夫の人生に何も間違いはなかった。今も彼と娘との関係は友好的【別れた夫にわが子を会わせる?】

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第4回 岡田奈緒さん(仮名、40代)後編

 イベントコンパニオンや役者などとして活動していた岡田奈緒さんは、20代後半のとき、同じ舞台で知り合った10歳ほど年上の舞台俳優と結婚。翌年、娘を出産し、子育てに専念していたものの、娘が1歳になると、将来的なことを考えて不安が尽きなくなり、夫とすれ違い始める……。夫と別居しようと、関東近隣の団地から都内の実家所有のマンションに引っ越すも、夫がついてきてしまう。

(前編はこちら)

■価値観を押し付けたのは、たぶん私

――東京での暮らしは、どんな生活だったんですか?

「引っ越したのは、実家が所有しているマンションの、約13畳のワンルーム。ちっちゃいキッチンとちっちゃいお風呂がありましたけど、居住用というより事務所用の物件でした。そんな家ですから、夫の部屋は当然ありません。すると、余計ゴロゴロしてるのが目につくんです。でも、東京に来て環境が変わるので、夫が一念発起してくれればという願いがありました」

――一念発起とは?

「20代の頃には大人気だった夫も、すでに40代。俳優をやるにしても、別の仕事をするにしても、よほど改善をしなければヤバいわけです。だから、『何がしたいのか考えてみなさい』って、夫に言い聞かせてました。だって、そうでしょ? 子どもができてお金がいるというのに、どうやって稼いでいったらいいかとか、当然あるべき将来の青写真が、夫になかったんですから。

 あるときは、保険会社の人生設計相談を受けてもらったりもしました。そこでは、ライフプランを書かされるんですが、夫の書いた表に『何年後に家を買って』とかいう青写真的なものが、まったく出てこなかったんです。これじゃちょっと老後は背負いきれないな、ダメだなって。ガッカリしました。

 一方で、夫にとっては、私のそうした言動がストレスなんです。夫は、ご飯が食べられればいい。借金もしない。お金がまったくないわけでもない。お金はないんですけども、生きてはいける。月20万円ぐらいあれば、家族3人か4人生きていけるという人だったので、何を言われているかわからない。『子どもがいて楽しく暮らせればいいのに、何がいけないんだ』というすれ違いです。

 だから夫のモラハラとかDVというのとは真逆。価値観を押し付けたのは、たぶん私ですね。夫は現状で十分幸せなんですもの。夫の人生に、何も間違いはなかった。かわいそうに。だって夫からしたら、借金もないのに、なんで責められなきゃならないんだってことですよね」

――離婚を決意したきっかけは、なんですか?

「娘がクローゼットの陰で泣いてるのを見てしまったからです。東京に引っ越して1年ぐらい、それを見たときに『もうダメだ』って。子どもの精神状態がやばいと思って、『これはよくない。まずとにかく、夫と空間を分けるべきだ』って思ったんです。

 それからすぐ、どうやって離婚するかを調べ始めました。別居中の婚姻費用のことや、どういう段取りで離婚していくものなのかを、法テラス(無料法律相談)に行ったり、行政に相談しに行ったりして、教えてもらったり、本を読んで調べたりしました。調べると同時に、離婚後の生活の青写真を描きました。離婚するからにはガッツリ働こうと思って、いろいろ仕事の態勢を整えたんです。

 調べた後は夫の説得です。夫は、私が離婚したがってる意味がわからない。だから全然、話し合いが進まなかったですね。それで『本当に離婚したくないなら、策を考えなよ』って助け舟を出すんですが、提案してこない。公正証書とか事務的な決めごとを持ちかけると、逃げ回る。

 別居の話し合いの中で、双方がどこに住むかも話し合いました。『娘の近くに住みたいんなら、どうぞ。それで、いつ出ていくの? 年度末の3月31日がいいんじゃない? 期限を過ぎたら、日割りで家賃をもらうわよ』と話すと、夫は『やっぱり、実家に帰るよ』って答えましたね。そして劇団員の仲間に手伝ってもらって、引っ越していきました」

――娘さんには、どう説得しましたか?

「夫婦はやめたけど、親はやめられないという定義のもとに“離婚”しました。『パパとママは、仲良くできないんだ。楽しくないでしょ、この家庭。だからごめんね。パパとママ、夫婦はやめる。でもパパは減らないよ。ママがもし再婚しても、二番目のパパが増えるだけだよ』って娘には言って、納得してもらえました」

 岡田さんは、夫と別れる。面会の条件などを記した公正証書を先に作った上で、面会もすぐにスタートさせた。

――それで旦那さんは、ほかに仕事を見つけたんですか?

「最近は、タクシーの運転手をしているらしいです。すると、今度はタクシーのシフトが入ってしまって、役者のシフトを整理できなくなる。彼は不器用なので、自然と役者の仕事に手が回らなくなった。岩にしがみついてでも役者をやりたいんだっていう意地があったら、私は支えてもよかったんです。だけど、弱気になって、何がしたいのかわからなくなっちゃってた」

――面会は、どのように行っていますか?

「面会では、いろんなルールを作るじゃないですか。待ち合わせや引き合わせの方法とか、家には上げないとか。だけど、そうした決めごとは、ことごとく破られました。例えば『離婚後、週3日彼、週4日私が面倒を見る』ということを記したんですけど、6日に1回休みというタクシー勤務のシフトに合わせて、休みの日にうちに来るだけなんです。劇団とかの用事があれば来なかったり、逆に運動会とか、ぜひ来たいというときはシフトを調整して来たりしますけどね」

――面会が月に1回2時間とかいう人に、聞かせたい話ですね。ほかには?

「家に来ないというルールも破られましたね。離婚相手を、普通家に上げないでしょ。なのに彼は全然気にしない。今や泊まってますからね。彼が来たら来たで、彼がだらしないから娘が真似して、すごくだらしなくなっちゃう。宿題があるのに、教えたりとかはしなくて、ずっと2人でゲームやってるんです」

――どんなふうに面会するんですか?

「彼が娘と行くところといえば、ファミレスとかコンビニ、あとは公園。彼は食べることに興味がないので、特別なレストランなどには行きません。あと最近は娘が映画にはまっているので、新作映画には必ず連れていってくれます。それは良いことだと思います! あと夫の家族と旅行とか。まあそれで、娘も喜んでるんですけどね。

 彼と娘との関係は、今でもずっと友好的です。彼が来る日、娘は学校から小躍りしながら帰ってきます。娘の友達にも大人気だし、学校もわかってるんで、『お父さん、捨てられちゃったんだよね』って(笑)。彼はほんと大人気。彼が来る日は娘の友達もやってきて、うちがほとんど幼稚園状態です」

――養育費とかは、ちゃんと毎月もらってるんですか?

「今も婚姻費用のまま。離婚届は出したんですよ。だけど間違ってたから、もう1回書きました。『受理されなかったんだけど』って。まるでコントですよ。ちゃんと親権も決めたのに。書類がそろわずにグダグダ。なので、養育費じゃなくて婚姻費用ですね」

――復縁は考えますか?

「ないです。もう彼の面倒を見られないし、人としての魅力を感じないですしね。役者をやってたらまだしも、タクシーの運転手をやっているだけの彼は、なぜタクシーなのか、なぜそれがやりたいのかを話してくれないので、魅力を感じられない。でも彼、それで人生幸せだからすごいよなって、尊敬しますけどね。別に何も悩んでませんし」

――今後は、どうされるんですか? いい相手がいたら、再婚とか考えますか?

