「40歳を迎えてラクになった」19歳から10年不倫を繰り返した女の、結婚・出産願望

kameyama-180307 20年近く不倫の取材をしてきたが、このところ「長期不倫」の話を本当によく聞く。短くて8年、あとは12~15年くらいが多い。W不倫の女性にとっては、案外、合理的な関係ではないかと思う半面、独身の場合は「子どもがほしい」「結婚したい」気持ちにどうやって折り合いをつけているのかが気になる。長期不倫の女たちの声を全7回で聞いていく。

第1回:「出産リミットが見えて焦りが」長期不倫8年目、結婚と出産願望で揺れる38歳の岐路

 独身女性と既婚男性の不倫の場合、女性が30代になったところで破局が訪れるケースが多い。やはり「結婚」「出産」を考えると、いつまでも不倫などしていられないと思うのだろう。ただ、別れて独身男性と付き合っても、また不倫関係に戻る女性もいる。

 自分が“不倫”していることにショック

 ハルカさん(41歳・会社員)の最初の恋人は、学生時代、アルバイトをしていた会社の社員だった。

「私、美大だったのでアート系の企画制作をしている会社でよくアルバイトをしていたんですが、そこの社員の方を好きになってしまって。私が19歳のとき、彼は30歳。発想が豊かで、一緒に仕事をしているとすごく勉強になりました。彼が何も言わなかったので、私はてっきり独身だと信じ込んだんです」

 職場というよりアトリエのような事務所は、出入りのフリーランスも多く、自由な雰囲気が漂っていた。

「私は、その彼のアシスタント業務をよくやっていました。2人きりでいることも多かったから、自然と男女関係になったんですが、私が『初めて』だと知ったときに彼がちょっと驚いたんですよ。半年以上たってからかな、『実はどうしても言い出せなかったんだけど、僕は結婚しているんだ』と告げられて。ショックでした。彼と結婚したいとは思っていなかったけど、自分が“不倫”しているなんて……」

 別れた方がいいことはわかっていた。だが、半年以上慣れ親しんだ初めての男性と、すぐに別れることはできなかった。

「今になると好きだったのか執着だったのかわかりませんが、当時は本気で愛していると思っていました。悩んで苦しんで、1週間くらい泣いていたけど、やっぱり別れられないと彼に告げたのを覚えています」

 ハルカさんは覚悟を決めた。嫌いになるまで、この人と付き合っていこう、と。そこに妻への嫉妬も、そして思慮もなかった。若い彼女は初めての“オトナの恋”に突っ走ったのだ。

「この人とは結局、10年続きました。大学を卒業して就職してからも、業界は似ていたのでいろいろ相談したり応援してもらったり。途中で奥さんにバレかけたりもしたけど、彼は私と別れようとはしなかった。ただ、10年たったところで、奥さんがとうとう相手は私だと特定したんです。ひとり暮らしのアパートに怒鳴り込まれて……。そのとき彼が私の部屋にいたものだから修羅場でした」

 妻がハルカさんに殴りかかってきたとき、彼は間に割って入った。だが、顔は妻の方を向いていた。それを見たハルカさんは体中から力が抜けたという。

「結局、彼が見ているのは妻だった、という象徴のような気がして……。後から『妻が君に何をするかわからなかったから、とにかく妻を止めることしか考えていなかった』と言ってましたけど。顔は妻の方を見ていたよね、とは言えなかった。言えないということは、私はこの人を本気で欲しているわけではないんだな、とも思いました。女のところに乗り込んで殴りかかる妻の方が、ずっと本気度が高いですよね」

 もうじき30歳。そろそろ不倫から卒業しようと決意し、ハルカさんは関係を解消した。別れ際、彼が目を真っ赤に潤ませているのを見て、本当にいい恋をしたのだと彼女は深い満足を覚えたそうだ。

 その後は必死で婚活した。結婚相談所に登録すると同時に、友人知人に「結婚したいから紹介して」と宣言。30歳のうちに結婚したいという思いだけが大きくなっていく。

「あんなに好きだった彼と別れたのだから結婚しないと意味がない、と思い込みました。猪突猛進というのでしょうか、こうと思うと一気にそちらに進んでいくんですね、私って。そのときはやみくもに、とにかく結婚しなければいけない、結婚するんだと決めていました」

 結婚相談所でも週に一度の割合で男性に会った。今思うと、デートというよりは“品定め”だったと彼女は笑う。こちらが品定めをしているということは、男性にもそうされているのだ。だが当時は気づかなかった。

「年収は、結婚後の住まいは、親はどこでどうしているのか。それがいつも聞く3大要素でした。年収は高い方がいいし、すでに持ち家があればなおいい。そして、親と同居なんて論外、親が息子に執着していない方が暮らしやすい。つまりは全部、自分にとっていい条件であるかどうかだけ。愛と情を育める相手かどうかなんて、考えもしなかった。それまで10年、好きな人と大事な恋を温めてきたのに。恋愛と結婚は私にとって別物だったのかもしれません。恋人という名の人がいないまま、30歳の誕生日を迎えました。虚しかった」

 30歳のうちに結婚して33歳までに子どもを産む。彼と別れたとき、そう決めたはずだった。だが、結婚には「相手の気持ち」もあると、彼女は考えていなかったらしい。自分が結婚すると決めさえすれば、相手はきっといるはずだと信じていたのだ。

「結婚相談所の相談員さんに、『あなたは条件ばかり気にしているようだけど、相手も女性に求めるものがあるんですよ』とやんわり言われてハッとしたんです。考えてみたら、たぶん私は、一般男性が妻に求めるものを何も持っていないんじゃないか、と。料理がうまいわけでもないし、掃除片づけ大嫌い、仕事は好きだけど専業主夫希望の男性を養えるほどは稼げない。落ち込みました。自分で自分が信じられなくなった。今は笑い話ですが」

 そして、中学時代からの親友に言われた一言にさらにめげたという。親友はこう言ったのだ。「不倫しているときのハルカの方が魅力的だった。結婚結婚って、まなじりを決して騒いでいるハルカはかっこ悪い。なんだかいつも不機嫌だし余裕ないし」と。

「不倫をしているとき、その親友だけには概要を話していたんです。彼女は深く聞かないし、決して私を非難もしなかった。でも、さすがに結婚結婚って騒いでいる私は、本当にかっこ悪かったんでしょうね。『そもそも本当に結婚したいの? 彼と別れたから、結婚という成果を得ないと意味がないって思ってるんじゃないの?』とも言われた。さすが親友ですね。痛いところを突かれました」

 考えるまでもなく、彼女はわかっていた。純粋に「結婚して家庭を持ちたい」わけではないことを。彼と別れたからには、人生の落としどころが結婚しかなかったのだ。おそらく、彼に“幸せな自分”を見せつけたい気持ちもどこかにあっただろう。

 だからといって、今のような展開になるとは彼女自身、思っていなかった。31歳の終わりに、彼女はまた既婚者と恋に落ちてしまうのだ。

「しばらく恋は忘れて仕事に没頭しようと思っていたんです。それなのに、またも仕事関係で知り合った人と……。彼は4歳年上で、当時、結婚して2年、子どもが産まれたばかりでした。『子どもがかわいいんだよね』なんて言いながら私を口説いて。私は私で、最初から家庭があって、その幸せをのろけるような男に悪いヤツはいないはず、なんて思っちゃって。最初の不倫が、既婚であることを隠されていたから、今度は正直な人だわと……」

 自分が特に結婚を望んでいないとわかったから、相手が家庭のことを話しても傷つかなかった。それより、彼への愛情で心がいっぱいになっていたという。

「例の親友にはすぐ勘づかれました。『好きな人、できたでしょ? ハルカの顔が明るいもん』と言われたんです。相手が既婚だと知ったら彼女の顔は曇りましたが。それでも私は、自分が好きだと思える人と付き合っていることの方が重要だと思っていました」

 付き合って3年ほどたったとき、彼に第二子が産まれた。もちろん妻ともセックスしているだろうとわかっていながら、それは少しショックだったと彼女は言う。

 妊娠したいという気持ちとの折り合い

「そこからまた悩み始めちゃって。妻と名のつく人は無条件に妊娠して出産できるんですよね。私も彼の子がほしいと思ったけど、それは許されない。先に結婚した人にだけ子どもを産む権利がある。人生、不平等だなあと。だから彼に言ったんですよ。『私も、あなたの子を産みたい』って。そうしたら彼、ものすごく苦しそうな顔をして、体中から絞り出すように『ごめん』と頭を下げた。それだけは勘弁してほしいということなんでしょう。そのあとぎゅっと抱きしめられて……。『本気で好きだよ』って。女として好きだけど、家族ではないという意味なんだろうと、そのときは受け止めました」

 彼がゴミ箱に捨てていった使用済みのコンドームから精液をスポイトで取りだし、自分の膣に入れたこともある。妊娠したら産もうと思っていた。彼と別れて、ひとりきりで。

「そんな方法では妊娠の確率が低いことはわかっていたけど、それでもやってみる価値はあるかなと半年くらい続けていました。でもある日、そんなことをしている自分が情けなくなってきて……。周りが結婚しているから結婚したいと思い、子どもを産んでいる友達が増えれば子どもがほしいと思って。私は私の人生を生きているのか、と自分にカツを入れたくなりました」

 女性はどうしたって年齢を気にせざるを得ない。特に出産だけはリミットがあるのだから年齢に踊らされるのもやむを得ない。だが、そんな自分にハルカさんは疑問を抱いた。

「今、自分にとって大事なものは何か。そこをきちんと考えようと原点に戻ろうと思ったんです。本当に子どもがほしいのか。仕事でもっとやりたいことがあったんじゃないか。彼と一緒にいるかけがえのない時間を、もっと大事にした方がいいのではないか。いろいろ考えましたね」

 考えに考えた。それでも結論は出なかった。時だけが過ぎていく。そして彼女は40歳を迎えた。

「ふっとラクになったんですよね。すごく正直に言うと、ああ、これで子どもを産みたいと思わなくてすむ、という感じ。ヘンですよね。結局、自分がどうしてもほしかったわけではなく、女の人生一通りやってみたかっただけなんじゃないかな。自分を客観視するとそういう分析ができますね」

 渦中にいるとわからない。だがそこを通り過ぎると何かが見えてくることはある。そして今の彼とも10年が過ぎようとしている。

「10年にわたる不倫を二度もして、家族のいない独身41歳。他人から見たらバカな生き方かもしれません。10年後には私自身、深く後悔しているかもしれない。でも今は充実しています。それでいいかどうかはわからないけど、とりあえず私は今、生きている。それ以上でもそれ以下でもないような気がしています」

 彼女の最後の言葉は、誰にでもあてはまるのかもしれない。後悔するかもしれないとわかっていても、現状を選択するのが今の自分にとって最良であるなら、それは他人と比較してあれこれ考えるべきではないのではないだろうか。それにしても生きていくのは、ただそれだけで大変である。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
1960年東京生まれ。明治大学文学部卒。不倫、結婚、離婚、性をテーマに取材を続けるフリーライター。「All About恋愛・結婚」にて専門家として恋愛コラムを連載中。近著に『アラフォーの傷跡 女40歳の迷い道』(鹿砦社)『人はなぜ不倫をするのか』(SBクリエティブ)ほか、多数。

“キング・オブ・アウトロー”瓜田純士が『女性専用車両問題』を斬る!「奴らは、シャカフですよ!」

 女性専用車両に男性数名が乗り込み、電車が遅延するトラブルが相次いでいる。「女性専用車両は男性差別」ということを訴えるべく事に及んでいるようだが、果たしてこれは有効打なのか? 経歴差別の被害者でもある“キング・オブ・アウトロー”こと瓜田純士(38)に意見を聞いた。

――「差別ネットワーク」を名乗る男性陣が、女性専用車両にあえて乗り込み、そのまま居座り続ける運動を行なっているのをご存知でしょうか?

瓜田純士(以下、瓜田) 女性陣から「降りろ、降りろ」の大合唱が起きたやつですよね? テレビで見ました。要は、差別だなんだと訴えてる団体なんですよね? そんな奴らは、シャカフですよ、シャカフ。

――シャカフとは?

瓜田 社会不適合者ってことです。ルールを守れないバカは、ルールのある国で生きてちゃダメなんですよ。だって、「女性専用車両」って書いてあるんでしょ?

――はい。ただし、あくまでも鉄道会社からのお願いに過ぎず、法的強制力はない。「だから乗る権利がある。乗せないのは男性差別だ」というのが差別ネットワークの言い分のようです。

瓜田 バカだと思いますね。たとえば、ケーキ屋でもランジェリーショップでも、男性はダメとは謳ってないけど、暗黙の了解で女性しか来ないような店って、いっぱいあるじゃないですか。そんなところに男1人で入って長いこと居座ったら、ものすごい白い目で見られますよ。俺ね、大阪でいっぺん、間違えて女性専用車両に乗っちゃったことがあるんです。で、呑気に携帯でしゃべってたら、まわりの女性客からすっごい白い目で見られて、ヤベエと思った。あんときの女便所に入っちゃったかのような恥ずかしさと言ったら、なかったですよ。次の駅に着くまで、気まずくて気まずくて……。そんなところにわざわざ行くのは、ただのバカ、もしくは、ただの変態だと思います。

――彼らは白い目で見られるのをわかっていて、あえてやっているんだと思いますよ。それこそが問題提起だと。

瓜田 あのね、「これは俺的に納得いかない」というアラを探し出したら、世の中キリがないんですよ。どんなことでも「俺を邪険にしてる気か?」と言おうと思ったら、首を突っ込めるところはいくらでもある。そんな隙間をわざわざ見つけて、いちいち自分らの存在を示すために突っ込んでく奴らを、俺は全否定しますね。完全に女性専用車両の味方になりますよ。

――一連の騒動がメディアで報じられたことにより、「男性差別に反対」という主張は世間に伝わったと思いますか?

瓜田 どう考えても、逆効果でしょ。超マイノリティが“超々マイノリティ”になってるだけだし、今回の一件で「男ってキモい!」と思った女性も増えただろうから、男性差別を逆に助長してるだけじゃないですか(笑)。同じ男として、超迷惑。もし俺がそいつらと同じ電車に乗り合わせたら、問答無用でつまみ出して、カメラのないところに連れてって、あとは想像に任せますよ。それか、つまずいたフリしてマウントを取って、あとは想像に任せますよ。

――今までそういう怖い目に遭ったことはないんでしょうかね?

瓜田 女性専用車両内の出来事だから、他の車両の人たちには何が起きてるのか、わからなかっただけでしょう。ちょっと血の気の多い男性の乗客がいたら、確実にやられますよ。時は金なり、ですから。そんな奴らのせいで、みんなの時間が5分10分遅れたら、たまらない。こんなこと言ったら反感を買うかもしれないけど、俺、空気を読まない奴が昔から嫌いなんですよ。「全体的な空気がこうだな」と感じたら、それに合わせないとケンカになるだけじゃないですか。空気を読みたくても読めない人は別だけど、読めるくせにあえて読まず、人様に迷惑をかけるような連中は最悪ですよ。11車両あるうち10車両が女性専用車両になったらさすがに文句を言ってもいいけど、たかだか1車両だったら実害がないでしょ? 俺が受けてる差別に比べたら、痛くもかゆくもないじゃないですか。

――瓜田さんが受けている差別とは?

瓜田 「元アウトローの瓜田純士だからダメ」という差別ですよ。近所の喫茶店も出禁だし、六本木や新宿二丁目の遊び場にも入れない。何か習い事をしようと思っても門前払いで、バイトの面接は百発百中で落ちる。そんな俺に女性専用なんちゃら? おまえ、ふざけんな。遊びか? 冷やかしか? って話ですよ。なんの話を誰にしてんだ、っていう。

――差別を受けて思うことは?

瓜田 ゴネても何も始まらない、諦めが大事だ、ってことですね。俺クラスになると、あれもダメこれもダメ言われ過ぎて、どんどんやれることが限られてくるんだけど、その分、タフになりますよ。「わかった、わかった。ダメならしゃーない。次いってみよう」っていう思考回路になるんですよ。

――だから男女差別くらいでガタガタ言うな、と。

瓜田 そうですよ。レベルが違うぞ、と。そういや俺、ヤクザをやめた際の取り決めで、いまだに歌舞伎町に入れないんですよ。車両出禁どころの騒ぎじゃない。町から出禁を食らってる。おまえらのまわりにそんな奴いるか? こんな俺でさえ空気を読んで生きてるのに、なんだおまえら、俺に見つからなくてよかったな、という話ですよ。

――瓜田さんの場合は、仕事面での制限も多くて大変ですね。

瓜田 肉体労働のバイトにさえ受からない自分の身の丈を考えて、最近、新たなシノギを始めたんですよ。瓜田純士がアドバイザーを務める男性限定のテレフォン人生相談、題して「NO problem」です。俺はいろんな人生経験があるから、たいていの奴の気持ちになれるし、同じ目線からアドバイスを送ることができる。心理カウンセラーみたいな堅苦しいことは言わないし、ホリエモンや林修みたいなエリート目線の助言も言わない。瓜田純士流に親身になって相談に乗ります。相談士って、資格が要らないんですよ。だったら天職だなと思って、サイトを立ち上げました。

――新たなビジネスがうまくいくことを祈ります。話を本題に戻しますが、差別ネットワークのメンバーたちは、今後どうしたらいいと思いますか?

瓜田 俺自身がめちゃくちゃ差別されてるから、こんなしょうもない奴らの心配をしてる暇なんて、ないんですよ。自分のことで精一杯ですから。でも、こんな奴らでも俺んところに相談に来てくれれば、30分5,000円でアドバイスを送りますんで、気軽にアクセスしてほしいですね。「まずその緑色のハッピをやめろ」ってところから優しく指導してやりますよ。

(取材・文=岡林敬太/撮影=おひよ)

※瓜田純士の人生相談「No problem」
https://kinngofoutlow.jimdo.com

※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。
http://www.cyzo.com/cat8/outlaw_charisma/

せっかちな人ほど声がでかい!? もう傷つかずに済む、声の調整法をボイストレーナーに聞いてみた

 声の悩みというと「声が小さい」がクローズアップされがちだが、「声がでかい」だって深刻な悩みだ。著者である私も幼少期から、普通に話していても声が人一倍大きく、飲食店で隣の客がムカついたのか「もう少し声を落としていただけないでしょうか……?」と店員から申し訳なさそうに言われたこともある。これはやられた人にしかわからないだろうが、死にたくなるくらい堪える。前回(参照記事)に引き続き、東京品川にあるボイス&メンタルトレーニングスクール『アマートムジカ』を運営する堀澤麻衣子氏、司拓也氏に、声デカの処方箋について聞いた。

 

■声がでかい人が「声を小さくする努力」をするのはつらい!

 

――「声を小さくするには」でグーグル検索するくらい、声が大きいのが悩みです。

堀澤麻衣子氏(以下、堀澤) 声は、口だけでなく、自分の顔や頭の骨を振動させて、相手に届きます。声が大きい人は、頭蓋骨が球体で、響きやすい造りになっていることが多いんです。

 響きやすい頭蓋骨を持った人が、自然に逆らう「声を小さくする努力」は難しいですし、つらいと思います。そうではなく「声に芯をつける」ことをお勧めしています。そうすれば、うるさいと思われず、「聞かされる声」ではなく、「聞いていたい声」と思われる、好かれる声になれます。

※注:このインタビューの著者であるライター石徹白の頭蓋骨も、堀澤氏に見てもらったところ、「ばっちり響く頭蓋骨(素で大きな声が出やすい)」とのこと。

――「芯」は、どのようにつければいいのでしょうか。

堀澤 前回の「居酒屋で声が通らない人」と解決法が同じで、声の出発点と到達点を決めることですね。大きい声を「小さい声」にするのではなく、「通る声」にすることです。まず出発点は、前歯に穴が開いていて、そこから声を出すイメージです。そして、声の到達点についても意識します。

 なお、私も大きなコンサートホールで歌うときは、観客の一番後ろの人の頭上1メートルくらい上を目標に声を出しています。ホールだと、ちょうど緑色の「非常口」のマークがあるあたりですね。そうすると、聞いている観客の方全員に、声がシャワーのように上から降り注いで届くんです。

――カラオケで歌うときも応用できそうですね。

堀澤 そうですね。ただ、カラオケの場合、画面を見て歌うことが多いですよね。本来は聞いている人の頭の上に向かって歌った方がいいですよ。ステージがあるカラオケ店も増えたので、そういったところではぜひ試してみてください。

 なお、これは対面で人としゃべるときも原則は一緒です。相手の頭の上を超えるように声を出すと、芯のある、通る声になります。

――「相手の耳や顔に向かって」ではなく、「相手の頭上を越えるように」、なんですね。

■せっかちな人ほど、声は大きくなる~相手を色で包むイメージ~

司拓也氏(以下、司) また、声が大きい人が意識したほうがいいのは「喋っているときの空気の流れ」ですね。例えば、大阪のおばちゃんが「あんた何してんのっ!!!」と怒鳴っている姿を想像してみてください。これは、「ひたすら吐くだけ」の声で、うるさく感じます。大きくても聞き心地のいい声は、しゃべっている間も喉が開いていて、空気の流れがあります。

――しゃべっている間は「吐いてばかり」ではないんですね。

 そうなんです。ほか、声の大きい人への対策として、声量を数値化するという手もあります。声量を10段階で数量化してもらって、「10」なら「5」の声量を出してもらい、実際それを録音して聞いてもらいます。5で通じますね、というように、客観的に自分の声を聞くことで、声量が調整できるようになります。

 あと、会話において「ワンクッション」がない人も声が大きくなりがちです。

――私がまさにそうです。すぐ答えたいんですよね。

 反射的な反応は、感情が乗るので声は大きくなってしまいがちですね。

――どうしたらいいのでしょうか。

堀澤 声を「伝言するための手段」ではなく、「相手へのプレゼント」だと思うといいですね。相手に「どんな感情で受け取ってほしいのか」を色に例えてみるといいですよ。情熱なら赤、優しさならピンク、感謝なら金色とか。その色で相手を包むイメージで話してみる。

 相手にどんな感情を伝えたくて、相手を何色に包みたくてこの言葉を発するのか、というのをしゃべる前に一度考える。そうすると、一息つけますし、何より、相手に話が伝わりやすくなります。

――色でイメージすると、確かに「大きそうな声の色」もあれば「小さそうな声の色」もありますね。

堀澤 ただ、「声が大きい」と店員さんに指摘されたのは、笑い声ではなかったでしょうか。

――確かに、笑っていたと思います。

堀澤 笑い声は、聞く側の受け取り方もあります。イライラしているときに赤の他人の笑い声は許容しにくいものです。でも、楽しいのに笑うな、というのも無理な話ですよね。相手がいることなので、常に完璧を目指すのは難しい話ですが、考えすぎないのも大切ですよ。それでも、どうしてもテクニックとして試してみたいという方は、口を大きく開けて笑うのではなく、笑ってもいいのですが、口をなるべくあけないで笑うことで、音量を下げることは可能です。

――今回教えていただいたテクを駆使し、かつ声が普段以上に大きくなる飲酒時は個室を予約するなど配慮しつつ、自分を責めすぎないよう励みます。

* * *

 声が大きいことを気にするあまり、なるべく小さな声で話そう、と今思えば間違った心がけを長く続けてきた。しかし、地声の大きい人間が頑張って小さい声で話そうとすると、気分がどんどん沈んでいくのだ。「声を小さくするのではなく声を通す」。また、「一拍置く」こと。全国の声デカさんとともに頑張っていきたい。

 次回は引き続き堀澤氏、司氏に、「イケボ」とは何なのかについて伺う。

(文/石徹白未亜[http://itoshiromia.com/])

 

「アマートムジカ」ホームページ:http://amatomusica.com/

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『人前であがらず話せる「1分声トレ」』(世界文化社)

 

 

厄介な「ヘリコプターペアレント」の実態と対策――何も決められない子どもが育つ!?

 愛情を持って我が子に接するのは、もちろん大切なこと。しかし、愛情の示し方を一歩間違えると、歪んだ親子関係が生まれてしまう。近年では、子どもの行動を管理し続ける親を「ヘリコプターペアレント」と呼び、その行動が問題視されている。では、具体的に何が問題なのか? ヘリコプターペアレントの定義や対策について、育児相談室「ポジカフェ」の主宰者として多くの育児相談を受けている子育て心理の専門家・佐藤めぐみさんに話を聞いた。

■常に子どもを管理し続ける「ヘリコプターペアレント」

「ヘリコプターペアレントは『常に子どもを観察し続ける親』と『観察され続ける子ども』という親子関係が、ヘリコプターが上空でホバリングしている様子に似ていることから名付けられました。アメリカで出版された『Parenting with Love and Logic』という書籍の中で、著者のフォスター・クライン氏とジム・フェイ氏が用いたのが始まりといわれていますね」

 子どもを常に“観察する”ことがヘリコプターペアレントの定義のひとつという。ただ観察するだけなら問題なさそうだが、特徴はそれだけではない。

「毒親、カーリングペアレントなどなど、いろいろな呼び方がありますが、ヘリコプターペアレントの最大の特徴は『過管理』と『過干渉』です。親が子どもの行動や人生に関わらずにはいられないのです。特に学業や学校に関することへの干渉が強く、学校で子どもの身に何か起きようものなら、親が自ら抗議する場合もあるようです。ヘリコプターペアレントはアメリカ発の言葉ですが、日本で生まれた“モンスターペアレント”に近い部分もありますね」

 先日放送された『ねほりんぱほりん』(Eテレ)でヘリコプターペアレントが特集され、「中学生の娘の尿採取を手伝っていた母親」「子どもと恋人のLINEをこっそり開いて確認する母親」などの衝撃的なエピソードが飛び出して話題になった。佐藤さんによれば、彼女たちのように度を越した干渉をする親は“しっかり者”であるケースが多いという。

「一見すると、しっかりしている母親という印象があるのですが、その“しっかり”が行きすぎると『この子のことは私が一番わかっている』という思い込みがエスカレートしていきます。そのため、子どもが大きくなっても干渉・管理を続けている場合が多いですね」

 ヘリコプターペアレント化するのは圧倒的に母親が多いそうだ。

「アメリカの状況は存じ上げませんが、日本は母親が育児の大半を背負っていることが多いので、ヘリコプターペアレント化してしまうようです。日本はまだまだ母親への重圧があり、その息苦しさも行きすぎた育児の要因になっていると思います」

 そのほか、親側に「こういう子に育ってほしい」という確固たる思想があり、その枠にはめたい気持ちが強いのも、ヘリコプターペアレントの特徴だとか。

「私の経験則ですが、自ら『私はヘリコプターペアレントだ』と気づくケースは少ないように思います。どこからが過干渉や過管理に当たるのかというボーダーが明確でないため、自分の行動に何ら疑問を持っていないことが多いですね」

 子どもの行動を観察し、問題が起きれば飛んでいくヘリコプターペアレントは、子どもの成長のチャンスを奪う、と佐藤さんは指摘する。

「ヘリコプターペアレントが抱える最大の問題点は、自分で立つ力が子どもに育たないこと。親が子どもの人生や経験の多くを決めてしまうので、圧倒的に“決断”する機会が減ってしまいます。すると『自分で決められない』『自分の意思がない』といった、いわゆる“自分力”が欠如したまま育ってしまうのです」

 さらに、幼少期に失敗を重ねなかったことから、“完璧な自分しか認められない”“自分を好きになれない”などのネガティブな自己観や、精神的な不安定さにつながっていくという。

「幼少期は、ママに見てもらうことがうれしいため、『うちの親は距離感が普通とは違う』ということに気づきにくく、小学校高学年〜中高生になって初めて、自分と親の“距離の近さ”にとまどいや苦痛を感じるようになります。その間も、親によるヘリコプターペアレンティングは続きますが、苦痛や煩わしさを感じつつも、十分な自分力が育っていないために従わざるを得ないという、不格好な共依存で悩むケースもあります。私が行っている育児相談でも、ヘリコプターペアレントに育てられた人がママになり、自分の育児に悩んでいるというケースは多いです。みなさん、親からの過干渉によって子ども時代にツラい思いをしていて、『私はヘリコプターペアレントになりたくない』と、親を反面教師にしてがんばっている方が多いように感じます」

 子どもが悩まないように――と親がレールを敷き続けた結果、親元を離れた途端に、その子どもは途方に暮れてしまうというパターンだ。

「このようなケースは、大きくなってから『自分力が欠如している』と認識することが多いと思います。大人になってから気づく人も多くいらっしゃいます。なので、克服法を欲しているのは、自分の力で立つことを求められる大人に(ママに)なってからが多いように感じています。手前味噌になりますが、私が普段している活動そのものが、それに当たります。ポジティブ育児メソッドでは、子どもの心だけでなく、ママの心も支え、ママ自身の心を強くする働きかけをしています。小さい頃からの自己概念は根強いものですが、きちんとした働きかけがあれば、大人になってもそれを塗り替え、たくましくすることができるからです」

 佐藤さんの言う「小さい頃からの自己概念」をたったひとりで変えるのは、とても難しいはず。母としての“たくましさ”を身につけるために、専門家にサポートしてもらうのも、克服法のひとつなのだ。

 子どもの将来を思うならば、過度な干渉や管理は控えなければならない。それでは、親子にとっての適切な距離の取り方とは?

