「笑顔はいらない」「bis」編集長・中郡暖菜が語る「媚びない女性ファッション誌」の作り方

 大学時代から「小悪魔ageha」(インフォレスト~ネコ・パブリッシング)編集部のアルバイトを経て、2012年に「LARME」(徳間書店)を立ち上げ、弱冠26歳で編集長になった中郡暖菜氏。アイドルの起用や世界観重視の誌面など、それまでの女性ファッション誌にあまり見られなかった大胆な手法で、同誌を創刊1年で発行部数20万部のヒットに導いた。昨年秋に「LARME」編集長を退任し、今年より雑誌「JJ」(光文社)の妹誌である「bis(JJ bis)」の11年ぶりの復刊を手掛け、編集長を務めている。5月25日に発売されたプレ創刊号「bis」の表紙は女優の志田未来が飾り、夢野久作の小説をモチーフにしたフォトストーリーが巻頭特集となっている。明らかに現在の女性誌とは一線を画する作り方だ。

 今後の女性誌カルチャーを担うキーパーソンである彼女は現在の女性誌、女性向けウェブサイトをどう見ているのだろうか?

◎「小悪魔ageha」から脈々と続くギャルマインド

――まず「LARME」を離れ、「bis」復刊に携わるようになった経緯を教えてください。

中郡暖菜氏(以下、中郡) 「LARME」を昨年の秋に辞めてから、いくつかお話をいただいたのですが、以前光文社で本を作ったことがあった経緯があったことと「bis」(当時は「JJ bis」)のことが読者として大好きだったということがあり、「bis」の復刊をやらせていただきたいという話をしまして、今回編集者として新たな挑戦ができることとなりました。また、今まで(出版社に)女性ファッション誌がほかにあるという環境を経験したことがなかったので、女性ファッション誌が強い出版社で、ほかの世代の女性誌の作り方も学びたかったという気持ちもあります。そうじゃないと編集者として続けていけないと感じたからです。

――雑誌ではなくウェブの編集者という選択肢もあったと思います。「bis」はウェブ展開もされていますが、あえて雑誌を作る理由とは?

中郡 まず自分自身が紙の本が好きなんです。あと、私が「LARME」を作ってから5年がたちますが、その間に出てきた若い世代の女性誌がほとんどないんですよね。「LARME」くらいのボリューム感になった雑誌は私が知る限りないと思いますし、むしろどんどん休刊していっている。新しい媒体を作ることのできる編集者、出版社がないということに危機感があり、今作らないと新しい雑誌やカルチャーなんて、この先ずっと生まれないんじゃないかと。

――「LARME」創刊の時も同じような危機感は感じていましたか?

中郡 いいえ。「LARME」立ち上げのきっかけは、本当に個人的なことなんです。母が病気になってしまって、当時は「小悪魔ageha」編集部にいたんですけど、自分の作った本というものを母に見てほしかった。

――つまり「今後ド派手なギャルよりも、ガーリー系がはやる兆しがあった」と流行を察知して作ったわけではない。

中郡 全然違いますね(笑)。

――偶然の産物だったと! それもすごい話ですね。以前在籍していた「小悪魔ageha」は社会現象を起こすほどの「盛り髪」「つけま」「カラコン」なギャル雑誌でした。そこからパステルカラーなガーリー路線の「LARME」になるのは、ギャップがすごいですよね。

中郡 あまりそう見られないのですが、「LARME」も一種のギャルでしたし、私自身もマインドはすごくギャルなんですよ。今でもユーロビート聞いていますし(笑)。「小悪魔ageha」は最先端のギャル雑誌でしたが、正確には「ギャル」と「ヤンキー」のミックスですよね。中條寿子さん(初代編集長)がヤンキー要素のあるギャルだったのですが、私はヤンキー要素が一切なくて特攻服とかバイクに興味がないタイプ。「ホットロード」(集英社)や「チャンプロード」(笠倉出版社)などヤンキーカルチャーの作品をいろいろ貸してくださったのですがいつも「はて?」という感じでした。逆に自分はジーザスディアマンテを着てパラパラを踊っているタイプの姫ギャルだったので、中條さん的には謎に感じていた部分もあったと思うのですが、「小悪魔ageha」ではその両方が受け入れられていました。「ギャル」と「ヤンキー」は似ているようで、きっとまったく別の文化なんですよね。

――「LARME」の特徴としては乃木坂46ら、アイドルの起用も大きかった。女性誌のゲスト的にグラビアというわけでもなく、アイドルから雑誌専属モデルに転向するでもないやり方が、当時は新鮮だったと思います。

中郡 5年前に当時の女の子の「なりたい」と思う人物像を考えた時に、「アイドル」と「ハーフ」と「ギャル」だと思って。その3つの要素を全部入れようと決めたんです。元「Popteen」(角川春樹事務所)モデルの菅野結以ちゃんみたいなギャルの子もいれば、今は「ViVi」(講談社)専属ですがハーフの瑛茉ジャスミンちゃんもいて、乃木坂46の白石麻衣ちゃんもいる。アイドルも含めて全部同じバランスにしたかったんです。

――「ギャル」と「アイドル」は一見相反する要素ですが、誌面は統一感がある。雑誌に登場する女の子に共通点はありますか?

中郡 やっぱり「媚びない」ということでしょうか。

――アイドルの中でも、女子ウケする子を選んでいるように思えます。女の子を選ぶにあたって基準はありますか?

中郡 うーん、どういうふうに見分けているんだろう……? 自分では結構無意識なんですけど。リサーチもしないですし、自分の感覚で「かわいい」というそれだけですね。実は私、アイドルにまったく詳しくなかったんですよ。だから「LARME」創刊の時も、アイドル雑誌についているアイドル一覧表を初めて見て、「“かわいい”」からお願いしたいですと事務所にお伝えしたのが、乃木坂46の白石麻衣ちゃんと元NMB48の渡辺美優紀ちゃんで、お二人にレギュラーモデルになっていただけて。当初は彼女たちがどのくらい人気があるのかも知らずに「かわいい」というただそのインスピレーションだけだったんです。

――「LARME」の創刊号は渡辺麻友(AKB48)さんと白石麻衣さんの表紙ですが、固定ファン、いわゆるオタ層が買うという当て込みも考えてましたか?

中郡 全然考えてなかったです。その頃ちょうど乃木坂がデビューしてすぐのタイミングだったんですが、麻衣ちゃんはまだそんなに前面に出ていたわけではなかったんですよ。とはいえ、その頃から神がかったヴィジュアルだったので、絶対! と思っていました。

 渡辺麻友さんにもご出演していただけたので、かわいらしい雰囲気は残しつつもアイドルの要素が強くなりすぎないように、全体的にどこかギャルっぽさと、ハーフっぽさの要素も入ったものにしたいとは思っていました。いろんな女の子が出ていることを強調する表紙にしたかったので。事務所の方に「(表紙のモデル写真が)小さいですね」と言われたので、そういう点でも珍しかったのかなと思います(笑)。

――雑誌の表紙って、売り上げのために場合によっては読者層やコンセプトとズレたタレントを起用せざるを得ないケースも少なからずあります。コンセプトがズレても売るためには仕方ない、みたいなことも……?

中郡 それはないですね。そこは譲らないです。

――「bis」プレ創刊号の表紙は女優の志田未来さんです。こちらはどういう理由での起用だったのでしょう。

中郡 「bis」のコンセプトとして表紙にも入れてある文言「Lady with the girl’s heart」は、少女の心を持ちながらも大人の女性になっていくという意味で、以前は少女と大人の間で「大人になりたくない」と揺れている感じだったのですが、「bis」は「もう大人だけど、少女の心は忘れていない」という大きな違いがあるんです。その中で志田未来さんがイメージにピッタリで、とてもかわいくて少女的なイメージがあるけれど24歳の大人の女性というところが素敵だなと思って。意外性も考えましたね。ほかと同じようなことをやっても意味がないので。

――「LARME」や「bis」に共通する特徴として笑顔が少ないですよね。

中郡 笑顔は特に好きじゃないんです。今、とあるオーディションの審査員をさせていただいているのですが、応募者5,000人中の2,000人くらいが「チャームポイントは笑顔」って言うんです。笑顔にそんなに力ないよ! と私は思っています(笑)。倍率が高すぎるので、オーディションに出る予定のある方は「笑顔」ってPRするのはやめた方がいいのではないかと!

――確かに、笑顔じゃない表情も魅力的ですよね。中郡さんの中にある美意識を体現できるモデルさんが大事というわけですね。

――雑誌を作る上で一番大事にしていることはなんですか?

中郡 2つでもいいですか(笑)。1つは一冊を通してのバランスというか緩急です。例えば、一冊の雑誌を作る時に一個一個の特集にテーマ曲をつけて、ライブのセットリストみたいに本の流れを考えています。台割表にも曲名を入れて。そうじゃないと1人で考えているからか企画の雰囲気が似ちゃったり、気持ち悪い流れになっちゃったりするんですよ。今回のライブは華やかなアップテンポの曲から始めたい時と、マニアックでダークな曲から始めたい時と、ライブ全体の仕上がりイメージによって構成は変わってくるじゃないですか。それと同じですね。自分が音大出身なのもあるかもしれないですけど、音楽と関連付けていることは多いです。

 もう1つの雑誌を作る上で大事にしていることは「圧倒感」です。人によっては「bis」と「LARME」が近いと感じるかもしれませんが、私的には結構違う要素を入れています。「LARME」も独自の世界観があるので、そういった「LARME」の時に成功したパターンみたいなものはあえて「bis」には入れていないというか。甘さは抜いたつもりです。前と同じようなことをして普通にそれでやればなんとなく数字も読める部分もあるんですけど、平和な本を作る気はないというか。

 独特の個性がない本をいまさら作っても意味がないし、どこかで見たことのある感じの本になったらつまらないですし、そうじゃないと本を作るモチベーションにならない。この時代に本を出すのであれば「圧倒感」みたいなものは大事にしたいです。

――お話を伺っていると、物作りに対するこだわりを感じますね。少し嫌な質問になりますが、商業媒体でやっている限り、雑誌の売り上げは切り離せないじゃないですか。そことの兼ね合いはどうお考えですか?

中郡 もちろんバランスをとりたいと思うけど、数字のことはすごく苦手で、ほとんどわからない。だからとにかく精いっぱいやるしかないんですよね。計算してここまで頑張ろうじゃなくて、計算したくないしできないから限界まで頑張るしかない。限界まで頑張ってダメだったらその時は骨を拾ってください、という感じで。売り上げに関しても、売るためにどうするかみたいなことはあまり考えていないです。発売直前だけはめちゃくちゃ不安になりますが、基本楽観的ですね。

――頭で考えるより、とにかく全力を出すというスタンスにギャルマインドを感じますね。

中郡 あとは、私自身があんまりサブカル人間ではないというか、L’Arc~en~Cielや村上春樹さんが好きな人間なので、ニッチな嗜好ではないと思っていて。そこを突き詰めれば、届く人たちというか、コンサバほどじゃないけどサブカルでもない層は多数派ではないかもしれないけれど、割と大きな分母で存在しているんじゃないかなと思っています。

(後編につづく)

中郡暖菜(なかごおり はるな)
1986年2月10日生まれ、千葉県出身。国立音楽大学卒業。26歳の時に徳間書店史上最年少での編集長就任で「LARME」を創刊し、ヒットへ導いた。2017年より「bis」(光文社)の編集長を務める。
・「bis」オフィシャルサイト

彼のことは嫌いじゃない。友達ならいいが、結婚相手ではなかった【別れた夫にわが子を会わせる?】

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第5回 広瀬ちあきさん(仮名・30代)後編

 2歳年下の男性と、大学を卒業して3年後に、できちゃった結婚した広瀬ちあきさんは、仕事の付き合いと称してキャバクラや風俗に行っていた夫から、経済的DVや言葉のDVを受ける。ある朝、家事も育児もせず遊び歩く夫を問い詰めたところ、足を蹴られたため怖くなり、警察を呼んだ。夫が警察に話す言い分が自分と真逆だったので、法テラスに相談すると、弁護士から「離婚できる」と言われて我に返り、夜逃げしようと決意する。

(前編はこちら)

■週末の夜に彼が遊びに出かけたとき、荷物をトラックで運び出した

――いつ逃げたんですか?