「去年、ライターの仕事がらみで婚活サイトを利用したんです。すると、『僕の子はいらない。君の連れ子以外に、僕の子を産んでほしいとかは求めない。ただ、やさしい奥さんに迎えてほしいんだ』という、お金も地位もあり、平穏を求める人ばかり。でも、それじゃ、私と全然合わないですね。私は娘を育てながら、会社も作っちゃったりしてきましたから。再婚相手とは、作ったり、挑戦したり、一緒に何かをしていきたいです。それが仕事でなくても。でも、落ち着きのない私は、結婚に向いていないのでしょうね(苦笑)。あと、私、気が多いんで、また新たなことを始めたくなってしまって。『富士山の方に移住しよう』とか『海外に住もうよ』とかって娘には話すんですけど、反対されるんです」

 今後、岡田さんは旺盛なバイタリティで、母として、一人の人間として人生を切り開いていくに違いない。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

10歳年上の舞台俳優と結婚して出産。別居したのに夫がついてきた【別れた夫にわが子を会わせる?】

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第4回 岡田奈緒さん(仮名、40代)前編

「役者、イベント司会、ライター、そして会社経営といろいろとやってる、毎日お祭り人生なんです、私。ゴールデンウィークは稼ぎどき。人が休めるときに働きます。芝居は、妊娠中、産後と、ずっとやってます」

 快活に話すのは、岡田奈緒さんである。バイタリティーあふれる彼女の話しぶりに、いくつの顔を持っているのだろう? どんな子育てをしているのだろう? そうした興味を抱いた。現在、小学生の女の子を一人育てている岡田さん、なぜ夫と別れたのか? どうやって子どもを会わせているのか?

■10歳年上の舞台俳優と結婚したものの、もくろみは外れ……

――どんな生い立ちか教えてください。

「ビルが林立する、東京のど真ん中で生まれ育ちました。何事にもきちんとしてないと嫌な潔癖性で、とにかく人と話さないという、そんな内向的な子どもでした。16歳のとき、芝居を始めて人との話し方を知りました。大学には行かず、芝居の傍らデジタルデザインの学校に通ったり、バイトしたりしました。バイトは、役者だからってことで、しゃべる仕事。最初はイベントコンパニオン、そしてナレーター。20代前半は舞台に立ったり、テレビに出たり、精力的に活動していましたが、20代後半で結婚して翌年出産してからは、家族を養うためにイベント業が主になりました。芝居にしろ、イベントにしろ、どっちにしろ祭りなので、やってる本質は変わらないですけどね」

――旦那さんとのなれそめは?

「相手は10歳ほど年上の舞台俳優。知り合ったのは同じ舞台、彼が主役でした。私、せっかちというか貧乏性というか……過労で入院するくらいむちゃくちゃに働いていた20代だったので、のんびりした人と結婚したら、ちょっとは落ち着くかな? と思ったんです」

――結婚しようと思った理由は、なんですか?

「お互いに、子どもが欲しかったから。私もその頃、役者としてそろそろ母親の役を任される時期だった。子どもがいると役に深みが出るし、仕事のためにも『作ってみるか』という、人として、あまりよろしくない発想です。だけど『できちゃった!? じゃあ結婚しなきゃ』と言ったのは彼のほうです。それで彼の実家のある埼玉某所に引っ越して、同居を始めました」

――旦那さんは実際どんな人なんですか?

「結婚してわかったのは、夫は癒やし系ではなくて、悟っちゃってる人だということ。とにかく動かない。2時間たっても同じ場所にいる。すごく質素でもあって、毎日細々とご飯が食べられたらそれでいい、毎日生きているだけで楽しい。そんなタイプだったんです。

 “悟り系”だということを知って、共働きなのは当然だと考えていた私のもくろみが崩れていきました。働き手が2倍になれば一人暮らしで役者をしていた頃よりお金に余裕ができて、少し気楽に、主婦役者ができると思っていたんです。また、同じ役者ということで一緒に仕事したり、夫婦で何か一緒に作ったりすることに憧れていましたが、夫には自分から何かをするという気力が、残念ながらなかった」

 この後、岡田さんの出産を経て、2人の関係は変わっていく。

――お子さんが生まれるまでは順調でしたか?

「生まれる3カ月ぐらい前に、切迫早産で入院しました。『運動しなさい』って産婦人科の先生に言われて、運動しすぎたんです。それで強制入院。生まれるまで、ベッドにはりつけ状態でした。その間、夫は地方公演に行ってて、いなかった」

――出産のとき、旦那さんは立ち会いましたか?

「もちろん立ち会いました。めっちゃビデオ撮ってましたね。本当なら子どもが出てくるところを撮ってほしかったんですけど、病院に『だめ』って言われて。そういうのを、ネットに流して売る人がいるんですって。それでしょうがないから、夫は私の顔を撮ってた。青筋立ってる私の顔を撮りながら、『どういう感じ? どういう感じ?』『うーん、スイカは出ないな』みたいな会話をするだけで、残った映像としては全然つまらない。それで産む瞬間になると、さすがに的確なコメントを考えるのもきつくて。思考が吹っ飛びました。夫は夫で、『子ども生まれた、やったー』って感じで喜んでたみたいです」

――新生児の頃は、どのような生活でしたか?

「産んですぐの4カ月は東京の実家にいて、ひたすら子どもの世話をしていました。その間は恐怖ですよ。新生児の命の責任って重いです。2時間ほっといたら死ぬわけですから。産後の肥立ちも悪く、私自身も病気の連続で死にそうでした(苦笑)。だから私、生後6カ月になるぐらいまでは、子どもを育てることしか考えてなかったし、子どものことしか見えてなかった。育児ノイローゼだったんですね。

 一方、夫はですね、出産に立ち会った後、地方公演に出てまして、その時期、家にいなかった。だから夫は、私が一番大変で一番やばいところは見てなかったんです。とはいえ新生児の頃は、私が育児に対してとても神経質になっていたので、夫がいてくれても、何も任せられなかったし、何を言われても、何をされても怒っただけでしょうからね、夫が地方巡業で出ていたのは、むしろ幸いでしたね」

――旦那さんが巡業から帰ってきてからは、どうでしたか?

「生後4カ月で、夫が地方巡業から帰ってきて埼玉某所で同居を始めてからは、徹底的に育児をやらせましたよ。『夜、本当に限界だから、私は寝るから。母乳搾ったのが凍っているから、それを赤ちゃんにあげて』って言って、寝たら絶対に起きない(笑)。それで夫はやってくれたかって? もちろん。だって、やらなかったら死んじゃうもん。まあ、でも率先してやってくれてました」

――旦那さんの育児は、どんな感じでしたか?

「基本、育児は、かなり積極的にやってくれていました。ただ、夫は基本おおらかなので、泣いててもあやしたりせず、『うわぁ泣いてる! 鼻水出てる! あっははは』って観察して喜んでるだけ。2人目の子どもなら私も一緒に笑えたのでしょうが、とにかく私がうつだったので、そんな夫を見て私、イラッとしてました。怒りをエスカレートさせる私を、夫は嫌がっていました。歩けるようになると、公園でボール遊びの相手をしてくれて、それはそれで助かったんですけど、0歳児のときは、とにかくハラハラしていました」

――産後うつで、一日中育児って大変ですよね。何か気晴らしはしたんですか?

「近郊のショッピングモールへ娘と2人で出かけたり、夫や、それプラス友人などと一緒に、気軽な感じで出かけたりしていました。夫があまり働いてなかったので、いつでもどこでも、夫と娘と3人一緒でした。だから、子どもの友達を呼んで泊まってもらったり、ママさんサークルに入ったり、幼児体操とか子どものプールとか、暇だし、その1年間は働かなかったので、いろいろやりまくって、ありとあらゆるところに顔を出しまくりました。娘と2人きりだと行き詰まっちゃいますよ。それだけ夫と一緒に歩いたので、普通の夫婦の一生分、すでに一緒に過ごしてしまったかもですね」

――旦那さんとのすれ違いは、いつからですか?

