グラビアはどうでもいいけど、物の値段の変化にゾクゾクする!「GORO」1984年9月27日号

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『GORO』1984年8月27日号(小学館)
 本棚を探っていて、「なんでこの号を買ったんだろうか?」と記憶をたどってみて思い出した。戸川純のセクシーショットグラビアが掲載されているからだった。大学生の頃から遅れてきた世代だったことを思い出すと、胸が痛くなるよ……(なお、この号にはデビューしたばかりの故・戸川京子も掲載されておりマス)。    こうした雑誌を書店やヤフオクで買い集めようとすると、ネックになるのはグラビアページである。この号もグラビアの希少性ゆえに、えらい値段がした記憶がある。だが、いまや貴重なのは、グラビアよりもさまざまな広告とモノクロ記事にほかならない。  まずページをめくっていくと飛び込んでくるのは、パイオニアのCDコンポの広告である。時代的に、ミニコンポと呼ばれるジャンルが流行し始めた頃だが、パイオニアが売り出していたのが。ここに掲載されている「プライベート」シリーズであった。当時のミニコンポは、CDプレイヤー、ダブルカセットデッキ、チューナー、レコードプレイヤーなど、必要なものを予算と相談して購入する構成である。組み合わせの参考例として掲載されているのはアンプとプログラムチューナー、ダブルカセットデッキ、スピーカーシステムの組み合わせ。これでしめて22万9800円である。高い! 高いのだけれど、これだとCDデッキが付属していない。なので、その値段はというと、8万9000円である。さらに、当時誰もが大量に持っていたであろうレコードも再生できるようにしようとすれば、プラスで3万8000円となる。
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今見ると、一周回ってデザインがカッコイイ!
この後、90年代は金色の製品が流行したの覚えている人はいるかな?
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 CDデッキだけで、パソコンがモニタ付属で購入できる値段である。というか、フルセットと同じカネを出せば、アップルストアでMacBook Airをフルカスタマイズで購入して、iPhoneとかiPadまで買ってもお釣りがくるではないか。物って安くなったんだな……と感じるよりほかない。  何より注目したいのは、この広告ページの文章である。引用してみよう。 1肩をよせながら、コンパクトディスクプレーヤーを 2手をにぎりながら、ダブルカセットデッキを 3好きだとささやきながら、プログラムチューナーを 4抱きしめながら、フルオートプレーヤーを 5キスしながら、プリメインアンプのボリウムを ……手元の集中ワイヤレスリモコンでできるというのが、ウリなのである。ここで気づかされるのは、まず音楽はカップルで聞くものという概念である。最近、大学生とかに話を聞いてみると、まず家にCDコンポがないのは当たり前。CDはパソコンで再生するもの、音楽はパソコンか携帯プレイヤーで聞くものになっている。“女のコを部屋まで連れ込めたら、まずは音楽スタート!”が、すでに過去のセオリーになってしまっているのだ。最近の若いカップルって、部屋に連れ込めたら、何から始めるのがセオリーなんだろうか……。
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やっぱり、女子大=ナンパスポットという感覚こそが80年代の象徴だ。
 「隔世の感」を感じる機械は、ページをめくるたびにある。バブル崩壊まで、男のステータスのひとつは車だったわけだが、物欲と性欲に満ちた雑誌だけあって、そのあたりの情報もちゃんと押さえている(やたらと、車の広告も満載だ)。  モノクロのトップ記事は「スクープNEWソアラ3.0GTエクスタシー・フォルムが見えてきた」というタイトルなのだが、リードの部分を引用してみよう。 <トヨタ3 M頂上作戦>がついに公然化した。それは『トヨタ・ツインカム神話/新世紀編』と題すべき、壮大な叙事詩のプロローグ。  3Mツインカム6=6M-GEU型のデビューに大げさに驚いているのではない。むしろ逆だ。6M型が“ツインカム6”であって、“ツインカム24”ではなかったこと。ソアラより先にクラウンに展開された事実に当惑したほどだ。
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若者の車離れ……って言われるけれど、この時代のほうが
異常じゃないかと納得するページ。
……車の知識がない筆者には、何が書いてあるのかさっぱりわからない。車に詳しい人ならば「ああ、なるほど」という記述なのかもしれないけれど、これは専門誌じゃないのに。これだけで、車が若者の共通言語だったのだなと一目瞭然だ。この記事は「なぜ6M搭載1号車がソアラでなくなったか」といった解説が続くのだけれど、やっぱり何が書いてあるのか、よくわからん。もはや、一種の古文書になっているといっても過言ではない。  さらにページをめくるたびに趣味趣向の変化を、いくらでもうかがい知ることができる。この号には「総力追求/GIANTS再建プラン」という記事も掲載されているが、プロ野球巨人軍の凋落を検証する記事なんて、今ではあまり訴求力がないのではなかろうか。
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とりあえず、かわいいモデルを配置しておきゃあいい感覚がうらやましい。
 さらに「隔世の感」を感じさせるのは「電話はボクらのいちばん身近なアクティブメディア」と題された記事である。携帯電話がまったく普及していない時代なので、当然紹介されるのはちょっとオシャレな家庭用電話機なのだが、その中で最先端の商品として紹介されているのがパソコン用のヘッドセット。価格は1万円也。おまけに、音響カプラ不要でデーター通信できる機能を備えた電話機が3万円……やはり、物って安くなったんだなあと、しみじみ。
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今と書いていることが、そんなに変わらない。
ただ、この後のバブル期はアウトドアは敬遠されます
 時代と共に、趣味趣向というものはまったく変化してしまうもの。かと思いきや、ページをめくっているうちに、そうじゃないものもあることを知れる。それは、小学館が現在も発行しているアウトドア雑誌「BE-PAL」の自社広告である。「BE-PAL」の創刊は1981年だが、この広告を見る限り、現在と扱っている内容がそうそう変わっていないように思える。アウトドアで訴求力のある内容は、常にウェアや道具、そして「どこに出かけて、何を楽しむか」という問題。「GORO」のような、若者が知りたい情報がすべて網羅されている軟派な雑誌が姿を消す一方で、アウトドア雑誌が30年近くも続くことになるなんて、いったい誰が予測できただろうか。 (文=昼間 たかし 文中敬称略) ■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第10回】ロリコンはやっぱり永遠にロリコンだった……のか?『改訂版 ロリコン大全集』 【第9回】ホントに一生恨んでいるのか? 『吾妻ひでおに花束を』 【第8回】あっと驚くパロディ満載!「パロディ・マンガ大全集」 【第7回】“落としやすい”女のコがいる大学は……?「平凡パンチ」1980年6月9日号 【第6回】物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

ロリコンはやっぱり永遠にロリコンだった……のか?『改訂版 ロリコン大全集』

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『改訂版 ロリコン大全集』群雄社出版、
1983年(時勢を鑑み、編集部で修正を
入れております)
 どれだけ目を背けても、日本のオタク文化は、ロリコン(実写含む)とは切り離すことができない。オタク文化の愛好者が、近年問題になっている「児童ポルノ」と称される虐待の結果としての生産物を楽しんでいると主張したいわけではない。オタク文化が、その源流において少女愛と同居していたことだけは、紛れもない事実である。今回紹介するのは、その時代性を象徴する貴重な資料である。  多数の少女ヌードが掲載されている本書だが、そこは興味ないし、掲載したら「日刊サイゾー」もろとも通報されかねない(念のため、表紙も修正済み)。それに、単なる子どものハダカに、今のところは資料的価値を見いだせない。それよりも大切なのは、ページをめくった先にある作品群である。  少女ヌードのページが一段落した後に始まるのは、吾妻ひでおによる漫画『仁義なき黒い太陽 ロリコン篇』だ。この短編は、当時のロリコン界隈の人脈をネタにした不条理漫画である。「フリーロリコン もとFP組 緒方」が路上でロリコン本を売っているシーンから始まる物語は、「ロリコン界ではすでに神格化した存在である蛭児神建は人気美少女画家・内山亜紀と手を組み、関東統一を目指していち早くコマを進めていた」となり、「早坂えむ」に「岡田としお」「破李拳竜」とか、名前の一部を換えているのと換えていないのと、ごっちゃになりながら何もまとまらずに「第一部完」となる。まさに、本書のカオスさを象徴する作品だ。
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この連載、吾妻ひでおを取り上げることが多いけど。かつては巨人だったんだなあ……。
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無駄な知識しか手に入らない用語集だけど面白いです。
 「とにかく“大全集”の看板に偽りなく、ロリコンに関するものは全部詰め込みました」と各々のページが主張し、とくに実生活では役立たない無駄な知識を、懇切丁寧に教えてくれる。「ロリコン用語の基礎知識」なんかは、まさにそう。「スクール水着」の項目では「新宿区立富久小学校のスクール水着は黄色だそうだ。おまけに赤と黄色のダンダラの帽子をかぶるんだそうで、こういうのは許せないような気がする」と書き手が主張を始め、「破瓜」の項目では「少女凌辱の儀式」と、ゆがんだ性癖を露わにしてくるではないか……。いや、こんなこと書いているヤツが、発行から30年近くたっているのにまだ逮捕されたとは聞かないから、よほどヤバイ性癖の持ち主でもやっぱり現実世界では一線引いているんじゃないかと納得してしまう。
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川本と高桑常寿による写真も……って写真のページは公開できませんョ!
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結局のところ、オタク文化を語る時に二次創作のエロパロは切り離せないと納得だよ。
 そのことをさらに納得させてくれるのは、後半に収録の「幼女嗜好 特別出張版」だ。「幼女嗜好」は当時、コミケなどで頒布されて話題だったトンデモないロリコン同人誌だ。ここで収録されているのは「プティ・アンジェ無惨」。当時、ロリコンに人気だったアニメ『女王陛下のプティ・アンジェ』のヒロインが、好き放題輪姦される内容である。こんなカオスな本に寄稿している執筆者には、さべあのま、米澤嘉博、杉浦日向子、このま和歩、高取英らの名が並ぶ。本書に象徴されるような80年代の「なんでもアリ」が、その後のサブカルチャーを多様化させてきたことは、明らかであろう。 ■そして、ロリコンは永遠に……    本書は「改訂版」の文字が入っているように、底本になっているのは1982年に都市と生活社から発行された蛭児神建が編集したものである。対して、群雄社出版の発行になっている本書は、編集発行人が川本耕次に代わっている。川本は、近著に昨年発行された『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)がある、伝説的なエロ本の編集者だ。けれど、近年では、毒づき方が特徴の人気サイト「ネットゲリラ」の中の人と説明したほうがわかりやすいだろう。かつてはエロ本の名編集者として知られて、昭和史に名を刻んだ川本だが、現在は静岡県で企業人として活躍中だ。筆者も、名刺交換した時に「なんかの社長っぽい人だな」と思ったら、ホントに社長だった。エロ本畑を歩いた挙げ句に、これほど華麗に異業種に転身できた人は寡聞にして聞かない。80年代の人士も、そろそろ「死人列伝」の様相を呈してきている。一度、この世界に足を踏み入れて、まともな死に方をできた人は少ない。そこを出発点に「坂の上の雲」やらを追いかけることができたのは、高取英とか、限られた人物くらいだろう。塩山芳明の『出版奈落の断末魔―エロ漫画の黄金時代』(アストラ)は、そうした悲惨な人々の人生の貴重な記録である(塩山もエロ漫画編集の仕事だけで、娘を大学まで行かせたから、現代では勝ち組)。
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『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書、2011年
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『出版奈落の断末魔―エロ漫画の黄金時代』アストラ、2009年
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『おたくの本』宝島社、1989年
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『出家日記―ある「おたく」の生涯』角川書店、2005年
 それにしても、この世界は業が深い。伝説のロリコンと称された蛭児神建が、ブームの最中に雑誌「プチ・パンドラ」(一水社)の編集長を引き受けて、病んで業界を去った顛末は、1989年に出版された別冊宝島のベストセラー『おたくの本』(宝島社)や蛭児神建(元)名義で執筆された『出家日記―ある「おたく」の生涯』(角川書店)に詳しい。それらに記されているように、現在も僧侶を生業としている蛭児神だが、いまだにロリコンを過去のものとはできていない。6月に同人誌即売会MGMで彼に会ったとき「久しぶりに、こんなものを作ってみました」と茶封筒に入れたコピー同人誌をこっそりと手渡された。中に入っていた同人誌のタイトルは『幼女嗜好 FINAL』。10部だけ作ってきたというその同人誌は、扱われているヒロインが現代化しているが、描かれる嗜好は過去のものと変わらない(本人も、茶封筒に包んでこっそり配布していたから、画像はナシで。欲しい人は、どっかの同人即売会で本人を見つけるのがよいかと)。僧侶となってもなお消えない煩悩。もはや、それは賞賛する以外、どうともできない。  いくら業界から足を洗っても、この世界の業の深さからは逃れることはできないらしい。 (文=昼間 たかし 文中敬称略) ■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第9回】ホントに一生恨んでいるのか? 『吾妻ひでおに花束を』 【第8回】あっと驚くパロディ満載!「パロディ・マンガ大全集」 【第7回】“落としやすい”女のコがいる大学は……?「平凡パンチ」1980年6月9日号 【第6回】物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

ホントに一生恨んでいるのか? 『吾妻ひでおに花束を』

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大日本吾妻漫画振興会 阿島俊編
『必殺吾妻読本 吾妻ひでおに花束を』
虎馬書房、1979年12月
 本書を語るためには、まず発見に至る過程を記さずにはいられない。時に1999年のこと、当時筆者はいろいろあって三重県は四日市市の郊外の辺鄙なあばら屋で暮らしていた。最寄り駅は近鉄線の富田駅。急行停車駅ではあるものの、ロードサイド店舗に押されてか、駅周辺の商店はどこもうらぶれた雰囲気でむせかえるようだった。そんな駅前の空き店舗に、ある日なんの前触れもなく小さな古書店が店を開いた。本当に小さい店舗で、書棚は左右の壁と中央に裏表の四面だけ。おまけに書棚の前に人が立つと、「ちょっと失礼」と通り抜けるのも困難な店舗である。ああ、きっと中はエッチな本ばかりに違いないと、入ってみて驚いた。店主の座るカウンターの傍の書棚には、吾妻ひでおの単行本がびっしりと詰まっている。ほかにも、当時、評価されるようになっていた、笠間しろうをはじめとする官能劇画系の単行本もびっしり。おまけに、ほとんどが初版である。しかも、値段は「それなりによいお値段」。「ウチにあるのを、ちょっとずつ持ってきてるんだよね~」と語る店主は、かなりのマニアであることを匂わせていた。  当時は、まだ収集方針を明確にしていなかった筆者だが「古いもの(要は90年代以前のオタク関連文献)は、買えるだけ買う」ことをテーゼにしていた。とりあえず、財布の続く限り買いまくっていたのだが、自分が買っていないうちに消えていく本がある。東京ならいざ知らず、ここは三重県の片田舎(失礼! 名古屋まで1時間かからない郊外です)である。そんな土地に、どんなマニアがいるというのか? と思っていたら、ある日、店主は、こう話した。 「さっきも、東京から来たマニアの人が、ごっそりと買っていっちゃったよ」  ……まだ、インターネットはダイヤルアップ回線すらもロクに普及していない時代。それでも、マニアは三重県の片田舎(失礼!)の古書店を見つけ出していたのだ。いったい、どのような情報の流れがあったのか? それはいまだにわからない。  前置きが長くなってしまったが、そこで手に入れた本書、大日本吾妻漫画振興会・阿島俊編『吾妻ひでおに花束を』(虎馬書房)は、1984年に同人誌として出版された、漫画家・吾妻ひでおのファンブック……もとい「必殺吾妻読本」である。ご存じの通り、阿島俊は、コミックマーケットの代表を長らく務めた漫画評論家・米澤嘉博のことである。本来は、帯もあったようだが筆者が所有するものは帯なしである。阿島俊編集という時点で内容が濃いのは自明の理であるが、とにもかくにも濃厚だ。
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あの吾妻先生の自伝ストーリーも読める。かなりの苦労人だったのを再確認する。
(クリックすると画像を拡大します)
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手書き文字は、80年代でほとんど消滅してしまった独特のオタク文字なのだ。
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この絵からあの青少年の心をわしづかみにする美少女へ変化。
すでに片鱗は見える。
 「必殺吾妻読本」の名に恥じず、巻頭は吾妻へのインタビューからスタート。就職して上京し最初は凸版印刷で、カルピスの段ボールを組み立てる仕事をしていたという吾妻。「そこはひと月くらいでやめてしまって、もう、行くあてもなく。だいたい友達の所で居候していたんで。仲間がアシスタントをやっていたんで、そこへたかり歩いて。えーちょっと一人だと耐えられない」と人生を語る吾妻は、個別の作品の話に入るとヒートアップしていく。『セールス・ウーマン』について問われれば「あれも担当、編集の意見が入っています。マガジンは編集が凄かったです。だいぶ、いじめられましたけど」と語り、『ふたりと5人』について触れられれば「あの頃から編集にいじめられだしたんですね」と語り、「編集はマニアが嫌いだからね、そーゆーの描くと、もう、すぐ切られる」とぶっちゃける。このインタビューで吾妻は山上たつひこ、鴨川つばめらに「蹴落とされ」て『週刊少年チャンピオン』の仕事がなくなったことを「一生恨んでやる」という。ネタかと思いきや、2009年にコアマガジンから出版された『誰も知らない人気アニメ&マンガの謎』で描き下ろされた「夢見る宝石 漫画家ドナドナ物語」では 「うちは山●さんと鴨●君で売れてるから吾妻さんはもういいやごくろうさん」といわれ 「この時編集長だった●●●●さんの絞り滓を見るような冷たい目今でも忘れません●●●●殺す! 注●●●●さんは亡くなりました」 と、恨みが本気だったことをうかがわせている(この編集長は、『ブラック・ジャック創作秘話』にも登場する壁村耐三である)。  それはともかく、本書が濃い情報に満ちているのは間違いない。吾妻のプロフィールを記した欄は、なんと本人の住所まで掲載だ。もっとも、当時は主な通信手段が電話と手紙だった時代。本書の奥付には当時の米澤宅の住所が記載されているし、ファンクラブの連絡先なども住所を掲載。このあたり、時代の流れを感じずにはいられない。
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現在から振り返ると当時の漫画評論のタイトルのつけかたも、
かなり独特である。
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DTPだと画一的になってしまうページ構成も手書きだとこんな感じに。
ぜひ、現代の人々にも学んでほしい部分だ。
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ここばかりは、壁村編集長も死んでしまったのですべて歴史の闇だね
(『誰も知らない人気アニメマンガの謎』コアマガジン、2010年11月より)。
 さて、本書には飯田耕一郎の「ギャグに色彩られたSF」をはじめ、評論も充実しているが、まず、注目したいのは再録された吾妻のデビュー作「リングサイドクレージー」だ(初出は秋田書店刊『まんが王』1969年10月号)。我々がよく知っている吾妻の絵柄とは、まったく違う。ここから、一時代を築いた美少女絵まで、どのような労苦があったのか、少しはうかがい知れるのではなかろうか。  本書は、同人誌としてはかなりの部数が出たようだ。筆者が所有しているのは第三版だが、後書きでは「限定五百で出した初版に対する反響にこたえて」と記している。おそらく反響があったのは、評論の「濃さ」も含んでのことだろう。「不条理解析」と題された評論は「不条理日記」で扱っているパロディの元ネタである、バラードやオールディズの作品群を挙げながら分析を行っている。「吾妻ひでお三流劇画家と酒を飲む」と題されたコラムでは「板坂剛VS流山児祥という状況が生まれる以前のことではあったが~」といった一文が。ここで笑うには、かなり当時の文化事象に関わる知識が要求されるハズだ。 そういった意味で、本書は現在では当時のオタクにとって必要だった知識が、どんなものだったかを知る手がかりにもなっているといえるだろう。  一般には、かなり入手難な本だと思うのだが、明治大学の米澤嘉博記念図書館には、なぜか4冊も所蔵されている。ネット以前の時代には、見つけたことすら奇跡だったのに、なんということだろう。「オタクの歴史」のようなものを語りたいなら、とりあえず読んでおくべき一冊である。 (文=昼間 たかし 文中敬称略) ■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第8回】あっと驚くパロディ満載!「パロディ・マンガ大全集」 【第7回】“落としやすい”女のコがいる大学は……?「平凡パンチ」1980年6月9日号 【第6回】物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

あっと驚くパロディ満載!「パロディ・マンガ大全集」

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「マンガ奇想天外臨時増刊号
パロディ・マンガ大全集」
(奇想天外社、1981年)
 「二次創作」という言葉の下で、パロディは主に同人誌の分野で盛んに行われている。二次創作の同人誌がどれだけ存在するかは、ある意味、原点となる作品の人気の指標としての側面も持っている。  さて、今回紹介するのは、まだ「二次創作」なんて言葉もなかった時代の、パロディ漫画をまとめた一冊である。発行元の奇想天外社は三度にわたって出版元を変えながら続いたSF専門誌「奇想天外」の第二期の出版元である。この雑誌は、曽根忠穂を編集長に1974年に盛光社から創刊するも10号で休刊。76年、奇想天外社が設立され曽根が引き続き編集長に就任するも81年に奇想天外社が倒産すると共に、77号目で休刊。曽根は、今度は大陸書房に入社し、87年から隔月刊で「小説奇想天外」として復活を果たすも、12号目となる90年春号で休刊した。実質三期にわけられる「奇想天外」だが、もっとも熱かったのが奇想天外社発行の第二期の時代だ。小説面では、とくに新人育成に力を入れ、夢枕獏、新井素子、谷甲州といった作家をデビューさせている。それと同時に力を注いだのが、SFマンガである。
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吾妻ひでお全盛期のパロディイラスト。やはり天才だと再確認。
 同社は、78年に「別冊奇想天外」第5号として「SFマンガ大全集」を発行。以降、12月の第8号、79年8月の8号、80年1月の第9号を発行する。そして、80年4月から、季刊ペースで「マンガ奇想天外」が独立創刊に至ったのである。同誌にも寄稿していた大友克洋の初単行本『ショートピース』が奇想天外社から発行されたことから見ても、(会社が倒産するくらいだから、売れ行きはともかくとして)同誌の漫画を見る目は確かであり、熱を入れた創刊だったことは間違いない。  さて、「マンガ奇想天外」の臨時増刊号となる、この「パロディ・マンガ大全集」だが、表紙に<あっと驚くパロディ満載!!>と銘打っている看板に偽りはない。本誌のすごさを説明するとしたら、あの日野日出志の『銅羅衛門』の初出誌だといえばわかるだろうか?    まず目を見張るのが、執筆している漫画家の豪華さである。赤塚不二夫、夏目房之介、吾妻ひでお、いしかわじゅん、新田たつお、つか絵夢子、泉昌之……と、今これだけの作家を揃えようとしたら、かな~り苦労するハズだ。
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もはや、元ネタを知らないとまったく笑えないレベル。
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手塚治虫ガールといえば、やっぱり和登さんだよね。
 さて、ページをめくると最初に掲載されているのが、飯田耕一郎の『Dr.ゼッコォチョー』。早い話が、『Dr.スランプ アラレちゃん』をいしいひさいちが描いたらこうなる、という二重のパロディである。そもそも主人公が、いしいひさいちの描くナカハタそのままである。その内容は「あまり関係ないけど元阪神のエモトは乞食だった」とか、いしい作品を読んでいないとまったく意味がわからない展開の末に、なぜか唐突に諸星大二郎の『孔子暗黒伝』のパロディに突入する、文字通り奇想天外な展開。笑うためには、読者にかなりの知識を要求する、希有な作品である。  スノウチサトル(ほとんどの作品が単行本になっていない奇才。消息を知っている人、教えて)の『LAST WORLD』は、見ての通り手塚治虫『ロストワールド』のパロディ。手塚ヒロインを効果的に使っているあたり、田中圭一に通じるものがあるのだが、本人は駄作だと思っているのか、欄外に「パロディをやろうと思ってたのに本気になってしまった……ゴメンして下さい」と書き込みが。
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伝説の日野日出志のドラえもんパロディ。
もっと世間に評価されてよいレベルではないか。
 赤塚不二夫の描く『銀座鉄道999.999号』は、登場人物が「国鉄では銀河鉄道999号の企画でちびっ子ファンの四万枚のキップの申込みがあったそうだが、原作者の漫画家松本零士を国鉄総裁にして一年中走らせりゃあ赤字も解消されるんだ」「新幹線のビュッフェの食い物のまずさったらありゃしないぞ! あれなら吉野家の牛丼をビュッフェに置いた方がよっぽどいいわい」と、なぜかパロディの名を借りた体制批判が。やはり、大人向けの赤塚作品の容赦なさは、今読んでも新しい!  さらに、本誌は文章面も充実している。あにめじゅんとしもつき・たかなかの共同による『なるほどざあにめ評 SF編』はアニメ作品評の形を取ったネタページだ。作品をものすごく曲解、いや深読みした形でレビューしているのである。鉄腕アトムには「ヒロイン・ロボットたちの妖しいまでのなまめかしさからもわかるように、メカニズムの冷たい輝きを超えて、ロボットたちには過剰なまでの愛情が寄せられている」と記す。サイボーグ009には「世界に黒い幽霊の存在を広く知らせようともせず、正義の戦いを私物化する彼ら」と「それをいっちゃおしまいだよ」な指摘を。一方でマジンガーZには、ロボット同士が格闘するのに「核ミサイルなどの大量殺傷兵器はついぞ用いられたことがない」として「非人間的な核兵器への反対をその巨体に秘めて、マジンガーは戦い続ける」と絶賛。さらに、宇宙海賊キャプテンハーロックを「それぞれ一対の道具を思わせるようなマゾーン艦とアルカディア号とて相まみえるのだから、何がこの作品のメタファーとシンボルであるかはもう明らかであろう」とまで看破(?)するのだ。
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今では封印作品になってしまっている泉昌之の
ウルトラマンパロディも堂々掲載だ。
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赤塚不二夫がかくエロシーンってかなり独特の色気があるよね。
 別のページでは宇能鴻一郎風に書いた『ガンダムなんです』なんてページが。「機械いじりの好きなぼく、サイド7にいたんです。そしたら、攻めてきたんです。ジオン軍が」と、宇能独特の文体を知らないと何も面白くないパロディまでもが掲載されている。一冊丸ごと、かなりハイレベルなパロディといって異論はない。    いまや、同人誌の存在によって「パロディ」と呼ばれる作品はごく当たり前に存在するものとなっている。もちろん、そうした作品にも価値がある。それでも「パロディ」の黎明期の作品群のほうに魅力を感じてしまう筆者は、単なる懐古厨なんだろうか? (文=昼間 たかし 文中敬称略) ■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第7回】“落としやすい”女のコがいる大学は……?「平凡パンチ」1980年6月9日号 【第6回】物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

