1989年、女子高生エロスの誕生──雑誌「GORO」がロリコンをとことん変態扱い!

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「GORO」(小学館)1989年11月23日号
 長らく中断しておりました連載「100人にしかわからない本千冊」。このたび、バブルの熱気を再現した著書『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)も無事刊行。  自分では、相当濃厚に記述したつもりなのだが、まだまだ書きたいことはウンとある。というわけで連載第2期は、雑誌・単行本単位ではなく80年代をテーマ別に取り上げる。  その第1回として取り上げたいのは女子高生である。 「ブルセラショップ」や「援助交際」がマスコミに取り上げられて、社会問題になったのは1990年代に入ってから。80年代にもロリコンブームというのはあったけれども、女子高生とか、それよりもさらに下の年齢の女のコと恋愛したいだとか、セックスの欲望を抱くのは、単なるど変態に過ぎなかった。「ロリコンです」と公言したり「女子高生好き」をアピールする輩はは、今以上に変態扱いされたのである。 「GORO」(小学館)1984年7月26日号には「女子高生のぬくもりの残ったセーラー服が販売好調。 買うのは、ナント20代の若者たち」という記事が掲載されているが、内容は完全に変態扱いである。この年まで、すごいエレクチオンで、次々と女をいてこますマンガ『実験人形ダミー・オスカー』が連載されていた「GORO」。そんなマンガを楽しんでいた読者にとってみれば「女子高生ハアハア」は、水準以上に変態に見えたのではなかろうか。  そんな「GORO」が宗旨替えをしたのが、1989年11月23日号。この号において「GORO」は「女子高生マニュアル」というタイトルの大特集を投入する。この特集で特徴的なのは「関東制服ベスト15」と題して、オシャレな制服の学校に通う女子高生たちが、顔出しで登場しまくっていること。これに先行する形で森伸之の『東京女子高制服図鑑』(弓立社)が、最初に刊行されたのは1985年。その頃から数年をかけて「女子高生ハアハア」という意識は熟成されていったのだろう。
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「GORO」1988年2月11号
■国士舘、帝京、東京国際、大東文化は素人童貞で大学生活が終わる  でも、世の男性たちが女子高生へと対象年齢を下げた根本的な原因はなんだろう。ひとつ考えられるのは、女子大生を相手にすることの困難さである。80年代を通じてブームとなった女子大生は、同年代の若者からオッサンまでが愛おしみ、必死で口説く巨大なカテゴリーであった。  けれども、そこには困難さが存在した。少なくとも、オッサンならばカネを持っていなければモテない。80年代後半、急速に普及したクレジットカードだが、ある程度の年であれば年会費の高いゴールドカードを持っていなければ、まずステージにも上がれないという具合。そう、なにかと曖昧な現代と違い、バブル時代には女のコと仲良くなる必須条件は明確だった。  ならば、若者はどうだったか。女子大生が相手にするのは、だいたいが同年代の学生たち。そこで見られるのは通っている学校名にほかならなかった。件の「GORO」1988年2月11号では「これが噂の女子大生算出版 ウラ偏差値リストだッ」という記事を掲載している。  ここでは、とにかく受験を突破して大学デビューを目指したい男子への、極めて残酷な見出しが……。 「大学で決まるSEXの相手」  ようは、どこそこの大学の男子学生は、おおよそ、このあたりの女子大生と付き合うという相関関係があるということ。東大や一橋、都立大に通っていれば、お茶大や東女(とんじょ)あたりの女子大生と。立教・上智・青学あたりは、学内でそれぞれ相手を見つけているという具合。でも、この記事はその先の残酷な真実をも知らせる。たいてい女子大生と付き合えるのは日東駒専あたりまで。それよりも下のランクの国士舘、帝京、東京国際、大東文化では、女子大生には、まったく相手にしてもらえないという事実を突きつけるのだ。  彼女ができる確率は限りなくゼロに近く、寂しい学生生活になること必至だが、コンパのあと先輩にソープに連れていかれるので、童貞喪失だけはできる。  つまり、80年代後半のバブルの空気の中で、日東駒専以下の男子学生たちは、最初から女子大生には相手にもしてもらえない、アウトカーストになっていたのである。  何しろ、学内に希少な女のコがいたとしても、そいつらは、こぞって日東駒専以上の男子と付き合っているもの。学力面では同等だとしても、まったく相手にはされなかったというわけか。  すなわち、女子高生とは世の寂しい男性にとってのフロンティアであったという具合。それが21世紀のJKビジネスへとつながっていくとは、誰が想像しただろうか。 (文=昼間たかし)
1985-1991 東京バブルの正体 (MM新書) あの頃はスゴかった amazon_associate_logo.jpg

文学は悪女とビッチと売春婦でできている──『萌える名作文学 ヒロイン・コレクション』

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『萌える名作文学 ヒロイン・コレクション』(コアマガジン)
 ひと昔前の雑誌と書籍を中心に取り上げているこの連載だが、たまには最近のものも取り上げなくては、と思った。「出版不況」といわれながらも、日本で年間に発行される書籍は7万点以上ある。つまり、多くの本は、読者が知らない間に消えていってしまうのだ。自分が関わった本も、発見されないままに消えていってしまう。それは、あまりに悲しいことである。  というわけで、筆者も携わった『萌える名作文学 ヒロイン・コレクション』(コアマガジン、2010年)を取り上げることにする。  この本の内容を一言で説明するならば、古今東西の文学作品に登場する女性を萌えキャラ化しつつ、真面目に作品を解説するというものである。  筆者の備忘録によれば、最初に企画に参加したのは2010年の4月初頭のこと。それは、一本の電話から始まった。 「昼間さん、文学って詳しいですか?」 と、尋ねてきたのは編集の伊藤氏。伊藤氏は日本刀を、美少女のイラストを添えてひたすら真面目に解説する『萌える日本刀大全』(コアマガジン、2009年)という、これまたマニアックな本を企画して、世間の注目を集めた編集者だ。そんな彼が、文学うんぬんを尋ねてくるとは何事か? 理由はわからないが、筆者も生まれた時から、雑誌と書籍のほかに友達のいない人生。本は山のように読んでいるわけで、「詳しいですよ」と返答する以外に選択肢はなかった。  こうして、企画への参加は電話一本で決まった。なんでも、企画は通ったけど、意外に文学に精通したライターがいなかったので、急遽連絡してきたそうだ(そういえば、この時まで伊藤氏からは2年余りまったく連絡はなかった……)。  筆者の仕事は、作品をセレクトして解説を書くだけ。イラストレーターとの打ち合わせはやらなくてもよいし、楽な仕事だと思っていたら甘かった。なぜなら、これは筆者の人生、人格、そのほかすべてのものを問われる戦いだったからだ。  「萌え」という言葉が日常的に使用されるようになって久しい。しかし、「萌え」とは本質的に、吉本隆明の分類するところの「自己幻想」にすぎない。個人がどのヒロインに萌えるかは、その個人が触れてきた文化によって決定される。どのヒロインに萌えるから無制約に自由であるが、他者がそれに共感するとは限らない。もちろん、自分が萌えているヒロインの魅力を「布教」することは誰も制約しないが、他者が誰に萌えるかをコントロールすることはできないのだ。  そうした中で、商業誌として成立させるために、「最大公約数」となるヒロインをセレクトしていかなければならない。それは、非常に困難な作業であった。当たり前だ、どんなに客観的になろうとしても、結局は自分が萌えることのできるヒロイン像に引きずられてしまうのだから。  かくして数度にわたった打ち合わせは、ほぼ死闘と化した。「こんな女に萌えるわけねえよ」「素人にはわからんのですよ」――。罵倒に激高、鉄拳の飛び合う打ち合わせは続いた。  今、冷静になって当時提出した取り上げるヒロインの案を見てみると「アンタの“萌え”ポイント、おかしいよ」と言われたことも、納得せざるを得ない気もする。ボツになったほうから、いくつか記してみよう(作者・タイトル・ヒロイン名の順である)。 ・安部公房『砂の女』砂の女 ・葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』少女 ・井伏鱒二『黒い雨』矢須子 ・金庸『笑傲江湖』東方不敗 ・作者不詳『ペピの体験』ペピ ・ヘルマン・ヘッセ『青春彷徨』エリーザベト  当時の記憶をたどると、『セメント樽の中の手紙』は「ホラーですよ!」と蹴られ、『笑傲江湖』は「ヒロインじゃねえ!」と怒られ、『ペピの体験』は「萌えとエロを勘違いするな」と、さらに怒られた。『青春彷徨』は、最後まで「ヘッセの作品は入れるべきである」と抵抗したが、一体どこが萌えるポイントかと問われて「エリーザベトは19世紀ドイツにおける最高のサークルクラッシャーである(主人公に気のあるフリをしてデートするが別の男と結婚してしまう)」と回答した結果、ボツになった。  激闘の末に、幾人かのヒロインが選ばれた。ここからが本番である。本文を執筆しつつ、イラストレーターに描いてもらう作中の場面を抜粋し、さらにヒロインの特徴も懇切丁寧に記さなければならない。ここで、大変なことに気づいてしまった。筆者の担当は十数人のヒロイン。つまり、すべての作品をいま一度じっくりと読み込んで、ここぞというシーンを見つけ出さなくてはならないのだ。尾崎紅葉の『金色夜叉』なんかは、熱海の海岸を散歩するところで決め打ちができる。でも、ダンテの『神曲』なんて文庫本で上中下巻もあるし、エミール・ゾラの『ナナ』も相当長い。自分で推しておいてなんだが、上田秋成『雨月物語』の一編「蛇精の淫」から萌えポイントを抽出するのは、ほとんど頓智である。  とはいっても、「危うく萌え殺されるところだったよ……」と言えるほど萌えてやる気で読み込めば、自ずと答えは見えてくるのだ。そもそも、自分が萌えているヒロインばかりなので、当然といえば当然でもあるが。  例えば、エミール・ゾラの『ナナ』のヒロイン・ナナは売春婦であるが、その生き様に萌え殺されそうだ。散々名声を得て金持ちになったかと思いきや、あっという間にカネがなくなって、ならばと街娼を始める。挙げ句に、学校時代の友人とは同性愛になるし、小間使いの女は散々こき使われているのに、女主人ラブ。この周囲を自分色に巻き込みっぷりは、スゲエよ! ゆえにナナが小間使いを「間抜け」と罵ったところ、「あたくし、こんなに奥様が好きで……」とさめざめと泣くシーンを推すしかなかったのだ。文豪・ゾラが「このシーンで萌えてくれ」と思って書いたかどうかは知らないが、萌える(もっとも、ゾラの『居酒屋』『ナナ』など20作品から成る「ルーゴン・マッカール叢書」は、主要登場人物がすべて血縁。まあ、19世紀フランスにおけるOverflowのエロゲーと考えてよい)。  日本では『三銃士』のタイトルで知られている『ダルタニャン物語』の悪女・ミレディーも、萌え要素が尽きないヒロインだ。みんなストーリーは知っていると思うので、ネタバレ気味に話すと、第一部の最後でミレディーは処刑されてしまうわけだが、最後まで逃げようとしたり往生際の悪さがまさに悪女の鏡である。「いずれ仇を討たれるんだから」という捨てゼリフが第二部『二十年後』で現実になるところも、まさに悪女の本領発揮といったところ。  つまり、本書を通して読者が知ることができるのは、現代の漫画・アニメで描かれるヒロインのほとんどの類型は、すでに20世紀前半までに発明されていたということだ。島崎藤村は『新生』でヤンデレヒロイン・節子を描いている。押川春浪『銀山王』は、薄幸と高慢の2つのタイプの令嬢ヒロインの織りなす物語だ。  その上で見えてくるのは、結局、魅力的なヒロインには「悪女・ビッチ・売春婦」の要素が不可欠ということだ。今さら「処女厨」でもあるまいに、黒髪ロングの一途な清純ヒロインのどこに魅力があろうか、と筆者は思う。本書が刊行されたとき、筆者の選んだヒロインを見て多くの人に「いったい、どんな人生を歩んできたら悪女・ビッチ・売春婦にばっか、萌えるようになるんですか?」と聞かれた。  そんなもの、自分でわかっていたら苦労はしない。畜生! 来年の今月今夜のこの月は、俺の涙で曇らせてやる! (文=昼間たかし)

