「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 「人生なんて、悪いほうが多くできてるんだよ。人生、J-POPみたいに甘くないよ」 男(菅原大吉)は盗んだタクシーを走らせながらそう言った。タクシーには、ひょんなことから“学年ワースト成績のくるくるヘッド”福田(岡山天音)たちが乗っていた。そして男は「一緒に死のう」と言う。突然、妻に離婚届を突きつけられ、自暴自棄になっていたのだ。 「おっさん、知ってるか? 地球は時速1700キロで回ってる」と、福田は男に問いかける。「でも吹いてね-じゃん、風! てことは、俺が吹かせるしかねえだろ、風は!」 福田は「俺には夢があるからな。俺の夢が俺を守ってくれる」と、120キロで高速道路を走るタクシーから飛び出そうとする。「勇気は出るとか出ないとかじゃないんだよ、たとえヤケクソでも勇気は絞りだすものだ!」 大家族に生まれ、『北の家から』なるドキュメンタリー番組に7年間密着され続けている北野(清水尋也)、とても10代に見えないイカツイ風貌ながら、いつも「俺はいいと思う!」と肯定を繰り返す箕輪(草野イニ)、インド旅行で仏教の教えに感化され、常に右手を上げて生活をしている吉沢(デニス)……。 中学2年生の福田とその仲間たちは、それぞれに中学生らしい悩みや葛藤を抱えながら、懸命にもがきながら生きている。それを叱咤激励しているのが、このドラマの主人公で担任の桐生(高梨臨)。生徒から慕われている元ヤンキーの教師だ。そして彼女もまた、もがいている。 『放課後グルーヴ』(TBS系)は、そんな彼らの物語だ。「ダンス」が突如として体育の授業の必修項目となり、ダンスがからっきしダメな教師・桐生が苦心しながらそれを教えていく姿と、そんなダンス教科に戸惑いながらも興味を持ち始める生徒たちが成長していく姿を軸に物語は進んでいく。 このドラマでは、ザ50回転ズの「I can not be a good boy」、電気グルーヴの「N.O.」、JUDY AND MARYの「BLUE TEARS」、UNICORNの「すばらしい日々」など日本語ロックの名曲が挿入歌として効果的に使われている。 「ねぇ君 調子はどうだい? 夜はよく眠れるかい?」 福田は仲間の一人を想いながらYO-KINGの「ずっと穴を掘り続けている」をカラオケボックスで絶唱していた。「結局オレたちはいくら偉そうなことをほざいても友達一人救えないのか」と、もがくように。 その仲間とは本田千夏(萩原みのり)。中1の頃はグループのスターだった彼女は、約1年前、プロを目指していたダンスレッスンの帰り道、居眠り運転のダンプカーにはねられ、下半身不随で車椅子生活を余儀なくされ不登校になってしまったのだ。 そんな彼女を見守るしかなかった桐生は、「『見守る』なんて言葉は、何もしないやつの言い訳」という言葉に奮起し、福田たちと共に一計を案じる。学校に来るまで待っているとは言わないが、来たくなったら来てほしいと、彼女の思い出の公園に呼び出したのだ。彼女はそんな桐生の誠意に応えて公園にやって来る。しかし、「もう一度学校に来て」という言葉には応じない。 「一度やめたことってなかなか再開できないんですよ。始めることも、続けることも難しいけど、きっと再開することが一番難しい」 さらに本田は語る。 「ほかの誰かじゃなく、どうして私なんだろう? って、毎日毎日思ったよ。過去形なんかじゃない。毎日毎日、朝起きるたびに、なんでだろう? なんで私なの? って思わない日はない。私なんか悪いことした? 両足とられるようなことした? って」 希望なんて持つ気もないし、持ちたくもないという本田に、桐生は必死に語りかける。「希望持てるまで一緒に探すから。見つかるまで一緒に探すから!」と。 時間は巻き戻せない。けれど、感情を甦えらせることはできる。仲間たちは本田に“あの日の中1感”を思い出させるように、それぞれの想いのこもったメッセージを寄せた。 中1の頃、福田は本田と一緒にアナログフィッシュのアルバム『Fish My Life』を聴いた。その中に収録されている「Sayonara 90's」の一節を2人とも気に入っていた。福田はそのフレーズを引用したメッセージを彼女に伝える。 「本田、おまえが人生サボってた時間なんて地球から見たら一瞬だし、『探せば結構、希望はあるよ』」 彼らが懸命にジタバタともがく姿は、まるでダンスを踊っているかのようだ。優れた音楽がある時代の記憶を呼び戻すように、『放課後グルーヴ』は僕らを青春時代に引き戻す。 仲間たちのメッセージに感極まった本田は何か言おうとするが、それを言葉にできず、泣き出してしまった。桐生は彼女を抱きしめて言う。 「言葉にならない言葉ってあるから……!」 『放課後グルーヴ』は、そんな言葉にならない感情をサンプリングしたようなドラマだ。重苦しい現実や答えの出そうのない悩みに「ツラい時こそユーモアで」と明るく笑いながら立ち向かう彼らは、キラキラして愛おしい。瑞々しく、そして切実に青春を踊っている。「日本語ロックの精神」で! (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからドラマNEO『放課後グルーヴ』(TBSテレビ)
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「どうした!?片岡鶴太郎」『芸人報道』で見せた、“鶴ちゃん”の芸人魂
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で、文化人的活動を広げていた品川庄司の品川をターゲットにした企画「どうした!? 品川」が放送されたのは記憶に新しいが、「どうした!?」というフレーズが最も似合うのは、片岡鶴太郎ではないか。いまや完全に俳優や芸術家としての顔のほうが一般的になってしまったが、彼は芸歴37年を数えるお笑い芸人である。いわば鶴太郎は、“「どうした!?」芸人”のリビング・レジェンドなのだ。 24歳の時にものまね芸人としてテレビデビューすると、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)などにレギュラー出演を果たし、大ブレイク。テレビで見ない日はないほどの活躍で、最盛期にはレギュラー番組の数は13本にも上った。 「マッチでーーす!」