『山田孝之のカンヌ映画祭』第6話 “カンヌの申し子”河瀬直美監督が山田孝之をフルボッコに……

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テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 俳優・山田孝之がプロデューサーとなり、突如「カンヌ映画祭」でパルムドール賞を獲りたいと言い出した。監督に山下敦弘、主演の猟奇殺人鬼役にまさかの芦田愛菜を配置した映画のタイトルは『穢の森』。その制作の裏側を追うドキュメンタリーのようなドキュメンタリーじゃないような番組としてこの企画は始まった。  映画の製作資金を調達するための「パイロットフィルム」と呼ばれる、ごく短めな映像を撮ったものの、映画会社や企業には出資を断られ、結局、山田の大ファンだという社長(ガールズバーなど経営)に山田自らTwitterで接触、山田の「サインと写真」で、まんまと予算(1億円/とりあえず2,000万円)調達に成功。その金でカンヌに出かけ、エビを食ったり記念写真を撮ったり「カンヌTシャツ」買ったりと浮かれつつも、映画祭事務局の関係者にパイロットフィルムを渡すことに成功した。  今回はそのフランスでいろいろな映画人たちに話を聞くところから始まるが、最後に強敵が立ちはだかる。「第6話 山田孝之 フランスの映画人と会う」を振り返る。  山田らがフランスの映画関係者にカンヌや映画について聞く前半は、もはやフェイクでもなんでもない、本物のドキュメンタリー。なんたって、ほぼフランス語に日本語字幕で、山田らの発言はかなり抑えられ、もはや、いることすら忘れてしまうほど。日本語がほぼ聞こえない状態は、単館でフランス映画を観ている気持ちにさせられる。  この番組の自体の監督である松江哲明(もう一人の監督は山下)は自身のTwitterで、普段の何倍もの素材を詰め込んだことに触れ、今回の編集の苦労をにじませている。 ■ギョーム・ブラック(フランスで最も期待される若手映画監督) ・カンヌを獲れる偉大な映画を撮らないとダメだと話すが、今まで一本も映画を撮れていない友人の話。(今の山田を示唆?) ・自分ならカンヌを下見したりパイロットフィルム(以下PF)を作ったりせず脚本を書き、早く俳優に会うと、もっともな意見。 ・カンヌで選ばれたいならフィルムで撮った方が有利。 ・撮りたい場所と俳優が見つかれば映画はできたも同然。 ■オレリー・ゴデ(ロカルノ国際映画祭プログラマー) ・山田らのパイロットフィルムを観て、「カンヌ」には向かないと、「ロカルノ」に向いていると。「ロカルノ」は変わった作品が好きらしい。 ・カンヌでは「お祭り騒ぎ」で良作が埋もれる危険性もあると指摘。 ■ディミトリ・イアンニ(フランスで日本のインディーズ作品やマニアックなジャンル作品を紹介する日本映画研究家) ・『劇場版テレクラキャノンボール』のTシャツを着て登場。 ・撮影カメラマンの、是枝作品でおなじみ山崎裕の名前に即座に反応。有能なスタッフが参加していることはプラス。 ・山田の出演作(何かは不明)を観ているので、家に来てくれたことを驚く。 ・彼の本棚には山下の『くりいむレモン』もあるが、そこには触れず。 ・ロマンポルノと実録ヤクザものについて熱く語る。特に日本の撮影所システムがなくなり徒弟制度が崩壊、若い監督が学ぶ場が亡くなったと嘆く。 ■ヨヴ・ムーア(映画の色彩を整えるカラリスト) ・(PFを観て)芦田の持つ包丁の切れ味をもっと強調した方がいいと提案。 ・フィルムに似せるのではなくデジタルの個性を出すべき。(ギョーム・ブラックと逆) ■ヴァンサン・ワン(プロデューサー・映画館経営) ・いい監督というのは自身の企画を信じ続けられる監督。 ・映画祭で賞をもらってもその作品の価値が決まるわけではない。 ・監督の仕事は出演者やスタッフのエネルギーを作品の中に昇華させること。 「カンヌに来ないで脚本作るべき」や、「賞でその作品の価値が決まるわけではない」等、耳の痛い正論に混じって、日本映画における「撮影所」の意味に触れたディミトリ・イアンニの考察などは興味深く、この番組の振り幅を改めて再確認することになった前半。  この後、日本に帰るまでに番組始まって以来の真剣さで、プロットを完成させる2人。途中で見えた山下のメモには「邦彦」とか「来世」という人物名が見られる。「来世」は芦田の役名だと思われるが……。このプロットは番組のHPですでに全て公開されており、芦田が親を殺すまでの描写も見られるようになっている。  ここで舞台は突然、奈良へ飛ぶ。尋ねた事務所に現れたのは、映画監督の河瀬直美。 『萌の朱雀』(1997)でカメラドール(新人監督賞)を受賞して以来、7度もカンヌに招かれ、『穢の森』となぜか(?)似ているタイトル『殯の森』ではグランプリを受賞、自身も「カンヌに育ててもらっている」と公言している“カンヌの申し子”で、近頃発表された次回作『光』も、カンヌに行く可能性は非常に高い。とにかく今の日本映画界でもっともカンヌで活躍している、いや、失礼な言い方をしたら、カンヌ(などの)映画祭でしか活躍していないと思ってしまうほど、カンヌ純度の高い監督だ。  この番組での山田のような理解しがたい人間に制作現場やスタッフが振り回される『道/子宮で映画を撮る女』という短編を、かつて山下は撮っているが、それのモデルはかつての河瀬ではないかと言われているし、今回の企画自体、その延長線上にあるのではないかと思われる。  そんな裏ドラのような人物を、3人は訪ねたのだ。しかも3人が着ているTシャツの胸には「I▽(ハートマーク)CANNES」の文字が躍っている。何も言われなければいいのだが……と思う間もなく、対面と同時に「このTシャツどうしたの?(笑)」と河瀬に気付かれる。そりゃそうだ。気付かないわけがない。  しかしながら驚いたのは、山下が口ごもりながら「僕と山田君でカンヌに行って来まして……」と言葉を選びながら説明しかけるや否や、「これ今年(2016)のやつ!」と、カンヌ映画祭シネフォンダシオン部門で審査員長を務めた時のポスターを見せてくれる。  シネフォンダシオン部門とは学生の作品に対する賞。  つまり、山田一行が目指すカンヌ映画祭で、もはや河瀬はすでに学生相手とはいえ、審査員長を務めるほどの、いわば「カンヌ先生」、もはやカンヌ側の人なのだ。  相手が悪すぎる。かつてスピルバーグから送られた「To Naomi, you inspire me!」というサインを見せてくださる河瀬先生。つまり「あんたに刺激を受けた」と、あの巨匠が褒めている言葉を、ご丁寧に自ら朗読してくださる。  ほかにもニコール・キッドマンの「Lovely,Naomi lovely」とか、自身のカンヌっぷりを惜しげもなく紹介してくださるという、ある種、地獄のような状況。 「カンヌ暑くなかった?」「カラッとしてるのね、夏は」と、とにかく端々にカンヌ先生の「カンヌ有段者」としての言動がちらつく。「カンヌ」というダンジョンに現れた強力なボスキャラだ。  まだ、訪問の趣旨は伝えていない。  ここで手土産を差し出す山下。  時間を割いてくれた先輩への配慮として当然の気配りかと思いきや、紙袋から出てきたのは例の「アイラブカンヌ」Tシャツ。「一緒に着た方がいいの?(笑)」と一応冗談めかしてはいるものの、冗談を言える河瀬の動じなさが逆に恐ろしい。  さらに、同じデザインのマグカップと熊のぬいぐるみまで渡すも、値札を剥がし忘れており、「人にあげるときは値段を外すように」と、河瀬に言われる始末。火に油、河瀬にカンヌグッズ。この時点で早くも完全に河瀬がペースを掌握する。  ここで初めて、河瀬にパルムドールを狙って作品を作ろうとしてるのでアドバイスをいただきたいという訪問の趣旨が、山下の口から伝えられる。  山田がプロデューサーを務めることへの思いや、出資先が飲食業の個人(ガールズバー経営)であること、に対し、 「その人(社長)が『カンヌ』狙いたいって言ってるってこと?」 「そもそもなんで俳優やのに、映画のプロデュースしようと思ってんの?」 「それやったらカンヌとか目指さなくても、どうでもいいんじゃない?」  逐一、見事に核心を突いてくる。  初回から見ている我々ですら、わかったようでわかっていない、思わず「その通り!」と叫んでしまいそうになる置き去りにしてきた疑問を、的確にぶつけてくる河瀬。  さらに、河瀬は攻撃の手を緩めない。  自身がでデビュー作『萌の朱雀』でカンヌで新人賞をとった際には「カンヌ」なぞ知らなかったと言い、 「自分が作りたいものを作った先に、それが付いてきた」 「どうやったら賞獲れるかなんかは、正直何にも言われへん」  しかし狂ってるこの3人、いや主に大人2人はさらに、あのパイロットフィルムをボスキャラに見せようとする。  ちょっと似ちゃったんですけど……と『穢の森』というタイトルを伝える山田に、半笑いながらも、「『森』とか付ければ賞獲れると思ってるんちゃうよな?」と問う河瀬。目は笑っていない。当たり前だが、やはり気付かれた。 「いやいや、そんな……ことではないです……」と目を合わせずに答える山田。言い返せないとは、まさにこのこと。ここまでキレが悪い山田を見るのは、シリーズ初だ。「確信犯」でないフリで逃げられる相手ではないと感じているのだろう。  河瀬がパソコンでパイロットフィルムを観ている最中に、顔の角度を変えず、視線のみで、こっそり河瀬の顔色を伺う芦田の表情は「怯え」そのもの。見られているPFには、ほぼ自分のみが映っているのだ。断頭台に登った心境だろう。  つい先日、名門有名中学に合格したとの報道のあった芦田は、報道の通りなら「昨年の夏以降、仕事をセーブして1日12時間勉強をしていた」らしい。まさにこの番組は夏に撮られたのだから、実を言えば一刻も早く帰って勉強したかったことだろう。合格したからよかったようなものの、この時期(昨年の夏)の日々を、どんな気持ちでこいつら(失礼)に同行していたのか。  観終わってすぐ感想なりを言わず、「山崎(裕)さん、撮ってもらったの?」とか、芦田に「お母さん殺すとか言うてるけど大丈夫?」等、「泳がす」ように質問をしてくる河瀬の威圧感。 「一生の作品に携わることができてうれしく思ってますし」「私のことを必要としてくださってて、山田さんについて行きたいと思ったので」と、芦田が言葉を選びつつ慎重に答える様は、まるで、おそらくこの後に経験したであろう名門中学での面接試験のようだ。しかし、この「予行練習」よりも恐ろしい本番はなかっただろう。  なぜなら、実際の学校の面接官は「一つの道具として使われたりしない? 大丈夫?」などと、芦田に切り込んできたりはしないからだ。  すかさず山田が、役者はやったことがない役だと燃えるからと援護するも「12歳だよ?」と、もはや我々が忘れていた正論を綺麗に内角に放り込んでくる。  やはり今までの「敵」とは違う。芦田と同じ年の子どもがいるという河瀬に対し、明らかに今までの大人のように、自身が「子ども」ということだけではやり過ごすことができないと感じているかのように見える。  それでも、この役に挑戦してみたいとの意思を芦田が伝えると、「『ぎゃーっ』て叫んだら表現できるってものでもないやん?」と、もう芦田を辞めさせたいがごとく詰め寄る河瀬。  叫びの演技は撮影時(第3話)、芦田自ら提案したものだったはずだ。今まで、「聖域」として誰もが踏み込まなかった芦田の内側にまで踏み込む河瀬。カンヌ受賞監督であるとともに、母親だからできる対峙の仕方に見える。  つくづく芦田には、改めて本当に合格おめでとうと言いたい。  この後もずっと、主に山田に対する「河瀬のターン」は続く。 「魂の込め方が、『何かのために』というのがすごく見える」 「魂のために、ということとかはないの?」 「大事なものがぶれちゃう」 「道が違う」  もはや無言で、汗を拭うしかできない勇者タカユキ。  さらにすごかったのはここからだ。  河瀬は、山田には俳優として、とても才能があると熱を込めて語り、「もっと真摯に俳優としてやったら、カンヌの俳優賞を獲れる、あなたなら」と詰め寄り、そして最後に「私とやれば!」と付け加えたのだ。  思わず「ん?」と珍しく戸惑う山田に対し、さらに「やる?」と、セックスを誘うがごとく決断を迫るモンスター河瀬。山田は見たこともない表情で固まっている。  敵対する「勇者」を自分の内に取り込もうと駆け引きに持ち込むのは、まさに『ドラクエ1』の決戦直前の竜王のやり口。  ゲームではここで竜王の誘いに乗ってしまうと、最終対決目前にして突然ゲームオーバーになってしまうという罠なのだが、「カンヌの勇者」はどうするのか?  次週予告「第7話 山田孝之 覚醒する」  なんと、河瀬の撮影現場で役者として待機している山田の姿と、その肩を叩く河瀬監督。山下や松江のつぶやきによると、ここまでが「A面」で、次週からが「B面」となるらしい。どうやら急展開しそうな次週。しかも前々から、続く第8話は神回だと言及していて、いよいよ目が離せない。 (文=柿田太郎)