“落としやすい”女のコがいる大学は……?「平凡パンチ」1980年6月9日号

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「平凡パンチ」1980年6月9日号
 山ガールという言葉が流行したころから、本気の山でも女性の姿が増えてきた。「いわゆるあの娘はお嬢さま 俺はしがない山がらす~」とか自嘲しながら、ヒィヒィと岩にしがみついていた時代とは、隔世の感がある。とはいえ、バブル期の「スキー場は3倍」の法則は、山でも通じるものがある(ほら、空気も薄いしね)。昨年、登山雑誌「岳人」の夏山増刊で、剱岳で出会った女性登山者を見開きで紹介していたけど、写真がすべて引き絵だったのは、なんとなく納得……。  で、先頃、知人の軟派な編集者から「山ガールも当たり前だし、女のコを誘って山に行きましょうよ」と誘われた。筆者も昨年、いよいよゴロー(巣鴨にある、植村直己も愛用した登山靴の名店)のS-8を手に入れた身。「いいね、日帰りなら塔ノ岳か蛭ヶ岳あたりで……」と返答したら、怒られた。 「そんなハードコアな話してるんじゃないですよ! 高尾山とかですよ! ハイキングですよ!」  ……残念ながら、埋めがたい意識のズレがあったようだ。しかし、近年になって男女のグループが出会い目的でハイキングに出かける、いわゆる合ハイ(合同ハイキング)は、日常的なものとなっているようだ。2010年には、文部科学省が「スポーツ立国戦略」策定の中で、独身男女による「合同ハイキング」で若者のスポーツ参加率を促すという案を提示している。新聞や雑誌記事を検索すると、ここ5年あまりの間に、スポーツや各種の野外活動で汗を流しながら、出会いも探すという行動パターンは徐々に浸透しているようだ。    さて、その合ハイだが、バブル期には合コンに取って代わられ、まったく廃れた文化だった。何かと合コンをネタにしてきた、ホイチョイプロダクションズの漫画『気まぐれコンセプト』でも、合ハイをネタにした作品を見ることができる。「流行っている」と聞いたら「とりあえず、体験してみるか」の前に、まず系譜を探りたくなる。早速、大宅壮一文庫で合ハイに関する記事を探していたら、見つけてしまった! また下世話な記事を。 ■親睦を深めるには、代々木公園で鬼ごっこ
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まだ誰も「個人情報が~」なんて頭のカタイことをいわない、
よい時代だった。
 というわけで、今回紹介するのが「平凡パンチ」1980年6月9日号の巻頭記事「東京全大学合ハイ新相関地図」である(そもそも、表紙にならぶ記事のタイトルが下世話過ぎて、絶対に読みたくなる。「女のハンドバッグ徹底ご開帳」なんて、もはや文化史の重要な資料だよ)。
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合ハイが合コンへと転換していく時代の貴重な
資料といえる記事だ。
 合コン以前の、重要な出会いの場だった合ハイ。この記事では、まず慶応大学の「ソビエト研究会」と大妻女子短大国文科との合ハイに密着する。彼らの集合場所は、土曜日午後4時、原宿駅。この時点で「え、ハイキングじゃないのか?」と思うのだが、行き先は代々木公園である。自己紹介の後いったい何をするのか? 記事はこのように綴る。
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相関図を見ると、大学同士の関係性は今も変わらない感じが。
「広い代々木公園の一角で彼らはおそろしく古典的な遊びの数々を繰り広げた。“草の上の昼食”ならぬ、草の上のハンカチ落とし、草の上の鬼ゴッコ……」  すでに何事かわからない。この記事を執筆した当人も「ちょっとおかしいヨ!」と思ったのか 「“ハイキング”というにはあまりにも近場で、一昔、二昔前の文字どおりの合ハイとはエライ変わりようだ」
004panchi.jpg
コネタも時代を象徴するにおいで溢れている。
 と記す。しかも、文字通りのハイキングは約1時間だけ。「“前戯”の功あって、すでにかなりの打ちとけよう」な男女は公園通りを抜けて「道玄坂のライブハウス『ヘッド・パワー』へ吸い込まれていった」のである。要は、ハイキングは口実で、そのまま飲み会に突入するわけである。なるほど、まだチェーン居酒屋が一般的でない時代(チェーン居酒屋の普及は80年代中盤以降)、ライブハウスで飲み会という手があったのか!
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この時期の連載漫画は、みなもと太郎先生。
007panchi.jpg
散々、恋愛を煽った挙げ句にこんな広告が。ステマか?
 記事は、宴会は2時間にわたって続き、成立した2~3組のカップルが向かったのは、宮下公園である。そこでは「サテンに行こうよ」「帰り送らせて」といった駆け引きが続いたことを記す。  なるほど、合ハイを口実にすれば、いきなり飲み会から始まる合コンスタイルよりも男女が互いに値踏みしたり、目当ての相手と駆け引きする時間も多いじゃないか! と納得。でも「ハズレ」だった時に帰りたくても帰れない時間が続くのは痛い!
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とにかく出会い系の広告がいっぱいである。
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いくらなんでも、異色すぎる対談。
   こうして、読者に「俺も合ハイしたいなあ」という気分を煽る記事は、首都圏の各大学が「地理的、歴史的、偏差値的に」近しい他の大学と相関関係をつくっていることを解説していく。要は、東大とお茶の水女子大、慶大とフェリス女子大、早大と日本女子大、一橋大と津田塾大のように地理的、歴史的、さらには「オツムの程度が似たりよったり」な大学同士だと、合ハイが成立しやすいことを解説していく。さらには、相関図を記し、大学ごとに関係性の強さ、相思相愛型か、片想い型か、さらには合ハイを申し込む場合に、ポスターを張ることができるか、否かまでを図で解説するのだ。
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果たして、このビジネスで儲かった人っているんだろうか?
 そこで、明らかになるのは人気トップ3は、東大、早大、慶大という構図。ううむ、現在とまったく変わらないような。さらに、青山学院大、上智大、立教大などの女子は「自校の野郎には目もくれず、にっくき他大学に秋波を送ってやまないのだ」と解説する。さらに、合ハイでもっとも不人気だと指摘されているのが中央大だ。「地理的条件の不利はあるものの、津田塾、共立、白百合、明星、昭和と、片っ端から声をかけてはみても、色よい返事はまるで頂戴できずにいるのだ」というから悲惨。記事では、その反動として内部でカップルが成立して「週末同棲」が急増していることまで指摘している。いや、なによりも、この取材力がスゴイ! ■落ちやすい女子大は、文化女子大と女子美大  ううむ、結局は受験戦争に勝ち残って東大、早大、慶大に通ってなければ、出会いの敗者とならざるを得ないのか。多くの読者が絶望したのは想像に難くない……。と思ったら、記事はそうした相関関係から外れた大学の諸君にも、救いの手を差し伸べてくれる。それは「穴場的女子大」を狙う方法だ。まず挙げられているのが、国立音大、桐朋、武蔵野音大だ。「こういう音楽系の大学は他大と意外につき合いが少ないし、普通の女子大とは一味違った雰囲気を持って」いるんだとか。さらに「ズバリ“落ちやすい”大学」として指摘されるのが、文化女子大と女子美大。加えて、昭和女子大を「寮の門限がキチンとあり、当局の取締りが厳しいゆえに、これから開発の余地がある」と『早稲田乞食』(早稲田大の伝統的ミニコミ誌。まだ、ある)の推薦する女子大として、紹介している。さらに『慶応塾生新聞』(これも、まだ続いている)のコメントとして「上智、青学、立教の女子は学年が進むにつれて、自校の男のコのアラが見えはじめる」ので、高学年に的を絞れば、容易に合ハイを組めることを指南するのだ。
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これ読んで、注文してから後悔した若者もいるんだろうな……。
 最近「町コン」をはじめ、男女の出会いが再び、アナログな手法へと回帰している。ネットは手軽な出会いのツールなのだが、やはり安心感が違うのか。それにしても、この記事が書かれた80年は現代と比べて、遙かに肉食的だ。アポなしで訪問することが非常識扱いされたり、意中の人に何度も猛アタックすることがストーカー呼ばわりされるようになったのは、いつ頃からなのか。やはり、携帯電話の普及で様相はがらりと変化したのか? まだまだ調査する必要がありそうだ。 (文=昼間 たかし) ■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第6回】物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

