19日、フジテレビ系のバラエティ番組『ヨルタモリ』がスタートした。タモリにとっては32年間の歴史に幕を閉じた『笑っていいとも!』から半年ぶりとなるフジテレビへのカムバック。女優の宮沢りえが初めてバラエティ番組のレギュラーを担当することからも、局内幹部はただならぬ期待をかけているという。 「フジは、ジャニーズ事務所との蜜月関係があったにもかかわらず、長年放送していた、KinKi Kidsの『新堂本兄弟』を、視聴率の低迷を理由に打ち切った。そこで、同枠の“再生”を託したのがタモリ。ダメ元でりえにオファーしたところ、思いがけず受諾された」(フジテレビ関係者) 同番組は、りえがママを務めるバーに、タモリが客として来店。タモリに会いに毎回ゲストの芸能人が来店し、ゆる~いトークを繰り広げるという、放送時間帯にマッチした脱力系の内容だ。りえは初回にもかかわらず、すっかり番組になじんでいた。 「タモリは大阪から部下を連れて上京した町工場の社長に扮して、突飛なトークを展開していたが、りえはしっかりトークを受け止め、本物のママらしく振る舞っていた。レギュラーのバラエティこそ初めてだが、若いころは『とんねるずのみなさんのおかげです』(同)の常連で、当時イケイケだったとんねるずの2人を相手に、物おじすることなくコントに挑んでいた。『ヨルタモリ』の2回目のゲストとして、いきなりタモリと親交のある超大物のミュージシャン・井上陽水が登場するが、陽水も、りえの立ち振る舞いにすっかり感心していたようだ」(同) 母が急逝したショックを表に出さず、気丈に仕事をこなすりえだが、私生活では元プロサーファーの夫との離婚調停が決裂。長女の親権をめぐって、泥沼の法廷闘争を繰り広げている。今後、シングルマザーとなる可能性もあり、仕事の幅を広げているようだが……。 「タモリがりえのことをかなり気に入っているので、番組は長続きしそう。これまで以上に忙しくなりそうだ」(同) りえの仕事運は、上々のようだ。
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「芸能界のドンもタジタジ!?」豪腕マネジャーだった“りえママ”宮沢光子さんに、合掌
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
宮沢りえの母親で、彼女の所属事務所である「エムツー企画」の代表取締役を務めていた“りえママ”こと宮沢光子さんが、肝腫瘍のため23日に亡くなった。享年65歳という若さだった。
りえママは、“豪腕ステージママ”としてりえをトップアイドルに育てたが、業界では“芸能界のドン”と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長の力さえ及ばず、ビートたけしも舌を巻く人物として怖れられた。
りえは、11歳で三井のリハウスのCMの白鳥麗子役でブレークしたが、デビュー前から「六本木にある業界人ご用達のすし屋に、めちゃかわいい美少女がいる」と有名だったという。シングルマザーになったりえママは、昼は保険の外交員、夜は銀座の小さなクラブでホステスをしていた。りえがデビュー後、筆者はりえママの同僚だったホステスから、当時の事情を聞くことができた。それによると、りえママは当時、六本木のすし屋「F」の若旦那の恋人だったという。その関係で、りえをそのすし屋に預けていたために、常連だった芸能関係者の目にとまったというわけだ。
一方、酒乱のりえママは嫉妬深く、酔うと、すし屋のカウンター越しに若旦那におしぼりを投げつけたり、自宅から「自殺する」と店に電話をかけてきたという。そのたびに職人たちは、りえたちが住んでいた大泉学園まで様子を見に行かされたそうだ。