『山田孝之のカンヌ映画祭』第6話 “カンヌの申し子”河瀬直美監督が山田孝之をフルボッコに……

『山田孝之のカンヌ映画祭』第6話 カンヌの申し子河瀬直美監督が山田孝之をフルボッコに……の画像1
テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 俳優・山田孝之がプロデューサーとなり、突如「カンヌ映画祭」でパルムドール賞を獲りたいと言い出した。監督に山下敦弘、主演の猟奇殺人鬼役にまさかの芦田愛菜を配置した映画のタイトルは『穢の森』。その制作の裏側を追うドキュメンタリーのようなドキュメンタリーじゃないような番組としてこの企画は始まった。  映画の製作資金を調達するための「パイロットフィルム」と呼ばれる、ごく短めな映像を撮ったものの、映画会社や企業には出資を断られ、結局、山田の大ファンだという社長(ガールズバーなど経営)に山田自らTwitterで接触、山田の「サインと写真」で、まんまと予算(1億円/とりあえず2,000万円)調達に成功。その金でカンヌに出かけ、エビを食ったり記念写真を撮ったり「カンヌTシャツ」買ったりと浮かれつつも、映画祭事務局の関係者にパイロットフィルムを渡すことに成功した。  今回はそのフランスでいろいろな映画人たちに話を聞くところから始まるが、最後に強敵が立ちはだかる。「第6話 山田孝之 フランスの映画人と会う」を振り返る。  山田らがフランスの映画関係者にカンヌや映画について聞く前半は、もはやフェイクでもなんでもない、本物のドキュメンタリー。なんたって、ほぼフランス語に日本語字幕で、山田らの発言はかなり抑えられ、もはや、いることすら忘れてしまうほど。日本語がほぼ聞こえない状態は、単館でフランス映画を観ている気持ちにさせられる。  この番組の自体の監督である松江哲明(もう一人の監督は山下)は自身のTwitterで、普段の何倍もの素材を詰め込んだことに触れ、今回の編集の苦労をにじませている。 ■ギョーム・ブラック(フランスで最も期待される若手映画監督) ・カンヌを獲れる偉大な映画を撮らないとダメだと話すが、今まで一本も映画を撮れていない友人の話。(今の山田を示唆?) ・自分ならカンヌを下見したりパイロットフィルム(以下PF)を作ったりせず脚本を書き、早く俳優に会うと、もっともな意見。 ・カンヌで選ばれたいならフィルムで撮った方が有利。 ・撮りたい場所と俳優が見つかれば映画はできたも同然。 ■オレリー・ゴデ(ロカルノ国際映画祭プログラマー) ・山田らのパイロットフィルムを観て、「カンヌ」には向かないと、「ロカルノ」に向いていると。「ロカルノ」は変わった作品が好きらしい。 ・カンヌでは「お祭り騒ぎ」で良作が埋もれる危険性もあると指摘。 ■ディミトリ・イアンニ(フランスで日本のインディーズ作品やマニアックなジャンル作品を紹介する日本映画研究家) ・『劇場版テレクラキャノンボール』のTシャツを着て登場。 ・撮影カメラマンの、是枝作品でおなじみ山崎裕の名前に即座に反応。有能なスタッフが参加していることはプラス。 ・山田の出演作(何かは不明)を観ているので、家に来てくれたことを驚く。 ・彼の本棚には山下の『くりいむレモン』もあるが、そこには触れず。 ・ロマンポルノと実録ヤクザものについて熱く語る。特に日本の撮影所システムがなくなり徒弟制度が崩壊、若い監督が学ぶ場が亡くなったと嘆く。 ■ヨヴ・ムーア(映画の色彩を整えるカラリスト) ・(PFを観て)芦田の持つ包丁の切れ味をもっと強調した方がいいと提案。 ・フィルムに似せるのではなくデジタルの個性を出すべき。(ギョーム・ブラックと逆) ■ヴァンサン・ワン(プロデューサー・映画館経営) ・いい監督というのは自身の企画を信じ続けられる監督。 ・映画祭で賞をもらってもその作品の価値が決まるわけではない。 ・監督の仕事は出演者やスタッフのエネルギーを作品の中に昇華させること。 「カンヌに来ないで脚本作るべき」や、「賞でその作品の価値が決まるわけではない」等、耳の痛い正論に混じって、日本映画における「撮影所」の意味に触れたディミトリ・イアンニの考察などは興味深く、この番組の振り幅を改めて再確認することになった前半。  この後、日本に帰るまでに番組始まって以来の真剣さで、プロットを完成させる2人。途中で見えた山下のメモには「邦彦」とか「来世」という人物名が見られる。「来世」は芦田の役名だと思われるが……。このプロットは番組のHPですでに全て公開されており、芦田が親を殺すまでの描写も見られるようになっている。  ここで舞台は突然、奈良へ飛ぶ。尋ねた事務所に現れたのは、映画監督の河瀬直美。 『萌の朱雀』(1997)でカメラドール(新人監督賞)を受賞して以来、7度もカンヌに招かれ、『穢の森』となぜか(?)似ているタイトル『殯の森』ではグランプリを受賞、自身も「カンヌに育ててもらっている」と公言している“カンヌの申し子”で、近頃発表された次回作『光』も、カンヌに行く可能性は非常に高い。とにかく今の日本映画界でもっともカンヌで活躍している、いや、失礼な言い方をしたら、カンヌ(などの)映画祭でしか活躍していないと思ってしまうほど、カンヌ純度の高い監督だ。  この番組での山田のような理解しがたい人間に制作現場やスタッフが振り回される『道/子宮で映画を撮る女』という短編を、かつて山下は撮っているが、それのモデルはかつての河瀬ではないかと言われているし、今回の企画自体、その延長線上にあるのではないかと思われる。  そんな裏ドラのような人物を、3人は訪ねたのだ。しかも3人が着ているTシャツの胸には「I▽(ハートマーク)CANNES」の文字が躍っている。何も言われなければいいのだが……と思う間もなく、対面と同時に「このTシャツどうしたの?(笑)」と河瀬に気付かれる。そりゃそうだ。気付かないわけがない。  しかしながら驚いたのは、山下が口ごもりながら「僕と山田君でカンヌに行って来まして……」と言葉を選びながら説明しかけるや否や、「これ今年(2016)のやつ!」と、カンヌ映画祭シネフォンダシオン部門で審査員長を務めた時のポスターを見せてくれる。  シネフォンダシオン部門とは学生の作品に対する賞。  つまり、山田一行が目指すカンヌ映画祭で、もはや河瀬はすでに学生相手とはいえ、審査員長を務めるほどの、いわば「カンヌ先生」、もはやカンヌ側の人なのだ。  相手が悪すぎる。かつてスピルバーグから送られた「To Naomi, you inspire me!」というサインを見せてくださる河瀬先生。つまり「あんたに刺激を受けた」と、あの巨匠が褒めている言葉を、ご丁寧に自ら朗読してくださる。  ほかにもニコール・キッドマンの「Lovely,Naomi lovely」とか、自身のカンヌっぷりを惜しげもなく紹介してくださるという、ある種、地獄のような状況。 「カンヌ暑くなかった?」「カラッとしてるのね、夏は」と、とにかく端々にカンヌ先生の「カンヌ有段者」としての言動がちらつく。「カンヌ」というダンジョンに現れた強力なボスキャラだ。  まだ、訪問の趣旨は伝えていない。  ここで手土産を差し出す山下。  時間を割いてくれた先輩への配慮として当然の気配りかと思いきや、紙袋から出てきたのは例の「アイラブカンヌ」Tシャツ。「一緒に着た方がいいの?(笑)」と一応冗談めかしてはいるものの、冗談を言える河瀬の動じなさが逆に恐ろしい。  さらに、同じデザインのマグカップと熊のぬいぐるみまで渡すも、値札を剥がし忘れており、「人にあげるときは値段を外すように」と、河瀬に言われる始末。火に油、河瀬にカンヌグッズ。この時点で早くも完全に河瀬がペースを掌握する。  ここで初めて、河瀬にパルムドールを狙って作品を作ろうとしてるのでアドバイスをいただきたいという訪問の趣旨が、山下の口から伝えられる。  山田がプロデューサーを務めることへの思いや、出資先が飲食業の個人(ガールズバー経営)であること、に対し、 「その人(社長)が『カンヌ』狙いたいって言ってるってこと?」 「そもそもなんで俳優やのに、映画のプロデュースしようと思ってんの?」 「それやったらカンヌとか目指さなくても、どうでもいいんじゃない?」  逐一、見事に核心を突いてくる。  初回から見ている我々ですら、わかったようでわかっていない、思わず「その通り!」と叫んでしまいそうになる置き去りにしてきた疑問を、的確にぶつけてくる河瀬。  さらに、河瀬は攻撃の手を緩めない。  自身がでデビュー作『萌の朱雀』でカンヌで新人賞をとった際には「カンヌ」なぞ知らなかったと言い、 「自分が作りたいものを作った先に、それが付いてきた」 「どうやったら賞獲れるかなんかは、正直何にも言われへん」  しかし狂ってるこの3人、いや主に大人2人はさらに、あのパイロットフィルムをボスキャラに見せようとする。  ちょっと似ちゃったんですけど……と『穢の森』というタイトルを伝える山田に、半笑いながらも、「『森』とか付ければ賞獲れると思ってるんちゃうよな?」と問う河瀬。目は笑っていない。当たり前だが、やはり気付かれた。 「いやいや、そんな……ことではないです……」と目を合わせずに答える山田。言い返せないとは、まさにこのこと。ここまでキレが悪い山田を見るのは、シリーズ初だ。「確信犯」でないフリで逃げられる相手ではないと感じているのだろう。  河瀬がパソコンでパイロットフィルムを観ている最中に、顔の角度を変えず、視線のみで、こっそり河瀬の顔色を伺う芦田の表情は「怯え」そのもの。見られているPFには、ほぼ自分のみが映っているのだ。断頭台に登った心境だろう。  つい先日、名門有名中学に合格したとの報道のあった芦田は、報道の通りなら「昨年の夏以降、仕事をセーブして1日12時間勉強をしていた」らしい。まさにこの番組は夏に撮られたのだから、実を言えば一刻も早く帰って勉強したかったことだろう。合格したからよかったようなものの、この時期(昨年の夏)の日々を、どんな気持ちでこいつら(失礼)に同行していたのか。  観終わってすぐ感想なりを言わず、「山崎(裕)さん、撮ってもらったの?」とか、芦田に「お母さん殺すとか言うてるけど大丈夫?」等、「泳がす」ように質問をしてくる河瀬の威圧感。 「一生の作品に携わることができてうれしく思ってますし」「私のことを必要としてくださってて、山田さんについて行きたいと思ったので」と、芦田が言葉を選びつつ慎重に答える様は、まるで、おそらくこの後に経験したであろう名門中学での面接試験のようだ。しかし、この「予行練習」よりも恐ろしい本番はなかっただろう。  なぜなら、実際の学校の面接官は「一つの道具として使われたりしない? 大丈夫?」などと、芦田に切り込んできたりはしないからだ。  すかさず山田が、役者はやったことがない役だと燃えるからと援護するも「12歳だよ?」と、もはや我々が忘れていた正論を綺麗に内角に放り込んでくる。  やはり今までの「敵」とは違う。芦田と同じ年の子どもがいるという河瀬に対し、明らかに今までの大人のように、自身が「子ども」ということだけではやり過ごすことができないと感じているかのように見える。  それでも、この役に挑戦してみたいとの意思を芦田が伝えると、「『ぎゃーっ』て叫んだら表現できるってものでもないやん?」と、もう芦田を辞めさせたいがごとく詰め寄る河瀬。  叫びの演技は撮影時(第3話)、芦田自ら提案したものだったはずだ。今まで、「聖域」として誰もが踏み込まなかった芦田の内側にまで踏み込む河瀬。カンヌ受賞監督であるとともに、母親だからできる対峙の仕方に見える。  つくづく芦田には、改めて本当に合格おめでとうと言いたい。  この後もずっと、主に山田に対する「河瀬のターン」は続く。 「魂の込め方が、『何かのために』というのがすごく見える」 「魂のために、ということとかはないの?」 「大事なものがぶれちゃう」 「道が違う」  もはや無言で、汗を拭うしかできない勇者タカユキ。  さらにすごかったのはここからだ。  河瀬は、山田には俳優として、とても才能があると熱を込めて語り、「もっと真摯に俳優としてやったら、カンヌの俳優賞を獲れる、あなたなら」と詰め寄り、そして最後に「私とやれば!」と付け加えたのだ。  思わず「ん?」と珍しく戸惑う山田に対し、さらに「やる?」と、セックスを誘うがごとく決断を迫るモンスター河瀬。山田は見たこともない表情で固まっている。  敵対する「勇者」を自分の内に取り込もうと駆け引きに持ち込むのは、まさに『ドラクエ1』の決戦直前の竜王のやり口。  ゲームではここで竜王の誘いに乗ってしまうと、最終対決目前にして突然ゲームオーバーになってしまうという罠なのだが、「カンヌの勇者」はどうするのか?  次週予告「第7話 山田孝之 覚醒する」  なんと、河瀬の撮影現場で役者として待機している山田の姿と、その肩を叩く河瀬監督。山下や松江のつぶやきによると、ここまでが「A面」で、次週からが「B面」となるらしい。どうやら急展開しそうな次週。しかも前々から、続く第8話は神回だと言及していて、いよいよ目が離せない。 (文=柿田太郎)

『山田孝之のカンヌ映画祭』山下敦弘監督&松江哲明監督が激白!「冗談でやってるわけじゃない」

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 俳優の山田孝之がプロデューサーとなり、カンヌ国際映画祭で賞を獲りたいと奔走するテレビ東京のドキュメンタリードラマ『山田孝之のカンヌ映画祭』の山下敦弘監督と松江哲明監督が4日、都内で行われた映画『エリザのために』公開記念記念トークショーに出演した。 『エリザのために』は第69回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で監督賞を受賞した人間ドラマ。監督のクリスティアン・ムンジウはルーマニア人で、本作以外にも2007年に『4ヶ月、3週と2日』で同賞のパルム・ドールを、12年には『汚れなき祈り』で脚本賞を受賞するなど、カンヌで3度の受賞を果たした名監督。  松江監督は「去年の夏にカンヌについてリサーチをして『カンヌに好かれる映画』の法則が、だいたいわかってきたところなんですけど、この作品を観たときに、まさにこれだって」と本作についてコメント。 「フレームの外を常に意識させる作品です。日本映画をディスるみたいに思わないでほしいですけど、日本映画はフレームの中で全部説明しようとする。でもこの作品はフレームの外に何かがある。映っていないところから何か事件が起きる、不穏な緊張感がフレームの外から入ってくる。そこがすごくカンヌ好み」と本作を紹介。  山下監督も「演出が丁寧。ルーマニアの人たちの生活を描きながらも、実はそれが緻密に計算されている。キャスティングも素晴らしい」と絶賛。 『山田孝之のカンヌ映画祭』に話題が及ぶと、山下監督は山田について「僕よりも年下だけど、リーダーというか座長タイプ。普通は映画の現場では監督の名前をとって『山下組』とかやるんですけど、この番組では、まさに『山田組』という感じ」としみじみ。
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 松江監督も「あの番組では突飛なことをしているようですけど、山田くんがやっていることは、意外とカンヌの監督たちと大きくかけ離れていない。例えば脚本もないのに、なんでこんなことやっているんだって思われるかもしれないけど、実はウォン・カーウァイも、そういうスタイルでやっていたりする。嗅覚や勘がすごくいい」とコメント。  松江監督はまた、山田がいかに“もっている男”かも力説し、「たまたまカンヌの事務局に行ったらスタッフと会えるとか、そういういい偶然を呼ぶ人っているんです。カメラが回っているときに奇跡を起こせない人もいる中で、山田孝之は、まさにそれを起こせる人。プロデューサーとしてもすごい」と断言。
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 2人とも、番組の中だけでなく、実際に本気でカンヌを目指しているといい、山下監督が「自分もカンヌ映画祭を獲ることを目標に掲げて今やっている」と話せば、松江監督も「番組をネタだと思っている人がいるんですけど、僕ら冗談でやっているわけじゃないですよ」とニヤニヤ。  カンヌを獲る秘訣についても、山下監督は「魂を込めたもの、作り手の思いというか、これしかできないというか……。そんな、監督のある種の思いがないとまず響かないでしょう」と分析。 「あと、カンヌに実際に行って感じたのは、やっぱり何かしらのコネクションも必要だということ。それは別にいやらしいコネクションという意味ではなくて、外に対する開き方の問題。海外の人はそれが独特で素晴らしい。やっぱり自分から歩み寄っていかないと。日本人はそれが下手ですね」と笑顔で話していた。 (取材・文=名鹿祥史)

『山田孝之のカンヌ映画祭』第5話 「浮かれすぎ」山下敦弘と「斜め上すぎ」山田孝之が、そろそろ怒られそう!

『山田孝之のカンヌ映画祭』第5話 「浮かれすぎ」山下敦弘と「斜め上すぎ」山田孝之が、そろそろ怒られそう!の画像1
テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 ご存知山田孝之が、プロデューサーとなりカンヌ映画祭で賞を獲りたいと言い出した。言われるがままに、山下敦弘が監督として巻き込まれ、さらに猟奇殺人鬼役の主人公として、まさかの芦田愛菜が配役され、山下と視聴者をどよめかせた。 「カンヌ」を意識した雰囲気のパイロットフィルムを撮影し、それを携え東宝やソニー・インタラクティブエンタテイメントなど、山田が映画やCMなどで世話になっている会社に持ち込むものの、漠然としたプレゼンに、予算(1億円希望)を引き出すことはままならず。そんな中、山田がTwitterでみつけた(!)、ファン丸出しの……というか山田ファンそのものの社長(ガールズバー等を経営)から、2,000万円の「資金」確約をとりつける。その条件が山田の「サインと写真」ということに、我々は変にハラハラした。  そんな、おかしくなっちゃった山田とその仲間達がカンヌを目指すドキュメントっぽいけど一筋縄ではいかなそうな番組の最新回。「第5話 山田孝之、カンヌを下見する」を振り返りたい。  お互いの距離を縮めるため、山田は芦田と書店で買い物をしていた。  山田は、息子のために『たのしい のりもの えほん』を購入。「しょーなん しんじゅくらいん!」と、乗り物が好きな実子のまねを芦田にしてみせ、父親としての顔を垣間見せる。この番組で定番となっている「狂った山田」とは結び付かない一面だ。  芦田は読書家らしく、4冊をチョイス。 『また、同じ夢を見ていた』住野よる 『夢幻花』東野圭吾 『世界地図の下書き』朝井リョウ 『浜村渚の計算ノート』青柳碧人  優等生まるだしな選択が「従来の芦田」「大人の芦田」っぽい。  買い物後、公園にて談笑する2人。 「読んでいいですよ」 「読み始めると止まらなくなっちゃうんで」 「止められると不機嫌になりますか」 「いや不機嫌にはならないけど、返事が全部『うん』になっちゃいます」 「まあ、そうですよね」  2人は、第1回からずっと敬語だ。  芦田はわかる。山田は先輩だし、年上だし、一応プロデューサーだ。しかし山田は、こんなときでも敬語を崩さない。  自身も子どもがいるだけに、多少くだけたやりとりなどしてしまいそうなものだが、頑なに敬語を崩さないところに山田の特異性を感じる。  雑談の中で、密着のカメラについての話になり、山田は、映画のメイキングなどのカメラが苦手でいらつくこともあったが、「人生の半分この仕事をしてるので」慣れたとしみじみ語った直後、4歳から仕事をしている芦田がとっくに半分以上「この仕事」をしていることに気づき、笑う。 「今までそんな考えたことなかったです」と呟く芦田。硬い敬語の交流の中で、プロ2人がふと見せた何気ないやりとり。この番組が始まって以来の和む空気だが、正直、カレーを美味しく食べるための甘い福神漬けのような物だと思う。  その後の、カンヌを目指す事務所では、山下ほか3人の助監督が集まっているものの、そろって夏休みの宿題をする芦田を見守るばかり。  結局、山田のプロット(映画の大もとになる簡単な設計図のようなもの、台本よりも大まか)製作がまったく進まず、スタッフは不安になっているようだ。そんな中、筆の進まぬ山田が唐突に提案する。 「カンヌ行きません?」  山田が言うには、作家がカンヅメと称して閉じこもって執筆に専念するように、自身もカンヌで執筆したいと。刺激も受けるしアイディアが思いついたりするのではないかと、もっともそうに言う。  芦田を誘うも、「プールとか、ラジオ体操とかいろいろあるんで」と、こちらも小学生としての、もっともそうなことを言う。「芦田プロ」といじられるわりに、ここでは「ラジオ体操も友達と皆勤賞狙ってて、毎日行かないとハンコもらえなくて」と小学生の日課を優先する芦田。  これに対し、「どんなハンコですか?」と、予想の斜め上の問いかけをする山田。 「最悪ハンコくらいだったら、ハンコ屋行けば作れるじゃないですか?」と大真面目に語る姿は、もういつものどうかしちゃってる山田だ。  ラジオ体操の会場に行かないとカードがもらえないという芦田に、またもや「どんなカードですか?」「紙でできてる?」と偽造を持ちかける山田。  山下にも芦田にも「ズルは良くない」と言われるたびに「ズルじゃない」とムキになる。1億円の資金集めから、ラジオ体操のカード偽造まで、同じ熱で動いているようだ。あげく「最悪、ラジオ体操くらいだったら俺が教えれるんで」と、身も蓋もないことを言う。これで芝居が上手くなかったら、本物の変人だ。  もめるだけもめて、結局、芦田は「宿題とラジオ体操」のために日本に残り、山田と山下の2人でカンヌへ向かうべく機上の人となる。  機内で2人がワインを飲む姿にかさねて「渡航費は出資者の稲垣さんから振り込まれた制作費によって捻出された」とテロップが表示される。  出発前、カンヌは楽しそうだからプロット執筆に集中できないのではないか? との山下の懸念に対し「そこは逆に気が引き締まる」と断言していた山田だが、嫌な予感がする。もちろん山下も、とぼけた顔で当然のように飲み食いしている。  カンヌの街を歩く2人に合わせて、いつものオープニングがリンクして始まる。とてもかっこいいし、1回目からオープニングはずっと山田がカンヌを歩く姿なので、どこか「たどり着いた感」があるのだが、しかし、受賞どころか映画自体、プロットすらもできていない段階で、ただファンの金でやって来ただけなので、これを素直にかっこいいと見ていいのか、疑問が付きまとう。  この後、2人はカンヌ映画祭の会場となるコンベンションセンターで記念写真を撮り、受賞したスターや映画人らの手形に感激、山盛りのロブスターに歓声をあげつつシャンパンを流し込み、免税店で「I ▼(ハートマーク)cannes」と書かれたカンヌTシャツを買い込む。  完全に「浮かれている」と烙印を押していいだろう。  マーティン・スコセッシの手形に手をあわせ「スコセッシ先輩!」と感激する山下に、見ているこちらも「お前はしっかりしろ」と言いたくなるが、しかし、山田と比べて似合わないサングラス姿で浮かれる姿は、なぜか憎めない。  黒澤明やデヴィッド・リンチ、ポール・シュナイダーらの手形を眺め「このへんは俺の青春時代ロード」だと語る、元映画青年だったであろう山下は、おそらく山田よりも何倍も素直に楽しんでいるようだ。 「カンヌのことを熱海って言ってたけど、なんかあの人は、たぶん感じてなかったんだろうな、カンヌを」  海辺で気持ちも開放的になっているのか、突然、映画監督の大根仁を揶揄する山下。同じテイストで撮られた前作『山田孝之の東京都北区赤羽』で大根に少々怒られたことを根にもっているかのような発言だ。  今村昌平やクロサワも感じたこのカンヌの風を、(大根は感じなかったが)自分は感じている。そう思ったのか、ついには涙を拭うような仕草までみせる。ほぼ、“ただの観光”で来ているのに。  繰り返すようだが、受賞や出品はおろか、プロットすらできていない中、他人の金でやって来ているという事実が、まったくもって感動や感慨といった、あるべき感情から我々を遠ざける。  映画監督の大根仁は糸井重里との対談で、かつて取材で訪れたカンヌ映画祭を「熱海のお祭りみたいで大したことない」と言い、そこに集まるステータスを「気持ち悪い」と断じた。客席側に向かず、批評家にだけもてはやされる「カンヌ」という権威を全否定しているのだが、ある意味、山下(というか、この番組)のやっていることの方がタチが悪いし、人を食っている。  くどいようだが、ファンの金でノコノコやって来て、意味なくタキシードを着てシャンパン片手に、さらには白々しくも泣いて見せたのだ。  殴りたくなるくらいあからさまに目頭を押さえる山下に対し、これまた気付かないわけがないのに「クルーザーいいすね~」などとスルーする山田も、もちろん同罪だ。果たして、この2人の目の奥に「黄金のシュロ(パルムドール)」は映っているのか。「来年(受賞して)来ましょう」と語っていたが、心の中では熱海どころか、サマーランドのプールか葛西臨海水族園の人口海岸くらいに思っているのではないか。  記念撮影の際なども、ことあるごとに芦田の写真を抱えてコメントする姿は、完全に遺影ごっこであり、事務所があるのが横浜なだけに、横浜教育委員会をもコケにしているのかと深読みしすぎてしまう。  そして、2人は映画祭の事務局はカンヌにないと知り、一路パリへ向かう。つまり、それすら知らずにカンヌに来ていたわけで、もうこうなってくるとサングラス姿でふざけて歩き回る2人は、ブルース・ブラザースのようにも見えてくる。  夏休み期間なので誰もいないと思われたパリの事務所だが、たまたまやって来た女性スタッフ(カンヌ国際映画祭事務局スタッフのカミーユ・ルスレ)と遭遇、自己紹介をし、あのカンヌに寄せまくったパイロットフィルムとポスターを手渡すことに成功する。 「クリスチャンに渡します」と、確かに女性は言った。第2話で聞いた「カンヌの偉い人」ティエリー・フレモーの右腕とされる、クリスチャン・ジューヌのことらしい。  今まで日本では誰に見せてもモヤモヤされた、あの問題のパイロットフィルムが、いきなり「カンヌ」の中枢にダイレクトに届けられてしまったのだ。  普通なら、「奇跡」なことなのかもしれないが、ここまでこの「問題の番組」を見てきた我々視聴者には、申し訳ないような怖いような、大人にいたずらを仕掛けた時のような気持ちになる。  しかも、怒られるなり無視されるならまだいい。まかり間違って評価なり期待なりをされてしまったらと思うと、実に居心地が悪いのだ。  どっちに転んでも面白くなる、しっかりとした「フリ」だ。 「映画の女神が2人に奇跡を届けてくれたのです」と、感情たっぷりに語る長澤まさみのナレーションも、実に香ばしい。  この期に及んで、事務局の扉の前で記念写真を撮る2人の顔は、もはやこの後、映画を撮ることなど忘れているかのように晴れ晴れとしている。  その後、フランスの映画事情に詳しいという山下の知り合い・小山内照太郎(ナント三大陸映画祭・日本部門担当)に話を聞くことになるが、そこでも2人(主に山下)のいい加減さは止まらない。  オープン・カフェにて、ノートパソコンでパイロットフィルムを見せるなり「タイトル(穢の森)が、ちょっと『殯の森』(2007)っぽい」と、今までバレずにいた部分(記事参照)を、ずばり指摘されてしまう。  指摘しながらも、果たして「開けていい扉だったのか」と、いちばん気まずそうな固い笑顔で取り繕うのは、小山内本人だ。  さらに、今までの山下の作品とは作風が全然違うという感想に対して、「今までの自分のカラーは、カンヌでは受け入れられないと思ってる」とし、「逆に反転」させたいと語る監督・山下。  しかしそれに対し、「カンヌ」関係者の間で山下は知られていないわけでもないし、名前も出てくると言われ、急にまんざらでもない顔を浮かべる人間・山下。  さらに関係者に「『もらとりあむタマ子』(13)は、フランスで絶対に劇場公開しないとダメだ」と言われていると聞き、隠しきれない笑顔で「作風、変えないほうがいいのかなぁ」「フランス、いいねえ」「そうか、俺の名前、意外と……そっか、ありがとう」と、たっぷりと浮かれてタバコを燻らす山下の姿は、もはや落語化されてもおかしくないほど愛おしい。  そして、次回「第6話 山田孝之 フランスの映画人と会う」の予告では、なんと、山下が目の敵にする(していて欲しい)監督・河瀬直美の姿が! 『萌の朱雀』(1997)でカメラドールを受賞して以来、7度もカンヌに招かれ、件の『殯の森』でグランプリを受賞、自身も「カンヌに育ててもらっている」と公言している“カンヌの申し子”で、おそらくこの企画の重要な「元ネタ」となってるはずの人物が、この番組にやって来るのだ。しかも予告を見る限り芦田や山田は対面の際、「I ▼(ハートマーク)cannes」Tシャツを身に纏っている。大丈夫なのか? ふざけていないのか? 怒られなかったのか?  もはや5回を過ぎ、まもなく折り返しを迎えるというのに、まったくもって本編に着手しないばかりか、ほぼ目的を達したようにフランスを満喫する2人。ここで、ある意味もっともキーとなる人物が現れる。次回が待ち遠しい。 (文=柿田太郎)

『山田孝之のカンヌ映画祭』第4話 理不尽な要求が「大手映画会社・東宝」の“本音”をあぶり出す!?

