったトム・シックス監督の新作を日本で公開できないか検討しているところ。他人が死ぬ瞬間を見て、オナニーする人たちを描いた本当にひどい映画。デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ』(96)のオナニー版みたいな感じ。配給権が高すぎるのがネックだね。

江戸木 クローネンバーグと『ムカデ人間』の監督を同列に語っていいのかという問題もあるような気がするけど(笑)。

叶井 江戸木さん、12月20日(金)から『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』も公開するんでしょ。どうですか、チャールズ・ブロンソンのそっくりさんは?

江戸木 ロバート・ブロンスキーは、本当にブロンソンにそっくりで驚くはず。ハンガリー出身の元軍人で、馬の調教師などをやった後、スペインの西部劇村のショーに出ていたところを、スカウトされて映画デビューした人。来日したときはずっと一緒にいたんだけど、話しているうちに「もしかしたら、本当のブロンソンじゃないのか」と思えてきた。約束した時間には1秒も遅れないし、超マジメでブロンソンを全身でリスペクトしている、すっごい律儀な人。今回の『野獣処刑人』はブロンソンの代表作『狼よさらば』(74)シリーズの超絶オマージュ作で楽しめる。ブロンスキーのそっくりさんぶりは海外でも話題になっていて、出演オファーが殺到しているらしい。チャールズ・ブロンソンの新作はもう観ることはできないけど、ブロンスキー映画はこれからも期待できそう。きっとさらに面白い映画がつくられると思う。

叶井 若い人は観にくるかな?

江戸木 若い世代にも、この機会にブロンソン映画の面白さをぜひ知ってほしい。『野獣処刑人』の初日には、ブロンソンの熱烈ファンのみうらじゅんさんと田口トモロヲさんのブロンソンズが来てくれることになってます。映画鑑賞って、予告やチラシを見て「どんな映画なんだろう」とワクワクしながら劇場に向かうのも含めての楽しさだと思う。いかがわしさもないと、映画はつまらない。

叶井 見世物小屋に行くみたいな、何が待っているか分からない面白さがないとね。

江戸木 最高の映画があれば、最低の映画もある。サイテー映画は映画としては最低でも、決してつまらない映画ではない。自宅にいたんじゃ出会えない楽しさを、ぜひ映画館で味わってほしいな。

(取材・構成=長野辰次)

●江戸木純(えどき・じゅん)
1962年東京都生まれ。東北新社、ギャガなどで日本語版制作や宣伝を行ない、数々の邦題やキャッチ・コピーを担当。日米合作映画『カブキマン』(90)では企画・キャラクターデザインを手掛けた。独立後は映画評論家としての執筆活動の傍ら、インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、スウェーデン映画『ロッタちゃんとはじめてのおつかい』(93)などの国内配給を手掛けた。著書に『龍教聖典 世界ブルース・リー宣言』(洋泉社)、共著に『バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争』(洋泉社)ほか。

●叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)
1967年東京都生まれ。91年に洋画配給会社アルバトロスのグループ会社ニューセレクトに入社。94年よりアルバトロスに異動し、洋画バイヤー兼宣伝マンとして活躍。『アメリ』(01)を大ヒットさせた後、独立。ファントム・フィルム、トルネード・フィルムなどの映画会社を立ち上げた。その後はトランスフォーマー、レスぺを経て、2018年よりサイゾーへ。ドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』の国内配給を手掛けた。2020年2月7日(金)より、観ると死ぬ映画『アントラム/史上最も呪われた映画』が公開。著書に『突然、9歳の息子ができました』(サイゾー)、江戸木純との共著『映画突破伝』(洋泉社)ほか。

 

『野獣処刑人 ザ・ブロンソン』
監督・脚本・撮影・編集/レネ・ペネス
出演/ロバート・ブロンジー、リチャード・タイソン、エヴァ・ハミルトン、レイア・ペレス、ダニエル・ボールドウィン、ストミー・マヤ
配給/エデン 12月20日(金)より新宿武蔵野館にてロードショー
(c)2018 Action Film Partners LLC.All Rights Reserved. 
http://www.eden-entertainment.jp/thebronson

『死霊の盆踊り』
製作・監督/A・C・スティーヴン 脚本/エド・ウッド
出演/クリスウェル、ファウン・シルバー、パット・バリンジャー、ウィリアム・ベイツ
配給/エデン 12月28日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
(c)1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome
http://eden-entertainment.jp/saitei2020

 

『プラン9・フロム・アウタースペース』
製作・監督・脚本・編集/エドワード・D・ウッド・ジュニア
出演/グレゴリー・ウォルコット、クリスウェル、トー・ジョンソン、ヴァンパイラ、ベラ・ルゴシ
配給/エデン 2020年1月11日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
(c)Legend films.
http://eden-entertainment.jp/saitei2020

形成外科医・上原恵理医師が「おっぱい」のウワサをジャッジ!【その美容法は意味がない!】

 雑誌やテレビ番組、インターネットで数多く紹介される“美容法”。その中には、医学的な根拠が証明されていないものや、「むしろ逆効果」というものまで存在しているようだ。
 
 自身のSNSで、ちまたに広がる真偽不明の美容法に“鋭く”切り込み話題になっている、「表参道スキンクリニック」表参道院の医師・上原恵理先生に、5回に分けて“美容法のウワサ”を斬っていただく「その美容法は意味がない!」シリーズ。第1回目となる今回は「胸」にまつわるアレコレを聞いてみた。

育乳マッサージは垂れ乳促進マッサージ

――バストアップに効果的な方法として、「背中などの肉を胸に持ってくる」というものを聞いたことがあります。そのようなことは可能なのでしょうか?

上原恵理先生(以下、上原) 背中の脂肪をバストに持ってくるなんて絶対にできません。まず、バストの構造をご説明しますね。バストは皮膚の下に脂肪組織があり、その下に乳腺があります。それらはクーパーじん帯や線維で“ガチガチ”にくっついていて、手術のときは、メスや電気メスで切り離さないと動かないほどの強固な組織です。なので、手で寄せた程度では、背中やおなかなどのぜい肉が胸に移動し、がっちりとした組織でできた胸に定着するなんてことはあり得ません。

――マッサージで太ももの肉を寄せ続けたら、脚が細くなり巨乳になったという話を聞いたこともあるのですが……。

上原 もし、マッサージによって脂肪が動く説が本当であれば、重力がある地球で生活していたら、年齢を重ねるごとに全身の脂肪が下がって足に溜まっていくはずです。そんな老人、見たことないでしょ? 「マッサージで太ももの肉が胸まできた」という人には、「その逆は見たことある?」って聞きたいですね。

――揉むと大きくなるという説はいかがでしょうか?

上原 揉んで大きくなるのは、単にバストが腫れているだけです。顔を往復ビンタすると腫れますよね。バストも同じで、痛いくらいマッサージすれば当然腫れます。通常、腫れは2週間ほどすれば治まるので、美胸マッサージなどを行っているお店は「また2~3週間後、定期的に来てくださいね」と言うわけ。毎日のようにマッサージをしていると、常に腫れている状態になるので、大きくなったように見えますが、ずっと炎症を起こし続けているわけですから、やめた方がいいですよ。後々どんな弊害が起こるかは、元の顔に戻らないくらい毎日往復ビンタされ続ければわかると思います。それに、揉めば揉むほどに垂れやすくもなりますしね。

――揉むと垂れやすくなるんですか!?

上原 揉むことで、じん帯が伸びたりブチブチ切れたりして、バストがどんどん下がっていってしまうんです。美乳マッサージは、自分で「努力して」垂れ乳を作っていることになります。

――自ら垂れさせていたとは驚愕です。睡眠時にバストアップや胸の形を整える「ナイトブラ」もありますが、そのようなものを着けていれば少しは違うでしょうか? 育乳効果を謳っている商品もありますが……。

上原 バストの大きい人は、胸の重さでクーパーじん帯が伸びたり切れたりして垂れる原因になるので、ナイトブラなどで支えて、垂れを予防するということは考えられます。でも、バストを大きくしたい人が、ナイトブラを着用しても意味はありません。着けて寝るだけで大きくなるなら、私だって今頃巨乳になっていますよ(笑)。

――何もしなくても、加齢とともに垂れていきますよね。どうにか防ぐ方法はないのでしょうか?

上原 乳腺は、若いうちはムチっとしていて密度も高いのですが、残念ながら加齢とともに委縮して、小さくスカスカになっていき、それによりバストが下垂するのです。あとは、出産の有無も関係がありますね。出産・授乳によって、バストは一時大きくなる。つまり、乳腺が授乳のために発達するのですが、その後しぼむことによって、バストはより下垂します。もし垂れてしまったら、今のところは手術するしか戻す方法はないですね。どうしても自力でどうにかしたいなら、宇宙空間に行けばいいでしょう。無重力になれば、垂れたバストも上がりますから。

――「合掌のように、手のひらを合わせて力を入れる」と大胸筋が鍛えられてバストアップにつながると雑誌に書いてあったのですが、こちらはどうでしょう?

上原 筋トレ自体に効果がまったくないとは言いませんが、合掌ポーズの筋トレでは、絶対にバストアップはできないですね。それぐらいの筋トレで、小さなバストを巨乳に見せるほどの厚みになるなんてことはありません。日本人女性の平均的な大胸筋の厚みは1センチにも満たないほどで、一般的な筋トレ程度で劇的に胸の大きさは変わらない。ボディービルダーレベルのトレーニングをしないと、大胸筋の厚みを実感できませんし、それほどのトレーニングをすると、今度は脂肪が減っていくので、大胸筋が張ったボディービルダーのような胸になってしまいます。

自力でバストを大きくする方法は存在する!?

――豊胸手術とかではなく、自力でバストを大きくする方法はないのでしょうか?

上原 バストが大きくなる要素は2つあります。1つは太ること。脂肪が増えれば、脂肪で構成されているバストも大きくなります。2つ目は、乳腺が大きくなること。乳腺は女性ホルモンによって発達するので、そのような作用が働けば、バストは大きくなります。妊娠中バストアップするのも、そのためです。

――1つ目の「太ること」についてですが、テレビ番組でグラビアアイドルが「太っちゃって、バストだけを残してダイエットをした」と話していました。そんなことはできるんですか?

上原 人間の体は平等に痩せるので、バストだけを残して痩せるなんてことはできません。必然的に、全身が痩せればバストも小さくなる。医療器具や手術をすれば、特定の場所だけ脂肪を減らすことはできますが、ダイエットでは無理です。

――2つ目の「乳腺を大きくすること」は、女性ホルモン含有の育乳サプリメントやクリームを塗れば大きくできるでしょうか?

上原 インターネットを介して個人輸入できる、女性ホルモンが含まれたサプリやクリームなどの商品の中には、サイズアップしたケースもあるようです。ただ、命に関わる危険性や、死亡例が出ている商品もあるので、安易に使うことは“絶対”に避けてほしい。また、健康障害を起こすような成分が入っていない、つまり“合法”なサプリメントには効果がないです。飲むだけ、塗るだけで大きくなるなら、みんな巨乳になっていますよ。

――では、いわゆる「痩せの巨乳」はあり得ないのでしょうか?

上原 少数ですが、真の“痩せの巨乳”は存在します。そのような人は、バストを触ればわかりますよ。脂肪は水のように柔らかく、乳腺は硬いのですが、痩せている人は脂肪が少ないため、触るとゴリッとした乳腺の硬い感触があるんです。そういう人は、たまたま乳腺が大きい家系に生まれた人。遺伝なので、巨乳になる努力はするだけムダ。以上!

上原恵理(うえはら・えり)
2006年群馬大学医学部医学科卒業後、同年東京大学医学部附属病院研修医として勤務。08年に東京大学形成外科医局、10年帝京大学医学部附属病院を経て、18年より表参道スキンクリニック勤務。豊胸や乳房再建の最先端術式を数多く手掛けており、美容外科医の目線から、症例や美容法に切り込んだSNSが話題に。『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)や多数メディアに出演するなど、活動の場を広げている。

表参道スキンクリニック表参道院
Twitter:@dr_uehara
Instagram:スキンケア・痩身専門 @eri.uehara
Instagram:外科専門 @aesthetic_surgeon_dr.uehara

 

形成外科医・上原恵理医師が「おっぱい」のウワサをジャッジ!【その美容法は意味がない!】

 雑誌やテレビ番組、インターネットで数多く紹介される“美容法”。その中には、医学的な根拠が証明されていないものや、「むしろ逆効果」というものまで存在しているようだ。
 
 自身のSNSで、ちまたに広がる真偽不明の美容法に“鋭く”切り込み話題になっている、「表参道スキンクリニック」表参道院の医師・上原恵理先生に、5回に分けて“美容法のウワサ”を斬っていただく「その美容法は意味がない!」シリーズ。第1回目となる今回は「胸」にまつわるアレコレを聞いてみた。

育乳マッサージは垂れ乳促進マッサージ

――バストアップに効果的な方法として、「背中などの肉を胸に持ってくる」というものを聞いたことがあります。そのようなことは可能なのでしょうか?

上原恵理先生(以下、上原) 背中の脂肪をバストに持ってくるなんて絶対にできません。まず、バストの構造をご説明しますね。バストは皮膚の下に脂肪組織があり、その下に乳腺があります。それらはクーパーじん帯や線維で“ガチガチ”にくっついていて、手術のときは、メスや電気メスで切り離さないと動かないほどの強固な組織です。なので、手で寄せた程度では、背中やおなかなどのぜい肉が胸に移動し、がっちりとした組織でできた胸に定着するなんてことはあり得ません。

――マッサージで太ももの肉を寄せ続けたら、脚が細くなり巨乳になったという話を聞いたこともあるのですが……。

上原 もし、マッサージによって脂肪が動く説が本当であれば、重力がある地球で生活していたら、年齢を重ねるごとに全身の脂肪が下がって足に溜まっていくはずです。そんな老人、見たことないでしょ? 「マッサージで太ももの肉が胸まできた」という人には、「その逆は見たことある?」って聞きたいですね。

――揉むと大きくなるという説はいかがでしょうか?

上原 揉んで大きくなるのは、単にバストが腫れているだけです。顔を往復ビンタすると腫れますよね。バストも同じで、痛いくらいマッサージすれば当然腫れます。通常、腫れは2週間ほどすれば治まるので、美胸マッサージなどを行っているお店は「また2~3週間後、定期的に来てくださいね」と言うわけ。毎日のようにマッサージをしていると、常に腫れている状態になるので、大きくなったように見えますが、ずっと炎症を起こし続けているわけですから、やめた方がいいですよ。後々どんな弊害が起こるかは、元の顔に戻らないくらい毎日往復ビンタされ続ければわかると思います。それに、揉めば揉むほどに垂れやすくもなりますしね。

――揉むと垂れやすくなるんですか!?

上原 揉むことで、じん帯が伸びたりブチブチ切れたりして、バストがどんどん下がっていってしまうんです。美乳マッサージは、自分で「努力して」垂れ乳を作っていることになります。

――自ら垂れさせていたとは驚愕です。睡眠時にバストアップや胸の形を整える「ナイトブラ」もありますが、そのようなものを着けていれば少しは違うでしょうか? 育乳効果を謳っている商品もありますが……。

上原 バストの大きい人は、胸の重さでクーパーじん帯が伸びたり切れたりして垂れる原因になるので、ナイトブラなどで支えて、垂れを予防するということは考えられます。でも、バストを大きくしたい人が、ナイトブラを着用しても意味はありません。着けて寝るだけで大きくなるなら、私だって今頃巨乳になっていますよ(笑)。

――何もしなくても、加齢とともに垂れていきますよね。どうにか防ぐ方法はないのでしょうか?

上原 乳腺は、若いうちはムチっとしていて密度も高いのですが、残念ながら加齢とともに委縮して、小さくスカスカになっていき、それによりバストが下垂するのです。あとは、出産の有無も関係がありますね。出産・授乳によって、バストは一時大きくなる。つまり、乳腺が授乳のために発達するのですが、その後しぼむことによって、バストはより下垂します。もし垂れてしまったら、今のところは手術するしか戻す方法はないですね。どうしても自力でどうにかしたいなら、宇宙空間に行けばいいでしょう。無重力になれば、垂れたバストも上がりますから。

――「合掌のように、手のひらを合わせて力を入れる」と大胸筋が鍛えられてバストアップにつながると雑誌に書いてあったのですが、こちらはどうでしょう?

上原 筋トレ自体に効果がまったくないとは言いませんが、合掌ポーズの筋トレでは、絶対にバストアップはできないですね。それぐらいの筋トレで、小さなバストを巨乳に見せるほどの厚みになるなんてことはありません。日本人女性の平均的な大胸筋の厚みは1センチにも満たないほどで、一般的な筋トレ程度で劇的に胸の大きさは変わらない。ボディービルダーレベルのトレーニングをしないと、大胸筋の厚みを実感できませんし、それほどのトレーニングをすると、今度は脂肪が減っていくので、大胸筋が張ったボディービルダーのような胸になってしまいます。

自力でバストを大きくする方法は存在する!?

――豊胸手術とかではなく、自力でバストを大きくする方法はないのでしょうか?

上原 バストが大きくなる要素は2つあります。1つは太ること。脂肪が増えれば、脂肪で構成されているバストも大きくなります。2つ目は、乳腺が大きくなること。乳腺は女性ホルモンによって発達するので、そのような作用が働けば、バストは大きくなります。妊娠中バストアップするのも、そのためです。

――1つ目の「太ること」についてですが、テレビ番組でグラビアアイドルが「太っちゃって、バストだけを残してダイエットをした」と話していました。そんなことはできるんですか?

上原 人間の体は平等に痩せるので、バストだけを残して痩せるなんてことはできません。必然的に、全身が痩せればバストも小さくなる。医療器具や手術をすれば、特定の場所だけ脂肪を減らすことはできますが、ダイエットでは無理です。

――2つ目の「乳腺を大きくすること」は、女性ホルモン含有の育乳サプリメントやクリームを塗れば大きくできるでしょうか?

