もう遺骨も要らない!? 宗教学者・島田裕巳が提唱する、新たな葬式の形「0葬」

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島田裕巳氏
 日本人と「葬式」の関係が変化している。イオンが葬式ビジネスに参入し、ヤフーでもネットで葬式を申し込む「ヤフーの葬儀手配」というサービスをリリースした。肝心の内容も、かつては当たり前だった、寺やセレモニーホールを使用した大々的な葬式から、少人数で行われる「家族葬」や、通夜・告別式などを行わない「直葬」へと徐々に変化しつつある。  だが、葬式の世界における変化はとどまることを知らない。これまで『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』(幻冬舎新書)などの著書を執筆し、従来の葬式のあり方に対して疑問を呈してきた宗教学者で作家の島田裕巳氏は、新著『0葬』(集英社)にて、遺骨も引き取らない新たな葬式のスタイル「0葬」を提案している。  いったい、日本人の「死」に対する意識はどのように変わったのか? そして、未来の葬式はどのような姿をしているのか? もしかしたら、葬式のない時代がすぐそこまで迫っているのかもしれない……。 ――これまで島田さんの著書では、葬式や戒名など、死をめぐる慣習についての疑問が投げかけられてきましたね。 島田裕巳(以下、島田) 葬式をめぐっては、日本社会の考え方が急激に変わりつつあるのを感じます。通夜も告別式も行わない「直葬」というスタイルも、言葉が誕生してからわずか数年のうちに、すっかりと定着してしまいました。 ――これまでの大規模な葬式の方法から、中身が削ぎ落とされていって、どんどんと簡略化されています。この変化には、どういう事情があるのでしょうか? 島田 高度経済成長の時代に都市化が起こりました。その時に都会に出てきた世代が、ちょうど亡くなる時期に差し掛かっています。それが一番大きな理由ですね。また、経済的な状況が悪化していることで、葬式にお金をかけられない、あるいは平均年齢が上がることによって大往生が増えているなど、さまざまな要因がかかわっています。 ――島田さんの著書によれば、葬式の平均費用は231万円ということです。正直「そんなにかかるのか……」と、驚いてしまいました。けれども直葬ならば、費用も20万円程度と、これまで10分の1に抑えられます。 島田 もちろん、お金を持っている人は立派な葬式を挙げればいいんです。けれども、問題はお金のない人。その人たちがどのように葬式を執り行うかについて、これまでの社会は答えられていませんでした。簡略化された葬式という選択肢が、これまで与えられてこなかったんです。 ――「直葬」を実際に選択する人は、どのくらいいるのでしょうか? 島田 葬式の情報サービス会社「鎌倉新書」が2012年に行った調査によれば、関東地方では22.3%が直葬でした。人を弔うことにお金をかけても仕方がない、という人は増えています。ただし、まだお墓に関しては必要と考える人は多い。同じく鎌倉新書の調査では、東京都では平均278.3万円が、お墓の購入代金として使われています。お墓にこれだけお金がかかるから、葬式にお金をかけられない。直葬が広がる背景には、こういった事情もあるのでしょう。 ――この先、日本人の葬式はどのように変化していくのでしょうか? 島田 現在は、貯金のある高齢者も多いですが、これからは、高齢者でもどんどんお金がなくなっていくから、葬式や墓には、今以上にお金はかけられなくなります。 ――やはり、簡素化の方向に進んでいくんですね。 島田 そもそも、葬式や墓にこんなに金がかかるのは現代に特有のことで、かつては葬式にほとんどお金はかかりませんでした。また、現在でも、韓国で37.3万円、アメリカで44.4万円、イギリスで12.3万円と、諸外国では日本よりもはるかに安価に葬式を挙げているんです。そこで考えたのが、遺骨を引き取らない0葬です。遺骨がなければ高額の費用がかかる墓も必要なく、火葬代だけで済みます。 ――遺骨すら引き取らない……そんなことが可能なんですか? 島田 一部の火葬場では可能です。そのような選択肢があること自体、普通は知りませんよね。0葬が普及するかどうかはわかりませんが、そういう方法もあるという可能性を提示したかったんです。世界的にも、こんなにも骨を大事にする国は珍しいんですよ。 ――外国の葬式では、火葬場から骨を引き取らない人も多いそうですね。 島田 日本国内でも、実は葬式の方法は地方によってまちまち。東京では通夜、葬式を挙げてから火葬をしますが、東北地方では通夜をして葬式をする前に火葬をしてしまう地域もある。そもそも、正しい葬式なんていうものはないんです。 ――島田さん自身の葬式は、どのように挙げてほしいですか? 島田 何もしなくていいですよ。 ――0葬の実践ですね(笑)。 島田 葬式自体、はたして本当に意味があるのでしょうか? 本当に深く付き合っている人でもない限り、葬式には行く必要はないと思います。 ――ただ、自身の葬式ではなく、両親などの喪主を務めるのであれば、生前の意向や世間体なども考えなければならず、事情は異なるのではないでしょうか? 島田 そうですね。ただ、とりあえず火葬して、それからゆっくりと考えようと思います。火葬をしてからその後を決めれば、時間的な余裕が生まれます。それから、どのような葬式をするかを考えても遅くはないはずです。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●しまだ・ひろみ 1953年生まれ。東京都出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員などを歴任。現在、東京女子大学非常勤講師。NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長。

凡庸なるロマン主義者(!?)中沢新一氏・内田樹氏への果てしなき疑問

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大田俊寛氏。
前編中編はこちらから  オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者が交錯した初めての対談の最終編。前回は、東大を中心とした宗教学とオウムとのかかわりに話が及んだが、その文脈からは外すことができない、東大宗教学が生んだ、もうひとりの花形宗教学者・中沢新一氏への言及も行われた。大田氏は自著『オウム真理教の精神史』(春秋社)の中で、中沢氏批判も展開しているが、島田氏も2007年に『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房)という著書を著している。オウムに関しては沈黙を守り続ける中沢氏を、大学の後輩にあたる2人はどうみているのか? ――島田さんと同世代の宗教学者といえば、中沢新一さんです。彼の著作『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』(平河出版社)はオウムのネタ本ですし、事件当時、雑誌のインタビューでは「信者を引き受ける」と言ったりしています。大田さんも島田さんも著書の中で中沢さんを批判しています。中沢さんと島田さんは、同時期に学んだ大学の先輩・後輩になりますが、近くにいて彼はどんな人物だと感じましたか? 島田 正直、よくわからない人ですね。私は彼と喧嘩もしたことがなければ、論争をしたこともない。そして、93、94年以降、一度も直接は会っていない。私の著作の中でも触れましたけど、彼がものすごく共産主義の影響を受けていることに、本を書く段階で確認して、ビックリしました。それも影響を受けているのが、古い共産党、武装していた頃の共産党なんです。オウム事件の頃の言動を聞いても、どうして「サリン事件の被害者がもっと多かったら別の意味合いがあった」「オウム真理教の信者を引き受ける」などと言うのか不思議に思った。結局、そういうところがよくわからず、あらためて中沢新一という人物を考えようということで『中沢新一批判~』を書いた。でも、中沢さんからは何の反応もなかった。東日本大震災後に、彼がグリーン・アクティブとか緑の党(コンセンサス会議や雑誌、緑の経済特区や農学校をつくることを打ち出している)とか言い出した時に、「党」という言葉を見て、やはりと思った。