「多くの男性はまともなセックスを知らない」精神科医が語る、性教育の限界と必要性

 日本性科学会理事長で産婦人科医の大川玲子先生に、女性の性機能不全に対する治療としてのセックス・セラピーの必要性を、女性の性と権利に詳しい婦人科医の早乙女智子先生に、女性の人権を取り巻く現状について伺ってきた。

 では、男性の性にはどのような問題があるのか? 今回は、性別違和についてカウンセリングやケアを行い、性犯罪者処遇プログラムの専門家でもある、精神科医の針間克己先生に、性暴力の根本に横たわるセックスの認識のズレや、日本の性教育が抱える矛盾について、お話を伺った。

■多くの男性は、まともなセックスを知らない

――精神科医からみて、男性が抱える性の問題は何がありますか?

針間克己先生(以下、針間) まず、性の問題を解決する方法はあるのに、それを見つけられない人が多い。性で悩んでいる人がインターネットで検索して調べようとすると、コンプレックスに付け込んでものを売りつけようとするような怪しいサイトや情報しか出てこないのが現状です。そして、医療機関や相談機関は、男性からするとプライドが損なわれるため行きづらい。男性はまだまだ、そういった相談に行くのを嫌がる傾向があります。しかし、恥ずかしさやプライドといった表面的なハードルを取り払わないと、解決まで進みません。プライドを捨てて一歩踏み出したほうがよいでしょう。性機能の診察において男性は泌尿器科、女性は産婦人科が対象となりますが、心理的要因が強い場合には、精神科でみることもあります。

――痴漢やレイプといった性犯罪など、男性の性に起因する問題が減少しないのはなぜでしょうか?

針間 そもそも多くの男性が、まともなセックスを知らないからです。最近の若い男性の多くはAVを見て育つので、AVの中で暴力的なものもスタンダードだと思ってしまっています。自分が挿れたいときにいつでも挿れられるわけではなく、ちゃんと合意を得て挿れられる状態にしてからでないと、男性は行為をしてはいけないんです。夫婦間できちんとセックスの合意が得られていない場合、それが性暴力になることも知らない男性がほとんど。年齢を重ねた夫婦間では、妻が濡れなくなっているのに夫が強引に求めてくるのが原因で、セックスレスになってしまうこともあります。

――そうした男性の認識は、いつになったら正されるのでしょうか?

針間 スウェーデンでは今年、合意を得ないセックスはレイプとする法律ができましたが、日本とは大きな差があります。それでも日本も少しは変わってきている。たとえば20年前、30年前、痴漢はほぼ放置されていました。職場などの飲み会で、女子社員を勝手に触ってもとがめられない時代がありました。女性がはっきり「NO」と言ってないからいいだろうという態度だった。しかし、現在では社会的に「痴漢は犯罪」という認識になりましたし、女子社員を触るのはセクハラとして注意されるようになった。女性の人権を尊重する時代がやっと来たともいえます。

――となると、セックスに合意が必要という意識が根付くまで、あと数十年は必要と考えられます。

針間 性暴力に関しては、最近だいぶ変わってきました。20年前は、携帯の出会い系サイトを通じて被害に遭った女の子がいると、女の子に携帯の使い方を教えなくてはいけないと新聞に書いてありましたが、今は被害者になりうる側に予防法を教えるだけではなく、性暴力を振るう加害者を作ってはいけないという認識も広がってきました。世の中は、徐々に変わってきてはいると思います。ただ、数年前にはやった「壁ドン」は暴力です。女性の逃げ場をなくして追い詰めている。少女漫画のファンタジーの世界の中でならともかく、現実の世界でやったら、ただの暴力にしかならない。でも、そのことに触れたマスコミは、なかったように思います。

――AVの世界がファンタジーである、合意のないセックスはカップル間でも性暴力だと認識するには、教育の力が必要なのではないでしょうか?

針間 学校で教える性教育は、セックスしないことを前提としているのです。だから「セックスする前に合意を得ましょう」といったことは教えられない。性暴力の話でいえば、「ストーカー的なことはやめましょう」という中途半端なことは教えますけど、「セックスをするには、必要なプロセスを踏まないといけない。合意があれば大丈夫です」とは教えません。

――しないことを前提としていたら、教育はできませんよね。

針間 現実的には性行為をする高校生はいるのですから、放っておくよりも、適切な性教育をして対策したほうがいいのは明白です。政府は子どもを増やしてほしいけれど、高校生には産んでほしくないという矛盾がある。性教育を行うにも、メリット・デメリットのバランスを考えることが大事になってきます。性教育によって、望まぬ妊娠と、すでに起こってしまっている梅毒など性感染症の爆発的増加を防げるわけです。

――先生自身は、性教育に期待することはなにかありますか?

針間 私個人としては、性教育によって女性が人生を豊かにするのは、非常にいいことだと思います。きちんとした性教育を行えば、女性が自分自身の体や妊娠や避妊についてよく知り、性行動をコントロールできるようになる。避妊して、性感を高めて楽しむことができる。それが保守的な人々にとっては喜ばしくないから反対しているんです。

――性暴力や感染症が防げる一方、女性がセックスを楽しむようになるため、性教育そのものを阻むということですか?

針間 「女性は産む機械」とか、「何人産んでほしい」といった政治家の発言のもとになっているのは、「女性はただ結婚して、ただ産んでくれればいいだけ」という思想です。女性が自分で何かを考えて、自発的に動いてほしくないからです。単純に産むことさえしてくれればいいので、いろいろなことを知ってほしくない。妊娠しないようにバースコントロールできる能力が高まるのは、そういう人々にとって非常に都合が悪いのでしょう。

――医療の現場からセックスに関する啓蒙は行われていますか?

針間 医療においては、セックスが一番遅れている問題です。一般の内科などの診察室では、性のことを口に出すと、自分がおかしいと思われるのではないかと懸念している医師もいます。専門的な性の知識を勉強していないからこそ、助言が個人的な経験によるものになってしまいがちな傾向があるのです。たとえば男性患者に相談されても、「僕の経験では、女性をイカすにはこうしたほうがいいよ」なんて言ってしまう医師もいる。専門的知識に、個人的な経験による意見が混じってしまう危険性があるんです。

――たしかに、セックス行為そのものは、親しい間柄であっても踏み込めないテーマですし、個人の観点からしか話せません。

針間 性暴力については、「セクハラはよくない」と考え方が変わってきたし、LGBTに関しては20年前と比べて劇的に認識が変わって、誰を好きになるかは個人の問題になりました。ところがセックスの問題だけ、議論されないまま取り残されている。非常にパーソナルな問題で、取り上げにくいために日本では取り上げられていない。セクシュアリティは個人の尊厳や人格に深く関わる問題なので、性暴力で損なわれるのもいけないし、本当は楽しみたいのに楽しめないのも権利を損なわれている。セクシュアリティを軽んじられている現在の状態はよくないですね。

――LGBTへの認識のように、女性の性に関する扱いも、急に変わることはあるのでしょうか?

針間 LGBTの状況が大きく変わったのは、1998年に性同一性障害を持つ人への手術が埼玉医科大学で行われてからです。それが医療行為として認められ、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例法に関する法律」が2003年にできました。さらに、病気としてではなくLGBTという存在についての認知が世間に広がってきた。ただ、そういうドラスティックな変化は、LGBTとは違って起こりにくいでしょう。

――性から派生するあらゆる問題に傷つき、絶望的な気持ちになっている日本女性は数多くいますが、この先はどうなっていくとお考えですか?

