『考える練習』発刊記念インタビュー 小説家・保坂和志が語る「文学とお金、そして革命」

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保坂和志さん
 小説家・保坂和志氏が4月に大和書房から『考える練習』を出版した。「考える」ことをテーマにした本だが、わかりやすい「ノウハウ」を教えるようなものではないという。では、無数の情報が氾濫する現代において「考える」とはどういうことなのか? 保坂氏にじっくりとお話をうかがった。 ――『考える練習』(大和書房)が発刊されたということで、文学論から人生論までざっくばらんにお聞きできればと思います。保坂さんは、小説のほかにも、評論やエッセイなど、幅広く出版されていますが、新刊『考える練習』は、保坂さんにとって、ジャンルとしてどのような位置づけにあたるとお考えですか? 保坂 だいたい小説と評論、エッセイを分ける必要なんてなくてさ。そのときに言われる小説っていうのは、いわゆる絵空事という意味が一番強いんだよね。そこでいう絵空事って、いわゆるミステリー小説みたいなもんでしょ? でもミステリー小説なんていうのは、小説のなかの傍流であってさ。本当は、フィクションだから絵空事を書いていいという話ではないわけ。もともとはリアルであるためのひとつの方法が小説とかフィクション全体だったわけで、たとえばギリシャ悲劇や日本の神話は全部フィクションの形をとっているけど、それはリアルであるためにそうしているんだよ。  フィクションの起源というのは、たぶん夢なんだ。夢って荒唐無稽であることは確かなんだけど、人はリアルなものしか夢に見ないんだよね。夢の表面ですでにリアルなものと、何回か変換されてリアルなものと、夢にもいろいろな種類があるけれど、真実しか夢に見ないんだよ。だから夢はすごい。  そういうふうに考えると、それぞれの人が自分にとって一番リアリティのある形で書いているというだけのことなので、だとしたら小説もエッセイも評論も同じことなんだよね。たしかに評論というと、直接的にナマな形で社会問題を取り扱うこともあるけど、すべての評論がそういう形ではない。たとえば柄谷行人や蓮實重彦はナマな形ではないよね。  哲学の本もナマな形ではないけれど、そこで何かを言いたいわけで、本を読んで、その後、本に惹かれるようになるというのは、若いころに本を読んでガーンと衝撃を受けたからで、そういった衝撃を受けるというのは、そこになんらかのリアリティがあるわけ。それは評論で感じたりエッセイで感じたり、人それぞれなんだけど。  だから区別をつける必要はないし、いま一部で読まれてるフェルナンド・ペソアの『不穏の書、断章』(平凡社)『不安の書』(新思索社)という本があるんだけど、内容は覚書とか日記の断片形式で、これが小説なのか、なんなのかということは考える必要はない。いわゆる小説らしい小説、お話をつくるのに向いてる人っていうのは、日記やエッセイを書くような形で書き始めても、それがだんだんと夢のようなありえない展開に自然となる。そうじゃない人はもっとナマな形で出る。違いはそれだけ。だから元々ある未分化なエネルギーがどんな形を取るか、ということだけだと思うんだよね。 ■いまの小説は「模範解答」を書いているだけ 保坂 いまのミステリー小説っていうのは、ゲームやパズルをつくるようなもので、ある流儀の中で書いてるだけなんだけど、ミステリー作家にしてみれば、なんらかのリアリティがあるわけだよ。じゃあ、パズルとかゲームがぜんぜんリアルじゃないかというと、そうでもないんだ。  中学生の頃なんだけど、パズルの本ばっかり買ってたんだよね。科学パズルとか歴史パズルとか、そんなようなやつ。歴史を題材にとって、このときにこうなったのはなぜか? 科学でいうと、鳥かごの鳥が一瞬、体重がゼログラムになったのはなぜか? っていう問題なんかがあってね。中学生の僕にとっては、パズルの形式で何かを問われることが、一番面白かった。  つまり僕が言いたいのは、リアリティがあるから面白いんじゃなくて、面白いものにリアリティがあるということなんだよね。  だいたい小説についての評論を書く人はそこを間違っていて、リアリティがあるから面白いっていうんだけど、それは解決済みの問題でしょ。だけどそうじゃなくて、この文章はなんかわかんないけど面白いっていう、その「面白い」と感じさせるところにリアリティがあるんだ。でもそこをちゃんと考えるような評論家がほとんどいなくて、リアルだから面白いって、逆に考えてしまっているんだよ。  小説の外にリアルなものがあって、小説を取り巻く社会のリアルなものを小説に持ち込めば面白いということしか考えないわけ。  たとえば、いま流行っている小説には、地域格差があって、ワーキングプアがいて……みたいなことが書いてある。そういう現実に起こっている社会の問題を小説に詰めこめば、これがリアルだ、面白いっていうことになっているんだ。本当はそうじゃなくてさ。この居心地の悪さってなんなんだとか、そういうまだ問題として形を与えられてないことが自然と出てくるはずなんだけどね。社会を見ようと思ったら。  だから小説家の多くは、模範解答を書いているだけなんだよ。で、読む方も批評するほうも、模範解答だから褒める、みたいなさ。読むほうも、この面白さはなんなのかと説明できると思うと、安心して面白がるんだ。でも面白さがなんなのか言えない、おぼつかなくて確信が持てないとなると、これは自分ひとりが面白がっているのか? と考えこんでしまうっていうことがある。 ■素人のカラオケはうまいほどつまらない ――小説を書く時とエッセイを書く時の区別はどうお考えですか? 保坂 小説やエッセイに区別はないと言いながらも、本人としては小説を書くときの呼吸みたいものがある。エッセイというのは何かを言うための説明なんだよ。すごい遠回りだったりするけどね。ところが小説は、最後にたどりつくべき最終地点までの道のりがすごく遠くてかまわないし、書いてるうちに最終地点のことは気にならなくなってきちゃう。だからいま書いてる前面だけが気になるというか。どこか外へ出るために山や地中に穴を掘ってるんだけど、穴を掘っているうちに、掘っていること自体に集中しちゃうっていうイメージが一番わかりやすいかな。 ――書いている数行先は予想できないということですか? 保坂 少し先まで考えていても、途中で道がずれるということはよくあるよ。この場面でこういう会話をさせようとかと思って場面をつくっても、そこにたどり着くころにはもう自分では飽きてるんだよね。だから、この場面でこれを書こう、ということはたえず頭をよぎってるんだけど、まあ書かないだろうなと思いながら書いてるんだよね。 ――小説が小説たりえるための条件とはなんですか? 保坂 横浜出身のMay J.って女の子の歌手がいるんだけど、彼女はカラオケがめちゃくちゃうまいの。最近は1音1音原曲のメロディと照合して点数を出すカラオケがあるらしくて、テレビでそのカラオケ使ってMay J.が歌うと、たとえば宇多田ヒカルのメロディラインを完璧にトレースできたりする。それですごく感心したんだけど、すぐ飽きるんだよね。  というのは、宇多田ヒカルはたまたまそう歌った、ということなんだ。その歌にするためにね。本人が感じたように歌った、ということなんだけど、それを真似しても、真似するというのは違うんだ。それは歌じゃなくて、あくまでカラオケでしかないわけ。歌がうまいっていうのは、カラオケのようにトレースできる能力のことじゃないからさ。たしかにうまいんだけど、面白みがない。だいたい素人のカラオケって、うまいほどつまらないよね。May J.のカラオケもそれに近いものがあるね。  小説も同じことで、宇多田ヒカルの曲をきれいにトレースできても、それは小説にはならないんだよ。 ■お金を選んでも、どうせ途中で裏切られる ──この本(『考える練習』)で、お金中心の考え方から抜け出すということをおっしゃられていますが、ここに同席している編集者の川又は「家賃を払うのはおかしいことだし、払いたくない」と思っているそうです。 川又(編集) しゃしゃり出てきてすみません! それで、だからあるとき大家さんに、「なんで家賃払わなければいけないんですか?」と聞いたら、「それは法律で決まっているからだよ」という説明をされて、それには納得できなかったので、部屋を引き払ったんです。いかにお金のしがらみからいかに抜け出すか? その実践をしようと思っていますが、何かアドバイスがあれば教えていただけますか? 保坂 (笑)。いま同人誌が多いじゃない。そのなかで現代音楽をやっている一柳慧にインタビューしている「アラザル」という雑誌があって、あの人がいた50~60年代ニューヨークに、一生働かないと決めた人がいたらしいんだよ。アメリカ人で。その人は当たり屋みたいなことをしてお金をもらっていたっていうの。でもお金ってさ、お金のために働いてお金が入るとは限らないんだよね。好き勝手してお金が入ってくる人もいるんだよ。  たとえば25歳で就職して働き出すと、それから30~40年間、会社で働くことになる。いま社会に流布している考え方は安定志向で、将来的に安定した会社にというけれど、30年間も安定している会社なんてないよ。そんな長期間安定している業界自体がないんだよ。だから安定とか生涯賃金を計算して、好きでもない仕事に就くって、こんなバカげた話はないんだよね。お金を選ぶかしたいことを選ぶか、どっちにするかといってお金を選んでも、どうせ途中で裏切られるんだよ。だからしたいことをしたほうがいい。 川又(編集) したいことをしたい人は大勢いると思うんですけど、みんなそこに踏み切れない。踏み越えられない一線が見えてしまうような気がするんです。幻影かもしれないですけど……。 保坂 それは、そういうふうに社会が教育しているから。労働力確保のために。みんなよく働きたいとか働く権利とかいうけれど、それは自分がしたいことの範囲でしかないでしょ? いよいよ職がなくなって働きたいっていうけど、それは意味がちがうじゃん? 本当は働きたいんじゃなくて、給料がほしいってことじゃん?  うちの近所のスーパーにめちゃめちゃ感じのいい人がいるんだよ。レジを打ってる人なんだけど、みんながファンなの。お母さんに手を引っ張られた幼稚園児まで、その人の名前を呼びながら、手を振ってスーパーに入ってくるんだよ。レジを打ってるだけなのに、みんなを虜にするほど感じがいいんだよ。  それからうちは本棚の代わりにトランクルームを借りてるんだけど、その管理をしているおじさんは誰が出入りするときでも必ず挨拶するし、ヒマなときにはトランクルームの近くに花を植えてるんだよね。ほんとにちょっとしたスペースにさ。  そういうふうに、ルーティーンワークのなかに自分なりの工夫をしていると、気持ちをどんよりさせないよね。それはやっぱり自分の努力というか、根本的な生き方の問題なのかもしれないけどね。ただし、そういうふうにしていると、まちがいなく別の道が出てくるんだよ。労働時間をいかにお金のためじゃなくするか。自分で面白くするかということが大事なんだよね。お金の問題って、実際にはものすごく大変なんだけど、お金のために働く、というふうに考えるから大変になってしまうと思うんだよ。  一番大雑把な予想でいうと、近い将来にすべての労働人口は吸収しきれなくなって、働く場所はなくなると思う。じゃあ、働く場所がなくなったらどうするか? 限界集落に行って、農業をするしかないと思う。昔、仕事のない人は開拓団で北海道へ行ったり、ブラジルへ行ったりしていたんだよ。そして農業で自給自足に近い生活をしていた。でも、もしも自分はとてもじゃないけど農業はできないなと思ったら、根性を出して自分のやりたいことをやるしかないんだよ。  これまでは特にやりたいことがない人はサラリーマンをやれて、そういう時代が長く続いたから、企業に入るというのが「安定」ってイメージになっちゃったんだけど、もうそんな時代ではないんだよね。だからお金のためではなく、やりたいことをやる。そのためには根性出すしかないんだよ。工夫したりさ。休みだなんだのって言ってられないわけで、それができない人は農業やるしかないんだよ。がんばって身体使うしかないんだ。知恵を出せないやつ、頭で汗かけないやつは身体で汗かけ、というと一代で成り上がった経営者の社訓みたいだけどね。でも、それしかないんだよ。  ワーキング・プアとか雇い止めが大変だとかいってるくらいだったら、限界集落へ行って農業やったほうがいいんだよね。そういう農村へ行くと昔から農業してる人がたくさんいて、食い物だけはくれるよ。限界集落っていうのは、どういうところかっていうと、もともとは落武者がつくったんだよ。全部じゃないだろうけど、もともとの集落のそのまた奥に作ったような村なんだから、そういうところは多い。そういう屈強な人たちが切り開いた土地に十何代か二十何代か住んでて、最後は都市に人がとられて、いまは老人しか残ってないけど、もともとは屈強な人たちが切り開いた土地なんだ。だけど老人だけになったら、そんな村がやっていけるわけがないんでね。  ただしネットの前で何時間も時間がつぶせるような人間に、いきなりお前には農業しかないよと言われても彼らはできないわけで、これは大人の責任だと思う。だからこそ、これは社会問題なんだけどさ。だけどやっぱり「本も読みません、運動もしません。趣味はパソコンです」みたいな人たちに対して僕はフォローしきれないよ。僕が相手にしてるのは社会問題じゃないからさ。たとえば学校と戦うためにロックを聞いている。すこし前ならブルーハーツに反応するやつみたいな。彼らを一歩踏み出させることはするけど、それもわからないやつらのことはやっぱり僕は関係ないよ。そこまでいったらウソになるから。 ■お金がある人はない人にあげらればいい 川又(編集) 社会を変えるための道具として革命があると思うんですが、保坂さんは革命を信じてらっしゃるんですか? 保坂 信じてるよ。20世紀の革命とは違うけど、それは自分がやらなきゃいけないとも思ってる。 川又(編集) いま、「革命」たるものはなんだと思いますか? 保坂 ひとつはNGOみたいなものだよね。政府とは別の集団を作ればいいわけでしょ? いろいろ考えたけどやっぱり年金払うっていう人がいてもいいと思うし、一方で年金は払わないという人がいてもいいと思うけど、でも払わない代わりにほかの何かはしないとね。困ってる人に対して何かをするというのは、自分を救うことでもあるんだよね。いま、困ってる人を助けるというのは別のシステムを作るということだから、結局、将来的に自分を救うことにもなるんだよ。だから蜘蛛の糸みたいに、自分ひとりが助かりたい、という発想をする人はポシャるよね。  年金が破綻するというのは、みんなが年金にお金を入れないからで、だとしたら国の働きを小さくして、他のところにお金を入れればいいんでさ。そのための仕組みを作っていけばいいんだよね。  少子化の問題も、ひとりの労働者が何人もの老人を支えなきゃいけなくなるというけど、昔はひとりで奥さんと子ども、自分以外を何人も養っていたんで、構造は同じことなんだ。本当はただたんに賃金が安くなったというだけで、問題をすり替えてるんだよ。  そもそも労働人口が減ることが問題なんだとしたら、移民を入れればいいんだよ。でも、移民受け入れの話なんてぜんぜん出てこなくてさ。本当は労働する場所がないんだよね。それなのに、労働場所もないのに少子化もへったくれもないじゃない! なんて話を僕がしても空しいね。ウソっぽいよね(笑)。 川又(編集) お金がある人はない人にあげればいいという考えもありますけど、いまの日本はそういう社会ではないですよね。お金を持っている人がひとりで抱え込んでるのはおかしいと思うんですが……。 保坂 たしかにその通り。おかしいと思う。タイ式ボクシングを習いにタイへ行ったら、タイが大好きになっちゃった人が書いた本があるんだけど、タイでは午後3時頃に仕事を終えて屋台で飲み食いを始めるんだって。で、その屋台ではお金のある人が全員をおごる。そして屋台のネタがなくなると、屋台のオヤジも店を閉めて、隣の屋台で飲み食いを始める。 川又(編集) なぜ日本はそういう社会にならないんですか? 保坂 ねえ。でも、なぜならないかと考えるより、自分で実践していったほうがいいと思うよ。 川又(編集) 個人的な話をさせていただくと、その実践として、僕は会社に行かずに生計を立てています。家賃も払いたくないので、友達のマンガ家夫婦の家へ転がり込んで、衣・食・住のうち食事と住居はその友人夫婦にお世話になっているんです。いわゆる、たかりってやつですね。 保坂 ははは(笑)。 川又(編集) そのことをまわりに話すと、それはおかしいって言われるんです。でも、僕と居候先の友人夫婦は何もおかしいとは思っていない。もちろんいまの社会からすればオルタナティブな生活のあり方なのかもしれませんが、もっとそういう暮らしをする人が増えればいいなと思います。 保坂 猫の暮らしと一緒だよね。つまり、川又さんは居候先の夫婦に対して、そこにいてもいいような、何かをしているわけなんだよ。僕もあなたが面白いと感じたからこの取材を受けた。僕のホームページを運営してる高瀬がぶんという人も一度も定職についたことがないんだけど、うちの奥さんなんかは、昔、大きい家には高瀬さんのような人が居たというんだよ。書生とか居候といわれながら。  高瀬さんも定職につかずに生きてこれたということは、存在自体がキュートなわけだよ。僕のホームページに来た人たちは何もしていない高瀬さんに憧れて、彼の家に遊びに行くんだよ。それで会うとたちまち気に入ってしまうという。  でもそれでいいんだよ。働くのがイヤな人とか長続きしない人でも、どこかキュートなところさえあれば、猫のように居候暮らしができるわけで。それでやってこれているんだから、それでいいんじゃないかな。 (構成=天川智也) ●保坂和志(ほさか・かずし) 1956年、山梨県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年『この人の閾(いき)』で芥川賞、97年『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞を受賞。そのほか、『プレーンソング』『カンバセイション・ピース』『カフカ式練習帳』など著書多数。