上原 インターネットを介して個人輸入できる、女性ホルモンが含まれたサプリやクリームなどの商品の中には、サイズアップしたケースもあるようです。ただ、命に関わる危険性や、死亡例が出ている商品もあるので、安易に使うことは“絶対”に避けてほしい。また、健康障害を起こすような成分が入っていない、つまり“合法”なサプリメントには効果がないです。飲むだけ、塗るだけで大きくなるなら、みんな巨乳になっていますよ。

――では、いわゆる「痩せの巨乳」はあり得ないのでしょうか?

上原 少数ですが、真の“痩せの巨乳”は存在します。そのような人は、バストを触ればわかりますよ。脂肪は水のように柔らかく、乳腺は硬いのですが、痩せている人は脂肪が少ないため、触るとゴリッとした乳腺の硬い感触があるんです。そういう人は、たまたま乳腺が大きい家系に生まれた人。遺伝なので、巨乳になる努力はするだけムダ。以上!

上原恵理(うえはら・えり)
2006年群馬大学医学部医学科卒業後、同年東京大学医学部附属病院研修医として勤務。08年に東京大学形成外科医局、10年帝京大学医学部附属病院を経て、18年より表参道スキンクリニック勤務。豊胸や乳房再建の最先端術式を数多く手掛けており、美容外科医の目線から、症例や美容法に切り込んだSNSが話題に。『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)や多数メディアに出演するなど、活動の場を広げている。

表参道スキンクリニック表参道院
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Instagram:外科専門 @aesthetic_surgeon_dr.uehara

 

『M-1』予選を騒がせた”野良芸人”! ラランド「会社員しながらお笑いをやる理由」

『M-1』グランプリの決勝が近づいている。今年は過去最多となる5,040組がエントリーし、夏から予選でしのぎを削ってきた。現在の『M-1』は予選出場者のネタ動画をGYAO!で配信しており、そこで要注目の新星を見つけるのも好事家たちの楽しみのひとつになっている。そして今年、「漫才うますぎる」「アマチュアってウソでしょ」と一躍話題をさらったのが「ラランド」だ。大学生と会社員、若き男女コンビは、いったい何者なのか?

***

――「『M-1』グランプリ」3回戦のネタ動画がGYAO!で公開されて、一躍話題になりましたね。お笑いファンがTwitterで反応しているのをたくさん見かけました(本インタビューは準決勝開催前の11月下旬に実施)。

さーや そうですね。お笑いのコアなファンの人たちが起点になってくれて、広がりました。私、毎分くらいの勢いでエゴサーチするんですけど、著名人の方もGYAO!の動画をリンク貼ってくれて「面白い」みたいにツイートしてくれてるんですよ。それがきっかけで、ライブを観に来てくれる人が増えてます。

――もともと上智大学のお笑いサークル出身の同級生なんですよね?

さーや そうです。SCS(Sophia Comedy Society)というお笑いサークルにいました。

ニシダ 同じ学部・学科の同級生です。

――ニシダさんはまだ大学生で、さーやさんが社会人2年目。

ニシダ 恥ずかしながら、僕は今も大学生ですね。ちょっと、退学したり復学したりとか、いろいろありまして……。

さーや 本来、社会人2年目くらいになってないといけないけど、足踏みしてるよね(笑)。

――さーやさんは広告系のお仕事をしながらお笑いをやっているとのことですが、これまで両立を続けてみてどうですか?

さーや 週5で働いて土日にライブ出るようなスケジュールでやってみて、意外といけるなって感じです。卒業のタイミングでいろんな事務所からオファーをいただいて、すごい迷ったし葛藤したんですけど、中学から大学まで私立に通わせてもらったとてつもない恩義が親にあるし、これは一回社会人にならないとなってことで就職したんです。でも、お笑いも諦めたくなかったので、両立してみよう、って。最近は平日もちょっとずつ依頼が増えてきてるんですけど、会社の制度を使いながらうまく空き時間を見つけてできているので、そんなに苦ではないですね。今日も午前休もらってて、このあと普通に出社します。

――おつかれさまです! ニシダさんは、相方が社会人になって自分だけ学生という状態に、不安はなかったですか?

ニシダ 最初は不安でしたけど、やってみたら学生の頃よりも活動できてるくらいなので、現状はそんなにないですね。ライブの数も、今のほうが増えてますし。

――ネタは2人で書いてるんですか?

さーや 2人で話し合いながら、私が大喜利部分を考えて、ニシダが笑ったところを使う感じです。

――さーやさんが社会人になって、ネタの中身が変わってきたところはありますか?

さーや どう……ですかねぇ。社会に出たらもうちょい鈍るのかなと思ってたんですけど、逆に人間観察がはかどった部分もあります。ネタの中でよくおばさん役を演じるんですけど、社会人になってからのほうがリアルさが増したんじゃないかなって思ってます。仕事の中でおじさん、おばさんと会って、リアルなところを見るので。

ニシダ 確かに、それはあるかもね。

――過去の『M-1』は2回戦進出が最高成績だったのが、今年は準決勝まで進めた理由は、どこにあると思いますか? 

さーや 大学お笑いって、やっぱりお笑いマニアが集まってるから、どうしてもそこに向けたネタを作っちゃうんですよね。すごい伝わりづらいボケを楽しむみたいな文化があって、自分たちも、わりとそっち寄りになっちゃってたのかなと思います。それが社会人になって、「このボケはもうちょっと伝わりやすく変えよう」とか考えるようになりました。広告関係の仕事というのもあって、「伝える」「広める」ことに対してどんどん意識が変わってきたのを実感してます。多くの人に伝わって、それでいてちゃんとお笑いファンの人にも届くようなネタ作りになってきたというか。それは今年の結果に関係してると思います。もし大学を卒業したあとそのままお笑い一 本でやってたら、そういう発想になってなかったと思うので、そこはよかったかな。

ニシダ 場数も、学生の頃に比べると増えたよね。K-PROさんがよく呼んでくださって、いろんなプロの方たちと同じライブに出させていただいてます。それで新ネタもよく作るようになりました。今年は、月1~2本は作ってました。

さーや 大学お笑いのファンだけじゃない、普通のお笑いファンがいっぱいいるハコにたくさん出て、「どうやったらウケるのか」を考え直した感じはしますね。

――視界が広がった部分があるんですね。ただこの数年、大学お笑いに注目が集まる中で、「その代でいちばん面白いと言われる人ほど、芸人にならないで普通に就職する」と聞いたことがあります。

さーや それは本当にそうです。面白い人ほど就職しちゃう。しかもそういう人って、大企業にいくんですよ。大学お笑いで出した結果を武器に就活するので、いいところに入れる(笑)。それで揺らいじゃう部分があるみたいですね。最初から「お笑いをやるのはサークルの間だけ」と決めている人もいます。(小声で)信じらんない……。

――一緒にやっていた人からすると、「あんなに面白いのに続けないんだ……」って寂しくありませんか?

さーや でも逆に、プロになってスベってるところを観たくないとも思うんですよ。「あんなに輝いてた人が、(ヨシモト)∞ホール立つとこんなになっちゃうんだ!」って時がたまにあるので。

ニシダ あるある。

――さーやさんは、さっき小声で「信じらんない」って言ってましたが……?

さーや (笑)。私みたいに両方バリバリやるスタイルの人は今まであんまりいなかったので、後輩や先輩からも「頑張れ」「切り開け」って言ってもらえてます。今回の私たちを機に、同じような立場の人が「もっと活動しようって思っていいんだ」って思ってくれたらいいですよね。社会人をやりながらお笑いやるのってどうしても引け目を感じがちで、みんな「趣味です」って控えめな感じにしてるんですよ。私もちょっと前まではそうだったんですけど、そこに引け目を感じる必要はないのかなって最近は思い始めました。それでここ数カ月はオフィシャル感を出すというか、「趣味じゃないよ」って見せるやり方を結構考えてます。

ニシダ TwitterやSNSの発信の仕方を変えよう、って話は2人でしてるよね。

――それでいうと、今は事務所に所属しないフリーの芸人さんが増えてますよね。『M-1』はずっとアマチュアにも門戸を開いているけど、“フリーとアマチュアの違いってなんだろう?”と思うんです。「その仕事で食べている人」と定義すると、事務所に入っていてもお笑い一本で食べられてない若手の方はたくさんいるわけですし。

さーや そうなんですよね。『M-1』に出ているアマチュアの人を見てても、プロと差がないくらい面白い人はいっぱいいるので、「どう違うの?」って聞かれると……。

ニシダ 難しいとこだよね。何が違うんだろう。心意気?

さーや 「プロフェッショナルです」って言えるかどうか? でもそうなってくると、私たちも「プロ」って言いたいもんね。

ニシダ 頑張ってはいるからね。ただ、僕らは「アマチュア」で注目されてる部分も絶対あるから、難しいですね。「フリーです」って名乗ってたら、こんなに上がれてないのかもなと思う。

さーや そうだね。その恩恵はありがたく受けつつ、「アマチュアだからこれくらいでいいでしょ」っていうことではないものを見せたいなという思いはあります。

――しかしニシダさんはいま学生なので、今後は就活するかどうかというのもありますよね。

さーや それ、私も聞きたい。

ニシダ どうしようね?

さーや 知らん。ニシダは全然せかせかしないんですよ。

ニシダ 先のこと、あんまり考えないからね。俺の長所、1個だけしかなくて。「未来に不安を抱かない」なんですよ。

――かっこいいですね!

さーや いや、すっごいよく言ってますけど、なんもしてないだけですから。明日テストでヤバいときでも、普通にタバコ吸ってぼーっとしてるし。うらやましいくらい焦りがない。それを長所って言われたらもう「そうですか」としか言えないよ。

ニシダ でも、もし今年の『M-1』きっかけで事務所から声かかって、それなのに就職活動したらヤバくない?

さーや 意外と大丈夫じゃない? 私もそうだけど、副業OKの会社も今は多いし。メディアの人から見て「会社員でもある」というのが面白みになれば仕事につながるし、芸人一本でやってる人より見せられるところが増えるんじゃないかと思ってます。

――一方で、やっぱりいずれはお笑い一本でやっていけるようになりたい考えもあるんでしょうか?

さーや そうですね……お笑いだけでやっていけるくらいになったら、会社の仕事にも支障を来しちゃうと思うので、そうするかもしれません。でも今の仕事もすごい楽しいし、相乗効果みたいになってるので、あんまり簡単には手放せないかな。上司もすごい応援体制で、『M-1』予選の前日には「練習あるだろうから休みなよ」って言ってくれるんですよ。お笑い大好きな上司で、すごく恵まれてます。ニシダは……?

ニシダ 両親には、お笑いやってるって言ってないんですよ。

さーや 今回の『M-1』を機に、バレる可能性あるよね。敗者復活でテレビ出るし。

ニシダ ちょっと嫌ですね。

――Twitterに「家族仲が悪い」って書いてましたね。

ニシダ そうなんですよ、めちゃくちゃ仲悪いです。家庭内の序列は犬より下です。

さーや 犬のほうが高いヨーグルト食べてたんでしょ?

ニシダ そう、俺よりいいヨーグルト食べて、もりもりウンコしてる。

――バレて好転するといいですね……。話は変わりますが、さーやさんはTwitterのプロフィールに「ニートtokyoに出るのが夢」って書いてますよね。ヒップホップ好きなんですか?

さーや すごい好きです。

ニシダ 2人とも好きなんですよ。

――いま一番よく聴いてるのは誰ですか?

さーや dodo君が好きです。同い年だし、彼も仕事しながらラップやってるので、自分と通ずる部分があると思って。社会人になってから、ずっと聴いて励まされてます。いつかどこかで仕事で出会いたいです。

ニシダ 僕は最近だとwebnokusoyaroですね。

さーや 服装も、表舞台に立たないときはストリートっぽいのが多くて、そういうカルチャーも含めて好きですね。

――プロじゃなくても自分たちでやっていく、道は自分たちでつくっていくというラランドさんのスタイルは、ヒップホップと通じる部分があるのかもしれません。

さーや そういう歌詞も多いじゃないですか。般若の曲でも「メジャーもインディーも違いはねぇ」「ウソつけ(ライブの客)8割身内だろ」とかあって(「はいしんだ feat. SAMI-T from Mighty Crown」)、すごい通じる部分があるなって(笑)。

ニシダ そういう人、いるもんね。俺らもストリートっていうか野良みたいなもんだからね。野良芸人。

さーや 犬より高価なもん食べれてない、マジの野良ね(笑)。

●ラランド
さーや(1995年12月13日、東京都出身 )とニシダ(1994年07月24日、山口県出身)のコンビ。2014年結成。12月22日放送の「『M-1』グランプリ2019」敗者復活戦に出場予定。
Twitter@RRND01

『M-1』予選を騒がせた”野良芸人”! ラランド「会社員しながらお笑いをやる理由」

『M-1』グランプリの決勝が近づいている。今年は過去最多となる5,040組がエントリーし、夏から予選でしのぎを削ってきた。現在の『M-1』は予選出場者のネタ動画をGYAO!で配信しており、そこで要注目の新星を見つけるのも好事家たちの楽しみのひとつになっている。そして今年、「漫才うますぎる」「アマチュアってウソでしょ」と一躍話題をさらったのが「ラランド」だ。大学生と会社員、若き男女コンビは、いったい何者なのか?

***

――「『M-1』グランプリ」3回戦のネタ動画がGYAO!で公開されて、一躍話題になりましたね。お笑いファンがTwitterで反応しているのをたくさん見かけました(本インタビューは準決勝開催前の11月下旬に実施)。

さーや そうですね。お笑いのコアなファンの人たちが起点になってくれて、広がりました。私、毎分くらいの勢いでエゴサーチするんですけど、著名人の方もGYAO!の動画をリンク貼ってくれて「面白い」みたいにツイートしてくれてるんですよ。それがきっかけで、ライブを観に来てくれる人が増えてます。

――もともと上智大学のお笑いサークル出身の同級生なんですよね?

さーや そうです。SCS(Sophia Comedy Society)というお笑いサークルにいました。

ニシダ 同じ学部・学科の同級生です。

――ニシダさんはまだ大学生で、さーやさんが社会人2年目。

ニシダ 恥ずかしながら、僕は今も大学生ですね。ちょっと、退学したり復学したりとか、いろいろありまして……。

さーや 本来、社会人2年目くらいになってないといけないけど、足踏みしてるよね(笑)。

――さーやさんは広告系のお仕事をしながらお笑いをやっているとのことですが、これまで両立を続けてみてどうですか?

さーや 週5で働いて土日にライブ出るようなスケジュールでやってみて、意外といけるなって感じです。卒業のタイミングでいろんな事務所からオファーをいただいて、すごい迷ったし葛藤したんですけど、中学から大学まで私立に通わせてもらったとてつもない恩義が親にあるし、これは一回社会人にならないとなってことで就職したんです。でも、お笑いも諦めたくなかったので、両立してみよう、って。最近は平日もちょっとずつ依頼が増えてきてるんですけど、会社の制度を使いながらうまく空き時間を見つけてできているので、そんなに苦ではないですね。今日も午前休もらってて、このあと普通に出社します。

――おつかれさまです! ニシダさんは、相方が社会人になって自分だけ学生という状態に、不安はなかったですか?

ニシダ 最初は不安でしたけど、やってみたら学生の頃よりも活動できてるくらいなので、現状はそんなにないですね。ライブの数も、今のほうが増えてますし。

――ネタは2人で書いてるんですか?

さーや 2人で話し合いながら、私が大喜利部分を考えて、ニシダが笑ったところを使う感じです。

――さーやさんが社会人になって、ネタの中身が変わってきたところはありますか?

さーや どう……ですかねぇ。社会に出たらもうちょい鈍るのかなと思ってたんですけど、逆に人間観察がはかどった部分もあります。ネタの中でよくおばさん役を演じるんですけど、社会人になってからのほうがリアルさが増したんじゃないかなって思ってます。仕事の中でおじさん、おばさんと会って、リアルなところを見るので。

ニシダ 確かに、それはあるかもね。

――過去の『M-1』は2回戦進出が最高成績だったのが、今年は準決勝まで進めた理由は、どこにあると思いますか? 

さーや 大学お笑いって、やっぱりお笑いマニアが集まってるから、どうしてもそこに向けたネタを作っちゃうんですよね。すごい伝わりづらいボケを楽しむみたいな文化があって、自分たちも、わりとそっち寄りになっちゃってたのかなと思います。それが社会人になって、「このボケはもうちょっと伝わりやすく変えよう」とか考えるようになりました。広告関係の仕事というのもあって、「伝える」「広める」ことに対してどんどん意識が変わってきたのを実感してます。多くの人に伝わって、それでいてちゃんとお笑いファンの人にも届くようなネタ作りになってきたというか。それは今年の結果に関係してると思います。もし大学を卒業したあとそのままお笑い一 本でやってたら、そういう発想になってなかったと思うので、そこはよかったかな。

ニシダ 場数も、学生の頃に比べると増えたよね。K-PROさんがよく呼んでくださって、いろんなプロの方たちと同じライブに出させていただいてます。それで新ネタもよく作るようになりました。今年は、月1~2本は作ってました。

さーや 大学お笑いのファンだけじゃない、普通のお笑いファンがいっぱいいるハコにたくさん出て、「どうやったらウケるのか」を考え直した感じはしますね。

――視界が広がった部分があるんですね。ただこの数年、大学お笑いに注目が集まる中で、「その代でいちばん面白いと言われる人ほど、芸人にならないで普通に就職する」と聞いたことがあります。

さーや それは本当にそうです。面白い人ほど就職しちゃう。しかもそういう人って、大企業にいくんですよ。大学お笑いで出した結果を武器に就活するので、いいところに入れる(笑)。それで揺らいじゃう部分があるみたいですね。最初から「お笑いをやるのはサークルの間だけ」と決めている人もいます。(小声で)信じらんない……。

――一緒にやっていた人からすると、「あんなに面白いのに続けないんだ……」って寂しくありませんか?

さーや でも逆に、プロになってスベってるところを観たくないとも思うんですよ。「あんなに輝いてた人が、(ヨシモト)∞ホール立つとこんなになっちゃうんだ!」って時がたまにあるので。

ニシダ あるある。

――さーやさんは、さっき小声で「信じらんない」って言ってましたが……?

さーや (笑)。私みたいに両方バリバリやるスタイルの人は今まであんまりいなかったので、後輩や先輩からも「頑張れ」「切り開け」って言ってもらえてます。今回の私たちを機に、同じような立場の人が「もっと活動しようって思っていいんだ」って思ってくれたらいいですよね。社会人をやりながらお笑いやるのってどうしても引け目を感じがちで、みんな「趣味です」って控えめな感じにしてるんですよ。私もちょっと前まではそうだったんですけど、そこに引け目を感じる必要はないのかなって最近は思い始めました。それでここ数カ月はオフィシャル感を出すというか、「趣味じゃないよ」って見せるやり方を結構考えてます。

ニシダ TwitterやSNSの発信の仕方を変えよう、って話は2人でしてるよね。

――それでいうと、今は事務所に所属しないフリーの芸人さんが増えてますよね。『M-1』はずっとアマチュアにも門戸を開いているけど、“フリーとアマチュアの違いってなんだろう?”と思うんです。「その仕事で食べている人」と定義すると、事務所に入っていてもお笑い一本で食べられてない若手の方はたくさんいるわけですし。

さーや そうなんですよね。『M-1』に出ているアマチュアの人を見てても、プロと差がないくらい面白い人はいっぱいいるので、「どう違うの?」って聞かれると……。

ニシダ 難しいとこだよね。何が違うんだろう。心意気?

さーや 「プロフェッショナルです」って言えるかどうか? でもそうなってくると、私たちも「プロ」って言いたいもんね。

ニシダ 頑張ってはいるからね。ただ、僕らは「アマチュア」で注目されてる部分も絶対あるから、難しいですね。「フリーです」って名乗ってたら、こんなに上がれてないのかもなと思う。

さーや そうだね。その恩恵はありがたく受けつつ、「アマチュアだからこれくらいでいいでしょ」っていうことではないものを見せたいなという思いはあります。

――しかしニシダさんはいま学生なので、今後は就活するかどうかというのもありますよね。

さーや それ、私も聞きたい。

ニシダ どうしようね?

さーや 知らん。ニシダは全然せかせかしないんですよ。

ニシダ 先のこと、あんまり考えないからね。俺の長所、1個だけしかなくて。「未来に不安を抱かない」なんですよ。

――かっこいいですね!

さーや いや、すっごいよく言ってますけど、なんもしてないだけですから。明日テストでヤバいときでも、普通にタバコ吸ってぼーっとしてるし。うらやましいくらい焦りがない。それを長所って言われたらもう「そうですか」としか言えないよ。

ニシダ でも、もし今年の『M-1』きっかけで事務所から声かかって、それなのに就職活動したらヤバくない?

さーや 意外と大丈夫じゃない? 私もそうだけど、副業OKの会社も今は多いし。メディアの人から見て「会社員でもある」というのが面白みになれば仕事につながるし、芸人一本でやってる人より見せられるところが増えるんじゃないかと思ってます。

――一方で、やっぱりいずれはお笑い一本でやっていけるようになりたい考えもあるんでしょうか?

さーや そうですね……お笑いだけでやっていけるくらいになったら、会社の仕事にも支障を来しちゃうと思うので、そうするかもしれません。でも今の仕事もすごい楽しいし、相乗効果みたいになってるので、あんまり簡単には手放せないかな。上司もすごい応援体制で、『M-1』予選の前日には「練習あるだろうから休みなよ」って言ってくれるんですよ。お笑い大好きな上司で、すごく恵まれてます。ニシダは……?

ニシダ 両親には、お笑いやってるって言ってないんですよ。

さーや 今回の『M-1』を機に、バレる可能性あるよね。敗者復活でテレビ出るし。

ニシダ ちょっと嫌ですね。

――Twitterに「家族仲が悪い」って書いてましたね。

ニシダ そうなんですよ、めちゃくちゃ仲悪いです。家庭内の序列は犬より下です。

さーや 犬のほうが高いヨーグルト食べてたんでしょ?

ニシダ そう、俺よりいいヨーグルト食べて、もりもりウンコしてる。

――バレて好転するといいですね……。話は変わりますが、さーやさんはTwitterのプロフィールに「ニートtokyoに出るのが夢」って書いてますよね。ヒップホップ好きなんですか?

さーや すごい好きです。

ニシダ 2人とも好きなんですよ。

――いま一番よく聴いてるのは誰ですか?

さーや dodo君が好きです。同い年だし、彼も仕事しながらラップやってるので、自分と通ずる部分があると思って。社会人になってから、ずっと聴いて励まされてます。いつかどこかで仕事で出会いたいです。

ニシダ 僕は最近だとwebnokusoyaroですね。

さーや 服装も、表舞台に立たないときはストリートっぽいのが多くて、そういうカルチャーも含めて好きですね。

――プロじゃなくても自分たちでやっていく、道は自分たちでつくっていくというラランドさんのスタイルは、ヒップホップと通じる部分があるのかもしれません。

さーや そういう歌詞も多いじゃないですか。般若の曲でも「メジャーもインディーも違いはねぇ」「ウソつけ(ライブの客)8割身内だろ」とかあって(「はいしんだ feat. SAMI-T from Mighty Crown」)、すごい通じる部分があるなって(笑)。

ニシダ そういう人、いるもんね。俺らもストリートっていうか野良みたいなもんだからね。野良芸人。

さーや 犬より高価なもん食べれてない、マジの野良ね(笑)。

●ラランド
さーや(1995年12月13日、東京都出身 )とニシダ(1994年07月24日、山口県出身)のコンビ。2014年結成。12月22日放送の「『M-1』グランプリ2019」敗者復活戦に出場予定。
Twitter@RRND01

家庭が壊れるのは男のせいなのか? 男性特有の「離婚のうしろめたさ」とその解放

 離婚経験を持つ13人の男性に、その経緯や顛末を聞いたルポルタージュ「ぼくたちの離婚」(角川新書/KADOKAWA)が刊行された。

 もともとは女性向けウェブメディア「女子SPA!」の連載企画だが、夫側からの一方的な離婚劇の総括という体裁によって、これまであまり語られることがなかった離婚男性の胸の内が赤裸々に発露。新たなエピソードが公開されるたびに、ネットを中心に大きな話題を集めた。一体、中年男の離婚話が、なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。新書刊行を記念して著者の稲田豊史氏に同作に込めた思いを聞いた。

離婚の本が本棚にあるとマズイので…Kindle版が売れてます

——出版後の反響はいかがですか?

稲田 おかげさまで“刺さる”という声が続出です(笑)。ただ、男性読者は、こっそり読んでいるみたいですね。自宅の本棚に置いて奥さんにヘンに疑われるのが面倒だからか、発売直後はKindle版の方が伸びていたようです。

——男性目線で離婚を語る本というのは、あまりなかったですからね。

稲田 そうなんです。だからこそ反応もたくさんいただきました。そこで感じたのは、この本は、読む人の鏡になっているんじゃないかということ。ここまで激しい経験はしていなくても「ここに書かれているのは自分だ」と考える人がたくさんいたんです。でも、それを男性が口に出して語ると「へぇ、お前んとこってそうなんだ」と見られてしまうから、語る機会がないんですよね。まえがきにも書いたんですが、この企画はもともと自分も参加していた「バツイチ会」という離婚経験者の集まりが原点です。男性が自身の離婚についてもっと気楽に語り合う場所があってもいいんじゃないか、そういう思いではじまっています。

——確かに離婚について多くを語らない男の美学のようなものはある気がします。

稲田 そうそう。でも、それって別にかっこいいというポジティブなものではなく、過ぎたことをグチグチいうのはみっともないという考えなんですよね。これが社会問題なんです。令和の時代になってもいまだに男は昭和的な呪縛にからめとられている。家庭というのは男が守るものであって、それが崩壊したのは男が情けないからだと。もちろん、実際はそんなことはないと頭ではわかっていると思います。でも、30~40代の団塊ジュニアかその少し下の世代くらいまでは親の価値観の影響があるから、離婚に対する後ろめたさが大きいんですよ。僕自身も離婚経験があるんですが、友達レベルの会話でも悪気なく「お前がチャラチャラしてるから、嫁さんが出てっちゃったんだろ?」とか、軽く言われがちじゃないですか。女を下げるよりも、男を下げておいたほうが丸くおさまるみたいなね。そうなると男は吐き出す場がなくなり、溜めていく一方になってしまう。これはよくないんじゃないかなと思っていました。

——本書は「女子SPA!」での連載をまとめたものですが、もともと女性に読んでもらう想定だったのですか?