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テレビ東京『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 どこまでが本気なのか、俳優・山田孝之が突如プロデューサーとなりカンヌ映画祭受賞をめざすと言いだした。  モデルとなる実在の猟奇殺人鬼役に、いきなり芦田愛菜を連れてきて度肝を抜き、監督を任せたはずの山下敦弘を振り回す。  前回、映画製作資金を確保するためにパイロットフィルムを撮影したものの、なんでも一人で決定し突き進む山田と、監督としての仕事をほとんど山田に奪われ、立つ瀬のない山下。  完成したそのフィルムを、とある映画イベントで披露すると、映画評論家の有村昆から、カンヌに「寄せている」ことに対し「あざとさ」が見えてしまうとの指摘を受ける。  何かに「寄せている」ことは誰でもしていると反論するものの、山田の心中がはっきりとせぬまま前回は終わった。  そんな、なんかおかしくなっちゃった山田周辺に密着したドキュメンタリー風な番組。  山田らの思惑はともかく、フィルムを観た観客や有村の素と思える反応など、山田と対峙した一部の人々らの対応は、まぎれもない「ドキュメンタリー」なのだろう。今回も巻き込まれたさまざまな人々の様子が記録されている。  そんな語るも野暮なこの番組の、「第4話 山田孝之 お金を集める」を振り返りたい。  どうやら山下はまだ、完成したそのパイロットフィルムを観せてもらっていないらしい。  その旨を山田に伝えると、「(これから)もう観れますから」と言われてしまい、あっさり引き下がる。改めて言わせてもらうが、山下はその映画の監督である。  そのパイロットフィルムを携え、今回、山田カンヌ一行が向かったのは東宝。黒澤明の時代から名を馳せる、誰もが知る大手老舗映画会社である。  昨年、『シン・ゴジラ』『君の名は。』と立て続けにヒットを飛ばしたのも記憶に新しい。ここでプレゼンをして、映画の資金を引っ張ってこようとの目論見らしい。 「あの映画の東宝だよね?」  今回も、こんなことを逐一確認せねばならない、監督であるはずの男・山下。「蚊帳の外」への置かれっぷりが板に付いている。 「山田一人が何かを決め、その目的地に向かう道中、呼び出された山下と芦田が直前で知らされる」という流れが、お決まりになりつつある。  そして、主演とはいえ一役者なのに、毎回芦田が同行するのも決まりのようだ。彼女がいることで、どこへ行くにも若干の社会科見学感が醸しだされるのが、親切といえば親切だ。  車内で、芦田愛菜にプレゼンの経験の有無を問う山下。芦田をなんだと思っているのかはわからないが、彼の中で芦田は、山田よりは自分のガワにいる「唯一の味方」という認識に見える。  学校の「調べ学習」とかで発表をしたことはあると言う芦田に対し、「じゃあ大丈夫か」とあっさり安堵する山下。大丈夫なのか。  日比谷の東宝本社ビルで山田らを出迎える山内章弘プロデューサー。『電車男』(2005)や『何者』(16)など山田出演作品もそうだが、昨年は『シン・ゴジラ』のエグゼクティブプロデューサーとして取材など多数受けていたので、目にした方も多いはずだ。  きっちりとした髪型にメガネにスーツ。  ハットにリュックにTシャツというバックパッカーのような山田山下コンビとは、同じ業種とはいえ一線を画す出で立ちだ。  穏やかな会社員という大人の表情を見せつつも、一行の得体の知れぬ訪問に警戒の色をにじませているように見える山内。おおまかに「映画の企画がある」という話しか聞いていないらしい。  すぐさま、「カンヌを目指す映画を作りたい」との旨を伝える山田。  第2話の日本映画学校教授で映画プロデューサーの安岡卓治にしても、第3話の有村昆にしてもそうだが、ここでもまず、山田が出演するのかどうか? ということを気にされる。これは山田が今回、裏方のようなアプローチをしてきている以上、誰しもがひっかかる部分なのだろう。そして、山田が出演しないと聞くと、質問した人は一様に手がかりを失ったような表情を見せる。  芦田が主演であると聞いた瞬間に、もはや処理できないからなのか、笑みを浮かべる東宝・山内。いきなり困惑した顔を見せないためには、そうするしかないのだろう。 「山田は既成の映画作りに縛られたくないため、現時点でプロット(大まかな話の設計図のようなもの)や脚本を作るつもりは」ない(テロップ)らしく、今現在、唯一提示できるものであるパイロットフィルムを見せる。  当然これが初見である東宝・山内の後ろで、見守るようでいながら、同じように初見でフィルムを観る監督・山下。  内容は、前回イベントで上映したのと同じ、殺されかけて目覚めたらしき芦田が森の中で絶叫し、その後ろに父親らしき男性が首を吊っているという、ごくごく短い映像だ。『穢の森』というフランス語のタイトルと、若干のスタッフ名以外、なんの説明もない。 「これ……笑」  主演が芦田だと聞いた時と同じ種類の笑みを見せる山内。  やはり脚本がないのが気になるらしく、「脚本はこれから?」「ジャンルは?」と、とにかく手がかりが欲しい東宝・山内に対し、「ある程度のことは固まってはいるんですけど」「ジャンルはあまり考えないからな……」と答えにならない回答を返す山田。  山田ではらちが明かないと思ったのか、山下に、今までの作風と違うことに触れつつ、「(山下が)これもデレクション(演出)されてるんですよね?」と問う山内。 「はい、山下さんが監督です」と、すかさず返答する山田。  そして正直に「これを見て、こういうことをやりたいんだと初めて知った」と言ってしまう山下。まるで噛み合っていない。  この矛盾に対する山内の反応はわからなかったが、まさか、その映画の監督が、外部である自分(山内)と一緒に初めてパイロットフィルムを観ていたとは、夢にも思うまい。  山下監督がここで初めて映像を見たということは、つまり編集にもまったく関わっていないということである。  役者はカメラ前で演じたら、その作業としては終わりだが、監督はその撮影した素材をどう切り張りし、つなぎあわせるかが、撮影時以上に意味のある作業だ。そこがすべてだという人もいるくらい。  前回、山田が演出をし、今回も山田が編集し、完成したものを、外部の人間と一緒に観せられている。  もはや山下は、山田の前でオロオロするという役割のためだけに画面内に存在しているかのようだ。  そんな中、山田が1億円の資金を求めていることを告げる。  それを聞き、とりあえず今できることに注力しようと決めたのか、「雨降っててね? 大変な撮影だったけど頑張ったもんね?」と芦田を巻き込む山下。まるで仮装大賞の萩本欽一のような援護射撃。  何かを察したのか「1億円、よろしくお願いします!」と頭を下げる、勘のいい芦田。たちの悪いチームワーク。  途中、山内は、できたてだという『穢の森』のポスター(芦田の顔がアップになった幻想的なもの)を見せられるのだが、正直、今どうでもいいことだろう。  あげく、できればプロットなり脚本が欲しいという、まっとうな要求を述べる山内に対し、山田は自分が今まで関わった東宝作品の興行収入累計が500億に達すると、自作のリスト(エクセル)を見ながら告げる。  つまり、こんなに貢献してるんだから1億くらいいいじゃないかということだが、あからさまな論理に、素直に爆笑するしかない東宝・山内。山田に対して笑ってくれる山内に、ついホッとしてしまうほど、山田の言うことはイカれている。 「それは、また別じゃない?」「数字を出すのは……」  すぐさま保身を優先する山下の姿も、ある意味いつもの光景だ。  しかし山田の「単純に即決はできないということですか?」という発言に、山内がはっきりと顔を曇らせる。 「それは、私だけで出資なり企画なりのゴーサインを、今この瞬間にって、君、それは難しいですよ」  聞き取りにくかったが、途中「キミ」という言葉が出た。大人の対応を続けてきた山内の心理が、少し見えた瞬間だ。  もう無理だと思ったのか、それとも撮れ高を確信したのか、東宝を後にする一行。  めげることなく次のアポを取り付け、すぐさまソニー・インタラクティブエンタテインメントへ向かう。山田がCMを務めるPS4の会社だ。  社風なのか、東宝・山内に比べると、浅黒く、薄っすらとあごヒゲを蓄えた、ライフセーバーのような、テニスサークルのような社員(マーケティング部チーフ・的場敬紀)が出迎える。  映画の資金の趣旨を伝えるやいなや、ゲームに展開できそうな映画かと問われ、脊髄反射のごとく「できそうだよね?」と山田を促す山下。山田も「できると思います」と返す。この移動中に、すっかりチームワークが補強されている。  ここでもパイロットフィルムを見せられた「資金源」は、困惑しているように見える。 「最悪ゲーム版の方だけ(自分が)出ることは不可能ではない」(山田) 「ゲームになったら面白いよね?」(山下) 「面白そうですね!」(芦田) 「ねー、そうだよね!」(山下) 「そこは(山田が)さすがだなーと思って」(山下) 「お父さんがプレステ持ってます」(芦田)  目の前で、金目当ての糞茶番を見せつけられる的場の顔は、自慰を終えた直後のように暗い。 「もうちょっと全体の概要が見えるといいんですけど」と、またしてももっともな意見を言われるが、それには答えず、このプレゼンしている3人の映像を、後日会社の会議で公開してもらい、熱意を届けて欲しいと図々しくものたまう山下。  途中、勝手に言っていた「具体的にゲーム化まで進んだということを含めて」というフレーズはもう、嘘だ。  最後に「1億円よろしくお願いします」という芦田のキメフレーズまで流れるようにコンボを炸裂させ、検討してくれる運びに無理やり持ち込むも、後日あっさりと丁重なお断りの連絡をくらわされる一行。後半、ソニー的場のその顔は死んでいた。  行き詰まったかのように思えたが、後日、出資してくれそうな者を見つけたという山田と共に、六本木に集まる一行。  その人物のことを「なんか俺のファンで、Twitterで見つけたんですけど、割と羽振りのよさそうな」と語る山田の説明は、もはや詐欺師のカモに対するソレだ。彼のTwitterには山田の出演する映画『クローズ』を月に一回見ると書いてある。どうやら、山田は自力でこの鍵の掛かったアカウントを「見つけちゃったので」アポを取り付けたらしい。急展開だ。  実物の山田を見るなり力なく「ほんもんだ……」とつぶやくその姿は、まさにカモ! いや、ファンだ。  髪をジェダイのように後ろで縛り、側頭部にミステリーサークルのラインのような刈り込みを走らせ、ピアスを装着した彼は、主に池袋でガールズバーなどを経営し、他にも不動産や投資仲介を手がける若き経営者・稲垣歩駿さん(24)。  東宝→ソニー→ファンと、宝箱を求めダンジョンの奥地に進むたび、敵のヒゲがのび、チャラさが増す。  そこで現れた中身はカモ、外見はヒモの稲垣さんは、最近観た映画が『SAW』、泣いた映画が『ワイルドスピード』という、ただの金ヅルだ。  山下が山田に、こんな人から金をせしめていいのかと、こっそり揉めている最中に、稲垣にガールズバーのシステムを説明をされるという、四次元のような時間を体験する芦田。  これだけで100万円くらいもらってもいいような仕事の気もするが、1ファンから1億出させようとする山田の倫理観がどうなっているのか戸惑う間もなく、稲垣さんの方から「お願い」を聞いて欲しいとの申し出が。  1億の代償としてのお願い……そこそこのことは覚悟しないといけないだろう。  そこで提示されたのは、「サインと、写真と、あとクローズのワンシーンをやりたいんですけど」という、まさかの願い。  最後がなんなのか説明をしてる途中で、金がちらつき面倒くさくなったのか、「とりあえずサインします」と即行動に移す山田。既成事実を作ることで、カモを逃すまいとする心情だろう。  写真を撮る直前に、「これは一緒にやってくれることになったんですよね?」と絶妙なタイミングで確認する、悪党・山下。しかもワンシーンのくだりはうやむやだ。  しかしはっきりと「出します」との確約を取り付ける(現実的には2,000万円はすぐに出せるし、他にも起業している友人を誘ってくれるらしい)。  ただ視聴しているだけなのに、なぜか気まずい気持ちになるほど、とち狂った資金調達。クラウドファンディングもある意味、こういうことなのかもしれないが、金額も生々しさも、ずいぶん違う。  次回、「山田孝之、カンヌを下見する」  どうやら、せしめた金でカンヌを下見しに行ったらしき映像が。第1回の冒頭で観た映像は、まさかファンの金で行ったものなのか。そもそも、カンヌに下見する必要があるものなのか。疑問は尽きない。  そして、今回気になったのは、東宝でのあるやりとりだ。  山田は「東宝作品もなんかあんまカンヌのイメージがない」ので自身を含め「みんなにとって挑戦になる」のでは? と語った。いくら東宝で多く主演を張っている山田とはいえ、お節介というか心配になる発言だ。  これに対し、「幅広い世代に向けてのエンターテイメントという作品が多い」からだと東宝・山内は返す。  しかし、結果的に大ヒットとなった『シン・ゴジラ』のインタビューにおいて、総監督である庵野秀明は「人間ドラマを入れて欲しい」など、プロデューサーからの要求がストレスであったと正直に述べている。また、山内は当初、時間の都合で映画のメインともいえる「ヤシオリ作戦」の部分を、すべてやめる提案をしていたという。  結果、今回あのような「成功」になったものの、山内側の要求により「失敗」として世に出された可能性もあったし、事実そうなってしまった作品もあっただろう。山内は、酷評された実写版『進撃の巨人』の(15)プロデューサーも務めている。  今回の山田の発言は、ほとんどが理不尽なものかもしれないが、これに対峙することで山内側、東宝側、「大手映画会社」側の本音があぶり出されてこないか、期待してしまったのも事実だ。 「幅広い世代」とは誰なのか。「エンターテイメント」とは何なのか。果たしてそれは本当に届いているのものなのか?  むちゃくちゃなやりとりに笑わされながらも考えさせられてしまうのは、この番組の手口なのだろう。次回も期待したい。 (文=柿田太郎)

『山田孝之のカンヌ映画祭』第3話 “あざとさ/痛さ”をコメディたらしめる地上波なりの着地点

『山田孝之のカンヌ映画祭』第3話 あざとさ/痛さをコメディたらしめる地上波なりの着地点の画像1
テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 俳優・山田孝之がプロデューサーとなり、突如カンヌ映画祭受賞を目指すと言いだした。監督を頼まれたのは、松江哲明と共にこの番組の監督も務める山下敦弘、そして親殺しの猟奇殺人犯を演じる主演は、まさかの芦田愛菜。巻き込まれたのか共犯なのか、とにかく動き出した、このプロジェクト。  前回の第2話では、日本映画学校にて、さまざまな関係者にカンヌや日本映画の現状についての話を聞きつつ、「僕がカンヌ行けない理由って、なんなんですか?」と、なぜか山田以上にスイッチの入ってしまった本職の映画監督・山下の暴走が見どころだった。  彼もさまざまな海外映画祭に出品していることや、かつ「日本のジム・ジャームッシュ(カンヌ常連)」と呼ばれていたことなどを考えれば、当然ともいえる態度と見れなくもない。  今村昌平が『うなぎ』で受賞した時のパルムドールのトロフィーを関係者に持たせてもらいながら、浮かれて写真を撮りたがる山下と、「はい、カンヌ!」とシャッターを押しながらも、「僕らのじゃないから」という理由で持つことすら拒否する山田。好対照ながら、カンヌへの気持ちを固める2人と、うなぎよりタレの染みたご飯が好きという素のあどけなさを見せつつも、随時ランドセルを背負い、この狂った状況に溶け込み、我々をハラハラさせてくれる不思議の国の芦田。  そんな連中の映画制作を記録したドキュメンタリーのような、そうでないような番組の第3回が放送された。 「第3話 山田孝之 パイロットフィルムを作る」を振り返る。  前回を軽く振り返る映像の直後、いきなり老人が首を吊った! と同時にタイトル曲へ。  冒頭だからと油断して観ていたら、いきなりの後頭部を殴られるようなスタート。どうやら今回は「首をくくる」人が出てくるらしい。  その日、「どうしても撮りたいものがある」と山田に呼び出された山下と芦田。  その2人の車中、「不安は不安ですけどー」と語る芦田に「不安は不安だよね!」と、どこかうれしそうな山下。芦田がその後、肯定的なことを言おうとしていた気配があるのだが、そんなことは関係ない。共感を喜ぶ山下の様子は、芦田の同級生の女子のようだ。  共感しあえるはずと見込んだのか、芦田に対し「こういうときに何回も聞き直すと、あの人、怒るから」と、「あの人」には絶対言えない「不安」を、ここぞとばかりに口にする。  この時、芦田(12歳)が山下(40歳)に愛想笑いをしつつ、若干気遣いの眼差しを向ける。この先の現場で、しとしとと苦難が降りかかる監督・山下が、多少元気だったシーンだ。  今回プロデューサーに徹し、映画には出演しないと言い切る「あの人」こと山田孝之は、どうやら先に現場入りしているらしい。  山中の森林に囲まれた現場。すでに多くのスタッフが、準備でせわしなく動いている。 「監督の山下さんと、主演の芦田さんです」  これから芝居をすればよい役者である芦田はよいとして、役者と同じタイミングで紹介され、突如現場に放り出さる監督。所在なさげに何度か会釈を済ますやいなや、「ちょっと一瞬いい?」と山田を連れ出す。  まわりが準備に追われるのを横目に、「何撮りゃいいのコレ?」「聞いてないんだけど」と、山田にこそこそ問わねばならない監督である山下の心境は、なかなかにハードなものだろう。 「今日はパイロットフィルムを撮ります」と、現場に着いて初めてその事実を聞かされる監督・山下。同時に、助監督に段取りの説明を求められてしまい、「俺が(説明)するの?」「ええ山下さん、監督なので……」「あーそっか」という流れるようなやりとりは、監督だけが見ている白昼夢のようだ。  パイロットフィルムとは、「スポンサーから資金を獲得するために先行してつくられる試験映像」で、企画書で説明しきれない世界観を短めの映像で提示し、資金を調達する近道になったりするものらしい。  今話題の映画『この世界の片隅に』では、クラウドファンディングにより集めた資金でパイロットフィルムを作り、その結果ようやく本編の製作にこぎつけたのは有名な話だ。  そんな大切なパイロットフィルム制作の日に、台本も渡されなければ(そもそも存在していないらしい)、監督がするような説明や指示は全て山田に持っていかれ、その説明等をスタッフらと共に聞きながら「そうだったの?」といった具合に誰よりも新鮮に驚く、監督であるはずの男・山下。  今回に限らずだが、特に今回は、勝手にことを進める山田のおかげで、監督としての立つ瀬がどんどんなくなる人間・山下がたまらなく愛おしい。  山田が他のスタッフらに説明しているのを、遠目で見ながら、こっそり「うんうん」とうなずく山下の姿を、山田ら越しに映したカットは、なんとも悲しい構図だった。  どうやら、このパイロット版は、母親に殺されかけた少女が、森で目を覚ますシーンらしい。主人公の中の「殺人鬼」が芽生える大事なシーンのはずだ。  リハーサル時などに、母親に殺されそうになる芦田の芝居に演出をし、まわりのスタッフを動かすのは常に山田だ。  役者のかわりに芦田の首を絞める母親の架空の動きをさせられたり、山田に、小道具の包丁の落とし方が『火サス』のようだと揶揄される監督であるはずの男・山下は、どう見てもペーペーの新米助監督程度にしか見えない。あんなに前回、カンヌに向けて誰よりも熱くなっていたのに(どうやら、監督という職業は、全員が、素直に全権を握って好きなように演出だけできるというものでもないらしい)。 「親は死んだと思ってここに放置してるんですけど、死んでないんです」 「寂しいんですよ、母に首を絞められたのが最後の記憶なんで」 「もう戻るんだったら殺すしかないんですよ」  監督の全く知らなかった人物の背景や芝居プランを、堂々と語るプロデューサー・山田。  山田の「自分の首を絞めてる母の顔ですね」という演出に、山下が「父じゃないんだ? そうか、母か」と懸命に監督としての理解を示そうとしつつも、間違ってしましい、悟られないように自ら訂正するくだりも。  現場到着から始まった今回の山下の混乱は、カメラテスト時の「よーい、はい!」の掛け声を思わず言い忘れ、監督なのにもかかわらず「あ、俺か」と思わず言ってしまったところに集約されている。それほど、山下に「監督」の実感がなくなってしまっていることがわかる。もはや、何者でもない山下(監督)。  芦田が、芝居中に叫ぶことを提案した際にも、許可を出したのは山田だし、両者を見て、ただ頷いていたのは山下だった。  リハーサル後に、「声、ない方がいいですか?」と芦田に指示を仰がれた監督・山下は、「……声は……」と困りながら、横にいる山田をちらりと自ら仰いでしまう。 「いや、もっといきましょう!」の山田の一声で、芦田が叫ぶことの存続が決まったのだが、完全に山下の中で姿が何かが崩壊してしまっているように見えた。  現場にたどり着くまでの道中、たくさんの機材を運びながら険しい山道を登るスタッフに「カンヌ、目の前なんで!」と、ミネラルウォーターを飲みつつ、涼しい顔で鼓舞する山田。パイロット版で1シーンを撮る前の機材を運んでいる最中に「カンヌ」も「目の前」も糞もない。対山下だけでなく、スタッフと山田との「ズレ」も浮き彫りにされる。  ここまで観て、今更ながらに思うのは、これは、痛い主演俳優や、言うことを聞かず口を挟んでくる大物役者、現場をわかってない映画会社やスポンサー側のお偉いさんらに振り回される中間管理職的な監督の悲哀を描くコメディであり、同時に、「山田」のような、痛く、「あざとく」映画を撮る人間を描く、やはりコメディなのだろう。いわゆる風刺とも言えるかもしれないが、そこまで何かを批判したいというよりは、問題を投げつつも、基本笑いたい、笑わせたい、楽しませたいといった地上波なりのサービス精神を感じる。  それは、状況がリアルすぎないように、主演に芦田という「子ども」のアイコンを配置し、ギャップを持たせたところにも現れているし、また、前回の『北区赤羽』よりも、山下に「番組の監督」であるのと同時に、製作している「映画の監督」という立ち位置を、より強調させたことにより、「プロデューサー」山田との関係性が明確になり、より観やすいものになったのではないかと思う。  そして、それが生きているのが今回の第3話だ。  山田が演出時に言った「本当のリアルって、リアルに見えないんで」「多少のフィクションを」という発言は、本音(リアル)なのかもしれないが、監督である山下を無視して演出している「痛い山田」の状況は、この番組の中でのフィクションなのではないか。  そして今回、強烈なインパクトを残したのは、目を覚ました芦田のバックで、首を吊って死んでいる父親役というか、遺体役で出演した、その名も「首くくり栲象(たくぞう)」という存在。冒頭の男性だ。  国立(くにたち)の自宅の庭を改造した、ステージと呼ぶには粗末な(失礼)、見るからにあばら家な(失礼)、しかしれっきとした主演の舞台で、毎晩「首をくくる」パフォーマンスを行っている表現者らしい。  その活動の一端は、彼の活動を追ったドキュメント映画『首くくり栲象の庭』やドキュメント映像である『密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman』等でも観ることができる。  そこで確認できるのは、わずか数人の観客に囲まれ、庭の木に吊るしたロープで「首をくくり」、しばし吊られてみせるというパフォーマンス。首を吊るための庭の木の枝が低いからか、地面を若干掘ってある地面や、終演後、観客と語らう際に振る舞われる自家製の焼きうどんの生々しさ等が、実にリアルだ(『密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman』より)。  今回も収録現場にて、なぜ首を? という誰しもが感じる問いに対し、「海がそこにあれば泳ぎたくなるように」目の前に「庭があるからだ」と答える姿は、わかるようなわからなような、まったくわからないような気持ちにさせてくれる。 「海=水泳」は、わかるのだが、「庭=首吊り」が理解できないのがその原因なのだが、そんな理屈ではない、首吊りのプロを出演させるあたりに、ドキュメンタリー好きの両監督の強い趣向が垣間見れる。  番組中で「この季節(初夏)なら3分は(くくってて)大丈夫」だと語る姿は、実にドキュメンタリーらしいドキュメンタリーだった。「空気も美味しいし」と言われ、何か言いたいが、言えないスタッフの表情も秀逸だ。  今回、このようなきわどい「題材」を登場させるために、「(包丁の)歯落とし、してあります」とか「看護師の人、来てんだ?」という、入れ込まなければ地上波で放送できなかったであろう、「説明」を自然に盛り込めているのが新しいと感じた。DVDや映画とは違う現代の地上波テレビという問題を、冷めてしまうようなテロップを排除しつつ、さりげなくクリアしている。  首くくり栲象が首をくくるシーンにだけ「絶対に真似をしないで下さい」と入れざるを得なかったのは、この「ドラマ」をドキュメンタリーとして見せている以上、仕方のないことだし、むしろそうまでしても入れたかった「題材」なのだろう。この番組のもう一人の監督である松江哲明は、自身のTwitterで、今回編集に悩んだことと同時に、ギリギリまでやらせてくれたテレ東の製作番組部(P部と表記)へ感謝の言葉を述べている。  ちなみにこの松江監督は、先日、新聞広告に出された映画『この世界の片隅で』へのコメントとして「緻密に調べ上げた上で、現実とファンタジーを同時に、そしてその境界を曖昧なままにするのが片渕監督の凄さ。誰も真似できないと思う。」と、発言している。 「現実とファンタジー」を「境界を曖昧なまま」描くことに触れたコメントは彼だけだった。  そして、完成したパイロットフィルムが番組後半、公開された。  お母さんによって殺されかけ、森の中で目を覚ました芦田、その後ろには首を吊った父親がゆっくりと風に揺れている。戻りゆく意識を辿るかのように、「うおおおおおーーー!!!」と天に向かい咆哮する芦田。『プラトーン』(1986)のウイレム・デフォーのように。ほんの3分ないショートフィルムだ。  タイトルは『穢の森/La forêt de l'impureté』。  やたらとテロップにフランス語を多用し、バリバリにカンヌを意識した作り。  しかも『穢の森』とは、前回「カンヌに近い監督」として名前の挙がった山下とも因縁のある河瀬直美のカンヌ審査員特別大賞(グランプリ)を受賞した『殯の森』(2007)に酷似していることがわかる。  山下が以前撮ったフェイクドキュメント作品の『道』(05)で、河瀬がモデルと思われる「痛い監督」を描いているのだが、やはり今回のこの番組の企画自体、それが元ネタなのではないのだろうか。  そして唐突に、このパイロット版を公開したイベント会場にカメラは移る。  映画評論家でお馴染み有村昆の「バカデミーシネマラボ」というトークイベントらしい。  このパイロットフィルムの反応を見るために山田自ら持ち込んだようだが、肝心のその反応は、「以上です」と山田が言わないと、いるはずの観客から拍手も起きなかったし、思わず「以上なんですか?」と有村昆に言われる始末。自分もそうだし、観客もとまどっていると代弁する有村は、さらにこの映画を今後どうしていきたいのかと問う。 「カンヌを目指す」とはっきり言い切る山田に、タイトルの出方とかそれっぽいとか芦田に驚かされたといいつつも、慎重に言葉を選び、コメントしづらそうな他の出演者(同じサンミュージックの芸人・藤井ペイジら)たち。  しかし、イベントの主催者である有村はいう。  ほとんどの山田の作品は拝見させてもらっているが、「カンヌを獲るために今の日本映画じゃないことをやろう」としていると。「親殺し」から一番遠い芦田愛菜のキャスティングを「あざとい」と言い切り、真っ向から「コンセプトが見えちゃう」と指摘する。  多くの人が感じたが口ごもったかもしれない感想を、責任感からなのか、しっかりと口にする有村。「あざとさ」が出るのはもったいないとフォローしつつも本質をついた発言だろう。  なおも有村は、「山田がやりたいことをやった方が」いい。(カンヌに)「寄せて、寄せて」というのは「方法論として逆なんじゃないか」と続ける。  それに対し、「みんな寄せていってる」「あざとくてもいいと思う」と、一歩も譲らない山田。  そのシーンはなかったが、突然登場したビッグゲストにおそらく観客は歓喜しただろう。スター登場以外に、そのスターの製作中の新作映画の一部まで観せてくれるというのだ。  なのに、その作品がまったくピンと来ないばかりか、まさかこんな気まずいやりとりを見せつけられてしまうとは。  当日、有村やイベント側以外に山田の出演をツイートしている観客がいないように見えるのは、何かしらの「配慮」があったからかもしれないが、少なくともこの番組がオンエアされるまで、その場にいた観客は、我々のような今回初めて観た視聴者以上に気持ちが悪かったはずだ。  エンディング。「スカート」の曲に乗せて、事務所でひたすら楽しそうに一輪車に乗る芦田と、それをソファーから見つめるサングラスの山田のカットは、まさに「カンヌに寄せた」「あざとい」映像に感じた。  有村に批判されたとき、山田は何を感じたのか。どう思って「反論」を口にしたのか。罠にかかった獲物を喜ぶ表情を、こっそり噛み殺していたのではないのか。  次回「第4話 山田孝之 金を集める」の予告で、いかがわしそうな長髪の社長らしき人物に頭をさげて名刺を受け取る芦田愛菜は、『明日、ママがいない』のようでもあり、『闇金ウシジマくん』のようでもあった。  知らないうちに、映画作りの段取りを学び、同時に、日本映画の問題点を考えさせられてしまうこのこの番組。松江のTwitterによると、まだまだ何悶着もあるらしいというから目が離せない。 (文=柿田太郎)

