「何度口説かれても、嫌な気分にはならなかった」筋金入りのナンパ師・安岡力也の“武勇伝”

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『豪快さん~嵐のカツ丼』
 歌手で俳優の安岡力也(65)が8日、心不全のため東京都内の病院で死去した。  グループサウンズ出身のオールドファッションなシンガーで、また仁侠映画でのヤクザ役で貫禄の演技を見せた一方、バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)での「ホタテマン」などでは、イジられると温和な笑顔を見せるなど、お茶の間人気は高かった。  私生活では空手3段、柔道2段、プロキックボクサーの経験から武勇伝は数知れず、一時は芸能界最強タレントともいわれた。当然、そこに酒と女は付き物で、ビールなら1日20本以上。愛人の数を聞かれ3本の指を出すと、それは3人ではなく30人という意味だったという話もある。  ただ、1984年に結婚した明子夫人とは、その女性問題が原因で2001年に離婚。引き取った長男のことを考え、その後も再婚しなかったが、安岡の“女癖”はノンストップだった。  テレビで活躍する有名モデルが多数所属する人気女性ファッション誌の専属モデルAさん(20代)も、安岡に一目惚れされたひとり。しかし、そのときすでに安岡は闘病の真っ只中だった。 「イベントの席で初めて会ったのが09年、安岡さんは松葉杖をついていました。『どこ出身?』と聞かれて私が答えると、“かわいいね”とニッコリ笑って。しばらく話をしたら、“一緒に海に行こうよ”って」(Aさん)  当時、安岡は手足が不自由になるギラン・バレー症候群で休業中。山梨県の病院でのリハビリを終えたばかりで、やっと公の場に出てきたところだった。Aさんが「お体の具合が……」と心配すると、安岡は「俺は勢い良すぎるから、これぐらいハンデがあったほうがいいんだよ」と豪快に笑ったという。 「その後、電話で誘われて食事をしたときに、詳しくは言えませんが、かっこよく口説かれました。でも、そのとき私には片想い中の男性がいて、安岡さんとお付き合いする気はなかったんです」(Aさん)  その後も安岡のアタックは続いたというが、Aさんは「不思議と嫌な気分にはならなかった」という。  その後、安岡は歩行も難しいほどの状況に陥ったが、Aさんには「俺はいつでもおまえのところに行けるぜ」と強気にラブコールを送り、それが最後の会話になったのだという。  安岡の訃報はニュースを見て知ったというAさんだが、「とても素敵な人、もっと元気なときにお付き合いしたかった。いつか天国で再会したら海の見えるところでキスしてあげたい」と涙をこぼした。  ほかにも安岡に口説かれたという女性の話は珍しくはないが、死の直前までライフスタイルを変えなかった点は、そこらの“チャラ男”タレントとは格が違うといった感がある。愛された豪傑の「じゃ、先に行って待ってるぜ」という声が聞こえてきそうだ。 (文=鈴木雅久)

「何度口説かれても、嫌な気分にはならなかった」筋金入りのナンパ師・安岡力也の“武勇伝”

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『豪快さん~嵐のカツ丼』
 歌手で俳優の安岡力也(65)が8日、心不全のため東京都内の病院で死去した。  グループサウンズ出身のオールドファッションなシンガーで、また仁侠映画でのヤクザ役で貫禄の演技を見せた一方、バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)での「ホタテマン」などでは、イジられると温和な笑顔を見せるなど、お茶の間人気は高かった。  私生活では空手3段、柔道2段、プロキックボクサーの経験から武勇伝は数知れず、一時は芸能界最強タレントともいわれた。当然、そこに酒と女は付き物で、ビールなら1日20本以上。愛人の数を聞かれ3本の指を出すと、それは3人ではなく30人という意味だったという話もある。  ただ、1984年に結婚した明子夫人とは、その女性問題が原因で2001年に離婚。引き取った長男のことを考え、その後も再婚しなかったが、安岡の“女癖”はノンストップだった。  テレビで活躍する有名モデルが多数所属する人気女性ファッション誌の専属モデルAさん(20代)も、安岡に一目惚れされたひとり。しかし、そのときすでに安岡は闘病の真っ只中だった。 「イベントの席で初めて会ったのが09年、安岡さんは松葉杖をついていました。『どこ出身?』と聞かれて私が答えると、“かわいいね”とニッコリ笑って。しばらく話をしたら、“一緒に海に行こうよ”って」(Aさん)  当時、安岡は手足が不自由になるギラン・バレー症候群で休業中。山梨県の病院でのリハビリを終えたばかりで、やっと公の場に出てきたところだった。Aさんが「お体の具合が……」と心配すると、安岡は「俺は勢い良すぎるから、これぐらいハンデがあったほうがいいんだよ」と豪快に笑ったという。 「その後、電話で誘われて食事をしたときに、詳しくは言えませんが、かっこよく口説かれました。でも、そのとき私には片想い中の男性がいて、安岡さんとお付き合いする気はなかったんです」(Aさん)  その後も安岡のアタックは続いたというが、Aさんは「不思議と嫌な気分にはならなかった」という。  その後、安岡は歩行も難しいほどの状況に陥ったが、Aさんには「俺はいつでもおまえのところに行けるぜ」と強気にラブコールを送り、それが最後の会話になったのだという。  安岡の訃報はニュースを見て知ったというAさんだが、「とても素敵な人、もっと元気なときにお付き合いしたかった。いつか天国で再会したら海の見えるところでキスしてあげたい」と涙をこぼした。  ほかにも安岡に口説かれたという女性の話は珍しくはないが、死の直前までライフスタイルを変えなかった点は、そこらの“チャラ男”タレントとは格が違うといった感がある。愛された豪傑の「じゃ、先に行って待ってるぜ」という声が聞こえてきそうだ。 (文=鈴木雅久)

“ホタテマン”逝く 安岡力也の男気あふれる一生

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『豪快さん~嵐のカツ丼』
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  俳優の安岡力也さんが4月8日、病魔との闘いに力尽きて心不全のために死去。享年65歳の若さだった。  力也さんとはよく遊んだ。彼と知り合ったのは25年ほど前。筆者が応援している札幌在住の演歌歌手で、道内の刑務所で受刑者にカラオケ指導を続けている篤志面接員(刑務所内で受刑者をサポートするボランティア)の二美仁に会ってもらうためだった。当初は、力也さんが所属していた芸能事務所のオーナーが筆者と同行する予定だったが、急用ができたために代理として来たのが力也さんだった。  羽田空港に現れた力也さんは、急に同行することになったために着の身着のまま。2月だというのにコートすら着ていなかった。その格好で極寒の札幌で耐えられるかと心配だった。だが、そんな小さなことなどまったく気にしない性格の力也さんとは、会ってすぐに意気投合し、札幌の夜を満喫した。この時、酔った勢いで筆者が「本当にケンカ強いの?」と力也さんを挑発。すると彼は、筆者をひょいと持ち上げ、雪の中に思いきり放り投げた。ウワサ通り、強かった。  用事が済んだ次の日、2人で登別温泉へ遊びに行った。深夜、露天風呂に入ったはいいが、あまりの寒さに、出るに出られない。頭に雪が降り積もる。翌日、2人とも風邪を引いて、辛い思いで東京に戻ったことをいまだに忘れない。力也さんとは別れ際に「今度、銀座で飲もう」と約束。しばらくたってから、銀座のクラブで飲んだ。そこで、力也さんの意外な一面を見せられた。  付いたホステスに一目惚れした力也さんは、執拗に口説いたのだ。ホステスは「今日は生理だからダメ」とやんわり断った。後日、力也さんから、同じクラブに誘われた。「あのホステスの生理が終わった頃だろうから、再チャレンジしに行く」と言うのだ。力也さんは、「お前のマンションに行きたい」とホステスを口説いたが、今度は「田舎から母親が来てる」と断られた。  「生理」と言われた時点で、残念ながらフラれたことに気がつくと思ったが、純粋な力也さんはマジに惚れたのかもしれない。案の定、3度目のアタックを試みた。すると、ホステスは生半可な言い訳では通じないと思ったのか、「実は私、格闘家のMさんと付き合っているの」と言ったのだ。Mとは、有名なプロレスラー兼格闘家だった。ホステスの話がウソか真かわからないが、力也さんはその言葉を鵜呑みにして、「Mとは親友。親友の女を口説くわけにはいかない」と引き下がった。力也さんの優しく、男気ある一面を見た思いがした。  力也さんと最後に会ったのは、7~8年前。月刊誌「サイゾー」のインタビューをコーディネイトした時だった。その直後から、病魔との闘いは始まったようだが、豪放磊落な力也さんらしく、最後まで弱音を吐くことはなかったという。酒と食と女をこよなく愛した力也さんに合掌! (文=本多圭)