「週末の夜に彼が遊びに出ていったのを確認した瞬間に、『今出て行った。だからお願い、来て』って、友人や親に連絡しました。地元の友達には、私が予約していたレンタカーのトラックで来てもらって、手分けして荷物を積み込んでいきました。運び出した荷物は、洋服だとか、実家から持ってきていたものばかり。大きいものといえば、子どもを乗せられる自転車ぐらい。お金を出し合って買ったものとか、冷蔵庫やたんすなどといった大型の荷物は持ち出さなかった。ケチな彼に“泥棒”と言われたくなかったので。

 3時間後ぐらいでしょうか。荷物を積み終わって、忘れものがないか確認していたとき、上の子が『出ていきたくないの!』って大泣きして、バタバタ暴れ始めたんですよ。上の子からしたら、保育園で新しいお友だちたちと仲良くできるかなって思ってた時期に、急に引っ越すわけです。つらかったと思います。私は『ごめんね』って声をかけて、なだめすかすしかありませんでした」

――彼は、いつ気がついたんですか?

「朝帰りの後だから、翌日の朝です。彼が実家に来ました。ドンドン! って激しくノックされ、『そこにいるんなら開けろ』って叫んでる声が聞こえました。『家に帰ったら誰もいないし、荷物がない』ってことで慌てたんでしょうね。だけど、彼のノックは完全無視です。『弁護士から連絡が行きます。私には連絡しないでください』って一筆置いて家を出ていったので。

 その後、会社にメールや電話が来たりはしました。『嫁に連絡が取れないんだけど、連絡を取ることはできますか?』って。何食わぬ、いい人のふりをしてね。娘たちを通わせていた保育園にも来ていたようで、後日連絡すると、『その後、何回か来たわよ』と保育園の先生に言われました。実家付近で待ち伏せされなかったのが幸いです。

 新しい保育園を見つける暇もなかったので、子どもたちは空いていた託児所に預けました。といいますか、託児所が空いていたから夜逃げしたともいえますね。8時から18時まで。2人合わせて月8万円ほどかかりましたけど、緊急事態だったので背に腹は代えられませんでした」

――別居後は離婚調停になったのですか?

「すべて弁護士さんに手続きをお願いして、月1回。同じ部屋で対面という形でやりました。最初は別の部屋でやっていたんですけど、お互いに言ってることが食い違ってるから、調停委員に言われて、対面で行うことになったんです。

 浮気の証拠とか、金遣いの荒さとか、彼が悪いという証拠はたくさん押さえていたので、弁護士には『確実に勝てる』とは言われていました。

 彼は弁護士を雇わなかったみたいで、知り合いの法律に詳しい人に来てもらってましたね。それで彼、『家族のために、一生懸命頑張ってきただけなんです』という趣旨の話を始めまして、挙げ句の果てには、『頼むから帰ってきてください』って懇願するんですよ。私と担当弁護士は、彼の“演技”を見ても嘘だとわかるんです。だけど、調停委員は彼の言うことを信じてる様子でしたね。しかも、私のことをディスったりは一切しないんです。私が彼のことをディスって感情的になるのとは対照的でした。そんなやりとりでしたからね。調停委員たちの心証は、彼の方が良かったのかも。

 調停はずるずる続きまして、1年半後、不調に終わりました。時間がかかったのは、彼が離婚を頑として認めなかったからです」

――調停の後は、どうしましたか?

「早く離婚したかったので、婚姻費用調停はしていません。絶対払ってくれないってわかってました。それにそもそも、婚姻費用の差し押さえを逃れるためか、離婚調停が始まってすぐ、彼は会社を辞めて、『オレには財産ありません。払えません』って明言してましたから」

――その後、離婚裁判をすることになったんですね。結果はどうなったんですか?

「1回で終わりました。向こうの母親が慰謝料の100万円を用意してくれて、それをもらって、それであっさり決着しました。彼は無職と見なされていたので、養育費は月に2万5,000円で決定です。『子どもに会わせてほしい』という要求は、結局ありませんでした。ただ『引き取る』とは言ってましたね。どうやって育てるつもりだったのかは、わからないですけど」

――裁判が終わった後は?

「メールのやりとりから始まって、彼と連絡を取り合うようになりました。それから、普通に会うようになりまして、あるとき、彼にしれっとお金をせびられてしまったんです。困りましたよ。でも私、そのとき、『どうせ返ってこないけど、別にいいや』って思ってしまって。結局、貸してしまったんです。その後は、『お金貸して』って言われても、さすがに断るようになりましたよ」

――離婚後も、子どもを会わせてはいるんですか?

「会わせてますよ。『遊ぼう』って言ってくるし、子どもたちも『会いたい』って言うので。父と子たちで何をしているかって? キャッチボールするとか勉強教えてあげるとか、一緒に遊ぶとかは、たまにしかありません。いつも、彼の趣味であるお買い物に出掛けるだけです。ただし、だいたいは彼の買い物に付き合わされるだけで、子どもたちがおもちゃなどを買ってもらうことはまれ。そんなときは、帰宅した後、子どもたちは『行き損だったよ』って淡々と言うんですよ。この間も、そう言ってました」

――一緒に旅行に行ったりはしないんですか?

「私は秋になると森へキャンプに行くんですけど、この前、彼をボディガード的に連れて行ったんです。『来る?』ってなんとなく誘ったら、来ました。でも、彼が来ると、彼の分のお金がかかるし、『肉肉肉』とか『焼酎あるか』とか、うるさかったんですよ(笑)。なので、『もう呼ばなくていいよね』って、子どもたちと冗談めかして話してます。別に、来たいなら来てもいいですけど」

――面会することで、普段足りていない父親の存在感をカバーできると思いますか?

「それはないですね。なんで面会するかっていうと、『会おう』って言われるから会ってるだけ。それだけです。『会いたくない』と子どもたちが言ったら会わせない。そこはシンプルに考えています」

――そのほかに、彼との付き合いはあるんですか?

「誘われて、たまに2人で食事に行くこともあります。今でも彼に子どものことで何かと相談をします。結果よければすべてOKの彼は、私とまるで逆。だから、プロセスでぐしゃぐしゃと悩んでるときに、彼に相談すると楽なんですよ」

――ずいぶん大変な目に遭ったのに。失礼ですけど、不思議な関係ですね。

「彼のこと、ひどく言ってますけど、別に嫌いじゃないんですよ。ただ、結婚相手ではなかったということ。一緒に住んだら、ぐちゃぐちゃになる。それじゃ、子どももかわいそう。友達とか元夫という存在ならいいんです」

―――離婚したことは、その後の自分にとってよかったですか?

「別居して離婚が成立した後も、なんで別居しちゃったんだろう? なんで離婚したんだろう? なんで父親から子どもを奪っちゃったんだろう? って、そんな思いに苛まれていて、うーん苦しかったですね。別居後の数年間は、ずっと悩んでいました。だけど、離婚後しばらくして、離婚した理由を自分なりに理解してからは、離婚してもしょうがなかったんだなって思えるようになりました。

 女性1人で子育てをしながら生きていくのは大変です。子育てをしていく上で、男性的な要素が欠けていることで困ったり、稼ぎが不安だったり。あと、ゆくゆく更年期障害になったとき、どうしようかなとか。それでも大正解だったって思いますよ。経済的DVがなくなって楽になりましたし、子どもたちを親に頼んで残業したり、飲みに行ったり、あと今日みたいにインタビューを受けることだってできますから」

――今後、再婚は考えたりしますか?

「どうですかね。そうなったらそうなったで、取りつくろったりせず、正直に子どもと話したいですね。再婚しても会わせるかですか? それも、そのときに子どもたちと話し合って決めればいいかなと思います。子どもの親権を私が持っているので、どうあれ私の方が優位ですし」

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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 2歳年下の男性と、大学を卒業して3年後に、できちゃった結婚した広瀬ちあきさんは、仕事の付き合いと称してキャバクラや風俗に行っていた夫から、経済的DVや言葉のDVを受ける。ある朝、家事も育児もせず遊び歩く夫を問い詰めたところ、足を蹴られたため怖くなり、警察を呼んだ。夫が警察に話す言い分が自分と真逆だったので、法テラスに相談すると、弁護士から「離婚できる」と言われて我に返り、夜逃げしようと決意する。

(前編はこちら)

■週末の夜に彼が遊びに出かけたとき、荷物をトラックで運び出した

――いつ逃げたんですか?

「週末の夜に彼が遊びに出ていったのを確認した瞬間に、『今出て行った。だからお願い、来て』って、友人や親に連絡しました。地元の友達には、私が予約していたレンタカーのトラックで来てもらって、手分けして荷物を積み込んでいきました。運び出した荷物は、洋服だとか、実家から持ってきていたものばかり。大きいものといえば、子どもを乗せられる自転車ぐらい。お金を出し合って買ったものとか、冷蔵庫やたんすなどといった大型の荷物は持ち出さなかった。ケチな彼に“泥棒”と言われたくなかったので。

 3時間後ぐらいでしょうか。荷物を積み終わって、忘れものがないか確認していたとき、上の子が『出ていきたくないの!』って大泣きして、バタバタ暴れ始めたんですよ。上の子からしたら、保育園で新しいお友だちたちと仲良くできるかなって思ってた時期に、急に引っ越すわけです。つらかったと思います。私は『ごめんね』って声をかけて、なだめすかすしかありませんでした」

――彼は、いつ気がついたんですか?

「朝帰りの後だから、翌日の朝です。彼が実家に来ました。ドンドン! って激しくノックされ、『そこにいるんなら開けろ』って叫んでる声が聞こえました。『家に帰ったら誰もいないし、荷物がない』ってことで慌てたんでしょうね。だけど、彼のノックは完全無視です。『弁護士から連絡が行きます。私には連絡しないでください』って一筆置いて家を出ていったので。

 その後、会社にメールや電話が来たりはしました。『嫁に連絡が取れないんだけど、連絡を取ることはできますか?』って。何食わぬ、いい人のふりをしてね。娘たちを通わせていた保育園にも来ていたようで、後日連絡すると、『その後、何回か来たわよ』と保育園の先生に言われました。実家付近で待ち伏せされなかったのが幸いです。

 新しい保育園を見つける暇もなかったので、子どもたちは空いていた託児所に預けました。といいますか、託児所が空いていたから夜逃げしたともいえますね。8時から18時まで。2人合わせて月8万円ほどかかりましたけど、緊急事態だったので背に腹は代えられませんでした」

――別居後は離婚調停になったのですか?

「すべて弁護士さんに手続きをお願いして、月1回。同じ部屋で対面という形でやりました。最初は別の部屋でやっていたんですけど、お互いに言ってることが食い違ってるから、調停委員に言われて、対面で行うことになったんです。

 浮気の証拠とか、金遣いの荒さとか、彼が悪いという証拠はたくさん押さえていたので、弁護士には『確実に勝てる』とは言われていました。

 彼は弁護士を雇わなかったみたいで、知り合いの法律に詳しい人に来てもらってましたね。それで彼、『家族のために、一生懸命頑張ってきただけなんです』という趣旨の話を始めまして、挙げ句の果てには、『頼むから帰ってきてください』って懇願するんですよ。私と担当弁護士は、彼の“演技”を見ても嘘だとわかるんです。だけど、調停委員は彼の言うことを信じてる様子でしたね。しかも、私のことをディスったりは一切しないんです。私が彼のことをディスって感情的になるのとは対照的でした。そんなやりとりでしたからね。調停委員たちの心証は、彼の方が良かったのかも。

 調停はずるずる続きまして、1年半後、不調に終わりました。時間がかかったのは、彼が離婚を頑として認めなかったからです」

――調停の後は、どうしましたか?

「早く離婚したかったので、婚姻費用調停はしていません。絶対払ってくれないってわかってました。それにそもそも、婚姻費用の差し押さえを逃れるためか、離婚調停が始まってすぐ、彼は会社を辞めて、『オレには財産ありません。払えません』って明言してましたから」

――その後、離婚裁判をすることになったんですね。結果はどうなったんですか?

「1回で終わりました。向こうの母親が慰謝料の100万円を用意してくれて、それをもらって、それであっさり決着しました。彼は無職と見なされていたので、養育費は月に2万5,000円で決定です。『子どもに会わせてほしい』という要求は、結局ありませんでした。ただ『引き取る』とは言ってましたね。どうやって育てるつもりだったのかは、わからないですけど」

――裁判が終わった後は?

「メールのやりとりから始まって、彼と連絡を取り合うようになりました。それから、普通に会うようになりまして、あるとき、彼にしれっとお金をせびられてしまったんです。困りましたよ。でも私、そのとき、『どうせ返ってこないけど、別にいいや』って思ってしまって。結局、貸してしまったんです。その後は、『お金貸して』って言われても、さすがに断るようになりましたよ」

――離婚後も、子どもを会わせてはいるんですか?

「会わせてますよ。『遊ぼう』って言ってくるし、子どもたちも『会いたい』って言うので。父と子たちで何をしているかって? キャッチボールするとか勉強教えてあげるとか、一緒に遊ぶとかは、たまにしかありません。いつも、彼の趣味であるお買い物に出掛けるだけです。ただし、だいたいは彼の買い物に付き合わされるだけで、子どもたちがおもちゃなどを買ってもらうことはまれ。そんなときは、帰宅した後、子どもたちは『行き損だったよ』って淡々と言うんですよ。この間も、そう言ってました」

――一緒に旅行に行ったりはしないんですか?

「私は秋になると森へキャンプに行くんですけど、この前、彼をボディガード的に連れて行ったんです。『来る?』ってなんとなく誘ったら、来ました。でも、彼が来ると、彼の分のお金がかかるし、『肉肉肉』とか『焼酎あるか』とか、うるさかったんですよ(笑)。なので、『もう呼ばなくていいよね』って、子どもたちと冗談めかして話してます。別に、来たいなら来てもいいですけど」

――面会することで、普段足りていない父親の存在感をカバーできると思いますか?

「それはないですね。なんで面会するかっていうと、『会おう』って言われるから会ってるだけ。それだけです。『会いたくない』と子どもたちが言ったら会わせない。そこはシンプルに考えています」

――そのほかに、彼との付き合いはあるんですか?

「誘われて、たまに2人で食事に行くこともあります。今でも彼に子どものことで何かと相談をします。結果よければすべてOKの彼は、私とまるで逆。だから、プロセスでぐしゃぐしゃと悩んでるときに、彼に相談すると楽なんですよ」

――ずいぶん大変な目に遭ったのに。失礼ですけど、不思議な関係ですね。

「彼のこと、ひどく言ってますけど、別に嫌いじゃないんですよ。ただ、結婚相手ではなかったということ。一緒に住んだら、ぐちゃぐちゃになる。それじゃ、子どももかわいそう。友達とか元夫という存在ならいいんです」

―――離婚したことは、その後の自分にとってよかったですか?

「別居して離婚が成立した後も、なんで別居しちゃったんだろう? なんで離婚したんだろう? なんで父親から子どもを奪っちゃったんだろう? って、そんな思いに苛まれていて、うーん苦しかったですね。別居後の数年間は、ずっと悩んでいました。だけど、離婚後しばらくして、離婚した理由を自分なりに理解してからは、離婚してもしょうがなかったんだなって思えるようになりました。

 女性1人で子育てをしながら生きていくのは大変です。子育てをしていく上で、男性的な要素が欠けていることで困ったり、稼ぎが不安だったり。あと、ゆくゆく更年期障害になったとき、どうしようかなとか。それでも大正解だったって思いますよ。経済的DVがなくなって楽になりましたし、子どもたちを親に頼んで残業したり、飲みに行ったり、あと今日みたいにインタビューを受けることだってできますから」

――今後、再婚は考えたりしますか?

「どうですかね。そうなったらそうなったで、取りつくろったりせず、正直に子どもと話したいですね。再婚しても会わせるかですか? それも、そのときに子どもたちと話し合って決めればいいかなと思います。子どもの親権を私が持っているので、どうあれ私の方が優位ですし」

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

デキ婚の夫は家庭を顧みず女遊び。蹴られた恐怖で夜逃げを決意【別れた夫にわが子を会わせる?】

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第5回 広瀬ちあきさん(仮名・30代)前編

「取っ組み合いのけんかをしたり、すさまじい罵倒をし合ったり。そこまで私の醜いところを見せた人って、今までの人生の中で彼しかいない。だからこそ、ある意味安心して会える人なんです。戦友というか、出来の悪い弟というか。彼と結婚したのは、大学を卒業して3年目のこと。デキ婚でした」

 理系の派遣会社で働いているという広瀬ちあきさんは、埼玉県にある実家に住み、10代前半の子ども2人を育てている。小柄でてきぱきとして、それでいておしゃれな女性という広瀬さんの第一印象からは想像がつかない夫婦生活が、かつてはあった。

■双方の親が仲違い、結婚式もせず、出産直前に入籍

――お相手の方は同僚ですか? どこで知り合われたんですか?

「2歳下の彼と知り合ったのは、私が就職した年のことでした。女子会に乱入してきた男子たち、その一人が彼でした。そんな初対面ですからね、邪魔くさいな、というのが第一印象(笑)。有名人で似てるのは、嵐の二宮和也くんかな。気がつけば付き合っていて、毎週末を2人きりで過ごすようになりました」

――そのまま関係は続いたんですか?

「はい。彼も社会人になりました。営業職として入社して1年目で年収600万円。すごく口がうまいので、全国トップの成績だったとか。

 そんな折、デキてしまったんです。勢いとか若気の至りと言われればそれまでですけどね。そこで口を挟んできたのが、彼の母親です。『堕ろして』と私に直接は言ってこないですけど、『結婚するな』と彼にずっと言ってたようです。そんな意向は無視して、2人で出産と同棲を決めました。住んだのは私の実家のある埼玉。彼は当初、嫌がっていましたけど、最後は折れてくれました。

 問題は、双方の親の仲たがいです。うちの親が『娘さん孕ませてすみません、って挨拶があってしかりなのに、そういうのが一切ない』と言えば、彼の母親は『関わりたくない』って言うんです。そんな感じでこじれてしまって。関係はぐちゃぐちゃです」

――それで、出産はどうなったんですか?

「出産の1カ月前ぐらいで産休に入りました。未婚の母になるつもりはなかったので、『籍を入れなきゃ、一生あなたと会わない!』って強く言ったところ、生まれる2日前になって、ようやく籍を入れてくれました。そんなドタバタですから、結婚式どころではなかった。結局やらずじまいです。

 出産日は大幅に遅れました。予定日から6日待っても、まだ出てこなくて。陣痛促進剤やバルーン[筆者注:子宮収縮を促す器具。風船状のゴム球を膣から挿入して使用する]を使って産むことになりました。今思えば難産でした。いきんでるうちに、気分が悪くなって嘔吐してしまったんです。時間的には大したことがなかったんでしょうけど、産み終わったときには精根尽き果てていました。彼は立ち会わなかった。というか、連絡しそびれて……」

――出産後は、どのような生活だったんですか?

「(産褥期は)実家で1カ月ほど過ごしました。回復が遅く、1カ月を過ぎても、ヨタヨタしていたんです。産着などのベビー用品は、生まれる前に最低限、自分で買ってあったり、生まれてから親に買ってきてもらったり。出産するまでは籍入れる入れないでもめてたので、『しっかり選んで』とか『備えなきゃ』とか、それどころじゃなかったんです。その間、彼は1人暮らし。親子3人で住むために、先に都内にマンションを借りて、そこに住み始めていました。実家へ娘を見に来たかって? いいえ、一度も来ませんよ」

――マンションで同居し始めてからの生活は、どうでしたか?

「彼は娘を風呂にも入れないし、おむつも替えない。家事もしない。その代わり、家事や育児に何も口出しをしないので、それはそれで文句はありませんでした。でも、彼は仕事の付き合いと称して、キャバクラや風俗に行ってましたね。それで私が『なんでそんなところ行くのよ』って問い詰めると、『事務をする子をスカウトするためなんだよ』とか、もっともらしい理由を言われて、丸め込まれちゃうんですよ。でも、店外デートまでする必要ないですよね」

――家計はどうだったんですか?

「家計は最低限、光熱費とマンションの家賃だとかは彼の口座から全部引き落とし。私が負担したのは食費ぐらいですかね。育児休暇手当があったので、食事と子どものもの、あとは病院代とかを賄ってました。

 彼の手取りは、確か35万円ぐらい。遊びすぎてカードローン20万円分ぐらいを滞納し、ボーナスで返すとか。そういう自転車操業。経済的DVっていうんですか。そういうことはしょっちゅうでした。ケンカの後、財布のお金を全部没収されて、『お金がないから、ご飯が買えない。どうしよう』って泣きの電話を実家にかけたりとかね。お金を没収する目的? 私が彼に愛想をつかして逃げ出すのを防ぎたかったんでしょ。

 対抗策として、引き出しとかに小分けにしてお金を保管してました。子どもが倒れて病院行かなくちゃいけなくなったりしても、お金がなければタクシーに乗れないじゃないですか」

――そんなことをされて、よく一緒にいましたね。

「いや、だからこそ2人目ができたのかも。『子どもが増えれば、もっと出歩きにくいだろう』『お金がかかるから、おまえは友達とも会えないだろう』みたいな。彼にとって子どもは、私をつなぎ留めておくだけの道具ですね。もちろん、子どもが2人になったからといって、彼は育児をするわけでもなく、相変わらず、好き放題遊んでましたけどね」

――暴力とか子どもへの虐待っていうのは、なかったんですか?

「私にしても、子どもにしても、思い切り怒鳴りつけられる、ということがありました。彼は外で酒を飲んでのトラブルをたくさん経験しているので、私たちに決して手は出さないんです。だから言葉ですね。でも、言葉のDVって証拠を取りにくいから、難しいですよ。録音をするにしても、いつ怒鳴られるかわからないし、録音しててばれたら、逆上して何をされるかわからない。だから、ほんとは殴ってもらって、診断書を取りたかったですね。実際殴られたらつらいでしょうけどね」

――別居のきっかけは、何だったんでしょうか?

「彼が朝帰りしてシャワーを浴びていた隙を縫って、財布の中を見たんです。レシートにカクテルの名前が書いてあって、また女と遊んでるなってピンときた。それで、カチンときて、彼が出勤前なのに、つい言っちゃったんですよ。『財布を見たわよ』って。すると『なんで出勤するタイミングで言うんだよ』ってキレられました。

 怖いと思って、とっさにそのとき、保育園の年中さんだった上の子を抱えたところ、軽くなんですけど、私は足を蹴られました。上の子はおびえてました。下の子は、そのときまだ言葉の話せない乳児だったので、その辺で寝てても大丈夫でした。

 怖くて私、たまらず110番したんです。駆けつけた警察官に、双方分かれて事情を話すんです。ところがその後『奥さんね、旦那さんの言ってることが、奥さんの言ってることと全然違うよ』みたいなことを言われたのかな。それこそ『嫁が蹴ってきた』ぐらいの、間逆のことを。すぐ後に、法テラス(無料法律相談窓口)に相談しました」

――弁護士に相談してから、どうなったんですか?

「事情を話したところ、『それ離婚できるわよ』って言われて、ハッとしたんです。それまで私、彼に洗脳されてたんですね。当時は『彼がダメなのは私のせい』だとか、『彼が怒るのは、私がこんな女だから』だとか考えてました。また、あまり自由に外に出してもらえなかったからか、さらに世界が狭くなって、一般常識がわからなくなってましたし。

 だけど、弁護士にそう言われて、ふっと我に返ったというか、『よし、夜逃げしてやろう』と思い立ったんです。警察が来てから逃げるまでは2週間。期間が短かったので、子どもを預けられる施設を探すので精いっぱいでした」

(後編へ続く)

デキ婚の夫は家庭を顧みず女遊び。蹴られた恐怖で夜逃げを決意【別れた夫にわが子を会わせる?】

OLYMPUS DIGITAL CAMERAわが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第5回 広瀬ちあきさん(仮名・30代)前編

「取っ組み合いのけんかをしたり、すさまじい罵倒をし合ったり。そこまで私の醜いところを見せた人って、今までの人生の中で彼しかいない。だからこそ、ある意味安心して会える人なんです。戦友というか、出来の悪い弟というか。彼と結婚したのは、大学を卒業して3年目のこと。デキ婚でした」

 理系の派遣会社で働いているという広瀬ちあきさんは、埼玉県にある実家に住み、10代前半の子ども2人を育てている。小柄でてきぱきとして、それでいておしゃれな女性という広瀬さんの第一印象からは想像がつかない夫婦生活が、かつてはあった。

■双方の親が仲違い、結婚式もせず、出産直前に入籍

――お相手の方は同僚ですか? どこで知り合われたんですか?

「2歳下の彼と知り合ったのは、私が就職した年のことでした。女子会に乱入してきた男子たち、その一人が彼でした。そんな初対面ですからね、邪魔くさいな、というのが第一印象(笑)。有名人で似てるのは、嵐の二宮和也くんかな。気がつけば付き合っていて、毎週末を2人きりで過ごすようになりました」

――そのまま関係は続いたんですか?

「はい。彼も社会人になりました。営業職として入社して1年目で年収600万円。すごく口がうまいので、全国トップの成績だったとか。

 そんな折、デキてしまったんです。勢いとか若気の至りと言われればそれまでですけどね。そこで口を挟んできたのが、彼の母親です。『堕ろして』と私に直接は言ってこないですけど、『結婚するな』と彼にずっと言ってたようです。そんな意向は無視して、2人で出産と同棲を決めました。住んだのは私の実家のある埼玉。彼は当初、嫌がっていましたけど、最後は折れてくれました。

 問題は、双方の親の仲たがいです。うちの親が『娘さん孕ませてすみません、って挨拶があってしかりなのに、そういうのが一切ない』と言えば、彼の母親は『関わりたくない』って言うんです。そんな感じでこじれてしまって。関係はぐちゃぐちゃです」

――それで、出産はどうなったんですか?

「出産の1カ月前ぐらいで産休に入りました。未婚の母になるつもりはなかったので、『籍を入れなきゃ、一生あなたと会わない!』って強く言ったところ、生まれる2日前になって、ようやく籍を入れてくれました。そんなドタバタですから、結婚式どころではなかった。結局やらずじまいです。

 出産日は大幅に遅れました。予定日から6日待っても、まだ出てこなくて。陣痛促進剤やバルーン[筆者注:子宮収縮を促す器具。風船状のゴム球を膣から挿入して使用する]を使って産むことになりました。今思えば難産でした。いきんでるうちに、気分が悪くなって嘔吐してしまったんです。時間的には大したことがなかったんでしょうけど、産み終わったときには精根尽き果てていました。彼は立ち会わなかった。というか、連絡しそびれて……」

――出産後は、どのような生活だったんですか?

「(産褥期は)実家で1カ月ほど過ごしました。回復が遅く、1カ月を過ぎても、ヨタヨタしていたんです。産着などのベビー用品は、生まれる前に最低限、自分で買ってあったり、生まれてから親に買ってきてもらったり。出産するまでは籍入れる入れないでもめてたので、『しっかり選んで』とか『備えなきゃ』とか、それどころじゃなかったんです。その間、彼は1人暮らし。親子3人で住むために、先に都内にマンションを借りて、そこに住み始めていました。実家へ娘を見に来たかって? いいえ、一度も来ませんよ」

――マンションで同居し始めてからの生活は、どうでしたか?

「彼は娘を風呂にも入れないし、おむつも替えない。家事もしない。その代わり、家事や育児に何も口出しをしないので、それはそれで文句はありませんでした。でも、彼は仕事の付き合いと称して、キャバクラや風俗に行ってましたね。それで私が『なんでそんなところ行くのよ』って問い詰めると、『事務をする子をスカウトするためなんだよ』とか、もっともらしい理由を言われて、丸め込まれちゃうんですよ。でも、店外デートまでする必要ないですよね」

――家計はどうだったんですか?

「家計は最低限、光熱費とマンションの家賃だとかは彼の口座から全部引き落とし。私が負担したのは食費ぐらいですかね。育児休暇手当があったので、食事と子どものもの、あとは病院代とかを賄ってました。

 彼の手取りは、確か35万円ぐらい。遊びすぎてカードローン20万円分ぐらいを滞納し、ボーナスで返すとか。そういう自転車操業。経済的DVっていうんですか。そういうことはしょっちゅうでした。ケンカの後、財布のお金を全部没収されて、『お金がないから、ご飯が買えない。どうしよう』って泣きの電話を実家にかけたりとかね。お金を没収する目的? 私が彼に愛想をつかして逃げ出すのを防ぎたかったんでしょ。

 対抗策として、引き出しとかに小分けにしてお金を保管してました。子どもが倒れて病院行かなくちゃいけなくなったりしても、お金がなければタクシーに乗れないじゃないですか」

――そんなことをされて、よく一緒にいましたね。

「いや、だからこそ2人目ができたのかも。『子どもが増えれば、もっと出歩きにくいだろう』『お金がかかるから、おまえは友達とも会えないだろう』みたいな。彼にとって子どもは、私をつなぎ留めておくだけの道具ですね。もちろん、子どもが2人になったからといって、彼は育児をするわけでもなく、相変わらず、好き放題遊んでましたけどね」

――暴力とか子どもへの虐待っていうのは、なかったんですか?

「私にしても、子どもにしても、思い切り怒鳴りつけられる、ということがありました。彼は外で酒を飲んでのトラブルをたくさん経験しているので、私たちに決して手は出さないんです。だから言葉ですね。でも、言葉のDVって証拠を取りにくいから、難しいですよ。録音をするにしても、いつ怒鳴られるかわからないし、録音しててばれたら、逆上して何をされるかわからない。だから、ほんとは殴ってもらって、診断書を取りたかったですね。実際殴られたらつらいでしょうけどね」

――別居のきっかけは、何だったんでしょうか?

「彼が朝帰りしてシャワーを浴びていた隙を縫って、財布の中を見たんです。レシートにカクテルの名前が書いてあって、また女と遊んでるなってピンときた。それで、カチンときて、彼が出勤前なのに、つい言っちゃったんですよ。『財布を見たわよ』って。すると『なんで出勤するタイミングで言うんだよ』ってキレられました。

 怖いと思って、とっさにそのとき、保育園の年中さんだった上の子を抱えたところ、軽くなんですけど、私は足を蹴られました。上の子はおびえてました。下の子は、そのときまだ言葉の話せない乳児だったので、その辺で寝てても大丈夫でした。

 怖くて私、たまらず110番したんです。駆けつけた警察官に、双方分かれて事情を話すんです。ところがその後『奥さんね、旦那さんの言ってることが、奥さんの言ってることと全然違うよ』みたいなことを言われたのかな。それこそ『嫁が蹴ってきた』ぐらいの、間逆のことを。すぐ後に、法テラス(無料法律相談窓口)に相談しました」

――弁護士に相談してから、どうなったんですか?

「事情を話したところ、『それ離婚できるわよ』って言われて、ハッとしたんです。それまで私、彼に洗脳されてたんですね。当時は『彼がダメなのは私のせい』だとか、『彼が怒るのは、私がこんな女だから』だとか考えてました。また、あまり自由に外に出してもらえなかったからか、さらに世界が狭くなって、一般常識がわからなくなってましたし。

 だけど、弁護士にそう言われて、ふっと我に返ったというか、『よし、夜逃げしてやろう』と思い立ったんです。警察が来てから逃げるまでは2週間。期間が短かったので、子どもを預けられる施設を探すので精いっぱいでした」

(後編へ続く)

「山口敬之レイプ疑惑」に新たな事実も!? 東京新聞・望月衣塑子記者が語る、報道の裏側

 現在、女性の新聞記者は増えてきたものの、その割合は全体の2〜3割程度だという。男性ばかりの環境で、積極的に相手に食い込んで取材をしていると話題の東京新聞社会部記者、望月衣塑子さんに、今の政権やメディアの問題点を聞いた。

(前編はこちら)

■日本のマスコミは、なぜ詩織さん事件について騒がないのか?

――元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に「レイプされた」として、ジャーナリストの詩織さんが被害届を出した件についても、裏で安倍政権が山口氏のために動いている疑惑があるとも聞きますが、どうなのでしょうか?

望月衣塑子さん(以下、望月) どういう過程でなぜ、逮捕が取りやめになったのか、その経緯は、まだはっきりわかりません。詩織さんのお話では、2人が出会ったのは、2015年3月末、詩織さんが働いているバーに山口氏がお客として来たことがあったようです。翌日、山口氏は詩織さん、TBSのNY支局員とともに食事をします。詩織さんは当時、フリーランスとなって仕事を始めるかTBSで働くかで悩んでおり、山口氏にTBSのワシントン支局で仕事ができないかという相談をしています。その後、山口氏と詩織さんは東京・恵比寿にある2軒のレストランで会食をした後、詩織さんが意識を失い、気付いた時には、ホテルで「レイプをされていた」と訴えています。詩織さん自身は、非常にお酒が強く、取材時に同席されていた友人の話でも、「ワインを2人で何本空けても、詩織さんが酔いつぶれたのは見たことがない」というのです。詩織さんは、「これで就職が決まるかどうかという面接も含んだような飲食の席で、緊張しているのに、大量にお酒を飲み、吐くまで泥酔するということ自体できない」とも話していました。

 また、関係者に取材したところ、事件が起きた日に山口氏と詩織さんが訪れたレストランは、山口氏のお父さんも愛用している「値段のないレストラン」だったそうです。山口氏のお父さんは、有名な元野球選手の顧問弁護士などもやられている方だと聞いています。

 そして、逮捕状が出て執行される予定だった15年6月8日、詩織さんの担当警察官は成田空港の出口で山口氏が降り立つのを待っていたところ、「逮捕はするな」という指示を受けました。TBSの元ワシントン支局長が逮捕されるということで、高輪署、警視庁の捜査一課、広報課にも根回していたにもかかわらずです。逮捕は見送られ、任意での聴取となりました。任意の聴取になった契機は、当時、警視庁の刑事部長だった中村格氏が「山口氏の身柄を取るな」と指示したとされており、「週刊新潮」(新潮社)の取材に中村氏は「(逮捕の必要がないと)私が判断した」と話しています。

――そうしたことを、詩織さんが顔や実名を出して訴えたのは、大きなリスクを伴いますし、非常に勇気ある行動だと思いました。

望月 そもそも詩織さんの事件は、山口氏が当時TBSワシントン支局長でありながら、「週刊文春」(文藝春秋)に「ベトナムに韓国軍の慰安所があった」という内容の記事を書いたため、会社から日本に呼び戻された際に起きています。山口氏は4月23日に支局長を解任されて営業に異動、その後、自ら会社を辞めています。警察も初めは「TBSワシントン支局長が相手では難しい」「準強姦(ごうかん)罪は動画がないと起訴は難しい」などと、被害届を受けたがらなかったらしいのですが、山口氏が営業に異動になった後、詩織さんや彼女の友人の供述や、タクシーのドライバーの証言、ホテルの防犯カメラに映っていた詩織さんが山口氏に引きずられているように見える動画などの証拠が集まるようになり、捜査が本格化していったそうです。