『山田孝之のカンヌ映画祭』第2話 日本映画の現在地と“プロ子役”芦田愛菜が迷い込んだ迷宮

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テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 山田孝之が突如「カンヌを獲る」と言い出した。その過程を追う「ドキュメンタリー」であるかのような、おそらく「フェイク」な番組。  山田は、その目的ために合同事務所「カンヌ」を設立し、盟友・山下敦弘に監督を依頼。『山田孝之の東京都北区赤羽』のときのように戸惑いつつ、プロデューサーとなった山田に振り回されながらも従う山下のもとに、猟奇殺人鬼エド・ケンパー(をモチーフとした?)役として、まさかの芦田愛菜(本物)を連れて来たところで、衝撃の第1話は幕を閉じた。  そして、第2話「山田孝之、カンヌを学ぶ」。 「なんで愛菜ちゃんなの?」「普通、やんないよね?」  やはり、猟奇殺人鬼を芦田(小学生)が演じるということに対して、あくまで懐疑的な監督・山下。至極まっとうな心理だろう。 「このお話を聞いたときから、演らせていただきたいなと」「山田さんのことを尊敬しているので」「すごくうれしかった」と、こちらも負けじと至極まっとうに意気込みを語る芦田愛菜。  やはりこの子は、決して巻き込まれたり、騙されて連れてこられたわけではない。自分の意思で殺人鬼を演じようとした上で、ここにいるのが確認できる。  たまらないのは、山下がまともな大人なら当然と思える疑問や戸惑い(芦田のキャスティングに関して)を口にするたびに、芦田が「この人は何を言っているんだろう?」という、極めて「正解」な表情を貫いてくれることだ。  完璧な子役を揶揄する意味での「芦田プロ」という言葉がネット界隈に存在するが、このときは佇まいが当たり前にプロすぎて、もはや「プロ」と揶揄する方が恥ずかしいというか、技量が揶揄を凌駕している。プロとあえて冠することが野暮に思えるくらい、この人は当たり前に凛としてプロの仕事をしている。  だから我々は、無邪気に「愛菜ちゃん、大丈夫ーー!?」と、ハラハラすればいいのだ。  山田が席を外した隙に「本当に無理だと思ったらやめていいからね」と、山下が良かれと思って出した助け船を、「(山田を)信頼してるので」と沈没させる芦田愛菜。  山下でなくとも、思わず「目を覚ませ」と言いたくなるほどの没頭ぶり。言ってはいないけども。  とにかく3人の固い握手で、カンヌを目指す彼らのロードムービーが始まった。  そのまま向かった日本映画学校で、一般の学生に交じり、カンヌに詳しいという矢田部吉彦の特別講義「国際映画祭への道」を受講する3人。芦田愛菜はしっかりとランドセルだ。  矢田部は「東京国際映画祭」で作品を選定する立場(プログラミングディレクター)だけあって、カンヌにも毎年足を運び、関わりもあるという。  プロジェクターに映るカンヌの情報を一字一句真面目にノートに記す芦田。何色も仕込まれた、きりたんぽ大の色ペンを使ってアンダーラインを引く姿は、おそらく小学生としての芦田だ。  その横で、堂々とプロジェクターを携帯電話で撮る社会人・山下。「カシャ!」というシャッター音が教室に響く。山田は口に手を当て聞き入っている。三者三様の聴講生たち。  カンヌの仕組みなどが語られたのち、フランス人の監督アラン・ギロディ作品の性表現について語られる際、講師の矢田部が口ごもる。 「一瞬、出よっか?」と山下に席を外すように促される芦田。ランドセルを背負い、気まずそうに10歳近く年上の周囲の学生に会釈を繰り返しながら、そそくさと退席する姿が、物悲しい。  しかしこれは芦田のための配慮というよりは、語りにくそうにしていた矢田部講師のための気遣いなのだろう。  その証拠に、退出後すぐに、その芦田の書きかけのノートに、「日本の性描写は不自然」「SEXを描くのであれば、SEXを描け」と山下が身も蓋もない代筆を加える。しかも悪筆だ。(カンヌへの出品は)「誰でも応ぼ可能」と、漢字と平仮名が混じった芦田の丁寧な文字から醸し出されていた、ほのぼのとした紙面のテイストが、激変する。  そんなことは露知らず、ベランダらしき場所で『森は生きている』を読んですごす芦田。  そして、このあたりから、山下が暴走しだす。  講義中の質疑応答にて、作品がコンペに選ばれるためには、ある種のコネも必要だと聞くや否や、その有力者の名前(ティエリー・フレモー)を必死にメモし、赤丸でチェックを入れる山下。  今カンヌで日本を代表する監督として黒沢清や是枝裕和の名前とともに、河瀬直美の名前が挙げられた際、強く「河瀬 要注意」と記し、対抗心をむき出しにする。  あげく、「僕とかは、カンヌでどういう評価をされてたりするんですかね?」と、踏み越えた質問を投げつける。 「それって別に今聞かなくていいんじゃないですか?」と、『赤羽』からの2人の関係において、初めて山田が山下を正論でたしなめる場面も。矢田部講師も苦笑いするしかない。  さらに山下の「ここぞとばかりに感」が止まらない。 「率直に言って、僕がカンヌ行けない理由って何なんですか?」 「僕の映画の足りない部分というか」  もはや、カンヌを獲ると言い出したのが誰だかわからなくなるほど、山下にエンジンがかかる。 「僕がカンヌにいたら絶対選ぶんですけどね」と、フォローする紳士的な矢田部に対し、「矢田部さんが、カンヌのスタッフになることはないですか? この先」と、むき出しの山下。山田に振り回されてここに来たはずなのに、そんなにカンヌに執着していたのか。  山下はかつて、やはり自身のフェイクドキュメンタリー作品『道/子宮で映画を撮る女』で、『萌の朱雀』撮影時の河瀬直美と思われる自主映画出身の「痛い」女性監督とスタッフとの軋轢を描いたり、その後も企画でショートフィルムを競って撮ったりもしている。(無論、現状を知ってはいたはずだが)改めて、関わりのある河瀬の名前が出たことで、スイッチが入ったようにも見えた。  講義後、講師の矢田部、安岡卓治(映画プロデューサー)らに話を聞く3人のもとに、やはりここで講師をしている天願大介が現れる。  山田も出演している『十三人の刺客』(10)の脚本家であり、パルムドールに輝いた『うなぎ』(97)の脚本も手がける天願は、『うなぎ』の監督・今村昌平(この学校の創始者)の息子でもある。カンヌ論を皮切りに、日本映画の惨状を饒舌に嘆く。  カンヌに行けるコツは? ・一般論としてカンヌの人はハリウッドが嫌い。憎悪している。 ・不親切に作る。説明しない。作家の中にある整理されていないものが出てこないとダメ。 ・観客にむけてサービスするエンターテイメントではなく、原型のまま出てこないとダメ。 ・直接的なメッセージを入れた方がいい。 ・嘘でもいいから現実の酷さを誇張する。バランスを崩す。  今の日本映画がコンペに行けなくなったのは? ・みんな同じことを経験して同じ価値観を共有してるから、小さな価値観が楽しい→「大喜利」が好きと表現。 ・これは体力がなくなった年寄りの遊びに他ならない。→日本映画はフィジカルが弱い。 ・微細な大喜利ゲーム・センス合戦は、国内では評価されても、同じものを共有していない「外行ったら一撃で倒されてしまう」 ・日本映画に限らず、日本全体がその傾向がある。 ・業界のルールを守りすぎている。もっとひどい目にあって作らないとダメ。  制作委員会方式を捨てて成功した『シン・ゴジラ』や、クラウドファンディングを生かして作られた『この世界の片隅に』が、「今の日本映画」としてどう位置づけられるのか興味はあるものの、このままなら、ただの現在の日本映画を嘆くインタビューを聞かされるだけの回であっただろう。  しかし、真面目に天願が映画論を語っている際、内容よりも気になったのは、傍に転がる芦田のランドセルだ。  なぜプロとして覚悟をもって参加している芦田が、一方で常にランドセルを背負っているのか。いくら現役の小学生だからといって、仕事中ずっと二宮金次郎よろしくランドセルを背負っている必要はないはずだ。  それは、カンヌや映画論を語るただのインタビュー番組を、物語へと半歩進めてくれる装置として機能しているのではないか。  女優・芦田愛菜ではなく、ランドセルを背負った愛菜ちゃんとして、ここに迷い込ませることで、この番組を、ただのドキュメンタリーから脱却させている。  芦田は決して出落ちだけの存在でもなければ、小ネタでもない。この番組の重要なパーツなのだ。  ここは芦田愛菜が突如迷い込んだ、現実とも虚構ともつかない世界だ。  子どもに殺人鬼を演じさせる、いい大人たちが無計画にいきなりカンヌを目指す、そんな狂った世界に漂流教室さながら迷い込んだ芦田を、我々は楽しめる作りになっている。  気になるのは、先ほど、天願がこき下ろした「今の日本映画」の中に、山下の作品も含まれていたのだろうかということ。明言はしなかったが(そもそも見ているのかもわからないが)『リンダ・リンダ・リンダ』(05)も『苦役列車』(12)も『マイ・バック・ページ』(11)も、天願には「今の日本映画」だろう。天願が脚本を書いた『十三人~』が含まれていたかはわからない。だが、山田の『クローズZERO』(07)や『闇金ウシジマくん』(12)や『荒川アンダー ザ ブリッジ』(12)は含まれていたのではないだろうか?  この時、今を生きる映画人である2人はどう思ったのか。語られはしなかったが、2人の中にあった思いは、フィクションではなかったはずだ。  この後、違う場所で見せてもらった今村昌平のカンヌのトロフィーを手に持ち「これを俺ら獲るんだよね?」と山田に改めて問う山下にも、「俺らのじゃないからいらないです」「重さもそれまでは知らなくていい」と拒絶する山田にも、フィクションではない、それぞれの熱を感じた。  事務所に帰り、今村昌平のカンヌトロフィー受賞作にちなみ、うなぎを食す3人。  どうやらうなぎが苦手な芦田は、ご飯のみを食べる。 「タレのついたご飯が好きで」という言い訳は、「応募」の「募」の字を書けないのと同じく、プロからはみ出した等身大の愛菜ちゃんなのだろう。  すかさず、そのうなぎをかっさらう山下。愛菜ちゃんの「フィジカル」が弱くならないか心配だ。  今回は山田より、全般に山下が「立った」回だったが、それでも思慮深く話を聞く姿だけで画を「もたせて」しまう山田の存在感や、最後に、高田純次なら口で咥えたであろう今村のトロフィーを「ヒトの」とあっさり切り捨てる様に、らしさが見えた。  また、偶然だろうが、同じテレ東で直前に放映されている『バイプレイヤーズ』に、『うなぎ』に出演している役所広司のみならず、田口トモロヲと光石研までも出演しているので、奇妙な臨場感を生んでいたことにも触れておきたい。  次回予告「第三話 山田孝之 パイロットフィルムを作る」では、森で絶叫する芦田に演技指導をする山田。その襟元には、黄金のシュロの葉(パルムドール)のアクセサリー光っている。  先週にくらべ今週はやや大人しかった分、来週は大きく動き出しそうな予感がする。 (文=柿田太郎)

また、あいつらが“仕掛けて”きた! 気持ちよく振り回されたい『山田孝之のカンヌ映画祭』

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テレビ東京『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 いまや、カメレオン俳優として名をはす実力派俳優・山田孝之。  彼が2016年の夏に「カンヌ」で賞を獲ることを決意、その決意から思い立った行動を描くドキュメンタリー(風)番組。果たして、山田は「カンヌ」を獲れるのか? どんな映画を作るか? 何をしでかすのか?  一見、どう見ていいか迷う、この番組。放送枠や監督(山下敦弘、松江哲明)、主演が同じことから、2015年に同局で放送された『山田孝之の東京都北区赤羽』と同じ手法となる作品と見ていいだろう。 「手法」という言い方をさせてもらったのは、これらが、ドラマでもドキュメンタリーでもない、いわゆる「フェイクドキュメンタリー」「モキュメンタリー」と呼ばれる特殊な観せ方の作品だからだ。 『東京都北区赤羽』は、もともと清野とおる原作のエッセイ漫画で、作者本人が実名で登場、清野自身の赤羽での実際の暮らしをもとに描いた作品だ。  ここからは勝手な想像なのだが、いわゆるノンフィクション漫画である『東京都北区赤羽』をドラマ化するにあたり、そのまま脚本化することに抵抗があったのではないだろうか?  山田に漫画のままの「主人公・清野」を演じさせ、実在する街の人をそれぞれ役者に演じさせるだけの「ドラマ」にしてしまったら、原作の持つリアルなざらついた面白さはなくなる。  そうなれば、あの漫画の面白さである臨場感だったり、出会いの化学反応だったりを「再現」することは難しい。近いところではドラマ『孤独のグルメ』(同)が、原作の話を一切使わず「なぞる」ことをしなかったように、それを一歩進めて、新しいアプローチとして、山田自身を新しい「主人公」として、あの赤羽という街に降り立たせてみたのではないのだろうか。  それは、山田の発案なのか、監督や、制作の発案なのかはわからないが、結果的にあの「ドラマ」は(あえてドラマと呼ばせてもらうが)、後半、妙なグルーブを産み、新しい感覚と興奮を我々に味わわせてくれた。それは原作の漫画とはもちろん違うが、原作の新鮮味に負けぬ鮮度だったと思う。  この作品で、東京ドラマアウォード演出賞を受賞した監督は、一人が山下敦弘。『苦役列車』(12)や『天然コケッコー』(07)など、観る人によっては「何も起こらない映画」という印象を抱くであろう、いわゆるそういう映画の人だ。そしてもう一人が、主にドキュメンタリーで活躍する松江哲明。  これに山田を加えた、この3人だからこそ産み出せた空気だったはずだ。  後のインタビューで山下は「(監督2人とも)テレビのバラエティを観て育ったし、ドラマの影響も受けているので、それらの要素を全部やってみたい、山田くんのこの企画(『東京都北区赤羽』)ならできる、そして変なものは間違いなくできたという手応え」があったと語っている。  いくら言葉を並べても、実際に観ていない人にはピンと来ないとは思うが、雑に言わせてもらうと『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)でよくあるリアルっぽいコントの長いやつみたいな感じだ。汲み取ってほしい。  さてそんな前作があってからの、今作『山田孝之のカンヌ映画祭』である。「第一話 山田孝之 カンヌを目指す」放送を振り返る。  カンヌでタキシード姿の山田と山下監督。これは山田の夢なのか?  オープニング。カンヌを歩く山田のバックに流れる山田とフジファブリックのテーマ曲「カンヌの休日 feat. 山田孝之」が、しびれるほどかっこいい。歌詞は、カンヌで賞を獲った映画のタイトルがずらり。  東宝スタジオ。『勇者ヨシヒコと導かれし七人』の楽屋で、呼び出されてやって来た山下に、カンヌで賞を獲りたいとの相談を、ヨシヒコの衣装のまま、大真面目に持ちかける山田。  理由としては、近年、本を書いたり(『実録山田』ワニブックス)、MV(TEE「恋のはじまり」)の監督をしたり、いろいろ新しいことをしていく中で、賞が欲しくなり、狙うなら世界最高峰のカンヌだということらしい。『赤羽』の冒頭で、映画撮影を中断して、急に赤羽に移住すると言い出した「おかしくなっちゃった山田」の再来だ。  途中、カンヌへの想いを語る中で、日本アカデミー賞に1回も呼ばれたことがないことへの不満を「正直なんなんだ?」「存在知ったのも何年か前ですけど」という言葉で、真顔で吐き捨てる山田。気持ちいい。  その作品の監督を依頼され、特にカンヌを意識したことがないという山下に「意識してなかったから獲れなかったんじゃないですか? 意識してこっからやってけば獲れますよ?」「本気出せば」と早口でまくしたてる山田。もちろん真顔。見た目は「ヨシヒコ」だ。  途中、「ヨシヒコ」の「メレブ」まんまの姿のムロツヨシがふらりとやってきて「『北区』だ? 『北区』これ? 『北区』だ? 出せ出せ『北区』に」と楽しげに絡んでくる。否定する2人に「じゃあ何区?」。この人はこうやって仕事を増やしてきたのだろうなとしみじみ思う。 「人を巻き込む時とか、何かやる時は強引なところがある」というムロの山田に対する証言がリアルだ。  後日、横浜元町のビルにすでに合同会社「カンヌ」の事務所を設立し待ち構える山田。山下監督は今回も振り回されつつ食らいついてゆく。 『赤羽』から続く、このシリーズの面白さの一因に、山下監督の「芝居」のうまさがあると思う。実に自然に、山田に驚かされ、山田を問い詰め、山田に振り回される。今回もその名コンビは健在だ。  壁には漫☆画太郎による馬鹿でかい山田の肖像画がかけられ、まるで悪夢のような部屋。  漫☆画太郎の単行本の他に、『軍鶏』や『クリームソーダシティ』1、2巻が積まれている。『赤羽』では山田の部屋のDVDに『ゆきゆきて、神軍』や『A』などのドキュメンタリーに混ざってフェイクドキュメンタリーの『容疑者、ホアキン・フェニックス』があり、これらがテレビ版『赤羽』の「手法」や「元ネタ」を匂わす、かすかな布石となっていたのだが、今回はいかに?  さて、今回山田がカンヌを目指すために作りたい映画の題材は『エド・ケンパー』。  エドモンド・エミール・ケンパー三世。身長206センチ。15歳で祖父母を銃殺し、ヒッチハイクした女性ら6人を殺害、その死体を犯して、のちに実の母親をハンマーで殴り殺した、いわゆる猟奇殺人犯だ。  前回の『赤羽』で山田が悩んだきっかけが、(架空の?)映画『己斬り』での自害のシーン。そして今回が、親殺しの殺人犯のそこにいたる心理を描きたいらしい。純粋な山田ファンが心配になるほどの症状だ。 「日本の人たち、逆輸入好きじゃないですか?」と、おそらく山田の中にたまったものの一部がこぼれ出す瞬間も、この「ドラマ」の一つの見所だと思う。  山田はプロデューサーとしてカンヌの最高賞「パルムドール」を狙いたいらしく、出演はしないと明言する。  すでに主演候補には個人的に話をして、相手事務所にもほぼ許可も取っているらしい。 「誰かは楽しみにしてて下さい」と煙に巻く山田。 『赤羽』でも、ふと思い立って詩を書き、ふらっと作曲者を紹介すると連れて行かれた先にいたのが、イエローモンキーの吉井和哉だった。  今回も油断できない。どんな大物俳優なのか。  日比谷公園のオープンテラスへ。主演俳優との待ち合わせ場所だ。  テラス席でカンヌ談義をする山田と山下。  ひとしきり話した後で、山田が席を立ち、待ち合わせ相手を連れて公園の遠くの方から歩いてくる。禿げた中年男性と歩いている。誰だろうか。  その男性の横にランドセルを背負った小さな児童が。  どこか芦田愛菜に似てる。  近づいてくる。  芦田愛菜によく似ている。  たしか芦田愛菜も小学生だったはずだ。  異様に芦田愛菜に似てる児童が、席に着く。  おもわず、山下が、「芦田愛菜ちゃん?」と尋ねる。 「芦田愛菜です。よろしくお願いします。」と答える児童。  芦田愛菜だった。  当たってた。  このとき、タイムラインが一斉に「芦田愛菜」になる現象が。  禿げた男性はマネジャーらしい。  戸惑いながら「親殺し」のことは聞いてるかと聞く山下に、「はい」と当然のように頷く芦田。いや、愛菜ちゃん。この瞬間、公園のカラスが騒ぎ出す。演出だとしたら恐ろしいが、偶然だろう。  カラスもたじろぐキャスティング。カンヌと親殺しとランドセル。咀嚼しきれない。 「全然不安はない、絶対できます」と山田。彼には、もう見えているようだ。  ここでエンディング。  次週「第二話 カンヌを学ぶ」の予告で、大学のような場所で必死にノートをとる愛菜ちゃん。どうやら悪夢は続くらしい。  ぞわぞわしつつ、エンドロールを眺めていると、「語り 長澤まさみ」の文字が。冒頭から聞こえてたナレーションは長澤まさみであったことに気づかされる。またタイムラインが活気づく。 『赤羽』後のインタビューで監督2人は、世間のリアルタイムなリアクションや議論を非常に面白がっていた。前回で知ったその反応を、今回はより強く意識して「仕掛けて」きたはずだ。  初回でこれだ。  見た人はがっつり掴まれたことだろう。  さてこうなってくるとハードルは上がってしまう。  どう展開するのか? どんな結末になるのか? 愛菜ちゃんの出落ちを越えられるのか?  よこしまに考えてしまうが、一番楽めるのは、素直に観て、驚いて、振り回されることだろう。 『赤羽』から観ていて、ひとつ気になったのは、山田孝之は決まった台本を演じることに飽きてしまったのでは? という懸念だ。  同じことを何度も繰り返し、自分のセリフも相手のセリフの決まっている台本での芝居に比べて、これらの掛け合いは多分に刺激的なはずだ。カメレオン俳優などの評価を得て、早くも物足りなさを感じてしまっているのではないだろうか。  ダウンタウンが漫才よりもフリートークを選んだように、山田もドラマよりもモキュメンタリーを選んでいるのではないだろうか?  それは極論だとしても、「狂った山田孝之」を「演じる」山田孝之には、他の芝居の時とは違う興奮を感じる。  今回、このドラマに振り回されつつも、山田のなかなか掴めない素顔も垣間見れたらと思う。 (文=柿田太郎)

また、あいつらが“仕掛けて”きた! 気持ちよく振り回されたい『山田孝之のカンヌ映画祭』

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テレビ東京『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
 いまや、カメレオン俳優として名をはす実力派俳優・山田孝之。  彼が2016年の夏に「カンヌ」で賞を獲ることを決意、その決意から思い立った行動を描くドキュメンタリー(風)番組。果たして、山田は「カンヌ」を獲れるのか? どんな映画を作るか? 何をしでかすのか?  一見、どう見ていいか迷う、この番組。放送枠や監督(山下敦弘、松江哲明)、主演が同じことから、2015年に同局で放送された『山田孝之の東京都北区赤羽』と同じ手法となる作品と見ていいだろう。 「手法」という言い方をさせてもらったのは、これらが、ドラマでもドキュメンタリーでもない、いわゆる「フェイクドキュメンタリー」「モキュメンタリー」と呼ばれる特殊な観せ方の作品だからだ。 『東京都北区赤羽』は、もともと清野とおる原作のエッセイ漫画で、作者本人が実名で登場、清野自身の赤羽での実際の暮らしをもとに描いた作品だ。  ここからは勝手な想像なのだが、いわゆるノンフィクション漫画である『東京都北区赤羽』をドラマ化するにあたり、そのまま脚本化することに抵抗があったのではないだろうか?  山田に漫画のままの「主人公・清野」を演じさせ、実在する街の人をそれぞれ役者に演じさせるだけの「ドラマ」にしてしまったら、原作の持つリアルなざらついた面白さはなくなる。  そうなれば、あの漫画の面白さである臨場感だったり、出会いの化学反応だったりを「再現」することは難しい。近いところではドラマ『孤独のグルメ』(同)が、原作の話を一切使わず「なぞる」ことをしなかったように、それを一歩進めて、新しいアプローチとして、山田自身を新しい「主人公」として、あの赤羽という街に降り立たせてみたのではないのだろうか。  それは、山田の発案なのか、監督や、制作の発案なのかはわからないが、結果的にあの「ドラマ」は(あえてドラマと呼ばせてもらうが)、後半、妙なグルーブを産み、新しい感覚と興奮を我々に味わわせてくれた。それは原作の漫画とはもちろん違うが、原作の新鮮味に負けぬ鮮度だったと思う。  この作品で、東京ドラマアウォード演出賞を受賞した監督は、一人が山下敦弘。『苦役列車』(12)や『天然コケッコー』(07)など、観る人によっては「何も起こらない映画」という印象を抱くであろう、いわゆるそういう映画の人だ。そしてもう一人が、主にドキュメンタリーで活躍する松江哲明。  これに山田を加えた、この3人だからこそ産み出せた空気だったはずだ。  後のインタビューで山下は「(監督2人とも)テレビのバラエティを観て育ったし、ドラマの影響も受けているので、それらの要素を全部やってみたい、山田くんのこの企画(『東京都北区赤羽』)ならできる、そして変なものは間違いなくできたという手応え」があったと語っている。  いくら言葉を並べても、実際に観ていない人にはピンと来ないとは思うが、雑に言わせてもらうと『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)でよくあるリアルっぽいコントの長いやつみたいな感じだ。汲み取ってほしい。  さてそんな前作があってからの、今作『山田孝之のカンヌ映画祭』である。「第一話 山田孝之 カンヌを目指す」放送を振り返る。  カンヌでタキシード姿の山田と山下監督。これは山田の夢なのか?  オープニング。カンヌを歩く山田のバックに流れる山田とフジファブリックのテーマ曲「カンヌの休日 feat. 山田孝之」が、しびれるほどかっこいい。歌詞は、カンヌで賞を獲った映画のタイトルがずらり。  東宝スタジオ。『勇者ヨシヒコと導かれし七人』の楽屋で、呼び出されてやって来た山下に、カンヌで賞を獲りたいとの相談を、ヨシヒコの衣装のまま、大真面目に持ちかける山田。  理由としては、近年、本を書いたり(『実録山田』ワニブックス)、MV(TEE「恋のはじまり」)の監督をしたり、いろいろ新しいことをしていく中で、賞が欲しくなり、狙うなら世界最高峰のカンヌだということらしい。『赤羽』の冒頭で、映画撮影を中断して、急に赤羽に移住すると言い出した「おかしくなっちゃった山田」の再来だ。  途中、カンヌへの想いを語る中で、日本アカデミー賞に1回も呼ばれたことがないことへの不満を「正直なんなんだ?」「存在知ったのも何年か前ですけど」という言葉で、真顔で吐き捨てる山田。気持ちいい。  その作品の監督を依頼され、特にカンヌを意識したことがないという山下に「意識してなかったから獲れなかったんじゃないですか? 意識してこっからやってけば獲れますよ?」「本気出せば」と早口でまくしたてる山田。もちろん真顔。見た目は「ヨシヒコ」だ。  途中、「ヨシヒコ」の「メレブ」まんまの姿のムロツヨシがふらりとやってきて「『北区』だ? 『北区』これ? 『北区』だ? 出せ出せ『北区』に」と楽しげに絡んでくる。否定する2人に「じゃあ何区?」。この人はこうやって仕事を増やしてきたのだろうなとしみじみ思う。 「人を巻き込む時とか、何かやる時は強引なところがある」というムロの山田に対する証言がリアルだ。  後日、横浜元町のビルにすでに合同会社「カンヌ」の事務所を設立し待ち構える山田。山下監督は今回も振り回されつつ食らいついてゆく。 『赤羽』から続く、このシリーズの面白さの一因に、山下監督の「芝居」のうまさがあると思う。実に自然に、山田に驚かされ、山田を問い詰め、山田に振り回される。今回もその名コンビは健在だ。  壁には漫☆画太郎による馬鹿でかい山田の肖像画がかけられ、まるで悪夢のような部屋。  漫☆画太郎の単行本の他に、『軍鶏』や『クリームソーダシティ』1、2巻が積まれている。『赤羽』では山田の部屋のDVDに『ゆきゆきて、神軍』や『A』などのドキュメンタリーに混ざってフェイクドキュメンタリーの『容疑者、ホアキン・フェニックス』があり、これらがテレビ版『赤羽』の「手法」や「元ネタ」を匂わす、かすかな布石となっていたのだが、今回はいかに?  さて、今回山田がカンヌを目指すために作りたい映画の題材は『エド・ケンパー』。  エドモンド・エミール・ケンパー三世。身長206センチ。15歳で祖父母を銃殺し、ヒッチハイクした女性ら6人を殺害、その死体を犯して、のちに実の母親をハンマーで殴り殺した、いわゆる猟奇殺人犯だ。  前回の『赤羽』で山田が悩んだきっかけが、(架空の?)映画『己斬り』での自害のシーン。そして今回が、親殺しの殺人犯のそこにいたる心理を描きたいらしい。純粋な山田ファンが心配になるほどの症状だ。 「日本の人たち、逆輸入好きじゃないですか?」と、おそらく山田の中にたまったものの一部がこぼれ出す瞬間も、この「ドラマ」の一つの見所だと思う。  山田はプロデューサーとしてカンヌの最高賞「パルムドール」を狙いたいらしく、出演はしないと明言する。  すでに主演候補には個人的に話をして、相手事務所にもほぼ許可も取っているらしい。 「誰かは楽しみにしてて下さい」と煙に巻く山田。 『赤羽』でも、ふと思い立って詩を書き、ふらっと作曲者を紹介すると連れて行かれた先にいたのが、イエローモンキーの吉井和哉だった。  今回も油断できない。どんな大物俳優なのか。  日比谷公園のオープンテラスへ。主演俳優との待ち合わせ場所だ。  テラス席でカンヌ談義をする山田と山下。  ひとしきり話した後で、山田が席を立ち、待ち合わせ相手を連れて公園の遠くの方から歩いてくる。禿げた中年男性と歩いている。誰だろうか。  その男性の横にランドセルを背負った小さな児童が。  どこか芦田愛菜に似てる。  近づいてくる。  芦田愛菜によく似ている。  たしか芦田愛菜も小学生だったはずだ。  異様に芦田愛菜に似てる児童が、席に着く。  おもわず、山下が、「芦田愛菜ちゃん?」と尋ねる。 「芦田愛菜です。よろしくお願いします。」と答える児童。  芦田愛菜だった。  当たってた。  このとき、タイムラインが一斉に「芦田愛菜」になる現象が。  禿げた男性はマネジャーらしい。  戸惑いながら「親殺し」のことは聞いてるかと聞く山下に、「はい」と当然のように頷く芦田。いや、愛菜ちゃん。この瞬間、公園のカラスが騒ぎ出す。演出だとしたら恐ろしいが、偶然だろう。  カラスもたじろぐキャスティング。カンヌと親殺しとランドセル。咀嚼しきれない。 「全然不安はない、絶対できます」と山田。彼には、もう見えているようだ。  ここでエンディング。  次週「第二話 カンヌを学ぶ」の予告で、大学のような場所で必死にノートをとる愛菜ちゃん。どうやら悪夢は続くらしい。  ぞわぞわしつつ、エンドロールを眺めていると、「語り 長澤まさみ」の文字が。冒頭から聞こえてたナレーションは長澤まさみであったことに気づかされる。またタイムラインが活気づく。 『赤羽』後のインタビューで監督2人は、世間のリアルタイムなリアクションや議論を非常に面白がっていた。前回で知ったその反応を、今回はより強く意識して「仕掛けて」きたはずだ。  初回でこれだ。  見た人はがっつり掴まれたことだろう。  さてこうなってくるとハードルは上がってしまう。  どう展開するのか? どんな結末になるのか? 愛菜ちゃんの出落ちを越えられるのか?  よこしまに考えてしまうが、一番楽めるのは、素直に観て、驚いて、振り回されることだろう。 『赤羽』から観ていて、ひとつ気になったのは、山田孝之は決まった台本を演じることに飽きてしまったのでは? という懸念だ。  同じことを何度も繰り返し、自分のセリフも相手のセリフの決まっている台本での芝居に比べて、これらの掛け合いは多分に刺激的なはずだ。カメレオン俳優などの評価を得て、早くも物足りなさを感じてしまっているのではないだろうか。  ダウンタウンが漫才よりもフリートークを選んだように、山田もドラマよりもモキュメンタリーを選んでいるのではないだろうか?  それは極論だとしても、「狂った山田孝之」を「演じる」山田孝之には、他の芝居の時とは違う興奮を感じる。  今回、このドラマに振り回されつつも、山田のなかなか掴めない素顔も垣間見れたらと思う。 (文=柿田太郎)

『ドラクエ』vs『F.F.』が実現? 『勇者ヨシヒコと導かれし七人』が挑む冒険

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『勇者ヨシヒコと導かれし七人』テレビ東京
 『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』といえば、日本のコンピューターゲーム界における2大RPGだ。  ライバルである2つの世界観が相まみえると、どうなるか?  そんな夢の対決が実現した。ドラマで。  それが『勇者ヨシヒコと導かれし七人』(テレビ東京系)の第3話である。このドラマは2011年から始まった「勇者ヨシヒコ」シリーズの第3弾。数々の深夜ドラマを手がけてきた福田雄一が演出・脚本を担当する「予算の少ない冒険活劇」コメディである。 「予算の少ない」と銘打っているだけに、登場するモンスターが張りぼてやぬいぐるみだったり、突然、雑な紙芝居風のアニメになったりとチープ。  だが、「協力」として『ドラゴンクエスト』の発売元、スクウェア・エニックスがクレジットされており、モンスターの絵柄がそのままだったり、BGMもまったく同じだったりと、半ば公認の『ドラゴンクエスト』パロディが展開されている。  主人公のヨシヒコ(山田孝之)も、職業は「勇者」。その仲間であるパーティは、「戦士」ダンジョー(宅麻伸)、「魔法使い」メレブ(ムロツヨシ)、そして「村の娘」ムラサキ(木南晴夏)だ。  彼らは仏(佐藤二朗)に導かれ、集められた。今シリーズは「魔王」を倒すため、オーブを持つ運命の7戦士を集めていくというシナリオだ。  第1話では菅田将暉、第2話には片岡愛之助や滝藤賢一と、毎回のように思わぬ大物ゲストが登場するのも魅力のひとつ。村中の人たちがゾンビになってしまった第2話では、ゾンビ化する仲間たちをよそに、ヨシヒコは「ミギー」ならぬ「ヒダリー」という“寄生獣”っぽいものが左腕に寄生する。そういったパロディ満載のドラマなのだ。  そして、第3話では、渡辺いっけい扮する盗賊などとの戦いで、HPがわずかの瀕死の状態になってしまったため、村に戻ろうとするも、たどり着く直前にモンスターに遭遇するという“RPGあるある”が展開される中、突然、「ルーラ」的力で一行はどこか見知らぬ土地に飛ばされてしまう。  その村の入り口には、「エフエフの村」という看板が掲げられている。どこかオシャレ感の漂う、いつもとは違う雰囲気の村。  そこで一行は、長身で細身のスタイリッシュなイケメンに出会う。明らかに『ファイナルファンタジー』的な主人公の風貌だ。 「ヴァリーだ」と自己紹介する男(城田優)。 「バリーではなく、唇をかんでヴァリーだ」 と、名前へのこだわりもハンパない。彼は、自分のアジトにヨシヒコたちを連れて行き、仲間を紹介する。 「モンク」「白魔道士」「黒魔道士」という聞き慣れない職業を名乗る彼らに困惑するムラサキたち。「モンク」が「武闘家」と同じだとわかると、「武闘家は武闘家でよくねえ?」と悪態をつく。  彼らが話している間にも、ヨシヒコはアジトにあるツボや樽の中を確認するために割り始め、ヴァリーたちに「ええー! なんでぇ?」と驚かれる。 「ヨシヒコ、ここは明らかにルールが違うようだ」 というメレブの声も無視し、引き出しも勝手に開ける。もちろんこれは『ドラクエ』の勇者たちが勝手に村人の家のものを壊してあさることへのパロディだ。  それでも一緒に戦うことになった一行は、モンスターたちに遭遇。 「隊列を組め!」  ヴァリーの号令とともに、斜め2列になる一行。 「なんでこんな斜めのところで戦わなくてはいけないんだ?」  ヨシヒコが疑問をぶつけるが、ヴァリーは当たり前のように言う。 「ここでは、こういう感じなんだ」  モンスター側の攻撃で、そのダメージが数字になって表れると、「なんだ、今の数字は?」と、ヨシヒコはいちいちパニックになるのだった。  さらに異世界に飛ばされると、バカでかいモンスターにバカでかい武器で戦うモンスターをハントするような世界に足を踏み入れたり、勇者だけがどこかへ飛ばされ戻ってきたと思ったら、全身モザイク処理。モザイク越しには赤い帽子にモジャモジャのヒゲ、青いつなぎに赤シャツというどこかで見慣れた風貌になっているのがわかってしまうのだが、ヨシヒコは意に介さず興奮気味に言う。 「素晴らしい世界なんです。ちょいとジャンプするだけで、お金がどんどん入ってくる。苦労して魔物を倒さず、キノコやらカメを飛び越えて、柱にしがみつくだけでいい」  メレブが「それ以上言うな」と制するも、ヨシヒコはさらに続ける。 「カートでレースなどもできて、とてつもなく楽しい」  もう、やりたい放題である。  最後には仏が登場し、「主役の自覚を持てよ!」とヨシヒコを叱責。 「そういうチャレンジはさ、プロデューサーが苦しむだけだからさぁ」と愚痴ると、ムラサキが「でも『F.F.の村』は普通に行けたぜ」と疑問を挟む。 「その理由はゲーム通の人はわかっているから、ここでいちいち説明しません!」 『ドラクエ』のポップさと『F. F.』のスタイリッシュさは、相いれないものだ。だが、パロディドラマの中でなら、融合することができる。その世界にどっぷり漬かっていると気づかない、あるいはなかったものとされる違和感を、パロディはあぶり出す。だから世界観が違えば違うほど、そのズレが笑いを生んでいく。 『勇者ヨシヒコ』シリーズは、パロディにパロディを重ね、いつの間にか『ヨシヒコ』的としか言いようのない世界を作り出した。そしていまや、その『ヨシヒコ』的世界までも、パロディの対象にし始めたのだ。  深夜ドラマという予算の限られたフィールドで、どこまで自由に遊べるか――。そこへの戦いこそが『勇者ヨシヒコ』シリーズの冒険なのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから