ダメな奴らは、かわいらしい――NHK×松尾スズキ『ちかえもん』という虚実皮膜の痛快娯楽劇

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NHK木曜時代劇『ちかえもん』
「どうも、近松門左衛門です。浄瑠璃作家として教科書に載っている、あの近松門左衛門です。大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある、あの近松です!」  そんなモノローグが挿入される時代劇が『ちかえもん』(NHK)だ。  NHKの時代劇? 堅そう。近松門左衛門? よく知らない。  そんな先入観で見ることをためらってしまうのは、心底もったいないドラマだ。  いま一番元気で自由なドラマ枠は何かと言われれば、僕は迷わずNHKの木曜時代劇だと答えるだろう。民放でほとんど時代劇の新作が作られない中で、それを逆手に取るように、この枠はコンスタントに質の高い作品を放送している。質が高いだけではない。とても挑戦的かつ、娯楽性の高い作品が多いのだ。  冒頭に引用したモノローグだけでも、この『ちかえもん』の特異性がわかるだろう。  本作は、近松門左衛門が人形浄瑠璃の傑作『曾根崎心中』を完成させるまでを描いたドラマだ。だが、近松が「芸の真実は、虚構と現実との微妙なはざまにある」と、「虚実皮膜」こそがフィクションの醍醐味だと説いたように、このドラマもまた、虚実皮膜の物語だ。だから近松本人のモノローグなのに、「教科書に載っている」だとか「大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある」などと現代人目線。さらに、「嘆き疲れた 宴の帰り これで浄瑠璃も 終わりかなとつぶやいてえ~♪」と、「大阪で生まれた女」の替え歌まで歌いだしたりもするのだ。  演じているのは、大人計画の主宰で劇作家でもある松尾スズキ。脚本は『ちりとてちん』などの藤本有紀。ドラマ脚本家が劇作家に浄瑠璃作家の思いを託し、悲劇の傑作を描くまでの苦悩を喜劇で描くという複雑な構造になっている。だから「もうちょっと褒めてくれたかてええやろー!」などという、物書きの不安や弱さがリアルかつコミカルに描かれている。  ここで描かれる近松は、プライドが高いのに自信はないという優柔不断な男。武士を辞めて浄瑠璃書きとなるが、誘われると今度は歌舞伎作家になって、ちやほや持ち上げてくれた男がいなくなると、浄瑠璃に戻ったという経歴。だが、スランプに陥って、劇場は不入りが続いている。そんなときに、親不孝を称賛する歌を歌いながら「不孝糖」なる飴を売り歩いている謎の渡世人・万吉(青木崇高)と出会ったことから、物語が始まる。その万吉が一目惚れする遊女が、お初(早見あかり)だ。そして豪商・平野屋の放蕩息子・徳兵衛(小池徹平)との三角関係を、おそらく近松が間近で見て、『曾根崎心中』の着想を得ていくのだろう。  こうした物語自体も、もちろんこのドラマの見どころではあるが、最大の魅力はそのキャラクターだ。特に、松尾スズキ演じる近松門左衛門の異常なかわいらしさだ。あふれ出す、心の声のボヤキ。それに合わせた豊かすぎる表情がものすごい。  例えば、こんなシーン。徳兵衛が遊女たちと遊んでいる最中に万吉が騒ぎを起こしてしまい、台なしにする場面だ。 万吉 「すんまへん」 徳兵衛 「待てえ。そないな謝り方で済む思うてんのか?」 近松 (あ!) 徳兵衛 「私を誰やと思ってるや。平野屋の跡継ぎやぞ」 近松 (そやった! こういう奴やった、このお人は!) 万吉 「へい。それがなんでっしゃろ?」 近松 (そしてこいつはこういう奴やぁ~~!)「すみまへん。こいつ、ちょっと変わりもんでんねん」 徳兵衛 「近松つう、物書きか?」 近松 「へえ」(呼び捨てぇ~? 年長者つかまえて、呼び捨てぇ~?) 徳兵衛 「お前の知り合いか?」 近松 「お前」~? ( )の中は心の声だ。その間中、松尾は表情筋が人の2~3倍になったかのように、形容しがたいほど顔を変形させている。さらに、土下座を要求されると(誰がそないなことするかい! けど、しゃーないや~ん!)(浄瑠璃書けなくなったら困るも~ん!)と、心の中で叫びながら頭を下げようとするのだ。  とにかく、ダメ男っぷりがかわいらしい。せっかく「近松さんは芭蕉さん、西鶴さんに勝るとも劣らん物書きや」と褒められたのに「みんな親しげに名前で呼ぶのに、なんでわしだけ名字で呼ぶんでっか!」と、しょうもないことでキレてしまう近松は、なかなか名前を覚えることができない万吉に「ちかえもん」と呼ばれたことに怒るどころか、「かわいらしいやん」と、まさかのご満悦。かわいらしいは、正義なのだ。 『ちかえもん』は、“ええ年”をしたダメな男たちが虚実皮膜の世界の中でダメなまま懸命に生きる物語だ。おそらく近松は、優柔不断で意地っ張りで弱いままだろう。それは「親孝行ブーム」の元禄の世に、「不孝糖売り」なる怪しげな商売を喜々とやっている万吉の姿が示唆している。ダメだっていいのだ。『ちかえもん』は、ダメな奴らを「かわいらしい」と肯定する。  果たして近松は、いかなる“気づき”を得て『曾根崎心中』を書き上げるのか、ひとときも見逃せない。てな、陳腐な言い回しはふさわしくないような娯楽傑作なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