針間 本当に課題の多い問題でありますが、だんだんと変わっていくでしょう。我々は大河の一滴一滴です。世の中は確実に変わってはいる。一滴ずつ汗を流すことで変わっていくしかないと思います。
(弥栄 遖子)

針間克己(はりま・かつき)
はりまメンタルクリニック院長。1990年東京大学医学部医学科卒業。96年東京大学医学部大学院博士課程修了。医学博士。日本性科学学会理事。性同一性障害研究会理事。日本精神神経学会「性同一性障害に関する委員会」委員。The World Professional Association for Transgender Health(WPATH)会員。著書に『一人ひとりの性を大切にして生きる―インターセックス、性同一性障害、同性愛、性暴力への視点』(少年写真新聞社)『セクシュアル・マイノリティへの心理的支援―同性愛、性同一性障害を理解する』(編著・岩崎学術出版社)などがある。

勝間和代、確固たる地位も経済的基盤もある有名評論家が“カミングアウト”した意味

下世話、醜聞、スキャンダル――。長く女性の“欲望”に応えてきた女性週刊誌を、伝説のスキャンダル雑誌「噂の真相」の元デスク神林広恵が、ぶった斬る!

 財務省の決裁文書改ざん問題で、佐川宣寿・前理財局長ら38人が不起訴に。そして内部調査でも“佐川の指示”とトカゲの尻尾切り。麻生太郎財務相はその原因を質され、「それがわかりゃ苦労せんのですよ」と開き直った。独裁国家のやりたい放題、だな。

第415回(5/31〜6/5発売号より)
1位「勝間和代×同棲美女恋人 愛と性を語る」(「女性セブン」6月14日号)
2位「日大アメフト『悪質タックル』大炎上させた“汚い大人の事情”」(「女性セブン」6月14日号)
3位「広瀬香美 前事務所の芸名使用禁止は『嫌がらせ』一方的な言い分に“法律の神様”が下した答え」(「週刊女性」6月19日号)

 経済評論家の勝間和代が女性と交際し同棲していることを公表して話題となったが、その勝間とお相手女性の増原裕子さんが「女性セブン」に登場、出会いから現在までの状況、そしてLGBTについて語っている。

 LGBTについてそれほど知識がなかったらしい勝間だが、増原さんのFacebookを見たことがきっかけで出会い、今年1月に自分の思いを打ち明けたことから交際、同居がスタートしたというこの2人。

 このニュースを聞いて“こういう手もあったのか”と思った。現在の日本では残念ながらLGBTに対する理解は、まだまだ進んでいるとはいえない。特に安倍政権下で、こうした問題に取り組むべき政治家たちによる、差別や偏見を助長するような言動がしばしば見られるし、2017年に改訂された教育指導要領でも「LGBTを指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」として却下された。国連人権理事会からも、日本のLGBTに対する差別を指摘されたほどだ。

 そんな中、勝間という著名人、しかも2度の離婚歴と3人の子どもがいる女性が、49歳にして女性のパートナーを得た。相手は一般人とはいえ、13年に元タカラジェンヌと同性結婚式を挙げて話題になった40歳女性だ。確固たる地位も経済的基盤もある大人の女性が、しかも論客としても知られる有名評論家がカミングアウトした。彼女は影響力もあるし、弁も立つ。LGBTに目くじらをたてるであろう保守層やおやじどもも、ヘタな批判ができにくいかも、と思ったからだ。

 これがまだ20代や30代なら、無理解な日本社会においてパージされ、仕事もなくなる恐れを考えてしまう。しかし勝間ほどになれば、皆無とはいえないが、そうした心配は若手ほどないのではないか。

 しかし、勝間のコメントを見ると、やはり現状は厳しいようだ。2人が同居した理由も「会いたいと思っても、外では会いにくい」からで、関係を「公にしたら何が起こるかわからないと不安でした」という。さらに仕事にしても同様だった。

「私がカミングアウトすることで、一緒に仕事をする人にもどんな影響があるのか想像もつかないので、仕事に影響が出ることは最小限にするつもりでした」

 勝間をしてこうなのだ。そうした現状の中で、今回の勝間のカミングアウトは意義あるものだと思う。だが、これが“話題”ではなく“当然”として受け止められる社会になってほしい。性や生き方は多種多様、そんな常識を受け入れられる社会になる日を祈って。

 日大アメフトの危険タックル問題は、日大の対応の悪さもあり、日大そのものの体質にまで批判が殺到。ワイドショーも連日この問題を取り上げ続けている。そんな中、「セブン」の“汚い大人の事情”とのタイトル記事。ワイドショーと同様、アメフト部の内田正人前監督やいまだ会見さえ開かない田中英寿理事長への批判かと思ったが、その予想はいい意味で裏切られた。

 そこに書かれていたのはメディア報道に対する考察、批判だったから。

 記事では、あの危険タックルの迫力ある、しかもクリアーな映像がなければ、ここまで騒動は広がらなかったとして、こう指摘している。

「『タックル映像』が初めて『めざましテレビ』(フジテレビ系。5月14日放送)で流れると高視聴率をマーク。テレビ業界にはその噂が広まり、後追いするワイドショーやニュース番組が続出。あれよあれよという間に“社会現象”になった」

 さらに5月23日の内田前監督らの会見にしても、“画”が欲しいテレビ局が女子アナなどを送り込み、何度も同じ質問をしたという。

「他の記者が同じ質問を聞いたら自分はその質問はしないものです。しつこく聞いたのはテレビ局の都合のように感じます。(略)“ウチの女子アナが活躍していますよ”というアピールにも見えます」(記事中の立教大学メディア学・砂川浩慶氏コメント)

 わかっちゃいるが、数字、数字、ということだろう。もちろん、危険タックルを指示したのにシラを切る内田前監督はじめ、日大の体質は問題があることは当然だ。しかしこの間、財務省の決裁文書改ざんや加計学園問題でもさまざまな動きがあったが、それ以上にまさに血眼の“日大”報道を繰り返しているテレビ、ワイドショー。日大の“大人の事情”同様、テレビ局の“大人の事情”もえげつない。

 広瀬香美の事務所トラブル。またしても“芸名を使わせない”騒動だ。これを取り上げた「週刊女性」は、「“辞めたら芸名を使わせない”は、“事務所のいうことを聞け”ということ。これはもう嫌がらせですよね」との弁護士コメントを掲載、今回の事務所のやり口を糾弾した。しかし――。のん(本名・能年玲奈)に同様のトラブルがあった際には“能年が洗脳された!”と大々的に報じてたっけ。今回も能年の話は一切なし。事務所との関係で、立ち位置はコロコロ変わる。

浜崎あゆみ、「私もマイノリティのひとり」発言にファン内外から「一体何の?」と疑問の声が続出!