「夫との気持ちのずれを感じ始めたのは、『やばい! 私が働かなきゃ!』ってなった頃からでしょうか? もともと共働きの覚悟はしていましたが、育児に関して私は人に任せるには神経質すぎたので、1歳の子育てをしつつ、大黒柱も私が担うのは無理がありました。健康な夫があまり仕事もしないで毎日家にいたら、ちょっと人生不安にはなります」

――娘さんに手がかからなくなってからは、どうなったんですか?

「娘が1歳になってからは、『もう私、役者復帰します』って宣言しました。だけど夫は基本、自分のスケジュールを曲げてくれない。それで私、『あんたが出たら、私が芝居できないじゃない』って文句を言いました。今考えると、スケジュール調整で、けっこうケンカしましたね。

 その頃から、娘を保育園に預けて、また働きにも出るようになったんですけど、送り迎えには苦労しましたね。私が東京で仕事があるとき、保育園に迎えに行くのが遅くなる。だけど夫は自分の都合を優先して、お迎えに行ってくれない。かといって、夫の親も頼りにはならない。『行く』と言いながら行ってくれなかったりして、すごく適当なんです。

 あともうひとつ困ったというか不安に思ったのは、夫の収入です。出産前もそうだったんですが、財布は夫婦別です。娘の育児費用は私が出してました。あと、家賃とかの生活費を、夫に月10万円ぐらい払ってもらってたのかな。その頃住んでいた3DKの公団は家賃が安かったのはいいんですけど、将来的なことを考えると、不安が尽きなかった。これから娘の学費のこととかで、お金がたくさんいるというのに、夫の年収が伸びていく兆しがないんです。そこで『今後はどうすんの? 40代で、役者で食べていけるの? 家族を支えられるの?』って聞きました。すると、『このままでいい』って言うんですよ。私、その発言にカチンときて。夫に言ったんです。『一度、別居して、お互いの人生をちゃんと組み立てていきましょうよ。私もう無理だから。東京行くから』って。ところが夫、娘と離れたくなかったのか、私たちについてきちゃいました。娘が年長さん、5歳のときでした」

 岡田さんは夫と別居するために、娘とともに東京に引っ越そうとしたのだが、結果的に家族3人で移り住むことになったのだった。

(後編へつづく)

松居一代が戦う「バイアグラ100ml男」船越英一郎が苦しんだ“副作用”とは?

 松居一代がYouTubeにアップした動画で、夫・船越英一郎は日本で承認されていない成分100mgのバイアグラを飲んでいたと主張し、自分のTwitterやブログでも船越を「バイアグラ100ml男」(100mlは100mgの誤りと思われる)と呼び始めた。成分100mgのバイアグラを飲むと、どのような効果があるのだろうか? また、副作用はあるのだろうか? ED専門病院・新宿ライフクリニックの日本性機能学会専門医に話を聞いた。

 バイアグラは医師による処方箋が必要なED(勃起不全)治療薬。松居は成分100mgのバイアグラは「日本で許可が出ていない」と言っているが、本当にそうなのだろうか? だとすれば、その理由はなんだろうか?

「現時点で日本において認可されているバイアグラは25mg・50mgの錠剤とフィルム製剤のみで、船越さんが服用したといわれている100mgの処方は日本の厚生労働省で認可されていません。薬剤の許認可は厚生労働省の管轄であり、私どもは、なぜ日本で100mgの処方が認められないのか、その詳細については把握しておりません」

 では、100mgを飲むと、どのような効果があるのだろうか?

「認可された薬に関しては、市販前ならびに市販後に詳細な検証が行われ、それを元に添付文書などが作成されておりますが、100mgは日本では未認可のため、日本人の服用時にどうなるか、効果はどうなのか、といった作用説明の根拠となる情報はとても希薄です」

 松居は動画の中で、バイアグラの副作用で船越が就寝中に苦しみだしたと言っていたが、このような症状は現れるのだろうか?

「現在日本で認可されているED治療薬の中で、バイアグラは相対的に最も副作用が多い薬剤となっています。血管拡張薬ですので、勃起改善と同時に動悸やほてり、顔の紅潮、鼻づまりを認めるケースが多く、実際に、およそ40%の患者さんがこれらの軽い副作用を自覚されています。

 しかしながら、就寝中にのみ苦しくなるというケースは稀で、添付文書にもそのような記載はありません。ですから、あくまでも推測になりますが、この症状に関してはバイアグラが原因である可能性は低いように思われます」

 松居はブログで船越が糖尿病であり、バイアグラを飲み、「心臓が悲鳴を上げています」と言及しているが、糖尿病とEDは関係あるのだろうか? また、糖尿病の患者がバイアグラを飲んでも問題ないのだろうか?

「糖尿病はその代表的な合併症の中にEDを内包しており、糖尿病患者の約30%が罹患するとされています。バイアグラは専門医による的確な判断がなされれば、安全に服用できる薬剤です。糖尿病によって発症したEDに対して処方することも少なくありません。心臓への負担を心配される方もいますが、一般的には軽度の動悸を感じる程度で、その発現率もおよそ1%です。ただし心血管疾患に対して硝酸剤・一酸化窒素供与剤を使用されている方などは本剤を使う事は絶対にできません」

 同医師によると、そもそもEDの原因はストレスなどが原因の心因性EDと、糖尿病や加齢などを原因とした器質性EDに大別されるのだという。どちらにしても、男性にとって勃起の悩みは、非常にデリケートでプライベートなことに間違いない。たとえ船越のEDやバイアグラ服用が事実であったとしても、妻だからといって、松居にそれを公にする権利があったのだろうか。
(C.FUJII)

新宿ライフクリニック

松居一代が戦う「バイアグラ100ml男」船越英一郎が苦しんだ“副作用”とは?

 松居一代がYouTubeにアップした動画で、夫・船越英一郎は日本で承認されていない成分100mgのバイアグラを飲んでいたと主張し、自分のTwitterやブログでも船越を「バイアグラ100ml男」(100mlは100mgの誤りと思われる)と呼び始めた。成分100mgのバイアグラを飲むと、どのような効果があるのだろうか? また、副作用はあるのだろうか? ED専門病院・新宿ライフクリニックの日本性機能学会専門医に話を聞いた。

 バイアグラは医師による処方箋が必要なED(勃起不全)治療薬。松居は成分100mgのバイアグラは「日本で許可が出ていない」と言っているが、本当にそうなのだろうか? だとすれば、その理由はなんだろうか?

「現時点で日本において認可されているバイアグラは25mg・50mgの錠剤とフィルム製剤のみで、船越さんが服用したといわれている100mgの処方は日本の厚生労働省で認可されていません。薬剤の許認可は厚生労働省の管轄であり、私どもは、なぜ日本で100mgの処方が認められないのか、その詳細については把握しておりません」

 では、100mgを飲むと、どのような効果があるのだろうか?

「認可された薬に関しては、市販前ならびに市販後に詳細な検証が行われ、それを元に添付文書などが作成されておりますが、100mgは日本では未認可のため、日本人の服用時にどうなるか、効果はどうなのか、といった作用説明の根拠となる情報はとても希薄です」

 松居は動画の中で、バイアグラの副作用で船越が就寝中に苦しみだしたと言っていたが、このような症状は現れるのだろうか?