“落としやすい”女のコがいる大学は……?「平凡パンチ」1980年6月9日号

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「平凡パンチ」1980年6月9日号
 山ガールという言葉が流行したころから、本気の山でも女性の姿が増えてきた。「いわゆるあの娘はお嬢さま 俺はしがない山がらす~」とか自嘲しながら、ヒィヒィと岩にしがみついていた時代とは、隔世の感がある。とはいえ、バブル期の「スキー場は3倍」の法則は、山でも通じるものがある(ほら、空気も薄いしね)。昨年、登山雑誌「岳人」の夏山増刊で、剱岳で出会った女性登山者を見開きで紹介していたけど、写真がすべて引き絵だったのは、なんとなく納得……。  で、先頃、知人の軟派な編集者から「山ガールも当たり前だし、女のコを誘って山に行きましょうよ」と誘われた。筆者も昨年、いよいよゴロー(巣鴨にある、植村直己も愛用した登山靴の名店)のS-8を手に入れた身。「いいね、日帰りなら塔ノ岳か蛭ヶ岳あたりで……」と返答したら、怒られた。 「そんなハードコアな話してるんじゃないですよ! 高尾山とかですよ! ハイキングですよ!」  ……残念ながら、埋めがたい意識のズレがあったようだ。しかし、近年になって男女のグループが出会い目的でハイキングに出かける、いわゆる合ハイ(合同ハイキング)は、日常的なものとなっているようだ。2010年には、文部科学省が「スポーツ立国戦略」策定の中で、独身男女による「合同ハイキング」で若者のスポーツ参加率を促すという案を提示している。新聞や雑誌記事を検索すると、ここ5年あまりの間に、スポーツや各種の野外活動で汗を流しながら、出会いも探すという行動パターンは徐々に浸透しているようだ。    さて、その合ハイだが、バブル期には合コンに取って代わられ、まったく廃れた文化だった。何かと合コンをネタにしてきた、ホイチョイプロダクションズの漫画『気まぐれコンセプト』でも、合ハイをネタにした作品を見ることができる。「流行っている」と聞いたら「とりあえず、体験してみるか」の前に、まず系譜を探りたくなる。早速、大宅壮一文庫で合ハイに関する記事を探していたら、見つけてしまった! また下世話な記事を。 ■親睦を深めるには、代々木公園で鬼ごっこ
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まだ誰も「個人情報が~」なんて頭のカタイことをいわない、
よい時代だった。
 というわけで、今回紹介するのが「平凡パンチ」1980年6月9日号の巻頭記事「東京全大学合ハイ新相関地図」である(そもそも、表紙にならぶ記事のタイトルが下世話過ぎて、絶対に読みたくなる。「女のハンドバッグ徹底ご開帳」なんて、もはや文化史の重要な資料だよ)。
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合ハイが合コンへと転換していく時代の貴重な
資料といえる記事だ。
 合コン以前の、重要な出会いの場だった合ハイ。この記事では、まず慶応大学の「ソビエト研究会」と大妻女子短大国文科との合ハイに密着する。彼らの集合場所は、土曜日午後4時、原宿駅。この時点で「え、ハイキングじゃないのか?」と思うのだが、行き先は代々木公園である。自己紹介の後いったい何をするのか? 記事はこのように綴る。
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相関図を見ると、大学同士の関係性は今も変わらない感じが。
「広い代々木公園の一角で彼らはおそろしく古典的な遊びの数々を繰り広げた。“草の上の昼食”ならぬ、草の上のハンカチ落とし、草の上の鬼ゴッコ……」  すでに何事かわからない。この記事を執筆した当人も「ちょっとおかしいヨ!」と思ったのか 「“ハイキング”というにはあまりにも近場で、一昔、二昔前の文字どおりの合ハイとはエライ変わりようだ」
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コネタも時代を象徴するにおいで溢れている。
 と記す。しかも、文字通りのハイキングは約1時間だけ。「“前戯”の功あって、すでにかなりの打ちとけよう」な男女は公園通りを抜けて「道玄坂のライブハウス『ヘッド・パワー』へ吸い込まれていった」のである。要は、ハイキングは口実で、そのまま飲み会に突入するわけである。なるほど、まだチェーン居酒屋が一般的でない時代(チェーン居酒屋の普及は80年代中盤以降)、ライブハウスで飲み会という手があったのか!
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この時期の連載漫画は、みなもと太郎先生。
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散々、恋愛を煽った挙げ句にこんな広告が。ステマか?
 記事は、宴会は2時間にわたって続き、成立した2~3組のカップルが向かったのは、宮下公園である。そこでは「サテンに行こうよ」「帰り送らせて」といった駆け引きが続いたことを記す。  なるほど、合ハイを口実にすれば、いきなり飲み会から始まる合コンスタイルよりも男女が互いに値踏みしたり、目当ての相手と駆け引きする時間も多いじゃないか! と納得。でも「ハズレ」だった時に帰りたくても帰れない時間が続くのは痛い!
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とにかく出会い系の広告がいっぱいである。
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いくらなんでも、異色すぎる対談。
   こうして、読者に「俺も合ハイしたいなあ」という気分を煽る記事は、首都圏の各大学が「地理的、歴史的、偏差値的に」近しい他の大学と相関関係をつくっていることを解説していく。要は、東大とお茶の水女子大、慶大とフェリス女子大、早大と日本女子大、一橋大と津田塾大のように地理的、歴史的、さらには「オツムの程度が似たりよったり」な大学同士だと、合ハイが成立しやすいことを解説していく。さらには、相関図を記し、大学ごとに関係性の強さ、相思相愛型か、片想い型か、さらには合ハイを申し込む場合に、ポスターを張ることができるか、否かまでを図で解説するのだ。
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果たして、このビジネスで儲かった人っているんだろうか?
 そこで、明らかになるのは人気トップ3は、東大、早大、慶大という構図。ううむ、現在とまったく変わらないような。さらに、青山学院大、上智大、立教大などの女子は「自校の野郎には目もくれず、にっくき他大学に秋波を送ってやまないのだ」と解説する。さらに、合ハイでもっとも不人気だと指摘されているのが中央大だ。「地理的条件の不利はあるものの、津田塾、共立、白百合、明星、昭和と、片っ端から声をかけてはみても、色よい返事はまるで頂戴できずにいるのだ」というから悲惨。記事では、その反動として内部でカップルが成立して「週末同棲」が急増していることまで指摘している。いや、なによりも、この取材力がスゴイ! ■落ちやすい女子大は、文化女子大と女子美大  ううむ、結局は受験戦争に勝ち残って東大、早大、慶大に通ってなければ、出会いの敗者とならざるを得ないのか。多くの読者が絶望したのは想像に難くない……。と思ったら、記事はそうした相関関係から外れた大学の諸君にも、救いの手を差し伸べてくれる。それは「穴場的女子大」を狙う方法だ。まず挙げられているのが、国立音大、桐朋、武蔵野音大だ。「こういう音楽系の大学は他大と意外につき合いが少ないし、普通の女子大とは一味違った雰囲気を持って」いるんだとか。さらに「ズバリ“落ちやすい”大学」として指摘されるのが、文化女子大と女子美大。加えて、昭和女子大を「寮の門限がキチンとあり、当局の取締りが厳しいゆえに、これから開発の余地がある」と『早稲田乞食』(早稲田大の伝統的ミニコミ誌。まだ、ある)の推薦する女子大として、紹介している。さらに『慶応塾生新聞』(これも、まだ続いている)のコメントとして「上智、青学、立教の女子は学年が進むにつれて、自校の男のコのアラが見えはじめる」ので、高学年に的を絞れば、容易に合ハイを組めることを指南するのだ。
011panchi.jpg
これ読んで、注文してから後悔した若者もいるんだろうな……。
 最近「町コン」をはじめ、男女の出会いが再び、アナログな手法へと回帰している。ネットは手軽な出会いのツールなのだが、やはり安心感が違うのか。それにしても、この記事が書かれた80年は現代と比べて、遙かに肉食的だ。アポなしで訪問することが非常識扱いされたり、意中の人に何度も猛アタックすることがストーカー呼ばわりされるようになったのは、いつ頃からなのか。やはり、携帯電話の普及で様相はがらりと変化したのか? まだまだ調査する必要がありそうだ。 (文=昼間 たかし) ■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第6回】物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」

