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【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】深夜の六本木を歩く~六本木フラワー事件の余波
あの事件以来、すっかり静かになったかのような六本木だが現状はどうなっているのだろうか。週末の深夜の六本木を歩いてみる事にした(一人ではありません)。 まずは朝青龍事件のあったクラブ「F」のあたりから。対面はミッドタウンである。六本木という街の特徴は六本木通りを挟んで、まったく別の街のような様相を見せることだ。首都高の下を走る六本木通り。そしてそれを縦に走る外苑東通りを頭に入れて歩を進める。ミッドタウン側はサラリーマン姿の男性やOL風の女性が目立つ。それでも外苑東通りには黒人(アフリカ人だろう)のキャッチがちらほら。 あえて、表通りの六本木通り、外苑東通りを歩かず裏道を歩いてみた。少し歩くと驚くほど閑静な街になるのが六本木の面白い所だ。神社が多く、歴史の古い街なのだ。それでも新しいバーや飲食店が立っており、やはりここは日本、いや東洋有数の繁華街なのだということを認識する。 また、夜の六本木はなぜかトヨタのアルファードが多い。もちろん、色はブラックである。ナンバーを見てキリ番かどうか、など気をつけながら歩いてみる。「8888」「0111」「0893」などを見ると僕のセンサーがピンと嫌の方に働く。近寄らないようにする。 「ミッドタウン側は相変わらず平和だな」ということを確認しながら、外苑東通りと裏道を交差しながら歩く。裏道には小洒落た隠れ家的バーが目立つ。この不景気にもかかわらず、週末だからか繁盛している。ブルドッグの、大きな看板が目立つペットショップを曲がる。客引きがいた。女性である。SMクラブの客引きで、2階からボンテージを着た女性がこちらを見ながら手を振っている。愛想笑いをしながら手を振る。5万円くらいかかるだろうなと思い通り過ぎる。 六本木交差点にかかる。上を見ながら歩いていると、思わぬところに監視カメラが取り付けられているのに気がつく。麻布警察前の横断歩道などもそうだが、信号機の陰に取り付けていたりする、ドーム型のカメラは警察が設置したものだ。赤外線なので夜でも撮影可能。また180度の角度で人通りを見渡せる。また、長方形の細長いカメラは恐らく、町内会や店独自で付けたものだ。歌舞伎町などは町内会(というのだろうか)で付けている。 六本木交差点はキャッチとスカウトらしき男性、待ち合わせの酔客で混雑している。元々、交通の便が悪い土地である。大江戸線が通って何とか終電の時間が多少延びたが、西麻布まで行くと最寄りの駅はない。日比谷線しかないのにこれだけの繁華街によく発展したものだと思う。 交差点を越えるとそこはもう、「違う六本木」である。外苑東通りをロアビル方面に向かって歩く。旧「フラワー」があったビルだ。金曜日の今日はさすがに込んでいるかなと思ったのだ。すると黒人がすかさず寄ってくる。 「ブラザー!!」 「ブラザーじゃねえよ」 と、返答して通り過ぎようとすると「何で、わたし、ブラザー」としつこく付いて来る。 「10m以上、それすると迷惑防止条例か道交法違反のどっちかじゃないの」と言うと、くるりときびすを返した。 ロアビルには人だかりができていた。クラブ「B」に入る為に並んでいる客だ。もうここで起きた殺人事件のことなど忘れているのだろうか。もちろん、忘れてはいないだろう。入り口には厳重なセキュリティが施されていた。スーツ姿の屈強な男がIDチェックをする。そしてドレスコード。足首が出ているようなズボンやサンダルみたいな靴を履いている人は追い返される。僕は免許証を持っていないため、住基カードを見せて通過。 隣のビルのバーに入ってみる。高い階なので外苑東通りが見渡せる。対面にドンキホーテ。六本木フラワー事件の犯人らがここで目出し帽を購入したと推測する人間もいるが、どうだろうか。「夜の住民」たちの噂話に過ぎないのかも知れない。 ロアビル横に行ってみる。長方形の監視カメラが路上を狙っている。フィリピン大使館のある道だ。六本木フラワー事件の犯人らはこの道を使ったのだと思われる。するとこのカメラで撮影されたものが公開されたのだろうか。 道を渡って摘発された「ガスパニック」の前に行ってみる。驚くほどバウンサーが多い。こんなに多かっただろうか。フラワー事件の余波なのだろうか。それとも注意してみているから多いように見えるのだろうか。 六本木通りを渋谷方面に下ってみる。西麻布交差点を渡って右にはローソンがあり、その地下には一時人気を博した「トゥールズ・バー」があったのだが、今は飲食店に変わっていた。まったく変わっていなかったのが交番横の地下に降りるクラブ「S」だ。相変わらず目立たない作りで、気が付かなければ通り過ぎてしまうだろう。店内は週末だというのに混雑していない。タトゥーが入った白人が踊っている。この箱はこんなもんだったかなと思い、コロナビール一杯で退出する。かかっている曲がトランスということもある。最近の六本木におけるクラブの流行はトランスというイメージが、僕にはある。 道路を渡ると人気のクラブ「M」がある。女優Hがここで酔態をさらしたという事で有名になった(?)クラブだ。ここでも入店待ちの人だかりができていた。こういう場合は男同士の客は門前払いである。女の子を優先で入店させる。追い返された客は不愉快になるかも知れないが、しょうがない。それがクラブのルールである。 朝方になる。外人たちが騒いでいる。日本人の酔客が掴み合いをしている。しばらく様子を見て、エキサイトするようなら止めようと思ったがお巡りさんが駆け付けてきた。誰かが通報したのだろう。 「実話ナックルズ」の巻頭カラーを飾る篝一光さんや権徹さんの写真通りの光景が繰り広げられていた。 (文=久田将義) ●ひさだ・まさよし 1967年東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜育ち。法政大学社会学部を卒業後、(株)産経メディックスに入社。その後、三才ブックスに入社、「別冊ラジオライフ」編集部に所属。後に、ワニマガジン社へ移籍、その傍ら、ムック「ワニの穴」シリーズの編集人。2000年、ミリオン出版に移籍し「ダークサイドJAPAN」の創刊編集長。2001年、「実話ナックルズ」編集長。2005年、「実話ナックルズ」編集長兼任で「ノンフィクスナックルズ」「THE HARD COREナックルズ」創刊、2012年9月末日にミリオン出版を退社。2012年9月より、ニコニコでブロマガ「久田将義の延長!ニコ生ナックルズ」を配信開始。 ・久田将義の延長!ニコ生ナックルズ <http://ch.nicovideo.jp/hisada>
【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】大阪・あいりん地区などの覚せい剤売買の実態と芸能界とクスリ
少し前だが、産経新聞に以下のような記事が掲載された。 《大阪市西成区のあいりん地区で、昨年1年間に覚醒剤や大麻の売買で摘発された購入者らのうち、少なくとも37%にあたる155人が生活保護受給者だったことが13日、大阪府警薬物対策課への取材で分かった。保護費が薬物の購入に充てられている実態が浮き彫りになった。府警によると、同地区では路上での密売が横行しており、昨年は同地区で密売人50人、購入者371人の計421人を摘発。うち155人の生活保護受給が確認され、この半数近くが同区の保護費の支給開始日にあたる毎月1~10日に摘発された。摘発者のうち受給者が占める割合は、平成22年が145人で29%、23年が149人で34%となっており、増加傾向が続いている。西成区の受給者は昨年10月現在で約2万8千人。大阪市24区で最多で、市全体の約2割を占めている。一方、昨年の摘発者全体のうち約80人が大阪府以外に居住。中には「西成に行けば覚醒剤が買えると聞き、大分から電車で来た」と供述する購入者もいた》<産経新聞2013 2.13> 生活保護と覚せい剤売買を安易に結びつけるものではないが、事実の一端として記事に出ている以上、この件について取材・考察を試みたい。 