ヤツガレ、別の記事で執筆したように、国会図書館に対して閲覧禁止になっている「児童ポルノ」のリストを見せて、ついでに閲覧禁止になっている本を閲覧させてヨ! と要求したら蹴られてしまった次第(記事参照)。これじゃあ、何が「児童ポルノ」なのかまったくワカラナイじゃあないですか。ヤツガレ、しごくまっとうに閲覧禁止にしている本のタイトルすら教えてくれないことの不当性を訴えているのですが、世間様から見れば「そんなにロリコンをこじらせているのか……」と思われているに違いない。 いやいや、なんの因果か「児童ポルノ」をめぐる問題に足を突っ込んで随分と時間が流れてしまったが、この泥沼からはまだ抜け出せそうにもありませぬ。サテサテ、国会図書館が「児童ポルノ」を閲覧禁止にしているのは、何も国会図書館ばかりが悪いのではありませぬ。なにせ国会図書館も、そんなケシカラヌ人権侵害の疑いのある本を閲覧させておったら、お縄にするぞ! と、お上(いや、法務省だから同列くらい?)から脅されたのだから仕方ない。 でも、図書館の問題に詳しい人に聞けば「児童ポルノ」に対する図書館の対応は分かれていて、閲覧ができる図書館もあるのではないかという。そもそもサァ、閲覧もできなければ、ワレメがどのような理由でワイセツになり、「児童ポルノ」が法律で禁止すべき問題のあるシロモノになったか過程もわからぬではないか。そのあたりも踏まえて、閲覧禁止にしていない図書館があったら、エライ! というわけで、現在さまざまな図書館の蔵書を調査中。その中で忘れてはならないのが、大宅壮一文庫である。ここは「一億総白痴化」とか「岡山は日本のユダヤ」という言葉を残したジャーナリスト・大宅壮一の蔵書をもとに始まった、雑誌専門図書館(なお、「岡山は日本のユダヤ」というのは正確には大宅壮一が言ったんじゃなくて、各県の県民性を調べていた大宅が、岡山県人を自宅に招いたら彼が自分で言いだしたのでビックリしたという)。 ここの利点は、さまざまな雑誌記事がキーワードで検索できるということ。近年は、かなり古い年代まですべてパソコンで検索できるようになったので便利なこと、この上ない。 京王線八幡山駅を降りて、左手に名所・都立松沢病院を眺めながらの徒歩5分。入館料を払って検索席についた筆者は、早速「少女ヌード」でキーワード検索を! ■これは……提供罪か? もうネ、検索しただけで出るわ出るわ。「少女ヌード」が一種のブームになっていた70年代後半~80年代にかけての雑誌は、今では「児童ポルノ」として扱われるであろうシロモノが、アートなんだか興味本位なんだか、よくわからん視点で掲載されている。 中でも、ガンガングラビアを掲載しまくっているのは「週刊新潮」(新潮社)である。「少女ヌードも成人する」(83年11月3日号)、「犬と少女ヌード」(80年3月27日号)「ある少女の成熟を追って」(78年3月9日号)など、写真家・清岡純子の作品を中心に掲載し、ベタ褒めしておるのだ。しかもこれらのグラビアは、写真の横に「14歳」「16歳」とか、堂々と年齢も掲載。 この時期は、さまざまな週刊誌が少女ヌードをグラビアで取り上げている事例が多く「週刊現代」(80年6月19日号/講談社)には「ふたごの少女 11歳のメモリアル」として、やっぱり今では掲載したら「児童ポルノだ!」と逮捕されそうなグラビアも組まれている。 さらに、こうしたグラビアが掲載されているのは男性誌ばかりではない。「週刊女性」(79年11月13日号/主婦と生活社)には「11歳衝撃のヌード」というタイトルで当時話題になっていた山木隆夫の『リトル・プリテンダーズ』(ミリオン出版)からの借りポジを掲載しておるのである。この『リトル・プリンテンダー』であるが、発売当時はモデルの年齢もさることながら「完全無修正のヌード写真集」なんだそうである。 「週刊プレイボーイ」(79年10月16日号/集英社)の記事によれば、初版分は発売4日で完売。4版を重ねて在庫ゼロになっていることが記されている。さらに、この記事によれば「完全無修正」が話題になったためか、警視庁からもご招待を受けたことが記されている。ひっかけようと思えばひっかけられるんだぞ、ということだったらしい。何事もなくてすんだのは、山木さんや出版社側の周到さもあるが、最終的には「お毛がなくて何より」ということだったのだろう。 当時の客層については「週刊読売」(81年12月20日号/読売新聞東京本社)で書店に取材し、次のように記している。 「私どもでは、わりと学生から中年まで各年齢層の方がお買いになってます。若い人は本を隠しながらレジに来ますね」(紀伊國屋書店) 「三十歳代から五十過ぎのサラリーマンの人たちです。昼間より夜のほうが売れますね。それもレジが込んでいるときにサッと本を取り、サッと持っていかれます。素早いですよ」(銀座・旭屋書店) また、この記事には、こうした少女ヌードのブームで業績を挙げている出版社への取材も豊富だ。当時のダイナミックセラーズの社長であった高浜宏次氏は、 「最初に企画を思いついたのは、ビニ本のかげりが見えてきた今年の初めでした。ビニ本はますますエログロ化し長続きしないだろう。この次は少女たちの、清純で自然なヌードが求められるのではないか、と……」 と、出版動機を語っている。同じく、少女ヌードで業績を挙げていた竹書房では、現社長の(当時は営業部長)高橋一平氏が客層について驚くべきセリフを。 「若い人が買うのは、一種の処女願望じゃないですか」 なるほど、当時から「処女厨」は存在していたのか! とまあ、当時の雑誌のグラビア・記事ともに、少女ヌードはさまざまな形でまったく無修正で掲載されている。警視庁はワレメがワイセツであるとして摘発したのは、筆者が調べた限りでは85年の「ロリコンランド」(コアマガジン)が最初だと思われる。その後、87年に「プチトマト」(ダイナミックセラーズ)が摘発を受けて、ワレメはケシカランとなったわけである。ただ、この事件を報じている「週刊文春」(87年2月12号/文藝春秋)は、ワレメを黒塗りにした上で写真を引用しているのだが、「噂の眞相」(87年4月号/噂の眞相)は修正無しでバッチリと……。 さて、筆者の目指すところは別にワレメを拝むことが目的ではない。大宅壮一文庫は、閲覧を請求するときは用紙に雑誌のタイトルと号数を書くと出納してくれる形だ。で、これらのページの複写を申し込んだら、どうなるのか試してみた……。 複写を申し込んで待っていたら、係の人が筆者を呼ぶ声が。大宅壮一文庫でも、これは拒否するのか──と思ったら、 「このページ、コピーすると文字が潰れちゃうけど、どうします?」 であった。そのほかは、まったくなにも止められることなく複写完了後は精算してお持ち帰りに至った次第。 さて、この行為によって大宅壮一文庫は、児童ポルノ法で定めるところの「提供罪」を犯したことになるのだろうか? この記事に記した雑誌は国立国会図書館でも、問題なく閲覧することができる。さらに、東京大学図書館でも「週刊新潮」などは蔵書しておる。果たして、筆者がこれらの雑誌を閲覧し、さらに複写まで行ったら大宅壮一文庫も摘発。国会図書館も摘発。東京大学図書館も摘発ということになるのだろうか? やはり、問題は「児童ポルノ」という定義のできない言葉が濫用されていることあると感じた。もちろん、この記事がもとで大宅壮一文庫にガサでも入ったら、全力で助けるヨ! (取材・文=昼間たかし)
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ミニコミが熱かった時代「平凡パンチ」1975年2月5日号 「ミニコミ第三世代に注目」
もはや「ミニコミ」なんて言葉は、通用しない世代のほうが多数派になっているんじゃなかろうか。まず、Googleで検索してみたのだが、最上位に表示されたのは「日本語俗語辞書」なるサイトの用語解説(http://zokugo-dict.com/32mi/minikomisi.htm)。ここでは「ミニコミ誌とは、自主制作雑誌の総称」として解説している。対して、多くのサブカルチャー用語が掲載されているWikipediaには、「ミニコミ」「ミニコミ誌」の項目はない。 ミニコミ誌は、いわば同人誌の一形態である。いや、同人誌がミニコミ誌の一形態なのかもしれない。その境界線は極めて曖昧だが、同人誌は掲載される記事が特定のジャンルや目的に絞られたもの。対して、ミニコミ誌は雑誌的といえるだろう。いずれにしても、制作する人々が、どう認識しているか次第だ。百花繚乱のコミックマーケットの中でも、同人誌というよりもミニコミと表現したほうがよいサークルは、数少ない。長らく刊行されている「漫画の手帖」あたりが、古きよきミニコミのスタイルを守っている数少ないものだろう(と、再びGoogleで検索してみたら「漫画の手帖」はWikipediaに「漫画に関するミニコミ誌」としてページがあった)。 かつて、インターネットも携帯電話もなかった時代。若者が、情報発信を行うツールとして使ったのが、ミニコミ誌であった。どこの大学にも、ミニコミ誌の1つや2つは必ずあった。オフセット印刷の高級なものは少数派で、多くはガリ版や、ちょっと時代が進んでリソグラフで印刷したものを、ホチキスで製本したものであった。 ちょっと回想。筆者が大学生だった90年代半ばは、振り返ればちょうど時代の端境期だったろう。まだ、ワープロを所有している同級生は少なく、パソコンとなると指で数えられる程度のマニアックなものだった。それでも、多くの人がミニコミ的なものは制作していた。筆者の通っていた大学の場合、ミニコミ誌制作を掲げるサークルは、どういう事情か勢いを失っていたが、文芸系サークルとか、研究系のサークルは、会報とか会誌という形で、ミニコミ的なものを制作していた。その制作風景も、今となっては化石的だと、この文章を書き始めて気づいた。 当時の制作スタイル。まず、ワープロで原稿を制作するのは、ごく少数派。PCを所有していてもテキストデータなんて言葉は、ほぼ誰も知らない世界。原稿は、緑の方眼が入ったレイアウト用紙に直接書き込むか、ワープロで入力したのをプリントアウトして、切り貼りするものであった。直接、レイアウト用紙に原稿を書くときも、いちいち鉛筆で書いて下書きするのは面倒くさくて、直接ペンで書いていき、間違ったら修正液を塗りたくるのが常套手段だった。そう、あの頃は、文房具の中で修正液が欠かせない時代だったのだ。原稿が揃ったら、ページに間違いないか確認をして、リソグラフで印刷。だいたい、〆切を設定していても、誰もが守るはずもない。ゆえに、リソグラフで印刷したあたりで、サークルボックス or 学生会館を追い出されて、誰かの家で「紙をトントンする作業」「紙を折る作業」「閉じていく作業」を繰り返し、気がついたら、朝という感じ。だいたい、印刷の前の段階。原稿を揃えているあたりから、合宿である。なにしろ、1人か2人かは、原稿を揃えている段になって、ようやく原稿を書き始める……。研究系のサークルだと、真面目に研究論文を書くヤツがいる一方で、1人か2人かは「……次回に続く」と2ページ目で終わるヤツ、趣味か食い物の話か、合宿の思い出を書いてお茶を濁すヤツが出る。 そして、今は21世紀。ワイワイガヤガヤした制作風景は、もう聞かない。大学生レベルでも「PDFで入稿してネ!」とか、器用なヤツがInDesignでカッコイイデザインをつくっちゃう時代なのだ。こうしてモノをつくる作業は個人の中へと埋没している。スタイリッシュなデザインは、手に取る者を満足させても、長く記憶に止めるものは少ない。 さて、ミニコミはいかにして生まれてきたものなのか? 「平凡パンチ」1979年2月5日号に掲載された「ミニコミ第三世代百花繚乱」は、こう綴る。
「ミニコミが、そもそも若者文化の旗手として世の中に登場してきたのは、あの68~69年の学園闘争以降のことだ。自分たちのパワーで既成社会に変革を迫ったあの闘争もけっきょく、機動隊の圧倒的な力の前に、敗退せざるをえなかった。
そうしたなかで、闘争挫折派のヤングが、政治的な戦いを文化的なレベルでの闘いにスイッチバックさせる形で、新たに生み出したのが、ガリ版刷りやタイプ印刷のミニコミ雑誌群だったのだ。
いわゆる大人社会への対抗文化設立を目指す、“怒れる若者たち”からの紙つぶてとして、これらのメディアは、世の中へ放たれた。
あれからちょうどまる10周年を迎えた今、ミニコミ自体もかなりの変化をとげている。つまり、おフザケとパロディとに満ちたナンパのメディアが激増している」
ここに示されるように、そもそもミニコミは漠然としたカウンターカルチャーの意識の中で、生まれ出たものだった。しかし、それは、あくまで漠然としたものにすぎなかった。ここに示されるように、わずか10年の間に、ミニコミという媒体を使って体制に、あるいは世の中に牙を剥く意識は、飛び去った。でも、若者の情熱が冷め切ったというわけじゃない。それは、本気の消費文化として蘇ったのである。
この記事では、前述の闘争に挫折した世代を第一世代として、1979年当時には既に第三世代に移行していると述べている。
すなわち第二世代とは
「手書き文字をそのまま軽オフセット印刷にかけたという新聞スタイルのフリープレス群である」
とする。そして、第三世代とは77年ごろから勃興してきた
「いわゆる街の情報誌のスタイルをとったタウン誌と各大学のキャンパス・マガジンの2つの傾向」
からなるものだとする。
この記事が掲載された1979年という時代、それは第一世代は消え去ったものの、第二世代はまだ残存。第三世代が、急激に勃興を始めた頃だったのだ。
この記事では真面目な第二世代も取り上げつつも、メインになるのは第三世代。記事中では、1979年当時には全国でミニコミ誌は5,000種も出ていると述べているが、その中で最も勢いがあるのは、マジメさも堅さもない。それまでの学生のメディアとは打って変わった第三世代のミニコミであったのだ。
そして、記事は次々と第三世代を象徴すべき妙なミニコミを紹介している。中でもイチオシで紹介されるのは同志社女子大の女学生による「奇女連」なるサークルが発行する「ナ・リマ・セヌ」なるミニコミだ(タイトルは、尼さんが濡れ場で「なりませぬ、なりませぬ」と声に出すところからと、ある)。記事によれば、この奇女連は、次のような女性の集合だという。
「平均年齢二十歳ほど/男の所持数 星の数ほど/信条 犬が西むきゃ尾は東/宝物 子宮/氏神 中山千夏+桐島洋子<泉ピン子/合言葉 普通の女の子はもうやめた」
……サブカル女子は、別に21世紀になって始まった存在ではないことを示す資料ではなかろうか。
ともあれ、若気の至りともいえる突っ走り方がすがすがしいミニコミには目を見張るものがある。上智大学の仲良し4人組の女のコたちがロンドンでパンクに目覚めて創刊したと紹介される「狂乱娼館」はまさに、それ。なんでも、パンクを本当に正しく伝えるミニコミだそうなのだが、
「だれでも人間なら言いたいことがあるのだから、かまわず発言しようってことが私たちのネライ。そして、パンクを通して日本のジャーナリズムがいかにくさっているか、身をもって挑戦したいンです」
と、発行メンバーはコメントしている。政治の季節が過ぎ去ってから10年を経ても、まだ何かの雰囲気が残っていたことを感じさせずにはいられない。今でも、ミニコミ誌が継続的に発行されている早稲田大学に触れた部分では、新しい号が出るたびにキャンパスに露店を出して販売していることが記されている。学生が露店を出して勝手に商売をやり始める──もはや、ガードマンがウロウロと巡回している管理された空間となった大学では考えられない光景であろう。
(文=昼間たかし)
同人誌の売り上げを気にするヤツは死ねばいいと思った……『サンデーまんがカレッジ つくろう!同人誌』
今回、紹介するに当たって再読して、あらためて内容の素晴らしさに気づいた。 『サンデーまんがカレッジ つくろう!同人誌』。タイトルの通り「少年サンデー」編集部による同人誌の作り方をまとめたマニュアル本である。この本が出版された1980年代前半「少年サンデー」が「同人誌グランプリ」なんて企画をやってたのも、今から考えるとすごいことだが、それはさておき、中で記されている内容は現代でも通用することばかり。いや、今から同人誌を作ってみようかという人は、読んでおいて損のない内容である。 さくまあきらが構成を担当しているこの本。当時の人気作家より石ノ森章太郎、新谷かおる、高橋留美子、岡崎つぐおの4人が同人誌時代を語った上で、実際の制作のレクチャーへと入っていく構成だ。 大人気の漫画家たちも同人誌をやっていた! イコール、同人誌はプロデビューへもつながる可能性を秘めている! という夢のある構成だ。 というわけで、夢を膨らませながらページを読み進めていくと……同人誌の第一歩として記されているのは「まずは会員を集めよう」というもの。これは、注目すべきポイントである。今でこそ、個人サークルなんて当たり前になっているけれど、当時は同人誌というのは仲間同士で集まって制作するのが当たり前だったということが見て取れる。なにせ、1行目に「同人誌をはじめるには、まず会員を集めなければなりません」と書かれているくらいだし。 そして、読者層を10代前半あたりに設定しているのか、仲間集めに関する説明がとても丁寧だ。仲間を集める方法としては、雑誌読者欄への投稿が一番早い方法として懇切丁寧に説明されている。さらに、注意事項の説明も微に入り細に入っている。中でも「(雑誌に募集告知する場合)しっかりした書き方をしないと、あっという間に200人以上もの入会希望者が集まってしまうので、注意しないと大変なことになってしまいます」という一文は見事だ。なにせ、夢を持たせながらも「サークルの方向性はちゃんと決めないとグダグダになっちゃうよ」と教えているわけなんだから。注意事項では、募集する人の年齢もちゃんと考えるようアドバイスがなされている。ちょっと引用してみよう。 「せっかく募集しても、入会希望者が5歳も6歳も年上ばかりでは、会の運営はなかなかうまくいきません。できれば、何歳以下の人を募集中と、明記したいものです」 どうだろう。ここで書かれた内容を実践して出来上がるサークルは、かなり「本気度」の高いものではなかろうか。ネタでマニュアルっぽく書いているのではなく、文章の端々から、ぜひサークルを設立してうまくいってもらいたいという執筆者の願いが見えてくる。 これらの記述から見えてくるのは、ここで目指されている同人誌が現在とはかなり異なるということ。会員集めに続いて原稿の書き方、スケジュールの立て方などを解説したあと、「会員紹介のページをどうするか」という項目が設けられていることからも、それは明らかだ。ここで執筆者は多くの文字数を割いて会員紹介の大切さを記す。 「同人誌を読んでいて、この本はいいなあと感じるときは、作品の出来はもちろんですが、会員紹介のページの良し悪しが左右することが多いのです。会員紹介のページが楽しそうで、ていねいに作ってある本は、まずいい本と思って間違いないようです。同人誌というと、どうしてもひとりよがりな作品が、掲載されている場合が多いものです。このような作品が、多く掲載されている本にかぎって、会員紹介のページがなかったり、あったとしても非常に冷たさを感じるページになってしまっているから不思議です。また、同人誌のなかには、絵はうまくないけれど、読んでいてあたたかみを感じる作品が多い本があります。各作家が一生けん命やって、チームワークもいいなあと感じる本もあります。こういう本の場合、必ず会員紹介のページがおもしろいのです」 この記述は、大上段に構えることなく同人誌がどういうものかを示している。同人誌とは本来、コミュニケーションのツールである。同人誌を通じて仲間と研鑽し合うこともできるし、即売会に参加することで同好の士や、いまだ見ぬ仲間との出会いも無数にある。実のところ、人気があるとか売れるとかは同人誌においては、あまり重要な要素ではない。「同人誌とは何か!」みたいに肩肘張って書き記すのではなく、「うまいヘタとか別にして、仲間と一緒にやったほうが楽しいでしょ」と優しく教えてくれる点で、この本の価値は高い。 ■本来の同人誌は、こういうものです ここまで、本の内容を解説するというよりも、べた褒めするようなスタンスで記してみた。というのも、このような懇切丁寧な記述を行っている本が現在では存在しないからだ。この原稿を書くにあたってGoogleで「同人誌 作り方」と検索をしてみて、アレッ? と思った。原稿の描き方(サイズとかなんとか)や、印刷所への入稿の仕方など、技術を解説したものは無数にある。しかし、基礎の基礎……「同人誌とはこういうものですよ」と、教えてくれるようなものは、ついぞ見当たらない。「同人サークル 作り方」とかでも検索してみたのだが、Yahoo!知恵袋などでQ&Aはあるものの、サークルの立ち上げや運営を解説してくれるサイトも見当たらない。 近年では、同人誌を制作するに至る前段階としてネットで絵を公開するなり、同好の士と交流している人が多数派になっている。いわば、同人誌を発行せずとも創作意欲が満たされたり、交流できる場は増えたわけだ。それでも、コミックマーケットには3万を超えるサークルが参加する。そして、その中で儲かっているサークルなんかほんの一部にすぎない。それでも、大勢の人々がサークル参加をしているということは、大多数の人は、わざわざ解説されなくても同人誌はコミュニケーションのためのツールだと理解しているということだろう。 でもやっぱり、そうではない人はいる。昨年、同人誌印刷会社の人から聞いた話だが、ポスターをスタンドの裏表ともに掲示して、背中側のサークルに「ウチのポスターが見えなくなるから、スタンドを立てるな」と要求して揉めたサークルがあったという。 なんだか、理解し難い出来事だが「自分のサークルの売り上げが下がったらどうする。ほかのサークルのことなんか知らない」という主張だったそうだ。この事例は極端だとしても「同人……なんだよね?」と首をかしげることは、日常的にあるのではなかろうか。先月だったか、同人誌が売れなくて死にたがっている人物とやらがネットで話題になったし、売れないマンガ家なんかが、即売会の売り上げで生活費のせせこましい計算をしているのも、よく聞く話だ。 別段、それが悪だとか愚かであるとか批判する気もないが、同人誌なのに人気や売り上げに一喜一憂していて、楽しいのか大いに疑問だ。なにより、そんな意識で作った本なんて、どこか殺伐としていて読者にイヤな思いを与えるのではなかろうか。 前掲の「また、同人誌のなかには、絵はうまくないけれど、読んでいてあたたかみを感じる作品が多い本があります」の一文がすべてを語っている。儲かろうが儲かるまいが、作っていて楽しい、人に喜んでもらいたいという根本的な部分を忘れたものが売れるわけもないだろう。そうした人たちに向けて、書籍でもサイトでもいいから、ちゃんと基本を教えてくれるものは必要なのではないかと、筆者は考える。もっとも、ホントに基本が必要な人は、入門書なんか読まないんだけどネ! (文=昼間たかし/文中敬称略)『サンデーマまんがカレッジ
つくろう! 同人誌』
(小学館、1983年)
昔はこのくらい平気でした……伏せ字にする気のないヤバイ印刷所の実態『パソパラチャット』1998年12月号