稲田 もともとの企画では、女性読者を想定していなかったんです。もちろん、読んでいただければうれしいけど、どちらかといえば男性読者に共感してもらうイメージでした。でも、飲みの席などでいろんな編集の人に「こんな企画があるんだけど」と話しても、あまり反応がなくて、はじめて本気で食いついてきたのが、女子SPA!の担当編集だったんです。

——どんなところに興味を惹かれたのでしょうか。

稲田 女子SPA!は担当編集も編集長も女性なんですが、離婚について男の人が女の前で本音を言ってくれないと言うんです。すごく奥さんを憎んでいるのか、それともすごく後悔をしているのか、結局どう思っているのかぜんぜんわからないと。だから、女性は男性の気持ちが知りたいんだと言っていました。僕からすると意外な意見だったんですが、実際にこの本を取材や書評で取り上げてくれたのも、8割方が女性向けのメディアでした。正直、ここまで偏るとは思いませんでしたね。

——書籍の内容は特に女性側に寄ったものというわけではないですよね。

稲田 そうなんですよ。いろいろなエピソードがある中で、明らかに夫が悪いケースもあれば、これは奥さんに原因があるだろうというものもある。基本的には、男が勝手なことを言っているわけで、読む人によっては女性が不快になるかもなとも思っていたので、ここまで女性読者が興味をもってくれるとは思っていませんでしたね。

——実際に読んでみると、男だから夫側、女だから妻側に感情移入するというようなシンプルな構造でもなかったように思います。

稲田 そうですね。それは、描かれているのが“人間”だからだと思います。例えば、女性の読者で「家族が得意じゃない」という離婚男性にすごく共感したという方がいて、一方でその感覚はまったく理解できないという男性読者もいる。「牛」のエピソード(結婚の挨拶に向かった同棲相手の実家近くで見た牛小屋が生理的に受け入れられず、関係を解消したデザイナーの話)も連載時に反響がすごくあったものなんですが、まったくわかりませんという人と、わかりますという人で真っ二つでした。そういう個々人の感覚がエピソードによって浮き彫りになってくるのはおもしろかったですね。

——どのエピソードに共感するかで、読む側の鏡になっているわけですね。

稲田 だからこそ、男性は具体的な感想をくれないんですよ。「ぼくたちの」という男性一人称のタイトルで距離がとれるからか、女性はSNSでも細かなエピソードをあげてしっかり感想を書いてくれるんだけど、男性は「ホラーですね」とか「刺さりました」とかふわっとしたことしか書かない(笑)。その代わり、facebookのDMなどで個別に「実は僕も……」みたいな具体的な感想を言ってくる。男はズルいなぁと思いましたね。

——たくさんの離婚経験者を取材したことは、稲田さんご自身の離婚を振り返るきっかけにもなりましたか?

稲田 そうですね。でもそれは新たな気づきというよりも再確認という感覚です。いろんな人がこれを読んで、自分の一部がそこに書いてあると感じるように、僕にとっても、すべてのエピソードでどこかしらに共感性がありました。そういう意味では、この企画の発端となった「バツイチ会」と同じ効用がありましたね。話すことで解決されるわけではないけど、このいびつな形の苦痛は自分オリジナルのものではなく、他の人も経験している類のことなのだとわかる安心感。実際、取材のたびに「それ、すごくわかります」とたくさん言ったし、相手から「そうですよね!」と言われて、共感しあっていました。

——なんか、カウンセリングのようでもありますね(笑)

稲田 実際、取材対象の方にそう言われたこともあります。カウンセリングって、話を聞くことが大事なんですよね。あなたの言っているその“ごちゃごちゃ”に輪郭づけるとこういうことで、それは私にもよくわかると認めてあげること。だから、取材の場では僕が自分の話をすることも多かったです。こっちが無傷ではフェアではないですからね。取材の形としてはちょっと変わっているかもしれません。

——取材対象の方たちも、話を聞いてほしいモードなんでしょうか?

稲田 一応、本当にわずかな謝礼はお支払いしているんだけど、そんなのどうでもいいから、俺の話を聞いてくれって感じですね(笑)。で、話しきってすっきりするという。ことの顛末を頭から最後まで誰かに話したことがない人がほとんどなんですよ。だって、おじさんの元妻の出会いから別れまでじっくり聞きたい人なんて誰もいないじゃないですか。友達だって、いいとこ15分くらいで別の話題に切り替わるでしょう。それを相槌を打ちながら、一切否定せずにすべて絞り切るというのがよかったんだと思います。

——取材時間もかなりかかっていそうですね。

稲田 長いときは6時間以上話を聞いてます。みんな話のプロではないから、順序立てて話したりできないじゃないですか。だからそこは自然に任せて、出てきたエピソードを頭の中で順序立てて組み立てながら聞いていきました。6時間の人の場合、3時間くらい聞いてようやく、こことここの話がまだ出てないなってことが見えてきたので、補足するようにそこを聞いて埋める。でも、その穴埋め作業は相手が一通り話し終わるまで待ちますね。とにかく話の腰を折らないですべて吐き出してもらうことが大事で、すべて聞き切ったところでポロポロとディティールの話が出てきたりするんです。

——疲れないですか?

稲田 すっごい疲れますよ(笑)。しかもテープを起こすときにまた6時間の音源を聞くから二度疲れます。まあ、いい疲れだなと思ってやっていますけどね。

——本作はルポの形式をとっていますが文章にする段階ではどんなことを意識しましたか。

稲田 この連載が決まって「バツイチ会」に招集をかけたんですよ。そこでみなさんにも意見を出してもらったんですが、ディティールが大事じゃないかって話になったんですよね。事の推移だけ書いてもダメで、例えば、元奥さんの実家の場所や、男が何を目的に上京してきたかとかの細部ですね。だから、原稿では身バレを防ぐために固有名詞は変えているけど、地名なら東京から見ての都市の規模感とか、その本質の部分は変えていません。対象者の職業についても、忙しさや働き方、ステータスといった、変えてはいけない部分は残しているので、その改変のさじ加減にはかなり時間をかけています。

——エピソードに具体性がすごくあったので、周囲の人ならば誰の話かわかってしまいそうだなと思いました。

稲田 ほとんど変えていないものも多いので、その人に近い人なら全員がわかると思います。だからこそリアリティを持っているし、まえがきにも書いたんですが、書籍化の段階で掲載しないでくれといわれたケースもありました。

——いまでは再婚されている方も多かったですしね。

稲田 出てくれた13人のうち8人は再婚しています。みんな一番苦しい時期は過ぎていたので、取材を受けてくれたんだと思います。渦中の人だったら話せないでしょう。離婚直後は、「もう二度と結婚しない」という人と、「すぐに次へ行きたい」という2パターンに分かれるんですけど、二度と結婚したくない人は、相手云々ではなく自分が日本の婚姻制度に合わないと感じてしまった人。後者は、婚姻制度には文句がないが、相手を間違えたと思っている人です。

——そういう意味でも、やはり離婚について男性の語りしろはまだまだありそうですね。

稲田 そうなんです。特に田舎だとおおっぴらに離婚の話がされることはほとんどありません。でも、よくよく聞いてみると、離婚経験のある親族がいたりするんですよね。それを知らされていないから、一族のなかで自分だけが離婚してしまうのは恥だと思って、我慢を続けてしまうケースもある。そういう事態にならないように、もう少し我々の世代から離婚をオープンにしていけないかと思っているんです。

——世間体を気にして離婚を我慢する必要はないんじゃないか、と。

稲田 そうそう。決して離婚を推奨するわけではないけど、限界まで我慢して自分が壊れてしまう必要はない。離婚は治療なんです。よくない夫婦関係というのは病気の状態だから、我慢しても意味がない。我慢しても悪化するだけだから、這いつくばってでも病院に行って早い段階で薬をもらわないと。極端な話、離婚を不名誉な犯罪歴みたいに思ってる人もいるじゃないですか。歴をつけたくないから頑張らないとって。その認識はよくないから変えていかないといけないと思います。

——自分が置かれた状況を俯瞰してみるためにも、「ぼくたちの離婚」でいろんなエピソードを知ることは役立ちそうです。

稲田 そうですね。それと、離婚“後”について語られることもあまりないんですよね。実際は、そのあとに幸せに暮らしてる人もたくさんいるのに。だから離婚というものが、いつまでも悲劇のままで終わってしまう。この書籍を通じて、もっと男性がオープンに離婚を語れるような社会になっていけばいいなと思います。

稲田豊史
1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「サイゾー」「SPA!」などで執筆。

家庭が壊れるのは男のせいなのか? 男性特有の「離婚のうしろめたさ」とその解放

 離婚経験を持つ13人の男性に、その経緯や顛末を聞いたルポルタージュ「ぼくたちの離婚」(角川新書/KADOKAWA)が刊行された。

 もともとは女性向けウェブメディア「女子SPA!」の連載企画だが、夫側からの一方的な離婚劇の総括という体裁によって、これまであまり語られることがなかった離婚男性の胸の内が赤裸々に発露。新たなエピソードが公開されるたびに、ネットを中心に大きな話題を集めた。一体、中年男の離婚話が、なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。新書刊行を記念して著者の稲田豊史氏に同作に込めた思いを聞いた。

離婚の本が本棚にあるとマズイので…Kindle版が売れてます

——出版後の反響はいかがですか?

