ブランドバッグが“女のレベル”を決める!? 実業家男性の「セリーヌ以上希望」発言がお門違いなワケ

「女性と女性が持つブランドバッグのレベルは大抵相関している気がします。個人的にはセリーヌ以上を希望」

 オンラインメディア運営事業を行う、株式会社The Startup代表取締役の梅木雄平氏のツイートが大炎上を巻き起こしている。梅木氏は、女性の持っているブランドバッグのレベルが、女性のレベルと相関していると述べ、Twitter上で持論を展開。

「多分2018年のアラサー女子の程よい塩梅は、やはりセリーヌなのでしょう。おそらくこれが15‐20年前はヴィトンだった的な」
「アラサーでミュウミュウちゃんは辛い」
「女性の高級ブランドバック序列(独自調べ)
「100万~ エルメス
―――
60万~ デルヴォー、ヴァレクストラ
―――
40万~ フェンディ、ロエベ、シャネル
―――
30万~ セリーヌ、
―――
センス的に微妙~ ヴィトン、プラダ
―25歳まで―
ミュウミュウ
―超えられない壁―
フルラ」

 など、ブランドバッグと、それを持つ女性に対する考察を記した投稿は、瞬く間に批判の対象に。「女性をそんなふうに見ているのは、気持ち悪すぎる」「その人が気に入ったものがいいバッグなのでは」「ブランド物を持つのは自己満足であり、それで人を判断するのはよくない」といった、梅木氏の発言に嫌悪感を持つ声がネット上を飛び交っている状況だ。

 また、梅木氏の「多分、僕のように靴や鞄をがめつく見ている男性ってほとんどいなくて、むしろ女性同士で見られているのだと思います。あの子、30過ぎてまだミュウミュウ使ってるの?的な目で見られているのですよ。女性同士は残酷な世界ですからね」というツイートも、「女の敵は女とむやみに煽っている」などと、火に油を注いでいる。多くの人々が、こうしたブランドものによる女性の値踏み、またそれによって仕掛けられる“女VS女”の構図にイラ立ちを隠せずいるようだ。

 もともと梅木氏は、ネット上では「よく炎上している人」として有名である。2015年、彼が編集長を務めるウェブメディア「The Startup」にて公開された、「『炎上工学』というヒットコンテンツの法則」というエントリーでは、「炎上工学=『多くの人が関心を持ちそうなテーマ』×『極論』」という数式を紹介し、これを用いたコンテンツが話題を集めることを述べている。ゆえに、今回の「女性と女性が持つブランドバッグのレベルは大抵相関している気がします」発言もまた、「意図した炎上発言だった」と見る向きもあるが、その際に名前を出されたセリーヌ、またセリーヌの愛用者は、たまったものではないだろう。

 セリーヌは、1945年に女性実業家であるセリーヌ・ヴィピアナが、夫とともにフランス・パリで“皮革のオーダーメイド子ども靴専門店”を開いたことからスタートしたという。「自分たちの子どものために、職人が作った上質な靴を」との思いが、そもそものきっかけだったという。それが上流階級の人々の間で支持をされ、婦人靴やバッグ、アクセサリー、女性向けの服などの分野にも進出していったという歴史がある。それだけに、「女性のレベルうんぬんという話で語られるべきブランドではない」と指摘するのは、セリーヌとも関わりの深いファッションライターだ。

「セリーヌは、“ミューズ的な女性”がおらず、明確なターゲットを持たないブランドなんです。つまりそれは、『どんな女性にも身に付けてもらいたい』というブランド側の思いによるものと考えられます。セリーヌのバッグといえば、“機能性の高さ”が支持されており、働く女性に人気というイメージも強いですが、一方で専業主婦の方やお母さんにも愛用者は多いんですよ。またセリーヌは、よく“エフォートレス”という言葉で語られ、これは簡単に言うと“頑張りすぎない”“無理してない”という意味合い。そういった点からも、女性のレベルを決める、また女性同士が張り合う“バッグ”の話の例として名指しされるのは、ちょっと違うんじゃないかなぁと思ってしまいます」

 17年末、セリーヌのクリエイティブ・ディレクターを務めたフィービー・ファイロが退任を発表。18年秋冬シーズンが最後のコレクションとなり、現在、店頭に並んでいるのは、彼女の手がけたものとなる。

「彼女がこれまでに手がけたバッグといえば、『ラゲージ』『クラシックボックス』が有名ですね。彼女自身が、デザイナーであり母でありという立場のため、やはり『いろいろな女性に持ってもらいたい』という思いのもとコレクションを作ってきたんです。ファッションジャーナリストであるスザンナ・フランケルは、彼女を『誰かほかの人の目を惹くためのデザインではなく、着る人自身のためのデザイン』と評しており、またセリーヌを着る人は『他人の称賛を浴びるために着飾るのではない。彼女自身の喜びのためだけにそれを着る』とも言っています。今回話題になっているのはバッグではありますが、セリーヌのバッグを好む人は、誰かと競うためじゃなく、自分のためだけに持っていると、私は信じたいですね」

 セリーヌのバッグを愛用する女性たちが、そういったブランドの思いまで熟知しているかは定かではない。しかし、外野から投げかけられる悪意ある視線に屈しない気持ちとともに、セリーヌを持ち続けてほしいと願うばかりだ。

「取り返しのつかないオナニーをしている」死を見て興奮する“わたし”の苦しさとは

 

 23歳、処女。「泣くまでボコボコにされた」ことで芽生えた初恋――。自身の“被虐趣味”という性癖と、その根底にある“性自認の不一致”を描いたコミックエッセイ「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」(新潮社)。

 その著者・ペス山ポピーさんに、自身の“性別への違和感”について伺うと、おのずと浮き彫りになるのは、“女”という性を破壊したい衝動と、それに伴う特殊な性癖について。「殴られて性的興奮を覚える」著者がとった行動とは、どんなものだったのか。前編に続き、話を伺った。

(前編はこちら:「ペニバンを着けたら、自分になれた」――女という性を壊したかった「私」の衝動とは?

――オナニーを覚えたのは、いつですか?

ペス山ポピー(以下、ペス山) だいぶ早くて、それが“オナニーである”と気づいたのは中1くらいでした。オカズにしていたのは、自分が某ゲームの主人公にぼこぼこにされる妄想です。3~4歳頃からネタにしていたけど、はっきりと「わたし、ヤバくない?」と自覚したのも、中1くらいです。それまでは、「自分が殴られているところを想像すると、股間のあたりがムズムズするなあ」くらいの認識でしたが、はっきりと「オナネタだ」と認識した瞬間、「わたし、ヤバイ人じゃん」と。

――ヤバイと思っても、自制できるものではないですもんね。

ペス山 まったく止められなかったですね。

 オカズは、イケメンにただ殴られ蹴られ締められる妄想か、イケメン出演率の高い暴力系ゲイAV。ときには地上波のボクシング生放送を目にしてしまい、「地上波で無修正セックス生中継!!」と股間が反応してしまったことも。そこに愛やセックスは、とことん無用だった。

――妄想やオカズに、女性は登場しなかったんでしょうか。

ペス山 そうですね。妄想の中に女性が入ってくると、なぜか違和感があるんですよ。でも、レズっ気もあって。もしかしてバイセクシャルなのかもしれません。女性のストッキングの脚も、じーっと見ちゃったりするんです。恋愛対象ではないけど、性的対象ではあるというか。

――女性の脚のフェチAVは、M男の性癖にマッチしがちですが、ペス山さんはオカズにしますか?

ペス山 持ってます! ヌケちゃうんですよね! 暴力系ゲイAVの方が、7:3くらいで好きなんですけど。これはものすごく失礼な言い方ですが、暴力AVは“高級フレンチ”で、女性のフェチAVは“ファストフード”といいますか……。てっとり早くヌキたいときは女性モノというか……ああ、ごめんなさい! 心の底から興奮したいときは暴力AVを見て、「今日は良かったなあ」と終え、女性の方は「終わった終わった! すっきり! さあ寝よう!」という感じでしょうか。

 ペス山さんが主食にする“暴力AV”だが、性欲が掻き立てられる一方で、「暴力に心を痛めるし大嫌い なのに股間だけがいうことをきかない」と、健全な倫理観が自分の首を締めた。幼少期から「自分がものすごく気持ち悪い」と、幾度となく自己嫌悪に陥った。あげく、祖母からの「(結婚や恋愛をしないと)人として生まれた意味がない」との言葉が、さらに自罰傾向を加速させた。孤独感がペス山さんの足に、いくつもの囚人鉄球をつけた。

――暴力モノのAVで性的興奮することに関しての、「自分の倫理観と股間で葛藤する」という描写が印象的でした。ポップに描かれていますが、実際はとても苦しんだのではと思います。

ペス山 正直、今でも苦しいですね。だいぶ笑えないAVで興奮するんですよ。引かれると思いますが、ザリガニを踏んだりするフェチモノAVもありまして。グロテスクで可哀相で吐きそうになるのに、興奮してしまったことがあります。「わたしは、取り返しのつかないオナニーをしている」と、生きていてはいけない気持ちになりました。実は、『くらげバンチ』に掲載している作品バナーや、わたしのTwitterアイコンにザリガニがいるのは、それなんです。「わたしの興奮の裏には、必ず犠牲がある。あのザリガニを忘れまい」と、心に刻もうと思ったんです。今後、作品を発表していく上で、その感覚を麻痺させたくないというか。

――そうしたAVには、どうやってたどり着くんですか?

ペス山 そういったジャンルは“クラッシュ系”と呼ばれていて、たいていピンヒールを履いた女性が何かを踏んで壊したりするんです。わたしはたまたま、とあるAVサイトに貼ってあったスニーカーの画像のリンクをポチったら、「あっ! こ、これは……!」と。

――ザリガニなど、小さな生き物を潰して興奮することについて、性癖に理解のない人が聞けば、「酒鬼薔薇聖斗」を連想するかもしれません。

ペス山 実は、『絶歌』(太田出版)を読んで、他人事と思えない部分もあったんです。私がサディストだったら、こっち側だったかもしれない、と思ってしまって……。もちろん酒鬼薔薇の場合、反社会的な人格や、先天的なものや環境的なものも大きく作用していると思いますが、わたしは“ザリガニの死”で興奮できてしまうし、「まったく他人事というわけではない」と思いながら読みました。

――自分もそっち側に転んでしまうかもしれない、と。

ペス山 そういう怖さが、すごくありました。そんな性癖と付き合わなきゃいけないことや、漫画家としてなかなかネームが通らないこと、漫画のアシスタント先でセクハラにあったりで、急激に太ったり痩せたりを繰り返して、精神のバランスを崩し始めたのが、20歳の頃です。

――具体的に、どんな状況だったのでしょうか。

ペス山 漫画を読んでも面白くなくなり、当然描いても面白くないから描けるわけがないし、毎晩涙が出てくるようになりました。そうした症状を鬱病経験者の友人に相談すると、「それは鬱の症状かもしれない。そういうときは、あがかずにじっとしていろ」と言われ、毎晩泣いてじっとする日々が続きました。そうやって、だいぶ沈みきったところで、「もういいや!」と思ったんですね。「殴られよう! 人生、捨てよう!」って。もう人生最後だと思って、妄想は妄想のままにしておかず、体現して楽しんでみるのもいいか、と思ったんです。

 “牢獄”のような孤独さを、オナニーでやり過ごす日々に限界が来たペス山さんは、「あたいだって性生活 楽しみたい」と壁を突き破る。解き放たれるかのように、“倫理VS股間”で、股間が勝者となったのだ。「わたしはボコられたいんだ」という自分の欲望と向き合うべくペス山さんが選んだ手段は、変態が集う出会い系掲示板への投稿だった。「暴力系プレイのパートナーを探しています」と書き込んだ。完全に開き直ったのだ。

ペス山 何人かとチャットでやりとりしたあと、最初に通話したのは、自称・医者の男性でした。すごく色っぽい声で、「殴られると、興奮するの……?」って。エロい声だから、こりゃあいいと思って「殴ってくれるんですか!?」と言うと、「いや……僕はそういうんじゃない……」と言われてしまって。「殴ってくれないなら媚びる必要はない!」と思い、ドライに対応したものの、その男性はいろいろな知識を与えてくれました。「君の理想とするプレイは危険だね。それで病院にかかる人もいる。まず、肝臓、膵臓、脇腹を殴られるのはやめなさい。セーフワードも決めなさい」

――理想のプレイというのは、とにかくボコボコにされたい、というものですか?

ペス山 ボッコボコですね。それまでフィクションを見てきて、血を吐くまで殴られるので興奮していましたが、実際に血を吐くまでとなると、そりゃあヤバイですよね。

――そうして最初に出会ったのが、ボクシング経験者の、声がフリーザのような、通称”フリーザ様”だったんですよね。実践し、理想通りいきましたか?

ペス山 いえ。やっぱりそうはいかないです。それから4~5人と出会いましたが、難しかったですね。

――相手は、”殴る“=SMの前戯的な段階だけど、ペス山さんにとっての“殴る”はそうではない、と。というか、ペス山さんの性癖はSMなんですか?

ペス山 それが、わからないんですよね。SMには同好のコミュニティと、楽しむための“哲学”があるでしょうし、そういう場所に“所属”したら「自分の性癖はこうであるべき」と決められそうで、自分から距離を置いてしまっています。だから、SM界隈の人が、わたしの行為をSMだと思うのかはわかりませんが、わたしは自分をマゾヒストだと思うし、わたしが選ぶ相手はサディストだと思うから、「SMでいいんじゃないか」と思っています。

H

 殴られたいが、服を脱ぐことと、体に触れられることは徹底的に拒絶した。なぜか。作中で、ペス山さんは「自分の肉体を、女性として扱われる違和感」があり、「嫌で仕方がない受け入れられない肉体を 暴力で壊す」ために、殴られたいのかもしれないと、自己分析している。

――出会い系で会った相手には、よくイラマチオを要求されていたと描かれていましたね。
ペス山 正直、めんどうだし痛いし吐いてしまうし、「なんでこんなことをしなきゃいけないんだろう」という気持ちもありました。むしろ、わたしに生えていたらしゃぶってほしいわ! と。

――女性として扱われるのは苦痛だけど、フェラチオは受け入れられるんですか?

ペス山 手や口に、性別は関係ないじゃないですか。自分の体に触られなければ。それに、わたしが服を着ているというのが重要で、自分の“女性”の肉体から逃げるために、いつもぶかぶかの服を着て、彼らと出会っていました。

――イラマチオも、苦痛を与えるプレイのひとつです。殴られる時のような興奮は得られないのでしょうか。

ペス山 そうでもないですね。そもそも、「イラマチオをしてくれ」と言う男性の殴り方は甘くて、相手はもう殴り終え、「さあヌイてくれ」状態でも、わたしは「まだまだ殴られ足りない!」状態だから、齟齬が生まれてしまう。これは仕方がないことだと思いますけれど。

――とても初歩的な質問ですが、殴られる=濡れる、ではないんですよね?

ペス山 違いますね。痛くて泣けてきて悲痛な気持ちになると、そこではじめて興奮できるんですが、泣くと心配されてしまう。「いや、違うんだよ! もっと来いよ! ここからなんだから!」と、もどかしかったです。でも、“彼”はそこをやすやすと超えてきたんですよ。最高でした。天才ですよ。本当に死ぬかと思いました。

「彼」とは、ペス山さんが“恋”に落ちた相手。第1話冒頭と、第10話以降登場する「彼」と出会ったのは、いつもの掲示板だった。美しい容姿に可愛らしい雰囲気。「この子が本当に殴れるのか」と不安になった。

J

ペス山 それまで、何人もの男性とプレイしてきて辟易していたので、期待はしないようにしていました。いやあ、舐めてました。最初の一撃で、「ちょ! まって!」とか言ってしまいましたもん。そうすると、「待ってじゃねえよ」と、また一撃。すべて容赦しないんです。特に膝蹴りはキツかったです。糸が切れたように、地面に吸い込まれるように倒れこみました。そんなふうに殴られている間、「ああ、これって“好き”ってやつだなあ」と、自分が恋に落ちたことを実感しました。

 2時間のプレイを終えると、2人の距離は縮まり、まるでピロートークのように事後の余韻に浸った。そして「ハグ、しない?」と持ちかけるペス山さん。彼は抱きしめ、言った。「会えてよかった」

――女性でも男性でもない、“ペス山さん”自身が受け入れられたのだということが、読者であるこちらにも伝わってきました。

ペス山 このとき、抱きしめられながら大泣きしました。「うわあ――――! 今までつらかったああああ!」と。わたしは妄想の中で自分のことを、男でも女でもない、某ゲームのモンスターとして登場させているんですが、そんな“私”をそのまま「受け入れられた」気持ちで胸がいっぱいだった。そこが嬉しかったんです。

――彼と出会って以来、性癖や性自認に変化はありましたか?

ペス山 ストライクゾーンが広がりました! 以前はBLの普通のセックス描写に興味はありませんでしたが、「セックスもいいじゃん」と読めるようになったり。すごい進歩です!

――ややこしい事情を抱え、常に死を意識していた中で、「受け入れられた」と思えたことで、自身に希望が持てるようになったのでしょうか。

ペス山 そうですね。「生きていてはいけない」とまで思ったこの性癖は変わりませんが、ゾーンが広がったことで、「生きていちゃいけない、なんてことはないな」と思えるようになったのは大きいですね。私は友人に恵まれたこともあって、いろいろな面で救われたけど、ひとりでは這い上がれなかった。そういったこともひっくるめて、“奇跡”だったと思います。

(文=有山千春)

ペス山ポピー(ぺすやま・ぽぴー)
新潮社のWEBマンガサイト『くらげバンチ』にて
本作『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』を連載中。

「女人禁制」土俵騒動を“相撲女子”はどう見る? 「同調圧力に負けて変わらないで」と語るワケ

 4月4日午後、京都・舞鶴市で行われた大相撲の春巡業で、多々見良三市長が土俵上で倒れるという事態が発生した。騒然とする空気の中、相撲協会の関係者とともに、医療関係者とみられる観客の女性が駆けつけて救命処置を行ったものの、その際に流れたアナウンスが、世間に波紋を広げている。

「女性は土俵から下りてください――男性がお上がりください」

 土俵は古くから“女人禁制”。それゆえに行司はこうアナウンスをしたというが、ネット上では、「人命救助が第一なのに何言ってるんだ!」「人の命と伝統どっちが大事なんだ?」「女性差別でしかない」「いくらなんでもおかしい」などの非難が相次ぐことに。

 これを受け、5日には相撲協会が正式に謝罪文を発表。「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」と陳謝した。

 しかし、ネット上では熱が冷めぬばかりか、「相撲の伝統はおかしい」「これが国技なんてあり得ない」「相撲ファン、特に女性ファンは目を覚ました方がいい」などといった、相撲、そしてファンバッシングにまで発展。

 この一件を、 “スー女”と呼ばれる相撲好きの女性はどう見ているのだろうか? 相撲好きが高じて『スー女のみかた』(シンコ―ミュージック)という本を出版した、音楽ライターであり正真正銘のスー女・和田靜香氏にお話を伺った。

突然の“人の生死が関わる状況”だった

 今回の件の発端となった“行司のアナウンス”。その場にいた観客によると、救命措置を行っている女性を見たお客さんの「女を上がらせていいのか!?」というようなヤジに対して、行司がうまく対応できず、気が動転してしまった結果、「女性は土俵から下りてください」とアナウンスしてしまったと考えられる。

 その対応について一般人の反応は厳しく、「ああいうときにしっかり対応できないなんて行司失格」「いくらヤジを飛ばされたからって、『下りろ』なんて言うべきじゃなかった」という意見が多く見られた。和田さんはこのことについて、「もちろん、あのアナウンスは間違っていたと思います」と前置きした上で、冷静に語り始めた。

「相撲のことをあまり知らない方々からすると、“行司さん=50~60代くらいの格式ばったすごい人”みたいな想像されるのかもしれませんが、実はそんなことないんです。行司さんは中学を卒業して15歳くらいから入るんですよ。今回は本場所ではなく巡業だったし、もしかしたら若い行司さんが練習するためにアナウンスしていたかもしれません。そんな若い子が、経験したことないであろう“人の生死が関わる状況”で冷静に対応しろって、絶対無理な話ですよね」