そんなりえママのエキセントリックな性格は、りえのマネジャーになって、いかんなく発揮された。デビュー時に所属していた事務所は、周防社長の息がかかった「Eプロ」だったが、CMでブレークした途端に独立。その強引さに加え、すし屋を舞台に築いた芸能界のさまざまな人脈をちらつかせる姿に、さすがの周防社長もなすすべがなかったという。
独立後のりえママは、利用できるとにらんだ芸能人、映画やドラマのプロデューサー、それに広告代理店関係者を取り込んでいった。ビートたけしも、そのひとりだった。
たけしとりえは、1992年に放送された即席ラーメンのCMで共演。CMのロケで欧米に行った際、宿泊したホテルの部屋に深夜、突然、りえが「ママに言われて来た」とやって来た。たけしは、りえを傷つけないように「早く帰って寝なさい」と帰した。たけしの良心で“逆夜這い”は未遂に終わったが、母親が娘に枕営業を勧めようとしたのだ。
その後、りえは松竹映画『豪姫』で主演を演じた。当時、松竹で“奥山ジュニア”と呼ばれていた奥山和由プロデューサーにりえママがすり寄って、主役に抜擢させたのだ。同時に、内田裕也も取り込んで映画『エロティックな関係』に出演させた。りえは当時、若手歌舞伎役者の市川海老蔵(当時は市川新之助)らと遊び歩いてウワサになったが、りえママの反対に遭って、交際には発展しなかった。
ところが、なぜか故・中村勘三郎さんとの関係は、不倫であるにもかかわらず交際を認めた。筆者は2人の関係を、友人が経営する六本木のバーでつかんだ。夏のある日、当時の勘九郎さんはりえとりえママに連れられて、初めてその店に来たという。カウンターだけのバーで、りえママは一番端に座った。クーラーが切れたということで、店のオーナーがクーラーを叩いたところ、クーラーから水があふれ出して、りえママの頭にドサッとかかってしまった。オーナーは平謝り、りえママは赤ワインのグラスに吸いかけの煙草を入れて「これが私の答えよ」と帰っていったという。その間、勘九郎さんは傍らで笑いをこらえ、帰り際に「面白い店だ。また来ます」と言ったそうだ。
その後、りえは勘九郎さんとの不倫の末に京都で自殺未遂を起こしことで摂食障害に陥り、女優生命が危ぶまれたが、その後、見事に女優復帰した。りえママの反対を押し切って元サーファーと“できちゃった婚”したが、夫婦関係がうまく行かず別居。離婚問題が片付かないまま、りえママは他界した。
“一卵性双生児”とまでいわれたりえママとりえだったが、二度とあんな豪腕マネジャーは現れないだろう。りえの、今後の生き方に注目したい。
(文=本多圭)
宮沢りえ“代役大成功”美談の裏で「最後まで反対していた」降板女優・天海祐希の情念とプライド
天海祐希の降板で舞台『おのれナポレオン』の代役を宮沢りえが見事に務め、大ピンチを救った英断が大いに株を上げた。だが、関係者からは当の天海が宮沢の代役案に反対していたという、裏話も聞かれる。 天海が入院した6日、その日のうちに主演の野田秀樹が独断で宮沢に出演オファー、翌日の深夜には宮沢から受諾の返事をもらい、8日に天海の降板とともに発表されたが「7日の深夜まで1日半、宮沢の代役案にかなりの反発はあった」と舞台関係者が明かす。 「まず天海さんご本人が“それは避けたい”と。代役を立てるのではなく、延期してもらって自分が演じたいという希望でした。おそらく宝塚出身でプライドが高い方なので、アイドル出身の宮沢さんに同じ役を務められてしまったらイヤだ、という感情もあったと思いますね。なんで宮沢さんなのか、と何度も聞いていたそうですから」(同) これに同調したのは、その天海の意向を直接聞いていたという脚本の三谷幸喜だったという。 「天海さん想定で脚本を書いたという立場もありますし、三谷さん個人の意見としても中止を主張されていました。ただ、中止となると金銭的な損害が大きい。