「現在日本で認可されているED治療薬の中で、バイアグラは相対的に最も副作用が多い薬剤となっています。血管拡張薬ですので、勃起改善と同時に動悸やほてり、顔の紅潮、鼻づまりを認めるケースが多く、実際に、およそ40%の患者さんがこれらの軽い副作用を自覚されています。

 しかしながら、就寝中にのみ苦しくなるというケースは稀で、添付文書にもそのような記載はありません。ですから、あくまでも推測になりますが、この症状に関してはバイアグラが原因である可能性は低いように思われます」

 松居はブログで船越が糖尿病であり、バイアグラを飲み、「心臓が悲鳴を上げています」と言及しているが、糖尿病とEDは関係あるのだろうか? また、糖尿病の患者がバイアグラを飲んでも問題ないのだろうか?

「糖尿病はその代表的な合併症の中にEDを内包しており、糖尿病患者の約30%が罹患するとされています。バイアグラは専門医による的確な判断がなされれば、安全に服用できる薬剤です。糖尿病によって発症したEDに対して処方することも少なくありません。心臓への負担を心配される方もいますが、一般的には軽度の動悸を感じる程度で、その発現率もおよそ1%です。ただし心血管疾患に対して硝酸剤・一酸化窒素供与剤を使用されている方などは本剤を使う事は絶対にできません」

 同医師によると、そもそもEDの原因はストレスなどが原因の心因性EDと、糖尿病や加齢などを原因とした器質性EDに大別されるのだという。どちらにしても、男性にとって勃起の悩みは、非常にデリケートでプライベートなことに間違いない。たとえ船越のEDやバイアグラ服用が事実であったとしても、妻だからといって、松居にそれを公にする権利があったのだろうか。
(C.FUJII)

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松居一代は「通常運転」「すべて演出」……プロ筆跡鑑定人が指摘、「暴走と冷静」の二面性

 松居一代が投稿したとされるYouTubeの動画には、「週刊文春」(文藝春秋)に送った自身直筆の手紙が映っている。書かれている言葉は現代語だが、遠目に見ると、まるで戦国武将がしたためた手紙のような鬼気迫る迫力の続け字で、あの手紙を受け取った文春の編集長の心中は、いかばかりだっただろうか? 動画のインパクトに押されがちだが、ここはあえてあの「文字」のみに着目してみたい。プロの筆跡鑑定人であり、筆跡心理学に基づいた書籍『自分のイヤなところは直る!』(東邦出版)著者、牧野秀美氏に、松居一代の筆跡を鑑定してもらった。

■逆上して後先考えず行動に至ったわけではない

――まず、彼女の筆跡から何が読み取れますか?

牧野秀美氏(以下、牧野) 激しい気性と大胆な言動が取りざたされている松居一代さんの筆跡ですが、文面にある通り相当の覚悟で書かれたようです。この手紙は、過去の筆跡と比べると文字間が詰まって書かれており、強い意志を表す書き始めのひねりや力強い筆の運びから見ても、大きな感情のうねりの中で精神的に切羽詰まった状態で書かれたことは間違いないでしょう。しかし、彼女は、逆上して後先考えず行動に至ったわけではなさそうです。

――意外です。積年の恨みからの激情がほとばしったあまりに……と思えてしまいました。

牧野 普通、人は逆上したり感情的になると我を忘れ、後先考えない行動をしがちですが、彼女は感情的になりながらも、それをコントロールできるようです。なぜなら、これだけの修羅場でありながら、ましてやもともと罫線無視の大きな文字を書くにもかかわらず、文字の画線が勢い余って衝突することなく絶妙に回避されていること(画線の衝突が、人に違和感を与えない許容範囲で収まっている)、文字の横線の間隔がバラバラではなく整然とそろっていること、レイアウトが見栄えよく書かれていることから、むしろきちんとした計算の上でコントロールされた演出と見ます。

――激情100%どころか、「演出」なんですね。

牧野 今の彼女の状態は、確かに平常心ではないかもしれませんが、冷静さを失っているわけではないと思います。感情的に見えるのは、融通が利かず、制御できない純粋さと正義感からくる言葉で伝えているからでしょう。たぶん彼女は、この先のこともきちんとストーリーを考えて、淡々と行動されていくのではないでしょうか。なぜなら、思考面を表す接筆部分がきっちり閉じているパターン(「目」の字)と大きく開いている(「申」の字)パターンの2通りあり、その特徴が安定的に出ているからです。これは、自分を譲らない頑固な面と、理屈抜きで物事を受け入れる柔軟な両面を意識的に使い分けることのできることの表れです。今ですと、視野が狭く融通の利かない過激な面が、メディアではクローズアップされがちですが。

――そのほかに、彼女の性格を表している特徴はありますか?

牧野 左右の払いが長いのは、役になりきって自分を演出する女優気質であること、大きな文字と小さな文字が混在するのは、起伏の激しい波欄万丈型の人生を求めていること、まるで武士の書くような男性的な続け字は、自分に自信があることを表しています。また、書道のような書き始めのひねりからは、我の強さも読みれます。

 「そこまでしなくても……」と引いてしまうほどの大胆言動は、一般人にとって病的に感じますが。プライドを傷つけられた彼女にとって、自分を裏切った罪は万死に値すると思っているわけですから、通常運転なのでしょう。半端ではない感情の分量と、向く方向が極端から極端に振れるわけですから、まさにかわいさ余って憎さ百倍の感情からくる行動だと思われます。

――愛も憎しみも人一倍持っている上に、でも感情に振り回されるだけの人間ではない。現に開運や掃除や投資では財を成したとの話もあり、物事を達成するための冷静さや行動力を兼ね備えた人なんですね。頼もしい仕事人ですが、こういう人と離婚しようと思ったら、手ごわいでしょうね。

牧野 これらのことを踏まえると、松居さんのこの言動は、ご自分を守ることよりも、ご自分のプライドを傷つけられたことに対する報復の意味が強いのではないでしょうか。彼女の気質から、負け戦をすることは考えられません。不特定多数にどう訴えると効果的であるかも理解されているはずですので、今回の動画での訴えも、賛否両論あることは織り込み済みなのでしょう。松居さんに真の目的があるのか、訴えていることが全てであるのかはまだわかりませんが、目的を達成するまで行動をやめることはないでしょう。今までも「自分の思いは必ず達成する」という強い意志を持って、松居さんは生きてきたからです。
(石徹白未亜)

牧野秀美(まきの・ひでみ)
筆跡鑑定人。筆跡アドバイザー・マスター。筆跡心理学をもとにした鑑定や、個人に向けた筆跡診断も行う。著書に『自分のイヤなところは直る!』(東邦出版)
ほっかいどう筆跡鑑定研究所

小林麻央さんの死に対して、感情移入する人とできない人の心理とは?

 市川海老蔵の妻・小林麻央さんの死去から2週間がたとうとしているが、全国的に広がっている悲しいムードが収束する気配はない。ネットには彼女の死を悼む書き込みが大量になされ、お悔やみの言葉があふれている。家族でも友人でも知り合いでもない人が、その思いを公の場に書き込むのは、なぜなのだろうか? また、反対に彼女の死に感情移入できない人は、書き込む人と何が違うのだろうか? 『なぜ心を読みすぎるのか みきわめと対人関係の心理学』(東京大学出版会)の著者で、東京大学大学院人文社会系研究科(社会心理学)の唐沢かおり教授に話を伺った。

 唐沢教授によると、人は、生活が詳細に報道される芸能人などの著名人に対して、心理的なつながりを持ち、一時的にせよ、自分の家族や大切な人のように見なすことがあるという。また、心理的なつながりゆえに、自分の気持ちを伝えようとネットに書き込みを行うので、同じ思いを持つ人々が互いの存在を確認し合うコミュニティが形成されるそうだ。

「今回のケースですと、以前からネットメディアや麻央さんのブログを通じて彼女の情報を得ていた人が、その情報源であった場所に、彼女を失った悲しみを書き込んだのでしょう。同じように書き込んでいるコミュニティ仲間と共感し、一緒に喪に服すことで自分の思いを再確認している人も多いのではないでしょうか。

 また、多くの人が関心を持つ、死に至る大病であるがんが原因だったことも大きいと思います。麻央さんは、その状況に立ち向かい闘病した、シンボリックな存在になったのでしょう。ひとつのモデルケースとして意味付けられたが故に、大きな反応が起こったのです」

 では、ネットに麻央さんへのお悔やみを書き込む人と書き込まない人の違いは、何なのだろうか?

「人は、自分と関わりの強いニュースを無意識に選んでいます。麻央さんへのお悔やみを書き込んだ人と書き込まなかった人の間には、個人の心の優しさの違いではなく、その人自身にとっての“麻央さんの存在の大きさの違い”があるでしょう。つまり彼女が自分にとって、ひとりの元アナウンサーなのか、『この私が関心を持って見続け、共感し、死を悼んだ、同じ時を生きたひとりの女性』なのかの違いです」

 一方、麻央さんの死に感情移入できず、逆に世間のムードに違和感を覚えてしまう人もいる。それは、いったいどういう心理なのだろうか? 

「そもそも、最初からそれほどこのニュースに関心を持っていなければ感情移入しません。また、ニュースを追っていたとしても、過剰にプライベートが公開されていると感じたり、ほかにも頑張っている患者さんが多数いるにもかかわらず、なぜ特定のこのケースだけがメディアに取り上げられるのか疑問に思えば、感情移入がブロックされる場合もあります。

 当然のことながら、人は多様ですし、感情移入の仕方自体にも大きな個人差があります。ですから結局のところ、感情移入できるできない、違和感を抱く抱かないの違いを示す、明確なただひとつの答えはないと言わざるを得ません。ただ、自分と環境が似ている人に対しては感情移入しやすいので、たとえば麻央さんと同じように姉妹を持つ人などは、強い思いを抱くかもしれません。

 今回のケースは、家族や近しい人の死を悲しめない、ということとは全く異なります。このニュースに感情移入できなくても、『自分は冷たくてドライな人間だ』などと思う必要はありません」

 先日、海老蔵が麻央さんのブログを英訳すると発表。英訳版には英語のコメントも書き込まれ始めた。今後、悲しいムードが世界的なものになっていくかどうかはわからないが、ネットに麻央さんへの思いを書き込む人と、この件に関して感情移入できない人、どちらも決して批判されるべきものではないだろう。
(C.FUJII)

唐沢かおり(からさわ・かおり)
社会的認知を専門とする社会心理学者。University of California, Los Angeles(Ph.D)、京都大学大学院文学研究科博士後期課程、名古屋大学大学院環境学研究科助教授などを経て2010年より東京大学大学院人文社会系研究科教授。『なぜ心を読みすぎるのか みきわめと対人関係の心理学』(東京大学出版会)ほか著作多数。

離婚後、3.11を機に大阪に移住。昨年、8年ぶりに元夫に助けを求めた【別れた夫にわが子を会わせる?】

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第3回 中村珠美さん(仮名、40歳)後編

 中村珠美さんは、32歳のとき、勤め先の20歳年上のボスとの間に子どもを妊娠したことから結婚し、退職、子育てに専念する。ワーカホリックで多忙な夫は育児に非協力的で、かみ合わない日々の生活に疲れ果て、相手への情がなくなったため、別れを決意。対等でない関係のまま、夫の一方的な条件を受け入れ、離婚した。

(前編はこちら)

■余裕のない生活で、息子を会わせることまで考えられなかった

――離婚の際に取り決められたことは、実行されたんですか?

「お金を持っているはずなのに、一度も養育費が払われていません。自動振込の書類を銀行に提出すればいいだけなんですけどね。『手続きに行く時間がないって』と言い訳していました。そして、それだけではなく、さらに踏んだり蹴ったりだったんです。離婚前まで、退社したことになっておらず、それどころか私は彼の会社の役員というポストに置かれ、一銭ももらっていないのに、名目上は年収が600万円あることになっていたんです。そのため、離婚したその年の保育料は一番高めだし、ひとり親家庭に支給される手当(児童扶養手当)ももらえない。住民税も高い。本当は一銭ももらえてないのにですよ。子どもに会えない喪失感を彼も抱えていたとは思います。だけど、そんな状態がさらに彼への恨みのようになって、私もかたくなに会わせないという気持ちになっていました」

――離婚後は、どのような生活を送っていたんですか?

「別れてから3年間、元の家に近い都心エリアに住んでいました。働いて育てることで精いっぱいで、ものすごくしんどかった。だけど私が働かないと、生活が維持できない。それこそ、回し車の中のハムスターのような生活で、必死でした。

 マンションの家賃を払いつつ、子育てをしながら働いていたんですが、経済的にはカツカツでした。貯金は少しあったものの、夫との3人暮らしのときに比べると、だいぶ切り詰めないと、暮らしていけないんです。だから、息子に欲しいものがあっても、ほとんど何も買ってあげられませんでした。安いものでも、買うかどうか、その都度かなり悩みました。

 生活環境ががらりと変わったことで、息子も大変だったと思います。離婚した直後、息子はイライラし、暴れて泣くことが多かったです。そのたびに私も自分を責め、泣いていました。そんな生活ですから、彼に何か請求をしたりとか、そういう手が回りません。近所ですので、彼にばったり会うんじゃないかとおびえていましたし。そんなわけで、彼に息子を会わせたほうがいいかとか考えることもしたくなかったし、その気がまったくなかった。やっぱり気持ち的な余裕がないと、難しいです」

――それでも東京に住み続けようとしたんですか?

「当時住んでいた地域の子どもたちは6割ほどが中学受験をするんですが、私が田舎育ちだからということもあって中学受験というものの想像がつかないし、そもそもそんな余裕はありませんでした。ここで子育ては無理だな、と思うようになって、だったら、実家の近くで、東京に出るのが便利なところに引っ越そうということで、段取りを組んでいたんです」

――引っ越しは実行されたんですか?

「いいえ。それどころじゃなくなりました。3.11が起こって、私がパニックになってしまったんです。『早く西へ逃げろ』とか、そういう発言にモロ煽られて、私はたちまち、『北関東なんて、放射能に汚染されてて危ない!』って思い込むようになりました。

 保育園のママ友に、飲み屋のママがいて、彼女の出身地が大阪だったんですよ。彼女はそのころ、実家で子育てをして、仕事は都内の飲み屋という大阪半分東京半分の生活をする予定で、実家への引っ越しを進めてたんです。パニクってた私は、そのママに『息子をあなたの子と同じ小学校に行かれるように、私も引っ越すから』って言って、実際に引っ越してきたというわけなんです」

――大阪に来てからの生活はどうですか? そうやって移住してきたママたちの間での連帯はありますか?

「原発事故のせいで私はここにいると思って、最初は反原発デモとかに行ってたんです。だけどやっぱり置かれた状況が一人ひとり違うし、ちゃんと帰れる家があるのに勝手に避難してきた人たち、しかも東京から。そういう負い目みたいなものを勝手に感じていましたし、デモに行くと、またいろんなことを言う人がいるじゃないですか。放射能をものすごく気にするお母さんにとっては、東北・関東は汚染地帯なので、その場所で農作物を作る、それが流通する、流通した場所まで汚染される……という理屈がありました。

 私の実家は茨城県で、農家出身の父は家族が食べる分だけの野菜を畑で作っていたので、そのことを話したら、『そういう人がいると、その食べ物が流通して、日本中が汚染されるんだよね!』と言われ、まるでうちの父が悪人のように言われていると感じました。その人たちにはその人たちの生活があるということには思い至ることもなく、『子どもを守る』という名目で、多くの人を傷つけるような言動をしているのが、ものすごく疑問でした。これは、そのとき自分がとても弱っていたから、なおさらだったと思います。それでぐっさりと傷ついて、そういうところには行かなくなりました。なので、反原発関連のママ友はもう誰もいないです」

――息子さんとの生活はどうですか?

「大阪に来て6年たって、息子は中1になりました。本当に、あっという間でした。3.11後の移住という急な動き、関西というまったく縁のない土地への順応と仕事探しと生活を整えるのに必死で、息子への離婚後のケアは全然できてませんでした。

 経済状態は相変わらずで、思春期に差しかかってきた息子の鬱憤がそこに表れることもありました。彼が欲しいものを『いや、うちは買えないから』と言うと、『おまえが離婚したせいだろ』とか言って、壁を蹴ったり、それを止めようとして私が攻撃されたりもして……。離婚だけのせいじゃないとは思うんですが、言葉にできないいら立ちみたいなものが、すごく出てきているんです」

――元旦那さんには連絡されていないんですか?

「息子による暴力や学費の心配など、いろいろ困ることが出てきたので、わらにもすがる思いで、8年ぶりに、元夫に連絡をしてみました。『助けてください』という文面のメールを出したんです。メールの文面でですけど、これまで息子に会わせてあげられなかった自分の非を詫びることもできました。自分から一歩踏み出せて、よかったと思っています」

――元旦那さんからの返事はあったんですか?

「私からのメールが、たぶんうれしかったんでしょう。『困ったことがあったら相談に乗るよ』という返事が来ました。今やってる仕事の本を送ってきてくれて、息子に『こんな本作ってんだって』って言ったら、『おお、すげえ』って。まあ彼の中で父親がどんな人なのか、想像してるんでしょうね。息子宛に送られてきたメールは、そのままプリントアウトして、『読んでみたら』って言って渡しましたが、『思春期たるものこういうもの。誰もが壁にぶつかるもの』とか、説教臭い部分もあるので、読んでるかどうか……」

――まだ再会はしてない?

「実現していません。彼は彼で、会わせもしなかったくせに、こんな状態になってから相談しやがってと思っているかもしれませんし、それだけ時間がたってしまうと、彼の方も、そんなに会いたいという気持ちがないかもしれないですしね。どう思っているのか、またこれから関係がどうなるのかわかりません。だけど、これまでのツケもあって、すごく面倒くさい父子、そして母子関係になってしまうかもしれませんね」

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

離婚後、3.11を機に大阪に移住。昨年、8年ぶりに元夫に助けを求めた【別れた夫にわが子を会わせる?】

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第3回 中村珠美さん(仮名、40歳)後編

 中村珠美さんは、32歳のとき、勤め先の20歳年上のボスとの間に子どもを妊娠したことから結婚し、退職、子育てに専念する。ワーカホリックで多忙な夫は育児に非協力的で、かみ合わない日々の生活に疲れ果て、相手への情がなくなったため、別れを決意。対等でない関係のまま、夫の一方的な条件を受け入れ、離婚した。

(前編はこちら)

■余裕のない生活で、息子を会わせることまで考えられなかった

――離婚の際に取り決められたことは、実行されたんですか?

「お金を持っているはずなのに、一度も養育費が払われていません。自動振込の書類を銀行に提出すればいいだけなんですけどね。『手続きに行く時間がないって』と言い訳していました。そして、それだけではなく、さらに踏んだり蹴ったりだったんです。離婚前まで、退社したことになっておらず、それどころか私は彼の会社の役員というポストに置かれ、一銭ももらっていないのに、名目上は年収が600万円あることになっていたんです。そのため、離婚したその年の保育料は一番高めだし、ひとり親家庭に支給される手当(児童扶養手当)ももらえない。住民税も高い。本当は一銭ももらえてないのにですよ。子どもに会えない喪失感を彼も抱えていたとは思います。だけど、そんな状態がさらに彼への恨みのようになって、私もかたくなに会わせないという気持ちになっていました」

――離婚後は、どのような生活を送っていたんですか?

「別れてから3年間、元の家に近い都心エリアに住んでいました。働いて育てることで精いっぱいで、ものすごくしんどかった。だけど私が働かないと、生活が維持できない。それこそ、回し車の中のハムスターのような生活で、必死でした。

 マンションの家賃を払いつつ、子育てをしながら働いていたんですが、経済的にはカツカツでした。貯金は少しあったものの、夫との3人暮らしのときに比べると、だいぶ切り詰めないと、暮らしていけないんです。だから、息子に欲しいものがあっても、ほとんど何も買ってあげられませんでした。安いものでも、買うかどうか、その都度かなり悩みました。

 生活環境ががらりと変わったことで、息子も大変だったと思います。離婚した直後、息子はイライラし、暴れて泣くことが多かったです。そのたびに私も自分を責め、泣いていました。そんな生活ですから、彼に何か請求をしたりとか、そういう手が回りません。近所ですので、彼にばったり会うんじゃないかとおびえていましたし。そんなわけで、彼に息子を会わせたほうがいいかとか考えることもしたくなかったし、その気がまったくなかった。やっぱり気持ち的な余裕がないと、難しいです」

――それでも東京に住み続けようとしたんですか?

「当時住んでいた地域の子どもたちは6割ほどが中学受験をするんですが、私が田舎育ちだからということもあって中学受験というものの想像がつかないし、そもそもそんな余裕はありませんでした。ここで子育ては無理だな、と思うようになって、だったら、実家の近くで、東京に出るのが便利なところに引っ越そうということで、段取りを組んでいたんです」

――引っ越しは実行されたんですか?

「いいえ。それどころじゃなくなりました。3.11が起こって、私がパニックになってしまったんです。『早く西へ逃げろ』とか、そういう発言にモロ煽られて、私はたちまち、『北関東なんて、放射能に汚染されてて危ない!』って思い込むようになりました。

 保育園のママ友に、飲み屋のママがいて、彼女の出身地が大阪だったんですよ。彼女はそのころ、実家で子育てをして、仕事は都内の飲み屋という大阪半分東京半分の生活をする予定で、実家への引っ越しを進めてたんです。パニクってた私は、そのママに『息子をあなたの子と同じ小学校に行かれるように、私も引っ越すから』って言って、実際に引っ越してきたというわけなんです」

――大阪に来てからの生活はどうですか? そうやって移住してきたママたちの間での連帯はありますか?

「原発事故のせいで私はここにいると思って、最初は反原発デモとかに行ってたんです。だけどやっぱり置かれた状況が一人ひとり違うし、ちゃんと帰れる家があるのに勝手に避難してきた人たち、しかも東京から。そういう負い目みたいなものを勝手に感じていましたし、デモに行くと、またいろんなことを言う人がいるじゃないですか。放射能をものすごく気にするお母さんにとっては、東北・関東は汚染地帯なので、その場所で農作物を作る、それが流通する、流通した場所まで汚染される……という理屈がありました。

 私の実家は茨城県で、農家出身の父は家族が食べる分だけの野菜を畑で作っていたので、そのことを話したら、『そういう人がいると、その食べ物が流通して、日本中が汚染されるんだよね!』と言われ、まるでうちの父が悪人のように言われていると感じました。その人たちにはその人たちの生活があるということには思い至ることもなく、『子どもを守る』という名目で、多くの人を傷つけるような言動をしているのが、ものすごく疑問でした。これは、そのとき自分がとても弱っていたから、なおさらだったと思います。それでぐっさりと傷ついて、そういうところには行かなくなりました。なので、反原発関連のママ友はもう誰もいないです」

――息子さんとの生活はどうですか?

「大阪に来て6年たって、息子は中1になりました。本当に、あっという間でした。3.11後の移住という急な動き、関西というまったく縁のない土地への順応と仕事探しと生活を整えるのに必死で、息子への離婚後のケアは全然できてませんでした。

 経済状態は相変わらずで、思春期に差しかかってきた息子の鬱憤がそこに表れることもありました。彼が欲しいものを『いや、うちは買えないから』と言うと、『おまえが離婚したせいだろ』とか言って、壁を蹴ったり、それを止めようとして私が攻撃されたりもして……。離婚だけのせいじゃないとは思うんですが、言葉にできないいら立ちみたいなものが、すごく出てきているんです」

――元旦那さんには連絡されていないんですか?

「息子による暴力や学費の心配など、いろいろ困ることが出てきたので、わらにもすがる思いで、8年ぶりに、元夫に連絡をしてみました。『助けてください』という文面のメールを出したんです。メールの文面でですけど、これまで息子に会わせてあげられなかった自分の非を詫びることもできました。自分から一歩踏み出せて、よかったと思っています」

――元旦那さんからの返事はあったんですか?

「私からのメールが、たぶんうれしかったんでしょう。『困ったことがあったら相談に乗るよ』という返事が来ました。今やってる仕事の本を送ってきてくれて、息子に『こんな本作ってんだって』って言ったら、『おお、すげえ』って。まあ彼の中で父親がどんな人なのか、想像してるんでしょうね。息子宛に送られてきたメールは、そのままプリントアウトして、『読んでみたら』って言って渡しましたが、『思春期たるものこういうもの。誰もが壁にぶつかるもの』とか、説教臭い部分もあるので、読んでるかどうか……」

――まだ再会はしてない?

「実現していません。彼は彼で、会わせもしなかったくせに、こんな状態になってから相談しやがってと思っているかもしれませんし、それだけ時間がたってしまうと、彼の方も、そんなに会いたいという気持ちがないかもしれないですしね。どう思っているのか、またこれから関係がどうなるのかわかりません。だけど、これまでのツケもあって、すごく面倒くさい父子、そして母子関係になってしまうかもしれませんね」

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

堕胎後、無計画に妊娠・結婚した夫とかみあわず3年で離婚【別れた夫にわが子を会わせる?】

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第3回 中村珠美さん(仮名、40歳)前編

「いろいろあって3.11の後、こっちに来ました。昨年、8 年ぶりにようやく、(元夫との)やりとりを再開したばかりです」

 中村珠美さんは中学1年生の息子とともに現在、大阪に住んでいる。彼女が当時小学校入学を間近に控えた息子を連れて、知り合いのいない大阪に移住したのは、福島第一原子力発電所事故の後、東日本に放射性物質が拡散したのを受けてのことだ。当時の中村さんはシングルマザーとなって3年がたっていたころだ。移住後の生活はどうなのか? そもそも、なぜ別れたのか? いろいろと話を伺ってみた。

■新卒で就職した会社のボスとの間の子を堕胎、その後結婚

――結婚に至るまでは、どのように過ごされていたんですか?

「都内の大学に通っている間に編集プロダクションでアルバイトを始め、卒業後、そのままそこに就職しました。いざ働きだすと、ものすごく過酷でした。いかに寝ないでタフにいられるか――みたいな感じ。大衆的な男性誌のコラムを書いたり、アシスタント的な仕事をしたり。とにかく下っ端で、こき使われてました。そこには7年在籍して辞めました。というのも、妊娠したからです。相手に『子どもはいらない』と言われたんですが、私、それ以前に堕ろしたことがあって、そのことにずっと罪悪感を持っていたんです」

――堕胎されたときのお相手は?

「その編プロの代表です。年齢が20歳ぐらい上の、絵に描いたような仕事人間でワーカホリック。部下にはすごく厳しかった。彼がいるとみんな緊張して、シーンとしてるんです。自分の原稿を破られたり、ほかのスタッフが『無能』と罵倒されたりして、身がすくむ思いをするということは何度もありました。だから、付き合ってるときから、あまり喧嘩するっていうのがなくて、関係が全然対等ではなかったんです」

――なぜ、年上のボスとお付き合いをすることになったのですか?

「入社時、私以外ボスも含めて4人の男性社員がおり、女性は私1人だけでした。ほかの男性社員と付き合う可能性があっても、こいつだけはないと思っていたのですが(苦笑)、入社して2カ月くらいで、黙って会社を辞めようと思っていたのを、台湾取材に連れていってくれるというので踏みとどまり、取材が案外楽しかったので、もう少し仕事を続けてみようと思ったのでした。その後、またすぐタイに連れていってくれるということになり、取材だと思ってフィルムをたくさん持っていったのですが、実は単なる旅行で、そこでなんだかそういう関係になってしまい……というわけです。相手が上司だから断れなかったというわけではなく、私が冒険好きなゆえ、“こういうおやじと付き合ったら、人生の勉強になるだろう”という軽い気持ちでした」

――その後、妊娠・出産されたんですよね。そのときのお相手は、別の方ですか?

「いいえ、同じ相手です。妊娠がわかったのを機に、しぶしぶ結婚しました。生まれた子は男の子でした」

――元旦那さんは、女性関係が派手だったりしたんですか?

「スナックの女の子と浮気していたことがありました。『ほかに子どもはいない』と言っているけど、どうでしょうね。ワーカホリックでお金も結構持っていて、お金を持っていないと不安というのかな、持っていることにステータスを見いだしている、そんな人です」

――なぜ仲が悪くなったんですか?

「子どもができてもワーカホリックという彼のスタイルが変わらなかったからです。ずっと仕事をしていて、家には寝に帰ってくるだけ。私があまりにも当てにしなかったから、というのもありますが、育児にしたって協力的ではない。たまに公園に遊びに行ったりとか、あとはお風呂に入れてくれたりしたぐらい。それも週に1回、あるかないかですよ。

 一方、私は180度、生活を変えざるを得なかった。家に1人でこもって育児に追われる毎日。睡眠不足だし、授乳やおむつ替えもしなきゃいけない。子どもの生後7~8カ月のころ、『夜泣きがひどくて、私が全然眠れないの』と彼に話したことがあるんです。そしたら彼、なんて言ったと思います? 『大丈夫大丈夫、(俺は)そんなの全然聞こえなかったから大丈夫だよ。眠れたから』って言ったんです。

 彼は仕事、私は育児と、ずっと平行線でした。関係がものすごく険悪になったり――というのはなかったんですけど、かみ合わない夫との日々の生活に疲れ果て、相手への情がなくなっていきました。それで、『離婚したい』と切り出したら、『お金ないのにどうするの? できないでしょ、子育て』って言われ、何も言い返せなかったんです」

――仕事には復帰されたんですか?

「子どもが1歳のとき、フリーライターとして仕事を再開しました。本当はもっと早く子どもを保育園に入れたかったんですが、3月生まれなので、そうはいきませんでした。都内だと、翌年の4月まで待たなければ入れなかったんです。保活を事前に勉強している人は、計算して5月とかに産んで、早いうちから働けるんですけどね。まったく無計画な妊娠だったので」

――元旦那さんと別れたのはいつですか?

「子どもが3歳のときです。『家を出る』と彼に予告して、息子と2人、すぐ近くに引っ越しました。4月末ごろです。別居親がよく言う“連れ去り”とは違います。追い出されるような感じ。『俺の家にいつまでいるんだ』って言われましたから。北関東の実家に移住しなかったのは、そこだと東京から遠くなり、取材や打ち合わせが難しくなるからです。近所だと、保育園を替わらなくていいですし」

――離婚を決断した理由は何ですか?

「子どもが3歳にもなると、だいぶ手がかからなくなるし、体が強くなって病気で休むことが少なくなる。だったら保育園に預ける時間をもっと延長して、自分1人で働いて育ててっていう一人二役でも大丈夫かなと思ったんです。それとあともうひとつは、とにかく彼との生活が苦しかったからです。子育てを私1人が全面的に請け負うことで、それ以外の仕事や自分のやりたいことなどは何もできない。なのに、なんのバックアップもない。その理由を、すべて彼のせいだと、当時思い込んでいたんです。だから『別れたら、子どもをこんな奴に会わせたくない』って思っていました」

――別れるに当たっての条件は、何か決めていたんですか?

「何もやってなくて、後から離婚後の紛争を起こしたんですよ(苦笑)。養育費を求める調停。お金たくさん持ってるんだから、養育費はたくさん払うべきだと思っていたのに、月いくらとか具体的な条件を考えることすらしなかった。準備もせず、条件も考えなかった。とにかく私は浅はかでした(苦笑)」

――元旦那さんは条件を出してきたんですか?

「『小学校に上がるまでは養育費月5万円、面会は、そのときそのときの双方の都合を聞いて行う。慰謝料はなし』みたいな感じで、細かい条件を提示してきましたね」

――その条件に対して、どんな反応をしたんですか?

「彼が提案した条件を『はい、それでいいです』と私がすべてのんだので、調停は1日で終わりました。それ以上、彼と揉めたくないし、関わりたくなかったんです。日本一、弁護士を輩出している大学の法学部を出ていますから、闘っても勝てるはずがないんですよ」

 彼女と元旦那さんとの関係は、最後の最後まで対等ではなかったのだ。

(後編へつづく)

本当にあった“あなそれ不倫”の恐怖! 同級生LINEで浮気メールが流出して……

 6月20日に最終回を迎えた、連続ドラマ『あなたのことはそれほど』(TBS系)。波瑠演じる主人公・美都(波瑠)が、同級生・有島(劇団EXILE・鈴木伸之)とのダブル不倫に溺れていくドロドロの展開に最後まで目が離せなかった視聴者も多いだろう。

 ドラマのテーマである「同級生との不倫」を、「取り返しのつかない結果になった」と話すのはカズマサさん(仮名・36歳)だ。

 カズマサさんは2年前、地元である名古屋から東京への転勤を命じられた。一人娘は小学校5年生。中学受験を控えているため、カズマサさんは単身で東京へ出向くこととなった。

「妻との仲はあまり良くなかったです。妻は娘の受験でよくヒステリーを起こしていて、家の中に僕の居場所はほとんどありませんでした。受験が終わるまで別々に暮らすのもいいかな、と思いました」

 東京での単身赴任。知り合いを探そうとFacebookに書き込んだところ、中学時代に仲良くしていた女友達が見つかった。連絡を取り、都内に住んでいる同級生を呼んで集まろうとなった。

「当日、女友達が連れてきたのは、僕が知らない同級生の女の子でした。すごくかわいい子で焦りましたね。彼女は独身でしたが、僕は既婚者。口説く勇気もなかったので女友達経由で、後日3人で飲みに行きました。名古屋にいる時は、妻がうるさくて自由に飲みに行けることもなかったのですが、久しぶりに朝まで騒ぎました」

 その日、彼女と連絡先を交換し、徐々に連絡を取るようになったという。

「最初は、『単身赴任中だから飲みに誘ってね』と軽い友達ノリでした。同級生なんだから一緒に飲みに行くくらいは悪くないはず……と罪悪感はありませんでしたね。嫁の悩みを話して彼女がアドバイスしてくれたり……親友のような感じでした。やがて、1人暮らししている彼女の部屋に遊びに行くようになり、自然な流れで関係を持ってしまいました」

 密会を重ねるうち、彼女に好意を抱いていったという。当然、周りには言えるはずがなかった。

「地元とは違えど、どこで知り合いに見られるかわからないので、デートは大体彼女の部屋でした。彼女は最初、何も言わなかったんですが、徐々に『なんでどこも連れてってくれないの?』と不満を漏らすようになりました。僕は『好きだから会えるだけでいいじゃん』と思っていましたが、彼女は相当ストレスを感じていたみたいです」

 ストレスを感じていた彼女に、変化はなかったのだろうか。

「ストレスがたまると体に出ちゃうみたいでしたね。一度、彼女に子どもの写真を見られた時、体調を壊したようで大変でした。そういう子だったから、放っておけなかったのかもしれません」

「ちょうどその頃、僕と妻は最高潮に不仲でした。月に1度は名古屋に帰っていたのですが、顔を合わせるたびに喧嘩していました。しまいには『子どもの受験のストレスになるから、しばらく帰ってこないでほしい』とまで言われましたね」

 この頃から、離婚と彼女との結婚を考え始めたというカズマサさん。しかし、受験を控えた娘のことを思うと、なかなか踏み切れない。

「『娘の受験が終わるまで待ってほしい』と彼女に告げました。妻にも、離婚をほのめかすメールを送りました。しかし妻の返事は『離婚はしません』の一点張りでした」

 話は平行線のままだった。そんな時、電話が鳴った。彼女を紹介した女友達からだった。

「どうやら、悩んだ彼女が思い余って相談したらしいんです。女友達からは『もし彼女と結婚しても、私は祝福できない』と言われ、その時、もし彼女と結婚したら、自分も彼女も二度と地元に帰れないのでは? と思いました。彼女も同じことを言われたようで、2人で話し合った結果、別れることになったんです。彼女には大泣きされましたけど……」

■地元でうわさに……いつバレるか戦々恐々

 あれから彼女は別の男性と結婚して、今も東京で暮らしていると風のうわさで聞いたという。一方、カズマサさんは、任期を終え名古屋に戻ってきたが……。

「戻ってきても何も良いことはありません。その女友達の発信で、同級生の間に僕の不倫話が広まってしまったんです。どうやら、僕が彼女に送ったLINEの内容とかが、同級生のグループLINEで回っていたみたいです。おそらく、彼女が女友達に送ったんでしょうね。彼女の名は伏せられていますが、僕だけ笑い者にされている状態です。女性陣からは非難の目で見られ、男性陣からは腫れ物扱い。しかも、後から聞いた話なんですが、僕と別れた後に、彼女はどうやら子どもができて結婚したみたいなんです。しかも相手は元彼だそうです。なんだか僕のほうがハメられた気分ですよ」

 どうやら、かわいいと思っていた彼女はしたたかな女だったらしい。

「今のところ、妻にはバレてはいませんが、いつバレるかおびえて暮らす日々ですよ。情けない話ですが、子どもが私立中学に合格してくれて本当に良かったです。地元の公立中学校は同級生の子どもも通っていますから……。最近聞いた話なんですが、別れた後に彼女が女友達のページから僕のFacebookを見ていたらしいんですよ。僕はすでに退会しましたが、Facebookには、妻の写真もアカウントをタグ付けして載せていたので、妻の情報も知られてるんじゃないかと……」

 今は、元彼女が地元に戻ってこないことだけを祈っているというカズマサさん。人の口に戸は立てられぬもの。付き合っている時は密にしていても、別れたら話してしまう女もいるのだ。また、当事者間で解決しても、周囲が広めてしまう場合もある。会えば学生時代の気分に戻ってしまう同級生の間では、なおさら、クラスのうわさ話感覚で広まってしまうのかもしれない。同級生との不倫には、思わぬリスクがつきまとうようだ。
(ケミカルT)