 今回、行司の年齢などは明らかにされていないようだが、調べてみると確かに「場内放送は十両格・幕下格・三段目格から10名が担当に選ばれ、うち2名がペアで行う」とある。9つある行司の階級的には下から数えた方が早い行司がアナウンスを担当することになっているようだ。

 続けて和田氏は「あのアナウンスに関しては、協会側も『不適切な対応だった』と認めて謝っています。それで終わりでいいんじゃないかって思うんです。いまだに相撲を叩き続けている人を見ると、『ただ相撲叩きしたいだけなのでは?』って思っちゃいます」と語る。

 また、市長が運ばれた後、土俵に大量の塩を撒かれた件に関しても、ネットでは「女性が上がったから、穢れたっていうの?」「女性を侮辱している」などの意見が見られたが、和田氏は「それは誤解なんです」と旗幟を鮮明にした。

「普段から、土俵でケガ人や病人がでたときは、ああやって塩を撒く風習があるんですよ。命を懸けて戦うわけだから、できるだけ清めようという思いがあってのことなんです。普段から相撲を見ていたらわかるはずなのに、皆いかに相撲をろくに見ず批判だけしてるのかって……悲しくなりました。あの行為は決して女性軽視ではないんです」

相撲ファンとそうではない人が対立

 昨年末、大相撲の横綱・日馬富士の暴行事件があってからというもの、相撲は連日叩かれているような印象を受ける。和田氏によると「多くの相撲ファンは、『相撲はダメだ』と言われ続けて、もう心がボロボロ」だと訴える。

「何か叩きたいものがあれば、同調圧力のようにして、みんなで一斉に叩くのが今のSNS社会なのかなって。相撲に限らず、そのことについてよく知らなくても、まともに“ファクトチェック(=事実かどうか確認すること)”をしないまま批判だけしている印象です。実は真実じゃないことが、あたかも真実であるかのように拡散されるんです。これって怖いですよね」

 ネット上では、相撲ファンが、「相撲好きな人であればわかるはず」と訴えている点に関して、「外野から見て異常だと思うところを受け入れないのはどうなのか?」といった指摘も出ている。ファンとそうではない人の間に大きな隔たりがある――そんな相撲の一面が垣間見えるが、和田氏はそこについても、「相撲の“あいまいさ”が、ファンではない人から攻撃されやすい理由なのではないか」と語る。

「相撲って、サッカーや野球などの“ザ・スポーツ”と違って、スポーツでもあり伝統芸能でもあり興行でもあり……非常にあいまいなんですね。白か黒か、敵か味方かって、きっちり分けることはできないものなんです。今は社会全体がそういう『自分がわかりづらいもの』『あやふやなもの』を排除したい傾向にあるというか……相撲叩きは、“あいまいなものを許せない風潮”の象徴なのかもしれません。だから叩かれやすい存在なんだと思います」

 日本固有の宗教・神道に基づいている面もあり、神事としての側面も持つ相撲。それがゆえに、ほかのスポーツと比べて礼儀作法などが重視されており、文化的な側面もあることから、余計に厳しい目で見られているのかもしれない。

また、今回の件であらためて相撲協会のホームページを読んでみたという和田氏は、「定款にも観戦時のお願いにも、『土俵に女性を上げてはいけない』とは特に書かれてなかった。きっと、江戸時代から『女性は危ないので相撲場に入ってはいけない』というのが伝統としてずっと残っているってことですね」と女人禁制についても言及。

 スー女として、“土俵は女人禁制”は変わってほしいと思うのだろうか? 和田氏いわく、「時代的に変わっていって女性も上がれるようになるなら構わないですが、今のこのガーガー言われているタイミングで同調圧力に負けて変わってほしくはないです。そういう感じで変わってしまったら、それこそ伝統なんてどんどん排除されてしまいそうで。理想としては、皆が忘れたころに『あれ? そういえば女性が土俵に上がってるな~』『あ~最近そうなったらしいよ~』くらいのニュアンスで、気が付いたら変わっているくらいがいいですね」とのこと。

 なお、日本相撲協会の芝田山広報部長は、現時点では「(土俵に女性が上がれないという)大相撲の伝統を守る協会のスタンスは変わらない」とコメントしている。

 “ツイ友(Twitter上での友達)”にも「相撲もうだめじゃん」などと言われて、「とても悲しい気持ちになった」という和田氏。黒か白かを決めたがる世間の同調圧力に飲まれてしまうのではなく、今一度自らでファクトチェックをし、相撲というものを考える目を持つべきかもしれない。
(ヨコシマリンコ)

「ペニバンを着けたら、自分になれた」――女という性を壊したかった「私」の衝動とは?

 若い男性に、「命がログオフする」ほど腹を殴られて「恋に落ちた」――。

 連載1話目から、衝撃的な描き出しで話題となり、またたくまにフォロワーを増やしたコミックエッセイ『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)。

 23歳の処女でありながら、暴力を受けることでしか興奮できないという著者・ペス山ポピーさんが描くのは、「誰からも理解されない」被虐趣味に対し、正面から向き合っていく自分と、そんな自分の性別が“女性”であることを受け入れられず、女性という肉体を「破壊」したい衝動に駆られる著者のもとに訪れた、恋について。

「きっと中々 誰もわかってくれないだろうな」と諦めかけていた著者が“奇跡”と語る出来事、それに至るまでの経緯と心情、取り巻く環境はどんなものだったのか。4月9日の単行本1巻発売を踏まえ、作中では語られなかった背景を、著者本人にうかがった。

――ご自身でも描かれている通り、ペス山さんは“個性が渋滞”していらっしゃいますよね。ひとつひとつ紐解いていけたらと思います。まず、ご自身の性について違和感を覚えたのは、いつ頃でしたか?

ペス山ポピー(以下、ペス山) 3~4歳くらいですね。変わっていて周囲から浮きやすい子どもでした。「マイペース」「我が道を行く」といった言葉をポジティブに、ときにネガティブに通知表に書かれていて。自分でも、周囲との馴染めなさを感じることが多かったです。

――小学生くらいになると、女子はグループ作りが主流になりますが、そういった輪に入るような子どもではなかった?

ペス山 そうですね。それでも小学校の1、2年生までは、一緒に遊ぶ女子に頑張って合わせていて、おままごとに参加したりしていました。だけど、やりたがる役は“お父さん”。美少女戦士ごっこをやるときも、どうしても美少女戦士役はできませんでした。だから、「敵やるから倒して」と、率先して敵役になっていました。それが図らずも、“女の子になれない+マゾヒスティック”な自分に合っていましたね。実際、「おのれ~!」なんて言いながら倒される感じがちょっと良かったりして(笑)。でも、やっぱりうまくいかなくて、女子グループにいじめられたこともありました。

――どんないじめですか?

ペス山 こそこそと陰口をたたかれたり、下校中に途中で仲間はずれにされたり、遊んでいる途中で「帰って」とか言われたり、まあ定番ないじめですが。「ああ、苦痛だなあ」みたいな。

 いじめの経験を「苦痛」と語りながらも、どこか余裕のある表情で回顧するペス山氏。しかし、そうしたいじめよりもペス山氏が「傷ついた」と作中に描く、こんなエピソードがある。小4のとき、男子と口喧嘩をしていると、クラスメイトの女子が現れ、こう言い放ったのだ。「やめなよ! ポピーちゃんだって女の子なんだよ!?」自分は“女の子”なのか? そうなのか……? 釈然としない感情が、涙となって溢れた。

――「女の子」に、そこまで強い違和感を覚えていたんですね。そんなふうに善意で「女の子」扱いされることについて、悔しかったんでしょうか。

ペス山 そうですね。このときの言葉は強く印象に残っています。かばってもらったのにつらくて泣いている。でも周りは、かばわれて嬉しくて泣いていると思うから、なおつらい。「違う! 私は嬉しいんじゃないんだ! 悔しいんだ!」と。

――だけど、当時は言葉にできなかった。

ペス山 それでも「わたし、“女子”に属するの、キツイなあ」って、当時からなんとなく、意識としてはわかっていたんですよね。たとえばテレビCMの女性は、“女性の完成形”が映し出されているじゃないですか。「わたしもこうなるの!?」と思うと、「イヤだ! なりたくない!」と拒絶の気持ちが生まれる。むしろ、サラリーマンになりたいと思っていました。自分の中での自然な将来の姿が、男性なんです。人生がものすごくうまくいったらロックスターになりたかったですが、さすがにそれは難しいかもしれない。せめてサラリーマンにはなれたらいいな、という感じで。“女性”になるという想像はできませんでした。

 そうした思いが確立したのは、のちにペス山氏が出会い系で募ったM男に対し、ペニバンでアナルを掘ったときだった。事後、ペニバンを装着した自身の姿を見て、「私、これ、めっちゃ似合ってるな!!」と爽やかにひらめいた。そして、「私の性自認は、ほとんど男性なのだと思う」と、思い至っている。

ペス山 たとえば、路上でイケメンを見ると「わたしはなぜ、こんなふうに生まれなかったんだろう」と嫉妬しますけど、きれいな女性を見ても、「きれいだと、生きるのが大変だろうなあ」と思ってしまうだけなんです。極度に「“女性”としてしか扱われない」、つまり「人間として扱われないのでは」と。ならば、そんな人生はキツイのではないか、と。反面、おばあちゃんにはなりたいです。性別から解放されていると感じるから。

――“女性”という性別そのものに、怖さを感じていたんですね。進学すると制服でスカートを着用しなければいけなくなります、どうしていたんですか?

ペス山 スカート着用に対してというよりも、小6までは男女混ざり合って遊んでいたのに、中学校で制服になった途端、男女が分かれるのがキツかったですね。制服によって“分断”された、という感覚で、悲しかったです。だからわたしは、スカートを長くしたり、下に体育ズボンを履いたりしていました。それで、スカートの留めが甘くてズルっと落ちて笑われて、「タカラジェンヌみたいで面白いでしょう?」なんてふざけたリアクションをとったり。

――わざと道化を演じるような、“面白キャラ”だったんでしょうか。

ペス山 そうですね。それには背景がありまして。小5のときが一番大変だったのですが、友達がいない上に先生が「キツかった」んです。

――「キツかった」とは、どういうふうにですか?