ここだけは三谷さん、天海さんも大きな意見は言いにくいわけです。野田さんは東京芸術劇場の芸術監督を務めていたので、最終的には“劇場側の意向は代役案”という話をして納得してもらったんです」(同) ただ、気の強さでも知られる天海は、最後までこれに対して良い顔をしていなかったと伝えられる。「すごい美談になる」と感じたある記者は、天海の関係者に宮沢代役に対してのコメントが出せないか相談したが、即答でノーを返されたという。 実際、天海は先日、退院に当たってコメントを発表したが、そこには宮沢の“み”の字もなかった。「キャストの皆様、スタッフの皆様には並々ならぬご尽力をいただきました」とは書かれているものの、あとは「医師の助言もあり、ここで病状を悪化させれば、かえって多大なご迷惑をおかけすることになると思い、舞台降板という苦渋の決断をいたしました」「自らの体調管理には十分に気を付けていたつもりでしたが、これまでの体調管理が万全ではなかったと反省しております」と、あくまで降板の事情説明にとどめ、宮沢代役への言及はなかった。 「野田さんと宮沢さんは非常に親しい間柄で、離婚協議中の宮沢さんはそのことを野田さんに相談するような仲。それで周囲からは、野田さんが今回の降板を利用して宮沢株のアップに成功した、と陰口を叩く人もいます。もちろん、この代役で舞台は救われたんですが、天海さんも同じように思っているみたいなんですよ」(前出関係者) 一方、宮沢のほうもそうした天海の意向は知っており、記者へのコメントを一切避けてきたのはそのせいだといわれる。宮沢の舞台が7月にあるが、関係者からは「普通なら天海さんから花が届くところだけど、感情的に難しいか」という話がささやかれている。 (文=鈴木雅久)天海祐希 公式サイトより
「神業!」「偉業!」代役起用で株を上げた宮沢りえだが、舞台関係者からは「天海さんがかわいそう」の声も
女優の宮沢りえが、これ以上ないほど株を上げた。女優の天海祐希が8日、軽度の心筋梗塞で舞台『おのれナポレオン』を降板。そこで白羽の矢が立ったのが、りえだった。 「主演の野田秀樹さんの猛プッシュですよ。さすがのりえさんも話が来た時はすぐに返答ができなかったそうですが、熱心に口説かれて、代役を引き受けることにしたようです」(舞台関係者) とはいえ、公演終盤に差し掛かった中での“重責”は相当のもの。 「りえさんは睡眠時間を削って稽古に励んだそうです」(同) そうして迎えた10日の代役初日。観劇した40代女性によると「セリフが飛ぶこともなければ、変に間が空くこともなかった。気になる点はありませんでした」。ほぼ完璧に代役をこなしたりえは満員のスタンディングオベーションで迎えられ、カーテンコールは3度も行われた。翌日のスポーツ紙も見事代役を務め上げたりえに「神業」「偉業」という言葉を使って賛辞を送った。 だがこれには、病床の天海は複雑な心境だろう。 芸能プロ関係者は「天海さんは責任感が強く、これまで舞台に穴をあけたことは一度もなかった。今回も『最後までやる!』と譲らなかった彼女を、周囲が必死に説得したほど。それだけに彼女の落ち込みようはハンパではなく、役者仲間からの電話やお見舞いメールも返していないそうです」と話す。 天海は今回の舞台のために約2カ月間、稽古に励んできた。片やりえは、2日あまりで代役を務め上げた。新聞報道を見ただけでは「なんだ、頑張れば2日でできるんじゃん!」と思ってしまう人もいるだろう。 「だから、宮沢さんが称賛されればされるほど、天海さんが気の毒なんですよね。宮沢さんのセリフは天海さんの半分以下。彼女がやりやすいように、セリフもコメディ要素を強めています。はっきり言って、まったくの別物。確かに大変ではありますが、ベテラン女優であれば『あれくらいなら2日でできる』という人もいます」(別の芸能プロ関係者) 肉体的なことより、天海の精神面が心配だ。『STYLE BOOK』(講談社)
