
撮影=後藤秀二
ずん・飯尾和樹とは、稀代のギャグメイカーであり大喜利テクニシャンでもある。振られたトークは必ずヒットで打ち返す。フェイスも愉快。それなのに、なぜか大ブレイクすることなく、今年で芸歴22年。しかし、昨年あたりからじわじわと世間が飯尾熱を帯びだしたことに、アナタはお気づきだろうか。中堅ベテラン芸人ブームの一角を担う存在でありながら、どこか正体不明。今一番気になる芸人、飯尾和樹の魅力をどこよりも早く、かつ濃密に解き明かす!
――2012年からの怒涛の「飯尾フィーバー」に対して、ご自身はどう思われていますか?
飯尾和樹(以下、飯尾) いやいやいやいや、そんなことはないですよ。
――芸人界でも非常にミステリアスな存在である飯尾さんが普段どんなことを考えているのかを、今日はぜひともお伺いしたいと。
飯尾 まったくもって普通ですよ……住むんだったら、日当たりのいいところがいいとか。
――(笑)。では、飯尾さん的に2012年はどんな年でしたか?
飯尾 そうですね。確かに、Suicaのチャージがすぐなくなりました……以前は1000円チャージしておけば、4日、ヘタしたら1週間はもっていたのに。強気に5000円チャージしてその日になくすっていう経験もしまして。人間、調子ぶっこいちゃいけませんね。
――テレビで見る機会が増えてファンとしてはうれしい限りですが、果たしてなぜ今「飯尾」なのかと。
飯尾 だいたい相方とネタを作るにしたって、今こういうのがウケるとか、こういうのがキテるとか、まったく分からないんですよ。俺たちの場合は、40過ぎのオヤジが笑い合ったものを客に見せるというシステム。それもずっと変わっていないので、本当にどうしてですかね?
――そもそも、芸人を目指されたきっかけとは?
飯尾 うちの両親が『男はつらいよ』が大好きでして、いつも家族で見に行ってましたねぇ。あぁこんな感じで、旅芸人かなんかになれたらいいなぁと。甘い考えで。でも実際に芸人になるにはどうしたらいいのか、よく分からなかったんですよ。
――どうやって浅井企画に?
飯尾 それはですね、地元の先輩が就職して、五反田エリアの営業担当になったんですね。その時に「飯尾、浅井企画って事務所が五反田にあるぞ」って電話番号を教えてくれて。で、電話をかけたら「一回、顔見せにこい」って言われたんです。ちょうど事務所が「若い子たちを使って喜劇をしたい」と考えていたようでして。
――タイミング良かったですね!
飯尾 そうなんですよ。で、「お前のちょっと前に、飛び込みで来たやつがいる」って紹介されたのがウド(鈴木)でした。ウドは電話もせず突然事務所にやって来て、「あの~ぼく~」って(笑)。スタッフも驚いて「こういうのは、ちゃんとアポを取って……」と説明したら「ハイ! 分かりました!」って事務所を飛び出して、下の公衆電話から「あの、わたくし、先ほどの」ってかけてきたらしいです(笑)。その1年後くらいに、天野(ひろゆき)が来ました。
――ウドさんとコンビを組もうとは考えなかったんですか?
飯尾 それは思わなかったなぁ。ボケ同士で、ぶつかっちゃうからじゃないですか。僕は最初、幼なじみと組んでいたんですけどダメで、それから「La.おかき」を5年やってダメで、それでやすと組んだんです。キャイ~ンはね、早かったですよ。結成してもう3年後くらいには『いいとも!』に出てましたからね。

――同期のブレイクを、飯尾さんはどんな気持ちで見ていたんですか?
飯尾 とにかく「いっせーのせ!」って、同じ条件でやるわけじゃないですか。条件一緒なんだから、文句のつけようもない。あいつらスゲーな、面白いなって。本当はもっと悔しがったりするべきでしょうね(笑)。ただ、最初にブレイクしてくれたおかげで、いい人ばっかり紹介してもらえました。気の合うスタッフとのご飯に、俺たちを呼んでくれたりして。キャイ~ンがね、俺たちの前に転がっている砂利を全部取り除いてくれたようなもんです。それなのに、俺たちは自分で足ひねってた。なんでこんな真っ平な道で……(笑)。今までそうやって大チャンスを何回逃してきたことか!
――チャンスをモノにできなかった原因とは?
飯尾 昔から、どうしようもなく気が小さいんです。2回連続してスベると、もう固まっちゃう。「La.おかき」を解散して「ずん」を組むまでの2年間は、それこそ出られるのはキャイ~ンのラジオぐらい。でも、そこで気づいたんですよ。あの二人だって、会話の全部がスタッフたちにウケているわけじゃない。だけど、果敢にいくんですよね。それを見て「この世界で生きていくなら、スベったっていくしかないんだ」ということを知ったんです。スベってショックを受けるっていう神経を捨てなきゃいけないと。もちろん、ウドや天野は2回言って伝わらなくても、3回目にはすごい笑いにしますけど。ピンでいた2年間で、それを叩き込まれました。
そう、キャイ~ンがガーッといっていた当時、僕からしたら芸人として理想のコースを歩んでいるようにしか見えなかったんですが、でも、会うとちょっとため息ついてたりするんです。楽しいは楽しいけど、やっぱりやりたいことの2割くらいしかできないって。え? そうなの? この世界は、実力が認められたら、やりたいことなんでもやれるんじゃないの? と。そこには、時間帯の問題とか表現方法とかいろいろあるんですよね。でも、「その2割で思いっきり楽しむんだ」ってあの二人が言っているのを聞いて、あぁ上に行ったら行ったで、そんな悩みがあるんだと。それに比べたら、俺の悩みはなんてちっぽけな。「ぱっくりピスタチオ」が30人の前でスベっている自分を悩んでる場合じゃねぇだろと(笑)。
――売れた後も大変ということを知ってしまうと、芸人としてのモチベーションを保つのが難しそうですが。
飯尾 僕の場合は、誰かに「やってください」って言われてやってるわけじゃないから(笑)、モチベーションとか考えたことはないですね。だって、すごい大物の方がパッと引退したって、2~3カ月したらもう代わりの人が出てくる世界ですよ。代わりなんて本当はいないんだけど、それでも普通にテレビは回っていく。そう考えると、もう「好き」以外の理由はないんじゃないですかね。
――芸人を辞めようと思ったことは?
飯尾 ピンになった2年間ですね。でも「あぁ無理かな~」って思ってる時に限って、天野やウド、関根(勤)さんや小堺(一機)さんが笑ってくれる。あの方々に「いやぁ面白いね~」って言われると、「一線で活躍している人たちがそう言ってくれるんだから、もしかしたらまだイケるか?」つって。なんて言うんですかね、痛み止め打ちながらやってきたというか(笑)。いやぁ、勘違いって大事!
――その「痛み止め感」は、“現実逃避シリーズ”にも表現されているような。
飯尾 「なんでも10円で買えたらな~」とか、3~4年前に本気で言っていたことですから(笑)。「ビル・ゲイツの1万円って、俺たちでいう何円か」「1円くらいなんじゃねーか」とか。ちょっとアブナイくそジジイたちですよ。現実逃避しながら粘ってましたね。30過ぎて続けるのって、もうそれしかない。

――飯尾さんを語る上で外せないのが「大喜利」だと思いますが、大喜利力はどうやって鍛えてきたのですか?
飯尾 僕に大喜利を教えてくれたのは『内P』でした。あの番組はスベってもなんでも、すべて笑いにしてくれて。内村(光良)さん、さまぁ~ずさん、TIMさん、ふかわ(りょう)くん……終わってから、必ず飲みに行くんですよ。その時に「あの答えは良かった」とか「あれはもっとこうすれば」とかアドバイスもらって、まるで塾に行っているようでした。ギャラもらってるのに。だいたい遅いんですよね、俺は。芸人になって2~3年で習得するべきことを、30から学んでいたとは。
――しかし、その成果が『ダイナマイト関西』、さらに『IPPONグランプリ』へと続くと。
飯尾 両番組には、本当に助けていただきました。去年『IPPONグランプリ』に出た時は、それはもう緊張で、ガクガクで。やっぱり俺は一人じゃダメなんだなって思った瞬間でもあったんですけど、ステージに出ていく時にですね、自分はメンバーの中の最後から二番目、ラストは(千原)ジュニアくん。そこでジュニアくんがいきなり「飯尾さんって、おいくつなんですか?」って。え? 今それ!? 「あ、よ、43」って言いながら出て行きました。でも、そのおかげで緊張がほぐれた。始まったら始まったで、右のジュニアくん、左の小籔(千豊)くんが、俺のボケを両サイドでツッコんでくれるんですよ。新喜劇の座長と稀代のトークマシンがですよ? そうしたらノッていくじゃないですか。あれはねぇ、もう事務所を挙げてお礼に行かなきゃいけないお二人です。バームクーヘンの一つでも持って。
――点数を競う番組でありながら、そんな一体感が。
飯尾 僕より5歳も6歳も年下なのに、やっぱりこう自分の城を持てる人たちというか、すべて笑いにするっていう責任感、愛情があるんです。もう、ここの家の子になりたいって思いましたもん。どっか部屋空いてませんか? 多少日当たり悪くてもいいですからと。
――飯尾さん自身が城を持ちたいとは?
飯尾 やっぱり城を持つ人というのは、ボケがウケた時にそれにカブせてもっと大きな笑いにする時よりも、スベった時にどう笑いに変えていくかっていう、その力がすごいんです。緊急オペの時にどれだけの実力を発揮できるか、ですね。俺なんかもう、ぐっちゃぐちゃの状態で運ばれてきますから(笑)。面白い要素がイマイチお客さんに伝わっていない時に、松本(人志)さんが一言添えるだけでドーンとウケるじゃないですか。あのニンニク注射! 僕には、あんなことできません。「あ~」って言いながら一緒に溺れちゃう。だから、いつも若手に「MCさんにはどっぷり甘えろ」って言うんです。関根さんや小堺さんみたいに、ボケをひとりで処理できるような人はまれだと。最初は甘えて甘えていったほうがいい。気持ち悪いですけどね、40過ぎて「甘えよう」って決心した芸人も(笑)。でも、結局、今までいろんな芸人さんに甘えてきたなって。周りの人に助けてもらって。
――しかし、正直レギュラーがないって不安ではないですか?
飯尾 以前、出川(哲朗)さんに「僕、関根さんのラジオ以外レギュラーがないんですけど」って相談したことがあったんです。そうしたら隊長……あ、僕らは出川さんを“隊長”って呼んでるんですけど、隊長が「あ~飯尾くん、僕が何年レギュラーなしでやってると思ってんの! だいじょぶ、だいじょぶ。そのほうが動けるからァ」って。そうか、確かにそのほうが動けるよな、と。僕は何か新しい仕事が入ったら、まず隊長に相談します。『IPPON』の時もそうです。出川さんはお酒飲まないんで、俺たちだけ散々飲ませてもらい、最後は家のそばまで愛車のポルシェで送ってくれましてね。降りる時に「隊長、行ってきます、『IPPON』」って言ったら、「あ~飯尾くん、『IPPON』グランプリは人生を変えると思うから、全力で!!」って。

――隊長カッコイイ!!
飯尾 何かあると、すぐメールをくれますし。「あ~飯尾君、よかったね、ハネたらしいね。スタッフから聞いたよ~」とか。「あ~飯尾君、MCのあの方はスカしたらダメだよ。全力でぶつかってって」とか。額の横で中指立てながら話してくれるのもシュールなんですよ(笑)。
――昨年は、やすさんの事故という大きな出来事もありました。あの事故を経て、コンビとしての気持ちに変化はありましたか?
飯尾 そうですね。作戦というか、こういう感じでいったほうがいいのかなっていうのを話すのもやすですし、お前の言う通りにやったらスベったじゃねーかって責めるのもやすですし(笑)。先輩方にも「ああいうことがあったから、気合が入ったんじゃないか?」って言われましたけど、よく考えてみたら、相方があそこまでにならないと気合入んないようじゃダメですよね。最初から、あの気持ちでやってりゃよかったのに(笑)。でも、こういうふうに笑えるようになってよかった、本当に。
――今回のインタビューで、飯尾さんの天性の人たらし力を確信しました(笑)。しかも、そのほんわかムードの中に「毒」もあるから油断できません。
飯尾 それ、以前(さまぁ~ずの)三村(マサカズ)さんに言われたことあります。「お前のギャグには毒入っているよな」と。
――でも、誰も傷つけない毒なんです。
飯尾 もうそれは単なる独り言ですね(笑)。浅井企画という事務所自体に、ギラギラ感というか、他人を蹴落としてでものし上がっていくぜ! というような風潮がなくて。そこには「結局は自分」っていう気持ちがあるからかもしれませんが。
――すべては自分次第であると。
飯尾 そう、“対誰か”じゃなくて。「負けたくない」という気持ちは、起爆剤的なものであればいいんですけど、でも「あいつより上に行きたい」とかは違うような気がしてまして、お笑いの世界では。やすと俺は一番笑ってるって言われますもん、お客さんと一緒に。
――最後に2013年パーフェクト飯尾イヤーに向け、何か野望があれば。
飯尾 そうですね。まぁ、本当に、オヤジが好きなことやってますんで、一つ温かい目でよろしくお願いします(ぺっこり)。あと野望……月二回はキャイ~ンと仕事したいなぁ。キャイ~ンや浅井企画の芸人たちと一緒に仕事したいです。みんなで飯食い行って、ネタ作ったり。
――『内さま』みたいな感じですか?
飯尾 いいですね~。やりたいですね本当に。私たちとしては、勇気のあるディレクター様大募集ということで(笑)。とりあえず3カ月、私たちに賭けてみませんか? 衣装はもちろん自前で大丈夫です!!
(取材・文=西澤千央)
●いいお・かずき
1968年、東京生まれ。91年デビュー。もともとは村山ひとし(現放送作家・演出家)と「La.おかき」というコンビ名で活動していたが、解散後、やすと2000年に「ずん」を結成し現在に至る。ボケ担当。