の近藤真彦、「おばちゃまはねぇ……」の小森のおばちゃま(小森和子)、「ナイスですね~」の村西とおるなどのものまね芸はもとより、『ひょうきん族』のコントでハプニング的に誕生した「熱々おでん」をはじめとする芸は「元祖リアクション芸」ともいわれている。1986年には「頭の思考回路が切れた、あるいは切れている状態を表現する擬音語」として、鶴太郎による造語「プッツン」が流行語大賞大衆賞も受賞した。 しかし、32歳の頃に始めたボクシングにのめり込み、翌年プロライセンスを取得。それまで小太りでチャーミングだった身体は見違えるようにシャープで引き締まった身体に変貌を遂げた。さらに、同時期に俳優業にも本格的にチャレンジし始める。映画『異人たちとの夏』では日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。NHK大河ドラマ『太平記』での好演で性格俳優としての評価を決定付け、86年から92年まで続いた自身の冠番組『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系)の最終回では「バラエティでのレギュラー司会は最後になるかと思います」と宣言し、活動の主軸を俳優業にシフトした。40代になると、絵画や書道にも打ち込み、“芸術家”としても高い評価を受けるに至ったのだ。 果たして、鶴太郎は芸人の魂を忘れてしまったのか? それを検証したのが、6月3日に放送された『芸人報道』(日本テレビ系)だった。もともとは「お笑い芸人が記者に扮し、徹底調査したテレビ業界のさまざまなニュース、芸人たちの生態を報道番組風に紹介する」という番組だったが、最近では次世代を担う若手女芸人のオーディション企画や「すぐ言う芸王座決定戦」「女性迎合ロケツアー」など、さまざまな企画も放送している。 この日は鶴太郎や笑福亭笑瓶をゲストに迎え、ダチョウ倶楽部や松村邦洋らの証言をもとに片岡鶴太郎伝説を検証する、まさに『芸人報道』と呼ぶべき内容だった。 彼らの証言によれば、鶴太郎はモテモテだったという。当時の鶴太郎といえば、「抱かれたくない男」ナンバー1に選ばれたこともあったほど。しかし、実際には女優やアイドルなどを含め、同時に8人の女性と付き合っていたというのだから驚きだ。また、いまやリアクション芸の代名詞的存在となったダチョウ倶楽部が鶴太郎から受け継いだのは、リアクション芸だけではなかった。それは「お脱ぎの芸」だ。 かつて、鶴太郎がカラオケで歌うと、一緒に行っていたダチョウ倶楽部はそれに合わせて悪ノリで裸踊りをしていた。ある日、鶴太郎から「僕も脱がせてくれる?」と頼まれたダチョウ倶楽部は、鶴太郎の服を次々に脱がせ全裸にした。すると、鶴太郎は突然、“プッツン”したのだ。 「どんなに裸になっても、靴下は脱ぐな! そこは守れ!」と。 当時を振り返って鶴太郎は、それが「お脱ぎの芸の鉄則」だと解説する。 「素っ裸だと、おチンチンがあまり目立たないんですよ。靴下を履いているからこそ、これが余計にチャーミングでいいんですよ」 確かに思い起こすと、上島竜兵が脱ぐ時、靴下は履いたままだ! 番組の冒頭で、お笑い芸をやらないのは「やらせてくれる場所がないからだ」と嘆いていた鶴太郎は、最後にお約束のように持ち芸を披露した。九官鳥のキューちゃん、小森のおばちゃま、近藤真彦、具志堅用高、村西とおる……次々に演じられたものまね芸は身体が痩せシャープになったことで、さらに似たり、逆にアンバランスさが際立ったりで一層おかしかった。 鶴太郎は生真面目な男である。そして常に俯瞰して物事を見る男だ。28歳の時のインタビューで、すでに「ものまねはとりあえずのキッカケ」「(ものまねは)わかりやすいし、ウケる糸口みたいなもん」「早くキャラクターが前に出て、ものまねが後ろにいるようになりたかった」(「宝島」1983年5月号)と語っている。その思惑通りになった最盛期も、彼は自分を客観視し続けた。だから、間近で見るビートたけしや明石家さんまのような天才にはなれない、ということに早々に気づいたのだろう。そうして彼は俳優や芸術家にものまねするように憑依し、それを生真面目に取り組んだ。やがて“文化人”片岡鶴太郎として絶大な評価を受けるようになったのだ。 けれど、僕らは“鶴ちゃん”が好きだったのだ。『芸人報道』で久々に復活した“鶴ちゃん”。それは一夜限りだったのかもしれない。存分にフリが効いている状態だった。だから、その痩せた身体をブリーフ一丁で晒した姿で見せるものまねや、熱々おでんのリアクション芸は、どれもが破壊力満点だった。熱々おでんを前に、鶴ちゃんはブリーフ一丁の姿で、そっとメモを渡した。 「1つみれ/2しらたき/3きんちゃくは出汁を含んでかなり熱いので最後のオチで」 それは、生真面目で分析家の鶴太郎らしいメモだった。もしかしたら鶴太郎の文化人活動は、人生をかけた、長い長い前フリだったのかもしれない。だとするならば、この日の鶴太郎はまだまだオチ前の小ボケにすぎない。願わくは一夜限りではなく、その大オチを僕らの好きな“鶴ちゃん”の姿全開で、また見せてほしい。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから片岡鶴太郎オフィシャルブログより
“説明しない”櫻井翔の半笑いが狂気に変わる『家族ゲーム』
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 『家族ゲーム』を櫻井翔でリメイク? 松田優作主演の映画版、長渕剛のTBS連続ドラマ版、さらに鹿賀丈史のテレビ朝日2時間ドラマ版など、過去の映像化を知る者の多くは一様に訝しんだ。いずれも暴力性の強い主人公。櫻井とはまったくイメージが違う。また、過去の名作のイメージが破壊されてしまうのではないか。それは拒否反応に近いものだった。 しかし、そんな懸念は第1話で見事に覆された。 ドラマは櫻井、板尾創路、鈴木保奈美の3人の見つめ合いから始まった。現在のテレビドラマの常識ではタブーとされる無言のシーンが、冒頭から約2分間にわたって、なんの説明もないまま続いたのだ。しかし、3人の視線の交差が、その場の異常性だけは雄弁に語っていた。耐え切れず最初に口を開いたのは板尾。主人公の櫻井が話し始めるのは、さらにそれから1分が経過した頃だった。居心地の悪い不安感と漂う狂気性をこの冒頭約3分だけで表現し、一気に視聴者を引き込んだのだ。 物語は、一部上場の会社に務める父・一茂(板尾)に美人で気が利く母・佳代子(鈴木)、文武両道で優等生の長男・慎一(神木隆之介)という、「誰もが羨む理想の家族」の沼田家。その唯一の問題児である次男・茂之(浦上晟周)の家庭教師として「東大合格率100%」という触れ込みの家庭教師・吉本荒野(櫻井)がやってくるところから始まる。 表向きは「理想の家族」のように見えた家族は、実は欠陥だらけ。歪んだ虚栄心を持ち浮気をしている夫、世間体ばかりを気にして人間不信に陥っている妻、万引きの常習で分厚い仮面を被った兄、そしてイジメを苦に引きこもった弟。彼らはそれぞれが家族を大切にしているかのように装いながら、その実、考えているのは自分のことだけだ。それを吉本がひとつひとつ暴いていき、問題を白日の下に晒していくのだ。「いいねぇ」とつぶやきながら。「俺がお前たち家族を崩壊させるか、それともお前たちが持ちこたえるか。これはゲームだよ。か・ぞ・く・ゲーム」だと。 櫻井といえば、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)のキャスターを務めたり、バラエティ番組では司会をこなし、慶應義塾大学卒業ということもあり、秀才でなんでもできるというイメージがある。けれど、そんな大役をいくつも経験しながらも、常にどこかぎこちなさが漂っている。それはそのまま彼の魅力でもあるのだが、一体どこからくるものなのだろうか? 『今、この顔がスゴい!』(TBS系)で櫻井と共に司会を務める有吉弘行は、かつて彼に「説明」というあだ名をつけた。まさに櫻井のテレビでの役割を一言で表現しただけのあだ名に聞こえるが、実は有吉流の批評性を色濃くはらんだあだ名だ。それは櫻井から受ける印象が、「説明」しか残らないということである。 いつだって櫻井は、ニュースの概要や番組の趣旨、そして自分の気持ちを真摯に言葉で「説明」する。ちゃんと言葉で「説明」しないと、と思い込んでいるから、その誤差に敏感でぎこちない。そしてそんなぎこちなさを表すように、いつだって彼はどこか居心地の悪そうな半笑いを浮かべている。 だが、吉本荒野は「説明」しない。「説明」しない時の櫻井の半笑いは狂気に変わる。そしてそのぎこちなさは、言いようのない不安を掻き立てる。狂気と不安が交差した時、訪れるのは底知れない恐怖だ。だから、この武藤将吾脚本版『家族ゲーム』の吉本荒野は、もはや櫻井以外には考えられない。 吉本は周囲を買収して本人が傷つくように仕向けたり、相手の弱みを握って利用しながら、壊れかけた家族を完全に破壊させようとしているかのようだ。弟・茂之から心酔され、母・佳代子とは共犯関係を結び、父・一茂を孤立させ逃げ道を奪った吉本は、その標的をいよいよ本丸「優等生」の兄・慎一に向ける。 「震えるほどの屈辱を味わったことがあるか? 痛みを知らないおまえに、俺が痛みを教えてやる。恐怖を知らないおまえに俺が恐怖を味わわせてやる。苦しみを知らないおまえに、悲しみを知らないおまえに。俺が、絶望を思い知らせてやる。俺が、おまえを壊してやる!」 吉本の正体や過去は慎一によって暴かれるが、家族はもはや吉本に反旗を翻すことができない。家族を守ろうと必死に吉本の悪行を「説明」する慎一に、吉本は言い放つ。 「笑わせんなよ。おまえがいつ家族のために動いた? おまえが守りたいのは家族じゃない。自分に都合のいい、この生ぬるーい環境だ。カッコつけんなよ、“優等生”」 櫻井と神木。どちらもパブリックイメージでは優等生。しかし、その優しげな顔の奥に狂気をはらんでいる。この2人の対決には、思わず「いいねぇ」と唸りながら見入ってしまう。果たして彼らは天使のような顔をした悪魔なのか、悪魔のように振る舞う天使なのか。そして、その真意が「説明」される時は来るのか。 慎一を追い詰めた吉本は、最後にこう吐き捨てた。 「想像力だよ、慎一くん」 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『家族ゲーム』(フジテレビ)
型破りな魑魅魍魎が集まる『アウト×デラックス』という大宴会
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 矢部浩之が、ただただ笑っている。 「働きたくない俳優」坂上忍、「ゲームをやりすぎて腱鞘炎になった大女優」淡路恵子、「本気で男を好きになれない朝ドラヒロイン」遠野なぎこ、「声優になるためにオリンピックを踏み台にした男」成田童夢といった著名人から、「上地雄輔になりたい男」田口学、「声が高すぎる男」山下恵司、「自分が作った紙芝居を世に広めたい女」柿沼しのぶといった素人まで、世間的に型破りな「アウト」な人たちを迎えトークするのが『アウト×デラックス』(フジテレビ)だ。2011年から5回特番が組まれ、13年4月からレギュラー化された。ちなみに上記メンバーは、特番時代の活躍が認められ、レギュラーとして出演している。 この番組のスゴさは、なんといってもその絶妙な匙加減だ。番組を仕切る矢部とマツコ・デラックスは次々と出てくる「アウト」な人たちの話を聞きながら、その暴走を促す。そしてそれが行き過ぎた瞬間に、矢部が「アウトー!」と叫んでぶった切る。 これまでも小林よしのりがAKB48への愛を語り「フライングゲット」を弾き語ったり、天才棋士・加藤一二三九段がひたすら自作クイズを出し続けたり、中山功太改めコウタ・シャイニングがくすぶってしまったR-1王者の“闇”を告白したりと話題を呼んでいた。 そして、5月9日の放送回には、ついに鬼束ちひろが登場した。番組の主題歌「悪戯道化師 (いたずらピエロ)」を彼女が歌うという縁で出演したのだ。 レギュラー出演者のひとり山里亮太は言う。 「『アウト×デラックス』のテーマ曲にあの方の曲を使うっていう、このメッセージ深すぎませんか?」 鬼束ちひろは「月光」のヒットで知られるシンガーソングライター。というよりも、近年のネット上での破天荒な言動のほうがいまや有名かもしれない。11年にニコニコ生放送で生配信された『鬼束ちひろの「包丁の上でUTATANETS」』では、これまでのアーティスティックで物静かなイメージを大幅に覆す、濃いメイク、紫色のボディコン風ワンピースの風貌で自由奔放な発言を繰り返し、突如としてプロレスごっこをし始めるなどの奇行で、大きな話題を呼んだ。 さらに翌年にはTwitterデビュー。するとすぐに「あ~和田アキコ殺してえ」「なんとか紳助も殺してえ」などとツイートし、大問題に発展した。どう考えても、この番組の枠を超えかねない「アウト」な人物である。 冒頭からもうスゴかった。 「ニューヨークののみの市で、1000円で買った」というド派手なファッションを身にまとい、悪魔のようなメイクで「ナイストューミーチュー」「イエスアイドゥー」と叫びながら登場。鬼束が「会いたかったです」と矢部に言うので、矢部も「僕もです」と返すと、「あっ?」。会話が成立しない。イヤリングが取れてつけ直すと突然「リ・メイク!」と叫び、「ハハハハ!」と高笑い。「『リ・フレッシュ!』でもいい」と訳の分からない注釈が入る。「セクシー!」と矢部が言えば「バイオレンス」と返す瞬発力があったと思えば、突如、「フーアーユー?」「ディスイズアペン!」と言いだす奇天烈ぶり。「何もかも、モノには目をつけたらかわいくなる」となんとなく理解できるかもしれない主張にも、それを「魂吹きこみショー」と呼ぶ、独特の語彙のネーミングが付け足される。矢部に「てんとう虫」とあだ名を付ければ、マツコにはなぜか「チビ助」。その後も「憧れている人はカーネル・サンダース」「米と水がダメ。岩の味しかせん」「今、主食はスイカバー」とか……もう意味不明! 予測不能! おなかいっぱい。 最後は主題歌の「悪戯道化師」を歌うことを求められ「あそこで宴会すればいいの?」と嬉々として歌い上げると、「神の存在」と崇めるロバート秋山と作った、“すべての曲を演歌で終わらす”「演歌終わらせサークル」会員らしく、自らの曲を演歌調で終わらすのだった。まさに悪戯道化師。 そこでは、彼女の奇っ怪な言動を聞いて、矢部浩之は親指を立てて「アウトー!」と叫びながら笑っているしかない。 思えば矢部は、いつだって相方の岡村隆史の横でニヤニヤ笑っていた。 岡村は基本的に「カッコつけ」気質のある芸人である。たとえば『めちゃイケ』(フジテレビ系)では、「ジャニーズJr入団」「オカザイル」などの「岡村隆史のオファーが来ました!!」を筆頭に、その「カッコつけ」部分がクローズアップされてしまう企画が多い。ミッションを達成するために真剣に取り組むあまり、お笑い芸人として「アウト」な感動路線に針が振れそうになる。そんな時、矢部は笑う。「岡村さん、何してはるんですか?」とツッコみながら。 抜群なバランス感覚で矢部が笑うことで、これは笑うものだと視聴者に伝える。その瞬間、感動路線に揺れた針が一気に笑いの方向に傾くのだ。それはこの番組でも同じだ。 魑魅魍魎な「アウト」な人たちが集まる宴のような『アウト×デラックス』。そこで矢部浩之は、ただただ笑っている。矢部の笑顔と「アウト!」という声は、今までテレビ的に「アウト」だったものを、その宴だけでは「セーフ」に変えるのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからフジテレビ『アウト×デラックス』
宮藤官九郎が描くアイドルドラマ『あまちゃん』の「じぇじぇじぇ!」な魅力
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 「しゃっこい(冷たい)とが、足がつくとかつかねぇとが、考える暇なかったべ? そんなもんさ。飛び込む前にあれこれ考えたってや、どうせそのとおりにはなんね。だったら,なんも考えずに飛び込め。なんとかなるもんだびゃ。死にたくねぇがらな」 孫のアキ(能年玲奈)を海に文字どおり背中を押して飛び込ませた夏ばっぱ(宮本信子)は、そう言って豪快に笑った。その数日後、アキは「かっけー」田舎の風景や人々に触れ、今度は自ら海に飛び込んだ。東京での「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない」自分を海の底に置いてくるように。そして言うのだった。 「わたし海女さんになりたい!」 あのクドカンこと宮藤官九郎が脚本を手掛けることで話題を集めた朝の連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK総合)の舞台は、彼の故郷でもある東北。三陸海岸にある架空の町、岩手県北三陸市である。24年前に東京までつながった三陸鉄道北リアス線と美しく険しい海、そしてそこに潜る「北の海女」くらいしかない田舎町だ。アキはそこに母親の春子(小泉今日子)に連れられてやってきた。 春子は「田舎にいたころの自分が嫌い。ついでに、あのころのダサい自分知ってる人たちも嫌い。そういう人間関係イコール田舎だから、あたしにとっては。だから、やっぱり田舎が嫌い」と、24年前に田舎から逃げるように上京。一方、東京で生まれ育ったアキにとって、初めて出会う田舎の風景や人々が何もかも新鮮。そこに住む人々にとっては当たり前のことが、アキにとっては、ひとつひとつが「かっけー!」「じぇじぇじぇ!」(驚きを表現する方言「じぇ」の数が多いほど驚いている)の対象だ。 クドカンドラマらしく、小ネタや魅力的なキャラクターは満載。たとえば「北の海女」はリーダー格の夏を演じる宮本信子をはじめ、渡辺えり、木野花、美保純、片桐はいりと、名前を見るだけで胃がもたれるような強烈なメンツ。さらにそれを取り巻く、杉本哲太、尾美としのり、でんでん、荒川良々、吹越満、といった手練たち。そんな強烈な役者たちが「じぇ!」「じぇじぇ!」「じぇじぇじぇ!」と「じぇ」だけで喜怒哀楽を表現し、クドカン流のユーモア溢れる軽やかなセリフをしゃべるから、朝っぱらから爆笑してしまう。強い方言には字幕がついたり、「じぇ」の絵文字「(‘j’)」を作ってみたり、過去のドラマからの小憎い引用をしてみたりといった遊びも絶妙な塩梅だ。 東北弁すら「かっけー」言葉に聞こえ、すぐに真似して使うようになったアキ。地元で育ち、東京への強い憧れを持つ親友のユイ(橋本愛)が標準語でしゃべるのとは対照的だ。 アキが世田谷に住んでいたことを知った時、それまでクールに振る舞っていたユイが目を輝かして「下北沢ってさ、演劇とロックの街なんでしょ? 秋葉原って、オタクとアイドルの聖地なんでしょ? 毎日どっかで誰かが握手会やってるんでしょ? そうだ、井の頭公園でボートに乗ったカップルって、絶対別れるんでしょおー?」と興奮するシーンは象徴的だ。呆気にとられるアキに、矢継ぎ早に東京に対するイメージを口にする。「原宿って、表と裏があるんでしょ? 芸能人って、だいたい裏に生息してるんでしょ? 吉祥寺って、住みたい街ナンバーワンなんでしょ?」 その姿に、東京で生まれ育った自分には見えない景色があることをアキは知る。そして同時に自分が「かっけー」と思っているこの田舎の風景も、ユイには見えていないのではないかと気づくのだ。 このドラマでは、そういった物事に対する見方や価値観の対照的なコントラストがいくつも重層的に描かれている。たとえば春子と夏、春子と24年前の春子、アキと24年前の春子……というように。田舎を愛する人々の思いも、田舎を嫌い東京に憧れる思いも、東京から逃げてきた思いも、ただ肯定するわけでも、切り捨て否定するわけでもなく、ひとりひとりの思いを丁寧にすくい上げていく。だからいつの間にか僕らは登場人物みんなが好きになってしまう。 「アイドルになりたーーーいっ!」 ユイが「東京行ってアイドルになりたい」と言ったときは「何言ってるんだ、この子は?バカなのか?」と開いた口がふさがらず、聞こえなかったフリをしていたアキも、彼女のその切実な思いを帯びた叫び声を聞き、ユイが「自分がかわいいことを知っている。そのことになんの迷いも戸惑いもないんだ」ということに気づくと、思わず「かっけー」とつぶやいた。 やがてユイは「ミス北鉄」となって地元のアイドルになり、アキもまたその余波を受けて「北の海女」としてアイドル的存在になっていく。彼女たちを応援する人々はみんな夢中でキラッキラに輝いている。そんなアキの「かっけー」は好きなものに向けられる。それはウニであり、それを獲る夏ばっぱであり、三陸の海であり、親友のユイだ。それらは彼女にとっての「アイドル」と言い換えることもできる。彼女は彼女にとってのアイドルを支えに、あの日、自ら海に飛び込んだように一歩一歩を踏み出す。一方でアキ自身も他の誰かのアイドルとして見守られることでまた別の力をもらい、誰かに力を与える。そしてアキだけでなくこのドラマの登場人物たちは、みんな自分のアイドルを持っているのだ。 アイドルに夢中になるということは、それを全力で支えているということを支えに生きていくということだ。アイドルを見る時、僕らはそのアイドルたちに思い入れたっぷりになって、自然と全力で応援してしまう。けれど、逆にアイドルたちから応援されているように元気をもらうことがある。いつの間にか笑顔になっている。思えばそれは『あまちゃん』を見て、登場人物みんなに思い入れて応援しているうちに、笑顔になって元気をもらう、僕らの姿と同じだ。このドラマの魅力は、アイドルを見ている時に感じる魅力そっくりだ。『あまちゃん』はアイドルを描くアイドルドラマであると同時に、アイドルに夢中になることそのものを描いている。そして、このドラマ自体がアイドルのようなものという意味でも、まさしくアイドルドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからNHK連続テレビ小説『あまちゃん』
ボンクラ男子の正義 『みんな!エスパーだよ!』というすがすがしいエロドラマ
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 夏帆が大変なことになっている。パンチラや喘ぎ顔を晒し、おっぱいを揉まれ、「オナニー」やら「ヤリマン」などと口にする。 『みんな!エスパーだよ!』は、テレビ東京の金曜深夜枠「ドラマ24」で放送されているドラマである。若杉公徳の同名漫画が原作で、映画監督である園子温や入江悠らがメガホンをとっていることでも話題だ。物語は「なんの才能もなく、特に目立つこともなく、好きな子がいてもほとんど話せず過ごしてきた」東三河のボンクラ高校生・嘉郎(染谷将太)が突然、「他人の心が読める」超能力テレパシーに目覚めたところから始まる。「この力を使えば未解決事件の解決とか、世界で起きとるテロや戦争を未然に防ぐこともできるダニ!」「僕は僕の人生の主人公になれるんだ!」と息巻く嘉郎は、やがてこの町にほかにも同じ能力者がいることを知る。しかし、そのエスパーたちは、ことごとくその能力を自分の欲望、すなわちエロのために使うのだった―――。 と、そんなストーリーはどうでもいいとばかりに、ドラマ全編がチープでバカなエロで包まれている。主人公の嘉郎はすぐに勃起するし、ヒロインのひとりで夏帆が演じる嘉郎の幼なじみのヤンキー美由紀は、前述のとおりパンツ丸出しだ。そしてもうひとりのヒロインは、東京から転校してきたばかりの浅見紗英(真野恵里菜)。清楚な外見とは裏腹に、ひとたび嘉郎が心を読むと「絶対あたしでオナニーしてるよな」「シロウト童貞臭え」などと吐き捨てる。そして入浴中に悶えたりまでしている。“清純派”とも言われる夏帆と真野の2人が、一皮も二皮も剥けて、文字どおり体当たりでエロシーンを演じているのだ。 喫茶「シーホース」のマスターで嘉郎を幼い頃から知る輝さんに扮するのは、マキタスポーツ。映画『苦役列車』の演技でブルーリボン賞新人賞を獲ると、瞬く間に名バイプレイヤーの仲間入りを果たした彼の今回の役回りは「エロ本は動かせるけど、新聞は無理。ローションは動かせるけどシャンプーは無理。エロのDVDは動かせるけど映画のDVDは無理」というエロいことにしか使えない念動力を持つ男。浅見から「シロウト童貞臭え」と言われたのが彼である。輝さんは日々、念動力でスカートをめくりパンチラを狙っている。 そしてこの町に超能力者が集まっていることを聞きつけやってきた謎の教授(安田顕)は「19世紀のアメリカ・ミネソタ州でも超能力を発症した者が突如多数現れた。それと同様なことがこの町でも起きている」と解説しながら巨乳助手(神楽坂恵)のおっぱいを揉みまくっている。 このドラマで描かれるのは、すがすがしいほどのエロだ。後には何も残らない。中学生男子あるいは童貞男子たちの妄想をそのまま描いているかのようだ。世界で起こっているテロや戦争、環境破壊のことよりも、今、目の前にあるエロが大事なのだ。 事実、主人公が「この力を使えば未解決事件の解決とか、世界で起きとるテロや戦争を未然に防ぐこともできるダニ!」と宣言したそばから「浅見さん、見とってね! 君にふさわしい男になってみせるでね!」と叫ぶように、その動機は不純。目の前の女に好かれるためだ。 『モヤモヤさまぁ~ず2』や『やりすぎコージー』などテレ東の数々の人気バラエティ番組を手がけている名プロデューサー伊藤隆行は、かつて「エロはチャンネル(テレ東)に与えられた使命」だと語っている。もちろん、それはドラマも同じはずだ。『みんな!エスパーだよ!』はまさに、現在の地上波テレビではテレ東深夜にしかできないドラマだ。 男子は「正義」と「性」に憧れる。ドラマの冒頭には毎回、詩人で劇作家のシラーの言葉が引用されている。 「青春の夢に忠実であれ」 まさにこのドラマは、男子の青春の夢と欲望と妄想を忠実に映像化している。そしてこの妄想劇はエスパーたちの増加と比例するように今後さらに、加速していくだろう。 主題歌を担当する高橋優は「ロックンロールを奏でた人達が唄った Love&Peaceは今どこにありますか?」と歌う。かつてロックンローラーが歌に乗せて叫んだように、現在、映画監督はバカバカしいエロをテレビドラマで描いてLove&Peaceを叫ぶ。超能力ではテロや戦争を防ぐことはできないだろう。けれどエロは世界を救う、かもしれない。いや、間違いなくボンクラな僕らを救ってくれるのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからドラマ24『みんな!エスパーだよ!』(テレビ東京)
すべてをネタにし、さらけ出し、笑いに変える『めちゃイケ』流の祝福
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 最後に“乱入”して大暴れした江頭2:50は、矢部浩之を強引に抱き寄せ耳元でささやいた。 「おめでとう」 マイクで拾えないくらいの小声で、そう祝福した。 4月6日の『めちゃ×2イケてるッ!』(以下『めちゃイケ』)特番は、当初予定されていたAKB48メンバーによる期末テスト企画を差し替え、3月27日に元TBSアナウンサー青木裕子と入籍した矢部の結婚披露宴を中継する「めちゃ×2祝ってるッ!」が放送された。岡村隆史と共に徳光和夫が司会を務め、加藤浩次・カオリ夫妻が媒酌人となった披露宴には『めちゃイケ』メンバーはもちろん、ムツゴロウさんやエスパー伊東、錦野旦などの番組ゆかりのゲストも列席。さらにVTRではタモリや笑福亭鶴瓶、爆笑問題らも登場した。 思えば『めちゃイケ』はいつだって、彼らの“人生”を見せていく番組だった。加藤の結婚から出産、濱口優の恋愛、メンバーの入れ替え、そして岡村の休養から復帰……。すべてをネタにし、さらけ出して、笑いに変えてきた。いわば出演者の人生そのものをドキュメント・バラエティ化するのが『めちゃイケ』の真骨頂だ。 だから、矢部の結婚が『めちゃイケ』の企画と化すのは至極当然の成り行きだった。いみじくも司会の徳光は、CMに入るギリギリのところで「矢部浩之に自由はありません」と実況した。矢部はかつてインタビューでこう答えている。 「僕らはね、『俺たちは漫才師だ』とか『コントでは絶対負けへん』みたいに“ナインティナインといえばコレだ”って言える、芸人として絶対的なものを持ってないんですよ。だから(スタッフから)持ち込まれてくる企画が面白ければ、やるしかない。人生をさらけ出すような企画でも乗っからざるを得ないんです」(『別冊ザテレビジョン 吉本印』より) 番組では矢部夫妻のなれそめから破局危機、プロポーズまでを再現VTRやインタビューなどで紹介していった。それに照れまくる矢部。 矢部は交際から半年で一度、プロポーズをしていたという。しかし、まだ早すぎると躊躇した青木。そうこうしているうちに岡村が病気で無期限休養に入り、結婚話は自然消滅してしまった。 そんな頃から、矢部は相方不在の重荷や過度なストレスを解消するためか、一時は控えていた合コンなどの夜遊びを連夜繰り返すようになってしまったという。それを裏付けるように、爆笑問題は『サンデー・ジャポン』(TBS系)の控え室でいつも青木から矢部の愚痴を聞いていたことを明かした。「岡村より、矢部のこと詳しく知っていた!」と。 2012年8月。 「私はもう出て行こうと思って。もういい加減やめよう、一緒にいてもしょうがないから。その時は怒るのも疲れて、さめざめと泣いていたんです」(青木) しかし、何気なくつけていたテレビがロンドン・オリンピックで、レスリングの米満達弘が金メダルを獲ったことを伝えていた。ケンカ中でも、自然とその話題で矢部に話しかけた青木。それを遮るように、矢部は青木を後ろから抱き寄せ「結婚しよっか」とプロポーズしたのだ。戸惑う青木に「ほな、『やべっちFC』、行ってくるわ」と言い残して。 披露宴は終盤に差しかかり、矢部が「シングルベッド」を熱唱していると、大阪時代から親交があついつんく♂が登場した。そして彼は矢部夫妻ではなく、ナインティナインに向かって言う。 「結婚の発表以来、(ナイナイに)距離感がありませんか?」 気を使いがちな岡村に向けて、もっと本音をさらけ出して「心のパス交換」をしろ、と迫るのだった。 「本来ならもっと早くに2人は結婚してたんじゃないかなって思いますけど、私が床に伏せってしまいまして、ちょっと遅れていろんなタイミングがずれたんかな、って思って……。床に伏せったこと、本当に本当に申し訳ないです」(岡村) 「……復帰してくれて本当に良かったです」(矢部) なかなか言葉が出ない2人。それはそうだ。こんな場面で、なかなか本音が出てくるわけがない。しかし、いつだって「人生」をさらけ出してきた2人は、探り合いながら核心に迫っていく。 お笑いの世界に岡村を誘ったのは矢部だった。だから、岡村が病気になったのは「自分のせい」だと責任を感じていた。そして、岡村が復帰できないかもしれないという覚悟もしていた。しかし、「大丈夫、大丈夫」と矢部は支え続け、岡村は病気と休養を笑いに変えるという離れ業をやってのけて帰ってきた。 「復帰してから何か変わったことありますか?」と矢部が問う。すると、岡村はこう答えた。 「いろんなことを背負うというのをやめて、荷物下ろして、相方にも背負ってもらって、メンバーにも背負ってもらって、自分一人でやるのをやめて、その分、『ポンコツや』って言われることもあるかもしれませんですけど、そういう部分では変わったかなと思います。矢部さんも……矢部ジュニも変わったことありますか?」 「矢部ジュニ」と学生時代の呼び名で問いかけられた矢部は「確かに、かなりのポンコツだと思います」とニヤっと笑い、岡村に優しく視線を送って言った。 「ポンコツのほうがやりやすいです」 矢部の結婚披露宴は新しい人生のパートナーを得た矢部への祝福と共に、もう一人の生涯のパートナー岡村との改めての門出を宣言し、祝う披露宴だったのだ。それが『めちゃイケ』流の祝い方なのだろう。 矢部は前述のインタビューで「“ナインティナインといえばコレだ”って言える、芸人として絶対的なものを持ってない」と言った。いや、そんなことはない。『めちゃイケ』を通じて20年近くにわたって、さらけ出し続けた人生こそ、ナインティナインの絶対的な本芸なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『めちゃ×2イケてるッ!』フジテレビ
「日本が好きだから」外国人たちの思いに日本の魅力を振り返る『YOUは何しに日本へ?』の多幸感

YOUは何しに日本へ?: 番組情報 : テレビ東京
「離婚には人生のすべてがある」『最高の離婚』の息ができないすれ違い
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 それは、光生が元恋人の灯里に「昔みたいに笑ってほしい」と語りかけた時だった。 「10年たってもなんにも分かってないんですね。私、濱崎(光生)さんとの間にいい思い出なんかひとつもありませんよ。あなたと別れるとき思ってました。死ねばいいのにって。こんな男死ねばいいのにって思ってました。そんな勝手にいい思い出にされても」 『最高の離婚』(フジテレビ系)の終盤には、いつも息ができないような修羅場が待っている。序盤はすれ違いの短いセリフの応酬でクスクス笑わせながら、針でチクチク刺すように刺激し、丁寧に伏線を張っていく。それが時限爆弾の起爆剤のようになって、後半で突如爆発。本音むき出しの長ゼリフで、鈍器で殴られたような衝撃を与える。そして、思わず「オイ!」とツッコミたくなる大オチが待っている。このドラマは、毎回そんな構成で見る者の胸をわし掴みにしている。 神経質で細かい性格だが、他人に対しては無神経な濱崎光生(瑛太)と明るく大雑把な結夏(尾野真千子)は性格が合わず衝突を繰り返し、ついに離婚届を提出した「もう終わってしまった」夫婦である。そんな光生と大学時代、恋人関係にあった灯里(真木よう子)は普段はクールだが、繊細で時折激しい感情を抑えることができない女性。彼女は女性にだらしがないマイペースな諒(綾野剛)と結婚生活を送っているが、実は諒が婚姻届を出しそびれてしまっている「まだ始まっていない」夫婦である。戸籍上は全員独身。 光生は言う。「結婚は人生の一部にしかすぎないけど、離婚には人生のすべてがある」と。「別れ」の時こそ、その2人の関係がむき出しになる。 光生と結夏は離婚届を出した後も、ずるずると同居生活を続けていた。そんな折、灯里と諒に出会い、壊れた夫婦同士の奇妙な家族ぐるみの交流が始まる。 光生にとって灯里は元恋人であり、人生の中で最も好きだった相手。灯里と結夏は、光生のひねくれた性格に苦しんできた、いわば戦友。と同時に、ある種のライバルのような微妙な関係でもある。諒はそんな3人の中にあって、どこまでもマイペースで何を考えているか分からない。光生はそんな諒を理解できず苛立っている一方で、どこか羨ましく思っている。そんな4人が複雑にすれ違う。 青森で生まれた灯里は、14歳の時に漁師だった最愛の父を海で亡くした。悲しみに暮れた彼女は、その頃流行していたJUDY AND MARY の「クラシック」という曲に救われる。ヴォーカルのYUKIに憧れ歌手になる夢を抱いて上京し、光生と出会い同棲を始めた。何カ月か経った頃、自分の夢や父のことを打ち明けようと「クラシック」を部屋に流していた。すると、その曲を聴いて光生がこう言い放った。 「何? このくだらない歌。安っぽい花柄の便座カバーみたいな音楽だ」 そうやって2人は別れた。 誰かにとっては「生きる希望」のようなものも、別の誰かにとっては「便座カバー」のようなものなのだ。みんな他人なのだから、それは仕方がない。それぞれが正しい方向、生きやすい方向を見ている。だから、見える風景は違う。その視線のズレがアンバランスな関係で成り立ち、人間関係を構築している。それを崩すのは、小さなきっかけで十分なのだ。 第6話で灯里は、浮気を繰り返す諒に別れてほしいと懇願する。「今度浮気したら、俺のおちんちん切っていいから」という諒に、「じゃあ、今切る」とハサミを手にする。それを見ていた結夏は、灯里の悲しみはそんな程度の痛みでごまかせるものではない、と制止する。すると灯里は、こんなことを口にする。 「悲しいとかじゃないの。苦しいとかじゃないの。だって負けてるんだもん。『浮気はやめて』とか『嘘はやめて』とか。負けてる方は正しいことばっかり言って責めちゃうんだよ。正しいことしか言えなくなるんだよ。正しいことしか言えなくなると、自分がバカみたいに思えるんだよ」 同居生活を続けていた光生たちも、このまま一緒に住んでいるのはおかしい、と結夏が家を出て行く。その際、結夏は光生に宛てて長い手紙を書いた。 「最近どうもまたあなたのことを見てると、変にざわざわとするのです。私なりにそのざわざわを打ち消すとか、あるいは元に戻す努力を検討してみたのですがどちらもうまくいきませんでした」 「好きな人とは生活上気が合わない。気が合う人は好きになれない。私あなたの言うことやすることには何一つ同意できないけど、でも好きなんですね。愛情と生活はいつもぶつかって、何というかそれは私が生きる上で抱えるとても厄介な病なのです」 別れを決意し、別れるために相手に向き合った時、お互いの機微が見えてくる。だから、光生と結夏、灯里と諒、それぞれが再びお互いに思い合っていく。けれど、この手紙が結夏自らの手で破り捨てられ、光生に読まれることはないように、決してその関係は元には戻れない。一度壊れた関係は、どんなに愛情があらためて芽生えようとも、元通りにはならないのだ。 諒と別れ東京にいる意味を失った灯里は実家の青森に帰ろうと思い立つも、その感情の代替品として、青森行きの切符代と同じ値段の加湿器を買う。その帰り道、それまで拒絶していた光生とばったり会い、2人は昔付き合っていた当時よく行っていた定食屋に向かう。弱っている2人は「過去」を代替品にするように寂しさを紛らわし、灯里は光生に「とりあえず寝てみよう」と言うのだった。同じ頃、結夏は光生を思いながら酔いつぶれ、その勢いで一緒に呑んでいた諒とキスをしてしまう―――。 人と人はすれ違う。いや、すれ違うのは「人と人」だけではない。「自分と自分」との間でもすれ違うのだ。感情と言葉も、言葉と行動も一致しない。ことごとくすれ違っていくのだ。それを徹底的に描いているのが『最高の離婚』なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『最高の離婚』-フジテレビ
“当たり前の世界”を見つめ直す、『泣くな、はらちゃん』の無垢な問いかけ
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 3本しか弦がなかったギターの絵に弦を3本描き足し、そのコマに音符を描くと世界にメロディが生まれ、「はらちゃん」は歌い出した。それは新たな世界が生まれた瞬間だった。『泣くな、はらちゃん』(日本テレビ系)は越前さんが日記代わりに描く漫画の世界の住民だったはらちゃんが、彼女の住む(ドラマ上の)現実の世界に実体化して飛び出し、暗く淀んだ自分たちの世界を、彼らにとって創造主で「神様」である越前さんを幸せにすることで変えようと奮闘する物語だ。 脚本を担当するのは岡田惠和。プロデューサーの河野英裕と組むのは、同枠で放送された野心的問題作『銭ゲバ』以来。『泣くな、はらちゃん』は河野Pがこれまで手がけてきた「人間でないものから人間を見て、人間ってなんだろうということを考えてきた」という『Q10』や、『妖怪人間ベム』の流れを汲む作品でもある。はらちゃんを演じるのは、漫画的バカ演技をしたら右に出る者はいない長瀬智也。そしてヒロイン越前さんには、麻生久美子という抜群で絶妙なキャスティングだ。 かまぼこ工場で働く越前さんは、仕事で意地悪をされても「私はね、誰も傷つけたくないし、干渉したりもしないんですよ。人はそれぞれ皆違うわけですから。だからね、私のことも放っておいてほしいわけですよ。私は誰も攻撃しない。傷つけない。だから私にもそうしてほしい」というような自己主張すらできない、地味で自己評価が異常に低い女性。彼女が描いている漫画の主人公がはらちゃんである。越前さんは、そんなはらちゃんに漫画の中で自分の不満ややるせなさを代弁して語らせ、現実世界の八つ当たりをしている。 始まりは、彼女の弟ひろし(菅田将暉)のサイテーな行動だった。彼は姉の部屋へ金目のものを物色しようと忍び込み、彼女が描く漫画のノートを見つけ、それを外に投げ捨ててしまう。すると漫画の世界が激しく揺れ、そこに裂け目ができた。それが現実世界への入り口だった。そうやってノートを激しく振ると、漫画の世界の住民が現実の世界に現れ、また誰かがノートを開くと漫画の世界に戻っていくのだ。 現実世界に放り出されたはらちゃんは、田中(丸山隆平)に遭遇する。彼は越前さんと同じかまぼこ工場で働き、彼女を「神様」と崇め、思いを寄せていた。 はらちゃんは田中の案内で越前さんに出会うと、彼女に訴える。 「あなたが幸せでないと、我々の世界は曇ったままなんです。どうか幸せになってください。そのために頑張って戦ってください。お願いです、神様、世界を変えてください。あなたが笑えば世界が輝くんです!」 彼は、越前さんをライバル視する清美(忽那汐里)、パートリーダーで“何か”を知っていそうな百合子(薬師丸ひろ子)、いい加減だけど憎めない工場長・玉田(光石研)、そして越前さんの母(白石加代子)らに出会い、そこで見るものひとつひとつに驚き「これはなんですか?」と“当たり前”の質問を繰り返す。はらちゃんにとって、現実世界は何もかもが新鮮。なにしろ、漫画の世界は、わずか5人だけがいる狭い居酒屋がすべて。だから、分からないことだらけなのだ。 「犬とはなんですか?」「車とは?」「かまぼこって?」「働くとはどういうことですか?」「猫って?」「漫画?」「恋とは?」「片思い?」「両思いって?」「チューとはなんですか?」と。はらちゃんの無垢な疑問は、世界そのものの意味を揺るがす。その結果、何気ない言葉や物や事象が、胸の中に溶けていくように定義し直されていく。すると、当たり前のことがどこか美しく見え始めるのだ。 越前さんに逢いたいと思うだけで胸が痛くなることを「恋」だと知ったはらちゃんは、それが「両思い」になれば、越前さんが「幸せ」になるのだと教わる。その彼の真っすぐさに彼女は惹かれ、やがて2人は「両思い」になる。しかし、同時にお互いの「住む世界」が違うことに気づく。違う世界に住む2人の恋は「楽しいぶん、切ない」のだ。 第5話ではらちゃんは「死」とは何かと疑問を抱く。 「死ぬってなんでしょうか?」 「どういうことかしらねえ……。世界からいなくなるってこと?」 「いなくなる? それは困ります!」 「死んでいなくなったら、どうなるんですか?」 「消えてなくなるんだろうなぁ、命がなくなるわけだから」 「もう会うことはできないんですか?」 そして、「はらちゃん」「玉ちゃん」と呼び合うまで意気投合した工場長・玉田が突然の死を迎える。悲しみに暮れる越前さんを抱き寄せ、はらちゃんは涙を落とす。 「もう逢えないんですね、工場長さん、玉ちゃんに。悲しいですね……もう逢えないなんて。越前さんも、いつか死んでしまうんですか? イヤです。そんなの絶対イヤです。私も死にたいです……。どうして、私は死なないんでしょうか?」 人は死ぬ。それは抗いようのない人類最大の理不尽でマッチョなシステムだ。そして誰が死のうが、それとはなんの関係もなく世界は続いていく。なんとシュールなことだろう。 『泣くな、はらちゃん』は、はらちゃんという違う世界の人物の視点を通じて、世界を見つめ直すドラマだ。ポップで明るいファンタジーラブコメディの楽しさに腹を抱えて笑いながら、いつの間にかその切なさに泣き、同時に脳の奥で深い思考が駆け巡る。世界とは何か? 物語とは何か? 人間とは何か? 生と死とは何か? と。そして人間が生きること、死ぬことを、ファンタジーの力でしかできない方法で肯定し、救おうとしている。玉田の死を、はらちゃんと越前さんは2人なりのやり方で乗り越える。「玉ちゃん」とは同じだけど違う「たまちゃん」の創造である。一方でそれは、世界や人間の実存自体を問うものだ。「神様」は考えなければならない、「物語の終わり」を。 『泣くな、はらちゃん』はメタの世界でさらにメタの視点に立ち、「物語の終わり」の本質にまで踏み込もうとしている。その時僕らは、はらちゃんと同じ視点で「これはなんですか?」と問答することで、当たり前だと思っていた世界を作り直し「物語の終わり」のその先へ進むことができるかもしれない。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)『泣くな、はらちゃん』|日本テレビ








