改憲不安高まる中、音楽はどこまで響くのか――七尾旅人が歌う「数十年ぶり1人目の戦死者『兵士A』」

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「兵士Aくんの歌」を初めて聴いたのは、昨年の朝霧JAMだった。「Moon Shine」ステージには、この日一番といえるほどの人が集まり、今か今かと待ち構える。  ステージに登場した七尾旅人は、「本音を語りたいから、今日は暗い曲しか演奏しない」と宣言。その言葉通り、「戦前世代」「エアプレーン」といった、七尾が20代のころに書いた重いテーマの曲が並ぶ。その何曲目かで、この「兵士Aくんの歌」が演奏された。  この歌は、近い将来、数十年ぶりに1人目の戦死者となる自衛官、または日本国防軍兵士「Aくん」に思いをはせた歌だ。Aくんは、僕の友達かもしれないし、僕の弟かもしれない。わたしの彼かもしれないし、わたしの子かもしれない、と七尾は歌う。 “楽しいライブ”を期待していた観客はといえば、その状況に戸惑い、ステージを後にする者も少なくなかった。だが、大半はうつむきながらも、その歌に真摯に耳を傾けていた。  七尾のライブには何度か足を運んでいるが、こんなライブ、初めてだった。なんともいえないモヤモヤ感がしばらく胸から消えない。当然、観客の反応も真っ二つに分かれた。「なんなのあれ?」「フェスで聴きたくなかった」「すごいものを見た」……。 『特殊ワンマン「兵士A」』は、昨年11月19日に東京・WWWにて行われたライブを映像化したものだ。頭を丸め、迷彩服に身を包んだ七尾が「兵士A」に扮し、およそ100年間に及ぶ物語を構築するというもの。七尾にとって初のライブ映像作品であり、「僕の20年近くなる音楽人生の、ひとまず総決算と呼べるもの」と位置付ける本作は、全23曲のほぼすべてが、未発表曲、またはこの公演のために書き下ろしたものだという。MCや休憩を一切挟まず、3時間ノンストップ。ギターによる弾き語りと、時折ボイス・エフェクトやサンプラー、シンセサイザーなどを用い、オルタナティブ・フォーク、ポエトリー、メロウソウル、ノイズアヴァンギャルドなど、さまざまな手法でひとつのテーマに挑んでいく。  まるで戦前時代にラジオのチューニングを合わせるかのように、サンプラーを使ったノイジーな「プロローグ」から始まり、序盤「Aくんが生まれ、そして死ぬまで」では、高度成長前夜の風景から、1964年の東京オリンピック、炭田の村に建った原子力発電所が大阪万博に光をともしたこと、バブル期、戦争を生き延び、炭鉱、そして原発で働いた父親の死、震災による津波によって村がのみ込まれていく様子、そして「兵士Aくんの歌」と続き、Aくんの人生が戦後日本の歩みと共に伝えられる。
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 中盤「Aくんが殺したひとびと」では、村を焼き払われ、誘拐され、まだ8歳なのに子ども兵にされた少年、戦争に翻弄されるカップル、月明かりを頼りにゴムボートで海を渡る難民など、さまざまな人々の物語を歌う。七尾は何度も何度も宙を仰ぎ、音を、リズムを、言葉をひとつひとつたぐり寄せるように曲を紡いでいく。そして一転、戦闘用ドローンになりきり、一心不乱に鉄パイプでドラム缶を殴打する。  終盤「再会」では、2020年に開催される東京オリンピックを未来から回想したかと思えば、今度は1938年にタイムスリップ。戦死した野球選手・沢村栄治が手榴弾を投げる様子を歌う。シンセサイザーが銃声のようにやかましく鳴り響き、それまでステージ袖でサックスを演奏していた梅津和時が、旧日本軍の軍服姿で登場。七尾の即興演奏ライブシリーズ「百人組手」よろしく、2人は激しく音をぶつけ合う。  七尾といえば、911同時多発テロに端を発するアフガン・イラク侵攻を境に衰弱してゆくアメリカと、否応なく戦場へ回帰していく日本を描いた3枚組の超大作『911FANTASIA』、ヘリパッド移設問題で苦しむ小さな美しい村を歌った「沖縄県東村高江の唄」、東日本大震災の原発事故で放射能が降り注ぐ環境下、それでも笑顔で生きる女性が主人公の「圏内の歌」を発表するなど、こと時勢に敏感なアーティストだ。 「兵士Aくんの歌」、そして今回の特殊ワンマンも、集団的自衛権の行使に連動した憲法改正論議に触発されたことは想像に難くない。だが、これはありきたりのプロテストソングではない。『911FANTASIA』で七尾が予見した通り、取り返しのつかない場所へ行こうとしている日本と、そして世界を、さまざまな立場の人々の小さな声を手がかりにしながら、総合的に描き出そうとする試みだ。  以前、東日本大震災後に発表したアルバム『リトルメロディ』のインタビュー(参照記事)で、七尾はこう語っている。 「もしあとに残るものがニュースだけだったら、100年後には、まるで太平洋戦争中の新聞と同様に、共感しづらいものになる。政治や科学やジャーナリズムの言葉だけでは、よくわからない。でも、そこに音楽、あるいは映画とか、文化がついてきて初めて、そのときどんな人がどんな複雑な気持ちを抱えて、どんなことを恐れていたり、どんなことに喜んでいたかが、やっと見えてくると思うんですよね」
