きれいなものは探さないと見つからない――いまテレビドラマは何を描くのか?『いつ恋』最終話

itsukoi0323.jpg
フジテレビ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
   ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の最終話となる第10話が放送された。全10話を通して、テレビドラマというジャンルと正しく向き合い、美しい物語を、ただただ誠実に描いたこの作品は、いまこの時代にテレビドラマは何を描くかという問いにも真っすぐに向き合っていた。それはつまり、生きている人を描くということだ。  すでにテレビは、誰もが見るものではない。放送時間になったらテレビの前に座って、CMも飛ばさずに1時間近く体を拘束されるという視聴形態は、いかにも古い。テレビを見ている人は、もはや多数派ではなく少数派だ。毎週毎週、リアルタイムでテレビドラマを見るという層はいまこの時代にはマイノリティであり、新しい娯楽メディアに乗ることのできない寂しい人だ。だからこの作品は、生きている人を描く。視聴者の寂しさをまぶしい時間で紛らわせるのではなく、生きている人を描くことによって、視聴者の胸に花の種を植える。その花は、いま咲き誇って寂しさを忘れさせることはできないが、いつか咲くものとして私たちに与えられる。  前回、引ったくりに遭った少女(芳根京子)と出会った音(有村架純)は、何も知らずに勝手な善意を振りかざす人々と引ったくり犯のもみ合いに巻き込まれ、転倒して意識を失う。病院にやって来た少女は、引ったくり犯は悪くないと説明しようとするが、朝陽(西島隆弘)は「人をケガさせて悪くないわけないよね」「引ったくりは引ったくりだろ」と、耳を貸さない。少女は音の身を思い、「ほっといてくれたらよかったのに」とつぶやくが、それを聞いた練(高良健吾)は彼女に告げる。 「杉原さん(=音)は、放っておいたりしない。通り過ぎたりしない」  それは杉原音という人間のパーソナリティを的確に表現しているが、同時にこの作品の本質でもある。誰のことも放っておいたりせず、通り過ぎることはなく、すべての登場人物が生きる姿を描く。物語を進めるためだけに配置されたキャラクターは、少なくとも主要な登場人物の中にはひとりもいない。  たとえば最終話、朝陽と音との別れの場面もそうだ。朝陽は、音の亡き母親が音に宛てた手紙を読み、自ら別れを切り出す。「お見合いしろって言われてるんだよね」と、見え透いたウソまでついて。「僕はもう、君のこと好きじゃない」と繰り返す朝陽の姿は、その言葉がウソであることが分かるからこそ愛おしく切ない。だが音のアパートを出た朝陽がすがすがしい顔で空を見上げる様子は、彼の人生が今また始まったことを私たちに告げている。朝陽は音という大切な人と別れることにはなったが、彼女との出会いは種として彼の胸に植えられたのだし、これからの生き方の指針になり続けるだろう。音との思い出は、朝陽にとってもまた「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」ものだ。  晴太(坂口健太郎)は小夏(森川葵)から「私にはウソつかなくていいよ。っていうか、私は晴太のウソも本当も全部まとめて信じてあげる」とその人生をまるごと認められ、泣いている顔を着ぐるみで隠しながらも「初めて会ったときから大好きです」と、本当の気持ちを飾り気のない言葉で告白する。木穂子(高畑充希)は自分の仕事と正しく向き合い、一歩先へ進もうとしている。朝陽の兄は、妻の実家の旅館で働くことにしたと前向きな表情を浮かべて語り、かつて妻子から愛想を付かされた佐引という練の職場の先輩は、ハートマークの手作り弁当を同僚から冷やかされている。これらすべては、わかりやすくドラマチックなものではない。奇跡という言葉で語られるようなものではなく、少し探せばどこにでも誰にでもあるような話だ。だが音は、亡き母へ宛てた手紙で言う。 「この町にはたくさんの人が住んでるよ。 ……ときどき思うの。世の中ってきれいなものなのかな。怖いものなのかな。 混ざってるのかな、って思った。 だから、きれいなものは探さないと見つからない」  きれいなものは、探さないと見つからない。だが少し探せば、この世界はきれいなものであふれている。悪意やあきらめで覆われたそのきれいなものを、手間をかけて探すということが、生きるということだ。時間はかかる。わかりやすくはない。だがそうする価値が、この世界にはあるのだ。  すべての人が生きている。そんな当たり前のことを、この作品は私たちに伝える。それは花の種のように、小さな希望として私たちの道を指し示す。この作品で描かれていない人たちは、誰もが生きていた。だから、描かれていない人たちもきっとそうなのだろう。引ったくりをつかまえようとした人々も、赤ちゃんの泣き声にイライラしていたバスの乗客も、電車が人身事故で遅れて舌打ちをしていた人も、きっとそれぞれに事情があり、それぞれに生きている。私たちが皆そうであるように。  ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は最終回を迎えた。それでも、練と音が生きているということには変わりない。ファミレスでハンバーグを食べ、サスケの写真を見て笑い、手をつなぎ、たまにキスでもするだろう。胸の中に植えられた花は、いつまでも散ることがない。だから、またいつでも会いに行ける。私たちにとってそれは、新しい、帰る場所である。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

きれいなものは探さないと見つからない――いまテレビドラマは何を描くのか?『いつ恋』最終話

itsukoi0323.jpg
フジテレビ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
   ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の最終話となる第10話が放送された。全10話を通して、テレビドラマというジャンルと正しく向き合い、美しい物語を、ただただ誠実に描いたこの作品は、いまこの時代にテレビドラマは何を描くかという問いにも真っすぐに向き合っていた。それはつまり、生きている人を描くということだ。  すでにテレビは、誰もが見るものではない。放送時間になったらテレビの前に座って、CMも飛ばさずに1時間近く体を拘束されるという視聴形態は、いかにも古い。テレビを見ている人は、もはや多数派ではなく少数派だ。毎週毎週、リアルタイムでテレビドラマを見るという層はいまこの時代にはマイノリティであり、新しい娯楽メディアに乗ることのできない寂しい人だ。だからこの作品は、生きている人を描く。視聴者の寂しさをまぶしい時間で紛らわせるのではなく、生きている人を描くことによって、視聴者の胸に花の種を植える。その花は、いま咲き誇って寂しさを忘れさせることはできないが、いつか咲くものとして私たちに与えられる。  前回、引ったくりに遭った少女(芳根京子)と出会った音(有村架純)は、何も知らずに勝手な善意を振りかざす人々と引ったくり犯のもみ合いに巻き込まれ、転倒して意識を失う。病院にやって来た少女は、引ったくり犯は悪くないと説明しようとするが、朝陽(西島隆弘)は「人をケガさせて悪くないわけないよね」「引ったくりは引ったくりだろ」と、耳を貸さない。少女は音の身を思い、「ほっといてくれたらよかったのに」とつぶやくが、それを聞いた練(高良健吾)は彼女に告げる。 「杉原さん(=音)は、放っておいたりしない。通り過ぎたりしない」  それは杉原音という人間のパーソナリティを的確に表現しているが、同時にこの作品の本質でもある。誰のことも放っておいたりせず、通り過ぎることはなく、すべての登場人物が生きる姿を描く。物語を進めるためだけに配置されたキャラクターは、少なくとも主要な登場人物の中にはひとりもいない。  たとえば最終話、朝陽と音との別れの場面もそうだ。朝陽は、音の亡き母親が音に宛てた手紙を読み、自ら別れを切り出す。「お見合いしろって言われてるんだよね」と、見え透いたウソまでついて。「僕はもう、君のこと好きじゃない」と繰り返す朝陽の姿は、その言葉がウソであることが分かるからこそ愛おしく切ない。だが音のアパートを出た朝陽がすがすがしい顔で空を見上げる様子は、彼の人生が今また始まったことを私たちに告げている。朝陽は音という大切な人と別れることにはなったが、彼女との出会いは種として彼の胸に植えられたのだし、これからの生き方の指針になり続けるだろう。音との思い出は、朝陽にとってもまた「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」ものだ。  晴太(坂口健太郎)は小夏(森川葵)から「私にはウソつかなくていいよ。っていうか、私は晴太のウソも本当も全部まとめて信じてあげる」とその人生をまるごと認められ、泣いている顔を着ぐるみで隠しながらも「初めて会ったときから大好きです」と、本当の気持ちを飾り気のない言葉で告白する。木穂子(高畑充希)は自分の仕事と正しく向き合い、一歩先へ進もうとしている。朝陽の兄は、妻の実家の旅館で働くことにしたと前向きな表情を浮かべて語り、かつて妻子から愛想を付かされた佐引という練の職場の先輩は、ハートマークの手作り弁当を同僚から冷やかされている。これらすべては、わかりやすくドラマチックなものではない。奇跡という言葉で語られるようなものではなく、少し探せばどこにでも誰にでもあるような話だ。だが音は、亡き母へ宛てた手紙で言う。 「この町にはたくさんの人が住んでるよ。 ……ときどき思うの。世の中ってきれいなものなのかな。怖いものなのかな。 混ざってるのかな、って思った。 だから、きれいなものは探さないと見つからない」  きれいなものは、探さないと見つからない。だが少し探せば、この世界はきれいなものであふれている。悪意やあきらめで覆われたそのきれいなものを、手間をかけて探すということが、生きるということだ。時間はかかる。わかりやすくはない。だがそうする価値が、この世界にはあるのだ。  すべての人が生きている。そんな当たり前のことを、この作品は私たちに伝える。それは花の種のように、小さな希望として私たちの道を指し示す。この作品で描かれていない人たちは、誰もが生きていた。だから、描かれていない人たちもきっとそうなのだろう。引ったくりをつかまえようとした人々も、赤ちゃんの泣き声にイライラしていたバスの乗客も、電車が人身事故で遅れて舌打ちをしていた人も、きっとそれぞれに事情があり、それぞれに生きている。私たちが皆そうであるように。  ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は最終回を迎えた。それでも、練と音が生きているということには変わりない。ファミレスでハンバーグを食べ、サスケの写真を見て笑い、手をつなぎ、たまにキスでもするだろう。胸の中に植えられた花は、いつまでも散ることがない。だから、またいつでも会いに行ける。私たちにとってそれは、新しい、帰る場所である。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

誰もが生きづらさを抱える世の中で――思い出はなんのためにあるのか?『いつ恋』第9話

itsukoi0316.jpg
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第9話では、数多くの思い出が描かれている。あるいは、思い出が人の人生を決定付ける、その様が描かれているといってもいいだろう。練(高良健吾)が働く運送会社の社長は、練にこう語りかける。 「ふるさとっていうのはさ、思い出のことなんじゃない? そう思えば帰る場所なんていくらでもあるし、これからもできるってこと」  かつて音(有村架純)が幼かったころ、彼女の母親(満島ひかり)は恋とは何かと問われ、「おうちもなくなって、お仕事もなくなって、どこも行くとこなくなった人の、帰る場所」と答えていた。だから、恋と思い出は似ている。人は大切な恋を忘れることはできないし、思い出から逃れて生きることもかなわない。それは私たちが生き続ける限り、胸の奥に隠れている。  そして第9話では、これまでの8話を見てきた視聴者の思い出も喚起される。たとえば、木穂子(高畑充希)は久しぶりに再会した練に「私も相変わらず楽しくやってるから」と言葉をかけ、音には「私は、もともとめんどくさい女だもん」と告げる。このセリフの中の「相変わらず」、そして「もともと」という言葉が、木穂子の5年前、そしてまた作品では描かれなかった5年という長さを物語っている。練や音だけでなく、木穂子もまた大切な思い出とともに今を生きているのだ。  晴太(坂口健太郎)が小夏(森川葵)を連れていった芝居で公演している劇団まつぼっくりは、かつて小夏がモデルに憧れていたころに路上でチラシを配っていた、あの劇団だ。運送会社の社長が練に餞別を渡し「こじの菓子折りは、来月分から引いとくからね」と冗談を言う場面を見れば、練に相談もせず給料から天引きして貯金をしていた昔を思い出すし、5年前にはウソばかりついていた先輩の佐引(高橋一生)は「俺がウソついたことあるか?」と練に言う。彼ら彼女らがこれまでに語った言葉や、その一挙手一投足全てが、私たち視聴者の思い出として同期している。  今回、自分の思い出と向き合うことになった、というか向き合わざるを得なくなったのが朝陽(西島隆弘)だ。かつて雑誌で働いていたころに取材で会った弁護士と再会し、朝陽はこう告げられる。 「間違ってもいい。失敗してもいい。ウソのない生き方をしましょう。君はいつもそう言っていた」  社長である父親の右腕となり、弱者を切り捨てる今の朝陽にとっては、聞きたくない言葉だろう。だがその言葉は、朝陽がいくら忘れたくても、言葉を聞いた者の思い出として残っている。そして、その言葉はいつか自分に帰ってくる。だが、朝陽は、自らの思い出と決別して生きることを決断する。今の仕事を続けると音に告げ、「これが今の僕が選んだ一番幸せな現実です。恋から始まらなくていい。ここで生きよう。一緒に生きよう」と語りかけるその言葉は、音が練に惹かれていることを朝陽が知っているから、あまりにも切なく響く。  この言葉が、どこまで音の胸に響いたのかはわからない。だが、少なくともこの言葉で、音は練ではなく、朝陽を選ぶことを決めたのだろう。朝陽の父親が「自分を一度捨てたことのある人間なんだろうな」と語ったように、北海道のころの音は自分を捨てていた。あきらめていた。一度どころではなく、何度も、何度も。だから音は、朝陽を見捨てることができない。音はきっとこのとき、練をただの思い出にしようと決めたのだ。  だがそもそも、思い出とはなんのためにあるのか? それは、少なくともこの作品の中では、人がウソをつかずに生きるためにある。誰もが迷い、戸惑い、傷つきながら生きていくうちに、本当の自分を見失う。うれしいときに悲しい顔をしたり、悲しいときにうれしい顔をすることはしばしばだ。そんなときのために、思い出はある。いつでも帰れる場所として。それは忘れようとしても忘れることのできないものだし、いつか必ず思い出されるものだ。  そして音は、かつての自分とよく似た少女(芳根京子)と出会う。自分のかばんを引ったくった泥棒を見つけても、警察へ行こうと考える前に、その引ったくりが腹をすかしていないかを気にするような、おっちょこちょいだ。東京ではひと駅ぐらいは歩けるのかと尋ねたその質問は、音が初めて練に出会ったときにしたのと同じ問いだ。その少女はかつての音そのままであり、音の思い出そのものでもある。だから少女を見つめる音のまなざしは、まるで音の母親が幼い音を見つめたのと同じように慈しみに満ちている。  あの幼かった子どもは、年月を経て、今は病院のベッドで眠っている。彼女が眠る前に書いていた手紙は、練に宛てたものなのか、朝陽に宛てたものなのか。それとも亡き母親へ宛てた手紙か、あるいはあの日の自分にしたためたものなのだろうか。それはきっと、次週の最終回で明らかになるのだろう。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう。それでもその恋は、まだ始まってもいない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

どこにでもある日常が愛おしい——人はなぜ言葉を交わすのか?『いつ恋』第8話

itsukoi0310.jpg
フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
   ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第8話は、人々が交わす多くの言葉によって彩られている。それらはことさら特別なものではなく、取るに足らない日常の中の言葉だ。たとえば、引っ越し屋に戻った練(高良健吾)は、同僚から「(『サザエさん』の)波平さんの声、変わったの知らねえだろ?」と冷やかされている。あるいは、同僚と話す音(有村架純)は「知ってた? キリンって、1日20分しか寝ないんだって」と聞かされる。それらは、日常にあふれる平凡な言葉だ。それ自体に特別な意味はない。日々の時間と空間を埋める、次の日になれば忘れてしまうような、そんな言葉だ。  多くのテレビドラマにおいて言葉、ないし登場人物が語るセリフとは、大きく分けて2つの種類がある。ひとつは、物語を進行させるために配置された言葉だ。これらの言葉によって物語は変化をし、あるいは物語を推進させる機能を持つ。もうひとつは、言葉そのものが力を持ち、視聴者の感情を揺さぶる種類のものだ。その言葉はドラマチックで特別なものであり、それ自体が視聴者の感動や笑いや共感を呼ぶような見せどころとなる。  だが先述した「波平さんの声、変わったの知らねえだろ?」や「知ってた? キリンって、1日20分しか寝ないんだって」という言葉は、そのどちらでもない。物語の進行においてこの言葉はなんの役割も果たしてはいないし、もちろん視聴者の感情を揺さぶることはない。言ってしまえば、テレビドラマにおいてあってもなくてもどちらでもいい言葉だが、しかしこの作品においてはそうではない。あってもなくてもどちらでもいいような、日常を形作るそのような言葉こそが、この作品の、少なくとも練と音にとっては重要な言葉なのだ。  今は朝陽(西島隆弘)と付き合い、プロポーズもされている音は、彼との思い出を練に語る。かつて、まだ朝陽が介護施設の職員として働いていた頃の話だ。認知症が進行し、しゃべることもしなくなったおばあさんに朝陽が毎日語りかけ、彼女は口を開く。出てきた言葉は、きんつば、だった。特別で豪華な料理ではなく、日常にあふれた食べ物であっても、彼女の日常にとっては大切な食べ物だったのだろう。彼女を連れて、朝陽と共に動物園へゴリラを見に行った話を、音は楽しそうに話す。どこにでもある日常であっても、いやだからこそ、日常はかけがえのない思い出になる。音は、そして練は、そのようにして生きている。  だが、朝陽はもう、そうではない。音がその思い出を話しても、彼はおばあさんの名前も覚えていないし、きんつばやゴリラのことも思い出せない。音の悲しげで切ない表情は印象的だ。彼女は日常のために生きている。一方で今の朝陽にとって、日常とは何かの目的を果たすための過程に過ぎない。それは音にとって、日常そのものが目的であるのと正反対だ。音と今の朝陽は、同じ世界に立ってはいるが、違うものを見ている。  練の引っ越し屋の同僚たちは、彼が戻ってきたことを喜び、ささやかに祝う。先輩は、練の誕生日にぶっきらぼうな態度でコンビニのケーキを渡す。それはどこにでもある日常かもしれないが、だからこそ愛おしい。練も音もそのことを知っている。そしてそれは、きっと世界で最も大切な真理なのだ。2人は音のアパートで好きなものの話をする。うれしそうに。楽しそうに。音は笑いながら言う。 「好きなものの話って、楽しいですよね」  人は誰かと言葉を交わしながら生きていく。それは、何かの目的があるばかりではない。言葉を交わすことそれ自体が楽しいから、私たちは言葉を交わす。言葉を交わす相手が常にいること、それ自体がうれしいから、私たちは誰かと共に生きる。結局のところ、恋や愛や結婚とはそのようなものなのだろう。日常は何かのためにあるわけではない。日常はいつだって、それ自体のためにあるのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

意味を与え、一緒に生きていく――忘れられないものとは何か?『いつ恋』第7話

itsukoi0302.jpg
フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第7話は、前回すっかり変わり果ててしまった練(高良健吾)が、忘れられないものを思い出すまでを描く。良くも悪くも、私たちは何かしらの忘れられないものを持っている。それに気付かないふりをすることができても、捨てることは許されない。失くしたと思っていても、あるいはそう自分で思い込もうとしても、それはいつまでもそこにあり、誰かから見つけられるのを待っている。  それを象徴するのが、練が仕事を紹介した誰かが会社に置き忘れたマンガ本だ。それはずっとそこに置かれていたはずだが、誰も開くことはなかったのだろう。それを開いたのは、音(有村架純)だった。音は変わってしまった練が嫌がる様子を気にもかけず、というか気にもかけていないふりをして、練にしつこく話しかける。もしかしたらその言葉の意味は、練には届いていないかもしれない。だが、音は話しかけるのをやめない。大事なのは言葉の意味ではなく、誰かが話しかける、それこそが大切なのだ。  そうして音はマンガ本を開き、1枚の写真を見つける。幼い少年と、父と母の写った写真だ。それはその誰かにとって、忘れられないものだったのだろう。忘れてしまったほうがずっと楽だ。荷物は軽いに越したことはない。だが、そうする権限は私たちにはなく、忘れられないものはただ黙ってじっとこちらを眺めている。マンガ本に挟まれた1枚の写真がそうであったように、忘れられないものは、ただひたすらにそこにあり続ける。  忘れられないものを目の当たりにした練は、自分自身の忘れられないものと向き合う。仕事で車の渋滞に巻き込まれた練が、渋滞の先を見に行くと、車椅子の老人があたふたしている。クラクションは鳴るが、誰も手を貸して助けることはない。仕方なく手を貸す練は、見たくないものを見てしまったような、嫌そうな表情を浮かべている。それは、第2話で腕立て伏せをする練を見ていた運送業の上司たちの顔のようでもある。  そして、練が帰ると、会社の前でブロック塀を投げようとしている男の姿に気付く。それは、マンガ本を忘れていった男のようだ。練は必死に追いかけ、抵抗する男に階段から突き落とされたりもするが、しかし無事にマンガ本を男の手のもとに戻す。あるべきものを、あるべき場所へ。誰かにとっての忘れられないものは、そうして意味をなす。  音にもまた、忘れられないものがある。朝陽(西島隆弘)から新品の花瓶をプレゼントされても、それまで使っていた空き瓶を捨てることはできない。その部屋は、音が初めて自分で自由にできる場所であり、彼女はそれを忘れられないでいる。だが、音と練が違うのは、忘れられないものがあると気付き、そんな自分を認めるかどうかだ。音は認めている。練は認めることができない。だから、忘れられないものの意味に気付かせてあげるのは、音の役目だ。  亡くなった練の祖父が着ていたパジャマのポケットから、音はレシートを見つける。蒸しパンや牛乳、甘いものを買っている。そこに彼の生活がある。また、植物の種を買っていたようだ。そこには、練すら知らない祖父の未来がある。最後の日、彼はカップ酒を2本買っている。練はその意味を知っている。あるいは、思い出す。忘れられないものを。 「じいちゃんは、自分じゃ1本しか飲みません。じいちゃんが酒を2本買うときは決まってます。種を植えたとき。種を植えたときです。1本は自分で飲んで、もう1本は、畑に飲ませます」  忘れてしまったほうがずっと楽だ。荷物は軽いに越したことはない。頭ではそうわかっていても忘れられないものが誰にでもあり、それに意味をつけるのは私たち生きる者の務めだ。亡くなった練の祖父のレシートに、音と練が意味をつけたように。静恵ばあちゃん(八千草薫)は2人に言う。「私たち、死んだ人とも、これから生まれてくる人とも、一緒に生きていくのね。精いっぱい、生きなさい」と。精いっぱい生きるということ。それはきっと、忘れられないものを見つめて、それに意味を与えてあげるということだ。  第7話のラストシーン、静恵ばあちゃんの庭で練と音は咲き誇る花を愛でている。音の横顔を練は愛おしそうに見つめるが、その愛おしさがどこか切ない。練にとって忘れられないものは、まだ残っている。それはつまり、音を思う気持ちだ。それはまさしく練にとって忘れられないものであり、練もまた、それに気付いてしまっているのだった。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

忘れられない苦しさと、忘れようとする苦しさ――帰る場所はどこにあるのか?『いつ恋』第6話

itsukoi0224.jpg
フジテレビ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第6話は、回想の場面から始まる。音(有村架純)が幼い頃、公園で母(満島ひかり)と遊んでいた日の思い出だ。「恋って何?」と訊ねる音に、母はこう答える。 「せやなあ。お母さんが思うのは、帰るとこ」 「おうちもなくなって、お仕事もなくなって、どこも行くとこなくなった人の、帰るとこ」  第5話までで東日本大震災の前日を描いたこの作品は、第6話になって5年後へと舞台を移す。音はまだ東京にいる。彼女だけではない、練(高良健吾)も、木穂子(高畑充希)も、朝陽(西島隆弘)も、小夏(森川葵)も、晴太(坂口健太郎)もまた、東京にいる。あれから5年がたった今でも、彼ら彼女らは第5話までと同様、まだ帰る場所を探している。  第5話までと第6話からの変化を象徴しているのが朝陽だ。介護施設の現場で働いていた彼は、今は本社に戻り、音と付き合っている。一見すると第5話までと同じような優しい笑顔を音には見せているが、ところどころに違和感がある。たとえば、現場の窮状を訴える部下に対して「だめなときは、だめなもんだからね」と突き放す様子は、これまでの朝陽とはどこか違っている。  あるいは、高級レストランで音と二人で食事をする場面。「ファミレスでいいのに」と言う音に対して、これぐらいのお店で食事することは「普通だよ」と朝陽は言う。また、その日に帰宅してパーティーに出かけようと音を誘う朝陽は「音ちゃんの年なら、普通なんだよ」と声をかける。朝陽は気づいていないかもしれないが、これは第2話の「今はどこの従業員も自腹だよ」や「みんな頑張ってるしワガママ言わないよね」というセリフと同様、どこか圧力がある。少なくとも音には似つかわしくない言葉だし、朝陽はそういった考え方から逃れようとしていたのではなかったか。  そして、朝陽は社長である父(小日向文世)から呼び出される。これまで父の右腕だった朝陽の兄が、もうついていけない、と異動願いを出したらしい。「弱いやつはだめだ」と言い放つ父は、明日から社長室に入るよう朝陽に命じる。「俺の跡を継ぐつもりでやれ」と。そして、続けて言う。 「お前ももう、30か。ついこの前、生まれたばかりなのにな」  こう父から言われた朝陽は、怒ることなく、言い返すことなく、ただ黙って笑ってしまうのだった。心からうれしそうに。幼い子どもが父親から褒められたときに見せるような笑顔で。だから、朝陽が帰る場所、帰りたいと本心で願っている場所はここなのだ。愛人の息子として生まれ、父親から無視され、疎んじられて過ごしてきた朝陽が本当に欲しいものは、父親から認められることだった。それが朝陽の帰る場所なのだ。これまで朝陽の生き方を応援してきた私たちは、この場面でどうしようもなく切なくはなるが、彼の帰る場所は彼が決めるのだから仕方がない。  あるいは、練にしてもまたそうだ。震災を経て、それこそ「おうちもなくなって」「どこも行くとこなくなって」しまった彼は、見た目も雰囲気も5年前とは大きく違ってしまっている。5年ぶりに再会した音に対して「あんたにはもうわからないよ。わからない。もう違うから」と冷たく言い放つ練は、帰る場所をどこかあきらめてしまっているようでもある。帰らない、もしくは、帰る場所などもうどこにもない、という生き方を選んでしまった練には、もうどんな言葉も届きそうにない。  帰る場所を忘れられない苦しさと、帰る場所を忘れようとする苦しさが、ともにある。だが、希望もまだ残っている。それは、帰る場所を自分で作るという希望だ。  かつて練の同僚だった佐引(高橋一生)は、まだ東京にいる。会津出身の彼は、まだ東京でしぶとく生き抜いている。もう、金髪だった髪は黒く染まっている。そして、初めて会った音に向かって「ボルトに走り方を教えてやったの、俺なんだよ」と、冗談を言う。これまで「小室哲哉のブレーンだった」という忘れられない思い出を抱えていた佐引は、自分の帰る場所を自分で作ろうとしているのだろう。それは朝陽や練にとっての、あるいは私たち視聴者にとっての、希望だといえる。  音の家にはまだ、桃の缶詰が置かれている。引っ越し屋さんだった練から初めて会ったときにもらった桃の缶詰が。音もまた、自分と、そして練の帰る場所を作ろうとするのだろう。それが恋という、「どこも行くとこなくなった人の、帰るとこ」だ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

ありのままの自分でいることが許される場所――ウソと本当を見分ける方法『いつ恋』第5話

itsukoi0217.jpg
フジテレビ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』では、2つの家が用意されている。ひとつは練(高良健吾)が暮らす安アパート。もうひとつは、静恵ばあちゃん(八千草薫)が暮らす一軒家だ。この2つの家は、ドラマの中で異なる機能を持っている。練の安アパートはウソの場所であり、静恵ばあちゃんの一軒家は本当の場所である。登場人物はそのことに気付いてはいないかもしれないが、この機能によって動かされている。  第1話、練の安アパートでは練と木穂子(高畑充希)が寄り添って眠っていた。後々明かされるが、木穂子はこのとき自分がバリバリのキャリアウーマンであると練にウソをつき、そういった自分を演じていた。殺風景な部屋はまるでセットのようで、人間のにおいというものがあまりない。何より、福島から出てきた練にとっては東京という街自体がウソの街だともいえるし、このアパートで交わされる会話はどこか空虚だ。  一方で、静恵ばあちゃんの一軒家には生命力が満ちている。瑞々しく花が咲き、太陽の光に照らされる。登場人物たちもこの家にいるとどこか自然な笑顔になり、いつもより生き生きとしているようだ。この家では、本当の自分でいることが許されている。東京という街に居場所のない彼ら彼女らにとっては、まるで自分の家のような場所だといえるだろう。  だから第5話の修羅場は、静恵ばあちゃんの家で起きなくてはならなかった。ここは本当の場所だ。逆にいえば、ウソが許されない場所でもある。これまで練が、音(有村架純)が、木穂子が重ねてきたウソが、練の幼なじみである小夏(森川葵)の告発によって暴かれる。「だって、だってよ! みんなウソついてるもん。だって練が好きなのは木穂子ちゃんじゃねえべした。この人(=音)だべした!」と、小夏は心からの声を叫ぶ。登場人物の中で唯一東京に憧れ、東京の人間になろうとしている小夏の会津弁が、この言葉が真実であることを物語っている。  その見方はすべての恋愛がそうであるように、ひどく独善的で一面しか見ていない。我々視聴者は小夏が知らない練と音と木穂子の物語を知っているから、そんなに単純なものではない、と言うことはできる。もっと人は複雑なんだと。だが、小夏の言葉が真実であるというのも確かだ。そして、小夏もまた、練に片思いをしていると我々は知っているため、彼女の言葉は胸に突き刺さる。 「……練は、そったおっかねえ顔する人じゃねがったもん。ウソばっかついでっからだ。言ったら? 好きなんだったら、好きです、って言ったら? 練、好きよ。練、好きよ、って。好きよ。好きよ。好きよ。好きよ……!」  好きよ、という連呼は、小夏がずっと練に言いたくて、それでも言えずに隠していた言葉だ。ここは本当の場所なのであり、だから好きよという言葉も隠し通すことができない。彼女は練と音と木穂子のウソを告発しながら、自分自身のウソにも気付いてしまう。場所の力はそれほどに強い。人は誰だって、いつかは自分のウソと向き合わなければならないのだ。  そして彼らが向き合わなければならないのは、自分がついたウソだけではない。ドラマ内の日付は2011年3月。タクシーの運転手が「おめえ知ってたが? 坂上二郎さんが亡ぐなっちまったんだってよ」と、2011年3月10日にこの世を去ったコメディアンの話をしている。東日本大震災という圧倒的な現実は、原発の安全神話という大きなウソを丸裸にした。誰もが自分の生き方と向き合ったあの日、練は、音は、果たして何を思うのだろうか。  第5話の中で、音が静恵ばあちゃんと話していた。音は「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」と語り、「私、私たち今、かけがえのない時間の中にいる」とつぶやいた。我々視聴者もまた、ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』という、かけがえのない時間の中にいる。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

視聴者が主体として考える作品とは──開始3分で面白さを伝える方法『いつ恋』第4話

itsukoi0210
フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第4話、今回も怒濤の展開と丁寧な描写によって視聴者を涙にくれさせたわけだが、視聴率は8.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と振るわなかった。この連載では視聴率に対してどうこう言ったりくさしたりということではなく、あくまでも作品について書いているが、しかしなぜこれほどの作品が、この程度の視聴率しかないのかについては考えておきたい。作品の質と視聴率が、あまりにもかけ離れている。  結論から言えば、この作品は面白すぎるのではないか。言葉を換えれば、作品としての密度が高すぎるのではないか、と言えるかもしれない。  好き嫌いは感性の問題だが、面白いかそうでないかは、多くの部分を理屈が占めている。特にフィクションの脚本という観点からいえば、好き嫌いを別にして、面白いかそうでないかを理詰めで判定することは可能だ。第4話では、開始わずか2分でそれがわかる。このドラマは、明らかに面白いということが。  前回の最後で、交際相手に殴られて入院した木穂子(高畑充希)を練(高良健吾)が見舞っている、そのシーンだ。木穂子は練の後ろから「あんな長いメール送られて、正直引いた人」と尋ね、練の右手をつかんで「はい」と言って手を挙げさせる。さらに「この女ウソばっかりついてって思った人」と尋ね、再び「はい」。そして3度目、「ちょっと重いから別れたいって思ってる人」と尋ねて手を挙げさせようとするが、練は力を入れて拒否する。練、向き直り、「木穂ちゃんは木穂ちゃんです」と言って、自分で手を挙げる。そして2人はお互いを抱き寄せ、木穂子はか細い声で「もう駄目かと思ってた。普通の恋人同士になろうね。なれるよね」と練に言うのだった。ここまでで、ドラマの第4話が開始してからおよそ3分だ。  ドラマとはこういった脚本の上に、役者が演技でニュアンスを表現し、監督が演出を加えることにより、情報量が足されていく。基本的には情報量と面白さは比例関係にあり、情報量が多く含まれた映像作品は面白い、あるいは見応えがあるといった表現で評される。だがそこでは、見る側の意識も試される。ただ漫然と流れてくる映像を目にするのではなく、作品の情報を深く知ろうとする姿勢が、情報量の多い映像作品では必要になる。  たとえば先ほどのシーンでいえば、会話という情報のほかに、特に木穂子のパーソナリティが情報として隠れている。彼女はそのまま本音を言うのが苦手な人で、それは練の後ろに立って顔を見られないようにしていることからわかる。言葉と仕草が本心とずれていることから、言葉で気持ちを伝えるのが得意だとは思っていないということも。そして、思っていることと逆のことを言うという木穂子のパーソナリティは、その後の「普通の恋人同士になろうね。なれるよね」という言葉を不安なものにする。口ではそう言いながらも、実は彼女はそうできると信じていないのではないか、という暗い予兆までもが、この3分間に情報として潜んでいる。それは決して偶然にそうなっているのではなく、そうやって作られているのだ。  テレビドラマを、というかテレビに限らずフィクションの映像作品を観るという行為は、そういった意味で知的遊戯だ。それは単体の映像物としてそこにあるのではなく、観る存在であり考える存在である主体を必要とする。フィクションの映像作品を観るということは、ドラマであれ映画であれ、無料であれ有料であれ、受動的な行為ではなく、あくまでも主体的な行動なのだ。  テレビドラマがつまらなくなった、あるいは薄っぺらいものとなった、と言われて久しいが、それはもしかしたら、情報量の多い作品、それはつまり主体として考えるという行為が要求されるような作品を避けて通るようになった我々視聴者の視聴行動にも原因があるのではないか。少なくとも、この作品ほど深く語れる、考えることのできるテレビドラマは、近年では稀である。それを例えば、視聴率が低いからどうせつまらないに違いないなどといって観ないというのは、あまりにももったいない。  テレビとは、ただだらだらと流れるものではなく、作り手と受け手の共同作業だ。ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を面白くするのは、我々視聴者の仕事でもあるのだろう。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

登場人物の誰もが、“特別”な存在になる――人が人を好きになる方法『いつ恋』第3話

itsukoi0203.jpg
フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第3話は、人が人を好きになる行程が描かれている。  順を追って説明したい。まず今回は、木穂子(高畑充希)の場面から始まる。彼女は主人公である練(高良健吾)の交際相手だ。第1話では練と一緒に寝ていたが、第2話では妻子のいる男と付き合っていることが明らかになった。代理店に務めるキャリアウーマンであり、派手な服装で、大人の色気もある。時折、博多弁の混じるその口調は、これまで多くの男を手玉に取ってきたのだろうと思わせる。  そんな木穂子が、家具屋でカーテンを選んでいる。そういえば前回、練の部屋が殺風景だからカーテンや家具を買うだのなんだの言っていた。人生の成功者だ、金もあるのだろう。ヒロインの音(有村架純)が、必死に介護施設で働いているのとは大違いだ。彼女はカーテンを買う。そして、日もすっかり出た時間帯にもかかわらず、コンビニ店「ポプラ」の前で酒を飲んでいる。通りがかるカップルがこそこそ言っているが、そんなことを彼女は気にしない。人生の成功者から見たら、他人の目などは些細なことであり、堂々とした様子である。  一方、我らが練と音は徐々に惹かれ合っていく。屋外で行われている小さなコンサートをこっそり二人で聴くシーン、アルプス一万尺の手振りもぴったりと合い、二人はそれぞれ別の場所で、今度会ったときに相手に見せようと路傍に咲く花を携帯電話のカメラで撮影している。その小さな、それでも美しい花は、地方から東京に出てきて理不尽さや寂しさと戦う二人を象徴している。誰に見られることはなくとも、花は美しく咲くのだ。それは、練と音も同じである。  どう考えても、お似合いなのは練と音だ。まるで、運命が選んだような二人じゃないか。そして、音が練に告白する。けんかをするかのような激しい口調で「好きやからに決まってるやん。引っ越し屋さんのこと、好きやからに決まってるやん」と唇を奪う。絶対に付き合うべきだ。木穂子なんて、ほかに好きな男がいるんだし。それに、練には似つかわしくない。きっと、純朴な練の気持ちにつけ込んで、火遊びしてるぐらいの気持ちだろう。練はもっと、つらさを内に秘めて無理をしてでも必死で頑張るような相手が、絶対に似合うはずなのだから。  長々と書いたが、ここまでがフリである。こうやって思っていた視聴者は、見事にだまされていたのだった。  終盤になり、木穂子は人生の成功者などではなかったことが明かされる。代理店に務めているのは事実だが、実際は事務であり、地味な仕事ばかりで、練に会うときだけはトイレで服を着替えて都会的な自分を演じている。「私は朝起きたとき、今日一日をあきらめます」という、心の底からの叫び。冒頭、家具屋でカーテンを買う前には、実は銀行でお金を下ろしていて、コンビニの前で発泡酒を飲んでいたのは成功者として堂々としていたわけではない、ただ、人生をあきらめていただけだった。場面の意味は変わる。そして同時に、視聴者から木穂子への思いも変わる。練、何をやっているんだ。お前が幸せにしなければいけないのは音でない、目の前にいる木穂子その人だ、と。  こうして、人は人を好きになる。すべての視聴者にとって、木穂子が特別な存在になった。人はギャップによって恋に落ちるという。まさしくそれは真実であるということを、視聴者は体験として知るのだ。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』というこの歴史的な作品は、二つの意味で恋愛ドラマだ。登場人物同士が恋をし、そしてまた、視聴者が登場人物に恋に落ちるという意味で。  特に近年の坂元裕二作品では顕著だが、彼が紡ぐ物語には、類型的な人物が存在しない。ストーリーを進めるためだけに配置されたキャラクターは皆無であり、誰もが自分の人生を生きている。練がそうであるように、音がそうであるように、木穂子もまたそうだ。さらに、練の幼なじみの小夏(森川葵)にも、好きな人がいるという事実も発覚する。小夏もまた、自分の人生を生きている。そして、これが恋愛ドラマである以上、全員が幸せになることは不可能だということを私たちは知っている。誰かの恋が、かなわないのだ。そしてその誰かは、それが誰であろうとも、視聴者にとって特別な人間である。 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は、間違いなく日本のテレビドラマの歴史に残る作品だ。このドラマは、恋愛ドラマの定義自体を変えてしまった。架空の人物の恋愛模様を他者としてのぞき見するのが過去の恋愛ドラマだとしたら、この作品は、視聴者が人物に恋をして、幸せになってもらいたいと心から願いながらもそれがかなわない。恋愛ドラマであり、かつ、それは恋愛そのものだ。恋愛がそうであるように、見ればあまりにも美しく、そしてあまりにも苦しい、そういった作品である。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

“見たくないもの”の中で、2人は――善意で世界を変える方法『いつ恋』第2話

itsukoi0127.jpg
フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第2話は、練(高良健吾)と音(有村架純)が東京で再会するまでを描く。第1回ではぐれてしまった2人だが、音は練の住んでいる雪が谷大塚で暮らしている。生活圏も一緒で、お互い会いたいと願っている2人だが、すれ違ってばかりで会うことができない。恋愛ドラマとしての、正当ともいえる展開だ。  この第2話では、出会えない2人の日々の暮らしを描いているわけだが、練は第1話で明かされた通り引っ越し屋で、東京に出てきた音は介護施設で働いている。このドラマの脚本を務める坂元裕二は、特に『Mother』(2010年、日本テレビ系)以降は現代劇に社会性をまぶすのを得意としているが、この職業の選び方も、まさに現代ならでは。どちらも、いわゆるブラック企業としてスポットライトを浴びることが多い職種だ。  実際、練は引っ越しの最中に商品を壊したという濡れ衣を着せられて、自腹での弁償を命じられる。音は音で、過酷な労働環境に苦しんでいる。練の上司が言う「今は、どこの従業員も自腹だよ」という言葉と、音の上司が言う「みんな頑張ってるし、ワガママ言わないよね」という言葉は、ブラック企業の体質そのものだ。“みんなつらいのだから、お前もつらくあれ”という、論理的でないのに説得力のあるその考え方は、現代の日本社会の闇を感じさせる。  ブラック企業では、誰かの善意で仕事が成り立っている。たとえば音は、すれ違いざまに先輩から「お風呂の掃除、お願いできる?」と言われ、自分が犠牲になることでその役目を担う。介護職も、引っ越し屋も、あるいはほかのあらゆるブラック企業も、誰かが善意を持って犠牲になることで成立している職種だ。それは、最近ニュースで取り上げられるバス業界も食品業界も同じことで、言ってみれば、誰かの善意を犠牲にすることによって企業の収益を効率化するというのが、ブラック企業の仕組みである。  旧来のドラマであれば、その仕組みを壊してカタルシスを得るという手法が取られるのだろう。その善意が、間違った人を改心させる、あるいはその善意が誰かから感謝されるというような形で。だが、坂元はそうしない。それが2016年のリアリティだ。弁償を命じられた練は「腕立て伏せを300回したら、金を払ってやる」と先輩に言われ、チャレンジするのだが、それを見た先輩や上司は改心などしない。むしろ、見たくないものを見てしまった、という顔を浮かべてその場を立ち去ってしまう。善意で世界を変えることはひどく難しいものだ、というリアリティと残酷さがそこにはある。  多くの人々にとって、善意、あるいは正しさは、目に入れたくないものだ。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』では、なおかつ視聴者もそこに巻き込む。練の弁償代は、恋人である木穂子(高畑充希)が支払っていたという事実が明かされ、2人はお茶を飲み、練はこの店の勘定は自分が払うと宣言する。だが、財布の中は小銭ばかりだ。かつ、足りない。「すぐ下ろすんで、30円貸してください」と苦しそうに告げ、さらに木穂子の財布には万札しかない。この気まずさはどうだ。見ていて声を上げてしまうほどで、こんな景色は見たくない。見たくないものを見られるか、という問いかけが、ここで視聴者に対してもなされているのだった。  そう、善意で世界を変えることは難しい。だが、不可能なことでもない。第2話のクライマックスは、練と音の再会の場面だ。街を歩く音が、犬の鳴き声を聞く。その犬は、練がいつもエサをやっていた近所の飼い犬だ。犬を思う、という、実生活にはなんの役にも立たない2人の善意が、共鳴し、2人を引き寄せる。善意を持って生きるというのは、特にこの時代、難しくてつらくて残酷だ。しかし、そこには希望がある。善意を持ち続けることでしか起きない奇跡が、確かにあるのだ。  ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は、第2話にして視聴率が10%を切ったことが話題になっている。確かに暗くて、地味で、見たいものではないかもしれない。だが、ここにはいまの日本のリアルが確かにある。視聴者の心意気こそが、いま問われているのかもしれない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa