DV夫とは関わりたくない。でも、子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できる「別れた夫にわが子を会わせる?」

OLYMPUS DIGITAL CAMERAわが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)後編

 倉橋まりさんは、学生時代に知り合った男性と就職後に結婚。仕事は続け、出産後も職場に復帰して、子育てしながら働き続けていた。結婚生活の初期から、DVの兆候があったものの、最初は我慢していたという倉橋さんだったが、たびたび殴られるようになり、夫の浮気発覚を機に離婚を決意。夫の留守中に家を飛び出し、シェルターへ逃げた。

(前編はこちら)

■シェルターでの生活

 倉橋さんが逃げ込んだシェルターとは、いったいどんなところだったのか?

「行政が一時保護を委託している民間シェルターで、外観は、鉄筋コンクリートのきれいな建物でした。三食つき、室内に風呂やトイレ、テレビが備わっていました。殴られたり、追いかけられたりする心配は当分ありません。かといって、シェルターでの生活が楽かというと、むしろその逆でした。なんといっても、人間的な生活ができないことがつらいんです。

 あてがわれた部屋は、壁紙にしろ、寝具のシーツにしろ、ボロボロでした。まともな机すらありませんし、スマホは使えません。居場所漏洩防止のため、警察を出発するときに電源を切られ、シェルターに着いたときに没収されたからです。おまけにパソコンやWIFIルーターも没収されていました。そんな状態ですから、文書を作成したり、調べ物をしたりすることができず、テレビを見るか、寝るぐらいしか、することがありませんでした。

 無料なので文句は言えないですけれど、食事もよくなかった。あまりおいしくなかったし、食器が粗末なんです。精神を病んでいる人や小さな子もいるので仕方ないのかもしれませんが、おままごとのような粗末なプラスチックのものを使わされました。

 そんな生活でも、大人である私は我慢できますが、かわいそうなのは私についてきた子どもたちです。友達に挨拶すらできないまま、突然、お別れすることになったわけです。シェルターには勉強を教えてくれる先生代わりのお兄さんがやってきましたが、それまで通っていた学校には、もはや通えないのです。それに、食べ物も、私が作った体に良いご飯を食べさせたくて仕方ありませんでしたが、それもできませんでした」

 シェルターの生活に耐えかねた倉橋さんは、ほかに落ち着き先を探すことを決意する。

「私はシェルターのスタッフに『引っ越し先を探したいから、パソコンとWIFIルーターを返してください』とお願いしました。その結果、1週間ほどでシェルターを出させてもらえることになったのです。そして、そのまま引っ越し先に考えていた土地へ移動し、安いホテルに子どもたちと滞在し、そこで家が見つかるまで過ごしました。

 私たちのように1週間で退所するというのは、特例の措置のようでした。通常、裁判所から保護命令(DV加害者が被害者へ近づくことを禁止する命令)が出るまでシェルターで過ごすので、2週間くらいは出られないそうですから。私はシェルターでの生活がこたえたのか、ホテルに着いてすぐ、熱を出して寝込みました。気合で1日で治しましたが、体重は激減していました。

 現地では、すぐに市役所に連絡し、経緯を説明して、いろいろと相談に乗っていただきました。こんなときに頼りになるのは、やっぱり役所ですよね。

 仕事の面接なども並行してやっていたんですが、ノマドワーカーは大変ですね。履歴書ひとつ送るのも大仕事です。スーツもメイク道具もなかったですし。そんなこんなで、やっとこさ、アパートを契約しました。預金が300万円ある証明書を銀行からとれれば、無職でも契約できるというD社(建設会社を兼ねる賃貸大手)で決めたのです。前に住んでいたアパートは両親に鍵を開けてもらい、引っ越しの見積もりと立ち会いも両親に頼みました。予想外に高い引っ越し料金でしたが、仕方がありませんでした」

■長びく係争

 一方、別離を突きつけられた夫はその後、どういった行動に出たのだろうか?

「私と子どもが家を出るとすぐ、夫は財産隠しを始めました。カードの盗難届を出して、私が持っているカード類を使えないようにしたんです。そうやって私や子どもたちを兵糧攻めにする一方、自分は贅沢をして遊んでいたそうです。とにかく家に戻ってきてほしかったということなんでしょう。

 そんな夫に対し、私は離婚調停と婚姻費用調停(別居中の生活費を分担するための調停)を起こしたのです。復縁する気は、まったくありませんでしたから。早く関係を清算したかった。すると夫は夫で、面会交流調停を起こしてきました。夫はずっと『子どもに会わせろ』の一点張り。それしか自分に主張できることがなかったせいもあると思います。

 調停は1カ月に1回くらいでしょうか。居所がバレては困るので、会わせるのは無理だと思っていましたし、子どもも夫と会うことを嫌がっていました。しかし裁判所は長い期間会わせていないという、調停の記録しか参考にしないですからね。子どもが嫌がっているというこちらの意見は完全にスルーで、意味がありませんでした。調停にしろ、後の審判にしろ、会わせなければいけない雰囲気でした。

 調停を重ねるうちに、私のほうも少しは折れることも必要かなと思うようになりました。調停を始めて3回目くらいのときでしたか。『調査官立ち会いの下でなら会わせます』と言ったんです。家に帰ってそのことを子どもに伝えたら、大ブーイングでしたけどね。それでも、『もう決まってしまったから』と子どもたちを無理やり次の調停に連れていき、別れてから初めて、子どもを夫に会わせました。

 調査官は面会の様子を見て和やかだと思ったようですが、子どもたちの心は別のところにありました。内心、夫に気を使っていて、『触られるのも嫌だったけど断れず、つらかった』と後から言われました。調査官は、そんな子どもたちの本心を見抜けていませんでした。これが、後の審判に影響することになり、大きな失敗でした。

 夫のほうは一貫して『毎月、面会交流をさせろ』と主張していました。それに対し私は『年3回(春休み、夏休み、冬休み)なら、なんとかできると思う』と答えました。しかしこれも失敗でした。実際には、夏休みと冬休みは子どもが忙しくて難しい。遠いので宿泊も必要なんですが、その時期は宿も取りにくい。でも、このときの調停の記録が審判にも影響してしまい、後に年3回の面会ということで審判が出てしまいました」

 面会交流が決定したことがきっかけで、夫から、何らかの支払いが行われるようになったのだろうか?

