
『ホームレス大博覧会』著者の村田らむ

もう、写真からしてインパクトありすぎな、真っ赤なフリフリの服を着込んだ「キャンディおじさん」ことキャンディ・H・ミルキィさんと、白髪&白髭にセーラー服という落ち武者女子高生スタイルの「セーラー服おじさん」こと小林秀章さん。 おふたりとも、この格好のまま都内各所に出没するということで多数のメディアなどに取り上げられている有名な女装おじさんですが、女装とは言いつつも外見から判断するに……明らかにおじさん丸出し! しゃべり方もオネエ言葉なんて一切使わないし、むしろおじさんであることを隠そうともしていないように見えます。 はたしてこの女装おじさんたちは、どーしてこんなことになっているのか? そして、なんのために女装を!? 東京2大インパクト女装おじさんによる貴重な対談です。 ■キャンディさんに人生を曲げられたんですよ ――まず、おふたりが女装を始めたきっかけは? キャンディ 子どもの頃から姉の服に興味があってコッソリ着ていたんですけど、やがてゴミ捨て場から拾ってくるようになって……。東京オリンピックの年、小学校5年生の時に新聞配達をやっていたんですが、朝、新聞を配っているとゴミ袋が出ているじゃないですか。当時は個人情報もゆるかったんで、平気で女性物の下着とか服が捨ててあったんですよ。ゴミ捨て場を散らかさなければ自由に持って行っていいというような雰囲気もあり、いっくらでも手に入りましたね。もちろん、手に入ったからといって外には着ていけないから、家族がテレビを見ている間にトイレにこもって着てました。 小林 私の場合は小学校の頃、女の子のパンツが大好きで、学校に行ったらとりあえずクラス全員のスカートをめくってみんなのパンツを把握する、っていうのが日課だったんですよ。あまりにもスカートめくりをしていたんで問題になって、先生が「恥ずかしい思いをさせたら懲りてやめるだろう」とでも思ったのか、「今度やったらスカートはかせるぞ」って警告してきて……。 キャンディ 粋な計らいだねぇ~! 小林 こっちはもう楽しみで、ワクワクしちゃってね(笑)。それからも平気でスカートめくりを続けていたんで、ある時、朝礼でスカートをはかされたんです。みんなに大笑いされたけど、こっちはうれしくって……あれ、全然罰になってなかったですね。それからずっと女の子の服に興味を持ってはいたんですが、自分の場合は入手するすべがなかったので、大学生になってエッチなお店に行って下着とかを買うようになるまでは全然、実践する場はなかったです。 キャンディ そこから、女装して外に出るまでに、また大きな壁があるんだよね。外に踏み出す一歩は、人生を踏み外す一歩だから。 小林 初めて外に出たのは、いつ頃なんですか? キャンディ 30ちょっと越えたくらいかな。もう結婚もして子どももいて……っていう時期。それまでは女装クラブに行って女装をしてたんだけど、女装クラブって基本的に外に出ることは禁止なの。 小林 それはモラルとして「外でまで、そんなことをするな」みたいな? キャンディ いや、女装クラブが儲からなくなっちゃうから。みんな平気で外に出られるようになったら、女装クラブに行かなくなっちゃうでしょ。でもある時、原宿に行ったら奇抜な格好をしている子たちがいっぱいいたのね、竹の子族の全盛期だったんで。「ここだったら女装しても大丈夫だな」って、完全に勘違いだよ。だって最初に原宿に行った時なんて、セーラー服ともんぺだったもん(笑)。でも、それが竹の子族の子たちにウケちゃったから、さらに勘違いしてハマッちゃったんだよね。あそこで受け入れられてなかったら、人生は全然違ってたと思いますよ。 小林 実は、私の最初の一歩は、キャンディさんがきっかけなんですよ。 キャンディ ええーっ!? 小林「デザインフェスタ」というイベントで写真展をやることになったんですが、その時にキャンディさんが来てくださるって聞いて、「キャンディさんをお迎えするなら、ちゃんとした格好じゃないと!」と思い、女装をしたのが外に出た最初です。 キャンディ あの時が最初だったんだ! すごく人気者だったから、とっくにやってるんだと思ってた。左からキャンディ・H・ミルキィさん、小林秀章さん
小林 まあ会場のトイレで着替えてたんで、会場の中だけですけれど。それでも足がすくむ思いでしたね。 キャンディ でも、1時間もたったら平気になったでしょ。 小林 そうですね。もともとアーティストが集まるイベントなんで、意外と受け入れてくれましたね。逆にすごくウケちゃったんで引っ込みがつかなくなって、「デザフェスに行く時にはセーラー服」っていうのがお決まりになっちゃいました。だから、キャンディさんに人生を曲げられたんですよ。 キャンディ もともと興味はあったんでしょ? 小林 はい。「キャンディさんが来る」というのを、いい口実にしたんでしょうね。本当に女装で外に出ていったのはデザフェスから1年半くらいたってからなんですけど、鶴見のラーメン屋で「30歳以上の男がセーラー服を着てきたらただ」っていうキャンペーンをやっていると聞きまして、「じゃあ行こうか」と。結局、あれも自分への言い訳ですよね。「ラーメンを食べに行くんだから……」って、女装をする口実ができるじゃないですか。あれで、初めてウチからセーラー服を着てラーメン屋まで行きました。やっぱり外って、イベントの会場とは全然違いますからね。すごくバカにされるんじゃないか、職質されるんじゃないかといろいろ心配して……。 ――むしろ無視されたんじゃないですか? 小林 そうなんですよ。都会のスルー力ってすごいですよね。堂々としてると、意外と誰も絡んでこないんです。 キャンディ まあ、東京では知らんぷりして通り過ぎてくれるよね。大阪では指さして笑ってくるけど。 ――今まで、通報されたりなどのトラブルはないんですか? キャンディ 職務質問されたら名刺出して免許証出して……って、こっちからなんでもかんでも出しちゃうの。そうすればほとんど大丈夫ですね。そもそも、悪いことをするんだったら、こんな目立つ格好するわけないじゃん。こんな格好してるからこそ、かえって模範的な市民であろうと心がけてるんですよ。 小林 女装を取り締まる法律はないですからね。あんまりしつこく職質したら、逆に人権侵害になっちゃいますよ。 キャンディ まあ、警察も大変ですよね。 小林 ただ、「どこまで大丈夫なのかな?」って、いろいろやってみる時期ってありますよね。デパート行ってみたり銀行に行ってみたりホテルに行ってみたり……。私は裁判傍聴しに行きましたけど、大丈夫でしたね。 キャンディ どこ行っても、意外と問題ないよね。でも、週末の繁華街だけは避けるかな。日本の酔っ払いって、しょうもないんだよ。 小林 あいつら、男だったらスカートめくっていいと思ってますからね。でも、そういう酔っ払いとか以外は、日本ってすごく寛容ですね。 ――寛容ですか? 小林 この間、海外メディアに紹介されたんですけど「日本では、あれをやっても平気なのか?」って反響が多かったんですよ。たとえばアメリカとかって「自由、自由」って言ってるけど、公の場所で女装をする自由なんてないんです。こんな格好で外を歩いていたら、なにか犯罪に巻き込まれたりしかねないから、安全に歩けないわけです。ところが日本だと、女の子が寄ってきて「一緒に写真撮ってくれませんか?」ですからね。海外の人にとってはカルチャーショックだったみたいです。
■自分の女装姿を見て、オナニーしていた
――ところで、今日は「なぜ女装おじさんたちは、男丸出しな女装をするのか!?」という対談なんですが……。
キャンディ いやー、本人としては「意外と男だってバレてないんじゃないか」と思ってやってるんですけどねぇ。
――あ、そうなんですか?
キャンディ 10人いたら1人くらいは本当に女だって思ってくれてるんじゃないか、って期待はしてますよ。
小林 でもまあ、我々は女の子になりたいわけじゃなくて、女の子の服を着るのが好きなだけですからね。
キャンディ そうそう。女の子の服が好きだから着ているだけ。カメラが好きだったら見ているよりも撮ったほうがいいし、車が好きだったら運転する。同じように、女の子の服が好きだったら、ながめているよりも着てしまいたいという、ごく自然な欲求ですよ。
――なるほどー。
キャンディ まあ、私の場合は女性になりたいわけではないけれど「女性みたいな見た目になりたい」という願望はあるんです。脳みそは男なんだけど、女装している自分を男の自分が好きになっちゃって……だから、性の対象が自分なの。若い頃は天井に鏡を貼ってたんだから。まだピチピチしてた頃は、自分の女装姿を見てオナニーしてたからね。
小林 はー! 自分も鏡を見て「妙にセクシーだな」と思うことはありますけど、それでどうこうってことはないですね。
キャンディ 今はもう年取っちゃっててムリだけどね。鏡なんか見たくないよ。
――一方、小林さんのほうはヒゲ丸出しですけど。
小林 私の場合は、男の汚らしさとセーラー服のアンバランスさが面白いと思っているので。女装のお店に行ったりすると、本当に完璧な女装の人がいたりするんですよ。服装や見た目だけじゃなくて、仕草や考え方まで女性そのものなんです。でも、完璧な女装って意外とつまらなくって。「普通の女性がいるだけ」になっちゃうから。
――だからこそ、ヒゲは残していると。
小林 完璧だったら、誰も見向きもしてくれないじゃないですか。目立ちたいってわけでもないんだけど、「おっさんがセーラー服着ちゃったぜ」という違和感は残しておきたいというのはありますね。
――女装とひと言でいっても、いろんなジャンルがあるんですねぇ。
小林 すごいバリエーションがありますからね。「女装ニューハーフプロパガンダ」っていう女装者やおかま、ニューハーフの人が300人くらい集まるイベントがあるんですけど、これだけみんなバラバラなのに、よく平和にやっていけてるな……と思っていますよ。
キャンディ お互いに興味がないんだよね。セーラー服が好きな人は和服なんて興味がないし、和服好きな人はフリフリのドレスなんて興味ない。興味があるのは下着だけ、水着だけ、なんて人もいるし。でも世間から見れば、全員変態ですからね。
小林 そうですね。女装において汚らしさを押し出す人もいれば、キレイになりたい人もいて、心の中ではお互いにあまりよくは思っていなくても、全体がマイノリティだから結束している……みたいなのがあるのかもしれませんね。
キャンディ どっかしらで拠りどころを欲していながらも、「自分はほかとは違う」っていう気持ちもあるんだよ。まあ、こっちとしては女装が規格統一化されないほうが面白いからいいんだけど。
――おふたりとも、女装の時の衣装が決まってますよね。やはりそれ以外には興味がないんですか?
小林 いやー、実はほかの服も着たいんですけど、もうセーラー服に慣れちゃってるんで。また違う服を着るとなったら、初めて女装して外に出た時のようにイチからドキドキしなくちゃならないんで。
キャンディ まったくそう! 私も部屋ではアンナミラーズの制服とかいろいろ着ているんだけど、結局、外に出る時はこの衣装になっちゃうんですよ。この服を着てたら「いつものあのオヤジだよ」って身分証になるじゃないですか。逆に「今日はセーラー服なんですね」なんて言われたら恥ずかしくて、耐えられないと思う。だから「いつものヤツでいいや!」ということになっちゃう。
■「コイツは女装をしているのか、じゃあ大丈夫!」
小林 こういう格好をしていると、まあイヤがる人もいるけど、意外とうらやましがられることってないですか?
キャンディ あるある。まあそういう時に「オレもやりたい!」とか言ってるヤツよりも、遠巻きにジーッと見ているヤツの方がハマる傾向にあるけど。
小林 そうですよね。サラリーマンとかだと、何かあってのけ者になったり、クビになるのを恐れて日々を送っているから、意外とこうやってはみ出したことをやっていると「よくやった!」って絶賛してくれることが多いんですよ。
――ああ、自分じゃマネできないことをやっている人がいるってことで。
小林 今の社会って、システム至上主義なんだと思うんです。電車や電気、社会がキッチリ回っていることが人の命よりも重要という。そうなっちゃうと人間って、そのシステムをうまく回すための部品になっちゃう。別に自分がいなくなっても、別の誰かが埋め合わせすることになるし……アイデンティティというのがなくなっちゃうんですよね。そんな中にシステムから完全に逸脱した人が出てくると、スカーッとするんでしょうね。
キャンディ そういう時に、酒に逃げるか仕事に逃げるかドラッグに逃げるか女装に逃げるか……っていう違いだよね。どうも今の世の中は「逃げる」のがよくないっていう風潮があるけど、逃げ場所を持っていないとしんどいからね。その逃げ場所が「女装」だったら、ドラッグなんかに比べたら健全なもんですよ。優秀な経営者だったら「コイツは女装をしているのか、じゃあ大丈夫!」って言うと思うよ(笑)。
――そうやって、女装を社会的に認知してもらいたいという感じですか?
キャンディ いや、社会的認知なんてしてほしくないよ。本当はこんなに面白いこと、あんまり人には教えたくないからね。
小林 自分の場合は、社会的に認知されるというのも、それはそれでひとつの理想ですけどね。誰も騒がない状態で普通に女装ができるというのも、いいじゃないですか。
キャンディ うーん、奥さんが女装に理解ありすぎてやめちゃったっていう人も知ってるからなぁ。毎日「今日は女装しないんですか?」って言われ続けてやめちゃったんだって。
小林 ああー、それはそれでツライ。
キャンディ そしたら今度は軍服着よう。ガッチリ軍服を着込んで外を歩いてたらビックリされるでしょ。
――女装も人それぞれなんで、統一見解はない……ということは分かりました!
(取材・文=北村ヂン)
●セーラー服おじさん公式サイト
<http://www.growhair-jk.com/>
今年、没後30年を迎える寺山修司が、再び脚光を浴びている。忌野清志郎らとともにタワーレコードのポスターに起用されたのを皮切りに、世田谷美術館、ワタリウム美術館では大規模な回顧展を開催。パルコ劇場をはじめ、全国各地で30作品以上の演劇が再演される。さらには、スピードワゴン・小沢一敬やサカナクション・山口一郎らもファンであることを公言するなど、若い世代にもその存在が広く知られつつある。 学生の頃から俳句・短歌で天才的な才能を発揮していた寺山は、31歳の時に劇団「天井桟敷」を結成。折しも数々のカウンターカルチャーが花開いた60年代。唐十郎の「状況劇場」や鈴木忠志の「早稲田小劇場」らとともに、「アングラ演劇」と呼ばれる新しいジャンルを切り開いた。『市街劇』『暗闇演劇』『訪問劇』といった、それまでの“演劇”の枠にとどまらない数々のスキャンダラスな作品を上演し、それらの作品は30年以上を経た現代にまで語り継がれている。 さらに、エッセイストとしても『書を捨てよ、町へ出よう』『家出のすすめ』(角川文庫)といった作品でロマンティックな文才を見せ、青少年の煽動者と目された。そのほか、「映画監督」「放送作家」「作詞家」「競馬評論家」など実にさまざまな肩書を持ち、「職業・寺山修司」と自称していたのはよく知られた話だ。47歳の若さで死去したということもあり、寺山をカリスマ視する者は後を絶たない。 そんな寺山の仕事ぶりを間近で見てきた人物の一人が、映画配給会社アップリンク代表の浅井隆氏だ。10年間にわたって天井桟敷の舞台監督を務め、「伝説」と語り継がれる作品群を、内側から見続けてきた人物だ。高校生の頃に初めて天井桟敷の作品を目撃した浅井氏は、その衝撃を次のように振り返る。 「大阪のサンケイホールで、天井桟敷が『邪宗門』を上演したんです。煙がもうもうとした中でJ・A・シーザー(天井桟敷に所属した音楽家)の音楽がおどろおどろしく鳴る。大仕掛けのスペクタクルがあり、エンディングは『劇は劇場の外にあるんだ』というメッセージでした。そんな空間に飛び込んだのは高校生で初めて。これはかっこいいと思いました。それから、紅テントや黒テントなどが来るたびにいろいろ見に行ったけれど、それらが「芝居」だったのに対し、天井桟敷は「ショー」だったんです。当時、ブロードウェイミュージカルの『ヘアー』が、元祖ロックミュージカルとして話題になっていましたが、天井桟敷はあたかも日本版ロックミュージカルのようでした」 「演劇を通して、社会転覆を目指す」という天井桟敷のスローガンに魅せられた浅井氏は、上京後、天井桟敷に入団。それから10年間、浅井氏にとっては20代の青春の日々を、裏方として天井桟敷に捧げてきた。しかし、浅井氏の視点に立つと、その「伝説」の形は、世間一般に語り継がれているものとはやや異なるようだ。今でこそ「アングラ」は一つのジャンルとして確立されているものの、当時を知る浅井氏は「ほとんど蔑称のようなものだった」と証言する。 「僕たちは、自分で『アングラ』と言うことはありませんでしたね。普通に演劇をしていると思っていたから、『前衛劇団』であっても、アングラではなかった。当時、劇団員にはチケットノルマが課されており、30〜50枚のチケットを友人や知人に手売りしていました。有名だったわけでもなく、評価が高いわけでもなかったから、チケットを売るのも大変だったんです……。アングラ劇団員なんて名乗ったところで、家も借りることができない。みんなバイトをしながら必死で食いつないでいました」 そう笑いながら往時を振り返る浅井氏。だが、毎回苦戦を強いられる国内公演の一方で、ヨーロッパを中心とする各国の演劇祭に呼ばれ、『人力飛行機ソロモン』や『毛皮のマリー』『邪宗門』といった作品を上演。世界の最先端の劇団としての名声を獲得していったのだった。『寺山修司:天才か怪物か』(平凡社)
この経験は、天井桟敷解散後に浅井氏が設立したアップリンクの映画配給の場にも表れている。 「日本で評価されていなくても、海外の演劇プロデューサーは天井桟敷を評価してフェスティバルに招待してくれました。アップリンクでも評価の定まった映画監督の作品を配給するばかりではなく、僕が映画祭で見て、いいと思った作品を日本に持ってくることをいつも心がけています」 数々のアヴァンギャルドな作品や、シリアスなドキュメンタリーを送り出すアップリンクも、寺山の存在なくしては生まれていなかっただろう。そんな浅井氏のこと。30周年という節目の年になされる寺山再評価のムードをさぞ喜んでいるのだろうと思いきや、「あまり加担したくない」と、そこには微妙な思いがあるようだ。 「本当に天井桟敷がすごかったのなら、当時もっとお客さんが入ってもよかっただろうし、もっと日本でも評価されてよかった。これは裏返せば、誰も自分の目で評価していないということですよね、昔も今も。当時の演劇は映像として残されていないし、あるのは台本と著書だけ。そこで、どんどん伝説が肥大化している。30周年で再び注目を集めることは、悪いことではないと思います。けれども、30年前に死んだおっさんの話よりも、いま面白い人を追いかけるべきではないでしょうか。かつて、寺山さんが亡くなった後の世間の様子を見て、彼を懐かしんだり、過去を見続けることはやめようと思ったんです。過去を振り返るのではなく、自分の感性で何か面白いと思ったら、演劇でも音楽でも映画でもなんでもいいから、正当に評価して、人に勧めたり、応援したりすることが大事だと思いますね」 すでに、浅井氏は寺山の本のページを繰ることもなければ、演劇作品の再演に足を運ぶこともないという。 「あえてラディカルに言うなら、寺山作品を読む必要もない。それよりも、自分で街の中の面白いものを見つけて探し出すべきだと思います。30年を経て、寺山さんの作品もすでに古典となりました。もしかしたら、本人も読まれることを望んでいないかもしれないですね」 寺山自身「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」と著書の中で語っている。寺山の仕事を10年間にわたって見てきたからこそ、浅井氏は寺山を振り返ることなく“今”を見て仕事を続けているのだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●あさい・たかし 寺山修司の天井桟敷舞台監督を経て、87年、有限会社アップリンクを設立。映画の制作・配給・プロデュースを行い、映画上映やイベントができる「UPLINK FACTORY」、「UPLINK X」や「UPLINK Gallery」などを運営する。 <http://www.uplink.co.jp/>アップリンク代表・浅井隆氏
金髪パンチパーマや決めゼリフ「まじやべぇ!」など強烈なキャラで業界内外から注目を浴びる橋本崇載八段、軽妙な語り口やスイーツ大好きという個性的なキャラで将棋ファンに愛される加藤一二三九段といった個性的な棋士が話題になる一方、コンピューターとプロ棋士がガチンコで将棋の強さを競う「電王戦」をニコニコ動画で生放送するなど、最近何かとアグレッシブな動きを見せる将棋界。 そんな中で、いま特に注目を集めている棋士が「みっち」こと高橋道雄九段だ。御年53歳にして、先日開催された第5回AKB48選抜総選挙の上位3位の予想を見事に的中させ、ニコ動で放送された将棋の生中継では解説そっちのけでアニメ『けいおん!』に対する思いを熱く語るなど、将棋のお堅いイメージとは真反対のキャラクターを発揮する氏は、3月より個人ブログを開設。そこでもやはり、アニメやアイドルに対する、ほとばしるパッションを炸裂させている。 こうなったら、思う存分大好きなアニメやアイドルについて語ってもらおう! ということで、本人を直撃した! ──4月にニコニコ生放送で配信された第71期名人戦第2局2日目の解説で、「『けいおん!』で人生が変わった」と発言され、多くの将棋ファン、アニメファンに衝撃を与えた高橋九段ですが、この発言は事実なんですか? 高橋 はい。まさしくそうです。ブログを始めたのも、それが言いたかったからです。昔からずっと漫画──特に少年誌が好きで、「サンデー」「マガジン」「ジャンプ」といった雑誌やコミックスを買っていました。ただアニメとなると、娘が小さい頃は「娘と一緒に『セーラームーン』とかを見ている」という理由付けが世間に対してできていたんですが、この年になって男一人でアニメを見ているというのは、ちょっと恥ずかしくて……(苦笑)。それに最近はアニメがあまりにも多すぎて、どれを見たらいいのか分からなくて少し疎遠になっていたんです。 ──その中でも、特に『けいおん!』がよかった理由はなんだったのでしょうか? 高橋 説明しろと言われて、言えるようなものではないですね。パッと見て「これはいいな」と思ったから、そのままハマっちゃった感じでした。キャラクターの存在もありましたが、何より音楽が絡んでいるのが大きかったです。 ──『けいおん!』のキャラの中では、誰がお気に入りですか? 高橋 (ちょっとはにかみつつ)私はムギちゃん(キーボード担当の琴吹紬)。ホワホワしたところが大好きです。 ──分かります(笑)。しかし、ハマる最大のポイントは音楽だったんですね。 高橋 私の基本は音楽です。アニメも音楽が絡んでくるかどうかですごく違ってきて、今ハマっている『ラブライブ!』もそうなんですが、歌を一緒に歌って楽しめる部分があるかどうかは重要ですね。私にとって音楽は聴くためではなく、歌うためのものです。ほぼ毎日、寝る前に口パクで歌う練習もしています。 ──ちなみに、最近のヒットチューンはなんですか? 高橋 『ラブライブ!』の曲と、『とある科学の超電磁砲』シリーズのオープニングテーマです。 ──『ラブライブ!』といえば先日、「6thシングルセンター争奪第5回総選挙」が行われましたね。 高橋 そうなんですよ。終わってから選挙の存在を知って「あ~、しまったな」と思いましたね。次は絶対に参加したい! ……でも、誰が一番とか選べないですよ(ため息交じりに)。本当は全員に投票したいです。それじゃ、選挙にならないけど(笑)。 ──声優だと、三森すずこさんがお気に入りだそうですね。 高橋 まだあまり声優さんについては詳しくないんですが、とある作品で三森さんの声を聞いて「いい声優さんだな」と思いましたね。彼女以外にもPileさんは歌もダンスもうまいし、飯田里穂さんも明るい感じでいいですね。でも、私にとってアニメの基本は『けいおん!』なので、声優さんも「あ、『けいおん!』に出ていたあの人は、次はこのアニメに出るんだ」っていうふうに見ちゃいますね。
──もし誰か一人、声優さんにお会いすることができるとしたら、どなたと会ってみたいですか?