『POPEYE』(平凡出版,1983年8月25日)
 いまや日本人の大学・短大進学率は60%近く。どこの大学も学生の確保に必死だ。昨年から別件の取材でさまざまな大学のパンフレットを取り寄せているのだが、3月に入ってから大学から「進学先は決まりましたか? ウチはまだ受験できますよ!」と電話やメールがバンバン。もはや、大学生であること自体の価値は、ほとんど失われているのではあるまいか。それでも、多くの若者が4月からの新生活をドキドキワクワクしながら心待ちにしているに違いない。そこで、今回は、大学生活にワクワクしている若者諸君をあおる雑誌記事を紹介することに。ただし、30年余り前のだけれどね……。  モテたい若者が必ず読んでいる雑誌の二強が「POPEYE」(平凡出版/現・マガジンハウス)と「Hot-Dog PRESS」(講談社)だったのはいつ頃までだったろう。「Hot-Dog PRESS」の休刊が2004年なので、それ以前に“モテるために読む雑誌”というものは、需要を失っていたのではなかろうか。「Hot-Dog PRESS」が、恋愛マニュアルなどを中心に即物的な路線だったのに対して、オシャレ感が前面に出ていたのが「POPEYE」である。今回紹介する1983年8月25日号も、タイトルロゴの下には「Magazine for City Boys」の文字が輝いている。表紙は、まさにアメリカ西海岸テイスト。わたせせいぞうの代表作『ハートカクテル』を実写にしたら、ちょうどこんな感じなんだろうと思われる。  筆者も、大学時代に『ハートカクテル』を地でいくライフスタイルを追求していたが、友人から江口寿史の『わたせの国のねじ式』を読まされて、悪夢から目覚めたことを思い出さずにはいられない。  さて、本号の特集は「気分引き締め新学期」。大学は後期の授業が始まる時期であり、「一新ついでに、ちょいと生活も変えてみたい」というテーマで構成された記事である。今でも毎年、季節の変わり目になると自分の部屋を「個性」で飾り立てることをあおる「部屋テク」系のムックが何冊も発行されている。それに感化された人は、だいたいアパートの蛍光灯を取り外して間接照明に変えてみたり、あるいは「イケア」あたりにオシャレな家具を買いに出かけてみたり。ちょっと気の利いた人は、中央線沿線の古道具屋なんかで、妙な雑貨を買い込んで部屋を飾ろうとしているハズ。
いま、こんな部屋に済んでいたら絶対に落ち着かないと思う(クリックすると画像を拡大します)
 ところが、この特集で紹介されている「部屋テク」は、そうした小技をせせら笑うダイナミズムで満ち溢れている。「狭いながらもアールデコ。」というキャッチで紹介される部屋の模様替え例は、「何から何までアンティークで揃えるとなると、恐ろしく高いものについてしまうので、安価な組立式の棚をパーツで買って階段状に組んだり、ダミーの柱を作って置いたりする。これならチープかつ効果的に部屋を演出できてしまう」と本文で説明する。ところがどっこい、部屋に置かれているものの説明を見ると「アンティークのミラー/58,000円」「灰皿/6,800円」「サイドテーブル/128,000円」……決してこの頃、日本が驚異的なインフレに見舞われていたわけではない。  なんだかよくわからないが、一歩先をいく展開は止まらない。続くページでは、コンピューターをステーショナリー代わりに活用するテクニックを紹介。大学ノート代わりに持ち歩きたいとして紹介するのは「Canon X-07」。よほどの通でなければ覚えていないだろうが、Canonが唯一発売した、ハンドヘルドコンピューターだ。資料によればメモリは8KB(16KBまで増設可能)、画面は20文字4行表示というもの。特集では、これに大学ノート分くらいの情報が入ってしまう「ROM・RAMカード」を持っていれば「ノートは定期入れの中に入ってしまう時代」と熱く語るのだ。実践していた人がいたならば、ぜひお話を聞かせていただきたい!
これを読んで「マイコン」を購入した人もいるのだろうか。テクノロジーの進歩には感嘆するばかり(クリックすると画像を拡大します)

あまり注目されないが80年代のデザインセンスも、かなり独特である(クリックすると画像を拡大します)
 「くそう! 80年代の大学生はこんなに愉快に暮らしていたのか」あるいは「コイツら、何しに大学に行ってたんだ」とさまざまな思いが溢れ出す。とにかく、いかなるページであっても文末に「~だろう」「~かもしれない」といった逃げの文句を打つことなく、すべて「これが正しいんだ!」とばかりに言い切っている。ここまで断言されたら、相当強固なポリシーのある大学生でなければ“洗脳”されてしまったことだろう。  さらにページを進めると、登場するのは女子大探訪記だ。やはり、80年代は女子大生がブランドだった時代、執筆者も楽しんで書いているのか、ほかのページよりも熱が入っているように感じられる。本号では、この年、薬師丸ひろ子が入学した玉川学園と、同じく、この年にミス・ユニバース日本代表を生み出した松蔭女子学院大学(現・神戸松蔭女子学院大学)を「日本で一番美女の多い二大大学」だとしてルポしている。ここでも、妙な説得力のあるネームの勢いは止まらない。むしろ、力が入りまくりだ。玉川学園は「明るく爽快感あふれるキャンパスには健康サラダガールがあふれている」そうで、「ガールフレンドとして、一緒に街を歩きたいタイプの女のコでキャンパスはいっぱい」らしい。彼女らにウケのよいファッションが「IVYやトラッドといった感じの一般受けするスタイルが彼女たちのお好み」と書いてあるあたりが時代を感じさせる。対する松蔭女子は「美人のパノラマワールド」と、いきなりな結論である。「思わず“どうして”と聞きたくなるほど素敵なコが多いのに驚いてしまう」とか書いてるし「キャンパスは美人の満漢全席」とまで宣言されたら、納得するほかない。
大学生の本分は「楽しいキャンパスライフ」確かに、そんな時代は存在した(クリックすると画像を拡大します)

 本号を貫いている思想は、前述したように、どんなムチャなことでも納得させてしまう迷いのない「言ったモン勝ち」ともいうべき勢いである。「83年秋、放課後のプレイスポットはキャンパスなのだ」と銘打ったページでは、大学のキャンパスでできる遊びとして、ブーメラン、宝探しゲーム、そしてFM放送機材を使ってミニFM局を開局しようと呼びかける。そこでは「お気に入りのレコードや自分で編集したテープをかけて、曲の合間にクラブの情報やキャンパス内でのちょっとしたトピックスでも入れれば、小さいとはいえ、もう立派な放送局だ」とまで言い切る。
このゲーム機、本気で欲しい!(クリックすると画像を拡大します)

