「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 日本で初めてテレビ放送が始まったのは1953年2月1日、NHKによるものだった。しかし、最初に放送免許の予備免許を国から受けたのはNHKではなく、アメリカの技術を取り入れ「コマーシャル収入による商業放送」を掲げた読売新聞社・正力松太郎率いる日本テレビだった。対するNHKは大正時代から研究を続け、自前の技術力で放送設備を完成。「受信料収入による公共放送」を掲げ、日テレに半年先駆け本放送を開始したのだ。そんな本放送開始前からのライバル2局によるテレビ放送60年を記念した合同番組が、2月1日深夜の『NHK×日テレ 60番勝負』(NHK総合)と2日深夜の『日テレ×NHK 60番勝負』(日本テレビ系)だ。 両日とも、司会を務めたのは中居正広と両局のアナウンサー。そして、1日目には爆笑問題、2日目には笑福亭鶴瓶が司会に加わった。生放送では“暴走”してしまいがちな爆笑問題太田は、この日も冒頭からエンジン全開。 「(生放送で)何かあったら頭丸めます!」 と“時事”ネタを早速ブチ込んで笑わせると、その暴走は止まらない。この番組のスタジオのひな壇には、両局を代表する社員やスタッフが並ぶという「芸能人にしかわからない豪華さ」だったのだが、太田はそのNHK側に向かって「『おはよう日本』のスタッフは?」と投げ掛ける。もちろん、スタジオはドン引きだった。 番組では「大物レア映像対決」「ハプニング映像対決」「怪しい?映像対決」「お色気映像対決」など両局が保有する貴重な映像を見せ合い、視聴者から「イィ」ボタンを押された数を競うという形が行われた。ちなみにこの「イ」は、テレビの父といわれる高柳健次郎が日本のテレビに初めて映し出した文字である。そんなレア映像は長嶋茂雄の秘蔵VTRだったり、手塚治虫や渥美清の密着、「ハプニング」という言葉が一般化した番組だったりと興味深いものばかり。特にすごかったのは、NHKが1957年に収録したもののお蔵入りとなった「霊媒師の交霊実験」だ。モノクロで一部だけしか流れていないためか、何が行われているかいまいち判然としないものの、何か怪しげですごいことが行われているのだけはビンビン伝わってくる衝撃的な映像だった。 そんな中で「イィ」数を多く獲得したのが、半裸の男性がとても「趣味」ではできっこない高度な「ヨーガ」を教えるNHKの『趣味百科ヨーガ』だったのが面白い。「NHKは時として無意識に前代未聞なチャレンジをする」という、言葉どおりの強烈なNHKの「天然」っぷりだった。 こうしたレア映像対決の合間に行われたのは、若手ディレクターがそれぞれの局に行って番組制作を体験する「テレビ交換留学」などだ。VTRはそれぞれの局が自局の人気番組『はじめてのおつかい』『プロフェッショナル 仕事の流儀』をパロディにして制作。ここでも、本気でパロディを作ったら無類の強さを発揮するNHKが光った。 そして、2日にわたっての通し企画「24時間ドラマ」。これは、その場で決められたジャンルに沿って、24時間で5分ドラマを作るというもの。ディレクター以外(日テレのほうはディレクターもその場で言い渡された)ほぼ何も決まっていない状態でドラマ制作がスタートし、その模様をWebで中継。そして、完成させたドラマを2日目の放送で発表するというものだった。こちらは、自由度と柔軟性の優れた日テレが底力を見せつけた。 奇しくもこの番組の1日目に放送された『テレビのチカラ』(NHK総合)で、萩本欽一はテレビについて「あさま山荘事件」(72年)を例に挙げて分析していた。この事件は各局が生中継をし、NHK、民放を合わせた視聴率は89.7%に達した。視聴者は、窓しか映っていない画面に釘付けになったのだ。それを見た欽ちゃんは、テレビの特性を発見する。「テレビって『何かが起きてる』じゃない、『何かが起こりそうだ』でみんなが集まるんだ」と。まさに、『NHK×日テレ 60番勝負』は、そんな「何かが起こりそうだ」というワクワク感でいっぱいだった。 そして、「何か」が実際に起こる。 番組の終盤、突然、明石家さんまがスタジオに登場したのだ。そしてCMが入らないNHKで30分近くノンストップでしゃべり続け、笑わせ続けた。 さんまのNHK出演は実に28年ぶり。さんまは『クイズ面白ゼミナール』(81~88年)の番組内で、退屈そうにあくびをしていたのが視聴者の逆鱗に触れ、新聞の投書欄を賑わせて降板。その後、朝ドラ『澪つくし』(85年)に出演して以来の登場だった。そんなサプライズに「今、テレビご覧になってる方は、本当にビックリされていると思う」と興奮するアナウンサーの言葉を遮り、さんまは言う。 「いや、テレビの前の人はそうビックリしてないやろ、テレビやから」 その言葉は何気なく発せられたが、さんまのテレビに対する哲学とプライドが詰まっているように感じられた。そう、テレビは「何かが起こりそうだ」を映すメディアであるのと同時に、何が起きても不思議ではない「何でも起こり得る」メディアなのだ。 テレビがほかのエンタテインメントと異なるのは、それが「日常」と地続きなことだ。「日常」の中に、突如として「非日常」の興奮が紛れ込む。そして見たことがない「何か」が起こったカタルシスは、すぐに当たり前の「日常」の風景に変わる。だとしたら、それは僕らが生きていくしかない「日常」にも、ワクワクする「何か」が起こり得る証明にほかならない。 「非日常」の興奮と多幸感は、いつだって「日常」のすぐそばに存在する。そんなことを思い起こさせてくれることこそ、テレビの力だ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『NHK×日テレ 60番勝負』
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何が本当の「まとも」なのか――『まほろ駅前番外地』で起こる小さな奇跡

ドラマ24『まほろ駅前番外地』テレビ東京
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
映画『モテキ』の大ヒットを挟み、約2年半ぶりとなる連続ドラマのメガホンを取ることになった大根仁。その最新作に彼が選んだのは“深夜ドラマ番長”という異名の通り、テレビ東京の深夜という“辺境の地”だった。それが1月12日からスタートした『まほろ駅前番外地』だ。
舞台は、「まほろ」という、都会でも田舎でもない架空の街(町田がモデル)。便利屋を営んでいる多田(瑛太)と、そこに転がり込んできた行天(松田龍平)が主人公の、いわゆるバディ物だ。
第1話の冒頭では、2人がまほろ市内を車で走っているシーンから始まる。カーラジオからは、まほろのローカルラジオ番組が流れている。
「さて、続いてのリクエストは、まほろ駅前の便利屋さんから。えぇ? 便利屋さん!? ホントにあるんだね、便利屋さんって。『僕はまほろの駅前にある便利屋で働いてますが、社長がヒドい人間で、もう1年以上働いているのに、ろくに給料を払ってくれません。だから住む部屋もなく、便利屋で社長と2人で暮らしています』」
それを困惑の表情で聴き、怪訝そうに行天をにらむ多田と、ちょっとふざけた無表情で聴く行天。2人の関係性が、その1シーンだけでわかってしまう。
「『そんな僕にも幸せが訪れるんでしょうか? 教えてください』。うーーん、知らない! ゴメン! アハハハ。そんな便利屋さんのリクエストは『特にありません。音楽は聴きません』。ないんかい! もういいよ、俺が選ぶよ! フラワーカンパニーズで『ビューティフルドリーマー』」
そしてそのまま、このドラマのオープニングテーマ『ビューティフルドリーマー』が流れ、一気に見る者の心がわしづかみにされてしまうのだ。ちなみにそのOPのタイトルバックは、町を歩く2人の周りで、逆再生のように人々が動いているという、あらかじめ決められた恋人たちへによる「Back」のPVのパロディというか、オマージュというか、完コピ。監督も、そのPVを撮った柴田剛が務めている。
原作は三浦しをん。第1作の『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)は、大森立嗣の脚本・監督で映画化。そして第2作となる『まほろ駅前番外地』(同)は、同じキャストで監督を大根仁に代えて連続ドラマ化されるという、少し変わった成り立ちをしている。
原作や先に映画があるという状況の中で、大根は「番外地」の名の通り「確かにまほろの世界観はあって、多田と行天は出ているんだけれども、原作や映画の世界とは違うパラレル的なものを作ろう」(公式HP)ということで主演2人のキャラクターを生かしつつ、原作にはないエピソードを盛り込んで(というより、ほとんどオリジナル脚本で)ドラマ化した。実際、第1話は『電気グルーヴのメロン牧場~花嫁は死神4』(ロッキングオン)に書かれた、ピエール瀧と「静岡プロレス」のスタンガン高村とのエピソードが元ネタになっている。
昨今、原作ありきの映像作品が頻繁に制作されているが、原作ファンから反感を買っているケースは少なくない。しかし大根の場合、近作でも『モテキ』『湯けむりスナイパー』など、原作ファンからも愛される映像化を成功させている。本作もまだ2話までしか放送されていないが、原作にはないエピソードでありながら、「まほろ」としか言いようがない世界観を作り出している。それはいったいなぜなのだろうか?
かつて大根は、自身のブログに橋本忍の『複眼の映像』(文藝春秋)に書かれた、“原作物を脚本化する”ことに関する、伊丹万作と橋本の会話を引用している。
「原作物に手をつける場合には、どんな心構えが必要か」と師である伊丹に問われ、橋本はこう答えている。
「牛が一頭いるんです。(略)私はこれを毎日見に行く。雨の日も風の日も…あちこちと場所を変え、牛を見るんです。それで急所がわかると、柵を開けて中へ入り、鈍器のようなもので一撃で殺してしまうんです。もし、殺し損ねると牛が暴れだして手がつけられなくなる。一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頚動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは血だけなんです」
これに大根は「この一文だけでも読む価値があった」と賛同し、自分も「(原作物で)上手くいったものは間違いなく『一撃で殺せた』ものであり、上手くいかなかったのは『殺し損ねた』ものだ」と振り返っている。まさに、そこに流れる「血だけ」があれば、「姿や形はどうでもいい」のだ。
第2話の「麗しのカラオケモデル、探します」も出色だった。ひと昔前の古いレーザーディスクのカラオケビデオに映った女性を探してほしい、といういかにも『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)にありそうな依頼を受ける多田と行天。2人は『ナイトスクープ』ならぬ、「探偵!スクープナイト」のスタッフを装い、その女性の行方を追う。
大根の監督デビューはカラオケビデオだった。その後、1年近くにわたって30本くらいのカラオケビデオを作っていた。当時のカラオケビデオは安価な制作費で、B級、C級モデルを使って1日3本撮りというのがオーソドックスなスタイルだったという。そんな中で、印象的なモデルの子に出会った。おそらく彼女が、この回の女性のモチーフになっているのだろう。
制作会社などの情報をもとに、その女性を探し当てた多田と行天。彼女はモデルの仕事が低迷し、歌舞伎町のホステスに。しかし芸能界への憧れが捨てきれず、AV女優デビュー。その頃から覚せい剤に手を染め、逮捕。現在はバーを経営していた。
彼女に幻想を抱いている依頼者には会わせないほうがいいんじゃないかという行天に、「頼まれた仕事は極力引き受ける」と多田は一計を案じつつ、依頼者をそのバーに案内する。そこで依頼者は、ある小さな奇跡のような対面を果たす―――。
そんなシーンのバックに「この小さい町にも奇跡はありえる」と坂本慎太郎が歌う、エンディングテーマ「まともがわからない」が流れ始めるのだ。
このドラマを見ていると、ED曲のタイトルの通り、何が本当の「まとも」なのかわからなくなる。生真面目に「まとも」に便利屋稼業を務めようとする多田の周りにいるのは、バディの行天を筆頭に、誰ひとり「まとも」とは言いがたいまほろの住民たちばかり。心に何かを抱えているに違いない多田にしたって、本当に「まとも」なのかどうかは危うい。「まとも」からずれた人々の、おかしみや哀しみが、このドラマからはあふれているのだ。
彼らのダメさ加減は心地いいし、カッコ悪くてカッコいい。
そして、そのダメさと優しさが重なり化学反応を起こすことによって、ハッピーエンドともバッドエンドともいえないラストシーンに、小さな奇跡が降りかかる。そうやって、まっとうで「まとも」な深夜ドラマが生み出されるのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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“普通”の人々の歴史が面白い! 著名人の家族を通してひもとく、日本の庶民史『ファミリーヒストリー』

『ファミリーヒストリー』(NHK総合)
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
2009年から毎年年明けに放送されている『新春TV放談』(NHK総合)。千原ジュニアが司会を務め、NHK・民放問わず、その前年に放送されたテレビについてトークを繰り広げている。5回目である2013年は、秋元康、大根仁、小島慶子、鈴木おさむ、関根勤、テリー伊藤をパネラーに迎え、放送された。
そこで大根仁が2012年のベスト番組に挙げたのが『ファミリーヒストリー』(NHK総合)だった。大根は「あんなシンプルな切り口で、テレビ見てこんなに泣くのか」と絶賛。ジュニアや小島も口々に「大好き」と賛同した。
『ファミリーヒストリー』は、著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、そのルーツを探るドキュメンタリー。プロデューサーで制作統括を務めるのは『プロジェクトX』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』をデスクとして支えてきた小山好晴。2008年10月に『番組たまご』としてパイロット版が放送された以降、毎年新作が作られてきたが、ついに2012年10月からレギュラー化された。これまでルー大柴、浅野忠信、永瀬正敏、宮川大輔、余貴美子、市川猿之助、小塚崇彦、コロッケ、武蔵、そして出川哲朗など実に多種多様な人物の先祖をたどってきた。
自分の家族の歴史なんて、知っているようで実は全然知らないものだ。たとえばルー大柴は、自分の祖母が「満州で時計屋を営んでいた」ということは知っていたが、それが「満州で一番大きな時計屋だった」ことはまったく知らなかった。しかも、第二次世界大戦の敗戦で、時計屋の金品がソ連軍に略奪され、ルーの父である稔は日本人捕虜としてシベリアに抑留されてしまっていたことさえ、これまで知る由もなかったのだ。戦後4年たってようやく日本に帰国した稔は、ルーの母と出会い結婚。しかし、日本の生活に馴染めなかったこともあって離婚。その後、ルーと会うことはなかった。