高橋 もしできることならば、豊崎愛生さんと一緒に歌いたい! やっぱり『けいおん!』の曲を歌いたいです。「GO! GO! MANIAC」「Utauyo!!MIRACLE」とかかなり速くて大変な曲をあんなに楽しく歌っているのを聴いていると、自分も一緒に歌いたくなります。
──そろそろ4月スタートの春クールアニメもクライマックスに突入していますが、高橋九段が今ハマっているアニメはなんですか?
高橋 一概にどれが一番とかは言えないのですが、やっぱり『とある科学の超電磁砲S』かなあ。あとは『翠星のガルガンティア』がすごくいいですね。ほかには、世間的に注目されている『進撃の巨人』を、個人的にはどう判断すべきか悩ましいところですねえ。面白いんだけど、あのストーリーはどうだろう、とか(笑)。ただ画面の作りが素晴らしいので、見ていて面白いですよね。
──アイドルにも精通されている高橋九段ですが、最近はAKB48関連でメディアに出ることも多いですね。
高橋 アイドルも好きで、アニメに行く前はそっちに傾いてました。基本的に、それぞれの時代に注目されている人たちは見てきました。最初は恐らく桜田淳子、山口百恵、森昌子の三人娘で、それからキャンディーズ、ピンク・レディー、おニャン子クラブ、モーニング娘。とハマって、必然的にAKB48に行きました。要するに、テレビが好きだったんです。テレビを見ていて面白いなと思ったのが、アニメやアイドル、音楽だったわけです。昔は音楽番組も花盛りでしたから、ずっとテレビを見ていました。
──ちなみに、高橋九段の推しメンは誰ですか?
高橋 ゆきりん(柏木由紀)です。
──でも今回の総選挙では、NMB48の山田菜々さんに投票されたそうですね。
高橋 彼女のことが好きというか、評価しているんです。チームのため、仲間のためにすごく努力していて、もう少しみんなに知られてもいいんじゃないかなという人って何人もいて、山田さんもその一人です。NMBの中でも、トップ2の陰にちょっと隠れがちなので、もっと前に出てほしいなと思って入れさせていただきました。そんな山田さんは今回28位。大躍進しましたね(第4回では46位)。ちゃんと評価してくれる人が、ほかにもいてくれるのはありがたいです。
──最近では、ももいろクローバーZなんかが人気ですが、そちらはいかがですか?
高橋 (ももクロは)佐々木彩夏さんはかわいいと思うんですが、歌があまりピンとこなくて……。
──やっぱり、音楽が重要な判断基準になっているんですね。
高橋 はい。結局、自分が歌いたいかどうかなんですよね。AKBは、だいたい30曲くらいは歌えますよ。ただ、確かにアニメとかアイドルを見るのも好きなんですけど、週に2回くらい、かなり向上心に燃えつつ30年くらいテニスをやってるんです。だから私の趣味は、アニメ、アイドル、テニスの三本柱ですね。
──こうやってお話を伺っていると、娯楽に対する感度がすごく高いことに驚かされます。一方、高橋九段の本業である将棋界は、既存のイメージだと非常に堅い印象もあったのですが、ここ最近は「電王戦」やネットでの実況中継など新たなメディアを活用した展開や、個性的な棋士がメディア露出する機会が増えて話題を呼んでいます。
高橋 対局している姿だけ見ると、将棋の世界って難しそうなイメージがあると思いますが、実のところは比較的伸び伸びとしています。拘束時間は少ないし、完全に実力主義なので、年齢に関係なく尊敬される方も、そうでない方もいますし、上下関係もあまりない。意外と「こうしなきゃいけない」というルールがないので、自分なりの個性を出せる方が多いのではないかなと思います。そうは言いつつも、恐らく今までの将棋界だと何かと堅い意見も出てきたと思うんですけど、時代も世代も変わっていく中で、今の時代に合わせていこうという人たちが増えてきていることは確かですし、当然そうせねばいけないと思います。
──一時は人気が低迷した時期もありましたが、最近では、子どもたちの間で将棋人口が増えていると聞きます。
高橋 はい。子ども大会みたいな催しをやると、どの会場にも何百人と子どもたちが集まります。人間同士でゲームを楽しむことで、考える力や人とのコミュニケーション能力もつくと思いますし、テレビゲームに負けず劣らず、子どもたちに娯楽として受け入れられている現状はうれしい限りです。現在、ネットの世界でも将棋が受け入れられているのも、やはり将棋という存在そのものに魅力があるということだと思います。
──ネット時代になって、新たな魅力を発信している将棋界ですが、「まじやべぇ!」で有名な橋本八段など、若くて個性的な新世代の棋士が出てきていますし、人気の若手声優・岡本信彦さんはかなりの実力者だという話も聞きます。
高橋 私としてはAKB48のグループの中で、将棋を指す子が出てこないかなという希望があるんです。将棋のプロや達人の中からアイドルが出てくるのではなく、アイドルの中から将棋の強い子が出てきてもいいんじゃないかなと思います。
──そういう子たちを集めて、高橋九段プロデュースの将棋ユニットとか作ってみたり……。
高橋 やれるものならやってみたい(笑)。それはたぶん、その人自身のためになると思います。あれだけ多くのアイドルがいたら、かわいいだけだと個性が埋没してしまいますし、「アニメが好き」とか言っても、そこまで注目されないですしね。そこで「将棋をやっている」ってなったら、注目されると思いますよ。まあ将棋界だと、私みたいにアニメが好きとかいうと、異端ということで注目されるんですけど。……本当にプロデュースさせてくれないかなあ。
──ところで、『けいおん!』好きをカミングアウトしたニコ動での解説に関して、将棋連盟から何か言われましたか?
高橋 たぶん将棋連盟の人たちは、なんの話をしているか分かっていないと思います。だから特に何も言われていません。ただ従来の将棋番組だと将棋の話しかできなかったし、そうであるべきだったんですけど、今回のニコ動での実況を含めて、ネットのおかげで自分の本当の姿を出せるようになりました。
──ネットというメディアは、今までテレビでは出せなかった個性を出せる自由なメディアだと思いますか?