 5月6日、東京・代々木公園でLGBTが差別や偏見なく暮らせる社会を目指すイベント『東京レインボープライド2018』が開催され、歌手の浜崎あゆみが自身初のフリーライブを行った。

 5月上旬にもかかわらず、最高気温28.2度の夏日を記録したこの日。浜崎は黒いシースルーのセクシーな衣装で登場し、「STEP you」「You & Me」といったヒット曲を熱唱。5曲目の「how beautiful you are」の途中には、「ごめん」と謝りながら涙を拭っていた。

 また、MCでは「あまりこういう機会もないので、こうして今回、お誘いいただけたことが光栄」とあいさつし、「20年前、自分が生きるのがつらくなりまして、どうしたらいいのかなとわからなくなったときに、初めて行ったのが(新宿)2丁目で。それ以来、自分のホームのような気がしてしまって。喜怒哀楽すべてを2丁目の仲間と共にすごしてきたからこそ、今の私がある」とLGBTとの思い出を明かし、観客から拍手を浴びていた。

 この浜崎のイベント参加に、ファンは歓喜。Twitterでは、「あゆが来るなんて最高!」「あゆのコメントが素敵だった!」「ますますあゆが好きになる!」といった声が続々とあがっていた。しかし一方で、容姿の劣化がたびたび話題になる浜崎に対し、今回も驚がくする人がたくさんいたという。

「あゆが公の場に登場すると、毎回『太った?』『デブ過ぎて劣化!』など体形に対しての厳しい声が上がっていましたが、今回その声は少なく、むしろ『痩せた?』『ダイエットやればできるんじゃん!』という声が上がっていました。しかし、今回の声の中で一番多かったのが、“あゆの胸”への指摘。シースルーの衣装から見える胸に対し、『巨大すぎる!』『太ってもあそこまで大きくならない』『豊胸したの!?』『マドンナびいきからマライア・キャリーびいきになったのか(笑)』といった声がたくさんあがっていましたね」(音楽関係者)

 確かに、この日のシースルーの衣装からは豊満なバストの谷間を覗かせており、その姿に驚くのも同感だ。また、この日の浜崎の発言に対しても、「疑問を投げかけるファンが多くいた」と前出の音楽関係者は明かす。

「この日、あゆはマイノリティについて自身の考えを語り、『生きるのに肩身が狭くなったり諦めたりする瞬間があるだろうが、誇りを持って、進み続けていってほしい』と述べて観客から拍手を浴びていました。しかし、話の最後に『私もマイノリティのひとりとして、一緒に歩んでいきたい』と発言したのですが、これにファン内外から『あゆって一体なんのマイノリティなの?』という疑問の声が。アンチからは『大人になりきれない“アダルトチルドレン”って意味でしょ』『そもそも、マイノリティの意味わかって使ってんの?』と厳しい声が上がっていましたね」

 兎にも角にも、今回新宿2丁目での思い出やマイノリティへの理解を示したことで、評価された部分もあった模様。世間の厳しい声にも負けず、これからも“歌姫あゆ”として頑張っていってほしいものだ。

浜崎あゆみ、「私もマイノリティのひとり」発言にファン内外から「一体何の?」と疑問の声が続出!

 5月6日、東京・代々木公園でLGBTが差別や偏見なく暮らせる社会を目指すイベント『東京レインボープライド2018』が開催され、歌手の浜崎あゆみが自身初のフリーライブを行った。

 5月上旬にもかかわらず、最高気温28.2度の夏日を記録したこの日。浜崎は黒いシースルーのセクシーな衣装で登場し、「STEP you」「You & Me」といったヒット曲を熱唱。5曲目の「how beautiful you are」の途中には、「ごめん」と謝りながら涙を拭っていた。

 また、MCでは「あまりこういう機会もないので、こうして今回、お誘いいただけたことが光栄」とあいさつし、「20年前、自分が生きるのがつらくなりまして、どうしたらいいのかなとわからなくなったときに、初めて行ったのが(新宿)2丁目で。それ以来、自分のホームのような気がしてしまって。喜怒哀楽すべてを2丁目の仲間と共にすごしてきたからこそ、今の私がある」とLGBTとの思い出を明かし、観客から拍手を浴びていた。

 この浜崎のイベント参加に、ファンは歓喜。Twitterでは、「あゆが来るなんて最高!」「あゆのコメントが素敵だった!」「ますますあゆが好きになる!」といった声が続々とあがっていた。しかし一方で、容姿の劣化がたびたび話題になる浜崎に対し、今回も驚がくする人がたくさんいたという。

「あゆが公の場に登場すると、毎回『太った?』『デブ過ぎて劣化!』など体形に対しての厳しい声が上がっていましたが、今回その声は少なく、むしろ『痩せた?』『ダイエットやればできるんじゃん!』という声が上がっていました。しかし、今回の声の中で一番多かったのが、“あゆの胸”への指摘。シースルーの衣装から見える胸に対し、『巨大すぎる!』『太ってもあそこまで大きくならない』『豊胸したの!?』『マドンナびいきからマライア・キャリーびいきになったのか(笑)』といった声がたくさんあがっていましたね」(音楽関係者)

 確かに、この日のシースルーの衣装からは豊満なバストの谷間を覗かせており、その姿に驚くのも同感だ。また、この日の浜崎の発言に対しても、「疑問を投げかけるファンが多くいた」と前出の音楽関係者は明かす。

「この日、あゆはマイノリティについて自身の考えを語り、『生きるのに肩身が狭くなったり諦めたりする瞬間があるだろうが、誇りを持って、進み続けていってほしい』と述べて観客から拍手を浴びていました。しかし、話の最後に『私もマイノリティのひとりとして、一緒に歩んでいきたい』と発言したのですが、これにファン内外から『あゆって一体なんのマイノリティなの?』という疑問の声が。アンチからは『大人になりきれない“アダルトチルドレン”って意味でしょ』『そもそも、マイノリティの意味わかって使ってんの?』と厳しい声が上がっていましたね」

 兎にも角にも、今回新宿2丁目での思い出やマイノリティへの理解を示したことで、評価された部分もあった模様。世間の厳しい声にも負けず、これからも“歌姫あゆ”として頑張っていってほしいものだ。

「取り返しのつかないオナニーをしている」死を見て興奮する“わたし”の苦しさとは

 

 23歳、処女。「泣くまでボコボコにされた」ことで芽生えた初恋――。自身の“被虐趣味”という性癖と、その根底にある“性自認の不一致”を描いたコミックエッセイ「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」(新潮社)。

 その著者・ペス山ポピーさんに、自身の“性別への違和感”について伺うと、おのずと浮き彫りになるのは、“女”という性を破壊したい衝動と、それに伴う特殊な性癖について。「殴られて性的興奮を覚える」著者がとった行動とは、どんなものだったのか。前編に続き、話を伺った。

(前編はこちら:「ペニバンを着けたら、自分になれた」――女という性を壊したかった「私」の衝動とは?

――オナニーを覚えたのは、いつですか?

ペス山ポピー(以下、ペス山) だいぶ早くて、それが“オナニーである”と気づいたのは中1くらいでした。オカズにしていたのは、自分が某ゲームの主人公にぼこぼこにされる妄想です。3~4歳頃からネタにしていたけど、はっきりと「わたし、ヤバくない?」と自覚したのも、中1くらいです。それまでは、「自分が殴られているところを想像すると、股間のあたりがムズムズするなあ」くらいの認識でしたが、はっきりと「オナネタだ」と認識した瞬間、「わたし、ヤバイ人じゃん」と。

――ヤバイと思っても、自制できるものではないですもんね。

ペス山 まったく止められなかったですね。

 オカズは、イケメンにただ殴られ蹴られ締められる妄想か、イケメン出演率の高い暴力系ゲイAV。ときには地上波のボクシング生放送を目にしてしまい、「地上波で無修正セックス生中継!!」と股間が反応してしまったことも。そこに愛やセックスは、とことん無用だった。

――妄想やオカズに、女性は登場しなかったんでしょうか。

ペス山 そうですね。妄想の中に女性が入ってくると、なぜか違和感があるんですよ。でも、レズっ気もあって。もしかしてバイセクシャルなのかもしれません。女性のストッキングの脚も、じーっと見ちゃったりするんです。恋愛対象ではないけど、性的対象ではあるというか。

――女性の脚のフェチAVは、M男の性癖にマッチしがちですが、ペス山さんはオカズにしますか?