いつの頃から、雑誌でヤバいネタを書きにくくなったような気がする。かれこれ30年くらい雑誌好きとして人生を送っていると、“雑誌=ちょっとくらい人の悪口を書いても平気なもの”というのが常識だと思っていた。読者はそれを求めているはずだし、ターゲットにされたほうも笑って許してくれる……。でも、もうそんな時代は終わっていた。先日、ある雑誌で筆が滑って、看板作家を喰って嫁にした某編集長の話とか、挨拶代わりに女性編集者のおっぱい揉んでも怒られなかった某編集部(すでに廃刊)の話とか書いて入稿したら「やめてください!」と速攻怒られた。う~ん、もう時代は変わってしまったのか。 そんな昔を懐かしみながら、今回紹介するのは『パソパラチャット』(メディアックス)1998年12月号である。この雑誌は、91年に日本初のエロゲー専門誌として創刊された『パソコンパラダイス』の姉妹誌である。エロゲーを扱う本誌に対して、こちらのメインになっていたのがエロライトノベルとエロアニメである。 思えば、当時はオタク向けのエロコンテンツが伸びまくっていた時代だった。今でもエロアニメの一大レーベルとして知られる「ピンクパイナップル」が誕生したのは94年(最初のリリース作は『同級生』『マジカルトワイライト』『美しき性の伝道師麗々』……時代を感じます)のこと。90年代の後半には、当時の親会社だったKSSは西五反田に自社ビルを建てて、1、2階にはCD・ビデオ・ゲーム販売店ソフトガレージを出店。当時、筆者は東急池上線沿いに住んでいて「エロアニメってのは、随分と儲かるんだな……」と思ったモノだ。もっとも、あんまり客は入っていなくて、近隣の大学生の遊び場と化していたのだが。『パソパラチャット』1998年12月号
(メディアックス)
そうした時代背景もあって成立していた本書。今読み返すと「『殻の中の小鳥』からメイドブームがこうなるとは、思わなかったなあ……」とか「『AKITE』はフツーに面白いアニメじゃったよ……(原作・脚本・キャラクターデザイン・監督すべてが梅津泰臣)」とか、懐古厨な感覚に陥っていく。梅津泰臣版のキャシャーンは今でも名作だと思っています。
乳揺れが……。
かかしあさひろの名を聞いて思い出すのは、出版社の在庫処分の場だったコミケの企業ブースで
嫌そうな顔してサイン会していた姿。昔の企業ブースは面白かったなあ、
新声社が潰れた後とか。
でも当時、この雑誌の購買意欲をそそっていたのは、そこではなかった。この雑誌、エロアニメの情報を看板にしながら、モノクロページはやりたい放題だったのである。中でも際立っていたのが、この号にも掲載されているシリーズ連載「ヲタク国勢調査」である。この企画は、ヲタクの自虐趣味を全開にしながら人の悪口も書きまくるという、今だったら絶対に編集者がビビってやらない企画である。 クレジットには「文カいたヤツ:ヨッシーアイランド/絵カいたヤツ:かかしあさひろ」とある。 今じゃ、代表作は『暴れん坊少納言』になっているかかしだけど、当時はエロマンガ家で、更科修一郎とかと一緒にマンガ・雑誌批評同人の形態でヤバげなことばっかり書いてコミケの評論スペースを賑わしていた頃。 そんな人脈によって生まれたとおぼしき企画ゆえ、「夏の思い出し」のタイトルでコミケについて語るのかと思いきや、冒頭から「もう現役復帰不可能な事、萩原○至のごとしじゃよ~」と、仕事するのがイヤだというボヤきを延々と綴る。そんな調子で始まる企画でまずネタにされているのが、「ヤバい印刷所」。このネタ、印刷所の会社名を伏せ字にしながらも、まったく隠す気なんてない。 せっかくだから引用してみるが「(ヤバい印刷所の)栄光の一位に輝いたのはなんと栄○印刷」として「とりあえず印刷屋の親父のくせに愛人3人も囲うの禁止」と、こんなところでライター生命を削らなくても……と思ってしまうような無茶な「批評」を。まあ、愛人ネタならまだいいだろうけど、ほかの印刷所への言及はほとんど営業妨害のレベル。「○○○○館」には「名簿転売の元祖。本が上がらなかったり、原稿が帰ってこないくらいならまだ良いが、借金のかたに名簿の転売は勘弁」だし、「○陽社」には「乱丁、落丁、が多いのは愛嬌で済まされるが、払った金より安い紙になってんのは許せん」……過去の事情を知らない人が読んだら「そうだったのか!」と半ば信じてしまうこと請け合いである。当時からインターネットの記事が掲載されているなんて考えてみれば最先端だね。
ページをめくるごとに思うのは、こーゆーものばっかり見てたら、
こんなオッサンになっちまったという自省だよ。
以前、印刷機マニアな某印刷所の人に「印刷所の歴史って誰かまとめないんですかねえ」と話したら「みんなしゃべりたがらないんだよね」と返された体験がある筆者も半ば信じてしまったぞ(あくまで印刷所ネタは引用ですからね!) さて、1998年のコミケの際にちょっと騒ぎになったのが、「某イ○○エ○大使館」が「○チスのコスプレ」に抗議したとかしなかったとかいう一件。一応、夏のコミケの総括企画ということもあってか、その点にも触れているのだが「2日目のミリタリーブースは、まるでA○DS患者の寄り合い所帯みたいな雰囲気だった」とか書いてある。いやいや、散々「炎上」している筆者であるが、もし「日刊サイゾー」にこんなこと書いたら、炎上じゃなくて出禁は間違いないよ(おそらく、校閲でストップだけどね)。 冒頭に、人の悪口が書きにくくなった現在について記したわけだが、この企画が清々しいのは基本的に噂と悪口をネタに昇華しきっていることにある。ゆえに「よく、こんなこと書けるな」と思うネタはまだまだ止まらない。「オールジャンルとは名ばかりのエロゲー専門即売会コミックキ○ッ○ル」が、悪名高い○ロッコ○ーから運営母体を変えた件に触れた部分では「○ロッコ○ーのK社長にしてみれば自社で安く買い叩いた版権グッズを高く売るための格付け用イベントだったはずなんじゃが、やり方を真似する会社が出てきてうまみが減って」云々とかと、まったく伏せ字の意味がない。そして、やり方を真似した会社に対しても「○-BOOKSは、経営者がガ○タンク君から変わった途端に攻めの経営姿勢ですな」とか。いや、文章がよっぽど攻めの姿勢なわけですが……。ほかにも本文で「最近トンと噂に上らぬプリンス黒メガネ」と書きつつ、挿絵で「RED」って王冠つけた王子が書いてあるしサ。 やっぱり、雑誌の価値はほかのメディアでは躊躇することをガッツリと文字にできることにあると再認識させてくれるこの記事。もう、こんな時代ってこないんだろうなあ。 (文=昼間たかし/文中敬称略)この頃から、こんな同人誌ばっかり買っていたら、人生がこうなったでござるよ……自省。
アルバイトが楽しかった時代「Olive」1982年7月18日号
今回は「Olive」1982年7月18日号を紹介しよう。「Olive」といえば「オリーブ少女」という言葉まで生んだ、マガジンハウスのファッション誌。でも、それは83年からのことで、それ以前は趣の違う雑誌だった。タイトルロゴの上には「Magazine for City Girls」のキャッチコピーを刻み、まんま「POPEYE」の女子大生版のテイストであった(ファッション誌にリニューアルした後のキャッチコピーは「Magazine for Romantic Girls」)。創刊4号目の、この号の一大特集は「保存版アルバイトの素敵な情報」である。 ■無謀な海外渡航もオシャレに見える?「Olive」1982年7月18日号
(編集発行人:木滑良久/平凡出版)
いったいどんなアルバイトが登場するのかとページをめくれば、冒頭で紹介されるのはオーストラリアでのワーキングホリデーの解説だ。……「あれ、違う宇宙の話かな?」と戸惑うしかないが、本文を読むとネタではなく本気である。 しかも、よくもまあこんなに思い切りのよいネーチャンばかりを見つけてきたものだと感心する。 冒頭で紹介される女性は「一年間滞在するというのに、地図さえ持たず、当日の宿泊先を決めないまま一路シドニーへ。空港からユースホステルを電話で探し当てたものの、宿泊期限が5日間。どうにか2軒目のユースホステルに移り住み、その間に現在のフラットを新聞で見つけたというコト」。思い切りがいいんじゃない。これは、ワーホリじゃなくて、冒険だよ(フラットってなにかと思ったら、キャプションに「そう、フラットというのは、日本でいえばアパート。知ってた?」だって)。 キャッチで「働くことが大きな冒険ダヨ!」と煽るこのページ。紹介している仕事は土産物屋やホテルの受付、観光ガイドだけではない。やたらと推しているのが、ホームステイして、お手伝いすることで週給がもらえる仕組みだ。「ご主人の舵取りで休日はハーバー・クルーズの豪華さかげん」の煽りには「どこの分限者じゃ!」と唖然とするしかない。きっと、この記事を真に受けた結果、ガレー船並みに働かされたヤツもいるんだろうなあ……。創刊号の広告。会社名のとこで「東京銀座」とオフィスの所在地を強調しているのが、
昭和的なオシャレ感。(「読売新聞」1982年5月17日夕刊より引用)
続いて、この特集が推すのが「ナレーション・ガール」である。何かと思えば、イベントコンパニオンである。ここも「週2回2時間のトレーニングで晴海のアイドル」とか、煽りまくりだ。唖然とする怒濤の煽りの中で隔世の感を感じたのが、「ちょっと資格のあるバイト」として紹介されている「コンピューター・ガール」だ。ここの紹介文は、まさに時代を感じさせるので引用してみよう。 ■パソコンが使えれば日給1万円 「いま、企業で注目されているのはオフィス・オートメーション(OA)と呼ばれるもの。ようは、事務所のコンピューター化をめざしているのだ。となると、コピーや書類の整理をするオンナのコなんて、必要がなくなっちゃう。こうなれば、就職がだんだん難しくなるね。企業はOAマシンを使える人を求めている。OAマシンを知っていれば、もう、それだけで、就職運動の切り札になっちゃう。そこで、アルバイトをしながら、コンピューターやOAマシンの使い方を覚えちゃえば、就職運動とあいなるわけ」このビミョーなスカートの丈に興奮できるようになったら一人前です(なんの?)
バイト代は5000円~1万円と紹介されており、前述のナレーション・ガールと同等のレベル。 本文中の「コンピューターの操作は、ちょっと難しいと思えるけれど、プログラムがしっかりしていれば、1つ2つのキーを押せば、簡単に動かせる。あとは機械まかせ」と、テキトーな解説が記されているように、今では当たり前のパソコンも80年代初頭ならば、立派な特技だったことがうかがえる。う~ん、今や50歳を過ぎた、この世代からパソコンを使える人=特技を持っている人の感覚が消えないのが、わかるような気がする。 ネタにしかならないものはたいがいにして、記事中に記された、さまざまなアルバイトのバイト料を羅列してみよう。 武道館のコーラ売り:時給500円以上 FM東京の翻訳業務:時給650円 「non・no」のモデル:プロ並み 「CanCam」のモデル:日給約5000円 バニーガール:平均時給1300円 巫女:結婚式一回880円 104番号案内:日給3500円 ミスタードーナツ:平均時給470円 ケンタッキー:時給500円 マクドナルド:時給500円前後 イッセイ・ミヤケのショップ:日給4000円以上 シップス・レディス:時給500円 ポンパドール:時給600円 CBSソニー:時給580円 新宿ルイード:時給600円 もはや30年ほど前の時給ゆえに現代よりも安いのは当たり前。そこで、比較のために、当時のモノの値段を調べてみた。82年の「小売価格調査(あらゆる物品の価格を羅列している役に立つ統計書だ)」では、次のように記録されている。 かけうどん:307円 ラーメン:344円 テレビ:10万5300円 私立大の年間授業料:32万8800円 (以上、東京区部平均) はがき1枚:40円 新聞月極:2600円 文藝春秋:530円 週刊朝日:250円 たばこ(ハイライト):150円 なんだか妙である。かけうどんは、30年たっても価格は同等(むしろ安くなった感がある)。対して、ラーメンや私立大学の授業料、たばこは倍以上。対して、テレビは半額以下といった具合だ。つまり、価格だけ見て当時が暮らしやすかったか否かを、単純に測ることはできない。 ■時給はベーコンエッグバーガー2個分こういう読者モデルの女のコたちって今はなにやってんのかな?
フツーに主婦か?
制服の色使いが時代を感じさせる。この頃のファーストフードは、
滅多に行くことのできない天国だった。
しかし、この特集を読んでいると、これだけは言える。「なんだか、楽しそうじゃないか、コイツら……」と。 この妙な楽しさは、なんだろうと考えて気づいた。春先になると、よく書店やコンビニに並んでいる「部屋テク」系のムックと同じ雰囲気が漂っているのだ。一人暮らしを始めたら、部屋をオシャレに飾っちゃおうと煽りまくるのが、それらのムックの基本スタイル。結果、ビレバンとかIKEAあたりで、妙な雑貨を買っちゃって、数年後には後悔する若者は多い(かくいう筆者も20代の後半になって、間接照明にこだわったが……視力が悪化した)。渋谷の人気ショップも続いているトコ、ないトコといろいろ。
この後、バブルを経てどうなっていったのだろうか。
いつものネタですが、テクノロジーのシンポには驚きます。
この時代の男のコって、ヒゲはやしている人が多いんだよね。
目次を見ると、ベースが「POPEYE」なのが一目瞭然
でも、たとえ黒歴史になったとしても、そうした情報は、夢や楽しみを提供してくれたハズだ。 翻って、この特集で紹介されているアルバイトだってそうだろう。当然、楽な仕事なんてなかっただろうけど「出会いがあるかも」「貯金して……」とか、今よりもアルバイトを通しての夢は大きかったハズ。アルバイトに、単なる労働ではない付加価値があったことが、よく見えてくる。 そうした現代との感覚の違いを、特に感じさせるのが、ファーストフード店を紹介しているページ。前述のように時給がビミョーなのだが、今では信じられないくらいオシャレである。 「さか立ちしている白いヒツジちゃんとオレンジ色の看板がシンボル・マークなのが<ロッテリア>。永遠のアイドル(?)郷ひろみクンのCMや、あの秋吉久美子さんが映画『突然、嵐のように……』の中でアルバイトしていたお店として強く印象に残っています」 「<ファーストキッチン>はハンバーガーとミネストローネのお店。洋酒・ビールで有名なサントリーの外食部門だというのはあまり知られていないお話」 なんだか、ファーストフード店が妙にオシャレに見えてくる文章ではないか。ファーストキッチンを紹介している文章なんて、タイトルが「ベーコンエッグバーガー2個分がワタシの時給」って、バカにしてんのかとも思うが、妙にオシャレに錯覚してしまうのは、なぜなんだろう? もはや、夢のある、楽しいアルバイトなんて話は聞かない。 アルバイトの仕組みも、80年代と今ではガラリと違う。80年代は日雇い系でも、多くは実際に就労する先の企業がバイト雑誌で募集をかけるのが当たり前だった。今では、そうした例は少なくなり、アルバイト募集系のサイトで検索すれば「派遣」の文字ばかりが目立つ。 否応なしに、アルバイト=いつでも替えのきく使い捨ての労働力と自覚せざるを得ない現在。でも、そうじゃない時代はあった。楽しくお気楽に、異性との出会いもあるアルバイト。そんなものは、80年代を最後に消え去ってしまったのか。 (文=昼間たかし)
自動改札機が「SF的スピード」だった時代『ひとり暮らしの東京事典 84年版』
いまだに年末から年度末にかけてのこの時期には、文房具店の手帳売り場は賑わっている。でも、その需要は確実に減っているはずだ。筆者自身も手帳を使わなくなって長い。スケジュール管理は、スマホとGoogleカレンダーで完璧だ。手帳と共に必需品だったポケットタイプの地図も、もはや持ち歩く必要はない。 そろそろ大学受験も終盤を迎え、続々と若者たちが上京してくる時期。かつて、上京してきた若者は、マニュアル本やら何やらを買い漁り、地下鉄の使い方からどこでナニを買えばよいとかを必死に覚えていた。地図やガイドブックも必携である。20世紀の終わりくらいまでは、ファッションやグルメだけでなく書店ガイドだけでも一冊の本として成立しえていたのを思い出す。今回は、そんな時代の若者たちが読んだであろう一冊を紹介する。『ひとり暮らしの東京事典 84年版』である。 隔世の感を感じさせるのは、本の構成だ。まず表紙を開くと、地下鉄路線図と主要路線の所要時間一覧表が挟まれている。いまやスマホで目的地を入力すれば、行き方のすべてを教えてくれる時代。でも、10数年前までは、出かける時には、自分で行き方を組み立てなければならなかったんだよな。 そんな本書はターミナル駅のガイド(当然だが、駅構内の地図つき)に始まって、生活術、各地域のガイドと続く構成だ。考えてみれば、30年あまりも昔の話。ターミナル駅のガイドだけでも隔世の感がある。新宿駅の項目では「新宿発23時45分、アルプス13号は、北アルプスに登る若者たちであふれている」とある。急行アルプスはともかくとして、いま「新宿駅のアルプス広場」といって、通用する人はどのくらいいるのだろうか? 今回、紹介するにあたってじっくり読んでみたのだが、東京の地理に疎い人にとって、この本は親切なことこの上ない。東京都心部の路線の解説なんかは、とてもわかりやすいのだ。 「みどりの山手線は円! まず、このことを頭に入れること。そして、この円を西からまっすぐに横切るのがオレンジ色の中央線だ。横切った円の東側に延びていくのが黄色の総武線、縦は南北に青い京浜東北線だ」 なんて簡潔な説明だろう。で、この後、私鉄の解説もあるのだが「(私鉄は)円の内側はまったく走っていない」と、これまた時代を感じさせる記述が。いや、東京の鉄道網ってどんどん便利な方向へ進化しているのだなあと、感慨深くなる。『ひとり暮らしの東京事典 84年版』
株式会社CBS・ソニー出版、1984年2月
そして、田舎から上京してきた人が困惑するラッシュについても、親切に指南してくれる。そこで記された人の流れに乗る方法は、こうだ。 「決意したらまわりを見渡そう。同じことを考えている人がいるはずだ。その人の後ろまで近づき、横切る方向に向かって後方45度にぴったり付く。要するに便乗するのである」 現代でも使えそうな項目はココだけ。なにせ自動改札機に対しては「差し込むとそれはもうSF的スピードで吸い込まれ、改札機方向にピッと出る仕掛けになっている」なんて書いているんだから。加えて、各路線の一覧表には「スト状況」の項目も。80年代はまだストライキで電車が止まることも多かったんだなと実感する。 ■人気スポットは中央線沿線東京の地下鉄路線は、まだこれだけ。今は便利になりました。
さて、生活編のページでは様々なジャンルのお店を紹介していくのだが、目に付いたのは定食屋の解説だ。「満足顔でしっかり食べて、それでも500円をオーバーすることはメッタにない」という記述をみると牛丼屋チェーンが全盛の今は、なんて不幸なんだ! と感じてしまう。なにより、ここで紹介されている学生街の定食屋には、今なお現存しているところも。ちょっと羅列してみると ・おふくろ(早稲田) →消滅。ビルになっている ・三品食堂(早稲田) →営業中、というかB級グルメブームもあって有名 ・森川町食堂(本郷) →営業中 ・市ヶ谷食堂(市ヶ谷) →居酒屋になっている ・大戸屋食堂(池袋) →この後、チェーン展開 ・三福林(下北沢) →消滅挿入されているイラストとかがとても時代を感じさせる。
こうしたイラストレーターの人って、どうしているんだろうか?
もちろん、当時と比べると値段は変化しているのだが、いまだに現存しているところが多い。どうも、学生が多い街で定食屋という商売はハズレがないようだ。もし、何か商売を始めるなら、選択肢に入れたほうがよいような気も。生活編の記述を見て気づくのは、現在よりも外食のチェーン化が進行していないこと。そして、スーパーは生活に密着しているが、コンビニはまだまだ珍しい存在であったことだ。セブン-イレブンの説明では「名前のとおり朝7時から夜11時まで営業だが、24時間営業の店も多い」と記されている。深夜営業の記述では博報堂の調査を紹介する形で午前零時に都内の街で買えるものを記しているのだが、これも目を見張る。これによれば、もっとも深夜の買い物が便利なのは池袋で、ワーストは上野。池袋では深夜でもコーラはもちろん、菓子パンでも生理用品でも、香典袋でも、英和辞典でも買うことができる。対して、上野ではコーラは買える物の、コンドームも菓子パンも売っていない。つまり当時、午前零時を過ぎた上野では、店がまったく営業していなかったというわけだ。いまやどこでもコンビニがあって、大抵のものは手に入る時代。なんて便利になったのだろうかと、感動せざるを得ないだろう。 ■ロリコンが喜ぶ街は茗荷谷 もう一つ、本書の現代的な価値を感じるのが「キャンパスのある街」の紹介だ。東京を扱うテーマの本だけに、筆頭で紹介されるのはお茶の水。まずは、明治大学の紹介から始まって、写真は今のリバティータワーのところ……すなわち、ボロい建物があって某新左翼党派の看板があったところ。なんだって、こんな写真をセレクトしたのだろうか(その後、21世紀になって、とんでもない内ゲバがあった挙げ句に大学が暴力ガードマンを雇ったり、出資金を返還しないまま生協がなくなったりとか……予測できない未来だったろうな)。 それはともあれ、本文中で紹介されているけっこうな数の店が現在でも残っている。三省堂や東京堂など書店はともかく、ヴィクトリアなどのスポーツ用品店は当時から繁盛していたらしい。対して数を減らしているのが喫茶店。ここでは、レモン・ファイン・マロニエ・きゃんどるが紹介されているが、現在も喫茶店営業を続けているのは、きゃんどるだけ。学生街の喫茶店も今は昔になってしまった。地図が手書きなのはもっとも技術の変化を感じさせるポイントだ。
街の紹介よりも、関係者は今は何をやっているんだろうか? と思ってしまうのが一部の大学の紹介ページにある珍サークルだ。当時、早稲田大学にはロリコンを地でいく「おじさん少女の会」、童貞であることが絶対条件の「童貞を守る会」があったそうだ。また、東大にはアイドルを育てる「アイドル・プロデュース研究会」が、立教大学には男しか入会できない「パフェ研究会」があると記されている。……二次元嫁がナンタラとかAKBがウンタラとかの話しかしないのって、現代の若者の分析とか批判に使われるけれど、昔も一緒じゃないかと納得。なお、この本の茗荷谷の項目では「小中高が集まり女学生も多くロリコンにはうれしい」という記述も……。 80年代の雑誌はもとより、こうした若者向け生活マニュアル本も収集している筆者だが、現在との違いを(無理矢理)引き出すなら「前向き、だけど方向が違う」という点だ。こういったマニュアル本からは「誰かに認められたい」とか「失敗したくない」といった感覚はまったく感じられない。とにかく「楽しく暮らしたい」という意識が前面に押し出されているのだ。 80年代前半、消費社会が進行し選択肢が増えた中で、マニュアル本が量産されるのは当然のことだった。しかし、ネットの発達と共にこういった本が消えたことで逆に不便さは増したのではなかろうか。ネットは、本よりも数多くの情報を教えてくれはするものの、それは精査し取捨選択されたものではない。つまり、情報は多いが迷うことは増えた。あるいは、情報が多すぎてホントに必要な情報にたどり着くのが困難になったということができる。 と、評論家でもないのに評論っぽいことでまとめにしつつ、リアルタイムでこのような本を読んでいた人は、どんな印象を抱いていたのか聞いてみたいと思った次第である。 (文=昼間たかし)20世紀の終わりまでは、なにかと電話番号一覧が掲載されているのがデフォ。
1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」

「美少女漫画大百科」
(辰巳出版/1991年12月)
今さら言うまでもないが近年、1970年代以降の漫画・アニメを中心とした大衆文化研究が盛んに行われるようになっている。その半面、体系的な史料を手に入れるには困難がともなう。読み捨てられたような昔の漫画やサブカル雑誌は、ごく稀に喉から手が出るほど欲しいというマニアがいる一方、古書業界では「値段がつかない」ことを理由に、ほとんど取り扱ってもらえないからだ。文化研究の中でひとつの重要な軸になるであろう、いわゆるエロ漫画も、10数年前に発行されたものを手に入れようとすると、極めて困難である。書誌情報も明らかでないから、いつ頃、どのような雑誌あるいは単行本が出版されたのか、すべてを知ることは難しい。そのため、1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」
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空想美少女大百科―電脳萌え萌え美少女大集合!
こちらも90年代アニメ・漫画満載。

■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー
【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰
【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ!
【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』
【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

「美少女漫画大百科」
(辰巳出版/1991年12月)
今さら言うまでもないが近年、1970年代以降の漫画・アニメを中心とした大衆文化研究が盛んに行われるようになっている。その半面、体系的な史料を手に入れるには困難がともなう。読み捨てられたような昔の漫画やサブカル雑誌は、ごく稀に喉から手が出るほど欲しいというマニアがいる一方、古書業界では「値段がつかない」ことを理由に、ほとんど取り扱ってもらえないからだ。文化研究の中でひとつの重要な軸になるであろう、いわゆるエロ漫画も、10数年前に発行されたものを手に入れようとすると、極めて困難である。書誌情報も明らかでないから、いつ頃、どのような雑誌あるいは単行本が出版されたのか、すべてを知ることは難しい。そのため、96年から始まった成年コミックマーク(黄色い楕円のアレ)が付いていない単行本を見つけたらとりあえず買う。あるいは「Yahoo!オークション」などを丹念にチェックして、やっぱり手当たり次第に買い漁るといった方法しかない。いずれは、明治大学の米沢嘉博記念図書館なんかにまとまって所蔵され、全体像をより簡単に俯瞰できるようになるのだろうけれど、今は手当たり次第買い漁るくらいしか手段はない。
そうした中で今回紹介する「美少女漫画大百科」(辰巳出版)は、全体像を把握する一助になる1冊だ。発行は1991年12月。表紙で「決定版!美少女コミックカタログ」「特選漫画単行本373冊紹介」を謳っている。「特選」とはなっているが、この時点で発行されていた「エロ漫画」単行本の大半を扱っていると思われる。「美少女漫画」とタイトルに銘打っているのに、官能劇画系の単行本も扱っているのだが、やまだのら、永田トマトといった面々も官能劇画のページに分類されているので「定義って難しいなあ......」と考え込んでしまうところだが(実際、迷うよね?)。
定価1,000円とちょっと強気な値段設定をしている本書だが、それだけの価値はある。当時の第一線級の漫画家16人のインタビューがそれだ。
掲載されている漫画家を羅列すると、唯登詩樹・亜麻木硅・塔山森(山本直樹)・MEEくん・舞井武依・ITOYOKO・MON-MON・南野琴・飛龍乱・まいなぁぼぉい・幻超二・佐藤丸美・おおぬまひろし・よしだけい・田沼雄一郎・猫島礼の面々である。今でも商業誌やコミケで活躍する面々もいる一方で、すでに鬼籍に入られた方もいるし、まったく作品の発表が途絶えている人も。20年あまりの月日の流れは重い。
それにしても、『魔王の子供達』も『ドラゴンピンク』も『カリーナの冒険』も続きはどうなったんだ。まだ待っているのは筆者だけではないハズ。
ところが、20年の月日を経て、本書で行われているインタビューはむしろ価値があるものになっている。それは、各人にデビューに至る経緯とデビュー作について聞いている部分である。
「明治大学に入学してSF研究会に入ったら、そこにコミケの関係者がいたんです。その人に渋谷のコミケ部屋(4畳半位のアパートの一室に同人誌の見本誌が集めて置いてあった)に連れて行かれて、ロリコンの火つけ役になった"シベール"という同人誌を見せられたんです。それで衝撃を受けまして」と語るまいなぁぼぉい。「コミックホットミルク」(怖マガジン)に読者投稿したら、編集から「仕事を頼む」という手紙をもらったので漫画を描いたという唯登詩樹。デビュー作は森山塔の穴うめだったと語る飛龍乱。はたまたデビュー作は講談社の「モーニング増刊」だったという猫島礼。まさに、人に歴史ありといったところだろう。
さらに、森山塔というか塔山森というか山本直樹が読者に対して「マンガの森ばっかりいってちゃダメだよ。もっと幅広い知識。興味を持ちなさい」とコメントしているのは、ネタなのかマジなのか? このインタビュー、半数近くは顔出ししているのだが、あの漫画家もこの漫画家も昔は若かったんだなと感慨深くなる(猫島礼は除く、念のため)。
■ここにも忘れられた歴史が眠っている
さらに、本書の価値を高めているのは売れ筋のエロゲーを「美少女パソコンBEST28」として紹介していることだ(パソコン"ゲーム"の誤植かと思うのだが表紙にも目次にも"美少女パソコン"と記載されている、謎だ)。
この時代のエロゲーは、エロ漫画以上にもはや入手するのが困難なものであることは間違いない。『ドラゴンナイト』とか『ランス2』といった有名どころの作品はともかく、全流通やハート電子産業の作品は、今はどうやったら現物を見ることができるのだろうか。念のため、Googleで検索してみたところ、ウィキペディアにはILLUSION(『人工少女』で有名なエロゲーブランド)の項目にハート電子産業の系譜であることが記されていたり、全流通の『艶談』シリーズ(伝説的バカ歴史エロゲー)の項目もあるので、ちゃんと保存しているコレクターがいると信じたいところだ。なお、『電脳学園』の紹介ページで「コミック、アニメ界では著名な人々をスタッフに迎えているシリーズだけに、グラフィック面でも期待大」と記しているのは、ホントに的確だ。
もうひとつ、巻末に米澤嘉博が「マンガにおける性(SEX)と愛の流れ 戦後"SEXコミック"史試論」と題した文章を寄せていることにも着目したい。ここで米澤は、限られたページの中で昭和20年代からの漫画における性愛表現の変遷を順序立てて解説している。この試論が、後に『戦後エロマンガ史』(2010/青林工藝舎)として結実すると誰が予測し得ただろうか。さらに米澤は、同人誌紹介のページも担当しているが(無署名だが、巻末のスタッフクレジットに阿島俊の表記があるので推定)、ここでは80年代の同人誌の流れについて「(85年頃からのキャプ翼ブームに際して)この女の子たちの圧倒的なパワーの前に、男性のサークルは、衰退していった。それは、クラリス、ラナ、ラムといったロリコンブーム期の少女キャラクターに代わるものを時代が生み出させなかった故でもあるし、商業誌での同人誌的マンガ、エロチックコメディの隆盛のためでもあったろう。なんにしても、85~88年にかけて、男性サークルは元気がなかったのだ。しかし、89年頃よりまた時代は変化し始める。美少女コミック商業誌の衰退、M事件etcがきっかけとなって、男性系創作サークルが増え、従来のサークルが頑張りはじめたのだ」と記されている。
どうだろう? この一文の中に「自分たちの知らない歴史が眠っている」と、感じないか?
「『キャプ翼』ブームで、女性向けジャンルが隆盛を極めた」という話は昔語りで聞くこともあるけど、同時期の男性向けジャンルの動向は聞いたことがない。「美少女コミック商業誌の衰退」もどういったものだったのか明瞭に記した文献は見当たらない。失われていく歴史をいかに収集し、整理して保存していくか? それは今でなくてはできないことだと思う。
(文=昼間たかし 文中敬称略)
そして『孤独のグルメ』だけが残った……月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰

月刊「PANjA」創刊号(1994年8月)
ついに実写ドラマにまでなった人気マンガ『孤独のグルメ』。最初の連載が1994年だから、大変息の長い作品である。でも、もう誰も覚えていないのではないか。『孤独のグルメ』が連載されていた雑誌・月刊「PANjA」(扶桑社)のことなんて......。
「PANjA」は、週刊「SPA!」(同)の黄金時代を築いた渡辺直樹を編集長に、94年に創刊された。「40歳になったら東洋文庫をやりたい」と入社した平凡社で、月刊「太陽」(当時の編集長は、嵐山光三郎こと祐乗坊英昭)を経て、嵐山と共に東急池上線の長原駅近くの八百屋の2階に間借りして開業した青人社で「月刊ドリブ」を創刊した渡辺が、「SPA!」の2代目編集長として招かれたのは89年のことだ。
「SPA!」は88年6月に「サンケイ新聞」が「産経新聞」へ題字変更するのに伴い、「週刊サンケイ」をリニューアルする形で創刊された。初代編集長にはフジテレビで『おはよう!ナイスデイ』などを担当していたプロデューサーの宇留田俊夫が招かれたが、新聞社の発行する週刊誌の枠からの脱却は難しく、売り上げは伸び悩んでいた(当時の「噂の眞相」でも「早くも廃刊か?」と書かれていたので、相当ヤバかったようだ)。

都築響一の連載も、ウンチクを教えてくれるテイスト。
15年余り前、まだ「知るは楽しみなり」だったと回想。

月刊誌の余裕なのか、ページデザインが「贅沢」な感じ。
編集長に就任した渡辺は、デザイン・企画など誌面改革に着手する。そして、雑誌が大化けしたのは、幾人ものメディアスターの登場からだった。流行語「オヤジギャル」を生み出した、中尊寺ゆつこの「スイートスポット」、宅八郎の「イカす!おたく天国」、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」(小林を推薦したのは、後にオウム真理教の取り扱いをめぐって激しく対立する靍師一彦である)と、毎号買いたくなる連載が並んだ。その勢いに乗って、94年6月に創刊された「PANjA」は、いわば「SPA!」を濃厚に煮詰めたとでもいうべき「味付けの濃い」月刊誌であった。
創刊号の巻頭特集は「美人にバカはいない」。「セカンド・ビューティーは美人じゃない」「やっぱり顔が大事」「美人は心が安定している」といった見出しが続く「濃い」特集だ。総ページ数192ページのうち、巻頭特集は40ページにわたって続けられる。こういった世間を斜め読みするとか、ある一定の条件で世間の人をカテゴライズするといったテーマの記事は「SPA!」の巻中カラーページの得意技だったが、ページ数はせいぜい6ページ程度。「『SPA!』も読んでいるから、こちらも買ってみよう」という読者でも途中で満腹になってしまうテイストであった。

文字中心の構成でもデザインにこだわった感じが見受けられる。

日経新聞の「私の履歴書」をパロッたコラムも。
やはり好き嫌いが分かれる味付けだ
同じく連載の味付けも濃かった。大泉実成の連載「ニッポンのお葬式」は、大山倍達(94年4月死去)からスタート。小林よしのりの対談マンガ『聖人列伝』の第1回目は小沢一郎である(この連載ではその後、美輪明宏なんかも登場する)。
これだけでも一目瞭然だと思うが、よくも悪くも、マニア受けという言葉がよく似合うページ構成である。その後も、ボリュームのある巻頭特集と第2特集を中心に据えたスタイルは休刊まで継続するが、テーマは一貫して濃かった。「恋の本音は男性上位でお願い!」「戦争への押さえがたい誘惑」「頭の良い悪い新基準」「ニッポンB級グルメ最終論争」おそらく最近だったら、このネタひとつで新書にしてしまうのではないかというタイトルが並ぶ。振り返れば、90年代半ばの「これから、世の中はどうなるんだろう」という、予想もつかない怪しさを詰め込んでいたように読める。

95年10月号。今でも、ちょっと買い
にくい表紙だと思う。
この怪しさに惹かれるのはごく一部だったようで、売り上げは芳しくなくリニューアルは繰り返された。途中から「大人のクロスセックス・マガジン」というコンセプトを立ててみたり、末期には「保存版」と銘打ってオペラからマンガまで、1回ワンテーマでさらに濃いウンチクを語るページまで設けられた。当時、筆者はリアルタイムで購入していたのだが、もっとも驚いたのは95年の10月号だ。この数号前から「篠山紀信の女子小学生表紙シリーズ」と銘打った表紙のリニューアルが行われていたが、この号は海辺で裸にシーツを巻いただけの女子小学生が表紙で、とてつもなく買いにくかった記憶がある(なお、グラビアでは栗山千明と吉野紗香も登場しているので、その手の趣味の人には貴重らしい)。
短期間の間に、さまざまなリニューアルを試みた「PANjA」だが、なんら予告もなく96年6月号で突如休刊が告知される。休刊は編集部にも予告なく経営側の決定でなされたことから、「SPA!」での宅八郎VS小林よしのり騒動による『ゴーマニズム宣言』撤退以来の部数低迷の影響や、社屋移転(この前年に扶桑社は曙橋から現在の浜松町へ移転)によって外部の人間が寄りつかなくなった影響などさまざまな憶測が流れた。
休刊に伴い、渡辺は自ら希望して書籍編集部に異動した後に、アスキーへ移り「週刊アスキー」を創刊することになる......。
■そして、『孤独のグルメ』だけが残った
短命だった「PANjA」で久住昌之・谷口ジローによる『孤独のグルメ』の連載が始まったのは、94年10月号。「東京都台東区山谷のぶた肉いためライス」に始まった連載は「東京都千代田区秋葉原のカツサンド」まで続いて一旦中断。復活した「東京都渋谷区渋谷百軒店の大盛り焼きそばと餃子」が掲載されたのは、休刊号であった。連載されていた当時、雑誌の売れ行きが低迷していたこともあるのか、この連載はまったく注目されていなかった。休刊の翌年、97年10月に単行本が発売されるものの、まったく話題にはならなかった。

『孤独のグルメ』
おそらくは、このまま「知る人ぞ知る」マニアな作品として消えていく運命にあっただろう。ところが、21世紀に入るころからだろうか「B級グルメ」が注目されるようになると共に、この作品も脚光を浴びるようになる。明確な確証は得られないが、最初はインターネットで幾人かの読者が、モデルになった店を実際に探し当てて訪問する一種の「聖地巡礼」的な形態で注目されていたように思われる。2000年2月には文庫版が発売されているが、その時期から徐々にメジャーな作品となっていたように思われる(大宅壮一文庫で確認した限り、一般誌への初出は「週刊文春」1998年1月15日号でマンガ家の吉田戦車が「いま誰かに贈りたい本」で取り上げている記事)。
「B級グルメ」の歴史は意外に古い。「B級グルメ」の言葉の産みの親である、フリーライターの田沢竜次によれば、最初に記したのは85年だという。主婦と生活社が発行していた情報誌「月刊アングル」で連載された「田沢竜次の東京グルメ通信」をまとめた『東京グルメ通信』(主婦と生活社、85年12月)において、帯に「B級グルメの逆襲」と記したと田沢は証言する。加えて、同書の巻頭で田沢は「B級グルメ宣言」と称して「腹ぺこ精神」「限られた予算で最大の効果をあげる食の知恵」「恐怖感」「権威にびびらない」「細部へのこだわり」「歩くこと」「脱ブランド、反ファッション」の七つのテーゼを掲げている。

『東京グルメ通信』
その後「B級グルメ」という言葉は、次第に広まっていくが、田沢の掲げたテーゼは容易には浸透していかなかった。どちらかというと、丼物やラーメン、蕎麦などのグルメネタを総じて扱うときに都合のよい言葉として扱われていた感もある。「B級グルメ」のテーゼが一般に広まって行くには、長い年月が必要だった。
久住昌之は「ユリイカ」(青土社)2011年9月号のインタビューで、「『孤独のグルメ』の連載当初、テレビでも雑誌でもグルメブームで食べ歩きとかがすでに流行っていた。ラーメンやカレーとか、手打ち蕎麦とか。編集者は、それにちょっとウンザリしていて、違う方向性をみせられないかということで、ぼくに依頼してきたと思うんですね」と語っている。
渡辺は「"価値相対主義"では限界があると思ったから、確固とした新しい価値観を想像しようと月刊で『PANjA』を創刊したんです」(「噂の眞相」97年3月号)と語っている。『孤独のグルメ』をロングセラーにしたのは、食という行為において押しつけではない「B級グルメ」のテーゼが、知らず知らずのうちに浸透したゆえだと解釈できる。もっとも「B-1グランプリ」の大規模化に見られるように、「権威にびびらない」とか「脱ブランド、反ファッション」がまた忘れ去られているのも、歴史の必然だろうけど。
この文章を記すにあたって「B級グルメ」の初出を確認するために田沢に電話した時に思い出したのだが、以前、別の取材で田沢と四ツ谷駅近くの飲み屋に行ったとき「特定の店の常連にならないように気をつけている」と語っていた。彼こそ、『孤独のグルメ』以前からの「孤独のグルメ」の実践者ではあるまいか。
(文=昼間たかし 文中敬称略)
※なお『孤独のグルメ』と同じく「PANjA」に連載されていた岡野玲子の『妖魅変成夜話』も、その後継続しているので正確には「マンガだけが残った」である。念のため。
「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ!
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TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST&RARE 1979-2008
純ちゃ~ん!!

【 昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー】
【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』
【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号
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「隔月刊 いけないCOMIC」
1985年1月号(発行 白夜書房/
編集人 東尾孝/発行人 森下信太郎)
この連載で心がけているのは、誰もが忘れてしまったであろう雑誌や、そこに掲載された記事、消えた漫画家やら小説家、ライター、文化人、サブカルスタァを単に紹介するだけじゃなく、なんとか現代とつながる手がかりを見つけたり、歴史を掘り起こす作業を行うこと。「いやぁ、こんなん見つけましたよ」「アハハ」では、これまでサブカルチャーの文脈でさんざん行われてきた"現代の視点から過去を楽しむ作業"と差異が出せない。
1970~80年代に活躍した人々が、早くも鬼籍に入りつつある昨今、過去の「これは!」と思うモノを見つけたら、とりあえず当事者の話は聞いておきたい。ジャーナリズム的には「聞き書き」、学術的には「オーラルヒストリー」と呼ばれる作業、それは文献や記録映像には残らない歴史的事実を教えてくれるハズだ。
というわけで、今回紹介するのは「いけないCOMIC」1985年1月号。表紙を見ると、少女漫画雑誌っぽいけど、ジャンルとしてはエロ漫画雑誌である。
そもそも、「いけないCOMIC」は中森明夫が、商業誌で初めて「おたく」に言及したとされるコラム「『おたく』の研究」が掲載されたことで知られる「漫画ブリッコ」の姉妹誌である。編集スタッフもほぼ同じで、本号は大塚英志、東尾孝、斎藤O子らが参加している。

こちらが「漫画ブリッコ」。
ここまで14年、コンプリートまであと2冊。
さて、「いけないCOMIC」はマイナーなロリコン漫画誌(当時のエロ漫画雑誌の呼び名)かと思えば、妙にメジャーを狙っていた雰囲気がある雑誌だ。創刊号では富田靖子が2号目では堀江しのぶがグラビアを飾っている。
そして、この号では戸川純のグラビアが......と思いきや、違う。この号ではページの三分の一近くを割いて、戸川の大特集が組まれているのだ。

こ、このシールをペンケースに貼って、いつも純ちゃんと一緒にいたいよ!
誰もが、この号は「何事か!」と驚くに違いない。なにせ本誌は、あくまでエロ漫画誌のハズ。「宝島」ではない。
さて、ページを開くと左に特別付録の「戸川純プリティシール」、右は単行本の広告が。広告のほうにも微笑む戸川の写真と共に「戸川純ちゃんも読んでます(本当です)」のキャッチが。そして、左ページのグラビアは、戸川純と漫画家・藤原カムイのツーショット写真。単なるグラビアとは気合いが違う。

中田雅喜の独特のセンスは、もっと評価されるべきだと思う。

もはや「玉姫様」を知らないと、まったく笑えない。
ページを読み進めていくと、藤原が描く、戸川の代表曲のひとつ「蛹化の女」の漫画化、そして2人のお絵かきしながらの対談と続く。独特のセンスが光る中田雅喜が描く「戸川純物語」に続くロングインタビューは司会と構成を竹熊健太郎が担当。「センスありますよ、今度ウチに書きません?」と口説き始める大塚を笑い飛ばして、好きな漫画家は日野日出志と花輪和一だと聞き出し、「アラレちゃんの声のオーディションは、最終5人までいって、落ちた」と語らせ、「あたしも読者よ」と言わせた、竹熊のインタビュアーの才能が素晴らしすぎる。それに、強調するべき言葉選びのセンスも光っている。

「パンク蛹化の女」を知らない人は、まずはネットで探してみてくれ。

こんなにノリノリだなんて。よっぽどうれしかったのか?
と、充実したインタビューに続いて登場するのは「漫画ブリッコ」でも活躍していた、いくたまきの描く漫画「冒険玉姫様」。「怒濤&リリカル 戸川純のプロモーションCOMIC」と副題がついているが、どのあたりがプロモーションなのかは定かではない。そして、特集の最後には再び藤原が登場し、漫画「パンク蛹化の女」が。正直、ネタが濃すぎ。そもそも戸川の歌を知らなければ「この漫画は何を描いているのだろう......」と、置いてけぼりにされた気分になるはず。もちろん、普段から「YouTubeに"アップルシティ500"に"ゲルニカ"が出演した時の映像をアップしている人がいるよ、神だね」とか話している筆者は、本誌を入手したとき「この世には、まだこんな宝物が......」と感動したワケだが。
■編集者は戸川純を知らなかった!
本誌を取り上げたのは内容もさることながら「戸川純特集」が組まれた理由が、興味をかきたてられるからである。
筆者が本誌を手に入れた直後、たまたま出会った中田に「あなたの描いた、"戸川純物語"が面白い」と話したところ、中田からはこんな返事が。
「戸川純って知らなかったけど、大塚が資料を持ってきて、いわれるがままに描いたんです」
その数日後に、今度は別の場所で竹熊に出会ったので「~と、いうことだったんですけど?」と聞いたところ竹熊は、「ああ、アレ全部、俺が考えたんだ」というのだった。
この会話も、既に数年前のことで筆者も記憶が曖昧だ。そこで、昨年末のコミックマーケット会場で竹熊を待ち構えて、もう一度聞いてみることに。コミックマーケット3日目の午後にやってきた竹熊は、筆者の問いにこう語った。
「大塚も戸川純を知らなかったんだけど、"どうも、『漫画ブリッコ』『いけないCOMIC』の読者と戸川純ファンは重なっているから特集を組もう"という話になり、知ってる俺が、構成したんだ」
そして、竹熊が驚いたのは戸川が本当に「漫画ブリッコ」と「いけないCOMIC」の読者だったことだという。どうも、本誌発売前に出版されていた単行本『戸川純の気持ち』(1984年11月、発行:JICC出版局[現・宝島社])で、戸川が読んでいる雑誌として「プチフラワー」「別冊マーガレット」「漫画エロトピア」と並んで「漫画ブリッコ」を挙げているのだが、さすがに本人に会うまでは半信半疑だったようだ。

タイトルに被せてる「芸能人も
読んでいる」がちょっと恥ずかしい。
戸川が読者だったことがよっぽどうれしかったのか、本誌巻末の「漫画ブリッコ」の広告は「月に一度やってくる玉姫コミック」と銘打ち、「これが証拠だ」として前述の部分を引用して紹介している。そして、「漫画ブリッコ」の1985年1月号でも表紙に「谷山浩子さん 戸川純ちゃん 見てますかぁ。」のキャッチが(ちなみに、この号のコラムにも戸川が登場している)。
現代に置き換えるならば、人気の女性声優あたりが自分のつくっている雑誌の読者だったという感じか? いずれにせよ、特集を企画した理由が「雑誌が売れるから」なのに、一切妥協せず、ファンを喜ばせるマニアックさに徹している点が素晴らしすぎることは間違いない。なにより、本誌に関しては誌面からでは見えない真実が見えてきたのも、興味深い。70年代以降の大衆文化の歴史を調べようとしたとき、オタク関連に限らず「こんな風だったってことになっているけれど、実際はどうなの?」と疑問にぶつかることは多い。まだ、関係者も存命ゆえに話しにくいことも、書きにくいことも多いけれど、聞いておくのは今しかない。
(文=昼間たかし 文中敬称略)
