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 世の中が良くない方向に向かっていくのがわかっているのに、どうにもできない歯がゆさ。すごく大事なことが議論もなしに強引に推し進められ、国民がないがしろにされている現実に対し、七尾はたったひとりで立ち向かう。戦争という巨大なテーマを前に、音楽がどこまでやれるのか。人の心に、どこまで響かせられるのか――。  七尾はまるで吟遊詩人のように、苦しい立場に立たされた名もなき人の繊細な心のゆらぎを、今にもかき消されてしまいそうな小さな声を、丁寧に、丁寧にすくい上げる。音楽と真摯に向き合い、音楽の力を信じる者にしかできないやり方で。    正直、この『兵士A』は万人に受け入れられる類いのものではないだろう。だが、何かに取りつかれたようにうつろな目で歌い続ける七尾の姿から、観客は一瞬たりとも目を離すことができない。70年にわたり日本の平和の礎となった憲法9条改正のリアリティが、否が応でも突きつけられる。  演奏後、七尾の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。  本作の発売に際し、さまざまな著名人がコメントを寄せているが、「自衛官の白石氏」はこうつづっている。 <僕はAくんになる可能性がある。戦争を僕らは体験していないけど兵士A君を想像して涙を流せる人であり続けたい> (文=ミウラハナコ)

「『圏内の歌』は避難勧告の歌じゃない」言葉にならない無数の歌と向き合った七尾旅人の500日

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撮影=佐藤裕之
 黒い衣装に身を包み、頭には麦わら帽子、足元には下駄。一風変わった風貌のこの男は、シンガーソングライターの七尾旅人だ。東日本大震災後は足しげく東北を訪れ、ライブ活動を行ったり、開発に携わってきた自力音源配信ウェブサービス「DIY STARS」(http://www.diystars.net/)を使って、「DIY HEARTS 東日本大震災 義援金募集プロジェクト」を開始。現在までに1,300万円以上を集め、震災孤児に寄付している。  そんな七尾氏が8月8日、ニューアルバム『リトルメロディー』を発売した。各所で話題になった「圏内の歌」をはじめ、震災以降、織り上げられた曲が大半を占めてはいるが、ポップで親しみやすい曲ばかりがちりばめられている。七尾氏がこのアルバムに込めた思い、そして震災後、約500日にわたる自身の音楽活動を振り返ってもらった。 ――前作から約2年ぶりのアルバムですが、やはり震災の影響は大きいですか? 七尾旅人(以下、七尾) 本当にいろいろなことが起こって、やっぱり震災以降はどうしても自分の意識を変えざるを得なかった。そういう部分も、今回のアルバムには反映されているとは思います。震災直後に100曲以上ある自分のライブ・レパートリーを振り返ったんですが、以前と同じように、すぐにお客さんの前で歌える曲が1~2曲しかなかったんです。こういうみんながボロボロになって、世の中がものすごく大きく動いているときに、ひしひしと自分の無力感を感じましたね。もうこれまでと同じ意識でやっていてもしょうがない、ゼロからやり直そうと思ったんです。 ――その後、1カ月たたないうちに、友人でありタブラ奏者のユザーン氏と一緒に福島へ入り、ライブを行ったそうですね。 七尾 まだ早い段階でしたので、車で行ってライブをやらせてもらうことが本当に正しいのか、逡巡もあったし、ある程度、覚悟は必要でした。でも、自分のお客さんたちが大変な目に遭っている。地震が来て津波が来て、その上、放射能が降っている。そんな状況に置かれた人の顔を思い浮かべることができますか? とにかく顔を見に行こうと思ったんです。で、実際に行ってみると、東京で飛び交っている情報とはまた違っていて。都市部で強く叫ばれているスローガンとはちょっと違う形の、複雑な言葉や感情があったんです。「頑張ろう、日本」や「原発反対」だったり、それらも真摯で重い言葉ですが、そのはざまに、もっともっと複雑で読み解きにくい言葉、パッと聞きわかりにくい言葉というものが、さまよっていたんです。 