まずは、実際に売人(プッシャ―)といわれる人間への接触に成功した。 ――いま、客の数はどうですか? 「いまは福祉がみんな金尽きてるから、少ないな。最近見回りきついしな。デコ(警察)の」 ――1日どのくらい? 「それでも30~40人はいるわな」 ――いま西成では、何カ所くらい売人はいるのですか? 「立ちんぼは4カ所かな、後は屋台とか直接(組の)事務所に行くとかな」 ――値段はどうなんですか? 「ここらの末端は昔から変わらないわ、下手に上げると暴動起こすしな(苦笑)」 ――いま、シャブはどこから入れてるか聞いてます? 「本来は九州から入れてたみたいやけど、いま向こうはいろいろ厳しいやろ、だからルート変わったらしいで。ほら昔H会が作ってたりしたろ」 ――いまはどこルートですか? 「ワシが聞いてる限りは関東ルートやな」 ――関東ですか? 意外な思いがした。これも人によって異なる。ミャンマーの名前を挙げる人もいるし、以前は北朝鮮の名前をよく口にしていた。 「昔は知ってる通り、シャブの値段はIが牛耳ってたやろ、それとはいまは違うらしいけど関東モンが主流らしいで」 ――シャブといえば関東では、いや関東以外でもどこも扱ってます。北朝鮮、台湾、中国ルートではないのですか? 「聞いた話じゃ、海も国境きついらしいんよ。ロシアは完全にダメになったらしいしな」 北朝鮮は総連土地売買問題で事実上の大使館であった総連が機能しなくなり、日本とは国交断絶に近い状態だ。ロシアは以前、タイヤを密輸していくといい値段で買ってくれたという話もあったし、それは暴力団の資金源の一つであろう。ただ、土地売買や株に比べれば微々たるものだと思うのだが。 関東の売人にも接触できた。 ――いまの取引価格を教えてください。 「高いよ、モノも少ないしな。ハーブに逃げた人間も戻ってきてるし。俺なんか一時期ハーブの売までやったからな、食えなくて」 ――ハーブの規制、かなり厳しくかかりました。 「俺の知ってる関東の人間なんかは、オーストラリアにハーブ栽培のための土地買うって言ってたけど、その話も消えたしな」 ――いま、ミャンマー産が増えてると聞いたんですが。 「そこまでは増えてないよ、だけど、日本ミャンマーなんとか協会とか、ヤクザもんがやってるうさん臭い団体多いな」 ――いま、いくらですか? 「俺らは、まとめて売ることはしないから。刑期長くなるだけだろ。注文受けて、ある場所に取りに行くだけ」 ――グラムで3~4万くらいですか? 「いや、人を見て値段つけるな、前はネットの掲示板とかですごく高く売れたろ。あれで相場がなくなったからな。グラム最低でも5万はつけるよ、いくら知り合いでも」 ――まとめて買うと一昔前は安くしてたじゃないですか、いまは駄目ですか? 「そいつらがネットとかでバカみたいに高く売って、パクられて、そのケツが結構売する側に来たからな。いまは寒いわ」 ――いまは関東からモノが入ってくるって聞いたんですが。 「出る場所が関東でも、値崩れはさせないよ、そこらへんは考えてる。同じモノを安く売って刑期が同じだろ。馬鹿だわ」 ――シャブ利権で一番儲けてるのはどこですか? 「関西、九州はわからないよ。だけど現実に関西から買いに来てるな、まとめて。俺の卸元は余裕かましてるよ、でかい土地買って、そこらにシャブ埋めて隠してるわ」 ――話は戻りますけど、ではシャブの値段は誰がつけるのですか? 「末端だよ、欲しい奴らは、いくらでもある程度までは買う。それで俺らが甘い汁を吸う」 ――いまは、アフリカルートは消えたんですか? 「馬鹿な女を使って運び屋にするやつだろ、いまは捕まってもう警戒されてるからないわ」 ――これからは、どこルートが増えると思いますか? 「モノがあっても質の悪いやつはダメだよ、前のオウムネタみたいに。だからミャンマーはある程度までは伸びると思うよ、だけどまだ供給ルートが確立してないからな、これからだろ」 本稿では最初に書いたように、生活保護受給者のすべてが違法薬物に手を出している、ということを言いたいわけではない。