ペス山 先生が作曲して、みんなが作詞した「笑顔の5年B組~♪」みたいな内容のオリジナル“クラス歌”を歌わされました。さらに、先生がみんなの呼び方を決めるんです。「あなたはルミルミ。あなたはマナっち。名字で呼び捨てすることは許しません」と。わたしは性別から逃げるために名字の呼び捨てを好んでいて、友達にも「なるべく名字で呼んでほしい」とお願いしていました。“名字呼び”で過ごしていた時期は、心地よかったんですが、下の名前で呼ばれるようになってしまって、精神的な自由がどんどんなくなっていくんですよ。……さらに追い詰められた理由は、その当時“トレジャーシステム”というのがありまして。

――なんですか、それ!?


ペス山 
“トレジャーシステム”は、クラスで良いことをした子がいたら、「◯◯くんがこんなことをした」と先生に報告するシステムなんですが、それが悪いことにも適用されて、“通報”されるんです。わたしは友達がいないことが原因で、「この中に友達がいない人がいます! 手をあげなさい!」と、先生に吊るし上げられました。自分もみんなも、わたしに友達がいないことを知っているから、チラチラと見てくるんですよね。「すいません、友達、いないです……」と手を上げざるを得なくて。それで立たされた上「みなさん! この人には友達がいません! 仲良くしてあげてください」と……。なんだこの私刑は、と感じました。

――すごい体験をされましたね。

ペス山 その時期は全てがトラウマで、自分の中でも「わたしは友達がいない」という印象が強いです。だけど今はなんだかんだ、4人の友達に恵まれていますから、結構“逃げどころ”がある人生だと考えてはいますけどね。

――「友達がいない=悪」と刷り込まれてしまったんですね。それが、中学校の“面白キャラ”とつながっていくんですか?

ペス山 そうなんです。小6になって、無理に性格を変えました。スポ根漫画のように、バラエティ番組をずっと見て、明石家さんまさんや土田晃之さんみたいになりたくて、話し方や返し方を真似するようにしました。「こう話せば人気が出る!」と思って。それで実践して、最初はうまくいかないけど、小学生でそんな勉強する人なんていないじゃないですか。だからちょっとずつは、当社比としては面白くはなっていくんですよ(笑)。それが功を奏して、友達がいない状態から抜け出すことができました。躁的な、ピエロ的な明るさを身につけて、でも無理矢理だから痛々しいんですよね。「おまえ、ずっと演技しているみたいだよな」と見抜いて去っていく人もいました。それでも結局は限界が来てしまい、中学の後半では暗い性格に戻りましたが。

話を伺うほど、ひたすらストイックに自分を“追い詰める”エピソードばかりが出てくるペス山さん。「私は 私の手で 自分を投獄する」と作中で綴るように、繰り返し出てくる“牢獄”のイメージは、そのまま心の中の描写なのだろう。そんな、自身を律する気持ちが人一倍強いペス山さんが「わたし、ヤバくない?」と自覚しつつも止められなかった“性衝動”とは、どのようなものだったのか。

(後編に続く・4月10日公開予定)

“寝たきり状態”で、ふくらはぎを細く!? 韓国で流行中の「美脚整形術」の恐ろしさ

nicr1 春の訪れを感じる今日このごろ、軽やかなファッションを楽しめる季節になったが、どうにも気になるのが自分の体形。K-POPアイドルのような美脚だったらいいのに……と考えてしまう季節でもある。そんな乙女心を知ってか知らずか、ふくらはぎを細くする“ふくらはぎ退縮法(NICR)”という美容整形手術があるのを、ご存じだろうか?

■ラジオ波で筋肉の神経を遮断

「ふくらはぎ退縮法の正式名称は『Non Incisional Calf Reduction(切らないふくらはぎ縮小法)』。2006年に美容整形大国である韓国の医師が考案し、アメリカ形成外科学会で論文発表した、比較的新しいふくらはぎ痩身手術です」

 そう話すのは、美容医療に関連する消費者の相談を受けつけるサービス「美容医療相談室」の神谷和宏さん。日本国内では頭文字をとって「NICR」と呼ばれているそう。いったいどのような施術法なのだろうか?

「ラジオ波といわれる電波を利用し、ふくらはぎを細くする痩身手術です。専用機器から放出されたラジオ波によって、ふくらはぎの筋肉の神経伝達を遮断します。神経伝達を遮断され使われなくなった筋肉は徐々に衰えていき、萎縮していく(細くなる)というのが、この施術法の基本的なメカニズムです」

 イメージとしては「事故や病気で寝たきりの状態が続くと、筋肉が衰え、細くなっていくのと同じ」とのこと。この「NICR」は国の認可が必要な手術ではなく、専用の医療機器を医師が購入すれば、すぐに施術を始めることができるという。

「NICRは、これまでふくらはぎの痩身で行われてきた『脂肪吸引』や『ボトックス注射』、『切開式神経遮断術式』に比べると、身体的な負担が少ないことや、術後の持続期間の長さなどから、優れた方法だといわれています。しかし、副作用のリスクや危険性を指摘する医師もいるので、現在のところ、主流のふくらはぎ痩身術とはいえません」

 “優れている”とされている一方で、リスクがゼロというわけではない、と神谷さん。では、どのようなリスクが考えられるのだろうか?

「まず、神経麻痺による歩行障害(運動能力低下・機能障害など)が生じる可能性を指摘する声があります。実際、韓国では『術後の左右差』や『痛み』『ふくらはぎの陥没』などの副作用を訴える医療事故訴訟も起きていますね。ちなみに、これらの訴訟は、被害者団体側が勝訴しています」

  確かに、意図的に神経を遮断させて「事故や病気で寝たきり同様の状態」にすることから、何かしらの支障が出てきそうなもの。NICRは体への負担が少ないとはいえ、将来的なリスクはついて回るようだ。

「国の認可は必要ありませんが、施術者の経験値や習熟度にも差があるため、どこのクリニック・医師でも同じレベルの施術ができるわけではありません。そのため、クリニックを選ぶ際は、時間をかけて慎重に検討する必要があります」

 また、ほかにも、クリニックをじっくり選ばなければならない理由があるという。

「美容外科業界には医師側があまり施術のリスクを説明しない、という特徴があります。美容外科は、いわゆる一般的な医療よりも商売に近い面があるので、患者さんが手術をあきらめてしまうようなリスクは説明せず、メリット部分だけにフォーカスして伝える医師もいます。誠実にリスクの説明をきちんとしたうえで、よい医療を提供する医師もいますが、美容外科医は技術レベルだけでなく、医師としての倫理観にも非常にバラつきがあります。なかには、契約成立に持っていくのが得意な半面、技術的には疑問を感じる医師がいるのも事実です」

 神谷さんは「もちろん、業界全体の課題ではあるが、手術を受ける側も注意を払わなければならない」と話す。NICRに限らず、どんな施術でも聞こえのいい言葉だけで手術を勧める医師には注意が必要。春だから脚を見せたい――なんて軽い気持ちで手術を受けたら、取り返しのつかないことになるかもしれない。
(真島加代/清談社)

・神谷和宏(かみや・かずひろ)
株式会社ととっぷ・代表取締役。「美容医療相談室」を運営し、電話やメールで美容整形・美容医療に不安を持つ人々からの相談を受ける。医師やクリニックと連携し、論文や訴訟問題などのエビデンスをもとに情報提供している。

たけし、SMAP、のん……“独立トラブル”が続出する芸能界の「いびつな構造」

 ビートたけしが所属事務所「オフィス北野」を退社、自らが代表を務める新事務所「T.Nゴン」を設立した。また、所属事務所とのトラブルが報じられていたローラも和解し、4月から活動を再開するという。ここ数年、SMAPの解散騒動以降、芸能人が所属事務所から独立する動きが目立つ。独立というと、干されて芸能活動ができないなどのトラブルの印象があるが、18年3月にフリーに転身した満島ひかりのように、「円満」なものも増えているようだ。

 そこで、『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)の著者である星野陽平氏と、芸能人の権利擁護のために設立された日本エンターテイナーライツ協会(ERA)共同代表理事で、芸能人のトラブル案件を多数取り扱っている河西邦剛弁護士に、芸能人の独立時にトラブルが起きる背景や、事務所と芸能人の関係の変化について話を聞いた。

■芸能事務所には “地上”と“地下”の2種類がある

 河西弁護士によると、ERAで受けている芸能人からの相談内容は、主に3つあるという。事務所に入る前の相談、事務所を辞められないという相談、そして辞めた後のセカンドキャリアについての相談。中でも7~8割が、辞められないという相談だ。なぜ芸能人が事務所を辞めるとき、トラブルになるのだろうか? 