ダメな奴らは、かわいらしい――NHK×松尾スズキ『ちかえもん』という虚実皮膜の痛快娯楽劇

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NHK木曜時代劇『ちかえもん』
「どうも、近松門左衛門です。浄瑠璃作家として教科書に載っている、あの近松門左衛門です。大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある、あの近松です!」  そんなモノローグが挿入される時代劇が『ちかえもん』(NHK)だ。  NHKの時代劇? 堅そう。近松門左衛門? よく知らない。  そんな先入観で見ることをためらってしまうのは、心底もったいないドラマだ。  いま一番元気で自由なドラマ枠は何かと言われれば、僕は迷わずNHKの木曜時代劇だと答えるだろう。民放でほとんど時代劇の新作が作られない中で、それを逆手に取るように、この枠はコンスタントに質の高い作品を放送している。質が高いだけではない。とても挑戦的かつ、娯楽性の高い作品が多いのだ。  冒頭に引用したモノローグだけでも、この『ちかえもん』の特異性がわかるだろう。  本作は、近松門左衛門が人形浄瑠璃の傑作『曾根崎心中』を完成させるまでを描いたドラマだ。だが、近松が「芸の真実は、虚構と現実との微妙なはざまにある」と、「虚実皮膜」こそがフィクションの醍醐味だと説いたように、このドラマもまた、虚実皮膜の物語だ。だから近松本人のモノローグなのに、「教科書に載っている」だとか「大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある」などと現代人目線。さらに、「嘆き疲れた 宴の帰り これで浄瑠璃も 終わりかなとつぶやいてえ~♪」と、「大阪で生まれた女」の替え歌まで歌いだしたりもするのだ。  演じているのは、大人計画の主宰で劇作家でもある松尾スズキ。脚本は『ちりとてちん』などの藤本有紀。ドラマ脚本家が劇作家に浄瑠璃作家の思いを託し、悲劇の傑作を描くまでの苦悩を喜劇で描くという複雑な構造になっている。だから「もうちょっと褒めてくれたかてええやろー!」などという、物書きの不安や弱さがリアルかつコミカルに描かれている。  ここで描かれる近松は、プライドが高いのに自信はないという優柔不断な男。武士を辞めて浄瑠璃書きとなるが、誘われると今度は歌舞伎作家になって、ちやほや持ち上げてくれた男がいなくなると、浄瑠璃に戻ったという経歴。だが、スランプに陥って、劇場は不入りが続いている。そんなときに、親不孝を称賛する歌を歌いながら「不孝糖」なる飴を売り歩いている謎の渡世人・万吉(青木崇高)と出会ったことから、物語が始まる。その万吉が一目惚れする遊女が、お初(早見あかり)だ。そして豪商・平野屋の放蕩息子・徳兵衛(小池徹平)との三角関係を、おそらく近松が間近で見て、『曾根崎心中』の着想を得ていくのだろう。  こうした物語自体も、もちろんこのドラマの見どころではあるが、最大の魅力はそのキャラクターだ。特に、松尾スズキ演じる近松門左衛門の異常なかわいらしさだ。あふれ出す、心の声のボヤキ。それに合わせた豊かすぎる表情がものすごい。  例えば、こんなシーン。徳兵衛が遊女たちと遊んでいる最中に万吉が騒ぎを起こしてしまい、台なしにする場面だ。 万吉 「すんまへん」 徳兵衛 「待てえ。そないな謝り方で済む思うてんのか?」 近松 (あ!) 徳兵衛 「私を誰やと思ってるや。平野屋の跡継ぎやぞ」 近松 (そやった! こういう奴やった、このお人は!) 万吉 「へい。それがなんでっしゃろ?」 近松 (そしてこいつはこういう奴やぁ~~!)「すみまへん。こいつ、ちょっと変わりもんでんねん」 徳兵衛 「近松つう、物書きか?」 近松 「へえ」(呼び捨てぇ~? 年長者つかまえて、呼び捨てぇ~?) 徳兵衛 「お前の知り合いか?」 近松 「お前」~? ( )の中は心の声だ。その間中、松尾は表情筋が人の2~3倍になったかのように、形容しがたいほど顔を変形させている。さらに、土下座を要求されると(誰がそないなことするかい! けど、しゃーないや~ん!)(浄瑠璃書けなくなったら困るも~ん!)と、心の中で叫びながら頭を下げようとするのだ。  とにかく、ダメ男っぷりがかわいらしい。せっかく「近松さんは芭蕉さん、西鶴さんに勝るとも劣らん物書きや」と褒められたのに「みんな親しげに名前で呼ぶのに、なんでわしだけ名字で呼ぶんでっか!」と、しょうもないことでキレてしまう近松は、なかなか名前を覚えることができない万吉に「ちかえもん」と呼ばれたことに怒るどころか、「かわいらしいやん」と、まさかのご満悦。かわいらしいは、正義なのだ。 『ちかえもん』は、“ええ年”をしたダメな男たちが虚実皮膜の世界の中でダメなまま懸命に生きる物語だ。おそらく近松は、優柔不断で意地っ張りで弱いままだろう。それは「親孝行ブーム」の元禄の世に、「不孝糖売り」なる怪しげな商売を喜々とやっている万吉の姿が示唆している。ダメだっていいのだ。『ちかえもん』は、ダメな奴らを「かわいらしい」と肯定する。  果たして近松は、いかなる“気づき”を得て『曾根崎心中』を書き上げるのか、ひとときも見逃せない。てな、陳腐な言い回しはふさわしくないような娯楽傑作なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「1人のバカが変えていく」『人生のパイセンTV』が壊す、窮屈で退屈でマンネリなテレビ

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『人生のパイセンTV』フジテレビ
「ついに若林さんが覚醒しました!」  オードリーの若林正恭が荒々しいラップを歌い終わると、ベッキーがそう叫んだ。会場には、割れんばかりの「若様」コールが鳴り響いた。  そこは「PAISEN FESTIVAL マジリスペクト 2016」と名付けられた“音楽フェス”の会場。『ヨルタモリ』(フジテレビ系)の後番組として、昨年10月からレギュラー放送を開始した『人生のパイセンTV』で行われたフェスである。番組の総合演出を務める「マイアミ・ケータ」こと萩原啓太の「夢だった」ということから、番組開始わずか3カ月で実現した。  だが、実はこのフェス、開催することを上層部に報告していなかったため、大目玉を食らったという。しかも、急いでセットを組んだため、大赤字。にもかかわらず、通常回、わずか24分のオンエア。バカだ。  この番組は、人から「バカ」だと言われても信念を貫き、人生を謳歌する大人たちを「パイセン」と呼び、リスペクトする番組だ。これまでも年商10億円を超える社長でありながら365日短パンをはき続けるパイセンだとか、EXILEに憧れすぎているリーマンパイセンだとか、万物をトンガらせるヒーローのパイセンだとか、市議会議員からタレントに転身しちゃったパイセンだとかを紹介し、番組内“スター”を発掘してきた。  番組の最大の特徴は、その紹介VTRが、とにかくチャラいことだ。画面いっぱいに広がるカラフルなテロップに、騒がしくまくし立てるナレーション、けたたましく響く効果音とBGM。チャラい人をチャラい人がチャラい演出で撮り、迫ってくるのだ。最初こそ、そのチャラさに拒否反応を起こしていても、見ているうちに楽しくなってクセになってしまう。そんな中毒性があるVTRだ。  その上で、番組MCの若林やベッキーからも「2部構成」とイジられるように、VTR後半は一転し、自分がチャラくなった理由や思いが静かに真面目に語られる。チャラさを笑っていたら、時にうっかり感動させられてしまったりさえする。VTRを見終わった後、なんだか味わったことのない、新しい心地よさがあるのだ。それは「バカ」をバカにしていないからだろう。  2015年の好不調を頭の中でグラフにした時に、このレギュラー番組が始まった10月からクイッと上向いたことを告白し、 「私、ホントにこの番組と出会えて幸せ!」 と、は思わず口にしたベッキー。2人は、このグラフのクイッと上向いた部分を“パイセン坂”と命名し、若林も少し照れながら同意して言う。 「俺も悔しいよ。俺もパイセン坂あんだよ。パイセン坂を上がることで、ほかの仕事も良くなるみたいな。たぶん、人生のピークだったと思う、2015年は」  かつて卑屈で、何に対してもナナメ目線だった若林が、この番組では心から楽しんでいる。 「ホントに俺、ずっと人生つまんなかったんだけど、めっちゃ楽しかったもん、2015。全部の仕事楽しくって!」  ベッキーに至っては、この番組の収録がある日に予定を聞かれ、「オフ」だと無意識に答えてしまったこともあるという。「仕事」だという感覚がなかったのだ。若林もまた、「高速に乗る時の(浮かれた)気持ちが、『パイセン』(の収録へ)行く時とゴルフ行く時は一緒」だと笑う。いい意味で「遊び場」感覚なのだ。  かつてフジテレビの名プロデューサー・横澤彪は『オレたちひょうきん族』を作る際、「スタジオは遊び場だ」と宣言した。それによってアドリブが飛び交い、本来NGになるようなハプニングを笑いに変え、躍動感あふれるイキイキとした番組になった。その精神こそ、“フジテレビ的”なものだ。弱冠29歳の萩原啓太にも、その血は確実に受け継がれている。マイアミ・ケータを名乗り、積極的に画面に登場するのも、その表れだろう。 「人はバカになれた時、人生が楽しくなる。バカになれた時、人生が豊かになる。バカになれた時、人生が切り開ける」  そう『パイセンTV』は言う。どんな苦難があってもすべてを吹き飛ばし、明日から全力で笑うためにバカになるのだ。こんなバカなテレビがあったっていい。 「1人のバカが変えていくんですね」  若林は、本当に実現した「パイセンフェス」を眺めて言った。「パイセンフェス」の最後は、この日のために作られた「三代目パイセンオールスターズ」が歌うオリジナル曲「P.A.I.S.E.N.」で締められた。その中で若林が「窮屈で退屈でマンネリな日々ぶち壊すパイセンTV♪」とラップを披露し、盛り上がりがピークに達した後、一番オイシイところで登場し、サビを歌い上げたのがマイアミ・ケータだった。 「テレビは、あなたの思い出作りの場所じゃないんですよ!」  若林は幸せそうにツッコんだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

マツコロイドが真理を語る、NHK新春ドラマ『富士ファミリー』の肯定感

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NHK新春スペシャルドラマ『富士ファミリー』公式サイトより
 お正月のスペシャルドラマの出演者に「マツコロイド」の名前があれば、普通は「あ、軽い感じのドラマかな」と思うだろう。マツコロイドとは『マツコとマツコ』(日本テレビ系)などに登場していたマツコ・デラックスそっくりのアンドロイド。ドラマの“出演者”としては、間違いなく“イロモノ”だろう。  だが、木皿泉・脚本のドラマなら、話は別だ。なぜなら、木皿はこれまでも、人ならざるものをモチーフにして、“人間”を描いてきた作家だからだ。  マツコロイドが出演した『富士ファミリー』(NHK総合)は、目の前に富士山がそびえ立つ古びたコンビニ「富士ファミリー」を舞台にした“ホームドラマ”だ。ホームドラマといっても、そこに住む“家族”は、血のつながりのない者ばかり。  小国家の美人三姉妹の長女・鷹子(薬師丸ひろ子)と、死んだ三姉妹の次女・ナスミ(小泉今日子)の夫である日出男(吉岡秀隆)、その三姉妹の父親の妹である笑子バアさん(片桐はいり)、そして、住み込みでアルバイトをすることになった“訳あり”のカスミ(中村ゆりか)の4人。そこに時折、三女の月美(ミムラ)も嫁ぎ先から訪れる。 「富士山よ、お前に頭を下げない女がここに立っている」と宣言する笑子バアさんを老けメイクでユーモラスに演じているのは、片桐はいりだ。そんな姿を見ると、同じようにホームドラマで老婆を演じたかつての樹木希林を想起してしまうように、『富士ファミリー』は昭和のホームドラマを彷彿とさせる。  ある時、笑子にナスミの幽霊が見えるようになるところから物語は始まる。笑子はナスミに頼まれて、彼女のコートのポケットの中から一片のメモを見つけるのだ。そこには「ストロー」「光太郎」「四つ葉のクローバー」「懐中電灯」「ケーキ」という、意味不明の単語が書かれている。5人はそれぞれメモの断片をもらい、その単語が物語を推し進めていく。  ファンタジックな登場人物は、マツコロイドや幽霊にとどまらない。ある時、月美は「吸血鬼」を名乗る青年・洋平(細田善彦)に出会う。彼は、月美に「一緒に旅しませんか?」と迫る。「エベレストの麓のホテルなら、昨日のことをくよくよ考えたり、明日のことを心配せずに済む」と。だが、月美は「富士山の目の前に住んでいても、悩みはある」と断る。「手放したくないものがある」というのだ。  それは、例えば「お風呂から上がった子どもが逃げるのをつかまえて、バスタオルでくるむこと」や、「パパの中指。昔、バスケットをやって突き指して、まっすぐにならなくなっちゃった指」「パパの定期入れにずっと入ってた、小さく小さく折りたたんだレシート。私と初めて行ったファミレスのレシート」といった“日常”だ。木皿泉作品には、そんな日常の機微がたくさん詰まっている。 『富士ファミリー』では、これまでの木皿泉作品のモチーフが踏襲されている。特に「血のつながらない共同体」を描いた『すいか』(2003年、日本テレビ系)を強く思わせる。 「私が代わりにここにいてあげる。だから、お前はどんどん転がるように変わっていけ」と鷹子から言われて上京したナスミを演じる小泉今日子。彼女は『すいか』では、勤め先の信用金庫から3億円を横領して逃亡していた馬場万里子役を演じた。    それぞれが人生の岐路に立つ中、笑子は自分の存在がそれを妨げてしまっているのではないか、自分は彼女たちの迷惑になってしまっているだけではないかと悩み、家を出ようと考える。そんな時に出会うのが、マツコロイドだ。  配送中に車から落ちてしまったというマツコロイドは、自分は「介護ロボット」だと言う。「介護するロボット」ではなく「介護されるロボット」、つまり「人に迷惑をかけるためだけに作られたロボット」だと言うのだ。なぜそんなものが作られたのか、意味がわからない。だが、マツコロイドは言う。 「意味があろうがなかろうが、すでに私たちはここにいる。そのことのほうが、重要なんじゃないかしら」  気恥ずかしいセリフでも、マツコロイドが機械的に発すると、その“真理”が素直に響いてくる。 『すいか』で、地味に働くだけの日常にふと疑問を持ち始めた主人公・早川基子(小林聡美)が「私みたいな者も、いていいんでしょうか」と漏らした問いに、アネゴ肌の大学教授(浅丘ルリ子)がハッキリと言うシーンがある。「いて、よし!」と。 『富士ファミリー』でも、笑子がマツコロイドに「私、ここにいていいのかね?」と問いかける。  すると、マツコロイドは言うのだ。 「ていうか、もういるし」  その肯定感は時を超え、その分、更新されていっている。エベレストの目の前だろうが、富士山の麓に住んでいようが、人は悩みながら生きている。だけど、富士山のような絶対的な存在があるからこそ、それが心の支えになり、生きやすくもなる。思えば、『富士ファミリー』で木皿泉によって描かれる肯定感は、「富士山」そのものだ。富士山がそうであるように、僕らの日常の中の悩みを「いて、よし!」「ていうか、もういるし」と、優しく受け止めてくれる。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

マツコロイドが真理を語る、NHK新春ドラマ『富士ファミリー』の肯定感

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NHK新春スペシャルドラマ『富士ファミリー』公式サイトより
 お正月のスペシャルドラマの出演者に「マツコロイド」の名前があれば、普通は「あ、軽い感じのドラマかな」と思うだろう。マツコロイドとは『マツコとマツコ』(日本テレビ系)などに登場していたマツコ・デラックスそっくりのアンドロイド。ドラマの“出演者”としては、間違いなく“イロモノ”だろう。  だが、木皿泉・脚本のドラマなら、話は別だ。なぜなら、木皿はこれまでも、人ならざるものをモチーフにして、“人間”を描いてきた作家だからだ。  マツコロイドが出演した『富士ファミリー』(NHK総合)は、目の前に富士山がそびえ立つ古びたコンビニ「富士ファミリー」を舞台にした“ホームドラマ”だ。ホームドラマといっても、そこに住む“家族”は、血のつながりのない者ばかり。  小国家の美人三姉妹の長女・鷹子(薬師丸ひろ子)と、死んだ三姉妹の次女・ナスミ(小泉今日子)の夫である日出男(吉岡秀隆)、その三姉妹の父親の妹である笑子バアさん(片桐はいり)、そして、住み込みでアルバイトをすることになった“訳あり”のカスミ(中村ゆりか)の4人。そこに時折、三女の月美(ミムラ)も嫁ぎ先から訪れる。 「富士山よ、お前に頭を下げない女がここに立っている」と宣言する笑子バアさんを老けメイクでユーモラスに演じているのは、片桐はいりだ。そんな姿を見ると、同じようにホームドラマで老婆を演じたかつての樹木希林を想起してしまうように、『富士ファミリー』は昭和のホームドラマを彷彿とさせる。  ある時、笑子にナスミの幽霊が見えるようになるところから物語は始まる。笑子はナスミに頼まれて、彼女のコートのポケットの中から一片のメモを見つけるのだ。そこには「ストロー」「光太郎」「四つ葉のクローバー」「懐中電灯」「ケーキ」という、意味不明の単語が書かれている。5人はそれぞれメモの断片をもらい、その単語が物語を推し進めていく。  ファンタジックな登場人物は、マツコロイドや幽霊にとどまらない。ある時、月美は「吸血鬼」を名乗る青年・洋平(細田善彦)に出会う。彼は、月美に「一緒に旅しませんか?」と迫る。「エベレストの麓のホテルなら、昨日のことをくよくよ考えたり、明日のことを心配せずに済む」と。だが、月美は「富士山の目の前に住んでいても、悩みはある」と断る。「手放したくないものがある」というのだ。  それは、例えば「お風呂から上がった子どもが逃げるのをつかまえて、バスタオルでくるむこと」や、「パパの中指。昔、バスケットをやって突き指して、まっすぐにならなくなっちゃった指」「パパの定期入れにずっと入ってた、小さく小さく折りたたんだレシート。私と初めて行ったファミレスのレシート」といった“日常”だ。木皿泉作品には、そんな日常の機微がたくさん詰まっている。 『富士ファミリー』では、これまでの木皿泉作品のモチーフが踏襲されている。特に「血のつながらない共同体」を描いた『すいか』(2003年、日本テレビ系)を強く思わせる。 「私が代わりにここにいてあげる。だから、お前はどんどん転がるように変わっていけ」と鷹子から言われて上京したナスミを演じる小泉今日子。彼女は『すいか』では、勤め先の信用金庫から3億円を横領して逃亡していた馬場万里子役を演じた。    それぞれが人生の岐路に立つ中、笑子は自分の存在がそれを妨げてしまっているのではないか、自分は彼女たちの迷惑になってしまっているだけではないかと悩み、家を出ようと考える。そんな時に出会うのが、マツコロイドだ。  配送中に車から落ちてしまったというマツコロイドは、自分は「介護ロボット」だと言う。「介護するロボット」ではなく「介護されるロボット」、つまり「人に迷惑をかけるためだけに作られたロボット」だと言うのだ。なぜそんなものが作られたのか、意味がわからない。だが、マツコロイドは言う。 「意味があろうがなかろうが、すでに私たちはここにいる。そのことのほうが、重要なんじゃないかしら」  気恥ずかしいセリフでも、マツコロイドが機械的に発すると、その“真理”が素直に響いてくる。 『すいか』で、地味に働くだけの日常にふと疑問を持ち始めた主人公・早川基子(小林聡美)が「私みたいな者も、いていいんでしょうか」と漏らした問いに、アネゴ肌の大学教授(浅丘ルリ子)がハッキリと言うシーンがある。「いて、よし!」と。 『富士ファミリー』でも、笑子がマツコロイドに「私、ここにいていいのかね?」と問いかける。  すると、マツコロイドは言うのだ。 「ていうか、もういるし」  その肯定感は時を超え、その分、更新されていっている。エベレストの目の前だろうが、富士山の麓に住んでいようが、人は悩みながら生きている。だけど、富士山のような絶対的な存在があるからこそ、それが心の支えになり、生きやすくもなる。思えば、『富士ファミリー』で木皿泉によって描かれる肯定感は、「富士山」そのものだ。富士山がそうであるように、僕らの日常の中の悩みを「いて、よし!」「ていうか、もういるし」と、優しく受け止めてくれる。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

テレビウォッチャー・てれびのスキマが選ぶ、2015年のテレビ事件簿【ドラマ編】

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『デート ~恋とはどんなものかしら~』フジテレビ
バラエティ編はこちらから】  2015年のドラマを振り返る際、真っ先に挙げなければならないのは『下町ロケット』(TBS系)だろう。多くのドラマが視聴率1桁台と2桁台の境目でもがいている中、20%超えする回もあるなど、高視聴率を獲得。いわば、ひとり勝ち状態だった。  これには、さまざまな要因がある。中でも大きいのは、伊與田英徳プロデューサー&福澤克雄演出というチームの完成度が、いよいよ円熟されたということだろう。吉川晃司や立川談春、今田耕司といった、意外で新鮮味のあるキャスティングを勧善懲悪のわかりやすい物語と特徴的な演出で生かしている。  そんな2015年のドラマを、視聴率とは別に振り返ってみたい。 ■今年の一本  2015年の1本を選ぶならば、『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ系)ではないだろうか。杏と長谷川博己を主演に迎えた「月9」ドラマ。だが、古沢良太が脚本を担当しているだけに、一筋縄ではいかない恋愛ドラマだ。  自称「高等遊民」を名乗るニートの谷口(長谷川博己)と「リケジョ」で徹底した合理主義の依子(杏)は、共に恋愛を否定する「恋愛不適合者」。彼らの会話がそのまま恋愛ドラマへの批評にもなっていて、にもかかわらず、恋愛ドラマの代名詞ともいえる「月9」で放送しているのが痛快だった。  しかも、古沢が巧みなのは、それを王道の恋愛ドラマのフォーマットの中で描いていることだ。恋愛を否定する者同士が価値観をぶつけ合わせながら、拒絶したり受け入れたりする。それは、まさに「恋愛」そのものだ。  さらに『デート』は、「2015夏 秘湯」として続編のスペシャルドラマを放送。連ドラ版で恋人同士になった後の、プロポーズして結婚するまでを描いた。「2015夏」とサブタイトルがついているからには、今後「2016」「2017」……と新婚編、出産編、子育て編と長く続いてほしい作品だ。  また『ど根性ガエル』(日本テレビ系)は、河野英裕プロデューサー&岡田惠和・脚本のコンビがこれまで作ってきたドラマの集大成のようだった。松山ケンイチはもとより、満島ひかりのピョン吉役(声)、「~でやんす」という口調にまったく違和感がないという勝地涼などのキャスティングも見事だった。今後、同じ座組・キャストでシリーズ化してほしいドラマだ。 ■何かに特化する「潔さ」  今年放送されたドラマでは、LGBTやジェンダー問題がテーマのひとつとして作られている作品が目立った。  その大きな成果が、『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)だろう。第1話ではあり得ないようなセクハラ&パワハラシーンが描かれ、その極端ともいえる男性の描写に賛否を巻き起こしたが、それだけ現実のハラスメントが深刻である裏返しだろう。本作はギャラクシー賞の月間賞も獲得したが、その票を投じたのが全員女性委員だったという話が象徴的だ。  ほかにも、『エイジハラスメント』(テレビ朝日系)はジェンダー問題そのものを主題に扱った作品だし、『表参道高校合唱部!』(TBS系)や『偽装の夫婦』(日本テレビ系)などには、LGBTの人物が当たり前のように登場している。  また、「潔さ」というのも、今年のドラマの特徴のひとつだろう。何かに特化し、ほかの部分には目をつぶっても、その特化した部分だけは丁寧に描くという「潔さ」だ。前述の『表参道高校合唱部!』や『掟上今日子の備忘録』(日本テレビ系)などは、出演者のキラキラした魅力を引き出すことに特化していたし、『エンジェル・ハート』(同)は原作の動きやカットを忠実に再現することに特化していた。王道のコメディを追求した『釣りバカ日誌』(テレビ東京系)も、その部分以外は切り捨てる「潔さ」が心地よかった。また『下町ロケット』は、いかにカタルシスを生み出すかに特化し、勧善懲悪に回帰する潔さがあった。 ■新世代の役者陣の活躍  役者陣では、10代後半から20代の実力派若手俳優の活躍が目立った。 『問題のあるレストラン』でそろい踏みした松岡茉優、高畑充希、二階堂ふみが象徴的だ。ここで描かれた美しい3ショットは今後、記念碑的なものになるであろう予感に満ちていた。特に松岡茉優は『コウノドリ』(TBS系)、『She』(フジテレビ系)など、多数のドラマに出演。それにとどまらず、バラエティ番組でも活躍した。同様にバラエティの出演も印象的だった清水富美加は、『まれ』(NHK)でヒロインを凌駕する印象を残し、『となりの関くんとるみちゃんの事象』(TBS系)や『コウノドリ』でコメディもシリアスもできることを見せつけ、ドラマ要素の強いコント番組『SICKS』(テレビ東京系)でも、ものすごい量のオタク用語がちりばめられた早口のセリフを完璧に、自分の言葉のように演じてみせた。  ほかにも『She』、『ドS刑事』(日本テレビ系)、『ちゃんぽん食べたか』(NHK)、『表参道高校合唱部!』、『テディ・ゴー!』(フジテレビ)、『監獄学園』(TBS系)と数多くの作品に出演し、さまざまな役柄でそれぞれ印象的だった森川葵の仕事っぷりもすさまじかった。  男性俳優の中で出色だったのは、菅田将暉だ。『民王』(テレビ朝日系)では、遠藤憲一とのダブル主演を張り、『ちゃんぽん食べたか』や『二十歳と一匹』(NHK)でも主演、『問題のあるレストラン』でも好演し、果ては『誰も知らない明石家さんまの真実を暴く! 史上最大のさんま早押しトーク』(日本テレビ系)内のミニドラマ『小岩青春物語』で、若き明石家さんま役も見事に演じた。  窪田正孝もすごかった。もともと実力は評価されてきたが、『アルジャーノンに花束を』(TBS系)で主人公の先輩役で強烈な印象を残すと、ついに『デスノート』(日本テレビ系)で主演。原作とは一味違う、人間味あふれる夜神月像を鬼気迫る演技で作り上げた。また子役時代から天才といわれ活躍し続ける神木隆之介も、飄々としたキャラで再び注目を浴び、『サムライせんせい』(テレビ朝日系)ではチャラい坂本龍馬を演じ、さらに飛躍した年だった。 ■総括  2013年の『半沢直樹』の成功の影響もあって、今年は同じスタッフが作る『下町ロケット』はもとより、「顔」のアップが目立ったドラマが多かった。『下町ロケット』も高視聴率を獲得したことで、この傾向は今後も続くのではないだろうか。一方で、それとはアプローチが異なったのが、ピエール瀧の「顔」を印象的に撮った『64』(NHK)だ。こうした新機軸のドラマも、今後増えていってほしい。  また余談だが、今年は震災や戦後の節目の年だったこともあり、それぞれの特別ドラマやドキュメンタリーが数多く制作された。中でもNHKの戦後ドキュメンタリーは現場の意地を感じられるものばかりで、70年たった今でも新しい切り口があることを知らしめた。また同じく戦後70年をテーマにしたアニメ『団地ともお』もレギュラー回の雰囲気そのままに、戦後の問題を浮き彫りにした名作だった。  アニメでいえば、『おそ松くん』を“リメイク”して破壊した『おそ松さん』(テレビ東京系)がアニメ界にとどまらない大きな話題を呼んでいる。同じリメイクものでも対極のアプローチで、真正面からリメイクした『ルパン三世』(日本テレビ系)もハイクオリティだ。また『俺物語!!』(同)も、思わず「好きだ!」と叫びたくなる愛おしい作品だった。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

テレビウォッチャー・てれびのスキマが選ぶ、2015年のテレビ事件簿【バラエティ編】

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『水曜日のダウンタウン』|TBSテレビ
 2015年のバラエティ番組の顔といえば、やはりマツコ・デラックスだっただろうか。  これまでのレギュラーである『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)、『マツコの知らない世界』(TBS系)、『アウト×デラックス』『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)、『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)、『5時に夢中!』(TOKYO MX)に加えて今年、『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日系)や『マツコとマツコ』→『マツコ会議』(日本テレビ系)も始まった。日曜日以外全曜日にレギュラー番組があるという、文字通り「テレビで見ない日はない」といえる活躍。しかも、そのほとんどはメイン。『夜の巷を徘徊する』や『マツコの知らない世界』『マツコ会議』ではタレントの出演者はほぼマツコひとりという、ひな壇にタレントを多数集める番組が多い中、極めて異質な番組を作っている。そんな2015年のバラエティ番組を、振り返ってみたい。 ■TBSバラエティの充実  今年目立ったのは、TBSバラエティの充実っぷりだ。昨年に引き続き、いや昨年以上に圧倒的なクオリティの番組を作り続けたのが、藤井健太郎だ。レギュラー番組『水曜日のダウンタウン』はもとより、『チーム有吉』や『有吉弘行のドッ喜利王』など、革新的な企画を連発。今年だけで2度(『水曜日のダウンタウン』と『ドッ喜利王』)もギャラクシー賞・月間賞を受賞するという快挙。年末30日には『クイズ☆正解は一年後』が、年明け早々、なんと元日のゴールデンで『芸人キャノンボール』が放送される予定だ。   その藤井の門下ともいえる、直属の後輩たちの活躍も目覚ましい。『水曜日のダウンタウン』で演出を務める横井雄一郎が作っているのが『クレイジージャーニー』。クレイジーな旅人たちが、今までのテレビでは見たことのない未知の世界を案内してくれた。同じく『水曜日のダウンタウン』演出陣のひとりである高田脩も、『時間がある人しか出れないTV』を制作。ひとつひとつの企画を、文字通り、時間をかけて調べ上げる番組で、フルパワーズなど番組内スターを生み出した。年末29日には、特番が予定されている。  これら以外でも、特に深夜24時台のバラエティの勢いは、一時期、23時台を席巻していた頃のテレ朝のそれを彷彿とさせた。中でも『有田チルドレン』や『世界のどっかにホウチ民』は、ぜひ復活してほしい番組だ。 ■新世代の作り手たちの胎動  前述の藤井らはもとより、今年は80年代以降生まれの作り手たちが、いよいよ最前線にやってきた年でもあった。特に、まだ20代の新世代の活躍は特筆ものだ。  そのひとりは、テレビ朝日の北野貴章。彼が立ち上げた『しくじり先生 俺みたいになるな!!』がゴールデン進出。深夜時代のテイストが失われてしまうのでは、と危惧されたが、それはまったくの杞憂。深夜時代以上に攻めた人選と濃密な内容で、特に辺見マリが洗脳について語った回のインパクトは強烈だった。  もうひとりの20代の新鋭は、フジテレビのマイアミ・ケータこと萩原啓太。『ヨルタモリ』のディレクターのひとりとして腕を磨いていた彼がその後番組として立ち上げたのは、『ヨルタモリ』とは対極のようなテイストの『人生のパイセンTV』。新しいテロップやナレーションの使い方で、新感覚のチャラいVTRを作っている。また、積極的に自らが画面に登場するさまは、イケイケだった頃のフジテレビを思わせるものだ。  この20代の作り手が作る番組のMCにともに起用されているのが、新世代のMCとして期待されるオードリーの若林正恭というのが象徴的だ。  そのほか『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京系)の高橋弘樹も、80年代生まれの30代前半。確実に、若い世代にバトンがつながれている。 ■空前のポンコツブーム  芸人でいえば、ドランクドラゴン・鈴木拓や、バイきんぐ・小峠英二の活躍が印象深い。 鈴木は、持ち前のクズキャラがここにきて開花。『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)の「24時間インタビュー」を皮切りに、さまざまな番組で独自のクズ理論を展開。ついには『クズころがし』(主婦と生活社)なる本も出版した。また、バラエティ以外にも、俳優として朝ドラ『まれ』(NHK)に出演。これまで俳優業といえば、相方の塚地武雅のバーターで端役が多かったが、『まれ』では共演した塚地以上に重要な役どころを演じた。  小峠は、深夜番組での活躍が目覚ましかった。特に『有田チルドレン』では「専属スカウトマン」役として進行役を務め、“小峠劇場”という言葉を生み出すほど番組の中心を担っていた。『ざっくりハイタッチ』や『ゴッドタン』『超シリトリアル』(テレビ東京系)、深夜時代の『おーい!ひろいき村』(フジテレビ系)のドミノ企画、『ネリさまぁ~ず』(日本テレビ系)など、出る番組でことごとく爪痕を残していた。  同様にアベレージが高く、藤井や佐久間宣行、加地倫三といった有数のお笑い番組の作り手たちに愛されている三四郎・小宮浩信も独自のポジションを切り開いていた。間違いなく、「空前のポンコツブーム」(byさらば青春の光・森田哲矢)の担い手のひとりだ。   スピードワゴンが再び注目を浴びたのも、特筆すべきことだろう。小沢は「SEKAI NO OZAWA」としてウザい言動が、井戸田は「ハンバーグ師匠」が花開いた。コンビとしてではなく、それぞれのピンの活動がほぼ同時期にブレークするという不思議な現象だった。カルト芸人といわれていた永野がまさかのブレークを果たしたのも、書き留めておきたいトピックだ。  また、今年はピース・又吉直樹が芥川賞を受賞したこともあって、西加奈子や羽田圭介といった作家が注目され、表舞台で活躍した年でもあった。『ワイドナショー』(フジテレビ系)での山口恵以子も印象深い。ラジオでも、朝井リョウと加藤千恵が『オールナイトニッポン0』(ニッポン放送)のパーソナリティに抜擢された。 ■総括  振り返ってみると、今年はお笑いに特化した番組が意外に多かった。特に特番では、かつての『内村プロデュース』(テレビ朝日系)を思わせる『有吉の壁』(日本テレビ系)や、前述の『有吉弘行のドッ喜利王』、オードリーによる『とんぱちオードリー』(フジテレビ系)もあった。『THE MANZAI』(同)がコンテスト形式からネタ見せ形式に変わったように、『ENGEIグランドスラム』(同)などのネタ見せ特番も多く放送された。また、『こそこそチャップリン』(テレビ東京系)のように、最近までほとんどなくなっていたネタ見せのレギュラー番組が復活しつつある。同様にほぼ『LIFE!~人生に捧げるコント』(NHK)だけだったコント番組も『SICKS』(テレビ東京系)や『となりのシムラ』(NHK)が作られた。  少し前、「お笑いブーム」終焉が叫ばれていた。確かにブームは終わっただろう。だが、ブームではなく、地に足の着いたお笑い番組がいま着実に生まれつつあるのだ。  上に挙げた新世代の作り手たちが今後どんなお笑い番組を作っていくのか、注目だ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体

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金曜ドラマ『コウノドリ』|TBSテレビ
 “優しい”ドラマである。  今期、視聴後の満足度が抜群に高かったのが『コウノドリ』(TBS系)だ。毎回毎回、強く心に響き、涙を禁じ得ない。いよいよ18日、最終回を迎える。まだ終わってほしくないと思わずにはいられないドラマだ。 『コウノドリ』は、鈴ノ木ユウによる同名のマンガを原作に、『八重の桜』『ゲゲゲの女房』(ともにNHK)などの山本むつみが脚本を手掛けた作品。  舞台は産婦人科だ。主人公・鴻鳥サクラを演じているのは綾野剛。愛情深く、常にほほえみを浮かべ、患者に優しく語りかける産婦人科医である。また、謎の天才ピアニスト「BABY」という顔も持っている。  一方、サクラの同期・四宮ハルキ役には星野源が起用されている。彼は、サクラとは対照的に、常に無表情。患者に対しても必要最小限なことしか言わず、冷淡だ。それゆえ、時に患者を傷つけてしまうこともある。  これまで2人が演じてきた役柄を考えると、それぞれのキャラクターは普通、「逆」である。綾野はクールな役柄を演じることが多いし、星野も優しいイメージが強い。だが、あえて反転させることで、この作品を豊かなものにしている。  ドラマ『コウノドリ』において、この「逆」というのは、キャスティングに限った話ではない。もちろん、四宮の冷淡さは、優しさの裏返しだし、サクラは誰よりも厳しい目を持っている。また冒頭で“優しい”ドラマだと書いたが、各エピソードのストーリー自体は、その「逆」であることがほとんどだ。とても“厳しい”現実を描いている。  不妊治療や高齢出産、胎盤早期剥離など、産婦人科が抱えるさまざまな困難を描いているが、『コウノドリ』では、“奇跡”はほとんど起きない。たとえば、第9話では、23週で切迫早産になった妊婦・明子(酒井美紀)が救急搬送される。医師たちの懸命な処置で、赤ちゃんは無事誕生した。だが、明子も夫の大介(吉沢悠)も、生まれてきた赤ちゃんを見て愕然とする。それはあまりに小さく、たくさんの管がつながれていたのだ。  さらに、新生児科医の新井(山口紗弥加)から、両親に厳しい現実が伝えられる。早く生まれたために肺の形成が十分ではなく、呼吸や循環が不安定なために、脳がうっ血や虚血を起こしやすいこと。脳室内の出血が起こってしまえば予後不良、つまり重篤な障害が残ったり、命に関わることがあること、だ。「どうしよう」と泣きだす明子に「大丈夫、心配ないよ」と震える声で励ます夫は、引きつった顔で新井に尋ねる。 「でも先生、障害が残るとか、亡くなるとか……そういう可能性は低いんですよね?」 「低くは……ないです」  伝えられる厳しい現実に耐え切れず、大介は激高する。 「じゃあ、なんで助けたんですか!」  生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。 「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」  自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。  医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。  新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。 「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」  まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。 「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」  両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。 『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。 「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。 『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体

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金曜ドラマ『コウノドリ』|TBSテレビ
 “優しい”ドラマである。  今期、視聴後の満足度が抜群に高かったのが『コウノドリ』(TBS系)だ。毎回毎回、強く心に響き、涙を禁じ得ない。いよいよ18日、最終回を迎える。まだ終わってほしくないと思わずにはいられないドラマだ。 『コウノドリ』は、鈴ノ木ユウによる同名のマンガを原作に、『八重の桜』『ゲゲゲの女房』(ともにNHK)などの山本むつみが脚本を手掛けた作品。  舞台は産婦人科だ。主人公・鴻鳥サクラを演じているのは綾野剛。愛情深く、常にほほえみを浮かべ、患者に優しく語りかける産婦人科医である。また、謎の天才ピアニスト「BABY」という顔も持っている。  一方、サクラの同期・四宮ハルキ役には星野源が起用されている。彼は、サクラとは対照的に、常に無表情。患者に対しても必要最小限なことしか言わず、冷淡だ。それゆえ、時に患者を傷つけてしまうこともある。  これまで2人が演じてきた役柄を考えると、それぞれのキャラクターは普通、「逆」である。綾野はクールな役柄を演じることが多いし、星野も優しいイメージが強い。だが、あえて反転させることで、この作品を豊かなものにしている。  ドラマ『コウノドリ』において、この「逆」というのは、キャスティングに限った話ではない。もちろん、四宮の冷淡さは、優しさの裏返しだし、サクラは誰よりも厳しい目を持っている。また冒頭で“優しい”ドラマだと書いたが、各エピソードのストーリー自体は、その「逆」であることがほとんどだ。とても“厳しい”現実を描いている。  不妊治療や高齢出産、胎盤早期剥離など、産婦人科が抱えるさまざまな困難を描いているが、『コウノドリ』では、“奇跡”はほとんど起きない。たとえば、第9話では、23週で切迫早産になった妊婦・明子(酒井美紀)が救急搬送される。医師たちの懸命な処置で、赤ちゃんは無事誕生した。だが、明子も夫の大介(吉沢悠)も、生まれてきた赤ちゃんを見て愕然とする。それはあまりに小さく、たくさんの管がつながれていたのだ。  さらに、新生児科医の新井(山口紗弥加)から、両親に厳しい現実が伝えられる。早く生まれたために肺の形成が十分ではなく、呼吸や循環が不安定なために、脳がうっ血や虚血を起こしやすいこと。脳室内の出血が起こってしまえば予後不良、つまり重篤な障害が残ったり、命に関わることがあること、だ。「どうしよう」と泣きだす明子に「大丈夫、心配ないよ」と震える声で励ます夫は、引きつった顔で新井に尋ねる。 「でも先生、障害が残るとか、亡くなるとか……そういう可能性は低いんですよね?」 「低くは……ないです」  伝えられる厳しい現実に耐え切れず、大介は激高する。 「じゃあ、なんで助けたんですか!」  生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。 「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」  自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。  医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。  新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。 「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」  まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。 「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」  両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。 『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。 「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。 『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「なんか、すごい幸せだなぁ」『そんなバカなマン』が見せる、バナナマンとバカリズムの“夢”の続き 

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『そんなバカなマン』フジテレビ
「ヒデ、初心忘れてるな?」  バナナマン・設楽統は、バカリズムをそう問いただした。「ヒデ」とは、バカリズムの若い頃からの呼び名だ。 「初心取り戻しに“ホームステイ”行くか?」と切り出す設楽に、「いやいやいや! ホント、キツイ!」と、クールなイメージの強いバカリズムが珍しくうろたえた。  バナナマンとバカリズムという、当代きってのお笑い芸人である3人は、実は売れない若手時代からの仲良し。“親友”と呼べるほどの間柄だ。そんな2組の冠番組が『そんなバカなマン』(フジテレビ系)である。  一番の人気企画は、映画『パシフィック・リム』のパロディ「パシフィック・ヒム」。日村と女性タレントとの“デート”を設楽とバカリズムがモニタリングしながら、遠隔操作で日村を操縦するというもの。悪ふざけがどんどん加速していくドSの設楽とバカリズム、そしてその指示を見事にこなしてしまう稀代のプレーヤー日村の特性が見事に合致した、3人ならではの企画である。  この企画を筆頭に、気心が知れているだけあって、番組は彼らの魅力と実力を最大限生かした企画を連発している。 「孤高の天才」などと呼ばれ、あまりイジられるイメージのないバカリズム。そんな彼を、番組では徹底的にイジる。それは、実はイジられ、追い込まれたときのバカリズムがチャーミングであることをよく知っているからだろう。  バカリズムがそろそろ車が欲しいだろうと、勝手に決めつけて始まった「そんなバカな!? 車選び」では、とんでもない改造車を用意したり、アイドルグループ・アイドリング!!!と組んで放送していた『アイドリング!!!』(同)が終わってしまったことで傷心していると決めつけ、新たなタッグを組んでくれるアイドル探しをしたりと、バカリズムが嫌がりそうなツボを絶妙に突き、困惑するさまを見事に映し出している。  その極めつきが、冒頭の「そんなバカなホームステイ」。バカリズムが初心を取り戻すため、夢を追い続ける“夢追い人(ステイドリーマー)”の元にホームステイをするというものだ。  その夢追い人というのが、一筋縄ではいかない。YouTuberとして売れることを夢見る男・BUNZIN。『水曜日のダウンタウン』(TBS系)風に形容すれば、“下層YouTuber”である。とにかくこの男、プライドが高い。自分が「面白い」と信じて疑わないのだ。加えて、人をイラつかせる才能はピカイチだ。  例えば、自分が描いた極小水着姿の女性キャラクターの名前を、バカリズムにつけてもらおうとするシーン。「ケイコ」とか「サダコ」とか、ありふれた名前は嫌だという。「サダコはありふれてはいない」というバカリズムのツッコミは無視し、BUNZINはその理由を語りだす。 「これが現実化するとして、原宿とか渋谷で人がわーっといる中で名前を呼ぶとするじゃないですか。そのときに、ありふれた名前だと、みんな振り向いちゃう」  だったら、本人が例に挙げた「うにゅ」にしましょう、とバカリズムが投げやりに提案すると、今度は「名前らしくない」と一蹴。もともといるBUNZINのキャラクター「オモシロイミ」も名前っぽくないと指摘すると、「“ミ”がついてれば女の子の名前」と主張する。バカリズムの意見に、ことごとく屁理屈をつけて反論するのだ。  最終的に、セクシーな名前がいいというBUNZINにバカリズムが「セク・シー子」と助け舟を出し、「シー子」という名前に落ち着くのだが、BUNZINは「私のアイデアですよ、これは。バカリズムさんが材料を提供してくれましたけど、最終的に料理したのは私ですから」と言い張る。地獄である。  その後も、バカリズムとBUNZINはことごとく対立。 「(BUNZINさんは)自分で小道具を作られてるじゃないですか。自分で手間かけて作ったものって、作っちゃったらなんとかして使いたいと思うでしょ。それって、意外と邪魔な気持ちなんです。面白いものを作る上で。もったいないが勝っちゃうから、要は切り捨てられなくなるんですよ」 といったバカリズムの真摯なアドバイスも、BUNZINはいまいち理解してくれない。果ては、YouTube用の動画の撮影に協力するバカリズムに「センスがないんだよ!」と暴言を吐く始末。  モニタリングしているだけの設楽でさえ「悪い夢を見ているよう……」と漏らすほどの“ハードドキュメント”だ。 「初心を思い出せただろ?」と半笑いで聞く設楽に、バカリズムは言う。 「俺の初心は、こんなんじゃない!」  かつてバナナマンとバカリズムは「テレビ向きじゃない」と言われていた。ライブでは絶賛されても、テレビにはほとんど出られない日々が続いた。「売れる」という夢を追っていた頃、一緒に住んでいた日村とバカリズムは、テレビに出ている芸人たちに対して「俺たちのほうが面白い」などと罵倒し続けていた。それは、明らかに嫉妬から来るものだった。  一時は、テレビで売れることをあきらめかけていたというバカリズム。先にバナナマンが売れたことは、彼に勇気を与えたのだろう。いまや2組は、バラエティ番組に欠かせない存在になった。  何をされても無表情を維持することを競う「ノーリアクション柔道」という企画で、バカリズムにTシャツを破られた時、思わず笑ってしまった日村は、「なんか、すごい幸せだなぁと思っちゃって」と感慨深く言った。 「『こんなことテレビでやってる』っていうのが、出ちゃいました。すいません」  自分たちが信じた「面白い」ことを全力でテレビでやれている。かつてあきらめかけた夢が、実現しているのだ。バナナマンとバカリズムは今、夢の続きを歩いている。  3人は思わず顔を見合わせながら、幸せそうに笑った。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから