年齢を重ねるにつれ、見たこともない未知の映像をテレビで見ることはほとんどなくなった。 そして、その中から、心の底から「恐怖」を感じることもあまりない。 けれど、そのふたつをまざまざと見せてくれたのが『NHKスペシャル』で放送されたシリーズ『大アマゾン 最後の秘境』(NHK総合)だ。 今年4月から4回にわたって放送されたもので、このたび、22日深夜に第1集と第2集が、翌23日深夜に第3集と第4集が再放送される。 このシリーズは伝説的ドキュメンタリー『ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる』を作ったディレクター・国分拓による作品だ。 ちなみに『ヤノマミ』はアマゾンの奥地に住む先住民族「ヤノマミ」に150日間もの間、密着し、その独特な死生観や精神世界に迫ったもの。今回も国分らは、長期間アマゾンに滞在し取材したという。 第1集の「伝説の怪魚と謎の大遡上」と第3集「緑の魔境に幻の巨大ザルを追う」は、未知の自然の驚異を追ったものだった。 前者は、濁流のアマゾン川の中にうごめく「怪魚」たちを見事にカメラに捉え、その驚きの生態を世界で初めて映像に収めた。 後者では、現在もなお目撃談が後を絶たない謎の「巨大ザル」を探索。それだけ聞くと、「川口浩探検隊」シリーズ(テレビ朝日系)のようなものを思い浮かべてしまいそうだが、あのスペクタルを継承しつつも、映像は徹底的にリアリズム。見たことのない生き物や自然の姿に何度も息を呑んだ。 だが、今回のシリーズでスゴかったのは、「自然」よりも「人間」だった。 それは第2集「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」と第4集の「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」。 「人間がいちばん恐ろしい」 というのは、ノンフィクションに用いられる常套句のひとつだが、それを何よりも実感させてくれるドキュメントだったのだ。 第2集の「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」は、アマゾンに眠る金を掘り続ける男たち=「ガリンペイロ」の生活に密着した作品。過酷な労働環境のもと、一攫千金の夢を見る男たちは、たいていが訳あり。無法者の集まりだ。 当然のようにみんな銃を持ち、ケンカやトラブルは絶えない。それが殺し合いにまで発展することも少なくない。 「場所を誰かに話したら、誰かが死ぬことになる」 国分たち取材班が、ガリンペイロのボス(通称「黄金の悪魔」!)に取材許可をもらう交渉中にドスの利いた声で言われた言葉だ。ヤバい匂いがプンプンしている。 ガリンペイロには2人を殺した元殺人犯の男もいる。ある日突然、その男が取材班が寝泊まりしている小屋に木の棒を持ってやってきた。完全に目がすわっている。 「おい」 男はスタッフに声をかけるとイッた目のまま言う。 「お前らも踊れ」 そんな言葉とは裏腹に緊迫感が漂っている。 「お前ら人を殺したことがあるか?」 「ない」と答えると「ねぇってよ」とバカにした様子で笑うと、ひとしきり取材班をビビらせ、からかっていくのだ。 たとえからかっているだけとはいえ、少しでも機嫌を損ねたら何をされてもおかしくない怖さがビンビン伝わってくる。 別の日の夜には、酔っ払ったガリンペイロ同士がケンカ。そのうちのひとりが興奮して銃を持ちだした。 「やばい、やばい!」 カメラマンが慌てて逃げ出す。酔っ払って理性を失った状態。銃口がスタッフに向けられない保証はどこにもない。「死」の恐怖がリアルに迫ってくる。 第4集の「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」は文明社会と一切の関わりを持たない先住民「イゾラド」と近隣の村人たちとの衝突を描いたものだ。 イゾラドは洋服を着ない上、武器も木製の弓矢や槍。 彼らが、かつて自分たちが住んでいた集落に、自分たちと同じ人間が住んでいるらしいことを知り、まずは男たちだけで川を渡り、近づいてくる。攻撃するつもりだろうか。険しい表情で何やら話し合っている。 村人たちは彼らをむやみに攻撃するつもりはない。なんとかコミュニケーションをとろうと大きな声で話しかけていく。 お互いが警戒しあってなかなか距離が縮まらない。村人たちはバナナなどを与え、友好関係を築こうとしたが、結局後日、その集落は彼らに襲撃されてしまう。 ペルー政府は文明社会にイゾラドをなじませるために交渉役をたて接触をはかる。11回目の接触にカメラマンが同行。 「この人、誰?」 見知らぬ顔を見つけたイゾラドの一家は不信な表情で詰め寄ってくる。 「ノモレ、ノモレ、ノモレ」 カメラマンは「友達」を意味する言葉を必死で繰り返す。 すると、カメラマンの着ている服に興味を持ったのか、それを脱がそうとする。 「私の子どもに危害を加えるなよ」 とすごんだと思ったら、「妊娠してるの」とお腹を触らせようとしたり、動物に噛まれた傷痕を親しげに見せてきたりもする。 にこやかになったと思ったら、その数秒後には、急に攻撃的な表情に変貌する。 お互いがお互いを「わからない」という感情が、攻撃性を刺激したり、不安を煽ったりする。 ある程度危険な被写体であっても、テレビカメラがあれば滅多なことはしないだろう。そんな希望的観測はまったく通用しない。21分間というこの接触は、おそらくカメラマンにとって永遠のように長く感じられただろう。 本当の恐怖とは「わからない」ということだ。 だが、その「わからない」が映像になると、極上の刺激的作品に変わっていく。 もはやテレビで「わからない」ような未知の世界は残っていないなどと言われる。 だから今、テレビはよりわかりやすい方向にばかり進んでいる。 だが、テレビだからこそできるスケールと時間をかけて、国分たちNHK取材班はアマゾンの奥地で未知の「わからない」という金脈を掘り出したのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからNHK『大アマゾン 最後の秘境』番組サイトより
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たった8分で人生が変わった――NHK『アナザーストーリーズ』が描く、マンザイブームの“真実”
「俺にとっては、一番大きいテレビの転換期。リアルタイムで目撃したもので、あれ以上大きなものは、あれ以降起きてない」 爆笑問題の太田光がそう証言するのが、『THE MANZAI』に引き起こされた1980年のマンザイブームだ。その1年にスポットを当てたのが、5月4日に放送された(再放送は5月10日)『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』(NHK BSプレミアム)の「MANZAI1980 笑いの革命児たち」だ。 『アナザーストーリーズ』は真木よう子をナビゲーターに、「ダイアナ妃の事故死」「ベルリンの壁崩壊」「ビートルズ来日」など、歴史上の大きなトピックスを取り上げるドキュメンタリー番組だ。この番組の大きな特徴は「マルチアングルドキュメンタリー」をうたっているという点。ひとつの事柄には、たくさんの人々が関わっている。そのさまざまな“視点”をマルチアングルのようにひもとくことで、これまで伝えられてきた物語とはまた別の物語が浮かび上がってくるというものだ。 たとえば、4月20日の放送のテーマは映画『エマニエル夫人』。そのとき取り上げられた“視点”は、プロデューサーや監督ら作り手と、主演のシルビア・クリステルら演者はもちろん、日本での配給会社の宣伝マン・山下健一郎の視点にも大きくスポットを当てている。 『エマニエル夫人』といえば、籐の椅子に半裸で座っているポスターのイメージが強いが、あれが映画のポスターとして使われたのは実は日本だけだったという。山下が「この映画は女性に売る」という強い決意の上で、あのポスターを使ったのだ。その結果、『エマニエル夫人』の日本における観客動員は7割近くが女性だったのだ。 多角的な視点から見ることで、ひとつの出来事に複数の側面があることが浮き彫りになっていく。それは、1980年のマンザイブームでももちろん同じだ。 筆者は『1989年のテレビっ子』(双葉社)の序盤でこのマンザイブームについて詳細に書いたため、今回のドキュメンタリーはより楽しめた。なぜなら、さまざまな語りどころがあるこのブームのどこをどう切り取るか、腐心したであろうことがよくわかるからだ。 番組では、ブームの真っ只中にいたが、その後、テレビでは人気が低迷していった芸人たち(島田洋七、ビートきよし、ザ・ぼんち)、それまで傍流にいて不遇の時代を過ごしながら、『THE MANZAI』によって笑いを変えた作り手(佐藤義和)、そしてこのブームを契機に、地方のいち芸能事務所にすぎなかった吉本興業を日本最大級の事務所に押し上げたマネジャー(木村政雄)らの視点にスポットを当てた。これらはまさに『1989年のテレビっ子』でも書いた部分だったので、非常に強いシンパシーを感じた。 「音楽班が肩で風切って歩いて、そういう人たちが歌手でコントをやったりしてお笑いはそういう人たちで十分だった」と佐藤義和が述懐するように、70年代までテレビの主役は歌手だった。今でこそ、「バラエティ番組=芸人の現場」という図式があり、時折、芸人がゲストに訪れる歌手や俳優に対して「芸人の職場を荒らすな」などと笑い混じりに不満を述べることもあるが、そうなったのはマンザイブーム以降、ほんの30年前からなのだ。 それまでテレビでお笑い芸人は、ザ・ドリフターズや萩本欽一などごく一部を除いて、最下層の地位だった。それを劇的に変えたのが、『THE MANZAI』なのだ。 「あの8分間で、ほんっとに人生変わりましたね。たった8分で」 そうザ・ぼんちが語るように、彼らは自分たちに与えられた8分間の持ち時間で披露した1本の漫才で、一気にアイドル的な人気を手に入れた。 やはり、テレビドキュメンタリーの強みは映像である。その実際の映像は、何よりも力がある。 たとえば、『THE MANZAI』前夜の『花王名人劇場』での「漫才新幹線」。やすし・きよしや星セント・ルイスらベテラン漫才師に混じって、当時まだ無名の若手B&Bが、速射砲のようなスピード感あふれる漫才で若者が集まった観客を沸かせていた。それをモニターで見ているベテラン漫才師たちの表情は、その複雑な心境を雄弁に物語っていた。思わず立ち上がって険しい表情で気合を入れ始める西川きよしの姿は、鳥肌モノだ。 また、ブーム勃発後、舞台に登場したザ・ぼんちに本番中にもかかわらず、観客が駆け寄り、プレゼントを渡す一幕は、いかにそれがアイドル的な人気であったかを証明している。 そして番組では、もうひとつの視点が用意されていた。それは「視聴者」の視点だ。テレビで『THE MANZAI』を見て人生が変わってしまった爆笑問題・太田光は、ブームをこう語っている。 「漫才とはこういうもんだっていう、芸として構築してきたものは全部ぶっ壊しちゃう。その勢いが社会現象になった」 ブームは1年で急激で沸騰し、年が明けると急速に収束していった。そこから、ビートたけしや島田紳助は“天下”を獲った。一方で、ブームに翻弄され、テレビから消えていった芸人たちもいた。 そうしたさまざまな物語を、『アナザーストーリーズ』は“マルチアングル”で映し出す。ドキュメンタリーは、決して客観的なものではない。事実をどう捉えるか、その作業は極めて主観的なものだ。そして、それぞれの視点もまた主観だ。 『アナザーストーリーズ』はその主観を数多く提示することで、客観的事実とされるものでは見えなかったいくつかの“真実”を浮かび上がらせている。 最後に「マンザイブームに“負”の部分はあったか」と問われ、吉本興業のマネジャーだった木村政雄は「ない」と即答し、こう語った。 「もしあったとしたら、本来見ないで済んだ“夢”を見てしまった人がいたこと」 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』NHKオンライン
大島渚『忘れられた皇軍』、自衛官いじめ自殺事件……『NNNドキュメント』が突きつける日本の闇
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。 「日本人たちよ、私たちはこれでいいのだろうか? これでいいのだろうか?」 と、あらためて問いただしたドキュメント「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」が大きな話題となった。 放送されたのは2014年1月12日の『NNNドキュメント'14』(日本テレビ系)。これは1963年に同局で放送された大島渚監督のドキュメンタリー『忘れられた皇軍』全編をノーカットで放送し、関係者が当時の制作秘話などを語ったものだ。『忘れられた皇軍』は日本軍として戦いながらも、戦後、韓国籍となったため十分な補償を受けられなかった傷痍軍人たちを追ったものだが、『NNNドキュメント』版では、その韓国籍の傷痍軍人たちに対する日本人の視線が、現代の私たちが持つ“被害者意識”の問題にも通じることを浮き彫りにした秀作で、1月度のギャラクシー賞にも選出された。 『NNNドキュメント』は民法のドキュメンタリー番組の中にあって、最も骨太な作品をコンスタントに放送している番組のひとつだ。2月23日深夜に放送された「自衛隊の闇 不正を暴いた現役自衛官」もそうだ。 これは、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」で起きた、先輩自衛官からのいじめを苦に1等海士(当時21歳)が自殺した裁判をめぐるドキュメントである。 「お前だけは絶対呪い殺してやる」と、名指しの遺書が残されていたにもかかわらず、自衛隊側は「自殺の原因は、いじめとは断言できない」として遺族と裁判で争った。自衛隊は「調査報告書」を作成するため、隊員にアンケートを実施。しかし、遺族からの情報開示請求に、自衛隊側は「記入済みのアンケートは、調査報告書の完成と同時に廃棄した」と回答をしていた。そして、第一審の判決が下される。自殺の原因が先輩自衛官の暴行によるものであることは認定されたが、一方で自衛隊側に自殺の責任はない、とするものだった。 判決後、まもなく、弁護士に一通の手紙が届く。 「私はかつて、たちかぜ裁判で国側代理人を務めた3等海佐です」と始まった手紙には「防衛省・海上自衛隊はいくつかの文書を原告側に隠しています」と続けられていた。 3等海佐は、自衛隊では幹部クラスに当たる。彼は、代理人を務める中で、アンケートが廃棄されていない事実を知り、何度も自衛隊内部で不正を是正し、事実を公表するよう働きかけている。最初は「公益通報」という、いわゆる内部告発の形で。2度目は、首席法務官への直談判。そして3度目は、人事異動で替わった新たな主席法務官にあらためて直談判した。しかし、いずれも不正がただされることはなかった。これに至り、組織内で手を尽くした3佐は、ついに相手弁護士に手紙を出したのだ。さらに、東京高等裁判所へ22ページに及ぶ陳述書を実名で提出。しかし、自衛隊側は裁判所に対し、なおも誤った事実認識に基づくと主張。ウソつき同然の扱いだった。 3佐が「自衛隊は文書を隠している」と訴えたことを新聞などが報じた日、当直の報告に行くと、上官はその記事を手に話しかけてきたという。3佐は自分を守るために、この時も録音をしていた。 「これお前だよな? なんでこんなことしたの?」と問い詰める上官に「あの、文書を隠していることがずっと心に引っかかってて、正直に出してくれるとずっと期待していたんですけど、どうも最後まで逃げ切る考えのようだったので。私としても苦渋の決断で、こうせざるを得ませんでした」と3佐は答える。 上官「あのさ、あなたの気持ちはわかるよ。組織として隠蔽していると、そういうことがあると……。僕は、ちょっと事実は知らないんだけど。ただね、あなたは組織の中の一人だよな? 組織が組織を訴えるっていうんだよな。ひとつの構図から見ると。それっておかしくないか、お前? お前はこの組織に属しているんだぞ」 3佐「それはそうです。私自身も身を切るような思いです」 上官「だから、もしやるんだったら、あなた自衛隊を辞めてね、『こういうことがある、そういった組織だ』ってやるべきじゃないのかな? 中にいてこういうことをやるっていうのは、非常にまずいよな、と俺は思うけど。俺だったらね。組織を離れてやるべきだ。組織の中ではやっちゃいかんよ」 自衛隊を辞めろ、という口ぶりである。そして3佐には、内部資料をコピーしたということで「被疑事実通知書」が届き、懲戒処分が検討されているという。それでも3佐は組織にとどまり、現職を貫いている。 裁判での証言を終えた3佐は言う。 「私のことを懲戒処分にしてやろうとか、いきんでる上層部がいる一方で、私の同僚なんかは自然に接してくれるんで、まぁ普通に仕事しているような状態なんですよ。不思議なもんでね。たぶん明日も変わらない一日が来るような気がします」 被害者の母は、3佐に最初にかけられた言葉が忘れられないという。 「お母さん、私に感謝しないでください。私は組織を良くするためにしていることですから」 陳述書を出した2カ月後、事態は急転する。当時の海上幕僚長が異例の臨時会見を開き、アンケートが見つかったと謝罪したのだ。「不適切な文書管理」が原因で、今まで見つからなかった。つまり「隠蔽」ではない、と。 アンケートには、先輩隊員からの暴行などの事実が克明に書かれていた。現役の自衛隊幹部が自らの組織の不正を暴くため、さまざまな葛藤をしながら覚悟して立ち上がり、ようやく明るみに出た真実。 「私は組織のために仕事をしているわけではなくて、国民のために仕事をしているつもりでいますので、私の態度は矛盾したものではないと思っています」 3佐はそう言って、また組織の中に帰っていった。 前述の「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」で是枝裕和は「大島さんが生涯批判し続けたのは、被害者意識というものだった」と評している。「『あの戦争は嫌だったね。つらかったね』という、自分たちが何に加担したのかってことに目をつぶって、被害者意識だけを語るようになってしまった日本人に対して、『君たちが加害者なんだ』ということを、あの番組で突きつけているわけです」と。 “被害者意識”は、言い換えれば“当事者意識の欠如”だ。それは、現在の日本に根深く横たわる問題だ。3等海佐が戦った敵は“組織”だけではない。「自分には関係がない」「悪いのは自分じゃない」そんな一人ひとりの意識だ。それが集まると、それは巨大な壁となり、強い圧力になる。隠蔽やいじめを知りながら、見て見ぬふりをしていた組織の中の人たち。そして、そんな体質を薄々分かりながらも「まあ、組織ってそんなもんでしょ」「いじめなんて、どこにでもあるよ」としたり顔で冷笑し、何もしない組織の外の私たち……。 「日本人たちよ、私たちはこれでいいのだろうか?」 『NNNドキュメント』で我々日本人は、あらためて問われている。 「これでいいのだろうか?」 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから『DVD-BOX 大島渚 3』(紀伊國屋書店)
沖縄の男はなぜ働かない!?「別れた妻にガソリン代を借りに…」
サイゾーのニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。
■「Business Journal」人気記事(一部抜粋)
AKB“女王様気取り”河西智美、黒い噂絶えない運営元社長とお泊り愛!?
股間でものを考える「LEON」「GQ」の神髄!セックスパーティに参加経験ある男は60%!?
要介護者になる前に!! 「メタボ」よりキケンな「ロコモ」を解消せよ!!
■特にオススメ記事はこちら!
沖縄の男はなぜ働かない!?「別れた妻にガソリン代を借りに…」 - Business Journal(4月24日)
ーー『カンブリア宮殿』『ガイアの夜明け』(共にテレビ東京)『情熱大陸』(TBS)などの経済ドキュメンタリー番組を日夜ウォッチし続けている映画監督・松江哲明氏が、ドキュメンタリー作家の視点で裏読みレビュー! 今回の番組:4月14日放送『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ) 「沖縄の男は働かないし、ダメなのさ。絶対、結婚なんかしない」と沖縄の女性から聞いたことがある。あの暑さと独特の気候が働く意欲をなくしてしまうらしい。僕は数度行ったことがある程度だが、確かに飲食店に入っても一生懸命働く姿は女性の方が多い……ように見える。 今回の『ザ・ノンフィクション』はこの言葉を立証するかのような、「あちゃー」と何度も声が出てしまう回だった。 数年前に放送された『上京物語』を見た記憶がある。沖縄から東京の寿司屋に修行に出た仁君(22)が厳しい指導にもめげず、生活する姿を追っていた。今回はその特別版とも言える『母との再会編』だ。彼はいまだ一人前とは言えない。休日も余った酢飯を持って帰り、割り箸を具材の代わりにのり巻きの練習をする。そんな一生懸命な仁君が久々に沖縄に帰ることになった。 仕事もせず、ダラダラを過ごす父を叱りに行ったのだ。 求人そのものが少ない沖縄で仕事を見つけるのは大変なのかもしれないが、「なんくるないさOKINAWA」とプリントされたTシャツを着てゴロ寝して、スナックのママに対して「アタックしてもう4年か5年になるかな」なんて惚けているようじゃダメだ。壁に折り目のついたアイドルのポスターを貼っているのもダメさに拍車がかかる。仁君は怒りを隠さず「もし家賃が払えないから出てってくれ」と言い切る。そりゃそうだ。父が働かないことが理由で母親が家を出たのだから。 しかし、その母から19年ぶりに連絡が来た。前回の放送を見たことをきっかけに「息子に会いたい」と。母子手帳にも名前が消されるほどに関係性が切れてしまっている母に対し、捨てられたと思っている息子は「話すことはないね」と語る。しかし父は「今会っておかないと一生後悔する」と伝える。その言葉が後押しになったのか、二人は車を走らせた。 ここから番組は一気にロードムービーの雰囲気となる。 空撮で撮られた海に、走る車。周囲の人を訪ね、家を探す。が、母はあっさりと見つかった。茶髪の長い髪が印象的で、息子のお下がりのような派手なシャツにジーンズ姿。母は番組を見たこと、今は息子がいること、好きな音楽、趣味、自炊、酒は飲むのか、といったことを聞く。仁君も答えはするがどこかよそよそしい感じ。父は少し離れて、そんな様子を見る。番組スタッフは気を利かせて夕日の沈む絶好のロケーションを狙っていたが、母と息子の時間はわずか30分程度しか保たなかった。 しかし、この出会いをきっかけに、仁君は母とメールを交わすようになる。東京に送られてくる派手なシャツを「外では着れないな」と苦笑いする姿が微笑ましい。この出来事は仕事にも良い影響を与えることになった。仕事に対し積極的になり、例えば常連さんには煮付けを出すようにまでなった。上司も「以前と違って男らしくなった」と褒め、この調子ならあと半年か一年で厨房に立てると太鼓判を押す。気持ちひとつで人は変われるし、仕事にも良い影響が出るものなのだ。沖縄の母からは恋人を紹介されるまでになり、仁君は明らかに成長をしている。 一方、父はこの再会をきっかけにダメ一直線。「本当に沖縄の男ったら!」と僕は声を出してしまうが、仁君は立派に働いている。この父が特別なのかもしれない。しかし、別れた妻にガソリン代を借りに行った、なんて誰が聞いても呆れてしまう。仁君は沖縄に帰った際に開かれた食事会にも父を誘うことはなかった。自分が母と再会したことで、父が彼女にも甘えるようになったことを後悔しているようだ。 だが、そんな父も「自分も負けてられない。相手を捜さないと」とお気に入りのなんくるないさTシャツを着て「詫びながら手酌酒~」と例のスナックで熱唱するが、そういうことではないでしょう(苦笑)。遂に父はスナックのママに告白をする。 散髪をして、正装して海岸で告白するが、当然玉砕。「ずっと友達でいいさ」とママは流すが、父は「その気になるまで待つ」と苦笑い。ここで『ザ・ノンフィクション』も終了の時間となった。 全然ハッピーエンドじゃないが、仁君との回想シーンを交えて、貫地谷しほりのナレーションで「応援と夢」で締めた。光る砂浜に立つ親子の姿は美しいが、僕は誤摩化されないぞ。しかし、この強引さこそが日曜の昼には相応しい。さすがです、『ザ・ノンフィクション』。 (文=松江哲明/映画監督) ■おすすめ記事 AKB“女王様気取り”河西智美、黒い噂絶えない運営元社長とお泊り愛!? 股間でものを考える「LEON」「GQ」の神髄!セックスパーティに参加経験ある男は60%!? 要介護者になる前に!! 「メタボ」よりキケンな「ロコモ」を解消せよ!! 野村HD、損失隠し加担の疑いで伊検察が捜査へ 利益没収、損害賠償請求も 黒田日銀・異次元金融緩和に潜むワナ…物価急上昇・国債暴落の可能性は?サービスカット。(「Thinkstock」より)
被災地の実態から山口組組長直撃取材まで ──タブーなき名作ドキュメンタリーの世界
──需要が少なく陽の目を浴びることがなかったテレビのドキュメンタリー。テレビ放送黎明期から製作されてきたこれらの作品は、今日のテレビ番組制作に大きな影響を与えているという。その歴史や影響、現在のシーンをたどりつつ、隠れたテレビドキュメンタリーの名作を紹介していく。
このところ、テレビドキュメンタリーに注目が集まっている。もちろんこれまでも話題となる番組はあったが、ドラマなどに比べると再放送も、DVD 化されることも極めて稀だった。それが、戸塚ヨットスクール事件のその後を扱った東海テレビ制作のテレビ番組『平成ジレンマ』(10年5月放送)や、四日市公害の闘争を扱った、やはり同局制作の『青空どろぼう』(10年11月に放送された『記録人 澤井余志郎~四日市公害の半世紀~』を劇場用に再構成した作品)などが劇場公開されたり、また、山形国際ドキュメンタリー映画祭でも60年代から70年代の秀作を中心にテレビドキュメンタリーの特集上映が組まれ、その魅力が再発見されている。
長年、ドキュメンタリー映画に関する隠れた良作を発掘し、神保町のneoneo坐などで上映活動を行っている清水浩之氏は、テレビドキュメンタリーへの関心がにわかに盛り上がり始めた背景についてこう話す。
「これまでドキュメンタリー作品では、テレビ番組はほとんどまとめられていなかった。それを岩波書店が2年前、『シリーズ・日本のドキュメンタリー』というDVD付全集を編む時に、初めて資料にまとめようという動きが出てきたんです。この資料の中に、放送業界内では有名な作り手が制作したものや、評価の高い作品が結構あるんですよ。だけど昔のものに限らず、リアルタイムでも一般人が簡単に見られる作品はほとんどない。例えば、地方局である東海テレビ制作のドキュメンタリーは、かならずしも系列キー局のフジテレビで放送されるわけではない。なので、もっと見せる機会を増やせないかということで、東海テレビの阿武野(勝彦)さんの発案で、『青空どろぼう』を劇場公開する流れになったんです」
このように劇場公開できるほどの良質な作品は、とくに地方局から生まれやすいという。
「地方局にとって、地元の状況や事件を扱ったドキュメンタリーは、キー局に比べて地方局ならではの"強み"が発揮できるジャンルなんです。地元取材なら、東京から取材に来たスタッフとも互角以上に渡り合える。また、視聴率よりも、賞狙いで番組を作っているようなケースもあります。60年代から福岡の RKB毎日放送にいた木村栄文という伝説的なディレクターは芸術祭賞などを多数受賞して、『賞獲り男』って言われていたくらいですから。賞を獲ることで評価されて、また次の番組を作ることができる、という構図もあると思います」(清水氏)
ドキュメンタリー作家である松江哲明氏も、やはり地方局で生まれる作品に注目しているという。
「地方局は、あるテーマに取り組むときに、ひとりのディレクターだけでかかわることが少ない。地域との関係性の中で、先輩ディレクターから引き継いだり、同僚と連携しながら、集団で取り組んでいく。そうやって、長年被写体に密着しながら番組を作っていく体制は、映画のドキュメンタリーではなかなかできるものじゃないですね」(松江氏)
松江氏が衝撃を受けたという『青空どろぼう』も、長期に渡る丁寧な取材があった。
「ドキュメンタリーが特に力を発揮するのは、声を持たない人たちや、はっきりとは映らない空気のようなものを掬いとる時だと思うんです。『青空どろぼう』も、企業が国ぐるみで大きなモノを優先させるときに、その影で犠牲になる人たちの小さな声を緻密に取り上げている。僕にとっては、今年観たドキュメンタリーで、ベストのうちのひとつだといえる素晴らしい作品でした」(松江氏)
■ドキュメンタリーの旗手田原総一朗の偉業とは?
さて、良作のテレビドキュメンタリーが映画化されたり、ソフト化される動きに加え、オンデマンド配信や動画共有サイトなど、テクノロジーの発達もこの盛り上がりに一役買っているのではと、清水氏は語る。
「84年から89年に掛けて起こった山一抗争の頃に、NHKが山口組を取材したドキュメンタリー『山口組 知られざる組織の内幕』(84年8月放送)という作品があるのですが、これは4代目竹中正久組長を始め、若頭などが勢ぞろいで出演。さらに対抗組織だった一和会の組事務所の中にまでカメラが入っている。間違いなくNHKは再放送もオンデマンド配信もしないでしょう。ところがこの作品を誰かが録画して持っていて、動画共有サイトに不定期にアップされる(笑)。もちろん発見されると削除要請されて消えてしまうのですが、また上げられるというイタチごっこが繰り返されています」
こうしてこれまでは気軽に見られなかった隠れた名作に、手が届きやすくなった。この機運に乗じて盛り上げていくには、「埋もれてしまった名作を紹介する"キュレーター"的な役割が重要であり、そうした需要も高まってきているのでは?」と、清水氏は語る。
そんな中、10月に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭では、60年代から70年代のテレビドキュメンタリーの特集が組まれた。
「私も作品の選定にかかわったのですが、ドキュメンタリー映画って監督の名前だけで売れるようなところがありますが、テレビ番組の場合、その性質上、どうしても作り手がテーマの影に隠れがちなんです。
この頃活躍した人だと、例えば、NHKには工藤敏樹という緻密なドキュメンタリーを作るディレクターがいた。日テレには牛山純一という民放のドキュメンタリーを一から創った名物プロデューサーが、TBSには、後にテレビマンユニオン(映画監督の是枝裕和が所属するドキュメンタリーに強いテレビ制作会社)を設立する、萩元晴彦や村木良彦という実験性に富んだドキュメンタリーでテレビ的表現を拡張したディレクターがいた。彼らの作品を切り口にしたら、とアドバイスしたんです。
この時代は、テレビがまだニューメディアだった。番組の作り方も確立しておらず、いろいろな試行錯誤がされていたんです。最初は映画のやり方をマネしてみたり、ラジオの構成を取り入れてみたりしている。今見ると、かなり変だけど、面白い番組がいっぱいあります」(清水氏)
また、前記の作り手たちに並んで、清水氏が、テレビの表現を開拓した重要な人物として挙げるのが、現在もジャーナリストやキャスターとして活躍する田原総一朗である。
「田原さんもやはり同じ頃にテレビ東京に入って、ドキュメンタリー番組を作っていました。当時のテレ東はNHKやほかの民放局に比べて、今以上に予算もないし、視聴者も少ない。そんな環境で、田原さんは、かなり過激な番組作りで、テレビドキュメンタリーの表現を探っていった。例えば、ジャズピアニストの山下洋輔が出演した『バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト』という番組は、学生運動吹き荒れる早稲田大学のバリケードの中に山下洋輔をピアノと一緒に放り込んで、ピアノを弾きまくらせるというむちゃくちゃな企画。きっかけは山下洋輔がどこかで『ピアノを弾きながら死にたい』と言ったのを聞いた田原さんが『面白い、俺が殺してやる』って、死に場所としてバリケードの中をチョイスしたそうなんです。その思いつきを実行してしまう豪腕ぶりが抜群に面白い」(清水氏)
また松江氏は、現在も放送されている『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)を例に挙げつつ、田原の制作手法について語る。
「田原さんの場合、ドキュメンタリーの制作において、結論を出さないままで放り投げて、まとめ上げることなく番組を終わりにしてしまう。テレビなら放送時間が決まっているので、どんなに放り投げても、番組の放送時間終了とともに、ちゃんと終わりがくるんですよ(笑)。こうしたスタイルは『朝生』にしっかり継承されています。田原さんはよくあの番組について『結論なんかでなくていい』と言う。でも、どんなにケンカになろうが、議論がしっちゃかめっちゃかになろうが、朝がきたらスパッと終わる。田原さんの番組を見ていると、(ひとつの作品としてお金を取って上映する)映画のドキュメンタリーとは違う、テレビドキュメンタリーならではの可能性があると思います」(松江氏)
■ドキュメンタリーのナウな楽しみ方とは
このようにテレビの"青春期"にドキュメンタリーの作り手たちが生み出した手法には、その後の番組作りに多大な影響を及ぼしたという。
「66年にTBSの萩元さんたちが作った『あなたは...』という番組では、道行く老若男女に無差別に同じ質問をするんです。その質問を寺山修司が考えているのがまた面白いんですが、例えば『日本人は悲劇ですか? 喜劇ですか?』や『(アメリカ人に向かって)原爆に責任を感じてますか?』など、独特な質問をぶつけて、そのリアクションを見る。それまではタレントやキャスターが何かを発信するというのがテレビ番組の基本でしたが、この頃『リアクション』が発見されたことで、素人も番組で"いじれる"ようになった。これはバラエティ番組の原点とも言えるでしょう」(清水氏)
確かにこうした手法は今日のテレビ番組では当たり前のもの。それと同時に、時代とともにそれらはアップデートもされている。自らも作り手である松江氏は語る。
「例えば、『痛快!ビッグダディ』(テレビ朝日)みたいな大家族モノって、出てる人たちが自分の役割をよくわかってるところにある。彼らは素人ですが、頭のどこかにかつてテレビで見た大家族モノのフォーマットがインプットされていて、それに合わせて、自分がどう動くべきかをどこかで理解しているように見えます。例えば『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)でも『漂流家族』という、大家族ものがあるんですが、その中で旦那が妻を殴ろうとするんですけど、そのカメラアングルが絶妙なんですよ。旦那が手を振り上げた瞬間に、妻がカメラの手前にいる子供たちに向かって、大声で『出ていくよ!』って言うんです。いくらなんでも芝居がかりすぎだろっていう(笑)」(松江氏)
かつて今村昌平が映画『人間蒸発』(1967年)の中で、撮影の一環として女優のプライベートを隠し撮りして、「やりすぎだ」と議論を呼んだことがある。その際、今村は「カメラで隠し撮りでもしないと人間の本音は炙り出せない」と言ったという。しかし、松江氏によれば、むしろ今のテレビドキュメンタリーの核心は、カメラを向けることで演じ始めてしまう被写体から、漏れる本音を拾うところにあるという。
「今村さんの時代とは隔世の感がありますよね。半年ぐらい前に放送された『ザ・ノンフィクション』で女性アイドルの生き方に迫った『アイドルすかんぴん』では、番組放送後、出演者が撮られ方への不満を告白して話題になりました。自分のプライバシーを曝かれたというクレームではなく、自分がイメージしていた映り方と、番組サイドの編集に誤差があって、それが許せない、ということでした。でも、ドキュメンタリーを制作していく上で、そのズレはどうしても生じるもの。すごいディレクターだと、そのズレをあえて意識して制作しているフシがみられる。カメラを向けまくることで、ぽろっと漏れてくる本音、それを見るのが、今のドキュメンタリーの楽しみ方のひとつですね」(松江氏)
今旧作や地方局を中心に、光が当てられているのは、テレビという表現が持つ意味を、制作体制や視聴方法も含めて、もう一度、考えてみようという機運なのではないか。
(文=九龍ジョー/「プレミアサイゾー」より)
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みんなで見よう! 伝説の放送禁止作品『南ベトナム海兵大隊戦記』上映会が開催決定

かつて、政府の圧力で放送中止になったとされる伝説のテレビドキュメンタリー『南ベトナム海兵大隊戦記』の上映会が、来たる1月27日(金)に東京大学本郷キャンパスで予定されている。
この作品は『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』などの製作者としても知られる、ドキュメンタリー作家の故・牛山純一氏が1965年に製作したもの。同年2月下旬から2カ月半、当時日本テレビのプロデューサーだった牛山は南ベトナム軍の海兵大隊の作戦を同行取材し、テレビ放映のために三部作にまとめた。
この作品は当時・日本テレビが日曜日の21時30分から東京ガスの一社提供で放映していたドキュメンタリー番組『ノンフィクション劇場』で放映されることになる。この番組は現在でもテレビ史に残る番組で、大島渚が演出し、国籍の違いから補償を受けられない片手片足で両眼を失明した元朝鮮人日本兵を主人公に描く『忘れられた皇軍』や、村でも唯一になってしまった鷹匠の老人に取材した『鷹匠 老人と鷹』(62年カンヌ国際映画祭テレビ映画部門グランプリ)といった作品を残している。
さて、『南ベトナム海兵大隊戦記』の第一部が放映されたのは65年の5月9日のこと。南ベトナム軍の海兵隊員が、射殺した少年の首をカメラの前に放り投げるという、今では絶対に放映できないようなシーンもあった。ただ、当時は日本テレビ内でも「ちょっと残酷だったかな」という意見があった程度で、特に視聴者からの抗議もなかったという。
ところが、11日になって当時の日本テレビ社長・清水与七郎に、官房長官の橋本登美三郎から「茶の間に放映するには残酷過ぎないか」と電話がかかってきた。
これを機に局内では「第二部・三部を放映すべきか否か」をめぐり議論が巻き起こった。局内の意見の大勢は「放映を継続すべき」というものだった。番組審議会も協議尾の末に「残酷な面もあるが、戦争の狂気と悲惨さを訴えるためにはいいだろう」と結論づけた。
ところが、清水社長は、第二部・三部の放映を取りやめ、第一部の再放送も行わないこととなった。
テレビを通じてジャーナリズムを実践することの限界を知らしめたこの事件。この後、牛山は『すばらしい世界旅行』を経て、日本テレビから独立し、映像ライブラリー機関「日本映像カルチャーセンター」を設立。価値を認められずに消えていくだけだったテレビ番組の保存事業に貢献し、97年に死去した。
日本テレビでも、この作品を放送中止に追い込まれた「挫折」は痛みとなって残った。同局は88年8月20日に開局35周年を記念して「テレビ放送三十五年 怒り、悲しみ、そして喜び」と題して報道特別番組を放映したが、その中でひとつの柱になったのが『南ベトナム海兵大隊戦記』のその後を追うものだった。この番組では、『南ベトナム海兵大隊戦記』の主人公として描かれた元南ベトナム軍大尉や、射殺された少年の家族も探し出す熱のこもった取材が行われている。
やはり、この番組が「封印作品」になってしまった経緯で注目したいのは、多くが「放映すべき」という意見だったにもかかわらず、社長が政府からの「圧力」を恐れて放映を中止してしまったことだ。放映を強行した後に、待ち受ける有形無形の「圧力」を恐れたのか?
時は流れて21世紀、もし時の権力から「圧力」を受けた際に、どれだけの人が「それでも放映すべき」あるいは「出版すべき」と、意志を表明できるだろうか。いや、むしろ、今や、権力と対峙したジャーナリズムの姿を想像できない人ばかりかもしれない。単に「放送禁止作品」「封印作品」だとワクワクするのではなく、そこに込められたテレビを通じたジャーナリズムの実践という意志を、ぜひ感じ取りたいものだ。
●TVアーカイブ・プロジェクト
第1回「みんなでテレビを見る会」
テーマ:制作者シリーズ「牛山純一 映像のドラマトゥルギー」
日時:2012年1月27日(金)、18:00-20:30
場所:東京大学本郷キャンパス、工学部2号館9階92B教室
<http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html>
上映:ノンフィクション劇場『南ヴェトナム海兵大隊戦記』(1965年、50分)ほか
ゲスト:濱崎好治さん(川崎市市民ミュージアム)
<http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/event_detail.php?id=1408>
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この作品は『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』などの製作者としても知られる、ドキュメンタリー作家の故・牛山純一氏が1965年に製作したもの。同年2月下旬から2カ月半、当時日本テレビのプロデューサーだった牛山は南ベトナム軍の海兵大隊の作戦を同行取材し、テレビ放映のために三部作にまとめた。
この作品は当時・日本テレビが日曜日の21時30分から東京ガスの一社提供で放映していたドキュメンタリー番組『ノンフィクション劇場』で放映されることになる。この番組は現在でもテレビ史に残る番組で、大島渚が演出し、国籍の違いから補償を受けられない片手片足で両眼を失明した元朝鮮人日本兵を主人公に描く『忘れられた皇軍』や、村でも唯一になってしまった鷹匠の老人に取材した『鷹匠 老人と鷹』(62年カンヌ国際映画祭テレビ映画部門グランプリ)といった作品を残している。
さて、『南ベトナム海兵大隊戦記』の第一部が放映されたのは65年の5月9日のこと。南ベトナム軍の海兵隊員が、射殺した少年の首をカメラの前に放り投げるという、今では絶対に放映できないようなシーンもあった。ただ、当時は日本テレビ内でも「ちょっと残酷だったかな」という意見があった程度で、特に視聴者からの抗議もなかったという。
ところが、11日になって当時の日本テレビ社長・清水与七郎に、官房長官の橋本登美三郎から「茶の間に放映するには残酷過ぎないか」と電話がかかってきた。
これを機に局内では「第二部・三部を放映すべきか否か」をめぐり議論が巻き起こった。局内の意見の大勢は「放映を継続すべき」というものだった。番組審議会も協議尾の末に「残酷な面もあるが、戦争の狂気と悲惨さを訴えるためにはいいだろう」と結論づけた。
ところが、清水社長は、第二部・三部の放映を取りやめ、第一部の再放送も行わないこととなった。
テレビを通じてジャーナリズムを実践することの限界を知らしめたこの事件。この後、牛山は『すばらしい世界旅行』を経て、日本テレビから独立し、映像ライブラリー機関「日本映像カルチャーセンター」を設立。価値を認められずに消えていくだけだったテレビ番組の保存事業に貢献し、97年に死去した。
日本テレビでも、この作品を放送中止に追い込まれた「挫折」は痛みとなって残った。同局は88年8月20日に開局35周年を記念して「テレビ放送三十五年 怒り、悲しみ、そして喜び」と題して報道特別番組を放映したが、その中でひとつの柱になったのが『南ベトナム海兵大隊戦記』のその後を追うものだった。この番組では、『南ベトナム海兵大隊戦記』の主人公として描かれた元南ベトナム軍大尉や、射殺された少年の家族も探し出す熱のこもった取材が行われている。
やはり、この番組が「封印作品」になってしまった経緯で注目したいのは、多くが「放映すべき」という意見だったにもかかわらず、社長が政府からの「圧力」を恐れて放映を中止してしまったことだ。放映を強行した後に、待ち受ける有形無形の「圧力」を恐れたのか?
時は流れて21世紀、もし時の権力から「圧力」を受けた際に、どれだけの人が「それでも放映すべき」あるいは「出版すべき」と、意志を表明できるだろうか。いや、むしろ、今や、権力と対峙したジャーナリズムの姿を想像できない人ばかりかもしれない。単に「放送禁止作品」「封印作品」だとワクワクするのではなく、そこに込められたテレビを通じたジャーナリズムの実践という意志を、ぜひ感じ取りたいものだ。
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第1回「みんなでテレビを見る会」
テーマ:制作者シリーズ「牛山純一 映像のドラマトゥルギー」
日時:2012年1月27日(金)、18:00-20:30
場所:東京大学本郷キャンパス、工学部2号館9階92B教室
<http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html>
上映:ノンフィクション劇場『南ヴェトナム海兵大隊戦記』(1965年、50分)ほか
ゲスト:濱崎好治さん(川崎市市民ミュージアム)
<http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/event_detail.php?id=1408>