高橋 それは思いますね。以前より世間には将棋に対する固定観念があって、ごく一面しか見てもらえていない。素の自分が出せていないと、ずっとじれったく思っていたんです。今回ブログを始めたのも、本当の自分、素の部分を出したかったというのが最大の理由ですね。
──いい大人がアニメを見るなんて、という風潮はまだ世の中にあると思いますが、そんな中で高らかにアニメ愛、アイドル愛を掲げる高橋九段に勇気づけられる同世代も多いと思います。
高橋 それが一番言いたいことなんです! 私も、この年代でアニメを見るなんて恥ずかしい、って思っていたことが恥ずかしいです。何歳になっても、好きなことは好きって言っていいんじゃないか。それが一番大事なことだと思います。「みんな好きなことは、好きなようにやっていこうよ」って、同年代の人たちに言ってあげたいですね。もちろん、やるべきことはちゃんとやりながらですよ(笑)。でも、「人生は一回しかないから、しっかりやりたいことはやっていこうよ」というメッセージに共感していただけたらうれしいです。
(取材・文=有田シュン)
●たかはし・みちお
1960年4月23日生まれ。将棋棋士。タイトルを5期獲得、順位戦A級を13期に渡って在籍。重厚・沈着な棋風と無口な印象から「地道高道」と呼ばれる、棋界の重鎮。また、AKB48の大のファンであり、漫画・アニメや特撮などのサブカルチャーから英会話、テニスまで幅広い趣味を持つ。
ブログ「みっち・ザ・わーるど」
<http://ameblo.jp/t-mitch142/>
テレビドラマ『勇者ヨシヒコ』シリーズや、『コドモ警察』『HK/変態仮面』など次々とヒット作、話題作を手掛け、今、最もエッジなクリエイターとして注目を浴びる福田雄一監督。そんな彼の最新作『俺はまだ本気出してないだけ』が、堤真一、橋本愛、生瀬勝久、山田孝之という魅力的なキャスティングで6月15日に全国松竹系で封切られる。 40歳で会社を辞め、「俺は漫画家になる」と夢を追いかけ始めた大黒シズオ(演:堤真一)と、彼に振り回される周囲の人々による哀愁のドラマが描かれる本作を、福田監督はどう実写映像化したのか。また、バラエティ番組の放送作家としても活躍する福田監督は、現在のテレビ業界に対してどんな思いを抱いているのかを聞いてみた! ──どういう経緯で『俺はまだ本気出してないだけ』が実写映画化することになったのでしょうか。 福田雄一監督(以下、福田) 4年くらい前に、まったく関係のない5人のプロデューサーから、原作をほぼ同じタイミングで勧められるという珍事件があったんです。最初に勧めてくれたのがNHKのプロデューサーで、「すごく好きな原作なんですけど、うちじゃできないんで、ほかのところでやってみてはいかがですか?」って話をいただいたんですが、そこでは笑い話に終わったんです。そんなわけで、特に原作をちゃんと読もうという気にはならずにいたんですが、その後2~3カ月くらいの間にいろいろな方からほぼ同時期に勧められて、「気持ち悪いくらいに勧められるな」と思っていた時に、すごく仲のいいプロデューサーに会う機会があって「また話が出てくるんじゃないかな」と思ってたら、「福田さんにぜひやってもらいたい原作があるんだ」って、ドンってコミックスを出されたんです(笑)。 ここまで多くの人に勧められるってことは何かあるんだろうなと思って、そこで初めて原作を読んだんですが、勧められる意味がよく分かりましたね。これはまさに僕がやるのにふさわしいなと思ったので、『大洗にも星はふるなり』を一緒にやったプロデューサーに、「原作を押さえてもらえないですか」って相談したんですが、その時点ですでに「堤真一さんでやりたい」と答えた覚えがあります。 ──原作を読んでいた人ほど、大黒シズオ役に堤真一さんという人選には驚かれたのではないでしょうか? 福田 でしょうね。ただ以前『THE3名様』をやった時に、原作の持つカッコ悪いイメージが、役者さんの力でさらに強くジャンプするという経験をしているんですよ。カッコいい3人の役者さんがファミレスに並んでカッコ悪い演技をすると、本当にカッコ悪い3人に見える。わざとらしい感じではなく、カッコいい人にちゃんとダメな人間を演じてもらう面白さが映像化の醍醐味である、というなんとなくの成功体験があったので、いわゆるダメな男を描く原作をそれっぽい役者さんで描くことは面白くないと思っていたんです。それで、このタイトルの実写化をやるんだったら意外性のある人で、でもちゃんと原作の味を損なわなくて面白い作品、というものを目指すべきと考えていました。ちょうどその頃、堤さんと舞台をご一緒する機会があったのですが、当時ハードなイメージしかなかった堤さんの素の顔を見るにあたり、「本当にダメなオッサンだな」と感じるに至りまして……。 ――一同笑 福田 ご一緒する時間が増えれば増えるほど、堤さんを見損なっていってる自分がいたんです(笑)。僕、本当にダメな人が大好きだから、堤さんのダメなところを見れば見るほど、好きになっていったんです。男として、人としていい意味で見損なっていったので、そこのタイミングにがっちり合ったんです。堤さんって人前に出るときちんとできますけど、普段は割とこんな(劇中のシズオのままな)人なので、ファンの人には残念だと思うのですが「普段はこんなに残念な人なんだよ」というところを、映画を通じて受け止めていただきたいと思いますね。 ──堤さんみたいなルックスのいい中年男性が、朝から横になってゲームやってるっていうビジュアルが、すごく生々しかったですね(笑)。 福田 生々しいですよ(笑)。あれは狙った通りです。彼の普段の体たらくを見せてもらっていたからこその自信はあったんです。だって、普段そうなんだもん。ありていに言うと、酒が入るとダメな人なんですよ。まず空気が読めなくなる。下ネタが増える。自分のダメな過去をさらけ出す。いいところが全然なくなるんですよ(笑)。普段はすごく紳士な方なんですけどね。撮影=尾藤能暢
──共演者も、アクの強いメンツがそろっていますよね。福田監督というと山田孝之さんのイメージもある視聴者もいると思うのですが、今回もメインキャラの一人・市野沢秀一役として物語を引っ張っていきますね。福田監督にとって、山田孝之さんはどういう役者ですか?
福田 今回思ったのが、揺るがないアプローチの方法を持ってくる役者だなということです。今回は、山田君に一言もダメ出ししていないんですよね。ぶっちゃけ、この(シリアスな)山田孝之を演出させてもらったのって今回が初めてなんです。基本的にずっとコメディを一緒にやってきて、これまでは「笑いを獲得してください」という発注しかしていないんですけど、今回は一切笑いの要素がない。その中で山田君が言っていたのが、「声が聴こえないくらいのボリュームでしゃべってもいいですか」っていうことで、それが彼の市野沢に対するアプローチだったんですが、そこを徹頭徹尾貫く姿を見て、「この役者さんはすごいな」と思いましたね。
市野沢って一番シズオに惹かれていて、彼を大切に思っている人じゃないですか? でも絶対に「惹かれてます」って言わないし、かといって、市野沢がシズオに惹かれていくさまを、いわゆる演技で見せているわけじゃない。それを山田君が完璧に演じたっていうのが驚きで。いつもは面白セリフしか言わせてないから(笑)、今まで自分がいかに山田孝之を無駄遣いしていたか痛感しましたね。日本の宝に対して、「勃起してくれないか」「チンコ入れていい?」とか、今までよく言っていたなと(笑)。
──演技そのものではなく、雰囲気や佇まいで演じた、という感じですか?
福田 そうですね。彼の中で「これ」っていう落としどころがあったんでしょうね。それに対して僕も違うとも思わなかったし、ちゃんと市野沢の生きざまを見せてくれたのですごいと思いましたね。宮田役の生瀬(勝久)さんとも初めて仕事をしたんですけど、「そりゃ生瀬さんも仕事が来るわ」と思いましたね。一番最初の生瀬さんのシーンを撮った時、僕が思い描いていたのとはちょっと違うキャラクターを(生瀬が)思い描いてらっしゃったんですよ。比較的テンションの高い、なれなれしいおじさんの役作りで来てらっしゃって、ちょっと宮田と違うって思ったんですけど、生瀬さんのアプローチの仕方が分からなかったので「違うんです」「こうなんです」って指示するのはやめて、カメリハの前に「セリフをもうちょっとゆっくり言ってもらえますか」っていうお願いだけをしたんですよ。そしたら、カメリハであの劇中のキャラになっていたんです。長々と説明は全然していないんですが、口調の話をしただけで、役のアプローチを変えてきたんです。これができたら、そりゃ演出家は使うわと思いましたね。
──出演者たちの演技力が遺憾なく発揮された作品になったと。
福田 ええ。あとは濱田岳君も良かった。岳君は最初、ノリのいい若者編集者を演じてくれていたんですけど、それはどうなんだろうなって思って、「この編集さんにとって、いかに“省エネ”でこの打ち合わせをやり過ごすかっていうのがテクニックだと思うんだよね。その中ですごく褒めるとか、すごく丁寧な物言いのほうが、シズオをすごく下に見ているとか、全然熱がないということが伝わるんじゃないか」的なことだけを相談したんですよ。そしたら生瀬さんと同じでカメリハの時でガラッと変わって、かつ岳君は変えたキャラクターにアドリブを足してきたんですよね。「と言うことで」ってシズオが原稿をしまっている時にドアを開けてあげるっていう(笑)。あのシーンは岳君のアドリブなんですよ。
──確かにあのシーンの演技は、すごくいい味が出ていました(笑)。そんな映画版『俺はまだ本気出してないだけ』ですが、終盤が原作とはちょっとばかり違うテイストになっていますね。ここも原作を知っていた人は驚くポイントだと思うのですが、監督としては映像化の際に原作を改変していくことに対してどう思われていますか?
福田 原作を振られる時に、自分のチャンネルにない作品を振られるとあたふたしちゃって、逆にいじれなくなっちゃうんですよ。基本的に僕は自分の身の丈を分かっているつもりなので、原作を見た時に自分の手に負えないと思った作品は必ずお断りするようにしています。それでいうと、『俺はまだ本気出してないだけ』に関してはけっこう自信があったんですよ。この作品は自分のチャンネルでいけると思った時に、この顛末は原作のファンにも絶対に納得してもらえるということに自信が持てたので、思いきって変えました。この映画をやるにあたって意識したのが『無能の人』と『釣りバカ日誌』なんですけど、『釣りバカ』ってファンタジーだと思うんですよ。あんないい奥さんなんていないし、出世しなくても釣りがやれればいいやって夢物語だと思うんですけど、それじゃいけないと思うんです。ハマちゃんってこんな人だから、お前もこういうふうに生きろよっていうのは、映画を見てくれる人に対してはひどすぎるメッセージだと思ったんですよ。見た人の奥さんが超鬼嫁だったら、現実を振り返った時に、げんなりしかしないじゃないですか。そういうふうにはしたくないなって思ったんです。だから「お前も会社を辞めちゃえよ」じゃなくて、「こんなことになっちゃうから辞めない方がいいぞ」というメッセージにしたかったんです。
シズオは救われなくてシズオ以外には救いがあるっていう終わりが、見ている側には救いになるんじゃないかなって。その点は、原作ファンには悪いようには伝わらないと思います。
──2013年は『コドモ警察』『HK/変態仮面』そして本作と、毎月のように新作が公開されますが、今、なぜご自身の作品が受けていると思いますか?
福田 受け入れられているかどうかは別として、僕は若干、不満言いなんですよ。「あのドラマ面白くねえから、もっとああしたらいいのに」とか、人にはあまり言わないんですけど、沸々といっつも思ってるんです。『勇者ヨシヒコ』にしても『コドモ警察』にしても、深夜番組を普段から見てて、「こうしたらいいのにな」っていうのを具現化しただけなんですよ。だから、単純に僕の思い込みがみんなと同じだと思ってやっているので、たまたま応援してくれる人がいるだけなのかなって思ってますね。自分のやっていることはカウンターだってよく言われるんですけど、テレビ業界に一石を投じるみたいな大それたこととかは全然考えてなくて、まったく天然でやっているんです。
──ちなみに、福田監督が今、テレビ業界に対して不満があるとするならば、どんなことですか?