 詩織さんは準強姦罪の不起訴不当を訴え続けていますが、ジャーナリストとして活動するために、検察審査会に訴えたわけではないと言います。本来は、フリーランスのジャーナリストとしてやっていきたいのですが、この問題で自分が実名で声を上げずに示談で済ませてしまったら、ほかの性被害者の人がもっともっと声を上げにくいような世の中になってしまうのではないかと思ったそうです。一時期は、性被害者の団体に入って、そこの団体をサポートしようとも考えたそうなのですが、やはり日本の社会や法律を変えるために、自分が実名で出ていくことを選んだのだと思います。彼女は、市井の被害者ですが、戦っている相手のバックには、山口氏がかつて深く食い込んでいた安倍首相はじめ、強力な安倍政権があると感じており、権力を敵に回すのはとても恐ろしいはずです。28歳の女性にその覚悟ができるのは本当にすごいことで、かなりの覚悟と勇気が必要だったでしょう。しかし、話を聞くほど、彼女には自分のこと以上に、社会を変えていきたいという使命感のようなものが強くあると感じました。

 一方、山口氏は、詩織さんの実名告発会見を受けて、フェイスブック上で「私は法に触れる事は一切していません。ですから、一昨年の6月以降当局の調査に誠心誠意対応しました。当該女性が今回会見で主張した論点も含め、1年余りにわたる証拠に基づいた精密な調査が行われ、結果として不起訴という結論が出ました。よって私は容疑者でも被疑者でもありません。もちろん、不起訴処分の当事者は皆、検察審査会に不服申立する権利を有していますから、申立が行われたのであれば、私は今まで通り誠心誠意対応します」と反論しています。

 事件に関し、先日「ニューヨーク・タイムズ」の記者と話したところ、「アメリカだと、このような事件は政権が崩れるほどの超政治問題になるのに、日本のマスコミはなぜ騒がないのか」と、何度も何度も繰り返し質問されました。加計学園の疑惑はテレビで扱っていますが、詩織さんの場合は日本テレビ以外のテレビ局では、ほぼ放映されていません。取り上げない大きな理由のひとつには、一度不起訴になった人はたくさんいるので、なぜ、あえてこの件を取り上げるのかという指摘があり、新聞で書くにも壁があるのは確かです 

 しかし、この件に関しては、複数の国会議員が疑問視しており、今後、国会の場なども含めて議題として取り上げられ、新たな事実が浮き彫りになってくる可能性もあります。

――取材対象である政治家には男性が多い中、女性だからやりづらいと感じたことはありますか?

望月 体力勝負になるところやセクハラ的なものがあるなど、大変さもありますが、基本的には女性も男性も「これを取材したい」「報じなければいけないと」いう思いでは同じだと思います。ただ、どちらかというと女性だからグイグイいける、女性の方が単刀直入に聞いていけるのかなと思うことはあります。例えば、菅官房長官の会見だと、普段から菅さんと付き合いのある記者さんたちは「あまりご乱心させてはいけない」と気に掛けている面もあると思うのですが、私にはそのような配慮は、付き合いがないからこそ、ありません。毎日取材で顔を見せて会っていたら、私のようには、なかなか追及しづらいのだと思います。人それぞれですが、男性でガンガンストレートに聞く人は少ない印象です。でも稲田朋美防衛相の失言時は、防衛記者クラブでの質問は、男性記者がかなり執拗に追及していたと感じました。官邸の会見でも「ジャパンタイムズ」の男性記者は問題だと感じた場合、「それおかしいでしょ!」とストレートに怒りをぶつけていました。

――「菅官房長官が警察組織を使って、望月さんの身辺調査をするよう命じた」という報道もありましたが、実際に危険な目に遭ったりはしていませんか?

望月 疑惑について次々に質問を重ねているので、何か動きがあるのかもしれませんが、目に見える形にはなっていないので、今のところ危険な目には遭っていません。目立つと、やはり危ないことに巻き込まれる可能性は出てくるとは思っていますが、前川さんや詩織さんの話を聞くにつけ、私でなくても結局、誰かが声を上げなければいけなかったのではと思っています。日本の政治や社会を作っていくのは、政治家ではなく、私たち国民の意識なのだということを改めて認識していく必要があると思っています。

――新聞記者として、今後はどのような報道をしていきたいですか?

望月 加計疑惑をみると、現状は、官邸・内閣府と文科省の双方が「言った」「言わない」の議論に陥っているかのように見えますが、現時点で「加計ありきで進んでいたのではないか」という国民の疑念に対し、政府は納得のいく説明や客観的な資料をまったく示せていません。報道によって、政府がどのように何を説明でき、何を説明できていないのか、これを繰り返し繰り返し紙面やSNSなどを通じて、有権者である国民に伝えないといけないと感じています。

 06年の第一次安倍政権時に教育基本法が改正され、「愛国心」や「伝統」「公共の精神」が盛り込まれ、ナショナリズムが喚起される方向に変わったように思います。私が取材している武器輸出の問題でも、第二次安倍政権の閣議決定により、武器を他国に売らない国から、武器を売って稼ぐ国づくりへ大きく転換させようとしていることが見えてきます。

 2年前に筑波大学の学生新聞が行ったアンケート調査では、軍事研究賛成派の学生が反対派を上回ったという結果が出ています。筑波大はどちらかというと政府系の研究所やシンクタンクが多いということもありますが、そのような結果が出たのは衝撃的でした。今年になって、日本の科学者を代表する団体である「日本学術会議」で、軍事研究を禁止する1950年・67年の声明を継承していくとする決定が出たことを受け、同大の永田恭介学長は「軍事研究を禁止するルールを作っていく。学生とは一から議論していきたい」と会見で発表しました。NHKで一部報道されていましたが、名古屋大の大学院生らの中には「(実際の)戦争が起こらないのであれば、助成金をもらっていてもよいのではないか」「国防のためには軍事研究は必要だ」と言う学生もいたそうです。

 私が子どもの頃は、戦争の悲惨さを訴える番組がよく放送されていた記憶があります。でも、戦争を経験した世代が亡くなり、戦争の記憶が生々しく語り継がれていく機会が減っているという現状があります。今の若い学生さんほど、戦争に対するリアリティを持てないのでしょう。世代間の差が見えます。ここをどう埋めていけるか、戦争の記憶を引き継いだ私たち大人に課された課題だとも感じています。

 国民は身の回りの生活が干上がってくると政治に怒りを持つけれど、自分たちの周りが豊かなうちは、ちょっとくらい国の方向性が右や左にそれようが、実感としてはよくわからないのかもしれません。日本経済団体連合会(経団連)に属する大手企業の幹部たちも、話を聞くと、みんながみんな安倍首相の国家観がよいと思っているわけではないことがわかります。ただ、経済効果を数字で出し、株価を維持することが大切だと考える経営者は多く、富の格差が広がっていることは明らかですが、今は有効求人倍率の数字などは良く、経済成長が大きく後退しているようには見えないので、今の政権に対して経済界も妥協しているのかなと、取材していて実感します。でも、この国の形をつくるのは、私たちの民意です。今の政権の抱えている問題点について、一人でも多くの人たちに考える契機を持ってもらえるよう願っています。
(姫野ケイ)

望月衣塑子(もちづき・いそこ)
1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。また09年には足利事件の再審開始決定をスクープする。東京地裁・高裁での裁判担当、経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出、軍学共同などをテーマに取材している。二児の母。趣味は子どもと遊ぶこと。

「山口敬之レイプ疑惑」に新たな事実も!? 東京新聞・望月衣塑子記者が語る、報道の裏側

 現在、女性の新聞記者は増えてきたものの、その割合は全体の2〜3割程度だという。男性ばかりの環境で、積極的に相手に食い込んで取材をしていると話題の東京新聞社会部記者、望月衣塑子さんに、今の政権やメディアの問題点を聞いた。

(前編はこちら)

■日本のマスコミは、なぜ詩織さん事件について騒がないのか?

――元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に「レイプされた」として、ジャーナリストの詩織さんが被害届を出した件についても、裏で安倍政権が山口氏のために動いている疑惑があるとも聞きますが、どうなのでしょうか?

望月衣塑子さん(以下、望月) どういう過程でなぜ、逮捕が取りやめになったのか、その経緯は、まだはっきりわかりません。詩織さんのお話では、2人が出会ったのは、2015年3月末、詩織さんが働いているバーに山口氏がお客として来たことがあったようです。翌日、山口氏は詩織さん、TBSのNY支局員とともに食事をします。詩織さんは当時、フリーランスとなって仕事を始めるかTBSで働くかで悩んでおり、山口氏にTBSのワシントン支局で仕事ができないかという相談をしています。その後、山口氏と詩織さんは東京・恵比寿にある2軒のレストランで会食をした後、詩織さんが意識を失い、気付いた時には、ホテルで「レイプをされていた」と訴えています。詩織さん自身は、非常にお酒が強く、取材時に同席されていた友人の話でも、「ワインを2人で何本空けても、詩織さんが酔いつぶれたのは見たことがない」というのです。詩織さんは、「これで就職が決まるかどうかという面接も含んだような飲食の席で、緊張しているのに、大量にお酒を飲み、吐くまで泥酔するということ自体できない」とも話していました。

 また、関係者に取材したところ、事件が起きた日に山口氏と詩織さんが訪れたレストランは、山口氏のお父さんも愛用している「値段のないレストラン」だったそうです。山口氏のお父さんは、有名な元野球選手の顧問弁護士などもやられている方だと聞いています。

 そして、逮捕状が出て執行される予定だった15年6月8日、詩織さんの担当警察官は成田空港の出口で山口氏が降り立つのを待っていたところ、「逮捕はするな」という指示を受けました。TBSの元ワシントン支局長が逮捕されるということで、高輪署、警視庁の捜査一課、広報課にも根回していたにもかかわらずです。逮捕は見送られ、任意での聴取となりました。任意の聴取になった契機は、当時、警視庁の刑事部長だった中村格氏が「山口氏の身柄を取るな」と指示したとされており、「週刊新潮」(新潮社)の取材に中村氏は「(逮捕の必要がないと)私が判断した」と話しています。

――そうしたことを、詩織さんが顔や実名を出して訴えたのは、大きなリスクを伴いますし、非常に勇気ある行動だと思いました。

望月 そもそも詩織さんの事件は、山口氏が当時TBSワシントン支局長でありながら、「週刊文春」(文藝春秋)に「ベトナムに韓国軍の慰安所があった」という内容の記事を書いたため、会社から日本に呼び戻された際に起きています。山口氏は4月23日に支局長を解任されて営業に異動、その後、自ら会社を辞めています。警察も初めは「TBSワシントン支局長が相手では難しい」「準強姦(ごうかん)罪は動画がないと起訴は難しい」などと、被害届を受けたがらなかったらしいのですが、山口氏が営業に異動になった後、詩織さんや彼女の友人の供述や、タクシーのドライバーの証言、ホテルの防犯カメラに映っていた詩織さんが山口氏に引きずられているように見える動画などの証拠が集まるようになり、捜査が本格化していったそうです。

 詩織さんは準強姦罪の不起訴不当を訴え続けていますが、ジャーナリストとして活動するために、検察審査会に訴えたわけではないと言います。本来は、フリーランスのジャーナリストとしてやっていきたいのですが、この問題で自分が実名で声を上げずに示談で済ませてしまったら、ほかの性被害者の人がもっともっと声を上げにくいような世の中になってしまうのではないかと思ったそうです。一時期は、性被害者の団体に入って、そこの団体をサポートしようとも考えたそうなのですが、やはり日本の社会や法律を変えるために、自分が実名で出ていくことを選んだのだと思います。彼女は、市井の被害者ですが、戦っている相手のバックには、山口氏がかつて深く食い込んでいた安倍首相はじめ、強力な安倍政権があると感じており、権力を敵に回すのはとても恐ろしいはずです。28歳の女性にその覚悟ができるのは本当にすごいことで、かなりの覚悟と勇気が必要だったでしょう。しかし、話を聞くほど、彼女には自分のこと以上に、社会を変えていきたいという使命感のようなものが強くあると感じました。

 一方、山口氏は、詩織さんの実名告発会見を受けて、フェイスブック上で「私は法に触れる事は一切していません。ですから、一昨年の6月以降当局の調査に誠心誠意対応しました。当該女性が今回会見で主張した論点も含め、1年余りにわたる証拠に基づいた精密な調査が行われ、結果として不起訴という結論が出ました。よって私は容疑者でも被疑者でもありません。もちろん、不起訴処分の当事者は皆、検察審査会に不服申立する権利を有していますから、申立が行われたのであれば、私は今まで通り誠心誠意対応します」と反論しています。

 事件に関し、先日「ニューヨーク・タイムズ」の記者と話したところ、「アメリカだと、このような事件は政権が崩れるほどの超政治問題になるのに、日本のマスコミはなぜ騒がないのか」と、何度も何度も繰り返し質問されました。加計学園の疑惑はテレビで扱っていますが、詩織さんの場合は日本テレビ以外のテレビ局では、ほぼ放映されていません。取り上げない大きな理由のひとつには、一度不起訴になった人はたくさんいるので、なぜ、あえてこの件を取り上げるのかという指摘があり、新聞で書くにも壁があるのは確かです 

 しかし、この件に関しては、複数の国会議員が疑問視しており、今後、国会の場なども含めて議題として取り上げられ、新たな事実が浮き彫りになってくる可能性もあります。

――取材対象である政治家には男性が多い中、女性だからやりづらいと感じたことはありますか?

望月 体力勝負になるところやセクハラ的なものがあるなど、大変さもありますが、基本的には女性も男性も「これを取材したい」「報じなければいけないと」いう思いでは同じだと思います。ただ、どちらかというと女性だからグイグイいける、女性の方が単刀直入に聞いていけるのかなと思うことはあります。例えば、菅官房長官の会見だと、普段から菅さんと付き合いのある記者さんたちは「あまりご乱心させてはいけない」と気に掛けている面もあると思うのですが、私にはそのような配慮は、付き合いがないからこそ、ありません。毎日取材で顔を見せて会っていたら、私のようには、なかなか追及しづらいのだと思います。人それぞれですが、男性でガンガンストレートに聞く人は少ない印象です。でも稲田朋美防衛相の失言時は、防衛記者クラブでの質問は、男性記者がかなり執拗に追及していたと感じました。官邸の会見でも「ジャパンタイムズ」の男性記者は問題だと感じた場合、「それおかしいでしょ!」とストレートに怒りをぶつけていました。

――「菅官房長官が警察組織を使って、望月さんの身辺調査をするよう命じた」という報道もありましたが、実際に危険な目に遭ったりはしていませんか?

望月 疑惑について次々に質問を重ねているので、何か動きがあるのかもしれませんが、目に見える形にはなっていないので、今のところ危険な目には遭っていません。目立つと、やはり危ないことに巻き込まれる可能性は出てくるとは思っていますが、前川さんや詩織さんの話を聞くにつけ、私でなくても結局、誰かが声を上げなければいけなかったのではと思っています。日本の政治や社会を作っていくのは、政治家ではなく、私たち国民の意識なのだということを改めて認識していく必要があると思っています。

――新聞記者として、今後はどのような報道をしていきたいですか?

望月 加計疑惑をみると、現状は、官邸・内閣府と文科省の双方が「言った」「言わない」の議論に陥っているかのように見えますが、現時点で「加計ありきで進んでいたのではないか」という国民の疑念に対し、政府は納得のいく説明や客観的な資料をまったく示せていません。報道によって、政府がどのように何を説明でき、何を説明できていないのか、これを繰り返し繰り返し紙面やSNSなどを通じて、有権者である国民に伝えないといけないと感じています。

 06年の第一次安倍政権時に教育基本法が改正され、「愛国心」や「伝統」「公共の精神」が盛り込まれ、ナショナリズムが喚起される方向に変わったように思います。私が取材している武器輸出の問題でも、第二次安倍政権の閣議決定により、武器を他国に売らない国から、武器を売って稼ぐ国づくりへ大きく転換させようとしていることが見えてきます。

 2年前に筑波大学の学生新聞が行ったアンケート調査では、軍事研究賛成派の学生が反対派を上回ったという結果が出ています。筑波大はどちらかというと政府系の研究所やシンクタンクが多いということもありますが、そのような結果が出たのは衝撃的でした。今年になって、日本の科学者を代表する団体である「日本学術会議」で、軍事研究を禁止する1950年・67年の声明を継承していくとする決定が出たことを受け、同大の永田恭介学長は「軍事研究を禁止するルールを作っていく。学生とは一から議論していきたい」と会見で発表しました。NHKで一部報道されていましたが、名古屋大の大学院生らの中には「(実際の)戦争が起こらないのであれば、助成金をもらっていてもよいのではないか」「国防のためには軍事研究は必要だ」と言う学生もいたそうです。

 私が子どもの頃は、戦争の悲惨さを訴える番組がよく放送されていた記憶があります。でも、戦争を経験した世代が亡くなり、戦争の記憶が生々しく語り継がれていく機会が減っているという現状があります。今の若い学生さんほど、戦争に対するリアリティを持てないのでしょう。世代間の差が見えます。ここをどう埋めていけるか、戦争の記憶を引き継いだ私たち大人に課された課題だとも感じています。

 国民は身の回りの生活が干上がってくると政治に怒りを持つけれど、自分たちの周りが豊かなうちは、ちょっとくらい国の方向性が右や左にそれようが、実感としてはよくわからないのかもしれません。日本経済団体連合会(経団連)に属する大手企業の幹部たちも、話を聞くと、みんながみんな安倍首相の国家観がよいと思っているわけではないことがわかります。ただ、経済効果を数字で出し、株価を維持することが大切だと考える経営者は多く、富の格差が広がっていることは明らかですが、今は有効求人倍率の数字などは良く、経済成長が大きく後退しているようには見えないので、今の政権に対して経済界も妥協しているのかなと、取材していて実感します。でも、この国の形をつくるのは、私たちの民意です。今の政権の抱えている問題点について、一人でも多くの人たちに考える契機を持ってもらえるよう願っています。
(姫野ケイ)

望月衣塑子(もちづき・いそこ)
1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。また09年には足利事件の再審開始決定をスクープする。東京地裁・高裁での裁判担当、経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出、軍学共同などをテーマに取材している。二児の母。趣味は子どもと遊ぶこと。

東京新聞・望月衣塑子記者が語る、安倍政権の裏側――記者がスパイのように……

 安倍晋三首相のスポークスパーソンである菅義偉官房長官の記者会見で、何度も食い下がって質問を続けるひとりの女性記者が注目を集めている。その取材の様子が話題となり、最近はテレビや雑誌にもたびたび登場している東京新聞社会部の記者、望月衣塑子さんだ。なぜ菅官房長官にしつこく質問するのか、政治取材の現場はどういうところなのか、そして安倍政権の裏側について、望月さんに聞いた。

■記者クラブの会見では、指名される人が決まっている

――菅官房長官への記者会見で毎回食いついていますが、望月さん以外の記者は、あまり切り込んだ質問をしていないように見受けられます。安倍政権に批判的な質問をしてはいけない“暗黙の了解”のような雰囲気が記者クラブにはあるのでしょうか? また、そもそも記者クラブとは、どういう集まりなのでしょうか?

望月衣塑子さん(以下、望月) 記者クラブとは、総理大臣をはじめ各官庁、政党を担当している(大手メディアのテレビや新聞などの)政治部記者が入っている記者会で、そのうちの大きなひとつが「内閣記者会」(官邸クラブ)です。最初は私も「批判的な質問をしないのが普通なのかな?」と思っていたのですが、菅官房長官の会見では、手を挙げている記者の質問には、批判的な内容でも全部きちんと答えています。一方、安倍首相の記者会見では、司会者は絶対に安倍首相のお気に入りの記者しか指名せず、NHKなどは手を挙げてもいないのに指されると聞きました。菅官房長官の会見に関しては、官邸クラブが中心ではありますが、フリーの記者でも金曜午後は入れるようになっており、ある程度開かれてはいます。

 かつては政権に批判的な記者の質問も多かったと聞きましたが、最近は、あまり官邸に抵抗できないという空気感がクラブにあると思いますね。加計学園疑惑の話は、マイルドな聞き方をされていますし。

――望月さんは政治部ではなく、社会部の記者ですよね。ほかの部の記者でも入れるんですか?

望月 明確に記者会所属の記者しか出てはいけないという規定はないので、内閣記者会に会社が登録し、国会記者証を持っているなどいくつか条件をクリアしていれば、フリーの記者も含めて会見には入れます。官邸は週刊誌などのマスコミも、どんどん来ていいというスタンスとも聞きますが、内閣記者会側が既得権にこだわっており、フリーの記者が金曜日の午後会見以外に出ることには否定的だと聞いています。

――官邸クラブの記者は、政府の「御用記者」のような感じなのでしょうか?

望月 政治部と社会部では、目指している方向が、そもそも違うのだと思うので、批判的な質問をしない政治部記者が問題だとは思いません。政治部記者の中では、社会部的な疑惑の追及より、北朝鮮や中国との関係をはじめとする国際情勢や、経済政策などの政治情勢がどんどん動いていくから、それを日々追って、菅長官のコメントを取ることの方が重要なのだとも思います。

 だから、稲田朋美防衛相など、選挙での政治情勢に影響する失言などには、とても敏感だし、ツッコミも入るのですが、加計疑惑や下村疑惑(下村博文議員が加計学園から闇献金を受けたといわれる疑惑)などの社会部的な疑惑をいちいち掘り下げていくという雰囲気ではないのだと思います。政治部記者としては、日々目まぐるしく回っていく政治をどうフォローしていくかが主眼で、疑惑の追及が重要ではないというスタンスなのかもしれません。そのため、疑惑を掘り下げている社会部の記者こそが、怒りをもって追及していけるのだと思います。

――望月さんは、会見時に菅官房長官に何度も質問をされていますが、それに対し、菅官房長官は質問の答えになっていないような回答ばかりされていますよね。

望月 今では、その様子を国民に見せることが必要だと思っています。国民は、何を質問しても、菅官房長官がうろたえて同じ答弁を繰り返すのを見て、「さすがに『加計ありきでない』という言い訳は苦しいよな」と思い始めているのではないでしょうか。

――NHKや民放をはじめとしたテレビには、すべてをきちんと放送できない事情があるのでしょうか?