稲田 おかげさまで“刺さる”という声が続出です(笑)。ただ、男性読者は、こっそり読んでいるみたいですね。自宅の本棚に置いて奥さんにヘンに疑われるのが面倒だからか、発売直後はKindle版の方が伸びていたようです。

——男性目線で離婚を語る本というのは、あまりなかったですからね。

稲田 そうなんです。だからこそ反応もたくさんいただきました。そこで感じたのは、この本は、読む人の鏡になっているんじゃないかということ。ここまで激しい経験はしていなくても「ここに書かれているのは自分だ」と考える人がたくさんいたんです。でも、それを男性が口に出して語ると「へぇ、お前んとこってそうなんだ」と見られてしまうから、語る機会がないんですよね。まえがきにも書いたんですが、この企画はもともと自分も参加していた「バツイチ会」という離婚経験者の集まりが原点です。男性が自身の離婚についてもっと気楽に語り合う場所があってもいいんじゃないか、そういう思いではじまっています。

——確かに離婚について多くを語らない男の美学のようなものはある気がします。

稲田 そうそう。でも、それって別にかっこいいというポジティブなものではなく、過ぎたことをグチグチいうのはみっともないという考えなんですよね。これが社会問題なんです。令和の時代になってもいまだに男は昭和的な呪縛にからめとられている。家庭というのは男が守るものであって、それが崩壊したのは男が情けないからだと。もちろん、実際はそんなことはないと頭ではわかっていると思います。でも、30~40代の団塊ジュニアかその少し下の世代くらいまでは親の価値観の影響があるから、離婚に対する後ろめたさが大きいんですよ。僕自身も離婚経験があるんですが、友達レベルの会話でも悪気なく「お前がチャラチャラしてるから、嫁さんが出てっちゃったんだろ?」とか、軽く言われがちじゃないですか。女を下げるよりも、男を下げておいたほうが丸くおさまるみたいなね。そうなると男は吐き出す場がなくなり、溜めていく一方になってしまう。これはよくないんじゃないかなと思っていました。

——本書は「女子SPA!」での連載をまとめたものですが、もともと女性に読んでもらう想定だったのですか?

稲田 もともとの企画では、女性読者を想定していなかったんです。もちろん、読んでいただければうれしいけど、どちらかといえば男性読者に共感してもらうイメージでした。でも、飲みの席などでいろんな編集の人に「こんな企画があるんだけど」と話しても、あまり反応がなくて、はじめて本気で食いついてきたのが、女子SPA!の担当編集だったんです。

——どんなところに興味を惹かれたのでしょうか。

稲田 女子SPA!は担当編集も編集長も女性なんですが、離婚について男の人が女の前で本音を言ってくれないと言うんです。すごく奥さんを憎んでいるのか、それともすごく後悔をしているのか、結局どう思っているのかぜんぜんわからないと。だから、女性は男性の気持ちが知りたいんだと言っていました。僕からすると意外な意見だったんですが、実際にこの本を取材や書評で取り上げてくれたのも、8割方が女性向けのメディアでした。正直、ここまで偏るとは思いませんでしたね。

——書籍の内容は特に女性側に寄ったものというわけではないですよね。

稲田 そうなんですよ。いろいろなエピソードがある中で、明らかに夫が悪いケースもあれば、これは奥さんに原因があるだろうというものもある。基本的には、男が勝手なことを言っているわけで、読む人によっては女性が不快になるかもなとも思っていたので、ここまで女性読者が興味をもってくれるとは思っていませんでしたね。

——実際に読んでみると、男だから夫側、女だから妻側に感情移入するというようなシンプルな構造でもなかったように思います。

稲田 そうですね。それは、描かれているのが“人間”だからだと思います。例えば、女性の読者で「家族が得意じゃない」という離婚男性にすごく共感したという方がいて、一方でその感覚はまったく理解できないという男性読者もいる。「牛」のエピソード(結婚の挨拶に向かった同棲相手の実家近くで見た牛小屋が生理的に受け入れられず、関係を解消したデザイナーの話)も連載時に反響がすごくあったものなんですが、まったくわかりませんという人と、わかりますという人で真っ二つでした。そういう個々人の感覚がエピソードによって浮き彫りになってくるのはおもしろかったですね。

——どのエピソードに共感するかで、読む側の鏡になっているわけですね。

稲田 だからこそ、男性は具体的な感想をくれないんですよ。「ぼくたちの」という男性一人称のタイトルで距離がとれるからか、女性はSNSでも細かなエピソードをあげてしっかり感想を書いてくれるんだけど、男性は「ホラーですね」とか「刺さりました」とかふわっとしたことしか書かない(笑)。その代わり、facebookのDMなどで個別に「実は僕も……」みたいな具体的な感想を言ってくる。男はズルいなぁと思いましたね。

——たくさんの離婚経験者を取材したことは、稲田さんご自身の離婚を振り返るきっかけにもなりましたか?

稲田 そうですね。でもそれは新たな気づきというよりも再確認という感覚です。いろんな人がこれを読んで、自分の一部がそこに書いてあると感じるように、僕にとっても、すべてのエピソードでどこかしらに共感性がありました。そういう意味では、この企画の発端となった「バツイチ会」と同じ効用がありましたね。話すことで解決されるわけではないけど、このいびつな形の苦痛は自分オリジナルのものではなく、他の人も経験している類のことなのだとわかる安心感。実際、取材のたびに「それ、すごくわかります」とたくさん言ったし、相手から「そうですよね!」と言われて、共感しあっていました。

——なんか、カウンセリングのようでもありますね(笑)

稲田 実際、取材対象の方にそう言われたこともあります。カウンセリングって、話を聞くことが大事なんですよね。あなたの言っているその“ごちゃごちゃ”に輪郭づけるとこういうことで、それは私にもよくわかると認めてあげること。だから、取材の場では僕が自分の話をすることも多かったです。こっちが無傷ではフェアではないですからね。取材の形としてはちょっと変わっているかもしれません。

——取材対象の方たちも、話を聞いてほしいモードなんでしょうか?

稲田 一応、本当にわずかな謝礼はお支払いしているんだけど、そんなのどうでもいいから、俺の話を聞いてくれって感じですね(笑)。で、話しきってすっきりするという。ことの顛末を頭から最後まで誰かに話したことがない人がほとんどなんですよ。だって、おじさんの元妻の出会いから別れまでじっくり聞きたい人なんて誰もいないじゃないですか。友達だって、いいとこ15分くらいで別の話題に切り替わるでしょう。それを相槌を打ちながら、一切否定せずにすべて絞り切るというのがよかったんだと思います。

——取材時間もかなりかかっていそうですね。

稲田 長いときは6時間以上話を聞いてます。みんな話のプロではないから、順序立てて話したりできないじゃないですか。だからそこは自然に任せて、出てきたエピソードを頭の中で順序立てて組み立てながら聞いていきました。6時間の人の場合、3時間くらい聞いてようやく、こことここの話がまだ出てないなってことが見えてきたので、補足するようにそこを聞いて埋める。でも、その穴埋め作業は相手が一通り話し終わるまで待ちますね。とにかく話の腰を折らないですべて吐き出してもらうことが大事で、すべて聞き切ったところでポロポロとディティールの話が出てきたりするんです。

——疲れないですか?

稲田 すっごい疲れますよ(笑)。しかもテープを起こすときにまた6時間の音源を聞くから二度疲れます。まあ、いい疲れだなと思ってやっていますけどね。

——本作はルポの形式をとっていますが文章にする段階ではどんなことを意識しましたか。

稲田 この連載が決まって「バツイチ会」に招集をかけたんですよ。そこでみなさんにも意見を出してもらったんですが、ディティールが大事じゃないかって話になったんですよね。事の推移だけ書いてもダメで、例えば、元奥さんの実家の場所や、男が何を目的に上京してきたかとかの細部ですね。だから、原稿では身バレを防ぐために固有名詞は変えているけど、地名なら東京から見ての都市の規模感とか、その本質の部分は変えていません。対象者の職業についても、忙しさや働き方、ステータスといった、変えてはいけない部分は残しているので、その改変のさじ加減にはかなり時間をかけています。

——エピソードに具体性がすごくあったので、周囲の人ならば誰の話かわかってしまいそうだなと思いました。

稲田 ほとんど変えていないものも多いので、その人に近い人なら全員がわかると思います。だからこそリアリティを持っているし、まえがきにも書いたんですが、書籍化の段階で掲載しないでくれといわれたケースもありました。

——いまでは再婚されている方も多かったですしね。

稲田 出てくれた13人のうち8人は再婚しています。みんな一番苦しい時期は過ぎていたので、取材を受けてくれたんだと思います。渦中の人だったら話せないでしょう。離婚直後は、「もう二度と結婚しない」という人と、「すぐに次へ行きたい」という2パターンに分かれるんですけど、二度と結婚したくない人は、相手云々ではなく自分が日本の婚姻制度に合わないと感じてしまった人。後者は、婚姻制度には文句がないが、相手を間違えたと思っている人です。

——そういう意味でも、やはり離婚について男性の語りしろはまだまだありそうですね。

稲田 そうなんです。特に田舎だとおおっぴらに離婚の話がされることはほとんどありません。でも、よくよく聞いてみると、離婚経験のある親族がいたりするんですよね。それを知らされていないから、一族のなかで自分だけが離婚してしまうのは恥だと思って、我慢を続けてしまうケースもある。そういう事態にならないように、もう少し我々の世代から離婚をオープンにしていけないかと思っているんです。