福田 う~ん……。基本的にバラエティ番組の構成作家という肩書も持っているので、なかなか言いづらい部分もあるんですけど(苦笑)、そこまで視聴者に媚びなくてもいいのにな、と思うことはありますね。やっぱり僕らが小学生や中学生の時に見ていたテレビ番組って、「ほら面白いだろう」って上から視聴者に投げかけていたと思うんですよ。ドリフターズや『笑っていいとも!』やとんねるずさんの番組に、視聴率を取るための仕掛けはなかった。とにかく面白いことをやっていたら視聴者がついてくるっていう時代だったと思うんです。その時代を知っているから、やっぱりテレビって夢や面白いものを見させてくれるというイメージがあるし、なおかつ制作者側が「面白いやろ!どや!」って上から投げかけてくれるメディアじゃないといけないと思っています。
だから、いわゆる視聴者のためのお役立ち情報がメインになっている現状ってどうなのかなとは思います。もちろん今そういう番組が数字を取っているというのも事実なのですが、あんまり視聴者にへりくだってやると、バカにされるだけだと思うんですよね。CMを入れるタイミングも視聴者が一番気持ちいいタイミングで入れるべきだし、裏番組のことなんかも全然考える必要もない。もともとバラエティ番組の現場でもお仕事をさせてもらっている自分としては、視聴率を取る以上に、面白いものを提供するというスピリットを忘れちゃいけないと思っています。
(取材・文=有田シュン)
●『俺はまだ本気出してないだけ』
配給:松竹
監督・脚本:福田雄一
原作:青野春秋『俺はまだ本気出してないだけ』(小学館 IKKI COMIX刊)
出演:堤真一、橋本愛、生瀬勝久、山田孝之、濱田岳、指原莉乃、水野美紀、石橋蓮司ほか
6月15日より全国ロードショー <http://www.oremada.jp/>
前編、中編はこちらから ――アブディンさんはブラインドサッカーをやっているそうですが、スポーツは好きなんですか? アブ スポーツはいいですね。憧れますよ。ラジオで野球中継を聞くのもいいけど、やっぱり汗を流すほうがいいでしょ。だけど最近はあんまり運動してないから、ブラインドサッカーの試合では動きが悪いね。 知り合いのライターの人なんかは、僕の動きがあまりにも鈍いから「アブディン、文章がうまいのはわかったから、ここでもちゃんとうまいところを見せてくれよ!」って言ってくるぐらい(笑)。 (編集部注:ブラインドサッカーは視覚障害者サッカーの通称であり、「ブラサカ」と略される。メンバーは1チーム5人で視覚障害者と健常者<アイマスク着用>が同じフィールドでプレーすることができる数少ないスポーツであり、ヨーロッパをはじめとする世界各国で競技人口が増えているワールドスポーツである) ――スポーツに限らず私生活を充実させているアブディンさんですが、ご結婚されているんですよね。独身のときと比べて、生活は変わりましたか? アブ やっぱり今のほうがいいですよ。独身のときは外で友達と会ったりしても家に帰ったら一人でしょ。5人きょうだいで育ったので、孤独はしんどいですね。貧乏よりも会話がないのが一番精神的にくるんですよ。だから筑波で学生していたときには、酒盛りに参加したりもしました(笑)。 ――イスラム教徒のアブディンさんにとっては大胆な発言ですが、お酒はもう飲んでないんですか? アブ 飲んでないです。2008年5月をもちまして。結婚の条件に「お酒を飲まない」っていうのがあったんですが、その前にやめていてよかったなと(編集部注:アブディン氏が結婚したのは10年1月。お酒をやめた理由を知りたい方は『わが盲想』で確認してください)。でも奥さんには、昔飲んでいたことがバレていたんですよ。乾杯している写真を見つけたみたいで。とりあえず「あれはノンアルコールビールです」と言ったら「いやいや、ノンアルコールビールは缶の色が違う」と言われちゃって(笑)。 「あなたの大事な思い出だから写真は捨てないけど、子どもが大きくなったら困るでしょ」と言われて、できた奥さんだなと思いました。今でもノンアルコールビールは飲んでます。お肉とかカロリーの高い食事と合うんですよ(笑)。 ■結婚と東日本大震災 ――結婚するまでのエピソードが素敵ですよね。スーダンに住んでいた奥さんと、信じられないことに、電話でのコミュニケーションだけで結婚の約束をする。それもわずかな期間だったから、著作の中で「スピード違反婚」と書いていますけど、なんの障害もなく速攻で結婚が決まったんですか? アブ 今でも本当に不思議なんです。スピード違反ですよ。トントン拍子どころじゃない。なにより本当にいい奥さんで、僕の前にもいろいろな結婚話があったそうなんです。彼女はイスラム教徒で信仰心が強いのですが、結婚が決まりそうになると耳元で「この人は違うよ」という声が聞こえて、急に結婚する気がなくなったと言っていました。 あるときお母さんに「あなたが金の家を建ててくれたとしても、結婚しなかったら意味がない」とすごく怒られたらしくて、彼女はカチンときて「じゃあ次は物乞いが来たとしても家に連れてくる」と宣言したら、物乞いをはるかに超える悪者が来た。それが僕だったんですよ(笑)。 ――スーダンの結婚事情って、どんな感じなんですか? みんな早くに結婚するんですか? アブ 人それぞれですね。女の人は25歳くらいで結婚する人が多いですが、僕の妻は9人きょうだいの長女で、お父さんの商売もうまくいってなかったので一家を支えなければならず、結婚どころじゃなかった。働いている人はやっぱり結婚が遅くなりますし、田舎と都会の違いも大きいですね。田舎は10代で結婚しますから。 ――離婚はどうですか? アブ 最近増えています。イスラム教って簡単に離婚できないイメージがあるかもしれませんが、確かに簡単ではないけど、離婚はできるんです。カトリックじゃないから。昔は親戚同士で結婚することが多く、離婚すると大家族が割れてしまう危険があったので、自分の一存では決められなかった。最近では恋愛結婚が増えたので、離婚も増えています。あと女性の自己主張が強くなったというのもありますね。 ――日本では結婚すると奥さんが怖くなるんですけど、アブディンさんのところはどうですか? アブ 怖くなったというよりは、操られている気がしますね(笑)。 ――結婚の翌年の11年に東日本大震災が起きました。スーダンでは地震がほとんど起きないそうですが、地面が揺れることへの恐怖心はあったのですか? アブ 震災のときの揺れはヤバかったですね。確かにスーダンは地震がありませんが、僕は日本で10年以上暮らして何度も経験しているはずなのに、慌てちゃったよ。アンバランスな感じは、船に乗っている感覚と同じ。いつ止まるんだよと思って。これまでの地震は20秒くらいで止まるものが多かったけど、今回は長かったでしょ。本当に恐ろしかったですね。 ――奥さんは、どうだったのでしょうか? アブ 地震が起きたとき、奥さんは一人で部屋にいたんですが、おなかに赤ちゃんがいたので守らなきゃいけないんだけど、結構冷静だったよ。地震が起きて自宅に駆けつけたら、インターネット電話でマレーシアのいとこに地震の様子を面白そうに話しているのが聞こえて、「大丈夫か?」って聞いたら「大丈夫だよ。怖かったね」って言ってる声が全然怖そうじゃなかったの。 それでも彼女は臨月の妊婦だから、余震が来たら大変だと思って建物の外に連れ出したんだけど、そこで大きな余震に遭遇したんですよ。もう僕はパニック寸前。何が落ちてくるかとか、どこに電線があるかとか、わからないからね。 そしたらベンチに座っていた奥さんのほうが「大丈夫?」って声をかけてくれて、本当に冷静でした。 ■いま、日本をどう見ているのか? ――来日して16年がたちましたよね。初めて来日したときの印象は、どんな感じでしたか? アブ 全然言葉を理解できていない状態だったので、最初は日本語を聞いても雑音にしか聞こえませんでした。僕が日本に来た98年は、(社会の空気感として)人が前向きでイケイケモードで、いい流れだった。そういうところに、ちょっと感動していたかな。自分の気分が高まっているから、まわりもそう「見えた」のかもしれないけど。 ――日本に来たときと現在では、日本のイメージはどう変わりましたか? アブ 19歳で日本に来て、いま35歳で、成人してからずっと日本にいるわけだから、日本へのイメージというよりスーダンに対してのイメージが変わったよね。日本の出来事が、よそ(外国)で起きていること――異文化ではない気がするんですよ。普通に自分の国という感じ。 イメージとは違うかもしれないけど、街に出ていろいろなものとすれ違っても気づかないかわりに、「におい」とか変なものに執着してしまうね。 ――日本に来て一番強烈なにおいって、なんでしたか? アブ 新宿の飲み屋がひしめく地区に行くと、換気扇から厨房のにおいがするでしょ。玉ねぎを炒めているにおいが、ガーッと外に広がっている。あのにおいは耐えられない。気絶しそうになる(笑)。一軒だったらいいんだけど、新宿だと店がズラッと並んでいるから、そういうのはしんどいね。 ――生ゴミ臭みたいなことですね。納豆などの食材や料理のにおいはどうですか? アブ 麻婆豆腐のにおいは嫌いかな。芳しさの中に脂っこさがあって苦手。納豆は大丈夫なんですよ。おいしい。 ――新宿のにおいにやられたアブディンさんが感じる、日本の街特有のにおいや音ってありますか? アブ 僕は日本をあちこち回ったんですよ。北海道と四国以外はだいたい行きました。名古屋、大阪、神戸、福岡、熊本、広島、山形、宮城、福島、群馬、栃木とか。どこでもだいたい街特有のにおいがあるんですよ。新宿でも池袋でも渋谷でも。 新宿は人が多すぎて、空気に人間のほんのりとした臭さがあるんですよ。1平方メートルの許容人数を超えている気がするんですよね。しかもギラギラした感じの人が多いでしょ。 あと、用水路臭いのは渋谷ですね。ほんのりね。神田は揚げ物や蕎麦屋のにおいがする。秋葉原は音が多いけど無臭なんですよ。 ただ結婚してからは、妻が「変なものがあるよ」と教えてくれるようになって、「こんなものがずっとあったのに気づかなかったんだ」と、視覚から得る情報がいかに多いかを知りました。「百聞は一見にしかず」というのはこういうことなんだろうなと。いまは再発見しているわけです。 ■盲目の作家として、これから選ぶ道とは? ――本を書く上でいろいろな苦労があったと思うのですが、一番印象深かったことはなんですか? アブ やっぱり自分をどこまでさらけ出すか。さっきのお酒の話もそうです。ムスリムである僕が飲酒のことを書いてしまったら、本が有名になればなるほど、いろいろな問題を起こしかねない。でもそれを書かなかったら、一割の自分しか本に載らず、当たり障りのない人物像になってしまう。僕は、そこでの葛藤が一番魅力的だと思っているんです。「お酒を飲むか飲まないか。飲んだら、日本人ともっと打ち解けられるだろう」といった心の葛藤を描かないと、トータルでアブディンという人間を理解してもらえない。でも書いてしまったら自分のものではなくなって、独り歩きしてしまいます。だから、書くか書かないかですごく悩んで苦労しましたね。 ――『わが盲想』では、点字でタイトルを表示する工夫なんかもされていますよね。しかもアブディンさんのこれまでの経験を踏まえて、点字本を同時出版したんですよね? アブ 点字は間に合わなかったのでテキストデイジーというフォーマットで、日本点字図書館のサイトからダウンロードすれば、合成音声で聞けます。