ペス山 持ってます! ヌケちゃうんですよね! 暴力系ゲイAVの方が、7:3くらいで好きなんですけど。これはものすごく失礼な言い方ですが、暴力AVは“高級フレンチ”で、女性のフェチAVは“ファストフード”といいますか……。てっとり早くヌキたいときは女性モノというか……ああ、ごめんなさい! 心の底から興奮したいときは暴力AVを見て、「今日は良かったなあ」と終え、女性の方は「終わった終わった! すっきり! さあ寝よう!」という感じでしょうか。

 ペス山さんが主食にする“暴力AV”だが、性欲が掻き立てられる一方で、「暴力に心を痛めるし大嫌い なのに股間だけがいうことをきかない」と、健全な倫理観が自分の首を締めた。幼少期から「自分がものすごく気持ち悪い」と、幾度となく自己嫌悪に陥った。あげく、祖母からの「(結婚や恋愛をしないと)人として生まれた意味がない」との言葉が、さらに自罰傾向を加速させた。孤独感がペス山さんの足に、いくつもの囚人鉄球をつけた。

――暴力モノのAVで性的興奮することに関しての、「自分の倫理観と股間で葛藤する」という描写が印象的でした。ポップに描かれていますが、実際はとても苦しんだのではと思います。

ペス山 正直、今でも苦しいですね。だいぶ笑えないAVで興奮するんですよ。引かれると思いますが、ザリガニを踏んだりするフェチモノAVもありまして。グロテスクで可哀相で吐きそうになるのに、興奮してしまったことがあります。「わたしは、取り返しのつかないオナニーをしている」と、生きていてはいけない気持ちになりました。実は、『くらげバンチ』に掲載している作品バナーや、わたしのTwitterアイコンにザリガニがいるのは、それなんです。「わたしの興奮の裏には、必ず犠牲がある。あのザリガニを忘れまい」と、心に刻もうと思ったんです。今後、作品を発表していく上で、その感覚を麻痺させたくないというか。

――そうしたAVには、どうやってたどり着くんですか?

ペス山 そういったジャンルは“クラッシュ系”と呼ばれていて、たいていピンヒールを履いた女性が何かを踏んで壊したりするんです。わたしはたまたま、とあるAVサイトに貼ってあったスニーカーの画像のリンクをポチったら、「あっ! こ、これは……!」と。

――ザリガニなど、小さな生き物を潰して興奮することについて、性癖に理解のない人が聞けば、「酒鬼薔薇聖斗」を連想するかもしれません。

ペス山 実は、『絶歌』(太田出版)を読んで、他人事と思えない部分もあったんです。私がサディストだったら、こっち側だったかもしれない、と思ってしまって……。もちろん酒鬼薔薇の場合、反社会的な人格や、先天的なものや環境的なものも大きく作用していると思いますが、わたしは“ザリガニの死”で興奮できてしまうし、「まったく他人事というわけではない」と思いながら読みました。

――自分もそっち側に転んでしまうかもしれない、と。

ペス山 そういう怖さが、すごくありました。そんな性癖と付き合わなきゃいけないことや、漫画家としてなかなかネームが通らないこと、漫画のアシスタント先でセクハラにあったりで、急激に太ったり痩せたりを繰り返して、精神のバランスを崩し始めたのが、20歳の頃です。

――具体的に、どんな状況だったのでしょうか。

ペス山 漫画を読んでも面白くなくなり、当然描いても面白くないから描けるわけがないし、毎晩涙が出てくるようになりました。そうした症状を鬱病経験者の友人に相談すると、「それは鬱の症状かもしれない。そういうときは、あがかずにじっとしていろ」と言われ、毎晩泣いてじっとする日々が続きました。そうやって、だいぶ沈みきったところで、「もういいや!」と思ったんですね。「殴られよう! 人生、捨てよう!」って。もう人生最後だと思って、妄想は妄想のままにしておかず、体現して楽しんでみるのもいいか、と思ったんです。

 “牢獄”のような孤独さを、オナニーでやり過ごす日々に限界が来たペス山さんは、「あたいだって性生活 楽しみたい」と壁を突き破る。解き放たれるかのように、“倫理VS股間”で、股間が勝者となったのだ。「わたしはボコられたいんだ」という自分の欲望と向き合うべくペス山さんが選んだ手段は、変態が集う出会い系掲示板への投稿だった。「暴力系プレイのパートナーを探しています」と書き込んだ。完全に開き直ったのだ。

ペス山 何人かとチャットでやりとりしたあと、最初に通話したのは、自称・医者の男性でした。すごく色っぽい声で、「殴られると、興奮するの……?」って。エロい声だから、こりゃあいいと思って「殴ってくれるんですか!?」と言うと、「いや……僕はそういうんじゃない……」と言われてしまって。「殴ってくれないなら媚びる必要はない!」と思い、ドライに対応したものの、その男性はいろいろな知識を与えてくれました。「君の理想とするプレイは危険だね。それで病院にかかる人もいる。まず、肝臓、膵臓、脇腹を殴られるのはやめなさい。セーフワードも決めなさい」

――理想のプレイというのは、とにかくボコボコにされたい、というものですか?

ペス山 ボッコボコですね。それまでフィクションを見てきて、血を吐くまで殴られるので興奮していましたが、実際に血を吐くまでとなると、そりゃあヤバイですよね。

――そうして最初に出会ったのが、ボクシング経験者の、声がフリーザのような、通称”フリーザ様”だったんですよね。実践し、理想通りいきましたか?

ペス山 いえ。やっぱりそうはいかないです。それから4~5人と出会いましたが、難しかったですね。

――相手は、”殴る“=SMの前戯的な段階だけど、ペス山さんにとっての“殴る”はそうではない、と。というか、ペス山さんの性癖はSMなんですか?

ペス山 それが、わからないんですよね。SMには同好のコミュニティと、楽しむための“哲学”があるでしょうし、そういう場所に“所属”したら「自分の性癖はこうであるべき」と決められそうで、自分から距離を置いてしまっています。だから、SM界隈の人が、わたしの行為をSMだと思うのかはわかりませんが、わたしは自分をマゾヒストだと思うし、わたしが選ぶ相手はサディストだと思うから、「SMでいいんじゃないか」と思っています。

H

 殴られたいが、服を脱ぐことと、体に触れられることは徹底的に拒絶した。なぜか。作中で、ペス山さんは「自分の肉体を、女性として扱われる違和感」があり、「嫌で仕方がない受け入れられない肉体を 暴力で壊す」ために、殴られたいのかもしれないと、自己分析している。

――出会い系で会った相手には、よくイラマチオを要求されていたと描かれていましたね。
ペス山 正直、めんどうだし痛いし吐いてしまうし、「なんでこんなことをしなきゃいけないんだろう」という気持ちもありました。むしろ、わたしに生えていたらしゃぶってほしいわ! と。

――女性として扱われるのは苦痛だけど、フェラチオは受け入れられるんですか?

ペス山 手や口に、性別は関係ないじゃないですか。自分の体に触られなければ。それに、わたしが服を着ているというのが重要で、自分の“女性”の肉体から逃げるために、いつもぶかぶかの服を着て、彼らと出会っていました。

――イラマチオも、苦痛を与えるプレイのひとつです。殴られる時のような興奮は得られないのでしょうか。

ペス山 そうでもないですね。そもそも、「イラマチオをしてくれ」と言う男性の殴り方は甘くて、相手はもう殴り終え、「さあヌイてくれ」状態でも、わたしは「まだまだ殴られ足りない!」状態だから、齟齬が生まれてしまう。これは仕方がないことだと思いますけれど。

――とても初歩的な質問ですが、殴られる=濡れる、ではないんですよね?

ペス山 違いますね。痛くて泣けてきて悲痛な気持ちになると、そこではじめて興奮できるんですが、泣くと心配されてしまう。「いや、違うんだよ! もっと来いよ! ここからなんだから!」と、もどかしかったです。でも、“彼”はそこをやすやすと超えてきたんですよ。最高でした。天才ですよ。本当に死ぬかと思いました。

「彼」とは、ペス山さんが“恋”に落ちた相手。第1話冒頭と、第10話以降登場する「彼」と出会ったのは、いつもの掲示板だった。美しい容姿に可愛らしい雰囲気。「この子が本当に殴れるのか」と不安になった。

J

ペス山 それまで、何人もの男性とプレイしてきて辟易していたので、期待はしないようにしていました。いやあ、舐めてました。最初の一撃で、「ちょ! まって!」とか言ってしまいましたもん。そうすると、「待ってじゃねえよ」と、また一撃。すべて容赦しないんです。特に膝蹴りはキツかったです。糸が切れたように、地面に吸い込まれるように倒れこみました。そんなふうに殴られている間、「ああ、これって“好き”ってやつだなあ」と、自分が恋に落ちたことを実感しました。

 2時間のプレイを終えると、2人の距離は縮まり、まるでピロートークのように事後の余韻に浸った。そして「ハグ、しない?」と持ちかけるペス山さん。彼は抱きしめ、言った。「会えてよかった」

――女性でも男性でもない、“ペス山さん”自身が受け入れられたのだということが、読者であるこちらにも伝わってきました。

ペス山 このとき、抱きしめられながら大泣きしました。「うわあ――――! 今までつらかったああああ!」と。わたしは妄想の中で自分のことを、男でも女でもない、某ゲームのモンスターとして登場させているんですが、そんな“私”をそのまま「受け入れられた」気持ちで胸がいっぱいだった。そこが嬉しかったんです。

――彼と出会って以来、性癖や性自認に変化はありましたか?

ペス山 ストライクゾーンが広がりました! 以前はBLの普通のセックス描写に興味はありませんでしたが、「セックスもいいじゃん」と読めるようになったり。すごい進歩です!

――ややこしい事情を抱え、常に死を意識していた中で、「受け入れられた」と思えたことで、自身に希望が持てるようになったのでしょうか。

ペス山 そうですね。「生きていてはいけない」とまで思ったこの性癖は変わりませんが、ゾーンが広がったことで、「生きていちゃいけない、なんてことはないな」と思えるようになったのは大きいですね。私は友人に恵まれたこともあって、いろいろな面で救われたけど、ひとりでは這い上がれなかった。そういったこともひっくるめて、“奇跡”だったと思います。

(文=有山千春)

ペス山ポピー(ぺすやま・ぽぴー)
新潮社のWEBマンガサイト『くらげバンチ』にて
本作『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』を連載中。

「ペニバンを着けたら、自分になれた」――女という性を壊したかった「私」の衝動とは?

 若い男性に、「命がログオフする」ほど腹を殴られて「恋に落ちた」――。

 連載1話目から、衝撃的な描き出しで話題となり、またたくまにフォロワーを増やしたコミックエッセイ『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)。

 23歳の処女でありながら、暴力を受けることでしか興奮できないという著者・ペス山ポピーさんが描くのは、「誰からも理解されない」被虐趣味に対し、正面から向き合っていく自分と、そんな自分の性別が“女性”であることを受け入れられず、女性という肉体を「破壊」したい衝動に駆られる著者のもとに訪れた、恋について。

「きっと中々 誰もわかってくれないだろうな」と諦めかけていた著者が“奇跡”と語る出来事、それに至るまでの経緯と心情、取り巻く環境はどんなものだったのか。4月9日の単行本1巻発売を踏まえ、作中では語られなかった背景を、著者本人にうかがった。

――ご自身でも描かれている通り、ペス山さんは“個性が渋滞”していらっしゃいますよね。ひとつひとつ紐解いていけたらと思います。まず、ご自身の性について違和感を覚えたのは、いつ頃でしたか?

ペス山ポピー(以下、ペス山) 3~4歳くらいですね。変わっていて周囲から浮きやすい子どもでした。「マイペース」「我が道を行く」といった言葉をポジティブに、ときにネガティブに通知表に書かれていて。自分でも、周囲との馴染めなさを感じることが多かったです。

――小学生くらいになると、女子はグループ作りが主流になりますが、そういった輪に入るような子どもではなかった?

ペス山 そうですね。それでも小学校の1、2年生までは、一緒に遊ぶ女子に頑張って合わせていて、おままごとに参加したりしていました。だけど、やりたがる役は“お父さん”。美少女戦士ごっこをやるときも、どうしても美少女戦士役はできませんでした。だから、「敵やるから倒して」と、率先して敵役になっていました。それが図らずも、“女の子になれない+マゾヒスティック”な自分に合っていましたね。実際、「おのれ~!」なんて言いながら倒される感じがちょっと良かったりして(笑)。でも、やっぱりうまくいかなくて、女子グループにいじめられたこともありました。

――どんないじめですか?

ペス山 こそこそと陰口をたたかれたり、下校中に途中で仲間はずれにされたり、遊んでいる途中で「帰って」とか言われたり、まあ定番ないじめですが。「ああ、苦痛だなあ」みたいな。

 いじめの経験を「苦痛」と語りながらも、どこか余裕のある表情で回顧するペス山氏。しかし、そうしたいじめよりもペス山氏が「傷ついた」と作中に描く、こんなエピソードがある。小4のとき、男子と口喧嘩をしていると、クラスメイトの女子が現れ、こう言い放ったのだ。「やめなよ! ポピーちゃんだって女の子なんだよ!?」自分は“女の子”なのか? そうなのか……? 釈然としない感情が、涙となって溢れた。

――「女の子」に、そこまで強い違和感を覚えていたんですね。そんなふうに善意で「女の子」扱いされることについて、悔しかったんでしょうか。

ペス山 そうですね。このときの言葉は強く印象に残っています。かばってもらったのにつらくて泣いている。でも周りは、かばわれて嬉しくて泣いていると思うから、なおつらい。「違う! 私は嬉しいんじゃないんだ! 悔しいんだ!」と。

――だけど、当時は言葉にできなかった。

ペス山 それでも「わたし、“女子”に属するの、キツイなあ」って、当時からなんとなく、意識としてはわかっていたんですよね。たとえばテレビCMの女性は、“女性の完成形”が映し出されているじゃないですか。「わたしもこうなるの!?」と思うと、「イヤだ! なりたくない!」と拒絶の気持ちが生まれる。むしろ、サラリーマンになりたいと思っていました。自分の中での自然な将来の姿が、男性なんです。人生がものすごくうまくいったらロックスターになりたかったですが、さすがにそれは難しいかもしれない。せめてサラリーマンにはなれたらいいな、という感じで。“女性”になるという想像はできませんでした。