どんな広告でも、とりあえず水着の女のコを配置するのが80年代テイスト。ちなみに自転車は宮田工業のスポルディング・フリスコ
 ここまで肯定感に溢れる思想の背景にあるものはなんなのだろうか。インターネットが普及して、自己表現は誰もが手軽に安くできるようになった。さまざまなツールが登場し、男女の出会いも30年前よりは格段に楽になったはずだ。衣食住も、30年前よりは安くて種類も多くなっている。なのに、30年前の大学生のほうがラクに楽しく生きているように見えるのはなぜだろうか。いまや、大学入学時点で多くの学生は人生を達観し、大学は就職予備校と化している。それは、単なる経済状況の変化によるものだろうか。学生運動が終わった後の「シラケ世代」、そして「新人類」が生まれた80年代、そして90年代を経て21世紀へと、大学生という存在の価値の変容、そして彼らの意識の変化を解読していくには、まだまだ研究が足りない。 (文=昼間たかし)
POPEYE (ポパイ) 2012年 04月号 今はただのファッション誌? amazon_associate_logo.jpg
■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」

『POPEYE』(平凡出版,1983年8月25日)
 いまや日本人の大学・短大進学率は60%近く。どこの大学も学生の確保に必死だ。昨年から別件の取材でさまざまな大学のパンフレットを取り寄せているのだが、3月に入ってから大学から「進学先は決まりましたか? ウチはまだ受験できますよ!」と電話やメールがバンバン。もはや、大学生であること自体の価値は、ほとんど失われているのではあるまいか。それでも、多くの若者が4月からの新生活をドキドキワクワクしながら心待ちにしているに違いない。そこで、今回は、大学生活にワクワクしている若者諸君をあおる雑誌記事を紹介することに。ただし、30年余り前のだけれどね……。  モテたい若者が必ず読んでいる雑誌の二強が「POPEYE」(平凡出版/現・マガジンハウス)と「Hot-Dog PRESS」(講談社)だったのはいつ頃までだったろう。「Hot-Dog PRESS」の休刊が2004年なので、それ以前に“モテるために読む雑誌”というものは、需要を失っていたのではなかろうか。「Hot-Dog PRESS」が、恋愛マニュアルなどを中心に即物的な路線だったのに対して、オシャレ感が前面に出ていたのが「POPEYE」である。今回紹介する1983年8月25日号も、タイトルロゴの下には「Magazine for City Boys」の文字が輝いている。表紙は、まさにアメリカ西海岸テイスト。わたせせいぞうの代表作『ハートカクテル』を実写にしたら、ちょうどこんな感じなんだろうと思われる。  筆者も、大学時代に『ハートカクテル』を地でいくライフスタイルを追求していたが、友人から江口寿史の『わたせの国のねじ式』を読まされて、悪夢から目覚めたことを思い出さずにはいられない。  さて、本号の特集は「気分引き締め新学期」。大学は後期の授業が始まる時期であり、「一新ついでに、ちょいと生活も変えてみたい」というテーマで構成された記事である。今でも毎年、季節の変わり目になると自分の部屋を「個性」で飾り立てることをあおる「部屋テク」系のムックが何冊も発行されている。それに感化された人は、だいたいアパートの蛍光灯を取り外して間接照明に変えてみたり、あるいは「イケア」あたりにオシャレな家具を買いに出かけてみたり。ちょっと気の利いた人は、中央線沿線の古道具屋なんかで、妙な雑貨を買い込んで部屋を飾ろうとしているハズ。
いま、こんな部屋に済んでいたら絶対に落ち着かないと思う(クリックすると画像を拡大します)
 ところが、この特集で紹介されている「部屋テク」は、そうした小技をせせら笑うダイナミズムで満ち溢れている。「狭いながらもアールデコ。」というキャッチで紹介される部屋の模様替え例は、「何から何までアンティークで揃えるとなると、恐ろしく高いものについてしまうので、安価な組立式の棚をパーツで買って階段状に組んだり、ダミーの柱を作って置いたりする。これならチープかつ効果的に部屋を演出できてしまう」と本文で説明する。ところがどっこい、部屋に置かれているものの説明を見ると「アンティークのミラー/58,000円」「灰皿/6,800円」「サイドテーブル/128,000円」……決してこの頃、日本が驚異的なインフレに見舞われていたわけではない。  なんだかよくわからないが、一歩先をいく展開は止まらない。続くページでは、コンピューターをステーショナリー代わりに活用するテクニックを紹介。大学ノート代わりに持ち歩きたいとして紹介するのは「Canon X-07」。よほどの通でなければ覚えていないだろうが、Canonが唯一発売した、ハンドヘルドコンピューターだ。資料によればメモリは8KB(16KBまで増設可能)、画面は20文字4行表示というもの。特集では、これに大学ノート分くらいの情報が入ってしまう「ROM・RAMカード」を持っていれば「ノートは定期入れの中に入ってしまう時代」と熱く語るのだ。実践していた人がいたならば、ぜひお話を聞かせていただきたい!
これを読んで「マイコン」を購入した人もいるのだろうか。テクノロジーの進歩には感嘆するばかり(クリックすると画像を拡大します)

あまり注目されないが80年代のデザインセンスも、かなり独特である(クリックすると画像を拡大します)
 「くそう! 80年代の大学生はこんなに愉快に暮らしていたのか」あるいは「コイツら、何しに大学に行ってたんだ」とさまざまな思いが溢れ出す。とにかく、いかなるページであっても文末に「~だろう」「~かもしれない」といった逃げの文句を打つことなく、すべて「これが正しいんだ!」とばかりに言い切っている。ここまで断言されたら、相当強固なポリシーのある大学生でなければ“洗脳”されてしまったことだろう。  さらにページを進めると、登場するのは女子大探訪記だ。やはり、80年代は女子大生がブランドだった時代、執筆者も楽しんで書いているのか、ほかのページよりも熱が入っているように感じられる。本号では、この年、薬師丸ひろ子が入学した玉川学園と、同じく、この年にミス・ユニバース日本代表を生み出した松蔭女子学院大学(現・神戸松蔭女子学院大学)を「日本で一番美女の多い二大大学」だとしてルポしている。ここでも、妙な説得力のあるネームの勢いは止まらない。むしろ、力が入りまくりだ。玉川学園は「明るく爽快感あふれるキャンパスには健康サラダガールがあふれている」そうで、「ガールフレンドとして、一緒に街を歩きたいタイプの女のコでキャンパスはいっぱい」らしい。彼女らにウケのよいファッションが「IVYやトラッドといった感じの一般受けするスタイルが彼女たちのお好み」と書いてあるあたりが時代を感じさせる。対する松蔭女子は「美人のパノラマワールド」と、いきなりな結論である。「思わず“どうして”と聞きたくなるほど素敵なコが多いのに驚いてしまう」とか書いてるし「キャンパスは美人の満漢全席」とまで宣言されたら、納得するほかない。
大学生の本分は「楽しいキャンパスライフ」確かに、そんな時代は存在した(クリックすると画像を拡大します)

 本号を貫いている思想は、前述したように、どんなムチャなことでも納得させてしまう迷いのない「言ったモン勝ち」ともいうべき勢いである。「83年秋、放課後のプレイスポットはキャンパスなのだ」と銘打ったページでは、大学のキャンパスでできる遊びとして、ブーメラン、宝探しゲーム、そしてFM放送機材を使ってミニFM局を開局しようと呼びかける。そこでは「お気に入りのレコードや自分で編集したテープをかけて、曲の合間にクラブの情報やキャンパス内でのちょっとしたトピックスでも入れれば、小さいとはいえ、もう立派な放送局だ」とまで言い切る。
このゲーム機、本気で欲しい!(クリックすると画像を拡大します)

どんな広告でも、とりあえず水着の女のコを配置するのが80年代テイスト。ちなみに自転車は宮田工業のスポルディング・フリスコ
 ここまで肯定感に溢れる思想の背景にあるものはなんなのだろうか。インターネットが普及して、自己表現は誰もが手軽に安くできるようになった。さまざまなツールが登場し、男女の出会いも30年前よりは格段に楽になったはずだ。衣食住も、30年前よりは安くて種類も多くなっている。なのに、30年前の大学生のほうがラクに楽しく生きているように見えるのはなぜだろうか。いまや、大学入学時点で多くの学生は人生を達観し、大学は就職予備校と化している。それは、単なる経済状況の変化によるものだろうか。学生運動が終わった後の「シラケ世代」、そして「新人類」が生まれた80年代、そして90年代を経て21世紀へと、大学生という存在の価値の変容、そして彼らの意識の変化を解読していくには、まだまだ研究が足りない。 (文=昼間たかし)
POPEYE (ポパイ) 2012年 04月号 今はただのファッション誌? amazon_associate_logo.jpg
■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号