生き残るのは、まっとうな店だけ『Maid Cafe Style メイドカフェ・スタイル~お帰りなさいませご主人様~』

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『Maid Cafe Style メイドカフェ・スタイル~お帰りなさいませご主人様~』(二見書房)
 今回紹介するのは、メイド喫茶が全国で爆発的に増加する気配を見せ始めた時期に出版された本『Maid Cafe Style メイドカフェ・スタイル~お帰りなさいませご主人様~』(二見書房)である。この本、全国(+海外)のメイド喫茶30店舗を紹介する、当時としては最も充実したガイドブックである。  まずは、現在も営業を続けている店舗はどれだけあるのかを調べてみた。すると、営業を続けているのは14店舗。約半分は10年あまり(あるいは、10周年を越えて)営業を続けていることになる。  いまや秋葉原の観光資源の筆頭に挙がるのが、メイドであることに異論を唱える者はいない。2001年に開店した「Cure Maid Cafe」に始まるとされるメイド喫茶は、いまやいったい何店舗あるのか……?  気がついたらジャンルの細分化は進み、正統なクラシックメイドスタイルを追求する店から観光客向けのライトなもの、差別化を図るために、メイドではなくほかのコスプレをコンセプトにするものまで、百花繚乱である。  その中で、長く営業を続けることのできる店舗は少ない。そもそも、経営者のほうも長く続けることを考えていないことが多いのだ。そのためか、秋葉原に不動産を所有する企業や個人の中には「メイド喫茶には貸さない」というところも少なくない。すぐ出て行く店子では、諸費用が余分にかかって仕方がないというわけである。 やはり長く続いている店は、コンセプトがしっかりと従業員にまで行きわたり、飲食店のノウハウを心得ているところということができるだろう。  コンセプトが行きわたっていない失敗例として思い出すのが、昨年閉店した「Cos-Cha」だ。昨年閉店したこの店は、スクール水着やらブルマやら、何かと露出重視のイベント日を設定。それを目当てに客が集まり、一時はあまりの混雑に、店に入ることのできない客が路上にあふれて、警察が出動する騒ぎになったこともある。  そうした騒動が少し収まった時期のスク水デーに、どんなものかと店を訪れたことがある。イベント日なので、それなりに混雑はしていたが、行列ができるほどではなかった。早くも飽きられたのかと思いながら店に入り、理由はよくわかった。  給仕をしている女のコたちは、確かにスク水である。スク水ではあるが、上着(長袖のジャージ)を羽織っているのである。しかも、その上着はちょっとオーバーサイズで、お尻のあたりまで隠れているではないか。要は、男のコが最も見たいポイントが、見えないのである……。これでは、上乗せ料金を払った意味は皆無である。なにより、女のコが上着を着ることを黙認している経営側は、もはや客の視点を忘れていたといえるだろう。  オタクの集まる秋葉原ですらそうなのだから、一時、地方に乱立したメイド喫茶のコンセプトのなさは、もっとひどかった。岡山県では中心都市である岡山市を中心に10店舗あまりが乱立するという異常事態になったことがある。「大都会岡山」の人口は、70万人あまり(無理やりな合併で増加)。アニメイトも、メロンブックスも、らしんばんもある岡山市(1Fがアニメイト、2Fがメロン+らしんばんというグループ合体店舗)だが、人口70万人に対して、10店舗は明らかに過剰である。おまけに、メイド喫茶がテレビCMを打って異常さに拍車をかけた。そして、その店舗の多くは単にメイドがはやっているからと参入した水商売系のもので、そもそもコンセプトも何もなかった。どこもキャバクラか何かにしか見えないメイド喫茶ばかりだったのである。  そんな具合なので、乱立期はあっという間に過ぎ去り、今は一店舗だけが営業している(今ではむしろ、オタクバーのほうが賑わっている。特に店長がやる気ゼロで部室状態の某Zは、店のキャラ立ちが全国屈指だと思う)。  しかし今回、最も驚いたのは、もはやメイド喫茶が、どこに何店舗あったかを知るすべが失われつつあることである。閉店すれば公式サイトは消滅するし、ブログなどが残っていても閉店告知をしないままに止まっているところも多いので、いつまで営業していたかを把握することもできない。ネットの中に残っている断片的な情報を拾っていくよりほかに、データを集めることができないのは残念だ。 (文=昼間たかし)