書籍の出版と同時にテキストデイジーで出るのは、おそらく初めての試みだと思うのですが、これは僕のメッセージなんです。やっぱり本がみんなの話題になっているときに読みたいわけですよ。出版社は利益に直結しない点字や音声ソフトにあまり理解がないので、発売後にボランティアの方が直さなければならず、完成までに数カ月かかるんですよね。数カ月もたてばブームも終わっているので話題に入れないし、旬なうちに読みたいのに読めないのはすごく悲しいと思って。せめて自分のときは、この本を読みたい人がいるかどうかは別として、メッセージ性を持たせる意味で同時に出してほしい、と編集者にお願いしたんです。 ――それで今回そういうことになったんですね。 アブ 出版社が協力してくれたのはよかったですね。 ――アブディンさんにはハンディキャップの負い目を感じさせないアグレッシブさと、強力な自己PR能力がありますよね。 アブ 自分では強いと思っていないですよ。自宅に送られてきた『わが盲想』のチラシを妻が近所の商店街で片っ端から配っていたので「恥ずかしいからやめてくれ」と言ったら、「あなたは、人に読んでもらうために本を書いたんじゃないの?」と言われて。すごくありがたいし、ごもっともだけど、恥ずかしいじゃないですか(笑)。でも、前に出て後手に回らないようにという気持ちはあります。僕にできることは限られているから。後がないから前に出るしかないでしょ。 ――最後の質問です。アブディンさんは、これからどうしたいですか? アブ 単純に日本語のうまい外人として扱われるのは、ちょっと寂しいんですね。日本に15年いて、日本の歴史やいまの日本の問題点などいろいろなことを考えているのに、「日本はどうですか?」なんて聞かれて外人扱いされるのは、やっぱり不本意ですね。 だから、この本は日本へのご挨拶なんです。モハメド・オマル・アブディンはこういう人ですよ、とわかってもらうための本。 僕をもっと多くの人に知ってもらって、これからは堅い問題を僕なりにかみ砕いて、いままでにない視点でアタックして、読みやすくわかりやすく笑いを飛ばしながら文章を書きたい。タブー視されるテーマや社会問題にも挑戦してみたいんです。 (取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト写真提供=鰐部春雄
前編、中編はこちらから ――アブディンさんはブラインドサッカーをやっているそうですが、スポーツは好きなんですか? アブ スポーツはいいですね。憧れますよ。ラジオで野球中継を聞くのもいいけど、やっぱり汗を流すほうがいいでしょ。だけど最近はあんまり運動してないから、ブラインドサッカーの試合では動きが悪いね。 知り合いのライターの人なんかは、僕の動きがあまりにも鈍いから「アブディン、文章がうまいのはわかったから、ここでもちゃんとうまいところを見せてくれよ!」って言ってくるぐらい(笑)。 (編集部注:ブラインドサッカーは視覚障害者サッカーの通称であり、「ブラサカ」と略される。メンバーは1チーム5人で視覚障害者と健常者<アイマスク着用>が同じフィールドでプレーすることができる数少ないスポーツであり、ヨーロッパをはじめとする世界各国で競技人口が増えているワールドスポーツである) ――スポーツに限らず私生活を充実させているアブディンさんですが、ご結婚されているんですよね。独身のときと比べて、生活は変わりましたか? アブ やっぱり今のほうがいいですよ。独身のときは外で友達と会ったりしても家に帰ったら一人でしょ。5人きょうだいで育ったので、孤独はしんどいですね。貧乏よりも会話がないのが一番精神的にくるんですよ。だから筑波で学生していたときには、酒盛りに参加したりもしました(笑)。 ――イスラム教徒のアブディンさんにとっては大胆な発言ですが、お酒はもう飲んでないんですか? アブ 飲んでないです。2008年5月をもちまして。結婚の条件に「お酒を飲まない」っていうのがあったんですが、その前にやめていてよかったなと(編集部注:アブディン氏が結婚したのは10年1月。お酒をやめた理由を知りたい方は『わが盲想』で確認してください)。でも奥さんには、昔飲んでいたことがバレていたんですよ。乾杯している写真を見つけたみたいで。とりあえず「あれはノンアルコールビールです」と言ったら「いやいや、ノンアルコールビールは缶の色が違う」と言われちゃって(笑)。 「あなたの大事な思い出だから写真は捨てないけど、子どもが大きくなったら困るでしょ」と言われて、できた奥さんだなと思いました。今でもノンアルコールビールは飲んでます。お肉とかカロリーの高い食事と合うんですよ(笑)。 ■結婚と東日本大震災 ――結婚するまでのエピソードが素敵ですよね。スーダンに住んでいた奥さんと、信じられないことに、電話でのコミュニケーションだけで結婚の約束をする。それもわずかな期間だったから、著作の中で「スピード違反婚」と書いていますけど、なんの障害もなく速攻で結婚が決まったんですか? アブ 今でも本当に不思議なんです。スピード違反ですよ。トントン拍子どころじゃない。なにより本当にいい奥さんで、僕の前にもいろいろな結婚話があったそうなんです。彼女はイスラム教徒で信仰心が強いのですが、結婚が決まりそうになると耳元で「この人は違うよ」という声が聞こえて、急に結婚する気がなくなったと言っていました。 あるときお母さんに「あなたが金の家を建ててくれたとしても、結婚しなかったら意味がない」とすごく怒られたらしくて、彼女はカチンときて「じゃあ次は物乞いが来たとしても家に連れてくる」と宣言したら、物乞いをはるかに超える悪者が来た。それが僕だったんですよ(笑)。 ――スーダンの結婚事情って、どんな感じなんですか? みんな早くに結婚するんですか? アブ 人それぞれですね。女の人は25歳くらいで結婚する人が多いですが、僕の妻は9人きょうだいの長女で、お父さんの商売もうまくいってなかったので一家を支えなければならず、結婚どころじゃなかった。働いている人はやっぱり結婚が遅くなりますし、田舎と都会の違いも大きいですね。田舎は10代で結婚しますから。 ――離婚はどうですか? アブ 最近増えています。イスラム教って簡単に離婚できないイメージがあるかもしれませんが、確かに簡単ではないけど、離婚はできるんです。カトリックじゃないから。昔は親戚同士で結婚することが多く、離婚すると大家族が割れてしまう危険があったので、自分の一存では決められなかった。最近では恋愛結婚が増えたので、離婚も増えています。あと女性の自己主張が強くなったというのもありますね。 ――日本では結婚すると奥さんが怖くなるんですけど、アブディンさんのところはどうですか? アブ 怖くなったというよりは、操られている気がしますね(笑)。 ――結婚の翌年の11年に東日本大震災が起きました。スーダンでは地震がほとんど起きないそうですが、地面が揺れることへの恐怖心はあったのですか? アブ 震災のときの揺れはヤバかったですね。確かにスーダンは地震がありませんが、僕は日本で10年以上暮らして何度も経験しているはずなのに、慌てちゃったよ。アンバランスな感じは、船に乗っている感覚と同じ。いつ止まるんだよと思って。これまでの地震は20秒くらいで止まるものが多かったけど、今回は長かったでしょ。本当に恐ろしかったですね。 ――奥さんは、どうだったのでしょうか? アブ 地震が起きたとき、奥さんは一人で部屋にいたんですが、おなかに赤ちゃんがいたので守らなきゃいけないんだけど、結構冷静だったよ。地震が起きて自宅に駆けつけたら、インターネット電話でマレーシアのいとこに地震の様子を面白そうに話しているのが聞こえて、「大丈夫か?」って聞いたら「大丈夫だよ。怖かったね」って言ってる声が全然怖そうじゃなかったの。 それでも彼女は臨月の妊婦だから、余震が来たら大変だと思って建物の外に連れ出したんだけど、そこで大きな余震に遭遇したんですよ。もう僕はパニック寸前。何が落ちてくるかとか、どこに電線があるかとか、わからないからね。 そしたらベンチに座っていた奥さんのほうが「大丈夫?」って声をかけてくれて、本当に冷静でした。 ■いま、日本をどう見ているのか? ――来日して16年がたちましたよね。初めて来日したときの印象は、どんな感じでしたか? アブ 全然言葉を理解できていない状態だったので、最初は日本語を聞いても雑音にしか聞こえませんでした。僕が日本に来た98年は、(社会の空気感として)人が前向きでイケイケモードで、いい流れだった。そういうところに、ちょっと感動していたかな。自分の気分が高まっているから、まわりもそう「見えた」のかもしれないけど。 ――日本に来たときと現在では、日本のイメージはどう変わりましたか? アブ 19歳で日本に来て、いま35歳で、成人してからずっと日本にいるわけだから、日本へのイメージというよりスーダンに対してのイメージが変わったよね。日本の出来事が、よそ(外国)で起きていること――異文化ではない気がするんですよ。普通に自分の国という感じ。 イメージとは違うかもしれないけど、街に出ていろいろなものとすれ違っても気づかないかわりに、「におい」とか変なものに執着してしまうね。 ――日本に来て一番強烈なにおいって、なんでしたか? アブ 新宿の飲み屋がひしめく地区に行くと、換気扇から厨房のにおいがするでしょ。玉ねぎを炒めているにおいが、ガーッと外に広がっている。あのにおいは耐えられない。気絶しそうになる(笑)。一軒だったらいいんだけど、新宿だと店がズラッと並んでいるから、そういうのはしんどいね。 ――生ゴミ臭みたいなことですね。納豆などの食材や料理のにおいはどうですか? アブ 麻婆豆腐のにおいは嫌いかな。芳しさの中に脂っこさがあって苦手。納豆は大丈夫なんですよ。おいしい。 ――新宿のにおいにやられたアブディンさんが感じる、日本の街特有のにおいや音ってありますか? アブ 僕は日本をあちこち回ったんですよ。北海道と四国以外はだいたい行きました。名古屋、大阪、神戸、福岡、熊本、広島、山形、宮城、福島、群馬、栃木とか。どこでもだいたい街特有のにおいがあるんですよ。新宿でも池袋でも渋谷でも。 新宿は人が多すぎて、空気に人間のほんのりとした臭さがあるんですよ。1平方メートルの許容人数を超えている気がするんですよね。しかもギラギラした感じの人が多いでしょ。 あと、用水路臭いのは渋谷ですね。ほんのりね。神田は揚げ物や蕎麦屋のにおいがする。秋葉原は音が多いけど無臭なんですよ。 ただ結婚してからは、妻が「変なものがあるよ」と教えてくれるようになって、「こんなものがずっとあったのに気づかなかったんだ」と、視覚から得る情報がいかに多いかを知りました。「百聞は一見にしかず」というのはこういうことなんだろうなと。いまは再発見しているわけです。 ■盲目の作家として、これから選ぶ道とは? ――本を書く上でいろいろな苦労があったと思うのですが、一番印象深かったことはなんですか? アブ やっぱり自分をどこまでさらけ出すか。さっきのお酒の話もそうです。ムスリムである僕が飲酒のことを書いてしまったら、本が有名になればなるほど、いろいろな問題を起こしかねない。でもそれを書かなかったら、一割の自分しか本に載らず、当たり障りのない人物像になってしまう。僕は、そこでの葛藤が一番魅力的だと思っているんです。「お酒を飲むか飲まないか。飲んだら、日本人ともっと打ち解けられるだろう」といった心の葛藤を描かないと、トータルでアブディンという人間を理解してもらえない。でも書いてしまったら自分のものではなくなって、独り歩きしてしまいます。だから、書くか書かないかですごく悩んで苦労しましたね。 ――『わが盲想』では、点字でタイトルを表示する工夫なんかもされていますよね。しかもアブディンさんのこれまでの経験を踏まえて、点字本を同時出版したんですよね? アブ 点字は間に合わなかったのでテキストデイジーというフォーマットで、日本点字図書館のサイトからダウンロードすれば、合成音声で聞けます。書籍の出版と同時にテキストデイジーで出るのは、おそらく初めての試みだと思うのですが、これは僕のメッセージなんです。やっぱり本がみんなの話題になっているときに読みたいわけですよ。出版社は利益に直結しない点字や音声ソフトにあまり理解がないので、発売後にボランティアの方が直さなければならず、完成までに数カ月かかるんですよね。数カ月もたてばブームも終わっているので話題に入れないし、旬なうちに読みたいのに読めないのはすごく悲しいと思って。せめて自分のときは、この本を読みたい人がいるかどうかは別として、メッセージ性を持たせる意味で同時に出してほしい、と編集者にお願いしたんです。 ――それで今回そういうことになったんですね。 アブ 出版社が協力してくれたのはよかったですね。 ――アブディンさんにはハンディキャップの負い目を感じさせないアグレッシブさと、強力な自己PR能力がありますよね。 アブ 自分では強いと思っていないですよ。自宅に送られてきた『わが盲想』のチラシを妻が近所の商店街で片っ端から配っていたので「恥ずかしいからやめてくれ」と言ったら、「あなたは、人に読んでもらうために本を書いたんじゃないの?」と言われて。すごくありがたいし、ごもっともだけど、恥ずかしいじゃないですか(笑)。でも、前に出て後手に回らないようにという気持ちはあります。僕にできることは限られているから。後がないから前に出るしかないでしょ。 ――最後の質問です。アブディンさんは、これからどうしたいですか? アブ 単純に日本語のうまい外人として扱われるのは、ちょっと寂しいんですね。日本に15年いて、日本の歴史やいまの日本の問題点などいろいろなことを考えているのに、「日本はどうですか?」なんて聞かれて外人扱いされるのは、やっぱり不本意ですね。 だから、この本は日本へのご挨拶なんです。モハメド・オマル・アブディンはこういう人ですよ、とわかってもらうための本。 僕をもっと多くの人に知ってもらって、これからは堅い問題を僕なりにかみ砕いて、いままでにない視点でアタックして、読みやすくわかりやすく笑いを飛ばしながら文章を書きたい。タブー視されるテーマや社会問題にも挑戦してみたいんです。 (取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト写真提供=鰐部春雄
テレビ朝日系『痛快! ビッグダディ』で一躍有名人となった“ビッグダディの元妻”こと林下美奈子さん。放送終了後に書き下ろした自叙伝『ハダカの美奈子』(講談社)は30万部を超える勢いで売れまくり、先月31日には宮崎移住後の一家を追ったフォトムック『完全読本 その後の美奈子ファミリー』(同)も刊行された。 テレビでは怒ったり泣いたりコロコロと忙しく表情を変え、自叙伝ではシンナーやDV被害経験、ダディとのセックスなどを赤裸々に明かした美奈子さん。取材場所に指定されたTBSを訪ねると、こんがり小麦色に日焼けした顔の小さいお姉さんが、深々とおじぎをして迎えてくれました。 ──今日は『ビッグダディ』のテレビ朝日ではなくTBSに呼ばれたので、少し意外でした。 美奈子 はい。あの、『金スマ』に……。 ──なるほど! ご自分がSMAPに会う日が来るなんて、想像してましたか? 美奈子 いえいえ、まさか。びっくりしますよね。全然考えてなかったです。明日、お会いできるということで、緊張してます。 ──『ハダカの美奈子』も好調だと聞きました。ダディも同じタイミングで『ビッグダディの流儀』(主婦と生活社)を出版していますが、美奈子さんのほうが圧倒的に売れているとか。 美奈子 うふふふ。あまり自分では、そこらへんはよく分かってなくて。ぜんぜん疎いんですよ。どうして売れているのか分からないです。 ──『ハダカ~』では、シンナーやDV被害の経験など、“衝撃的”ともいえる過去が赤裸々に綴られています。ここまでご自身をさらけ出したのは、どういうお気持ちから? 美奈子 過去がないと今の私はいないですし、いろんなことを経験してきたので、今もし、私と同じような状況だったり、同じことで悩んでいる人がいたとしたら、大丈夫なんだよ、って思ってほしいなと。私も、誰にも相談できなくて、一人でつらい思いをしたので。
──「自分のことしか知らない相手に父のDVのことを相談したら、父のことを悪く言うばかりなので、誰にも相談しない子になった」という記述がありました。
美奈子 自分の中で結論っていうのは決まってるから、だったら人に話さなくてもいいかなって思うんです。お父さんのことにしろ、そのときの旦那のことにしろ、誰かに愚痴を言って、もし「あんたの旦那サイテーだね」って言われたら、私ムカついちゃうんですよ。悪口を言っていいのは、私だけでしょって、うふふ。
──すごくお金にも苦労してきたとありましたが、この本でまとまったお金が入ってくることになります。使い道、考えてますか?
美奈子 うーん、一番上は中学2年生なんですけど、高校に進学するときにはお金がいりますし、なにしろ6人もいるので、これからずーっとお金が必要なことばっかりなんで、今は何かを買おうというのではなく、子どもたちを学校に行かせるためにですね、育児に使いたいです。
──お金には、あんまりこだわりがない?
美奈子 ないんですよ。欲しいものって聞かれても何も出てこないですし。暮らしていけるだけあればいいというか、なければないで、それなりの生活をすればいいかなって。あ、洗濯機が欲しいくらいかな(笑)。
──『その後の美奈子ファミリー』に子どもたちの写真もたくさん載っていますが、本当に楽しそうに写っています。
美奈子 ねえ、すごいきれいに撮っていただいて、ありがたいです。
──宮崎は合いますか?
美奈子 気候もいいですし、人も温かいですね。
──週刊誌には、ダディが暮らす岩手に行くんじゃないかって話も出ていました。
美奈子 あははは、それはないですね。
──林下という名字はそのままで?
美奈子 あんまり考えてないんですけど、まあ家族というか、子どもたち同士がきょうだいという気持ちがあるし、清志さんが「しばらく使ってていいよー」って言ってくれたので。
──ダディやダディのお子さんたちとも、今でも家族という感覚ですか?
美奈子 そうですね。子ども同士もきょうだいという気持ちですし、私も、ちゃんと学校行ってるかなーとか、彼氏とかいるのかなーとか、やっぱり気になるので、親として見てるんだと思います。
──ずばり、復縁の可能性は? 今現在のお気持ちとして。
美奈子 今現在ですか、今現在は、ない! うふふふ。
──会いに行ったりすることはあっても、もう一度、旦那さんと奥さんという形にはならない?
美奈子 今のところ、そうですね。ないです。
──『ハダカ~』には、ダディと会う前には二度と結婚しないと決めていた、と書かれていました。
美奈子 そうなんです、そう言ってたんですよ。だから、何があるか分からないですよね。明日、私が何を言ってるか、ぜんぜん分からないです。あはははは。
(取材・文=編集部/写真=名鹿祥史)
前編はこちらから ■日本での日々を支える「聴界」 ――アブディンさんを見ていると、目が見えないって全然わからないです。 アブ 実は見えているかもしれないよ(笑)。 ――見えているとしたら相当な詐欺師ですが、実際のところアブディンさんは日本語がうますぎですよね。アルバイトもしているんですか? アブ マッサージや翻訳のアルバイトを時々やったこともありますが、僕は人の何倍も勉強に時間がかかるんですね。教材が読めないから、スキャンしてテキストにしてもらって音声ソフトで聞き取って……となると、すごく時間がかかるので、アルバイトをしていたらたぶん勉強できないと思います。でもラッキーなことに僕は奨学金が途切れたことがなくて、ずっと渡り歩いているんです。かわいそうな盲人の外国人に奨学金をあげなくてどうする、みたいな感じで、そこはやっぱり弱者の武器として共感を抱いてもらってる(笑)。 ――確かに、それなら食いっぱぐれなさそうですね。 アブ でも、審査に落ちたこともありますよ。文部科学省の奨学金は大使館推薦と大学推薦があって、日本語が話せることが条件なんですが、最終審査に残ったのが僕と日本語のできない外国人で、当然自分がもらえると思っていたのに落ちたんですよ。日本語が話せることが条件だったのに。結局そのあとに違う奨学金がもらえたんですけど、日本語が話せない外国人はたぶん落ちたら国に帰るしかなかったので、やっぱり捨てる神あれば拾う神ありで、結果としてはよかったのかなと思っています。 ――いくら日本語が流ちょうとはいえ、音やにおいの情報だけでの異国暮らしの実態は、どんな感じなんですか? というか、音やにおいだけで、普通に行動できるんですか? アブ 東京外国語大学1年生の時、寮から御茶ノ水を経由してキャンパスに行く途中にある、シュークリーム屋のにおいを目印にしていました。目印があればあるほど楽なんだよね。家の近所にはガソリンスタンドがあるので、においですぐわかる。においを発する店や、音を発するパチンコ屋があればあるほど、それを目印というか耳印にするんです。 ――雨が降るとにおいとか消えると思うんですが、そうなるとどうなるんですか? アブ 雨が降るとダメ。僕の移動は徒歩が基本だけど、いつもは人にぶつからないのに、雨の日はぶつかるんですよ、本当に。「視界」という言葉がありますが、「聴界」が狭くなるんです。頭から袋をかぶって歩いている感じになって「もしかしたら行き止まりかな?」という感覚がわからなくなる。湿度が上がって空気が濁るから、聴界が悪くなるんです。 ――聴界が発達しているというのはわかりました。著書『わが盲想』の中では、声だけで美人かどうかわかると書かれていますが、それは本当ですか? アブ 本当だよ。もちろん失敗はあるけど(笑)。基本的には声と、あとは握手した感覚。声だけの場合は、音声データをもとに、輪郭を再現するわけ。当たる率が高いかどうかの実際のところは、まあ自称なので、よそから見れば全然違うかもしれないけど、僕が美人だと思えばいい。でも付き合う場合は「あいつは見えないから騙されたんだ」と思われるのは嫌なので、そこはこだわるね。 ――相手の人となりは、外観や輪郭や声の高さなどの情報をもとに、会話しながら徐々に判断していくんですか? アブ もちろん第一印象はあるよね。外見で判断してはいけないと思っても、相手が一言発する前に、とりあえず印象はインプットされるでしょ。話していく過程でその印象が変わることも、もちろんあったりするけど。 ――健常者はイケメンかどうかとか、美人かどうかで判断するわけですけど、アブディンさんの場合は、いい声かどうかで判断する。 アブ 自分の耳が雑音と認識しない、心地いい声とかね。でもそれだけじゃないですよ。会話の内容とか話が合うかどうかとか。入り口は必要だから。 ――著書の中で「あ、いい声だ友達になりたい」って書かれていますが、イケメンとか美人と同じ意味合いでの「いい声」っていうのはあるんですか? アブ 目が見えていても、いい声はあるでしょ? 20代前半の時は甲高い声が好きだったんだけど、どんどん低い声のほうがセクシーに聞こえてきて……。 ――アブディンさんって、結構スケベですよね(笑)。 アブ ムッツリじゃないから、いいじゃない! 男は基本的にスケベですよ(笑)。 ――さわやかスケベな感じで織り交ぜてくる、オヤジギャグの評判はどうなんですか? アブ まあやっぱり女性は引くよね(笑)。でもオヤジギャグって、言葉遊びだから楽しいんだよ。自分でも発見があるし。言おうと思って言っているんじゃなくて、スッと啓示が降りる。神の啓示じゃないけど、ひらめくんだよね。 流れで自然に出てくるのが一番いい。版元のポプラ社で宣伝部の人たちに挨拶をしたとき、「こんにちは、金沢です」と言われて「福井です」と考えずに返しちゃった。これはくしゃみと一緒ですよ。本人はスッキリするけど、周りには変な菌をいっぱい飛ばしているから。自分はオヤジギャグを言ってスッキリするけど、周りはストレスを感じているかもしれない。 ――聴覚以外の感覚って、どうなんですか? 著書の中で「肌触りのいい本」とか「肌触りのいい教科書」という言葉を使っていますよね。 アブ 使っている素材によると思うのですが、点字本には丸みを帯びた紙や鋭い紙があるんです。鋭い紙は読むときにひっかかるし、痛い。たくさん読まれて、いい案配に潰れていって読みやすくなったものもあるし、表紙がツルツルしていて肌触りがいいとか、大きさがちょうどいいとか、そういうのもある。 まだ弱視だった子どものころは、インクも活字も黒で太めの字なら読めた。中途半端な色合いの字は読めなかったけど、歴史の教科書は自分で読めたので、ずっと読んでいましたよ。そんなことがあったからか、その歴史の教科書の感触に似た肌触りのものを選ぶようになった。日本に来たばかりの頃は、全部チンプンカンプンだから、どの教科から勉強するかを教科書の手触りで決めていたの(笑)。 東京外国語大学の入学試験で日本史を選択したこともあって、今でも日本の歴史は大好きです。特に好きな偉人は大久保利通ですね。侍ではなくて政治家として。彼はその時代に合わせて何をするべきかというリアリスティックな考えを持っていた。裏切り者として冷ややかに見る人もいて「西郷隆盛は男だ」とか言うけど、法治国家の視点から見れば、あれは国家への反逆に当たるという捉え方もできなくはないですね。 ――熱くなっているところ申し訳ないですが、本題に戻します。その場の空気で相手の機嫌も推し量ったりできると、本に書いてありますが? アブ そうですね。機嫌が悪いかどうかは、新聞をめくる速度とかでもわかるんですよ。特に自分の父親はライオンのような存在で、機嫌は大事なことだし生死に関わる問題だったから(笑)。 ――音や手触りなどの観察力が発達しているのはわかりましたが、アブディンさんは東京外国語大学という日本の中でも外国人が多い特殊な環境にいますよね。相手が名乗る前に、国籍や人種がわかったりするんですか? アブ よく当てますよ。外国人の話す日本語には、いろいろなアクセントがあるでしょ。例えばインドネシア人は「わたしは」ではなく、「わたすぃは」と言うんです。イタリア人もイタリアのアクセントで「アブディンさんは大学に行きま~したか~」としゃべるから面白いんですよ。中国人は「っ」が言えないから「ちょっと待ってください」ではなく「ちょと待てください」になるし、韓国人は濁点が言えなくて「がっこう(学校)」ではなく「かっこう」になる。結構な確率で当てられますよ。 ただ、発音はきれいだけど教科書的な日本語をしゃべっているなと思ったら帰国子女だった、ということはありました。ほかにも1時間近く女の人だと思って話を聞いていた人が男の人だったとかね(笑)。 (後編に続く/取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>)
視覚は情報の7割をもたらすという。では、目が見えない状態で言葉も通じない異国に来たとしたら……? そんな外国人が実際にいるのである。 彼の名はモハメド・オマル・アブディン。網膜色素変性症という病気で少年時代に視力を失った。19歳の時に北アフリカのスーダンから来日し、今年で35歳になる。アブディン氏の初の著作『わが盲想』(ポプラ社)は、驚くべきことにすべて本人の書き下ろしだという。5月に発売されるとさまざまな方面に驚きとともに迎えられ、現在は話題の本として注目されている。 アブディン氏については、どうやって本を書いたの? どうやって日本語を覚えたの?どうやって日本で生活しているの? などなど、とにかく知りたいことは山ほどある。そうなってくると、俄然本人に聞いてみたくなるもの。そこで、さまざまな疑問を片っ端からアブディン氏にぶつけてみた。 ――5月に『わが盲想』が出版されて、いろいろと反響があったと思います。聞きたいことはたくさんありますが、まずはアブディンさんのことを知らない人へ向けて、簡単な自己紹介と、どんな本なのか教えてください。 モハメド・オマル・アブディン(以下、アブ) 僕はスーダン出身のモハメド・オマル・アブディンといいます。今は東京外国語大学の大学院生です。日本には19歳の時に来て、まず福井県立盲学校で点字や鍼灸を学び、鍼灸師の国家試験をクリアしました。その後は茨城県つくば市にある筑波技術短期大学を経て、東京外国語大学に入学。いま在籍している外語大の大学院まで含めると、もう学生生活は15年になるよ。そろそろ退職金をもらいたいぐらいですね。 ――『わが盲想』が、日本語がペラペラでしかもオヤジギャグをかます盲目の外国人による前代未聞の面白エッセイであることは間違いないと思いますが、そもそも、なぜ日本に来たのですか? アブ 「なんで日本に来ましたか?」は、一番よくされる質問ですね。数千回も何万回も答えていますよ。最近では、アドリブでありもしないことを言ったりしています。もう面倒だから、あらかじめ録音しておいて、聞かれたらポンとボタンを押して答えたいくらいですね(笑)。 真面目なことを言えば、僕はスーダンの首都のハルツームで生まれて大学まで過ごしていたけど、内戦の影響で政情が不安定になって、大学も閉鎖されてしまって。そんなときに、日本では盲人であっても鍼灸師になれることを知りました。日本は盲人が勉強する環境が整っているので、未来の選択肢があると思って来日を決めたんですよ。 ――これも多くの人が疑問に思うでしょうが、本当に自分で書いているんですか? 疑うわけじゃないですが、文章が巧みでギャグもちりばめられていて、信じられないんですけど。 アブ 代筆してくれたりゴーストライターがいたら楽なんだけど、自分で書いていますよ。音声読み上げソフトという特殊なソフトがあって、キーボードを打つと、打った文字を読み上げてくれるんです。たとえば僕が日本語で「ごとうさん」と入力して変換キーを押すと、合成音声が「前後のゴ」「藤の花のフジ」と読み上げてくれるので、正しい漢字が読み上げられたところでエンターを押して確定する。音に頼ったやり方で、画面は一切見ずに書いています。 ――日本語で入力していることも驚きですが、そもそも日本語はどうやって学んだんですか? 特に表意文字の「漢字」を理解するには、視覚が不可欠だと思うんですが。 アブ 粘土に書いた漢字を手で触って覚えました。福井(県立盲学校)にいるとき、日本語をボランティアで教えてくれた高瀬先生という人が考えてくれた方法です。僕にとってわかりやすいように、教え方を工夫してくれる先生だったんです。といっても、すべての漢字を粘土で学んだわけではなくて、基本的な偏と旁(つくり)を理解したり、簡単な漢字や頻繁に使われる漢字を覚えるのに使いました。漢字の仕組みさえわかれば理解できるし、覚えてしまえば口頭で「この漢字は○へんに○○です」と言われた時にわかるようになるんですよ。 ――音だけだと、誤解することもあるんじゃないですか? 『わが盲想』というタイトルを聞いたとき、「盲想」ではなく「妄想(=病的な誤った判断ないし観念)」だと勘違いして、日本に対する誤解を書き連ねているのかと思っていました。すごくまともなことを書いているのに、なんで『わが妄想』なんだろうと。そんな感じで、音だけだと日本に対する誤解とか勘違いも多かったと思うのですが? アブ 勘違いは結構しますよ。日本に来てから勘違いだらけです。日本人は感情を表に出さないので、わかるまでに時間がかかるんですよ。コンビニの女性店員に「いらっしゃいませ」と甘く甲高い声で言われると「もしかしたら僕に気があるんじゃないの?」と調子に乗ったり(笑)。(甘く甲高い声での挨拶は)みんなに対してやっていることだと思わなかったんです。相手をいい気分にさせるというのは、日本の基本的なスタンスでしょ。だから、そこで勘違いすることはいっぱいあるわけで。しかも僕の場合はその場で勘違いだとわからなくて、「あぁ……あのとき……」みたいな感じで、あとから気づくことが多いんですよ。 ■出版までの道のり ――『わが盲想』を出版するに当たって、ノンフィクション作家の高野秀行さんがプロデューサーとしての役割を果たしたとか。 アブ 高野さんとは十年来のお付き合いですね。 ――高野さんとアブディンさんは、性格が似ていますよね? アブ 僕ですか!? まったく似ていないですよ。 ――何かトラブルが起きたときに「とりあえず考えるのをやめて寝る」と書いてあって、そのあたりは高野さんと一緒なのかと。 アブ そのへんは同類かもしれないけど、あとは本人も願い下げだと思いますよ(笑)。ただ、高野さんが出版のために力を尽くしてくれたのは本当です。高野さんいわく「使えない人物を、いかに使えるものにするか」。私は自分がそういうカテゴリーに入れられて、頭に来ていますけど(笑)。 ――高野さんにとっては、なんとしても本を書かせたい魅力的な人物なんですね。ネタの宝庫だと思っている。 アブ ほかにも恩人がいるんです。高野さんが紹介してくれた堀内倫子さんという編集者の方で、「原稿を書いたらどうですか」と言ってくれて、試しに一回書いてみたんです。彼女は「これはすごい本になる」と評価してくれて、僕もうれしいから書き続けていたんですけど……突然亡くなってしまったんですね。 ショックというか、僕もすっかりやる気をなくしてしまったんです。高野さんからは「まだやろう。本を書いて小学館ノンフィクション大賞を獲って賞金を山分けしよう」と言われて、何回も打ち合わせしたんだけど、書きたいという気分にならなかった。だって僕はただの大学院生で、何も書きたいことはない。結論として、話はダメになったんです。 ところが、その数カ月後にポプラ社の編集者の斉藤さんから「高野さんの本に頻繁に出てくる怪しい外人を紹介してもらえませんか」と連絡があったんです。堀内さんと一緒にやっていたときに書いたショートネタを送ったらすぐ食いついてくれて、この本を出すことにつながったんですよ。 (中編に続く/取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>)
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