「基本的には、子どもが“適切な距離”を知っています。そのときどきで、子どもが示した距離が、その子の心の状態に合った距離感なのです。たとえば、普段は公園内でママと離れた場所で友だちと遊ぶのが大好きな子でも、転んだりイヤなことがあったりすると、ママのところに飛んできます。子どもは自分の心を満たすために、器用に距離を調節できるのです。なので、親があれこれと考えるよりも、子どもが求めている距離に順応してあげるのが一番です」

 もちろん、子どもが赤ちゃんの頃は親が近くにいる必要があるが、幼少期に入り、子どもが自分で行動できるようになれば話は別。少しずつ子どもに“決断”をさせていく必要がある、と佐藤さん。

「もしも、お子さんとの会話の中で『ママ、これどう思う?』『ママどうしよう。ボクどうしたらいいかわからない』『ママが決めて』といった発言が多いようであれば、注意が必要です。その場合は、少しずつでいいので、日々の会話に『あなたはどう思う?』という質問を盛り込み、その子が自分の行動に主体性を持っていくように働きかけるのがポイントとなります」

 大人になれば、さまざまな場面で決断を迫られる。その予行演習は、子どもの頃から育まなければならない。

「過管理・過干渉は、ここまでならOKでここからはやりすぎという明確な線がなく、知らず知らずにエスカレートしていることが多いため、自分がヘリコプターペアレントだと思ってもいない人がほとんどです。しかし、そこをあえて“自分はヘリコプターペアレントではないか”と客観視し、“その状態から脱却したい”と思ったら、まずは年相応の決断力や判断力が、我が子に伴っていないことに危機感を持ってほしいと思います。『子どものためにと思ってやっていることは、本当に子どものためか』『逆に足を引っ張っていないか』など、自分の行動を疑うことが第一歩です」

 いつでもレスキューできる場所にいたいという親心があったとしても、その距離感を適切に保ててこそ、優秀な操縦士、ということのようだ。
(真島加代/清談社)

佐藤めぐみ(さとう・めぐみ)
アメリカ、イギリス、オランダで学んだ心理学を、日本のママたちが取り入れやすい形にした「ポジティブ育児メソッド」を考案。現在は、ポジティブ育児研究所・代表を務める傍ら、育児相談室でのカウンセリング、メディアでの執筆を通じ、子育て心理学でママをサポートする活動に尽力。
佐藤めぐみオフィシャルサイト

居酒屋で声を張り上げているのに店員が振り向かない人は何がいけない? ボイストレーナーに聞く!

「自分の声が好き」という人は多くないはずだ。声が小さい/大きい/こもる/聞き返される/居酒屋で店員を呼んでも振り向いてもらえないなど、声に関する悩みを抱えている人は少なくない。一方で、身なりは多くの人が気を使うわりに、声をなんとかしようと気を使う人は少ない。だからこそ、声を効果的に使うことができれば、日常生活にとって大きな武器になるはずだ。

 様々な人が抱える声の問題とその解決法を、東京品川にあるボイス&メンタルトレーニングスクール『アマートムジカ』を運営する堀澤麻衣子氏、司拓也氏に話を聞いた。

 

■宇多田ヒカルは、しゃべるときになぜ声が「こもる」?

 

――ボイススクールに通う人は、どういった方が多いのでしょうか。

司拓也氏(以下、司) 男女比は半々で、年代は10~80代までと様々です。職業は会社員の方が一番多いですね。アナウンサー、役者さん、声優さんや、その志願者といった「プロおよびプロ志願者」の方は全体の5%ほどで、ほとんどが一般の方です。

堀澤麻衣子氏(以下、堀澤) 以前は30~40代の方が多かったのですが、最近は20代の方が増えましたね。就活の前に受けられる方も増えました。

――スクールに通う一般の方は、どういった声の悩みを抱えているのでしょうか。

 声が小さい、喉が痛くなる、声がこもる、聞き返される、滑舌が悪い、声の音量のコントロールができない、早口になる、吃音などですね。声が「こもる」ことで悩まれている方は多いです。

――「声がこもる」とはどういう状態なのでしょうか。

 「声が大きい」の反対は「声が小さい」という音量の問題です。一方、「声が通る」の反対は「声がこもる」という質的な問題になります。声が大きすぎると、場合によっては嫌悪感を持たれますが、声が通り過ぎることで嫌悪感を抱かれることはまずありません。

――こもっている声でイメージしやすい著名人の方はいますか?

 モデルの栗原類さんはこもっていますね。表情を変えずにボソボソと喋りますよね。

堀澤 キャラクターですけれど、『クレヨンしんちゃん』のしんちゃんもこもっています。

――不思議なのが、歌手の宇多田ヒカルさんです。歌っているときは感じさせないのに、歌番組などでのトークを聞くと、しゃべり声がこもっている印象を受けます。

堀澤 たしかに以前の宇多田さんの声もこもっている印象を与える話し方をされてますね。宇多田さんは頬から上の表情があまり動かないんです。しゃべるときに使っているのが、頬から下の口の周りだけなんですよね。

――明らかに無表情の栗原さんと違い、宇多田さんは笑顔でしゃべっていた印象を受けますが……?

堀澤 宇多田さんの場合、目は笑っているけれど、もしかすると心から笑っていなかったのかもしれませんね。本当に笑っているときは目だけでなく、頬の上、顔全体の筋肉が動きますから。

 「緊張」していたり、「相手に気持ちを悟られたくない」という気持ちが強い場合、頬から上の筋肉が動かなくなります。宇多田さんは歌では表情豊かであるのに、ある一時期、感情を出されるのが苦手だったのかもしれません。休養され、結婚、出産されてからはずいぶん暖かく優しい印象の話し方に変わりました。

 宇多田さんに限らず、「目は笑っていても頬の上は動いていない」という人は、若い女性でもよく見かけます。

――そうした方が可愛く見えるから(本気で笑うと可愛くなくなるから)という理由からなのでしょうね。

堀澤 ただ、頬より上の顔を使わず、表情が乏しいまま口だけで話そうとすると、ボソボソと、こもりがちなしゃべり方になったり、喉を閉めて高音でしゃべろうとするので逆に耳についたり、不自然な声になったりしてしまうんです。

――口先ではなく、顔全体を使って話すことが大切なんですね。

堀澤 「顔全体」を超え、頭蓋骨の中で声を響かせるというイメージでいるとさらにいい声が出ますよ。そうするには、息の吸い方、吐き方だけを変えるだけ。それだけで、本当の自分自身の魅力的な声にあっという間に変わります。

 今はメールやSNSでのコミュニケーションが増え、しゃべることの絶対量が昔よりは減っていますよね。その結果表情が乏しく、口だけしか使えずに話す人が増えています。口をあけずにしゃべる親御さんに育てられたお子さんは、親を見て、真似をして話しますから、声に関しては以前よりどんどん退化していると感じます。

■歌うときと話すときのボイストレーニングで鍛えるポイントは異なる

――しゃべるときはこもっていても、宇多田さんは歌うときはまったくそう感じさせませんよね。

堀澤 はい。歌のときは思い切り息を吸わないといけないのと、音程をとるために、自然と頬骨が上がり顔全体が動くんです。

――歌のボイストレーニングと、話すためのボイストレーニングは必ずしも一致していないんですね。

堀澤 はい。スクールでも歌のコースと話し声のコースは分けています。ただ一部は共通しており、正しい発声の基本は、息を吸って吐くことです。歌のトレーニングでは、喉をあけてたくさん息を吸って吐けるようにトレーニングをします。そうすることにより声が小さくて悩んでいた人が、歌のトレーニングで呼吸が上手になり、気がついたら、しゃべり声も改善されていたということはよくあります。

 ただ、話す声をよくするには「メンタル的な要素」が大きいんです。「自分に自信がない」という気持ちが強い人にそのままの素の声を出してもらう際には、ボイストレーニングにプラスして「メンタルアドバイス」という別のアプローチをすることで声が良くなっていきます。

■居酒屋で店員を呼んでいるのにさっぱり振り向いてもらえない問題

――賑やかな居酒屋で、店員さんに「すみませーん!」と本人にしてみれば大きな声で叫んでいるのに店員さんがさっぱり気づかない人っていますよね。

 はい。それが「大きいのに通らない声」です。一方で、声量は大したことがないのに、店員さんがすぐ気づく声もあります。これが通る声と通らない声の違いです。

――声をどうしたら通せるのでしょうか?

 通らない声の人は空間に声が拡散しているんです。一方、通る声の人は一点から声が出ている。スクールでは、口全体で声を出すのでなく、上の歯の前歯と歯茎の間に1ミリ以下の小さな穴があいていて、その一点から声を高速で出すように、と指導しています。

堀澤 さらに、声の目的地ですね。後ろを向いている店員さんを呼びたいなら、「店員さんの後頭部の下の首の骨が出っ張っているあたり」を的にして、発声しましょう。

――目標は頭じゃなく、首なんですね。

堀澤 はい。正しい発声法を用いて、声の目的地を首にしてみてください。

――声を散漫に空間に広げようとせず、始点と目的地の、声の道を作ることが大切なんですね。

* * *

 次回は引き続き堀澤氏、司氏に、「声がこもる」「声が小さい」に並ぶ声の悩み、「声がデカい」の解消法について聞いていく。
(文/石徹白未亜[http://itoshiromia.com/])

「アマートムジカ」ホームページ:http://amatomusica.com/

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『1日で感動的に声がよくなる!歌もうまくなる!!』(すばる舎)

 

女子就活生は「パンツではなくスカート」に異論の渦! 大学が指導する理由は“女性らしさ”?

 3月1日、新卒採用活動が解禁となり、2019年卒業予定の学生の就職活動がスタートして、街中で、真新しいリクルートスーツに身を包んだ大学生をよく目にするようになった。それに伴って、同4日には、NHKで『就活応援TV』という番組が放送されたのだが、ある女子就活生の“リアルな声”が、ネット上で物議を醸している。

 「文系3年」と紹介されたその女子就活生は、同番組のインタビューに対して、就活時の“服装”に関して、

「さすがに女性でパンツっていうのは採用とかに響くっていう話をよく耳にするので。(大学の)就職支援課の方からもやっぱスカートでっていう話を聞いたので。やっぱ買わなきゃかぁっていうのが。今まだ(スカートを)一着も持ってないです」

と、胸中を吐露。すると、番組視聴者からは、「女子はスカートじゃないと採用されにくいって、セクハラじゃん」「女は脚を見せろってこと?」「そんなことを指導する大学側はおかしい」「スカートかパンツかで判断する企業なんて、こっちから願い下げ」など、女子の就活における「パンツよりスカート」という通説に、異論が飛び交ったのだ。

「スカートで」と指導される業界は?

 果たして、大学側がこういった指導をすることは現実的にあるのだろうか。『就活女子のための 就活迷宮から抜け出すトビラ』(TAC出版)などの著書がある就活キャリアアドバイザー・採用コンサルタントの井上真里氏は、「大学が、“第一印象を良くしよう”という主旨の話の中で、『業界や職種によってはスカートの方が望ましい』といった指導をしている可能性はありますね。実際にそういう話を聞いたことも」という。

 それは「企業の男性社員に脚を見せると採用が有利になる」といった意味合いの指導ではなく、「例えば、航空や金融など、いまだに“男性と女性の仕事が明確に分かれる”と考えられている業界、“女性らしさ”みたいなものを期待される業界では『スカートで』といった指導が行われているようです」。

 しかし、企業側が採用において、“パンツよりスカート”の女子就活生を優先させるのかについて、井上氏はきっぱりと「ないと思います」という。

「『パンツかスカートか』は、そもそもリクルートスーツを着る前提の議論だと思うんです。しかし最近では、『リクルートスーツで面接に臨む必要はない』という企業も出てきたので、だんだんそういう議論もなくなっていくのではないかなと感じています。それより、自分の魅力が伝わる、かつ、常識の範囲内で、清潔感のある、相手に好感が持たれるよう気を使った服装をしましょうというのが適切だと思いますよ」

 「パンツよりスカート」といった説が女子就活生の間で広まり、「パンツをはきたいけど、スカートをはかなきゃダメなの?」と悩む者まで出てきている現状を、井上氏は危惧しているという。

「この話は、『相手に対して、自分が好印象に見える格好をする』というのが原点になっているのでしょうが、そういった服装は、自らの意思で考えて選択すべきもの。『パンツがいいかスカートがいいか』の議論は、『こっちにしておけば間違いないんじゃないか』と、答えを探しているようで、就活生が思考停止に陥っているように感じるんです。ウェブ上に、就活のマニュアルが出回ってしまった結果、全てのものに答えがあると思い込んでるというか。それよりも、『この会社の面接に行くには、どういった服装がいいだろう』とちゃんと自分で考えて、パンツを選ぶもよし、スカートを選ぶもよし、自由にすればいい! と思います」

 実際に井上氏が、女子就活生から服装の相談をされることはよくあるそうで、「『自分を相手にどう見せたいか』と『自分らしさをどう出すか』を踏まえて、自分で考えなさいと言ってます」とのこと。

「大学側は、『そんなこと自分で考えなさい』という指導ではなく、“より確実性のあること”を学生に伝えなければいけない面があるのでしょう。その中で、『女性は女性らしい格好、男性は男性らしい格好』というのを単純に伝えて、『女子はパンツよりスカート』となり、それが就活生の間で独り歩きしているのかもしれません」

 最後に、「服装は合否を決める決定的な要素ではない」と強調した井上氏。確かに、ESや面接で話す内容、大学時代に何をしてきたかなどの方がはるかに重要だろう。なぜ、服装問題で悩む就活生が続出し、議論を呼んでしまうのかについても、あらためて考えるべき点なのかもしれない。

仲介会社の「仮契約しましょう」、玄関に○○の隣人はNG! 賃貸探しのトラブル回避法

 賃貸住宅で暮らす人にとって、仲介会社や管理会社は暮らしの質を左右すると言えるが、それらのサービスに不満を持つ人は多い。一体、「いい会社」をどう見極めればいいのか。「完全紹介制(一見さんは利用不可)」というユニークな制度のもと、『有吉ゼミ』(日本テレビ系)でも家探しを行う不動産仲介会社「誠不動産」社長・鈴木誠氏に、良い不動産会社の見極め方や、住民トラブルの回避法について聞いた。引っ越しを考えているなら必読!