「ある芸能人に対して“あの人みたいになりたい”と夢を持っていた場合、その人と同じ事務所に入るほうがいいですよね。ですから、今いる場所より上に行きたい、より大手の事務所に移籍したい、というときにトラブルになるのです。芸能人は商品なので、流出してしまったら事務所は困ります。また、辞められやすい事務所と思われることも問題ですので、芸能人が事務所に所属し続けないといけないような専属契約を結ぶのです」(河西弁護士)

 芸能事務所には大きく分けて、“地上”と“地下”の2種類あるという。河西弁護士は、次のように解説する。

「アミューズやエイベックスといった上場企業をはじめとして、日本音楽事業者協会(音事協)に加盟している大手の事務所、それに続く中堅の事務所、以上で業界全体の2割ほど、ここまでが言ってみれば“地上”になります。残りは、なんとか成り立っている事務所、大手や中堅から独立したばかりの事務所、そして、レッスン料などの名目でタレントからお金を取る詐欺行為を行っているような事務所。こうした“地下”の事務所が8割を占めているんです」

 星野氏も、アメリカの芸能界と比較して、日本の芸能事務所の特殊性を指摘する。

「アメリカの場合、タレント志願者が自分で学費を出して俳優養成学校へ通い、自分で所属するエージェントを探します。日本でアイドルとして活躍した後、アメリカへ渡って俳優活動をしている田村英里子さんは、演劇のエージェントとなかなか契約できなかったので、仕方なくCMやモデルのエージェントと契約し、CMやモデルの仕事をしばらくしていました。エージェントは、売れるかどうかわからない者と契約しませんし、契約したら、タレントはエージェントにギャラの10~20%を払います。一方、日本の芸能事務所は、オーディションや撮影料、スクールの授業料などといった名目で、プロモーション費用をタレントから取るシステムになっているところもあります。テレビに出られるようなタレントがいる事務所は一部で、事務所がバーターで押し込むなどして、才能がなくてもタレントがテレビに出ていたりする。そもそも論理がおかしいんです。アメリカでは、日本のアイドルグループみたいなものは成立しにくいですね」

 星野氏によると、アメリカの芸能界には法律の規制があり、事務所の機能が分離されているという。具体的には、ブッキング(契約行為)、プロダクション(制作)、マネジメント(タレントの世話)の3つだ。法律的には、タレントエージェンシー法によってブッキングを担当するエージェントはマネジメントを兼務してはいけないと定められており、反トラスト法(日本の独占禁止法<独禁法>に当たる)でプロダクションとマネジメントは兼務できないことになっている。

「以前、小栗旬さんが『俳優の労働組合を作ろう』という発言をしたことがありますが、その後、スキャンダルなどが出て、多分潰されたのでしょう。結局、うまくいっていません。アメリカでは、エージェンシーや劇場といった資本の圧力に対してタレントが立ち上がり、労働組合を作り、ストなどを行いました。その結果、両者の間で協定が結ばれ、待遇が改善されたのです」(星野氏)

 では近年、芸能人のトラブルが増えているのはなぜだろうか? 河西弁護士によると、2つの原因が考えられるという。芸能人口の急増とメディアの変化だ。

「ここ10年ほど、地下アイドルの存在により、芸能人口が急増しました。それに伴い、トラブルや裁判も増えています。大物芸能人のトラブルは大きく報じられるので目立ちますが、実際には、所属タレントにある程度のお金を払っている大手事務所のトラブルは少なく、中堅以下の事務所のトラブルが圧倒的に多いのです。そして、かつては圧倒的な力を持っていたテレビの影響力が低下するとともに、ネットメディアが台頭してきたため、芸能人が芸能事務所に所属しなくても表舞台に出られるようになりました。それで、より独立しやすくなったといえます」(河西弁護士)

 今年2月、公正取引委員会(公取委)が、芸能事務所が芸能人らとの契約の中で、移籍制限など不利な条件を一方的に設けることは独禁法違反の恐れがあるとの報告書をまとめた。また、それを受けて音事協が、所属事務所側に圧倒的に有利な内容となっている「統一契約書」の見直しを検討するとの報告書を公開した。河西弁護士は、こうした動きの背景には、世間の注目度も関係しているという。

「SMAPやのんさんなどの件が大きく取り上げられたことで、世間の注目度が高まりました。過労死の問題や働き方改革で日本全体として人の働き方に関心が集まっていることもあります。それによって、公取委が動いたとも考えられるでしょう」(同)

 公取委の動きについては、星野氏も次のように述べる。

「業界健全化のためには、公取委の介入は必然ですし、日本でもアメリカのように芸能事務所を規制する専門の法律が必要だと思います」

 河西弁護士も法律は必要と考えているが、成立するまでには相当の時間がかかるという。それでも、芸能事務所の影響力が今よりも弱まる可能性を示唆している。

「最終的にはアメリカのようなエージェント制が導入されることになるでしょうが、まだすぐにという段階ではありません。芸能人の管理や品質保証という事務所の機能は無視できないですし、ギャラ交渉や売り込みといった部分を事務所が担うことによって、芸能人が芸能活動に集中できるという面もあります。事務所と敵対することは芸能人にも不利益になりますので、“協働”、つまりお互い協力していくべきだと、我々としては考えています」

 ファンや一般の視聴者としては、才能ある芸能人が事務所トラブルなどに巻き込まれず、のびのびと活躍して楽しませてほしいと願っている。法律の制定などによって、芸能人と事務所が対等な関係を築くことができるようになり、今後の芸能界の発展にもいい結果をもたらすことを期待したい。

小保方晴子、見た目激変の“復活劇”――不祥事対応の専門家が「名前を改めても」とダメ出し!

 「STAP細胞騒動」の主人公・小保方晴子氏が、再びメディアに姿を現した――。

 2014年、「STAP細胞」研究を発表し、一躍時の人となった独立行政法人理化学研究所の元研究員・小保方氏。その後、STAP論文にさまざまな研究不正があるのではという疑義が浮上し、論文には「改ざん」「ねつ造」と判断できる箇所があると認定されるに至った。小保方氏は、それに反論する形で会見を行い「STAP細胞はあります!」と力強く宣言したものの、STAP細胞を再現できなかったことから論文は撤回、あわせて早稲田大学の博士論文にも不正が発覚して博士号を取り消され、またES細胞の窃盗容疑で告発(不起訴)されるなどの騒動も勃発。さらには上司にあたる副センター長・笹井芳樹氏が自殺するという惨事まで招き、14年を代表する大事件として、各メディアが盛んに報道合戦を繰り広げていた。

 小保方氏は、同年末に理研を退職。16年には、STAP騒動の内幕を記した手記『あの日』(講談社)を発表し、同年「あなたの受けたマスコミを通してのもの凄いバッシングには涙がでました」という瀬戸内寂聴氏からの申し出によって、「婦人公論」(中央公論新社)で対談を行うと、その後、同誌にて連載「小保方晴子日記」をスタートした。そして先月、連載をまとめたエッセイを発売するに至り、久しぶりに同誌に近影を寄せたのだが、世間の反応は意外なものだった。

 「小保方さん、めちゃくちゃ美人になった!」「別人みたい」「STAP細胞で若返ったの?」……そんなコメントがネット上を飛び交ったのは、写真家・篠山紀信氏撮影の近影が、以前に比べて垢抜けた姿で、確かに「可愛くなった」といえるルックスだったから。さらには、彼女が着用していたGUCCIのワンピースが20万円を超える高級品だということも取り沙汰されている状況だ。

 外見ばかりが注目されているこの復活劇は、小保方氏にとって最良のものだったのだろうか? 今回、企業不祥事発覚時の記者会見対応などの“クライシスマネジメント(危機管理)サポート”を行う会社ブライト・ウェイ代表で、レピュテイション(※)・コンサルタントの高祖智明氏に取材を行った。再起を図る方法として、小保方氏の戦略はどう評価できるのか、意見を聞いた。
※レピュテイション:評判

 まず高祖氏は、今回「婦人公論」に登場した経緯、またその登場の仕方ついて、「自ら望んで出たのか、それとも周囲から場を与えられたのか」「自己プロデュースなのか、それとも周りからの演出なのか」が気になったという。というのも、そもそも彼女は、騒動を通して“マスコミによって”持ち上げられ、落とされた印象が強いからだそうだ。

「小保方さんが最初に注目されたとき、“リケジョの星”とかなり持ち上げられ、“割烹着”も話題になりましたよね。ただ、彼女はユニットリーダーだったものの、ポスドクであり、理研での立場はそこまで高くなかった。それだけに『マスコミ向けに使われたのかな』と感じていたんです。そして、論文の不正が取り沙汰されると、一転してマスコミから大バッシングされることに。世間的には、やはりSTAP細胞発表でメディアに取り上げられていたときの彼女、また、STAP論文に不正はないと主張した会見での彼女が、強く印象付けられていると思います。そこにきて、笹井氏が自殺したことで“悪者”となり、ブラウン管から姿を消したというイメージなのでは」

 ある意味、マスコミに振り回されたといえる小保方氏。ワイドショーは研究内容や、その事実うんぬんではなく、小保方氏個人に着目し、そのキャラクターや転落劇を追っていたフシがあるという。「婦人公論」への登場の仕方も、小保方氏が主導したのではなく、そうした世間の関心を引くよう、出版社サイドが仕掛けたとも考えられるようだ。

 高祖氏は、小保方氏がメディアに再び登場した件について、「荻野目慶子さんを思い出しました」と語る。1990年、荻野目の当時の愛人であった映画監督・河合義隆氏が、彼女の自宅で首吊り自殺をするという大事件が起こった。92年には、その監督が撮影したヌード写真集『SURRENDER―荻野目慶子写真集』(講談社)が発売され、事件の影響もあってか、売り上げは好調だったという。

「当時、私も『評判がいいし、どんな内容だろう』と編集者としての興味もあり、1冊購入して持ち帰りました。テーブルに置いて別な事をしていたら、それを見つけた妻がいきなり激怒しまして。ヌード写真だからではなく、『不倫相手の監督を自殺に追いやった女のヌードを見たいのか?』という理由で怒っていたんです。結局、写真集は一度もページを開かないまま書店に返品しました。小保方さんは笹井さんと愛人関係などではなかったと思われますが、“騒動に関わった人物が自殺した”という事実を知っている人が、小保方さんの再登場をどう受けとめるのか。荻野目慶子写真集に対する妻の反応を思い出すと、『婦人公論』への今回の登場の仕方は、違和感を覚えます」

 篠山氏撮影の美しさが際立つ小保方氏の写真については、「それを受け止める側の気持ちを、考えていないのではないかと思った」そうだ。

「マスコミで報じられている小保方さんしか知らない人にとっては、『なんでまた出てきたの?』『しかもこんなに作りこんで』と感じるのでは。それに、『婦人公論』は女性が読者ですよね。男性誌であれば、ルックス重視の写真というのも理解できるのですが……。そもそも、何を目的に登場したのかが、よくわからないんです。『新しい自分になります』という意味で出てきたのなら、目標なり、なりたい自分像なりがあるはずなのですが、それが誌面から見えてきませんでした」

 小保方氏は『小保方晴子日記』において小説を書いていることを明かし、また誌面に寄せた手記では、今後について「社会貢献をしていきたい」と語っていたが、「社会貢献をしたかったら、あの写真ではない。“外観が美しくなった自分を見てね”というのは違いますよね。例えば、ドキュメンタリー・報道系の写真家が日常における小保方さんを撮っていたらどうだったのだろう、と考えてしまいます」という。

