時事問題や普遍的テーマをジェンダーの観点から説く作家であり、女性のためのセックストーイショップの経営者でもある北原みのりさんと、元外交官のキャリアを生かして国内外の政治、社会について考察し、メディアで発信し続ける作家・佐藤優さん。ふたりが“性”の視点から国家を考え、論を交わした『性と国家』(河出書房新社)が発売された。12月下旬、同書の発売を記念して行われた北原、佐藤両氏によるトークイベントをレポートする。
■フェミニズム、売買春の是非、AVをめぐる知の格闘
同書は、両氏に共通する「逮捕経験」がきっかけで生まれた。佐藤さんは2002年に逮捕、起訴される。512日間に及ぶ勾留体験をまとめた『獄中記』(岩波書店)に「これからはフェミニズムだ」といった内容が記されていることに、北原さんは惹かれた。また、佐藤さんは14年に北原さんが自身のショップに女性器をモチーフとした作品を展示したことで逮捕された後の対応と、それに対する世間からのバッシングに、彼女の「闘い方」を見る。
「逮捕されたとき、ブラジルかニカラグア、ベネズエラに逃げればよかったのに。これらの国は犯罪者でも引き渡さないから(笑)」という佐藤さんの冗談から始まったトークは1時間半に及んだ。同書の内容をさらにふくらませながらも、アカデミズムというそもそもマッチョな世界でフェミニズムを学ぶ難しさから、売買春の是非、昨今大きな注目を集めるAVの出演強要問題、一夫一婦制……などテーマが複合的に交錯し、知の格闘が披露された。
ここでは来場者から寄せられた質問と、両氏の回答を紹介したい。いずれも私たちの“性”が国家によっていかに管理され、不自由を強いられているかがわかる内容だったからだ。ちなみに、どちらの質問も男性からのものである。
■マッチョというのは小さな声を潰していく力
ーーフェミニズムを勉強したことがなく、この本を皮切りに学びたいと思いました。この世界がマッチョ(男性優位的)であることについて知りたいとき、どういう本を読めばいいのでしょう?
佐藤 フェミニズムは教科書を読めばわかる形の“知”ではないんですよ。私の解釈では、根っこにあるのは“男のほうが筋力が強い”ということ。その筋力の差が、社会システム全体に埋め込まれている。しかもそれは固定のものではなく、時代や状況に合わせて常に変化していくがゆえに、なかなか気づかない。これを知るには、いい小説、映画に触れることです。マッチョな人がいない作品ではなく、むしろマッチョなるものが描かれた作品。たとえば角田光代さんの『八日目の蝉』(中央公論新社)。出てくるのは弱い男、無責任な男、不要な男……そんなのばかりで、生殖を別にして考えると、男がいることによってこの社会は男も女も誰も幸せにならないことがわかります。映画も小説も、マッチョであることの究極の無責任さを突きつけてきますよ。
北原 私は、笙野頼子さんの『ひょうすべの国―植民人喰い条約』(河出書房新社)をおすすめします。この小説は、マッチョというのは小さな声を潰していく力だということを教えてくれます。ひょうすべとは妖怪の名ですが、作中では“NPOひょうげんがすべて”の略なんです。暴力もレイプも表現の自由とするマッチョな力と、それによって傷つき苦しむ女性たちを嘲笑する流れ……いまの日本をこうしたものが支配していることが、よく理解できる1冊です。
佐藤 あとは、北原さんが書いたものを、時系列に沿って読んでいくのがいいんじゃないかな。『フェミの嫌われ方』(新水社)ぐらいまでさかのぼって。
■個人の生活、生き方に国家が介入するのは危険
ーー大学でフェミニズムの授業をとったとき、「中絶は女性の権利である」と強調されたが、生まれてくる生命に対する切り捨てのように感じて違和感を覚えました。それについてどう思われますか?
北原 生殖の問題は、フェミニズムにおいても一大テーマです。女たちは産む産まないを自分で決めることができず、生涯ずっと産むしかない時代が何千年も続いてきました。だから20世紀になってウーマンリブやフェミニズムの観点から「産む産まないは、自分が決める」という考えが出てきたとき、どれだけ多くの女の人たちを動かしたか、それによって自分の人生を手に入れられた人がどれだけいたか……と考えると“中絶する権利”という言葉で簡単にまとめられるような話ではないと私は思います。
もちろん命の問題については、今後もあきらめずに言葉を尽くして考えていくべきことですが、現在は国が「中絶するな」「どんどん産んでください」と推し進めているところですよね。いつの時代においても、女の身体は国家に利用されてきて、生殖はその最たるもの。男性と女性とでは、そのことで感じる恐怖や身体感覚の度合いが、まったく違うのではないでしょうか。
佐藤 いまの政府が、少子高齢化対策としてできるだけ多くの子どもを産むことを奨励しているという文脈の中で、私は意図的に「産まない自由」を強調していきたい。産まない自由が担保されたうえで、少子高齢化を考えなければいけないということです。個人の生活、生き方に国家が介入するのは危険です。ひとりひとりの生殖に国家が口を出して、しかも生殖によって経済的利益を得られるというやり方は、私は国家の過剰介入だと見ています。
同書のイシューは沖縄、慰安婦、戦争、性売買、性暴力など多岐にわたっているが、上記で紹介したように、生殖をはじめとする私たちの身近にある問題ともつながっている。子育てや介護はなぜ女性の仕事とされるのか、街を歩いているだけで目に入ってくる児童ポルノ的な表現を異常と思うほうがおかしいのか、なぜドラマやCMなどを通じて女性蔑視的な視点に出くわさなければいけないのか……この違和感や不自由はすべて“国家”と切り離せないのだと気づかずにはいられない1冊である。
(三浦ゆえ)