 とりあえず仮契約」の仲介会社は論外

――不動産の資格というと、「宅建」がありますよね。

鈴木誠氏(以下、鈴木) 宅建は「賃貸仲介」の業務を行う人にとっては、実務で利用されることが少ない資格でして、契約時に「重要事項説明書」を読むために必要な資格といえます。ただ、宅建資格がないと独立もできないですし、不動産業を行う場合5人に1人は宅建保有者がいないと会社を作れないんです。

――不動産は仲介、管理、売買と業務の幅が広いですよね。売買と仲介で比べると、一度で動く金額は売買の方が大きいかと思います。そのような中で、鈴木さんが仲介専業を選択した理由はなんでしょうか。

鈴木 売買の仕事も以前は行っていましたが、賃貸仲介の方が性に合っていたんです。仲介ですと同じお客様に何度も来ていただけることがあります。最初に家賃6万円だったお客様が、次は8万円の物件、次は彼女ができて、結婚して……と、その過程を見られるのがうれしくて。売買ですと、お客様に会うのは多くて2回ですから。

――なるほど。では、いい仲介会社に出会ったら、次の引っ越し時にまたお願いするのもアリなんですね。

鈴木 同じ人を頼るのは手だと思いますよ。ただ、たいていの仲介会社は、会社のある駅から2~3駅くらいまでがカバーできるエリアだと思います。そこから離れると土地勘がなかったり、内見で遠方の物件をいくつも回ったところで決まらないと、お金にならなかったりしますから。また、論外なケースとして「とりあえず申込み」と言う仲介会社はダメですね(正しくは申込みですが、仮契約という言葉を使う会社も)。

――(編集) 年末に賃貸探しをしていたのですが、まさにそのまま言われました。「二番手の方もいますので、さっさと仮契約をしてしまいましょう」と急かされて。

鈴木 「申込み」は大家さんにしてみても「決まったかと思ったらキャンセルが入り、空室のまま」が続き、疲弊してしまいます。「運よく決まってくれればいい」と申込みをひたすら薦める仲介会社は、家を探す人にとっても、大家さんにとっても良くありません。

――「仮申込み」のほか不動産仲介で悪質なケースはありますか?

鈴木 進学で上京してきた学生さんは、右も左もわからないので被害に遭いやすいですね。学生さんのライフスタイルに合わせてではなく、仲介会社が契約させたい物件に押し込むので、学校から遠すぎるという悪質なケースもあります。

 知人から聞いた話ですが、北海道からお子さんが進学で上京される、とのことで、お父さん、お母さんは事前に十件以上候補を選んでいたそうです。そして、ある有名な仲介会社に事前に連絡したところ「空室ですので、ぜひ来てください」と言われ、いざ家族3人で上京したら「そんな物件もうないですよ」と態度が一変し、別の物件を強引に薦められたそうです。

 そこで、ご家族はおかしいな、と思い店を出たところ、ちょうど向かいに私の知人が働く仲介会社があり、いい物件が決まったそうです。進学の家探しはタイムリミットもありますからね。6時間で家を見つけないといけない、とか。

――仲介会社が「推す」物件ってありますよね。

鈴木 「推し」物件は“広告料”のあるケースが多いですね。広告料とはオーナーから仲介会社に「決めてくれてありがとう」と渡されるお金で、家賃の半月~1か月分くらいです。

――本来、仲介会社が受け取る金額は、仲介手数料(たいていが家賃の1カ月分)と決められていますよね。

鈴木 定められています。当社も1カ月分の家賃×消費税をいただいています。

――そこに、広告料が大家さんから別途入るのであれば、入れたい事情も見えてきますね。

鈴木 広告料がついている物件しか紹介しないという方針の仲介会社もありますよ。ただ、本当にいい物件は広告料なしでも決まります。ものすごくいい物件ですと、仲介手数料が通常の半分(家賃の0.5カ月分)しかないという強気な物件すらあります。それでも、そういった物件は条件がいいのですぐ決まるんですよね。

 管理会社の心を動かすテクニック

――仲介で家が決まった後は、管理会社のお世話になるわけですが、管理会社の良し悪しを事前に見抜くポイントはないのでしょうか。

鈴木 難しいですね……。当社も仲のいい管理会社はあるのですが。昔からの管理会社さんの中には融通がまったく利かないところがある一方、新しければ雑だったりするところもありますし。私のところでは、「良くないな」と思う管理会社が管理する物件は、お客様に紹介しません。

――騒音など入居者トラブルが発生したときに、入居者が管理会社を動かすコツはありますか?

鈴木 とにかく、下から、下から行くことです。相手も人ですから。「隣の音うるさいんですけど!!」では当然、管理会社の対応も悪くなります。私も電話するときは、すごい下から行きますよ。

――「私は被害者だ、金を払っているのだからなんとかしろ!」のスタンスでは、何も解決しないどころか、かえってイライラを募らせるだけでしょうね。

鈴木 はい。管理会社も日々そういった電話を受けていますから。なので、「この人、ほかのクレームとは違う……!」と、管理会社の人に「動いてみよう」と思ってもらえることが大切なのですね。

■毎月20億の「家賃未納」がある?

――保証会社(家賃保証会社)への加入が必須の物件も多いですよね。

鈴木 増えてきていると思います。契約時に賃料と管理費の合計の50%、毎年更新料で1万円を払うケースが多いですね。

――私はまったく滞納していないので、理不尽な出費だなと思うのですが。

鈴木 ただ、滞納は多いんです。当社と提携している保証会社は、昨年1カ月で家賃が支払われなかった額が月数十億円ほどになるんだそうです。事務所や店舗も併せてですが。

――年でなく、月数十億円ですか! こういった場合、差し押さえなどをするんですか? 

鈴木 いえ、入居者保護の方が強いのでなかなか難しいですね。3カ月滞納しても追い出せない、というのが裁判所の判例であります。また、3カ月に1回払えば「払う意志がある」とされ、つまり年3~4回払えば住めるぞと。こういった情報が今だとネットで共有されてしまうんです。「滞納に業を煮やした家主が借主の鍵を交換しても、それは交換した家主が悪いと言えるぞ」とか。

――「盗っ人猛々しい」状態ですが、対策はないのでしょうか。

鈴木 保証会社も横のつながりを深めています。滞納が続けばブラックリストに載って、何回も滞納したら、日本の賃貸物件にはどこも住めなくなるようになっていくでしょう。さらに住宅の保証会社だけでなく、クレジットカード、エポスさんやジャックスさんといったクレジットカードとつながりもできていますので、カードの支払いに遅延、未納があれば、住居も借りられなくなる流れができつつありますね。

 不吉なオーラを漂わす、ぎょっとした物件

――さまざまな物件を見てきた鈴木さんが、ぎょっとした物件はありますか?

鈴木 「水のトラブル」「暮らし安心」系のサービス会社さんは、冷蔵庫やドアに貼れるマグネット広告をよく使っていますよね。そのマグネットが、エレベーター中にびっしりと隙間なく貼ってある物件があり、あれは怖かったですね。鳥肌が立ちました。紹介リストからは即外しましたよ。別の物件で、入居者さんが希望していた隣の部屋のドアに、同じようにたくさんのマグネットを円形に貼っていたケースもありました。

――「暮らし安心」どころか「暮らし不吉」ですね。

鈴木 その物件は家賃が高めの、設備のいい一人暮らし用の物件だったのですが、当然、こんな隣人のいる物件はお客様に紹介できないですね。

 あと、大家さんとの同一建物の物件で、大家さんが個性を出しすぎている物件もちょっと危険ですね。例えば、各階に大家さんが人形を置いていたりするのは、「自分のモノ」という意識が強いタイプなので、住みにくいかもしれません。

――いろいろと参考になることばかりですね。今後、仲介業者としてやっていきたいことはありますか?

鈴木 いい仲介業者と悪い業者を見分けるのは難しいものです。CMを流しているからいい業者、なんてこともないため、「どこの業者がいいのか」という目安を作りたくて、社団法人日本賃貸仲介協会を設立しました。この協会では、仲介業務の従事者向けの資格も作り、すでに10何社に加入していただいています。賃貸契約の予定がある方は、日本賃貸仲介協会のホームページを見ていただくと、参考になるかと思います。

(石徹白 未亜)

日本賃貸仲介協会ホームページ

『快楽ヒストリエ』マンガ家・火鳥《楽しい日々》へのささやかな恩返し

 昨年、希代の革命家である外山恒一を取材した。話題は必然的に、やがて訪れる「革命」の具体的なイメージになった。「革命は、人の力でどうにかして起こせるものじゃない。革命様が降臨されるぞと、待ち望んでいる宗教みたいなもの……いくら信仰していても、いざ革命の時には使ってもらえないかもしれないですよね」。

 遠大な人類の歴史を顧みると、人が一人、何かができる時間は、刹那に過ぎない。さまざまな説があるが、人類がアフリカを出発してからだけで14万年あまり。日本の歴史も、2700年目が手の届くところまで来ている。その中で、人の営みはわずかに70年程度。何かの書類に年齢を書いたりした時、あるいは、朝夕の身体の疲れに、人生の黄昏を予感して歩みを止める者は尽きない。自分の限界を感じ、どうしようもない時間の流れの中で、無力さを冷ややかに笑いながら、ただ身を任すのだ。

 でも、絶望の中で生ける屍となる者は少ない。ふとした思いがけないことが、限られたさまざまな枷の中で、それに抗おうとする機会を与えてくれる。日々、世に送り出される文章やマンガ、音楽などには、そうした力があると思っている。

 歴史家のハーバート・ノーマンは、歴史の女神の容貌を奈良中宮寺の弥勒菩薩に仮託した。

「彼女は人間の営み――その愚かしさ偉大さを、この世の情熱や功名心を、無関心や尊大さではなしに限りない忍耐と同情の面もちで見まもっている。私はその顔があざけりにくもらないユーモアにかがやくのを心に描くことができる。多くの月並みな仏像とちがって、この姿には冷ややかな近づきたいものが少しもない。むしろ温か味と共感を、私の印象ではギリシアの像よりも多く、ただよわせている」(『クリオの顔』岩波文庫)

 平成という年号の終わりが、刻一刻と近づいている。耳を澄ませば、その足音が聞こえるようになってきた。人は、いつの世も新しい時代の幕開けよりも、時代の変化への不安に包まれていた。それは、今でも変わらない。

 火鳥『快楽ヒストリエ』という、1点のマンガが単行本になったのは、そんな足音について言及されるようになった、年の暮れだった。コンビニでも販売されている雑誌「快楽天ビースト」(ワニマガジン)の巻末に掲載されているギャグマンガ。いわゆる「エロマンガ」が掲載されている雑誌の中で、このマンガは、ちょっとしたお色気を添える程度。性別や年齢にかかわらず、誰もが気軽に読むことのできる、純粋なギャグマンガである。

 雑誌の中では、明らかに異色の作品の単行本化。それを多くの人が待ち構えていた。雑誌の読者は「待ってました」と買い求めた。その面白さは、SNSなどを通して拡散していった。あたかも、火薬や紙の製法が世界へ広まっていったかのごとく。

 それは、出版元のワニマガジン社にも予想外のことだったのだろう。発売から1カ月あまりを経た現在、初版の在庫は払底し重版の出荷が待たれている。

 この作品がテーマとしているのは、歴史。

 そこでは、失われていた「歴史の真実」が次々と明らかにされていく。

 白亜紀の地層から書物を抱いた人間の化石が発見された。

 8,000万年前……人類は既に購読していたのだ。エロマンガ(快楽天ビースト)を!!

 一揆の総大将・四郎。その知名度に反して謎多き人物である。

 しかし経済的に恵まれており学問に親しんでいたこと……また当時16歳という年齢から、少なくとも女子高生であったことは疑いようがない。

 古代エジプトには、神や王を語るための神聖文字「ヒエログリフ」が存在し、エロマンガは、その対極「ドエログリフ」と呼ばれていた。

 読者の教科書程度の歴史知識を背景に、火鳥は<真実の歴史の探究>を記していく。ともすれば「出落ち」。第1話を頂点に、あとは次第にテンションは下降してしまう危険もある。けれども、連載の開始以来、勢いは途切れることはない。むしろ、回を重ねるごとに描かれる登場人物たちは、生き生きと動いている。

 ギャグマンガゆえに、文字や会話で、その面白さを説明するのは困難である。でも、どうしてもそれをしたくなる衝動と熱が、この作品には確かにある。人類の歴史の中では、わずかに過ぎない人間の一生。その貴重な時間で、この作品にいくばくかの時間を費やしてよかった。ネットで『快楽ヒストリエ』を検索すれば、そんな読者の思いが、画面の向こうから送られてくる。

火鳥(ヒトリ) 今日、ここに来る時に考えてたんです。さぞ歴史への深いなにかがあって描かれたと期待されてるかも知れないけど、どうしよう、面白い答えなんてなにもない……。そうは言っても何か話さないと、読んでくれる人に申し訳ないなって……。

『快楽ヒストリエ』の連載が始まったのは2016年の4月から。「快楽天ビースト」の表紙が変わり、新装刊することになったからと編集さんが声をかけてくれて。このワニマガジンの編集さんはぼくのデビュー以来の付き合いで、連載の話は何年か前にもあったんですよ。その時は一度お断りしたんです。でも、今回は気が変わったというか……首都圏に引っ越すことを決めたタイミングでもあって、連載を持っておこうと思ったんです。

 それで悩みました。ぼくは、何を描いたら、いいんだろうか。

 もともと自分は、直球で18禁そのものは描けないんです。まだ20歳くらいの頃には興味があったんですが、結局描かずじまいで……。一言で言えば、恥ずかしかったんです。照れくささという壁を越えられるほど、エロというジャンルへの情熱がなかった。思うに、ぼくという作家はギャグ、つまり「スケベ」や「変態」が大好きなんであって、エッチなシーンそのものが描きたいわけでは全然ないんです。これが根幹です。一度お誘いを断った理由もそれでした。

 なので、連載を引き受けると決めてからは、ずいぶんと考えました。毎月描き続けることができそうなテーマで、「快楽天ビースト」という雑誌にふさわしい、読者が楽しんでくれるのは、どんな作品なんだろうか……。

 最初の案は、まったく別の作品でした。いわば、四畳半押しかけSFものみたいな内容です。マンガ家のアパートに異星人の女の子たちが集まって、地球人の読んでいるエロマンガをあれやこれやと指摘するような物語です。

 ただ、あまりネームが膨らまずに困ってしまって……。ほら、その手の物語はすでに激戦区というか、相当工夫しないと他の作品に埋もれてしまいますし。

 その時、同時に頭の隅にあったアイディアが『快楽ヒストリエ』でした。ただ、これはぼくにとって「できればやりたくない」腹案だったんです。何しろ、最初に与えられていたページは、8ページ。今は10ページに増えましたけど……その限られたページ数で、毎回さまざまな時代を描いていくのは、絶対に大変だろうと。歴史上の事件をバックボーンにすれば題材には困らないかもしれませんが、1回1回のコストが割に合わないだろう……そう恐れていたんです。

 じゃ、なぜ『快楽ヒストリエ』にしたかというと、ほかに思いつかなかったんです。

 ジリジリと〆切の日が近づいてきて、そろそろネームを描かないとまずいですよって時になって、とうとう観念して編集さんに連絡しました。

《すみません、宇宙人のはやめて、歴史物にします》

 だから、最初に考えていたのは、原始編の物語……原始の地層から快楽天ビーストが見つかったというネタだけだったんですよね。

 * * *

 連載が始まったのは「快楽天ビースト」2016年5月号。単行本の巻末には、雑誌掲載時の号数が記されている。単行本では、原始編以降、日本の歴史をテーマにした作品を時代順に追った上で、世界の歴史をテーマにした作品へと並べられているが、実際の掲載順とは異なる。だから、改めて雑誌掲載順に読んでいくと、新しい発見がある。回を追うごとに、丁寧に描かれた歴史物語のようにキャラクターが生き生きとしていく。とりわけ、生き生きさが増すのは、デフォルメされたモブたちの様子。新撰組に強襲される池田屋に集う尊王攘夷派の志士ならぬエロマンガ家たちであったり、民衆たち。そうした有象無象たちの存在が「真実の歴史」のような錯覚を読者に与えているのだ。

「エロマンガをみんなで読むためだけに集団・定住化したワシらに稲作など無理じゃて」
「これ高床式倉庫。虫やカーチャンたちからエロマンガを守るために片手間でつくった」
(単行本収録・古代編)

火鳥 物語の方向性が固まり始めたのは、モブを描くようになってからかもしれないですね。

 第1回の「原始篇」を今振り返ると、主人公やヒロインは「エロマンガに夢中な変人」という感じ。でも、回を重ねていくうちにエロマンガに熱狂するモブたちが出しゃばってきて、描いている自分も何かをつかんだんです。「全世界エロマンガ第一主義」という素敵な世界観をしっかり示すのが、『快楽ヒストリエ』という作品なのだと。

 その上で、馬鹿馬鹿しい作品を支える一番大事なことは、マジメな資料集めだと思います。とは言っても、たった10ページの連載ですから、赤字にならない程度にね。図書館が最大の味方です。ネットも大いに役立ててはいますけど……、専門書に比べると、ネットには、かいつまんだ情報が多いし、ウソかホントかわからない話も多いので、やっぱり本を読んでおくと安心します。Wikipediaの記事なら、参考文献から主要なものを選んで、自分も目を通しておくとか。もともと歴史の知識はさっぱりなんですよ。なので、連載前に懸念していた通り、そこが毎月の苦労です。

 その点で言えば、編集さんのほうが学があるので、毎回相談しています。単行本ではアオリ文の類は消えちゃってますけど、戦国編の雑誌掲載時、ハシラに「月さびよ明智が人妻の咄せむ…末期のエロス特集号」という句が突然増えていて感心しました。知的だなあって。ぼくも対抗するように翌月、小早川秀秋の持つエロマンガに「三条河原で晒し乳首」と書きました。以来、作中に登場するエロマンガでの歴史ネタは恒例になっているので、これらの言葉遊びも『快楽ヒストリエ』の世界観を支えているのかもしれませんね。

 * * *

 現在、火鳥は31歳。一昨年、千葉に居を構えるまで、ずっと札幌の実家で暮らしてきた。父母と祖父母、それに姉一人。高校生の頃は曾祖母もおり、7人家族だった。マンガ家を目指すまでの人生を聞いた時、火鳥は内気だった幼い頃からの自分のことを、克明に語り始めた。

「おいしいけど……みんなで行ったバーミヤンのほうが、あたたかかったな……」
「カァーーッやっぱ、うめーもんはうめえ!! 仲間なんてただの飾りだな!!」
(「東京火鳥旅」2009年3月14日 pixivに投稿)

火鳥 祖父は若い頃、樺太に住んでいて……。戦争で命からがら脱出したあと、まだ炭鉱で栄えていた夕張に流れて、教師の職を得たそうです。それから、つてをたどって運良く札幌に。

 だから、ぼくは札幌しか知らないんです。でも、それも偶然のなせることだなって思いますね、祖父の話を聞いていると。もしかしたら夕張に生まれていたかもしれない。あるいは、祖父が海の藻屑に消えて、ぼくは生まれなかったかも知れない……。

 幸い、こうしてマンガ家になれた今、思い出すのは子どもの頃の記憶です。物心付く頃には、もう絵を描くのが好きでしたね。

 でも、その頃はマンガ家よりも「画家」になりたかった。なぜかっていえば、画家のほうがカッコイイ気がするから。それだけ。みんなお姫様とかロボットとかを描いている中で、ぼくだけすまし顔で風景画を描いていたら、すげえカッコイイじゃん……みたいな。早すぎる中二病ですよ。

 中身がない憧れですから、ぜんぜん、うまいわけじゃなかったです。でも、運動は苦手で内遊びが好きでした。いつも姉の後ろに隠れていたせいなのかな。とにかく内向的でした。小学校1年の通知箋に、先生がこう書いていたのを覚えています。「グラウンドに遊びにいかないの? と声をかけても、ボール遊びは嫌いなんだと寂しそうに言うので少し心配です」。

 そんな子どもだったから、両親は心配したんでしょうね。苦手なものも少しくらいはできるようにって、子ども向けのスポーツクラブや水泳、それに、音楽の授業でいつも苦労していたので、ピアノ教室にも通わせてくれました。水泳は嫌だったな。習い始めるのが遅かったから、周りの子より年上だったのに、なかなか上達しなくて……。

 でも、曲がりなりにも泳げるようになったから、両親には感謝しています。

 ピアノの先生には淡い恋心を抱いていて、絵を描いてプレゼントした記憶があります。先生が結婚しているって知った時は、ショックでしたね……。6年生まで習いましたが、ピアノそのものには最後まで興味が湧きませんでした。

 マンガは幼稚園ぐらいから読んでいたのかな。ぼくは「ボンボン」(コミックボンボン、講談社)派だったんだけど、祖父が間違えて買ってくることもあって「コロコロ」(月刊コロコロコミック、小学館)も読んでいた。姉が買っていた「なかよし」や「りぼん」も読んでましたね。姉の後ろでアニメの『美少女戦士セーラームーン』(講談社)も……。本当は見たかったけど、女の子のものを見るのが恥ずかしいじゃないですか。だから、チラチラと。うん、最初に興奮したのは、やっぱりセーラームーンだったんじゃないかな。

 でもね、本当に自分の根になっているものを選ぶとしたら、小学2年生くらいから買い始めた「月刊少年ガンガン」(スクウェア・エニックス)だと思います。

 それこそ、すべてのページを暗誦できるくらいに読んでいましたね。『魔法陣グルグル』とか『南国少年パプワくん』、そうそう、梶原あや先生が描いていた『けんけん猫間軒』は特に好きで……自分の描く猫みたいな小さなキャラクターも、あのマンガがあったからなんですよね。

 その頃、自分の内面にも変化がありました。転機と言っていいかもしれない。

 小学校で、札幌雪祭りの時に、市が主催する絵のコンクールがあったんです。それで、特賞をもらったんです。表彰された時は、ちょっとうれしいなと思ったくらい……でも、クラスメイトたちが話しかけてくるようになって。ぼくの絵を見てくれるんです。それまで、絵というのは自分の世界に閉じこもるための道具だと思っていたんですよ。周りは自分と違うから、一人で自分の世界で遊ぶ。ところが、まったく正反対の力があると気付かされたんです。自分の描いている絵を、もし外に向かって見せたら、人とつながることができるんだと。それからですね、マンガ家という職業を考えたのは。

 * * *

「小学校の頃は、一度はマンガ家になりたいと思ったことがある」街を歩いて10人に声をかければ、8人か9人くらいは、そう語る。それくらいに凡庸。だけれども、その夢を叶えられる人は、一握りにも満たない。だから、人は興味を持つ。なぜ、この人は夢を維持し叶えることができたのだろうか、と。

 同人誌即売会があるのでバイトを休みたい。そう頼むと、店長は言うんです。

Q「どんなマンガ描いてるの?」
A「女の子がパンツモリモリ食べるマンガですよ」
……なんて、正直に答えられるわけが無い。
(「東方裏日誌 裏表紙」2008年10月7日pixivに投稿)

火鳥 これ、自分で口に出していうと恥ずかしいんですけど……ぼくは、マンガ家になれないと思ったことがないんですよ。悪い意味でも、なれないという可能性を考えたことがなかった。だから、何も具体的なことをしないままに大人になっちゃったんです。

 高校を卒業するくらいに、やっと気づいたんです。もしかしたら、マンガ家になれない可能性があるんじゃないか……。

 高校の時は、絵は描いていたけれども、ストーリーものは、まったく描いていなかったんです。厨二病というか……設定ばかりつくっては満足する、作品を完成させられないパターンにハマっていました。というのも、それを仲間同士でやるのが楽しくて。

 そう、高校に入学してから、放送部に入ったんです。そこは、オタクの集まりで……クラスの仲間4人くらいで集まっていたんです。濃いヤツらが集まると、観る作品の幅も広がりますよね。

 絵のスキルも、そこでワンステージ上がりました。自分が中学生くらいの頃から、家庭でのインターネットはもう一般的になってきてたんですけど、いわゆる美少女系のイラストを初めて見て。すごいな、うまいな、ちょっと真似して描かなきゃいけないぞと思って模写したりして。それまで、二頭身キャラばかりだった自分の絵が、より人間らしいものになったんです。

『東方Project』にハマったのも、その頃。友達と行った札幌のメロンブックスでデモ映像が流れていて、友達が「面白いよ」と。初めて弾幕系シューティングってものを知ったので、すげーなあ、きれいだけど、こんなのクリアできるのかよって眺めてました。

 まあ、買ってしまったんですよね。買ったのは『東方永夜抄』。当時は「永新参」なんて揶揄されてたらしいですけど、そんなこと知りませんから、ただただプレイしていた。家にネットはあったけれども、不思議と当時、東方のことは調べた覚えがないですね。ただ普通に遊んでたんです。

 キャラ関係だってそうですよ。『東方紅魔郷』とかをプレイしていないから、ぜんぜんわからなくて。あ、咲夜とレミリアだけはわかりやすかった。メイド姿で、お嬢様って呼んでたので。

 ニコニコ動画が流行ってから、ようやくですよね。東方が同人で盛り上がっているのを知ったのは。

 じゃあ、ぼくも描こうかなと思って、描き始めました。ノートに鉛筆で……。

 そのまま、マンガも描かず、同人誌もつくらないまま卒業して大学へ。ここでもオタクレベルがひとつ上がりました。いい場所にあるんですよ。校舎の2駅となり、地下鉄大通駅で降りて35番出口(注:現在閉鎖中)から出る。するとすぐ前が、メロンブックスと、とらのあな。それに、アニメイトと、らしんばんと、ゲーマーズがあるんです。当時はゲーマーズは別の場所でしたけど。「35番出口」といえば札幌のオタクには通じます。大学で得たものはあったとも思うんですが、真面目に勉強するよりは、そこに通い詰めていました。

 飲食系のバイトも始めたんですが、バイト代はみんなコミックスと同人誌に消えました。それでも自分では同人誌の1冊も出していなかったんです。考えるばかりでした。『らき☆すた』とか『ぱにぽに』の同人誌とか、どうかな……と。考えるだけで、そこから踏み出せなかったんです。そしてついに、大学4年生になりました。

 * * *

 大学4年生になった2008年のことだった。高校の放送部のメンバーが、再び同じ目的の下に集った。目指すは10月の同人誌即売会、サンシャインクリエイション41。買う側ではない、描く側になるのだ。こうして、初めての同人誌『東方裏日誌』を携えて、火鳥と仲間たちは東京へと向かった。

始めまして。
杞憂煉獄と申します。
週刊日進月歩にようこそ。

このサイトは、高校時代の馬鹿四人が、数年の時を経て何故か再結集して結成されたサークル「vok41」の拠点サイトです。

「サークル作るんだから、ホームページくらい無いとね」

……とかいう軽はずみな発言により、ホームページを作成する事になったのは良いのですが。今現在僕以外のメンバ三人は同人誌の締め切りに向けての修羅場真っ最中でして、ホームページ作成の件は殆ど僕に丸投げ状態です。
(2008年9月29日の投稿)

火鳥 感謝しています。放送部の仲間たちは、ぼくがなかなか動かず、思い切ったことをしないから、放り込んでやらなきゃという気持ちだったんでしょうね。同人をやろう。〆切はここだ。申し込んだから描こう……と。

 そうして、描いたのが東方の4コマ。最初は、少ない部数しか持っていかなかったんです。でも、ジャンルが爆発していた時期だったからというのもあるんでしょう。完売したんですよね。

 それが自信になりました。もちろん、北海道から出てきているわけだから利益なんかないですよ。それでも、みんなで喜んで打ち上げをして、ほくほくしながら、次は何を描こうかと話しつつ帰ったんです。それからはもう、同人誌を描くのが楽しくって……。東方だけでなくボーカロイドも好きで描きましたが、特に東方はずっと続いています。長くジャンルにいる人はみんな言うけど、10年も描くとは思わなかったですよね。

