2015年3月期に128億円の最終損失を計上し、前年の49億円の赤字から損失額が拡大している、居酒屋「和民」などを展開するワタミ。数年前まで「居酒屋チェーンの象徴」として君臨した大企業が今、大きな危機にあえいでいる。 創業者である渡邉美樹氏が一代で築いた外食チェーンであるワタミは、顧客至上主義の方針で高収益を上げ、世間から注目を浴びる。だがその一方で、社員に過酷な労働を課し、待遇も悪く、果ては過労自殺者も出るなど、同社の名前とともに叫ばれ始めた「ブラック企業」の代名詞として、多くの議論を生んだ。 無論、価格や味、サービスなど競争の激しい飲食業界で、ワタミが後手に回ったという点が、今日の赤字を生んだ最大の要因なのは間違いない。今やもっと安く、手軽で、味もそこそこな居酒屋はたくさんあるし、お酒好きの人々にとってワタミに行くメリットがなくなったことが大きい。だが、ワタミがここまで落ちぶれてしまったのは、その“イメージ”の悪さも一つの要因である。その最たるものが、創業者で、現在は参議院議員でもある渡邉美樹氏の存在そのものではないだろうか。 「一代でワタミを大きくした渡邊氏の才覚自体は、褒め称えるべきところもあるでしょう。介護や教育など、積極的に他事業に参入する姿を参考にした経営者もいたかもしれません。ただ、全くの門外漢ながら神奈川県の教育委員会委員を務めた点には違和感がありましたし、『地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう』という企業スローガンも、見方によってはどこかの宗教団体のよう。若者には具体性もなく『夢を持て』と連呼し、そのくせ自社社員には『365日24時間死ぬまで働け』『会議をしているとき、今すぐここから飛び降りろ!と平気でよく言う』など、夢という言葉とはかけ離れた考えを堂々と披露しました。その結果が社員の過労自殺騒動ですから、冗談にもなりません。極め付きは都知事選出馬、参院選出馬。『日本全体ブラックを企業にするつもりか』と大いに批判されました。一連の言動を経て、ワタミ系列の店舗で飲食をすること自体『シャクにさわる』と思う人は、決して少なくないでしょうね」(記者) 渡邊氏の発言はこれだけに止まらない。2013年に放送された『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)で、作家の村上龍氏と繰り広げた「『無理』は嘘吐き」の会話は、渡邊氏の根本的な思想を端的に示している。 渡邊氏は番組内で、「『それは無理です』って最近の若い人達は言いますけど、たとえ無理なことだろうと、鼻血を出そうがブッ倒れようが、無理やりにでも一週間やらせれば、それは無理じゃなくなるんです」と発言。村上氏は「順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」と戸惑いながら返すと「止めさせないんです」と渡邊氏は返す。村上氏が「いや、一週間やったんじゃなく、やらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」と質問しても「実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」と全く引かない。村上氏は最終的に「それこそ僕は無理だなあ」と苦笑する他なかったようだ。 このやり取りは、インターネットを中心に広く拡散され、多くの人々が戦慄した。ワタミが赤字を出してから回復の見込みがないのは、度重なるトンデモ発言を受け、多くの人がソッポを向いた結果といえる。 「近年は外食産業自体の生き残り競争が本当に激しい。その中でチェーンとなれば“企業”のため、どうしても社員の労働時間や環境が重要視され、コンプライアンスも厳しい目で見られる。個人経営であれば経営者の時間などの裁量の幅が広いので、今後はこちらが有利になるのでは。渡邊氏は結局、売上を上げるために『過剰労働』という答えしか導き出せなかった。現在は政治家として経営の一線は退いているようですが、身を退いてすぐに経営が傾いたのを見ても、やはり後進を育てられない“ワンマン”だったということでしょう」(同) 経営不振脱却のため、今後はインバウンド(訪日外国人)消費獲得に力を注ぐというワタミだが、インバウンドというのも随分と前から叫ばれているため、後手後手に回っているようにしか感じられない。きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉(日本経済新聞社)
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カニバリズム、不幸の連鎖、身体障害者……キケンすぎる絵本の正しい愉しみ方
【プレミアサイゾーより】
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──子どもが想像力の羽を広げる絵本。教育のツールにもなるそれは、健全な物語が描かれていなければならないし、我が子に役立つ教訓が説かれていなければならないと多くの親は思うだろう。だが、そんな世間一般のイメージを打ち破るヤバい絵本が、この世には存在するのだ。 子どもの想像力をかき立てるべく親が読み聞かせる絵本は、健全な内容でなければいけない──。そんな暗黙のモラルがあるならば、あまりの恐ろしさに子どもがトラウマになるようにも思える絵本は、禁忌に抵触しているのか? 絵本作家養成の「あとさき塾」を共同主宰する編集者・小野明氏はこう話す。 「残酷さを一種のタブーと考えるなら、約150年ほどの近代絵本の歴史において、1847年に原書がドイツで刊行された『もじゃもじゃペーター』は古典的な名作として知られますが、かなり怖い。マッチで火遊びをする女の子が焼け死んだり、おしゃぶりの癖が治らない男の子が仕立て屋の巨大なハサミで指を切り落とされたり、子ども主体の残酷な10の小話が収録されています。また日本の恐い絵本の定番といえば、おばあさんを殺したタヌキを、ウサギがおじいさんに頼まれて仇討ちするという民話をベースにした『かちかちやま』。タヌキがおばあさんを殺して作った”ばば汁”を『このタヌキ汁、なんだかばぁさま臭くないか』とおじいさんが食べるくだりはゾッとする。この”ばば汁”の場面をはじめ数カ所が子どもには残酷だという理由で、現在は改作されたバージョンも多く流通しています。ただ、本作にはタヌキのような悪さをしたら懲らしめられるという教訓があるように、古くより絵本の中では子どもの”しつけ”のために怖い物語が描かれてきたのだと思います」 また違った怖さを追求した傑作として、米国の絵本作家エドワード・ゴーリーが61年に発表した『不幸な子供』を小野氏は挙げる。 「主人公は裕福な家に生まれた女の子ですが、火事や交通事故などあらゆる不幸が続き最終的に死ぬ、まったく救いようのない話。ゴーリーは残酷で不条理に満ちた作風で知られますが、ここまで徹底してダークな作品はほかにないと思う。しかしホラー映画/小説が存在するように、残酷さや不幸さを見たくなるのも人間の性にはあり、そうしたものをあくまで”虚構”として愉しむ方法を子どもに教え得る一冊のように思います」 そして恐怖絵本は、現在も生まれている。最近では、人気作家と画家/イラストレーターがコラボレーションした『怪談えほん』シリーズが2011年より刊行され、話題となった。児童文学の研究者・宮川健郎氏はこう述べる。 「学校の怪談などは子どもたちの語りと子どものための読み物として流布していましたが、怪談を絵本に落とし込んだ最初の例がこのシリーズといえます。特に怖がらせ方が異様なのが、作家の加門七海と画家の軽部武宏による『ちょうつがい きいきい』。主人公の男の子は、自室の扉のちょうつがいに挟まり”きいきい”と泣き叫ぶおばけを見つける。同様のちょうつがいが街のあちこちにあり、主人公と読み手はその音に精神的に追い込まれていきます。また宮部みゆきとイラストレーター・吉田尚令の『悪い本』は、心をもった”世界でいちばん悪い本”が読み手に”あなたは悪さをしたくなる”などと呪文のように語りかける。陰鬱な作品ですが、これを読んだ子どもは、自分を含めた誰の心にも”悪意”が潜んでいることに気づくかもしれません」 ■身体障害者に対する小学生の違和感と友情 ここまで恐怖絵本について述べてきたが、2000年代に日本でブームとなったチェコ絵本は、それ全体がある種のタブーを破ってきたのかもしれない。 「共産政権の締めつけが厳しかった戦後のチェコでは、芸術にとって最も自由な場のひとつが絵本。その絵は内容を補う”挿絵”と考えられていたため、絵画などの美術とは異なり、差し止めになることはまれでした。また当時は計画経済であり、国営企業である版元に予算が割り振られれば、内容は比較的自由に設定できた。こうして優れた美術家やイラストレーター、グラフィック・デザイナーらが絵本の領域で腕を振るい、そのレベルは高まっていったのです」 こう話すのは、チェコ雑貨と絵本の専門店「チェドックザッカストア」を運営する谷岡剛史氏。要は、共産政権下のチェコにおいて表現の自由は禁忌だったわけだが、絵本はそれを突破するアートフォームだったのだ。そんなチェコ絵本の中でも、より先鋭的なものとして次の作品を谷岡氏は挙げる。 「『イラストわらべうた』に描かれた動物や人間は、その毒々しい色使いと歪んだ肢体が独特。どこか不気味な印象を与えるので、子どもらしいキャラクターとはいえません。それから、新聞の風刺画を手がけていたボフミル・シュチェパーンの『狂ったお話』は、人面馬や長い手足をもつレモンといったコラージュが特徴的。モンティ・パイソンにも通じる、奇妙でシニカルな感触があります」 驚くことに、これらの主な読者対象は乳幼児。そして対象年齢がもう少し高いものとしては、『秘密の航海日誌』が異様だ。 「航海の日誌を綴るという体裁をとった絵本ですが、手書きの文章や無造作な挿絵などが100ページにわたり無秩序に配され、ストーリーは支離滅裂。アウトサイダー・アート(知的障害者や身体障害者による美術)にも近い。そんな精神倒錯的とすらいえる本書は、66年の初版時に2万5000部も刷られたそうです」(谷岡氏) また人間の身体的な欠陥に触れた作品も、禁忌を犯した絵本だろうか。そうした領域に踏み込んだのが『はせがわくんきらいや』であると前出の宮川氏は述べる。 「作者の長谷川集平が小学生時代の自身の体験をベースに創作した作品で、子どものイタズラ書きのような文と絵で、”はせがわくん”の友達を語り手として物語は展開します。実は作者は乳児の頃に森永のヒ素ミルクを飲み、その後遺症で小学生の頃は周りの友人に比べて体が弱かった。そんな人間に違和感を覚えてしまう子どもの本心が、”はせがわくんきらいや!”という言葉を通して炙り出される。しかし物語が進むにつれて、”はせがわくん”と語り手の間に、それを超越した友情も芽生えます」 こう語る宮川氏は先に絵本界の外部の人間が参加した『怪談えほん』シリーズを取り上げたが、小野氏は同じく部外者である現代美術家・大竹伸朗による『ジャリおじさん』の特異点について話す。 「海を見て暮らしていた”ジャリおじさん”が、あるとき黄色い道に沿って歩いていくと、自分自身に出くわしたり、青い神様が現れたりといった出来事が起きる話ですが、”ジャリおじさん”は神様に気づかず通り過ぎてしまう。まあ”神様問題”は民族や文化の相違によってタブーとなり得るものでしょう。実際、この神様は欧米ではなかなか受け入れられなかったようです。本書を大人が読んだら、日本の作者が神を視覚化する動機や、その存在を主人公が認識できない理由、また自分自身と対面する意味などをあれこれ考えたくなるのかもしれません。しかし子どもはこうしたことを疑問に感じるよりまず、物語と画面全体をまるごと受け止めるようですね」 ■女の子がおののくかわいくない動物たち ところで絵本にはしばしば動物が登場するが、おしなべて愛らしいキャラクターとして描かれる。絵本のそんな”定式”を崩すのが、『もりのおくのおちゃかいへ』だと宮川氏は指摘する。 「主人公の女の子がおばあちゃんの家にケーキを届けるという、よくありそうな物語で、道中の森で通りがかった家ではさまざまな動物が集まってお茶会を開いていて、女の子はそれに参加する。しかし、そこで出会った動物はミッフィーちゃんみたいなキャラクターではなく、獣臭さが漂ってきそうなほど生々しい。動物が住む世界はやはり人間界とは異質であり、動物界と対峙した人間は畏怖の念を抱かずにはいられないことが描かれているのではないでしょうか」 また、ストーリーが紡がれることも絵本の定式ではないだろうか。だが、物語がまったく展開しない絵本も世の中にはあるのだ。 「『ちへいせんのみえるところ』の各見開きには地平線まで見渡せる広野が描かれ、ページをめくるたびに『でました。』という一言と共にゾウや船、人の顔……といったものが脈絡なく現れます。78年に刊行された当初、そのあまりのナンセンス度合いに、ほどなく絶版となりました。でも、作者の長新太を熱烈に支持するファンは増え、98年に復刊。実際に子どもに見せればわかることですが、彼らは結構、長さんの絵本のファンですよ。ストーリーやメッセージがないからといって、大人のように『変だ』と受け取ることはあまりありませんね」(前出・小野氏) ページを繰れば物語が進行し、結末で何かしらの教訓が唱えられる──。それから逸脱することも、絵本表現におけるある種の禁則なのだろう。ただ、その禁則は大人が設定したものであり、子どもには有効ではないのかもしれない。 「恐怖絵本にしろナンセンス絵本にしろ、子どもはどんな絵本でもそれをひとまず享受するのではないでしょうか。我が子に与えるのがはばかられる絵本があったとしても、子どもがそれを通じて想像力を育むことはあり得ます」(同) その言葉が正しいかどうか、これらさまざまな”タブー”を破った絵本を子どもに読み聞かせ、自分の目で確かめてみてほしい。 (取材・文/池尾 優 ユーフォリアファクトリー) 【「サイゾーpremium」では他にもタブー本が満載!】 ・『かちかちやま』『不幸な子供』『狂ったお話』一覧で見る古今東西のヤバい絵本たち ・『チーム・バチスタ』の海堂尊先生もご推薦!! 医師のみが知る禁断の医学書ワールド ・直木賞作家でも初版5000部!? 有名でも売れない大御所作家怪談えほんシリーズ『悪い本』
■「サイゾーpremium」とは? 雑誌「サイゾー」のほぼ全記事が、
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「高速バス事故と同じ、事故が起きてからでは遅い」中学校での武道必修化に疑問の声

この4月から、中学校1・2年生の保健体育の授業で武道とダンスが必修になる、いわゆる「武道必修化」が実施された。
この武道必修化については、実施前より関係者からは安全確保などについて指摘や疑問視する意見もあった。
報道などではあまり取り上げられないが、中学や高校、大学での体育系部活やスポーツ活動における事件や不祥事は決して少ないものではない。活動中の事故や負傷をはじめ、いわゆる「しごき」やいじめなど、数々の問題や事件が発生し、しかも根本的に解決していない事例も多々ある。
そんな状況で、なぜ中学での武道必修化ということになったのか。これには、2006年に行われた学習指導要領の改正というほかに、霞ヶ関やスポーツ界の思惑があるのだという。自らも大学体育会系の出身で、スポーツ関連の問題についての取材を進めているルポライターの杉本哲之氏は言う。
「まず、国の方針です。国際舞台で評価されるような人材を作りたい。わかりやすくいえば、『メダルの取れる人材の育成』です」
確かに、オリンピックやその他の国際大会では、武道関係の競技は諸外国の活躍が目立つ。メダルがすべてというわけではないし、日本の強化選手が著しく劣っているわけでもないのだが、古くから武道に親しんできた日本としては、やはりメダルの数が気になるところなのだろう。
そこで、文科省としては早期に子どもたちに武道を教え込み、ゆくゆくは国際的に通用する実力者を育てたい、という意図があると考えても不自然ではない。
だが、むしろ問題は、教育指導する側の事情である。杉本氏は「日本のスポーツ界には、指導力のある人材が育っていない」と指摘する。
「日本のスポーツや武道では、指導者の育成はかなりズサンです。よい指導者がいないからメダルが取れない、と言ってもいいでしょう。諸外国、例えばフランスやロシアなどでは、スポーツや武道の指導者になるためには、厳格な育成プログラムを修了し、難しい試験に合格しなければならない。当然、実力だけでなく人格も問われる。しかし、日本にはそうしたものはありません。せいぜい、なにがしかの実績がある程度で指導者になることができるわけです」(杉本氏)
確かに、強い選手だったからといって指導力があるとは限らない。だが、それでも指導的な立場になってしまうのが現状のようだ。
さらに、学習指導要領の「過密スケジュール」を指摘する声もある。指導要領では、年間10時限で武道のひと通りを教えることになっている。例えば柔道なら、基本から受身、乱取りまでということになる。しかし、実際の武道関係者や体育教師などに聞くと、「まず無理」と口をそろえる。
「10コマではせいぜい、礼儀と受身までがやっと。乱取りなんて、危なくてできない」(神奈川県の公立高校体育教師)
こうした問題点が指摘されながら、導入前は一部のメディアで取り上げられた程度で、4月以降は話題になることはほとんどない。その状況について、あるメディア関係者は「マスコミの体育会系人脈が邪魔している」と指摘する。
「新聞の幹部クラスや雑誌の編集長レベルなどには、大学の体育会系出身者が少なくないわけです。それで、体育会系を擁護するような傾向がないとはいえない。天下りと同じような構図ですよ」
ほかにも、スポーツ界や武道関係の人脈や、そうしたものに関係した「利権」についても数々の指摘がある。
今のところ、武道の導入による問題や事件は中学校で起きていない。だが、何も起きていないからといって安全が確保されたとはいえない。まさに、関越道のバス事故と同じで、何かが起きてからでは遅いのである。
(文=橋本玉泉)
「高速バス事故と同じ、事故が起きてからでは遅い」中学校での武道必修化に疑問の声

この4月から、中学校1・2年生の保健体育の授業で武道とダンスが必修になる、いわゆる「武道必修化」が実施された。
この武道必修化については、実施前より関係者からは安全確保などについて指摘や疑問視する意見もあった。
報道などではあまり取り上げられないが、中学や高校、大学での体育系部活やスポーツ活動における事件や不祥事は決して少ないものではない。活動中の事故や負傷をはじめ、いわゆる「しごき」やいじめなど、数々の問題や事件が発生し、しかも根本的に解決していない事例も多々ある。
そんな状況で、なぜ中学での武道必修化ということになったのか。これには、2006年に行われた学習指導要領の改正というほかに、霞ヶ関やスポーツ界の思惑があるのだという。自らも大学体育会系の出身で、スポーツ関連の問題についての取材を進めているルポライターの杉本哲之氏は言う。
「まず、国の方針です。国際舞台で評価されるような人材を作りたい。わかりやすくいえば、『メダルの取れる人材の育成』です」
確かに、オリンピックやその他の国際大会では、武道関係の競技は諸外国の活躍が目立つ。メダルがすべてというわけではないし、日本の強化選手が著しく劣っているわけでもないのだが、古くから武道に親しんできた日本としては、やはりメダルの数が気になるところなのだろう。
そこで、文科省としては早期に子どもたちに武道を教え込み、ゆくゆくは国際的に通用する実力者を育てたい、という意図があると考えても不自然ではない。
だが、むしろ問題は、教育指導する側の事情である。杉本氏は「日本のスポーツ界には、指導力のある人材が育っていない」と指摘する。
「日本のスポーツや武道では、指導者の育成はかなりズサンです。よい指導者がいないからメダルが取れない、と言ってもいいでしょう。諸外国、例えばフランスやロシアなどでは、スポーツや武道の指導者になるためには、厳格な育成プログラムを修了し、難しい試験に合格しなければならない。当然、実力だけでなく人格も問われる。しかし、日本にはそうしたものはありません。せいぜい、なにがしかの実績がある程度で指導者になることができるわけです」(杉本氏)
確かに、強い選手だったからといって指導力があるとは限らない。だが、それでも指導的な立場になってしまうのが現状のようだ。
さらに、学習指導要領の「過密スケジュール」を指摘する声もある。指導要領では、年間10時限で武道のひと通りを教えることになっている。例えば柔道なら、基本から受身、乱取りまでということになる。しかし、実際の武道関係者や体育教師などに聞くと、「まず無理」と口をそろえる。
「10コマではせいぜい、礼儀と受身までがやっと。乱取りなんて、危なくてできない」(神奈川県の公立高校体育教師)
こうした問題点が指摘されながら、導入前は一部のメディアで取り上げられた程度で、4月以降は話題になることはほとんどない。その状況について、あるメディア関係者は「マスコミの体育会系人脈が邪魔している」と指摘する。
「新聞の幹部クラスや雑誌の編集長レベルなどには、大学の体育会系出身者が少なくないわけです。それで、体育会系を擁護するような傾向がないとはいえない。天下りと同じような構図ですよ」
ほかにも、スポーツ界や武道関係の人脈や、そうしたものに関係した「利権」についても数々の指摘がある。
今のところ、武道の導入による問題や事件は中学校で起きていない。だが、何も起きていないからといって安全が確保されたとはいえない。まさに、関越道のバス事故と同じで、何かが起きてからでは遅いのである。
(文=橋本玉泉)


