「お前のスタイルが王道になっちまうんだったら 今後バトルの熱は相当冷める それが正義だって言うHIP HOPシーンなら 俺は抜いた刀をそっと収めるよ」 ライム至上主義の“隠れモンスター”FORKが美しい韻を踏む。 それに対し、パンチラインを最優先するチャレンジャー・NAIKA MCが返す。 「そっと収めて帰れよじゃあ 別に韻だけじゃなくても勝ち上がる」 「確かに韻はヤバい でも何もできなくてもできることを証明したい」 韻とパンチライン。まさにスタイルとスタイルのぶつかり合い、“スタイルウォーズ”だった。 3rdシーズンのREC5に突入した『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)。このシーズンからは3人のチーム制になったが、REC5の最初のチャレンジャーは「TEAMパンチラインフェチズ」。 その名の通り、巧みに韻を踏むよりも強烈なパンチラインを優先するNAIKA MC、崇勲、TKda黒ぶちの3人だ。 『フリースタイルダンジョン』は、フリースタイル(即興)のラップバトル番組。チャレンジャーは、般若をラスボスとする7人のモンスター(&隠れモンスター)と対戦し、5つのステージをすべて勝利すると賞金100万円がもらえるというルールだ。 前回の収録であるREC4は5チームが挑戦したが、放送はわずか3週。なぜなら、モンスターが圧倒したからだ。初戦でサイプレス上野が敗れた以外は、モンスター側がすべて勝利した。 そこには、現在のフリースタイルブームともいえる状況へ、そのブームを牽引しているといって過言ではないモンスターたちの危機感があったのではないだろうか? 地道に続けられていたフリースタイルバトルの大会や『BAZOOKA!!!』(BSスカパー!)の「高校生ラップ選手権」を経て、地上波の『フリースタイルダンジョン』が盛り上がったことで、フリースタイルバトルは、ひとつのブームとなった。 昨年の「ユリイカ」6月号(青土社)が「日本語ラップ」特集で、「サイゾー」同号が「ニッポンのラップ新潮流」、「クイック・ジャパン」(太田出版)が「フリースタイル」特集と、カルチャー誌がこぞって特集したことが象徴的だ。ちまたでは、僕のようなニワカのファンがあふれ、バラエティ番組などでも、たびたび芸人やタレントがフリースタイルの真似ごとをやっているのを見かけるようにもなった。もちろん、それは裾野を広げるという意味では素晴らしいことだろう。 だが、ブームは燃え上がると途端に冷めてしまうというのは、歴史が証明している。REC4のライブコーナーに登場したCreepy NutsのR-指定は、新曲「助演男優賞」を歌った後、真剣なまなざしでMCを始める。 R-指定はモンスターの中にあって、圧倒的な勝率を誇る現在のフリースタイルバトルシーンを象徴する男だ。バラエティ番組などでも、その代表として登場する機会が多い。 「昔からフリースタイルしてる人間として、今こうやってブームになって『お前らブームに乗ったな』とか言われるのって、すごい複雑」 と、R-指定は切り出した。自分たちは、昔から同じことをしているだけだと。 「手のひら返したように寄ってくるんですけど、俺が卑屈なのか、全部疑ってしまうんですよね。『よっしゃ、俺らの時代来た!』なんて思ってる奴は(いない)。ここに出てる全員、危機感とか複雑な思い抱えてやってます」 「ブームが来て、ブームが去って、カメラがなくなっても雑誌が来なくなっても、やることは一緒です」 そう宣言して、ブームが終わった後、どうなるのかを描いた「未来予想図」を歌うのだった。 「真っ先に槍玉あげられんの俺かな?」という物哀しいフロウは、聴く者の胸に深く突き刺さった。 チャレンジャーが圧倒されたREC4の後のREC5。チャレンジャー「TEAMパンチラインフェチズ」にも、モンスターたちが抱く危機感は伝播し、彼らの心に火をつけたのかもしれない。 最初のステージはお互いに2人で戦う「2 on 2」。崇勲、TKda黒ぶち組が、モンスターの漢 a.k.a GAMI、サイプレス上野組をクリティカル(審査員5人全員一致)で破って、次のステージに勝ち進んだ。 第2ステージは「1 on 1」。そこで勝負の舞台に上がったのが、「TEAMパンチラインフェチズ」のリーダー・NAIKA MCと隠れモンスター・FORKだった。 NAIKA MCの勢いに1本目を落としたFORKは、再び美しいライムを重ねて応戦する。 「俺らはライムで切り開いていくオリジナリティ つまり自己流 ハンドルとHIP HOPは遊びがなきゃ 事故る 事故ったら最後 保険はきかねぇ 自賠責に入ってても 次回席はねえんだよ 2階席で見とけ 時代劇みたいには いかねえんだよ」 これに対しても、NAIKA MCはあくまでもスタイルを変えず「時代劇役者以上に役者」「別に事故んねえよ 問題ない シートベルトして安全に韻踏んでるだけのお前とは違う」などと返していく。 1対1となり、ついに最後の3本目。 「韻というのは 韻と韻の間を埋める言葉への愛だ そこのセンスにHIP HOPがあんだ」 巧みに韻を踏みながら語る、FORKのHIP HOP論。 「韻で表現の自由が固まっちまうなら 俺はそれに踏まれたかねえ 俺の影を踏むなよ アンタの負けになるぜ」 そう返すNAIKA MCのラップもまた、HIP HOP論だ。 最後に、FORKが返す。 「このライム そう全て自由が生まれる 知らねえ ライムするのはHIP HOPっていう理由だ」 審査員長のいとうせいこうも「素晴らしいHIP HOP論」とうなった極上のバトル。ブームで終わらせてたまるかという、思いのこもったような熱い戦い。 ぶつかり合う価値観は逆に、いかにHIP HOPが多様で自由なのかを証明していた。その自由さと多様さこそが、一過性のブームで終わらせないための大きな武器となるはずだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから
『フリースタイルダンジョン』テレビ朝日
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『フリースタイルダンジョン』モンスターたちの“危機感”と、ぶつかり合う価値観が証明するヒップホップの多様性
「お前のスタイルが王道になっちまうんだったら 今後バトルの熱は相当冷める それが正義だって言うHIP HOPシーンなら 俺は抜いた刀をそっと収めるよ」 ライム至上主義の“隠れモンスター”FORKが美しい韻を踏む。 それに対し、パンチラインを最優先するチャレンジャー・NAIKA MCが返す。 「そっと収めて帰れよじゃあ 別に韻だけじゃなくても勝ち上がる」 「確かに韻はヤバい でも何もできなくてもできることを証明したい」 韻とパンチライン。まさにスタイルとスタイルのぶつかり合い、“スタイルウォーズ”だった。 3rdシーズンのREC5に突入した『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)。このシーズンからは3人のチーム制になったが、REC5の最初のチャレンジャーは「TEAMパンチラインフェチズ」。 その名の通り、巧みに韻を踏むよりも強烈なパンチラインを優先するNAIKA MC、崇勲、TKda黒ぶちの3人だ。 『フリースタイルダンジョン』は、フリースタイル(即興)のラップバトル番組。チャレンジャーは、般若をラスボスとする7人のモンスター(&隠れモンスター)と対戦し、5つのステージをすべて勝利すると賞金100万円がもらえるというルールだ。 前回の収録であるREC4は5チームが挑戦したが、放送はわずか3週。なぜなら、モンスターが圧倒したからだ。初戦でサイプレス上野が敗れた以外は、モンスター側がすべて勝利した。 そこには、現在のフリースタイルブームともいえる状況へ、そのブームを牽引しているといって過言ではないモンスターたちの危機感があったのではないだろうか? 地道に続けられていたフリースタイルバトルの大会や『BAZOOKA!!!』(BSスカパー!)の「高校生ラップ選手権」を経て、地上波の『フリースタイルダンジョン』が盛り上がったことで、フリースタイルバトルは、ひとつのブームとなった。 昨年の「ユリイカ」6月号(青土社)が「日本語ラップ」特集で、「サイゾー」同号が「ニッポンのラップ新潮流」、「クイック・ジャパン」(太田出版)が「フリースタイル」特集と、カルチャー誌がこぞって特集したことが象徴的だ。ちまたでは、僕のようなニワカのファンがあふれ、バラエティ番組などでも、たびたび芸人やタレントがフリースタイルの真似ごとをやっているのを見かけるようにもなった。もちろん、それは裾野を広げるという意味では素晴らしいことだろう。 だが、ブームは燃え上がると途端に冷めてしまうというのは、歴史が証明している。REC4のライブコーナーに登場したCreepy NutsのR-指定は、新曲「助演男優賞」を歌った後、真剣なまなざしでMCを始める。 R-指定はモンスターの中にあって、圧倒的な勝率を誇る現在のフリースタイルバトルシーンを象徴する男だ。バラエティ番組などでも、その代表として登場する機会が多い。 「昔からフリースタイルしてる人間として、今こうやってブームになって『お前らブームに乗ったな』とか言われるのって、すごい複雑」 と、R-指定は切り出した。自分たちは、昔から同じことをしているだけだと。 「手のひら返したように寄ってくるんですけど、俺が卑屈なのか、全部疑ってしまうんですよね。『よっしゃ、俺らの時代来た!』なんて思ってる奴は(いない)。ここに出てる全員、危機感とか複雑な思い抱えてやってます」 「ブームが来て、ブームが去って、カメラがなくなっても雑誌が来なくなっても、やることは一緒です」 そう宣言して、ブームが終わった後、どうなるのかを描いた「未来予想図」を歌うのだった。 「真っ先に槍玉あげられんの俺かな?」という物哀しいフロウは、聴く者の胸に深く突き刺さった。 チャレンジャーが圧倒されたREC4の後のREC5。チャレンジャー「TEAMパンチラインフェチズ」にも、モンスターたちが抱く危機感は伝播し、彼らの心に火をつけたのかもしれない。 最初のステージはお互いに2人で戦う「2 on 2」。崇勲、TKda黒ぶち組が、モンスターの漢 a.k.a GAMI、サイプレス上野組をクリティカル(審査員5人全員一致)で破って、次のステージに勝ち進んだ。 第2ステージは「1 on 1」。そこで勝負の舞台に上がったのが、「TEAMパンチラインフェチズ」のリーダー・NAIKA MCと隠れモンスター・FORKだった。 NAIKA MCの勢いに1本目を落としたFORKは、再び美しいライムを重ねて応戦する。 「俺らはライムで切り開いていくオリジナリティ つまり自己流 ハンドルとHIP HOPは遊びがなきゃ 事故る 事故ったら最後 保険はきかねぇ 自賠責に入ってても 次回席はねえんだよ 2階席で見とけ 時代劇みたいには いかねえんだよ」 これに対しても、NAIKA MCはあくまでもスタイルを変えず「時代劇役者以上に役者」「別に事故んねえよ 問題ない シートベルトして安全に韻踏んでるだけのお前とは違う」などと返していく。 1対1となり、ついに最後の3本目。 「韻というのは 韻と韻の間を埋める言葉への愛だ そこのセンスにHIP HOPがあんだ」 巧みに韻を踏みながら語る、FORKのHIP HOP論。 「韻で表現の自由が固まっちまうなら 俺はそれに踏まれたかねえ 俺の影を踏むなよ アンタの負けになるぜ」 そう返すNAIKA MCのラップもまた、HIP HOP論だ。 最後に、FORKが返す。 「このライム そう全て自由が生まれる 知らねえ ライムするのはHIP HOPっていう理由だ」 審査員長のいとうせいこうも「素晴らしいHIP HOP論」とうなった極上のバトル。ブームで終わらせてたまるかという、思いのこもったような熱い戦い。 ぶつかり合う価値観は逆に、いかにHIP HOPが多様で自由なのかを証明していた。その自由さと多様さこそが、一過性のブームで終わらせないための大きな武器となるはずだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから ★スキマさんの新刊出ました★
『フリースタイルダンジョン』テレビ朝日
『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文藝春秋)
逃れられない母娘関係の呪縛……『お母さん、娘をやめていいですか?』が描く、“愛情”という名の暴力
「ママには超能力があるんだと思う。だって、離れていても、私が困っているのがわかる」 時に親友のように、時に恋人のように仲がよい母娘。 娘は、仕事や恋愛の状況、悩みを逐一報告し、母はそれに丁寧に答えていく。母も娘も、お互いが誰よりも相手が自分をわかってくれる存在だと認め、誰よりも自分が相手のことをわかると自負している。 そんな蜜月の関係の危うさを描いたのが『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK総合)だ。 娘・美月を波瑠が、母・顕子を斉藤由貴が演じている。親子役がとてもしっくりくる2人だ。 斉藤は『はね駒』(1986年)、波瑠は『あさが来た』(2015年)と、ともに朝ドラの主演を演じた2人が同じNHKドラマで母娘を演じているという関係性も面白い。 この母娘は、ともに朝ドラヒロインのように「善良」な人だ。基本的に明るく前向きで、相手のことを思いやっている。この2人の関係性を、ドラマでは繰り返し描いている。 たとえば、新築する家の壁紙とフローリングを画像で確認するシーンだ。 「これって、お願いした色?」 と聞き返す母は、頬に手を当て、何やら考えあぐねている。何か不服なことがあるときのクセらしい。 そんな様子の母を見て、娘は言う。 「思ったより、濃くない?」 「そう、ママもそう思う」 2人の意向を受け、業者が少し薄い色に替えると、母が満足げな顔をする。 それを見た娘は、すかさず言うのだ。 「うん、いい! 私、こっちのほうが好き!」 「そう? みっちゃんがそう言うのなら、そうしようか」 母は、娘を思いやって自分の意見を主張せず、娘の好みに合わせようとする。娘は、母を思いやって母の意見を先回りしてくみ取り、自分の意見のように主張する。そうして母は、娘の意見として、自分の思い通りに事を運んでいく。そこに、娘の本当の好みは入っていない。母の好みをくんだ上での好みだ。 ここでのポイントは、どちらもまったく悪気がないことだ。むしろ、お互いにお互いを思いやり尊重し、“共犯関係”が成立している。 そんな2人がひとりの男性と出会うことによって、その関係性に歪みが生じてくる。 彼女たちが家を新築する際、担当となった現場監督・松島(柳楽優弥)である。 母が人形作りのアシスタントをしているのも、子どもを自分の分身=人形のように扱うメタファーだろうし、この家族が家の新築を始めたのも、これから彼女たちの関係性を再構築するメタファーだろう。それを“指揮”することになるのが、松島なのだ。 彼は、持ち前の人懐っこさと積極性で、2人の間に入り込んでいく。 最初に彼に好感を持った母は、「なんかお似合いね」「(松島を)デートに誘っていいわよ」と美月に提案する。 娘は困惑するが、母に勧められたから渋々了承するのだ。 母娘の関係性に亀裂が入ったのは、このデートが発端だった。 そこで娘は、母が2人を尾行している姿を見てしまう。 「超能力がある」みたいに自分のことをわかってくれるのは、実は母が彼女を尾行したり、日記を盗み見たりして監視していたからだったのだ。動揺する娘に、彼は「もっと自分の好みを主張したほうがいい」と諭す。「自分の好みを言っている」と反論する彼女に、彼はこう返す。 「僕も母の顔色ばっかり見る子どもだったんで、君のことが全部わかる」 お互いがお互いを「全部わかる」と思い合う関係。それは一見、幸福だが、一皮むけば恐怖にほかならない。気持ちなんて、自分にだってわからない。にもかかわらず、愛情さえあれば相手の気持がわかる、と錯覚してしまう。 「全部わかる」は、「そんなはずじゃない」に一瞬で変容する。自分が思っている相手の像とは違う言動を目にしてしまったら、「そんなの、本当のあなたではない」と思ってしまう。 それは愛情の暴力だ。そこに「愛しているから」とか「思いやっているから」という“正義”が入っているから、たちが悪い。 悪気のない正義ほど、強く、怖いものはないのだ。お互いがお互いを好きすぎることから生じる歪み。それはあまりにも切なく、恐ろしい。ホームドラマであり、母娘の“ラブ”ストーリーであり、サイコ・ホラーかのようでもある。 母娘は、ついにぶつかり叫び合う。 「あなたの気持ちをこの世で一番大事に思っているのは、ママなのよ!」 「それ、私の気持ちじゃない!」 彼女たちの大きな目が、震えている。 そう、このドラマは目が印象的なドラマだ。みんな目が強い。斉藤由貴の常に狂気をはらんだ目と、波瑠の常に何かに戸惑っているような目、そして、柳楽優弥の力強く見据えているようで、どこかくすんでいる目。 第3話以降、母の「暴走」が本格化していくという。そのとき、彼女たちの目は、どのように変化していくのだろうか? (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『お母さん、娘をやめていいですか?』|NHK ドラマ10
逃れられない母娘関係の呪縛……『お母さん、娘をやめていいですか?』が描く、“愛情”という名の暴力
「ママには超能力があるんだと思う。だって、離れていても、私が困っているのがわかる」 時に親友のように、時に恋人のように仲がよい母娘。 娘は、仕事や恋愛の状況、悩みを逐一報告し、母はそれに丁寧に答えていく。母も娘も、お互いが誰よりも相手が自分をわかってくれる存在だと認め、誰よりも自分が相手のことをわかると自負している。 そんな蜜月の関係の危うさを描いたのが『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK総合)だ。 娘・美月を波瑠が、母・顕子を斉藤由貴が演じている。親子役がとてもしっくりくる2人だ。 斉藤は『はね駒』(1986年)、波瑠は『あさが来た』(2015年)と、ともに朝ドラの主演を演じた2人が同じNHKドラマで母娘を演じているという関係性も面白い。 この母娘は、ともに朝ドラヒロインのように「善良」な人だ。基本的に明るく前向きで、相手のことを思いやっている。この2人の関係性を、ドラマでは繰り返し描いている。 たとえば、新築する家の壁紙とフローリングを画像で確認するシーンだ。 「これって、お願いした色?」 と聞き返す母は、頬に手を当て、何やら考えあぐねている。何か不服なことがあるときのクセらしい。 そんな様子の母を見て、娘は言う。 「思ったより、濃くない?」 「そう、ママもそう思う」 2人の意向を受け、業者が少し薄い色に替えると、母が満足げな顔をする。 それを見た娘は、すかさず言うのだ。 「うん、いい! 私、こっちのほうが好き!」 「そう? みっちゃんがそう言うのなら、そうしようか」 母は、娘を思いやって自分の意見を主張せず、娘の好みに合わせようとする。娘は、母を思いやって母の意見を先回りしてくみ取り、自分の意見のように主張する。そうして母は、娘の意見として、自分の思い通りに事を運んでいく。そこに、娘の本当の好みは入っていない。母の好みをくんだ上での好みだ。 ここでのポイントは、どちらもまったく悪気がないことだ。むしろ、お互いにお互いを思いやり尊重し、“共犯関係”が成立している。 そんな2人がひとりの男性と出会うことによって、その関係性に歪みが生じてくる。 彼女たちが家を新築する際、担当となった現場監督・松島(柳楽優弥)である。 母が人形作りのアシスタントをしているのも、子どもを自分の分身=人形のように扱うメタファーだろうし、この家族が家の新築を始めたのも、これから彼女たちの関係性を再構築するメタファーだろう。それを“指揮”することになるのが、松島なのだ。 彼は、持ち前の人懐っこさと積極性で、2人の間に入り込んでいく。 最初に彼に好感を持った母は、「なんかお似合いね」「(松島を)デートに誘っていいわよ」と美月に提案する。 娘は困惑するが、母に勧められたから渋々了承するのだ。 母娘の関係性に亀裂が入ったのは、このデートが発端だった。 そこで娘は、母が2人を尾行している姿を見てしまう。 「超能力がある」みたいに自分のことをわかってくれるのは、実は母が彼女を尾行したり、日記を盗み見たりして監視していたからだったのだ。動揺する娘に、彼は「もっと自分の好みを主張したほうがいい」と諭す。「自分の好みを言っている」と反論する彼女に、彼はこう返す。 「僕も母の顔色ばっかり見る子どもだったんで、君のことが全部わかる」 お互いがお互いを「全部わかる」と思い合う関係。それは一見、幸福だが、一皮むけば恐怖にほかならない。気持ちなんて、自分にだってわからない。にもかかわらず、愛情さえあれば相手の気持がわかる、と錯覚してしまう。 「全部わかる」は、「そんなはずじゃない」に一瞬で変容する。自分が思っている相手の像とは違う言動を目にしてしまったら、「そんなの、本当のあなたではない」と思ってしまう。 それは愛情の暴力だ。そこに「愛しているから」とか「思いやっているから」という“正義”が入っているから、たちが悪い。 悪気のない正義ほど、強く、怖いものはないのだ。お互いがお互いを好きすぎることから生じる歪み。それはあまりにも切なく、恐ろしい。ホームドラマであり、母娘の“ラブ”ストーリーであり、サイコ・ホラーかのようでもある。 母娘は、ついにぶつかり叫び合う。 「あなたの気持ちをこの世で一番大事に思っているのは、ママなのよ!」 「それ、私の気持ちじゃない!」 彼女たちの大きな目が、震えている。 そう、このドラマは目が印象的なドラマだ。みんな目が強い。斉藤由貴の常に狂気をはらんだ目と、波瑠の常に何かに戸惑っているような目、そして、柳楽優弥の力強く見据えているようで、どこかくすんでいる目。 第3話以降、母の「暴走」が本格化していくという。そのとき、彼女たちの目は、どのように変化していくのだろうか? (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『お母さん、娘をやめていいですか?』|NHK ドラマ10
