大事なのはルールではなく体? AV業界ドラマ『モザイクジャパン』が映す、モザイクの向こう側

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連続ドラマW『モザイクジャパン』R15+指定相当|WOWOWオンライン
「刑法第175条では、性行為を撮影したものを販売することは禁止されている。ところが、レンタル屋に行けばアダルトビデオがある。なぜか。分かるか?」  九井(高橋一生)は、無造作に一味唐辛子をカップ焼きそばに大量にぶっかけ食らいつきながら、常末(永山絢斗)に問い詰める。  そして、「モザイクがあるから」と自ら答え、続けた。 「え? モザイクしたからって、本番していることに変わりがないじゃないか。モザイクかけたからって、売っていいっていう法律ないじゃないか。売春は禁止されているのに、ソープランドはある。賭博は禁止されているのに、パチンコ屋はある。なんでだ! どうしてだ!?」  そんな話をしている中、裸の女性が九井に擦り寄り、愛撫し始める。 「そういう体(てい)でやってますよ、ってことなんだ。ルールじゃない。大事なのは体だ」  そして、九井は女性を自分の正面に引き寄せると、背後から激しく突くのだった。  その女性、よく見るとなんと宮地真緒である。宮地がお尻はもちろん、おっぱいまで露出して濡れ場を演じている。「R15+指定相当」のドラマだからそういったシーンはあると予想はしていたが、AV女優などの“脱ぎ要員”がいると勝手に思い込んでいた。だが、それは大きな間違いだった。  『モザイクジャパン』は、WOWOWで放送されている連続ドラマである。九井が社長を務めるアダルトビデオ制作会社「GALAXYZ」を舞台にしたオリジナルストーリー。脚本は、『Mother』(日本テレビ系)、『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』(ともにフジテレビ系)など、近年立て続けに話題作を手がけている坂元裕二が担当している。  物語は、主人公の常末が“ブラック企業”の証券会社をリストラされ地元に戻り、GALAXYZのFX証券部門に再就職したところから始まる。社長の九井との面接では、いきなり目の前の食べ物を投げろと迫られる。「え、これ食べ物ですよね?」と戸惑う常末に社長は言う。 「眠くなって、読んでた本を枕代わりにしたことないか? 子どものころに紙コップで糸電話を作ったことは? 使い方は自分で自由に決めるんだ。食べ物は、食べるためだけにあるとしか考えられない人間は、うちの会社には必要ありません」  何も知らずに再就職を果たし初出勤した常末は、隠れて早弁をするOL・桃子(ハマカワフミエ)に一目惚れしてしまう。あるとき、彼女が備品を整理していると、「このボールペン、全然インク出ないよ!」と男性社員が激昂し始めた。そしてあろうことか「謝り方がなってないよ、お尻出して!」と、桃子のお尻を叩き始めたのだ。安いAVのような展開だ。驚く常末を尻目に、何食わぬ顔で仕事するほかの社員たち。ついには「やめてください」と嫌がる桃子のスカートをまくり上げてしまうのだった。我慢できず「あなたのしていることは犯罪ですよ!」と止めに入る常末。だが、困惑したのは桃子だった。 「仕事中です、撮影中です!」  実は、桃子はGALAXYZ専属の企画単体女優だったのだ。社内では至るところでAVの撮影が行われている。がく然とする常末をよそに、そそくさと撮影を再開する桃子たち。彼女は下着を脱がされ、服を引きちぎられ胸をあらわにされながら、あえぎ声を漏らすのだった。  桃子を演じるハマカワは、NHK大河ドラマ『八重の桜』や映画『闇金ウシジマくん』、舞台などで活躍する女優。もちろんAVの経験はない。ほかにも数多くのAV女優役が登場するが、そのほとんども宮地やハマカワと同様だ。彼女たちはすべてをさらけ出すように、大胆なセックスシーンを演じている。  だがもちろん、このドラマの主題はセックスシーンではない。  GALAXYZはなんの産業もない田舎町・萬曜町にオフィスビルを構え、「アダルトで町おこし」と、この町の住民のほとんどがGALAXYZ関連の仕事に従事している。 「お父さんのモザイクは、ただ消してるだけじゃない。女優さんのいいところを引き出している、って言われてるの」  と話す常末の父も、モザイク職人だ。  いわば、萬曜町はアダルト産業に“乗っ取られた”町なのだ。こうした何も資源のない田舎町と新興産業の関係は、ほかにいくらでも思い浮かべることができるだろう。そうした社会構造が抱えている問題も、えぐりだしている。  そして、このドラマのもうひとつの軸は、常末と桃子のいびつな恋愛模様だ。 「あなたを救いたい。分かります?」とAVを辞めるよう諭す常末に対して、桃子は言う。 「頭のいい人が、頭の悪い人見て、こいつバカだなあって思ってるとき、頭の悪い人も、頭のいい人を見て、こいつバカだなあって思ってるんですよ」  AVを辞めてもらいたい常末は、大金をかけて彼女をアイドルとして売りだそうとする。だが、彼女がやりたいのはAVだ。そこにしか自分の居場所がないと思っているのだ。お互い惹かれつつもかみ合わない思いが、痛く切ない。 「ハメ撮りしてください」  そう桃子は常末に迫るのだった。 「この国は棒も穴も、モザイクの向こうに隠す体(てい)がある」と九井は言う。  今、日本の社会がモザイクで隠しているのはなんなのか。日本の若者たちが抱えている闇はなんなのか。 「穴の奥の奥まで見えそうなヤツ撮ってよ!」  『モザイクジャパン』は、アダルト産業を舞台にしたドラマという体で、それらを白日のもとに晒そうとしているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「完全にやりにいった」TBS『水曜日のダウンタウン』の悪意と愛

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『水曜日のダウンタウン』TBS
「完全にやりにいってしまった」  『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で、「ストッキング被って水に落ちるやつ、誰がやっても面白い」説を検証するために、ストッキングを頭に被ったままプールのウォータースライダーをすべるという実験が行われた。  アンガールズ田中、髭男爵ひぐち君に続いて、「面白さとは程遠いイケメン俳優でも面白くなれば、“ストッキングで水落ち”の面白さが実証されるはず」だと挑戦したのが、俳優の中村昌也だった。そこで中村は、確信犯的に足を大きく開き、息苦しさを大げさにアピールする過剰なリアクションを取った。その映像につけられたのが、冒頭に引用したナレーションだった。  さらに、一度立ち上がったのに自ら顔をわざとプールに沈めたことを「顔を理由なき二度づけ」と断罪。「とんだ串カツ野郎」とまで言い放った。スタジオのダウンタウンも「これ、悪意あるなぁ」「このナレーションあかんやろ」と呆れつつも、大笑いだった。  『水曜日のダウンタウン』は放送開始当初、「アカデミックでありながら、くだらないトーク&情報エンタテインメント番組」を名乗っていたが、「アカデミック」は回を追うごとに見当たらなくなり、「くだらない」ばかりが目立つようになった。  それもそのはず。かつて「クイズ番組」のかさに隠れ、やりたい放題の限りを尽くした『クイズ☆タレント名鑑』(同)の藤井健太郎が演出兼プロデューサーを務めているのだ。