 そうした思いが確立したのは、のちにペス山氏が出会い系で募ったM男に対し、ペニバンでアナルを掘ったときだった。事後、ペニバンを装着した自身の姿を見て、「私、これ、めっちゃ似合ってるな!!」と爽やかにひらめいた。そして、「私の性自認は、ほとんど男性なのだと思う」と、思い至っている。

ペス山 たとえば、路上でイケメンを見ると「わたしはなぜ、こんなふうに生まれなかったんだろう」と嫉妬しますけど、きれいな女性を見ても、「きれいだと、生きるのが大変だろうなあ」と思ってしまうだけなんです。極度に「“女性”としてしか扱われない」、つまり「人間として扱われないのでは」と。ならば、そんな人生はキツイのではないか、と。反面、おばあちゃんにはなりたいです。性別から解放されていると感じるから。

――“女性”という性別そのものに、怖さを感じていたんですね。進学すると制服でスカートを着用しなければいけなくなります、どうしていたんですか?

ペス山 スカート着用に対してというよりも、小6までは男女混ざり合って遊んでいたのに、中学校で制服になった途端、男女が分かれるのがキツかったですね。制服によって“分断”された、という感覚で、悲しかったです。だからわたしは、スカートを長くしたり、下に体育ズボンを履いたりしていました。それで、スカートの留めが甘くてズルっと落ちて笑われて、「タカラジェンヌみたいで面白いでしょう?」なんてふざけたリアクションをとったり。

――わざと道化を演じるような、“面白キャラ”だったんでしょうか。

ペス山 そうですね。それには背景がありまして。小5のときが一番大変だったのですが、友達がいない上に先生が「キツかった」んです。

――「キツかった」とは、どういうふうにですか?

ペス山 先生が作曲して、みんなが作詞した「笑顔の5年B組~♪」みたいな内容のオリジナル“クラス歌”を歌わされました。さらに、先生がみんなの呼び方を決めるんです。「あなたはルミルミ。あなたはマナっち。名字で呼び捨てすることは許しません」と。わたしは性別から逃げるために名字の呼び捨てを好んでいて、友達にも「なるべく名字で呼んでほしい」とお願いしていました。“名字呼び”で過ごしていた時期は、心地よかったんですが、下の名前で呼ばれるようになってしまって、精神的な自由がどんどんなくなっていくんですよ。……さらに追い詰められた理由は、その当時“トレジャーシステム”というのがありまして。

――なんですか、それ!?


ペス山 
“トレジャーシステム”は、クラスで良いことをした子がいたら、「◯◯くんがこんなことをした」と先生に報告するシステムなんですが、それが悪いことにも適用されて、“通報”されるんです。わたしは友達がいないことが原因で、「この中に友達がいない人がいます! 手をあげなさい!」と、先生に吊るし上げられました。自分もみんなも、わたしに友達がいないことを知っているから、チラチラと見てくるんですよね。「すいません、友達、いないです……」と手を上げざるを得なくて。それで立たされた上「みなさん! この人には友達がいません! 仲良くしてあげてください」と……。なんだこの私刑は、と感じました。

――すごい体験をされましたね。

ペス山 その時期は全てがトラウマで、自分の中でも「わたしは友達がいない」という印象が強いです。だけど今はなんだかんだ、4人の友達に恵まれていますから、結構“逃げどころ”がある人生だと考えてはいますけどね。

――「友達がいない=悪」と刷り込まれてしまったんですね。それが、中学校の“面白キャラ”とつながっていくんですか?

ペス山 そうなんです。小6になって、無理に性格を変えました。スポ根漫画のように、バラエティ番組をずっと見て、明石家さんまさんや土田晃之さんみたいになりたくて、話し方や返し方を真似するようにしました。「こう話せば人気が出る!」と思って。それで実践して、最初はうまくいかないけど、小学生でそんな勉強する人なんていないじゃないですか。だからちょっとずつは、当社比としては面白くはなっていくんですよ(笑)。それが功を奏して、友達がいない状態から抜け出すことができました。躁的な、ピエロ的な明るさを身につけて、でも無理矢理だから痛々しいんですよね。「おまえ、ずっと演技しているみたいだよな」と見抜いて去っていく人もいました。それでも結局は限界が来てしまい、中学の後半では暗い性格に戻りましたが。

話を伺うほど、ひたすらストイックに自分を“追い詰める”エピソードばかりが出てくるペス山さん。「私は 私の手で 自分を投獄する」と作中で綴るように、繰り返し出てくる“牢獄”のイメージは、そのまま心の中の描写なのだろう。そんな、自身を律する気持ちが人一倍強いペス山さんが「わたし、ヤバくない?」と自覚しつつも止められなかった“性衝動”とは、どのようなものだったのか。

(後編に続く・4月10日公開予定)

BLが廃れるときは来るのか? 溝口彰子氏が語る「イケメン同士の恋愛」を描く先にあるもの

 BL(ビーエル)とは「ボーイズラブ(Boys’ Love)」の略で男性同士の恋愛を軸とした物語ジャンルだ。作者も読者もほぼ100%女性で、サイゾーウーマンの女性読者なら一度は読んだことがある人も多いだろう。

 あまり詳しくない人からすると、BLといえば、学園モノでイケメン同士の恋愛関係の物語を想像しがちだが、最近では単に男同士のロマンスというだけではなく、現実でも実現していないような、ゲイに寛容な社会を描く作品も目立ってきているという。そのような、性の多様性がさらに広がった将来の日本社会を先進的に描いているともいえるBLの、時代による変化や未来の可能性ついて、『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版)『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』(宙出版)の著者でBL研究家の溝口彰子氏に聞いた。

■従来のBLとは違う「進化形BL」とは

 1990年代、商業的にも大きく盛り上がりを見せたといわれるBL。しかし、当時は現代よりも同性愛者に対する偏見が強く、そうした社会を反映した作品が多かったと、溝口氏は分析する。

「90年代のBL作品の多くは、男性同士の恋愛やセックスを描きながらも、『俺はホモなんかじゃない。お前が好きなだけだ』とホモフォビア(同性愛嫌悪)的なセリフを言うキャラクターが登場していました。当時は今以上に同性愛者に対する偏見や差別も強かった時代ですが、BL作家や読者がそれを疑問視せず、BLの男性キャラを実際のゲイとは違うものと規定していたんですよね。しかし、それでもまだ現実社会やゲイ雑誌よりもBLの方が男性同性愛を明るく描くことが多かった」

 当時は、今ではよく聞く性的マイノリティを指す「LGBT」といった言葉もなく、友達や家族など周囲の人たちにも打ち明けられず悩む当事者がほとんどだった。そのため、BL愛好家女性たちはゲイの現実を知らないまま、架空の美男キャラを描いたり読んだりしていた。それは、自分たちが女性であることで生じる家父長制からの抑圧をはじめとした、現実から逃避するためだったという。しかし、2000年代を迎えると、これまでとは違った新たな作風の作品が増えてきたそうだ。