「11歳衝撃のヌード」だって? 大宅壮一文庫で「児童ポルノ」を漁ってみるの巻

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 ヤツガレ、別の記事で執筆したように、国会図書館に対して閲覧禁止になっている「児童ポルノ」のリストを見せて、ついでに閲覧禁止になっている本を閲覧させてヨ! と要求したら蹴られてしまった次第(記事参照)。これじゃあ、何が「児童ポルノ」なのかまったくワカラナイじゃあないですか。ヤツガレ、しごくまっとうに閲覧禁止にしている本のタイトルすら教えてくれないことの不当性を訴えているのですが、世間様から見れば「そんなにロリコンをこじらせているのか……」と思われているに違いない。  いやいや、なんの因果か「児童ポルノ」をめぐる問題に足を突っ込んで随分と時間が流れてしまったが、この泥沼からはまだ抜け出せそうにもありませぬ。サテサテ、国会図書館が「児童ポルノ」を閲覧禁止にしているのは、何も国会図書館ばかりが悪いのではありませぬ。なにせ国会図書館も、そんなケシカラヌ人権侵害の疑いのある本を閲覧させておったら、お縄にするぞ! と、お上(いや、法務省だから同列くらい?)から脅されたのだから仕方ない。  でも、図書館の問題に詳しい人に聞けば「児童ポルノ」に対する図書館の対応は分かれていて、閲覧ができる図書館もあるのではないかという。そもそもサァ、閲覧もできなければ、ワレメがどのような理由でワイセツになり、「児童ポルノ」が法律で禁止すべき問題のあるシロモノになったか過程もわからぬではないか。そのあたりも踏まえて、閲覧禁止にしていない図書館があったら、エライ!  というわけで、現在さまざまな図書館の蔵書を調査中。その中で忘れてはならないのが、大宅壮一文庫である。ここは「一億総白痴化」とか「岡山は日本のユダヤ」という言葉を残したジャーナリスト・大宅壮一の蔵書をもとに始まった、雑誌専門図書館(なお、「岡山は日本のユダヤ」というのは正確には大宅壮一が言ったんじゃなくて、各県の県民性を調べていた大宅が、岡山県人を自宅に招いたら彼が自分で言いだしたのでビックリしたという)。  ここの利点は、さまざまな雑誌記事がキーワードで検索できるということ。近年は、かなり古い年代まですべてパソコンで検索できるようになったので便利なこと、この上ない。  京王線八幡山駅を降りて、左手に名所・都立松沢病院を眺めながらの徒歩5分。入館料を払って検索席についた筆者は、早速「少女ヌード」でキーワード検索を! ■これは……提供罪か?  もうネ、検索しただけで出るわ出るわ。「少女ヌード」が一種のブームになっていた70年代後半~80年代にかけての雑誌は、今では「児童ポルノ」として扱われるであろうシロモノが、アートなんだか興味本位なんだか、よくわからん視点で掲載されている。  中でも、ガンガングラビアを掲載しまくっているのは「週刊新潮」(新潮社)である。「少女ヌードも成人する」(83年11月3日号)、「犬と少女ヌード」(80年3月27日号)「ある少女の成熟を追って」(78年3月9日号)など、写真家・清岡純子の作品を中心に掲載し、ベタ褒めしておるのだ。しかもこれらのグラビアは、写真の横に「14歳」「16歳」とか、堂々と年齢も掲載。  この時期は、さまざまな週刊誌が少女ヌードをグラビアで取り上げている事例が多く「週刊現代」(80年6月19日号/講談社)には「ふたごの少女 11歳のメモリアル」として、やっぱり今では掲載したら「児童ポルノだ!」と逮捕されそうなグラビアも組まれている。  さらに、こうしたグラビアが掲載されているのは男性誌ばかりではない。「週刊女性」(79年11月13日号/主婦と生活社)には「11歳衝撃のヌード」というタイトルで当時話題になっていた山木隆夫の『リトル・プリテンダーズ』(ミリオン出版)からの借りポジを掲載しておるのである。この『リトル・プリンテンダー』であるが、発売当時はモデルの年齢もさることながら「完全無修正のヌード写真集」なんだそうである。  「週刊プレイボーイ」(79年10月16日号/集英社)の記事によれば、初版分は発売4日で完売。4版を重ねて在庫ゼロになっていることが記されている。さらに、この記事によれば「完全無修正」が話題になったためか、警視庁からもご招待を受けたことが記されている。ひっかけようと思えばひっかけられるんだぞ、ということだったらしい。何事もなくてすんだのは、山木さんや出版社側の周到さもあるが、最終的には「お毛がなくて何より」ということだったのだろう。  当時の客層については「週刊読売」(81年12月20日号/読売新聞東京本社)で書店に取材し、次のように記している。 「私どもでは、わりと学生から中年まで各年齢層の方がお買いになってます。若い人は本を隠しながらレジに来ますね」(紀伊國屋書店) 「三十歳代から五十過ぎのサラリーマンの人たちです。昼間より夜のほうが売れますね。それもレジが込んでいるときにサッと本を取り、サッと持っていかれます。素早いですよ」(銀座・旭屋書店)  また、この記事には、こうした少女ヌードのブームで業績を挙げている出版社への取材も豊富だ。当時のダイナミックセラーズの社長であった高浜宏次氏は、 「最初に企画を思いついたのは、ビニ本のかげりが見えてきた今年の初めでした。ビニ本はますますエログロ化し長続きしないだろう。この次は少女たちの、清純で自然なヌードが求められるのではないか、と……」 と、出版動機を語っている。同じく、少女ヌードで業績を挙げていた竹書房では、現社長の(当時は営業部長)高橋一平氏が客層について驚くべきセリフを。 「若い人が買うのは、一種の処女願望じゃないですか」  なるほど、当時から「処女厨」は存在していたのか!  とまあ、当時の雑誌のグラビア・記事ともに、少女ヌードはさまざまな形でまったく無修正で掲載されている。警視庁はワレメがワイセツであるとして摘発したのは、筆者が調べた限りでは85年の「ロリコンランド」(コアマガジン)が最初だと思われる。その後、87年に「プチトマト」(ダイナミックセラーズ)が摘発を受けて、ワレメはケシカランとなったわけである。ただ、この事件を報じている「週刊文春」(87年2月12号/文藝春秋)は、ワレメを黒塗りにした上で写真を引用しているのだが、「噂の眞相」(87年4月号/噂の眞相)は修正無しでバッチリと……。  さて、筆者の目指すところは別にワレメを拝むことが目的ではない。大宅壮一文庫は、閲覧を請求するときは用紙に雑誌のタイトルと号数を書くと出納してくれる形だ。で、これらのページの複写を申し込んだら、どうなるのか試してみた……。  複写を申し込んで待っていたら、係の人が筆者を呼ぶ声が。大宅壮一文庫でも、これは拒否するのか──と思ったら、 「このページ、コピーすると文字が潰れちゃうけど、どうします?」 であった。そのほかは、まったくなにも止められることなく複写完了後は精算してお持ち帰りに至った次第。  さて、この行為によって大宅壮一文庫は、児童ポルノ法で定めるところの「提供罪」を犯したことになるのだろうか? この記事に記した雑誌は国立国会図書館でも、問題なく閲覧することができる。さらに、東京大学図書館でも「週刊新潮」などは蔵書しておる。果たして、筆者がこれらの雑誌を閲覧し、さらに複写まで行ったら大宅壮一文庫も摘発。国会図書館も摘発。東京大学図書館も摘発ということになるのだろうか?  やはり、問題は「児童ポルノ」という定義のできない言葉が濫用されていることあると感じた。もちろん、この記事がもとで大宅壮一文庫にガサでも入ったら、全力で助けるヨ! (取材・文=昼間たかし)

ミニコミが熱かった時代「平凡パンチ」1975年2月5日号 「ミニコミ第三世代に注目」

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 もはや「ミニコミ」なんて言葉は、通用しない世代のほうが多数派になっているんじゃなかろうか。まず、Googleで検索してみたのだが、最上位に表示されたのは「日本語俗語辞書」なるサイトの用語解説(http://zokugo-dict.com/32mi/minikomisi.htm)。ここでは「ミニコミ誌とは、自主制作雑誌の総称」として解説している。対して、多くのサブカルチャー用語が掲載されているWikipediaには、「ミニコミ」「ミニコミ誌」の項目はない。  ミニコミ誌は、いわば同人誌の一形態である。いや、同人誌がミニコミ誌の一形態なのかもしれない。その境界線は極めて曖昧だが、同人誌は掲載される記事が特定のジャンルや目的に絞られたもの。対して、ミニコミ誌は雑誌的といえるだろう。いずれにしても、制作する人々が、どう認識しているか次第だ。百花繚乱のコミックマーケットの中でも、同人誌というよりもミニコミと表現したほうがよいサークルは、数少ない。長らく刊行されている「漫画の手帖」あたりが、古きよきミニコミのスタイルを守っている数少ないものだろう(と、再びGoogleで検索してみたら「漫画の手帖」はWikipediaに「漫画に関するミニコミ誌」としてページがあった)。  かつて、インターネットも携帯電話もなかった時代。若者が、情報発信を行うツールとして使ったのが、ミニコミ誌であった。どこの大学にも、ミニコミ誌の1つや2つは必ずあった。オフセット印刷の高級なものは少数派で、多くはガリ版や、ちょっと時代が進んでリソグラフで印刷したものを、ホチキスで製本したものであった。  ちょっと回想。筆者が大学生だった90年代半ばは、振り返ればちょうど時代の端境期だったろう。まだ、ワープロを所有している同級生は少なく、パソコンとなると指で数えられる程度のマニアックなものだった。それでも、多くの人がミニコミ的なものは制作していた。筆者の通っていた大学の場合、ミニコミ誌制作を掲げるサークルは、どういう事情か勢いを失っていたが、文芸系サークルとか、研究系のサークルは、会報とか会誌という形で、ミニコミ的なものを制作していた。その制作風景も、今となっては化石的だと、この文章を書き始めて気づいた。  当時の制作スタイル。まず、ワープロで原稿を制作するのは、ごく少数派。PCを所有していてもテキストデータなんて言葉は、ほぼ誰も知らない世界。原稿は、緑の方眼が入ったレイアウト用紙に直接書き込むか、ワープロで入力したのをプリントアウトして、切り貼りするものであった。直接、レイアウト用紙に原稿を書くときも、いちいち鉛筆で書いて下書きするのは面倒くさくて、直接ペンで書いていき、間違ったら修正液を塗りたくるのが常套手段だった。そう、あの頃は、文房具の中で修正液が欠かせない時代だったのだ。原稿が揃ったら、ページに間違いないか確認をして、リソグラフで印刷。だいたい、〆切を設定していても、誰もが守るはずもない。ゆえに、リソグラフで印刷したあたりで、サークルボックス or 学生会館を追い出されて、誰かの家で「紙をトントンする作業」「紙を折る作業」「閉じていく作業」を繰り返し、気がついたら、朝という感じ。だいたい、印刷の前の段階。原稿を揃えているあたりから、合宿である。なにしろ、1人か2人かは、原稿を揃えている段になって、ようやく原稿を書き始める……。研究系のサークルだと、真面目に研究論文を書くヤツがいる一方で、1人か2人かは「……次回に続く」と2ページ目で終わるヤツ、趣味か食い物の話か、合宿の思い出を書いてお茶を濁すヤツが出る。  そして、今は21世紀。ワイワイガヤガヤした制作風景は、もう聞かない。大学生レベルでも「PDFで入稿してネ!」とか、器用なヤツがInDesignでカッコイイデザインをつくっちゃう時代なのだ。こうしてモノをつくる作業は個人の中へと埋没している。スタイリッシュなデザインは、手に取る者を満足させても、長く記憶に止めるものは少ない。  さて、ミニコミはいかにして生まれてきたものなのか? 「平凡パンチ」1979年2月5日号に掲載された「ミニコミ第三世代百花繚乱」は、こう綴る。 R0037532.jpg 「ミニコミが、そもそも若者文化の旗手として世の中に登場してきたのは、あの68~69年の学園闘争以降のことだ。自分たちのパワーで既成社会に変革を迫ったあの闘争もけっきょく、機動隊の圧倒的な力の前に、敗退せざるをえなかった。  そうしたなかで、闘争挫折派のヤングが、政治的な戦いを文化的なレベルでの闘いにスイッチバックさせる形で、新たに生み出したのが、ガリ版刷りやタイプ印刷のミニコミ雑誌群だったのだ。  いわゆる大人社会への対抗文化設立を目指す、“怒れる若者たち”からの紙つぶてとして、これらのメディアは、世の中へ放たれた。  あれからちょうどまる10周年を迎えた今、ミニコミ自体もかなりの変化をとげている。つまり、おフザケとパロディとに満ちたナンパのメディアが激増している」  ここに示されるように、そもそもミニコミは漠然としたカウンターカルチャーの意識の中で、生まれ出たものだった。しかし、それは、あくまで漠然としたものにすぎなかった。ここに示されるように、わずか10年の間に、ミニコミという媒体を使って体制に、あるいは世の中に牙を剥く意識は、飛び去った。でも、若者の情熱が冷め切ったというわけじゃない。それは、本気の消費文化として蘇ったのである。  この記事では、前述の闘争に挫折した世代を第一世代として、1979年当時には既に第三世代に移行していると述べている。  すなわち第二世代とは 「手書き文字をそのまま軽オフセット印刷にかけたという新聞スタイルのフリープレス群である」  とする。そして、第三世代とは77年ごろから勃興してきた 「いわゆる街の情報誌のスタイルをとったタウン誌と各大学のキャンパス・マガジンの2つの傾向」  からなるものだとする。  この記事が掲載された1979年という時代、それは第一世代は消え去ったものの、第二世代はまだ残存。第三世代が、急激に勃興を始めた頃だったのだ。  この記事では真面目な第二世代も取り上げつつも、メインになるのは第三世代。記事中では、1979年当時には全国でミニコミ誌は5,000種も出ていると述べているが、その中で最も勢いがあるのは、マジメさも堅さもない。それまでの学生のメディアとは打って変わった第三世代のミニコミであったのだ。  そして、記事は次々と第三世代を象徴すべき妙なミニコミを紹介している。中でもイチオシで紹介されるのは同志社女子大の女学生による「奇女連」なるサークルが発行する「ナ・リマ・セヌ」なるミニコミだ(タイトルは、尼さんが濡れ場で「なりませぬ、なりませぬ」と声に出すところからと、ある)。記事によれば、この奇女連は、次のような女性の集合だという。 「平均年齢二十歳ほど/男の所持数 星の数ほど/信条 犬が西むきゃ尾は東/宝物 子宮/氏神 中山千夏+桐島洋子<泉ピン子/合言葉 普通の女の子はもうやめた」 ……サブカル女子は、別に21世紀になって始まった存在ではないことを示す資料ではなかろうか。  ともあれ、若気の至りともいえる突っ走り方がすがすがしいミニコミには目を見張るものがある。上智大学の仲良し4人組の女のコたちがロンドンでパンクに目覚めて創刊したと紹介される「狂乱娼館」はまさに、それ。なんでも、パンクを本当に正しく伝えるミニコミだそうなのだが、 「だれでも人間なら言いたいことがあるのだから、かまわず発言しようってことが私たちのネライ。そして、パンクを通して日本のジャーナリズムがいかにくさっているか、身をもって挑戦したいンです」  と、発行メンバーはコメントしている。政治の季節が過ぎ去ってから10年を経ても、まだ何かの雰囲気が残っていたことを感じさせずにはいられない。今でも、ミニコミ誌が継続的に発行されている早稲田大学に触れた部分では、新しい号が出るたびにキャンパスに露店を出して販売していることが記されている。学生が露店を出して勝手に商売をやり始める──もはや、ガードマンがウロウロと巡回している管理された空間となった大学では考えられない光景であろう。 (文=昼間たかし)

同人誌の売り上げを気にするヤツは死ねばいいと思った……『サンデーまんがカレッジ つくろう!同人誌』

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『サンデーマまんがカレッジ
つくろう! 同人誌』
(小学館、1983年)
 今回、紹介するに当たって再読して、あらためて内容の素晴らしさに気づいた。  『サンデーまんがカレッジ つくろう!同人誌』。タイトルの通り「少年サンデー」編集部による同人誌の作り方をまとめたマニュアル本である。この本が出版された1980年代前半「少年サンデー」が「同人誌グランプリ」なんて企画をやってたのも、今から考えるとすごいことだが、それはさておき、中で記されている内容は現代でも通用することばかり。いや、今から同人誌を作ってみようかという人は、読んでおいて損のない内容である。  さくまあきらが構成を担当しているこの本。当時の人気作家より石ノ森章太郎、新谷かおる、高橋留美子、岡崎つぐおの4人が同人誌時代を語った上で、実際の制作のレクチャーへと入っていく構成だ。  大人気の漫画家たちも同人誌をやっていた! イコール、同人誌はプロデビューへもつながる可能性を秘めている! という夢のある構成だ。  というわけで、夢を膨らませながらページを読み進めていくと……同人誌の第一歩として記されているのは「まずは会員を集めよう」というもの。これは、注目すべきポイントである。今でこそ、個人サークルなんて当たり前になっているけれど、当時は同人誌というのは仲間同士で集まって制作するのが当たり前だったということが見て取れる。なにせ、1行目に「同人誌をはじめるには、まず会員を集めなければなりません」と書かれているくらいだし。  そして、読者層を10代前半あたりに設定しているのか、仲間集めに関する説明がとても丁寧だ。仲間を集める方法としては、雑誌読者欄への投稿が一番早い方法として懇切丁寧に説明されている。さらに、注意事項の説明も微に入り細に入っている。中でも「(雑誌に募集告知する場合)しっかりした書き方をしないと、あっという間に200人以上もの入会希望者が集まってしまうので、注意しないと大変なことになってしまいます」という一文は見事だ。なにせ、夢を持たせながらも「サークルの方向性はちゃんと決めないとグダグダになっちゃうよ」と教えているわけなんだから。注意事項では、募集する人の年齢もちゃんと考えるようアドバイスがなされている。ちょっと引用してみよう。 「せっかく募集しても、入会希望者が5歳も6歳も年上ばかりでは、会の運営はなかなかうまくいきません。できれば、何歳以下の人を募集中と、明記したいものです」  どうだろう。ここで書かれた内容を実践して出来上がるサークルは、かなり「本気度」の高いものではなかろうか。ネタでマニュアルっぽく書いているのではなく、文章の端々から、ぜひサークルを設立してうまくいってもらいたいという執筆者の願いが見えてくる。  これらの記述から見えてくるのは、ここで目指されている同人誌が現在とはかなり異なるということ。会員集めに続いて原稿の書き方、スケジュールの立て方などを解説したあと、「会員紹介のページをどうするか」という項目が設けられていることからも、それは明らかだ。ここで執筆者は多くの文字数を割いて会員紹介の大切さを記す。 「同人誌を読んでいて、この本はいいなあと感じるときは、作品の出来はもちろんですが、会員紹介のページの良し悪しが左右することが多いのです。会員紹介のページが楽しそうで、ていねいに作ってある本は、まずいい本と思って間違いないようです。同人誌というと、どうしてもひとりよがりな作品が、掲載されている場合が多いものです。このような作品が、多く掲載されている本にかぎって、会員紹介のページがなかったり、あったとしても非常に冷たさを感じるページになってしまっているから不思議です。また、同人誌のなかには、絵はうまくないけれど、読んでいてあたたかみを感じる作品が多い本があります。各作家が一生けん命やって、チームワークもいいなあと感じる本もあります。こういう本の場合、必ず会員紹介のページがおもしろいのです」  この記述は、大上段に構えることなく同人誌がどういうものかを示している。同人誌とは本来、コミュニケーションのツールである。同人誌を通じて仲間と研鑽し合うこともできるし、即売会に参加することで同好の士や、いまだ見ぬ仲間との出会いも無数にある。実のところ、人気があるとか売れるとかは同人誌においては、あまり重要な要素ではない。「同人誌とは何か!」みたいに肩肘張って書き記すのではなく、「うまいヘタとか別にして、仲間と一緒にやったほうが楽しいでしょ」と優しく教えてくれる点で、この本の価値は高い。 ■本来の同人誌は、こういうものです  ここまで、本の内容を解説するというよりも、べた褒めするようなスタンスで記してみた。というのも、このような懇切丁寧な記述を行っている本が現在では存在しないからだ。この原稿を書くにあたってGoogleで「同人誌 作り方」と検索をしてみて、アレッ? と思った。原稿の描き方(サイズとかなんとか)や、印刷所への入稿の仕方など、技術を解説したものは無数にある。しかし、基礎の基礎……「同人誌とはこういうものですよ」と、教えてくれるようなものは、ついぞ見当たらない。「同人サークル 作り方」とかでも検索してみたのだが、Yahoo!知恵袋などでQ&Aはあるものの、サークルの立ち上げや運営を解説してくれるサイトも見当たらない。  近年では、同人誌を制作するに至る前段階としてネットで絵を公開するなり、同好の士と交流している人が多数派になっている。いわば、同人誌を発行せずとも創作意欲が満たされたり、交流できる場は増えたわけだ。それでも、コミックマーケットには3万を超えるサークルが参加する。そして、その中で儲かっているサークルなんかほんの一部にすぎない。それでも、大勢の人々がサークル参加をしているということは、大多数の人は、わざわざ解説されなくても同人誌はコミュニケーションのためのツールだと理解しているということだろう。  でもやっぱり、そうではない人はいる。昨年、同人誌印刷会社の人から聞いた話だが、ポスターをスタンドの裏表ともに掲示して、背中側のサークルに「ウチのポスターが見えなくなるから、スタンドを立てるな」と要求して揉めたサークルがあったという。  なんだか、理解し難い出来事だが「自分のサークルの売り上げが下がったらどうする。ほかのサークルのことなんか知らない」という主張だったそうだ。この事例は極端だとしても「同人……なんだよね?」と首をかしげることは、日常的にあるのではなかろうか。先月だったか、同人誌が売れなくて死にたがっている人物とやらがネットで話題になったし、売れないマンガ家なんかが、即売会の売り上げで生活費のせせこましい計算をしているのも、よく聞く話だ。  別段、それが悪だとか愚かであるとか批判する気もないが、同人誌なのに人気や売り上げに一喜一憂していて、楽しいのか大いに疑問だ。なにより、そんな意識で作った本なんて、どこか殺伐としていて読者にイヤな思いを与えるのではなかろうか。  前掲の「また、同人誌のなかには、絵はうまくないけれど、読んでいてあたたかみを感じる作品が多い本があります」の一文がすべてを語っている。儲かろうが儲かるまいが、作っていて楽しい、人に喜んでもらいたいという根本的な部分を忘れたものが売れるわけもないだろう。そうした人たちに向けて、書籍でもサイトでもいいから、ちゃんと基本を教えてくれるものは必要なのではないかと、筆者は考える。もっとも、ホントに基本が必要な人は、入門書なんか読まないんだけどネ! (文=昼間たかし/文中敬称略)

昔はこのくらい平気でした……伏せ字にする気のないヤバイ印刷所の実態『パソパラチャット』1998年12月号

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『パソパラチャット』1998年12月号
(メディアックス)
 いつの頃から、雑誌でヤバいネタを書きにくくなったような気がする。かれこれ30年くらい雑誌好きとして人生を送っていると、“雑誌=ちょっとくらい人の悪口を書いても平気なもの”というのが常識だと思っていた。読者はそれを求めているはずだし、ターゲットにされたほうも笑って許してくれる……。でも、もうそんな時代は終わっていた。先日、ある雑誌で筆が滑って、看板作家を喰って嫁にした某編集長の話とか、挨拶代わりに女性編集者のおっぱい揉んでも怒られなかった某編集部(すでに廃刊)の話とか書いて入稿したら「やめてください!」と速攻怒られた。う~ん、もう時代は変わってしまったのか。  そんな昔を懐かしみながら、今回紹介するのは『パソパラチャット』(メディアックス)1998年12月号である。この雑誌は、91年に日本初のエロゲー専門誌として創刊された『パソコンパラダイス』の姉妹誌である。エロゲーを扱う本誌に対して、こちらのメインになっていたのがエロライトノベルとエロアニメである。  思えば、当時はオタク向けのエロコンテンツが伸びまくっていた時代だった。今でもエロアニメの一大レーベルとして知られる「ピンクパイナップル」が誕生したのは94年(最初のリリース作は『同級生』『マジカルトワイライト』『美しき性の伝道師麗々』……時代を感じます)のこと。90年代の後半には、当時の親会社だったKSSは西五反田に自社ビルを建てて、1、2階にはCD・ビデオ・ゲーム販売店ソフトガレージを出店。当時、筆者は東急池上線沿いに住んでいて「エロアニメってのは、随分と儲かるんだな……」と思ったモノだ。もっとも、あんまり客は入っていなくて、近隣の大学生の遊び場と化していたのだが。
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梅津泰臣版のキャシャーンは今でも名作だと思っています。
乳揺れが……。
 そうした時代背景もあって成立していた本書。今読み返すと「『殻の中の小鳥』からメイドブームがこうなるとは、思わなかったなあ……」とか「『AKITE』はフツーに面白いアニメじゃったよ……(原作・脚本・キャラクターデザイン・監督すべてが梅津泰臣)」とか、懐古厨な感覚に陥っていく。
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かかしあさひろの名を聞いて思い出すのは、出版社の在庫処分の場だったコミケの企業ブースで
嫌そうな顔してサイン会していた姿。昔の企業ブースは面白かったなあ、
新声社が潰れた後とか。
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当時からインターネットの記事が掲載されているなんて考えてみれば最先端だね。
 でも当時、この雑誌の購買意欲をそそっていたのは、そこではなかった。この雑誌、エロアニメの情報を看板にしながら、モノクロページはやりたい放題だったのである。中でも際立っていたのが、この号にも掲載されているシリーズ連載「ヲタク国勢調査」である。この企画は、ヲタクの自虐趣味を全開にしながら人の悪口も書きまくるという、今だったら絶対に編集者がビビってやらない企画である。  クレジットには「文カいたヤツ:ヨッシーアイランド/絵カいたヤツ:かかしあさひろ」とある。  今じゃ、代表作は『暴れん坊少納言』になっているかかしだけど、当時はエロマンガ家で、更科修一郎とかと一緒にマンガ・雑誌批評同人の形態でヤバげなことばっかり書いてコミケの評論スペースを賑わしていた頃。  そんな人脈によって生まれたとおぼしき企画ゆえ、「夏の思い出し」のタイトルでコミケについて語るのかと思いきや、冒頭から「もう現役復帰不可能な事、萩原○至のごとしじゃよ~」と、仕事するのがイヤだというボヤきを延々と綴る。そんな調子で始まる企画でまずネタにされているのが、「ヤバい印刷所」。このネタ、印刷所の会社名を伏せ字にしながらも、まったく隠す気なんてない。  せっかくだから引用してみるが「(ヤバい印刷所の)栄光の一位に輝いたのはなんと栄○印刷」として「とりあえず印刷屋の親父のくせに愛人3人も囲うの禁止」と、こんなところでライター生命を削らなくても……と思ってしまうような無茶な「批評」を。まあ、愛人ネタならまだいいだろうけど、ほかの印刷所への言及はほとんど営業妨害のレベル。「○○○○館」には「名簿転売の元祖。本が上がらなかったり、原稿が帰ってこないくらいならまだ良いが、借金のかたに名簿の転売は勘弁」だし、「○陽社」には「乱丁、落丁、が多いのは愛嬌で済まされるが、払った金より安い紙になってんのは許せん」……過去の事情を知らない人が読んだら「そうだったのか!」と半ば信じてしまうこと請け合いである。
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ページをめくるごとに思うのは、こーゆーものばっかり見てたら、
こんなオッサンになっちまったという自省だよ。
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この頃から、こんな同人誌ばっかり買っていたら、人生がこうなったでござるよ……自省。
 以前、印刷機マニアな某印刷所の人に「印刷所の歴史って誰かまとめないんですかねえ」と話したら「みんなしゃべりたがらないんだよね」と返された体験がある筆者も半ば信じてしまったぞ(あくまで印刷所ネタは引用ですからね!)  さて、1998年のコミケの際にちょっと騒ぎになったのが、「某イ○○エ○大使館」が「○チスのコスプレ」に抗議したとかしなかったとかいう一件。一応、夏のコミケの総括企画ということもあってか、その点にも触れているのだが「2日目のミリタリーブースは、まるでA○DS患者の寄り合い所帯みたいな雰囲気だった」とか書いてある。いやいや、散々「炎上」している筆者であるが、もし「日刊サイゾー」にこんなこと書いたら、炎上じゃなくて出禁は間違いないよ(おそらく、校閲でストップだけどね)。  冒頭に、人の悪口が書きにくくなった現在について記したわけだが、この企画が清々しいのは基本的に噂と悪口をネタに昇華しきっていることにある。ゆえに「よく、こんなこと書けるな」と思うネタはまだまだ止まらない。「オールジャンルとは名ばかりのエロゲー専門即売会コミックキ○ッ○ル」が、悪名高い○ロッコ○ーから運営母体を変えた件に触れた部分では「○ロッコ○ーのK社長にしてみれば自社で安く買い叩いた版権グッズを高く売るための格付け用イベントだったはずなんじゃが、やり方を真似する会社が出てきてうまみが減って」云々とかと、まったく伏せ字の意味がない。そして、やり方を真似した会社に対しても「○-BOOKSは、経営者がガ○タンク君から変わった途端に攻めの経営姿勢ですな」とか。いや、文章がよっぽど攻めの姿勢なわけですが……。ほかにも本文で「最近トンと噂に上らぬプリンス黒メガネ」と書きつつ、挿絵で「RED」って王冠つけた王子が書いてあるしサ。  やっぱり、雑誌の価値はほかのメディアでは躊躇することをガッツリと文字にできることにあると再認識させてくれるこの記事。もう、こんな時代ってこないんだろうなあ。 (文=昼間たかし/文中敬称略)

アルバイトが楽しかった時代「Olive」1982年7月18日号

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「Olive」1982年7月18日号
(編集発行人:木滑良久/平凡出版)
 今回は「Olive」1982年7月18日号を紹介しよう。「Olive」といえば「オリーブ少女」という言葉まで生んだ、マガジンハウスのファッション誌。でも、それは83年からのことで、それ以前は趣の違う雑誌だった。タイトルロゴの上には「Magazine for City Girls」のキャッチコピーを刻み、まんま「POPEYE」の女子大生版のテイストであった(ファッション誌にリニューアルした後のキャッチコピーは「Magazine for Romantic Girls」)。創刊4号目の、この号の一大特集は「保存版アルバイトの素敵な情報」である。 ■無謀な海外渡航もオシャレに見える?
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創刊号の広告。会社名のとこで「東京銀座」とオフィスの所在地を強調しているのが、
昭和的なオシャレ感。(「読売新聞」1982年5月17日夕刊より引用)
 いったいどんなアルバイトが登場するのかとページをめくれば、冒頭で紹介されるのはオーストラリアでのワーキングホリデーの解説だ。……「あれ、違う宇宙の話かな?」と戸惑うしかないが、本文を読むとネタではなく本気である。  しかも、よくもまあこんなに思い切りのよいネーチャンばかりを見つけてきたものだと感心する。  冒頭で紹介される女性は「一年間滞在するというのに、地図さえ持たず、当日の宿泊先を決めないまま一路シドニーへ。空港からユースホステルを電話で探し当てたものの、宿泊期限が5日間。どうにか2軒目のユースホステルに移り住み、その間に現在のフラットを新聞で見つけたというコト」。思い切りがいいんじゃない。これは、ワーホリじゃなくて、冒険だよ(フラットってなにかと思ったら、キャプションに「そう、フラットというのは、日本でいえばアパート。知ってた?」だって)。  キャッチで「働くことが大きな冒険ダヨ!」と煽るこのページ。紹介している仕事は土産物屋やホテルの受付、観光ガイドだけではない。やたらと推しているのが、ホームステイして、お手伝いすることで週給がもらえる仕組みだ。「ご主人の舵取りで休日はハーバー・クルーズの豪華さかげん」の煽りには「どこの分限者じゃ!」と唖然とするしかない。きっと、この記事を真に受けた結果、ガレー船並みに働かされたヤツもいるんだろうなあ……。
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このビミョーなスカートの丈に興奮できるようになったら一人前です(なんの?)
 続いて、この特集が推すのが「ナレーション・ガール」である。何かと思えば、イベントコンパニオンである。ここも「週2回2時間のトレーニングで晴海のアイドル」とか、煽りまくりだ。唖然とする怒濤の煽りの中で隔世の感を感じたのが、「ちょっと資格のあるバイト」として紹介されている「コンピューター・ガール」だ。ここの紹介文は、まさに時代を感じさせるので引用してみよう。 ■パソコンが使えれば日給1万円 「いま、企業で注目されているのはオフィス・オートメーション(OA)と呼ばれるもの。ようは、事務所のコンピューター化をめざしているのだ。となると、コピーや書類の整理をするオンナのコなんて、必要がなくなっちゃう。こうなれば、就職がだんだん難しくなるね。企業はOAマシンを使える人を求めている。OAマシンを知っていれば、もう、それだけで、就職運動の切り札になっちゃう。そこで、アルバイトをしながら、コンピューターやOAマシンの使い方を覚えちゃえば、就職運動とあいなるわけ」  
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こういう読者モデルの女のコたちって今はなにやってんのかな? 
フツーに主婦か?
 バイト代は5000円~1万円と紹介されており、前述のナレーション・ガールと同等のレベル。  本文中の「コンピューターの操作は、ちょっと難しいと思えるけれど、プログラムがしっかりしていれば、1つ2つのキーを押せば、簡単に動かせる。あとは機械まかせ」と、テキトーな解説が記されているように、今では当たり前のパソコンも80年代初頭ならば、立派な特技だったことがうかがえる。う~ん、今や50歳を過ぎた、この世代からパソコンを使える人=特技を持っている人の感覚が消えないのが、わかるような気がする。  ネタにしかならないものはたいがいにして、記事中に記された、さまざまなアルバイトのバイト料を羅列してみよう。 武道館のコーラ売り:時給500円以上 FM東京の翻訳業務:時給650円 「non・no」のモデル:プロ並み 「CanCam」のモデル:日給約5000円 バニーガール:平均時給1300円 巫女:結婚式一回880円 104番号案内:日給3500円 ミスタードーナツ:平均時給470円 ケンタッキー:時給500円 マクドナルド:時給500円前後 イッセイ・ミヤケのショップ:日給4000円以上 シップス・レディス:時給500円 ポンパドール:時給600円 CBSソニー:時給580円 新宿ルイード:時給600円  もはや30年ほど前の時給ゆえに現代よりも安いのは当たり前。そこで、比較のために、当時のモノの値段を調べてみた。82年の「小売価格調査(あらゆる物品の価格を羅列している役に立つ統計書だ)」では、次のように記録されている。 かけうどん:307円 ラーメン:344円 テレビ:10万5300円 私立大の年間授業料:32万8800円 (以上、東京区部平均) はがき1枚:40円 新聞月極:2600円 文藝春秋:530円 週刊朝日:250円 たばこ(ハイライト):150円  なんだか妙である。かけうどんは、30年たっても価格は同等(むしろ安くなった感がある)。対して、ラーメンや私立大学の授業料、たばこは倍以上。対して、テレビは半額以下といった具合だ。つまり、価格だけ見て当時が暮らしやすかったか否かを、単純に測ることはできない。 ■時給はベーコンエッグバーガー2個分
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制服の色使いが時代を感じさせる。この頃のファーストフードは、
滅多に行くことのできない天国だった。
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渋谷の人気ショップも続いているトコ、ないトコといろいろ。
この後、バブルを経てどうなっていったのだろうか。
 しかし、この特集を読んでいると、これだけは言える。「なんだか、楽しそうじゃないか、コイツら……」と。  この妙な楽しさは、なんだろうと考えて気づいた。春先になると、よく書店やコンビニに並んでいる「部屋テク」系のムックと同じ雰囲気が漂っているのだ。一人暮らしを始めたら、部屋をオシャレに飾っちゃおうと煽りまくるのが、それらのムックの基本スタイル。結果、ビレバンとかIKEAあたりで、妙な雑貨を買っちゃって、数年後には後悔する若者は多い(かくいう筆者も20代の後半になって、間接照明にこだわったが……視力が悪化した)。
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いつものネタですが、テクノロジーのシンポには驚きます。
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この時代の男のコって、ヒゲはやしている人が多いんだよね。
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目次を見ると、ベースが「POPEYE」なのが一目瞭然
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 でも、たとえ黒歴史になったとしても、そうした情報は、夢や楽しみを提供してくれたハズだ。  翻って、この特集で紹介されているアルバイトだってそうだろう。当然、楽な仕事なんてなかっただろうけど「出会いがあるかも」「貯金して……」とか、今よりもアルバイトを通しての夢は大きかったハズ。アルバイトに、単なる労働ではない付加価値があったことが、よく見えてくる。  そうした現代との感覚の違いを、特に感じさせるのが、ファーストフード店を紹介しているページ。前述のように時給がビミョーなのだが、今では信じられないくらいオシャレである。 「さか立ちしている白いヒツジちゃんとオレンジ色の看板がシンボル・マークなのが<ロッテリア>。永遠のアイドル(?)郷ひろみクンのCMや、あの秋吉久美子さんが映画『突然、嵐のように……』の中でアルバイトしていたお店として強く印象に残っています」 「<ファーストキッチン>はハンバーガーとミネストローネのお店。洋酒・ビールで有名なサントリーの外食部門だというのはあまり知られていないお話」  なんだか、ファーストフード店が妙にオシャレに見えてくる文章ではないか。ファーストキッチンを紹介している文章なんて、タイトルが「ベーコンエッグバーガー2個分がワタシの時給」って、バカにしてんのかとも思うが、妙にオシャレに錯覚してしまうのは、なぜなんだろう?  もはや、夢のある、楽しいアルバイトなんて話は聞かない。  アルバイトの仕組みも、80年代と今ではガラリと違う。80年代は日雇い系でも、多くは実際に就労する先の企業がバイト雑誌で募集をかけるのが当たり前だった。今では、そうした例は少なくなり、アルバイト募集系のサイトで検索すれば「派遣」の文字ばかりが目立つ。  否応なしに、アルバイト=いつでも替えのきく使い捨ての労働力と自覚せざるを得ない現在。でも、そうじゃない時代はあった。楽しくお気楽に、異性との出会いもあるアルバイト。そんなものは、80年代を最後に消え去ってしまったのか。 (文=昼間たかし)

自動改札機が「SF的スピード」だった時代『ひとり暮らしの東京事典 84年版』

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『ひとり暮らしの東京事典 84年版』
株式会社CBS・ソニー出版、1984年2月
 いまだに年末から年度末にかけてのこの時期には、文房具店の手帳売り場は賑わっている。でも、その需要は確実に減っているはずだ。筆者自身も手帳を使わなくなって長い。スケジュール管理は、スマホとGoogleカレンダーで完璧だ。手帳と共に必需品だったポケットタイプの地図も、もはや持ち歩く必要はない。  そろそろ大学受験も終盤を迎え、続々と若者たちが上京してくる時期。かつて、上京してきた若者は、マニュアル本やら何やらを買い漁り、地下鉄の使い方からどこでナニを買えばよいとかを必死に覚えていた。地図やガイドブックも必携である。20世紀の終わりくらいまでは、ファッションやグルメだけでなく書店ガイドだけでも一冊の本として成立しえていたのを思い出す。今回は、そんな時代の若者たちが読んだであろう一冊を紹介する。『ひとり暮らしの東京事典 84年版』である。  隔世の感を感じさせるのは、本の構成だ。まず表紙を開くと、地下鉄路線図と主要路線の所要時間一覧表が挟まれている。いまやスマホで目的地を入力すれば、行き方のすべてを教えてくれる時代。でも、10数年前までは、出かける時には、自分で行き方を組み立てなければならなかったんだよな。  そんな本書はターミナル駅のガイド(当然だが、駅構内の地図つき)に始まって、生活術、各地域のガイドと続く構成だ。考えてみれば、30年あまりも昔の話。ターミナル駅のガイドだけでも隔世の感がある。新宿駅の項目では「新宿発23時45分、アルプス13号は、北アルプスに登る若者たちであふれている」とある。急行アルプスはともかくとして、いま「新宿駅のアルプス広場」といって、通用する人はどのくらいいるのだろうか?  今回、紹介するにあたってじっくり読んでみたのだが、東京の地理に疎い人にとって、この本は親切なことこの上ない。東京都心部の路線の解説なんかは、とてもわかりやすいのだ。 「みどりの山手線は円! まず、このことを頭に入れること。そして、この円を西からまっすぐに横切るのがオレンジ色の中央線だ。横切った円の東側に延びていくのが黄色の総武線、縦は南北に青い京浜東北線だ」  なんて簡潔な説明だろう。で、この後、私鉄の解説もあるのだが「(私鉄は)円の内側はまったく走っていない」と、これまた時代を感じさせる記述が。いや、東京の鉄道網ってどんどん便利な方向へ進化しているのだなあと、感慨深くなる。
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東京の地下鉄路線は、まだこれだけ。今は便利になりました。
 そして、田舎から上京してきた人が困惑するラッシュについても、親切に指南してくれる。そこで記された人の流れに乗る方法は、こうだ。 「決意したらまわりを見渡そう。同じことを考えている人がいるはずだ。その人の後ろまで近づき、横切る方向に向かって後方45度にぴったり付く。要するに便乗するのである」   現代でも使えそうな項目はココだけ。なにせ自動改札機に対しては「差し込むとそれはもうSF的スピードで吸い込まれ、改札機方向にピッと出る仕掛けになっている」なんて書いているんだから。加えて、各路線の一覧表には「スト状況」の項目も。80年代はまだストライキで電車が止まることも多かったんだなと実感する。 ■人気スポットは中央線沿線
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挿入されているイラストとかがとても時代を感じさせる。
こうしたイラストレーターの人って、どうしているんだろうか?
 さて、生活編のページでは様々なジャンルのお店を紹介していくのだが、目に付いたのは定食屋の解説だ。「満足顔でしっかり食べて、それでも500円をオーバーすることはメッタにない」という記述をみると牛丼屋チェーンが全盛の今は、なんて不幸なんだ! と感じてしまう。なにより、ここで紹介されている学生街の定食屋には、今なお現存しているところも。ちょっと羅列してみると ・おふくろ(早稲田) →消滅。ビルになっている ・三品食堂(早稲田) →営業中、というかB級グルメブームもあって有名 ・森川町食堂(本郷) →営業中 ・市ヶ谷食堂(市ヶ谷) →居酒屋になっている ・大戸屋食堂(池袋) →この後、チェーン展開 ・三福林(下北沢) →消滅
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地図が手書きなのはもっとも技術の変化を感じさせるポイントだ。
 もちろん、当時と比べると値段は変化しているのだが、いまだに現存しているところが多い。どうも、学生が多い街で定食屋という商売はハズレがないようだ。もし、何か商売を始めるなら、選択肢に入れたほうがよいような気も。生活編の記述を見て気づくのは、現在よりも外食のチェーン化が進行していないこと。そして、スーパーは生活に密着しているが、コンビニはまだまだ珍しい存在であったことだ。セブン-イレブンの説明では「名前のとおり朝7時から夜11時まで営業だが、24時間営業の店も多い」と記されている。深夜営業の記述では博報堂の調査を紹介する形で午前零時に都内の街で買えるものを記しているのだが、これも目を見張る。これによれば、もっとも深夜の買い物が便利なのは池袋で、ワーストは上野。池袋では深夜でもコーラはもちろん、菓子パンでも生理用品でも、香典袋でも、英和辞典でも買うことができる。対して、上野ではコーラは買える物の、コンドームも菓子パンも売っていない。つまり当時、午前零時を過ぎた上野では、店がまったく営業していなかったというわけだ。いまやどこでもコンビニがあって、大抵のものは手に入る時代。なんて便利になったのだろうかと、感動せざるを得ないだろう。 ■ロリコンが喜ぶ街は茗荷谷  もう一つ、本書の現代的な価値を感じるのが「キャンパスのある街」の紹介だ。東京を扱うテーマの本だけに、筆頭で紹介されるのはお茶の水。まずは、明治大学の紹介から始まって、写真は今のリバティータワーのところ……すなわち、ボロい建物があって某新左翼党派の看板があったところ。なんだって、こんな写真をセレクトしたのだろうか(その後、21世紀になって、とんでもない内ゲバがあった挙げ句に大学が暴力ガードマンを雇ったり、出資金を返還しないまま生協がなくなったりとか……予測できない未来だったろうな)。  それはともあれ、本文中で紹介されているけっこうな数の店が現在でも残っている。三省堂や東京堂など書店はともかく、ヴィクトリアなどのスポーツ用品店は当時から繁盛していたらしい。対して数を減らしているのが喫茶店。ここでは、レモン・ファイン・マロニエ・きゃんどるが紹介されているが、現在も喫茶店営業を続けているのは、きゃんどるだけ。学生街の喫茶店も今は昔になってしまった。
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20世紀の終わりまでは、なにかと電話番号一覧が掲載されているのがデフォ。
 街の紹介よりも、関係者は今は何をやっているんだろうか? と思ってしまうのが一部の大学の紹介ページにある珍サークルだ。当時、早稲田大学にはロリコンを地でいく「おじさん少女の会」、童貞であることが絶対条件の「童貞を守る会」があったそうだ。また、東大にはアイドルを育てる「アイドル・プロデュース研究会」が、立教大学には男しか入会できない「パフェ研究会」があると記されている。……二次元嫁がナンタラとかAKBがウンタラとかの話しかしないのって、現代の若者の分析とか批判に使われるけれど、昔も一緒じゃないかと納得。なお、この本の茗荷谷の項目では「小中高が集まり女学生も多くロリコンにはうれしい」という記述も……。  80年代の雑誌はもとより、こうした若者向け生活マニュアル本も収集している筆者だが、現在との違いを(無理矢理)引き出すなら「前向き、だけど方向が違う」という点だ。こういったマニュアル本からは「誰かに認められたい」とか「失敗したくない」といった感覚はまったく感じられない。とにかく「楽しく暮らしたい」という意識が前面に押し出されているのだ。  80年代前半、消費社会が進行し選択肢が増えた中で、マニュアル本が量産されるのは当然のことだった。しかし、ネットの発達と共にこういった本が消えたことで逆に不便さは増したのではなかろうか。ネットは、本よりも数多くの情報を教えてくれはするものの、それは精査し取捨選択されたものではない。つまり、情報は多いが迷うことは増えた。あるいは、情報が多すぎてホントに必要な情報にたどり着くのが困難になったということができる。  と、評論家でもないのに評論っぽいことでまとめにしつつ、リアルタイムでこのような本を読んでいた人は、どんな印象を抱いていたのか聞いてみたいと思った次第である。 (文=昼間たかし)

『烏城物語』と併せて読みたい市井の記録 岡長平『ぼっこう横丁』

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販売されていたものは、こんな箱に。手に入れた時はうれしいのだが、
本棚に並べにくいことこの上ない。
 誰それがこうやって儲けたとか、どこどこの人がこんな妙ちきりんなことを始めたとか、ちまたに現れる奇人変人のことなどなど、毎日さまざまな話が流れては消えていく。挨拶代わりのちょっとした話でも、ちゃんと記録していれば貴重な歴史の史料へと装いを変えることもある。今回は、どんなくだらない話であってもちゃんと記録はしていくもんだと、筆者が思いを新たにした本を紹介する。  過日、限定復刻された森安なおやの幻の名作『烏城物語』を無事に手に入れた筆者。せっかくなので、岡山後楽園をひとまわり。日本三名園のひとつ後楽園の入り口は、空襲で焼け残った町並みが残る出石町を抜けて、鶴見橋を渡る正門と、岡山城の下から月見橋を渡る南門の2つがある。門前にはそれぞれ随分と昔からある、お茶も食事もできる店がある。どちらのお店もなかなか商売以外にも才があるのか、正門のほうの某店のご亭主(今は代は変わったかも)は偕成社からジョロウグモの写真集を出しておった。はたまた、南門のほうの某店の息子は、ミリオン出版の伝説の雑誌「GON」のライターから編集者になり、サブカル業界で一世を風靡しておった。後者のほうは、今は家業を継いでいるとかで、通りがかりにのぞき込んではみるが、以前、ミリオン出版の編集者が訪問したところ「今は一般人ですから」と取材を固辞されたと聞く。  静かに暮らしている人のところに、土足で踏み込むのも無粋だと、そのまま素通り。  後楽園も、岡山県が吉備高原都市やら倉敷チボリ公園やらで借金まみれになったしわ寄せか、大人400円も取るようになっている。もっとも、時間制限があるわけでもなし、暖かい季節なら400円でごろりと横になって一日過ごすなら、割安といえる。  さて、岡山城のほうは天守閣があるのだが、これは素通りだ。別に入場料をケチったわけではない。空襲で焼けてしまった岡山城は、市民の願いで再建。中は鉄筋コンクリートのエレベーター付きの立派なビルである。わざわざ展望台へ登ってみるのもアホらしいことこの上ない。むしろ、面白いのは石垣だ。元は、戦国時代に宇喜多直家・秀家親子が居城としたことから始まる岡山城。石垣は自然石を積み上げたものから、きっちりと形を揃えて積み上げたものまでもが揃っておる。この石垣を見ているだけで、天守閣まで登らずとも楽しめる。
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箱を開けるとさらに箱が出現。厳重すぎる!
■図書館で見つけた本が欲しくなり倉敷まで  さて、本題である。お城を抜けて、県庁のほうへ降りるとある目新しい建物が岡山県立図書館だ。昔の県立図書館は、天神山のところにこぢんまりとあるだけだったが、1999年に丸之内中学校が生徒数減少で廃校になった跡地に移ってきた。  駐車場はあるし、県庁の向かいなのでバスは放っておいても次々来る好立地のためか、いつも賑わう図書館。近年は、何度も貸出率日本一を達成している。もとより岡山は「教育県」を自負していたこともあってか、地方出版が盛んな地域。こちらの図書館も、郷土資料は大変に充実している。  どんなものかとのぞいてみた筆者は、ある本を見て驚いた。「こ、この本は、ぜひ手元に置いておきたい!」――。早速、古書の探求に欠かせないサイト「日本の古本屋」で検索してみれば、倉敷駅近くの古書店にあるという。  古書との出会いは瞬間である。一瞬躊躇すれば、どこの馬の骨とも知れぬヤツに奪われてしまう。時計を見れば夕方4時半を回ったばかりだ。まだ時間は十分ある。
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中身はこんな感じ。なぜか、懐かしの山陽相互銀行(現・トマト銀行)の
チラシらしきものが同梱。
 そこで筆者は走った。県庁通りをまっすぐに、電車道を横断して、天満屋の前を過ぎて、電話局のところを、まだまっすぐに西川を越えて岡山駅へと。  運よく岡山駅のホームで待っていたのは、福山行きの快速サンライナー。庭瀬も中庄もすっ飛ばして、倉敷駅までノンストップである。倉敷駅からは、岡山方面へ旧2号線を戻って10分あまり。目指す古書店・長山書店はあった。  店に駆け込めば、レジにいた可憐な女性店員は、郷土史関係は2階だという。早速、駆け上がって本棚を探すが……ない! ない! ない!  これは大変だと、2階のレジにいた、ご店主らしき人に聞いてみれば、 「いや、展示会に出しているんで、美観地区のほうに持っていっとるんじゃ。今日は、もう閉まっとるなあ~」 と、明日来るように言われてしまった。ここで初めて値段を聞いたら(サイトで見るのを忘れたんじゃ!)「正・続合わせて9000円じゃ」という。ままよと、1万円をレジに叩きつけ「明日、取りーくるから、今日はいぬるわ」ということに(東京から来たといったら、消費税分まけてくれた。さすが備中倉敷。商人は転んでもただでは起きぬという備前岡山とは違う)。
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分厚い! 全編にわたって、歴史作家やミステリー作家が
話の種にできそうな記事が満載だ。
■やはり岡山は奇人変人の産地だったのだ  そんな苦労をしながら手に入れたのが、岡長平『ぼっこう横丁』正・続である。  もとより、奇人変人しかいない岡山なのだが、この人物はなかなか興味深い。生まれは明治23(1890)年。当時、慶応大学を卒業しているというから、なかなかのエリートだ。本業では岡山電気軌道に勤めて市会議員にもなったが、昭和45(1970)年に死去するまで、岡山の郷土史の史料を集めに集めた。単に集めるだけでなく、人の話もたくさん記録した。著書は多いが、その中の一つである本書はまさに民衆史の史料。活躍していた年代からして、江戸時代末期のことを知っている人も存命だったろうから、明治・大正と日本が変わっていく中で、地方都市でどんな出来事があったのかが生き生きとした筆致で綴られている。奇人変人に、町の粋人、繁盛した店のこと、さまざまな事件のことも、克明に記録されている。冒頭でも触れた、森安なおやの『烏城物語』は、森安の記憶の中に残っていた、空襲で焼ける前の町が描かれているわけだが、この本を読めば、さらにそこで暮らしていた人々の姿が伝わってくるのだ。  正・続に分かれた本書。正篇では、岡山市の各地域の有職故実や事件、噂話を。続篇では、空襲の時のことを中心に戦後の混乱期の出来事が綴られている。  例えば、岡山のカフェーの第1号は、大正2年にできた「カフェー・パリー」という喫茶店兼酒場であるという項目では、女給の第1号は、お玉という人物で「はやく死んだが、美人でも利巧でも、才女でもなった。しかし、女給の岡山第1号なので、人気者だった」と記す。  万事がこんな具合で、だいたいすべて実名と人となりとを記しながら書かれている。とにかく、奇人の多いことといったら。  明治時代に、岡山で山陽英和学校(現在の山陽学園大学などの前身)の設立に関与した、中川横太郎なる人物がいた。この人物、学校の規模が大きくなったので資金が必要と、寄付金を集めて回ったがどうも芳しくない。そこで、この中川は新聞に自分の死亡記事を出稿して「香典ノ儀は、成ル可ク多額ニ願上候」と書いた。これは「中川の生葬礼」として、評判になったのだとか。  「ことり」が出た話もこれまた面白い。「ことり」は「子獲り」と書くそうで、西日本あたりでは、親が夕方になっても遊びに行って帰ってこない子どもをしかる時に、必ず出る言葉だ。なんでも、夕闇に紛れて子どもをさらって、軽業師などに売るらしい……。
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右ページでは洋傘店という言葉に「こうもりがさや」とルビが振ってあったり。
『烏城物語』に描かれた光景が浮かび上がってくる。
 都市伝説かと思ったら、江戸の末期か明治の初めあたりに「ことり」が出た話が載っている。誘拐された子どもは、売れなかったの大阪で捨てられて、無事に家に戻れたのだが、「神隠しじゃ」と思った町の人々の行ったことが面白い。「当時の迷い子さがしの定法」とサラッと書いてあるが「親類のものから、出入者を集め、それぞれの隊をつくって、一升枡の底を、火吹き竹で叩いて“喜太郎(誘拐された子どもの名)戻せ”」と叫びながら、市中の寂しげなところを探して歩いたのだとか。おそらくは、全国のあちこちにこんな失われた民間習俗があるに違いない。  岡山の定番(?)、猟奇な事件の記述もちゃんとある。大正4年に起こった「大供の串刺し事件」がそれ。これは、女学校裏の田んぼで、「十五歳の可憐な少女」が竹切れで局部を串刺しにされた死体で発見されたという事件。なんと哀れな少女と思いきや「ところが、この娘は、名代の不良少女で、浅黄衿組という一団を組織し、その団長になって、浅黄の衿をして飛び歩き、不良少年との交際も広い……ということも、わかって来た」。  事件は、交際していた不良少年に秋風を吹かしたら、嫉妬で殺害されたというものだった。ところが、この時に警察が不良少年少女グループの検挙を始めたところ「赤手団や幻会などでは、四天王・八天狗などと幹部に名称をつけ、組織的な制度を設けているし、少女の、紫衿組の親分なんかは、か細い腕に刺青をしているのを、自慢そうに見せつけた」のだとか。ううむ「幻会」のネーミングが格好よすぎる。  このような話を生涯をかけて集めまくった岡長平という人物は、まさに奇人というよりほかない。集めている当時は「なにしょうんなら、あんごうが」と見る向きはあっただろう。本人もその自覚があったのか、中島の遊郭の噂話をまとめた『色街ものがたり』という本では、あとがきで、需要がないので、中島の遊郭の資料を処分してしまったという記述がある。なんてもったいないことを……。  今では絶版になっていて、でーれー値段はするけれども、どんなくだらない話でも、記録しておけば、いずれは貴重な歴史となることを、本書は再確認させてくれる。 (文=昼間たかし) 「100人にしかわからない本千冊」過去記事はこちら