——世間体を気にして離婚を我慢する必要はないんじゃないか、と。

稲田 そうそう。決して離婚を推奨するわけではないけど、限界まで我慢して自分が壊れてしまう必要はない。離婚は治療なんです。よくない夫婦関係というのは病気の状態だから、我慢しても意味がない。我慢しても悪化するだけだから、這いつくばってでも病院に行って早い段階で薬をもらわないと。極端な話、離婚を不名誉な犯罪歴みたいに思ってる人もいるじゃないですか。歴をつけたくないから頑張らないとって。その認識はよくないから変えていかないといけないと思います。

——自分が置かれた状況を俯瞰してみるためにも、「ぼくたちの離婚」でいろんなエピソードを知ることは役立ちそうです。

稲田 そうですね。それと、離婚“後”について語られることもあまりないんですよね。実際は、そのあとに幸せに暮らしてる人もたくさんいるのに。だから離婚というものが、いつまでも悲劇のままで終わってしまう。この書籍を通じて、もっと男性がオープンに離婚を語れるような社会になっていけばいいなと思います。

稲田豊史
1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「サイゾー」「SPA!」などで執筆。

「考え方の違いが自分たちを救うかもしれない」“自己肯定感高い中国人マンガ”が生まれた理由

 近頃Twitterでたびたびバズっている特徴的なマンガがある。白いウサギが中国や台湾の人々の流行や発言を紹介し、「楽しく生きよう!」と語るマンガだ。

 4万リツイートされたこのツイートを、タイムライン上で見たことがある人も少なくないのではないだろうか。描いているのは、イラストレーターのよねはらうさこさん。中国・台湾カルチャーに明るく、そうした「異文化」を紹介することを旨として活動している。よねはらさんはなぜTwitterでこうした発信をする道を選んだのだろうか?

――中国、台湾カルチャーを紹介するマンガをTwitterにアップするようになったきっかけを教えて下さい。

よねはら 元からライター兼イラストレーターとして活動していたんです。今みたいな形でTwitterにマンガをあげるようになったのは、2018年頃からですね。それ以前は、カルチャー紹介というよりは、友人との旅行をレポマンガにしているくらいでした。そこから、iPad proを手に入れて「もっとマンガを描きたい!」と思ったのがきっかけですね。

――なるほど、iPad ProとApple Pencilで作業がはかどるようになったというイラストレーターやマンガ家の話は耳にします。やはり便利なんですか?

よねはら iPad Pro、最高ですよ~! 絵を描くストレスが全然なくて、超おすすめです! ……ちょっとiPadの宣伝みたいですね(笑)。気軽に描いてすぐアップできるので、マンガを描くにあたって、新鮮な気持ちやスピード感を大事にするようになりました。

――Twitterマンガのスピード感ってありますよね。いわゆる「プロのマンガ家」を目指していた時期はあったのでしょうか?

よねはら 私はすごく絵がうまいわけでもないですし、「プロを目指すぞ!」みたいなテンションではなくて、「伝えるツール」としてイラストやマンガがあったというか。文章や映像が得意だったらそっちに行っていたでしょうし、私の中で最適なツールがマンガだったんです。

――そして、中国や台湾についてのマンガが拡散されるようになったと。では、よねはらさんがアジア圏のカルチャーと深く接するようになったのは、いつからなのでしょうか?

よねはら もともと小さい頃から、父の仕事の関係で、外国の方と触れ合うことが多かったんです。海外に行く機会も多かったし、父の友人の外国人が日本に遊びに来ることもあって。だから、自然と自分の日常の中に「外国の人」がいる環境だったんですね。

――なるほど。

よねはら そんな中で、父の中国関係の仕事が増えていき、母も元から中国、台湾カルチャーが好きだったこともあり、一緒に中国語教室に通っていくうちに、また友達が増えて……という感じですね。友達ができると語学力って向上するじゃないですか。そうやってどんどん中国の人や文化に触れるようになると、近い国なのに考え方が全然違うことが面白くて、「この違いをシェアしたい!」と思うようになりました。

――それは、よねはらさんのマンガにも現れていますよね。

よねはら 自分たち日本人が持っていない、「中国の良い部分」を皆にも知ってほしかったし、「違う」からこそ、素敵な影響を受けることができると思ったんです。私は東京出身なんですが、特に都心部だったということもあってか、あまり地域性を感じられたことがなくて。「なんでもあるけどなんにもない」というか。

――いま東京はオリンピックを控えて、観光、インバウンドに力を入れて再開発をしていますが、よねはらさんとしては地域としてのオリジナル性を感じないと。

よねはら 現在は大阪に住んでいるんですけど、大阪や中国には地域性の強さを感じるんです。マンガにも描いたことがありますが、中国の友達はどこ出身でも「ウチの地方は最高だからおいでよ」って言うんです。でも私は「東京は最高だからおいでよ」と思えなくて。下町に住んでいればまた違ったかもしれないけど、都心部にいたわたしが自信を持って連れていけるのは渋谷のスクランブル交差点ぐらいしかないかも(笑)。だからそういう地域性の強さに対して憧れがあります。

 

――日本国内の中国のイメージって、この数年で二極化しているように感じます。以前からあるネガティヴ・ヘイト的なイメージと、最近は「中国スゴイ! 進んでる! それに比べて日本は……」的な言説も目立ちます。

よねはら 今でも、私のマンガの内容とは直接関係ない、中国嫌いのコメントは届きますね。私もニュースだけを見ていたら、そんなイメージを持っていたかもしれない。それに、皆が中国を知る機会が増えたから「スゴイ」という意見も増えたのかな。とはいえ、「中国最高! 日本ダメ!」みたいなのも違うと思うし、私としては、お互いにいい影響を与えながら、国と国の仲はともかく、人同士が仲良くなれたらいいなと思っています。

――何万リツイートも拡散されると、ちょっとした商業メディアに掲載されるよりも「見られる」機会があると思います。ポジティヴな意見もネガティヴな意見もダイレクトに、作家個人に集まりがちです。

よねはら 激しく「炎上」してしまったこともあります。とても反省しているのですが、伝えたい気持ちが先行して強い言葉を使ってしまったせいで、私の考えていることがうまく伝わらなくて。私自身は「人類が平和になるためにはどうしたらいいか」とわりと本気で考えているのですが、過程をないがしろにしてしまうと自分の考えていることが違った形で受け止められてしまう。もともと賛否両論あるだろうなとは思っていましたが、「差別主義者だ」といった人格を否定するコメントがたくさん届いたときには、「もう生きていては許されないのでは」ってくらい堪えました。わたしだけではなく、きっといろんなジャンルの人がSNSをきっかけにそんな気持ちに陥っているのかも。もっと表に出ている人はさらにたくさんの鋭い言葉を浴びているのかも、といろいろ考えるようになりました。私自身も、言葉で人を活かすことも殺すこともできるということは忘れずにいたいですし、SNSに関わる人すべてに知っていてほしいです。

――その一方で「これはバズってよかった」と思うマンガや記事はありますか?

よねはら 中国の人の考え方や生き方についてのマンガは、バズってよかったと思います。今って皆が日々生きづらさを感じていて、特にSNSではあらゆるところでさまざまな争いが起こっているじゃないですか。好きでSNSやってても「なんか疲れるな」ってことはある。そんな中で、中国の子たちと話していると、自己肯定感の高さを感じることが多くて。この「違い」が自分たちを救うかもしれないと、マンガを描いているところはあります。もちろん、「全部中国の真似をしろ、中国人になれ」なんてことは言ってなくて、「こういう考え方があるよ」と知ることで、日本での生きづらさが少し軽くなるんじゃないかとシェアしていきたいんです。実際に「気持ちが軽くなった」「元気が出ました」なんて感想をもらえると、やっててよかったって思いますね。

――ちなみに、最近気になっている、シェアしたいと感じる中国カルチャーはありますか? 例えば、先日の「独身の日(中国では、11月11日が1が並ぶことで『独身の日』と呼ばれ、大規模なセールが開催される)」は、中国全体で盛り上がっていたようですが(※取材は11月下旬)。

よねはら すごく盛り上がってました! 1時間で何兆円も動いていたみたいです。この日を盛り上げるためのコンサートもあったりして、一大イベントですよね。中国にいる友だちからも盛り上がっている様子は伝わってきました。シェアしたいカルチャーでいうと、ガジェットやファッションが、最初は他国の真似から入っていても、どんどん現地ナイズされていくのが興味深いです。だけど、私はやっぱり「考え方」が一番面白いと思います。

――最後に、マンガを描く上での目標はありますか?

よねはら 最終的には、私のマンガに出ている友達を、読者の方の友達くらいに思ってほしいんですよ(笑)。「知っている人のいる国」って親近感がわくと思うんです。私が友達をマンガで紹介していくことで、もっと中国を身近に感じてもらえたらうれしいですね。

(取材・構成:藤谷千明/編集:斎藤岬)

●よねはらうさこ
イラストレーター。Twitterやnote、ブログ等で中国を中心とした異文化を紹介するマンガやイラストを発表し、人気を博す。
@yoneharausako