「目指すは生気を感じない“人形”」総額1,000万円超の整形サイボーグ・ヴァニラを直撃!

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 「生気のない究極の美」を手に入れるべく、これまで総額1,000万円以上、計30回を超える整形を繰り返してきたヴァニラ(年齢不詳)をご存じだろうか?  4月に放送され、これがメディア初登場となった『私の何がイケないの? 整形&ビューティー!! 危険な女性の欲望SP』(TBS系)では、整形のきっかけとなった悲しい過去や、豊胸手術の密着映像などを放送。その衝撃映像は、賛否両論を巻き起こした。  いつ完成するのか分からない、いつか崩れてゆくかもしれない……。期待と不安を背負いながら、自分を信じて「美を作るアーティスト」を自称する彼女に、整形を世間に公表した真意や、今後のことを聞いた。 ――まず、肩書は何になるんでしょうか? ヴァニラ アーティストですね。愛を作るアーティストでもあり、美を作るアーティストでもあり。あと、昔からバンドでヴォーカルをやっていたので、音楽を作るアーティストでもありたいなって思います。 ――初めて整形したのは、18歳の頃だそうですね。 ヴァニラ 昔、イジメを受けていた時に、「ブサイク」とかって顔のことばかり言われてたんです。毎日すごくつらくて、それを親に相談しても、何もしてくれないどころか「お前なんかブサイクだから仕方ない」って言われて、居場所もなくて……。「高校卒業したら絶対整形しよう」って決めていたので、18歳で二重の手術を受けました。 ――自分の容姿は嫌いだったんですか? ヴァニラ 嫌い! 全部大っ嫌いです! だから「原形をなくそう」と思って、今、頑張って手術をしてます。 ――これまで30回以上も手術をされたそうですね。 ヴァニラ はい。目、鼻、顎、おでこ、リフトアップ、胸、腕と下腹部の脂肪吸引などをやりました。 ――整形って痛くないですか? ヴァニラ キレイになれると思ったら、そんなに痛みは感じないんです。でも、おでこをやった時は、ちょっとびっくりしました(笑)。 ――おでこは後頭部のほうを切って、シリコンを入れるそうですが、どの辺りが痛いんですか? ヴァニラ 全体ですね。その時は、鼻も一緒にやったんですけど、顔全体がパンパンに腫れて、内出血して顔色もすごいことになって、もう誰だか分からないくらい(笑)。2週間くらいでキレイになったんですが、その間はほとんど寝たきりでした。でも、苦には感じませんでしたよ。 ――整形してよかったことはなんですか? ヴァニラ 自分に自信が持てることですね。メイクするのが楽しくなるし、洋服を選ぶ時も、“隠す服”から“見せる服”を選ぶようになりました。何より、堂々としていられるってことが一番うれしかったです。 ――周囲の反応は変わりましたか? ヴァニラ やっぱり男性からの反応が全然違いますね。チヤホヤされます(笑)。 interview_cut.jpg ――『私の何がイケないの?SP』に出演してみて、反響はいかがでしたか? ヴァニラ もうすごかったです。ブログにもうれしいコメントがたくさんあって、やっぱり女の人は、みんなそういうことに興味があるんだなあって思ったので、あらためて整形を公表してよかったなって。それに、昔の自分は、見た目に自信がなくて暗くなってたから、克服したところをみんなに見てもらえてよかったです。 ――番組では、整形について、かなり赤裸々に語っていましたね。 ヴァニラ 整形って、芸能人だけでなく、一般の方もたくさんしてるのに、日本ではまだ後ろめたさもあって隠す傾向があるじゃないですか。でも、「美しくなるために努力することの何が悪いの?」って思うし、全然恥ずかしいことじゃないと思うので、私はあえて言っていこうかなって。 ――過去に、整形を隠したいと思ったことは? ヴァニラ 一度もないです。周りにも普通に言ってました。 ――ヴァニラさんが目指す「美」について教えてください。 ヴァニラ 完全に人間離れしたいんです。2.5次元というか、「マネキンなのか? 人間なのか?」くらいの感じ。具体的には、顔はフランス人形の雰囲気で、体はボンキュッボンのセクシーな感じを目指してます。真似するのはあまり好きじゃないので、「何になりたい」っていうより、自分の思う最上級の美を、作品を作る感覚で作っていきたいんです。 ――最上級の美にはまだ達しませんか? ヴァニラ まったくです! 全然です! ――今後、手術したい箇所はどこですか? ヴァニラ 最近、胸を大きくしたので、次はウェストを思いっきりちっちゃくしたいです。脂肪吸引も取れるとこまでやって、あばらとかも取っていけたらいいなあって。 ――ちなみに現在のスリーサイズは? ヴァニラ B95、W55、H88です。ウェストは40センチ台とか、人が聞いたら「え?」って思うような、あり得ない数字にはいきたいですね。砂時計みたいな体形が理想です。 ――バストに合計1リットルのシリコンパックを入れたそうですが、バストにはもう満足されてるんですか? ヴァニラ ん~。今の身長だと、このくらいのバストでもいいかなと思うんですけど、のちのち足を伸ばす手術も受けたいと思っているので、そしたらバランスが変わってくると思うんです。なので、どこかいじったら、バストもまたやるかもしれないですね。 ――身長を伸ばす手術は、一度骨折させたりと、大掛かりみたいですね。 ヴァニラ そうですね。でも、別に「背が高くなりたい」という願望があるわけじゃないんです。むしろ身長はちっちゃいほうがお人形っぽいじゃないですか。ただ、全身のバランスを考えた時に、今の自分は足を伸ばさないとキレイじゃないなって思うから。だから、もし胴を短くできる手術があるなら、そっちをやりたいですね(笑)。 ――あくまでもバランスが大切なんですね。 ヴァニラ 整形は「やればいい」ってものじゃないと思うんです。目だって大きくすればキレイなわけじゃないし。究極の美のバランスを考えながらやっていきたいなって。でも現実で理想通りにするのはなかなか大変ですね。CGみたいに、パソコンで「ここ縮めて、ここ伸ばして」っていじれたらいいのにって、いつも思います(笑)。 130423_02_V_0017.jpg ――『私の何がイケないの?SP』で、「原形をなくしたい」というヴァニラさんに対して、脳科学者の先生が、消失願望や自殺を危惧されてましたが。 ヴァニラ 今は“作品”を作ることが楽しいので、心のことは心配ないと思っています。ただ、いつか見た目が崩れてきたり、今よりも悪くなってしまった時のことを考えると、そうなることもありえるかもしれません。 ――他人を見た時に、「ここ整形すればいいのになあ」と思ってしまうことはありますか? ヴァニラ 結構よくあります(笑)。彼氏とかには、「ここ直したら、絶対もっとよくなるのに」とか言っちゃいますね。もちろん、本人が望んでなければ言ったりしないですけど、「キレイになりたいけど、どこをやったらいいんだろう」って悩んでる子がいたら教えてあげたいです。 ――今までの彼氏の中に、ヴァニラさんのアドバイスを受けて手術した男性はいますか? ヴァニラ います。一番長く付き合ってた彼氏とは、一緒に手術しに行ったりしてました。 ――好きになる男性は、やはり美意識が高い人が多いですか? ヴァニラ そうですね。お化粧やアートメイクをしてる人とか……ヴィジュアル系ばっかりですね(笑)。 ――今後、どんな活動をしていきたいですか? ヴァニラ テレビなどに出て、アーティストとして、自分を高めていく過程をずっと見てもらいたいなあって思ってます。あとは、美容関係の商品開発にも携わりたいし、ブランドも立ち上げたいし、美容カウンセラー的な立場でアドバイスもしていきたいですね。 ――容姿に悩んでいたり、イジメで苦しんでいる女の子に向けて、どんなことをアドバイスしてあげたいですか? ヴァニラ 美は、努力すれば手に入れられるってことを知ってほしい。別に整形を勧めてるわけじゃなくて、例えば「メイク変えてみよう」とか、「これを真似してみよう」とか。「私はいいや」って思わずに、何か1ついい方向に変えていってもらいたいなあって思いますね。ヴァニラだって、元がよかったわけじゃないけど、強い気持ちでここまで変えられたわけだから。 ――ヴァニラさんの最終目標を教えてください。 ヴァニラ みんなが憧れるお人形! 人間じゃなくて、お人形です。それで、日本に宮殿みたいな家を建てて、夜は舞踏会を開いたりしたいです。 ――夢のような世界ですね。 ヴァニラ 愛に溢れていて、幻想的で、夢のある世界を作りたいんです! 今見えてる世界が、あまりにも現実的過ぎて、それが結構しんどいなって感じていて……。例えばヨーロッパのほうとかって、家族を大事にする風潮があったりとか、すごく愛に溢れてたりするじゃないですか。日本でももっと家族で一緒にご飯を食べることが普通になったり、愛に溢れて、しかも美しい、そんな世界に変えられたらいいですね。 (取材・文=林タモツ/撮影=梅木麗子) ●Vanilla(ヴァニラ) ヴェルサイユ宮殿出身。幼少の頃に容姿でいじめを受け、当時出会ったフランス人形に憧れを持ち、“生きるフランス人形”となることを決意。整形代を稼ぐために18歳で夜の仕事を始める。現在、総額1,000万円超の整形を施しているが、本人としてはまだ未完成。今後は、容姿で悩んでいる人などに対し、自分を通して勇気を与えていける美の伝道師になっていきたいという想いで、各メディアに登場していく予定。 ブログ<http://ameblo.jp/blog-vanilla>