この人はまったく政治的な昔の共産党の枠組みで、ちょうど状況が変わったがゆえに、またそういうことをやろうとしているのかと。そんな枠組みが、今の世の中で通用するとは思えない。そういう運動をするならば、まずは自分とオウムとの関係がどうだったのか、自分の言説はオウムとのかかわりの中で、どのような影響を教団や社会を与えたのかということを何らかの形で言うべきだったと思う。なぜ、それをずっと沈黙し続けているか、ちょっと理解できない。 大田 島田さんとは逆の意見になりますが、私は中沢さんというのは、とてもわかりやすい人だと思います。一言でいうなら、彼は「凡庸なロマン主義者」です。ロマン主義を歴史的に説明すると複雑になるので、ここでは簡単に話しますが、ロマン主義者は世界を「見えるもの」と「見えないもの」に二分し、見えないもののほうが重要なのだ、リアルなのだと主張する人たちです。彼らがいう見えないもの、リアルなものとは何かと言えば、ロマン主義者たちはそれを表現するために、さまざまな「エキゾチックなもの」を探求していく。具体的には、ヨーガやチベット密教などのオリエンタルな宗教、古今東西のオカルティズム、先住民の知恵などですね。そして、こうしたロマン主義者たちは、そのような遍歴を重ねた末に最終的にどういうことを言い出すかというとパターンは決まっていて、「自民族の精神的古層」こそが最も崇高である、という結論に達する。中沢さんも明らかに、こうしたパターンを踏襲しています。ここで問題になってくるのが、自民族中心主義と同時に現れる、排外主義の傾向です。自民族の純粋性を維持するために、何が必要か。それは、「外から来るもの」を排除することである。それでは、「外から来るもの」とは何か。それは「ユダヤ」である──。こういうことを過去に主張したのは誰でしょうか。それはナチスであり、オウムだったのです。中沢さんの最近の著作『日本の大転換』(集英社)では、日本の自然環境が「リムランド」という名称で美化され、美しい日本を守るために、一神教的原理、ユダヤ的原理から脱却せよと唱えられています。それによって日本は大転換しうるのだというのが、今の中沢さんの主張なのです。このように中沢さんの言説には、隠された「反ユダヤ主義」という側面が存在しており、先ほどの言い方で言えば、私はこのような要素が、中沢さんがオウムと「共鳴」した原因の一つではないかと思っています。中沢さんは過去にも、『ブッダの夢』(朝日新聞社)という河合隼雄さんとの対談書の中で、「ユダヤ人は、知性は高いが霊性が低い」と発言している。また『ブッダの方舟』(河出書房新社)という書物では、「ゲッベルスだってゲーリングだって、初期のファシズムの思想家は、みんな仏教フリークだった。ファシズムは悪だと最初から決めるべきではない」と語っています。おそらく自分でも理由がわからないのでしょうが、中沢さんは無自覚に「反ユダヤ」「親ナチス」の言説を繰り返しており、それはオウム事件の以前でも以後でも、まったく変わっていないのです。 ■グリーン・アクティブと内田樹の矛盾 ――『日本の大転換』は売れていますよね。そしてドミューンというネット番組においては、グリーンアクティブの活動が発表されました。 大田 グリーン・アクティブに関して、この場を借りてお話ししたいことがあります。グリーン・アクティブの活動には、内田樹さんが賛同者のひとりに加わっていますが、これはとてもおかしなことであると言わなければなりません。というのも内田さんは、ユダヤ人の思想家レヴィナスの研究者であり、反ユダヤ主義についても研究されている方だからです。日本を代表する反ユダヤ主義の研究者が、中沢さんの『日本の大転換』を読んでその論理の性質に気づかないのは奇妙なことだし、ましてやその運動に自ら協力するというのは、まったく筋が通らないことであると思います。内田さんには、自分が手を結ぼうとしている人物が一体どういう人間であるのかを、もう一度よく考えていただきたい。しかし実は、これは内田さんだけではなく、日本の学界や思想界が全体として抱えている問題と関係しているのかもしれません。多くの研究者は、表面的には実直なアカデミシャンとして振る舞っていますが、根っこの部分では「素朴なオカルティスト」という人が少なくない。内田さんは最近、空中浮遊のヨーガ行者として有名な成瀬雅春氏との対談書を公刊しています(『身体で考える。』マキノ出版)。この中で内田さんは、成瀬氏と20年来の付き合いがあること、氏に深く心酔していることを語っています。そして両者の対話では、人間は限界を設けなければ空中に浮ける、自分はUFOを見たことがある、戦争に行っても弾に当たらない技法があるといったオカルト話が延々と綴られている。内田さんには実は、こうした「素朴なオカルティスト」という側面があり、それが中沢さんと共鳴している原因なのかもしれません。しかし当然のことではありますが、特にオウム事件以後、こうした動きは批判しておかなければならないでしょう。 ――それでは、最後に本日の対談を終えて、感想をお願いします。 島田 大田さんの著作についてはまったく面白くなかったし、過去の文献を調べ、思想史の中に位置づける方法ではダメだと思いました。オウムの思想的な面より、もっと元信者の話や教団幹部の話、社会状況などを含めて再度オウムについての本を書いたほうがいいと思う。私だと、あまりに当事者性が強すぎてやりにくい。大田さんにはそういうものがないから、若い世代がもっと具体的に、一般の読者を想定して、オウム事件をきちんと説明してほしい。そういうものは絶対に必要だから。 大田 おっしゃることは、よくわかります。私も最近は、オウム事件当時に現場にいた元信者や研究者、記者の方々から話を聞く機会が増えたので、そういうものを摂取しながら、今後の方針を考えたいと思います。ただ、これまでの宗教学を考えると、自分が現場で見たものにあまりにも依拠しすぎるところがありました。今までの宗教研究に不足していた歴史や理論の側面に重点を置き、少し引いたところから対象を見たり、分析したりすることが、私の役割ではないかと思っています。島田さんに対しては、実際に現場へ飛び込んで、深淵さを装った曖昧な言葉に逃げるのではなく、それを平易な言葉で語られてきたことを、率直に評価したいと思います。たとえば『創価学会』(新潮社)という本は、私も読んで教えられるところが多く、学生にも薦めている著作です。今から考えると島田さんの時代は、よくわからないものに果敢に体当たりしていくという、宗教学の「青年時代」だったのかもしれません。しかしその過程で宗教学は多くの過ちを犯したため、やはりそのことは批判しなければならない。批判するべきものは批判し、良い部分は受け継ぎながら、今後も研究していきたいと思います。 (構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
神も仏も大好きな日本人 はい、大好きです。 amazon_associate_logo.jpg
オウム真理教の精神史 なーるほど。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰ダミーサークルで信者を勧誘する教団と、それにハマる市民はなぜ生まれる?「イオンのやり方は間違っている!」 "イオンの葬式"騒動に見る日本人の仏教観

凡庸なるロマン主義者(!?)中沢新一氏・内田樹氏への果てしなき疑問

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大田俊寛氏。
前編中編はこちらから  オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者が交錯した初めての対談の最終編。前回は、東大を中心とした宗教学とオウムとのかかわりに話が及んだが、その文脈からは外すことができない、東大宗教学が生んだ、もうひとりの花形宗教学者・中沢新一氏への言及も行われた。大田氏は自著『オウム真理教の精神史』(春秋社)の中で、中沢氏批判も展開しているが、島田氏も2007年に『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房)という著書を著している。オウムに関しては沈黙を守り続ける中沢氏を、大学の後輩にあたる2人はどうみているのか? ――島田さんと同世代の宗教学者といえば、中沢新一さんです。彼の著作『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』(平河出版社)はオウムのネタ本ですし、事件当時、雑誌のインタビューでは「信者を引き受ける」と言ったりしています。大田さんも島田さんも著書の中で中沢さんを批判しています。中沢さんと島田さんは、同時期に学んだ大学の先輩・後輩になりますが、近くにいて彼はどんな人物だと感じましたか? 島田 正直、よくわからない人ですね。私は彼と喧嘩もしたことがなければ、論争をしたこともない。そして、93、94年以降、一度も直接は会っていない。私の著作の中でも触れましたけど、彼がものすごく共産主義の影響を受けていることに、本を書く段階で確認して、ビックリしました。それも影響を受けているのが、古い共産党、武装していた頃の共産党なんです。オウム事件の頃の言動を聞いても、どうして「サリン事件の被害者がもっと多かったら別の意味合いがあった」「オウム真理教の信者を引き受ける」などと言うのか不思議に思った。結局、そういうところがよくわからず、あらためて中沢新一という人物を考えようということで『中沢新一批判~』を書いた。でも、中沢さんからは何の反応もなかった。東日本大震災後に、彼がグリーン・アクティブとか緑の党(コンセンサス会議や雑誌、緑の経済特区や農学校をつくることを打ち出している)とか言い出した時に、「党」という言葉を見て、やはりと思った。この人はまったく政治的な昔の共産党の枠組みで、ちょうど状況が変わったがゆえに、またそういうことをやろうとしているのかと。そんな枠組みが、今の世の中で通用するとは思えない。そういう運動をするならば、まずは自分とオウムとの関係がどうだったのか、自分の言説はオウムとのかかわりの中で、どのような影響を教団や社会を与えたのかということを何らかの形で言うべきだったと思う。なぜ、それをずっと沈黙し続けているか、ちょっと理解できない。 大田 島田さんとは逆の意見になりますが、私は中沢さんというのは、とてもわかりやすい人だと思います。一言でいうなら、彼は「凡庸なロマン主義者」です。ロマン主義を歴史的に説明すると複雑になるので、ここでは簡単に話しますが、ロマン主義者は世界を「見えるもの」と「見えないもの」に二分し、見えないもののほうが重要なのだ、リアルなのだと主張する人たちです。彼らがいう見えないもの、リアルなものとは何かと言えば、ロマン主義者たちはそれを表現するために、さまざまな「エキゾチックなもの」を探求していく。具体的には、ヨーガやチベット密教などのオリエンタルな宗教、古今東西のオカルティズム、先住民の知恵などですね。そして、こうしたロマン主義者たちは、そのような遍歴を重ねた末に最終的にどういうことを言い出すかというとパターンは決まっていて、「自民族の精神的古層」こそが最も崇高である、という結論に達する。中沢さんも明らかに、こうしたパターンを踏襲しています。ここで問題になってくるのが、自民族中心主義と同時に現れる、排外主義の傾向です。自民族の純粋性を維持するために、何が必要か。それは、「外から来るもの」を排除することである。それでは、「外から来るもの」とは何か。それは「ユダヤ」である──。こういうことを過去に主張したのは誰でしょうか。それはナチスであり、オウムだったのです。中沢さんの最近の著作『日本の大転換』(集英社)では、日本の自然環境が「リムランド」という名称で美化され、美しい日本を守るために、一神教的原理、ユダヤ的原理から脱却せよと唱えられています。それによって日本は大転換しうるのだというのが、今の中沢さんの主張なのです。このように中沢さんの言説には、隠された「反ユダヤ主義」という側面が存在しており、先ほどの言い方で言えば、私はこのような要素が、中沢さんがオウムと「共鳴」した原因の一つではないかと思っています。中沢さんは過去にも、『ブッダの夢』(朝日新聞社)という河合隼雄さんとの対談書の中で、「ユダヤ人は、知性は高いが霊性が低い」と発言している。また『ブッダの方舟』(河出書房新社)という書物では、「ゲッベルスだってゲーリングだって、初期のファシズムの思想家は、みんな仏教フリークだった。ファシズムは悪だと最初から決めるべきではない」と語っています。おそらく自分でも理由がわからないのでしょうが、中沢さんは無自覚に「反ユダヤ」「親ナチス」の言説を繰り返しており、それはオウム事件の以前でも以後でも、まったく変わっていないのです。 ■グリーン・アクティブと内田樹の矛盾 ――『日本の大転換』は売れていますよね。そしてドミューンというネット番組においては、グリーンアクティブの活動が発表されました。 大田 グリーン・アクティブに関して、この場を借りてお話ししたいことがあります。グリーン・アクティブの活動には、内田樹さんが賛同者のひとりに加わっていますが、これはとてもおかしなことであると言わなければなりません。というのも内田さんは、ユダヤ人の思想家レヴィナスの研究者であり、反ユダヤ主義についても研究されている方だからです。日本を代表する反ユダヤ主義の研究者が、中沢さんの『日本の大転換』を読んでその論理の性質に気づかないのは奇妙なことだし、ましてやその運動に自ら協力するというのは、まったく筋が通らないことであると思います。内田さんには、自分が手を結ぼうとしている人物が一体どういう人間であるのかを、もう一度よく考えていただきたい。しかし実は、これは内田さんだけではなく、日本の学界や思想界が全体として抱えている問題と関係しているのかもしれません。多くの研究者は、表面的には実直なアカデミシャンとして振る舞っていますが、根っこの部分では「素朴なオカルティスト」という人が少なくない。内田さんは最近、空中浮遊のヨーガ行者として有名な成瀬雅春氏との対談書を公刊しています(『身体で考える。』マキノ出版)。この中で内田さんは、成瀬氏と20年来の付き合いがあること、氏に深く心酔していることを語っています。そして両者の対話では、人間は限界を設けなければ空中に浮ける、自分はUFOを見たことがある、戦争に行っても弾に当たらない技法があるといったオカルト話が延々と綴られている。内田さんには実は、こうした「素朴なオカルティスト」という側面があり、それが中沢さんと共鳴している原因なのかもしれません。しかし当然のことではありますが、特にオウム事件以後、こうした動きは批判しておかなければならないでしょう。 ――それでは、最後に本日の対談を終えて、感想をお願いします。 島田 大田さんの著作についてはまったく面白くなかったし、過去の文献を調べ、思想史の中に位置づける方法ではダメだと思いました。オウムの思想的な面より、もっと元信者の話や教団幹部の話、社会状況などを含めて再度オウムについての本を書いたほうがいいと思う。私だと、あまりに当事者性が強すぎてやりにくい。大田さんにはそういうものがないから、若い世代がもっと具体的に、一般の読者を想定して、オウム事件をきちんと説明してほしい。そういうものは絶対に必要だから。 大田 おっしゃることは、よくわかります。私も最近は、オウム事件当時に現場にいた元信者や研究者、記者の方々から話を聞く機会が増えたので、そういうものを摂取しながら、今後の方針を考えたいと思います。ただ、これまでの宗教学を考えると、自分が現場で見たものにあまりにも依拠しすぎるところがありました。今までの宗教研究に不足していた歴史や理論の側面に重点を置き、少し引いたところから対象を見たり、分析したりすることが、私の役割ではないかと思っています。島田さんに対しては、実際に現場へ飛び込んで、深淵さを装った曖昧な言葉に逃げるのではなく、それを平易な言葉で語られてきたことを、率直に評価したいと思います。たとえば『創価学会』(新潮社)という本は、私も読んで教えられるところが多く、学生にも薦めている著作です。今から考えると島田さんの時代は、よくわからないものに果敢に体当たりしていくという、宗教学の「青年時代」だったのかもしれません。しかしその過程で宗教学は多くの過ちを犯したため、やはりそのことは批判しなければならない。批判するべきものは批判し、良い部分は受け継ぎながら、今後も研究していきたいと思います。 (構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
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オウム真理教の精神史 なーるほど。 amazon_associate_logo.jpg
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「島田さんがオウム擁護派と見なされたのには、4つの理由があった」

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島田裕巳氏。
前編はこちらから  オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者が交錯した初めての対談。第2回は、日本で最も有名な宗教学者といっていい、「島田裕巳」という存在をテーマに語り合ったパートをお届けする。  島田氏は、地下鉄サリン事件当時、オウム真理教を擁護しているとしてマスコミからバッシングを受けた。日刊スポーツには「島田氏がオウム真理教から幹部用の教団名、ホーリーネームを授かっており、学生をオウムに勧誘した」などと報道される。その他一部でも、島田氏はオウム擁護派のレッテルを貼られ、最終的には勤めていた大学を辞職するまで追い込まれた。その後、日刊スポーツの報道については、名誉毀損による賠償請求を提訴し、全面勝訴している。今回は、そんな過去を持つ島田氏に対して、大田氏があらためてオウム真理教との関係について問う。 大田 今日は島田さんと話ができる貴重な機会なので、やはり島田さんとオウムとの関係について、立ち入った話を伺いたいと思います。先ほどの話にも出ましたが、島田さんとオウムの関係というのは、実は直接的な1対1の関係ではありませんでした。島田さんとオウムの周囲には、その他の複数の要因というものがあって、それらの要因との関係によって、どちらかというと島田さんは、オウム擁護派という立場を「取らざるを得なくなった」という側面があるのではないでしょうか。私が考える限り、4つの要因があります。1つ目は、幸福の科学との関係。2つ目がヤマギシ会。3つ目が、著書『葬式は, 要らない』(幻冬舎)でも反復されている既成仏教批判。4つ目が、われわれ東大宗教学研究室の先人に当たる、柳川啓一(宗教学者。日本宗教学会元会長。東京大学の教授時代に島田氏や中沢新一氏などを指導。1990年没)という人物の問題です。この4つが関係していると思います。 ――それぞれについて、具体的に説明してもらえますか。 大田 1つ目の、幸福の科学の問題ですが、島田さんが宗教学者として言論活動を始められたのは1990年前後です。そして91年に『いま宗教に何が起こっているのか』(講談社)という著作を発表し、その中で島田さんは、「幸福の科学は実体のないバブル宗教である」という、かなり苛烈な幸福の科学批判を行っている。さらに、米本和広さんとの共著『大川隆法の霊言』(JICC出版局)では、「大川隆法と幸福の科学の会員たちは、宗教的なイニシエーションを果たしていない子どもの集まりだ」という、批判というよりは攻撃とも受け取れる論調を展開しました。これによって島田さんは、幸福の科学から激しい抗議活動を受けるようになる。90年前後の当時、幸福の科学とオウム真理教はライバル関係にあると目されていました。そしてその文脈において、幸福の科学と対立しているということから、「島田はオウム派だ」という構図ができてしまった。 ――2つ目のヤマギシ会との問題とは? 大田 島田さんは学生時代に、ヤマギシ会に参画していました。ヤマギシ会というのは、簡単に言うと、私財をすべて供出して参加する農業ユートピア団体です。島田さんは7カ月でヤマギシ会から脱退しているのですが、その経験自体については、自分が大人になるための契機になった、自分にとってのイニシエーションになったと、肯定的に捉えている。その経緯は、93年に発表された『イニシエーションとしての宗教学』(筑摩書房)という著作に書かれています。そして、ヤマギシ会に対するこうした捉え方が、オウムに対する肯定的評価につながっていったのではないかと、私は考えています。島田さんは90年、熊本県の波野村にあった「シャンバラ精舎」というオウム真理教のコミューンを視察されている。そこは多数のプレハブが林立する特異な施設だったのですが、島田さんはそこで、「これはヤマギシに似ている、しかもヤマギシより立派に活動している。現実世界を捨ててこういうコミューンに身を捧げる人の気持ちが、私にはよくわかる」と、シャンバラ精舎の存在を肯定的に捉えたところがある。 ――3つ目の既成仏教批判とは? 大田 島田さんの近著『葬式は、要らない』はベストセラーになり、そこで初めて、島田さんの既成仏教批判は広く知られるようになりました。しかし、島田さんが既成仏教批判を始めたのはかなり以前からのことで、91年の『戒名』(法藏館)という本で戒名批判を開始し、92年の『仏教は何をしてくれるのか』(講談社)という著作の中では、かなり攻撃的な論調で既成仏教を批判している。そこで島田さんは、本来の仏教とは関係がない葬儀料や戒名料を取って寺院経営を成り立たせている日本の仏教は、腐敗・堕落しているのではないかという論旨を展開しています。それでは本来の仏教とは何かというと、それは修行をして悟りを開くことである。そしてその点からすると、オウムという団体は、日本の既成仏教よりは本来の仏教を実践していると見なされることになった。こうした論理が、オウムへの肯定的評価につながっていったわけです。確かにオウムは、「葬式をしない宗教」でした。しかし、その結果どうなったか。オウムは、人間の死とは単なるトランスフォームであるとする「ポワ」の教義を作り上げ、死の現実性を否定してしまった。そしてその教義こそが、数々の殺害行為や死体遺棄を後押ししたのです。91年に島田さんは、麻原彰晃と気象大学で対談しています(『自己を超えて神となれ!』(オウム出版)に、「現代における宗教の存在意義」という題名で収録)。その中で島田さんは、ヤマギシ会の経験からオウムのコミューンを評価し、さらには、幸福の科学や既成仏教に対する批判において、麻原と意見が一致してしまう。そして『朝生』の内容にも触れ、麻原が自ら番組に出演したことで「オウム真理教がおかしな宗教ではなく、仏教の伝統に根ざしていたことが理解されたのではないでしょうか」と発言しています。これでは、「オウム擁護」と見なされても仕方がないと言わざるを得ない。私はこのように理解していますが、島田さんはどうお考えですか? 島田 そういうことだと思います。私をどうとらえるかによると思いますが、途中でおっしゃったように、私が考えてやろうとしていることと、その時のオウムがやろうとしていたことが重なり合う部分はありました。私がいて、麻原がいて、というだけではなく、もっとたくさんのものがあり、そうした中で意見が一致するということはあった。ただ、今の話、そして『オウム真理教の精神史』でもいくつかの点で疑問に思うところがあります。 ――疑問というのは? 島田 あの頃のヤマギシ会にかかわっている人は、だいたいが学生なんです。全財産を出してという感覚を持って入会した人はいないし、みんないい加減に働き、飲んでばかりいたので、オウムとヤマギシ会を比べたのがいけないのかもしれない。そういうところから見ると、波野村のオウムのシャンバラ精舎は立派に見えた。それとヤマギシ会はそんなに全体主義的ではない。確かに子どもに対する虐待は起こりました。それは事実ですが、全体主義的組織としてとらえるとまったく違うものです。大田さんは非常にまじめで論理的に物事を追い詰めていくけれど、それぞれの教団が掲げる思想ありきで現実を当てはめようとすると、現実と乖離することがある。私がオウムと意見が一致したというのは、ある意味でオウムをつくり出した根源的なこと、そういうものが宗教学に根があるのは否定できないと思う。たとえば、原始仏教や修行の実践に対する関心といった、宗教学の枠組みがひとつの方向性をつくった。そういうものを利用することにより、オウムがひとつのシステムをつくり上げたということでいうと、宗教学はオウムの何人かいる"生みの親"のひとりであることは間違いない。 ――島田さんは具体的にはどのくらいから、オウムとのかかわりを持ったのでしょうか? 島田 具体的なかかわりでいえば、92年以降、ほとんど私はオウムとかかわりがない。95年以降批判されたが、その種になったのは91年の半年くらいの間の短い接触の中での出来事なんです。その中で、オウム擁護と言われた。意見が一致していたと言われれば、今の既成仏教の在り方や社会に対する批判、そういうところで一致していたかもしれない。じゃあ、それが短絡的に、オウムがサリンを撒いたことも含めて擁護していたと理解している人がいるかもしれないが、決してそういうことではない。オウムの側から見ても、擁護してくれる人というより、意見が合う人がいるな、ということだったと思う。それは中沢新一やほかの知識人に対してもそうでしょう。 大田 あらためて文献を読み返すと、最初に島田さんが幸福の科学を批判したことが、きわめて唐突だったようにも思われるのですが。 島田 私が最初に幸福の科学について言及したのは、講談社が出していた「月刊現代」という雑誌の中で、山田太一さんがホストを務める連載があり、そこに私が呼ばれた時。そこで私はオウムと幸福の科学の話をしました。そこでした幸福の科学への批判に編集者が興味を持ち、「月刊現代」誌上で幸福の科学への批判を書きました。その記事というのは、当時の日本社会というものを幸福の科学が象徴しているのではないかという角度から、日本社会への批判として書いたものです。そこで、当時、「講談社対幸福の科学」という「FRIDAY」をめぐる争い(1991年に講談社が発行する「FRIDAY」や「週刊現代」などが幸福の科学批判の記事を掲載、同教団会員が講談社に激しい抗議を展開し、訴訟にまで発展した)が起き、その中に巻き込まれた。『朝生』でもやり合いましたが、幸福の科学には元創価学会の原理主義的な人たちがいて、その人たちとの論争になった。 ■宗教学の大家が勧めた「潜り込み調査」とは? 大田 最後に4つ目の問題として、東大宗教学の柳川啓一先生について質問したいことがあります。これまで話してきたように、島田さんの「オウム擁護」と一般に言われている立場は、実は「直接的な関係」というより、多分に「間接的な共鳴」であったわけです。ではその共鳴は、なぜ起きたのか。キーになるのは、「イニシエーション」という概念です。かつて柳川先生がおっしゃっていたのは、「宗教の中心にあるのはイニシエーションである」ということです。イニシエーション(通過儀礼)について簡単に説明すると、人は儀礼において「聖なるもの」を体験することにより、子どもから脱して大人になることができるということです。そういうイニシエーションという儀礼が宗教の中核にあるということを、島田さんは柳川先生から学んだ。実際に当時の宗教学研究室では、本を読んで理論や歴史を学んでいるだけではダメで、イニシエーションを直接体験しなければならないということから、聖なるものを体験させてくれる宗教を見つけ、そこに「潜り込み」調査をするということが行われていた。文化人類学の参与観察に似てはいるのですが、それよりさらに大胆に、自ら信者になって体験するということが行われていた。そして、島田さんはヤマギシ会へ、中沢新一さんはチベット密教の世界に潜り込んだ。このように、東大宗教学とオウムの間に共鳴が起こったのは、両方とも「宗教の中核にはイニシエーションがある」と考えていたことに大きな要因があるのではないかと思います。だからこそ、宗教の中心はイニシエーションである、すなわち、聖なるものを直接体験することであるという考え方を乗り越え、そうした捉え方がどういう問題を引き起こしてしまったのかという反省を行わない限り、宗教学としてのオウム総括は完了しないのではないか、と私は思うのです。ところが、島田さんの『私の宗教入門』(筑摩書房、『イニシエーションとしての宗教学』の増補版)を読むと、「オウムに関与して自分はバッシングを受けたが、そういう過酷な体験こそが、自分にとってイニシエーションになった」と書かれている。それは、アレフという形でオウムに残っている信者たちが、地下鉄サリン事件は麻原から与えられたマハームドラー(チベット密教に伝わる修行法のひとつ)、すなわち、グルが弟子たちに与えた大いなる謎であり、聖なる試練であるという捉え方をして、いまだにオウムの論理から抜け出せないのと同型であるように思われます。島田さんは、イニシエーション論を反省的に乗り越えるべきではないでしょうか。 島田 ひとつ重要なポイントは、イニシエーション、聖なるものを体験することを、東大宗教学の人間が目的にしていたかというとそうではないと思う。宗教というものは一般には聖なるものと思われているかもしれませんが、むしろ逆で、俗なるものにより成り立っていると思う。また、柳川先生がトータルにイニシエーション論者かというとそうでもない。そのことは本人に直接聞いたことがある。実際に、現場の中に飛び込んで宗教を体験するというやり方は、柳川先生の中でうまく理論化できなかった。むしろ、それを本格的にやったのは中沢新一じゃないかな。でも、そうした潜り込みという方法は、今では倫理的にも道徳的にも許されないのが現実だと思います。 (後編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
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オウム真理教の精神史 なーるほど。 amazon_associate_logo.jpg
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オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感

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島田裕巳氏(左)と大田俊寛氏(右)。
 新年早々、オウム真理教の元幹部で、特別手配されていた平田信容疑者が出頭したというニュースは記憶に新しいところ。そもそもオウム真理教がかかわった一連の事件の裁判は昨年11月に終了し、世間の注目点は、麻原彰晃の死刑執行時期に移っていたが、平田の出頭で状況は大きく変わりそうだ。  世紀をまたいで、再び熱を帯びてきたオウム問題。そこで今回は、地下鉄サリン事件当時、メディアで活発な言論活動を行っていた宗教学者の島田裕巳氏と、島田氏と同じく東京大学宗教学研究室出身で、宗教学の後継世代として、昨年『オウム真理教の精神史』(春秋社)を上梓した宗教学者の大田俊寛氏の対談を実施。2人には、あらためてオウム真理教の一連の事件の総括、そして世代間の事件への認識の違いなどについて語ってもらった(対談は、平田出頭前の12月下旬に収録された)。オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者の交錯から見えてくるものとは? 第1回は、地下鉄サリン事件と80年代の空気感についての考察である。 ――昨年11月にオウム真理教による一連の刑事事件の裁判が終結しましたが、今の率直な感想は? 大田俊寛氏(以下、大田) これを機会に、オウム事件に対する総括が、さまざまなメディアで行われました。それらを聞いていて私が感じたのは、昨年3月に出版した『オウム真理教の精神史』で指摘したことと重複しますが、オウム真理教がナチズムと構造的にきわめて類似していることに対する視点が、日本社会にはまだ欠けているのではないかということです。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、ヒトラーの熱心な崇拝者であり、彼は若い頃からヒトラーの『わが闘争』を愛読していました。オウム真理教がなぜサリンを用いて大量の人々を殺戮しようとしたのかということが、オウム事件における最大の謎とされていますが、それを明らかにするためにも、オウムとナチズムの関係に着眼することは不可欠であると思います。 ――確かに大量殺戮の動機は、世間でも関心のある事柄だと思うのですが、大田さんはどういったものだったと推測していますか? 大田 私の考えでは、ナチズムとの親近性が最も重要なキーになります。簡単に説明すれば、ナチズムにおいては、ゲルマン民族が「神聖なる民族」であり、それ以外の民族は下等種族である、特にユダヤ人は「寄生種」のような忌むべき存在であり、何としてもこれを排除しなければならないという考えが展開されました。そしてヒトラーは、人間の運命は、神に進化するかあるいは動物に堕ちるか、その二つに一つしかないという二元論的思考を抱いていた。同じようにオウム真理教においても、麻原彰晃は自らの手で信者たちを「超人類」に進化させ、それによって「神仙民族」という新しい民族をつくり出し、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる神の王国を日本に創建するという野望を持っていました。そしてその前提として必要とされたのは「畜群粛清」、すなわち、動物に堕ちるしかない魂の持ち主はすべて抹殺するということだった。ではどうすれば、もっとも効率的に人々を粛清できるのか。その答えとして浮かび上がったのが、かつてナチスが開発したサリンという兵器であったわけです。ヒトラーには第1次世界大戦の際、イギリス軍の毒ガス攻撃により一時失明するという経験があり、この経験からヒトラーは、兵器としての毒ガスの重要性に気づいていました。そしてナチスは、ユダヤ人の大量虐殺にチクロンBという毒ガスを使用し、サリンの開発も手掛けていた。オウム真理教は、そういうナチズムに由来する思想や兵器、すなわち、神か動物かという二元論や、畜群粛清のための兵器技術を継承しているところがある。いわばオウム真理教には、ナチズムの日本的反復という側面があるのです。オウムはもちろん、日本社会に起因する現象でもありますが、それは同時に、「戦争の世紀」とも呼ばれる20世紀の世界全体が抱えていた問題にもつながっているのだ、ということを強調しておきたいと思います。 ――島田さんは裁判が終結して率直な感想は? 島田裕巳氏(以下、島田) 私はオウム事件というのは非常に複雑で、とらえるのがとても難しい事件だと思う。オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立されたのは1984年頃で、私が存在を知ったのは89年です。その頃、日本はちょうどバブルを経験していた。そうした時代背景の中でオウムが徐々にクローズアップされ、90年代に入り、いろんな事件を起こし、最終的にサリンをつくり地下鉄に撒いた。今から見ると、確かに出来事としてはそうです。しかし、サリンを撒くことが彼らのすべての目的だったかというと、なかなかそうもいえない。そこには社会とオウムの関係、空気感のようなものがあった。当時の空気感がどうであったかを今の段階で伝えるのは非常に難しい。若い人は知らないし、当時を経験した人たちも徐々に忘れてしまう。先日、TBSラジオ「Dig」という番組に出演した時も、評論家の切通理作さんが、ある時期はオウムのことを評価していた時代があったと語っていた。確かに当時、そういう空気もあった。だから、みなさんが理解しているような枠組み内で考えると、どうも上手く説明できない。裁判は長くかかりましたが、いまだ総括しきれないのは、途中で麻原が証言をしなくなったことが大きかった。もうひとつは、いろんな事件にかかわっていた元教団幹部の村井秀夫が殺されてしまったことにより、事件の相当な部分がわからなくなってしまった。それに、国家が事実解明にフタをしてしまったふしがある。象徴的なのは、第7サティアンがすぐに解体されたこと。地下鉄サリン事件を国家に対するテロととらえるなら、どうしてあんなものがあそこに出現したのか。また、宗教団体が大量にサリンをつくるためのプラントを建築するとはどういうことか。その背後関係はどうなのか――今から見ると、そういった背後関係が出てくることを日本政府は恐れて、第7サティアンを素早く解体したような気もする。全体として、変な集団が出てきて、変なことをしたということで全部終わらせようとしている。それは第2次世界大戦の時と一緒で、全体の構図を考察していない。日本人の意識構造みたいなものや、日本社会が抱えるさまざまな問題が入っていたと思うが、そういうことをまったく考えていない。 大田 島田さんは今、当時の空気感や文脈の中でこそ理解できるものの、今となっては忘れられていることが多い、とおっしゃいました。それに関して私があらためて考えていることは、80年代という時代の雰囲気がどういうものであったかということです。当時の日本は、バブルの好景気を迎えて享楽的な雰囲気の中にありましたが、世界の状況はどうだったか。世界は依然として、冷戦構造下にありました。ソ連とアメリカという2大超大国が核軍備の果てしない拡大競争に走り、核の力があまりにも強力すぎるゆえに、西側も東側も互いに核を突きつけあったままフリーズしてしまうという、奇妙な状態が続いていた。そして、両陣営がどう動いたかというニュースが日本にも頻繁に入り、当時の日本人は、いずれ核戦争が起きるのではないかという脅威におびえていた。その頃、社会でどういうものが流行していたというと、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著・祥伝社)(1999年7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという内容)という書物でした。現在では、終末予言などさして深刻に受け止めない人々が大半ですが、冷戦構造下の人々にとっては、いずれ西側と東側の間に核戦争が勃発するだろうということ、そしてその際には、人類は滅亡してしまうだろうということは、きわめて現実的で常識的な実感だったのです。オウムについて考える際には、そのような「時代の空気」を思い出さなくてはならないでしょう。島田さんは、80年代の空気感についてどう思われますか? 島田 ひとつは、ノストラダムスの予言にしても、世代によって受ける影響が違うということ。ノストラダムスの本が出たのが1973年で、ちょうど私が20歳の時です。当時20歳の世代が受けた影響と10代の初めの頃の世代が受けた影響ではかなり違います。確かに、73年頃は、オイルショックもあり、日本全体が大変なことになるという雰囲気の中で、メディアでもノストラダムスの大予言について取り上げていたので、その影響は私たちより下の世代には色濃くあるのではないでしょうか。現実にも、オイルショックのほかに、冷戦や大気汚染の問題もあった。そして、80年代に入ると、ソ連によるアフガン侵攻が起こる。そういう世界情勢の中での危機意識とバブルというのが人々に与えた影響は大きい。オウムだって、ロシアへ進出したり、あれだけ大きなサティアンをつくれたりしたのは、信者から多額のお布施があったからで、そのお布施もバブルという大量のお金が世の中に出回る状況でないと難しかった。そして、89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本は年号が昭和から平成へ変わり、バブルの崩壊が始まった。そういうドラスティックに日本の社会が変化していく中で、オウムが出てくるわけです。総括は容易ではありませんが、そこにどういう意味があるのか考えることが必要です。 ■とんねるずとも共演した、麻原という男 ――そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか? 島田 思想史の中での位置づけとしては、今から見ればそうなのかなとは思うけど、80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた。 ――オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていたと。 島田 それを体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います。もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました。 ――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。 島田 当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い。 大田 私は本を出版してから、ある元オウム信者の方と長時間にわたって話をする機会がありました。その中で強く印象に残ったのは、その方から聞いた次のような言葉です。「確かに麻原という人間は、70トンという量のサリン製造に着手し、それによって少なくとも、首都圏に住む数百万の人間は一掃しうると考えていたわけです。そして、もしそれが本当に実行されていたら、彼はヒトラーやスターリンと肩を並べる歴史的な大量殺戮者になっていた。しかし問題なのは、そうしたことを考え、実行しようとする人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということです。大田さんは、絵空事ではなく、本当にそういうことを実行しようとしていた人間がどのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」この問いに対して、当時のオウム教団に触れたことがなく、麻原に会ったこともない私には、確かにそれはわからない、と答えざるを得ませんでした。その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました。オウムについては、95年以降明らかになったことも多いですが、その中核にはまだよくわからない要素が潜んでいるということを意識しておく必要があると思います。 ――では、オウム事件から学び取れることというのは? 島田 それはたくさんありますし、カルトの抱える反社会性にはそれまで以上に目が向くようになった。例えば、オウム事件の前から問題視されていた霊感商法だけでなく、オウム事件後に出てきた、法の華三法行やライフスペースなどの新宗教的なカルトにも厳しくなっている。でも、なぜそういうものが出現するのかという問題は遠ざけてしまっているように思う。そして、メディアにおいても、宗教は面倒くさいということで取材の対象ではなくなっている。 ――宗教に関してメディアは面倒くさいという一方で、スピリチュアルブームのようなものもあります。 大田 今議論してきた80年代、90年代の日本は、良くも悪くも元気があった。しかし、今の社会は逆に、良くも悪くも元気がない。今でもスピリチュアルブームや、2012年地球滅亡説など、オウムの反復のような現象が見られますが、そういった空気の中で再びオウム的なものが出現する危険性を感じるかといえば、私自身はあまり感じません。それは、いい意味では日本社会の成熟であるともいえますが、悪い意味では、日本社会の活力が全体として乏しくなっているということなのかもしれません。 (中編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
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オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感

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島田裕巳氏(左)と大田俊寛氏(右)。
 新年早々、オウム真理教の元幹部で、特別手配されていた平田信容疑者が出頭したというニュースは記憶に新しいところ。そもそもオウム真理教がかかわった一連の事件の裁判は昨年11月に終了し、世間の注目点は、麻原彰晃の死刑執行時期に移っていたが、平田の出頭で状況は大きく変わりそうだ。  世紀をまたいで、再び熱を帯びてきたオウム問題。そこで今回は、地下鉄サリン事件当時、メディアで活発な言論活動を行っていた宗教学者の島田裕巳氏と、島田氏と同じく東京大学宗教学研究室出身で、宗教学の後継世代として、昨年『オウム真理教の精神史』(春秋社)を上梓した宗教学者の大田俊寛氏の対談を実施。2人には、あらためてオウム真理教の一連の事件の総括、そして世代間の事件への認識の違いなどについて語ってもらった(対談は、平田出頭前の12月下旬に収録された)。オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者の交錯から見えてくるものとは? 第1回は、地下鉄サリン事件と80年代の空気感についての考察である。 ――昨年11月にオウム真理教による一連の刑事事件の裁判が終結しましたが、今の率直な感想は? 大田俊寛氏(以下、大田) これを機会に、オウム事件に対する総括が、さまざまなメディアで行われました。それらを聞いていて私が感じたのは、昨年3月に出版した『オウム真理教の精神史』で指摘したことと重複しますが、オウム真理教がナチズムと構造的にきわめて類似していることに対する視点が、日本社会にはまだ欠けているのではないかということです。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、ヒトラーの熱心な崇拝者であり、彼は若い頃からヒトラーの『わが闘争』を愛読していました。オウム真理教がなぜサリンを用いて大量の人々を殺戮しようとしたのかということが、オウム事件における最大の謎とされていますが、それを明らかにするためにも、オウムとナチズムの関係に着眼することは不可欠であると思います。 ――確かに大量殺戮の動機は、世間でも関心のある事柄だと思うのですが、大田さんはどういったものだったと推測していますか? 大田 私の考えでは、ナチズムとの親近性が最も重要なキーになります。簡単に説明すれば、ナチズムにおいては、ゲルマン民族が「神聖なる民族」であり、それ以外の民族は下等種族である、特にユダヤ人は「寄生種」のような忌むべき存在であり、何としてもこれを排除しなければならないという考えが展開されました。そしてヒトラーは、人間の運命は、神に進化するかあるいは動物に堕ちるか、その二つに一つしかないという二元論的思考を抱いていた。同じようにオウム真理教においても、麻原彰晃は自らの手で信者たちを「超人類」に進化させ、それによって「神仙民族」という新しい民族をつくり出し、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる神の王国を日本に創建するという野望を持っていました。そしてその前提として必要とされたのは「畜群粛清」、すなわち、動物に堕ちるしかない魂の持ち主はすべて抹殺するということだった。ではどうすれば、もっとも効率的に人々を粛清できるのか。その答えとして浮かび上がったのが、かつてナチスが開発したサリンという兵器であったわけです。ヒトラーには第1次世界大戦の際、イギリス軍の毒ガス攻撃により一時失明するという経験があり、この経験からヒトラーは、兵器としての毒ガスの重要性に気づいていました。そしてナチスは、ユダヤ人の大量虐殺にチクロンBという毒ガスを使用し、サリンの開発も手掛けていた。オウム真理教は、そういうナチズムに由来する思想や兵器、すなわち、神か動物かという二元論や、畜群粛清のための兵器技術を継承しているところがある。いわばオウム真理教には、ナチズムの日本的反復という側面があるのです。オウムはもちろん、日本社会に起因する現象でもありますが、それは同時に、「戦争の世紀」とも呼ばれる20世紀の世界全体が抱えていた問題にもつながっているのだ、ということを強調しておきたいと思います。 ――島田さんは裁判が終結して率直な感想は? 島田裕巳氏(以下、島田) 私はオウム事件というのは非常に複雑で、とらえるのがとても難しい事件だと思う。オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」が設立されたのは1984年頃で、私が存在を知ったのは89年です。その頃、日本はちょうどバブルを経験していた。そうした時代背景の中でオウムが徐々にクローズアップされ、90年代に入り、いろんな事件を起こし、最終的にサリンをつくり地下鉄に撒いた。今から見ると、確かに出来事としてはそうです。しかし、サリンを撒くことが彼らのすべての目的だったかというと、なかなかそうもいえない。そこには社会とオウムの関係、空気感のようなものがあった。当時の空気感がどうであったかを今の段階で伝えるのは非常に難しい。若い人は知らないし、当時を経験した人たちも徐々に忘れてしまう。先日、TBSラジオ「Dig」という番組に出演した時も、評論家の切通理作さんが、ある時期はオウムのことを評価していた時代があったと語っていた。確かに当時、そういう空気もあった。だから、みなさんが理解しているような枠組み内で考えると、どうも上手く説明できない。裁判は長くかかりましたが、いまだ総括しきれないのは、途中で麻原が証言をしなくなったことが大きかった。もうひとつは、いろんな事件にかかわっていた元教団幹部の村井秀夫が殺されてしまったことにより、事件の相当な部分がわからなくなってしまった。それに、国家が事実解明にフタをしてしまったふしがある。象徴的なのは、第7サティアンがすぐに解体されたこと。地下鉄サリン事件を国家に対するテロととらえるなら、どうしてあんなものがあそこに出現したのか。また、宗教団体が大量にサリンをつくるためのプラントを建築するとはどういうことか。その背後関係はどうなのか――今から見ると、そういった背後関係が出てくることを日本政府は恐れて、第7サティアンを素早く解体したような気もする。全体として、変な集団が出てきて、変なことをしたということで全部終わらせようとしている。それは第2次世界大戦の時と一緒で、全体の構図を考察していない。日本人の意識構造みたいなものや、日本社会が抱えるさまざまな問題が入っていたと思うが、そういうことをまったく考えていない。 大田 島田さんは今、当時の空気感や文脈の中でこそ理解できるものの、今となっては忘れられていることが多い、とおっしゃいました。それに関して私があらためて考えていることは、80年代という時代の雰囲気がどういうものであったかということです。当時の日本は、バブルの好景気を迎えて享楽的な雰囲気の中にありましたが、世界の状況はどうだったか。世界は依然として、冷戦構造下にありました。ソ連とアメリカという2大超大国が核軍備の果てしない拡大競争に走り、核の力があまりにも強力すぎるゆえに、西側も東側も互いに核を突きつけあったままフリーズしてしまうという、奇妙な状態が続いていた。そして、両陣営がどう動いたかというニュースが日本にも頻繁に入り、当時の日本人は、いずれ核戦争が起きるのではないかという脅威におびえていた。その頃、社会でどういうものが流行していたというと、『ノストラダムスの大予言』(五島勉著・祥伝社)(1999年7の月に恐怖の大王が降りてきて、人類が滅亡するという内容)という書物でした。現在では、終末予言などさして深刻に受け止めない人々が大半ですが、冷戦構造下の人々にとっては、いずれ西側と東側の間に核戦争が勃発するだろうということ、そしてその際には、人類は滅亡してしまうだろうということは、きわめて現実的で常識的な実感だったのです。オウムについて考える際には、そのような「時代の空気」を思い出さなくてはならないでしょう。島田さんは、80年代の空気感についてどう思われますか? 島田 ひとつは、ノストラダムスの予言にしても、世代によって受ける影響が違うということ。ノストラダムスの本が出たのが1973年で、ちょうど私が20歳の時です。当時20歳の世代が受けた影響と10代の初めの頃の世代が受けた影響ではかなり違います。確かに、73年頃は、オイルショックもあり、日本全体が大変なことになるという雰囲気の中で、メディアでもノストラダムスの大予言について取り上げていたので、その影響は私たちより下の世代には色濃くあるのではないでしょうか。現実にも、オイルショックのほかに、冷戦や大気汚染の問題もあった。そして、80年代に入ると、ソ連によるアフガン侵攻が起こる。そういう世界情勢の中での危機意識とバブルというのが人々に与えた影響は大きい。オウムだって、ロシアへ進出したり、あれだけ大きなサティアンをつくれたりしたのは、信者から多額のお布施があったからで、そのお布施もバブルという大量のお金が世の中に出回る状況でないと難しかった。そして、89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本は年号が昭和から平成へ変わり、バブルの崩壊が始まった。そういうドラスティックに日本の社会が変化していく中で、オウムが出てくるわけです。総括は容易ではありませんが、そこにどういう意味があるのか考えることが必要です。 ■とんねるずとも共演した、麻原という男 ――そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか? 島田 思想史の中での位置づけとしては、今から見ればそうなのかなとは思うけど、80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた。 ――オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていたと。 島田 それを体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います。もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました。 ――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。 島田 当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い。 大田 私は本を出版してから、ある元オウム信者の方と長時間にわたって話をする機会がありました。その中で強く印象に残ったのは、その方から聞いた次のような言葉です。「確かに麻原という人間は、70トンという量のサリン製造に着手し、それによって少なくとも、首都圏に住む数百万の人間は一掃しうると考えていたわけです。そして、もしそれが本当に実行されていたら、彼はヒトラーやスターリンと肩を並べる歴史的な大量殺戮者になっていた。しかし問題なのは、そうしたことを考え、実行しようとする人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということです。大田さんは、絵空事ではなく、本当にそういうことを実行しようとしていた人間がどのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」この問いに対して、当時のオウム教団に触れたことがなく、麻原に会ったこともない私には、確かにそれはわからない、と答えざるを得ませんでした。その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました。オウムについては、95年以降明らかになったことも多いですが、その中核にはまだよくわからない要素が潜んでいるということを意識しておく必要があると思います。 ――では、オウム事件から学び取れることというのは? 島田 それはたくさんありますし、カルトの抱える反社会性にはそれまで以上に目が向くようになった。例えば、オウム事件の前から問題視されていた霊感商法だけでなく、オウム事件後に出てきた、法の華三法行やライフスペースなどの新宗教的なカルトにも厳しくなっている。でも、なぜそういうものが出現するのかという問題は遠ざけてしまっているように思う。そして、メディアにおいても、宗教は面倒くさいということで取材の対象ではなくなっている。 ――宗教に関してメディアは面倒くさいという一方で、スピリチュアルブームのようなものもあります。 大田 今議論してきた80年代、90年代の日本は、良くも悪くも元気があった。しかし、今の社会は逆に、良くも悪くも元気がない。今でもスピリチュアルブームや、2012年地球滅亡説など、オウムの反復のような現象が見られますが、そういった空気の中で再びオウム的なものが出現する危険性を感じるかといえば、私自身はあまり感じません。それは、いい意味では日本社会の成熟であるともいえますが、悪い意味では、日本社会の活力が全体として乏しくなっているということなのかもしれません。 (中編に続く/構成=本多カツヒロ、写真=名和真紀子) ●しまだ・ひろみ 1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に、『神も仏も大好きな日本人』(筑摩書房)、『現代にっぽん新宗教百科』(柏書房)、『逃げない生き方』(ベストセラーズ)、『聖地にはこんなに秘密がある』(講談社)、ほか多数の著作がある。 ●おおた・としひろ 1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
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