物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」

『POPEYE』(平凡出版,1983年8月25日)
 いまや日本人の大学・短大進学率は60%近く。どこの大学も学生の確保に必死だ。昨年から別件の取材でさまざまな大学のパンフレットを取り寄せているのだが、3月に入ってから大学から「進学先は決まりましたか? ウチはまだ受験できますよ!」と電話やメールがバンバン。もはや、大学生であること自体の価値は、ほとんど失われているのではあるまいか。それでも、多くの若者が4月からの新生活をドキドキワクワクしながら心待ちにしているに違いない。そこで、今回は、大学生活にワクワクしている若者諸君をあおる雑誌記事を紹介することに。ただし、30年余り前のだけれどね……。  モテたい若者が必ず読んでいる雑誌の二強が「POPEYE」(平凡出版/現・マガジンハウス)と「Hot-Dog PRESS」(講談社)だったのはいつ頃までだったろう。「Hot-Dog PRESS」の休刊が2004年なので、それ以前に“モテるために読む雑誌”というものは、需要を失っていたのではなかろうか。「Hot-Dog PRESS」が、恋愛マニュアルなどを中心に即物的な路線だったのに対して、オシャレ感が前面に出ていたのが「POPEYE」である。今回紹介する1983年8月25日号も、タイトルロゴの下には「Magazine for City Boys」の文字が輝いている。表紙は、まさにアメリカ西海岸テイスト。わたせせいぞうの代表作『ハートカクテル』を実写にしたら、ちょうどこんな感じなんだろうと思われる。  筆者も、大学時代に『ハートカクテル』を地でいくライフスタイルを追求していたが、友人から江口寿史の『わたせの国のねじ式』を読まされて、悪夢から目覚めたことを思い出さずにはいられない。  さて、本号の特集は「気分引き締め新学期」。大学は後期の授業が始まる時期であり、「一新ついでに、ちょいと生活も変えてみたい」というテーマで構成された記事である。今でも毎年、季節の変わり目になると自分の部屋を「個性」で飾り立てることをあおる「部屋テク」系のムックが何冊も発行されている。それに感化された人は、だいたいアパートの蛍光灯を取り外して間接照明に変えてみたり、あるいは「イケア」あたりにオシャレな家具を買いに出かけてみたり。ちょっと気の利いた人は、中央線沿線の古道具屋なんかで、妙な雑貨を買い込んで部屋を飾ろうとしているハズ。
いま、こんな部屋に済んでいたら絶対に落ち着かないと思う(クリックすると画像を拡大します)
 ところが、この特集で紹介されている「部屋テク」は、そうした小技をせせら笑うダイナミズムで満ち溢れている。「狭いながらもアールデコ。」というキャッチで紹介される部屋の模様替え例は、「何から何までアンティークで揃えるとなると、恐ろしく高いものについてしまうので、安価な組立式の棚をパーツで買って階段状に組んだり、ダミーの柱を作って置いたりする。これならチープかつ効果的に部屋を演出できてしまう」と本文で説明する。ところがどっこい、部屋に置かれているものの説明を見ると「アンティークのミラー/58,000円」「灰皿/6,800円」「サイドテーブル/128,000円」……決してこの頃、日本が驚異的なインフレに見舞われていたわけではない。  なんだかよくわからないが、一歩先をいく展開は止まらない。続くページでは、コンピューターをステーショナリー代わりに活用するテクニックを紹介。大学ノート代わりに持ち歩きたいとして紹介するのは「Canon X-07」。よほどの通でなければ覚えていないだろうが、Canonが唯一発売した、ハンドヘルドコンピューターだ。資料によればメモリは8KB(16KBまで増設可能)、画面は20文字4行表示というもの。特集では、これに大学ノート分くらいの情報が入ってしまう「ROM・RAMカード」を持っていれば「ノートは定期入れの中に入ってしまう時代」と熱く語るのだ。実践していた人がいたならば、ぜひお話を聞かせていただきたい!
これを読んで「マイコン」を購入した人もいるのだろうか。テクノロジーの進歩には感嘆するばかり(クリックすると画像を拡大します)

あまり注目されないが80年代のデザインセンスも、かなり独特である(クリックすると画像を拡大します)
 「くそう! 80年代の大学生はこんなに愉快に暮らしていたのか」あるいは「コイツら、何しに大学に行ってたんだ」とさまざまな思いが溢れ出す。とにかく、いかなるページであっても文末に「~だろう」「~かもしれない」といった逃げの文句を打つことなく、すべて「これが正しいんだ!」とばかりに言い切っている。ここまで断言されたら、相当強固なポリシーのある大学生でなければ“洗脳”されてしまったことだろう。  さらにページを進めると、登場するのは女子大探訪記だ。やはり、80年代は女子大生がブランドだった時代、執筆者も楽しんで書いているのか、ほかのページよりも熱が入っているように感じられる。本号では、この年、薬師丸ひろ子が入学した玉川学園と、同じく、この年にミス・ユニバース日本代表を生み出した松蔭女子学院大学(現・神戸松蔭女子学院大学)を「日本で一番美女の多い二大大学」だとしてルポしている。ここでも、妙な説得力のあるネームの勢いは止まらない。むしろ、力が入りまくりだ。玉川学園は「明るく爽快感あふれるキャンパスには健康サラダガールがあふれている」そうで、「ガールフレンドとして、一緒に街を歩きたいタイプの女のコでキャンパスはいっぱい」らしい。彼女らにウケのよいファッションが「IVYやトラッドといった感じの一般受けするスタイルが彼女たちのお好み」と書いてあるあたりが時代を感じさせる。対する松蔭女子は「美人のパノラマワールド」と、いきなりな結論である。「思わず“どうして”と聞きたくなるほど素敵なコが多いのに驚いてしまう」とか書いてるし「キャンパスは美人の満漢全席」とまで宣言されたら、納得するほかない。
大学生の本分は「楽しいキャンパスライフ」確かに、そんな時代は存在した(クリックすると画像を拡大します)

 本号を貫いている思想は、前述したように、どんなムチャなことでも納得させてしまう迷いのない「言ったモン勝ち」ともいうべき勢いである。「83年秋、放課後のプレイスポットはキャンパスなのだ」と銘打ったページでは、大学のキャンパスでできる遊びとして、ブーメラン、宝探しゲーム、そしてFM放送機材を使ってミニFM局を開局しようと呼びかける。そこでは「お気に入りのレコードや自分で編集したテープをかけて、曲の合間にクラブの情報やキャンパス内でのちょっとしたトピックスでも入れれば、小さいとはいえ、もう立派な放送局だ」とまで言い切る。
このゲーム機、本気で欲しい!(クリックすると画像を拡大します)

どんな広告でも、とりあえず水着の女のコを配置するのが80年代テイスト。ちなみに自転車は宮田工業のスポルディング・フリスコ
 ここまで肯定感に溢れる思想の背景にあるものはなんなのだろうか。インターネットが普及して、自己表現は誰もが手軽に安くできるようになった。さまざまなツールが登場し、男女の出会いも30年前よりは格段に楽になったはずだ。衣食住も、30年前よりは安くて種類も多くなっている。なのに、30年前の大学生のほうがラクに楽しく生きているように見えるのはなぜだろうか。いまや、大学入学時点で多くの学生は人生を達観し、大学は就職予備校と化している。それは、単なる経済状況の変化によるものだろうか。学生運動が終わった後の「シラケ世代」、そして「新人類」が生まれた80年代、そして90年代を経て21世紀へと、大学生という存在の価値の変容、そして彼らの意識の変化を解読していくには、まだまだ研究が足りない。 (文=昼間たかし)
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■「100人にしかわからない本千冊」バックナンバー 【第5回】1991年、ボクらはこんなエロマンガを読んでいた「美少女漫画大百科」 【第4回】そして『孤独のグルメ』だけが残った......月刊「PANjA」とB級グルメの栄枯盛衰 【第3回】「いけないCOMIC」1985年1月号大特集 戸川純にただ単にミーハーしたいっ! 【第2回】あの頃、俺たちはこんな本でモテようとしていた『東京生活Qどうする?』 【第1回】超豪華"B級"文化人がロリコンで釣ってやりたい放題『ヘイ!バディー』終刊号