新聞記事から、これは一般人~芸能界まで、依然として目の見えないところで、薬物汚染は広がっているのではないかと思った次第である。 歩を譲って、大麻は合法化されている国もある。オランダなどであるが、といっても、決まった店の中で、の話である。 覚せい剤の恐ろしいところは依存性である。 ある元ヤクザが言っていた。毎週水曜放送「ニコ生ナックルズ」(http://ch.nicovideo.jp/hisada)の中でだったと思うが、自身の経験から「覚せい剤を断ち切るには、人間関係、住環境、仕事環境など、すべて変えなければダメ。だから俺はアフリカまで行った。刑務所から戻ってきて、また同じ土地で暮らすとなると、どうしても以前の人間関係で仕事をしたりする。すると再犯率が高くなる」といった趣旨のことだったと記憶している。 芸能人の再犯率が高いのはそのせいであろう。酒井法子などはボランティアの仕事に就くと言っていたが、結局芸能界に戻ってきてしまった。闇社会数人の人間に取材したが、酒井は顔つきから再犯率が高いとまで言い切っていた。そこらへんは僕には分からない。実際に芸能人の再犯率が高い、というより目立つのは事実である。もちろん、麻薬取締官などは再犯に目を光らせてはいると思うし、マークしている芸能人もいると思うのだが……。 (文=久田将義) ●ひさだ・まさよし 1967年東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜育ち。法政大学社会学部を卒業後、(株)産経メディックスに入社。その後、三才ブックスに入社、「別冊ラジオライフ」編集部に所属。後に、ワニマガジン社へ移籍、その傍ら、ムック「ワニの穴」シリーズの編集人。2000年、ミリオン出版に移籍し「ダークサイドJAPAN」の創刊編集長。2001年、「実話ナックルズ」編集長。2005年、「実話ナックルズ」編集長兼任で「ノンフィクスナックルズ」「THE HARD COREナックルズ」創刊、2012年9月末日にミリオン出版を退社。2012年9月より、ニコニコでブロマガ「久田将義の延長!ニコ生ナックルズ」を配信開始。 ・久田将義の延長!ニコ生ナックルズ <http://ch.nicovideo.jp/hisada>
【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】歌舞伎町・リアル「龍が如く」
新宿・歌舞伎町をほろ酔い気分で歩いている。場所はあずま通り。区役所通りから一本、中に入った細い通りだ。もう一本入るとさくら通りになる。車が一台通れるような細い道だ。酩酊している訳ではないので、ある程度周囲の様子は認識できる。 すると前方から集団が歩いてきた。細いあずま通りをふさぐように。 「っち、横に広がって歩きやがって」 気が短い僕は、ムッとしながらその集団のど真ん中を突っ切ろうとした。が、数十メートル手前で気がついた。 「……ヤクザだ」 突っ切らないまでも、横を通りすぎることもできたが、さっと横道にそれて集団をやり過ごした。十年前の出来事だ。こんな情景は現在では見ない。暴対法改正までは見られたかもしれないが、暴排条例以降は皆無といっていいだろう。これがいわゆる「ヤクザのパトロール」、つまり「地回り」である。当時僕は、「物騒だな」と不愉快に思っていたし、あまり見たくない光景だった。 しかし、である。これがなくなったおかげで、迷惑防止条例のラインを越えているのではと思うキャッチや黒人の客引きが繁華街に増殖してきた。 地回りを住宅街や商店街でやったら、それは迷惑だし見たくもない。ただ繁華街では別かもしれない、と思うようになってきた。以前、歌舞伎町では風林会館の一階に「パリジェンヌ」という喫茶店があり、そこは僕が愛読していた漫画の『殺し屋1』にも出てくるが、ヤクザの会議場と化していた。だだっ広い店内の半分以上ヤクザが席を占め、何やら会議をしているのだ。ちなみにここでは発砲事件も起きている。 僕などは酩酊した時、少し寝たいから「パリジェンヌ」でうとうとして、はっと目が覚めたら周り中ヤクザで「会議」の真っ最中だったことがある。あわてて顔を伏せ、寝たふりをしたものだ。 また、ライターと飲んでいて、腹が減ったから餃子を食べようということになり区役所通り沿いの2階建ての餃子屋に入った。2階のトイレに行こうとすると、店員が苦笑しながらダメだという。いやいや、行きたいので、と2階に行ったら、2階が全席ヤクザでこれまた会議をしていた。店員が止めた理由がわかった。引き返すのも何なんで「すみません。ちょっとトイレを……」とトイレの前にいたヤクザに言ったら「ああ、はい」と言いながら席をあけた。 こんな光景はもう見られない。 地回りはヤクザの示威行為ではあるが、歌舞伎町、六本木などではたまに行われていて、誤解のないように言っておくが、それを歓迎していることはないものの、現在の悪質なキャッチなどを見ていると、繁華街においては必要だったのではないかと思うようになってきた。 例えば彼らは「わかりやすい恰好」をしているので、見かけたら避ければよいし、一般人に意味もなく手を出すことはない。今横行している、悪質なキャッチと違って。 客の前に立っただけでも迷惑防止条例違反であるはず。歌舞伎町を歩いている黒人が寄ってくる。日本人のキャッチが引きとめる。最近こんなことがあった。20メートルくらいしつこく、日本人のキャッチが歩いてくる。「行かないよ」と言ったら「行かないなら歌舞伎町なんかに来るなよ」との捨て台詞。 「ちょっと待て」と言ったらタバコをこっちに投げ、10メートルくらい先から走ってきた。咄嗟にタックルの体勢を取ったが、用事があるのを思い出してパンチをかいくぐってやり過ごした。場所はラーメン店「天下一品」の前あたりである。こんな状態である。そう思った。 機会があってヤクザの組長に取材することになった。歌舞伎町では誰でも知っている親分である。しかし、見かけは普通っぽく見えるし、服装も稼業のそれではない。 歌舞伎町さくら通りを歩いていると、事もあろうかキャッチが「DVDありますよ」と彼に声をかけてきた。周りで見ていた「関係者」たちが血相を変えて寄ってきて「バカ野郎、誰にキャッチしてんだ」と怒鳴りつけた。 僕はその話を聞いて呆れた。親分にまで声をかけるんだから、一般人はたまらないよな、と。暴対法でも暴排条例が施行されても、ヤクザはいなくならない。むしろ堅気にさせて、やっていることはヤクザのそれにする。あるいは架空請求などでご老人から金を取ろうとする。こういうのは論外だが、繁華街の在り様としてヤクザの地回りはあってもいいんじゃないかと今は思っている(当時は嫌だったが)。 ヤクザの語源は様々だが「役に座る」と書いて役座という説がある。その土地土地に顔「役」がいて、外からのヤカラを追い払うというものだ。「暴対法と暴排条例でヤクザはいなくなる」と言って喜んだ警察官僚がいたそうだが、余計に治安が悪くなっている気がする。 読者の皆さんにおかれましては、歌舞伎町も六本木もキャッチについて行かなければ安全だ、と言いたいところだが、アフリカ人を含む悪質なキャッチも多くなってきた。 僕からすれば完全に逆効果だ。それ以前はヤクザは分かりやすかった。だから近づかなければよい。それが今は通じなくなっている。どの時代にもどの国にもヤクザはいる。北朝鮮のような国は別だ。そして、無法なギャングや愚連隊を取り締まるのがヤクザだった。それが現在はいない。警察は果たして取り締まれるのか。僕にはどうもそうは思えない。「繁華街の在り様」がおかしくなっている。 (文=久田将義) ●ひさだ・まさよし 1967年東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜育ち。法政大学社会学部を卒業後、(株)産経メディックスに入社。その後、三才ブックスに入社、「別冊ラジオライフ」編集部に所属。後に、ワニマガジン社へ移籍、その傍ら、ムック「ワニの穴」シリーズの編集人。2000年、ミリオン出版に移籍し「ダークサイドJAPAN」の創刊編集長。2001年、「実話ナックルズ」編集長。2005年、「実話ナックルズ」編集長兼任で「ノンフィクスナックルズ」「THE HARD COREナックルズ」創刊、2012年9月末日にミリオン出版を退社。2012年9月より、ニコニコでブロマガ「久田将義の延長!ニコ生ナックルズ」を配信開始。 ・久田将義の延長!ニコ生ナックルズ <http://ch.nicovideo.jp/hisada>
【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】「六本木フラワー事件」8人起訴の今後
最初に犠牲者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 六本木フラワー事件の逮捕者がいまだ逃亡中の見立真一容疑者を含めた8人を、傷害致死で起訴される運びとなった。確かに、殺意があったかと言われればあまりにも杜撰な犯行だったと思う。 防犯カメラに自分たちの素顔を晒してしまっている点。また逃亡の際、Tシステムがある高速道路を使用している点。そして、当時200人はいたとされる「フラワー」内にいた客の衆目の中で襲撃している点などを見ると殺意はなかったのかも知れないと感じる。当時から「ノリでやったんじゃないか」という見方もあり、今思うとその見方も捨てきれない。 またクラブへの襲撃は、彼らがまだ20代の頃からの得意手段であり、イベントを潰す事によって、関東連合に対する恐怖を客たちに与えていった。結果「渋谷・六本木のクラブは関東連合が仕切っている」というイメージを植え付けていく。 今回の事件も当初から、そのやり方を鑑みれば「やっぱり関東連合だった」という人間は多少でもアンダーグラウンドの世界や関東連合に触れた者だったら見当をつけていたはずである。 警視庁はそのメンバーなど実態の全てを把握しているとは思えなかったが、8人のみ起訴というニュースを聞いて、そうでもないのかなと感じた。 つまり年代から見て30半ばから20代後半が関東連合と言えるメンバーで、それより下の年代は関東連合の後輩か、地元杉並の後輩と位置づけられるからだ。8人に絞ったのはその事を把握したのか、と推測した次第である。 当ブロマガでは指摘済だが、これを初めて読む方のためにもう一度、ざっと関東連合とは何か、について振り返ってみたい。 関東連合と一口に言っても、一枚岩ではない事、そして関東連合「系」と言われているチームも含めて、概念としての「関東連合」僕らの頭の中で成立している点。 もう一度おさらいしておくと1980年代後半に世田谷の豪徳寺や上町を中心とした「小次郎」という暴走族が実質的に復活。「小次郎」という名だけだとイマイチ分かりにくいので、元々1970年代に結成された関東連合に属している点に着目し、「関東連合上町小次郎」と名乗り始めたのが現在の関東連合である。そこへ1970年代当時から有名だったブラックエンペラーや鬼面党、メデューサ、マッドスペシャルなども併せて「関東連合」と名乗り始めるようになる。 前述したように、渋谷・六本木などのクラブを支配した点が大きかった。まだヤクザが目をつけていないシノギがそこには転がっていたからである。結果、ギャル業界やAV業界に進出する足がかりを作った。 ここで、闇カジノなどに手を出せば自分たちの縄張りを荒らされたとして、ヤクザが手を出した可能性もある。これは戦後の愚連隊「三声会」が歌舞伎町で猛威をふるっていた時、飲食店からのショバ代を取るまでは黙認していたヤクザも三声会が賭場を開くようになったのをさすがに看過出来ず、三声会のトップを殺害した事を想起させる。 従って関東連合には戦後の安藤組と三声会を足したようなイメージがある。違うのはトップと言われる会長がいない事。しかし、強烈な縦社会で体育会系のノリで結束が固い。電話一本で30人は集まると言われており、現に今回の事件も20人近くを1、2時間のうちに集合させている。こういう統率力のある人間は限られており、杉並グループの中でもトップである逃亡中の見立容疑者の名前が真っ先に挙がるだろう。 警視庁はこの事件と関東連合を、そしてヤクザ組織はどういう対応をするのか。この2点に着目して今後の日本のアンダーグラウンドがどう形成されていくのかを見ていきたい。 (文=久田将義) ●ひさだ・まさよし 1967年東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜育ち。法政大学社会学部を卒業後、(株)産経メディックスに入社。その後、三才ブックスに入社、「別冊ラジオライフ」編集部に所属。後に、ワニマガジン社へ移籍、その傍ら、ムック「ワニの穴」シリーズの編集人。2000年、ミリオン出版に移籍し「ダークサイドJAPAN」の創刊編集長。2001年、「実話ナックルズ」編集長。2005年、「実話ナックルズ」編集長兼任で「ノンフィクスナックルズ」「THE HARD COREナックルズ」創刊、2012年9月末日にミリオン出版を退社。2012年9月より、ニコニコでブロマガ「久田将義の延長!ニコ生ナックルズ」を配信開始。 ・久田将義の延長!ニコ生ナックルズ http://ch.nicovideo.jp/hisada
【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】東京不良少年史1990年代初頭~「関東連合」の復活と台頭
1970年代に結成された関東連合だが、数代目あたりまでは会長が存在していたものの、80年代半ばから90年代にかけては有名無実化していた。僕は二代目会長のA氏にインタビューした事があったが、彼は50歳半ばでそのあたりまでは幹部会議などを開いていた。しかし、次第にチーム単独ごとの活動になっていき、関東連合としてのそれはなくなっていった。 実質活動していなかった関東連合だが、いわゆる現在、話題となっている関東連合はいったい、いつ誰が復活させたのだろうか。 最早、時代はチーマーであり暴走族の人数も減少していた。復活させたのは世田谷の上町、豪徳寺の付近の不良少年を中心とした「小次郎」である。70年代、関東連合結成当時の中心チームは「ブラックエンペラー」「マッドスペシャル」だったが、当時の関東連合の中心は「小次郎」「ブラックエンペラー」「鬼面党」「メデューサ」等である。 彼らは単独チームだけでなく大きな看板が欲しかった。それで、目をつけたのが関東連合の存在である。「うちは関東連合に属していただろ」と。従って「小次郎」などは当初は「関東連合上町小次郎」を名乗っていた。 そして、それを思いついて実行したのが、後に東京の不良少年の間ではカリスマ的存在となったA氏である。 整理すると、関東連合のメンバーはA氏のような40歳から30歳後半を上として下の年代は海老蔵事件で有名になった伊藤リオン氏の20代後半、また本も出版した石元太一氏の年代までを言うと思っている。 それ以降は関東連合ではなく、「関東連合の後輩」と称するのが正確だろう。また世田谷と杉並のメンバーで構成されているのも特徴的だ。といっても一枚岩ではなく、世田谷と杉並のメンバーでは微妙に意識の差があると感じられる。関東連合の象徴とも言うべきA氏は渋谷に目をつけた。 国道246号沿いであり世田谷から近いという事もあった。また本来は暴走族のテリトリーで言えば狂走連盟であるのだが、当時は渋谷を流していなかった。チーマーの武闘派も進んでいた。結果的に関東連合は渋谷の不良少年シーンを制圧するのだが、それは三軒茶屋、三宿を中心として起きた「三茶抗争」がターニングポイントだと僕は見ている。 いわゆる暴走族(関東連合)対チーマーの対決である。それは暴走族「三茶愚連隊」と渋谷のチームのいざこざが発端と言われている。 暴走族側はリーダーたち三人の頭文字をとって「3K」と言われた人物が中心となって、チーム側に苛烈な攻撃をしかけた。顔が分からなくなるほどボコボコにされたチーマーや暴走族が三軒茶屋、三宿の墓地に捨てられたり拉致されたりした。 チーマーはしかし、劣勢を立て直そうと武闘派だけで結成した「湖池屋」が反撃に出る。因みに湖池屋の由来はCMの「いけいけゴーゴー湖池屋、ポテトチップス」からきている。つまり、それほどイケイケのチームだという事だ。 だが結局、チーマーたちはセンター街に出る事はなくなり、暴走族側の勝ちとなる。やはり集団の喧嘩は結束力がモノを言う。地元の結束力で固まる暴走族と、色々な地区から来て集まったチーマーとは結束力に差があった。 結果、渋谷センター街は実質的に、関東連合が仕切る事になった。また、チーマー側を裏で動かしていた人物がいたのだが、先ほど述べた関東連合の象徴的存在A氏が少年院から出所してから、徹底的にヤキを入れられ、彼も「飛んで」しまう。 こうして、渋谷センター街は関東連合の支配下になった。 現に、以前関東連合幹部にインタビューした際、「他の地域は知りませんが渋谷の場合はチーマーのケツもちは暴走族なんです」と言っていた。 ただし、チーマーも依然として存在しており、有名なのはチーマー史上最大規模と言われた「TOP-J」である。が、実態としては関東連合がケツもちと見られている。このチームの頭もかつては「用賀喧嘩会」に属しており、用賀喧嘩会はチーマーから暴走族化していき、結果、関東連合系となる。「系」というのがポイントで例えば、海老蔵事件で名前が出た伊藤リオン氏の「宮前愚連隊」も本来は関東連合「系」である。70年代結成時、宮前愚連隊はなかったからだ。また、関東連合は世田谷中心という意識が一部ではあり、杉並の関東連合は傍流という見方もある。 また、俳優高岡蒼甫がブログで兄貴分と慕っていた、2008年西新宿で撲殺された金村氏の属していたチーム「新宿ジャックス」も関東連合系と見られている。 関東連合はしかし、次第にスタイルが暴走族からチーマーのようなお洒落な恰好をする人間も出てきた。反面、特攻服を着て、わざわざ電車の中で写真を撮ったり、ハチ公前やセンター街を歩いたりした。示威行為である。 関東連合幹部は「僕らは人数が少なかったのでパフォーマンスをするしかなかったんです」とも言う。しかし、その喧嘩は次第に過激化し相手の家に乗り込んで火をつける、負けた相手を裸にし、男同士で69させた写真を撮るといったものである。 こういった行動を取る事により、関東連合は怖いというイメージを植え付けた。僕も69写真を見せてもらったが、余りにエグくて当時、「実話ナックルズ」の編集長をしていたものの掲載するのを止めたほどである。 関東連合は渋谷の不良少年シーンを制してから、六本木に進出していくのだがそれはクラブを抑えた事が大きい。イベント狩り、スカウト狩りで関東連合は名をなしていく。 当時はスーパーフリー的全盛期だった。 「関東連合にはかなりイジメられました。僕らが女の子に声をかけている関東連合が『何やってんだ』と集まってくるんです」(当時のスカウト会社社員) またクラブのイベントでも、数人でバットや鉄パイプを抱えて乱入し「関東連合だ。誰に断ってイベントなんてやってんだ」とやる。 結果、イベントは関東連合に一言断ってから開かざるを得なくなる。こうしてクラブシーンを制していった。スカウトを仕切った関東連合はAV業界に進出していく。金を持った幹部は続いて、六本木のクラブに行く。そこで人脈を作り、さまざまな分野で関東連合のメンバーが関わっていく事になり現在に至る訳だが……。 (つづく/文=久田将義) ●ひさだ・まさよし 1967年東京都世田谷区生まれ。神奈川県横浜育ち。法政大学社会学部を卒業後、(株)産経メディックスに入社。その後、三才ブックスに入社、「別冊ラジオライフ」編集部に所属。後に、ワニマガジン社へ移籍、その傍ら、ムック「ワニの穴」シリーズの編集人。2000年、ミリオン出版に移籍し「ダークサイドJAPAN」の創刊編集長。2001年、「実話ナックルズ」編集長。2005年、「実話ナックルズ」編集長兼任で「ノンフィクスナックルズ」「THE HARD COREナックルズ」創刊、2012年9月末日にミリオン出版を退社。2012年9月より、ニコニコでブロマガ「久田将義の延長!ニコ生ナックルズ」を配信開始。 ・久田将義の延長!ニコ生ナックルズ http://ch.nicovideo.jp/hisada ●本日20時から生放送!