望月 これは、私がテレビ関係者から聞いた話ですが、例えば、国会が開いている間は加計学園疑惑がこぞって放送されていました。しかし、国会が閉じてしまうと加計疑惑について報道するかどうかは各局の判断になるそうで、そこから、各局の政権に対する忖度のスタンスがよくわかるというのです。ある番組ではトップで扱っているものが、別の番組では三番手扱いのニュースになっているとか。また、ある民放局では、コメンテーターに官邸の見解を話す人を入れるよう、上から指示が来たという話があるとも聞きました。

 テレビと比較すると新聞は、そのようにあからさまな圧力は受けていません。数年前、衆議院議員選挙を前に、萩生田光一官房副長官が民放各局の番組担当者や編集局長などに宛てて、「公平中立、公正な選挙報道を」という内容の文書を送りつけています。このように政権が選挙報道側に規制を前提とするような圧力をかけることはありませんでしたから、極めて衝撃的な文書であり、安倍一強の下での政権のテレビメディアへの関与、圧力があからさまになった出来事でした。しかし、そのときも、すぐに騒ぎにはなりませんでした。やはり、テレビは電波を総務省に握られている(電波法に基づいて放送免許を与えられている)ことも関係あるのかもしれません。

 本来は、このような圧力があったら、テレビメディアは断固として闘うべきでしょうが、それはなかった。逆に、あの萩生田文書を契機に、テレビメディアの忖度が急速に進展していったのではないかという気がしています。これは民主主義や言論の自由にとって大きな危機だったと感じています。

――なんだか独裁国家のような感じですね。

望月 恐怖政治のようにも見えるかもしれませんが、問題とされるべきは、政権だけでなく、メディア側の姿勢にもあると思います。関係者を取材すると、官邸側は反政権的な官僚や政治家、マスコミ関係者などについて、出身官庁からの情報など、あらゆるチャンネルを使って調べているとも聞きます。韓国・釜山の総領事の森本康敬氏が異例の交代となった背景には、マスコミ関係者と森本氏が会食した際、政権に批判的な発言をしたことが、官邸に伝わったためとも聞きます。ある元自民党議員は、取材に対し「政治部記者に官邸批判をしていたら、その話がすべて官邸に筒抜けになっていて恐ろしかった」とも言っていました。前川喜平・前文科省事務次官は、一部メディアで報道が出る前に、新宿のバー通いについて官邸の杉田和博副長官から指摘を受けていました。

 どこのメディアでもそうですが、その部署に50人の記者がいれば50人分、取材対象から聞き取った内容のメモができます。マスコミのある社では、かつてはそのメモを記者全員で共有していたそうですが、今は「反政権的なことを言っている官僚や政治家がいます」と、官邸サイドにその話が筒抜けになるのを防ぐため、キャップやサブキャップ以外にメモをシェアしない形を取るようになったとも聞きました。これは、政権が怖いということ以上に、権力側に気に入られ、権力に食い込もうとするがために、記者が自ら進んでメモを権力に差し出していると推測させることを示しています。こういう状況は、かなり危機的ではないかとも感じます。どんな立場にいようと、最後はメディア、そして記者は権力の監視・チェックをし、権力の暴走を防ぐために存在するということを肝に銘じる必要があると思っています。

――権力を監視するはずの記者が、その役割を果たしていないということでしょうか?

望月 記者としては政権の内部に食い込みたいから、そのメモを官邸サイドに渡すのでしょうが、結局それは、官邸が記者をスパイのように使う材料にもなっているわけです。前川前次官に聞きましたが、文科省の文化功労者選考分科会の委員の人選で、閣議決定が必要なものがあったため、事前に官邸にお伺いを立て、人事のリストを見せた時、杉田副長官から「この学者は安保法制反対の学者の会にいるよね」とか「この人は政権にあまり賛成していないね」と指摘を受けたと話していました(杉田副長官は否定)。前川氏は、「要は、委員のメンバーからは外せと言いたかったのでは」と話していました。この話を菅官房長官にぶつけると、「それはない」と激しく否定し、指摘されたことをとても嫌がっていました。内閣人事局を掌握し、2014年以降、霞が関の部長級以上の官僚5,600人の人事権を握るようになったことは、今の政権の力の源泉です。その内幕のような話は、最も触れてほしくない部分なのでしょう。

 前川氏によると、安倍政権前のかつての自民党でも似たようなことはあったが、審議会の人事に少しくらい反政府側の知識人がいても、官邸がそこまで口出しをすることはなかったそうです。民主主義的な議論をするには、ある程度、さまざまな立場の意見がある方が、議論に多様性があっていいじゃないですか。でも今、安倍首相の作り出す会議は、みんな安倍首相の色に染まった人ばかり。加計学園の民間の諮問会議のメンバーしかり、「NO」と言う人は周りに絶対寄せ付けたくないという感じがあります。メディアの使い方にしてもそうです。本来は国会の場など誰に対しても開かれている公平な場でこそ、自らの狙いや心情を打ち出してしかるべきなのに、読売新聞の一面で憲法改正議論を5月3日に出して、国会で「読売新聞を読んでください」と言い放ったり、改憲案を秋の臨時国会で提出することを「正論」懇話会が主催したイベントで言ったりとか、そういうのは非常におかしな話だなと思います。

――おかしなところが多い今の政権に対して、国民はただ見守ることしかできないのでしょうか?

望月 まずは知ることです。今、政治がどうなっているのか知ることで、選挙の際の一票につなげてください。支持率の低下は、政権にとって大打撃なんです。加計疑惑の中身をきっちりと知れば、今の政権がなんでもありのおかしな政権になりつつあるのではないか、という疑念が解消されるか、逆に疑念が深まるかということが、少しずつ見えてくると思うんです。人事権を握られた現在、霞が関の官僚はひたすら忖度に動いてしまい、「総理が言っているんだから」で済まされ、本来は司司であるべき官僚の姿勢さえもゆがみかねないという、政治の現状を理解することができてくると思います。官僚側に立てば、反対意見を述べて自分たちが左遷されるのが一番怖いということなのでしょう。

 かつて、小泉政権下で打ち出した教育政策が、当時文科省の一課長だった前川氏の考える教育理念・政策の在り方に合わないと、ご本人がブログを書いて反論していたことがあったようですが、小泉改革の中でも、彼が左遷されることはありませんでした。今は、そういうことがあるとすぐに、課長は飛ばされてしまいます。ものを言えない空気が霞が関官僚の中に漂っていて、官僚の間に不満もたまっていると思います。
(姫野ケイ)

(後編へつづく)

東京新聞・望月衣塑子記者が語る、安倍政権の裏側――記者がスパイのように……

 安倍晋三首相のスポークスパーソンである菅義偉官房長官の記者会見で、何度も食い下がって質問を続けるひとりの女性記者が注目を集めている。その取材の様子が話題となり、最近はテレビや雑誌にもたびたび登場している東京新聞社会部の記者、望月衣塑子さんだ。なぜ菅官房長官にしつこく質問するのか、政治取材の現場はどういうところなのか、そして安倍政権の裏側について、望月さんに聞いた。

■記者クラブの会見では、指名される人が決まっている

――菅官房長官への記者会見で毎回食いついていますが、望月さん以外の記者は、あまり切り込んだ質問をしていないように見受けられます。安倍政権に批判的な質問をしてはいけない“暗黙の了解”のような雰囲気が記者クラブにはあるのでしょうか? また、そもそも記者クラブとは、どういう集まりなのでしょうか?

望月衣塑子さん(以下、望月) 記者クラブとは、総理大臣をはじめ各官庁、政党を担当している(大手メディアのテレビや新聞などの)政治部記者が入っている記者会で、そのうちの大きなひとつが「内閣記者会」(官邸クラブ)です。最初は私も「批判的な質問をしないのが普通なのかな?」と思っていたのですが、菅官房長官の会見では、手を挙げている記者の質問には、批判的な内容でも全部きちんと答えています。一方、安倍首相の記者会見では、司会者は絶対に安倍首相のお気に入りの記者しか指名せず、NHKなどは手を挙げてもいないのに指されると聞きました。菅官房長官の会見に関しては、官邸クラブが中心ではありますが、フリーの記者でも金曜午後は入れるようになっており、ある程度開かれてはいます。

 かつては政権に批判的な記者の質問も多かったと聞きましたが、最近は、あまり官邸に抵抗できないという空気感がクラブにあると思いますね。加計学園疑惑の話は、マイルドな聞き方をされていますし。

――望月さんは政治部ではなく、社会部の記者ですよね。ほかの部の記者でも入れるんですか?

望月 明確に記者会所属の記者しか出てはいけないという規定はないので、内閣記者会に会社が登録し、国会記者証を持っているなどいくつか条件をクリアしていれば、フリーの記者も含めて会見には入れます。官邸は週刊誌などのマスコミも、どんどん来ていいというスタンスとも聞きますが、内閣記者会側が既得権にこだわっており、フリーの記者が金曜日の午後会見以外に出ることには否定的だと聞いています。

――官邸クラブの記者は、政府の「御用記者」のような感じなのでしょうか?

望月 政治部と社会部では、目指している方向が、そもそも違うのだと思うので、批判的な質問をしない政治部記者が問題だとは思いません。政治部記者の中では、社会部的な疑惑の追及より、北朝鮮や中国との関係をはじめとする国際情勢や、経済政策などの政治情勢がどんどん動いていくから、それを日々追って、菅長官のコメントを取ることの方が重要なのだとも思います。

 だから、稲田朋美防衛相など、選挙での政治情勢に影響する失言などには、とても敏感だし、ツッコミも入るのですが、加計疑惑や下村疑惑(下村博文議員が加計学園から闇献金を受けたといわれる疑惑)などの社会部的な疑惑をいちいち掘り下げていくという雰囲気ではないのだと思います。政治部記者としては、日々目まぐるしく回っていく政治をどうフォローしていくかが主眼で、疑惑の追及が重要ではないというスタンスなのかもしれません。そのため、疑惑を掘り下げている社会部の記者こそが、怒りをもって追及していけるのだと思います。

――望月さんは、会見時に菅官房長官に何度も質問をされていますが、それに対し、菅官房長官は質問の答えになっていないような回答ばかりされていますよね。

望月 今では、その様子を国民に見せることが必要だと思っています。国民は、何を質問しても、菅官房長官がうろたえて同じ答弁を繰り返すのを見て、「さすがに『加計ありきでない』という言い訳は苦しいよな」と思い始めているのではないでしょうか。

――NHKや民放をはじめとしたテレビには、すべてをきちんと放送できない事情があるのでしょうか?

望月 これは、私がテレビ関係者から聞いた話ですが、例えば、国会が開いている間は加計学園疑惑がこぞって放送されていました。しかし、国会が閉じてしまうと加計疑惑について報道するかどうかは各局の判断になるそうで、そこから、各局の政権に対する忖度のスタンスがよくわかるというのです。ある番組ではトップで扱っているものが、別の番組では三番手扱いのニュースになっているとか。また、ある民放局では、コメンテーターに官邸の見解を話す人を入れるよう、上から指示が来たという話があるとも聞きました。

 テレビと比較すると新聞は、そのようにあからさまな圧力は受けていません。数年前、衆議院議員選挙を前に、萩生田光一官房副長官が民放各局の番組担当者や編集局長などに宛てて、「公平中立、公正な選挙報道を」という内容の文書を送りつけています。このように政権が選挙報道側に規制を前提とするような圧力をかけることはありませんでしたから、極めて衝撃的な文書であり、安倍一強の下での政権のテレビメディアへの関与、圧力があからさまになった出来事でした。しかし、そのときも、すぐに騒ぎにはなりませんでした。やはり、テレビは電波を総務省に握られている(電波法に基づいて放送免許を与えられている)ことも関係あるのかもしれません。

 本来は、このような圧力があったら、テレビメディアは断固として闘うべきでしょうが、それはなかった。逆に、あの萩生田文書を契機に、テレビメディアの忖度が急速に進展していったのではないかという気がしています。これは民主主義や言論の自由にとって大きな危機だったと感じています。

――なんだか独裁国家のような感じですね。

望月 恐怖政治のようにも見えるかもしれませんが、問題とされるべきは、政権だけでなく、メディア側の姿勢にもあると思います。関係者を取材すると、官邸側は反政権的な官僚や政治家、マスコミ関係者などについて、出身官庁からの情報など、あらゆるチャンネルを使って調べているとも聞きます。韓国・釜山の総領事の森本康敬氏が異例の交代となった背景には、マスコミ関係者と森本氏が会食した際、政権に批判的な発言をしたことが、官邸に伝わったためとも聞きます。ある元自民党議員は、取材に対し「政治部記者に官邸批判をしていたら、その話がすべて官邸に筒抜けになっていて恐ろしかった」とも言っていました。前川喜平・前文科省事務次官は、一部メディアで報道が出る前に、新宿のバー通いについて官邸の杉田和博副長官から指摘を受けていました。

 どこのメディアでもそうですが、その部署に50人の記者がいれば50人分、取材対象から聞き取った内容のメモができます。マスコミのある社では、かつてはそのメモを記者全員で共有していたそうですが、今は「反政権的なことを言っている官僚や政治家がいます」と、官邸サイドにその話が筒抜けになるのを防ぐため、キャップやサブキャップ以外にメモをシェアしない形を取るようになったとも聞きました。これは、政権が怖いということ以上に、権力側に気に入られ、権力に食い込もうとするがために、記者が自ら進んでメモを権力に差し出していると推測させることを示しています。こういう状況は、かなり危機的ではないかとも感じます。どんな立場にいようと、最後はメディア、そして記者は権力の監視・チェックをし、権力の暴走を防ぐために存在するということを肝に銘じる必要があると思っています。

――権力を監視するはずの記者が、その役割を果たしていないということでしょうか?

望月 記者としては政権の内部に食い込みたいから、そのメモを官邸サイドに渡すのでしょうが、結局それは、官邸が記者をスパイのように使う材料にもなっているわけです。前川前次官に聞きましたが、文科省の文化功労者選考分科会の委員の人選で、閣議決定が必要なものがあったため、事前に官邸にお伺いを立て、人事のリストを見せた時、杉田副長官から「この学者は安保法制反対の学者の会にいるよね」とか「この人は政権にあまり賛成していないね」と指摘を受けたと話していました(杉田副長官は否定)。前川氏は、「要は、委員のメンバーからは外せと言いたかったのでは」と話していました。この話を菅官房長官にぶつけると、「それはない」と激しく否定し、指摘されたことをとても嫌がっていました。内閣人事局を掌握し、2014年以降、霞が関の部長級以上の官僚5,600人の人事権を握るようになったことは、今の政権の力の源泉です。その内幕のような話は、最も触れてほしくない部分なのでしょう。

 前川氏によると、安倍政権前のかつての自民党でも似たようなことはあったが、審議会の人事に少しくらい反政府側の知識人がいても、官邸がそこまで口出しをすることはなかったそうです。民主主義的な議論をするには、ある程度、さまざまな立場の意見がある方が、議論に多様性があっていいじゃないですか。でも今、安倍首相の作り出す会議は、みんな安倍首相の色に染まった人ばかり。加計学園の民間の諮問会議のメンバーしかり、「NO」と言う人は周りに絶対寄せ付けたくないという感じがあります。メディアの使い方にしてもそうです。本来は国会の場など誰に対しても開かれている公平な場でこそ、自らの狙いや心情を打ち出してしかるべきなのに、読売新聞の一面で憲法改正議論を5月3日に出して、国会で「読売新聞を読んでください」と言い放ったり、改憲案を秋の臨時国会で提出することを「正論」懇話会が主催したイベントで言ったりとか、そういうのは非常におかしな話だなと思います。

――おかしなところが多い今の政権に対して、国民はただ見守ることしかできないのでしょうか?

望月 まずは知ることです。今、政治がどうなっているのか知ることで、選挙の際の一票につなげてください。支持率の低下は、政権にとって大打撃なんです。加計疑惑の中身をきっちりと知れば、今の政権がなんでもありのおかしな政権になりつつあるのではないか、という疑念が解消されるか、逆に疑念が深まるかということが、少しずつ見えてくると思うんです。人事権を握られた現在、霞が関の官僚はひたすら忖度に動いてしまい、「総理が言っているんだから」で済まされ、本来は司司であるべき官僚の姿勢さえもゆがみかねないという、政治の現状を理解することができてくると思います。官僚側に立てば、反対意見を述べて自分たちが左遷されるのが一番怖いということなのでしょう。

 かつて、小泉政権下で打ち出した教育政策が、当時文科省の一課長だった前川氏の考える教育理念・政策の在り方に合わないと、ご本人がブログを書いて反論していたことがあったようですが、小泉改革の中でも、彼が左遷されることはありませんでした。今は、そういうことがあるとすぐに、課長は飛ばされてしまいます。ものを言えない空気が霞が関官僚の中に漂っていて、官僚の間に不満もたまっていると思います。
(姫野ケイ)

(後編へつづく)

夫の人生に何も間違いはなかった。今も彼と娘との関係は友好的【別れた夫にわが子を会わせる?】

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第4回 岡田奈緒さん(仮名、40代)後編

 イベントコンパニオンや役者などとして活動していた岡田奈緒さんは、20代後半のとき、同じ舞台で知り合った10歳ほど年上の舞台俳優と結婚。翌年、娘を出産し、子育てに専念していたものの、娘が1歳になると、将来的なことを考えて不安が尽きなくなり、夫とすれ違い始める……。夫と別居しようと、関東近隣の団地から都内の実家所有のマンションに引っ越すも、夫がついてきてしまう。

(前編はこちら)

■価値観を押し付けたのは、たぶん私

――東京での暮らしは、どんな生活だったんですか?

「引っ越したのは、実家が所有しているマンションの、約13畳のワンルーム。ちっちゃいキッチンとちっちゃいお風呂がありましたけど、居住用というより事務所用の物件でした。そんな家ですから、夫の部屋は当然ありません。すると、余計ゴロゴロしてるのが目につくんです。でも、東京に来て環境が変わるので、夫が一念発起してくれればという願いがありました」

――一念発起とは?

「20代の頃には大人気だった夫も、すでに40代。俳優をやるにしても、別の仕事をするにしても、よほど改善をしなければヤバいわけです。だから、『何がしたいのか考えてみなさい』って、夫に言い聞かせてました。だって、そうでしょ? 子どもができてお金がいるというのに、どうやって稼いでいったらいいかとか、当然あるべき将来の青写真が、夫になかったんですから。

 あるときは、保険会社の人生設計相談を受けてもらったりもしました。そこでは、ライフプランを書かされるんですが、夫の書いた表に『何年後に家を買って』とかいう青写真的なものが、まったく出てこなかったんです。これじゃちょっと老後は背負いきれないな、ダメだなって。ガッカリしました。

 一方で、夫にとっては、私のそうした言動がストレスなんです。夫は、ご飯が食べられればいい。借金もしない。お金がまったくないわけでもない。お金はないんですけども、生きてはいける。月20万円ぐらいあれば、家族3人か4人生きていけるという人だったので、何を言われているかわからない。『子どもがいて楽しく暮らせればいいのに、何がいけないんだ』というすれ違いです。

 だから夫のモラハラとかDVというのとは真逆。価値観を押し付けたのは、たぶん私ですね。夫は現状で十分幸せなんですもの。夫の人生に、何も間違いはなかった。かわいそうに。だって夫からしたら、借金もないのに、なんで責められなきゃならないんだってことですよね」

――離婚を決意したきっかけは、なんですか?

「娘がクローゼットの陰で泣いてるのを見てしまったからです。東京に引っ越して1年ぐらい、それを見たときに『もうダメだ』って。子どもの精神状態がやばいと思って、『これはよくない。まずとにかく、夫と空間を分けるべきだ』って思ったんです。

 それからすぐ、どうやって離婚するかを調べ始めました。別居中の婚姻費用のことや、どういう段取りで離婚していくものなのかを、法テラス(無料法律相談)に行ったり、行政に相談しに行ったりして、教えてもらったり、本を読んで調べたりしました。調べると同時に、離婚後の生活の青写真を描きました。離婚するからにはガッツリ働こうと思って、いろいろ仕事の態勢を整えたんです。

 調べた後は夫の説得です。夫は、私が離婚したがってる意味がわからない。だから全然、話し合いが進まなかったですね。それで『本当に離婚したくないなら、策を考えなよ』って助け舟を出すんですが、提案してこない。公正証書とか事務的な決めごとを持ちかけると、逃げ回る。

 別居の話し合いの中で、双方がどこに住むかも話し合いました。『娘の近くに住みたいんなら、どうぞ。それで、いつ出ていくの? 年度末の3月31日がいいんじゃない? 期限を過ぎたら、日割りで家賃をもらうわよ』と話すと、夫は『やっぱり、実家に帰るよ』って答えましたね。そして劇団員の仲間に手伝ってもらって、引っ越していきました」

――娘さんには、どう説得しましたか?

「夫婦はやめたけど、親はやめられないという定義のもとに“離婚”しました。『パパとママは、仲良くできないんだ。楽しくないでしょ、この家庭。だからごめんね。パパとママ、夫婦はやめる。でもパパは減らないよ。ママがもし再婚しても、二番目のパパが増えるだけだよ』って娘には言って、納得してもらえました」

 岡田さんは、夫と別れる。面会の条件などを記した公正証書を先に作った上で、面会もすぐにスタートさせた。

――それで旦那さんは、ほかに仕事を見つけたんですか?

「最近は、タクシーの運転手をしているらしいです。すると、今度はタクシーのシフトが入ってしまって、役者のシフトを整理できなくなる。彼は不器用なので、自然と役者の仕事に手が回らなくなった。岩にしがみついてでも役者をやりたいんだっていう意地があったら、私は支えてもよかったんです。だけど、弱気になって、何がしたいのかわからなくなっちゃってた」

――面会は、どのように行っていますか?

「面会では、いろんなルールを作るじゃないですか。待ち合わせや引き合わせの方法とか、家には上げないとか。だけど、そうした決めごとは、ことごとく破られました。例えば『離婚後、週3日彼、週4日私が面倒を見る』ということを記したんですけど、6日に1回休みというタクシー勤務のシフトに合わせて、休みの日にうちに来るだけなんです。劇団とかの用事があれば来なかったり、逆に運動会とか、ぜひ来たいというときはシフトを調整して来たりしますけどね」

――面会が月に1回2時間とかいう人に、聞かせたい話ですね。ほかには?

「家に来ないというルールも破られましたね。離婚相手を、普通家に上げないでしょ。なのに彼は全然気にしない。今や泊まってますからね。彼が来たら来たで、彼がだらしないから娘が真似して、すごくだらしなくなっちゃう。宿題があるのに、教えたりとかはしなくて、ずっと2人でゲームやってるんです」

――どんなふうに面会するんですか?

「彼が娘と行くところといえば、ファミレスとかコンビニ、あとは公園。彼は食べることに興味がないので、特別なレストランなどには行きません。あと最近は娘が映画にはまっているので、新作映画には必ず連れていってくれます。それは良いことだと思います! あと夫の家族と旅行とか。まあそれで、娘も喜んでるんですけどね。

 彼と娘との関係は、今でもずっと友好的です。彼が来る日、娘は学校から小躍りしながら帰ってきます。娘の友達にも大人気だし、学校もわかってるんで、『お父さん、捨てられちゃったんだよね』って(笑)。彼はほんと大人気。彼が来る日は娘の友達もやってきて、うちがほとんど幼稚園状態です」

――養育費とかは、ちゃんと毎月もらってるんですか?

「今も婚姻費用のまま。離婚届は出したんですよ。だけど間違ってたから、もう1回書きました。『受理されなかったんだけど』って。まるでコントですよ。ちゃんと親権も決めたのに。書類がそろわずにグダグダ。なので、養育費じゃなくて婚姻費用ですね」

――復縁は考えますか?

「ないです。もう彼の面倒を見られないし、人としての魅力を感じないですしね。役者をやってたらまだしも、タクシーの運転手をやっているだけの彼は、なぜタクシーなのか、なぜそれがやりたいのかを話してくれないので、魅力を感じられない。でも彼、それで人生幸せだからすごいよなって、尊敬しますけどね。別に何も悩んでませんし」

――今後は、どうされるんですか? いい相手がいたら、再婚とか考えますか?

「去年、ライターの仕事がらみで婚活サイトを利用したんです。すると、『僕の子はいらない。君の連れ子以外に、僕の子を産んでほしいとかは求めない。ただ、やさしい奥さんに迎えてほしいんだ』という、お金も地位もあり、平穏を求める人ばかり。でも、それじゃ、私と全然合わないですね。私は娘を育てながら、会社も作っちゃったりしてきましたから。再婚相手とは、作ったり、挑戦したり、一緒に何かをしていきたいです。それが仕事でなくても。でも、落ち着きのない私は、結婚に向いていないのでしょうね(苦笑)。あと、私、気が多いんで、また新たなことを始めたくなってしまって。『富士山の方に移住しよう』とか『海外に住もうよ』とかって娘には話すんですけど、反対されるんです」

 今後、岡田さんは旺盛なバイタリティで、母として、一人の人間として人生を切り開いていくに違いない。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。