 サンクリが終わってからは、pixivでも作品を投稿するようになりました。pixivは描き手のモチベーションを上げる設計が本当によくできていて、閲覧数やコメントが増えるようにがんばりました。それから、コミケに初参加するまでの間にも2冊、同人誌を出して……。

 そう、実は最初はサンクリではなく、コミケで初同人誌を出すつもりだったんですよ。それも、ボカロマンガのネタにしたんですけど、申し込み時期が半年前っていうのを誰も知らなかったんです。最初は「夏コミはつらいって聞いているけど、俺たち北海道民は冬コミなら大丈夫だ」なんて話して、いざ申し込もうとしたら、とっくに〆切は過ぎてる。だから、10月のサンクリに参加することになりました。それも幸いしたのかな。サンクリがきっかけでpixivでも活動を始めて、そこから次のコミケまでの間に、自分を知ってくれる人が増えたから。

 * * *

 初めてのコミケは、二泊三日の旅だった。朝、仲間と共に新千歳空港から飛行機に乗った。サークルの仲間との合同誌とは別に『魔理沙がぢになる話』を持ち込んだ。幾人もに素通りされる寂しさの後にやってくる「1冊ください」という、たった一度の言葉のうれしさを感じたかった。

「あちこち力注ぎすぎでしょうw爆笑させていただきましたw」
「完売の時に並んでましたが完売すんのはえぇとか思いながら拍手しましたよwww」
(2009年9月30日pixivに投稿した「【C76レポート】東京火鳥旅2【その3】」に寄せられたコメント)

火鳥 就職活動はしていないし、する気もなかったんです。卒業はできるかと思っていたら単位が足りなくてフェードアウト……中退してました。普通だったら将来について焦るところですけど、もう同人活動を始めてから楽しくて楽しくて、楽しさ以外吹っ飛んでいたんです。そんな中での、初めてのコミケだったんです。

 偶然、隣が『デンキ街の本屋さん』(KADOKAWA)の水あさと先生のサークルで、場所を間違えて段ボールを開けて設営しちゃったり、見本誌票を忘れちゃったり、土下座モンの迷惑をおかけしました。

 そんなドタバタしながらの参加だったんですけど、すごい早さで完売して……号泣してしまったんです。

 こんなに自分を認めてくれる人がいるんだと思って。

 そうしたら、うれしいような申し訳ないような気持ちになって……。結局、無意識下では、ぼくもそこまで楽観的じゃなかったってことですよね。楽しさで吹っ飛んだように見えても、いざ作品を携えて机に並べる、本当に売れるだろうかと待つ。どこかで怖かったんです。自分は、何になれるのだろうか。これからの人生はどうなるんだろうか。そんな自分の気持ちを受け止めてもらえた気がして。そうしたら、涙が止まらなくなって……本当に、ボロボロと泣いてしまったんです。後からレポマンガでは「皆さんから頂いたものは、本当にたくさんありました。それは、売上でした」と、茶化して描いたんだけど……そこにも、たくさんの人がコメントをくれて……「ハハハ正直だ」「お金は大事ですよね、火鳥さんらしい」とかね。日頃の行いのせいか、照れ隠しには誰も気付きませんでした。

 本当に、コミケは……あんないい場所ってないですよね。今でも人生のもっとも楽しい場所はコミケですよ。

 * * *

 同人誌を描き、即売会に参加することは楽しかった。そして、楽しさと共に火鳥は東方の同人で活動する人気作家となっていった。さまざまな雑誌の編集者が、火鳥に名刺を切り、仕事を依頼した。中には、自衛隊の広報マンガという一風変わった仕事もあった。作品を描くことは楽しかった。楽しいけれども、マンガ家には、なりきれていない感覚もあった。マンガ家が一人前として認められる一つのハードルが、月刊誌や週刊誌など、出版社から定期刊行される媒体で連載を持つこと。

「えっ!? メイド長のパンツの串揚げは」「大阪では二度づけ禁止!?」
(2016年10月開催の同人誌即売会「東方紅楼夢12」のためのサークルカット)

火鳥 人生に不安はありました。けれど、駄目人間なので、なんとかなるだろうとも思っていました。

 東京に出てきた理由の一つは、結婚したことです。ぼくの性格では、それくらいのきっかけがないと東京には出てこなかったでしょうから、よいタイミングだったと思います。これを機に全てをプラスの方向に動かしていきたいですね。経済的なことを考えても、ページ数の少ない『快楽ヒストリエ』だけでヒイヒイ言ってる場合ではないですから。

 考えることは、いっぱいあるけれど『快楽ヒストリエ』を描くのは楽しいです。やっぱり、歴史はいろいろと思いを馳せることができるから、面白いんですよね。単行本にする時に、解説ページをつくったんですけど、調べていると描きたくなるネタはいっぱいあります。読んでくれている方にも、毎号「次の作品を読みたい」と、思ってもらえたらうれしいです。

 でもね……何巻も続くような作品ではないとも思っています。次第にネタはかぶってくるだろうし……だから、どうやって終わるかも、ある程度は考えてあります。

 それから、次の作品の構想も。

 こういう作品を描いたので、次は下ネタは封印しようかなと思っています。下ネタのインパクトの強さで目立っていますけど、それだけで読んでもらっているわけではないはず。以前、ある編集さんにも「下ネタを封印したら、よい変化が起こるかもしれない」とアドバイスされたことがあるんです。難しいことですが、それはあるかもなと思って。自衛隊の広報マンガでは、もちろん下ネタは封印して、気を使って描いたんですが、いつもとは違う匂いのする作品が出来上がりました。いや、むしろノリは同じかもしれませんが、自分らしい作風のまま、読者層を新しく広げることはできるかなと。自分は、衝動のままで描くよりも、着地点を決めて描くタイプだと思っています。今は掲載誌が「快楽天ビースト」だから、エロマンガの読者に親しみやすい作品を狙う。そういう小器用さはあるつもりです。

 自分は、どうしても描いて伝えたいというものは、あまりないんです。それよりも、ギャグマンガを描きたい。よくTwitterでエゴサーチをしているんですけれど……ぼくの同人誌の感想で「鬱になった時に、火鳥さんのマンガだけは笑えた」というツイートを見つけたことがあって。それを、大事にしなきゃと思っています。

 だから、昔はTwitterでも、思ったことをなんでもつぶやいてましたが、今は、自分がマンガでやろうとしていることに逆行する弱音なんかは言わないようにしようと。明日も立ち向かわなきゃいけない人が、一時の笑いを得てくれればいいんです。ぼくのマンガに人生を導かれる人はいないでしょうけど……一時の元気を与えることはできるかもしれない。負の感情があったら、ぼくがせき止めて、世界に笑顔を増やさなきゃいけないと、それが自分の持てる矜持です。だから、結石になった時も、マンガにしたんです。その時も喜んでもらえたから……石ができてよかったありがとうと思ったんですよね。

 若い頃に漠然と憧れていた、名作や大作というものからは離れているかもしれませんが……いい意味で、自分の居場所を見つけて、長くマンガを描き続けることが大切かな……描かないとね!

 * * *

 その日の東京は数年ぶりの大雪だった。

 長いインタビューの後、喫茶店から外に出ると、すでに地面は真っ白に化粧していた。繁華街の目抜き通りには、人の姿の少なく、しんとした風景の中に雪だけが舞っていた。

《北海道の出身ですから、寒くはないのではありませんか?》
《懐かしいですけど……やっぱり寒いのは寒いですよ》

 最寄りの地下鉄の駅までのわずかな道のり。上を見上げると、雪と靄にすっかり包まれた高層ビルが見えた。

《霧が晴れたら、塔は高いんですよね》

 答えようがなかった。

《プロになろうと思っていたけど、いざ声をかけられたら、怖かったんです》

 でも、あなたはマンガ家になる夢を叶えて、一躍人気作家になったではないか、と思った。

《プロになった時に、目指す頂きがとても高いのが見えたから……》

 地下鉄の入口まで火鳥を見送ったあと、雪の中の静まりかえった道を歩いた。なぜか、雪を避けて駅に入る気にはならなくて、数駅も歩いた。どうして歴史の女神は、いま私が一時を共に旅したような人生へと火鳥を導いたのだろうかと思った。

《でも、今までたくさんの人に、いろんなものをもらってきたから……》

 雪の町に人の姿は少なかった。誰も歩いた跡のない真っ白な道が、まっすぐに続いていた。

《だから……》

 と、火鳥はいった。

《すこしでも返さないといけないと思っているんです》

(文=昼間たかし)

Twitter:@minatohitori

pixiv:火鳥(ヒトリ)
https://www.pixiv.net/member.php?id=194211

『快楽ヒストリエ』マンガ家・火鳥《楽しい日々》へのささやかな恩返し

 昨年、希代の革命家である外山恒一を取材した。話題は必然的に、やがて訪れる「革命」の具体的なイメージになった。「革命は、人の力でどうにかして起こせるものじゃない。革命様が降臨されるぞと、待ち望んでいる宗教みたいなもの……いくら信仰していても、いざ革命の時には使ってもらえないかもしれないですよね」。

 遠大な人類の歴史を顧みると、人が一人、何かができる時間は、刹那に過ぎない。さまざまな説があるが、人類がアフリカを出発してからだけで14万年あまり。日本の歴史も、2700年目が手の届くところまで来ている。その中で、人の営みはわずかに70年程度。何かの書類に年齢を書いたりした時、あるいは、朝夕の身体の疲れに、人生の黄昏を予感して歩みを止める者は尽きない。自分の限界を感じ、どうしようもない時間の流れの中で、無力さを冷ややかに笑いながら、ただ身を任すのだ。

 でも、絶望の中で生ける屍となる者は少ない。ふとした思いがけないことが、限られたさまざまな枷の中で、それに抗おうとする機会を与えてくれる。日々、世に送り出される文章やマンガ、音楽などには、そうした力があると思っている。

 歴史家のハーバート・ノーマンは、歴史の女神の容貌を奈良中宮寺の弥勒菩薩に仮託した。

「彼女は人間の営み――その愚かしさ偉大さを、この世の情熱や功名心を、無関心や尊大さではなしに限りない忍耐と同情の面もちで見まもっている。私はその顔があざけりにくもらないユーモアにかがやくのを心に描くことができる。多くの月並みな仏像とちがって、この姿には冷ややかな近づきたいものが少しもない。むしろ温か味と共感を、私の印象ではギリシアの像よりも多く、ただよわせている」(『クリオの顔』岩波文庫)

 平成という年号の終わりが、刻一刻と近づいている。耳を澄ませば、その足音が聞こえるようになってきた。人は、いつの世も新しい時代の幕開けよりも、時代の変化への不安に包まれていた。それは、今でも変わらない。

 火鳥『快楽ヒストリエ』という、1点のマンガが単行本になったのは、そんな足音について言及されるようになった、年の暮れだった。コンビニでも販売されている雑誌「快楽天ビースト」(ワニマガジン)の巻末に掲載されているギャグマンガ。いわゆる「エロマンガ」が掲載されている雑誌の中で、このマンガは、ちょっとしたお色気を添える程度。性別や年齢にかかわらず、誰もが気軽に読むことのできる、純粋なギャグマンガである。

 雑誌の中では、明らかに異色の作品の単行本化。それを多くの人が待ち構えていた。雑誌の読者は「待ってました」と買い求めた。その面白さは、SNSなどを通して拡散していった。あたかも、火薬や紙の製法が世界へ広まっていったかのごとく。

 それは、出版元のワニマガジン社にも予想外のことだったのだろう。発売から1カ月あまりを経た現在、初版の在庫は払底し重版の出荷が待たれている。

 この作品がテーマとしているのは、歴史。

 そこでは、失われていた「歴史の真実」が次々と明らかにされていく。

 白亜紀の地層から書物を抱いた人間の化石が発見された。

 8,000万年前……人類は既に購読していたのだ。エロマンガ(快楽天ビースト)を!!

 一揆の総大将・四郎。その知名度に反して謎多き人物である。

 しかし経済的に恵まれており学問に親しんでいたこと……また当時16歳という年齢から、少なくとも女子高生であったことは疑いようがない。

 古代エジプトには、神や王を語るための神聖文字「ヒエログリフ」が存在し、エロマンガは、その対極「ドエログリフ」と呼ばれていた。

 読者の教科書程度の歴史知識を背景に、火鳥は<真実の歴史の探究>を記していく。ともすれば「出落ち」。第1話を頂点に、あとは次第にテンションは下降してしまう危険もある。けれども、連載の開始以来、勢いは途切れることはない。むしろ、回を重ねるごとに描かれる登場人物たちは、生き生きと動いている。

 ギャグマンガゆえに、文字や会話で、その面白さを説明するのは困難である。でも、どうしてもそれをしたくなる衝動と熱が、この作品には確かにある。人類の歴史の中では、わずかに過ぎない人間の一生。その貴重な時間で、この作品にいくばくかの時間を費やしてよかった。ネットで『快楽ヒストリエ』を検索すれば、そんな読者の思いが、画面の向こうから送られてくる。

火鳥(ヒトリ) 今日、ここに来る時に考えてたんです。さぞ歴史への深いなにかがあって描かれたと期待されてるかも知れないけど、どうしよう、面白い答えなんてなにもない……。そうは言っても何か話さないと、読んでくれる人に申し訳ないなって……。

『快楽ヒストリエ』の連載が始まったのは2016年の4月から。「快楽天ビースト」の表紙が変わり、新装刊することになったからと編集さんが声をかけてくれて。このワニマガジンの編集さんはぼくのデビュー以来の付き合いで、連載の話は何年か前にもあったんですよ。その時は一度お断りしたんです。でも、今回は気が変わったというか……首都圏に引っ越すことを決めたタイミングでもあって、連載を持っておこうと思ったんです。

 それで悩みました。ぼくは、何を描いたら、いいんだろうか。

 もともと自分は、直球で18禁そのものは描けないんです。まだ20歳くらいの頃には興味があったんですが、結局描かずじまいで……。一言で言えば、恥ずかしかったんです。照れくささという壁を越えられるほど、エロというジャンルへの情熱がなかった。思うに、ぼくという作家はギャグ、つまり「スケベ」や「変態」が大好きなんであって、エッチなシーンそのものが描きたいわけでは全然ないんです。これが根幹です。一度お誘いを断った理由もそれでした。

 なので、連載を引き受けると決めてからは、ずいぶんと考えました。毎月描き続けることができそうなテーマで、「快楽天ビースト」という雑誌にふさわしい、読者が楽しんでくれるのは、どんな作品なんだろうか……。

 最初の案は、まったく別の作品でした。いわば、四畳半押しかけSFものみたいな内容です。マンガ家のアパートに異星人の女の子たちが集まって、地球人の読んでいるエロマンガをあれやこれやと指摘するような物語です。

 ただ、あまりネームが膨らまずに困ってしまって……。ほら、その手の物語はすでに激戦区というか、相当工夫しないと他の作品に埋もれてしまいますし。

 その時、同時に頭の隅にあったアイディアが『快楽ヒストリエ』でした。ただ、これはぼくにとって「できればやりたくない」腹案だったんです。何しろ、最初に与えられていたページは、8ページ。今は10ページに増えましたけど……その限られたページ数で、毎回さまざまな時代を描いていくのは、絶対に大変だろうと。歴史上の事件をバックボーンにすれば題材には困らないかもしれませんが、1回1回のコストが割に合わないだろう……そう恐れていたんです。

 じゃ、なぜ『快楽ヒストリエ』にしたかというと、ほかに思いつかなかったんです。

 ジリジリと〆切の日が近づいてきて、そろそろネームを描かないとまずいですよって時になって、とうとう観念して編集さんに連絡しました。

《すみません、宇宙人のはやめて、歴史物にします》

 だから、最初に考えていたのは、原始編の物語……原始の地層から快楽天ビーストが見つかったというネタだけだったんですよね。

 * * *

 連載が始まったのは「快楽天ビースト」2016年5月号。単行本の巻末には、雑誌掲載時の号数が記されている。単行本では、原始編以降、日本の歴史をテーマにした作品を時代順に追った上で、世界の歴史をテーマにした作品へと並べられているが、実際の掲載順とは異なる。だから、改めて雑誌掲載順に読んでいくと、新しい発見がある。回を追うごとに、丁寧に描かれた歴史物語のようにキャラクターが生き生きとしていく。とりわけ、生き生きさが増すのは、デフォルメされたモブたちの様子。新撰組に強襲される池田屋に集う尊王攘夷派の志士ならぬエロマンガ家たちであったり、民衆たち。そうした有象無象たちの存在が「真実の歴史」のような錯覚を読者に与えているのだ。

「エロマンガをみんなで読むためだけに集団・定住化したワシらに稲作など無理じゃて」
「これ高床式倉庫。虫やカーチャンたちからエロマンガを守るために片手間でつくった」
(単行本収録・古代編)

火鳥 物語の方向性が固まり始めたのは、モブを描くようになってからかもしれないですね。

 第1回の「原始篇」を今振り返ると、主人公やヒロインは「エロマンガに夢中な変人」という感じ。でも、回を重ねていくうちにエロマンガに熱狂するモブたちが出しゃばってきて、描いている自分も何かをつかんだんです。「全世界エロマンガ第一主義」という素敵な世界観をしっかり示すのが、『快楽ヒストリエ』という作品なのだと。

 その上で、馬鹿馬鹿しい作品を支える一番大事なことは、マジメな資料集めだと思います。とは言っても、たった10ページの連載ですから、赤字にならない程度にね。図書館が最大の味方です。ネットも大いに役立ててはいますけど……、専門書に比べると、ネットには、かいつまんだ情報が多いし、ウソかホントかわからない話も多いので、やっぱり本を読んでおくと安心します。Wikipediaの記事なら、参考文献から主要なものを選んで、自分も目を通しておくとか。もともと歴史の知識はさっぱりなんですよ。なので、連載前に懸念していた通り、そこが毎月の苦労です。

 その点で言えば、編集さんのほうが学があるので、毎回相談しています。単行本ではアオリ文の類は消えちゃってますけど、戦国編の雑誌掲載時、ハシラに「月さびよ明智が人妻の咄せむ…末期のエロス特集号」という句が突然増えていて感心しました。知的だなあって。ぼくも対抗するように翌月、小早川秀秋の持つエロマンガに「三条河原で晒し乳首」と書きました。以来、作中に登場するエロマンガでの歴史ネタは恒例になっているので、これらの言葉遊びも『快楽ヒストリエ』の世界観を支えているのかもしれませんね。

 * * *

 現在、火鳥は31歳。一昨年、千葉に居を構えるまで、ずっと札幌の実家で暮らしてきた。父母と祖父母、それに姉一人。高校生の頃は曾祖母もおり、7人家族だった。マンガ家を目指すまでの人生を聞いた時、火鳥は内気だった幼い頃からの自分のことを、克明に語り始めた。

「おいしいけど……みんなで行ったバーミヤンのほうが、あたたかかったな……」
「カァーーッやっぱ、うめーもんはうめえ!! 仲間なんてただの飾りだな!!」
(「東京火鳥旅」2009年3月14日 pixivに投稿)

火鳥 祖父は若い頃、樺太に住んでいて……。戦争で命からがら脱出したあと、まだ炭鉱で栄えていた夕張に流れて、教師の職を得たそうです。それから、つてをたどって運良く札幌に。

 だから、ぼくは札幌しか知らないんです。でも、それも偶然のなせることだなって思いますね、祖父の話を聞いていると。もしかしたら夕張に生まれていたかもしれない。あるいは、祖父が海の藻屑に消えて、ぼくは生まれなかったかも知れない……。

 幸い、こうしてマンガ家になれた今、思い出すのは子どもの頃の記憶です。物心付く頃には、もう絵を描くのが好きでしたね。

 でも、その頃はマンガ家よりも「画家」になりたかった。なぜかっていえば、画家のほうがカッコイイ気がするから。それだけ。みんなお姫様とかロボットとかを描いている中で、ぼくだけすまし顔で風景画を描いていたら、すげえカッコイイじゃん……みたいな。早すぎる中二病ですよ。

 中身がない憧れですから、ぜんぜん、うまいわけじゃなかったです。でも、運動は苦手で内遊びが好きでした。いつも姉の後ろに隠れていたせいなのかな。とにかく内向的でした。小学校1年の通知箋に、先生がこう書いていたのを覚えています。「グラウンドに遊びにいかないの? と声をかけても、ボール遊びは嫌いなんだと寂しそうに言うので少し心配です」。

 そんな子どもだったから、両親は心配したんでしょうね。苦手なものも少しくらいはできるようにって、子ども向けのスポーツクラブや水泳、それに、音楽の授業でいつも苦労していたので、ピアノ教室にも通わせてくれました。水泳は嫌だったな。習い始めるのが遅かったから、周りの子より年上だったのに、なかなか上達しなくて……。

 でも、曲がりなりにも泳げるようになったから、両親には感謝しています。

 ピアノの先生には淡い恋心を抱いていて、絵を描いてプレゼントした記憶があります。先生が結婚しているって知った時は、ショックでしたね……。6年生まで習いましたが、ピアノそのものには最後まで興味が湧きませんでした。

 マンガは幼稚園ぐらいから読んでいたのかな。ぼくは「ボンボン」(コミックボンボン、講談社)派だったんだけど、祖父が間違えて買ってくることもあって「コロコロ」(月刊コロコロコミック、小学館)も読んでいた。姉が買っていた「なかよし」や「りぼん」も読んでましたね。姉の後ろでアニメの『美少女戦士セーラームーン』(講談社)も……。本当は見たかったけど、女の子のものを見るのが恥ずかしいじゃないですか。だから、チラチラと。うん、最初に興奮したのは、やっぱりセーラームーンだったんじゃないかな。

 でもね、本当に自分の根になっているものを選ぶとしたら、小学2年生くらいから買い始めた「月刊少年ガンガン」(スクウェア・エニックス)だと思います。

 それこそ、すべてのページを暗誦できるくらいに読んでいましたね。『魔法陣グルグル』とか『南国少年パプワくん』、そうそう、梶原あや先生が描いていた『けんけん猫間軒』は特に好きで……自分の描く猫みたいな小さなキャラクターも、あのマンガがあったからなんですよね。

 その頃、自分の内面にも変化がありました。転機と言っていいかもしれない。

 小学校で、札幌雪祭りの時に、市が主催する絵のコンクールがあったんです。それで、特賞をもらったんです。表彰された時は、ちょっとうれしいなと思ったくらい……でも、クラスメイトたちが話しかけてくるようになって。ぼくの絵を見てくれるんです。それまで、絵というのは自分の世界に閉じこもるための道具だと思っていたんですよ。周りは自分と違うから、一人で自分の世界で遊ぶ。ところが、まったく正反対の力があると気付かされたんです。自分の描いている絵を、もし外に向かって見せたら、人とつながることができるんだと。それからですね、マンガ家という職業を考えたのは。

 * * *

「小学校の頃は、一度はマンガ家になりたいと思ったことがある」街を歩いて10人に声をかければ、8人か9人くらいは、そう語る。それくらいに凡庸。だけれども、その夢を叶えられる人は、一握りにも満たない。だから、人は興味を持つ。なぜ、この人は夢を維持し叶えることができたのだろうか、と。

 同人誌即売会があるのでバイトを休みたい。そう頼むと、店長は言うんです。

Q「どんなマンガ描いてるの?」
A「女の子がパンツモリモリ食べるマンガですよ」
……なんて、正直に答えられるわけが無い。
(「東方裏日誌 裏表紙」2008年10月7日pixivに投稿)

火鳥 これ、自分で口に出していうと恥ずかしいんですけど……ぼくは、マンガ家になれないと思ったことがないんですよ。悪い意味でも、なれないという可能性を考えたことがなかった。だから、何も具体的なことをしないままに大人になっちゃったんです。

 高校を卒業するくらいに、やっと気づいたんです。もしかしたら、マンガ家になれない可能性があるんじゃないか……。

 高校の時は、絵は描いていたけれども、ストーリーものは、まったく描いていなかったんです。厨二病というか……設定ばかりつくっては満足する、作品を完成させられないパターンにハマっていました。というのも、それを仲間同士でやるのが楽しくて。

 そう、高校に入学してから、放送部に入ったんです。そこは、オタクの集まりで……クラスの仲間4人くらいで集まっていたんです。濃いヤツらが集まると、観る作品の幅も広がりますよね。

 絵のスキルも、そこでワンステージ上がりました。自分が中学生くらいの頃から、家庭でのインターネットはもう一般的になってきてたんですけど、いわゆる美少女系のイラストを初めて見て。すごいな、うまいな、ちょっと真似して描かなきゃいけないぞと思って模写したりして。それまで、二頭身キャラばかりだった自分の絵が、より人間らしいものになったんです。

『東方Project』にハマったのも、その頃。友達と行った札幌のメロンブックスでデモ映像が流れていて、友達が「面白いよ」と。初めて弾幕系シューティングってものを知ったので、すげーなあ、きれいだけど、こんなのクリアできるのかよって眺めてました。

 まあ、買ってしまったんですよね。買ったのは『東方永夜抄』。当時は「永新参」なんて揶揄されてたらしいですけど、そんなこと知りませんから、ただただプレイしていた。家にネットはあったけれども、不思議と当時、東方のことは調べた覚えがないですね。ただ普通に遊んでたんです。

 キャラ関係だってそうですよ。『東方紅魔郷』とかをプレイしていないから、ぜんぜんわからなくて。あ、咲夜とレミリアだけはわかりやすかった。メイド姿で、お嬢様って呼んでたので。

 ニコニコ動画が流行ってから、ようやくですよね。東方が同人で盛り上がっているのを知ったのは。

 じゃあ、ぼくも描こうかなと思って、描き始めました。ノートに鉛筆で……。

 そのまま、マンガも描かず、同人誌もつくらないまま卒業して大学へ。ここでもオタクレベルがひとつ上がりました。いい場所にあるんですよ。校舎の2駅となり、地下鉄大通駅で降りて35番出口(注:現在閉鎖中)から出る。するとすぐ前が、メロンブックスと、とらのあな。それに、アニメイトと、らしんばんと、ゲーマーズがあるんです。当時はゲーマーズは別の場所でしたけど。「35番出口」といえば札幌のオタクには通じます。大学で得たものはあったとも思うんですが、真面目に勉強するよりは、そこに通い詰めていました。

 飲食系のバイトも始めたんですが、バイト代はみんなコミックスと同人誌に消えました。それでも自分では同人誌の1冊も出していなかったんです。考えるばかりでした。『らき☆すた』とか『ぱにぽに』の同人誌とか、どうかな……と。考えるだけで、そこから踏み出せなかったんです。そしてついに、大学4年生になりました。

 * * *

 大学4年生になった2008年のことだった。高校の放送部のメンバーが、再び同じ目的の下に集った。目指すは10月の同人誌即売会、サンシャインクリエイション41。買う側ではない、描く側になるのだ。こうして、初めての同人誌『東方裏日誌』を携えて、火鳥と仲間たちは東京へと向かった。

始めまして。
杞憂煉獄と申します。
週刊日進月歩にようこそ。

このサイトは、高校時代の馬鹿四人が、数年の時を経て何故か再結集して結成されたサークル「vok41」の拠点サイトです。

「サークル作るんだから、ホームページくらい無いとね」

……とかいう軽はずみな発言により、ホームページを作成する事になったのは良いのですが。今現在僕以外のメンバ三人は同人誌の締め切りに向けての修羅場真っ最中でして、ホームページ作成の件は殆ど僕に丸投げ状態です。
(2008年9月29日の投稿)

火鳥 感謝しています。放送部の仲間たちは、ぼくがなかなか動かず、思い切ったことをしないから、放り込んでやらなきゃという気持ちだったんでしょうね。同人をやろう。〆切はここだ。申し込んだから描こう……と。

 そうして、描いたのが東方の4コマ。最初は、少ない部数しか持っていかなかったんです。でも、ジャンルが爆発していた時期だったからというのもあるんでしょう。完売したんですよね。

 それが自信になりました。もちろん、北海道から出てきているわけだから利益なんかないですよ。それでも、みんなで喜んで打ち上げをして、ほくほくしながら、次は何を描こうかと話しつつ帰ったんです。それからはもう、同人誌を描くのが楽しくって……。東方だけでなくボーカロイドも好きで描きましたが、特に東方はずっと続いています。長くジャンルにいる人はみんな言うけど、10年も描くとは思わなかったですよね。

 サンクリが終わってからは、pixivでも作品を投稿するようになりました。pixivは描き手のモチベーションを上げる設計が本当によくできていて、閲覧数やコメントが増えるようにがんばりました。それから、コミケに初参加するまでの間にも2冊、同人誌を出して……。

 そう、実は最初はサンクリではなく、コミケで初同人誌を出すつもりだったんですよ。それも、ボカロマンガのネタにしたんですけど、申し込み時期が半年前っていうのを誰も知らなかったんです。最初は「夏コミはつらいって聞いているけど、俺たち北海道民は冬コミなら大丈夫だ」なんて話して、いざ申し込もうとしたら、とっくに〆切は過ぎてる。だから、10月のサンクリに参加することになりました。それも幸いしたのかな。サンクリがきっかけでpixivでも活動を始めて、そこから次のコミケまでの間に、自分を知ってくれる人が増えたから。

 * * *

 初めてのコミケは、二泊三日の旅だった。朝、仲間と共に新千歳空港から飛行機に乗った。サークルの仲間との合同誌とは別に『魔理沙がぢになる話』を持ち込んだ。幾人もに素通りされる寂しさの後にやってくる「1冊ください」という、たった一度の言葉のうれしさを感じたかった。

「あちこち力注ぎすぎでしょうw爆笑させていただきましたw」
「完売の時に並んでましたが完売すんのはえぇとか思いながら拍手しましたよwww」
(2009年9月30日pixivに投稿した「【C76レポート】東京火鳥旅2【その3】」に寄せられたコメント)

火鳥 就職活動はしていないし、する気もなかったんです。卒業はできるかと思っていたら単位が足りなくてフェードアウト……中退してました。普通だったら将来について焦るところですけど、もう同人活動を始めてから楽しくて楽しくて、楽しさ以外吹っ飛んでいたんです。そんな中での、初めてのコミケだったんです。

 偶然、隣が『デンキ街の本屋さん』(KADOKAWA)の水あさと先生のサークルで、場所を間違えて段ボールを開けて設営しちゃったり、見本誌票を忘れちゃったり、土下座モンの迷惑をおかけしました。

 そんなドタバタしながらの参加だったんですけど、すごい早さで完売して……号泣してしまったんです。

 こんなに自分を認めてくれる人がいるんだと思って。

 そうしたら、うれしいような申し訳ないような気持ちになって……。結局、無意識下では、ぼくもそこまで楽観的じゃなかったってことですよね。楽しさで吹っ飛んだように見えても、いざ作品を携えて机に並べる、本当に売れるだろうかと待つ。どこかで怖かったんです。自分は、何になれるのだろうか。これからの人生はどうなるんだろうか。そんな自分の気持ちを受け止めてもらえた気がして。そうしたら、涙が止まらなくなって……本当に、ボロボロと泣いてしまったんです。後からレポマンガでは「皆さんから頂いたものは、本当にたくさんありました。それは、売上でした」と、茶化して描いたんだけど……そこにも、たくさんの人がコメントをくれて……「ハハハ正直だ」「お金は大事ですよね、火鳥さんらしい」とかね。日頃の行いのせいか、照れ隠しには誰も気付きませんでした。

 本当に、コミケは……あんないい場所ってないですよね。今でも人生のもっとも楽しい場所はコミケですよ。

 * * *

 同人誌を描き、即売会に参加することは楽しかった。そして、楽しさと共に火鳥は東方の同人で活動する人気作家となっていった。さまざまな雑誌の編集者が、火鳥に名刺を切り、仕事を依頼した。中には、自衛隊の広報マンガという一風変わった仕事もあった。作品を描くことは楽しかった。楽しいけれども、マンガ家には、なりきれていない感覚もあった。マンガ家が一人前として認められる一つのハードルが、月刊誌や週刊誌など、出版社から定期刊行される媒体で連載を持つこと。

「えっ!? メイド長のパンツの串揚げは」「大阪では二度づけ禁止!?」
(2016年10月開催の同人誌即売会「東方紅楼夢12」のためのサークルカット)

火鳥 人生に不安はありました。けれど、駄目人間なので、なんとかなるだろうとも思っていました。

 東京に出てきた理由の一つは、結婚したことです。ぼくの性格では、それくらいのきっかけがないと東京には出てこなかったでしょうから、よいタイミングだったと思います。これを機に全てをプラスの方向に動かしていきたいですね。経済的なことを考えても、ページ数の少ない『快楽ヒストリエ』だけでヒイヒイ言ってる場合ではないですから。

 考えることは、いっぱいあるけれど『快楽ヒストリエ』を描くのは楽しいです。やっぱり、歴史はいろいろと思いを馳せることができるから、面白いんですよね。単行本にする時に、解説ページをつくったんですけど、調べていると描きたくなるネタはいっぱいあります。読んでくれている方にも、毎号「次の作品を読みたい」と、思ってもらえたらうれしいです。

 でもね……何巻も続くような作品ではないとも思っています。次第にネタはかぶってくるだろうし……だから、どうやって終わるかも、ある程度は考えてあります。

 それから、次の作品の構想も。

 こういう作品を描いたので、次は下ネタは封印しようかなと思っています。下ネタのインパクトの強さで目立っていますけど、それだけで読んでもらっているわけではないはず。以前、ある編集さんにも「下ネタを封印したら、よい変化が起こるかもしれない」とアドバイスされたことがあるんです。難しいことですが、それはあるかもなと思って。自衛隊の広報マンガでは、もちろん下ネタは封印して、気を使って描いたんですが、いつもとは違う匂いのする作品が出来上がりました。いや、むしろノリは同じかもしれませんが、自分らしい作風のまま、読者層を新しく広げることはできるかなと。自分は、衝動のままで描くよりも、着地点を決めて描くタイプだと思っています。今は掲載誌が「快楽天ビースト」だから、エロマンガの読者に親しみやすい作品を狙う。そういう小器用さはあるつもりです。

 自分は、どうしても描いて伝えたいというものは、あまりないんです。それよりも、ギャグマンガを描きたい。よくTwitterでエゴサーチをしているんですけれど……ぼくの同人誌の感想で「鬱になった時に、火鳥さんのマンガだけは笑えた」というツイートを見つけたことがあって。それを、大事にしなきゃと思っています。

 だから、昔はTwitterでも、思ったことをなんでもつぶやいてましたが、今は、自分がマンガでやろうとしていることに逆行する弱音なんかは言わないようにしようと。明日も立ち向かわなきゃいけない人が、一時の笑いを得てくれればいいんです。ぼくのマンガに人生を導かれる人はいないでしょうけど……一時の元気を与えることはできるかもしれない。負の感情があったら、ぼくがせき止めて、世界に笑顔を増やさなきゃいけないと、それが自分の持てる矜持です。だから、結石になった時も、マンガにしたんです。その時も喜んでもらえたから……石ができてよかったありがとうと思ったんですよね。

 若い頃に漠然と憧れていた、名作や大作というものからは離れているかもしれませんが……いい意味で、自分の居場所を見つけて、長くマンガを描き続けることが大切かな……描かないとね!

 * * *

 その日の東京は数年ぶりの大雪だった。

 長いインタビューの後、喫茶店から外に出ると、すでに地面は真っ白に化粧していた。繁華街の目抜き通りには、人の姿の少なく、しんとした風景の中に雪だけが舞っていた。

《北海道の出身ですから、寒くはないのではありませんか?》
《懐かしいですけど……やっぱり寒いのは寒いですよ》

 最寄りの地下鉄の駅までのわずかな道のり。上を見上げると、雪と靄にすっかり包まれた高層ビルが見えた。

《霧が晴れたら、塔は高いんですよね》

 答えようがなかった。

《プロになろうと思っていたけど、いざ声をかけられたら、怖かったんです》

 でも、あなたはマンガ家になる夢を叶えて、一躍人気作家になったではないか、と思った。

《プロになった時に、目指す頂きがとても高いのが見えたから……》

 地下鉄の入口まで火鳥を見送ったあと、雪の中の静まりかえった道を歩いた。なぜか、雪を避けて駅に入る気にはならなくて、数駅も歩いた。どうして歴史の女神は、いま私が一時を共に旅したような人生へと火鳥を導いたのだろうかと思った。

《でも、今までたくさんの人に、いろんなものをもらってきたから……》

 雪の町に人の姿は少なかった。誰も歩いた跡のない真っ白な道が、まっすぐに続いていた。

《だから……》

 と、火鳥はいった。

《すこしでも返さないといけないと思っているんです》

(文=昼間たかし)

Twitter:@minatohitori

pixiv:火鳥(ヒトリ)
https://www.pixiv.net/member.php?id=194211

「隣が騒音おばさん」の不幸を避けるには? 不動産プロに聞く、騒音トラブルから身を守る家探し

 自宅では穏やかに過ごしたいものだが、騒音や迷惑行為といったご近所トラブルは後を絶たない。神奈川県小田原市ではトラブルメーカーの母娘が越してきて、近隣住民に「サバの味噌煮」を投げつける事件も起きた。騒音をはじめ、各種トラブルが起きる前に、「自衛」の方法はないのだろうか? “完全紹介制(一見さんは利用不可)”というユニークな制度を採用し、『有吉ゼミ』(日本テレビ系)でも家探しを行う不動産仲介会社「誠不動産」社長・鈴木誠氏に、騒音対策を中心に、住民トラブルを回避するポイントを伺った。

 間取り図、内見時のチェックポイント

――賃貸住宅では、住んでからのトラブルは「管理会社」が受け持ちますよね。

鈴木誠氏(以下、鈴木) ただ、なかなか管理会社さんは音の問題で動いてくれないんですよね。何件もあることなので。「注意の張り紙をしておきます」と言われるケースが多いのですが、貼られないままのことも多いため、私が仲介した入居者さんには「管理会社の人に伝えますので、私まで連絡ください」とお伝えしています。

――どのような騒音トラブルが入居者さんから寄せられますか?

鈴木 上階のお子さんの足音、テレビの音、1Kなど一人暮らし用の間取りなのに2人で住んでいて夜がうるさい、などですね。

――騒音は、隣や上階に誰が住んでいるのかという、運にも寄るところが大きいと思います。入居者が事前に確認できることはありますか?

鈴木 まず家探しにおいてですが、「騒音」を最重視される場合、構造は「木造」ではなく「鉄筋」の物件を選んでください。不動産会社によっては「鉄骨」でも「音が響かないよ」と薦めるケースもあるのですが、鉄骨では木造とほぼ変わりません。そして、静かに暮らしたいなら最上階の角部屋ですね。最上階は暑いというデメリットもありますが。

――全ての希望をかなえる家などないのですから、何を最重視するかを決めておくことが大切なんですね。

鈴木 私自身はあまり音が気にならないのですが、妻は気にするタイプで、自宅のマンションを選ぶときは50棟以上のパンフレットを見て選んでいました。そこは1階に2戸しかなく、しかも真ん中にエレベーターがあるんです。どこも隣に面していないので、こういった構造もいいかと思います。また、大きい道路沿いに建っている物件は、車の音はしますが、隣の音は気にならないケースが多いですね。

――「静かなところに住みたいから閑静な住宅街」を選ぶと、車の音はしないものの生活音が気になるというケースも出てくるのでしょうね。

鈴木 ほかにも、「人が歩くヒールの音が気になる」という方もいます。こういった場合、家賃は高くなりがちですが、内廊下で絨毯の敷いている集合住宅なら、足音はだいぶ静かになりますね。

――人が「嫌だと感じる音」はバリエーションがありますね。ただ「静かに暮らしたい」ではなく、「自分は何の音が嫌なのか」を見極めることで、家が探しやすくなりそうです。

鈴木 次に内見時ですが、私は内見時には両隣の家のベランダを見るようにしています。隣の家のバルコニーがゴミだらけだったら要注意ですね。また、上の階も見ます。真上の部屋のドアの脇に小さいお子さんの自転車があった場合は、足音などを気にされる方は避けた方がいいでしょう。

――泣き声、騒ぎ声、足音など「子ども」の存在は、静かに暮らしたい人にとって気になる要素です。私自身、「子どもNG物件」があればぜひ住みたいのですが、「女性専用物件」「外国人NG物件」はあっても、「子どもNG」は不動産検索サイトでは見かけないように思います。

鈴木 「子ども入居NG物件」は、数は少ないですがありますよ。小学生までのお子さんはダメとか、子どもが生まれたら退去してください、という条件の物件もあります。お子さんのいる借り手さんを紹介した際に、物件の管理会社さんから「この物件は子どもがダメなんです」と断られたこともあります。物件の間取り図などに書いてあったりなどもしますので、仲介会社さんにどうしても子どもNG物件で探したい、と言って探してもらうのがいいでしょうね。

――現在、単身者向けの1Kに住んでいるのですが、子どもを含む数人で暮らしている部屋があるようで、騒がしく思っています。単身者向けの間取りの住居に「2人入居可」という記載があるのを見かけますが、逆に、「1人しか住んではいけない」という条件はあるのでしょうか。

鈴木 ありますよ。ただこちらも、「子どもNG」と同様に、表には出にくい条件ですね。ですが、「入居者の方は契約した方限定で」と明記した契約書は、最近増えていると感じます。

 民泊により変化する契約事情

――なにか事情があるんでしょうか?

鈴木 民泊の影響だと思います。あと、外国の方がお一人で契約したのに実際は6人で住んでいた、といったケースもよくあるので、それを防ぐためでしょうね。民泊の場合、近隣からの通報で発覚します。スーツケースを持った人がやたら出入りするようになった、とか。あと、通報サイトのようなものもあるようですね。

――以前、大家さん宅の一部が賃貸になっている家に住んでいました。「大家が近いのは嫌」と思う人もいるでしょうが、住むのに抵抗のない人は、問題を起こすこともないように思います。しかし、こちらも不動産サイトを見ると「大家さん同一建物内」といったチェックボックスはないんですよね。

鈴木 これも仲介会社に希望を伝える形でしょうね。建物の外観などを見てわかるケースもあります。ハウスメーカーの旭化成(へーベルハウス)、積水ハウスあたりの3階建てなどで、大家さんと同じ建物の賃貸物件が作られていますね。

――こうしてみると、騒音を気にする人にとっては、不動産サイトのチェック機能では探しきれないケースが多いようですね。そのあたりは、仲介会社に問い合わせるしかない、と。

鈴木 はい。ただ、残念ながら条件が細かいと面倒くさがる仲介会社はあるかもしれないですね。これは仲介会社側の問題ですが。

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 「静かに暮らしたい人が渇望する条件は、不動産サイトに表示されにくい」――ここにビジネスチャンスを見出す仲介会社や不動産サイトが現れることを切に願わずにはいられない。

 後編では引き続き鈴木氏に、「いい仲介会社」「いい管理会社」の見極め方について伺う。(石徹白 未亜)