おっさんたちのテラスハウス『バイプレイヤーズ』が仕掛ける「関係性萌え」
「いま、3つ事件追ってるから」 「俺も3つ」 食卓を囲みながら、6人の男が話をしている。といっても、刑事や探偵ではない。 「この間、総理大臣やったら、ゴジラに殺されたんだよ」 最年長・大杉漣がそう言って苦笑いした。 これは、大杉のほか、遠藤憲一、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研という“日本映画を支える6人”の名脇役が主演として集結した『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』(テレビ東京系)の一幕である。 彼らは本人役を演じ、そのタイトル通り、シェアハウスで共同生活を送る模様を描いたコメディドラマ。監督は、映画『アズミ・ハルコは行方不明』などで知られる松居大悟らが務めている。 彼らが共同生活を始めるきっかけとなったのは、中国の動画配信サイトから大型ドラマ『七人の侍』のオファーを受けたからだ。いかにも怪しげなオファーだが、制作費は日本円で3億円、世界的監督がメガホンを取り、主演には役所広司が決まっているという。 しかし、出演には条件がある。それが、クランクインまでの3カ月間、役所を含む7人で共同生活をし、絆を深めるというもの。そのために、大杉の別荘で一緒に暮らすことになったのだ。 今期の各局のドラマを見渡すと、「本人役モノ」と「共同生活モノ」が目立つ。本作や、バカリズム、オードリー若林正恭、二階堂ふみの『住住』(日本テレビ系)はその両方の要素を持っているし、「本人役モノ」はほかに山田孝之、芦田愛菜らの『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京系)が、「共同生活モノ」は、松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平の『カルテット』(TBS系)がある。 本人役モノが多いのは、ドラマの中によりリアルさが求められているという表れだろうか? 日本のテレビドラマの特徴のひとつとして、役者のパーソナルなイメージが浸透しているというものがある。これは良し悪しがあるが、そのイメージ通りの役柄にすれば、劇中、最小限の説明でその役柄のキャラクターが伝えられたり、逆にイメージと違う役柄を演じさせれば、そのギャップで驚かせることができるという利点がある。その究極の形が、本人役だろう。 そして共同生活は、よりそれぞれの個性や関係性を際立たせるものだ。「関係性萌え」というような言葉があるが、そういった感情を刺激させるシチュエーションだ。 本作で「中年のテラスハウスかよ」というセリフがあったが、むしろ思い浮かぶのは、アニメ『おそ松さん』(テレビ東京ほか)だ。 『おそ松さん』は、6つ子にそれぞれ強調された個性が与えられ、その個性と個性をぶつけることで魅力的な関係性を構築した。そして、いまやお笑い芸人ではなかなか作れないテレビのコント番組を、アニメで作ってしまったかのようだった。 『バイプレイヤーズ』でも、6人の個性が強調されている。 繊細で心配性な遠藤、リーダーだけどちょっと頼りなく、思い込みが激しい大杉、エキセントリックで宇宙人のように自由な田口トモロヲ、男っぽいが実は小心者の寺島、我慢と謙虚の人である松重、人懐っこくてみんなに愛される光石、というように。 彼らは、第1話からさっそくケンカをする。主役であるはずの役所が『七人の侍』のオファーを聞いていなかったことを知り、役所が出ないのであれば降りるしかないという話になったのが発端だった。 「たまにはやろうよ、みんなで主役をさ!」 という大杉の言葉に、寺島が反論したことから光石が失言をするのだ。 寺島「ちょっと待ってよ、『たまには』って何よ? 俺もみんなも主役やってるよ! 松重だって、遠藤だって」 光石「テレ東だろ?」 寺島「テレ朝もやってるよ!」 遠藤「テレ東の何が悪いんだ?」 光石「うるさいなあ。俺はNHKとか、キー局の話してるの」 遠藤「テレ東だって、キー局だろ?」 田口「NHKなら僕も」 光石「あんたBSだろ?」 まさに、本人役だからこそ、説明なしにできるケンカコントだ。 あたふたと家事にいそしむおっさんたち、おっさんにLINEのやり方を教わるおっさん、パソコンを“かな入力”するおっさん、おっさんに誕生日のサプライズを仕掛けようと準備するおっさん、プレゼント交換で各々のプレゼントを回すおっさんたち……。もともと渋い役者だからこそ、その分、かわいらしさが際立つ。 エンディングでは、本人役を離れた本人自身でリアルなアフタートークも披露され、サービス満点。 物語も、10年前に6人で作ろうとして頓挫したという自主映画が鍵を握っているらしいこと、大杉が何やら企んでいるらしいこと、「この中に裏切り者がいる」らしいことなど、全方位に“仕掛け”が満載されている。 虚構と現実がないまぜになった『バイプレイヤーズ』は、もちろんこのドラマ単体でも楽しめる作品だ。しかし、ドラマや映画を見続け、彼らを知っていれば知っているほど面白い。つまり映画ファン、ドラマファンへの最高のプレゼントなのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからテレビ東京 ドラマ24『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』
テレビウォッチャー・てれびのスキマが選ぶ、2016年のテレビ事件簿【ドラマ編】
■バラエティ編はこちらから いまだ「逃げ恥ロス」や「真田丸ロス」から抜け出せない人も多いのではないだろうか? 2016年はドラマの当たり年だった。年間を通してNHK大河『真田丸』が引っ張り、上半期は『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)や『ちかえもん』『トットてれび』(ともにNHK総合)、『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)、『重版出来!』(TBS系)などが、下半期は『逃げるは恥だが役に立つ』(同)、『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』『黒い十人の女』(ともに日本テレビ系)などが大きな話題を呼んだ。 そんな2016年のドラマを振り返ってみよう。 ■NHKドラマの強さが顕著に これは近年続く傾向だが、今年は特にNHKのドラマの強さが際立った年だった。三谷幸喜の『真田丸』は1年間ダレることなく、高いクオリティを維持。最後まで、堺雅人演じる真田信繁側が史実を超えて勝ってしまうかも……と思わせてくれる盛り上がりだった。 信繁の父・昌幸を演じた草刈正雄を筆頭に、秀吉役の小日向文世、三成役の山本耕史、家康役の内野聖陽、景勝役の遠藤憲一……と、実質的な主人公が変わっていき、迫田孝也、高木渉、村上新悟、新納慎也、峯村リエといった、これまでテレビドラマでは派手な活躍のなかった実力派俳優の好演が目立った。 1~3月クールでは藤本有紀脚本で松尾スズキ主演の『ちかえもん』が、さらに4~6月クールでは黒柳徹子の半生をドラマ化した『トットてれび』が放送された。中でも黒柳を演じた満島ひかりの憑依っぷりは特筆すべきもので、文句なしで今年最も印象的だった主演女優だ。彼女の存在なしに、このドラマは成立し得なかっただろう。 また、BSプレミアムのドラマも秀作ぞろい。岡田惠和脚本・峯田和伸主演の『奇跡の人』や安藤サクラ主演の『ママゴト』、そして森川葵主演の『プリンセスメゾン』と、心に染みる作品ばかり。独特な絵柄の原作をマンガチックな表情と仕草で再現した森川は、作品によってまったく違う印象になるのが驚かされる。 『富士ファミリー』『百合子さんの絵本』『キッドナップ・ツアー』など、単発ドラマも強かった。 ■2016年の潮流は「童貞感」 一方、今年のドラマの潮流としては、「童貞感」が挙げられる。ブームを巻き起こした『逃げ恥』で星野源が演じた「プロの独身」こと平匡の童貞感あふれる言動は、見る者を虜にした。 「『かわいい』は最強なんです。『カッコいい』の場合、カッコ悪いところを見ると幻滅するかもしれない。でも、『かわいい』の場合は何をしてもかわいい! 『かわいい』の前では服従、全面降伏なんです!」 と、ヒロインのみくり(新垣結衣)が言うように、抗おうにも抗いきれないかわいさにひれ伏すしかなかった(ガッキーもだけど)。 『逃げ恥』同様、大野智主演の『世界一難しい恋』(日本テレビ系)でも、童貞感の強い男性が恋愛に奮闘する姿が描かれた。また、宮藤官九郎脚本『ゆとりですがなにか』(同)の松坂桃李や、『プリンセスメゾン』の高橋一生なども童貞感にあふれていた。ついでに言えば、今年3月まで放送されていたアニメ『おそ松さん』(テレビ東京系)もそうだ。 その多くに共通するのが、基本的に(仕事が)“できる”男だということ。けれど、女性に対してだけはまるでダメで、そのギャップがかわいいのだ。それを象徴するのが、パジャマ姿。星野も大野も高橋も、みんなパジャマ姿がかわいかった。 ■星野源と野木亜紀子の時代 そんな星野は、これまで文化系やサブカル好きの中では確固たる支持を集めていたが、『逃げ恥』の大ヒットで完全にメジャーシーンのど真ん中に飛び出し、「浸透力がハンパない」その魅力を満天下に知らしめた。そういう意味では、2016年は「星野源の時代」が始まった年として記憶されるのではないか。 『逃げ恥』のほかにも、『真田丸』では徳川秀忠役を好演。特に最終回では、強烈な印象を与えた。 ドラマだけではない。昨年末、『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たすと、今年は『逃げ恥』の主題歌「恋」が大ヒット。『LIFE!』(NHK総合)にも出演し、内村光良らとコントを演じている。またラジオでも、絶大な強さを誇る『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)の真裏で『星野源のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)を担当。radikoの利用者数で前者を上回るという快挙も果たした。 その星野の魅力を『逃げ恥』で最大限生かし、引き出した脚本を書いた野木亜紀子は、今年最も充実した作り手のひとりだろう。 『重版出来!』は視聴率こそ振るわなかったが、ドラマファンの心に深く刻み込まれた名作だった。もともと彼女は、『主に泣いてます』(フジテレビ系)、『空飛ぶ広報室』(TBS系)、『掟上今日子の備忘録』(日本テレビ系)と、原作の良さを損なわず、それを巧みにアレンジした上で、キャストを魅力的に描くことに定評があった脚本家。彼女が脚本だというだけで、原作ファンはとりあえず安心していいと思える、数少ない作家だ。 原作ものが多く、キャストが優先される現在のテレビドラマ界の申し子ともいえる存在ではないだろうか。けれど、そろそろ彼女の完全オリジナル脚本の作品も見てみたい。間違いなく、それだけの実績は残してきたはず。来年には、それが実現していることを願いたい。 ■2017年のドラマ界に求められるもの 大ヒットした映画『君の名は。』もそうだが、今年、ドラマでは『トットてれび』や『ちかえもん』『プリンセスメゾン』など、単なる“主題歌”以上に音楽を効果的に使った作品が多かった。井上芳雄、浦井健治、山崎育三郎といったミュージカルの舞台で実績を積んだ俳優がテレビドラマにも進出。『勇者ヨシヒコと導かれし七人』(テレビ東京系)では『レ・ミゼラブル』『ライオンキング』『ベルサイユのばら』『美女と野獣』など、実際の出演者を使ってミュージカルをパロディ化。2.5次元ミュージカルの定着と相まって、テレビドラマにもミュージカル的な演出が増えていくかもしれない。 また、Netflixで制作された『火花』をはじめ、テレビ以外でもハイクオリティなドラマが作られ始めた。『Thunderbolt Fantasy』(TOKYO MX)のような台湾の布袋劇を用いた人形劇も作られた。 今年を象徴する『逃げ恥』はこれまでの“当たり前”を超えて「多様性」を肯定するドラマだったが、ドラマ界にも、より多様な表現や出演者、作られ方が求められていくだろう。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから火曜ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』|TBSテレビ
テレビウォッチャー・てれびのスキマが選ぶ、2016年のテレビ事件簿【バラエティ編】
2016年、テレビは激動の年だった。 SMAPの解散報道に対する“公開謝罪”から始まり、“文春砲”などと言われた週刊誌によるスキャンダル報道でベッキーをはじめとするテレビの主役たちが仕事を激減させたり、長年続いた小堺一機の昼の帯番組『ごきげんよう』(フジテレビ系)や『新チューボーですよ!』(TBS系)の終了、『笑点』(日本テレビ)の司会交代、そしてSMAP解散が本当になってしまうなど、大きな“事件”が数多く発生した。 間違いなく、2016年は、今後テレビの歴史を語る上で、ターニングポイントの年となるだろう。 そんな2016年のテレビバラエティを振り返ってみたい。 ■MVPはバナナマン 今年は、なんといってもバナナマンの年だった。よく「テレビで見ない日はない」と大活躍している芸能人をたたえるときに使う文言があるが、それを本当に実現したタレントはなかなかいない。しかし、バナナマンは今年4月クールから『バナナ♪ゼロミュージック』(NHK)など3つの新番組が始まったことで、全曜日にレギュラー番組を持つという快挙を成し遂げた。しかも、スゴいのは、司会からプレイヤーまでそれぞれ違う役割を演じ、その分野もお笑い番組からロケバラエティ、音楽番組、アイドルバラエティまで多種多様だということだ。特に『そんなバカなマン』(フジテレビ系)は元日の生放送スペシャルや、『人生のパイセンTV』(同)とコラボ特番を放送したりと精力的だった。さらに、設楽統、日村勇紀それぞれピンのレギュラー番組も持っている。中でも日村の冠番組である『万年B組ヒムケン先生』(TBS系)は2016年を代表する新番組だった。加えて、ラジオも単独ライブもこれまで通り続けている。驚異的だ。 バナナマンが表のMVPなら、裏のMVP(といったら、失礼なくらいだが)は、くりぃむしちゅー。特に有田哲平は、純粋なお笑い番組が成立しにくい中、コンビでの『くりぃむナンチャラ』(テレビ朝日系)に加えて、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)や『有田ジェネレーション』(TBS系)と、各局で悪ふざけの限りを尽くしている。