小5で学校に放火、小6でバイク泥棒、中1で校長をブン殴る……“ゴマキの弟” 後藤祐樹の告白

IMG_3906_.jpg  銅線強盗で逮捕され服役していた元EE JUMPのユウキこと後藤祐樹(26歳)が、自らの過去を赤裸々に告白した書籍『懺悔 ゴマキの弟と呼ばれて』(ミリオン出版)を出版し、話題になっている。そこには、父母の死、女性アイドルとの恋、犯行の手口と事件の真相、刑務所での壮絶なイジメ、そして姉・後藤真希の素顔などが生々しく綴られている。なぜ今、この本を出そうと思ったのか? 今後、どのように生きていくつもりなのか?──仮釈放中の後藤祐樹を直撃した。 ──どういう経緯で、自叙伝の出版を決意したのでしょう? 後藤祐樹(以下、祐樹) 懲役5年6カ月を言い渡されて刑務所に入り、昨年の10月に仮釈放となったんですが、以後、マスコミに追い回されて、取材を受けてもいないのに、あることないこと書かれてしまった。これはもう、自分ですべて本当のことを書くしかないな、そして迷惑をかけた周囲の人たちやファンのみなさんに謝るしかないな、と思ったんです。と同時に、一部の出来事については、誤解を解いておきたいという思いもありました。 ──確かに「すべて本当のことを書く」という決意が伝わってくるような本の内容でした。書かなくてもいいんじゃないか? と思えるような過去の悪事についても、赤裸々に書いていますね。 祐樹 悪いことを正直に書かないと懺悔にならないし、いいことも信じてもらえないと思ったので……。 ──小5で学校に放火、小6でバイク泥棒、中1で校長をブン殴る。とんでもない悪ガキだったんですね。校長先生のどこを殴ったのでしょう? 祐樹 顔ですね。 ──相手はおじいさんですか? 祐樹 おばあさんだったような気がします(笑)。 ──おばあさんをノックアウトしたんですか……。 祐樹 ゲームを奪われたので、ついカッとなって殴ってしまいました……。最低なことをしてしまったなと、今では反省しています。 ──姉の真希さんが芸能界にデビューしてからも、祐樹さんは常習的に万引きをしていたという記述に驚きました。 祐樹 地元の友達と悪いことをして、スリルを感じるのが楽しかったんです。当時は姉に迷惑がかかるかもしれないということに、まったく頭が回りませんでした。 ──やがて自分もEE JUMPとして芸能人になり、いったんは悪事を控えるようになったとありますが、熱中できる何かが欲しかったのでしょうか? 祐樹 というより、レッスンで忙しくなって、地元の友達と遊ぶ機会がなくなったから、悪事をする機会も自動的になくなったという感じですね。 ──祐樹さんは、暴走族などに所属していたんですか? 祐樹 いや、地元の江戸川区には暴走族が2つ3つあったけど、自分は入りませんでした。ただ、小学校で金髪に染めたりしていたので、学校ではかなり目立っていたかもしれません。 ──腕っぷしは強かった? 祐樹 基本的には穏やかなんで、暴力はあまり好きじゃないです。 ──でも校長先生を殴りましたよね? 祐樹 あのときは、急にゲームを奪われたから……。基本、自分からは手を出さないですよ。 IMG_3853_.jpg ■あのアイドルとの恋、嫌いだった『夏だぜ!』 ──本の中では、ある女性アイドルとの微笑ましくも切ない恋が書かれていますね。 祐樹 彼女との仲は本当のことだし、過去にマスコミで取り上げられたこともあるから、書いても大丈夫だろうと。それに彼女は、自分が初めて長く付き合った女性なんで、書いておきたいと思いました。 ──EE JUMPの裏話も面白かったです。最大のヒット曲である『おっととっと夏だぜ!』を、祐樹さんが嫌いだったという話は笑いました。今でもあの曲は嫌いですか? 祐樹 今でも友達とカラオケに行くと、冗談で入れたりする奴がいるんですよ。そうやって仲間内でやっている分にはいいんですけど、そこに知らない人がいたりすると、相当気まずいですね。マジでやめてくれよ、と。 ──スナックなどでリクエストされたら? 祐樹 相手が断れそうな人だったら断ります。ちなみに僕、芸能界を辞めたあとに最初に働いたのが、カラオケボックスなんですよ。そこで普通に店員として働いていたんですが、そういうところにはヤカラみたいな客も大勢来るじゃないですか。で、部屋にドリンクを届けに行くと、勝手に『おっととっと夏だぜ!』を入れられていて、「おまえ歌ってけよ! 歌い終えるまで帰さねえぞ!」と絡まれたりすることもよくありました。 ──そういうときには? 祐樹 基本的には「ちょっと仕事中なんで」と流していましたが、どうしても断り切れないときには、歌っていました。けど僕、音痴だから、本当に歌うのが嫌いなんですよ。芸能界にいるときも、歌うのが一番イヤな仕事でした。そもそも歌に対しての興味がまったくなかったんで(笑)。 ──ベースボールシャツみたいな衣装も嫌いだったと書いてありますね。 祐樹 あれは、ちょっとないなー、という感じですね(笑)。テレビやCDジャケットの衣装はたいてい、つんく♂さんが決めるんですけど、あの方自身の衣装も関西系のコテコテな個性があるじゃないですか。で、周りの関係者も大阪の方なので、つんく♂さんの意見にみんなが賛同していたけど、僕はイヤだった……。その当時、w-inds.とかのダンスユニットが私服っぽい衣装で踊っているのを見て、うらやましく思っていました。 ──ソニンさんとの関係も、興味深く拝読しました。あんなにかわいい女性がいつも横にいて、本当に何もなかったんですか? 祐樹 たとえばカップリングの踊りを自分たちで決めるときとかも、ソニンは我が強くて、こっちの意見を全然聞かなくて……。そういう小さい不満が積み重なっていたので、恋愛感情はまったくなかったですね。EE JUMPはもともと3人いたんですけど、デビュー前に1人抜けて。で、ソニンは僕よりも4つ年上だから、「私がしっかりしなくちゃ」っていう気持ちも強かっただろうし、そこに我の強さも重なって、こっち的にはもうウンザリみたいな(笑)。当時は僕も幼かったから、ソニンの苦労をわかってあげられなかったですね。 ──それやこれやの不満が爆発して、やがて祐樹さんは逃走。そして芸能界引退のきっかけとなるキャバクラ事件へとつながるわけですね。そのへんの詳細は書籍をご覧になっていただくとして、祐樹さんは昔から、抑えつけられると反発したがる性質なのでしょうか? 祐樹 かもしれません。ずっと自由がなくて、自由を求めた結果、マネジャーをぶっ飛ばしたりとか、そういうことになっちゃって……。 ──マネジャーは女性ですよね? 祐樹 そうです。 ──なんというか、結構女性を殴っていますよね。今は大丈夫ですか? 祐樹 はい、大丈夫です。あのときのことは大変申し訳なく思っています。 IMG_3890_.jpg ■芸能界引退、そして再び悪の道へ ──さて、芸能界を引退後に、再び悪事を働くようになった祐樹さん。その一部始終が本に書かれていますが、当時はヤケクソだったんでしょうか? それとも地元のつながりで悪事をやめられなかった? 祐樹 たぶん両方ですね。自分1人だったら、やっていないと思うんですよ。でも高校でまた悪い友達が増えたりして、ズルズルと……。 ──よくカツアゲをしていたという記述もありますが、具体的にはどのように? 祐樹 6人の仲間とつるんでいたときは、2人ペアで3チームに分かれて、制限時間内にどのチームが一番稼げるか、カツアゲの金額を競って遊んだりしていました。チームごとに違う場所へ行くんです。地元はまずいんで、同じ江戸川区でも小岩のほうに行ったりして。で、ゲーセンで7~8人でたまっている集団を見つけたら、まず1人を捕まえちゃうんです。 ──目が合っただのなんだのと因縁をつけて? 祐樹 いや、最初から「おまえちょっとカネ出せよ」と言って表に出して、もう1人が「おまえらも来い」って命令して、ゲーセンの外の駐車場とかに全員を連れ出します。途中で逃げる奴がいても、仲間に携帯かけさせたりして、必ず現場に戻ってこさせました。 ──収穫を少しでも増やすため? 祐樹 そうですね。集団を狙うのも、一度に多くを稼ぐためでした。基本、学生服を着ている集団を狙うんですが、それは学生だと返り討ちに遭う危険が少ないから。あとは自分たちも制服を着ているから、カツアゲの現場を通行人に見られても、一緒に遊んでいるようにしか見えず、怪しまれない。そういうこともしっかり計算していました。 ──悪賢いですね。それにしても、2対8でカツアゲが成功するものですか? 祐樹 8人もいると、中には「ふざけんじゃねえ!」と反発してくる奴もいるんですけど、そういうときのために、いつもローファーの中にナイフを隠し持っていました。ナイフを出すと全員おとなしくなって財布を出してくれます。 ──なぜローファーに? 祐樹 お巡りさんに職質されても、靴の中ってあんまり見られないと思ったんですよ。ちょっと大きめのローファーを履いていたので、靴の内側と靴下の隙間にすっぽり収まるんですよ。折り畳み式のナイフが。 ──紛う方なき不良ですね。でもその一方で、自分よりタチの悪い不良もたくさんいて、「おまえユウキだろ? 姉ちゃんのパンツ持ってこい!」と絡まれたり殴られたりしたという話は、因果応報とはいえ、少々気の毒に感じました。 祐樹 そういうのは頻繁にありましたねぇ……。そういうときは「姉のことだけは本当にちょっと勘弁してください」と、ひたすら謝って許してもらうしかなかったですね。 ──ナメられたくないという思いなどもあり、やがて祐樹さんは次々とタトゥーを入れ始めるのですが、首の鯉を入れたのは、いくつのときでしたっけ? 祐樹 ハタチですね。首は服で隠しようがないから、このときから覚悟が決まった感じですね。不良の世界で行くとこまで行っちゃおうかな、と。 ──そして逮捕のきっかけともなる銅線泥棒を本格化させていくわけですが、その犯行のエスカレートぶりは、読んでいて恐ろしくなりました。 祐樹 やりすぎました……。警察ともかち合ったことないし余裕かな、と思っているうちに、どんどんエスカレートしてしまって、一線を越えてしまいました。 ──結局逮捕され、そのあと共犯仲間から裏切られてしまったそうですね。一部、濡れ衣を着せられたまま、判決が下りてしまったと。 祐樹 はい。とはいえ、被害者が出ていることですし、結局は自分が主犯でやったことなので、仕方がない。刑務所に入ってから、そう割り切りましたね。 IMG_3980_.jpg ──今現在、裏切った仲間を恨む気持ちは? 祐樹 ないですね。そもそも自分が銅線泥棒の話を持ちかけなかったら、彼らを巻き込むこともなかったわけですから、悪かったのは全部自分だと思っています。 ──懲役生活は相当ツラかったようですね。 祐樹 自業自得とはいえ、地獄でした。詳細は本に書きましたが、イジメが特にツラかったです。意地悪な先輩とも24時間一緒にいなくちゃならない。これは相当こたえました。その苦悩を誰かと分かち合えたらラクなんだけど、刑務所ってたいてい、上がガッチリ固まっているから、文句を言いづらい環境なんですよ。基本は1人で我慢するしかない。気の合う者同士で、誰かの悪口を言うのも怖い。「こいつがチンコロ(告げ口)しちゃったらどうしよう?」と勘ぐっちゃう。でも、最初の工場では、あまりにひどいイジメが横行していたから、最終的には仲間と結託して、ある計画を練って、そのイジメっ子を工場から追い出しました。 ──あの話は読んでいてスカッとしました。 祐樹 下に対してひどいことをすると、そうやって追い出されるのがオチなんですよ。だから自分が工場のリーダーになってからは、イジメを厳禁にして、和気あいあいとしたムード作りに努め、平和になりつつあったんです。でもそのあと、自分が刑務所にいる間に、妻や子供と連絡が取れなくなったり、母親が亡くなったり、姉が芸能活動を休止してしまったりという、悲しい出来事が立て続けに起きて、死ぬほど落ち込みました。すべて自分がいけないんだ、と。そしてあらゆる悪事を深く反省しました。 ──そんな中、真希さんが何度も面会に来てくれたそうですね。どういう表情で来るのでしょう? 祐樹 いつも明るく笑っていましたね。僕を励ますためでしょうけど、「よう、久しぶり。元気?」みたいなテンションでした。僕が仮釈放になった当日も、姉は実家で鍋を作って待ってくれていました。あのときはホント、家族の絆、家族の温かさを感じましたね。と同時に、もう家族には絶対に迷惑をかけられないと、心の底から思いました。 ──書籍のクライマックスのあたりに「でもこれからだ」という前向きな言葉が書かれていましたが、さて、これから何をするつもりでしょう? 祐樹 大きなことは決まっていません。でも刑務所にいたときに、宅建と行政書士の勉強をずっとやっていて、勉強の面白さに目覚めたので、まずは今後、それらの資格に挑戦してみたいですね。 ──芸能界復帰は? 祐樹 本当の表舞台には、もう立てないと思います。 ──首のタトゥーを後悔していますか? 祐樹 これは消します。留置所にいるときに、母親と約束したんで。「首だけは消してくれ」「うん、わかった」と。 ──Vシネマの俳優などはどうでしょう? クールな悪役とか。 祐樹 興味深いですけど、演技とか全然やったことないんですよ(笑)。 ──地下格闘技への参戦は? 祐樹 格闘技は好きなので、やれたらいいなとは思いますね。実は、これについては家族も賛成してくれているんですよ。でも自分、悔しがりなんで、やるからには絶対に負けたくない。出てもいいなと思えるレベルになるまで、ジムでみっちり鍛えたいですね。 ──本を出した今の気持ちは? 祐樹 今までは自分が本に出るといえば、ゴシップみたいな形で出ることばかりだったんですけど、こうして初めて自ら本を出すってことに関しては、実感がないっていう気持ちと同時に、うれしさもありますね。世間の多くの方々はウワサでしか僕を知れなかったと思うので、1人でも多くの方に本を読んでいただいて、自分という人間を知ってもらえたらうれしいな、と思います。 ──「悪事を書いて金儲けするな!」と叩かれる可能性もありますが。 祐樹 Twitterとかでは発売前からひどいこと書かれたりしていますけど、何も反応がないよりはいいかなと思いますし、そういう批判的な方々にこそ、この本を読んでいただきたいですね。昔の自分は確かにロクでもない不良だったけど、今は心を入れ替えてやり直そうとしている。そのことを知ってもらえたらうれしいです。 ──ちなみに今回の出版について、真希さんはどのような反応を? 祐樹 出版前に相談したら、最初は反対していました。でも自分の今の状況をいろいろ話したら、結局は自分の人生なんで、自分で決めた通りにすればいいということでOKしてくれました。 ──真希さんはお元気ですか? 祐樹 元気ですよ。ご安心ください。姉のファンの方々にも、この場を借りてお詫びしたいと思います。どうもすいませんでした! (取材・文=岡林敬太) ●ごとう・ゆうき 1986年東京都生まれ。00年、EE JUMPのラップ担当としてデビュー。15歳だった02年にキャバクラに出入りしていたことが明らかになり、EE JUMPを脱退。そのまま芸能界を引退した。08年、導線窃盗や強盗などの罪で5年6カ月の実刑判決を受け収監。12年に仮釈放されていた。姉は元・モーニング娘。の後藤真希。

“ゆとり教育”の旗振り役からポルノ映画製作へ! 元文科省官僚・寺脇研が批判騒動の真相を語る

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“ミスターゆとり教育”と呼ばれた寺脇研氏。官僚の世界を離れ、
過激なポルノ映画『戦争と一人の女』を日本映画界に投下した。
 第二次世界大戦末期の東京を舞台に、性の快楽に溺れる人々を描いた異色作『戦争と一人の女』が公開される。江口のりこ、永瀬正敏、村上淳ら実力派俳優たちが共演。空襲の最中にセックスに励む作家(永瀬)と元娼婦(江口)との退廃的な同棲生活、そして中国大陸から帰還した傷痍軍人(村上)が連続強姦魔へと変貌していく2つの物語が同時進行する。やがて終戦と共に2つの性衝動はクロスすることに……。『ヴァイブレーター』(03)の荒井晴彦が脚本を書き、若松プロでキャリアを積んできた井上淳一監督のデビュー作となる。そして日刊サイゾー的に注目したいのが、企画・プロデュースを手掛けた寺脇研氏だ。学力低下の元凶と批判された「ゆとり教育」のスポークスマンを務めた元文科省の中央官僚である。“ミスターゆとり教育”と称された寺脇研氏は、なにゆえヘアヌード満載の反戦ポルノ映画を製作したのか。また、ゆとり教育とは何だったのか。今だから話せる官僚時代まで振り返った! ──寺脇氏は長年にわたって映画評論家として活動してきたわけですが、「なんで元官僚が映画製作を?」と不思議に感じる人も多いと思います。映画との関わりから聞かせてください。 寺脇研(以下、寺脇) まぁ、不思議に思う方も多いでしょう(笑)。「ゆとり教育」とは子どもたちを型にハメて、金太郎飴みたいに同じものを目指す教育はおかしいよってことで取り組んできたものです。私自身が型にハマるのが嫌で、高校時代は学校よりも映画館で過ごし、年100~150本くらい映画を観ていました。今でも「ゆとり世代はけしからん」と言われていますが、そういう世代間による価値観の違いは昔からあるもの。高校生だった私は大人の評論家たちが書いた映画評論を読んで「分かってないな」と感じていたわけです。そこで初めて書いた評論が高校2年のときに「キネマ旬報」に掲載され、それから今に至るまで映画評論活動が続いているんです。大学に進み、就職先を考える際に映画業界も考えたんですが、どうも映画を作る才能はそれほどない。かといって映画評論では食べていけない。そこで選んだのが文部省(現・文部科学省)でした。役人をやりながら、映画評論と二足のわらじを履いていたんです。2006年に役人を辞めた後も評論活動は続けてきましたが、ここ数年は映画評論に限界を感じるようになった。そこで映画評論家ではなく映画運動家と名乗ることにしたんです。 ──映画運動家として初めてプロデュースしたのが『戦争と一人の女』。今、戦争映画を作らなくてはと考えたのは、なぜでしょうか? 寺脇 戦争映画を作ることで、日本人が忘れつつある戦争について考えようということです。これまでいつの時代も戦争映画は作られてきたけれど、最近の日本映画界は戦争映画を作らなくなってしまった。作ったとしても左翼的立場から反戦イデオロギー丸出しで描かれた作品か、役所広司主演の『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(11)みたいにCGを多用し、人気キャストを配したスペクタクル大作のどちらかしかないでしょ? もちろん10億円くらいお金があれば戦争スペクタクルものも作ってみたいですけど、今回は自分たちができる範囲内で、四畳半スケールの戦争映画を作ったというわけです。
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戦争末期、作家(永瀬正敏)と元娼婦である飲み屋の女将(江口のりこ)は
同棲することに。死と隣り合わせの性生活が始まる。
──四畳半が舞台の戦争映画。いかにも邦画の伝統を感じさせます。 寺脇 そうです。四畳半を舞台に、低予算で人間のエロスを描いた作品です。ご覧になれば分かるように、日活ロマンポルノやピンク映画にオマージュを捧げたものです。私も脚本の荒井晴彦さんも、ピンク映画にどっぷり浸かって人生を過ごしてきましたから(笑)。 ──製作費1500万円の低予算ながら、江口のりこ、永瀬正敏、村上淳ら実力派を揃えました。 寺脇 申し訳ないことに、キャストのみなさんには「価格破壊」と言われるようなギャラしか用意できなかった。でも無理強いで出てもらったわけではありません。「荒井晴彦の脚本なら出たい」と、みなさん言ってくれたんです。今はまた安倍政権がアベノミクスとか言って、「またバブルが来る」みたいな風潮がありますが、人間はお金だけで生きているんじゃないよということです。役者たちの心意気は、お金では買えないものです。そりゃ、メジャーな作品に出れば、数倍のギャラが出たでしょうが、ギャラのいい仕事が必ずしも楽しくて充実感が得られるかというとそうではないでしょう。 ──脱偏差値教育を推進した“ミスターゆとり教育”ならではの発言ですね。 寺脇 もちろん、これがベストだとは思っていません。これからも映画製作は続けていくつもりです。まずは今回、映画業界に一石を投じることはできたと思います。限られた予算のインディペンデント映画でも、戦争を描くことはできましたよと。 ■日本人は敗戦を経験しても何も変わらない? ──坂口安吾をモデルにした作家と不感症の元娼婦が、空襲を見物している。元娼婦の「戦争が好き。みんな燃えてしまえば、平等になるから」という台詞は、社会格差に苦しむ低所得層の共感を呼びそうです。 寺脇 戦争といっても、いろんな見方や考え方ができるわけです。戦争は瞬間的に見ると「戦争ってよくないよね。悪だよね」と感じるわけですが、日本は日中戦争、そして第二次世界大戦を8年間も続けた。非日常である戦争が、日常となっていた時代があったんです。毎日ずっと「天皇のために」と考えていたわけではないでしょうし、戦争が嫌で嫌でたまらないと思っていても、その中で生きていかなくてはならず、食事もし、働き、セックスもし、排泄行為もしていたわけです。空襲が日常化していくのは戦争末期のだいたい8カ月間くらい。いつ誰の頭の上に爆弾が落ちてくるか分からない状況の中で、人々はどのように暮らしたんだろうかとね。イラク戦争時のバグダッド市民や現在のシリアの人たちは、同じような不安の中で暮らしているはずです。映画を通して、世界情勢を考えることもできるわけです。本当は今の日本だって、北朝鮮からいつミサイルが飛んでくるのか分からない状況なんだけどね。 ──強烈なインパクトを放っているのは、食料不足の状況下で「お米を分けてくれる農家を紹介するよ」という口実で婦女子を郊外に連れ出して強姦する帰還兵役の村上淳。戦後初のレイプ犯として処刑された小平義雄を連想させます。 寺脇 いや、そうなんだけどね、小平義雄の名前はなるべく出したくないんです。小平は戦争に行かなくても犯罪を犯していたでしょう。犯行の手口などは小平事件を参考にしていますが、描きたかったのはそこではないんです。小平と違って、村淳に演じてもらった大平は、自分の妻や子どもには優しい顔を見せる温和な男です。それが中国大陸へと出兵し、片腕を失って帰ってきた。性的にも不能になってしまった。戦争さえなければ、良き夫、良き父親のままで過ごせたはずだった。戦時下で暮らす男女の物語に、頭のおかしくなった帰還兵のストーリーを絡めたいと、私から荒井さんにお願いしたんです。役人だった頃は日本映画と韓国映画しか観なかったんですが、2006年に辞めてからは時間ができたので、アメリカ映画も観るようになった。その頃のアメリカ映画は、イラク戦争を題材に、帰還兵が別人になっていたという話が多かったんです。 ──『ハート・ロッカー』(08)や『マイ・ブラザー』(09)などですか?
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中国大陸からの帰還兵である大平(村上淳)。女性の首を締め、
苦しむ姿に異様な興奮を覚える性倒錯者となっていた。
寺脇 そうです。なるほど、戦場から帰ってきたら、そういうことも起こり得るだろうなと。なら、日中戦争はイラク戦争よりも期間が長く、規模も大きかったわけだから、もっとひどい経験をしただろうと。戦地に赴いた人たちは兵隊としてみんな銃を持たされ、大なり小なり思い出したくない体験をしたでしょう。狂気の男・大平には誰もがなり得るし、誰もが葛藤を抱えながら戦後を生き続けたということなんです。 ──クライマックスでは、大平に天皇の戦争責任について言及させています。「神さまが人間になられたのに、人間が人間のままでは恐れ多い」と“けだもの宣言”するくだりはベテラン脚本家・荒井晴彦の独壇場ですね。 寺脇 荒井さんの脚本通りの台詞ではあるんだけど、実はちょっと思惑が違ってしまった(苦笑)。あのシーンは大平が演説口調で語る様子を1カットで撮っているけれど、本来なら尋問している刑事も取り調べを受けている大平も、天皇の人間宣言で混乱している中での言葉のやりとりにしたかった。一長一短あるシーンになりましたね。私としては、むしろ永瀬演じる作家が「結局、日本人は戦争に負けても何も変わらない」と言うくだりに思い入れが強い。荒井さんが坂口安吾の『堕落論』から引用した台詞ですが、原発再稼働や国防問題で揺れる現代の日本に通じるものでしょう。 ■「ゆとり教育」の成果はすでに表れている! ──官僚時代についても聞いていいですか? 「ゆとり教育」の旗振り役として、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『真剣10代しゃべり場』(NHK教育)、『ここがヘンだよ日本人』(TBS系)と、あらゆるテレビ番組に出演していましたよね。 寺脇 『TVタックル』(テレビ朝日系)にも出ました(笑)。今回のインディペンデント映画の宣伝と同じです。お金がないから広告が出せない。自分でマスコミに売り込んで、インタビューに答えて記事にしてもらっているんですよ(笑)。「ゆとり教育」も同じでした。1990年代の日本はすでに成熟した社会になっていて、国民の理解なしでは受け入れられなくなっていました。あの大蔵省でさえ、自民党の一党支配時代に、消費税アップの導入に最初は失敗しています。大蔵省はお金があるから、おそらく電通あたりに丸投げして、さんざん新聞広告を打ち、テレビにも働き掛けたはずですよ。それでも失敗したわけです。大蔵省があんな挫折を経験したのは、初めてのことだったでしょう。世論というものを無視できなくなっていた。私のいた文部省は大蔵省のように莫大な広告費は使えないので、電通には頼めない。「じゃあ」ということで、私がマスメディアに出ることで「ゆとり教育」のアピールに努めたわけです。私が独断でテレビに出ていたわけじゃないですよ。ちゃんと文部省の了解をもらっていましたし、むしろ「よくやった」と褒めてもらっていました。 ──「ゆとり教育」を受けた「ゆとり世代」が、社会に出るようになりました。映画業界では若者の洋画離れ、字幕離れは「ゆとり教育」の影響じゃないかと囁かれるなど、事あるごとに「ゆとり世代」は叩かれています。 寺脇 情けない大人たちが、そうやって若い世代を叩くことで「自分たちのほうが、まだしっかりしてる」と思いたいんですよ。若者の字幕離れではなく、あれはアメリカ映画離れです。あんなさ、ドンパチばっかりやってるアメリカ映画を観るのが嫌になっただけのことですよ。それならローマ人がお風呂に入っているほうが面白いや、ってことでしょう。バカバカしいけれど、そういったものを楽しむ感性があるわけです。戦闘ゲームみたいなアメリカ映画を観て喜んでいるよりは、よっぽど高尚だと思いますよ。
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低予算ながら戦争映画を完成させた寺脇氏。
「戦後の焼け跡シーンを被災地で撮ろうという案が出たが、
却下しました。そんなことをしたら下品な映画になりますから」。
──マイペースで物静かな「ゆとり世代」を大人たちが叩くのは、バブル時代の熱狂が忘れられないから? 寺脇 忘れられないどころか、またバブルを再現しようとしているんでしょ、アベノミクスは? オリンピック誘致で「より速く~、より高く~、より強く~♪」だなんて、一体いつになったらバカが治るのか……。 ──寺脇さんは06年に退職勧奨を受けたと、ウィキペディアにあります。文科省を辞職したのは、「ゆとり教育」への風当たりが強かったせいですか? 寺脇 退職勧奨を受けたのは事実ですが、それは役人なら誰もが経験することだったんです。遅いか早いかの違いがあるだけ。今は変わってきていますけど、私たちの頃は同期の誰かが事務次官か局長クラスに就けば、なれなかった者たちは後進に席を譲るために辞めて、天下りするしかなかった。私の場合は天下りを断り、ずいぶん長居しました。それで後輩が上司になるという事態になり、組織が混乱するから辞めることにしたんです。昔からあるこのピラミッド制度をどうにかしようと、現在進められている公務員改革では大きなポイントになっています。「ゆとり教育」の責任を取らされたわけではないですよ。まぁ、「あいつをエラくしようか」という際にネックになったのは確かでしょう(苦笑)。自民党からにらまれ、「あいつを局長にするな。早く辞めさせろ」と圧力が掛かっていました。保守派にとって、「ゆとり教育」はリベラルな発想だから目障りなんですよ。安倍晋三さんが大好きな「愛国心」なんかよりも、個人個人の「生きる力」を持とうという考え方ですから。また「ゆとり教育」は一人ひとりの個性に合わせた教育を目指したものだから、左翼からも嫌われました。左翼って、なんでも平等の社会主義ですからね。右からも左からも嫌われていた(苦笑)。 ──「ゆとり教育」の成果を、どう見ていますか? 寺脇 「ゆとり教育」が始まってもう10年。そこそこ答えは出てきているように思います。それをどう評価するかという問題でしょうね。今の高校生はエラくなろうと思っているヤツが少ないといわれていますが、いいじゃないですか。そりゃ、中国みたいに発展中の国はエラくなろうとするヤツは多いでしょうけど、成熟した社会では全員がエラくなろうとする方が無理なわけです。エラくならなくてもいいから楽しく人生を過ごしたい、ちょっとほかの人のお世話もしようか。そういう考え方をする若者たちがいないと、これからの社会は成り立ちません。エラくなろうと考えている人たちは、お年寄りを大切にしようなんて考えませんよ。お金があった頃は若者たちから吸い上げた年金で高齢者は介護を受けることができましたが、もうそれができなくなるわけです。若い人たちが高齢者をいたわるような社会じゃないとダメでしょ。ゆとり教育の成果が徐々に出始め、よかったなと思っていますよ。 (取材・構成=長野辰次/撮影=名鹿祥史) 『戦争と一人の女』 原作/坂口安吾 企画/寺脇研 脚本/荒井晴彦 音楽/青山真治 監督/井上淳一 出演/江口のりこ、永瀬正敏、村上淳、柄本明  配給/ドッグシュガームービーズ R18 4月27日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開 (c)2012戦争と一人の女製作運動体  <http://www.dogsugar.co.jp/sensou> ●てらわき・けん 1952年福岡県生まれ。ラ・サール高校を卒業後、東京大学法学部へ。75年、旧・文部省に入省。大臣官房政策課長、大臣官房審議官などを歴任し、「ゆとり教育」を推進した。06年に文部科学省を辞職。京都造形芸術大学芸術学部教授を務める傍ら、映画評論家としても活動中。『韓国映画ベスト100』(朝日新書)、『さらばゆとり教育 学力崩壊の『戦犯』と呼ばれて』(光文社)、『官僚批判』(講談社)、『ロマンポルノの時代』(光文社新書)など著書多数。

「ヤルよりコチョコチョしたい!」誰でも一瞬で悶絶させる“くすぐり師” Dr.松下って誰? 

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あ、あやしい……。
 最近、ちょいちょいメディアに露出し、「くすぐり師」として活躍しているDr.松下を知っているだろうか?  かつて「くすぐりビデオ」という超マニアックなAVのジャンルを生み出し、一世を風靡。今までに1000人以上の人をくすぐってきた「くすぐり界のカリスマ」で、その指から繰り出されるくすぐりテクは、どんな者でも一瞬にして悶絶させてしまうとか……。  根本的な問題として「くすぐり師」という職業が成立するのか、「くすぐりビデオ」なんてマニアックすぎるAVが売れるのか……いろいろと疑問があるのだが、とりあえずDr.松下を直撃して、いろいろと問いただしてみた! ■峰不二子でくすぐり開眼! ――人をくすぐるのは昔から好きだったんですか? 「はい、もちろん女性限定ですけどね。子どもの頃、アニメの『ルパン三世』を見ていたら、峰不二子がロボットにくすぐられるシーンがあって、子ども心に『くすぐられている女の人はいやらしい』というイメージを刷り込まれたんです。それをずっと引きずっていたので、高校時代に友達たちが『石原真理子とヤリてー!』とか言ってる中、僕は『女の子をコチョコチョしたいな』……と思っていました」 ――ヤルよりもコチョコチョ! でも女の子にコチョコチョさせてもらうのって、ある意味セックスするよりもハードル高いですよね。 「そうですねぇ、プライベートではそんなこと頼めないですから、やったことなかったですよ……」 ――それじゃ「くすぐり師」としての活動を始めたのは、どんなきっかけで? 「僕、格闘技をやってたんです。18歳でアメリカに留学してプロになり、22歳まで選手をやって帰国してから格闘技のジムを始め、月・水・金で格闘技を教えていたんですが、それ以外の日は空いてたんで、撮影スタジオとして貸していたんですよ。そしたらエッチ系の撮影がよく入るようになり、僕も立ち会ってたので、その時に来てたフリーの女優さんに『軽いボンデージのビデオを個人的に撮りたいんだけど……』と頼んだんです。ちょっと『くすぐりビデオ』とは言いづらかったんで」 ――ボンデージって言うほうが恥ずかしい感じもしますけどねぇ。念願のコチョコチョはどうでしたか? 「素人なので、カメラも据え置きで画質も悪かったけど、やっぱり結構感動しましたね。それで2本くらい撮ったんですが、さすがにそうそう女優さんにギャラも支払えないのでやめたんですけど……」 ――ああ、本当に個人的に楽しむだけのビデオだったんですね。 「20年以上前で、まだインディーズビデオもなかったし、AVの撮影といってもスタッフが十数人は来てキッチリ撮っていた時代なんですよ。だから、ひとりでカメラ固定で撮ってるようなビデオが売れるなんて発想は持っていなかったですね。でも、スタジオによく来ていたエッチ系の出版社の人に見せたら『コレ、売れますよ』と言われて。そこで自分なりに編集をして6000円で通販販売を開始したんですけど、エロ雑誌が面白がって取り上げてくれたこともあり、結構な売り上げがあったんですね。『あっ、コレはオイシイかな?』と」 ――儲かるんじゃないかと? 「いや、商売としては考えてなかったですね。単純に次のビデオを撮るためのギャラを支払えるなと」 ――「またくすぐれる!」ということですか。女優さんへのギャラは高かったんですか? 「今はAVのギャラも、それこそ5万とかで本番までヤッちゃう子がいるくらい、すごく安くなっちゃってますけど、当時は本番・フェラなしでも10~15万は払ってましたね。ちょっとポケットマネーで出すのは大変なので、販売を前提にしてビデオを撮って、それの売り上げを次撮る資金にしようと」 ――その計画は、最初からうまくいったんですか? 「『くすぐりビデオ』ってすごくマニアックなジャンルなのに、売れましたねぇ。通販だけじゃ追いつかないので、ビデオ屋さんに卸すようになって『パッケージを作って下さい』と言われたんですが、デザインなんてできないから、苦肉の策で生写真を貼り付けたんです。それが逆に妄想をかき立てるのか大当たりして、気が付いたらくすぐりビデオだけで食えるようになっていたという感じですね」 ――一番ヒットしたビデオで何本くらい売れたんですか? 「7000本くらいですね」 ――おおー! 自費製作だったら結構儲かったんじゃないですか? 「バブルな時代ということもあり、かなり儲かってました。タイムマシンがあったら戻りたいですよ!」 ■自分で撮ったくすぐりビデオが一番 ――ところで、くすぐりビデオってそんなに何本も作れるくらいバリエーションがあるもんなんですか? 「コスチュームであったり女優さんのタイプであったりとか、くすぐり方にもいろいろありますし、いろいろと撮りようはありますよ。まあ、くすぐりに興味のない人にとっては同じものにしか見えないと思いますけど」 ――その中でも評判がよかった、悪かったってあるわけですよね? 「僕の趣味と世間は違うんだなって思うんですが、美人系な女優さんを全裸にしていやらしい感じで撮ったビデオって売れないんですよ。それよりは、かわいい系の女の子をコスプレさせて、脱がせないままくすぐっているビデオが意外と売れたりして」 ――脱いでりゃいいってもんじゃないんですね。 「服を着てるほうが意外と売れる傾向にありますね。あまりハードなくすぐりよりも、女の子同士がじゃれあってるソフト系が売れたりとか」 ――その後、フォロアーとして別の人が作ったくすぐりビデオなんかと出てきたんじゃないかと思いますが、そういうのを見たりするんですか? 「僕の後にいっぱい出てきましたけど、あんまりピンときませんでしたね。まず僕の趣味と合っていなかったり、くすぐりがうまくなかったり……。自分で撮ったくすぐりビデオが僕にとっては一番ですよ」 ――くすぐりにうまいヘタってあるんですか? 「くすぐったくなるポイントというのがあるんで、そこを的確に責められるかということですね。くすぐりも数をこなしてくると、どこが効くかって分かってくるので」 ――それは性感帯とは違う?
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せっかくなので、ボクもくすぐってもらいました!
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あっ、
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あ゛あ゛あ゛~ん!!!
「場所としては近いですけど、ちょっと違いますかね。僕は格闘技をやってたので肉体構造に対する勘がよかったんでしょうけど、何回目かの撮影でかなりポイントをつかめましたよ。脇の下やお腹、足の裏とか背中とか、そういう場所をコチョコチョしたり、ツンツンしたり、モミモミしたり。ツボに指をグイグイ入れたりして」 ――ツボって……ただ単に痛そうですけど、くすぐったいものなんですか? 「強烈にくすぐったくなるみたいですよ。一瞬で女の子が耐えられなくなっちゃうんで、撮影ではあんまり使えないですけど。実は、2003年にホイラー・グレイシーに『くすぐりありのルールで対戦しよう』と挑戦状を送りつけたこともあるんです。いくら格闘家が痛みに強くても、おそらく強烈なくすぐり攻撃には耐えられないと思うんですよ。……まあ、挑戦状はアッサリ無視されましたけど」 ――撮影で女の子をくすぐりすぎて、ヤバイことになったことはないんですか? 「笑いすぎで失神とかは時々ありますね。女の子の方も、本番がない楽な現場だと思って来てたので、やりすぎて怒られたり泣かれたりもしましたね。感度がみんな違うんで調節が難しいですよ」 ――松下さんは、くすぐり映像を撮るのと実際にくすぐるの、どっちが好きなんですか? 「やっぱり映像ですね、僕の場合は。実は、そんなにくすぐること自体は好きじゃないんですよ。くすぐられている美女の姿を見たいだけなんで。撮影中って後ろに回ってくすぐってるから、あんまり楽しくないんですよね。だから、あとで映像を見返すのが一番楽しいです。本当は、僕みたいにうまい人がくすぐっているのを見ていられれば満足なんですけど……。くすぐりロボットみたいなものが開発されればいいんですけどねぇ」 ■くすぐりで日本を変える!? ――最近は、くすぐりAVを引退し「くすぐり師」としてテレビなどに出て、文化人タレントとして活動すると宣言されているみたいですが。 「くすぐりビデオが話題になった当初から、あちこちから出演依頼が来てたんですけど、当時はテレビに出るのがイヤだったんで、ほとんど断ってたんですよ。ただ、最近になって結婚相談や人生相談、霊視、先祖供養などいろいろと活動を広げていこうとするにあたって、いろんな限界みたいなのを感じていまして……。AV監督って、世間からのイメージが思ってた以上に悪いんだなと。だから、AV監督というのを前面に出してるうちは、他の活動をしようと思っても相手にしてもらえないんですよ」 ――他の活動をするために、AV監督という肩書は外そうと。 「テレビ出演を解禁して文化人タレントになって知名度を上げていけば、もっといろいろな可能性が開けてくると思うんですよ。そうやって決心したとたんに、またテレビから出演依頼が来るようになりましたから。不思議なもんですねぇ」 ――ズバリ、テレビで知名度を上げていって、最終的にやりたいことってなんですか? 「政治家になりたいんです!」 ――おおーっ! 「今、女の子って、すごく安く買いたたかれていると思うんですよ。AVに出てもギャラは安いし、デリヘルなんて1万とか2万で女の子を呼び出してエッチできちゃいますから。女の子もかわいそうだし、そんなに簡単にエッチできちゃうと、男の勤労意欲もなくなっちゃうと思うんです。そういうところを変えていって、日本をよくできないかなと。次の選挙までにテレビに出まくって、日本人のほとんどが知っているくらいの知名度を持てていれば、可能性はあると思いますよ!」 (取材・文=北村ヂン)

日本統治下の台湾で起きた大量殺戮事件の真相! 異文化との軋轢が呼んだ悲劇『セデック・バレ』

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ジョン・ウーが製作、韓国から『オールド・ボーイ』(03)のアクションチーム、
日本から種田陽平が美術デザインで参加した歴史大作『セデック・バレ』。
4時間36分の完全版での日本公開だ。
 価値観の異なるもの同士がぶつかり合ったとき、そこには莫大なエネルギーが生じる。男と女の出会いならラブロマンスが生まれるかもしれないが、異なる民族が遭遇した場合、とんでもない悲劇が起きてしまう。映画史上空前の大ヒットとなったジェームズ・キャメロン監督の『アバター』(09)しかり、日本映画史の興行記録を塗り替えた宮崎駿監督の『もののけ姫』(97)しかり。製作費20億円が投じられた台湾映画『セデック・バレ』もそうした異文化間の衝突を描いた歴史超大作だ。1930年、日本統治下の台湾で起きた「霧社事件」を克明に描いたノンフィクションドラマである。  「霧社事件」とは台湾の山岳地帯で暮らしていた原住民が日本の統治を嫌い、霧社公学校で開かれた運動会の最中に一斉襲撃を始め、日本人134人を殺害した武装蜂起事件。原住民は“出草”と呼ばれる首狩り行為を勇者の証しとしていたことから、よりセンセーショナルな事件として報じられた。日本軍の反攻により、蜂起に参加した原住民側の死者は約1000人に及ぶ。しかもその中には、戦いに向かう男たちの足手まといになるのを避けるために自決した女性や子どもたちが多く含まれていた。  事件の概要を聞いただけで『セデック・バレ』を反日映画、悪趣味なモンド映画と決めつけるのは軽率だ。日本から安藤政信、木村祐一、河原さぶ、春田純一らが出演しており、中でも注目したいのは安藤が演じた小島巡査。小島は現地に溶け込み、日本人と原住民との融和に努めた友好的人物だった。ところが小島の妻と子どもは霧社事件で犠牲となってしまう。日本と台湾との架け橋になろうとした小島の純粋な思いは、原住民たちの日本人への憎悪の炎によって、あっけなく焼け落ちてしまったのだ。民族、信仰、教化政策、復讐、異なる死生観……。『セデック・バレ』は第1部・第2部合わせて4時間36分という長尺の中で、事件の引き金となった要素を余すところなく照射していく。台湾から来日したウェイ・ダーション監督に、本作に込めた想いを聞いた。
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ウェイ・ダーション監督。「戦闘シーンの撮影は入れ込んでいたので、
怖いとは感じなかった。午前の撮影が終わった後、崖崩れが起きてゾッとした(苦笑)」
と山岳地帯での困難な撮影を振り返った。
ウェイ・ダーション 日本統治時代に起きた山岳民族と日本側との戦いを描いた作品ですが、私が描きたかったのは戦いや憎しみそのものではありません。私がこの作品を撮ることで確かめたかったことは、なぜ憎しみが生まれたのかということです。その原因を検証するために『セデック・バレ』を作りました。そして、みなさんと一緒に考えたいんです。どうすれば憎しみ合うことなく、平和に生きていけるか。実は『セデック・バレ』には2つのバージョンがあります。台湾で公開した4時間36分の完全版と、もっと短くしたインターナショナル版です。インターナショナル版は海外で上映するために短く編集したものですが、これは正直なところ評判がよくありません(苦笑)。日本のみなさんには、ぜひ完全版を観てほしいと願っていました。上映時間が長いことから、なかなか日本での配給先が決まりませんでしたが、私のデビュー作『海角七号/君想う、国境の南』(08)を日本で公開してくれた会社が『セデック・バレ』も公開してくれることになったんです。  「霧社事件」は80年以上前に台湾の山岳地帯で起きた事件だが、『セデック・バレ』は決して過去の悲劇を描いた作品ではない。文化、信仰、価値観の違いから人類は繰り返し、多くの血を流してきた。『アバター』の下敷きとなった新大陸開拓時代から、9.11同時多発テロとそれに続く米軍によるアフガニスタン爆撃とイラク戦争……。今なお、この世界から争いの火が消えることはない。『セデック・バレ』は現在進行形の問題を扱った作品といえる。 ウェイ 確かにその通りです。文化とは、もとからあったものではありません。人間がその土地で生存していくためにあれこれと試行錯誤していく過程の中で自然と形づくられてきたものだと僕は考えています。ですから異文化と接する場合、その土地に根づいた文化を尊重する気持ちを持つことが大事ではないでしょうか。それをせずに「自分たちの文化のほうが優れている」「お前たちの文化は劣っている」と決めつけていては、いつまでも平和が訪れることはありません。大陸から移ってきた漢民族である僕が古くから台湾で暮らしていた原住民・セデック族に興味を持ったのは、彼らが極めてシンプルな価値観を持っていたという点です。抑圧された人々が自分たちの信じる信仰のために立ち上がるというのは当然なことですが、僕は抗争そのものよりも、彼らが信じたシンプルな価値観とは何かということに興味があったんです。  残酷な首狩りシーンをはじめ、バイオレンス描写満載のアクション大作を撮ったとは思えない物腰の柔らかなウェイ監督。彼が「霧社事件」の映画化を思い立ったのは、1997年にチウ・ルオロンによる漫画『霧社事件−台湾先住民、日本軍への魂の闘い−』を読んだことがきっかけ。漫画を読み終わり、血がたぎるような思いに駆られたそうだ。だが、実際に映画の製作準備のために事件を調べていくうちに考え方が変わっていった。
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霧社事件を克明に再現したアクションシーンの過激さがハンパない。
映画初出演となる原住民キャストは素足で森の中を駆け抜けるシーンの撮影を続けた。
ウェイ 原作の漫画でも原住民の文化について多少は触れてあったのですが、ページの多くは日本側の警察と原住民たちとの衝突の描写に割かれていました。日本が原住民の優秀な若者に日本名を与えて警察官として駐在させた警察制度や、現地の日本人が厳しい労役を原住民たちに課していたことも描かれていました。漫画を読んでいくうちに、やはり人間ですから感情を煽られます。統治する側と抑圧される側、しかも抑圧される側は少人数で圧倒的な武器を備えた正規の軍隊と戦うわけですから、どうしても抑圧される側に感情移入してしまいます。さらに蜂起した原住民たちは最後は戦死ではなく、自決の道を選ぶわけです。でも、ちょっと冷静に考えれば、実際に起きた事件は漫画で描かれた物語みたいに単純なことではなかったと気づくはずです。事件が起きた背景には、もっと深い事情があったのではないかと。単純な憎しみだけで相手の首を狩るだろうかと。漫画はどうしても民族間の対立を分かりやすく描いてしまいます。そこで様々な資料を調べ、また原住民の方たちに話を聞きに通いました。そうすることで気づいたのは、原住民の高齢の方たちが「ガーヤ」という言葉をよく使っていることでした。  『セデック・バレ』で詳細に描かれているのは、原住民たちが先祖代々から受け継いでいる伝統と祖先崇拝を何よりも大切にしていることだ。豊かな自然の中で育まれてきたそれらの伝統や信仰を棄ててまで、日本がもたらした新しい文化には馴染もうとはしなかった。 ウェイ 「ガーヤ」とは原住民にとっての信仰であり、生活の一部でもあるんです。彼らにとって、どう食べるのか、どう歩くのか、どう暮らすのか。それらすべてがガーヤなんです。彼らにとっては狩猟もガーヤです。狩りに出掛けるときは、まず鳥のさえずりを聞かなくてはいけない。これもガーヤです。他者との間でトラブルが起き、どちらが正しいのか誰にも証明できない場合があります。そういう場合は、どちらかが相手の首を狩る。首を狩ったほうにガーヤは味方するよと。首狩りもまたガーヤなわけです。ガーヤを信仰する彼らは、大人の男として認められるには結婚しなくてはいけません。そして結婚するには、出草、つまり首狩りをしてみせ、真の男(=セデック・バレ)であることを証明しなくてはいけませんでした。女性の場合は美しい布を織ることができるようになれば、大人の女性と認められました。これもガーヤ。男の場合は首狩り、女の場合は織物。そうすることで初めて大人の証しとして刺青することが許されたわけです。彼らが大事にしたガーヤを映画の中でどこまできちんと描けるかは、苦心した点ですね。  本作の主人公である反乱部族の頭目モーナ・ルダオを演じたリン・チンタイは原住民の血を受け継ぎ、また現地で教会の牧師を務めている人物。現地の道案内としてウェイ監督と知り合い、貫禄ある風貌から出演を懇願されて俳優デビューとなった。クリスチャンとして博愛の精神を広める牧師であるリン・チンタイは、“首狩り”シーンを演じることに抵抗はなかったのだろうか。 ウェイ 先祖から伝わる伝統と自分が選んだ信仰との間に、葛藤はなかったかということですね? 僕が知っている限りでは、そのことには特に悩んではいないようでした。文化と宗教というものは永遠に結びついている部分と、どのようにしても相いれない部分があるものです。原住民である彼らは漢民族が移り住むようになる前から台湾で暮らし、歴史の中で幾度も統治者が替わっていくのを見て、数多くの衝突を経験し、ようやく自分たちの持っている伝統と信仰と、それとは異なる文化とを、どう共存させるべきかの方法を見だしたように思います。彼らは狩りに出掛けるとき、今でも粟をかみ砕いて作ったお酒を地面にまいて祖先に祈祷します。これは彼らにとっての文化。教会に行って、イエス・キリストに祈りを捧げる。これは宗教なのです。文化と宗教を別のものとして、今の彼らはうまく棲み分けを行っているんです。でも、ときどき悩むことがあるそうです。神に祈りを捧げているとき、自分が交信しているのはイエス・キリストなのか、それともご先祖さまなのか? たまに自分たちが交信している相手が分からなくなるそうです(笑)。
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自然と共生する原住民たちの文化に理解を示していた小島巡査(安藤政信)。
民族間の対立に巻き込まれ、非情の決断を強いられる。
 現在、原住民たちの90%以上がキリスト教信者とのこと。日本統治の末期から中国大陸から来た国民党が台湾を統治するまでの空白期間、原住民たちの生活は非常に苦しかったそうだ。その間、キリスト教の教会が医療品や食料を無料で提供し、教会の援助によって新しい生活基盤が築かれていった。そのためキリスト教を信仰するようになった原住民が多いという。キリスト教と原住民との関係は『セデック・バレ』では描かれないものの、文化と信仰の関係についてのウェイ監督の見解は興味深い。安藤政信、木村祐一ら日本人キャストをどのようにして決めたのかも聞いてみた。 ウェイ 当時の記録に残っている日本人は、みんな悪人としてしか書かれていません。ですから、あえてパッと見では悪人に見えない人たちにお願いしました。小島役を演じた安藤さんは特にそうですね。小島は「霧社事件」の後にも原住民たちの仲間割れを画策し、「第2次霧社事件」を起こした悪人として知られています。でも本当に根っからの悪人だったのでしょうか。調べていくと、小島は原住民たちの言葉を覚え、原住民たちの伝統や信仰を理解し、家族を日本から呼んで一緒に暮らしていたことが分かりました。察するに、とても善良な警察官だったようです。それが霧社事件で妻と子どもを失い、真逆な方へと振れていったのです。霧社事件の複雑さを表す非常に難しい役を安藤さんには演じてもらいました。日本ではお笑いタレントとして人気のある木村祐一さんも同じ理由です。「この人は悪い人? それとも良い人?」と一見しただけでは分からない雰囲気を持つ日本の方たちに参加してもらったんです。  台湾映画界のアカデミー賞である「台湾金馬奨」ではグランプリをはじめ6冠を受賞し、メガヒットを記録した『セデック・バレ』。中国でも劇場公開されているが、大陸側の反応はどうだったのか? ウェイ 中国大陸では上映時間の短いインターナショナル版の上映だったので、ちゃんと理解してもらえるか心配でした。でも上映に集まってくれた向こうの知識階級の方たちは、すでに出回っていたロングバージョンの海賊版DVDを観た上で来てくれた方たちが多かったようです(笑)。もちろんアクションシーンで盛り上がったお客さんもいたとは思いますが、ほとんどの方たちは作品のテーマを理解し、好意的に受け止めてくれていました。中国大陸の人たちは「これは抗日映画、反日映画ではない」と言ってくれました。ただ憎しみ合うのではなく、いかに憎しみを抑え、平和に生きていくことが大事かを共に考えてくれたように思います。日本のみなさんも、ぜひ完全版をご覧になってください。  前作『海角七号/君想う、国境の南』でも台湾と日本との親密な関係を描いたウェイ監督。プロデューサーを務めた最新作『KANO』は甲子園で準優勝を遂げた台湾球児たちのドラマで、こちらも日本での公開を目指している。 (取材・文=長野辰次) SeediqBale5.jpg 『セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋』 製作/ジョン・ウー、テレンス・チャン、ホァン・ジーミン 監督・脚本/ウェイ・ダーション プロダクションデザイン/種田陽平 出演/リン・チンタイ、ダーチン、安藤政信、ビビアン・スー 提供/マクザス 配給/太秦 4月20日(土)より渋谷ユーロスペース、吉祥寺バウスシアターほか全国順次ロードショー (c)2011 Central Motion Picture Corporation & ARS Film Production ALL RIGHTS RESERVED.  <http://www.u-picc.com/seediqbale> ●ウェイ・ダーション 1969年台南市生まれ。林海象監督の『海ほおずき』(96)、エドワード・ヤン監督の『カップルズ』(96)などにスタッフとして参加。97年より『セデック・バレ』の脚本づくりに取り掛かる。だが、膨大な予算が必要なため、製作は難航。そこで1500万円の予算で恋愛映画『海角七号/君想う、国境の南』(08)を監督し、これが台湾映画史上最大のヒット作に。『海角七号』の成功で出資が集まった。台湾映画史最高額となる20億円を投じ、2009年10月~2010年9月にわたって『セデック・バレ』を撮影。2011年にベネチア映画祭でワールドプレミア上映が行われた。プロデューサーを務めた最新作『KANO』は甲子園で準優勝を遂げた台湾公立嘉義農林学校を題材にした作品で、現在ポストプロダクション中。台湾で2014年の公開予定。

乙武氏が語る、子どもを持って初めて感じた“五体不満足”

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老後は奥さんと別々に暮らすプラン
もあるそう
(前編はこちら) ――新刊『自分を愛する力』(講談社現代新書)には、妊娠中に奥さんが「私、この子のこと、愛せるかな……」とこぼしたというエピソードが掲載されています。乙武さんはうろたえるどころか「だいじょうぶだよ。そのぶん、オレが二倍愛してやるんだから」という言葉をかけていますね。 乙武洋匡氏(以下、乙武) ……カッコイイこと言いますね(笑)。僕は、人間の感情は縛れないと思っています。その感情が道徳に沿ったものであるかないかにかかわらず、そう思ってしまうのは仕方ないし、そこで彼女を責めても何も状況は好転せずに苦しめるだけ。だったら彼女がそう思っていることを前提に、どうしたらいいか考えるしかない。 ――誕生後は、奥さんはお子さんに愛情を注いでいますが、今度は乙武さんがおむつを替えることも扇風機に手を入れそうになった子どもを助けてあげることもできず、「僕に手があったなら――。僕がフツーの父親だったなら――」と泣いたと書かれています。 乙武 『五体不満足』(講談社)を読んでくださった方から、「乙武さんだって本当は手足がないことで、つらいことがあったでしょう。でもあえてそういうエピソードは書かなかったんでしょう?」と言われることがあるんですが、本当になかったんです。そういった意味では、子どもが生まれたことで初めて「この体がしんどいな」と思いました。 ――多くの女性が「愛するものを守りたい」という気持ちが強いがゆえに、「もっと自分がちゃんとした母親であれば……」と自分を責める気持ちは起こりがちです。それに似ている気がしました。 乙武 僕の場合、それが精神的な面ではなく、物理的な面だったので、気持ちを切り替えやすかったのかもしれない。どんなに努力しても、子どもを愛しても、僕に手足が生えてくるわけではない。だったら、そこは割り切って、違うことでカバーしていくしかないと思いました。 ――子育てについては妻主導型で、夫はほとんど参加しないという家庭もあります。 乙武 うちの場合は、妻がちゃんと子どもの状況を逐一伝えてくれて、子どもに対する知識が共有できているので、僕も意見することができます。奥さんが報告を怠ると、旦那さんは子どもの知識がないから何も言えない。旦那さんが子どもと接する時間は限られていても、夫婦が子どもの状況を共有していれば、子育てについて意見を交わすことはできるのでは。 ――そのことを忘れて「言わなくてもわかってよ」と思ってしまう女性も多いようです。 乙武 以前、「朝早くから息子のお弁当を作ってくれている妻に、ねぎらいの言葉をかけてこよう」とツイートしたところ、女性から「私は、ねぎらいの言葉をかけてもらったことがない」「私だってがんばっているのに」といったメンションが殺到したことがありました。そこで僕は、「『私は夫からねぎらいの言葉なんて、かけてもらったことがない』という女性のみなさん、あなたはご主人に感謝の気持ちを伝えていますか?」とツイートしたところ、「あっ……」という返答が多くありました。女性は求める傾向にありますよね。どちらが先に相手をいたわってもいいと思うんですけど、そこにこだわる人が多いのかな。 ――もうひとつ女性の不満として多いのが、生活が子ども中心になってしまうこと。それは女性側が子どものことしか考えられなくなる場合もありますし、男性側が妻を女として見なくなるという場合もあります。乙武家では、妻と夫として向き合うための工夫はありますか。 乙武 ありません。人によっては毎日“おでかけのチュー”をしているとかあるんでしょうけど、うちはないですね。正直言うと、僕はしてもいいけれど、妻は嫌がりますね、確実に(笑)。一般論だと「子どもがいても夫婦は“異性”であるべき」なのかもしれませんが、別に一般論に合わせる必要もないでしょう。 ――“一般論では”“理想の夫婦は”というルールに縛られない、と。 乙武 世間の言う「理想の夫婦像」ももちろんいいけれど、その通りでない自分たちに焦りを感じて、余計うまくいかなくなるケースもあります。「夫婦はこうあるべき」というものを押し付けられることが、一番しんどい。そういうものに当てはまらない夫婦の形が、いくらでもあっていいと思うんです。  うちは結婚式を挙げていません。これもツイートしたら、多くの女性から「奥さんがかわいそう」と言われました。僕は主役になることが大好きなので式を挙げたかったんですが、むしろ妻が「人の注目を浴びるのは耐えられない」と嫌がったんですよ。ステレオタイプな結婚像、女性の幸せ像を押し付けるから面倒な話になるのだと、あらためて実感しました。  何が幸せかは本人たちにしかわかりません。うちは特殊な例かもしれませんが、本来夫婦なんて、それぞれが特殊な例だと思う。別に結婚して子どもがいなくてもいい、別居してたっていい。他人にはわからない信頼関係で結ばれている夫婦だっている。そもそも夫婦のことなんて、他人にわかる必要はないんですよ。 ――そういった柔軟な考えをお持ちな乙武さんが、結婚という制度を選んだ理由は? 乙武 僕が結婚した時は、まだそこまで社会を深く知らなかったし、そういう選択肢しかないと思っていました。でも、今の僕の意見としては、子どもを育てていくための保障さえ確立できれば、現代社会に結婚制度は向かないと思っています。結婚すると離婚が面倒でしょう? 昔は女性が生きていくための保障の意味が強かったのでしょう。しかし、今は完璧とは言えないまでも、女性が社会で働ける基盤が整ってきたので、結婚しなくても自立して生きていけます。結婚しない方が幸せかもしれないのに、「親がしろと言うから……」と結婚して、かえって不幸になることもあります。もっと時代が進んで、結婚が当たり前のことではないという価値観が広まり、「しない」という選択肢が増えてもいい。既存の価値観に縛られることなく、“一緒にいたい時にいる”と考えられるようになれば、もっといいのになと思います。 (構成/安楽由紀子) 乙武洋匡(おとたけ・ひろただ) 1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーとなる。卒業後、スポーツライターとして活躍した後、杉並区立杉並第四小学校教諭に。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』(同)が映画化され、自身も出演。現在、地域との結びつきを重視する「まちの保育園」の運営に携わるほか、東京都教育委員として活動している。

乙武洋匡さんに聞く、ぶっちゃけ結婚ってどうですか?

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意外にも結婚は見切り発車だったと
話す乙武洋匡さん
結婚――それは独身時代に抱いていた“理想”を壊し合う作業から始まる、超現実的な「生活」の日々。まったく違う人生を歩んできた2人が“夫婦になる”ためには、どんな試練が待ち構えるの!? ぶっちゃけ結婚ってどうですか? ――現在、2児の父親である乙武洋匡さんは、24歳で結婚しました(当時、夫人は22歳)。今年で結婚13年目。お互い、どこに惹かれ合ったのでしょうか。 乙武洋匡氏(以下、乙武)僕はもともと、自分に自信のない人・暗い人・僕に興味がない人という3拍子揃った人が好きなタイプだったんです。なんとなく、彼女はそういうタイプかなあと(笑)。 ――外交的な乙武さんとしては、好きなタイプが意外ですね。 乙武 そういうタイプの人といると、居心地がいいんですよ。妻はぐうたらしてるのが好きな人で、子どもが生まれる前までは、昼過ぎまで起きてこないこともよくありました。なので、僕はしょっちゅう餓死しかけてました(笑)。まあ、僕はチャキチャキ家事することをパートナーに求めてないので、特に不満はなかったし、むしろぐうたらしている彼女に居心地のよさを感じていました。 ――朝起きたら奥さんのおいしい手料理が並んで……など、理想の家庭像は? 乙武 一切ないです。理想って、僕は前よりも後ろに位置していたらいいなと思ってるんです。理想が前にあると「こんなはずじゃなかった」と思っちゃうじゃないですか。それはプラスにならない。毎日お互いを思いやって精いっぱい生きた結果、後ろにできるものが理想。そういう夫婦でありたいと、結婚当初から意識していました。 ――結婚当時、子どもはいつぐらいに欲しいかなどのライフプランは考えていましたか。 乙武 僕はすぐにでも欲しかったのですが、妻は「欲しくない」ということだったので、「5年後にまた話し合おう」と決めました。実は結婚自体、肝臓がんで闘病中だった親父を安心させたいという思いから決断した見切り発車的なものでもあったので、まあ子どもに関しては、そんなに焦る必要もないのかなと。親父は僕らが入籍した後、ひと月半後に亡くなりました。 ――その後、お子さん2人に恵まれました。奥さんを、どのように説得したんですか。 乙武 特に説得はしてません。5年たって彼女が27歳になった時、自然と「子どもがいてもいいな」という気持ちになったみたいで。でも、子どもに僕の障害が遺伝したらどうしようと、不安に思う気持ちはあったみたいです。それは「こういう体だとかわいそう」という意味ではなく、僕の世話をしながら障害のある子どもを育てるとなると、物理的に家が回らないのではないかという現実的な話です。万が一遺伝したら、彼女1人に負担がかかる。「僕も手伝うから」なんて無責任なことは言えないので、「そこは考えて」と彼女の判断に任せました。 ――子どもが生まれた後、夫婦がもめやすい点は教育の方針だと思いますが、乙武家ではいかがですか。 乙武 方針は基本的に同じです。食い違っても、2人で話し合います。家に帰ると妻が「今日、こんなことがあって、こう対応をした」と報告してくれますし、出張中でも電話やメールで連絡が来るので、それに対して「それはよかったね」とか「次はこうしてみるといいかもね」などと返答しています。妻も「ただしゃべりたい」というだけの時もあるので、そういう時は聞き流してますけど(笑)。 ――夫婦で話し合う際のルールはありますか。 乙武 夫が子育てについて意見すると、主婦である妻は「そうはいっても四六時中一緒にいるのは私だし、言葉通りできたら苦労しないわよ」と感じると思うんですね。だから、何か言う時は「僕はあなたほど子どもと一緒にいるわけではないから何を言っても理想論かもしれないけど、少し距離がある人間だからこそ見えるものもあると思うから、参考意見として聞いてもらえたら」という言い方をするように心がけています。  男性はプライドを捨てた方がいいですね。だいたい女性が言うことの方が正しいことが多いんですよ(笑)。自分で間違っているとわかっていても、女性に言い負かされたり、自分の非を認めることが男性は苦手。プライドを捨てて、夫婦のため、あるいは子どもの健全な成長のためにどちらの言っていることがプラスになるか、冷静に考えるように僕はしています。  例えば料理で「おいしくない」と感じたとしても、「まずい」とそのまま言ったらカチンとくるでしょう。いったん「おいしかった」と肯定した上で、「次はもうちょっと塩を濃くしてみると、もっとおいしいかもね」という言い方をします。その方が相手は抵抗なく受け入れやすい。妻を思う気持ちがあるから、自然と思いやりのある言い方を心がけているのだと思います……なんて言うと、ちょっと気持ち悪いですが(笑)。   ――そういうふうに互いに認め合うことが、結婚生活を続ける上でのポイントかもしれません。 乙武 うちは性格が正反対なので、かえって互いにリスペクトする気持ちがあるんです。例えば、妻は僕のように外を飛び回って人前で話をすることが絶対にできない内向的な性格なので、僕をリスペクトしてくれてるし、僕は家事と育児は物理的にできないし、たとえ手足があっても家の中でじっとしてることが性格的にできない。だから、妻をリスペクトしています。  外で働くにしても、家事育児にしても、どちらも楽なわけない。自分のことしか見えないと「なんでこの大変さをわかってくれないんだろう」と不満がたまってしまいますよね。それで、相手の立場を考えずにその不満や愚痴をぶつけてしまうと、衝突するのかもしれません。  ただ、一般的に共働き夫婦では、奥さんが働いているにもかかわらず旦那さんより家事や育児を負担しているケースが多くあって、奥さんの不満がたまる傾向にある気がします。それはフェアじゃない。 ――妻の負担が大きくなるのは、夫が育ってきた家庭において母親が専業主婦で、それが当たり前だと思い込んでいるからかもしれません。夫は、その価値観が刷り込まれていることに気づいていない。 乙武 いや、多分気づいているけど、甘えているんでしょうね。奥さんが働いてきて疲れているのはわかるけど、その点は突き詰めずに、「なあなあのまま行きたい」というのが男の本音だと思います。2人とも働いているなら、家事も育児も分担すべき。僕に手足があったら、家事もしてるでしょうね。 (後編へ続く/構成 安楽由紀子) 乙武洋匡(おとたけ・ひろただ) 1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーとなる。卒業後、スポーツライターとして活躍した後、杉並区立杉並第四小学校教諭に。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』(講談社)が映画化され、自身も出演。現在、地域との結びつきを重視する「まちの保育園」の運営に携わるほか、東京都教育委員として活動している。

現実に追い抜かれそうな危惧もある――『機龍警察』月村了衛の世界観を生み出したもの

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月村了衛氏
 小説家・月村了衛氏。『機龍警察 自爆条項』(早川書房)で第33回日本SF大賞、『機龍警察 暗黒市場』(同)で第34回吉川英治文学新人賞を受賞、「このミステリーがすごい!」国内編第3位、「SFが読みたい!」国内編5位にもランクインと、今まさに「注目の作家」と呼ぶにふさわしい人物だ。だが、1963年生まれの彼の小説家デビューは、2010年に刊行されたシリーズ第1作『機龍警察』。小説家としては「遅咲き」と呼ばれるであろう彼は、テレビアニメ『ノワール』『円盤皇女ワるきゅーレ』などの作品で知られる脚本家であった。脚本家から小説家への転身ではない。当初からの夢を胸に秘めて与えられた仕事を全力でこなしてきた結果が、『機龍警察』シリーズ誕生へとつながったのだ。今回、月村氏の人物像に焦点を当てて、希望が結実するまでの道程、そしてこれからを聞いた。 ――月村さんは、早稲田大学第一文学部文芸学科を卒業されていますよね。キャリアのスタートがアニメの脚本からなのは、なぜですか?。 月村了衛(以下、月村) 文芸に入ったということは「作家になるぞ!」というつもりがあったワケなんですが、文芸学科というのは、いろんな学科の授業を選択できるんですね。それで、演劇であるとか、脚本であるとか、映画であるとか、そういう授業をもっぱら選択していました。それを知っている方が、「脚本を書いてみないか」と声をかけてくださって。「ただし、使えなかったらそこまで」とも同時に言われました。こちらとしては、脚本でやっていくつもりはなかったのですが、勉強はしていたので、考えた末、「ダメだったらすみません」くらいのつもりでやらせていただくことにしたのです。そしたら、まあまあ使えたらしくて。気が付くと、20年ばかりがたってしまいました。 ――作家になる決意は、いつからあったのでしょうか? 月村 ホントに長い話ですが、もともと絵本や紙芝居やそういった〈物語〉が好きで、よく読んでいたんです。それに加えて、小学校2年生の頃から小児ぜんそくがありまして、発作が起きると、家から動けないので、本を読むしかないんですよ。それで、貪欲に本を欲するようになったんです。 ――その頃読んでいた作品は、どんなものなんですか? 月村 強烈に覚えているのは、山中峯太郎先生が翻案された、子ども向けの『シャーロック・ホームズ全集』です(註:ポプラ社が1956年から刊行したもの。現在は絶版)。これを読んで、それまで自分が読んでいたようなものとはもう一線を画すと、小学校2年生ながら強烈に自覚したんです。 ――小学校2年生で『シャーロック・ホームズ全集』というのは少し早いと思うのですが、それはご両親が買ってくれたんですか? 月村 いえ、図書館です。ウチには、そういう本がほとんどなかったですね。 ――中高生の頃には、明確に作家志望になっていたのでは? 月村 そうではないです。作家になろうと思っていても、普通はなかなか口にはできないじゃないですか? 作家志望をハッキリと意識したのは、高校卒業の頃です。高校の入学時に、志望調査の書類を提出させられたんですが、そこに「志望学部」を記入する欄があったんです。志望が決まっていてもいなくても、とにかく記入しないといけなかったので、とりあえず法学部と書いたのを覚えています。漠然と、弁護士とかなら名探偵のイメージに近いなあとか。まだ、作家になるという明確な意志はなかったんですね。それに、法学部と書けば、親もだいたい安心するじゃないですか。ハッキリと「文学部」と書いたのは、高校3年生になる頃ですね。 ――それで早稲田大学に入学されたわけですが、学生時代には周囲にも作家志望なり脚本家志望なりが、友人には多いという環境だったんでしょうか? 月村 そういう付き合いはなかったですね。というのは、キャンパスで「ワセダミステリクラブ」を捜したんですが、部室を発見できなかったという……。そうしたら「幻想文学会(註:幻想文学専門誌「幻想文学」の、当初の出版元)」が、サークル勧誘のテーブルを出していたんです。それで新人ノートに名前と住所のほかに「好きな作家 山田風太郎」と書いたら、1カ月くらいして、東雅夫さん(註:「幻想文学」編集長。現在は、怪談専門雑誌「幽」の編集長としても知られる)から「ちょっと話したいんで、来てくれないか」というおハガキをいただき、早稲田にありました「幻想文学」編集部に伺いました。「幻想文学」創刊からそんなに間もない頃でしたが、初めてお会いした東さんが「山田風太郎インタビューに同行してくれないか」と。まだ入学して1カ月の頃なんで、とてもそんな、自分よりももっと詳しい人は絶対いるはずだと申し上げたんですが。重ねて依頼があったので、東さんと聖蹟桜ヶ丘の山田風太郎先生のお宅にお邪魔したんです。本当に一期一会の得がたい経験でした。 ――そこまで熱くオファーされた理由はなんだったんですか? 月村 石堂藍(註:文芸評論家。東氏と共に「幻想文学」編集・発行人)さんと東さんがおっしゃるには「早稲田中を捜しても、山田風太郎にここまで詳しい人間はいない!」ということで。「ホントかよ」と思ったんですが。 ――いきなり文芸系学生サークルより一段高いところから、始まった感じですね。 月村 その後も幻想文学出版局とは、そういう形でお付き合いはあったんですが、当時は映画の勉強に専念していたので、学生サークルとしての幻想文学会とは、ほとんど付き合いがなかったんですよ。東さんとは、それ以来2~3回、お話しさせていただいただけですが、自分の中で「東さんに取り上げていただけるような作品を書いて、作家として再会したい」という目標が生まれました。そしたら、その前に「幻想文学」が終刊になってしまって。  さらにこの話には続きがありましてね。『日本幻想作家事典』(東・石堂編著、国書刊行会)が、ずっと刊行延期を繰り返していたのですが「自分がデビューするまで延期してくれ」と、気が気じゃなかったんですよ。それで「よし、今年も延期、今年も……」と思っていたら、デビューよりちょっと先に刊行されちゃって。2つの大望が、もろくも崩れ去ってしまいました。でも先日、国書刊行会の方が仲介してくださって、東さんと30年ぶりにお会いいたしまして、大変感激しました。 ――学生時代には映画の勉強に専念されていたということですが、一口に映画の勉強といっても、制作から脚本までさまざまなものがありますが。 月村 脚本はもちろんですが、最初から見るほうというか、評論系でしたね。当時新宿にありました、佐藤重臣さんがやっていた黙壺子(もっこす)フィルム・アーカイブや、早稲田のACTミニ・シアターなどによく行きました。時期的に考えても、隣に町山智浩さんとか、柳下毅一郎さんが座っていただろうと思うのですが……そういう日々を送っていました。 ――映画を見て、何かを書いていたんですか? 月村 梅本洋一先生(註:「カイエ・ドゥ・シネマ・ジャポン」創刊編集長)が、フランスの留学からお帰りになって早稲田で映画の授業を初めて持った年の、いわば生徒第1号なんです。映画を見てレポートを出すという授業で、まあそれなりに書きました。梅本先生からは、映画の見方の基礎とでもいうべきものを教わりました。……私自身は「映画宝島」創刊準備号から買ってる、「映画秘宝」の読者なんですが。  梅本先生は、町山さんや柳下さんには「リュミエール派」とか批判されていますが、当時、梅本先生に「どういう映画を授業で見たいか」と聞かれるんですね。それは早稲田のライブラリーの中から選ばなきゃいけないんですが、リストを見ると、そんなに数があるわけではない。当然、字幕はありません。その中でまず見たいのはやはり限られていて、「じゃあ『フランケンシュタインの花嫁』お願いします」とか言うと、必ず「君はいつもつまらないものばかり見たがるね」と苦言を頂戴するわけです。一方で、そんな不肖の生徒が語るテレビドラマの話、それも「映画的観点における必殺シリーズ」みたいな話に耳を傾けてくださり、論文の執筆を勧めてくださいました。 ――そこで『フランケンシュタインの花嫁』を出してくるとは、「分かってるな」と思ってしまいますが。 月村 当時、名画座や上映会でしか見る機会がなかったので。高校時代から普通に上映会でバスター・キートンの『セブン・チャンス』や『探偵学入門』などを立て続けに見ていたんです。これがなかなか映画的カタルシスに満ちていて、やみつきになったという感じですね。それ以前にもリバイバルで『天国と地獄』を見ていて、これが一番大きかったかなと思います。 ――早稲田はホント変わった方が多い大学だとは思いますが、そういった映画を見ていて話の合う友人・知人というのは、学内には……。 月村 いませんでした。 ――もっぱら学外の人間と交流する感じで? 月村 学外の付き合いもなかったですね。もう1で観て、ただそれだけという。1人で観て、映画の本を読んで、また観るという。当時柳下さんとかあちこちで鉢合わせしてるはずなんで、もし友達になれてれば、何十年という年月を孤独に過ごさずに済んだのになぁ、と思います。  映画を作るサークルとかに行っていれば、また違っていたのでしょうけれども、なぜかそういうところに行かなかったんですよ。  今思い出したんですけれども、私、就職活動は一切してないんですが、それらしいことを1つだけやりました。当時、松竹が十何年振りかで助監督を採るというのがキネ旬に載りまして、それを受けに行きました。試験会場は明大でした。もうそういうTPOに応じた服装なんて知らないものですから、学生服で行きましてね。学生服好きなもんですから。行くと、まあいろんな格好したのがいて、スーツで来てるのもいればすごくラフな格好で来てるのもいて。試験の内容は一般常識、普通の試験だったんですよ。で、おっこっちゃいまして。でも、そういう経験ができて良かった。唯一受けた就職試験ですので。予備校講師の職は面接と模擬授業だけでしたから。まあそれも試験と言えば試験ですが。 ――映画を見るだけではなく、やっぱり作家になる修業も続けていたのですか? 月村 そうですね。当時「小説現代」の新人賞に応募したりしていて、名前が載るところまではいったのですが、それ以上には至りませんでした。また文芸学科ですから、当然合間合間に課題でシナリオや短編小説を書いたり、卒業論文の代わりに長編小説を書いたりしました。授業の課題で書いた短編が「早稲田文学」の編集をやっていた文芸学科の平岡篤頼先生の目に留まって、呼ばれたんですよ。で、まあいろいろお言葉をいただきまして。大変光栄に思いました。その時に言われたのが「早熟である」と。また同時に「大衆文学的な気がする」とも言われまして。結局「早稲田文学」には載りませんでしたが。 ――その時書かれたのは、どういう小説だったんですか? 月村 伊東一刀斎が夜の峠道で自分のドッペルゲンガーと出くわすという。何しろ敵は自分自身ですから、身動きもとれなくなって。自分自身を突きつめながら一晩を過ごして、夜が明けた時に、一刀流の極意である無想剣を会得しているという。今とまるで変わってませんね。 ――ご自身の方向性は、どのように定めていたんでしょうか? 月村 学生時分は「超ロマン主義」などと、自分で標榜していたんですよ。あんまり恥ずかしいので、誰にも言わないまま、私の脳内で消滅しましたけど。で、若い頃は、もっぱら〈幻想文学〉って言っていたんですよ。というのは、純文学であるとか、SFであるとか、ミステリであるとか、そういった素晴らしいものを統括する上位概念として、そういう言葉がいいんじゃないかと思っていたんですが、近年、幻想文学という言葉が、さすがにやや限定的なニュアンスを帯びるようになってきましたんで、今現在は〈エンタテインメント〉と言ってます。もう自分にとっては「エンタテインメントでいいじゃないか!」と。「自分はこれでやっていこう」と。今はそういう気持ちでおります。 ――卒業後は『ミスター味っ子』の脚本家としてデビューされました。冒頭で、脚本家になる気はなかったとおっしゃっていましたが、仕事が舞い込むようになってきた時は、どんなお気持ちだったんですか? 月村 それはもう「やる以上は全力でやる」と考えていました。引き受けた仕事には常に全力で取り組んできたと自信を持って言えますし、手がけてきた作品には今でも誇りを持っています。 ――脚本のお仕事では『神秘の世界エルハザード』『少女革命ウテナ』『ノワール』と、さまざまなジャンルの作品に携わっていらっしゃいますよね。「このジャンルだから書けない」というのは、ご自身の中であまりないのですか? 月村 ないです。 ――文学をずっと読んでいた、映画を見ていた積み重ねが大きいのでしょうか? 月村 かもしれませんね。取り組む時は、基本は同じなので、人間を描いていくという。そういう意味では、コメディでもアクションでも変わらないので、面白いのは、当時の私を「ハードボイルドの月村」と認識している人と、「温泉の月村」と認識している人とに完全に分かれるという。 ――脚本の参加作品は、2006年発売の『円盤皇女ワるきゅーレ』OVA版が最後ですね。その後、2010年に小説家デビューとなったわけですが、出版社にはどのようにアプローチを? 月村 発表のアテもないのに書き始めまして、ツテのツテのツテを頼りまして、持ち込みをしていたんですよ。ですがまあ、なかなか厳しい時代ですので、決まらないままに作品がたまっていきまして。実は『機龍警察』は第2作なんです。第3作が『機忍兵零牙』で、第1作は『一刀流無想剣 斬』のほうなんですよ。何しろ一刀流には学生の頃から執念を燃やしていたので、それで長編第1作に選んだのです。それぞれ同時に持ち込みをしている状態だったので、刊行の順番が前後したということなんですね。 ――脚本家としてはキャリアがあっても、小説家としては新人ですよね。それに、持ち込みを続ける間に、心が折れるようなことはなかったですか? 月村 そうなんですよ。自分には何もコネがないし、自分の周辺にそういうツテを持っている人がいないのも分かっていましたので、ツテのツテのツテを探してみてくれないかといろんな人にお願いして。幸いにも力になってくださった方が何人かいらっしゃって、その方々には大変感謝してます。おかげさまで、最初に『機龍警察』が早川書房で決まりまして、これでデビューということになりました。持ち込みをしている時に心が折れることはありませんでしたが、生活をどうしようかとは考えましたね。 ――『機龍警察』シリーズの構想は、いつから考えていたのでしょうか? 月村 90年頃から構想はありましたが、書くために必要なもの、例えば警察に対する取材力などが自分には欠けているとはっきり自覚していたので、なかなか書き出せなかったんです。しかし長い年月のうちに、さまざまな出会いがあって、作品に取り組む端緒を得ました。 ――アイデアは、どういうきっかけで生まれたのでしょうか? 何か降りてきたのか、もしくは、考え抜いてる中で構築されたのか。 月村 まあ両方ですよね。自分のテーマは、犯罪であるとか、社会、現実、暴力といったキーワードで構成されています。特に社会の中での、組織と現場との二極的な構造が面白いと思うんですね。現場の人間が、己の血を流して戦うんだが、それは何か大きな流れの末端でしかない。だが個々の人間の想いは確かにある。歴史観、社会観というか、そんな感覚をとらえていきたい、その断面を切り取ってみたい。熱い物語として表現したい。そういう想いがあったんですよ。 ――そのテーマは『機龍警察』以前から持っていたのですか? 月村 そうですね。アクション映画が好きなのですが、ただアクションだけがよくても、心に残らないじゃないですか。「じゃあ心に残るアクションっていうのは、なんだろう」と。アクションであっても、時代劇でも、チャンバラも同様ですが、社会のリアリティであるとか、人間の情念が核心にあります。そういう理想を形にしていきたいと、ずっと思っていました。 ――巻末に参考文献も記載されていて「こんなにちゃんと調べていらっしゃるんだ!」と驚きました。例えば『機龍警察 暗黒市場』ではロシアや東北の被災地が登場しますが、現地取材は行っているのですか? 月村 いいえ。地図は死ぬほど見ましたけど。 ――『機龍警察 暗黒市場』では、震災復興の規制緩和の結果、アンタッチャブルな暗黒街と化した東北の海辺の都市が描かれます。とても、あり得る未来だと感じたのですが、やはり震災を機に生まれたアイデアなのでしょうか? 月村 「震災を機に」ということはまったくありません。でも書いていくうちにそういうアイデアが生まれてきて、同時に、やはり自分もそうした状況とは無関係ではいられないんだなと自覚しました。『機龍警察 自爆条項』でも、シリアについて書いた途端に民衆革命が起こったりしましたし、アルジェリアについて書こうと思っていたら、テロが起こっちゃった。現実と紙一重で「もうすぐそこまで来ている。下手したら追い抜かれそう」という、追いつ追われつみたいな、そういうヒリヒリした感覚を常に感じます。 ――結果として読者はリアリティを感じているわけですが、作家としては「してやったり」では? 月村 「してやったり」とまでは思わないんですが、そもそもが時代としては現代のつもりで書いていて、しかし現代という時代には「機甲兵装」は存在しない。近未来というと、また限定的なイメージが生まれてしまうので、限りなく現在に近い未来ということで、〈至近未来〉というフレーズを自分で考えたんですが、これが定着しているような、してないような。もっと言うと、最初は現在から何年後の話であるとか、そんな時代設定を曖昧にしておこうと思っていたのが、シリーズを書き進めるに従って、次第に絞られてきた感があります。特定する手掛かりは作中にあります。それでも、現実の国際情勢においてはさまざまな予測不能の事象がリアルタイムで進行しているので、整合性の取れない部分が生じることは不可避であるわけですが。自分の感覚としては、ホントに現代なんですよ。現実の国際情勢と、警察小説を結びつけるガジェットとして「機甲兵装」という設定を導入したんですが、どうもこれまた、いいとこ突いていたんじゃないかと後になって思いました。  『機龍警察 暗黒市場』まで書く中で学んだことですが、現代の戦争は限りなく戦場が曖昧な局地戦になっています。そうした時に、「機甲兵装」というのは、あながちあり得ないガジェットではなさそうだと。実際、いろんな国の軍隊が、そういうものを研究開発しているようですし。我々が思っている以上の早さで、今後急激に発達するのではないかと。 ――完結までのシリーズ構成は、もうまとまっていますか? 月村 おおまかな展開や着地点は考えてあるんですが、全何巻かは未定です。自分としては、できるだけ丁寧にやっていきたいんですね。単行本が売れなければ、続きが出ないことも十分あり得るので、打ち切りにならないように頑張って……。執筆ペースがまだつかめていないこともあるのですが、今はともかく読者の方に楽しんでもらえる作品を書くことに専念したいと思っています。 ――そうするとやはり、コンスタントに執筆できるスピードをつかむのも課題ですね。 月村 資料が多いので、なかなか外では書けないため自宅で仕事をしていますが、1日中やっていて「やっと集中力が高まった!」と思ったら、「もう外が明るいぞ」みたいなことばっかりですね。調べる量が多いので、なかなか進まない……。そんな感じです。だから朝型に切り替えたほうがいいかなとか、考えているところです。 (取材・文=昼間たかし)

「僕はずーっと自然体」ギャンブル、借金、4度の結婚……でも憎めない、六角精児の生き方

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撮影=名鹿祥史
 『相棒』(テレビ朝日系)の米沢守役などでおなじみの、人気個性派俳優・六角精児(50歳)。最近はバラエティ番組への出演も増え、その愛嬌あるルックスと、親近感の湧くトークに癒やされている人も多いことだろう。  そんな一見愛されキャラの彼だが、過去の私生活を覗いてみると、ギャンブル狂い、サラ金地獄、4度の結婚、そして作家・西村賢太の分身ともいえる北町貫多に自身を投影……と、なかなかパンチのある生き様を見せていた。  発売中のエッセイ集『三角でもなく 四角でもなく 六角精児』(講談社)には、赤裸々に綴ってあるということで、著者本人を直撃した。 ――著書では、ギャンブルや借金、離婚のことなども、かなりぶっちゃけてますね。 六角精児(以下、六角) こういうダメな人間だってなんとか生きてるぞ、ってことを知っていただけたらうれしいですね。ダメな人間だって、生きる資格がないわけじゃないですから。まあ、そんなに大したことが書いてあるわけじゃないですが、お金をドブに捨てる気持ちで買っていただけたらと。 ――いや、結構大したことが書いてありましたよ(笑)。これを読んだ方の中には、六角さんのイメージが変わったという声もあると思うのですが。「人からよく見られたい」「かっこつけたい」というような気持ちは薄いほうですか? 六角 薄いというか、ないですね。「こうなりたい」と思ってもなれないのが常ですから、人をうらやむ気持ちもないです。普通の自分を出して、どう思っていただけるかだけで十分だなって思います。 ――あくまでも自然体なんですね。3年ほど前まで、6畳のネズミが出るような部屋に暮らしていたと著書に書かれてましたが、テレビで人気者の自分と、私生活の差に戸惑ったりはしませんでしたか? 六角 特になんとも思いませんでしたね。その頃は、飲み屋の兄ちゃんと共同生活してまして。僕の部屋は、掃除をしていなかったのでペットボトルが積み上がってましたね。ちなみに隣は、飲み屋の兄ちゃんの部屋でした。 IMG_0102.jpg ――他人と比べたりしないんですね。 六角 比べないですね。ほかの人はほかの人だし、自分のことって自分でもよく分からないじゃないですか?「自分のここがよくないな」って思うところが、案外、人から見たら魅力的だったりすることもありますし。 ――著書の中で、西村賢太さんの私小説の主人公・北町貫多にご自分を投影しているあたりは、思わず笑ってしまいました。 六角 いや~、北町貫多は人間らしいですよ。人間って、ああいうことでしょう! ――貫多は、家賃は滞納するわ、卑屈だわ、人を裏切るわ、かなり強烈なキャラクターですが(笑)。 六角 もちろん貫多と僕は違うところもあるとは思うんですけど、ダメさ加減は似てるなって思うんです。初めて読んだ時に「分かる、分かる♪」って。 ――貫多に共鳴してしまうとは(笑)。ところで、雑誌などのインタビューで、よく「なぜそんなにモテるんですか?」という質問を受けてますよね。 六角 多いですね。結婚・離婚を繰り返してるから、そう思われるのかなあ。自分ではまったくモテると思ってないですし、自信もないです。 ――それでも、4回もご結婚されているわけですが。 六角 僕みたいにダメなヤツを「私が救ってやらなきゃ」と思う女性って、結構いらっしゃるんですよね。それに女性って、結婚すると男性が変わると思っていらっしゃる方が多いんですよ。 ――男性は女性で変われないものですか? 六角 変われる人は、きっと“不自然体”でいることに慣れてる方だと思うんです。例えばちゃんとした会社勤めの方とかは、普段から大概、不自然体でいると思うんですよね。ですが僕の場合、ずーっと自然体なものですから(笑)。 ――でも、現在はギャンブル漬けから抜け出されたんですよね。 六角 借金がなくなって一度ギャンブルから離れたことで、見え方が変わってきたんです。今でもたまにパチンコ・パチスロをやりますけど、前みたいに「絶対に勝ってやる」とは思いませんから。 IMG_0354.jpg ――独身よりも、結婚を選んできた理由はなんでしょうか? 六角 実は、最初から自分で望んでした結婚って、そんなにないんですよ。10年くらい付き合って、ある時、彼女の実家に連れていかれて、お父さんに「じゃあ結婚するのか!」って言われて、「は、はい」って言ったりとかですね。仕事上の理由で「けじめが欲しい」と言われたり。あるいは子どもができたり。結婚しろと言われた時に、それを拒む理由もなかったので。 ――でも結婚すると、責任が増えますよね。男性は特に。 六角 そうなんですよ。それに気付いたのは、随分、後のことでございまして……。 ――離婚の原因は、なんだったんですか? 六角 やっぱり僕の経済力のなさと、不誠実さですね。30代の頃も仕事がなかったわけじゃないんですけど、収入をほとんどギャンブルに使ってましたから。最初は個性的な珍獣みたいに思われて結婚したとしても、思い通りにならないわ、どんどん憎たらしくなっていくわで手に負えなくなって、結局、すべて相手の方から離れていきました。どこぞの公園の池に、持て余した飼い主に捨てられるワニみたいなものですよ。 ――離婚した時は毎回、落ち込むんですか? 六角 落ち込みますね。「またか……人間としてどうなんだ」って。ただすぐに「あ、でも4度離婚した人、知ってるぞ! あの人、結構ちゃんとした人だし。やっぱ巡り合わせなのかなあ……」とか考えちゃったこともありますけど(笑)。 ――現在の奥様とは、1年半前に2度目の結婚をされましたが、離婚へのおびえみたいなものはありますか? 六角 ないですね。お互いに何がダメで別れたか分かってますから。そこを自分なりに努力しようと思ってます。 ――そんな紆余曲折を経た六角さんですが、劇団扉座(旧「善人会議」)を旗揚げされてから30年以上がたつそうですね。最近の若い劇団員を見て、思うことはありますか? 六角 自分の世界だけを大切にする人が多くて、「つまんないなあ」と感じることはありますね。若い方は、あまり出会いや経験に対して欲がないのかなって。自分の考えって、自分ではいいと思ってても、ちっぽけなものが多かったりするんですよ。もっと良いことも悪いことも経験して、それから取捨選択してほしいですね。 ――「いろんな経験」とは、六角さんが言うと説得力がありますね(笑)。 六角 役者で食べていくのは大変です。よっぽどキレイな人だったり、面白い人だったり、頭がいい人じゃないと、まず無理。んで、キレイな人はどこかですでにスカウトされて事務所に入ったりしてますから、劇団に来るってことは、無意識のうちに審査に漏れている可能性が高い。そのハンデを打破するために、若いうちはもっと積極的に無茶をして、何かをつかんでほしいなって思いますね。 (取材・文=林タモツ) ●ろっかく・せいじ 1962年生まれ。82年の劇団「善人会議」(現「扉座」)旗揚げメンバー。テレビ朝日系ドラマ『相棒』シリーズで人気を博し、09年には、同シリーズの映画『鑑識・米沢守の事件簿』で映画初主演。13年4月から放送のTBS系金曜ドラマ『TAKE FIVE』(毎週金曜22時~)、NHK BSプレミアム『真夜中のパン屋さん』(毎週日曜日22時~)にレギュラー出演、NHK Eテレ『SWITCH インタビュー達人達』でナレーションを務める。近年は、自らボーカル・ギターを担当する「六角精児バンド」でのライブや、エッセイ執筆(『三角でもなく 四角でもなく 六角精児』講談社刊)を行うなど活動の幅を広げている。