 小保方氏の写真には、読者や、誌面を取り上げたワイドショーを見る視聴者が、どう思うかという重要な視点が抜けていると高祖氏は語る。それゆえに、「出版社の炎上商法なのではないかとすら感じる」そうだ。

「3月に発売された本は“日記”ですよね。騒動から時間がたち、小説でも手記でもなく“日記”って、読まれるのかなと思いました。なので、世間に興味を持たせるために、あえて出版社が強く外観を打ち出したという見方もできます。小保方さんは現在、出版社の人以外に、身近に仕事の話ができる人はいるのでしょうか? 相談相手は家族くらいしかいないのではと思うのですが、それゆえに、出版社側の誘導に“引っ張られた”気もするんです。もっとたくさんの人からアドバイスをもらえれば、また違う再登場の仕方もあったのでは」

 小保方氏というより、出版社サイドの思惑が見え隠れする中、当事者である彼女自身も、「再登場にあたって自己分析できていたのか気になる」という。

「STAP細胞騒動で研究の世界から“干された”自分が、また人前に出る――それは再び研究者として活動するためなのか、何か別のことをやりたくて出てきたのか。婦人公論の記事では『私がここまで元気になれたのは婦人公論の読者の方々のおかげです。元気になった姿を見ていただくことで、感謝の気持ちをお伝えできればと思い、今日この場に出る決意をいたしました』とあります。篠山さんに写真を撮ってもらえるのですから、大変なインセンティブとも言えます。しかし、自分が世間からどう見られているのか、どういう印象を持たれているのか。そういった点を、小保方さんは考えられたのか疑問に思います。文字だけではなくビジュアルが世に出るとき、世間の注目が集まることを想像できていなかったのでしょう。現状の自己分析ができていないと、再登場の方向性を間違えるのは当然です」

 改めて小保方氏の写真について「『もう一度私らしく』 と登場した写真は、私には言われないとわからないレベルでルックスが変わった。 過去の小保方晴子を捨てて、研究とは別の世界で生きるつもりなら、 騒動の記憶がつきまとう名前も変えて(改めて)出てきてもよかったのに」と語っていた高祖氏。小保方氏が、 今後どのような形で“社会貢献”をしていくのか、注目していきたい。 

高祖智明(こうそ・ともあき)
ブライト・ウェイ代表、レピュテイション(※)・コンサルタント。1981年、リクルートに入社し、「ケイコとマナブ」など、数々の情報誌の編集・創刊に携わる。95~98年福岡ドーム広報宣伝部長を経て99年より現職。99年より現職。育児ポータルサイト「こそだて」プロデュース、育児情報誌「miku」プロデュースも行っている。
ブライト・ウェイ公式サイト

小保方晴子、見た目激変の“復活劇”――不祥事対応の専門家が「名前を改めても」とダメ出し!

 「STAP細胞騒動」の主人公・小保方晴子氏が、再びメディアに姿を現した――。

 2014年、「STAP細胞」研究を発表し、一躍時の人となった独立行政法人理化学研究所の元研究員・小保方氏。その後、STAP論文にさまざまな研究不正があるのではという疑義が浮上し、論文には「改ざん」「ねつ造」と判断できる箇所があると認定されるに至った。小保方氏は、それに反論する形で会見を行い「STAP細胞はあります!」と力強く宣言したものの、STAP細胞を再現できなかったことから論文は撤回、あわせて早稲田大学の博士論文にも不正が発覚して博士号を取り消され、またES細胞の窃盗容疑で告発(不起訴)されるなどの騒動も勃発。さらには上司にあたる副センター長・笹井芳樹氏が自殺するという惨事まで招き、14年を代表する大事件として、各メディアが盛んに報道合戦を繰り広げていた。

 小保方氏は、同年末に理研を退職。16年には、STAP騒動の内幕を記した手記『あの日』(講談社)を発表し、同年「あなたの受けたマスコミを通してのもの凄いバッシングには涙がでました」という瀬戸内寂聴氏からの申し出によって、「婦人公論」(中央公論新社)で対談を行うと、その後、同誌にて連載「小保方晴子日記」をスタートした。そして先月、連載をまとめたエッセイを発売するに至り、久しぶりに同誌に近影を寄せたのだが、世間の反応は意外なものだった。

 「小保方さん、めちゃくちゃ美人になった!」「別人みたい」「STAP細胞で若返ったの?」……そんなコメントがネット上を飛び交ったのは、写真家・篠山紀信氏撮影の近影が、以前に比べて垢抜けた姿で、確かに「可愛くなった」といえるルックスだったから。さらには、彼女が着用していたGUCCIのワンピースが20万円を超える高級品だということも取り沙汰されている状況だ。

 外見ばかりが注目されているこの復活劇は、小保方氏にとって最良のものだったのだろうか? 今回、企業不祥事発覚時の記者会見対応などの“クライシスマネジメント(危機管理)サポート”を行う会社ブライト・ウェイ代表で、レピュテイション(※)・コンサルタントの高祖智明氏に取材を行った。再起を図る方法として、小保方氏の戦略はどう評価できるのか、意見を聞いた。
※レピュテイション:評判

 まず高祖氏は、今回「婦人公論」に登場した経緯、またその登場の仕方ついて、「自ら望んで出たのか、それとも周囲から場を与えられたのか」「自己プロデュースなのか、それとも周りからの演出なのか」が気になったという。というのも、そもそも彼女は、騒動を通して“マスコミによって”持ち上げられ、落とされた印象が強いからだそうだ。

「小保方さんが最初に注目されたとき、“リケジョの星”とかなり持ち上げられ、“割烹着”も話題になりましたよね。ただ、彼女はユニットリーダーだったものの、ポスドクであり、理研での立場はそこまで高くなかった。それだけに『マスコミ向けに使われたのかな』と感じていたんです。そして、論文の不正が取り沙汰されると、一転してマスコミから大バッシングされることに。世間的には、やはりSTAP細胞発表でメディアに取り上げられていたときの彼女、また、STAP論文に不正はないと主張した会見での彼女が、強く印象付けられていると思います。そこにきて、笹井氏が自殺したことで“悪者”となり、ブラウン管から姿を消したというイメージなのでは」

 ある意味、マスコミに振り回されたといえる小保方氏。ワイドショーは研究内容や、その事実うんぬんではなく、小保方氏個人に着目し、そのキャラクターや転落劇を追っていたフシがあるという。「婦人公論」への登場の仕方も、小保方氏が主導したのではなく、そうした世間の関心を引くよう、出版社サイドが仕掛けたとも考えられるようだ。

 高祖氏は、小保方氏がメディアに再び登場した件について、「荻野目慶子さんを思い出しました」と語る。1990年、荻野目の当時の愛人であった映画監督・河合義隆氏が、彼女の自宅で首吊り自殺をするという大事件が起こった。92年には、その監督が撮影したヌード写真集『SURRENDER―荻野目慶子写真集』(講談社)が発売され、事件の影響もあってか、売り上げは好調だったという。

「当時、私も『評判がいいし、どんな内容だろう』と編集者としての興味もあり、1冊購入して持ち帰りました。テーブルに置いて別な事をしていたら、それを見つけた妻がいきなり激怒しまして。ヌード写真だからではなく、『不倫相手の監督を自殺に追いやった女のヌードを見たいのか?』という理由で怒っていたんです。結局、写真集は一度もページを開かないまま書店に返品しました。小保方さんは笹井さんと愛人関係などではなかったと思われますが、“騒動に関わった人物が自殺した”という事実を知っている人が、小保方さんの再登場をどう受けとめるのか。荻野目慶子写真集に対する妻の反応を思い出すと、『婦人公論』への今回の登場の仕方は、違和感を覚えます」

 篠山氏撮影の美しさが際立つ小保方氏の写真については、「それを受け止める側の気持ちを、考えていないのではないかと思った」そうだ。

「マスコミで報じられている小保方さんしか知らない人にとっては、『なんでまた出てきたの?』『しかもこんなに作りこんで』と感じるのでは。それに、『婦人公論』は女性が読者ですよね。男性誌であれば、ルックス重視の写真というのも理解できるのですが……。そもそも、何を目的に登場したのかが、よくわからないんです。『新しい自分になります』という意味で出てきたのなら、目標なり、なりたい自分像なりがあるはずなのですが、それが誌面から見えてきませんでした」

 小保方氏は『小保方晴子日記』において小説を書いていることを明かし、また誌面に寄せた手記では、今後について「社会貢献をしていきたい」と語っていたが、「社会貢献をしたかったら、あの写真ではない。“外観が美しくなった自分を見てね”というのは違いますよね。例えば、ドキュメンタリー・報道系の写真家が日常における小保方さんを撮っていたらどうだったのだろう、と考えてしまいます」という。

 小保方氏の写真には、読者や、誌面を取り上げたワイドショーを見る視聴者が、どう思うかという重要な視点が抜けていると高祖氏は語る。それゆえに、「出版社の炎上商法なのではないかとすら感じる」そうだ。

「3月に発売された本は“日記”ですよね。騒動から時間がたち、小説でも手記でもなく“日記”って、読まれるのかなと思いました。なので、世間に興味を持たせるために、あえて出版社が強く外観を打ち出したという見方もできます。小保方さんは現在、出版社の人以外に、身近に仕事の話ができる人はいるのでしょうか? 相談相手は家族くらいしかいないのではと思うのですが、それゆえに、出版社側の誘導に“引っ張られた”気もするんです。もっとたくさんの人からアドバイスをもらえれば、また違う再登場の仕方もあったのでは」

 小保方氏というより、出版社サイドの思惑が見え隠れする中、当事者である彼女自身も、「再登場にあたって自己分析できていたのか気になる」という。

「STAP細胞騒動で研究の世界から“干された”自分が、また人前に出る――それは再び研究者として活動するためなのか、何か別のことをやりたくて出てきたのか。婦人公論の記事では『私がここまで元気になれたのは婦人公論の読者の方々のおかげです。元気になった姿を見ていただくことで、感謝の気持ちをお伝えできればと思い、今日この場に出る決意をいたしました』とあります。篠山さんに写真を撮ってもらえるのですから、大変なインセンティブとも言えます。しかし、自分が世間からどう見られているのか、どういう印象を持たれているのか。そういった点を、小保方さんは考えられたのか疑問に思います。文字だけではなくビジュアルが世に出るとき、世間の注目が集まることを想像できていなかったのでしょう。現状の自己分析ができていないと、再登場の方向性を間違えるのは当然です」

 改めて小保方氏の写真について「『もう一度私らしく』 と登場した写真は、私には言われないとわからないレベルでルックスが変わった。 過去の小保方晴子を捨てて、研究とは別の世界で生きるつもりなら、 騒動の記憶がつきまとう名前も変えて(改めて)出てきてもよかったのに」と語っていた高祖氏。小保方氏が、 今後どのような形で“社会貢献”をしていくのか、注目していきたい。 

高祖智明(こうそ・ともあき)
ブライト・ウェイ代表、レピュテイション(※)・コンサルタント。1981年、リクルートに入社し、「ケイコとマナブ」など、数々の情報誌の編集・創刊に携わる。95~98年福岡ドーム広報宣伝部長を経て99年より現職。99年より現職。育児ポータルサイト「こそだて」プロデュース、育児情報誌「miku」プロデュースも行っている。
ブライト・ウェイ公式サイト

トラウマ映画“先生を流産させる会”の内藤瑛亮監督が未成年者の暴力や犯罪を撮り続ける理由とは?

 愛知県で起きた実在の事件を題材にした自主映画『先生を流産させる会』(12)でセンセーショナルな長編デビューを飾った内藤瑛亮監督。その後も山田悠介の同名小説を原作にした『パズル』(14)や古屋兎丸の原作コミックを実写映画化した『ライチ☆光クラブ』(16)とR指定の問題作・話題作を次々と手掛けている。未成年者による犯罪や集団内における暴力をテーマにしたものがほとんどだ。トラウマ漫画として知られる押切蓮介の人気コミックを映画化した『ミスミソウ』も、内藤監督ならではの狂気の世界となっている。

 4月7日から劇場公開が始まった『ミスミソウ』の主人公は、東京から山村の中学校へと転校してきた野咲春花(山田杏奈)。クラスメイトたちはみんな小さいときからずっと一緒だった幼なじみ同士で、よそ者の春花はいじめの標的となってしまう。学校での味方は、やはり転校生だった相場(清水尋也)だけ。クラスの女王的存在である妙子(大谷凜香)の取り巻きたちによる春花へのいじめは日に日にエスカレートし、ついには春花の留守中に春花の家族がいる家に火が放たれてしまう──。10代の少年少女たちの揺れ動く心理、暴発する情念を見事に描き切った内藤監督にトラウマ映画を撮り続ける理由、そして教員時代の体験について語ってもらった。

──『先生を流産させる会』以降、内藤監督は商業シーンでも自分のカラーを守りつつ、順調に映画監督としてのキャリアを重ねているように映りますが、本人的にはどうですか?

内藤瑛亮(以下、内藤) そうでもないです。自分がやりたい題材とオファーされたものが大きく乖離していたり、なかなか自分のやりたいようにできずに断念することが多いんです。『ライチ』の前後に幾つかそこそこの規模の大きな企画がオファーされたんですが、どうしても自分としては納得できずに企画から離れたり、お断りすることが続いて。それで『先生を流産させる会』の頃に戻って、『許された子どもたち』という作品を自主製作で撮ることに決めて、その準備を進めていたところ、『ミスミソウ』の監督を頼まれたんです。でもクランクインの1カ月前というタイミングでした(笑)。普通なら1カ月の準備で監督するのは到底無理なんですが、自分がやりたいと思える企画だし、自分なら面白い映画にできるという確信があって受けたんです。

──規模の大きな企画を断った理由を、もう少しお聞きできますか。

内藤 原作つきの企画だったんですが、映画を面白くするためのアイデアを僕から提案したところ、「いや、原作ファンはそこまで考えていません。監督、そんなに頑張らなくてもいいです。テキトーでいいですよ」みたいに言われたんです。監督としては100点、120点の映画をいつも目指しているわけで、それでも100点には届かないんですが、最初から「60点でいいよ」と言われているような気がして。それでは、ちょっと頑張れないなぁと。

──仮にオファーを受けても、途中でトラブルになっていたでしょうね。今回の『ミスミソウ』は準備期間がなかったことが逆に幸いして、内藤監督のやりたいことができたような印象を受けます。

内藤 それはあるかもしれません。映画製作って企画開発の期間がすごく長くて、その間にいろんな人の意見が入ってきて、監督としてはその調整に気を使うことになりがちですけど、今回は『ミスミソウ』という原作コミックを面白い映画にするためにはどうすればいいかに、ストレートに向き合えたように思います。その分、撮影現場は混乱続きでしたけど(苦笑)。

──図らずも、自主映画っぽい現場だった?

内藤 結果的にそうなっちゃいましたね。キャストとのリハーサルなどはしっかりやったんですが、クランクイン前に美術スタッフと打ち合わせをする時間がなくて、現場を仕切るラインプロデューサーに一括して僕からの要望を伝えていたんです。なので行き違いは何度かあって、例えば撮影前日になって小道具のMDプレイヤーが用意されていないことがわかったこともありました。都内から離れたロケ先だったんですが、宿泊先のホテルの従業員の方が地元の知り合いに電話を掛けまくってくれて、奇跡的にMDプレイヤーが見つかったんです。

──人間の残酷さを徹底して描く内藤作品ですが、実はそういったいろんな人たちに支えられて完成しているんですね。撮影までの準備期間1カ月という無茶なスケジュールながら完成した『ミスミソウ』ですが、原作が持つ力がやはり大きかった?

内藤 大きかったですね。『パズル』が公開された頃、Twitter上で「もし『ミスミソウ』を映画化するなら、内藤がいいんじゃないか」という声が上がっていたので、僕も気になって押切さんの『ミスミソウ』を読んだんです。純粋に面白かったし、自分に期待されていることもよくわかりました。撮りたいなと思っていたら、すでに他の監督で準備が進んでいたんです。「あ~、俺じゃないんだ」と諦めていたんですが、巡り巡って撮影の1カ月前になって僕のところに回ってきました(笑)。主演の山田杏奈さんはキャスティングされる前から原作を読んでいたそうですし、僕と同世代でも「やりたかった」と言っている他の監督もいましたし、長く愛されている作品なんだなと実感しました。

■狭い世界でこのまま埋もれていくという恐怖

 

──内藤監督がどんな少年時代を過ごしたのか、ちょっとお聞きしたいと思います。内藤監督が子どもの頃は、楳図かずお、日野日出志といったトラウマ漫画をよく読んでいたそうですね。

内藤 両親が漫画好きで、実家には手塚治虫全集などが置いてあったんです。中学生になると永井豪の『デビルマン』を読んで、ヒロインの首が刎ねられたり、人類が滅亡するラストシーンは、それこそトラウマになっています。ああいう心がちょっと傷つくぐらいの作品のほうが、やっぱり忘れられませんよね。最近は漫画も映画も、トラウマになるような作品が減ってしまったように感じます。

──やがて高校生になると、マリリン・マンソンの曲を聴くようになった。

内藤 マリリン・マンソンは中学から聴いていました。当然、友達はできませんでした(苦笑)。まぁ、10代にありがちですけど、自分からも友達をつくろうともしませんでした。漫画、音楽、映画だけが救いでしたね。映画でその頃ハマっていたのは、デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』(99)やウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』シリーズ(99~03)です。こんな社会はクソだ! こんなクソ社会はぶっ壊してもいいんだみたいな(笑)。

──そんな少年期を過ごした内藤監督だからこそ、『ミスミソウ』を映画化できたんですね。

内藤 『ミスミソウ』に出てくる子どもたちの鬱屈した感情は、すごく理解できます。物語の設定も1990年代後半になっていて、スマホがまだ出る前なんです。スマホがあれば救われるわけじゃないけど、田舎町のどこにも行き場所のない、外の世界と繋がることなく、狭い世界でこのまま埋もれていくんだなという恐怖感は僕自身も感じていたものでした。

──内藤監督は1982年生まれの愛知県出身。

内藤 はい。園子温監督と同じ豊川市生まれなんですが、合併して豊川市に吸収されてしまった隣町のほうなんです。ほんと、暗い青春でした。

──そんな内藤監督にとって、やがて映画づくりが救済になるわけですね。内藤監督の作品を観ていて興味深いのは、虐待される側の視点だけでなく、加虐する側の心理がより詳細に描かれている点です。

内藤 自分でも不思議に思います。僕が中学生のときに、「酒鬼薔薇事件」が起きたんです。僕と少年Aは同学年なんです。「人を殺してみたかった」といって高校生が主婦を殺害した事件が2000年に起きたんですが、これは豊川市内で起きた事件で、こちらの犯人の少年も同学年でした。その頃の僕は「みんな、死ねばいい」と思っていた時期だったので、自分の暗い欲望がそのまま具現化したような感覚がありました。逆に「なんで、自分は加害者にならずに済んだんだろう」という気持ちが大きく残って、作品をつくるときには気がつくといつもその立場になっているんです。

■加害者は自分が人を傷つけたことは忘れてしまう

 

──今回の『ミスミソウ』ですが、女優でもある唯野未歩子さんが脚本を担当(脚本は内藤監督が引き受ける前に完成していた)。少女たちの繊細な心理が描かれているのが印象的です。

内藤 押切さんの原作では『ミスミソウ完全版』で春花と妙子についてのエピソードが描き足されていたんですが、映画版では2人の関係性をより強調したものになっていますね。クライマックスで2人の関係性が明かされることで、前半で描かれる暴力の意味もわかるようになっています。もうひとつ、僕がうまいなと思ったのは、主人公の春花は前半はクラスメイトたちからのいじめに遭い、観る側が感情移入しやすい存在なんですが、中盤以降はクラスメイトたちへの復讐に移り、どんどん彼女の人間性が剥奪されていくんです。中身のわからない人間になってしまう。逆に加害者側に人間性が与えられていく。もちろん加害者側は許される存在ではないんですが、でも彼ら彼女らの心情はわかる。みんな自分のことを被害者だと思っているんです。こんな田舎に生まれていなければとか、家庭環境がもう少しまともだったらとか、想いが相手にうまく伝わっていればとか……。人間ってどうしても自分が被害者であることは容易に認識するけど、自分が人を傷つけたことは記憶しづらいもの。『ミスミソウ』は春花をいじめていた側が、自分の加害者性に終盤になって向き合うことになる。そういったテーマも織り込まれている作品だと思います。

──内藤監督は未成年者の犯罪、集団内での暴力をテーマにした映画を撮り続けています。キラキラした青春には興味がない?

内藤 キラキラした青春を体験してないんで、そもそもわからないんですよ。キラキラした青春って、僕にはファンタジーにしか思えません(笑)。でも、キラキラした青春を送ってない人のほうが、映画を必要としていると思うんです。もちろん、キラキラ映画もあっていいと思いますけど、今の日本はそっちばかりに偏りすぎじゃないですか。ああいう美男美女がキラキラ輝いている様子を見せられたら、「あんな奴らは事故にでも遭えばいい」くらい思っちゃいますよね。今の若い子たちも、自分の居場所を見つけられずにいるほうが多いと僕は感じています。

──トラウマ映画ばかり撮るのは、しんどくないですか。

内藤 いや、それはないです。むしろ、「女性向けにハッピーエンドにしてください」とかプロデューサー側から言われることのほうが、僕にはストレスに感じてしまうんです。おじさんプロデューサーが言う「女性向け」って、実際の女性の心理とは掛け離れているように思うんです。僕は意識的に残虐なものを描こうというつもりはなく、単純にこうしたほうが面白いと自分が思えることを映画にしているつもりなんです。

■教員時代の体験が内藤監督に与えた影響とは?

 

──内藤監督は映画美学校を卒業した後、教員として働いていたそうですね。教育の現場に立っていたことは、作品づくりに影響を与えていますか?

内藤 正確には映画美学校に通い始めた頃に教員試験に合格し、『先生を流産させる会』は教員の仕事をしながら休日を使って撮っていたんです。僕が勤めていた学校は特別支援学校といって、以前は養護学校と呼ばれていたところでした。そこでの体験は、大変な勉強になりました。僕ら教員が「こうしてください」と言っても、生徒はそれぞれの障害の特性から、その通りには受け取ってはくれないんです。自閉症だったり、ダウン症だったり、ADHDだったり、障害によって受け止め方がまるで違う。結局、その人に合った伝え方をしないと伝わらないんです。それは俳優やスタッフへの声掛けにも通じるものがありますね。この人には細かく説明したほうがいいなとか、逆にあの人は細かく言い過ぎると混乱してしまうなとか。その人の人間性を理解した上で、こちらの言葉を変えていかなくちゃいけない。これは教員時代に学んだことですね。

──演出面でプラスになったわけですね。テーマ的なことにも関係していますか?

内藤 自分が教員になってみて、教員もそれぞれいろんな考え方を持っていることが実感できました。子どもの頃は大人はみんな同じ価値観で動いているように思えたんですけど、そうじゃないわけですよね。大人側の視点も盛り込むという点で、今回の『ミスミソウ』の南先生(森田亜紀)や次回作の『許された子どもたち』に登場する大人たちのキャラクターづくりに役立っていると思います。僕が担当していたクラスの話になりますが、生徒のひとりがトイレに篭りがちだったんです。特に体育祭みたいなイベントが苦手で、その時期はずっと篭っていました。体育科の先生は体育祭に参加させようと必死でしたけど、僕自身が中学・高校で暗い思い出しかないから、体育祭でみんなと競い合ったり、一緒に旗を振ったりしたくないその生徒の気持ちがわかりました。無理強いはしないように、1年間声を掛け続けたんですけど、だんだんとトイレに篭る時間が減っていったのは、すごくうれしかったですね。自分でも誰かの役に立てたんだって。商業映画のオファーをいただくようになり、教職を続けるか映画を選ぶかを選択するときは、すごく悩みました。学生時代はバイト先でも「声が出てない」「やる気が感じられない」と怒られてばかりだった僕にとっては、大変だったけど初めて面白いと思える仕事だったんです。自分にとってすごく大きな体験だったことは確かだと思います。

 * * *

 内藤監督が『ミスミソウ』の撮影前に準備を進めていた久々の自主映画『許された子どもたち』は、先日クランクアップ。山形の中学校で起きたマット死事件から着想を得たもので、フィクション度の高い『ミスミソウ』に対し、社会派サスペンスとして完成することになりそうだ。トラウマ映画の新しい旗手・内藤監督から当分目が離せそうにない。
(取材・文=長野辰次)

『ミスミソウ』
原作/押切蓮介 脚本/唯野未歩子 監督/内藤瑛亮
出演/山田杏奈、清水尋也、大谷凜香、大塚れな、中田青渚、紺野彩夏、櫻愛里紗、遠藤健慎、大友一生、遠藤真人、森田亜紀、戸田昌宏、片岡礼子、寺田農
配給/ティ・ジョイ R-15 4月7日より新宿バルト9ほか全国公開中
c) 押切蓮介/双葉社 (c)2017「ミスミソウ」製作委員会
http://misumisou-movie.com

●内藤瑛亮(ないとう・えいすけ)
1982年愛知県出身。短編映画『牛乳王子』が「学生残酷映画2009」グランプリを受賞。初の長編映画『先生を流産させる会』(12)は自主映画ながら劇場公開され、賛否両論の大反響を呼んだ。その後、老人ホームでの虐待を描いたホラー映画『高速ばぁば』(13)、夏帆主演のサスペンス『パズル』(14)、野村周平ら注目の若手俳優が一挙出演した『ライチ☆光クラブ』(16)と商業ベースでの映画を監督している。山形マット死事件を題材にした自主映画『許された子どもたち』は撮影が終了し、現在は内藤監督みずから編集作業に取り組んでいる。

 

家事のやりすぎが“国を滅ぼす”? 完璧主義な日本女性の“手抜き”が重要なワケ

 育児に積極的な夫「イクメン」、家事に協力的な夫「カジメン」という言葉が生まれて久しい。しかし、厚生労働省によると、2016年度の男性育児休業(育休)取得率は過去最高とはいえ、たった3.16%。女性の育休取得率81.8%とは圧倒的な差が開いている。さらに世界的に見ても、日本の家事分担率は低く、女性に大きな負担がかかっているのが現状だ。日本の家事分担の実態について、『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』(光文社新書)の著者であり家事研究家の佐光紀子氏に、詳しく話を聞いた。

■完璧な家事をしようとする日本の女性

 諸外国の女性と比べて、日本女性が家事をしすぎているのは事実であり、実際のデータにも如実に表れている。たとえば、16年のOECD(経済協力開発機構)の統計によると、男性が家事を分担する割合は、OECD加盟国平均で31%。これでも少ないといわれているが、日本に至っては半分以下の15%にまで落ちる。なぜ日本人男性の家事分担率は低いのだろうか? その理由のひとつに、女性自身が家事に求めるレベルが高すぎることが背景にあると、佐光氏は指摘する。

「夫に家事を頼む妻側が、『自分のやり方が正しい』『ちゃんと正しい家事でなければ』と思っているケースは多いのです。たとえば、服のたたみ方ひとつとってみても、妻側に『正しい』たたみ方がある。夫が『ちゃんと正しく』できないと、ダメだしされたりするわけです。そうなると、家事そのものの難易度が上がってしまうので次第に苦痛になり、なかなか家事分担が進まなくなってしまうのです」

 12年、ダスキンが行った「主婦のお掃除実態調査」でも、日本の主婦のほぼ半数(48.4%)が「トイレ掃除は毎日すべき」と回答するも、夫側の答えは2割弱という結果だった。夫がよしとするレベルでは、妻が到底満足しないことは、想像に難くない。この意識のギャップが、家事分担率の低さに表れているといえる。

 佐光氏によれば、日本では根強い「家事は女性がやるもの」という価値観は、諸外国にもあったはずだという。しかし、欧米諸国では、1960年代後半からのウーマンリブ運動をきっかけに男女同権が徐々に進み、家事においても格差が是正されていった。一方、その時期日本では高度成長期を迎えてサラリーマン家庭が増加し、男は企業戦士、女は家庭を守る専業主婦という分業体制が確立され、いまだにその考えが引き継がれているというわけだ。また、そんな家庭に育った子どもたちは、母親が家事に追われている姿を見て、結婚や出産そのものに及び腰になっていると、佐光氏は警鐘を鳴らす。

「家庭と仕事の両立は大変だという認識が若い世代にも浸透しているため、子どもを産むことをためらい、結婚しない人が増えています。女性の専業主婦志向が強まっているのも、同様の理由といえるでしょう」

 とはいえ、高度成長期が過ぎ、夫の収入だけでは家計がもたなくなったことで、92年に初めて共働き世帯が専業主婦世帯を上回った。女性が家事だけでなく、仕事もすることが一般的になった今、平等性の観点からも家事分担は必然だろう。

■夫とのシェアだけでなく、外部サービスを試してみるのもあり

 それでは、女性の家事負担を減らすためには、どうすればいいのか? 佐光氏は、思い切って夫に家事を任せてみることも大事だという。

「妻側が無理やり自分のやり方を押し付けず、夫を信じて細かい指示を出しすぎないようにすることが重要。さらに、男女ともに家事ができないことを、そこまでダメだと意識しすぎず、重く受け止めないように意識改革することも必要でしょう」

 また、女性の家事負担を下げるためには、必ずしも夫の手助けだけでなく、外部サービスに頼むことも一案だと、佐光氏は指摘する。

「多くの女性は家事のすべてを全部自分でやろうとしていますが、たとえば市区町村が手がけている『ファミリーサポートセンター』では、保育園への送迎や託児サービスなどを受けられます。ほかにも、定年退職後の高齢者が買い物、洗濯、雑草抜きなどをしてくれる『シルバー人材センター』というものもあるので、家事と仕事の両立をするなら、他人の手をうまく活用すべきです」

 「女性が『ちゃんとした家事をしなければならない』という意識の呪縛から解放されれば、身も心も楽になるでしょう」と佐光氏。

 良い家庭を築くことと、完璧に家事をこなすことは、イコールでない。社会のため、日本のためにも、家事は適度に“手抜き”することも大事なのだ。
(福田晃広/清談社)