ルーはそんな自分の知らない家族史に驚きつつも、冷静さをギリギリで保ちながらそのVTRに見入っていたが、ついに耐え切れなくなって嗚咽する。それは、父が糖尿病を患って入った療養所で、友人に「マイサンが今度テレビジョンに出るんだ」と得意げに話していたというエピソードが紹介された時だった。ヨーロッパで放浪の旅をし、今では「ルー語」と呼ばれる英語交じりの話し方をするルー大柴と同様、父もまた満洲やシベリアで英語を使っていたせいで、英語交じりの話し方をしていたという。それは些細だけど奇妙で心動かされるルーツのひとつだった。
現在写真家としても活動する永瀬正敏の曽祖父が実は写真館を開業していたり、「お祭り男」宮川大輔の先祖が神田明神の防火用の天水桶を作った人物であったりと、本人がまったく知らない現在の自分と符合する事実が次々と明かされていく。宿命と呼ぶのは大袈裟かもしれない。けれど、ただの偶然と切って捨てることはできないルーツであり、それは家族と本人のアイデンティティにもつながっていく。「事実は小説よりも奇なり」という使い古された言葉がリアリティをもって迫ってくるのだ。
「出川哲朗とNHK、真逆のところでやってきたんで……」と、本人もこの番組への出演を驚いたという出川哲朗は、創業100年以上の歴史を持つ海苔問屋の息子として生まれた。この回は、その伝統ある店の三代目に嫁いできた彼の母親が、夫の放蕩の果て家業が傾く中、必死で店を守り抜いた人生を中心に描かれた。父は調子に乗って手を出したクラブ経営で失敗して多額の借金を抱え、おまけに愛人を作って、家には帰らない。そんな父の人となりは、ええ格好しいの調子乗りで出川哲朗そっくりだ。それでも父と意地でも離婚せずに気丈に家業を守りぬいた母。彼女は時折、海の見えるところに行き、その先にある故郷の宮城県塩釜に想いを寄せるようにジッと海を眺めていたのだという。
58歳で亡くなった父の葬儀には、予想をはるかに超える参列者が集まった。母との別居中も父は、多くの人に対して見返りを求めることなく世話を焼いていたのだ。「母親は完全に最後に父のことは許していました」と、出川の姉は振り返る。父からはええ格好しいで友人思いの性格を、そして母からは常に身を粉にして全力で仕事に取り組む姿勢を受け継いだ出川哲朗は、家族の歴史の事実を見て「心を新たに、いただいた仕事を一つ一つ頑張ってやっていく」と涙をこぼした。
ただ、そんな感動的な話も、出てくる先祖の写真がことごとく出川本人とソックリすぎて笑ってしまい、前半は頭に入ってこなかったのだけど。
毎回、さまざまなゲストの家族史を追っているのに、そのどれもが劇的なことに驚く。そしてほとんどの回に共通するのが、そのターニングポイントに戦争が色濃く関わっているということだ。戦争によって翻弄され、厳しい選択を強いられ生き延びた家族。そんな無名の庶民の昭和史・近代史は、これまでほとんどテレビで語られることはなかった。タレントの家族というフィルターを通すことで、そういった「普通の人々」の生活と歴史をひもとく。それは、今まで「面白くない」「興味がない」と漠然とイメージされてきたものだ。しかし、それは違う。普通に生きてきた人々の歴史だからこそ面白いのだ。そして、庶民史だからこそ見えてくる日本の近代史が確かにある。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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不快なのに目が離せない――異色の朝ドラ『純と愛』があぶり出す人間のさが

NHK『純と愛』
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
とにかく不快。イライラする。今期の朝ドラ『純と愛』(NHK総合テレビ)はそんな作品だ。
ヒロインの純(夏菜)は、死んだ“おじい”のホテルのように「お客さんを笑顔に変える魔法の国」にしたいと老舗ホテルに就職。そこでは、英語はもちろん敬語さえ使えず、「こんなの私がやりたいサービスじゃない!」などと悪態をつきながら、社会人としての基本も、職業意識も、自分の仕事も放り出してルールも無視。やることなすことすべてがトラブルを招き、挙げ句「おじい、私が悪いの!?」などと心の声で叫ぶ始末。テレビを見ながら何度「そうだよ、お前が悪いよ!」と言い返しそうになったことか。
「愛」と書いて「いとし」と読む純の恋人(風間俊介)は「人の本性が見える」という朝ドラらしからぬ特殊能力を持ち、自分の価値観を曲げない純に「そのままでいてください」と言ってしまう。いやいやいや、純はそのままじゃダメだ! 「おじい、それでもこのドラマを見続けているのは、なぜ!?」と、純ばりに心の声で叫ばずにはいられない。
脚本を担当する遊川和彦は、『女王の教室』や『家政婦のミタ』(ともに日本テレビ系)など次々と異色の“問題”作を世に送り出してきた。いずれも人間の醜さを過剰ともいえる密度であぶり出し、視聴者に「不快」感を味わわせつつも、その「目が離せなさ」加減で視聴者の興味を引いた。
今回もその構造は同じだ。しかし『女王の教室』では、阿久津真矢(天海祐希)、『家政婦のミタ』では三田灯(松嶋菜々子)といった超人的なキャラクターが柱となることで痛快さがあって見やすかったが、今回は超人的な能力を与えられた愛が弱々しいため、痛快さが乏しくイライラしてしまうのだ。何より苛立つのは、分かりやすい悪役は出てこない代わりに、出てくる全員がことごとく“悪”なのだ。
純の父(武田鉄矢)は継ぎたくもない経営難のホテルを継ぎ、なんとか利益第一でホテルを守っている。それを純から「おじいのホテルを返して!」などと言われ、「おまえといるだけで不快」「生まれてこないほうがよかった」と言い返してしまう始末。母(森下愛子)は家族を守るためにそんな夫をかばい、純の味方にはなろうとしない。弟(渡部秀)は「俺の相手は世界だ!」などとうそぶき家出するも、結局家に戻ってきたり出て行ったりを繰り返すマザコンニート。兄(速水もこみち)はフィリピン人ハーフのキャバ嬢(高橋メアリージュン)に手を出し妊娠させてしまう。それを父が手切れ金で別れさせ、新たにホテルに資金を援助してくれるという金持ちと結婚させようとさえするのだ。
純の勤めるオオサキプラザホテルもヒドい。純の先輩でイケメンのコンシェルジュ(城田優)は、純を口説くも失敗するとその高いプライドからしつこく言いよるペッラペッラぶり。純の同期(黒木華)はそのイケメンに一目惚れし、純を逆恨み。上司たち(矢島健一、や乃えいじ)は仕事もできない上、責任回避の自己保身ばかり。そして社長(舘ひろし)はいつもヘラヘラしチャラくて頼りない。そのホテルを乗っ取ろうとしている外資カイザーグループの弁護士を務めるのが、純の天敵であり愛の母(若村麻由美)である。
ほとんどの登場人物たちが目の前の現状をよしとし、それにしがみついて必死に守ろうとする。しかも、その守ろうとする現状よりも何よりも自分が大切だから、その守り方までいびつで見苦しい。そして例外なく全員が「自分のせいじゃない、他人のせいだ」と思っている。
それは何かに似ている。そう、現実そのものだ。
先ほど「出てくる全員がことごとく“悪”」と書いたが、それは正確ではないかもしれない。全員がごく普通の、それゆえに根深い醜さと弱さを抱えているのだ。
社長は純や愛、そしてこのドラマのほぼ唯一の良心ともいえる桐野(吉田羊)に背中を押され、ようやくやる気になり、彼らの作り上げたホテル再建プランを持ってカイザーグループと対決する。
「この経営案で、死ぬ気で結果を出してみせます。だから、1年でも2年でもいいから私に任せてくれませんか? 私は本気です。生まれて初めて本気になったかもしれない。情けない話ですが、先代からオオサキを受け継いで何年もたつのに、いま心から思うんです。このホテルを経営したい! 優秀な部下たちと一緒に、世界一のホテルにしたい! って」
しかしその熱弁も「討論する必要もない」と一蹴され、今まで必死にオオサキを支えてきた総支配人(志賀廣太郎)からは緊急動議が出され、社長を解任されてしまう。このドラマでの数少ない愛されキャラである社長の失脚は、今まで何もしてこなかったのに土壇場でやる気を出しても、事態が好転するほど現実は甘くないことを容赦なく痛烈に描き出した。
ありふれた醜さと弱さを丸出しにする登場人物の右往左往は、見たくない現実を否応なくあぶり出す。だが、その不快さは、自虐的な快感と表裏一体だ。『純と愛』の目をそらしたくなるリアリティは、一方でその目を釘付けにしてしまう力を持っているのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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「笑いは、いじめそのもの」NHK『探検バクモン』が探求する、いじめ問題

NHK『探検バクモン』より
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
いじめ問題が表面化するたびに、テレビのお笑い番組が「いじめを助長している」などという批判が持ち上がる。そんな時、必ず「お笑いといじめは違う」とするお笑いを擁護する意見も出てくる。しかし、そういった意見は軽視され、テレビの笑いは少しずつ規制が多くなっていった。分かりやすい敵として駆逐し、それがほとんど効果をもたらさなかったにもかかわらず、再び問題が起きればさらに規制を厳しくする。その繰り返しである。
『探検バクモン』(NHK総合テレビ)は通常、爆笑問題が一般視聴者が見ることのできない場所へ“探検”し、時代をリードする学識者の話を聞きながら、さまざまなテーマを探求する教養エンタテインメント番組だ。
この番組では、大津の中学で起きたいじめ問題を見た太田光の「いじめについて学生たちと語りたい」という意向がきっかけとなり、「バクモンいじめ調査委員会」が発足。11月21日に73分拡大スペシャルとして放送されたのが、いじめを特集した「いじめ × 爆笑問題」だった。
爆笑問題は、フリースクールが母体になって設立された不登校経験の子どもたちが通う私立中学校「東京シューレ葛飾中学校」を“探検”し、いじめへの取り組みを紹介しながら、尾木ママ(尾木直樹)、はるかぜちゃん(春名風花)、ROLLY、志茂田景樹ら異色メンバーに、いじめられた経験を持つ学生たちが加わり、いじめについての討論会が開かれた。
「僕の子どもの頃は、いじられるのも楽しんでいたところもあった。今は陰湿」という志茂田に対し、太田は「昔といじめは変わったっていうけど本当かな? って思うんだよね。それほど変わるもんですか?」と問題提起する。番組では、いじめに対する漠然とした先入観を否定し、「いじめは日本だけの現象ではない」「いじめっ子はいじめられっ子にもなる」「いじめは仲のよい子の間で起こる」という3点を大きな特徴として挙げ、分析した。
この手のテレビ番組などで行われるいじめの討論では、多くの場合、出席者のいじめられた体験ばかりが語られる。しかし、先の特徴でも分析されているように、いじめられた人のほとんども、いじめた経験はあるはずだ。しかし、それが語られることは少ない。それこそ、いじめられたことは本人にとって深刻な問題であるが、いじめたことは大した問題ではない、といういじめの性質そのものだと思う。そういう意味において、黒人のハーフの少年がその容貌から「ボブ」と呼ばれ嫌だったという告白をした時、「俺、絶対言っちゃいそー!」と悪者を引き受ける太田の言葉は、ほかの人たちの言葉よりも胸に迫ってくるのだ。
「僕自身が田中とコンビやってると、『こいつ片玉ですから』『チビだから』ってやるわけですよ。そうやると、ワッとウケるんですよ。でも別の角度からすれば、いじめですよ」
からかいといじめの線引きは、非常に曖昧である。悪意を持って「チビ」と罵るのも、愛情を持って「チビ」と呼ぶのも、表面上は同じだ。
「こいつ(田中)が突然自殺したら、これはもうお手上げなんです、僕らは。それをやってもおかしくないことを言いますから。で、たぶんそういうことは学校でも起きてるんじゃないか」
いじめは笑いに変えればいい、とはよく言われる対処法だ。しかし、ネタにはオチがあって終わるが、いじめにオチはない。だから終わらない。それに付き合う必要なんてない、と太田は言う。では、逃げ場がない時、自殺しないで済む方法とはなんだろうか?
それこそが「学校」なのだと太田は言う。
「死よりも生。生きることのほうが楽しいんだって思えていれば、死なないわけでしょ? 死よりも生がいいんだっていう確信がなくなった時に死を選ぶわけだから、そうすると死よりも生が面白い、生きているほうがいいと、どう思わせるかですよね、子どもたちに。それはおそらく学校にあると思うんだよね。(略)学校で教えていることが本当に面白いんだ、と。どうやって生きればいいのかっていうのの答えが、その教科にあるんだよね。教科の中に『こんなにまだ分からないことがあるんだぜ、世の中には』って。それは“先に対する期待”ですよ。それはおそらく学問が持っている性質じゃないですか」
太田は色紙に「言葉を書いてください」と言われると、「未来はいつも面白い」と書くと、以前放送された『爆笑問題の大変よくできました!』(テレビ東京系)の最終回(2009年9月9日)で語っている。そこで子どもたちからの質問に答える形で「学問」について、文芸評論家の小林秀雄の言葉を借り、説明している。「対象と長ーく付き合うこと、何十年も付き合っていればそのことが理解できるってことが学問」だと。分からないことだらけのものでも長く付き合えば少しずつ理解できることが増え、同時に新たな分からないことも出てきて、その疑問をまた解消していく。その過程が面白いのだ。まさに“先に対する期待”であり「未来はいつも面白い」。
「笑いは、いじめそのものだと俺は思ってるんです。下手すりゃ俺のやってることは、人を殺すなあって思う。だから俺から見ると『テレビ番組はいじめとは違います』っていう論理は『ウチの学校にいじめはありません』って言ってる奴と同じことだと思うの」
人をバカにして笑ったことがない人は、いないはずだ。人がずっこけるのはおかしい。そこにはサディスティックな快感と同時に、ある種の共感がある。幸福と不幸、憎しみと愛情などは根底は同じものじゃないか、と太田は言う。
「人が死ぬ原因になるものと、人が生きる糧になるものは、本当に同じ場所にある」
だから死の原因になるものを排除することは、生きる糧を奪うことと同じだ。笑いは、いじめそのものであると同時に、救いでもあるのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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夢か現実か? ウソか本当か? 『悪夢ちゃん』の“自由”な授業

日本テレビ 『悪夢ちゃん』
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
先生 「『自由』とはなんですか?」
生徒 「周りに流されず、自分の考えで行動することです」
先生 「では周りに流されず、自分の考えで学校を休みたいと思いそのように行動することは『自由』ですか?」
生徒 「それは『自由』ではありません。『自由』の意味をはき違えています。それは『自分勝手』です」
先生 「それは不登校です。不登校をすべて『自分勝手』と言ってもいいのですか? その人の悩みや取り巻く環境などを考えずに、それは『自分勝手』だ、『自由』の意味をはき違えているとそのように発言することは、あなたの『自由』ですか、それとも『自分勝手』ですか?」
生徒 「……そこまでは、分かりません」
先生 「そこまでは分からない。自分のことなのに分からない。それが『自由』なのか『自分勝手』なのかさえ分からない。分からなくてもいいんです。そう思うことが『自由』なのです。学校で教わる『自由』とは、むしろ分かることではなく自分の中に分からないと思うことを増やすことです。先生がなんと言おうと、そう簡単に分かった気にならないでください」
これは土曜ドラマ『悪夢ちゃん』(日本テレビ系)第4話冒頭で、5年生の担任を務める主人公・武戸井彩未(北川景子)とその生徒の間で行われた授業である。
日本テレビの「土曜ドラマ」枠(土曜21時)は独特な進化を遂げてきた。特に2000年代以降は、『怪物くん』『妖怪人間ベム』『Q10』『ゴーストママ捜査線』などティーンエイジャー向けでありながら、同時にテレビドラマの表現として冒険的・実験的な作品を数多く放送し、「土曜ドラマ的」と言うしかないファンタジー要素を巧みに利用した独特なジュブナイル作風を築き上げている。
今クールの『悪夢ちゃん』も、その系譜にあたる。
『悪夢ちゃん』は恩田陸の小説『夢違』(角川書店)を原案とする、予知夢を題材としたSF学園ファンタジーだ。「今日も完璧に良い先生をやり切った」と“良い先生像”を演じているが「羊飼いは楽だけど、顔が疲れるのよ」と腹黒い本性を持つ武戸井のクラスに、恐ろしい予知夢に苦しめられている「悪夢ちゃん」古藤結衣子(木村真那月)が転校してくるところから物語が始まる。彼女の見る悪夢に巻き込まれ、それが暗示する悲惨な未来を変えようと武戸井が奮闘していくのだ。
ある日、インターネット上に「わたしの先生はサイコパス」と題されたブログがアップされた。それは、紛れもなく武戸井に対するもので「わたしの先生は、一度もわたしたちに向かって本当に笑ったことがないんです」「好きも嫌いもない。心がないのだから」などと彼女の本性を暴くものだった。
そして、悪夢ちゃんは夢を見る。
それは、武戸井がそのブログを読み上げる生徒を、ガラスの破片でめった刺しにするというもの。そして彼女自身は赤いワニに頭を噛みちぎられ、首がもげてしまうのだった。今のテレビドラマで、このようなバイオレントで残酷な映像を流すことはなかなかできない。特に、大人が子どもを虐殺するなどタブーだ。しかし、それを「夢」というファンタジーで可能にしてしまったのだ。
武戸井は、早くも第3話で自らの本性を生徒たちにカミングアウトする。クリームを塗ると透明人間になり「透明校則」に違反した者に罰を下す、という漫画を描き、それを現実に実行していた生徒に向けて語りかける。
「先生はサイコパスです! 本当は異常かもしれない。そう思って生きてます。あのブログに書いてあることは全部本当です。先生は笑いたくもないし、泣きたくもない。みんなに嫌われないようにしてるけど、好かれたくもない。殺したいけど殺さない。さてどっちの先生が本当でどっちがウソでしょう?」
そして、自分の身体にクリームを塗る。
「先生は消えましたか? 自分を消すことなんてできない。本当の自分なんていない。人間はどこへ逃げようと、自分から逃げることはできないのよ! ウソと本当がクリームのよう溶け合って生きているのが人間だからです! 先生は異常かもしれませんが、それを抑えて生きていくことはできるでしょう」
重苦しい空気に耐えかねて、「透明人間」を自称した生徒をフォローするように、ほかの生徒が「はしゃぎすぎだよ、何が『透明人間はここにいる』だよ」と笑うと、本人も救われたように「そ、そうだよな」と、照れ笑いとも苦笑いともとれる複雑な笑いを浮かべる。それを見た武戸井は「空気を読んで笑うな!」と一喝。「先生もこれからはなるべく無理に笑わないようにします」と。
夢か現実か――。ウソか本当か――。
真正面から表現することがはばかられるような“真実”を、虚実皮膜の世界の中でフィクションの力を駆使して“教え”ていく。
そして、先述の第4話冒頭の「『自由』について」の授業をするのだ。この回のラストシーンは、国語の授業だった。宮沢賢治の『雪渡り』でキツネのきびだんごを食べた四郎とかん子に対して、武戸井は「文部科学省がなんと言おうと」と、キツネの紺三郎を信じたからではなくその場の空気を読んだからだ、と独自の解釈で批判する。
「学校は一人ひとりがほかの人間に囲まれて生きている場所です。その場の空気を読むことも、人間に備わった大事な能力です。世の中を生き抜く術としては大事なことです。しかし、いくら空気を読んだとしてもキツネのこしらえたきびだんごを食べるべきではなかったと先生は思います。おおなかを壊す確率はかなり高かった。それでもみなさんは食べますか? それでもそこまで考えて、私は食べるというのなら、それはあなたの『自由』です」
これを、単なるファンタジーと片付けることは自由だ。けれど、悪夢にその象徴する事象が隠れているように、このドラマから深遠なテーマを読み解くのもまた自由だ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
●【テレビ裏ガイド】INDEX
【第10回】“正しすぎる”大河ドラマ『平清盛』はヒールのまま終わるのか?
【第9回】このまま終わってしまうのか? ‟崖っぷち”『笑っていいとも!』の挑戦
【第8回】東野幸治流の芸人賛歌? 『アメトーーク!』「どうした!?品川」に見る人間模様
【第7回】『24時間テレビ』の偽善に埋もれさせるのはもったいない!? 渾身の問題作『車イスで僕は空を飛ぶ』
【第6回】親子で一緒に見てはいけない!? トラウマ必至の昼ドラ『ぼくの夏休み』
【第5回】人見知り芸人の処世術が爆発!? 『日曜×芸人』が生み出す「ポジティブ」の正体
【第4回】大人げない大人たちの『ウレロ☆未完成少女』という夏祭り
【第3回】有吉イジリの“陰の帝王”は夏目三久? 本当は怖い『怒り新党』
【第2回】「正義は少年ジャンプの中にしかない!?」“絆”を裁く『リーガル・ハイ』の正義
【第1回】怖さと面白さが同居した新たな笑い?『テベ・コンヒーロ』の悪意
“正しすぎる”大河ドラマ『平清盛』はヒールのまま終わるのか?

NHK大河ドラマ『平清盛』公式サイトより
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
ついにクライマックスを迎えるNHK大河ドラマ『平清盛』。「大河ドラマ史上最低の視聴率」などと批判され苦しんでいるが、一方でその骨太なクオリティで一部のドラマファンからは熱烈な支持を集めている。
長編連続ドラマの魅力は「積み重ね」である。その積み重ねてきた人物造形や関係性が昇華した時や、逆に崩壊した瞬間のカタルシスが醍醐味だ。しかし、それが濃密であればあるほど、視聴者に集中力が要求される。だから、長編ドラマとは思えないような、誰も“成長”も“変化”もしないで同じことを繰り返す薄っぺらな作品が高視聴率を獲ってもてはやされたり、逆に濃密で骨太なドラマが最初の数回のつまずきで低視聴率に苦しむことがしばしばある。
確かに、開始当初の『平清盛』は汚くてうるさい作品だった。主人公の松山ケンイチ演じる清盛は、野生児のクソガキだった。みんながみんな、好き勝手なことばかりやっている、なかなかのめり込みづらい世界観。それでも、阿部サダヲ演じる信西をはじめとする朝廷側はとても魅力的で、特に三上博史演じる鳥羽法皇、井浦新の崇徳院、そして松田翔太扮する後白河院などの公家の、ハマり過ぎるほどハマった熱演は目が離せないものだった。それも長編群像劇の魅力である。人それぞれに誰に思い入れて見るか、優れた作品ほどそれが多様で自由なのだ。そして、それを後押しするようなキャスティングの妙が『平清盛』にはある。先に挙げた公家勢のそれは見事だったし、キーポイントとなる源義経役に、かつての大河ドラマ『義経』(2005)で義経の少年期を演じた神木隆之介が作品を越えて選ばれたのは白眉で、今後のクライマックスを見る心の盛り上がりはハンパない。
『平清盛』の場合、最初からある意味でハンディキャップがあった。多くの日本人にとって、清盛をはじめとする平家は永遠のヒール(悪役)である。義経をはじめとする歴史上のヒーローは源氏。僕らは教科書などで、源氏視点から見る歴史を刷り込まれている。平家は「平家にあらずんば人にあらず」とガハハと驕り高ぶって、栄華を極め、贅沢三昧の生活や傲慢な政治をした挙げ句、自業自得で崩壊した。そんなイメージである。
大河ドラマの特性として、最初からネタバレ状態というものがある。大きな出来事や結末はみんな知っている。しかし、逆にそれを利用して、違った角度から史実を描き、自分たちの知っている歴史観を覆される快感こそ、大河ドラマの醍醐味の一つだ。
いよいよ平家が栄華を極め、同時にその崩壊の予兆が忍び寄る第3部前半。一貫して慣習や伝統を打ち破ろうと奮闘し続け、50歳を過ぎた清盛。もはや、少年時代の野生児的な荒々しさは消え、泰然自若の一家の長としての貫禄と器の大きさで、京から移住した福原に君臨している。その京の留守を任されたのは、長男の重盛(窪田正孝)。彼は高い能力を持ちながら、まっすぐで繊細な青さで偉大な父の影に苦しんでいた。一方、汚れ仕事もいとわない知略と弁才で渡り歩き、清盛からの信頼の厚い義弟・時忠(森田剛)は院の司として重用されていた。財力と武力で実質的な権力の中心は、藤原摂関家から平家に移っていた。
例えば、「殿下乗合事件」(第37話)はそんなパワーバランスの時に起きる。京の橋で重盛の嫡男・資盛(大西健誠)と鉢合わせした藤原摂関家の基房(細川茂樹)は、朝廷への礼節を欠いた資盛の態度を見て、従者たちに資盛を襲わせた。そんなわが子への辱めを受けても礼節を重視する重盛は、苦悩しながらも周囲からの報復すべしの声に耳を貸さず資盛を叱るのみだった。
時忠はそんな重盛の采配を見て言う。
「正しすぎることは、間違っていることと同じだ」
やがて、基房をはじめ平家に対して異を唱える者たちを、禿(かむろ)と呼ばれる武装した童子たちが襲い始める。それは、時忠が放ったものだった。重盛が冷酷になれない自分に嘆き病床に伏し、清盛の妻・時子(深田恭子)が「このままでは平家が嫌われ者になる」と心配するのをよそに清盛は権力の拡大に邁進し、それに呼応するように暴走を止められない時忠は、禿によって恐怖政治を強化していくのだった。
元海賊王で清盛の側近兎丸(加藤浩次)は、時忠に「やりすぎじゃねえか?」と忠告する。それに対して時忠は、厳しい表情で自らに言い聞かせるようにつぶやくのだ。「平家にあらずんば人にあらず……」と。
長きにわたって積み重ね描かれた人間味あふれる人物描写、複雑な人間模様と時代背景。『平清盛』は、それらを丁寧に紡いだ“正しすぎる”大河ドラマだ。だからこそ、驕り高ぶった言葉だと思っていたセリフが、実は一方で苦渋に満ちた言葉だったのではないかと気付く快感を味わえるのだ。
プロレスの世界ではヒール(悪役)がベビーフェイス(善玉)に転向することを「ベビーターン」という。ベビーターンは大きなカタルシスを伴うものだ。時代のヒールに貶められた平清盛は、大河ドラマとしても低視聴率というヒールの扱いを受けてしまっている。ドラマの中で清盛はベビーターンを果たしているが、『平清盛』は大河ドラマとしてもベビーターンができるのだろうか。あるいは、やはり「正しすぎることは、間違っていることと同じ」なのだろうか。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
●【テレビ裏ガイド】INDEX
【第9回】このまま終わってしまうのか? ‟崖っぷち”『笑っていいとも!』の挑戦
【第8回】東野幸治流の芸人賛歌? 『アメトーーク!』「どうした!?品川」に見る人間模様
【第7回】『24時間テレビ』の偽善に埋もれさせるのはもったいない!? 渾身の問題作『車イスで僕は空を飛ぶ』
【第6回】親子で一緒に見てはいけない!? トラウマ必至の昼ドラ『ぼくの夏休み』
【第5回】人見知り芸人の処世術が爆発!? 『日曜×芸人』が生み出す「ポジティブ」の正体
【第4回】大人げない大人たちの『ウレロ☆未完成少女』という夏祭り
【第3回】有吉イジリの“陰の帝王”は夏目三久? 本当は怖い『怒り新党』
【第2回】「正義は少年ジャンプの中にしかない!?」“絆”を裁く『リーガル・ハイ』の正義
【第1回】怖さと面白さが同居した新たな笑い?『テベ・コンヒーロ』の悪意
このまま終わってしまうのか? ‟崖っぷち”『笑っていいとも!』の挑戦

フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいと
も!』公式サイトより
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
『笑っていいとも!』(フジテレビ)が終了する――。
そんなウワサが改編期の風物詩になって久しい。今までであれば世間に軽く笑い飛ばされていたこの手のウワサも、次第に現実感が増してきているのは否定できない。裏番組との視聴率競争に敗れることも珍しくなくなってきた上、司会であるタモリの高齢化、レギュラーの人材難など問題は山積みで、昨今は「迷走」とも見えてしまうようなフォーマットのリニューアルが激しい。その象徴的なものは「テレフォンショッキング」の「お友達紹介」の廃止だろう。『いいとも』の「友達の輪」は、いわばひとつのアイデンティティーだった。それが失われたのだ。
いわゆる「『いいとも』の客」は独特である。自分たちのお目当ての男性アイドルたちの一挙手一投足には激しく過剰に反応するにもかかわらず、自分たちが知らないものに対しては、文字通り知らんぷり。もちろん、本当はそれが普通なのだ。芸人がお笑いファンのいつもの反応を期待してギャグをしても、世間では「なにそれ?」が当たり前だ。だって、知らないのだから。テレビっ子とそうでない世間の間には大きな隔たりがあるのだ。
10月第1週の『いいとも』は、そんな「『いいとも』の客」が「シーン」と静まり返る場面が数多くあった。月曜日の「テレフォンショッキング」のゲストはなんとビートたけし。たけしとタモリの2ショットに、お笑いファンやテレビっ子は歓喜したが、『いいとも』の客は「あ、知ってる大物ゲストが来た!」くらいの反応。さすがに『いいとも』の司会のオファーがたけしにもあったという話には「へー」という反応があったが、たけしがかつて作家・中上健次と羽田空港で一緒にバイトをしていたという驚きのエピソードには一切無反応。そして、話題がお笑いファン垂涎の『お笑いウルトラクイズ』時代の過激なロケの逸話に及ぶと、無反応どころか、観客は引き始めた。
翌日はもっと悲惨だった。ゲストは浅草キッド。「明日のゲストの紹介」でたけしは電話口で玉袋筋太郎に対し「ああ、太田光?」と“犬猿の仲”である爆笑問題の名前を出すと、玉袋は「一番嫌いです」とキッパリ宣言。客は無反応。そして翌日、浅草キッドに贈られた花の中に「親友・太田光より」の文字が。それを見つけた水道橋博士はそのボードを真っ二つに叩き割った。玉袋はそれを拾い上げると「オスプレイ並みに歓迎します」と。もちろん日をまたいだ前フリなんて関係なく、彼らの歴史を知らない客はただドン引き。
さらに翌日。ゲストのリリー・フランキーは、前日の水道橋博士のムチャぶりで“ウワサの彼女”を会場に連れてくる。車イスに乗せられた“彼女”は、リアルな等身大ラブドールのリリカ。「会場も緊張してるよ」とタモリが笑うように、客がざわめきとも言えないようなざわついた反応を示す中、とても真っ昼間とは思えないようなシュールでキケンなシーンが流されたのだ。
木曜日には、番組のエンディングに、レゲエ界の生ける伝説リー・スクラッチ・ペリーが登場。もちろん客は見知らぬ老人に冷たい反応だった―――。
『いいとも』は「『いいとも』の客」の血を入れ替えようとしているのかもしれない。この週から番組のレギュラーに抜擢されたのは武井壮、ハライチ澤部、栗原類、伊藤修子、木下優樹菜だ。木下や澤部はともかく、それ以外は「え? 誰?」と言われてもおかしくないメンバーである。しかし最近でこそ、その多くを安定感のある中堅芸人で固めてきたが、もともと『いいとも』は「え? 誰?」という人をスターにしてきた歴史でもある。
「知らない」ということを悪びれることなく、むしろ「知らねーよ!」というツッコミになってしまう時代。そんな時代に、世間的に知られていない人たちをレギュラーに添えたり、マニアックでアナーキーなネタを挟み込むのは無謀な挑戦かもしれない。それが風前のともしびとなった『いいとも』の火を消してしまう結果になるのか、一瞬の爆発を生むのか、はたまた再び新たな火をともすことになるのか、それはまだ分からない。でも、やっぱり『いいとも』とタモリのいないお昼は寂しい。もはや『いいとも』のない日常を僕は知らないし、知りたくもない。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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【第6回】親子で一緒に見てはいけない!? トラウマ必至の昼ドラ『ぼくの夏休み』
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【第2回】「正義は少年ジャンプの中にしかない!?」“絆”を裁く『リーガル・ハイ』の正義
【第1回】怖さと面白さが同居した新たな笑い?『テベ・コンヒーロ』の悪意
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フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいと
も!』公式サイトより
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
『笑っていいとも!』(フジテレビ)が終了する――。
そんなウワサが改編期の風物詩になって久しい。今までであれば世間に軽く笑い飛ばされていたこの手のウワサも、次第に現実感が増してきているのは否定できない。裏番組との視聴率競争に敗れることも珍しくなくなってきた上、司会であるタモリの高齢化、レギュラーの人材難など問題は山積みで、昨今は「迷走」とも見えてしまうようなフォーマットのリニューアルが激しい。その象徴的なものは「テレフォンショッキング」の「お友達紹介」の廃止だろう。『いいとも』の「友達の輪」は、いわばひとつのアイデンティティーだった。それが失われたのだ。
いわゆる「『いいとも』の客」は独特である。自分たちのお目当ての男性アイドルたちの一挙手一投足には激しく過剰に反応するにもかかわらず、自分たちが知らないものに対しては、文字通り知らんぷり。もちろん、本当はそれが普通なのだ。芸人がお笑いファンのいつもの反応を期待してギャグをしても、世間では「なにそれ?」が当たり前だ。だって、知らないのだから。テレビっ子とそうでない世間の間には大きな隔たりがあるのだ。
10月第1週の『いいとも』は、そんな「『いいとも』の客」が「シーン」と静まり返る場面が数多くあった。月曜日の「テレフォンショッキング」のゲストはなんとビートたけし。たけしとタモリの2ショットに、お笑いファンやテレビっ子は歓喜したが、『いいとも』の客は「あ、知ってる大物ゲストが来た!」くらいの反応。さすがに『いいとも』の司会のオファーがたけしにもあったという話には「へー」という反応があったが、たけしがかつて作家・中上健次と羽田空港で一緒にバイトをしていたという驚きのエピソードには一切無反応。そして、話題がお笑いファン垂涎の『お笑いウルトラクイズ』時代の過激なロケの逸話に及ぶと、無反応どころか、観客は引き始めた。
翌日はもっと悲惨だった。ゲストは浅草キッド。「明日のゲストの紹介」でたけしは電話口で玉袋筋太郎に対し「ああ、太田光?」と“犬猿の仲”である爆笑問題の名前を出すと、玉袋は「一番嫌いです」とキッパリ宣言。客は無反応。そして翌日、浅草キッドに贈られた花の中に「親友・太田光より」の文字が。それを見つけた水道橋博士はそのボードを真っ二つに叩き割った。玉袋はそれを拾い上げると「オスプレイ並みに歓迎します」と。もちろん日をまたいだ前フリなんて関係なく、彼らの歴史を知らない客はただドン引き。
さらに翌日。ゲストのリリー・フランキーは、前日の水道橋博士のムチャぶりで“ウワサの彼女”を会場に連れてくる。車イスに乗せられた“彼女”は、リアルな等身大ラブドールのリリカ。「会場も緊張してるよ」とタモリが笑うように、客がざわめきとも言えないようなざわついた反応を示す中、とても真っ昼間とは思えないようなシュールでキケンなシーンが流されたのだ。
木曜日には、番組のエンディングに、レゲエ界の生ける伝説リー・スクラッチ・ペリーが登場。もちろん客は見知らぬ老人に冷たい反応だった―――。
『いいとも』は「『いいとも』の客」の血を入れ替えようとしているのかもしれない。この週から番組のレギュラーに抜擢されたのは武井壮、ハライチ澤部、栗原類、伊藤修子、木下優樹菜だ。木下や澤部はともかく、それ以外は「え? 誰?」と言われてもおかしくないメンバーである。しかし最近でこそ、その多くを安定感のある中堅芸人で固めてきたが、もともと『いいとも』は「え? 誰?」という人をスターにしてきた歴史でもある。
「知らない」ということを悪びれることなく、むしろ「知らねーよ!」というツッコミになってしまう時代。そんな時代に、世間的に知られていない人たちをレギュラーに添えたり、マニアックでアナーキーなネタを挟み込むのは無謀な挑戦かもしれない。それが風前のともしびとなった『いいとも』の火を消してしまう結果になるのか、一瞬の爆発を生むのか、はたまた再び新たな火をともすことになるのか、それはまだ分からない。でも、やっぱり『いいとも』とタモリのいないお昼は寂しい。もはや『いいとも』のない日常を僕は知らないし、知りたくもない。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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東野幸治流の芸人賛歌? 『アメトーーク!』「どうした!?品川」に見る人間模様

『品川祐・27 時間トークライブ1』
(よしもとアール・アンド・シー)
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。
「もうやだぁ」と言いながら『アメトーーク!』(テレビ朝日系)「どうした!?品川」で弱々しく“ご本人登場”した後の品川庄司・品川祐の一言一言や立ち居振る舞いは、いちいち完璧だった。求められているものを120%で返す力は、彼の芸人としての能力の高さを如実に表していた。相方の庄司智春も登場し、「韓流スター」みたいになってしまった髪形を“あの頃”のような坊主頭にしろと迫られた品川は、泣く泣く自身の前髪をハサミで切り落とす。そんな品川を東野幸治が抱きしめると、芸人たちが次々とそれに続く。そんな彼らに自ら切った髪を投げつける品川。喜んでそれを浴びる芸人たち。なぜか自分も切ってくれと頭を差し出す庄司、切って投げる品川。叫ぶ品川庄司……。それは『アメトーーク!』史上に残る、爆笑と感動的なシーンだった。最後に品川は芸人たちに向かって吐き捨てる。「お前たちも『どうした!?』予備軍だからな!」
有吉弘行が品川を「おしゃべりクソ野郎」と命名した、「おしゃクソ事変」が2007年。それから5年、すっかり“文化人”然としておとなしくなってしまった品川だが、そんな彼に対し東野は同番組の「第13回企画プレゼン大会」で、「元気なくなってきて、髪の毛も染めて、(体が)タイトになって、俺の好きな品川じゃない」と訴え、「どうした!?品川」という企画をプレゼンする。「品川、もっと悪口言え!」と狂気じみた熱量で迫ったのだ。視聴者の潜在的意識と合致したこの企画は、「おしゃクソ事変」がそうであったように客席ははじけ、結果、歴代最高の支持を集め実現した。
番組では「品川祐ヒストリー」を「ギラギラ期」「調子ノリ期」「どうした期」に分けて紹介していた。その「顔」の変遷だけでも面白いが、何より興味深いのは、どんなに“成功”を収めても、その根本である過剰な自尊心と「カッコつけ」の部分だけはずっと変わっていないということだ。
かつて、品川について「人から嫌われる才能を持ちすぎている」と評したのはケンドーコバヤシだ。お笑いも、ガンダムも、家電も、小説も、映画も、料理も、「日本の利権をすべて持っていく」(有吉)品川は、すべてを持ち前の努力と情熱で形にして成功させた。けれど、周りから愛される「かわいげ」だけは、彼が努力すればするほど離れていった。
いまやお笑い芸人の“上がり”のひとつは「文化人」である。それは疑いようのない事実だ。それを過剰に非難するのは、芸人モラトリアムか、成功できなかった人のただの嫉妬だ。品川へ向けられた周囲からのそんな嫉妬心は、彼にもともとほのかにあったはずの芸人的なかわいげさえも覆い隠してしまった。逆に品川は「カッコつけ」を隠さなくなり、「韓流スター」のような髪形になってしまったのだ。
東野は、その部分が気に食わなかったのだろう。
「昔大好きやったんですよ。クソ生意気でね、自分が爆笑とったらドヤって顔して、他人が笑いとったら苦虫かみつぶしたような顔をする。そういうハッタリ野郎が10年に一人はいてほしいのよ、個人的に」
どんなにギラギラしていても、調子に乗っていても、脇役なのに主役ぶっていても、トークを横取りして「お笑い軽犯罪法違反」を犯しても、そんなイビツさこそが、東野が愛してやまない「芸人」像なのだ。
「どうした!?品川」と品川をイジりながら腹を抱えて笑っていた東野だが、そこに今後の品川を救ってあげようなどという意図はたぶんない。限りなく無責任に、その瞬間ごとを笑っている。刹那的でむき出しの姿こそ芸人なのだ、という確信があるからだろう。「どうした!?品川」は「どうした!?芸人」と言い換えることだってできる。だとしたら、それは歪んだ悪意と冷たい愛に満ちた東野流の芸人賛歌なのだ。
だからといって、そう簡単に視聴者も品川を好きにはなれない。
オンエア後、品川のブログには坊主姿の自身の写真がアップされていた。しかし、彼は坊主にサングラス、そして既にアゴひげを蓄えていた。そこには「かわいげ」などみじんもない、ただの「カッコつけ」の男がいた。人間はそうそう変われないのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
●【テレビ裏ガイド】INDEX
【第7回】『24時間テレビ』の偽善に埋もれさせるのはもったいない!? 渾身の問題作『車イスで僕は空を飛ぶ』
【第6回】親子で一緒に見てはいけない!? トラウマ必至の昼ドラ『ぼくの夏休み』
【第5回】人見知り芸人の処世術が爆発!? 『日曜×芸人』が生み出す「ポジティブ」の正体
【第4回】大人げない大人たちの『ウレロ☆未完成少女』という夏祭り
【第3回】有吉イジリの“陰の帝王”は夏目三久? 本当は怖い『怒り新党』
【第2回】「正義は少年ジャンプの中にしかない!?」“絆”を裁く『リーガル・ハイ』の正義
【第1回】怖さと面白さが同居した新たな笑い?『テベ・コンヒーロ』の悪意