「夫からの婚姻費用は、一向に支払われる様子がありませんでした。しかしそれでも、私は2度目の面会交流に応じました。この面会交流では、弁護士が見つけてくれたDVに詳しい交流支援業者に立ち会ってもらい、子どもたちを守っていただきました。

 私が面会に応じたのは、『北風と太陽』(イソップ寓話)の太陽と同じです。夫を喜ばせることで、夫も譲歩してくるんじゃないかと思ったんです。事実、会わせることで、態度は軟化しましたね。『子どもに会えてうれしいので、婚姻費用を振り込みます』と言って、結局は振り込んでくれましたから。

 問題は子どもの気持ちです。子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できるので、母親が夫を嫌っているというだけの理由で夫に子どもを会わせないというのは、私もひどいと思います。だから私も、子どもたちを説得しようとしているんですが、子どもたちが父親を嫌がっているんですよね……。そんなわけで、3度目の面会は実現していないんです。

 調停の申し立てをしてから2年近く。今月、ようやく離婚が成立しました。安月給ですが、お金には困っていません。婚姻費用と慰謝料も入りましたし、貯えもありますから。それにしても、夫がいない生活は、自由でとても楽しいものですね!

 今後、夫とは金輪際、関わりたくないです。見つかったら、何をされるかわかりませんからね。連絡は弁護士を通じてのみです。そんなわけですので、面会交流は、やらないで済むならしたくないです。そのほうが、私も子どもたちも平穏な日々を送れますから」

西牟田 靖(にしむた やすし
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

DV夫とは関わりたくない。でも、子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できる「別れた夫にわが子を会わせる?」

OLYMPUS DIGITAL CAMERAわが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)後編

 倉橋まりさんは、学生時代に知り合った男性と就職後に結婚。仕事は続け、出産後も職場に復帰して、子育てしながら働き続けていた。結婚生活の初期から、DVの兆候があったものの、最初は我慢していたという倉橋さんだったが、たびたび殴られるようになり、夫の浮気発覚を機に離婚を決意。夫の留守中に家を飛び出し、シェルターへ逃げた。

(前編はこちら)

■シェルターでの生活

 倉橋さんが逃げ込んだシェルターとは、いったいどんなところだったのか?

「行政が一時保護を委託している民間シェルターで、外観は、鉄筋コンクリートのきれいな建物でした。三食つき、室内に風呂やトイレ、テレビが備わっていました。殴られたり、追いかけられたりする心配は当分ありません。かといって、シェルターでの生活が楽かというと、むしろその逆でした。なんといっても、人間的な生活ができないことがつらいんです。

 あてがわれた部屋は、壁紙にしろ、寝具のシーツにしろ、ボロボロでした。まともな机すらありませんし、スマホは使えません。居場所漏洩防止のため、警察を出発するときに電源を切られ、シェルターに着いたときに没収されたからです。おまけにパソコンやWIFIルーターも没収されていました。そんな状態ですから、文書を作成したり、調べ物をしたりすることができず、テレビを見るか、寝るぐらいしか、することがありませんでした。

 無料なので文句は言えないですけれど、食事もよくなかった。あまりおいしくなかったし、食器が粗末なんです。精神を病んでいる人や小さな子もいるので仕方ないのかもしれませんが、おままごとのような粗末なプラスチックのものを使わされました。

 そんな生活でも、大人である私は我慢できますが、かわいそうなのは私についてきた子どもたちです。友達に挨拶すらできないまま、突然、お別れすることになったわけです。シェルターには勉強を教えてくれる先生代わりのお兄さんがやってきましたが、それまで通っていた学校には、もはや通えないのです。それに、食べ物も、私が作った体に良いご飯を食べさせたくて仕方ありませんでしたが、それもできませんでした」

 シェルターの生活に耐えかねた倉橋さんは、ほかに落ち着き先を探すことを決意する。

「私はシェルターのスタッフに『引っ越し先を探したいから、パソコンとWIFIルーターを返してください』とお願いしました。その結果、1週間ほどでシェルターを出させてもらえることになったのです。そして、そのまま引っ越し先に考えていた土地へ移動し、安いホテルに子どもたちと滞在し、そこで家が見つかるまで過ごしました。

 私たちのように1週間で退所するというのは、特例の措置のようでした。通常、裁判所から保護命令(DV加害者が被害者へ近づくことを禁止する命令)が出るまでシェルターで過ごすので、2週間くらいは出られないそうですから。私はシェルターでの生活がこたえたのか、ホテルに着いてすぐ、熱を出して寝込みました。気合で1日で治しましたが、体重は激減していました。

 現地では、すぐに市役所に連絡し、経緯を説明して、いろいろと相談に乗っていただきました。こんなときに頼りになるのは、やっぱり役所ですよね。

 仕事の面接なども並行してやっていたんですが、ノマドワーカーは大変ですね。履歴書ひとつ送るのも大仕事です。スーツもメイク道具もなかったですし。そんなこんなで、やっとこさ、アパートを契約しました。預金が300万円ある証明書を銀行からとれれば、無職でも契約できるというD社(建設会社を兼ねる賃貸大手)で決めたのです。前に住んでいたアパートは両親に鍵を開けてもらい、引っ越しの見積もりと立ち会いも両親に頼みました。予想外に高い引っ越し料金でしたが、仕方がありませんでした」

■長びく係争

 一方、別離を突きつけられた夫はその後、どういった行動に出たのだろうか?

「私と子どもが家を出るとすぐ、夫は財産隠しを始めました。カードの盗難届を出して、私が持っているカード類を使えないようにしたんです。そうやって私や子どもたちを兵糧攻めにする一方、自分は贅沢をして遊んでいたそうです。とにかく家に戻ってきてほしかったということなんでしょう。

 そんな夫に対し、私は離婚調停と婚姻費用調停(別居中の生活費を分担するための調停)を起こしたのです。復縁する気は、まったくありませんでしたから。早く関係を清算したかった。すると夫は夫で、面会交流調停を起こしてきました。夫はずっと『子どもに会わせろ』の一点張り。それしか自分に主張できることがなかったせいもあると思います。

 調停は1カ月に1回くらいでしょうか。居所がバレては困るので、会わせるのは無理だと思っていましたし、子どもも夫と会うことを嫌がっていました。しかし裁判所は長い期間会わせていないという、調停の記録しか参考にしないですからね。子どもが嫌がっているというこちらの意見は完全にスルーで、意味がありませんでした。調停にしろ、後の審判にしろ、会わせなければいけない雰囲気でした。

 調停を重ねるうちに、私のほうも少しは折れることも必要かなと思うようになりました。調停を始めて3回目くらいのときでしたか。『調査官立ち会いの下でなら会わせます』と言ったんです。家に帰ってそのことを子どもに伝えたら、大ブーイングでしたけどね。それでも、『もう決まってしまったから』と子どもたちを無理やり次の調停に連れていき、別れてから初めて、子どもを夫に会わせました。

 調査官は面会の様子を見て和やかだと思ったようですが、子どもたちの心は別のところにありました。内心、夫に気を使っていて、『触られるのも嫌だったけど断れず、つらかった』と後から言われました。調査官は、そんな子どもたちの本心を見抜けていませんでした。これが、後の審判に影響することになり、大きな失敗でした。

 夫のほうは一貫して『毎月、面会交流をさせろ』と主張していました。それに対し私は『年3回(春休み、夏休み、冬休み)なら、なんとかできると思う』と答えました。しかしこれも失敗でした。実際には、夏休みと冬休みは子どもが忙しくて難しい。遠いので宿泊も必要なんですが、その時期は宿も取りにくい。でも、このときの調停の記録が審判にも影響してしまい、後に年3回の面会ということで審判が出てしまいました」

 面会交流が決定したことがきっかけで、夫から、何らかの支払いが行われるようになったのだろうか?

「夫からの婚姻費用は、一向に支払われる様子がありませんでした。しかしそれでも、私は2度目の面会交流に応じました。この面会交流では、弁護士が見つけてくれたDVに詳しい交流支援業者に立ち会ってもらい、子どもたちを守っていただきました。

 私が面会に応じたのは、『北風と太陽』(イソップ寓話)の太陽と同じです。夫を喜ばせることで、夫も譲歩してくるんじゃないかと思ったんです。事実、会わせることで、態度は軟化しましたね。『子どもに会えてうれしいので、婚姻費用を振り込みます』と言って、結局は振り込んでくれましたから。

 問題は子どもの気持ちです。子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できるので、母親が夫を嫌っているというだけの理由で夫に子どもを会わせないというのは、私もひどいと思います。だから私も、子どもたちを説得しようとしているんですが、子どもたちが父親を嫌がっているんですよね……。そんなわけで、3度目の面会は実現していないんです。

 調停の申し立てをしてから2年近く。今月、ようやく離婚が成立しました。安月給ですが、お金には困っていません。婚姻費用と慰謝料も入りましたし、貯えもありますから。それにしても、夫がいない生活は、自由でとても楽しいものですね!

 今後、夫とは金輪際、関わりたくないです。見つかったら、何をされるかわかりませんからね。連絡は弁護士を通じてのみです。そんなわけですので、面会交流は、やらないで済むならしたくないです。そのほうが、私も子どもたちも平穏な日々を送れますから」

西牟田 靖(にしむた やすし
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

初めて殴られたときDVだと気づいた。夫から逃げるためにシェルターへ「別れた夫にわが子を会わせる?」

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)前編

■DVに気づいたとき

「夫のやってることがDVだと気がついたのは、初めて殴られたときでした。『女性を殴るなんてひどい』と思いましたが、その思いを夫に伝えることはできませんでした。怖かったんです。

 しばらくは殴られなかったんですが、半年くらい後に、また殴られました。そのとき私は勇気を出して、『殴るのだけはやめてほしい。今度殴ったら別れる』と夫に言いました。

 それできっぱりやめてくれるのかと思ったら、その通りにはなりませんでした。さらに半年くらい後、また殴られてしまったんです。我慢せず別れればよかったのに、私は別れることはせず、ただ夫に心を閉ざしただけでした。そうして私は、殴る、蹴る、髪を引っぱる、大声で怒鳴る――といった暴力を、半年くらいごとに振るわれ続けたんです」

 倉橋まりさんは、つらい体験の一端を口にした。

「夫と知り合ったのは、私が大学に通っていた頃です。彼は別の大学に通っている人で、頭のいい、優秀な人でした。見た目も格好よかったので、向こうから食事に誘われたときはうれしかった。そのままお付き合いすることになりまして、結局、彼とゴールインいたしました。それぞれ大学を卒業し、就職した後のことです。結婚後、私は家庭に入らず、仕事を続けました。出産後も、職場に復帰して子育てしながら、働き続けたんです。

 振り返ってみると、そういえば結婚生活の初期から、前触れといいますか、DVの兆候がありました。例えば、次のようなことをされたんです。『お前のせいで大変なことになる』と脅されたり、お金(生活費)を少ししか渡されなかったり。長時間説教されたり、『お前は最低だ』と言われたり……。それでも最初は、結婚ってそんなものかと思って我慢していたんです。

 先に申しましたように、初めて手を上げられたとき、夫にやられていることがDVだと理解しました。しかし殴られても、じっと我慢しました。抵抗すればさらに殴られる、ということが予想できたからです」

 暴力を振るわれ続けて、離婚しようという気持ちが高まっていったのだろうか?

「いえ、そうはならなかったです。夫にけなされ続け、自尊心を打ち砕かれてしまっていたからです。『離婚しても、私のような出来の悪い妻では結婚してくれる人はいない。こんな私なのに夫は結婚してくれたのだから、ありがたい』と思っていた。要は洗脳されていたんです。何より夫は稼いでいましたし、浮気もしない。だから私、『子どものためにもと思って、たまに殴られることくらいは我慢すればいい』と自分に言い聞かせていたんです。

 夫は夫で、私が殴られても別れようとしないことから、『こいつは殴っても大丈夫』だと思ったんでしょうね。『なんで殴るの?』と聞いたところ、『おまえしか殴ったことはない。おまえが悪いから殴るんだ』といったことを悪びれずに言われたことがあります。

 では、なぜ離婚したかって? 夫の浮気が発覚したからです。夫は独身と偽って婚活サイトに登録していまして、真面目に婚活している若い女性たちを食い物にしていたんです。人というのは言葉では平気で嘘をつくのですね。夫を人として軽蔑しました。限界でした」

 我慢してでも夫婦関係を維持しよう――。そうした気持ちが彼女の中から消えてしまったのだった。このあと彼女は家を出るという方法で気持ちを表すことになる。

■夫の旅行中に黙って引っ越し

「警察、弁護士(市の無料法律相談で知り合い、そのまま委託)、市役所、行政のDV相談、児童相談所、女性相談センター、小学校、中学校、実家の両親、NPO、民生委員など、別れる直前、あちこち相談に行きました。すべての方が親身に話を聞いてくださったことが何よりうれしかったし、その全員が私の味方になってくれたような心強さがありました。

 具体的なアドバイスを出してくださったのは弁護士さんです。『証拠集めをするように』と言われました。その言葉に従い、写真ですとか領収書ですとか通帳ですとかを、夫が見ていない隙に集めていったんです」

 そうして、倉橋さんは準備を進めてから家を出た。

「夫が旅行に行っている間に、黙って引っ越しました。『とにかく家を出ないことには、DV夫とは離婚の話し合いはできない』とアドバイスされたので。『弁護士と話してください』と書き置きをして。引っ越し先は教えませんでした。

 出ていくとき、『もう無理なので、パパとは別れようと思う、あなたたちは、どちらについていきたいの?』と2人の子どもに尋ねました。すると『ママ』と2人とも即答しまして、それで2人とも連れて行くことにしたんです。そのとき、上の子は中学生で、下の子は小学生でした。

 引っ越し先は、子どもが転校する必要のない、もといた家のすぐ近くでした。転校の説得をする時間がなかったため、子どもにも家出の話はギリギリまで内緒にしていました。相談した人からは、『近所だと、子どもがお父さんに待ち伏せされるからダメだ』と助言されていましたが、私は、『まあ大丈夫だろう』と、甘く考えていたんです。

 案の定、その後が大変でした。夫がストーカーになったからです。実家に連絡されたり、子どもたちを学校帰りに毎日待ち伏せされたりしてしまいました。弁護士から夫に『近づかないように』と警告してもらったんですが、まったく聞く耳を持ってくれませんでした。その挙げ句、夫は子どもを脅して私の住所を聞き出し、『明日ママに会いに行く』と子どもに言ったんです。そう言われて怖かったんでしょう。家に帰ってきて、私に報告してくれたとき、子どもは顔面蒼白でした。

 それを聞いて私、すぐに警察に相談したんです。生活安全課に。すると、親身になって耳を傾けてくれた上に、『今すぐ逃げたほうがいい』とアドバイスされました。さらにはシェルターへと連れて行ってくれました」

(後編へ続く)

初めて殴られたときDVだと気づいた。夫から逃げるためにシェルターへ「別れた夫にわが子を会わせる?」

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)前編

■DVに気づいたとき

「夫のやってることがDVだと気がついたのは、初めて殴られたときでした。『女性を殴るなんてひどい』と思いましたが、その思いを夫に伝えることはできませんでした。怖かったんです。

 しばらくは殴られなかったんですが、半年くらい後に、また殴られました。そのとき私は勇気を出して、『殴るのだけはやめてほしい。今度殴ったら別れる』と夫に言いました。

 それできっぱりやめてくれるのかと思ったら、その通りにはなりませんでした。さらに半年くらい後、また殴られてしまったんです。我慢せず別れればよかったのに、私は別れることはせず、ただ夫に心を閉ざしただけでした。そうして私は、殴る、蹴る、髪を引っぱる、大声で怒鳴る――といった暴力を、半年くらいごとに振るわれ続けたんです」

 倉橋まりさんは、つらい体験の一端を口にした。

「夫と知り合ったのは、私が大学に通っていた頃です。彼は別の大学に通っている人で、頭のいい、優秀な人でした。見た目も格好よかったので、向こうから食事に誘われたときはうれしかった。そのままお付き合いすることになりまして、結局、彼とゴールインいたしました。それぞれ大学を卒業し、就職した後のことです。結婚後、私は家庭に入らず、仕事を続けました。出産後も、職場に復帰して子育てしながら、働き続けたんです。

 振り返ってみると、そういえば結婚生活の初期から、前触れといいますか、DVの兆候がありました。例えば、次のようなことをされたんです。『お前のせいで大変なことになる』と脅されたり、お金(生活費)を少ししか渡されなかったり。長時間説教されたり、『お前は最低だ』と言われたり……。それでも最初は、結婚ってそんなものかと思って我慢していたんです。

 先に申しましたように、初めて手を上げられたとき、夫にやられていることがDVだと理解しました。しかし殴られても、じっと我慢しました。抵抗すればさらに殴られる、ということが予想できたからです」

 暴力を振るわれ続けて、離婚しようという気持ちが高まっていったのだろうか?

「いえ、そうはならなかったです。夫にけなされ続け、自尊心を打ち砕かれてしまっていたからです。『離婚しても、私のような出来の悪い妻では結婚してくれる人はいない。こんな私なのに夫は結婚してくれたのだから、ありがたい』と思っていた。要は洗脳されていたんです。何より夫は稼いでいましたし、浮気もしない。だから私、『子どものためにもと思って、たまに殴られることくらいは我慢すればいい』と自分に言い聞かせていたんです。

 夫は夫で、私が殴られても別れようとしないことから、『こいつは殴っても大丈夫』だと思ったんでしょうね。『なんで殴るの?』と聞いたところ、『おまえしか殴ったことはない。おまえが悪いから殴るんだ』といったことを悪びれずに言われたことがあります。

 では、なぜ離婚したかって? 夫の浮気が発覚したからです。夫は独身と偽って婚活サイトに登録していまして、真面目に婚活している若い女性たちを食い物にしていたんです。人というのは言葉では平気で嘘をつくのですね。夫を人として軽蔑しました。限界でした」

 我慢してでも夫婦関係を維持しよう――。そうした気持ちが彼女の中から消えてしまったのだった。このあと彼女は家を出るという方法で気持ちを表すことになる。

■夫の旅行中に黙って引っ越し

「警察、弁護士(市の無料法律相談で知り合い、そのまま委託)、市役所、行政のDV相談、児童相談所、女性相談センター、小学校、中学校、実家の両親、NPO、民生委員など、別れる直前、あちこち相談に行きました。すべての方が親身に話を聞いてくださったことが何よりうれしかったし、その全員が私の味方になってくれたような心強さがありました。

 具体的なアドバイスを出してくださったのは弁護士さんです。『証拠集めをするように』と言われました。その言葉に従い、写真ですとか領収書ですとか通帳ですとかを、夫が見ていない隙に集めていったんです」

 そうして、倉橋さんは準備を進めてから家を出た。

「夫が旅行に行っている間に、黙って引っ越しました。『とにかく家を出ないことには、DV夫とは離婚の話し合いはできない』とアドバイスされたので。『弁護士と話してください』と書き置きをして。引っ越し先は教えませんでした。

 出ていくとき、『もう無理なので、パパとは別れようと思う、あなたたちは、どちらについていきたいの?』と2人の子どもに尋ねました。すると『ママ』と2人とも即答しまして、それで2人とも連れて行くことにしたんです。そのとき、上の子は中学生で、下の子は小学生でした。

 引っ越し先は、子どもが転校する必要のない、もといた家のすぐ近くでした。転校の説得をする時間がなかったため、子どもにも家出の話はギリギリまで内緒にしていました。相談した人からは、『近所だと、子どもがお父さんに待ち伏せされるからダメだ』と助言されていましたが、私は、『まあ大丈夫だろう』と、甘く考えていたんです。

 案の定、その後が大変でした。夫がストーカーになったからです。実家に連絡されたり、子どもたちを学校帰りに毎日待ち伏せされたりしてしまいました。弁護士から夫に『近づかないように』と警告してもらったんですが、まったく聞く耳を持ってくれませんでした。その挙げ句、夫は子どもを脅して私の住所を聞き出し、『明日ママに会いに行く』と子どもに言ったんです。そう言われて怖かったんでしょう。家に帰ってきて、私に報告してくれたとき、子どもは顔面蒼白でした。

 それを聞いて私、すぐに警察に相談したんです。生活安全課に。すると、親身になって耳を傾けてくれた上に、『今すぐ逃げたほうがいい』とアドバイスされました。さらにはシェルターへと連れて行ってくれました」

(後編へ続く)

泰葉が元夫のDVを告発! 10年前の被害を訴えることは可能?

「ドラマのこのシーンってありえるの?」「バラエティーのあのやり方ってコンプライアンス的にどうなの?」……テレビを見ていて感じた疑問を弁護士に聞いてみる、テレビ好きのための法律相談所。

<今回の番組>
『ワイドナショー』(フジテレビ系/4月30日10時〜)ほか

<今回の疑問>
10年以上前のDV被害を訴えられるのか?

 タレントの泰葉が、4月24日に更新したブログで、元夫の春風亭小朝から過去の結婚生活でDV被害を受けていたことを発表し、『ワイドナショー』(フジテレビ系)で松本人志が泰葉に苦言を呈すなど、話題を呼んでいる。泰葉はブログを通し、「長かった髪を引きづり回され水風呂に投げ込まれました」「階段から突き落とされ肋骨にヒビが入る怪我をした」「三木助と楽しく話をして電話を切ったら嫉妬した小朝が私をかけ布団でぐるぐる巻きにして二階から突き落としました」「私の双極性障害の原因はこの虐待によるもの」と、DVの内容を訴えている。

 泰葉と小朝は2007年に離婚が成立しているが、そもそも過去のDV被害について、数年後に提訴することは可能なのだろうか? アディーレ法律事務所の鳴海裕子弁護士に聞いた。

「まず、泰葉さんのブログの内容から、『暴行・傷害罪』ということを前提にお話しします。ブログのタイトルが『告発』であることから、小朝さんから受けたとされているDVについて、刑事責任を問うべく告訴・告発(刑法208条、204条、刑訴法230条、239条)できるのかという点ですが、DVの典型例である暴行罪の公訴時効期間は3年(刑訴法250条2項6号)、傷害罪は10年です(同条2項3号)ので、この期間内に告訴・告発しなければ刑事責任を問うことはできません。なお、暴行罪や傷害罪は親告罪ではありませんので、告訴がなくても起訴される可能性はあります」

 なお、暴行罪の公訴時効については、「基本的に暴行を受けた時、怪我をした時から進行する」と鳴海弁護士は述べる。

「泰葉さんは、小朝さんのDVのせいで双極性障害という鬱病を発症した(DVによる傷害)と訴えていますが、小朝さんのDVと双極性障害の発症の因果関係が極めて不確かで、証明するのは難しいので、やはり、実際の暴行を受けた時からとなるでしょう。すると、離婚したのが07年ですでに10年前であり、DVは離婚より前に行われていたものと考えるのが自然であるため、すでに公訴時効が完成している、もしくはギリギリ、といえます」

 もし、泰葉が提訴した場合、損害賠償請求(慰謝料請求)は可能なのだろうか?

「泰葉さんが小朝さんから受けたDV被害は、不法行為(民法709条)に該当し、その消滅時効は、損害(怪我)と加害者を知った時から3年とされています(民法724条前段)ので、これも実際の暴行を受けた時から3年で消滅時効が完成してしまいます。よって、泰葉さんは慰謝料も請求できない(正確にいえば、請求しても消滅時効を主張されて消えてしまう)ということになります」

 泰葉は離婚後、小朝に対し「金髪豚野郎」などといった内容の脅迫メールを数百通送っている。今回のブログの件と合わせ、小朝のほうが泰葉に対し、脅迫罪や名誉棄損などで訴えられるのだろうか?

「脅迫罪(刑法222条)・名誉棄損罪(230条)の公訴時効はいずれも3年で(刑訴法250条2項6号)、名誉棄損罪は親告罪であり、犯人を知った日から6か月以内に告訴する必要があります。泰葉さんが小朝さんに数百通のメールを送ったのは離婚から間もなくの時期とのことなので、告訴期間は経過し、公訴時効も完成しています。また、小朝さんが泰葉さんを脅迫や名誉棄損の不法行為で損害賠償請求(慰謝料請求)することも考えられますが、過去の脅迫メール等については3年の消滅時効により請求できなくなってしまっていると思われます。ただ、今回のブログについては、名誉棄損罪に該当する可能性があり、小朝さんが告訴することは可能と思われます。慰謝料請求の余地はあるでしょう」

 泰葉は、小朝からのDVが原因で、双極性障害(鬱病)を発症したと訴えているが、もし、小朝が泰葉を提訴したとして、泰葉に責任能力を問うことはできるのだろうか?

「刑事責任を問うためには責任能力が必要です。刑事責任能力について、刑法は、心神喪失者の行為は罰しないとし、心神耗弱者の行為は減軽するとしています(刑法39条)が、心神喪失や心神耗弱と認定されるケースは非常に稀です。仮に泰葉さんが刑事責任に問われたとしても、泰葉さんの双極性障害は、いわゆる『躁うつ病』と同様の状態を指すようですので、心神喪失や心神耗弱を理由に刑事責任が減免されるというものではありません」

 過去のDV問題を「告発」という形で訴えてきた泰葉だが、逆に泰葉自身が名誉棄損で訴えられてしまう可能性もあるということだ。この騒動に小朝側は沈黙を続けているが、過去の騒動の件からも、関わりたくないのかもしれない。

アディーレ法律事務所

親が離婚した子の「幸せ」とは? わが子に会えない父親の本音と「親子断絶防止法」の意味

 今年2月、歌手の高橋ジョージが『モシモノふたり』(フジテレビ系)で、タレント・三船美佳との離婚後、子どもと会えなくなった父親としての心情を吐露して話題を呼んだ。現在、国会では、未成年の子どもがいる夫婦の離婚に際し、離別した親と子どもの断絶を防ぐ「親子断絶防止法案」が検討されている。子どもの健全な発育のために、親権者による一方的な面会拒否は避けるべきという意見と、DV被害者が危険な状態に置かれてしまうという見方もあり、議論を巻き起こしている。離婚や別居によって親権を失い、子どもと面会ができない父親たちの声を集めたルポタージュ『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)の著者・西牟田靖さんに、このような境遇に置かれた父親たちの現状と問題点について聞いた。

■父親が子育てに参加していても、調停や裁判では母親側が有利

――離婚後、子どもに会えない父親を取材することになったきっかけはなんですか?

西牟田靖さん(以下、西牟田) ちょうど3年前に自分自身が離婚を経験しました。元妻が子どもを連れて実家に帰り、そのまま離婚に至ったのですが、あまりの喪失感でその頃の記憶は曖昧になり、体重が10キロも減少するほど憔悴しました。その様子を見かねた先輩のノンフィクション作家から「共同親権ネットワーク(kネット)」という団体を教えてもらい、当事者たちの交流会に参加しました。そこで自分よりも過酷なケースを知るにつれ、これは社会問題だと気がついたんです。

――18人の父親たちのケースが本書には登場しますが、どのように選んだのですか?

西牟田 自ら立候補してくださった方と、出会った中で特にひどい経験をされた方にお願いした二通りです。「ひどい経験」というのは、父親側からすると非がないように見えるのに、全く面会できないという方です。『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのように、一切れのパンを盗んだだけで投獄されるようなことがあるんです。

――本書には「DV加害者という濡れ衣を着せられた」と主張する方も多く登場しましたが。

西牟田 実際の真相はわかりませんが、本人はその意識がなくとも、語気が鋭いために精神的DVと捉えられてしまったのではと感じる方もいましたし、グレーなのではと感じるケースもありました。一方で、父親が子育てに参加して子どもと良好な関係を築いていても、調停や裁判にもつれ込んだときに弁護士が母親側に有利に進めるために、ちょっとしたことをDVと疑われるケースもあります。

――子どもへの愛情より、「DVの濡れ衣を晴らしたい」「身の潔白を証明したい」「奥さんに一泡吹かせてやりたい」という気持ちが強いのでは、と感じる方もいましたが。

西牟田 それに関しては、離婚調停・裁判の過程の中で、怒りの燃料投下をされて炎が大きくなったのではないでしょうか。お互いの落ち度を指摘し合うのが調停や裁判ですから、泥沼の地獄を経験すると、どうしてもそうなってしまいます。

■面会を求める父親たちは、女性の権利を尊重している方が多い

――調停や裁判は双方の意見を第三者が聞いて、決着させるシステムですよね。

西牟田 そうとも限りません。2016年の離婚件数は21万7,000組。9割は協議離婚といわれていますが、平成27年度の面会交流調停の成立件数だけでも7,654件です。これだけの数をさばくためには、面会は月1回2時間、親権は母親が「相場」であるとパターンが決められていて、それで押し切られてしまうことが多々ある。たとえ子育ての主導が父親だとしても、個々の状況が反映されないことが多いのが現状です。子どもを大切に思う父親ほど、面会が月に2時間だけなんて愕然とします。

――それでも、結婚期間中に浮気をしたり家庭を顧みたりせずに、いざ離婚となって初めて子どもが大事というのは、勝手なんじゃないかと思いますが。それに「妻は料理や家事が下手」「女性は三歩下がるべき」という家父長的な表現も本の中にありました。

西牟田 この18人の旦那さんは家事や育児に熱心で、必ずしも非がある方ばかりではありません。それに、今回はあえてばか正直に表現することで、夫側が考えていることを可視化させる意図もありました。

 実感として、面会を求める父親たちは、女性の権利を尊重している方が多いという印象です。男女平等意識が浸透して、男性の育児参加も増えたからこそ、面会交流を求める人が増加しているのではないでしょうか。女性も子育てより働きたいと考える人もいるし、男性が中心で育児をするという考え方も認められていくでしょう。生き方が多様化していく中で、自動的に母親に親権が付与されている現状は、流れにそぐわないのではないでしょうか。

■当事者の中でも賛否ある「親子断絶防止法案」

――夫婦の合意がないままの「子連れ別居」を実質的に禁止し、離婚後も子どもとの面会交流を原則的に義務づける親子断絶防止法案についてはどう考えていますか?

西牟田 当事者の中でも賛否はあります。可決されれば、共同親権を実現するための一里塚となり得るでしょうが、運用次第では面会が困難になるケースも出てくるだろうし、現在の条文だけ見ても、どれだけ効力があるのが疑問です。ただ、DVに関しては個別に考えるべきです。面会を求める父親全員が暴力を振るうわけではない。そもそもそのこの法案が求めているのは、最初の連れ去りをやめてほしいということなんですね。突然、子どもに会えなくなるのはショックですから。

――最終的には共同親権を実現するべきだと思いますか?

西牟田 父親に暴力的な傾向がある、母親や子どもが折檻されていたケースは個別に考えなくてはなりませんが、現状の単独親権のみというのはあまりにも切ないし、生き方が多様化している時代にそぐわない。そもそも現状の離婚制度そのものが、簡素すぎて悲劇を招いている側面もあります。

 兵庫県明石市が行っている〈子ども養育支援に関する取り組み〉では、子どもの養育に関する合意書などの参考書式を離婚届に挟んで配布し、相談体制の充実やネットワーク会議を立ち上げて関係機関との連携を図るなど、自治体が積極的に動いています。協議離婚でも養育費、面会などの取り決めを促したり、母親が元夫に顔を会わせるのが嫌でも第三者が介入して面会させたり、自治体が踏み込む余地はあると思います。

――子どものメンタルが不安定になるから、父親に面会させない母親もいます。

西牟田 父親と面会することで母親の機嫌が悪くなることを心配したり、両親のいさかいを思い出して不安定になったりすることはあるでしょうね。でも、長い目で見ると、子ども自身が自分のルーツを知ることができるし、こんなにも愛してくれる人がいると実感できれば、自己肯定感が高まる場合もある。長期間、調停をしてまで面会したい人は愛情を持っている人が大多数なので、子どものためにも会わせてもいいのでは。ただし、子どもに全く会おうとしない人のケースは別です。

■労働環境の改善を含め、複合的な問題

――現状、父親側に子どもに会うためのオプションが少なすぎるのが問題ということでしょうか?

西牟田 家族形態が多様化する中で、離婚後の制度設計が追いついていないことで悲劇が生まれている側面があります。父親の育児参加が浸透する一方で、単身赴任や長時間労働など男性は「働く存在」であることが前提となっている企業も根強く存在する。労働環境の改善を含め、複合的な問題です。今後、別れた親も子育てに参加したい、子どもに会いたい親たちの声はますます大きくなるでしょう。それに応じて社会の仕組みも変化せざるを得ないでしょう。

――今後、女性側の意見を取材する予定はありますか?

西牟田 女性側を取材するなら、今回登場した18人の元奥さんに取材するのが筋なんですが、実際は守秘義務もありますし、僕が元奥さん側に連絡したことで面会が遮断されるのが一番怖い。それにシングルマザーに関する書籍もたくさんあるのに、いまさら自分がやる必要もないのかと思っていましたが、女性側にも取材すべきとの声もいただくので、なぜ会わせないのか、面会させてどんなひどい目にあったのか、母親側、子ども側のメンタルの変化を追う取材ができればと思っています。
(松田松口)

「DV加害者は自分が被害者という意識」愛しているはずの人に暴力を振るってしまう心理とは?

<p> 俳優のジョニー・デップが妻である女優アンバー・ハードからDV被害を訴えられ、泥沼離婚劇を繰り広げているが、日本でも先月、俳優の真木蔵人が交際相手の女性に暴力を振るい、ケガを負わせたとして逮捕された。また、4月には俳優の伊勢谷友介も、モデル・森星との交際発覚を機に過去の交際女性へのDV疑惑が週刊誌に掲載されるなど、ここのところ有名人のDV報道が続いている。愛しているはずの人になぜ手をあげてしまうのか。DV加害者への更生プログラムを実施しているNPO法人 女性・人権支援センター ステップの栗原加代美理事長に話を聞いた。</p>

斉藤和巳&スザンヌ夫妻が危ない!? 不可解な「DV説」「離婚説」急浮上のワケ

suzannu02.jpg
バラエティではノロケまくりだけど……

 2011年に結婚した福岡ソフトバンクホークスコーチ・斉藤和巳とスザンヌ夫妻に、業界内で“離婚説”が浮上しているという。

「6月中旬頃から、『スザンヌが離婚するのでは』という情報が各所に流れました。『所属事務所が発表の時期を調整中』『原因は夫のDV』といったもので、ワイドショーや週刊誌の関係者も裏取りに走っていたようです。しかし、いつまでたってもこの一件が報道される気配は一切ありません」(スポーツ紙記者)

 スザンヌは11年12月、かねてから交際していた斉藤と入籍。しかし斉藤はバツイチで、結婚当時から前妻との離婚をめぐる確執が報じられてきた。

「西山茉希の新恋人は三浦春馬」飛び交う交際情報の真相

nishiyama.jpg
『西山茉希 ファースト写真集』(gr
ound)

 今年1月に早乙女太一との破局を報じられ、自らも公の場で“おひとり様宣言”していた西山茉希だったが、5日発売の「女性自身」(光文社)で早乙女との連日デートを報じられた。西山の自宅に車で迎えに行く早乙女の様子や、映画館デート、さらには早乙女の自宅マンションから仕事場へ向かう西山の姿も詳報されている。

 若干20歳の舞台役者と6歳年上の人気モデルという、微笑ましいカップルの誕生には注目が集まっていたが、昨年5月、同じく「女性自身」が伝えた早乙女の「路上DV」報道で、世間のイメージは失墜。激高した早乙女が西山をガードレールに叩きつけるという、衝撃写真が掲載されたのだった。

「この報道後、早乙女は即座に謝罪会見を行い、結局交際はそのまま継続されました。破局報道が出る直前も、2人が仲睦まじく舞台を観劇に訪れている様子も目撃されていました」(芸能プロ関係者)

スザンヌは露出減、斉藤和巳は引退間近! ジリ貧夫妻の台所事情

suzannu.jpg
『スザンヌ フォトブック「22」』
/講談社

 2011年12月、福岡ソフトバンクホークスの斉藤和巳3軍リハビリ担当コーチと結婚した、タレントのスザンヌ。売れっ子だった頃に比べ、ここ最近はとんと露出が減ってしまったが、夫である斉藤もケガの影響で「いつまで現役を続けられるか……」といわれているという。そんな斉藤・スザンヌ“ジリ貧”夫妻の台所事情に迫った。

 『クイズ!ヘキサゴンⅡ』(フジテレビ系)で、おバカキャラとして大ブレイクしたのは、今から6年ほど前のこと。「おかげで知名度はあるので、営業のギャラも1回80万円と高額です。同性に人気があるのが、彼女の強みともいえるでしょう」(広告代理店関係者)という。

「結婚してから、福岡と東京の二重生活が続いています。夫である斉藤は、基本的に福岡から出ないので、スザンヌは仕事に合わせて週の半分福岡へ通っているといいます。しかし、現在は東京での仕事が大分減っているようなんです」(在福テレビ局関係者)