「離婚は秒読み……」宮沢りえ お受験大成功でいよいよ決意 “りえママ”と子育ての日々へ
2009年2月に元プロサーファーとデキちゃった結婚した女優の宮沢りえ。長女をもうけたが、昨年5月に離婚協議中であることが発覚した。 「夫は大手サングラスメーカーの責任者として米・ハワイを拠点にしているため、ほとんど日本に帰ることがなく、夫婦の間に深い溝ができてしまった。りえは自身が父親のいない家庭で育ったので、夫には家庭に深い愛情を注ぐことを求めたが、そうならなかったため、離婚を決意したようだ」(テレビ関係者) そんなりえだが、先に発売された「週刊文春」(文藝春秋)によると、長女が都内の有名私立幼稚園に合格。仕事で多忙なりえは母・光子さんの協力を得ながら、家庭教師を雇い、塾に娘を通わせるなどしてお受験を成功させたという。 「りえはもともと仲の良かった藤井フミヤに相談し、フミヤの子どもが通っていた幼稚園をお受験させた。その幼稚園に子息を入園させた芸能人は佐藤浩市、飛鳥涼、ヒロミ・松本伊代夫妻らがいるが、例年の受験倍率は3倍を超える、都内でも有数の人気幼稚園のひとつ」(女性誌記者) 仕事と娘のお受験を見事に両立させただけに、ますます夫の力を必要としなくなってしまったりえだが、お受験がひと段落して離婚のメドが立ったのか、関係者には明るい表情を見せていたというのだ。 「今月5日から上演されている舞台『今ひとたびの修羅』のキャスト、スタッフの顔合わせの際、『今年は心機一転して、仕事に打ち込みたいと思います』と笑みを浮かべながらあいさつしていた。さすがに、誰も離婚協議のことには触れられなかったようだが、どうやら、親権はりえで、慰謝料・養育費なしという条件を夫がのみ、離婚は秒読みとなったようだ」(演劇関係者) かつては母親と距離を置いた時期もあったりえだが、再び親子二人三脚で子育てをすることになり、離婚発表は近いようだ。『ゼラチン シルバーLOVE デラックス版』
(ジェネオン・ユニバーサル)
故・中村勘三郎さんをバックアップし続けた“芸能界のドン”との意外な関係

『襲名十八代―これは勘三郎からの
恋文である』(小学館)
「人間として表現者として、本当に、最高にチャーミングな生きざまを見せ続けてくださった勘三郎さんの存在は、いつまでも私たちに光やエネルギーを与え続けてくださると信じています」
5日に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんを悼んで、女優の宮沢りえは悲しみをそう表現した。
各スポーツ紙で、勘三郎さんとりえとの関係は「1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』で共演した」とされていたが、2人はかつて不倫騒動でマスコミをにぎわせていた。
「りえが当時の人気力士・貴花田(現・貴乃花親方)と婚約破棄後、彼女を支えたのが勘三郎さんで、いつしか2人は親密な関係に発展。そして、りえが勘三郎の定宿だった京都のホテルで手首を切る自殺未遂騒動を起こした。勘三郎は会見で事故であることを強調したが、勘三郎との関係に悩んで手首を切ったことは明らか。そんな騒動があっただけに、りえがコメントしたのは驚きだった」(スポーツ紙デスク)
当時、勘三郎さんはすでに映画やバラエティ番組などに出演し、歌舞伎役者という枠を超えた人気・知名度だったが、「りえとの騒動後、歌舞伎界を背負って立つ大スターに成長していった。女遊びもあったが、マスコミが騒ぐことは少なかった」(同)という。実は、その陰には芸能界の大物の多大なる尽力があった。
「りえとのスキャンダルは、勘三郎さんにとって、それまでの人生で最大のピンチといってもよかった。その際、相談に乗り、スキャンダルをなんとか収めたのが“芸能界のドン”ことバーニングプロダクションの周防郁雄社長。りえとの一件ですっかり勘三郎さんの心をつかんでしまったため、以後、勘三郎さんを所属タレント以上に何かと気にかけていた。マスコミを集めるような芸能イベントに顔を出すことがほとんどない周防氏だが、都内の書店で勘三郎さんが写真集発売記念イベントを行った際には、早朝にもかかわらず、わざわざ足を運んでいたという。勘三郎さんは、りえとの騒動の後も牧瀬里穂、米倉涼子らと浮名を流したが、バックに周防氏が控えていなかったら、スキャンダルがバンバン出てバッシングを浴びていたに違いない。以前、息子の七之助が泥酔してタクシーに無賃乗車し、駆けつけた警察官を殴る騒動を起こした際にも周防氏がしっかり腕利きの弁護士を用意して謝罪会見に同席させ、うまく場を収めた。今後、息子の勘九郎と七之助も周防氏が父親と変わらずバックアップしていくと思われる」(歌舞伎関係者)
強力な後ろ盾があるだけに、天国の勘三郎さんも安心して2人の息子の成長ぶりを見守ることになりそうだ。
「現場をうろつくあの人は、いったい誰!?」離婚協議中の宮沢りえ夫に浮上した“無職疑惑”

h&s公式YouTubeチャンネルより
「調和することのできない考え方の違い」として離婚協議中であることを明かした宮沢りえだが、今のところ夫のN氏が表に出てくる気配はない。取材中の芸能記者からは「夫の素性がよく分からない」という愚痴も聞かれるほどだ。
これまで伝えられてきたN氏は身長175センチ。45歳の元プロサーファーで、スポーツサングラスメーカー「オークリー」のサーフチーム責任者。ハワイ在住時代にタレントのコーディネーターもやっていた関係で、CM撮影で現地を訪れた宮沢と知り合ったという話だ。
「結婚当初はハワイを拠点としていた夫妻ですが、昨年からは宮沢が私生活でも日本中心のライフスタイルを送る形になっていて、それに合わせてN氏も日本在住となっていたんですよ」
こう話すのは、宮沢に近い映画関係者だ。N氏とは結婚前から何度か顔を合わせたことがあったという。
「ハワイで知り合った後、N氏は宮沢の日本での仕事にもくっついてきていました。周囲に紹介はされませんでしたが、まるでマネジャーのようにべったりくっついているのにスタッフではない様子なので、みんな“あれ誰?”状態だったんです」(同)
その後、2人は結婚。しばらくN氏の姿を見かけることはなかったというが、昨年から再び目撃情報が増えた。
「関係者の結婚式などにも、娘も連れた家族3人で来ていましたからね。いつもニコニコしていて明るい感じの人でしたが、仕事は何をやっているのかさっぱり分からないままでした」(同)
また、別の関係者からは「ハワイのサーフチームのメンバーと会ったんですが、N氏は現在チームとは無関係だという話でした」という証言もある。
実際N氏は、帰国後は都内フィリピンパブなどに出没。暇をもてあます様子がメディアでも伝えられている。前出・映画関係者も「平日の昼間、宮沢の撮影中にもフラフラと現れて見学した後、終わりを待たずに姿が消えていたことも何度かあった」と話す。
これについてベテラン芸能リポーターは「もしかしたらN氏は無職なのでは?」と推察する。
「手広く仕事をしていたら、どこからか情報が巡ってきますし、嫁の関係者にも名刺を配ったりして付き合いも増えるもの。そういったことが一切なく姿だけ現すというのは、もしかすると仕事はしていないのかもしれません。一説には、宮沢が仕事嫌いな夫に三行半という話も聞こえていますし」(同)
実際、今年になってからは、宮沢の仕事場にN氏が現れることはなくなったという。現在、弁護士を通じての離婚協議中であるという夫妻だが、結論が出る日は近そうだ。
(文=鈴木雅久)



