月3,000人以上を動員する「K-PRO」児島気奈代表に聞いた、お笑いライブシーンの今

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 これだけお笑いの人気が高まっている現代でも、多くの人にとってなじみがないのが、お笑いライブの世界。東京では毎日複数のライブハウスや劇場でお笑いライブが行われている。その規模や内容はさまざまで、誰もが名前を知っている有名芸人からデビューしたばかりの新人まで、幅広い層の芸人がライブには出演している。  そんなお笑いライブシーンで最近、何かと話題になっているのが、お笑いライブ制作集団「K-PRO」。毎月30~40本ものお笑いライブの制作を手がけており、ひと月に延べ3,000人以上を動員している。芸人やファンからの信頼も厚く、東京のお笑いライブシーンでK-PROを知らない人はいない。そんなK-PROの代表を務める児島気奈さんにインタビューを敢行。お笑いライブ一筋を貫く、その生き様に迫ります。 ――昔からお笑い好きだったんですか? 児島気奈(以下、児島) そうですね、子どもの頃からお笑い番組がすごく好きで。学校から帰ってきたら、すぐテレビを見るっていう感じの子でした。初めは志村けんさん、とんねるずさん、ウッチャンナンチャンさん、ダウンタウンさんとかが好きでしたね。  もともと、うちの父親がすごくお笑い好きだったんです。学生時代にラジオ番組に投稿もしていたらしくて。高田純次さんのラジオをよく聴いていたそうです。あと、家にはコント55号さんの昔のテレビ番組を録っているビデオテープなどがあって、それを見たりしていました。父親の影響は結構大きいですね。 ――当時、一番好きだった芸人さんは? 児島 一番初めに好きだなと思ったのは上岡龍太郎さんですね。ああいう「話のプロ」みたいな人が、すごく格好良く映っていて。ああいうしゃべり方ができたらいいなあ、と強い憧れみたいなのはありました。  若手の芸人さんに興味を持ったのは、中学、高校の頃の『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)ですね。ただ、当時はまだお笑いライブというものがあるということは知らなかったので、テレビで見るだけでした。 ――確かに、昔はお笑いライブの情報って、なかなか手に入らなかったですよね。 児島 そうですね、インターネットもなかったので。自分でお笑いの雑誌を見て、そこの文通相手募集ページで地方のお笑い好きな子と友だちになって、地方の番組のビデオテープを送ってもらったりしていました。そういう中で、文通で知り合った人に「お笑いライブを手伝ってみない?」って誘われたんです。生で芸人さんに会えるらしいよ、みたいなことで。 ――じゃあ、裏方としてお笑いライブを手伝う前には、ご自分でライブを見に行ったことはなかったんですね。 児島 なかったです。一番初めに手伝いで行ったのが、なかの芸能小劇場でやっていた落語家さんやインディーズの芸人さんが出ているインディーズライブだったんですけど。そこに行ったら、『ボキャブラ』とかに出ている芸能人に会えるのかなと思っていたら会えなくて、ちょっとガッカリしたりして。  そこで、会えないんだったら来た意味がないなあと思って、ちょっとライブの手伝いをサボっていたら、出演者の落語家さんが来て、「お前、何やってんだ!」って怒られたんです。そこで、自分の全然知らない芸人さんがライブに出ていて、その人たちに怒られるのは納得いかないなあ、と思って(笑)。それがすごく悔しくて、いつかこの人たちを使う側になってやろうと。 ――その後も、お笑いライブ制作の手伝いは続けていたんですね。 児島 そうです。それを始めたのが高校3年のときですね。その後、ずーっとボランティアスタッフとして、いろいろな主催者のライブや舞台に「手伝わせてください」って飛び込みで行ったりしてました。 ――そのときには、いずれ自分でライブを主催したいと思っていたんですか? 児島 主催したいとは思っていました。ただ、手伝っているうちに、ライブとしてしっかりできていないところとか、ダメな主催者っていうのも見てきて。ここをこうした方がいいんじゃないかな、私だったらこうするのにな、ってだんだん思うようになってきたんですよね。
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――ちなみに、児島さん自身が芸人として活動していたこともあったそうですね。 児島 それも高3ぐらいのときですね。やっぱり、いずれ主催をするのであれば、自分でも舞台に立って、スベるとかウケるの感覚とか、芸人さんと同じ気持ちを経験したほうがいいなと思って。自分でネタ書いて、これじゃダメだなって思いながら。芸人としては、すごいつまんなかったと思います(笑)。  最初は自分を誘ってくれた女の子とコンビを組んだり、別の男の子とトリオを組んだりしながら。その後、急に2人がいなくなってピンでやったりもしていました。あと、MCのアシスタントをやったり、アルバイトついでに、ちょっとしたキャラクターのイベントショーで司会進行をやったり。そうやって3~4年ぐらいは自分でも舞台に立つ機会がありました。  芸人さんがどういう舞台だったら一番テンションが上がるかとか、お客さんの少ないライブではどうしても本気が出せないとか、そういう気持ちもなんとなく分かるようになったので、それは自分で経験しておいてよかったなと思います。 ――お笑いライブの主催を始めたのはいつですか? 児島 2003年ぐらいから、月1ぐらいのペースで自分を中心に人を集めてやるライブみたいなのはちょこちょこやっていたんですけど、「K-PRO」と名乗って自分が主催者として活動を始めたのは2004年からですね。 ――最初から、お客さんはたくさん入っていたんでしょうか? 児島 一番初めは入りましたね。新宿Fu-(新宿永谷ホール)に、100人くらいギューギューに入って。それはたぶん、そのとき出ていただいた芸人さんの力と、ご祝儀的な意味で1回目だから見に来ようという友だちが多かったからだと思います。ただ、そこで満足しちゃって、次にチラシ配ったりといった努力を何もしなかったら、2回目には30人くらいしか入らなかったんです。やっぱり30人だと、会場がスカスカに見えちゃって。  そのとき出てもらった芸人さんに「僕らはお客さん少なくても、ちゃんとやりますよ」って、たぶんいい意味で言ってもらったんですけど、自分ではそれがすごく悔しくて。こんな恥ずかしい舞台に芸人さんを立たせちゃダメだな、って思って。次からはきちんと告知に力を入れて、がんばるようになりました。 ――お笑いライブにお金を払って来てもらうというのは、なかなか大変なことですよね。 児島 私が手伝っていた先輩の主催者さんも、よく言っていたんです。「お客さんに時間とお金と足を使わせてライブは成り立っている。その3つを動かすのが一番難しいんだぞ」って。意識はしているつもりだったんですけど、どうしてもサボりの気持ちが出ちゃうので。それはいまだに毎日考えていて、忘れないようにしてます。 ――現在、K-PROのライブはどれも連日満員ですごく盛り上がっているように見えます。そういう状況になったのは、どうしてだと思いますか? 児島 まず、一回来てくれたお客さんには、もう一回足を運んでもらうような工夫をする、っていうことですね。あと、2010年頃にネタ番組ブームが終わって、ライブも少なくなって、なかなか芸人さんのネタを見る機会がなくなっていったんです。そこで一番助かったのが、芸人さんに口コミしてもらえたことです。  私自身もあとから聞いたんですけど、ライブ後にお客さんが芸人さんに話しかけたりしたときに、芸人さんが「K-PROのライブは面白いから、見に行ったほうがいいよ」って言ってくれたらしいんです。  そこでお客さんがK-PROを覚えてくれて、足を運んでくれたっていうのがあって。ブームが終わり、ライブに来るお客さんの絶対数がどんどん少なくなっている時期に、そのおかげでなんとか助かったと思っています。 ――確かに、私の実感としても、その頃からお笑い業界界隈で「K-PRO」という名前を今まで以上にあちこちで聞くようになった気がします。 児島 K-PROのライブで勝ったら価値が出るとか、そこで結果を残したいとか、芸人さんから言ってくれたりするようになったんです。こっちは出てもらっている側なので、そういうのは本当にありがたいですね。 ――お笑いライブを主催しているところはほかにもたくさんありますが、その中でK-PROはここだけは負けていない、という強みはありますか? 児島 一番の強みは「楽屋の雰囲気がいい」っていうことですね。芸人さんのコンディションがいい状態で舞台に出ているから、より面白くなっているし、より会場が一体になっているんじゃないかなと。そこはすごく気を使っていますね。ライブ自体の運営は、音響さん、照明さんなどほかのスタッフに任せられるんですけど、楽屋の雰囲気を作るのは一番の私の仕事だと思っています。 ――具体的には、どういうことをしているんですか? 児島 とにかく芸人さんの情報をいっぱい仕入れておいて、「あの番組出てたの見たよ」って話しかけたり。疲れてそうな芸人さんがいたら、「疲れてる?」って声かけたり。あと、その日の顔色や様子を見て、当日のMCやトークコーナーに出てもらう人を決めたりしています。この人は今日調子悪そうだなと思ったら、出番直前でも変えたりします。 ――すごいですね! それを判断しているのは、児島さんの長年の「勘」ということですよね。 児島 そうですね。あと、ちょっと話しかけたりしたときの返しのタイミングが遅かったりすると、ああ、この人調子悪いのかな、とか。そういうのがだんだん分かるようになってきました。 ――ライブに出る人は、どうやって選んでいるんですか? 児島 自分の目で見る、っていうことですね。自分で見て面白いなあと思った芸人さんに出てもらうっていうのが一番。ただ、やっぱり芸人さんの数も多いので、情報を得るためには、お客様からのアンケートを見たり、ほかの芸人さんから話を聞いたりもします。それを踏まえて、最後には自分で見て決めるようにしていますね。いまだにお休みの日にはライブを見に行ってます。月6~7本は見てますね。 ――K-PROでは月に数十本もライブをやっていますが、その中で、お笑いライブを初めて見るという人にお勧めはありますか? 児島 最初は、大きいライブに足を運んでもらうのがいいかなと思います。うちで言うと「行列の先頭」っていう、一番大きいメインのライブが半年に1回ぐらいあるので、それに来てもらうと入りやすいかなと思います。いろいろな芸人さんが出ていて、テレビで見たことがあるような有名な人もいるので。そこからスタートして、小規模なライブにもどんどん来てもらえるといいかなと。  多くの人に見てもらえるという点では、ライブがテレビに負けている部分があるのは分かるんですけど、面白さでは負けてないような気がしていて。お客さんに足を運んでもらっているという意味では、ライブのほうがすごくエネルギーが要るとは思うので、ライブも負けてはいないぞ、って。もっと多くの人にお笑いライブの面白さを知ってもらいたいですね。 (取材・文=ラリー遠田) ●こじま・きな 1982年、東京生まれ。お笑いライブ制作集団「K-PRO」代表。月30~40本のお笑いライブ・イベントの制作・プロデュースを行う。

祝15周年! バッファロー吾郎が語る「大喜利暗黒期と、ダイナマイト関西の“引き寄せ力”」

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今大会のテーマは「目黒のさんま祭り」!(撮影=名鹿祥史)
 「大喜利」がここまで世に認知された原動力として、ダイナマイト関西が果たした役割は計り知れない。1999年、大喜利ブーム黎明期にバッファロー吾郎が企画した小さな大会は、今では他事務所他ジャンルを巻き込み、芸人なら誰もが憧れる巨大イベントへと成長した。プロデューサーとして、出場者として、バッファロー吾郎の2人はこの15年に何を見て、何を感じてきたのか――。 ――ダイナマイト関西、ついに15年目に突入ですね。 バッファロー吾郎・A(以下、A) 正直、ここまで続くとは思っていなかったので「もう15年なんや」という感じですね。ダイナマイト関西によっていろいろな出会いがあって、その人たちにいろいろな話を聞けて、それがすごく大きいと思う。芸人のみならず、漫画家さん、プロレスラー、格闘家……この企画に携わっていただいた人たちに、育ててもらったんやなと思っています。 ――15年で、企画自体がどんどん大きくなっていったと。 A 芸人の世界ではこうかもしれないけど、格闘技の興行ではこうですよとか、漫画家の世界ではこうですとか、面白い話をたくさん聞いて、使えるものは全部使っていきました。シフトチェンジっていうんでしょうか。細かくバージョンアップされています。 ――発足当初、大喜利に対する観客の反応はいかがでしたか? バッファロー吾郎・竹若(以下、竹若) そうですね。僕らはダウンタウンさんの大喜利がすごく好きでよく見ていて、「僕らも、ああいう答えを出したいな」っていつも思っていたんですね。でも、実際に舞台で大喜利のコーナーをやると、全然反応がないんですよ。大喜利好きなメンバーが出す答えが、特にウケない(笑)。一方で、全然そんなこと気にしない、内輪向けの答えを出すほうがドカンとウケたりする。ええ? こっちのほうが全然いい答え出してんのに……っていう、やりきれない思いはずっとありました。そうやってモヤモヤした思いを持っているメンバーを見た館長(A)が、よりストイックな大喜利イベントをせえへんかというのをポンッと提示してくれたんですよ。その趣旨に賛同する人がどんどん集まって、イベントも肉付けされていった感じですね。でもそれくらい、大喜利に対する世間の反応は、ひどいものがありましたよ。

「出したい答え」「言いたい答え」を出したかっただけなんです

――先ほど「シフトチェンジ」という言葉が出ましたが、逆にこれだけは変えないでいこうと思ったところはどんな部分でしょうか? 竹若 「出したい答え」「言いたい答え」を出すというところですね。それまでは反応をうかがうために、よりマイルドというか、お客さんに歩み寄って歩み寄っての答えを出して、なんとかその場をつなぐということもあったりしたんですよ。ここではそういうことは抜きにして、本当に自分が面白いと思った答えを出す。それが一つの大きな目標でもありました。それをお客様に伝えるためには、大会としてどういう演出をしたらいいのか。それが常に課題で、いつもみんなで話し合っていたことです。
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――出したい答えを出せないジレンマがあったと。 竹若 大喜利自体が何か分からないお客さんと、お客さんが何を喜ぶのか分からない芸人と、うまく交わることができない時代が確かにあったと思います。ただ、回数を重ねるにつれて、着実にお客さんの見方が変わってきた。演者もやりたいことを、よりシャープにできるようになりました。初めの頃は近しいメンバーでやっていましたが、ダイナマイト関西のコンセプトでもある「ごちゃごちゃ言わんと、誰が一番おもろいんか決めたらええんや」に基づいて、よしもと以外の事務所だったり、他ジャンルの人だったり、なんだったら一般の方々にも参加してもらったことが一つの転機だったとは思います。よりダイナマイト関西が競技らしく、スポーツっぽくなった。 ――今回はワールドカップにちなんで、リーグ戦で勝ち点を争うという形でしたね。 竹若 これも、言うたら初めての試みです。だから僕らも、どういう反応になるかまったく確証を持てないまま走りだしまして。でもいいように転んでくれたし、思いがけないドラマも生まれたので、やってよかったと思います。 A 今回、浅草公会堂で行われた決勝リーグで、オープニングのVTRをPRIDEの煽りVを作っている佐藤大輔さんにお願いしたんですね。しかし、ちょっとアクシデントがありまして、予定していたロケができなくなってしまったんです。急遽、新しいネタが必要になったんですけど、1週間しかない。僕は大輔さんの作るVが大好きだから、どうしてもそこは譲りたくない。そうしたら大輔さんから「話し合いましょう」と言ってくださり、なんとなんと、あの大輔さんと僕が一緒にオープニングVを作るという運びになってしまったんですよ!! 僕からしたら、憧れの料理人と一緒に料理作らせてもらうみたいなもんで、それは自分の人生にとっても衝撃的な出来事でした。 ――「60億分の1の煽りVアーティスト」と称されるお方と!! A そうですよ。とはいえ、じゃあどういうふうにやっていきましょうかと。僕は半年間のリーグ戦をずっと見てきたので、そこから想起するキーワードを大輔さんに投げます。その中で大輔さんのアンテナに引っかかるものがあったら、取り上げていってくださいと提案しました。僕があれやこれや言うのを大輔さんがうなずきながら聞いてくださり、お互いの思いが交差したところでストップ、そこから具体的な形をイメージして……あんな素晴らしいオープニングが完成しました。 ――ちなみに、2人の思いが合致したキーワードとは……。 A はい、「目黒のさんま祭り」です。 全員 (爆笑) A 「今回僕の中では、目黒のさんま祭りが大きなテーマで」と言ったら、「いいですいいです、そこに着地させましょう!」と。 ――なんとクリエイティブな!! A ロケができないというアクシデントがなければ、こんな経験はできなかったと思う。とにかくダイナマイト関西はいろいろな人同士を出会わせ、結び付けてくれるイベントなんですよ。
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――出場者の面々にも、ダイナマイト関西というイベントの“引き寄せ力”のようなものを感じます。 A ずんのお2人は前から知っていたし、好きですし、「週末の大人会」というおっさんらが集まっての普通の飲み会でも定期的に会っていたんですけど、そこでふとね、「よかったら出てくれませんか?」って聞いてみたんですよ。そうしたら、即答で「ぜひ」と。普通こうはなりませんよ。忙しい人らですし、事務所通してスケジュール調整してってやってたら、アウトだったかもしれない。そして飯尾さんのブロックには昔から出てくれている麒麟の川島とか(伊藤)修子とか(田村)亮がいて、なんかもう感慨深いんですよ。今回はリーグ戦なので、決勝で見られるか分からないから、まずは同じリーグで戦わせようとか、ちょっとした狙いもあったんですよ。たとえば、ロバート秋山とインパルス板倉を一緒にしたり。 ――お2人が見たい組み合わせを。 A 放送作家のせきしろさんと(ピース)又吉、せきしろさんと(オードリー)若林というのも、2人がブレークするずっと前から一緒にライブを作ってきた師弟みたいな関係ですからね。 竹若 もしかしたら、決勝よりも予選のほうがドラマチックだったかもしれない(笑)。お互いの思いが強くて。 ――予選リーグの、あのせきしろさんの涙も……。 A そこまでの経緯を知ってるから余計にこっちもね、泣きそうになります。せきしろさんは正直、あの2人とは一緒にやりたくなかったでしょうが。 竹若 こっちが見たいと(笑)。 A あとは、15年間とことん付き合ってくれたコバ(ケンドーコバヤシ)とか……もう挙げたらキリがないですけど。 ――すべてに思い入れがあるのですね。 A だから決勝で飯尾さんと若林が対戦したというのが、逆にすごく新鮮だった。完全に一観客として見てました。このイベントが、ここに着地したんやな~と。

どんな人気芸人でも、負けたら悔しい

――竹若さんはプレイヤーとしても参加されていますが、舞台上ではどんなことを考えていましたか? 竹若 (博多)大吉君が、久しぶりに悔しそうな顔をしていたのが僕は印象に残っていますね(笑)。大吉君は昔から出てもらってるんですけど、当時はまだお客さんも大吉君の人となりが分からないから、良い答えを出しても反応が薄いことが多くて。そういうときは苦虫をかんだような表情をしてたんですよ。でも、大吉君の名が浸透するに従ってもともと面白かった部分も受け入れられて、2013年の大会では優勝もしてね。そんな大吉君が見せたあの表情。ファイターとしての一面が、チラッと覗いたんでしょう。 ――あのクールな大吉先生が。 竹若 どんな人気芸人になっても、負けたら悔しいねんなっていうのがどの芸人さんにも見えて、すごく気持ちが引き締まりましたね。たとえ一発勝負じゃないとしても、やっぱり芸人にとってはどんな相手でも負けたくない。そういう気持ちがないと、リーグ戦は成立せえへんとも思いました。
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――大喜利がここまで認知されると、芸人さんにとって武器になる一方で、自分の弱さが露呈してしまうのではないかという、恐怖心に近いものを感じる人もいるのでは? 竹若 そう考えている人も、もしかしたらいるかもしれないですけど、それは別もんやと思いますよ。大喜利力は、ただ単に大喜利力。それが若干、今はその人のキャラクターも踏まえた大喜利力みたいになってしまってるので、人となりが出てしまうことはありますが。大喜利力が高くても、舞台で起こったアクシデントを一瞬で笑いに変える力があるかと言われれば、それはまた別の話ですし。散々滑り倒すことで、笑いになる人もいるじゃないですか。そんなこと誰にでもできることじゃないですし、芸人にしてみたらものすごいリスペクトなんですけど、それがお客さんからのリスペクトにはつながりにくい。フィーチャーされると「大喜利力=芸人力」みたいにされてしまうけど、大喜利力は芸人の力のある一部分でしかないということは、たぶんダイナマイト関西に出てる誰もが思っていることだと思います。 ――お客さんとしては「素直に楽しむ」のが一番なのかもしれませんね。 竹若 そうしてもらえるようにどう演出するのかが、僕らの仕事です。 ――これからのダイナマイト関西は、どのような道を進んでいくのでしょう? A これはずっと言っていることですけど、ダイナマイト関西オリジナルのスターが欲しい。それは新人なのかベテランなのか、はたまた他ジャンルの人なのかは分かりません。残念ながら、僕らが作り上げることはできないんですよ。生まれるのを待つしかない。あと、これはコバや飯尾さんに提案されていることですが、事務所の対抗戦。各事務所から5人ずつくらい呼んでね。でもこれは物理的に一日じゃ不可能ですし、スケジュール調整が恐ろしくしんどいでしょうね。 竹若 フフフ(笑)。 A でもやりたいな~、どこの事務所が一番おもろいんか。どういうシステムがいいのか、まったく答えは出てないんですけどね。とりあえず浅井企画と人力舎にはラインがあるので(笑)。ずん飯尾スカウトマンと、キンコメ高橋スカウトマンに一任します。 ――両事務所とも全力を注いでくれそうですね。飯尾さん、(イワイガワ)ジョニ男さん連れてきてくれないかな…… 竹若 事務所によっては、ちゃんと予選をするところもあれば、ただ仲いい人集めましたみたいなところもあっていいですよね(笑)。それは事務所の色なので。意外とテキトーに集めたほうが強かったりしますからね。 ――今回のDVDでは関根勤さんが副音声で解説されていますが、関根さん、ほぼ出場者の感覚で回答されていましたね。 A 関根さんには長年出ていただきたかった。今回副音声でその夢がかないました。しかも、まさか解説しながら自分で答えを考えてくださるとは……。最初は、あまりの僥倖に僕ら戸惑ってしまいましたよ。 竹若 「好き勝手にしゃべってください。いくらでも脱線していただいて大丈夫です」とは言いましたけど、回答なんてとてもとても……。あれは本当にうれしかったですね。 ――ファイターとしての本能なのでしょうか? A 後から飯尾さんに「(あんなに答えていただいて)大丈夫でしたか……?」って聞いたら「関根さんは生涯現役のファイターなので」と。ですので、一度普通に見てから、次に副音声にしてもらえると、さらに深く面白がれると思います。僕らが戸惑っているのも、たぶん分かっちゃう(笑)。 竹若 本戦もちろんですが、恋愛大喜利やら女性だけの大喜利やらエキシビションマッチもかなり熱いです。新しい可能性が、ここから広がるという予感がある。スピンオフとして、本家ダイナマイト関西を食ってしまうような成長を遂げるかもしれないと感じています! (取材・文=西澤千央) ●DVD『ダイナマイト関西2014』 発売日:2014年12月3日(水)  価格:4,860円(税込) 発売元:よしもとアール・アンド・シー HP:<http://www.randc.jp/artist/d-kansai/> ●『ダイナマイト関西15th Anniversary ~2014DVD発売記念大会~』 【日時/会場】 2014年12月12日(金)開場18:30 開演19:00/ルミネtheよしもと 2014年12月13日(土)開場19:00 開演19:30/ルミネtheよしもと 2014年12月25日(木)開場19:00 開演19:30/なんばグランド花月 ※18歳以上 【チケット料金】前売3,300円 / 当日3,600円 ※発売中 【お問合わせ】チケットよしもと:0570-550-100(10:00~19:00) 【HP】<http://www.d-kan.net/>

テッパンのあのネタに隠された愛情物語――COWCOW善しと、ちょっとヘンなおばあ

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撮影=後藤秀二
 それぞれにR-1決勝出場経験があり、コンビとしても「あたりまえ体操」で満を持してのブレークを果たしたCOWCOW。笑う人を選ばないユニバーサルなネタは、インドネシアなど海外でも高い人気を誇る。このたびCOWCOW善しが、大好きなおばあとの物語『ハイハイからバイバイまで―田島のおばあちゃんとぼくのヘンテコな二人暮らし』(ワニブックス)を上梓。トークでもテッパンのおばあネタに隠された、祖母と孫のおかしくもほろ苦い、小さな愛情物語を訊いた。 ――『ハイハイからバイバイまで』は、本当に突然ぶわっ……とくるので、電車の中で読むのは気を付けたほうがいい本ですね。 COWCOW善し(以下、善し) それはよく言ってもらえます。“自分のおばあちゃんを思い出す”と。もともと僕の人生で「本を書く」なんて予定は全然なかったので(笑)、そう言ってもらえるのはすごくうれしいです。 ――本を書くきっかけは、なんだったんですか? 善し 読売新聞で、小さいコラムを書かせてもらっていたんです。それをワニブックスの方が読んでくださって、「本にしませんか?」とお話をいただきました。そのコラム自体も、実は全然書く気はなくて。だって僕、そういうの得意じゃないんですもん。ただ、書くならおばあの話がいいとは思っていました。芸人とのトークでもね、テッパントークといったらなんですけど、よくおばあの話をしていたんですよ。「おばあって変だな」って気づき始めてからですけど。それにしてもまぁ、調子乗ってますよ、本を出すなんて。 ――執筆する中で、どんなところが大変でしたか? 善し 皆さんもそうだと思うんですけど、おばあちゃんとの記憶なんて限られてるじゃないですか。僕の中でも、おばあとの話は3~4ネタぐらいやったんです。いつも舞台なんかで話しているネタを書いた後が大変でしたね。 ――どうやって乗り越えたんですか? 善し おばあの家があった田島(大阪市生野区田島)に何度も足を運んでは、思い出したことをメモに取りながら……という感じで書きました。行くと記憶が蘇るんですよ。そもそも、おばあとの暮らしに「事件」なんてほぼほぼないのでね。この本の中にも、奇想天外なストーリーなんて全然ないでしょ(笑)。ただの日常ですもん。 ――でも描写はすごく詳細で、たとえばねずみとりのネバネバに引っかかったおばあの靴下のピンク色とか。そこがグッときます。
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善し ポイントポイントで妙に覚えているんですよ(笑)。でも、おばあが危篤やって言われた夜にバニラアイスを食べさせた話も、自分の中ではずっとなんでもない話でした。親戚が集まって、その中で僕が――当時はなかなかおばあに会えなかったので、僕が一晩付き添うということになって。「バニラアイスが食べたい」というのも、おばあはよく言うてたことだから。もちろんセンチメンタルな気分でしたけど、よくよく考えたら、その夜から1年半も生きてるんですよ。なんでやろ? っていう疑問が後から湧いてきた(笑)。その時だったら素通りする思い出も、今思い返せば……っていうのが結構あります。今になって、その時の気持ちを分析しているというか。 ――大人になって、あらためて「おとん」や「おばあ」の気持ちが分かってきたということでしょうか。 善し 自分が親になって、感じ方が変わったことも、もちろんあります。ただ小さいときにね、ワガママなことを言う子だった一方で、どこか冷静に見ているようなところもあった。大人が言うことをね、冷静に考えて蓄積していたと思うんです。それを少しずつ思い出していったというか。 ――周りの方々は、この本に対してどんな反応でしたか? 善し いろいろな種類のエピソードが入っているんですけど、人によって好きなところや、感じたことがバラバラなのが面白いですね。“自分のおばあちゃんを思い出した”というのが一般的な読み方だと思うんですけど、年配の人はきっと感じ方が違うだろうし、小さい子だったらどう思うかな……っていうのは、聞きたいところですね。 ――今回の本では、イラストや写真も善しさんが担当されているんですよね。この表紙のおばあは……似てらっしゃいます? 善し これはすごい似てます。僕のおばあのイメージは、これなんですよ。僕が小学校のときのおばあちゃん。その後、さらに老いていくんですけど、頭の中にあるのはいつもこれ。すごく好きなおばあなんですけど、どっかね、なんか変だなっていうのは、この小学生の時点で感じているんです。さらに言えば、この田島っていう街にもね、感じてる。変やぞっていうのは(笑)。 ――「田島」も「おばあ」も、芸人としての善しさんに大きな影響を与えた存在ですか? 善し そうですね。芸人になってから、僕は「優しい」とか「とろい」とか言われてきましたけど、それってまさにおばあです。おばあとの生活では、せかされるということがほとんどなかった。ここにも書きましたけど、銭湯行ったら何時間も帰ってこない子ですよ(笑)。漫才のテンポがゆっくりなのも、おばあから来てるんだと思ってます。 ――ギラギラとかガツガツとかとは無縁な。
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善し ギラギラガツガツせんとアカンとも思うんですけど(笑)。ただ本当に僕の単なるワガママを、いつも受け止めてくれていたんで。お寿司の話とかね、なんで僕はあんなことを言ってしまったんだろうって、ずっとずっと後悔してる記憶なんですよ。あんなに優しいおばあにって。 ――選ぶのが難しいとは思いますが、善しさんが特に思い入れのあるエピソードはどれですか? 善し 僕としては、やっぱり“ちょっと変なおばあ”の記憶がつづられている前半部ですね。この本のタイトル『ハイハイからバイバイまで』って、確かにハイハイしている小さい頃からっていう意味もあるんですけど、それだけじゃなくて「おばあちゃんとハイハイ」という不思議なエピソードも少し絡んでいるんです。この話は、僕の記憶の中でもSF的なエピソードなんですよ。いつかどこかで解明してほしい。 ――これはぜひ読者の方にも読んでいただいて、「?」を共有してもらいたいところですね。でも、思い返せばありました。うちの近所にも「ハイハイ」。 善し 大人たちは一体ここで何をしているのかという疑問と、おばあはなんのためにここに来ているのかという疑問と、あと僕はせっかくおばあの家に遊びにきて好きなテレビも見放題なのに、なんでこんなことに時間使ってんねんという疑問ですね。もう訳が分からない。 ――一方で、後半のおばあの話はちょっと切ない。 善し 後半は、僕が大人になってきて「おばあ何してくれてんねん!」ってぶつかり合ったエピソードですね。おばあはずっとおばあだけど、僕はどんどん大人になる。理由もなくイライラして、それをおばあにぶつけて、そんな自分にまたイラ立ってっていう。 ――おばあがお亡くなりになったのは…… 善し 12年前ですかね。 ――では、「あたりまえ体操」で全国的にブレークした姿を見ることはなかったんですね。 善し そうですね。でも、僕としては芸人としての姿よりも、結婚して子どもが生まれた今の家族の姿を見せたいです。結婚したのも、おばあが亡くなったのが大きかったんです。家族を求めるじゃないですけど、そういうタイミングだったと思う。おばあが死んで「あぁちゃんとしな」っていう気持ちはありました。 ――「ちゃんとしな」は、おばあに言われていたことですか? 善し ずっとですよ。だって僕、全然ちゃんとしてないんですもん(笑)。だからおばあが死んで、初めて独り立ちしたんだと思います。 ――善しさんは、これからどんな芸人さんを目指されますか? 善し ずっと同じことをする。ブレずにいたいです。ネタを作って、時々テレビに出させてもらって、そのペースを崩さずに。おばあといる時間が長かったので、会場におじいちゃんおばちゃんがいると、どうしても気になっちゃうんですよ。この人たち、ちゃんと楽しめてるのかなって。だからご老人でも理解できる、楽しめるネタをっていうのは、いつもどっか頭にありますね。
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――インドネシアでのブレークも、まさにそうですね。ユニバーサルな面白さ。 善し よく分からないことを自信ありげにやるというのは、僕の中ではあまりない。やっぱり、分かりやすく皆さんに伝えたいと思っています。あたりまえ体操のブレークも、皆さんに知ってもらえたのが、たまたまあれやったんだという感じなんです。これがもっと僕も若くてあのネタでブレークしていたらしんどいでしょうけど、自分らの中では「これで、そんなになんの?」というのが正直なところです。 ――世間って、分からないものですね(笑)。 善し それやったら、もっと早くやっとけばよかった(笑)。なので、あたりまえ体操が売れても廃れても、特にどうとは思いません。「あぁ、そこに引っかかってくれたんか」って。出版物もそうですよね。自分の本が店に並んだら本当に感動しますし、おばあの話が本屋に置いてんのやって客観的な目で見たりもするんですけど、でも大ベストセラーになってくれとは、あまり思わないかもしれない。ワニブックスさんの前では言えないですけど(笑)。だけど印刷した分は、きっちり誰かの手に届いてほしい。一生かかっても売り歩こうかなと思ってます。だって、もうこの表紙とか、いい紙使いすぎてへんですか?   ――そんな謙虚な……ぜひ第二弾もお願いします。 善し いやいや、それはいいです。でも、本当に刷った分はなんとかせんと。本にも書いた芸人になるきっかけもそうですけど、この本も、本当に人生はどこでどういうふうになるか分かりませんね。 ――これから何かチャレンジしてみたいことはありますか? 善し 本も出さしてもらったのに、まだですか!? ――そう言わず、何か……。 善し う~ん(しばし無言)……いつか、自分の劇場を持ちたいという夢はずっとあります。本多劇場みたいな。 ――演劇もいいですね。善しさんが脚本を書いて。 善し いやいやいや、そういうやましい気持ちはないですよ。ただ大きな劇場を作って、満たされたい。お菓子の家を作りたいっていうのと、大して変わらないのかも。お菓子の家は「食べたい」から作るんじゃないでしょ。ただ劇場、自分の劇場を持ちたいという。 ――おばあの家で作っていたプラモデルと同じじゃないですか!! (文=西澤千央)

東洋の神秘と西洋のオタク魂との華麗なる調和!『ザ・レイド』の続編がさらに過激に進化したッ

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インドネシア発のアクションスターとなったイコ・ウワイスとヤクザ映画を愛する英国人ギャレス・エヴァンス監督。前作に続いて、またやってくれた!
 世界中でよもやの大ヒットを記録した、インドネシア発のアクション映画『ザ・レイド』(11)。主演俳優イコ・ウワイスが操るインドネシアの伝統的格闘技シラットを駆使した超絶ファイトは、トニー・ジャーやドニー・イェンらのガチンコファイトを見慣れていたアクション映画マニアの目にも強烈なインパクトを残した。新作『ザ・レイド GOKUDO』は前作で麻薬密売組織との大流血戦に命からがら生き残った捜査官ラマが、さらにハードなミッションを背負わされる続編だ。愛する妻と生まれたばかりの赤ちゃんと過ごす幸せな時間も束の間、前作で裏社会に捜査情報を流していた汚職警官をあぶり出すため、マフィアの一員となって潜入捜査せよという極秘任務が下る。しかも、潜入先のマフィアは日本人ヤクザとの仁義を守ることで街の秩序を保とうとする父親ティオと、新興マフィアと手を組んで旧勢力の一掃を企む息子ウチョとの間に不穏な空気が流れつつあった……。名作『ゴッドファーザー』(72)をアクション満載にし、さらに潜入捜査もの『インファナル・アフェア』(01)を合体させたような壮大な裏社会サーガへと大進化を遂げているのだ。アクションのみならず、捜査官とマフィアという2つの顔を演じ分けることになったイコ・ウワイス、日本のヤクザ映画が大好きというギャレス・エヴァンス監督をクロスインタビュー。撮影中に本気のどつき合いになったという裏話や日本ロケが予定されている『ザ・レイド3』の構想まで語った。 ──『ザ・レイド』だけで充分すぎるほど面白かったのに、『ザ・レイド GOKUDO』は“前作は序章にすぎなかった!”という衝撃的な展開。刑務所での乱闘シーンあり、ド派手なカーチェイスあり、さらに『ゴッドファーザー』ばりの重厚なドラマも盛り込まれている。高層マンションで延々と戦っていた『ザ・レイド』が、これほどスケールの大きなシリーズものになるとは思っていませんでした。 エヴァンス サンキューサンキュー! 日刊サイゾーのインタビューを2年ぶりに受けることができて、うれしいよ。製作の内情を話すと、実は『ザ・レイド GOKUDO』の脚本のほうが『ザ・レイド』よりも先に出来ていたんだ。でも、観てもらったようにスケールが異常にデカくて、充分な資金が集まらなかったんだ。1年半の間、資金集めに奔走したけど、ダメだった。そこで発想を切り替えて、低予算で済むワンシチュエーションものの『ザ・レイド』を先に作ったというわけさ。『ザ・レイド』が各国でヒットしたお陰で製作費も集まり、さらに『ザ・レイド』が序章となる壮大なサーガものに膨らんだんだよ。これって、すごくラッキーなことだよね(笑)。 ──エヴァンス監督、相変わらずイギリス人と思えないほど陽気だなぁ。よほどインドネシアでの暮らしが合っているみたいですね。『ザ・タイガーキッド 旅立ちの鉄拳』(09)、『ザ・レイド』に続いて、エヴァンス監督とタッグを組んだイコさん、毎回のように超ハードなアクションに挑んでいるけど、怪我はしていない? イコ 僕はまったく大丈夫! まぁ、スタントの仲間たちもそれほど深刻な怪我はしていないよ。 ──日本とインドネシアでは怪我の基準が違うような気もしますが……。撮影は7カ月間も続いたそうですが、連日のように格闘シーンの撮影が続いて嫌になりません? エヴァンス あっ、それはあるな。アクションシーンの準備を待っている間、ずっ~と椅子に座っているんだけど、座り続けているとケツが痛くなってくる。映画監督って、ケツが痛くなる職業だよ(笑)。 イコ 僕は楽しくて仕方なかった。だって、毎日のように相手を思いっきりブン殴ることができたからね。いやいや、これはジョーク(笑)。撮影期間中は、「自分はマシンだ」と思い込むようにしていたんだ。自動車のエンジンを温めておくのと同じで、身体を温めておくとスムーズに動くことができる。だから、アクションシーンはなるべくノンストップで撮影が続いているほうが、いいパフォーマンスを発揮できるんだ。一度撮影がストップした場合は、本番前に共演者に思いっきり蹴りを入れてもらうようにしているよ。そうすれば、自分の身体にまたアドレナリンが湧いてきて、「お~し、行くぞっ!」となるからね。 ──なるほど、イコさんはアクション映画を作るための超精密機械なんですね。 イコ まぁ、そういうことだね(照笑)。格闘シーンをやる際は、相手に気を遣うよ。撮影前はなるべく親切に接するんだ。それで「本番中にパンチが入るかもしれない。でも、ほんのちょっぴり擦るだけだからね」って事前に伝えておく。それで本番では「ボンッ!」ってマジで決めちゃうわけだけどね(笑)。カメラアングルによっては、どうしてもフルコンタクトしなくちゃいけないときもあるんだ。決して、相手のことが憎くて殴っているんじゃない。もちろん、顔面を殴るときはとても注意するよ。怪我しやすいし、アザになると、撮り直しができなくなるからね。 エヴァンス 運転手役のキャストと撮影中に本気の殴り合いになったよね? あのときは僕が2人の間に入ったけど、真相はどうだったんだい? イコ あれはね~、エヴァンス、君が原因なんだぞ。彼は温厚ですごくいいヤツだったんだ。それで一発でOKにしようと思って、ガチンコで当てにいったんだ。いいパンチをもらって、彼は「うっ」となったけど、そのときは我慢してくれた。そうしたら、エヴァンスが「よし! じゃあ、もう1テイク!」って言うじゃないか。それで彼はブチ切れて、2テイク目のときに殴り返してきたんだ(苦笑)。 ──『ザ・レイド』シリーズの撮影現場は、アドレナリン大噴出で大変ですね。 エヴァンス なるべくなら、みんながアドレナリン沸騰状態のところを撮りたいよね。本気でやることでリアルなシーンが撮れるわけだけど、あまりやり過ぎて、限界値を越えてしまうと怪我人が出てしまう。どの時点でストップさせるかの見極めは、監督として重要だったよ。でも基本的に男性キャストはみんな格闘技経験者たち。多少ガチで当たっても平気な人たちなんだ。自分が弱っちいと思われたくないという心理が働くみたいで、大変なスタントをやった後も「アハハ! 全然平気だぜ~!!」ってみんな高笑いしてみせるんだ。それで僕は「本当に大丈夫?」ってひとりずつ確認して、「じゃあ、もう1テイク」って言うわけさ。 イコ エヴァンスは「大丈夫?」って気を遣うふりをするのが、すご~くうまい監督だよ(笑)。

アクション映画の撮影はオーケストラみたいなもの


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前作を生き延びた若手捜査官ラマ(イコ・ウワイス)はマフィアと接触するために刑務所送りに。獄中をサバイバルするだけで至難の技だった。
──前作から一転して、多彩なシチュエーションでのアクションを取り入れていますが、いちばん大変だったのは? エヴァンス 技術的な面で大変だったのは、後半のカーチェイスシーン。香港からカースタントの第一人者であるブルース・ローが自分のスタントチームを引き連れて参加してくれたんだ。インドネシアでここまで本格的なカーチェイスの撮影は初めて。ジャカルタ市街地の公道を完全封鎖して撮影したんで、通行止めをくらった車や通行人たちからの罵声がスゴかった。お陰でカーチェイスシーンの撮影が終わった後は、インドネシア語でどんなに罵られてもすっかり平気になっていたよ(笑)。刑務所の中庭での雨中の乱闘シーンも大変だったな。脚本を書いたときは「これは超かっこいいシーンになるぞ」と小躍りしたんだ。オランダ植民地時代の軍の古い宿舎を見つけて撮影したんだけど、雨降らしをしながらの撮影はキャスト全員が泥だらけで誰が誰だか分からないし、足を滑らせて倒れるキャストやスタッフが続出するし、せっかく撮れたと思ったら、カメラのレンズに泥がはねてしまい、もうお手上げ状態さ(笑)。1シーンの撮影のために準備に1週間、撮影に1週間も掛かったよ。 イコ 僕はこれまでシラットの大会に数多く出場してきたけど、映画の撮影はまったくの別物だね。いろんなシチュエーションのスタントに挑戦することを楽しむようにしているんだ。僕にはジャッキー・チェンみたいな専属のスタントチームがあるわけじゃないけど、エヴァンスが立ち上げた「メランタウ・フィルムズ」には前作でマッドドッグ役を、そして今回も別の殺し屋役で出演しているヤヤン・ルヒアンといったシラット経験者が多いので、普段からどうすればアクションがカメラにより映えるかアイデアを出し合ったり、練習したりしているんだ。
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アクションシーンの殺陣も担当するイコ。「カメラアングルによってはガチで当てることもあるよ。顔面は怪我しやすいから気を遣うけどね」と話す。
エヴァンス 僕らは、いわばオーケストラの楽団みたいなもの。スタッフとキャストがぴったり息を合わせることで、最高のシーンが撮れるんだ。例えば銃撃戦のシーンで、着弾の場面があるとする。1つや2つは撃たれる役のキャストが倒れながらコンドームに詰め込んだ血糊が飛び出すように自分で紐を引っ張るわけなんだけど、3つ以上になると手が足りない。そんなときは特殊メイクの担当者が現場に付いて、ワンツースリーのタイミングで血糊の紐を引っ張るんだ。昔からあるアナログなやり方だけど、1カットや1シーンを撮るために、キャストだけでなく、カメラマンも他のスタッフも全員が集中して臨むことがとても大事なんだ。アクション映画を撮る上でいちばん大切なことは、キャスト同士、そしてキャストとスタッフが信頼し合うことだね。 イコ それは同感だな。本気で殴り合っているように見えるかもしれないけど、シラットの試合のときとはかなり違う。実戦の場合は相手に対して最短距離でコンタクトするけど、撮影の場合は大きく振りかぶって間を少し置いてパンチを繰り出すんだ。そうすることでガチンコで当てなくても、観る人に痛みの伝わるファイトシーンに映るからね。ちょっと、やってみようか? こうやって、大きくテイクバックして、バチーンッとね(エヴァンス監督のボディにパンチを浴びせる)。 エヴァンス おいおい、充分に痛いよッ。 イコ アハハ、彼みたいにやられる側のリアクションがうまいと、よりいい格闘シーンになるってわけさ(笑)。

エヴァンス監督の頭の中で『ザ・レイド3』は着々と進行中!


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前作のマッドドッグ役で憤死したはずのヤヤン・ルヒアンがしれっと再登場。『仁義なき戦い』シリーズの松方弘樹や梅宮辰夫へのオマージュか?
──後半はハンマーガール、ベースボール・バットマンといったユニークな殺し屋たちが登場。三池崇史監督の『殺し屋1』(01)やタランティーノ監督の『キル・ビル』(03)を彷彿させますが、元ネタがあるんですか? エヴァンス ハンマーガールは今回どうしても登場させたいキャラクターだった。出番はそう多くないけど、インパクトあるよね? ウォン・カーウェイ監督の『恋する惑星』(94)のポスタービジュアルが元ネタなんだ。サングラスをした女性がすごくクールで印象に残っていたんで、彼女をモデルにして考えたんだ。もちろん、『殺し屋1』も僕は大好き。ハンマーガールがスマホの画面でターゲットを確認する場面は、殺し屋1がテレビモニターを見てからヤクザたちを襲撃するシーンを意識したものだよ。 イコ ハンマーガール役のジュリー・エステルはオーディションを受けて、今回の役を掴んだんだ。彼女は格闘技の経験はなかったけど、6カ月間のトレーニングを経て、ハンマーガール役を自分のものにしたんだよ。僕はアクションシーンの振り付けも担当していたんだけど、トレーニング中の彼女のやる気はスゴかった。セットに入ったら、もう完璧に振り付け通りに動いてみせたからね。 エヴァンス イコの言う通り、彼女の動きは完璧だった。1テイクで済むことが多かった。イコは何テイクか撮ることで良くなっていくタイプだけど、ジュリーは1テイクで完璧に仕上げる。ある意味、イコ以上に才能があるよ(笑)。
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GOGO夕張に匹敵するインパクトを放つハンマーガール。『マカブル 永遠の血族』(09)のジュリー・エステルが6カ月に及ぶ特訓の成果を発揮。
──イコさんやヤヤン・ルヒアンは前作同様に壮絶なファイトシーンを披露していますが、逆にエヴァンス監督が予定している『ザ・レイド3』でイコさんたちと互角に渡り合えるアクション俳優が果たして日本にいるのか心配です。千葉真一や倉田保昭らが活躍していた時代と違って、今の日本にはガチなファイトシーンをやれる俳優は少ないように思います。 エヴァンス 僕はね、その心配は全然していないよ! 今回は松田龍平さん、遠藤憲一さん、北村一輝さんに日本人ヤクザ役で出演してもらったわけだけど、これは決して話題づくりのためのカメオ出演じゃないんだ。『ザ・レイド』が『ザ・レイド GOKUDO』の序章になったように、『ザ・レイド GOKUDO』は『ザ・レイド3』の序章でもあるんだ。『ザ・レイド3』はますますスケールの大きな物語になるはず。日本でも大々的にロケをしたいと考えているし、日本には下村勇二という優れたアクション監督がいるって聞いている。彼は倉田保昭さんの直弟子なんだろ? それに坂口拓、武田梨奈といった素晴しいファイターたちが日本にはいるじゃないか。きっと、まだまだスゴいヤツらがいるんじゃないかな。『ザ・レイド3』は必ず作るから、楽しみにして欲しいな。腕自慢の日本人ファイターたちが『ザ・レイド3』の撮影に集まってくれることを期待しているよ。 イコ 日本で大暴れできる日が楽しみだな。『ザ・レイド3』を盛り上げるためにも、日本のみなさん、『ザ・レイド GOKUDO』をぜひ楽しんでください。 (取材・構成=長野辰次)
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『ザ・レイド GOKUDO』 監督/ギャレス・エヴァンス 出演/イコ・ウワイス、ヤヤン・ルヒアン、アリフィン・プトラ、オカ・アンタラ、ティオ・パクサデウォ、ジュリー・エステル、松田龍平、遠藤憲一、北村一輝 R15+ 配給/KADOKAWA 11月22日(土)より新宿ミラノ、丸の内TOEI、渋谷TOEIほか全国ロードショー  ※11月21日(金)は「さよなら新宿ミラノ『ザ・レイド』祭」を新宿ミラノ2で開催。トークゲストとして女優の武田梨奈、松江哲明監督が来場し、『ザ・レイド GOKUDO』のR18+ディレクターズカット版を特別上映。 (c)2013 PT Merantau Films http://theraid-gokudo.jp ●イコ・ウワイス 1983年ジャカルタ生まれ。5歳からプンチャック・シラットを習い、2005年にはプンチャック・シラット・フェスティバルで最優秀独演賞を受賞。ギャレス・エヴァンス監督作『ザ・タイガーキッド 旅立ちの鉄拳』(09)で主演と振り付けを担当。続く『ザ・レイド』(11)が全米など各国で大ヒットし、国際的アクションスターとなった。 ●ギャレス・エヴァンス イギリス・ウェールズ出身。グラモーガン大学院在籍中に、処刑を待つ侍を主人公にした日本語による短編映画『Samuai Monogatari』(03)を監督。2007年にインドネシアの伝統的格闘技プンチャック・シラットをテーマにしたドキュメンタリー番組『The Mystic Arts of Indonesia:Pencak Silat』を監督。その取材中に、イコ・ウワイスやヤヤン・ルヒアンらと出会う。2008年に「メランタウ・フィルムズ」を設立し、インドネシアを拠点に『ザ・レイド』をはじめとするアクション快作を次々と手掛けている。

東洋の神秘と西洋のオタク魂との華麗なる調和!『ザ・レイド』の続編がさらに過激に進化したッ

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インドネシア発のアクションスターとなったイコ・ウワイスとヤクザ映画を愛する英国人ギャレス・エヴァンス監督。前作に続いて、またやってくれた!
 世界中でよもやの大ヒットを記録した、インドネシア発のアクション映画『ザ・レイド』(11)。主演俳優イコ・ウワイスが操るインドネシアの伝統的格闘技シラットを駆使した超絶ファイトは、トニー・ジャーやドニー・イェンらのガチンコファイトを見慣れていたアクション映画マニアの目にも強烈なインパクトを残した。新作『ザ・レイド GOKUDO』は前作で麻薬密売組織との大流血戦に命からがら生き残った捜査官ラマが、さらにハードなミッションを背負わされる続編だ。愛する妻と生まれたばかりの赤ちゃんと過ごす幸せな時間も束の間、前作で裏社会に捜査情報を流していた汚職警官をあぶり出すため、マフィアの一員となって潜入捜査せよという極秘任務が下る。しかも、潜入先のマフィアは日本人ヤクザとの仁義を守ることで街の秩序を保とうとする父親ティオと、新興マフィアと手を組んで旧勢力の一掃を企む息子ウチョとの間に不穏な空気が流れつつあった……。名作『ゴッドファーザー』(72)をアクション満載にし、さらに潜入捜査もの『インファナル・アフェア』(01)を合体させたような壮大な裏社会サーガへと大進化を遂げているのだ。アクションのみならず、捜査官とマフィアという2つの顔を演じ分けることになったイコ・ウワイス、日本のヤクザ映画が大好きというギャレス・エヴァンス監督をクロスインタビュー。撮影中に本気のどつき合いになったという裏話や日本ロケが予定されている『ザ・レイド3』の構想まで語った。 ──『ザ・レイド』だけで充分すぎるほど面白かったのに、『ザ・レイド GOKUDO』は“前作は序章にすぎなかった!”という衝撃的な展開。刑務所での乱闘シーンあり、ド派手なカーチェイスあり、さらに『ゴッドファーザー』ばりの重厚なドラマも盛り込まれている。高層マンションで延々と戦っていた『ザ・レイド』が、これほどスケールの大きなシリーズものになるとは思っていませんでした。 エヴァンス サンキューサンキュー! 日刊サイゾーのインタビューを2年ぶりに受けることができて、うれしいよ。製作の内情を話すと、実は『ザ・レイド GOKUDO』の脚本のほうが『ザ・レイド』よりも先に出来ていたんだ。でも、観てもらったようにスケールが異常にデカくて、充分な資金が集まらなかったんだ。1年半の間、資金集めに奔走したけど、ダメだった。そこで発想を切り替えて、低予算で済むワンシチュエーションものの『ザ・レイド』を先に作ったというわけさ。『ザ・レイド』が各国でヒットしたお陰で製作費も集まり、さらに『ザ・レイド』が序章となる壮大なサーガものに膨らんだんだよ。これって、すごくラッキーなことだよね(笑)。 ──エヴァンス監督、相変わらずイギリス人と思えないほど陽気だなぁ。よほどインドネシアでの暮らしが合っているみたいですね。『ザ・タイガーキッド 旅立ちの鉄拳』(09)、『ザ・レイド』に続いて、エヴァンス監督とタッグを組んだイコさん、毎回のように超ハードなアクションに挑んでいるけど、怪我はしていない? イコ 僕はまったく大丈夫! まぁ、スタントの仲間たちもそれほど深刻な怪我はしていないよ。 ──日本とインドネシアでは怪我の基準が違うような気もしますが……。撮影は7カ月間も続いたそうですが、連日のように格闘シーンの撮影が続いて嫌になりません? エヴァンス あっ、それはあるな。アクションシーンの準備を待っている間、ずっ~と椅子に座っているんだけど、座り続けているとケツが痛くなってくる。映画監督って、ケツが痛くなる職業だよ(笑)。 イコ 僕は楽しくて仕方なかった。だって、毎日のように相手を思いっきりブン殴ることができたからね。いやいや、これはジョーク(笑)。撮影期間中は、「自分はマシンだ」と思い込むようにしていたんだ。自動車のエンジンを温めておくのと同じで、身体を温めておくとスムーズに動くことができる。だから、アクションシーンはなるべくノンストップで撮影が続いているほうが、いいパフォーマンスを発揮できるんだ。一度撮影がストップした場合は、本番前に共演者に思いっきり蹴りを入れてもらうようにしているよ。そうすれば、自分の身体にまたアドレナリンが湧いてきて、「お~し、行くぞっ!」となるからね。 ──なるほど、イコさんはアクション映画を作るための超精密機械なんですね。 イコ まぁ、そういうことだね(照笑)。格闘シーンをやる際は、相手に気を遣うよ。撮影前はなるべく親切に接するんだ。それで「本番中にパンチが入るかもしれない。でも、ほんのちょっぴり擦るだけだからね」って事前に伝えておく。それで本番では「ボンッ!」ってマジで決めちゃうわけだけどね(笑)。カメラアングルによっては、どうしてもフルコンタクトしなくちゃいけないときもあるんだ。決して、相手のことが憎くて殴っているんじゃない。もちろん、顔面を殴るときはとても注意するよ。怪我しやすいし、アザになると、撮り直しができなくなるからね。 エヴァンス 運転手役のキャストと撮影中に本気の殴り合いになったよね? あのときは僕が2人の間に入ったけど、真相はどうだったんだい? イコ あれはね~、エヴァンス、君が原因なんだぞ。彼は温厚ですごくいいヤツだったんだ。それで一発でOKにしようと思って、ガチンコで当てにいったんだ。いいパンチをもらって、彼は「うっ」となったけど、そのときは我慢してくれた。そうしたら、エヴァンスが「よし! じゃあ、もう1テイク!」って言うじゃないか。それで彼はブチ切れて、2テイク目のときに殴り返してきたんだ(苦笑)。 ──『ザ・レイド』シリーズの撮影現場は、アドレナリン大噴出で大変ですね。 エヴァンス なるべくなら、みんながアドレナリン沸騰状態のところを撮りたいよね。本気でやることでリアルなシーンが撮れるわけだけど、あまりやり過ぎて、限界値を越えてしまうと怪我人が出てしまう。どの時点でストップさせるかの見極めは、監督として重要だったよ。でも基本的に男性キャストはみんな格闘技経験者たち。多少ガチで当たっても平気な人たちなんだ。自分が弱っちいと思われたくないという心理が働くみたいで、大変なスタントをやった後も「アハハ! 全然平気だぜ~!!」ってみんな高笑いしてみせるんだ。それで僕は「本当に大丈夫?」ってひとりずつ確認して、「じゃあ、もう1テイク」って言うわけさ。 イコ エヴァンスは「大丈夫?」って気を遣うふりをするのが、すご~くうまい監督だよ(笑)。

アクション映画の撮影はオーケストラみたいなもの


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前作を生き延びた若手捜査官ラマ(イコ・ウワイス)はマフィアと接触するために刑務所送りに。獄中をサバイバルするだけで至難の技だった。
──前作から一転して、多彩なシチュエーションでのアクションを取り入れていますが、いちばん大変だったのは? エヴァンス 技術的な面で大変だったのは、後半のカーチェイスシーン。香港からカースタントの第一人者であるブルース・ローが自分のスタントチームを引き連れて参加してくれたんだ。インドネシアでここまで本格的なカーチェイスの撮影は初めて。ジャカルタ市街地の公道を完全封鎖して撮影したんで、通行止めをくらった車や通行人たちからの罵声がスゴかった。お陰でカーチェイスシーンの撮影が終わった後は、インドネシア語でどんなに罵られてもすっかり平気になっていたよ(笑)。刑務所の中庭での雨中の乱闘シーンも大変だったな。脚本を書いたときは「これは超かっこいいシーンになるぞ」と小躍りしたんだ。オランダ植民地時代の軍の古い宿舎を見つけて撮影したんだけど、雨降らしをしながらの撮影はキャスト全員が泥だらけで誰が誰だか分からないし、足を滑らせて倒れるキャストやスタッフが続出するし、せっかく撮れたと思ったら、カメラのレンズに泥がはねてしまい、もうお手上げ状態さ(笑)。1シーンの撮影のために準備に1週間、撮影に1週間も掛かったよ。 イコ 僕はこれまでシラットの大会に数多く出場してきたけど、映画の撮影はまったくの別物だね。いろんなシチュエーションのスタントに挑戦することを楽しむようにしているんだ。僕にはジャッキー・チェンみたいな専属のスタントチームがあるわけじゃないけど、エヴァンスが立ち上げた「メランタウ・フィルムズ」には前作でマッドドッグ役を、そして今回も別の殺し屋役で出演しているヤヤン・ルヒアンといったシラット経験者が多いので、普段からどうすればアクションがカメラにより映えるかアイデアを出し合ったり、練習したりしているんだ。
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アクションシーンの殺陣も担当するイコ。「カメラアングルによってはガチで当てることもあるよ。顔面は怪我しやすいから気を遣うけどね」と話す。
エヴァンス 僕らは、いわばオーケストラの楽団みたいなもの。スタッフとキャストがぴったり息を合わせることで、最高のシーンが撮れるんだ。例えば銃撃戦のシーンで、着弾の場面があるとする。1つや2つは撃たれる役のキャストが倒れながらコンドームに詰め込んだ血糊が飛び出すように自分で紐を引っ張るわけなんだけど、3つ以上になると手が足りない。そんなときは特殊メイクの担当者が現場に付いて、ワンツースリーのタイミングで血糊の紐を引っ張るんだ。昔からあるアナログなやり方だけど、1カットや1シーンを撮るために、キャストだけでなく、カメラマンも他のスタッフも全員が集中して臨むことがとても大事なんだ。アクション映画を撮る上でいちばん大切なことは、キャスト同士、そしてキャストとスタッフが信頼し合うことだね。 イコ それは同感だな。本気で殴り合っているように見えるかもしれないけど、シラットの試合のときとはかなり違う。実戦の場合は相手に対して最短距離でコンタクトするけど、撮影の場合は大きく振りかぶって間を少し置いてパンチを繰り出すんだ。そうすることでガチンコで当てなくても、観る人に痛みの伝わるファイトシーンに映るからね。ちょっと、やってみようか? こうやって、大きくテイクバックして、バチーンッとね(エヴァンス監督のボディにパンチを浴びせる)。 エヴァンス おいおい、充分に痛いよッ。 イコ アハハ、彼みたいにやられる側のリアクションがうまいと、よりいい格闘シーンになるってわけさ(笑)。

エヴァンス監督の頭の中で『ザ・レイド3』は着々と進行中!


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前作のマッドドッグ役で憤死したはずのヤヤン・ルヒアンがしれっと再登場。『仁義なき戦い』シリーズの松方弘樹や梅宮辰夫へのオマージュか?
──後半はハンマーガール、ベースボール・バットマンといったユニークな殺し屋たちが登場。三池崇史監督の『殺し屋1』(01)やタランティーノ監督の『キル・ビル』(03)を彷彿させますが、元ネタがあるんですか? エヴァンス ハンマーガールは今回どうしても登場させたいキャラクターだった。出番はそう多くないけど、インパクトあるよね? ウォン・カーウェイ監督の『恋する惑星』(94)のポスタービジュアルが元ネタなんだ。サングラスをした女性がすごくクールで印象に残っていたんで、彼女をモデルにして考えたんだ。もちろん、『殺し屋1』も僕は大好き。ハンマーガールがスマホの画面でターゲットを確認する場面は、殺し屋1がテレビモニターを見てからヤクザたちを襲撃するシーンを意識したものだよ。 イコ ハンマーガール役のジュリー・エステルはオーディションを受けて、今回の役を掴んだんだ。彼女は格闘技の経験はなかったけど、6カ月間のトレーニングを経て、ハンマーガール役を自分のものにしたんだよ。僕はアクションシーンの振り付けも担当していたんだけど、トレーニング中の彼女のやる気はスゴかった。セットに入ったら、もう完璧に振り付け通りに動いてみせたからね。 エヴァンス イコの言う通り、彼女の動きは完璧だった。1テイクで済むことが多かった。イコは何テイクか撮ることで良くなっていくタイプだけど、ジュリーは1テイクで完璧に仕上げる。ある意味、イコ以上に才能があるよ(笑)。
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GOGO夕張に匹敵するインパクトを放つハンマーガール。『マカブル 永遠の血族』(09)のジュリー・エステルが6カ月に及ぶ特訓の成果を発揮。
──イコさんやヤヤン・ルヒアンは前作同様に壮絶なファイトシーンを披露していますが、逆にエヴァンス監督が予定している『ザ・レイド3』でイコさんたちと互角に渡り合えるアクション俳優が果たして日本にいるのか心配です。千葉真一や倉田保昭らが活躍していた時代と違って、今の日本にはガチなファイトシーンをやれる俳優は少ないように思います。 エヴァンス 僕はね、その心配は全然していないよ! 今回は松田龍平さん、遠藤憲一さん、北村一輝さんに日本人ヤクザ役で出演してもらったわけだけど、これは決して話題づくりのためのカメオ出演じゃないんだ。『ザ・レイド』が『ザ・レイド GOKUDO』の序章になったように、『ザ・レイド GOKUDO』は『ザ・レイド3』の序章でもあるんだ。『ザ・レイド3』はますますスケールの大きな物語になるはず。日本でも大々的にロケをしたいと考えているし、日本には下村勇二という優れたアクション監督がいるって聞いている。彼は倉田保昭さんの直弟子なんだろ? それに坂口拓、武田梨奈といった素晴しいファイターたちが日本にはいるじゃないか。きっと、まだまだスゴいヤツらがいるんじゃないかな。『ザ・レイド3』は必ず作るから、楽しみにして欲しいな。腕自慢の日本人ファイターたちが『ザ・レイド3』の撮影に集まってくれることを期待しているよ。 イコ 日本で大暴れできる日が楽しみだな。『ザ・レイド3』を盛り上げるためにも、日本のみなさん、『ザ・レイド GOKUDO』をぜひ楽しんでください。 (取材・構成=長野辰次)
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『ザ・レイド GOKUDO』 監督/ギャレス・エヴァンス 出演/イコ・ウワイス、ヤヤン・ルヒアン、アリフィン・プトラ、オカ・アンタラ、ティオ・パクサデウォ、ジュリー・エステル、松田龍平、遠藤憲一、北村一輝 R15+ 配給/KADOKAWA 11月22日(土)より新宿ミラノ、丸の内TOEI、渋谷TOEIほか全国ロードショー  ※11月21日(金)は「さよなら新宿ミラノ『ザ・レイド』祭」を新宿ミラノ2で開催。トークゲストとして女優の武田梨奈、松江哲明監督が来場し、『ザ・レイド GOKUDO』のR18+ディレクターズカット版を特別上映。 (c)2013 PT Merantau Films http://theraid-gokudo.jp ●イコ・ウワイス 1983年ジャカルタ生まれ。5歳からプンチャック・シラットを習い、2005年にはプンチャック・シラット・フェスティバルで最優秀独演賞を受賞。ギャレス・エヴァンス監督作『ザ・タイガーキッド 旅立ちの鉄拳』(09)で主演と振り付けを担当。続く『ザ・レイド』(11)が全米など各国で大ヒットし、国際的アクションスターとなった。 ●ギャレス・エヴァンス イギリス・ウェールズ出身。グラモーガン大学院在籍中に、処刑を待つ侍を主人公にした日本語による短編映画『Samuai Monogatari』(03)を監督。2007年にインドネシアの伝統的格闘技プンチャック・シラットをテーマにしたドキュメンタリー番組『The Mystic Arts of Indonesia:Pencak Silat』を監督。その取材中に、イコ・ウワイスやヤヤン・ルヒアンらと出会う。2008年に「メランタウ・フィルムズ」を設立し、インドネシアを拠点に『ザ・レイド』をはじめとするアクション快作を次々と手掛けている。

タランティーノも大絶賛! いま注目のユダヤ人監督コンビに聞く「イスラエルと映画と、アラブ人」

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アハロン・ケシャレス(左)とナヴォット・パプシャド(右)
 「今年のナンバーワンだ!!」――。2013年の第18回釜山国際映画祭。クエンティン・タランティーノ監督は『オオカミは嘘をつく』を鑑賞後、そう興奮気味に発言した。  映画のあらすじは、実にシンプルだ。森の中で凄惨な少女暴行殺人事件が起こり、事件の真相を追う暴力的な刑事が、容疑者を特定する。教師を務め、善良そうに見える容疑者は、容疑を否認。そこに犠牲となった少女の父親が登場し、自らの手で容疑者を裁こうとする……。しかし、映画を見ている間、視聴者は何度も自らに問いを投げかけざるを得ない。「一体誰が真犯人なのか?」「何が正義で、何が悪なのか?」「残虐な復讐は許されるのか?」「3人の中で誰が救われるのか?」と。そして、ただでさえ見る者に混乱や葛藤を与えておきながら、結末で最も大きなひねりが加えられる。 「映画を見終わった後は、ガーンとやられたような衝撃、ちょっと混乱するような、それこそ、電車に轢かれてしまったような衝撃を感じてもらえれば、うれしいです」  『オオカミは嘘をつく』の監督の一人、アハロン・ケシャレスの言葉だ。彼と共に監督を務めたのは、ナヴォット・パプシャド。共にイスラエル出身のユダヤ人である。もともと大学の講師と学生の関係にあった二人は、互いを尊重し合う良きパートナーとして、脚本作りや撮影のすべての工程において、共同作業を行った。そんな二人に、タランティーノ監督をうならせた本作のことはもちろん、イスラエルにおける映画の役割、徴兵制、アラブ人への偏見など、幅広く話を聞いた。 ――釜山映画祭でタランティーノ監督に絶賛されたそうですが、そのときのことを教えてください。 ナヴォット・パプシャド 釜山映画祭に参加したときに、スタッフから「クエンティン・タランティーノが来ているのを知っているか? 彼が挨拶に来たいと言っている」と聞き、「ぜひ!」と告げると、タランティーノのほうから僕に会いにきてくれました。ロックコンサートで大スターを目の前にした女の子のような気持ちでしたね。その後、『オオカミは嘘をつく』が上映されて、タランティーノが「とても素晴らしい映画だった。役者も、とても良かった。演技も良かった」と言ってくれた。そして、「2013年最高の1本だ。ナンバーワンだ」と。もう場内は拍手喝采で、大興奮の瞬間でした。僕のキャリアの中でも、ハイライトと呼べるエピソードです。 ――本当に特別な体験だったと思います。初来日ということですが、日本の印象はいかがですか? アハロン・ケシャレス 日本映画で日本という国を知って以来、一度は行ってみたいと夢見ていました。想像していたのと同じくらいエキサイティングで楽しんでいます。昨日の夜は、しゃぶしゃぶを食べました。とてもグッドでした。あと、私は魚介類を一切食べられなかったのですが、日本ではお寿司に初めてチャレンジしましたよ。なんとか2ピースだけ食べられた。これは奇跡的なことですよ!(笑) ナヴォット イスラエルでは、あまり魚を食べないんですよ。テルアビブのような大都市であれば、お寿司も含めてシーフードを食べる人もいますが。でも宗教的な理由から、敬虔なユダヤ教徒の方は、豚肉はもちろん、魚介類もほとんど食べない人が多い。特に、貝は絶対に食べません。一部の魚は、宗教的に禁じられているわけではないんですけどね。
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――貴重な体験をされたようですね。それでは早速、映画の話に入りましょう。作中、刑事が容疑者を殴りつけて、自供を迫るシーンがありますよね。イスラエルでは国家機関などに対する表現の規制はないんですか? ナヴォット イスラエルという国は、言論の自由、表現の自由が非常に強く守られている国なんです。映画の場合、審査というものがありますけど、それは日本と同じように「R18」などのレイティングのためのもの。観客に何を見せて、何を見せてはいけないという一定のルールはあっても、アーティスト自身が表現したいことは、なんでも自由に表現できますよ。  『オオカミは嘘をつく』の中で、僕らはあるメッセージを送っています。それは、イスラエル政府に対して、「信頼が損なわれた」もしくは「失われてきている」という危機感です。政府だけではないかもしれない。教育、体制、それから警察という機関、そして徴兵制度がありますから、軍に対しての“不信”というものも表現しています。イスラエルの警察の現状を言えば、実際に汚職が非常に多いですし、かなり誤捜査や失態をやらかしてしまっている。問題は、それを正そうとする人たちがいないということ。僕たちは、それが以前からとても気になっていた。そういったことを含めて、今回の映画では、あのような描写になっていると思ってもらって結構です。いつの日か、僕たちの目の前にパトカーが止まって、「あの映画を作ったのは君たちか?」と言われるのかもしれないけれど(笑)。 ――「軍に対しての不信」という言葉がありましたが、お二人も兵役を終えているわけですよね。最近、イスラエルの若者の中で、兵役を拒否する人が増えていると聞きますが。 アハロン 人によっていろいろな理由があるから、一概にこうだとは言えません。個人的な理由があるのでしょう。ただ、私たちも軍隊を経験して思うのは、「軍はすべての人間に向いているわけではない」ということ。厳しい場所でもあるし、男性の場合は3年間もある。私は18歳のときに兵役について就いて、実際に火器を使うなど、普通の18歳の生活では絶対にしないような経験をたくさんしました。メンタル面の強さがないと、深い傷を負ってしまう場所だと思います。男女問わず、非常にストレスがかかる厳しい環境なので、すべての人に向いているわけではないんです。個人的には、軍隊は向いている人間をリクルートしていくべきではないかと考えている。本当は、市民たちが良識に基づいて、軍に行くかどうかを選択すべきではないでしょうか。それが我々の権利なのではないかと思います。  一方で、徴兵を拒否する人は、戦争に対しての意義を見いだせないのではないかと感じます。そのあたりのメンタルというのは、やっぱり20年前とは違ってきている。以前は、自分のアイデンティティとして、軍に入り、国のために戦うという人が多かった。それは、かつての日本やベトナムのように。「良い国民であるためには、国のために命を捧げて戦わねば」と本気で思っていたわけで、そうできない人は“足りない人”という思想ですね。しかし、そんなエートス(精神)自体が変わってきていて、私たちの世代や、さらに下の世代の人たちにとっては、国のために戦うことが自分のアイデンティティにはなりません。国のために貢献できることなら、ほかにもいろんな形があるという考え方ですね。軍が自分のアイデンティティとつながっていないから、兵役を拒否するという選択をしているのではないでしょうか。
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――イスラエルが複雑な情勢にあることは理解しています。そんなイスラエルで、映画が果たす役割をどう考えていますか? ナヴォット まず、5年くらい前までのイスラエル映画というと、教育的な側面がとても強かったんです。イスラエルの現状や近隣諸国との関係というものを世界の人々、あるいは自分たちが理解する手段として、映画がひとつの役割を担っていたと思います。イスラエルという国で、イスラエル人として生きるとはどういうことなのか――。そんなことを問いかけるような内容でした。当然、内容はパレスチナ紛争絡みであったり、近隣諸国との軋轢であったり。戦争とはどういうものなのかが描かれる映画ばかりが作られていました。 アハロン 一方で、パーソナルな家族ドラマというものも、それなりに作られていました。ただ、どちらかというと機能不全な家族が描かれることが多く、小津安二郎監督がかつて作っていたような作品も作られていました。びっくりされるかもしれませんが、イスラエルでは数年前までロマンティックコメディも作られていなかったんですよ。だから、愛についても学ぶことができない。それはおかしなことですよね。日本であれ、ロシアであれ、どこの国であれ、ラブストーリーはもちろんあるし、それが映画になるというのはごく当たり前のことですから。  でも最近は、変わってきました。恋愛映画はもちろん、ホラー、サスペンス、ファンタジーと、非常に多種多様なジャンルのイスラエル映画が登場しています。さまざまな側面から、イスラエルという国の顔がうかがえるような映画が作られているんですよ。映画の役割は、本当に増えたと言っていいと思います。 ――なるほど。映画の中で、「アラブ人だけだから危険な地域だ」「アラブ人はみんな殺人鬼に見えるのか」というセリフがありました。アラブ人を揶揄するような表現が出ていますが、偏見はあるのでしょうか? アハロン 近隣諸国を含め、イスラエル国内でもユダヤ系の人とアラブ系の人がいる現状の中で、偏見というものはもちろんあります。それは、何よりも映画の中でより顕著かもしれない。というのも、イスラエル映画の中に出てくるアラブ系の登場人物は、ほぼ確実に“被害者”か“テロリスト”。非常にステレオタイプに描かれることが多くて、普通の市民として登場することは、ほとんどないです。ですから、『オオカミは嘘をつく』を作るときに、私たちはあえてみんなの思い込みや偏見を翻してやろうと考えました。それで、今回のアラブ人のキャラクターになりました。本作の中では、殺し合いをするのはみなユダヤ人で、唯一正気を保っているのがアラブ人という構図になっています。  エルサレムで自爆テロが頻発していた時期に、たまたま現地にいたんですが、自爆テロの犯人は、アラブ人たち。バスに乗るたびに「アラブ人はいないか」と探している自分も確かにいた。そういう環境を経験してしまうと、アラブ人全員が怪しいと猜疑心を持ちやすくなってしまうんです。特にテロが頻発し、緊張が高まっているときは、その猜疑心がますます強くなります。でも、私は大学の教員として映画を教えていたので、学生の中にアラブ人もいましたし、普通に交流もありましたよ。 ――日本では、いよいよ11月22日から公開が始まります。楽しみにしているファンに、何か伝えたいことはありますか? ナヴォット 予習や心の準備を一切しないで見てほしいです。この映画はひねりとか、サプライズとか、すごく展開を見せるものなので、何も知らずに見たほうが楽しんでいただけるのではないかと思います。 アハロン 自分自身も、日本や他国の映画を見るときは、それこそプロットも知らないで見るほうが好きなんですよ。「イカれた映画監督が作った」という情報だけで見るほうが楽しめるし、『オオカミは嘘をつく』もそれは同じ。あまり情報を入れずに、見ていただきたいです。 (取材・文=呉承鎬) ookamiSUB0.jpg ●『オオカミは嘘をつく』 監督・脚本:アハロン・ケシャレス/ナヴォット・パプシャド  キャスト:リオール・アシュケナズィ/ロテム・ケイナン/ツァヒ・グラッドほか 配給:ショウゲート 11月22日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開 <http://www.bigbadwolves.jp/> (C) 2013 Catch BBW the Film, Limited Partnership. All Rights Reserved.

「空気を敏感に察知しながらボーッとしていた」元・大リーガー石井一久“ゆるい生き方”の極意

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 1991年にドラフト1位でプロ野球・ヤクルトスワローズに入団。その後、アメリカに渡ってロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・メッツでも活躍。プロ22年間で日米通算182勝を挙げた伝説の大投手・石井一久。  そんな彼は、その立派な実績とは裏腹のユルユルなキャラクターでも有名だ。10月9日、『ゆるキャラのすすめ。』(幻冬舎)という本を出版した。この本では、ゆるく生きるための石井流の仕事術・人生哲学が紹介されている。球界随一の「ゆるキャラ」石井が、この本を通して伝えたかったこととは何なのか? ――この本のテーマを一言で言うと、「いつも全力を出す必要はない。大事な場面で、きっちり仕事をすればいい」ということですよね。 石井 そうですね。例えば、10個の頼まれごとがあったとしたら、10個全部をきっちりやらなきゃいけないわけじゃないんです。10個のうち1つが大事だったら、そこだけは完璧にやって、頼んできた人の期待の上を行けるような答えを返した方がいい。そうすれば、ほかの9個はそんなに大した返しをしなくても、きちんと評価されますから。 ――石井さんは投手としてマウンドに立っていたときにも、クリーンナップには全力を出すけれど、それ以外のところでは力を抜いていたそうですね。 石井 クリーンナップの強打者を全力で抑えれば、「ほかの人には、そこまで全力を出してないんだ」っていう目で見られるじゃないですか。まだまだ余力があるなっていうのをほかの人に見せたいんですよね。クリーンナップだけ全力でやっていれば、ほかの人を相手にしているときに力を抜いていても、人は上積みを見て期待してくれるじゃないですか。その方が疲れないから、シーズンを通して一定のパフォーマンスが望めますし。 ――全力を出すというのは、具体的にはどういうことですか? 石井 周りの人が求めていることをやる、ということですね。監督、チームメイト、ファンの人がいま何を求めてるんだろう、って。ファンの方は常に勝ってほしいと思ってるんですよ。だけど、ここぞというところでは、「勝ってほしい」の上を望むものなんですよ。今日は絶対負けられないぞ、って。でも、石井だったらやってくれるはずだ、と。やってくれるはずだっていうところでやらないのは許されないから、そこは絶対逃したくないですね。 ――石井さんはヒーローインタビューのときに、ファンの人へのメッセージとして、自分が飼っている犬の話をしていたそうですね。 石井 あそこで野球の話をしても、つまんなくないですか?(笑)マニュアルがあるのかな、って思っちゃうんですよね。みんなが同じようなこと言うだろうなって思ってることを、なんでわざわざあんな場所でやるのかな、って。 僕は、せっかく球場に来てくれたんだから、楽しんで帰ってほしいんですよ。人によっては、決まった言葉を聞いて、「楽しかった」って帰る方もいると思うんですけど、それは違う人のときに聞けばいいですから。僕のときには違う楽しみ方をして帰ってほしい。 ――石井さんは、もともと野球が好きじゃなかったそうですね。 石井 そうですね、あんまり好きじゃなかったです。中学の頃まではサッカーの方が好きでした。 ――野球の、どういうところが嫌いだったんですか? 石井 疲れるじゃないですか。 ――(笑)サッカーも疲れそうですが……。 石井 サッカーは、好きで疲れるからいいんですよ。野球は、そんなに楽しくないのに疲れるから。ただ、内に秘めた負けず嫌いはあったので、そこさえぶれなければ、たぶんうまくなれるんですよね。 たとえ嫌いでも、負けたくない気持ちと、うまくなりたい気持ちがあれば成立すると思うんです。やりたくない仕事だなあとか思うことがあっても、そこに負けず嫌いな気持ちと努力さえあれば、その職業で「できる人」にはなれると思うんですよ。
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――それも分かるんですが、石井さんが野球嫌いだったのにプロ野球選手になることができたのは、やっぱり才能があったからじゃないか、と思われることが多いと思います。そんな石井さんにとって、「才能」とはどういうものだと思っていますか? 石井 今の話と矛盾しちゃうかもしれないですけど、努力すれば必ず達成できるっていうわけではないと思うんですよ、野球に限っては。野球って、やっぱりある程度選ばれた人がやるものですから。 よく小さい子どもが「プロ野球選手になりたい」って言うじゃないですか。僕は「無理かもしんないよ」とは言うんですよ。プロ野球選手になれる人は少ないから、努力したからって必ずなれるわけじゃないんだよ、って。 でもやっぱり、努力をすることは大事。中学、高校ぐらいまで努力して、それが実らないとなったら、そこで初めてあきらめればいい。僕自身、中学まで野球はずっと補欠でしたから。高校で急激にうまくなったんですけど、その間も、ずっと努力することだけは忘れてませんでした。そこで開花した自分の経験談から言うと、高校ぐらいまではちゃんと努力した方がいい。それでダメだったとしても、そこまでの努力は必ず、別のステージに向かうときに役立ちますから。そこからまた違う夢を見つければいいんですよ。 ――野球の世界では、上下関係が厳しいというイメージがあります。そういうところで石井さんのような自由奔放なキャラクターだと、上の人に目を付けられていじめられたり、しごかれたり、怒られたりすることはなかったんでしょうか? 石井 一切ないですね。昔はみんな先輩にボコボコに殴られてたとか、グラウンド何十周させられたとか、武勇伝のように語る人がいますけど、そんなのがあって楽しかったのかな、って思っちゃいますね。僕はあんまりないです。高校1年のときにも、3年生に親しい先輩がいて、いつもそこにくっついて帰っていたので大丈夫でした。 プロに入ってからも、何をやっても「まあ、石井だったらしょうがねえな」って思われることが多かったんです。あいつボーッとしてんな、って。まあ、実際ボーッとはしてるんですけど(笑)。でも、一応周りの空気は敏感に察知してるつもりなんですよ。その上でボーッとしてるから、あいつに何言っても仕方ないな、と思われたら勝ちなんです。だからこそ、やるべきときには絶対やらないといけないっていう気持ちはありますよ。そこを逃したら、本当にただのボーッとしてる人になっちゃうので。 ――この本は、どういうふうに読んでもらいたいですか? 石井 僕もまだ41歳ですけど、世の中にはいろいろな生き方があるから、こういう生き方もチョイスの1つとして持っていただけたらいいなあと。ゆるくても人生うまく転ぶこともあるんだ、だからあんまり肩ひじ張らずに行ってもいいのかな、って思ってくれる人がいればいいかなと思いますね。 (取材・文=ラリー遠田/撮影=名鹿祥史)

「“金目”ですべてが解決するのか――」原発事故から3年半……原発避難自治体・双葉町を引き裂く“分断”と内部対立

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(C)ドキュメンタリージャパン/ビックリバーフィルムズ
 2012年に公開されたドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』は、原発事故をきっかけに、埼玉県加須市の旧騎西高校に避難所を設置した福島県双葉町の姿を追う作品だった。今回、この続編となる『フタバから遠く離れて 第二部』が公開される。12年の正月から14年8月まで2年8カ月を密着し、避難所の閉鎖、町長の解任、そして中間貯蔵施設の受け入れ問題など、双葉町に起こったさまざまな変化と、その変化がもたらした心の中の葛藤が映し出されている。  東日本大震災に関する報道は日々激減し、世間的にもその関心も薄れつつある。今、この映画を見ることによって、我々が得られるものとはいったいなんだろうか? 監督の舩橋淳氏を取材した。 ――第一部から2年を経て、『フタバから遠く離れて』の第二部が公開されます。まず、本作を撮ろうと考えたきっかけを教えてください。 舩橋淳監督(以下、舩橋) もともと前作の製作段階から、双葉町のみなさんが安心して暮らしていける場所に落ち着くまでは撮り続けようと考えていました。ですから、第一部が終わった後も、撮影を続けていたんです。現在でも仮設住宅で生活している人はたくさんいらっしゃいますし、とても安住しているとは言えない状況です。 ――第二部を撮るにあたって、第一部との違いを意識されましたか? 舩橋 前作では、これは原発避難民だけでなく、東京で電気を消費してきた我々にとっての問題でもあるという「当事者意識」が大きなテーマでした。第二部でも同じ視座は保っていますが、新たに湧き上がってきた、さまざまな形で原発避難民を引き裂く「分断」という問題にフォーカスしています。放射能によって逃げる人と逃げない人という分断が生まれ、放射線量に基づいて避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域という3つの区分が生まれています。これに応じて賠償額も変わってくるので、「通りの向かいに住んでいた○○さんは、うちの倍も賠償をもらっている」という心の中の分断が生まれる。そして、現在問題となっている「中間貯蔵施設」もまた分断を生み出します。双葉町の10分の1となる5平方キロメートルを中間貯蔵施設にしようと国が求めているのですが、この建設予定地に土地を持っている人は、国が土地を買い上げる予定です。双葉町の人の中には「双葉に戻れるかわからないから、いっそのこと土地を買い上げてほしい」と思っている人もいます。中間貯蔵施設の予定地だけが先に買い上げが始まり、補償をもらえる。町の中で、補償をもらえる人ともらえない人とで分かれてしまう。 ――さまざまな政策が町民の分断という形で働いて、結果的に地域コミュニティのまとまりを壊していく。 舩橋 大飯原発再稼働を差し止める福井地裁の判決では「人格権」(個人の人格的生存に不可欠なものを保護する権利)という言葉が使われましたが、コミュニティを分断され、仮設住宅に放り込まれてしまうのは人格権の剥奪です。石原伸晃大臣が「金目の問題」という失言で批判されましたが、人格権を剥奪した結果、「金をやるからいいだろう」という話になっているんです。そもそもすべきことは、何年たって戻れるかわからないけど、新しい町を作ってみんなが一緒に住んでいた双葉の文化環境を移築することではないでしょうか。まさに、これを「金目の問題」として片付けようとしているんです。  例えば、双葉町が歩んできた歴史であったり、何世代にもわたって続いてきた家が培ってきたものは、はたして金で買えるのか? 日本は文化水準が高い国だと思っていましたが、実はこんなに低かった。「お金で買えないもの」とよく言われますが、いざとなると全部お金の問題になってしまうんです。
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旧騎西高校を去る、井戸川克隆前町長
――双葉町をめぐるトピックとして驚かされたのが、2013年の井戸川克隆前町長に対する不信任案の可決でした。この映画にも当時の様子が描かれていますが、井戸川氏へのわだかまりは以前からくすぶっていたのでしょうか? 舩橋 ずっとありましたね。双葉町民のうち、半分は福島県内に避難しているんですが、井戸川町長は埼玉県加須市に役場機能を移していました。それで、特に福島にいる双葉町の住民から「なんで福島県内に役場がないんだ」という話になっていたんです。井戸川さんが町長だった時代に、役場を埼玉から福島に移転することが決定されてしまいますが、この決定を(井戸川さんは)「議員の圧力」と話しており、本人は「福島県内には住めない」という姿勢でした。 ――井戸川氏に代わって、伊澤史朗氏が町長に就任しました。これによって、どのような変化が町に起こったのでしょうか? 舩橋 伊澤さんが井戸川さんと大きく異なるのは、「福島に戻るのが一番いい」という考えです。公営住宅も福島県内に設置しようとしていて、双葉町は福島県の自治体だから福島で一緒に暮らしていこうという立場。ですから、加須に残っている人との温度差は生まれています。  一方、井戸川さんの時代は、町長と議会に大きな溝があったんですが、伊澤さんはもともと議員なので議会と町長の距離はものすごく近くなりました。伊澤さんは、井戸川さんよりも情報をオープンに流すようになっているため、評判もいい。もちろん、井戸川さんも町のために尽力されてきましたが、コミュニケーションの面では十分でなかった点もあり、それが内紛を生んだのです。 ――今作の中でも特に印象的だったのは、仮設住宅に住む人々が「避難所にいる人は2万円多くもらっている」と強い口調で不満を語っているシーンです。同じ原発避難民に対してネガティブな感情がぶつけられるというのは、ショッキングでした。 舩橋 避難所では、電気、水道、ガスなどが全部無料。また、同じ教室で共同生活をしているから、という理由でほかの被災者よりも2万円多く補償がなされていたんです。光熱費を自腹で支払っている仮設住宅の人からすると「これだけ自分たちは多く支払っているのに……」という不平等感がある。その不平等の一番わかりやすい部分が「プラス2万円」という金額なんです。  俯瞰すれば、より悪いのは国や東電かもしれませんが、そこに盾突いても仕方ないという気持ちが原発避難民の中にあります。だから、目の前にいる人々に文句を言うしかない。町長や議会、避難所の人々への不満が蓄積し、井戸川前町長の不信任や2万円の差に対する不平に結びついてしまった。
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舩橋淳監督
――撮影中、一番難しかったのはどんなところですか? 舩橋 原発避難民のみなさんとも仲良くして、「また来ないの?」という電話をもらったりする関係になっているので、撮影をすること自体は苦にはなりません。ただ難しいのは、町の内部対立をどう描くのかということ。映ったものをどのように使うかは僕の判断であり、もしかしたら、「悪者」として映ってしまう町民もいるかもしれません。ただ、映画を見た人は、本当に悪いやつは違う場所にいると感じてもらえるんじゃないかと考えています。なぜ同じ町で仲良く暮らしていた人が、互いに対立しなければならない状況になってしまったのかを感じてほしい。 ――これまで、監督は3年半以上にわたる長期取材を行ってきましたが、ここまで時間をかけたからこそ見えてきたものはあるのでしょうか? 舩橋 一度足を運んだだけでは、どうしても聞けない話があります。長い時間接していると、賠償の金額、東電や政府に対する批判だけではなく、自分が本当に大切だと思っていることを話してくれるんです。心の奥に感じているものは、本当に心を許さないと吐露してもらえません。映画の中で、あるおばあさんが涙ながらに語られていましたが、「16代にわたって続いていた家が奪われた気持ち」は、時間をかけて通い、一緒にごはんを食べたり無駄話をしてきたからこそ、吐露してもらえたのではないかと思います。 ――報道番組では決して聞けない話がある。 舩橋 報道は言語化できるものを追い、映画は言語化できないものを追います。例えば歴史や時間の重み、コミュニティが失われていく感触、廃校の美術室でみんなで暮らしている感覚なんかは言語化できないもの。それを、当事者に近い感覚として人生を追体験できるのがドキュメンタリー映画の深みだと思います。  ただ、当事者の気持ちを100%理解することは本当に難しい。ある原発避難民から「全部流されて何もないということがわかるか? 墓参りに行っても何もないんだぞ」と言われ、もちろんその感覚はわかっていたつもりだったんですが、8月の広島土砂災害でうちの墓が流されてしまったんです。祖父母とのつながりが根こそぎ奪われ、何もなくなってしまった。「あ、あの人が言っていたのはこれか……」と、そのとき初めて心の底から実感することができたんです。他人事を我が事として実感するのはとても難しい。だからこそ、観客にとって自分のことのように思えるような映画を作る意味があるんだと信じています。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●『フタバから遠く離れて 第二部』 監督/舩橋淳 テーマ音楽/坂本龍一「for futaba」 撮影/舩橋淳、山崎裕 音楽/鈴木治行 プロデューサー/橋本佳子 配給/Playtime 宣伝/佐々木瑠都 11月15日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー <http://nuclearnation.jp/jp/part2/

イカ天でバンドを辞めた! 震災で怒った! 元ビークル日高央が新バンドを立ち上げたワケとは

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THE STARBEMS
 テレビアニメ『BECK』(テレビ東京系)の主題歌を担当し、謎の覆面音楽集団として人気を博したBEAT CRUSADERSの日高央(ヒダカトオル)率いるPUNKバンド・THE STARBEMS(ザ・スターベムズ)の新作『VANISHING CITY』(ヴァニッシング・シティ)が、11月12日に発売された。ウルトラセブンや仮面ライダーなどの特撮ロケ地としても知られる茨城の採石場で撮影したというミュージックビデオもすでに解禁され、ラウドでPOPな新作の一端が明らかになっているが、その新作はもちろん、ビークル結成から解散、新バンドの立ち上げまで、日高のこれまでの音楽人生や音楽観をあらためて尋ねてみた。 ──日高さんといえば、お面をかぶったあのビークル(BEAT CRUSADERS)のイメージがパッと浮かぶわけですが、近年は「MAN WITH A MISSION」をはじめ、ビークルを受け継ぐような新しい覆面バンドが次々に登場しています。彼らの成功を見ていると、ビークルはまさにそのジャンルの先駆けだったのでは、と思いますが。 日高 結果的に、ですけどね。でも、それ以前にも覆面で活動していたバンドはもちろんいましたけどね。 ──ビークルでお面をかぶって活動し始めたきっかけというのは、なんだったのでしょう? 日高 デビュー前、LD&Kというインディーズアーティストを扱う音楽レーベルに勤めていて、当時、会社にバレないように、とかぶり始めたのがきっかけだったんです。 ──隠れるつもりが、逆に注目を集めてしまったわけですね。 日高 そうです。最初はこんなに売れると思っていなかったので、予想外でしたよね。お面なんて、半分シャレみたいなもんでしたから。「サラリーマンバンドマンが、顔隠して匿名でパンクをやりまーす」って。そのほうがYMOみたいでかっこいい、って思っていたんですよ。YMOも最初、誰が坂本(龍一)さんとか、わかんなかったじゃないですか。みんなサングラスして、人民服着て。そんな感じがいいなって、軽いノリだったんです。 ──会社にバレた後も、結局顔を隠して活動されていました。 日高 そういうスタイルが好きだったというのもありますね。あと、隠していたほうが都合のいいことも多かったんですよ。AVとかも楽に借りられますしね。風俗行ってもバレないしね(笑)。顔が有名になったって、いいことなんて何もないですから。 ──前述の「MAN WITH A MISSION」に関しては、日高さんがメンバー説というのも出ました。 日高 ありがたいお話ですけど、よく聴けば違いは分かりますよね(笑)。かわいい後輩たちです。覆面バンドでは、彼らを越えるようなインパクトのものは、もうなかなか現れないでしょうね。でも、お面をかぶってパフォーマンスって、俺もやっていた経験から、気の毒だなとも思いますよ。ライブとか大変だしね。あと、顔が見えてないのにかっこいい、かわいいとか言われてね。そんなかわいそうなことってないんですよ。ビークルもそうでしたが、お面を見て「日高さんかっこいい」ってブログにコメントされてもね、どう応えていいかわからないんですよ。 ──日高さんの話に戻りますが、そもそも音楽を始めるきっかけってなんだったんですか? 日高 小さい頃はモンキーズやビートルズが好きだったんですけど、中学校の時にラフィンノーズが出てきて、その影響から自分も一気にパンクにいっちゃったという感じでしたね。YMOも同時期に出てきて、ロック、パンク、テクノを同時進行で好きになっていって、自分もバンドを始めるようになったと。
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──ラフィンノーズって、ビークルと比較するとちょっと意外な感じもするんですが、どんなところが好きになったんでしょう? 日高 ライブの映像を最初に見たんですけど、地下のライブハウスで演者も客席の人々も有象無象に暴れ回るっていうね。そこだけ切り取ると怖いんですけど、でも、お客さんがみんな楽しそうにしているのが当時、衝撃だったんです。楽しそうに、もみくちゃになっているっていうね。あんなにおしくらまんじゅうして、なんで楽しそうなんだろうって。そういうのが、テレビに出てる歌手のコンサートと比べると、すごくリアルに見えたんですよ。 ──U.Kパンクからも強い影響を受けたと聞きました。 日高 1980年代に多感な時期を過ごしたんです。D-BEATっていうパンクの2ビートが始まったころで、ラフィンノーズからU.Kパンクにも興味を持つようになりました。歌謡曲とは違うビートの曲を初めて聴いたなっていう衝撃……そのスピード感が、童貞だった自分の持て余すような気持ちを刺激したんです。 ──テレビで流れる歌謡曲などは好きではなかった? 日高 8ビート自体が、あまり好きじゃないんですよ。みんなで手拍子しながらというのとかね。すごい速いか、すごいメロディアスかっていう、そのどっちかをいつも聴いていました。当時はやっちゃいけないことをやっている音楽のほうが、面白かったんです。反体制がかっこいい時代で、もろにそういう影響を受けていましたね。肩を組んで、みんなで歌おうみたいな世界観は今でも嫌です。 ──80年代も終わりになって、今度はイカ天ブームが来ましたが、イカ天のバンドはなぜか苦手だったとか。 日高 誰でもやれちゃダメなんですよ。誰でもやれると思わせるのは大事ですけど。見ず知らずのやつが楽器弾きましたって言って、それを聴かされてもいいわけがない。いくら選ばれているとはいえね。あの時代のビートパンクとかも嫌いじゃないですけど、影響はまったく受けてないです。彼らのようになりたいと思ったことは、一度もないです。当時の(学校に行きたくないみたいな)音楽的な思想もね。だって、学校の窓ガラス割ったって何も変わりやしないですからね。 ──イカ天が嫌で、一度バンド活動も辞めてしまったとか。 日高 辞めちゃいましたね。バンドがはやっちゃったんでね。バンドブーム的なことは、その後も全然好きじゃないんですよ。ブームでよかったことは、今まで何もないと思っています。ナタデココとかティラミスがはやっても、何もいいことなかったでしょ? ──バンドを辞めていた空白の時代は、何をやっていたんですか? 日高 バイトですね。モスバーガーです。社員よりお金もらっていましたよ。 ──その後、単身アメリカへ。 日高 大学を出た後ですね。アメリカに行く時には、バンドへの情熱も戻っていました。音楽業界に進むことを前提に、アメリカの音楽事情を勉強しようみたいな。英語ができたほうが、外資系の取引とかいいだろうって。あと、英語で歌を歌いたいっていうのもありましたし。
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ビークル時代
──当時のアメリカは、どんな音楽がはやっていたんですか? 日高 90年代に入っていて、KornやPearl Jamがはやっていましたね。カート・コバーン(Nirvana)が死ぬか死なないかの時。グランジの全盛期です。ライブは毎日行きましたね……。面白いと思ったのは、手当たり次第。雑誌とか見て、ちょっと面白いなって思ったら即行くっていうね。向こうって、ライブが高くても1,000円くらいなんですよ。日本よりも全然安くて、バンバン行けたんです。 ──その頃、バンド活動は? 日高 アメリカ時代はしていないですね。まず、ライブを浴びるように見ていたんです。アメリカは日本と違って、バーとか、カフェの軒先とか、お店のスペースを使ってライブをするという感じのが多かったので、スピーカーとか機材とか、たいした設備はなくて、その中でみんな良いライブをやっていて、感銘を受けましたね。機材の不十分を演奏で補っていくっていう発想に、びっくりしたんです。日本人って、たとえば演奏がヘタだったら機材を買うとか、教則本を買うとか、足し算で考えちゃうじゃないですか。向こうは最初から引き算で考えていく。モニターはないです、とか、スピーカーがないです、アンプがないです。ドラムがないです、どうしますか? ってなると、向こうの人はそれでもやりたいから持ち込むし、なければないで自分の技術で補っていく。そういうところは、日本人は外国人に負けていると思いましたね。 ──アメリカから帰国して、LD&Kに入社。音楽業界の裏方で働くようになるわけですが、裏方って、具体的にどういうことをやっていたんですか? 日高 いろんなことを全部やりましたよ。当時は3~4人しかいない会社で、何アーティストも担当するわけですから。自分はガガガSPとか、つじあやのちゃんのライブ現場を担当していましたね。ライブの会場でセッティングの手伝いしたり、取材の時はマネジャーみたいなことをしたり、レコーディングの時はローディみたいなこともしていました。レコード店への営業にも行きましたし。その当時は、自分がミュージシャンでプロとしてやっていくという気持ちは、まったくなかったんです。 ──その後、ビークルを結成。バンド活動を本格的に復活させるわけですけど、インディーズ時代のビークルの人気は本当にすごかったと聞きました 日高 4万枚くらいCDを売りました。当時でもすごい数字だったと思います。それで、会社にはすぐにバレちゃって(笑)。大らかなインディーズレーベルだったので、バレてビクビクするとか、そういう感じではなかったですけどね。いまだに当時担当していたアーティストから「日高さん、僕らのことやらずにビークルばっかりやっていたんじゃないですか」って言われますね。 ──インディーズでの人気を経て、その後メジャーデビュー。インディーズでずっとやっていて、メジャーへの抵抗感ってなかったんですか? 日高 メジャーは、好きではなかったですね。でも、メジャーに行ってもないやつがメジャーの悪口言っているのも違うなって思ってたんです。かっこよくないなって。もちろんインディーズの美しさはありますけど、誘われもしないのに「メジャーはクソ」って言うのも違うなと。ビークルの時はメジャーに行ったとしても、いつまでいられるか試せばいいじゃないか、逆に自分で変えられることがあれば変えていきゃいいじゃないかって思ってデビューを決めましたね。今は、どこまでプロとしてやっていけるか試しているところです。基本、音楽で食うだなんて、こんな面倒くさいことはないと思っていますからね。
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──ビークルは英語で歌うバンドでした。英語詞に違和感を持つ人も多かったのでは? 日高 そうでしょうね。でも、自分はYMO育ちだったんで、そんな声は全然無視ですよ。海外進出も視野に入れていたというのもありますけど、外国人が聴いたときの印象と、日本人が聴いたときの印象が同じというのがよかったんです。日本人だから絶対日本語でならなきゃならないというのもないと思うし、日本語の曲は歌詞が先に捉えられちゃう。そういうレトリックに巻き込まれるのが嫌だったんで、歌っている内容に共感してもらうのも大切なんですが、そこに捉われて曲の評価が後回しになるのは、音楽として本末転倒だと思っていたんです。 ──そして『BECK』の主題歌「HIT IN THE USA」で、ビークルは一躍全国区に名前を知られるアーティストになるわけですが。 日高 メジャーデビューした頃は、タイアップでパンチが出せた最後の時代なんです。『BECK』もタイアップでしたが、あれはでかかったですよね。もともとテレ東のアニメ枠で『BECK』をアニメ化するっていう時に、漫画はもちろん読んでいましたけど、それが当たるとは自分らも周囲も誰も思っていなかったんです。深夜だし、こういう話があるけどどうですか? って聞かれて、「やりたいに決まっている」って気軽に言ったら、話もあっさり決まってね。それがまさかあんなに当たるとは……。ラッキーでしたね。最初は、アニメファンにちょっと知ってもらえるかな、っていう感じで受けさせていただいたんですけどね。 ──当時、20万枚のヒットになったんですよね。ヒットの実感ってありましたか? 日高 ありましたね。いまだにありますよ。いまだに『BECK』好きですとか言われますしね。俺が描いたわけでもないのに(笑)。その曲しか知らない人も増えていくわけで、その曲を「これぞビークル」とか言われちゃうわけです。そういうのも売れるメリットデメリットなんだろうなって思いますけど、活動的には楽になりました。予算も出るようになって、ツアーもお客さんが入るようになり、グッズも売れるしってね。でも、売れちゃったことで、逆にバンドが短命になったという気もします。 ──解散は2010年。理由はいったい、なんだったんですか? 日高 売れてしまったことで、自分たちが単なる、仮面のポップな面白おじさんみたいになっている気がして、逆にもっとエクストリームにしたいって思っていたんです。もっとハードなことをやろうって。でもメンバー的には、それは違うんじゃないか? って話になってね。音楽の志向性が合わなくなっていたんです。それぞれ、もっとエレクトロに振り切りたいとか、もっとポップに振り切りたいとか、歌ものがいいんじゃないかとかね、まとまらなくなっていた。売れたことで、いろんな方向性が見えすぎるようになっていたんです。 ──解散が精神面に与えた影響は大きかったのでは? 日高 失恋みたいなものでしたよ。やっぱり悲しかったです。自分で始めたことだったのでね。でも、メンバーがやりたくないものを無理やりやらせるのも悪いし。 ──バンド解散後、THE STARBEMSを結成。その後、素顔をさらして活動していくわけですが。 日高 そうです。お面以外の手って、もう素顔しかないですからね。名前も「ヒダカトオル」とカタカナにしていたものを漢字に戻しました。ビークルの時はポップに見えたほうがいいというのでカタカナにしていましたが、もうそうする必要もないのでね。素顔に感しては、さすがに慣れるのに時間がかかりました。写真撮られるにしても、お面って楽でしたから。お面つけているから動きも大きくできた、というのもありましたしね。 ──THE STARBEMSについては、そもそもどういうコンセプトで立ち上げたんですか? 日高 とにかくハードなものをやろうと思って立ち上げたんですけど、立ち上げの直前に震災(東日本大震災)がありまして、それで少し雰囲気が変わってしまいましたね。最初は明るくポップなラウド集団というイメージだったんですけど、震災以降にラウドをやるにも、大義名分が必要な空気になってしまったんです……。どの音楽もそうだったと思いますが。自分の中でも、そうしないと納得がいかなくなっていて、ただ単に楽しく「わーってやりましょう!」っていうのも、このタイミングでは違うなって思ったんです。震災直後に弾き語りの企画で、郡山とか福島とか、3カ所くらい東北を回ったんですけど、実際に惨状を目の当たりにすると、「生半可な気持ちじゃあかんな」って思い直しましたし、ビークルで行かなくてよかったですね。お面かぶって「オマンコール」なんて無理ですよ。価値観も変わってしまったし、震災を経て初めて自分の中で浮き彫りになったこともたくさんあって、あらためてビークルを辞めるべきタイミングだったんだなとも思いました。 ──THE STARBEMSの1枚目(『SAD MARATHON WITH VOMITING BLOOD』2013年6月発売)が発売されて、かつてのビークルのファンの反響はどうだったんでしょう。 日高 良くも悪くも、ビークルを期待していた人はきれいにいなくなりましたよね。でも、ゼロからのスタートでいいって始めたんで、ビークルのファンに聴いてほしくないわけじゃないけど、同じことを期待されても……というのはあります。年々、うるさいじじいになりたいって自分は思っているんでね。ビークルっぽい曲もあるとは思いますけど、ビークルっぽいのは期待しないでね、というのが正直な気持ちです。
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ライブの様子
──近年はメロン記念日やBiSはじめ、アイドルへの楽曲提供の仕事も多くこなされていますね。 日高 BiSとか大好きです。もともとああいうメジャーでありながらアンダーグランドな人たちって、すごく好きなんです。不遇なアイドルを、作り手としてなんとかしたいというのがあってね。象徴的なのはメロン記念日。俺、ハロプロでメロン記念日が一番好きだったんですよ。なぜなら、かわいそうだから(笑)。平家みちよの妹分でデビューしたけど、平家みちよはデビュー後すぐいなくなって、モーニング娘。だけどんどん上昇していってね。そのギャップが面白くて。不遇なアイドルって面白いな、って。なんかほっとけないなって。 ──発売されたTHE STARBEMSの新作『VANISHING CITY』について教えてください。 日高 ファーストは震災後の社会に対して、ただただ「怒り」だったんですけど、ここからは「笑いながら怒ろう」って。竹中直人さんばりにね(笑)。すげえ笑いながら近づいてくるんだけど、よく見たら怒っているみたいな。そういうポップさにしたいなって。前はビークルから離れたかったんで、ビークルっぽい曲ができてもボツにしていましたけど、今回はイキにしているのも自分的には面白いところです。ビークルじゃんって言われても、まあいいやって開き直れるようになったんです。作っている人が一緒なんで、しょうがないってね。 ──ありがとうございます。最後に、ファンに一言お願いします。 日高 今は、ジャンルの細分化などで、リスナーが音楽を選ぶのが結構面倒くさい時代で。いろんなものがありすぎて選ぶにも選びにくい時代だと思うんですけど、THE STARBEMSの新作は、内容もリスナーを選ばないポップさになっていると思うので、なるべく多くの人に聞いてほしいです。元ビークル、元毛皮のマリーズのギター(越川和磨)がいるっていうインフォメーションを見てとりあえず興味を持った、なんていうのも全然ありです。とにかく、手にとってほしいですね。 (取材・文=名鹿祥史/ライブフォト=cazrowAoki) ●THE STARBEMS公式ホームページ http://www.thestarbems.com/ 『VANISHING CITY TOUR 2014 』 11月28日(金)大阪 梅田Shangri-La 11月29日(土)名古屋 今池CLUB UPSET 12月10日(水)渋谷TSUTAYA O-WEST

中国でも『永遠の0』は感動作になっている──『中国のもっとヤバい正体』孫向文を直撃

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『中国のもっとヤバい正体』(大洋図書)
 言論・表現の自由が制限される中国において、中国本土から自国を批判するという行為はまさに命がけである。中国共産党の反感を買えば、逮捕されることもありうる。だが、それを漫画という手法で実践した人物がいる。彼の名は孫向文。彼の2冊目の著作となる『中国のもっとヤバい正体』(大洋図書)が出版された。  昨年出版された『中国のヤバい正体』(同)は中国のタブーについて赤裸々に描かれたコミックとして話題になり、浙江省杭州市在住のいち青年だった孫氏は一躍時の人となった。しかし、同時に彼は恐怖心も募らせることになった。自らも言論弾圧される当事者になってしまったことを、あらためて意識せざるを得なかったからだ。  そんな彼が、出版に合わせて来日しているというので、話を聞くことにした。待ち合わせ場所は、JR秋葉原駅の電気街口。孫氏は、ニット帽とカツラ、マスクにサングラスという怪しげな風体で現れた。外出する際は、いつもこのような変装しているという。ここ東京では、いつでもどこでも中国人に出くわす。そうした人々の中に、共産党のスパイが潜んでいるかもわからないからだ。今回の著書の中では、そんな過剰な警戒心を持たざるを得ない孫氏の苦悩も描かれている。 「まず、中国人の店員がいる中華料理店には絶対に入れませんよ」
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外出時は変装が欠かせないという孫向文氏
 マスクをしたまま、そう苦笑する孫氏。実は、彼は現在、中国本土と日本とを行き来する生活を送っている。どちらかに拠点を置いてしまえば、いずれ自分の身元がバレてしまう。それを防ぐため、日本国内の協力者とも連携しているのだ。それでも、入出国のたびに「拘束されてしまうのではないか」という恐怖は拭えないという。  実は、筆者が孫氏に会うのは今回が2回目。前回会った時は「真の目標は、日本で萌え漫画家としてデビューすること」だと語っていた孫氏だが、前作のヒットで“中国の真実の告発者”として注目を浴びる中、自身を取り巻く環境や、心境の変化が何かあったのではないか? 「これまで漫画を持ち込んでも対応が冷たかった出版社が、違う編集部とはいえ、一転して親切に接してくれるようになりました。高級レストランで接待してくれることもありましたし……。でも、自分の描きたい作品は変わっていません。そちらは、まだ相手にしてもらえないので、頑張ろうと思っています」  もう一つの変化が、中国批判本を通じて深まった日本人との人脈だ。今回の著書の中で孫氏は、政治的な集会に出かけた際のエピソードを描いている。そこで孫氏は、中国の後進性を嘲笑するような発言者には違和感を覚えながらも、同時に正当な批判には共感を記している。そうした人々とTwitterで交流する機会も増え、フォロワー数は増える一方だ。けれども、不満はあるという。 「フォロワー数が増え、発言がリツイートされることも多くなったんですが、だからといって本が突然売れるわけではないですから……」  さて、日本滞在中の孫氏が漫画を描く傍ら熱中しているのが、プラモデル製作。それも、零戦が一番好きなのだという。取材後、共にプラモデルを扱う店舗をめぐったのだが、孫氏の零戦に対する愛は本物だ。かといって、孫氏が中国人にとっての売国奴的な志向を持っているのではない。  中国でも、大戦中の日本軍兵器のプラモデルは人気のある商品だという。そして、公式には公開されていない映画『永遠の0』も、人気作になっているというのだ。 「あの作品で主人公は“必ず帰ってくる”と約束するでしょう。あのような約束をするという考え方は、中国人にはないものです。だから、そこに多くの人が感動しているんです」  この後も、店舗をめぐりながらのプラモデル談義は1時間あまりにも及んだ。その中で、タミヤをはじめとする日本製プラモデルをリスペクトし続ける孫氏。日本の文化を愛してやまない彼が、自身が本当に描きたい作品を世に出す日は近いだろう。 (取材・文=昼間たかし)