L1092381.jpg  例えば、福島で出会った人たちの「ふっ」というつぶやき。その一見わかりにくい、小さな言葉の中に歌を感じたんです。だから、自分の中の感情もあまりシンプルにせずに、本当の意味で歌いたいことを歌おうと思いました。強い言葉の陰で、相変わらず圧迫され、追いやられたまま痛めつけられている人もまたいて、そういう小さな歌声が、自分の中ではとてつもなく重い大きなものに聴こえたんです。一行のキャッチコピーにはできないような、複雑な悲しみとか喜びを、うまくすくい上げられないかなって。 ――そういう小さな歌声に耳を傾けるために、南相馬のご友人の家に泊まり、たくさん曲を書かれたそうですね。 七尾 はい。それだけを集めてアルバムを作ることもできたけど、それも違う気がしたんです。そうじゃなくて、震災以降の自分のちっぽけさとかずるさとか小汚さとか、一口には捉えきれない今というものを映し出すには、「こんなアルバムなんです」ってシンプルにプレゼンできるようなものを作っちゃだめだと思ったんです。とにかく、正直に、人間の小ささや、本当にうれしかったこと、本当に悲しかったことを入れようと思った。自分の身の丈から言葉を発したかったんです。 ――アルバムに収録されている「圏内の歌」は、「子供たちだけでも/どこか遠くへ/逃がしたい」という強烈な歌詞が、話題になりました。 七尾 放射能が降り注ぐ環境の中で、それでも表向き笑顔で生きている女の人が主人公の曲なんです。福島の友達に聞く話と東京で伝えられている情報の齟齬、スキマがいろんな形で埋められるべきだと思っていたので、こういう曲ができたんだと思います。避難勧告の歌だと誤解されがちなんですが、そうではない。例えば、自分の家を追い出されてもう帰れないし、仕事も失って、それなのに罪悪感も持っていたりするんですよ。「私たちが放射能ばらまいた」みたいな。悲しみ、怒り、罪悪感、悔しさとか、一口でなんてとても言えないんですよ。すごく複雑で、なかなか言葉じゃ捉えきれない。音とメロディとリズムを総動員して、なんとかパッケージしないと、捕まえ損ねてしまう。 ――ご自身にとってもとても大切な曲だと思いますが、約1年半歌い続けてきて、何か気持ちの変化などはありましたか? 七尾 昨年5月に作曲したばかりの頃は、渦中でそれを歌い続けることに葛藤もありましたが、1年以上たつと、歌うたびに僕自身がそのときの感覚を鮮明に思い起こし、再考し続けるための装置にもなっています。たぶん新聞記事だけだったら、100年後は、まるで太平洋戦争中の新聞と同様に、共感しづらいものになる。政治や科学やジャーナリズムの言葉だけでは、よくわからない。でも、そこに音楽、あるいは映画とか、文化がついてきて初めて、そのときどんな人がどんな複雑な気持ちを抱えて、どんなことを恐れていたり、どんなことに喜んでいたかが、やっと見えてくると思うんですよね。 L1092332.jpg  「圏内の歌」には悲しみが満ちていますが、悲痛な表情で歌う曲ではなく、自然と微笑みながら歌うような形になる。歌が持っているエモーションが演者をそうさせるんです。人を糾弾したり、悲しいんだ、痛いんだというのを出す曲ではないんです。どうしようもなく困難な状況で、見たこともなかったような人間の美しさが発露してくる。それを見てしまう、見つけてしまう、そんなとき、歌ができてしまうんです。 ――七尾さんは9.11の後に『911 FANTASIA』という3枚組のアルバムをリリースされていますが、こういう複雑な気持ちというのは、9.11のときにも感じたものですか? 七尾 9.11のときは個人的にもすごく苦しい時期で、年齢も21歳と若かったので、いっぱいいっぱいだったんです。自分の心象風景と、ビルに飛行機が突っ込むという風景が渾然一体になってしまって、「自分はもうダメだし、世の中は破滅に向かっているし……」と思ってしまったんです。すごく観念的に捉えてしまって、海の向こうのことだけど他人事じゃない、世界の一大時だと。まあ、それゆえにあそこまでの情熱で作品化できたわけですが、今は30歳を過ぎたので、情緒的になるより先に、心配事が浮かんできましたね。単純に東北の友達の安否や、周りの不安がっている仲間のこと。それに、こんな状態で今までの曲歌ったってしょうがないな、とかね。東北という、仲間の顔が見える範囲の出来事だったので、ショックがでかすぎて……。でも、それがその直後の動きにつながったとは思いますね。 ――震災直後に書かれた楽曲「帰り道」のYouTubeへのアップ(http://www.youtube.com/watch?v=XNLAT6t67i4)から始まって、被災地でのライブ、チャリティーイベントの参加、義援金募集サイト「DIY HEARTS」の立ち上げなど、目まぐるしい1年半だったと思いますが、それらの活動によって気持ちの面では少し楽になったのでしょうか? 七尾 迷いっぱなしですよ。悩み終わったこともいくつかありますけど、自分の中で解決できていない問題のほうがはるかに多いです。ただ1年半いろいろやってきて今言えることは、考え続けるのと手を動かし続けるしかないということですね。 ――ライブで歌うということは、ご自身の気持ちを吐き出す行為でもあるんでしょうか? 七尾 いえ、作曲は気持ちを表現することで吐き出していたり、整理している部分がどこかにありますし、できあがったものを聴いて、冷静に自分を分析できたりもする。一方ライブの場では、演者として芸人として、お客さんを楽しませたいと思っています。音源、そして「百人組手」のような自主イベントや「DIY STARS」のような配信システム、僕の創作にまつわるすべてに言えることですが、お客さんに驚きを与えたいという気持ちが強くて、今も昔も「わー!」と言わせたいと思っているし、僕自身も音楽にはそれを求めています。父親がジャズファンだったんで、黒人がものすごい速さで鍵盤を叩いたり、顔をほとんど異形化させた状態でトランペットを吹いているとか、子ども心に、まるで超人だなって思って。そういうのが原体験にある。「人間がここまでやれるの? それなら僕も希望を持つことができる、自分もいつかきっと」って。音楽って、ちまちましたもんじゃないんです。僕はシンガーソングライターなので、まあ内省的ではあるけれど、志向としては、むしろ、サーカスとか大道芸とか、シルク・ドゥ・ソレイユに負けないくらいの領域に、おじいさんになる頃には到達したいんですよね。 L1092361.jpg ――なるほど。確かに七尾さんのライブは、サプライズの連続ですよね。毎回、「今日はどんなことをやってくれるんだろう」というワクワク感があります。では最後に、震災後のさまざまな感情を吐き出した今回のアルバムは、七尾さんにとってどんなアルバムですか? 七尾 今回のアルバムは、自分の表現の一番コアな部分を取り戻していくためのプロセスのひとつだと思うんです。前作『billion voices』のときはいろいろなことに恵まれていたので、自分もノリノリで、すごく明るいアルバムだったんです。「DIY STARS」の立ち上げなどいろいろなことが同時に起こって、みんなCDが売れないってすごく悲壮感が漂っていたけれど、僕は「今が一番楽しいよ。確かに20世紀のポップシステムは壊れたけど、ポップミュージックまで壊れたって言うのやめてくれる?」って思っていたんです。「僕より年下の10代とか20代の奴が今どんだけ面白いことやってるか知ってる? 知りもしないクセに、『若い奴がやってることはつまらない』とか言うなよ」って。だから意図的にああいうジャケットにしてコンセプチュアルにまとめたんですが、翌年の3月11日でガラッと世の中が変わってしまったから、それまでに考えていた次作のアイデアを全部捨てたんです。それでこういうアルバムになった。そういう意味では、『billion~』とはかけ離れている。『911』とか昔のアルバムに近いのかもしれない。挫折感もあったし、いろんな軋轢とかある中で、もう一度自分を組み立て直そうとしたプロセスだと思うんです。  ある種の公共性を伴った曲もあると思うけれど、僕としてはすごく自己表現をやりたかった。こういうときだからこそ、そういうことをやらないと前に進めないと思った。先に行けないなって。こういうことを歌ったら誰かを傷つけてしまうんじゃないかとか、1円でも多く義援金を集めたいという気持ちは今でもぜんぜん消えていないんですけど、このアルバムに関しては、やっぱり表現者として生きて死んでいくわけだから、善も悪も超えて、自分が本当に歌いたいことを歌ってみると。そういう意味ではすごく、自分にとっては大事な作品ですね。 (取材・文=編集部) ●ななお・たびと シンガーソングライター。1998年のデビュー以来、驚異の3枚組アルバム『911 FANTASIA』や、新世代のフロアーアンセムとも称される「Rollin' Rollin'」、21世紀の新しい音楽の可能性を感じさせる『billion voices』などで旋風を巻き起こす。唯一無二のライブパフォーマスは必見。自身のライフワークと位置付け、全国各地で開催してきた弾き語り独演会「歌の事故」、全共演者と立て続けに即興対決を行う「百人組手」の2つの自主企画を軸に、各地のフェス、イベント、USTREAMでも伝説的なステージを生みだし続けている。 公式ブログ< http://tavito.net/> Twitter <https://twitter.com/#!/tavito_net>