「2000年代には、同性愛者である主人公たちの幸福を願う作家たちの想像力によって、まだ実現されていないゲイ・フレンドリーな人々や社会が描かれる作品群が出てきます。それらの作品の中では、同性愛者のセクシュアリティを否定、揶揄することが受け入れられない社会が到来しているのです」

 性の多様性の実現とジェンダー格差の解消に向かうヒントを与えてくれるBL作品を、溝口氏は「進化形BL」と名付けた。実社会よりも性の多様性に寛容な社会、いわば進化を先取りした世界が描かれている、というわけだ。

 「進化形BL」は、性の多様性に寛容な社会を描くだけでなく、当事者であるゲイが抑圧されずに自分らしく生きていくようなストーリー構成が特徴で、その代表作が溝口氏によれば、中村明日美子氏の漫画「同級生シリーズ」だという。

「舞台は男子校で、主人公は茶髪でチャラくて女の子にモテモテの草壁くんが、ふとしたきっかけで優等生の左条くんと仲良くなり、恋に落ちていくストーリー。この展開自体はよくあるのですが、自分の同性愛感情の気づきや、友達や両親にどうカミングアウトするのかなどが、丁寧に描写されていて、現実社会でも参考になるほどリアルなのです」

 このシリーズは現在6冊発売されていて、主人公2人の恋愛だけでなく、中年男性と高校生のカップルも登場し、今の日本には表出し得ない性のあり方を受け入れる社会が描かれている。

 さらに重要なのは、「進化形BL」の作者の多くが「この社会で同性愛者がより幸福に生きられるためにはどうすればいいのか」といった命題を特別に意識せず、自らと読者を楽しませるため、想像力を膨らませながら、娯楽作品として生み出している点にあると、溝口氏は指摘する。そのため、性の多様性を読者も楽しみながら理解できるのだ。

■同性愛者に対する偏見がなくなれば、BL文化は廃れる?

 一昔前まで「禁断の愛」として扱われることが多かったBL。それゆえ、同性愛者に対する偏見がなくなった結果、タブー感が薄まり、魅力を失うということにはならないのだろうか。

「確かに同性愛が社会に受け入れられることで、タブーとしての描かれ方はされなくなるかもしれませんが、以前対談したBL好きで知られる作家の三浦しをんさんが言われたことが一番端的な説明で、私も同意します。つまり、『異性愛が一般的な日本社会で、男女の恋愛物語が描かれない時代はなかった』ということです。人間同士が一緒にいれば、何らかの軋轢、感情が生まれ、ドラマに発展します。それは社会状況が変化しても変わらないでしょう」

 諸外国と比べて、日本においては同性愛者の人権をめぐる法的な整備などが遅れている。そんななか、有名俳優がラジオでBL好きを公言したことが話題になった。また、男性アイドル同士がキスをしてみせるなど、男性同士の親密さを女性ファンに向けて“演じる”ことも増えてきた。それに対して「BLという枠組みを利用している」との批判もあるだろう。しかし、このように社会においてBLを自然に受け入れる動きが広がり、幸福に生きるゲイ・キャラクター像が一般化することで、根強いホモフォビアが現実から払拭されるのだとしたら、「BL利用」も、偏見をなくすことに最終的にはつながるのではないか。

 また、一方で美少年同士がイチャイチャするのを見るのが好きでも、中年のおじさん同士がチューするのは気持ち悪いと思う人もいるだろう。しかし、近年の商業BL作品では、「同級生」シリーズをはじめ、キャラクターの年齢層が幅広くなっている。中年男性間の恋愛関係を描き、多くの支持を集める作品もある。そのようなBLを読み、それが胸を打つような作品であれば、読者はゲイにも平等に幸せになる権利があるという当たり前のことを、あらためて楽しく理解できる。その「理解」は現実社会についての認識にも少なからず影響を与えるだろう。

 BLが性の多様性を学ぶための必須バイブルになる日も近いかもしれない。
(福田晃広/清談社)

BLが廃れるときは来るのか? 溝口彰子氏が語る「イケメン同士の恋愛」を描く先にあるもの

 BL(ビーエル)とは「ボーイズラブ(Boys’ Love)」の略で男性同士の恋愛を軸とした物語ジャンルだ。作者も読者もほぼ100%女性で、サイゾーウーマンの女性読者なら一度は読んだことがある人も多いだろう。

 あまり詳しくない人からすると、BLといえば、学園モノでイケメン同士の恋愛関係の物語を想像しがちだが、最近では単に男同士のロマンスというだけではなく、現実でも実現していないような、ゲイに寛容な社会を描く作品も目立ってきているという。そのような、性の多様性がさらに広がった将来の日本社会を先進的に描いているともいえるBLの、時代による変化や未来の可能性ついて、『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版)『BL進化論[対話篇] ボーイズラブが生まれる場所』(宙出版)の著者でBL研究家の溝口彰子氏に聞いた。

■従来のBLとは違う「進化形BL」とは

 1990年代、商業的にも大きく盛り上がりを見せたといわれるBL。しかし、当時は現代よりも同性愛者に対する偏見が強く、そうした社会を反映した作品が多かったと、溝口氏は分析する。

「90年代のBL作品の多くは、男性同士の恋愛やセックスを描きながらも、『俺はホモなんかじゃない。お前が好きなだけだ』とホモフォビア(同性愛嫌悪)的なセリフを言うキャラクターが登場していました。当時は今以上に同性愛者に対する偏見や差別も強かった時代ですが、BL作家や読者がそれを疑問視せず、BLの男性キャラを実際のゲイとは違うものと規定していたんですよね。しかし、それでもまだ現実社会やゲイ雑誌よりもBLの方が男性同性愛を明るく描くことが多かった」

 当時は、今ではよく聞く性的マイノリティを指す「LGBT」といった言葉もなく、友達や家族など周囲の人たちにも打ち明けられず悩む当事者がほとんどだった。そのため、BL愛好家女性たちはゲイの現実を知らないまま、架空の美男キャラを描いたり読んだりしていた。それは、自分たちが女性であることで生じる家父長制からの抑圧をはじめとした、現実から逃避するためだったという。しかし、2000年代を迎えると、これまでとは違った新たな作風の作品が増えてきたそうだ。

「2000年代には、同性愛者である主人公たちの幸福を願う作家たちの想像力によって、まだ実現されていないゲイ・フレンドリーな人々や社会が描かれる作品群が出てきます。それらの作品の中では、同性愛者のセクシュアリティを否定、揶揄することが受け入れられない社会が到来しているのです」

 性の多様性の実現とジェンダー格差の解消に向かうヒントを与えてくれるBL作品を、溝口氏は「進化形BL」と名付けた。実社会よりも性の多様性に寛容な社会、いわば進化を先取りした世界が描かれている、というわけだ。

 「進化形BL」は、性の多様性に寛容な社会を描くだけでなく、当事者であるゲイが抑圧されずに自分らしく生きていくようなストーリー構成が特徴で、その代表作が溝口氏によれば、中村明日美子氏の漫画「同級生シリーズ」だという。

「舞台は男子校で、主人公は茶髪でチャラくて女の子にモテモテの草壁くんが、ふとしたきっかけで優等生の左条くんと仲良くなり、恋に落ちていくストーリー。この展開自体はよくあるのですが、自分の同性愛感情の気づきや、友達や両親にどうカミングアウトするのかなどが、丁寧に描写されていて、現実社会でも参考になるほどリアルなのです」

 このシリーズは現在6冊発売されていて、主人公2人の恋愛だけでなく、中年男性と高校生のカップルも登場し、今の日本には表出し得ない性のあり方を受け入れる社会が描かれている。

 さらに重要なのは、「進化形BL」の作者の多くが「この社会で同性愛者がより幸福に生きられるためにはどうすればいいのか」といった命題を特別に意識せず、自らと読者を楽しませるため、想像力を膨らませながら、娯楽作品として生み出している点にあると、溝口氏は指摘する。そのため、性の多様性を読者も楽しみながら理解できるのだ。

■同性愛者に対する偏見がなくなれば、BL文化は廃れる?

 一昔前まで「禁断の愛」として扱われることが多かったBL。それゆえ、同性愛者に対する偏見がなくなった結果、タブー感が薄まり、魅力を失うということにはならないのだろうか。

「確かに同性愛が社会に受け入れられることで、タブーとしての描かれ方はされなくなるかもしれませんが、以前対談したBL好きで知られる作家の三浦しをんさんが言われたことが一番端的な説明で、私も同意します。つまり、『異性愛が一般的な日本社会で、男女の恋愛物語が描かれない時代はなかった』ということです。人間同士が一緒にいれば、何らかの軋轢、感情が生まれ、ドラマに発展します。それは社会状況が変化しても変わらないでしょう」

 諸外国と比べて、日本においては同性愛者の人権をめぐる法的な整備などが遅れている。そんななか、有名俳優がラジオでBL好きを公言したことが話題になった。また、男性アイドル同士がキスをしてみせるなど、男性同士の親密さを女性ファンに向けて“演じる”ことも増えてきた。それに対して「BLという枠組みを利用している」との批判もあるだろう。しかし、このように社会においてBLを自然に受け入れる動きが広がり、幸福に生きるゲイ・キャラクター像が一般化することで、根強いホモフォビアが現実から払拭されるのだとしたら、「BL利用」も、偏見をなくすことに最終的にはつながるのではないか。

 また、一方で美少年同士がイチャイチャするのを見るのが好きでも、中年のおじさん同士がチューするのは気持ち悪いと思う人もいるだろう。しかし、近年の商業BL作品では、「同級生」シリーズをはじめ、キャラクターの年齢層が幅広くなっている。中年男性間の恋愛関係を描き、多くの支持を集める作品もある。そのようなBLを読み、それが胸を打つような作品であれば、読者はゲイにも平等に幸せになる権利があるという当たり前のことを、あらためて楽しく理解できる。その「理解」は現実社会についての認識にも少なからず影響を与えるだろう。

 BLが性の多様性を学ぶための必須バイブルになる日も近いかもしれない。
(福田晃広/清談社)

LGBTを知ると世の中が変わって見える!? 今さら聞けない性的マイノリティへの疑問

 最近、「LGBT」という言葉をあちこちで耳にする。あらためて説明すると、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの略で、性的マイノリティの人たちのことを指す、いわば、彼らにとってのチーム名のようなもの。

 『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか? 聞きたい!けど聞けない!LGBTsのこと』(イースト・プレス)は、そんなチーム「LGBT」とのお付き合いを考える本として、先日発売された。

 ちなみに、タイトルにある「LGBTs」に小さな「s」がついているのは、LGBTにも収まらない人たちがまだまだいて、そういう人たちを含めると、「LGBTTIQQ2SA」まで続くからとのこと(!)で、みんなをひっくるめる意味があるそう。

 著者は、タレントであり、文筆家の牧村朝子(通称・まきむぅ)さん。2013年にフランス人女性のモリガさんと、フランスでの同性婚法制化を機に結婚し、本書の中では、モリガさんも一緒にLGBTsにまつわる疑問について、ざっくばらんに答えている。

 例えば、「仲の良い女友達から、レズビアンなのと告白された。どう接すればいいのでしょうか?」という質問では、

まきむぅ:お友達が何を求めてそう言ったのかわからないわね。モリガは友達にカミングアウトしたことってある?
モリガ:うーん。会話の流れで好きな異性のタイプ? 特にないな~、私は女が好きだから、とかなら言ったことはあるよ。でも、特に私はレズビアンっていう意識はないなぁ。
まきむぅ:そうねー。女が好きな女だからといって、私はレズビアンって思っているとは限らないのよね。(中略)“レズビアン”って言葉は、そう名乗らなければ勝手に異性愛者だということにされてしまう社会で、いないことにされないために名乗る言葉なわけ。

 という何気ない会話に、ハッとさせられる。また、「ゲイの友達がほしい!どうすれば女と友達になってくれるの?」という質問に対しては、

まきむぅ:ゲイと友達になりたいんです!! って言わないことが必要なんじゃないかなぁ。
モリガ:どういう意味?
まきむぅ:そんなふうに言われた人は、「ゲイであれば自分じゃなくてもいいんだ」って思うじゃない。

 よく考えればそりゃそうなのだが、ゲイの人たちがみんな、ファッションセンスが良くて、オネエ言葉で話して、毒舌でビシバシ言ってくれる、というような人ばかりであるわけがない。なお、まきむぅさんによれば、“ゲイ友”を求めてゲイにつきまとう女は、オカマ(お釜)にくっつく余計な何かという意味で、“おこげ”と呼ばれるそうで、日本語のおもしろさにも感心させられる。

 ほかにも「好きになった職場の上司に、ゲイだという噂が……ゲイかどうか確かめる方法はありませんか?」「LGBTの人たちと接する時、注意すべきことは?」「彼氏が私に隠れて女装。どうすれば?」などなど、興味深い質問のオンパレード。

 おふたりの返答は、いつもカラッとしているので、すいすい読める。そして、どの答えにも、「男とか女と区別するのではなく人間として尊重する」「LGBTsが特別なのではなく、いろんな人がいて当たり前」ということを大前提としていることがひしひしと伝わってくる。

 第2章や第3章では、詳しい用語の説明や歴史背景なども、かなり詳しく紹介され、第4章では、まきむぅさんが22歳になるまで、自分を異性愛者だと思って生きてきて、男性とお付き合いをする「努力」を重ねてきたことなどについても語られている。

 この本は、LGBTsとの付き合い方を考えるきっかけになるのはもちろん、女だったらこう、男だからこう、という男女の決めつけを改めて見直すことにもつながる1冊。一方的な決めつけから解放された時、世の中は、がらりと変わって見えるのかもしれない。
(上浦未来)

教科書にLGBTが必要な理由 多様な性の理解における学校教育の重要性

<p> 今年5月6日、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(以下、HRW)が、日本政府にLGBT(セクシュアル・マイノリティ)の子どもを学校でのいじめから保護するよう求める報告書を公表した。「『出る杭は打たれる』日本の学校におけるLGBT生徒へのいじめと排除」と題された全84ページの報告書には、児童・生徒および学生へのインタビューやアンケート調査の結果が詳細に記されている。<br />  その中で、「今年度(もしくは一番最近の学年度)、学校の先生や生徒がLGBTの人たちに対する暴言、否定的な言葉、もしくは冗談を言うのを聞いたことはありますか」という問いに対し、25歳未満の回答者458名のうち「先生が言っているのを聞いた」と答えたのは29%、「先生もしくは生徒が言っているのを聞いた」では86%の多数に上る。なかには、「ホモ」という言葉を使用し、侮蔑的な表現をしていた教員を目にした生徒や学生も少なくないことがわかった。</p>