『有田ジェネレーション』でまだ見ぬ若手を発掘し、『脱力タイムズ』や『ナンチャラ』で、その発掘された芸人や、すでに実力が証明されている芸人をさらに追い込むことで、それまで見せたことがない側面を見せるというサイクルが素晴らしい。 『有田ジェネレーション』で飛び出た小峠英二の「『もうないです』じゃねぇだろうよぉ! お笑いっつーのはなぁ、『もうない』からが勝負なんだよ!」というのは、これらの番組の精神を最もよく表した屈指の名言だった。その小峠も、各番組で必ず結果を残す活躍っぷりだった。 ■ポジティブ芸人とカルト芸人 昨年くらいから今年にかけて、中高生を中心とした若い女性の中で、ある“異変”が起きている。 それは出川哲朗やトレンディエンジェル斎藤、NON STYLE井上(最後にケチがついてしまったが)といった、見た目がブサイク、ハゲ、気持ち悪いといったネガティブな評価を受けやすい芸人が、そのポジティブな言動で人気を集めていることだ。もちろんこれまでも、そういったタイプのタレントが若い女性に受けることはあったが、それはいわゆる例外的な事象だった。だが、今はそれが一人ではなく、複数人まとまって受け入れられていることに時代性を感じる。 また、昨年ブレークした永野が引き続き人気を集め、さらに今年、ハリウッドザコシショウがブレークを果たしたのも印象的。ザコシショウの芸を『スッキリ!!』(日本テレビ系)で見た本上まなみがあまりに理解不能と拒否反応で涙を流してしまった(それも2度も)というのは今年屈指の名シーンのひとつだが、一方で『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の「替え歌最強トーナメント」で中学生が審査する中、ザコシショウが「タイガーステップ」など絶対に元ネタが中学生にはわからないだろうというネタで決勝まで勝ち上がるという驚きの展開。「元ネタがわからない=面白くない」という先入観をぶち壊した。 こうしたポジティブ芸人やカルト芸人が、若い層にまで幅広く受け入れられたのが今年の特徴だった。思えば、今年の顔のひとりであるメイプル超合金のカズレーザーは、その両方の要素を持った芸人だ。窮屈な時代に多様性を肯定する様々な名言を連発。共演者が彼の言葉を待つ感じは、2007年頃の再ブレーク前夜の有吉弘行のような勢いを感じさせる。2007年、その原動力は「毒」だったが、それが「肯定感」に変わったのが今の時代を象徴しているのかもしれない。 ■“日7戦争”勃発 今年の大きなトピックスとして、古舘伊知郎のバラエティ番組“復帰”も挙げられる。12年間務め上げた『報道ステーション』(テレビ朝日系)を辞めると、わずか数カ月の休養を経て、『ぴったんこカン★カン』(TBS系)や『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)などに出演。硬直気味のバラエティに“異種格闘技”的な新風を吹かせた。 そして11月からは新番組『フルタチさん』(同)を開始。この枠は、冬クールから“日7戦争”と呼ばれるようになった大激戦枠。王者『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)に対し、テレビ朝日は『日曜もアメトーーク!』、TBSは『クイズ☆タレント名鑑』を復活させた『クイズ☆スター名鑑』、テレビ東京はアシスタントを福田典子アナウンサーに交代した『モヤモヤさまぁ~ず2』と、各局が看板番組をぶつける形となった。加えて、Eテレでは、『24時間テレビ』(日本テレビ系)の真裏で“感動ポルノ”批判をし、大きな話題となった『バリバラ』も放送されている。 こうした視聴率競争で求められるのは、勝つための足の引っ張り合いではない。テレビの活気を伝えることで、それまでテレビから離れていた層をテレビに戻し、日曜夜7時、ひいてはテレビ界全体の視聴率を底上げすることだ。 ■総括 今年は、ネガティブな話題も多かったが、オリエンタルラジオによる音楽ユニットRADIO FISHの「PERFECT HUMAN」や、古坂大魔王が“プロデュース”したピコ太郎による「PPAP」、トレンディエンジェル斎藤の「斎藤さんだぞ」、平野ノラによる「しもしも~」などなど、お笑い界からたくさんの流行が生まれた年だった。 それは、窮屈で不寛容になってしまった社会に対する反動ではないだろうか? テレビとは本来、バラエティ、つまり「なんでもあり」の多様性を表現するものだったはずだ。今またそれが、求められてきているのではないだろうか? (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから
「判定なんかどうでもいい」『SMAP×SMAP』でタモリがSMAPへ贈ったもの
「SMAPが空中分解になりかねない状態だと思いましたので、今日は自分たち5人がしっかり顔をそろえて、皆さんに報告することが何よりも大切だと思いましたので、本当に勝手だったのですが、このような時間をいただきました」 今年1月18日、カメラの前で木村拓哉を中心にSMAPメンバーが並び、“公開謝罪”した。 この映像は衝撃的だった。なぜなら、あまりにも生々しく、そこで発せられた以上のことを見る側に伝えたからだ。 テレビにはすべてが映る――。 そんなテレビの力をここまで如実に表したのは、テレビ史の中でも数えるほどだろう。 SMAPは、「国民的」といわれるスターが相次いで亡くなった昭和と平成の狭間に誕生した。もう「国民的」と呼ばれる存在なんて出てこないだろうと言われる中、10余年たって、「国民的」スターと呼ばれるアイドルグループになったのは、控え目に言っても“奇跡”だったと思う。 SMAPは、テレビとともに大きくなったグループだった。これまでのアイドルグループは、あくまでも本分は「歌」だった。それをPRするのがテレビだった。しかし、SMAPは逆だ。もちろん数多くの名曲を残しているが、誤解を恐れずにいえば、彼らの本分は「テレビ」だった。それをPRする一要素として「歌」があったのだ。SMAPは「テレビの人」で、テレビこそが彼らの魅力を最大限発揮できる舞台だった。まさに彼らの「武器はテレビ。」だったのだ。そして、そのベースが『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)だ。 皮肉にも、逆方向にテレビの力を見せつけた“公開謝罪”が放送されたのも、また『スマスマ』だった。 『スマスマ』が始まった1996年は、コント番組が冬の時代に入り始めた頃だ。お笑い芸人たちがテレビでコントができなくなっていく中で、テレビコントのともしびを守り続けたのは、アイドルグループであるSMAPだった。 故マイケル・ジャクソンやマドンナ、レディ・ガガなど“国賓”級の海外ビックスターを受け入れることができるのも、もはやこの番組だけだったし、オリンピック選手がメダル獲得のモチベーションにこの番組の出演を掲げることも少なくない。かと思えば、まだメジャーシーンでは名前が知られていないようなカルトな日本のバンドとSMAPが共演し、一緒に歌うことだってある。 まさに、すべてをフラットにするテレビそのものを具現化した空間だった。 しかし、それが、今月末のSMAP解散によって失われてしまうのだ。 『スマスマ』を象徴するコーナーである「ビストロSMAP」は、番組開始当初から始まった。当時は「男が料理なんて……」という時代。そんなイメージを変えたのもSMAPだった。海外のVIPから、今が旬なゲストまでを受け入れもてなしてきたコーナーも、12月19日の放送で最終回を迎えた。 その最後のゲストが、5人と関係の深いタモリだ。タモリはコーナー司会の中居正広と『笑っていいとも!』(同)時代と変わらぬ軽妙なトークを展開していく。 『いいとも!』月曜日のレギュラーメンバーと食事会を行っていると聞いて、火曜メンバーのはずの中居が勘違いをしてショックを受けたり、『いいとも!』終了後、世界の音楽を聴きに行く旅をしてゲイと間違われた話や、いまさら『SMAP×SMAP』というタイトルは「厚かましい」とイチャモンをつけ、それがジャニー喜多川のアイデアだと聞かされると、即座に「正解だよね」と前言を翻したりと、「一生フザける」というタモリらしい、中身があるようでない、それでいて、やっぱりあるんじゃないかと思わせるものだった。 番組では、これまでのタモリとSMAP共演シーンを他局のものを含めて振り返った。その中には、『夢がMORIMORI』(同)でキックベースに参加したタモリが全力疾走するレアなシーンから、『今夜は営業中!』(日本テレビ系)でタモリがフルートで「夜空ノムコウ」を演奏する伝説的なシーンなど貴重な映像が数多く流れ、その思い出話に花を咲かせた。 「お任せで」というリクエストを受け、メンバーが作った料理をタモリが食べ、みんなで乾杯し、5人がお互いの料理を食べ合う。 そして最後に、いつものように中居が判定を促すと、タモリはそれを拒否するのだ。 「今日は(ビストロ)最終回だから、判定はいいんじゃないか?」 最後だからこそ、「勝ちがあって、負けがあって、そこにドラマがある」のだから判定してほしいと食い下がる中居に、タモリは言った。 「乾杯もしたしさ、乾杯したらもう仲良しだってこと。勝敗はない」 「人生に判定なんかどうでもいいことだよ!」 SMAP解散報道が出てからというもの、週刊誌やスポーツ紙を中心に、いわゆる“犯人探し”が盛んにされてきた。誰と誰の仲が悪く、誰が解散を言いだしたのか。黒幕は誰だ、悪いのは誰だと――。 何かというと、白黒をつけたがる世の中。けれど、その「判定」にどれだけ意味があるというのか? いま大事なのは、この状況を受け止めた上で前に進むことだ。 タモリは故・赤塚不二夫への弔辞で、このように言っている。 「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えを、あなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と」 SMAPはどんなに苦境に立たされても、テレビを武器に、常に前向きでポジティブな表現を続けてきた。それこそがアイドルだと、身をもって示していた。ならば、僕らもどんなにツラくても、彼らの決断を前向きに捉えなければならない。そうすればきっと、彼らはまた僕らに“奇跡”を見せてくれるはずだ。 「判定」を拒否したタモリは、5人全員に贈り物を用意していた。 それは五角形のスター。 一角だけでも欠けたら壊れてしまう。そこに込めた想いは、痛いほど彼らに伝わっているだろう。 「これはヤバイな……」 香取慎吾はそうつぶやいて、その星を掲げた。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから
松本人志が作る『ドキュメンタル』という新しい“笑いの戦場”
「お断りします」 招待状を受け取ったブラックマヨネーズの小杉竜一は、困惑しながらそう言った。 差出人は松本人志だ。 「松本さんの頭脳で考えたものにこんな感じで入ったら俺、死んでしまいますわ!」 また松本人志が新たに動き始めたのだ。 漫才では『M-1グランプリ』、コントでは『キングオブコント』、大喜利では『IPPONグランプリ』、フリートークでは『人志松本のすべらない話』……と、松本は笑いのそれぞれのジャンルで頂点を決する舞台を作ってきた。 それはいずれのジャンルにもプレイヤーとして精通し、その頂点を極めている説得力があるからこそ、なし得ているものだ。 だが、個人の笑いの総合力を測る舞台は用意されていなかった。 突飛な発想力のボケと、鋭い言葉のセンスや天然ボケ。それらに対する瞬時のツッコミ……。すべて「笑い」だが、種類はまったく違う。したがって、それを得意とする人もたいてい別々だ。 だから、当然、その優劣を測定するすべもなかったのだ。けれど、ついに松本は、そんな笑いの総合力を競い合える場を作り上げたのだ。 それが、Amazonプライムビデオで始まった『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(全4話/毎週水曜 新エピソード更新)だ。Amazonプライム会員への独占配信である。総合演出は『ダウンタウンのごっつええ感じ』や『一人ごっつ』、『笑う犬の生活』(いずれもフジテレビ系)などを手がけた小松純也。さらに演出には『PRIDE』中継などで「煽りVアーティスト」の異名を取った佐藤大輔が名を連ねている。その結果、ネット番組にありがちな安っぽさとは無縁。適度な緊張感が維持され、荘厳にセットからバカバカしさが醸し出されている。 タイトルの『ドキュメンタル』とは「ドキュメンタリー」と「メンタル」の造語。つまり「メンタル」こそが、この新たな戦場で重要になるということが示唆されている。 「小学校からずっと笑いのことを考えてきて、その成れの果て」だと松本が言う『ドキュメンタル』のルールは、以下のようなものだ。 密閉された空間に、10人の芸人たちが集まり、そこで笑わせ合う。笑わせる方法もタイミングも自由だ。トークでもボケでも、持ち込んだ小道具を使ってもいい。もちろん、相手の言動にツッコミを入れて笑わせてもいい。相手を笑わそうと思った言動が呼び水となって、その相手のリアクションで笑ってしまうなんてことも起こり得るだろう。 これを松本は「無法地帯」と表現した。 「もしかしたら一番シンプルで、ホントに一番面白いやつを決めるには適しているんじゃないか」と。 制限時間は6時間。その間、決められたエリアの中でなら、飲食や喫煙はもちろん、風呂までもOK。そして、最後まで笑わなかった芸人が優勝だ。賞金は1,000万円。しかし、この番組には参加費がかかる。100万円だ。つまり、10人から集められた参加費を優勝者が総取りできる。 すでにテレビでブレークしている芸人はともかく、100万円は大金である。妻子がいる場合は、なおさらだ。芸人仲間や吉本興業に借金をしてなんとか工面する者から、「(薬の)人体実験をやって金を作った」という者まで、さまざま。もちろん、小杉のように断った者もいる。断るのもまた自由なのだ。 そうして集まったのが、宮川大輔、ダイノジ・大地洋輔、とろサーモン・久保田和靖、FUJIWARA・藤本敏史、野性爆弾・くっきー、トレンディエンジェル・斎藤司、天竺鼠・川原克己、東京ダイナマイト・ハチミツ二郎、マテンロウ・アントニー、そしてジミー大西である。 松本は、お笑い芸人の世界を「ジャングル」に喩え、「いろいろな猛獣がいる」と評したが、まさにキャリアも芸風もまったく違う、一癖も二癖もある10人だ。ジミーが登場した時の、ほかの9人のどよめきはすごかった(ちなみに、登場とともに松本がその人物に対して行う、「板尾創路の系譜<川原>」「笑いの能力が高い<宮川>」といった寸評も興味深い) このメンツをひとつのルールで競わそうと思ったら、確かに『ドキュメンタル』のように「無法地帯」で、ただ相手を笑わせたら勝ちというルールしかないだろう。 たとえば、藤本のガヤ的なツッコミは、ネタの賞レースでは評価されにくいが、このルールでは強力な武器になりそうだ。だが、藤本に限らず、笑いの精鋭たちの多くには共通する“弱点”がある。 それは“ゲラ”だということだ。すぐ笑ってしまう。相手を笑わすことに長けた人間は、笑いどころに敏感である。ちょっとした相手の言動に、普通では気づかないおかしみを察知してしまうのだ。だからこそ、それをツッコんだり、ボケに転用できたりするのだが、このルールでは、笑ってしまったら、その時点で失格だ。 実際、開始十数秒で、ほとんどみんなが笑ってしまい、一度仕切り直しになってしまったほど。そこに難しさと面白さがある。 たった一度笑っただけで、100万円という大金が奪われてしまう過酷な精神状態の中で、本当に笑ってしまう笑いとはどんなものなのか? おそらく、大きなボケよりも、なにげないちょっとしたことではないかと予想するが、果たしてそうなるのか? 「テレビでは視聴率は取れない、伝わらないだろう」と松本は言う。Amazonプライムビデオという限定された場所で、戦う場所も密閉された空間だ。だからこそ、笑いがいかに奥深く、そして幅広い自由なものであるか証明されるはずだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』
激しい会話劇『黒い十人の女』で見せる、天才・バカリズムのロジック
「全員狂ってるよ」 そこに集まったのは10人の女たち。テレビプロデューサー・風松吉の9人の愛人と、ひとりの妻である。つまり風は“10股”しているゲス野郎なのだ。 集まった10人を前に、ひとりの愛人が口を開く。 「一緒に風を殺さない?」 もともと『黒い十人の女』は市川崑が監督し、船越英二が主演した昭和の名作映画である。これを、お笑い芸人・バカリズムが脚本を担当してリメイクしたのが、ドラマ版『黒い十人の女』(日本テレビ系)だ。 主人公・風松吉を演じるのは、映画版で演じた船越英二の息子・船越英一郎。これ以上ないキャスティングだ。なんでこんな中年のオッサンがモテるのかわからない。けど、なんかわかる、という絶妙なラインを演じている。 だが、リメイクといっても、主人公が10股をしていて、彼への殺害計画が持ち上がるという大まかな設定以外は、ほぼ完全オリジナル。もちろん、舞台は現代。バカリズムらしく、コメディが基調になっている。 “愛人歴”が最も長いのは、水野美紀演じる舞台女優・如野佳代。彼女が所属する劇団「絞り汁」は、“芸術性”を言い訳に、つまらない芝居を長時間見せるような集団だ。とにかくこの佳代というキャラクターは、ウザくてダサい。そんな小劇団にもかかわらず、実力派女優気取り。風のコネで、ドラマでエキストラ同然の役をもらっても、主役級の振る舞い。デリカシーが皆無なのか、愛人たちを引き合わせ、「愛人同士仲良くしよう」と提案する。「悪いのは全部、風なんだから」と。 しかし、同じ愛人である以上、恋敵。うまくいくはずがない。頻繁にほかの愛人たちと口論になり、そのたびに水やカフェオレなどを顔にぶっかけられる。 だが、彼女が愛人同士仲良くしようとしていたのは、実は風を一緒に殺そうとしていたからだったのだ。 このドラマ版では、たびたび登場人物同士が議論するシーンが登場する。「不倫は本当にいけないことなのか?」「いけないとしても、本当に別れないといけないのか?」などなど。 これは、バカリズムのコントを想起させる。たとえば「俺の斧」というネタがある。斧を落としてしまったきこりが、川から出てきた女神に「あなたの落としたのは金の斧? それとも銀の斧?」と問われ、正直に答えたら金の斧をもらえたというイソップ童話『金の斧』をモチーフにしたものだ。 バカリズムが扮するのは、この童話の最後にわざと斧を落として金の斧をもらおうとするきこりを思わせる男。童話では「金の斧を落とした」とウソをつくきこりにあきれ、何も渡さなかった。そこから、このコントは始まる。 「待って待って、帰るんですよね?」と、女神を呼び止めるバカリズム。「俺の斧は返してください」と。ウソをついた罰で返さないと主張する女神に「罪と罰のバランスおかしくないですか?」と、バカリズム節が始まっていく。そもそも、なぜ自分がウソをついていると言いきれるのか? それは、女神が自分で金の斧を用意したからだ。にもかかわらず、さも自分のものではないかのように、どれを落としたかと問うことも立派なウソではないか? どんな理由があろうともウソは罪だというならば、女神こそ罪を犯している。女神はそれを必要悪だと言うが、自分はこれまで犯罪歴はなく、他人を苦しめてきたわけではない。そんな自分を懲らしめるのは必要悪とは到底言い難く、ただの悪である。言うなれば、他人の斧を奪う強盗未遂。犯罪だ。だから自分には賠償を受ける権利がある、と女神を言い負かし、金の斧と銀の斧、果てはそれを入れる手提げ袋を女神から奪い取るというネタだ。 理路整然と矢継ぎ早に並び立てることにより、屁理屈もそうとは見えず、ついには常識を覆していく、バカリズムの真骨頂だ。 そうした会話劇が、このドラマの至るところで展開されていくのだ。 そして、それが最高潮に達したのが、第8話(11月17日放送)だ。この回は、ほぼ全編がワンシチュエーションの会話劇。佳代が10人の女を集め、風の殺害計画を語るのだ。 もちろん、それを聞いたほかの愛人たちは、その突拍子もない申し出に、最初は戸惑う。ここから、佳代はそれまでのウザくてダサい、言うなれば「バカ」キャラから一変。その仮面を脱ぎ捨て、バカリズムが憑依したような理論派へと変貌する。 まずは「殺す殺さないかは別にして、風がこの世からいなくなるのはどうか?」と問う。戸惑いながら、「いなくなってくれたらいい」と口々に言う愛人たちに、「だったら、それは自分が殺すのは嫌」ということだと言い、その「嫌」の理由をひとつひとつ解きほぐしていく。 やはり最初に問題になるのは、殺人は犯罪だということ。つまり「罰への恐怖」だ。だったら、完全犯罪ならばどうかと。具体的にそのやり方を指南する。 それでも「自分が殺すこと自体が怖い」と「罪への恐怖」を主張する愛人たちに、佳代は論理的に説得していくのだ。 「風がやってきたのは、10人の女の人生を狂わせる行為」 「言ってみれば10人分の殺人」 「殺さないと、私たちの人生が今後も狂わされ続ける。あくまでも、自分の人生を守るための手段にすぎない」 「ある意味、正当防衛だ」 確かにそうだ、と思わせてしまうのが、バカリズムのスゴいところであり、怖いところだ。 そんな中で浮き彫りになるのは、被害者意識で塗り固まった人も、加害者であるという事実。そして、その加害者意識を最後まで隠す者のズルさだ。全員が被害者であるのと同時に、加害者でもある。まさに「全員狂ってる」のだ。 しかし、ここで単純に全員が納得して殺害に同意する話にしないのが、天才・バカリズムたるゆえん。バカリズムの手のひらで踊らされるように、最後に思わぬ大どんでん返しで、ほぼ全編をかけたこの議論をすべて台無しにする、ある展開が起きる。 それは、積み重ねた理論をいっぺんに無意味なものにするパワーを持つ感情を呼び起こすのだった。 天才・バカリズムが周到に用意したのは、激しい感情の前では、精緻な理論はなんの意味も持たないというロジックだったのだ。 理論 vs 感情の果てに、いよいよドラマはクライマックスに突入する。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『黒い十人の女』読売テレビ







