高次脳機能障害と生きる音楽家・GOMAの覚悟「“紙一重でつながった”僕が果たすべき役割」

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撮影=尾藤能暢
 2009年11月、首都高で追突事故に遭い、記憶障害や身体のまひなどの症状に見舞われる高次脳機能障害を負ったディジュリドゥ奏者のGOMA。過去10年ほどの記憶を失い、一時は復帰が絶望視された彼が、リハビリを経て再びステージに立つまでの姿を描いた映画『フラッシュバックメモリーズ 3D』(松江哲明監督)は、12年の「第25回東京国際映画祭」で観客賞を受賞し、各所で話題となった。  現在も記憶障害などの後遺症を抱えているGOMAだが、事故から約6年9カ月がたった8月、『失った記憶 ひかりはじめた僕の世界 ―高次脳機能障害と生きるディジュリドゥ奏者の軌跡』(中央法規出版)を上梓した。前回のインタビュー(参照記事)から3年半、その後のGOMAに迫るべく彼を訪ねると、以前と変わらず、穏やかな表情で迎えてくれた。 ――昨日のフジロックはいかがでしたか?(※インタビューは、フジロック出演の翌日) GOMA 最高でしたね。ゆるくって、気持ちよかったです。 ――現在の記憶の状態は、どれくらいなんでしょうか? 事故直後は、5分、10分前の記憶も消えていく状態で、3年半前は「1カ月は持たないけれど、1週間くらいなら、だいたい覚えていられる」と、おっしゃっていましたが。 GOMA やっぱりインパクトが強いことは、残りますね。ただ時間軸がバラバラなので、どれくらいの期間とか、そういう正確なものはわからない。けれど、日記や写真、メモなどの「外部装置」が頼りになるっていうのがわかったから、だいぶ心強くなりましたね。以前は、そういうものを見るってことも忘れているくらいでしたから。それに、最近やっと“身体の記憶”のスイッチの入れ方のコツがつかめてきたのが大きいですね。 ――今回の本は、映画の話と並行して進んでいたんですか? GOMA いえ。吉祥寺のバウスシアターでやった爆音映画祭に、担当編集の方が来てくれたのがきっかけですね。リハビリをしていく中で、同じ体験をして、社会復帰している人の体験について書かれた本を読んで、すごく勇気をもらったんです。高次脳機能障害になって社会復帰できている人って、実はすごく少ないんですよ。だから、僕もそういうもの(作品)を残したいなと、ずっと思っていたんです。今はまだ葛藤の途中だけど、とりあえず第1弾として、この段階で世に出したいなって。 ――どちらかというと専門書色が強い中央法規出版から出版されたのには、理由があるんですか? GOMA いくつかほかの出版社からもお話は頂いたんですが、一番読んでもらいたいのは同じ症状を抱える方。中央法規さんは全国の医療・福祉現場とつながりがあるから、そこにきちんと届けられるかなって。
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――本書は主に、事故から約3年分(12年11月23日まで)の日記がまとめられています。あらためて読み返してみて、どうですか? GOMA その時々で思っていることをそのまま書いているので、前後のつながりがおかしかったり、日増しにかみ合わなくなったりで、まとめるのに2年半もかかってしまいました。あらためて、自分の記憶はまだちゃんとつながっていないんだな、ということを再認識しましたね。 ――最初の3年に絞ったのは、なぜでしょう? GOMA 3年くらいたった時に、リハビリで脳が一段階クリアしたという感じがあって。で、お医者さんに聞いたら、やっぱり3年くらいでそうなる人が多いらしいです。3の倍数くらいで、ひとつ大きな進化があるって。 ――映画『フラッシュバックメモリーズ』では、事故に負けず、見事復活を果たした“アーティストGOMA”のかっこよさが前面に押し出されていましたが、本書では、実は2度交通事故に遭っていたこと、妻の流産、金銭的な問題、そして怒りのコントロールがつかなくなる“デンジャラスGOMA”など、映画ではあまり触れられていなかったネガティブな部分についても、あけすけに記されています。 GOMA 映画の上映後「もうちょっと状況が知りたかった」という意見を多く頂いたんです。松江監督は音楽ありきで作ってくれたから、本は言葉で説明するいい機会だなって。だから、両方見てもらったら、より僕の状況をわかってもらえるんじゃないかと思います。 ――映画もそうでしたが、本書では途中途中に妻・純恵さんの日記が差し込まれています。読者は、脳障害患者を抱えたご家族の視点からもGOMAさんの状況を知ることができますが、家族の日記を読むというのは、なかなかないことですよね。 GOMA 正直、グサッと突き刺さるようなものは、やっぱりありましたね。同じ家で同じ時間を過ごしているはずだけど、やっぱり僕と妻ではとらえ方が違うし、こんなこと考えていたんだなとか、こんなことがあるんだとか。でも、妻とは学生時代から一緒にいるので、いち早く僕の異変に気づいてくれたし、日々サポートしてくれて、本当に感謝しています。 ――日本では高次脳機能障害に対する診断基準があいまいで、GOMAさんもさまざまな病院で何十もの検査を受け、最終的に高次脳機能障害だと診断されるまでに半年もかかりました。現在、日本にはこの障害を抱える人は約50万人いると推定されていますが、障害が目には見えづらいため、日常生活で苦労されている方も多いそうですね。 GOMA 徐々に社会的な認識が高まってきているようですが、まだまだ十分ではないですね。ちゃんとしたお医者さんに診てもらえるかどうかが鍵になる。大げさに言ったら、皮膚の病気なのに眼科行ってるとか、皮膚がただれているのに「目が悪いから、そう見えるだけ」と言われているようなもんですからね。こういう症状が出たらこういう病院に行ったほうがいい、というガイドラインを周知させる必要があるのではないかと思います。高次脳機能障害について書かれている病院やリハビリセンターのHPもありますが、もっと簡単にわかるものが欲しいですね。
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――ほかの患者さんに比べて、GOMAさんの回復は早いほうなんですか? GOMA ほかの患者さんと比べたことがないからわからないけど、「どうやってリハビリしてきたんですか?」とは、よく聞かれますね。やっぱり、自分が何げなく始めた絵を描くことだったり、音楽だったり、そういう芸事にはポテンシャルを引き上げるような効果があっただろうし、あとは家族が早く気づいて病院に連れていってくれたこと。それと、とにかく身体を動かすことも大切です。ヨガとかサーフィン、 ランニングがよかったみたいですね。 ――高次脳機能障害を抱える人にとって、「身体の記憶」というのは、やはりキーワードになるのでしょうか? GOMA はい、そういえると思います。ただ、脳がこうなってしまってからやりだすのはかなりハードルが高い。だから、そうなる前の予防策として、普通の人も脳を活性化させておく必要があるんじゃないかな。これは認知症とか、脳障害全般にいえることだと思いますね。それに今後、高次脳機能障害を抱える人は確実に増えていきます。医療の進歩に伴い、これまでは亡くなっていた人が、障害を抱えながらも生き延びることができるようになっていますから。 ――本の発売に合わせて、東京と大阪でライブも予定されていますが、「事故にサヨナラ」というタイトルには、どんな意味が込められているんですか? GOMA もう事故に関することを、全部出し切りたかったんです。事故後、自分の新作がなかなか作れない中、映画は自分が関われた作品の1発目で、それを世に出すことで心が軽くなった気がしました。やる前はすごく悩んで、障害を抱えていることを公表していいのか悪いのか、わからなかった。実際、障害のことを知って離れていってしまった人もいましたし。でも、だからって、それを隠しながら生きるのは違うと思ったんです。そこに未来が見えなかった。もうひとつ考えたのは、誰も知らないところに行って暮らすということ。でも、それもそれで、何もせずに、ただ死を待つのも違うと思った。結局、みんな最後は死ぬんだから、その中で自分ができること、与えられた役割を全うしたい。何かにおびえながら生きるなんて嫌だって。なら、自分ができることを全部やらなきゃいけない。ただ、無理しすぎるとダメだから、失敗しながらなんとかやってます。 ――映画や個展のほかにも、精力的にライブをこなし、新曲にもチャレンジされています。身体の記憶の使い方がわかって、音楽に対する向き合い方は変わってきていますか? GOMA そうですね、今までは事故前に自分が作ってきた世界を必死に追いかけてきたんです。ライブをやるってなったら、前の自分の曲を何度も聴いて、そこで使えるものを持ち帰って、次のスタジオまでひたすら練習しての繰り返し……。結局、いま僕ができることは、事故前の焼き増しでしかないんです。でも最近、それも違うかなって思っていて、今の自分の脳でできる、何か新しいものを作りたいという気持ちはあります。ただ、普通の人のように頭で考えたことをすっとやって、それを覚えて、ってできるものではないから、ものすごく時間がかかる。今の脳は前より視覚的な要素が強くなっているので、耳から入ったものはすぐに抜けてしまうんです。どんどんやりたい気持ちがある半面、生活の中にそれをどう組み込めばいいのか、どういうやり方がベストなのか、その方程式が、音楽についてはまだ見つかっていないんです。でも、絶対に何かあるはずなんです。今はそれを模索中ですね。
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――これまでの音楽活動とは少し違う挑戦として、ディジュリドゥ教室もスタートされましたね。 GOMA 事故後、自分の持っている技術や世界観を、次の世代に残したいなという思いが強くなってきたんです。ピアノやギターのように、ドレミがあってコードがあったら楽譜を見てそれを教えればいいけど、ディジュは口承文化。アボリジニは文字を持たない民族なので、今まで何千年もの間、口だけで次の世代に伝えられている。事故がなかったら、そういう気持ちにはならなかったかもしれませんね。 ――今後、音楽以外に、何かやってみたいことはありますか? GOMA 映画、個展、本を融合させることですかね。今ちょっとずつ、個展でライブをしたり、映画を上映したりしているんですが、そうすると、お客さんへの届き方が違う気がするんです。映画に出てくる絵が目の前に展示されていたり、流れていた音楽が生で演奏される――。ちょっとしたインスタレーション、立体作品になって、次元が広がるんです。  今年の初めにオーストラリアで個展をしたんですが、その時に現地の医療関係者が来てくれて、僕みたいな“新人類”が、世界中にたくさんいることもわかった。脳はお医者さんでも未知数なところが多いし、まだまだ僕にできることはあると思うんです。高次脳機能障害については、国境も人種も関係ない。その中で自分は紙一重でつながって、また社会に戻ってこられた人間のひとりとして、メッセージを出していかなきゃいけない。僕の記憶には残らなくても、誰かの記憶に残る生き方をしたい。今回の本は、初めて“言葉”で作った作品だから、どういう反響が来るのか、すごく楽しみですね。 (取材・文=編集部) ●ごま 1973年1月生まれ。大阪府出身。オーストラリア先住民の管楽器ディジュリドゥの奏者で、日本における第一人者。09年に交通事故に遭い、高次脳機能障害の症状により、活動休止。まもなく点描画を描き始め、2010年に初の個展「記憶展」を開催。11年に音楽活動を再開。12年に本人を主人公とする『フラッシュバックメモリーズ 3D』に出演し、東京映画祭にて観客賞を受賞。以降、音楽や絵画、講演会など精力的に活動を広げている。 http://gomaweb.net/ ・JUNGLE MUSIC presents. GOMA初書籍出版記念 GOMA&The Jungle Rhythm Section LIVE 2016「事故にサヨナラ!」 2016年9月9日(金)東京都 WWW X 2016年10月30日(日)大阪府 NOON+CAFE

「繰り返し、繰り返し……」記憶を失ったGOMAがたどり着いた、第2の人生のスタートライン

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撮影=後藤秀二
 2009年11月、ディジュリドゥ奏者のGOMAが首都高速で追突事故に遭い、記憶障害を負った。オーストラリア先住民の管楽器であるディジュリドゥの日本における第一人者として知られ、国内外の大型フェスにも多数参加するなど順調にキャリアを積んでいた彼を襲った突然の事故に、多くのファンがショックを受けた。一時は復帰が絶望視されたものの、リハビリ期間を経て徐々に回復する過程を描いた『フラッシュバックメモリーズ 3D』が、1月19日(土)より新宿バルト9ほかで公開される。  メガホンを取ったのは、サブカル界の新星として脚光を浴びるドキュメンタリー作家・松江哲明監督。「過去」と「現在」という2つの物語をひとつの時間軸で描くこの作品には、本人に対するインタビューは一切登場しない。GOMAとThe Jungle Rhythm Sectionのスタジオライブが「現在」を描き、その背景で事故に遭うまでのGOMAの半生、そして事故から復帰までの道のりという「過去」が、映像や写真、そしてGOMAと妻・純恵の日記を使って映し出される。これまでの3Dとは一線を画す、画期的な映像作品でもある。昨年10月に行われた『第25回東京国際映画祭』では観客賞を受賞し、各所で話題となっている。  GOMAは、撮影時のことは覚えていない。たぶん、このインタビューのことも。なぜなら、事故によって過去の記憶を部分的に失っただけでなく、新しい記憶も定着しづらくなるという記憶障害を負ったからだ。今日の出来事は、1週間ほどしか覚えていられない。どんどん記憶が失われていく時間軸のない世界で、GOMAはひとり生きている。けれど、この映画から伝わってくるのは悲壮感ではなく、強烈なまでの生のエネルギーだ。いったい、この映画はGOMAにとってどんなものなのか、話を聞いた。 *** ――まず、撮影のきっかけから教えてください。松江監督とは、以前からお知り合いだったんですか? GOMA プロデューサーの高根順次さんから僕のドキュメンタリーを作りたいというお話をいただき、彼の紹介で、映画にも出てくる事故後初めてバンドで行ったお披露目ライブに来てもらったのが最初です。しかしこの話をいただいた時、受けていいのかどうか悩みました。本当は言いたくないこと、人には隠しておきたいことも含めてオープンにしていかないと、いい作品にはならない。そういう部分の葛藤はすごくありました。監督や映画のスタッフと何回か会って、自分の中で「大丈夫だ」と納得できるまで、少し時間がかかりました。 _MG_0451.jpg ――今回の作品では、事故から復帰するまでの道のりがGOMAさんと妻・純恵さんの日記を軸に描かれています。純恵さんと松江監督の信頼関係も必要だったと思いますが。 妻・純恵さん 松江監督はとても、笑顔が素敵な人だなと(笑)。空気感とか、この人だったら大丈夫、というのを最初にお会いした時に直観的に感じました。 ――GOMAさんは撮影前から「人を元気にする映画にしたい」と話していたそうですが、最初に完成版を見た時は、いかがでしたか? GOMA すごいエネルギーの塊だと思いました。それまでは失った記憶を埋めていくことに多くのエネルギーを使っていましたが、もうそんなことはしなくてもいい。今の自分にできることで、新しいものを作っていきたい。そういったことに日々のエネルギーを使いたいと思えるようになりました。やっと2回目の人生のスタート地点に立てるなという気持ちです。 ――事故から約3年、ひとつの区切りがついた瞬間でもあったんですね。ここ10年ほどの記憶が消え、新しい記憶も維持するのが難しいそうですが、事故直後はどのような状態だったんですか? GOMA  5分、10分前の記憶も消えていく、過去の写真を見ても、なぜその場所に自分がいて、笑っているのかがわからない状態でした。その頃のことは、ほとんど覚えていません。 ――事故から3年がたちましたが、当初と比べると、どれくらい回復しているのですか? GOMA 記憶障害について、自分で回復具合を感じるのは困難です。なぜなら、目で見えてわかるものではないし、回復したとしても、自分自身は前からそうだったように感じてしまうんです。家族が言うには、“記憶は1カ月は持たないけれど、1週間くらいならだいたい覚えていられる”と。 ――GOMAさんは事故後、突然、緻密な点描画を描き始め、2010年夏には初の個展『記憶展』を開催されました。色鮮やかで自由なモチーフで描かれた絵画の数々は、突然異なる映像が頭の中に飛び込んでくる「フラッシュバック」という記憶障害の症状を表現する上でも、映画の中で重要な役割を果たしています。 _MG_0515.jpg GOMA 絵は描かないと気持ち悪くなるんです。時間があれば、ずっと描いています。最初は事故に遭ってから意識が戻るまでに見ていた光の世界を描きたくて始めたのですが、最近は具体的なものになっています。でも、なぜ点描画なのかは、自分でもわかりません。 ――突然描きだした絵とは反対に、しばらくはディジュリドゥが楽器だとわからない状態だったそうですね。特別な呼吸法を必要とするディジュリドゥは、普通の人がいきなり吹けるものではないと聞きますが、再び音が出せた時に、何か感じるものはありましたか?  GOMA ディジュを最初に吹けた時のことも覚えてないです。ただ何百回も繰り返せば、“脳で覚える記憶”ではない“身体の記憶”が使えるようになるという方程式がわかったというのは、生きるヒントになっています。何事も繰り返してやれば、ほかの人より時間はかかるかもしれないけれど、必ずできるようになる。それがわかってきたのは大きいですね。 ――必死のリハビリと周りの支えもあって、事故から1年7カ月後にはステージ復帰を果たされました。バンドの存在は、これまで以上にGOMAさんのアイデンティティになっているのでしょうか? GOMA 存在は大きいですね。最近、ようやく実感として把握できるようになってきました。バンドのメンバーだけじゃなくて、家族や映画の仲間も、本当にみんなに支えられて生きているんだと感じますね。 ――映画の中で「記憶を失った今の自分を過去の自分の言葉が支え、今の自分が未来を作る」というメッセージがありましたが、不安や恐怖、あるいは事故に対する恨みといった気持ちから、前向きになれたのは、何かきっかけがあったのですか? GOMA 事故に遭ってからの3年間、実はほとんど人に会っていなかったんです。会っても誰かわからないし、話しかけてもらっても会話にならない、挨拶したとしても次に自分が挨拶できるかわからない。そういう不安が常にありましたから。けれど、このまま自分の周りだけの世界で時間を過ごして死んでいくのか、それとも社会や仲間たちとつながって死んでいくのかを考えた時、どちらにしても死ぬなら、もう1回みんなとつながってここから外へ飛び出したいと願いました。高速道路の事故は、亡くなる人もいる。でも僕は助かった。後遺症は残ったけれど、最後に決断するのは自分でしかありませんでした。ちょうど自分の気持ちが前向きになってきた時に映画の仲間と出会って、偶然の必然じゃないけど、いいタイミングでどんどんつながっていった。彼らとの出会いも大きかったですね。視点を変えるというのは、とても大切なことだと思います。この先も人生何が起こるかなんて誰にもわからないけれど、それをどう捉えていくかは自分次第ですからね。 ――GOMAさんにとって、この映画はどのようなものですか? GOMA この3年間はよくわからない自分の記憶と葛藤していたから、僕がこの映画から元気をもらっています。僕にとっては宝物であり、すごく豪華な思い出アルバムですね。 (取材・文=編集部) ●GOMA ディジュリドゥアーティスト・画家。1997年、単身で渡豪。数々のコンペティションに参加し、入賞。98年、アボリジニーの聖地アーネムランドにて開催された「バルンガディジュリドゥコンペティション」では準優勝し、ノンアボリジニープレイヤーとして初受賞という快挙を果たす。国内外の大型フェスにも多数参加し、自身の10周年の活動をまとめた映像制作をしていた2009年、交通事故に遭い高次脳機能障害の症状が後遺し、MTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断され活動を休止。事故後まもなく、緻密な点描画を描き始める。2010年夏に行われた初の個展『記憶展』として結実し、各種メディアや全国版の新聞にも取り上げられ、社会的な関心を集めた。その後も懸命にリハビリを続け、2011年6月に静岡で行われた野外フェスティバル「頂」にてシークレットゲスト出演、FUJI ROCK FESTIVAL’11にて伝説のライブを行い、奇跡の復活を成し遂げた。 fbm004.jpg ●『フラッシュバックメモリーズ 3D』 監督:松江哲明 プロデューサー:高根順次(SPACE SHOWER TV) 製作:SPACE SHOWER NETWORKS INC. 宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS、SPACE SHOWER NETWORKS INC. 配給:SPOTTED PRODUCTIONS <http://flashbackmemories.jp/>