ダウンタウンと藤井Pの組み合わせがどんな化学反応を起こすのか、放送前から大きな注目を集めていた。  番組では、ゲストが持ち寄った「説」をプレゼン、それについてスタジオでトークしつつ、実験などで検証していくという構成。その構成だけを聞けば、確かに「アカデミック」なのだが、その「説」がズバ抜けて「くだらない」。  たとえば、小籔千豊が「みんなの説」として提唱したのは、「ロメロスペシャル 相手の協力なくして成立しない」説。ロメロスペシャルは、「吊り天井」とも呼ばれるプロレスの大技だ。確かに、受ける相手が協力しないと成立しないように見える。「それはダメでしょ、それを言ったらダメ」と関根勤が苦笑いするように、触れるのは野暮な部分だ。  だが、番組は実際にそれを検証する。ロメロスペシャルの使い手のひとりであるプロレスラー、獣神サンダー・ライガーに、抵抗する相手にかけてもらおうというのである。最初の標的になったのは、肉体派芸人のサバンナ八木。何も知らない八木に襲いかかるライガー。スタッフに「逃げて!」「技かけられないで」と言われ、必死に抵抗する八木だが、ライガーは見事技をかけることに成功するのだった。ある意味、感動的なその光景を尻目に、ナレーションは「八木には絶対にかからないだろうとロメロをなめていたスタッフは、徐々に相手を弱くしようと、もう2人、芸人を用意していた」と悪意を隠さない。  おぎやはぎ矢作は、共演していた勝俣州和本人を前に勝俣を絶賛する。誰とでも絡め、トークの引き出しも数多い、と。そして、スタッフのやってほしいことを全部やってくれる“企画成立屋”なのだと持ち上げる。そんな矢作が唱えた「説」が、「勝俣州和 ファン0人」説だ。知名度やスタッフからの信頼は抜群だが、勝俣個人の「ファン」は「人っ子一人いない」のだと。本人を前に、悪意たっぷりに主張したのだ。さらに番組は、その悪意に乗っかり「というわけで、そんな人いるわけがないと思いますが、万が一いらっしゃれば」と、ホームページで勝俣ファンを募集するのだった。  『水曜日のダウンタウン』は「完全にやりにいって」いる。確信犯的に過剰な悪意を思いっきり振りかざしている。よく「お笑い」には、対象個人への「愛」が不可欠だといわれる。果たしてそうだろうか? 「芸能界一肌がキレイなのは綾瀬はるか」説という一般的にも興味を惹きそうな説から、「理科室の人体模型ただのインテリア」説という、うっかり社会の闇に切り込んでしまった「説」、「鎖鎌 最弱」説というマニアックすぎるものまで検証される「説」は多種多様で統一感がない。  だが、これらに一つ共通点があるとすれば、それは「説」を唱える人が、真剣にその現象を「面白い」と思っているということだ。番組は、その「面白い」を丁寧に形に変えていく。この番組が対象に向けるのは「悪意」だ。けれど、「面白い」ことに対する愛情は深い。勝俣本人に対してではなく、「勝俣のファンがいない」という現象自体を愛し、それを最大限面白く表現しようとする努力を惜しまない。いわば対象ではなく、現象にこそ愛情を注いでいるのだ。結果として、その対象も輝きを放つ。  『水曜日のダウンタウン』は「藤井Pとダウンタウンが組むと『悪意』が倍増され、『面白い』に変換される」説を実証し続けている。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「強すぎるとヒーローは怪人と変わらない」『BORDER』が示す、刑事ドラマのボーダーライン

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『BORDER』テレビ朝日
 殺人事件の被害者(つまり死者)と話ができるとしたら、刑事として最強である。犯人はもちろん、殺害方法も被害者の“証言”でたちどころに分かってしまうのだから。あまりにも最強すぎて、ドラマとして成立しないのではないか――。ドラマを見る前はそう思っていたが、そんな浅はかな予想を見事に裏切ったのが『BORDER』(テレビ朝日系)だ。直木賞作家・金城一紀が原案、脚本を務め、主演は小栗旬。  主人公・石川安吾はある事件で弾丸を頭に受け、瀕死の重傷を負った。仮死状態から奇跡的に蘇生した石川はこの日以降、死者と話せるようになったのだ。石川が死者と話せることで、たとえ犯人が分かったとしても、直ちに犯人を逮捕できるわけではない。死者の“証言”では立証できないから証拠が必要だし、警察という組織である以上、捜査方針もある。このあたりの障壁の作り方が巧みだ。また、“死者”役が被害者ではなく、自殺した犯人だったり、殺されても仕方がないような男だったり、死んだ瞬間に記憶を失っていたりと変化に富んでいて、視聴者をまったく飽きさせない。  石川とともに事件を捜査するのは、上司で石川を目にかけている市倉(遠藤憲一)、同僚でライバルの立花(青木崇高)、特別検視官の比嘉(波瑠)。石川はもともと正攻法で捜査するタイプだったようだが、死者と話せるようになって最短距離を選ぶようになっていく。その結果、情報屋の赤井(古田新太)や便利屋のスズキ(滝藤賢一)、そしてハッカーのサイモン(浜野謙太)とガーファンクル(野間口徹)といったダークサイドの面々に協力を仰ぎながら、死者の無念を晴らすため“汚い”手段を用いてでも事件を解決していくようになった。  第5話のゲスト、つまり死者役は宮藤官九郎だった。閑静な住宅街でサラリーマン風の男の死体が発見される。最近頻発する、ノックアウト強盗の被害者なのではないかと疑われる事件だった。  そんな死体の脇に体育座りで佇む、見るからに情けない風貌の男がクドカンだ。 「何かすごく大事なこと、忘れてる気がするんです。お願いします! 助けてください! こうなったら自分が誰か、なんで死んだか思い出すまで、あなたのそば離れませんからね」  その言葉通り、男は石川のそばを背後霊のように離れることなくついていく。自分の検死にも立ち会うと「あんなきれいな人(波瑠)に触られてる……。なんか興奮してきた!」「エグいなぁ! ちょっとしんどいんで見なくてもいいですか?」などと言って、石川に「黙れ。死人らしくしてろ」とたしなめられる始末。やがてノックアウト強盗の犯人が捕まるが、男の記憶は戻らない。だが、夫の死を知った妻の姿を見て、ようやくすべてを思い出すのだった。仕事で悩みを抱えていた男は、それを妻に言えないまま「出張」とウソをついて会社を休み、生まれて初めての風俗に行こうと思い立ったのだという。だが結局、風俗には行けず、お酒を浴びるように飲んだ男は、帰り道にチェーンを飛び越えようとして転んで胸を強打。朦朧としながら歩きつまずいて、さらに電柱で頭部を打ちつけたのだ。「事件」ではなく、ただの残念すぎる「事故」だった。 「失礼ですが……、コメディ映画のような展開ですね」  まさにコメディ。石川と男の会話劇は実にコミカルで面白い。だが、最後は感動的なシーンに結実していくのだ。役者・宮藤官九郎の魅力が最大限発揮されたエピソードだった。  一転して、シリアスに石川が初めて“敗北”感を味わうのが第7話だ。 「犯人を追い詰めるのをやめない刑事か。いいね、ロマンティックだ」  そう不敵に笑うのは“掃除屋”と呼ばれる裏社会の証拠隠滅請負人・神坂(中村達也)。 深夜の街角で大学生がひき逃げされ、死亡した。目撃者が車のナンバーを覚えていたので、逮捕も時間の問題だった。しかし、そのひき逃げ犯・宇田川(矢野聖人)は大物政治家の息子だったのだ。  程なくして目撃者や関係者は証言を翻し、宇田川が犯人だと裏付ける証拠の痕跡は“掃除”されるように消えていった。もちろん、神坂の工作によるものだ。  それでも石川は、宇田川の車に同乗していた恋人を足がかりに、情報屋やハッカーたちを使って犯人を追い詰めようとしていく。やがて、宇田川の恋人が死体として発見される。そして石川と対峙した神坂は、再び不敵に笑う。 「お前がイキがればイキがるほど、弱い人間が犠牲になっていくぞ。自分のせいで人が死んだ気分はどうだ?」  神坂を演じる中村達也はBLANKEY JET CITYのメンバーとして活躍した伝説的ドラマー。役者として『週刊真木よう子』(テレビ東京系)やNHK大河ドラマ『龍馬伝』などにも出演し、強烈な存在感を発揮していた。今回の神坂役も、その漂う“ヤバい”雰囲気に圧倒的な説得力を持っていた。結局、神坂の計略にまんまと引っ掛かり足止めされた石川は、宇田川の海外逃亡を許してしまう。 「世の中狂ってますよね。でもだからこそ、私とかあなたのような人間が活躍できるんです」  神坂に敗北した石川は暴走し、刑事としてのボーダーラインを越えようとする。ハッカーのサイモンとガーファンクルに、宇田川の犯罪のウワサをネットで拡散してほしいと頼むのだ。 「僕たちを使ってリンチしようってこと?」    2人は悲しそうにパソコンの電源を落とし、石川に背を向けるのだった。 「強い光が差すところには、必ず濃い影も浮かぶものだ。影に飲み込まれるなよ」 と石川に市倉は言った。  石川は「生」と「死」のボーダーラインに立ちながら、「光」と「影」の境目で揺れ動く。 「ヒーローは必要だ。だがな、強すぎるとヒーローは怪人と変わらないんだ」  『BORDER』は一見、斬新で奇抜な設定の強すぎるヒーローの物語だ。だが、それを成立させるためにさまざまな工夫を凝らし、ドラマとしての危ういバランスのボーダーに立っている。そしてコメディタッチからシリアスな展開まで自在に変化しながら、刑事ドラマ本来が持つバラエティに富んだ魅力を発揮している。それこそが刑事ドラマの「王道」であり、魅力的な刑事ドラマのボーダーラインなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「失敗こそが人生さ」開き直った『バイキング』の新たな船出

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フジテレビ『バイキング』番組サイト
 『笑っていいとも!』の後番組ということで何かと注目される『バイキング』(フジテレビ系)だが、視聴率では苦戦が強いられている。そんな中でも、サンドウィッチマンの「地引き網中継」をはじめ、圧倒的なデタラメっぷりの月曜日は各所で絶賛されている。  だが、月曜日だけではない。その余波は、徐々にほかの曜日にも広がっている。たとえば、藤あや子がゲスト出演した火曜『バイキング』(5月13日分)。レギュラーの友近に代わり、観客席には“大物演歌歌手”水谷千重子が。そのまま番組に参加してデタラメなコメントをし続け、「なんてったってアイドル」を演歌調で歌ったり、やりたい放題だった。  そして、おぎやはぎが司会を務め、唐橋ユミ、美保純、ケンドーコバヤシ、川栄李奈(AKB48)、関口メンディー(GENERATIONS、EXILE)、やしろ優、森泉がレギュラーという異色のキャスティングで、お笑い好きから最も期待されていた水曜日。放送開始当初は、正直、おぎやはぎの持ち味である“いい加減さ”が乏しく、メチャクチャなキャストも生かされていない、おとなしい印象を受けた。だが、回を重ねるごとに、それぞれの個性がかみ合い始めた。 その起爆剤になったのは、バナナマン設楽統だった。 『バイキング』は、5月5日~9日までを「スペシャルウィーク」と銘打ち、キャンペーンを行っていた。その週の水曜『バイキング』にゲストとして登場したのが、おぎやはぎと若手時代から苦楽を共にした盟友の設楽だ。放送前、設楽が司会を務める『ノンストップ!』に、番宣を兼ねておぎやはぎが出演。そこで「スペシャルウィークで設楽さんがゲストって、弱いかも」とおぎやはぎが口走ると、設楽は「俺、行かねーぞ! 行かねえからな! もう行かねえ!」「うるせえな、メガネ、メガネ!」と悪態をつきながら、「だったら直太朗、呼ぼうよ」と提案した。  直太朗とは、もちろん森山直太朗。小木が直太朗の姉と結婚しているため、直太朗は小木の義弟に当たる。その直太朗を急遽、電話で呼ぼうというのだ。  そして、『バイキング』のオープニング。矢作に「(直太朗)来るの?」と問われた小木は「今確認したら、向かってるって」と答えると、「『さくら』とか『夏の終わり』とか、いいとこだけ歌ってもらおう」などと勝手なことを言う設楽は、カメラに向かってさらに「日村も来なよ!」と呼びかけた。  まさに、深夜ラジオのノリだ。もともと、直太朗と設楽は誕生日が同じという縁で、『JUNKバナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)に毎年、ゲスト出演してもらっている仲なのだ。  番組開始から10分ほどで直太朗が登場した。「遅いよ、バカ」と兄貴風を吹かす小木。「急に電話があって、義理の兄から」と状況を説明する直太朗。「俺はイヤだって言ったんだけど、そうしないと設楽さんがすごい怒るって(笑)」。「じゃあ、歌っていく?」「行っちゃう? 駆けつけ『さくら』」と、軽く歌うよう振るおぎやはぎに寝起きの直太朗は応えて熱唱するも、その途中で小木は「やめろ!」と制す、雑な扱い。さらに、「水曜バイキングの歌、作ってよ」と矢作が言うと、小木も「やる? どうする?」と追い込む。直太朗は「無理ですよ。正直、この番組に思い入れがないんで」とぶっちゃける。「正直言っていいですか? すげぇ、イヤです!」。  それでも仕方なく了承した直太朗は、レギュラー陣から歌詞になるようなフレーズを出してもらい、即興ソングを作り始めるのだった。 「呼ばれた! 呼ばれた! どうしよう!」  『バイキング』のオープニングで、自分の名前が呼ばれたことに慌てた日村。実は、日村は『ノンストップ!』も見ていて、自分ではなく直太朗の名前が呼ばれたことに悔しがっていたという。すぐに着替え、番組終了15分ほど前にスタジオにやってきた日村。手土産まで持参するという、完璧なパフォーマンスだった。その翌日深夜の『バナナムーンGOLD』では、呼びかけに即座に応じた日村の行動を「さすがだな」と絶賛した設楽に、日村も「愛情感じましたよ」と褒め合い、冗談っぽく笑っていたが、実際そういったムチャぶりにも即座に対応する柔軟さが、面白さにつながっていくのだ。  「即興ソングを作って」というムチャぶりをされ、時間内にそれを作り上げた直太朗も同じだ。そのタイトルは「いつか必ずつかメンディー」。レギュラーの関口メンディーが、番組内で多用するフレーズを使ったタイトルだ。  「お昼の荒波に飛び出した 水曜バイキング♪」と歌い出すと、一気に森山直太朗のステージへと変わる名曲だった。  この翌週の放送では、メンディーのダイオウイカ捕獲ロケに小木が志願し、ダイオウイカこそ釣れなかったものの、巨大なアブラボウズを釣り上げたり、ケンドーコバヤシと唐橋ユミに仕切り役を任せた新コーナーができてケンコバがイキイキとふざけ出したりと、どんどんデタラメっぷりが増してきている。直太朗は「いつか必ずつかメンディー」で「失敗こそが人生さ♪」と歌った。  番組開始当初、失敗を恐れ、何重にも保険をかけた企画が多かった。だが、それは逆に番組のダイナミズムを奪ってしまった。せっかく頭のおかしなキャスティングをしているのだから、それをそのまま生かせばいい。そう開き直ることこそ、成功への近道だと、この2週の水曜『バイキング』は確信させる放送だった。そして、それは『バイキング』の新たな船出を予感させてくれるのだ。 「ダイオウイカよりでっかいハート いつか必ず つかメンディー♪」 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

『怪物くん』に続くハマリ役? 嵐・大野智が作り出す『死神くん』の距離感

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『死神くん』テレビ朝日
「おめでとうございます。お迎えにあがりました」  テレビ朝日でこの春からドラマ化された『死神くん』の原作は、えんどコイチの同名漫画。えんどコイチといえば、アニメ化もされたギャグ漫画『ついでにとんちんかん』が有名だが、『死神くん』は隠れた名作として漫画好きの間では熱烈に支持されてきた作品だ。基本的に1話完結で、死期の迫った人間に主人公の死神くんが、「お迎えにあがりました」と死を伝え、残りの時間で死が訪れるまでやり残したことをやるように促すという物語だ。  第1話は、原作でも傑作と名高い「心美人の巻」をドラマ化した「心美人お迎えに参りました!」。監督が映画『リング』の中田秀夫というのも豪華だ。顔に大ヤケドを負い、失明した美人の友人を励ます、容姿にコンプレックスを持った女子高生・福子(大原櫻子)の前に、死神くんが現れる。  彼女に死期を伝えても、もちろん最初は信じないし、その死を受け入れることはできない。 「まだ18歳なのよ。これから経験しなきゃいけないことがたくさんあるの」と訴える福子に、死神くんは怪訝そうに言う。 「ムダに長生きして、余計な苦労を背負わずに済むんですよ。人間にとって、こんなにおめでたいことはないはずですよね。人間はみんないずれ死ぬんです。それがたまたま早くなるだけのことです」  主人公の死神くんを演じるのは、嵐の大野智。  大野のドラマ出演といえば、真っ先に思い出されるのが、同じく漫画原作の『怪物くん』(日本テレビ系)だろう。この作品のドラマ化が発表された当初、多くの人から鼻で笑われた。『怪物くん』といえば、藤子不二雄Aによるかわいらしい絵柄が特徴。それを「ドラマ化するなんて……(笑)」という反応だ。しかし、大野の演じる怪物くんは、そういった想像をはるかに超えてハマっていた。  もちろん、西田征史による巧みな脚本などさまざまな要因もあるだろうが、ドラマは好評を得て、特別ドラマを経て、映画化もされた。大野のちょっとふてくされたような、それでいて常にほほえんでいるような独特な表情は、実はかわいらしい二次元の子どもキャラを演じるのにピッタリだったのだ。  死神くんも怪物くん同様、原作ではかわいらしい子どものような外見。『死神くん』のドラマ化の情報とともに、主演が大野だと発表されると、妙な納得感があった。  死神くんは「今は他人のことより自分のやりたいことをするべきです」と忠告するが、福子は自暴自棄になってしまう。美人の友人の引き立て役にされていたことを嘆き、一度も男の子とデートすることもできず死んでしまうなんて、と。  そんな福子に、死神くんは静かに言う。 「私の目には、あなたが一番美しく見えます」  死神にとっては、容姿の美醜は関係ない、心の美しさしか意味がないのだ、と。そんな死神くんの言葉に心を動かされた彼女は、残された時間を友人のために尽くし、美しい心のまま死を迎えることを選ぶ。     第3話からは、死神くんのライバルとなる悪魔が登場した。悪魔は人間の弱みに付け込み、魂と引き換えに、3つまでならどんな願いでもかなえる力を持っている。予定外の死者が出てしまうと困る死神にとって、厄介な存在だ。 「人間はいずれ死ぬんですから損な契約じゃない」 「人間は欲望で出来ている。人生とは欲望を叶える競争です。あなたはその特急券を手に入れた」 と、「契約」を迫っていくのだ。    演じるのは菅田将暉。悪知恵が働く少年っぽさと不気味な存在感を併せ持つ稀有な俳優で、悪魔役にピッタリだ。うだつのあがらない生活をして自暴自棄になっていた桐嶋(柄本時生)は、悪魔と契約をしてしまう。そして、死期の迫った病弱の令嬢・瞳(杉咲花)と出会い、恋をするのだ。病魔に蝕まれた瞳は、思い出の海が見たいと願い、桐嶋はそれをかなえるため足を骨折しながらも、彼女を背負って海に向かう。悪魔は自分に願いを言えばすぐに海に連れていけると迫るが、死神くんは「あなたが死んだら、彼女が悲しむだけ」と思いとどまるように説得していく。  『死神くん』は、「死」をテーマにしたドラマだ。だが、「死」を見つめ直すことで、「いかに生きるか」を描いている。  大野の眉間にほのかに皺を寄せ、口角をわずかに上げた、ふてくされたようなふくれっ面は、物悲しさを漂わせつつ、どこか優しい。それは原作の『死神くん』の世界観そのものだ。だから死神くんを演じるのは、やはり大野智以外考えられない。  死亡予定者の感情に流され、死後の結果を見せるという職務違反を咎める監死官(桐谷美玲)に、死神くんは反論する。  「『死は人間にとって喜ぶべきおめでたいことだ』っていうアンタの教えはなんなんだ? あの子は死を恐れて悲しんでいる。だったら、死んでいく人間のささやかな願いをかなえるくらいは……」  大野は終始、淡々としたセリフ回しで死神くんを演じている。それが物語との間に適度な距離感を生み、押し付けがましい「お涙ちょうだい」な展開になることを拒んでいる。それは死神くんと死亡予定者の距離感そのものだ。死神くんは死亡予定者にそうであるように、視聴者に冷めた目線で、時にささやかな温かさで寄り添っているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

デタラメを極める『リバースエッジ大川端探偵社』深夜ドラマの本能

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ドラマ24『リバースエッジ 大川端探偵社』テレビ東京
 全編が女性のあえぎ声。そんな次回予告、AV以外であり得るだろうか?  それをやってしまったのが『リバースエッジ大川端探偵社』(テレビ東京系)だ。渋い大人の物語だった第1話が終わった直後に流れた第2話の予告は、ストーリーの説明らしきものは一切なく、ただただ下着姿の女性が複数の男たちに身体中をまさぐられ悶える映像。そのタイトルは、そのものずばり「セックスファンタジー」。衝撃的だった。  『リバースエッジ』の監督・脚本は大根仁。同枠のドラマ『モテキ』を映画化し、大ヒットさせたことでも記憶に新しい“深夜ドラマ番長”だ。大根にとって“ホーム”といえるテレ東深夜の「ドラマ24」の枠。前作は『まほろ駅前番外地』。便利屋を舞台にしたドラマだった。  第1話の冒頭で「便利屋と探偵っていうのはどう違うんだ?」と尋ねる依頼人に「たいした違いはないんですが、うちではゴミ屋敷の掃除や代理の墓参りはやりませんが、逆に便利屋さんは人探しはやらないんじゃないですか?」と答えたように、今回は探偵モノだ。主演は、大川端探偵社の調査員・村木役のオダギリジョー。その所長役に石橋蓮司。受付のメグミ役を小泉麻耶が演じている。  依頼人が来て、それを解決していくという探偵ドラマの王道を踏襲しているが、従来の探偵モノと大きく異なるのは、探偵側の人物が没個性だということだ。村木は予知夢を見ること以外、大きな特徴はなく、オダギリジョーもほとんど無表情で村木を演じている。感情を露わにすることは滅多にない。  逆に、個性的なのは依頼人だ。第2話の依頼人の女(星野あかり)は、過剰なほど妖艶なセリフ回しで「探してほしいものがある」という。それは「鏡越しに隣の部屋のセックスが覗けるラブホテル」。本当の依頼人は男性ではないかと問う村木に、女は艶やかにほほえんで答える。 「男性は余命いくばくかが分かってくると、自分がやり残したことや、追体験をしたくなるものでしょうか? 特にセックスに関して。エロを極めたい衝動に駆られる……と申しましょうか。お察しの通り正式な依頼者はわたくしの主人でして、ヘンタイですの。ウッフフフフ」  物語の舞台は下町・浅草。一般的に下町は「人情」の町といわれるが、このドラマではそうは描かれていない。 「下町に人情なんかないですよ。テーマパークと変わらない。カネを払う客にはいかにも下町らしいキャラクターを演じてるだけです」  「マスコミ」という言葉にめっぽう弱く、カネをもらえればすぐに情報を提供してしまう。「人情」ではなく、下世話で「欲望に忠実」な町の側面を浮き彫りにしていく。下町の片隅に覗き部屋があるラブホテルを探し当てた村木たちに、依頼人の女は夫と一緒に見学してほしいと申し出る。そこから実に2分間にわたる濃厚なセックスシーン。女は複数の男たちに身体中を愛撫され、あえいでいる。そんな妻の痴態を「ヒヒヒ」と奇声のような笑い声を上げながら見守る夫。その狂気の世界を、村木たちと共に我々視聴者も覗き見しているような、何かいけないことをしているような感覚に陥ってしまう。と同時に、文字どおり今のテレビにおけるエロの限界への挑戦に度肝を抜かれるのだ。  第1話の「最後の晩餐」では、これまた死期の迫った組長から、昔食べた「喋楽」という店のワンタン麺をもう一度味わいたいという依頼が来る。村木が店の主人を探し出して作らせると、なんの変哲もないワンタン麺。だが、高級な食材で作ったワンタン麺には見向きもしなかった組長がそれを食べて「この味だ!」と興奮しながら満足するのだ。実は「喋楽」のワンタン麺には、うま味調味料がたっぷりと入っていたのだ。組長はその味が忘れられなかった。今は何かと健康志向が叫ばれ、身体に良い食べ物が良しとされている。だが、かつてはうま味調味料まみれの、いかにも身体に悪い食べ物が店に並んでいた。身体に良いものよりも、単純に旨いものが優先されていた。本能に忠実だったのだ。それが、古き良き時代のデタラメさだ。他人のセックスを覗きたいからそういう内装のホテルを作ってしまうような、欲望がむき出しのデタラメさだ。  このドラマは、その人間の欲望のデタラメさを忠実に描いている。だが、単に古き良き時代を懐古しているのではない。否定された価値観を、今の時代に肯定し直しているのだ。そして、今の時代のエロの限界に挑戦したように、深夜ドラマの本能に忠実に、今できるデタラメさを探しているのではないだろうか? うま味調味料をたっぷり入れたような猥雑な味わいで。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「想像力」こそ視聴者の最大の武器! タモリイズムあふれる『烈車戦隊トッキュウジャー』

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烈車戦隊トッキュウジャー|テレビ朝日
 『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が終わり、いわゆる「タモロス」に陥る視聴者が続出している中、ほのかにタモリイズムを感じさせてくれる番組がある。それが、特撮番組『烈車戦隊トッキュウジャー』(テレビ朝日系)だ。  戦隊のモチーフは、タモリが大好きな「電車」。そして彼らの武器は、タモリ最大の趣味であり芸の根幹を担う、「妄想」すなわち「イマジネーション力」である。 「世界は、目に見えるものが全てではない。夢見る力、想像する力、すなわちイマジネーションを持つ者だけが見ることが出来る世界がある。イマジネーション! それは不可能を可能にし、世界に光を灯す、無限の力」  「電車」+「妄想」。ほかにも「なりきり」が好きなキャラが出てきたり、「やる気」に関するエピソード(その駅名が「無気力坂」。タモリといえば「坂」だ)があったり、タモリの盟友である関根勤が「イマジネーーーション!」と叫ぶ「車掌」役でレギュラー出演していたりと、そこかしこにタモリのにおいを感じさせるのだ。  脚本は小林靖子。いま最も忙しい特撮作家のひとりだ。近年では、北川景子を輩出した実写版『美少女戦士セーラームーン』(TBS系)、佐藤健主演の『仮面ライダー電王』、そして松坂桃李主演の『侍戦隊シンケンジャー』とヒット作を手がけ、『仮面ライダーオーズ』『特命戦隊ゴーバスターズ』(以上、テレビ朝日系)と立て続けに執筆を続けながら、同時にアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』や『進撃の巨人』などの脚本も務めている。  モチーフを巧みに生かした設定やネーミングが秀逸で、たとえば本作では、ヒーローに変身する時に「変身いたします。白線の内側に下がってお待ち下さい」と、実際に白線が現れ、敵が近寄れなくなる。よく言われる「なんで変身している時に攻撃しないの?」という疑問に、ちゃんと答えを用意しているのだ。「乗り換え」といって、戦闘中、お互いのスーツの色を交換することもできる。かつての東映映画『新幹線大爆破』のパロディを関根勤のモノマネ付きでやったりと、遊び心も満載だ。そしてなんといっても、魅力的な複数のキャラクターを引き立てる群像劇が、小林作品最大の特長だ。 「見えるんだよ、最初からずっと。俺にはハッキリ見える。お前に勝ってる俺が!」 と、ポジティブな想像力で無鉄砲な性格のトッキュウ1号(レッド)のライト(志尊淳)が、一応のリーダーであり主役。だが、ライトを「戦闘リーダー」と称し、それ以外の4人も「サポートリーダー」「世話焼きリーダー」「影のリーダー」「なりきりリーダー」など、そのときの状況次第でリーダーが変わるという設定通り、それぞれに見せ場が用意されている。  戦隊のメンバーだけではない。彼らをサポートする車掌(関根)と、その車掌の「右腕」で、文字通り車掌の右腕に腹話術の人形のようにいる謎の存在「チケット」。そして、客室販売員の女性型ロボット「ワゴン」といった個性的な面々も、愛さずにはいられない。  また、優れた特撮モノのバロメーターのひとつである敵側の魅力も十分だ。『トッキュウジャー』の敵は、「シャドーライン」と呼ばれる悪の帝国。「レインボーライン」という既存の路線の駅を乗っ取り、その町を支配し、勢力の拡大を図っている。「この烈車は『神隠し』経由、『餓鬼捨て山』行きです」などと、駅を乗っ取った時に付けられる駅名も面白い。 「届けにきたぞ、棺桶を、お前の入る棺桶を。お代はいらない、ただその代わり、お前の命をいただこう♪」 と、棺桶を引きずりながら歌うシャドー怪人「チェーンシャドー」は完全にホラー映画の域にあるような怖さだし、幹部のひとりであるシュバルツ将軍はどこまでもダンディでカッコいい。中でも魅力的なのは、そのシュバルツを一途に敬愛するグリッタ嬢だ。ずんぐりした巨体と醜い顔つきだが、その健気な性格と振る舞いはチャーミングそのもの。そのキュートさは、今からトッキュウジャーに攻撃されて傷つく姿を想像して憂鬱になってしまうほどだ。  常に前向きなイマジネーションを駆使するライトを中心に、『トッキュウジャー』はとても明るく楽しい戦隊モノだ。しかし、どこか物悲しさが漂っている。それは、「死」のにおいにほかならない。トッキュウジャーの5人はもともと、幼なじみらしい。「らしい」というのは、5人には断片的な記憶しかないからだ。 「あなたたちは死んでるも同然」 と、車掌の右腕・チケットが口を滑らせている。  その言葉を元に、自分たちの記憶がなく「死んだも同然」なのは、シャドーラインに乗っ取られた町の住民ではないかと推測するトッキュウジャーたち。その推論に対して、車掌とチケットは同時に答えるのだった。 「当たりです!」 「ハズレです!」  賛成の反対。答えは藪の中。けれど、これでいいのだ。  ライトは「覚えていない町を探して後戻りしたくない」と言う。 「トッキュウジャーやって、前に進んで、進んで、進んだらその先に俺たちの町がある気がしてる」  これこそまさに、過去に執着しないタモリイズムだ。  もちろん『トッキュウジャー』=タモリイズムなんて、最初から最後までこじつけだ。けれど、それこそが「イマジネーーーション!」ではないか。想像力のある者にしか「レインボーライン」は見えない。それと同じだ。作品をモチーフにして、こじつけたり見立てたりしながら、妄想することこそが面白さのひとつだ。そんなふうに「想像力」を働かせてみることこそ、僕たち視聴者の最大の武器なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

キング・オブ・スタジオドキュメント『笑っていいとも!』の終わり方

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『森田一義アワー 笑っていいとも! 』フジテレビ
「見たことがないのでわからない」  タモリは「『笑っていいとも!』とは?」という問いに、そう答えた。  思えば、日本に住んでいれば誰もが一度は見たことがあるであろう国民的長寿番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)を見たことがない稀有な人間は、ほかならぬタモリなのだ。そんな番組が、3月31日をもって32年間の歴史に幕を閉じた。  『グランドフィナーレ感謝の超特大号』と名付けられた最後の特別番組には、歴代レギュラー陣77人あまりが集まり、そのラストを見届けた。番組の終盤には、現レギュラー陣からタモリへ感謝の言葉が贈られたが、そのスピーチで「バラエティって非常に残酷なものだなとも思います」と涙ながらに話したのは、SMAPの中居正広だ。  映画やドラマ、ライブでは、終わりはあらかじめ決められている。ゴールを目指して進むことができる。しかし、バラエティにゴールはない。「バラエティは、終わらないことを目指して、進むジャンルなんじゃないか」と中居は言う。だから「バラエティの終わりは……寂しいですね」「こんなに残念なことはないと思います」と声を詰まらせた。  2013年10月22日、その中居の目の前で『いいとも』の終了が発表されたのを境に、8000回目の放送でとんねるずが不定期レギュラーになったり、現役の首相が「テレフォンショッキング」に出演したりと、『いいとも』は“お祭り”騒ぎに突入していった。こうした終わり方は、何事にも執着しないタモリにとって本意ではなかったかもしれない。もっといつも通りの『いいとも』のまま、淡々と終わらせたかったかもしれない。けれど、タモリはこれまでの感謝を込めるかのように、その神輿に乗った。このお祭り騒ぎのさなか、タモリはずっと気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべていた。 「一番思い描くイメージは、タモリさんの照れ笑い」と、爆笑問題・田中裕二は『いいとも』のイメージを一言で表現した。そうなのだ。だとすれば、この終焉も平常通りといえば平常通りだ。かつて相方の太田光は『いいとも』を、「タモリさんをいかにみんなで楽しませようか」という番組だと形容している。 「みんながタモリさんを喜ばせたい。それは出演者、プロデューサー、ディレクターだけじゃなくて、美術、音声、カメラさん、技術……みんながタモリさんを喜ばせたいの。みんなタモリさんが大好きで」(TBSラジオ『JUNK爆笑問題カーボーイ』より)  だから、グランドフィナーレの後半を丸々、タモリへの感謝のスピーチに充てたのはごく自然なことだったのだ。そして、タモリはそれを最高の照れ笑いを浮かべながら聞いていた。タモリの「照れ笑い」こそが『いいとも』が32年間も続いた秘訣なのだと、田中は続ける。 「ずーっと恥ずかしがってやってるじゃないですか。それが僕大好きで。ギネスに載って、8000回以上、32年間やってる司会者がずっと慣れてないんですよ、『いいとも』に。でも、じゃなきゃ長続きしなかったのかなって僕は思いました。慣れて、こなして、慣れっこになっちゃったら多分つまらなくなると思うんですよ」  最初から最後まで、『いいとも』はタモリの「照れ笑い」を映し続けてきたのだ。  そのスピーチの冒頭、田中は「最後の最後に奇跡的なすごいことが起こっちゃって」「ホントに予想だにしなかったことがここで起きて最高でした。でも、それが『いいとも』の生放送の一番いいところだなって」と、グランドフィナーレ前半で起きた“奇跡”を振り返っている。  番組は明石家さんまがゲストとして登場し、『いいとも』屈指の名物コーナー「日本一の最低男」が復活した。当然のように2人のエンジンがかかり、30分以上話し続けているところに、「長い!」とツッコミながら入ってきたのがダウンタウンとウッチャンナンチャンだ。  さらに“奇跡”は続く。  松本人志が「とんねるずが来たらネットが荒れるから」などと笑わせているうちに、とんねるずも乱入。かつて、「第3世代」のトップと称された3組がそろい踏みを果たしたのだ。  まだまだ“奇跡”は続く。  ダウンタウンとは「犬猿の仲」などとウワサされる爆笑問題まで入ってくる。 「もう一回言うけど、ネットが荒れる!」 と、松本はあらためて叫んだ。  さらにナインティナインも加わり、同じ画面、同じ舞台にタモリ、明石家さんま、笑福亭鶴瓶、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインというお笑いのレジェンドたちがそろうという、ありえない“奇跡”が起こったのだ。同じ画面にいるだけではない。太田のボケに浜田雅功がツッコミ、そのボケに松本がかぶせる。そんな夢のようなやりとりが実現した。 「何かが起こりそう」な「今」を映すのが「テレビ」だ。そして、それは『いいとも』そのものともいえる。『いいとも』だから、そして何よりもタモリがそこにいるからこそ、「何か」は実際に起こったのだ。『いいとも』のような長い歴史のある番組であれば、名場面は数多くある。グランドフィナーレに、そういったVTRで過去を振り返ることもできたはずだ。けれど、『いいとも』は「今」にこだわった。途中グダグダになってしまう場面があったとしても、すべてを「生放送」の醍醐味で乗り切った。まさに「スタジオドキュメント」。それが過去にも未来にも執着しないタモリイズムであり、『いいとも』イズムだったのだ。  なんの情報も意味もない、くだらない放送を32年間続けてきたタモリは、ずっと続けてきたいつも通りの締め方で、照れ笑いを浮かべながら最後を締めくくった。 「明日もまた見てくれるかな?」  その瞬間、いつものフレーズが指す対象が劇的に広がった。  『いいとも』がない「明日」も、テレビのバラエティ番組は続いていく。くだらなくて、意味のないお笑い番組は、これからも生まれていくはずだ。番組の打ち上げに参加した笠井信輔アナウンサーによると、タモリによる乾杯の掛け声は「日本のバラエティに乾杯!」だったという。 「答え要りませんが……ちょっと我慢できずに言います。答えは要りません」  抑え気味のトーンで感謝のスピーチを綴っていた香取慎吾は、手を震わせながら言った。 「そもそも、なんで終わるんですか……?」  答えなんて要らない。そんな答えに意味なんてないのだから。でも、伝えずにはいられなかったのだ。 「これからもツラかったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな?」 と香取が投げかけると、タモリは即座に優しく返した。 「いいとも!」 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

妄想が妄想を呼ぶ『久保みねヒャダこじらせナイト』というテレビごっこ

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『久保みねヒャダ こじらせナイト』フジテレビ
「『笑っていいとも!』が生んだ最後のスター(笑)」  久保ミツロウは時折、そんなふうに「(笑)」付きで呼ばれることがあるが、「(笑)」を取ってしまいたくなるくらい、久保は親友の能町みね子とともにテレビ界で快進撃を続けている。 「破滅の始まりですよ。始まりってことはどこで終わるか、虎視眈々と見てるわけでしょ」 「堕ちた時に何言われるだろうなってことばかり考えますね」  番組初回からそんな後ろ向きな言葉から始まったのが、漫画家の久保ミツロウ、能町みね子、音楽プロデューサーのヒャダインによる『久保みねヒャダこじらせナイト』(毎週土曜日25:35~25:55、フジテレビ系)だ。もともとは、久保とヒャダインで2012年12月から不定期に放送されていた番組に能町が加わり、13年10月からレギュラー化したものだ。3人が生み出す“いい違和感”は視聴者の人気を集め、元旦には『明けましてこじらせナイト』という特番が組まれた。また4月4日には、初の全国放送『こじらせナイト 全国のみなさま初めましてSP』が放送予定だ。  こじらせとは、雨宮まみの著書『女子をこじらせて』(ポット出版)の「こじらせ女子」(自意識にとらわれ、世間でいう“女性らしさ”に抵抗を感じ、生きづらさを感じている女性のこと)に由来する。しかし、この番組タイトルにも、久保と能町は違和感を隠さない。  「こじらせてはいません。これね、自称し始めると非常に面倒くさくなるんで、あくまでも私はこじらせてなどいない。勝手に皆さんが言っているだけで、私はただ自分らしく生きようとした結果がこれであって」という久保に、能町も「『こじらせナイト』とか言ってますけど、しょせん、見てるヒトがこじらせてるだけですから。どストレートです」と同調する。そして久保は「ただヤンチャに生きたいだけ」、『やんちゃナイト』のほうがいいと言うのだ。  「こじらせ」にこじらせている。  この番組は、3人が世の中の“こじらせている”ヒト、モノ、デキゴト……をテーマに語り合うのだが、毎回、考えること、妄想することの快楽を呼び起こしてくれる。 「ひとつ実験なんですけど、これもし歌ってるのが先生だとしたら、結構スゴいことになるなって思ったんですよ」 と、能町が斉藤由貴の「卒業」の歌詞について、主人公は学生ではなく「23~24歳の女性新任教師」ではないかという“新説”を語りだした。  それは、3月8日深夜の放送された人気コーナーの「青春こじらせソング」でのことだった。 「青春時代の名曲をあらためて聞いてみると、新たな解釈を発見することもある」というコンセプトのコーナーで、斉藤由貴の「卒業」が「<泣かないと冷たい人と言われそう>という部分の、すごいドライな感じに妙な違和感を感じる」という投稿があったのだ。それに対し、そのドライさの“正体”を、能町は「女性新任教師説」という妄想で説明したのだ。  歌いだしの<制服の胸のボタンを~>のシーンは、「先生」として見ている。 <人気のない午後の教室で/机にイニシャル彫るあなた/やめて思い出を刻むのは>というのは、先生である以上、学校に残りずっとそれを見ることになるから「やめて」なのだと。<東京で変わってくあなたの未来は縛れない>も、教師目線であると考えるとしっくりくる。 「そうすると<卒業式で泣かないと~>のところがすごく複雑になってきて、<卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう>って、先生にとってはおかしなセリフなんですよ。けど、自分の中の他人視点なんですよ。こんなに好きな人が行っちゃうんだから普通だったら泣くよねって言うんだけど、でもとどめなきゃいけないから、こんな恋愛は私別に本気じゃないしって思いながら<もっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの>って言って、泣くのを我慢してるってことになるんですよ!」  久保やヒャダインから「名推理!」「漫画で読みたい!」と絶賛される切ない妄想を能町は即興で繰り広げるのだ。  このコーナーでは過去にも、岡村孝子の「夢をあきらめないで」を「女性が過去の恋愛を上書き保存していく様を克明にあらわした曲」と分析したり、「ゲレンデがとけるほどに恋したい」の歌詞を読んで「広瀬香美はスキー場に行ったことがない」と看破し、狩人の「あずさ2号」を「山岳部の先輩とのBLソング」と大胆に推論、ドリカムの「大阪LOVER」は「愛されていな女の子が主人公」であるとし、ドラマ化するなら「ヒロインはIMALUで、若手芸人と付き合っている」と盛り上がり、その続編「大阪LOVER、ほんで」まで勝手に作ってしまう。  その妄想が妄想を呼ぶ、論理の飛躍と説得力のバランスが絶妙だ。  中でも、YUKIのことを久保が評した「『YUKIは素晴らしい、でも私は醜い』という往復運動こそYUKIの本質」という慧眼は、それに対して「『亜美が好きか、由美が好きか』の往復運動が本質」というPUFFY評と併せて、それだけで新書1冊分になるのではないかという「こじらせ」だ。  さらに、ヒットソングの“隙間”を狙った恵方巻きソング「SETSUBU・ん…鬼っぽい」や、「大型連休に働きたくない君も好きだよ」を即興で作り上げるのも、気鋭のクリエーター集団ならではだ。  自分の価値観を世間が許してくれない時、人はこじらせる。そして、考えすぎて、「どうせ私は」と開き直り、自虐や自嘲に向かってしまう。それもいいだろう。しかし、もう一歩進んで、“ヤンチャ”な妄想を武器に、それに向かい合って乗り越えようともがく術を、この番組は教えてくれる。自分の思うまま、世間との違和感を楽しめばいいのだ。  3人が『こじらせナイト』でしているのは、いわば「テレビ番組ごっこ」あるいは「芸能人ごっこ」だ。前出の文に当てはめれば「自意識にとらわれ、世間でいう“テレビ番組(芸能人)らしさ”に抵抗を感じ、生きづらさを感じているテレビ番組(芸能人)」と言える。彼女たちはそんな違和感や抵抗感を抱えたまま、それ自体を“遊び道具”として楽しんでいる。  今、テレビに出ているのは、「空気を読む」プロフェッショナルたちばかりだ。番組を成立させるために秒単位の技術で収めていく。しかし、そればかりでは窮屈だ。だから、彼女たちのような“異端”で、アマチュアリズムを保った人たちが支持されるのではないか。思えば、タモリだってそうだ。番組の成立よりも、自分の興味のあるものや目の前のゲームに熱中したりしている姿がしばしば見られるように、いまだに彼はプロになりきるのを拒否してアマチュアリズムに徹している。  「『笑っていいとも!』が生んだ最後のスター(笑)」である久保も、タモリフリークである能町やヒャダインも、そんなタモリイズムを継承している。妄想とこじらせの往復運動と即興性が、今のテレビに薄れた“いい違和感”を生みだしているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「やってみよう」内村光良が『LIFE!人生に捧げるコント』に捧げた芸人の矜持

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NHK『LIFE!~人生に捧げるコント~』- NHKオンライン
「どうしてその道に足を踏み入れたんだ? お前それで良かったのか? もっと違う選択肢があったんじゃないのか?」  ガウン姿の内村光良が、楽屋でテレビを見ながらセリフの練習をしている。  これは『LIFE!人生に捧げるコント』(NHK総合)で、3月18日に放送されたコント「やってみよう」の一幕だ。  『LIFE!』は、2012年9月にNHK BSプレミアムで放送が開始され、翌年6月から不定期レギュラー化。今年4月からは、毎週のレギュラー化が決まったコント番組である。  出演は、座長のウッチャンナンチャン・内村光良のほか、ココリコ・田中直樹、ドランクドラゴン・塚地武雅、我が家・坪倉由幸、しずる・池田一真の中堅から若手のお笑い芸人勢に加え、西田尚美、塚本高史、星野源、ムロツヨシ、石橋杏奈といった俳優勢が名を連ねている。  作家陣も、内村の盟友である内村宏幸や平松政俊、劇団「ペンギンプルペイルパイルズ」の倉持裕、そして今年に入ってからは「シベリア少女鉄道」の土屋亮一も加わった。出演者も作家陣も、実にバランスのとれた布陣はNHKらしい。  NHKのお笑い番組といえば、数年前までは『爆笑オンエアバトル』を除けば、いわゆる“演芸”番組以外は見当たらなかった。  そんな中で誕生したのが、『LIFE!』の内村宏幸や平松も参加した『サラリーマンNEO』だった。『サラリーマンNEO』は、後に『あまちゃん』でも演出した吉田照幸が監督を務め、生瀬勝久、沢村一樹、中越典子、入江雅人、平泉成、原史奈といった俳優陣が演じたコント番組。04年にスタートすると、現在までSeason 6を放送。11年には『サラリーマンNEO 劇場版(笑)』として、映画公開までされる人気番組となった。  当時、NHKにはコント番組のノウハウがまったくなく、コント番組を多く手がけた作家の内村宏幸らが“先生”のようになって、その方法論を一から学んでいった。それこそ、スタッフの笑い声を入れるのか入れないのかで、激論が交わされたほどだったという。当時を振り返って、内村宏幸は「未開の地に野球を教えに行くみたい」だったと語っている。  この番組を通じてコント番組のノウハウを学んだNHKは、ダウンタウンの松本人志を招いて『松本人志のコントMHK』を作ったり、BSプレミアムでは『七人のコント侍』を不定期で放送し、コント番組の血脈を継承している。『LIFE!』もそのひとつだ。  今、民放では、定期的に放送されるコント番組はほとんどなくなった。作るのに時間がかかり、セットにもお金がかかる上、視聴率も獲りにくい。コントをやる場がなくなるから、コントを作るスタッフも育たない。  しかし、NHKは違う。  民放のように、毎分の視聴率にとらわれる必要はない。また、ドラマの歴史が深く、それらのセットを保存しているので、あらゆるシチュエーションのセットがスタジオのどこかで眠っている。だから、セットにほとんどお金がかからないというわけだ。  逆に、民放のように多くの芸人がひな壇に座るバラエティ番組はやりにくい。同様に、多くのタレントを使ったゲームのような企画も、NHKの雰囲気には合わない。だが、お笑いを“作品”のように作るコントなら、NHK的な価値観を保持しつつ、思いっきりふざけられるのだ。実は、コントこそ、NHKらしいお笑いの形だったのだ。  冒頭のコントは、内村光良による書き下ろしだ。  セリフの練習をしている楽屋のテレビには、次々と刑事ドラマの予告が流れていく。塚本高史の熱血刑事もの、星野源の鑑識もの、西田尚美のインターポールの女刑事もの……。  さらに「50歳と45歳がタッグを組んで難事件に挑む」という塚地と田中の『独身刑事』。予告には「独身(ひとりみ)しか裁けない悪がある―」というコピーが躍っている。そして、ムロツヨシによる『ニューハーフ刑事』。そんな数々の刑事ドラマの予告を見ながら、もう一度男は台本を見つめる。そのタイトルは『全裸刑事』。内村は一瞬迷いの表情を浮かべながら、「やってみよう」と全裸になるのだった。  実はこのコント、もともとは『全裸刑事』ではなく、『大家族刑事』だったという。  撮影時は、まだテレビで流れてくる刑事ドラマの予告はできていなかったので、内村はそれを見ている体(てい)で『大家族刑事』を演じた。ところが、いざ予告ができ上がり、内村のパートとつなげて見ると、『大家族刑事』が『独身刑事』や『ニューハーフ刑事』に「負けている」と感じたのだ。 「仕上がったのを見たら、あまりにも(他が)強烈すぎてこれは『大家族刑事』が霞んじゃう、と。そこで俺が忙しいさなかに考えついたのが『全裸刑事』(笑)。ニューハーフまで行った時に、これを超えるのはなんだろうって考えたのよ。『侍刑事』とか……。でも『全裸』にかなうやつがない(笑)」(内村/スタジオトークより)  そうして、最初からすべて撮り直したのだ。  デビュー当時からずっとスタジオコントにこだわり続けた、内村光良のコント職人としての矜持を感じさせる“全裸”だった。 「どうしてその道に足を踏み入れたんだ? お前それで良かったのか? もっと違う選択肢があったんじゃないのか?」  今、テレビを主戦場にする芸人にとって、コント番組は茨の道だ。もっと楽な選択肢はあるかもしれない。それでも内村は「やってみよう」と、スタジオコントをやり続けた。コントができない時期は、挑戦ものの企画などでキャラクターになりきったりして、擬似コントを演じ続けた。自身にとって『笑う犬』(フジテレビ系)シリーズ以来約9年ぶりとなるコント番組『LIFE!人生に捧げるコント』では、いつしか内村の醸し出す“哀愁”が武器になった。 「今、この年になったからこそ、その味わいが表現できるようになったと思うんです。そういう意味では、これから50代、60代と年齢を重ねていくと新たなキャラクターが生まれるんじゃないかと思っていて。この先、それがすごく楽しみですね」(『NHKウィークリースコラ(2013年8/16・23号)』)  内村光良は、コントに芸人人生を捧げている。そして、その人生は続いていくのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから