“断れない作曲家”新垣隆が振り返る「あの騒動」と、バラエティ番組に出まくるワケ

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撮影=河野英喜
 小保方晴子、号泣議員……と、メチャクチャ濃いお騒がせキャラクターが登場しまくっていた2014年。その中で、唯一の勝ち組ともいえるのが作曲家の新垣隆だ。  耳が聞こえない作曲家ということで、「現代のベートーベン」なんて呼ばれていたあやしいおっさん・佐村河内守のゴーストライターを長年やっていたということを告白した結果、佐村河内さんのほうはすっかりメディアから消えてしまったのに対し、新垣さんはなぜか人気者となってしまい、バラエティ番組などに引っぱりだこという不思議な状況となっている。  そんな新垣さんが、ゴーストライター事件をはじめとした、自分の人生を振り返った著書『音楽という<真実>』(小学館)を上梓した。「真面目そうではあるけど、だいぶ変わってる人だな~……」とは思っていたのだが、この本を読んでみたら、それ以上に意外な一面も。  「ゴーストライター」として有名になった彼は、果たしてどんな人生を送ってきたのか、そして、佐村河内さんって実際どんな人なの!? ■YMOとの出会い   ――例の記者会見や、その後の活動を見ていて、音楽一筋で世間知らずな人が、うさんくさいおじさんに騙されちゃったのかな? ……と思っていたんですが、今回の本を読んでも、やはり子どもの頃から音楽ばっかりで、浮き世離れしているなという印象を受けました。漫画なんかは、読んでいなかったんですか? 「兄が4つ上だったものですから、兄が買ってきた漫画は読んでいましたよ。『ドカベン』や、中村雅俊さん主演でドラマ化もされていた『ゆうひが丘の総理大臣』なんかが好きでした。ただ、ある時期からは、ほとんど漫画も読まなくなってしまいましたね」 ――アイドルなどにも興味を持たず? 「そうですね。子どもの頃はテレビっ子だったものですから、アニメの再放送やドラマの再放送、野球中継なんかはよく見ていたんですけど。『巨人の星』『タイガーマスク』『はいからさんが通る』なんかが好きでした。ただ、夜9時くらいには寝てしまう子でしたね。中学校までは学校が家から近かったですし、帰宅部だったので帰ったらすぐにテレビをつけて……みたいな生活を送っていたんですが、高校になると学校も遠くなり、オーケストラ部に入って練習に打ち込んでいたので、テレビはほとんど見なくなりました」 ――高校からは音楽一直線という感じなんですね。いわゆる、クラシック以外の音楽というのは聴いていなかったんですか? 「子どもの頃は、両親が持っていたカーペンターズのレコードをかけてもらうのが好きでした」 ――初めて自分で買ったレコードは? 「レコードは、なかなか買えなかったんですよ。だから5本で1,000円くらいの、どこのメーカーかわからないようなカセットテープを買ってきて、ラジオから録音して聴いていましたね。初めて自分で買ったレコードは、小学校5~6年くらいの時、シンセサイザーで有名な冨田勲さんの『展覧会の絵』です。それから、やはり兄の影響でYMOとかも聴くようになりました」 ――バンドブーム直撃世代だと思いますけど、バンドなんかはやらなかったんでしょうか? 「自分ではやらなかったですね、周りにそういう仲間がいなかったんで。それにYMOを聴くようになってから、いわゆる歌謡曲などを突然見放すようになってしまいましたね(笑)。それまではあらゆる音楽を浴びているという感じだったんですが、中学校2年生くらいから、パッタリ流行歌というようなものを聴かなくなっちゃったんですよね。さらに、高校に入ってほとんどテレビを見なくなっちゃったんで……」 ――それくらい、YMOとの出会いは大きかったと。 「特に坂本龍一さんですね。クラシック畑から出てきて、現代音楽を通過してきた人だったので、すごく格好いいなと。その影響もあり、音楽のみならずアートや現代美術にも興味を持つようになって、そういうのが格好いいな、と思っていました」
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■自由に作るよりも、指示や制限があったほうが…… ――その頃から、将来は作曲家になりたいと思っていたんですか? 「具体的に展望を持っていたかどうかはわからないですけど、作曲家になりたいというのは、子どもの頃からずっと思っていました」 ――現代音楽の作曲家になるためには、どういうルートを経るのが普通なんでしょう? 「作曲家で食べていく、ましてや現代音楽でというのは、ほとんど不可能なんですよね。それだけをなりわいにして、というのは無理。だから普通は、別に音楽関係の仕事をしながら、仲間とイベントをしたりコンサートを開いたりするという……つまりはアマチュア……趣味の世界なんですよ」 ――新垣さんも、同じような感じで活動を? 「ずっとピアノを習っていたので、演奏の仕事というのはあったんですね。そういうアルバイトをしながら、趣味レベルで、って自分では芸術活動と思ってるんですけど(笑)、やっていました」 ――本には、大学の非常勤講師としての給料も書かれていましたが、こんなに安いのか(年100万円程度)って驚きました。当然、それだけで生活するのは難しいですよね? 「そうですね。演奏のアルバイトをしたり、たまにアレンジャーや、コマーシャル用の作曲仕事なんかも入ってきていましたが」 ――そういう請け負いでの作曲仕事と、自分の作品を作曲するのは違うという認識なんでしょうか? 「私は現代音楽、現代美術に憧れてきましたので、そういうアートとしての音楽をやりたいという思いがある一方で、コマーシャルの音楽や映画音楽というのにも興味はありました。80年代の坂本龍一さんや、私の作曲の先生である中川俊郎先生なんかは、コマーシャル音楽なんだけれども、アートとして成り立っている曲をよく作っていて、そういう仕事をしたいなと思っていました。それに、相手とのやりとりでできていくので、請け負い仕事のほうがうまくいくということも多かったんですよね」 ――自由に自分で作るよりも、指示だったり、制限があったほうが? 「『これこれこうやってよ』と人から言われて引き出される曲というのはありますね」 ■人間としては凡庸な、普通の人でした ――コマーシャル音楽などは、わりと誰が作ったのかわからない、匿名性の高い音楽だと思いますが、佐村河内さんの案件も当初はそういう感覚で引き受けたものなんでしょうか? 「そうですね。映像に音をはめていくということに興味があったものですから、やりたいなと思っていた矢先……悪魔の声が聞こえてきたんですよ(笑)」 ――最初は、いつものような請け負い仕事が来たという認識だったんですよね? 「まあそうですね。……かなり変な人でしたけど」 ――最初から、あんなルックスだったんですか? 「最初からです、全然変わらないです。ちょうどその頃、ビジュアル系という……聖飢魔IIみたいな、そういう人たちがクローズアップされてきた時期だったんですが、デーモン小暮(現・閣下)さんとか、そういう感じの風貌だったんですよ」 ――デーモンさん!? 白塗りしていたんですか? 「化粧はしていなかったですけど、ロングヘアーで、黒い服を着て。いかにもという格好をしていました。ビジュアル系自体があやしいとは決して思わないですけど、佐村河内さんはあやしかったです」
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――あやしさを感じたら断るという手もあったと思いますけど、仕事としては魅力的な話だったんですか? 「彼が映画音楽を作ることになっているという話自体は、本当だったんですね。だから、映画音楽を手伝ってみたかったということもあり……。結果的に、大部分を私が作曲して仕上げたわけですけど、それを佐村河内さんがすごく喜んでくれて『あくまでも自分の名義ということにしてくれ』と。その時は、特に自分の名前を出す必要性も感じなかったので、『いいですよ』と要請に従ってしまったわけです。思えば、それが問題の原点ですよね」 ――その時のギャラに関しても、うやむやになっているらしいですね。 「『いくらでやってくれ』という話はなかったので……。クラシックの世界でもそういう風潮はあるんですけど、ビジネスとして契約するというよりも口約束で。それまでのアレンジやコマーシャル音楽でも、それでうまくいっていたので、金額に口を出したことはなかったんですよ」 ――まあ、ノーギャラでも名前が出るんだったら、次につながるからいいか……という考え方もあると思いますが、名前も出ない、ギャラも出ないじゃ、やる意味ないんじゃないですか? 「それに関しては、彼がすごく情熱的に、その映画音楽に取り組んでいたというのもありますね。『秋桜』という映画だったんですが、非常に燃えていました。あの時はたぶん、彼の持ち出しでオーケストラにギャラを払っていたはずです。それと、作曲の名義は佐村河内 さんにしたわけですが、演奏のほうで私の名前をクレジットしてくれたんですよね。まあ、寄せ集めの学生オーケストラだったんですけど『新垣チェンバー・オーケストラ』と名づけてくれて(笑)、CDにもクレジットされています」 ――クレジットされたことがうれしかったから、ということですか? 「別にうれしくはなかったですね。どちらでもよかったです」 ――その後のギャラは18年間で700万円程度ということで、あまり高くはないと思うんですが、作業量には見合っていたんですか? 「彼のリクエストは、たとえば30分の曲とか、オーケストラの曲だとか、規模が大きかったので、時間はかなりかかっていましたね」 ――仕事としては、ワリに合ってなかった? 「安いといえば安いですけれども……。それでも、ある程度まとまったお金をもらって生計が助かっていたという認識はあります」 ――佐村河内さんって、ものすごく極悪人でサギ師みたいな言われ方をしていますが、作曲もできない、楽譜も書けないで、あれだけ仕事を取ってくるというのは、プロデュース能力だけはすごかったんじゃないかと思っているんですが。 「まあ、すごいといえばすごいんだろうな……という感じです。人間としては凡庸な、普通の人でしたね。普通の人なのだけれども、ちょっと度が過ぎてしまうタイプですよね。自分がのし上がるためになんでもしてしまうという、ちょっと困ったところがあるんです」 ――もともと佐村河内さんって役者志望だったり、「第二の矢沢永吉」という触れ込みでレコードを作ったり、いろいろやってきた人なんですよね。 「そういうチャンスはいろいろとあったと思うんですけど、ことごとく失敗してきているんですよね。まあ、役者としては、なかなかいい味を出していましたけど。80年代にチョイ役でテレビドラマに出ていたんですが、川崎麻世さんにぶっ飛ばされる姿はなかなかよかったですよ(笑)」 ――そのまま役者でいけばよかったのに、という感じですか? 「まあ、ある意味、役者をしてたわけですね。『作曲家だ』っていうキャラクターを演じていたんですから」
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■誰も知らないなら…… ――ゴーストライター事件に関して、新垣さんが佐村河内さんに騙され、心酔して従っていたのかなというイメージを持っていたんですが、お話を聞いていると、わりと冷静に見て距離を保っていたんですね。それでも「やめる」という判断はできなかったんですか? 「最初の数年間は、ところどころで『何を考えているんだ?』というようなことはあったにせよ、大きな問題はなかったんですよ。その時は映画音楽やゲーム音楽をやっていたので、作曲者の名義がなんであれ、そのプロジェクトのスタッフの一員としてコンテンツをちゃんと作ることができればいいなと思っていたんですね。しかし、ゲーム音楽である程度の成功を収めて、彼はそれを元にして世界に打って出ようというような野望を抱いたんですよ。そのためにいろんなことをやっていたみたいですけど、ことごとくうまくいかなくって、私は『そのまま失敗し続けてくれ』と思っていたんですが……」 ――うやむやに終わっていけばいいなと? 「最終的に彼が誰にも相手にされなくなって、もうゴーストライターをやらなくていいという状況になればいいなと思っていました」 ――しかし佐村河内さんが「耳が聞こえない」というギミックを利用して世間から注目されてしまうわけですね。 「そういうことを言って注目を集めるまでは、誰も彼のことを知らなかったわけですよ。もちろん、それでも世間を騙していることには違いなかったんですが、誰も知らないから『存在していない』わけです」 ――そこで「耳の聞こえない作曲家」という顔をして、世間に出てきちゃうと、ちょっと違うんじゃないかと。 「今『HIROSHIMA』と呼ばれている曲は、彼が失敗し続けていた時期に、おそらく演奏されることはないだろうという前提で作った曲で、案の定そのプロジェクトはポシャッて、お蔵入りになっていたんです。しかし、そういったことで注目を集めた結果、実際に演奏されることになってしまったんです。まさかと思っていたことが起こってしまったという。……これは参ったなと」 ――「耳が聞こえない」というギミックがあったとはいえ、『HIROSHIMA』は大きな評価を受けたわけですが、そこに喜びというのはなかったんですか? 「あの曲は『お蔵入りになってよかったな』と思っていた半面、『せっかく作ったんだから、演奏されたら、そんなに悪いもんじゃないと思うけどな』とも思っていたんですね。もちろん、世間を欺いてまで演奏されてはいけないとはわかっていましたけど。それが作ってから5~6年たって、うっかり蘇って実際に演奏されて、評価を得てしまった。オーケストラの方々がとてもいい演奏をしてくださって、そのこと自体はもちろんすごくうれしいことだったんですけど、作曲家としてやってはいけないという気持ちは強かったです」
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■この本は、ライターの先生がうまくまとめてくださったものです ――すべての仕事がなくなってしまう覚悟でゴーストライターをやっていたことを告白した結果、逆に今、仕事が増えているんじゃないかと思いますが、音楽の仕事はともかくとして、バラエティ番組に出る必要はないんじゃないですか? 「まあ、あれだけ世間を騒がせてしまってですね、すごく顔を知られるようになって、いろいろな番組から依頼が来たんですね。そんなことは自分にとって今までにないことですから、断ればいいという話ではあるんですけど……迷うところではあったんですけど、断らないということを選んだわけです」 ――佐村河内さんの件といい、断るのが苦手なんですか? 「(笑)。そうですね。そういう部分もあるんですけど……。日常生活で無理なことを言われたら『できないことはできない』と断れますけどね。私はあくまで音楽家であって、音楽の仕事はプロとしてやる自信があるわけです。バラエティは音楽でもなんでもないんですけど、拡大解釈をすると、あれもステージなわけですね。ステージに立つというのは音楽家の仕事のひとつともいえるんじゃないかと……。あとは、世間を騒がしたお詫びをさせてもらう機会を頂いたら、なるべくきちんとお話ししたいという気持ちもありました」 ――それにしても、ダウンタウンの番組(日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いや あらへんで!!大晦日年越しSP』)に出てクワガタに鼻を挟まれ血を流すみたいなのは、音楽と全然関係ないじゃないですか。 「全然関係ないですね(笑)。私は、長い間テレビを見ていないという生活を続けていたもので……DVDなんかは見るんですけど、テレビは映らないんですね。自宅にいても、曲を描いているか、本を読んでいるか、寝っ転がっているかという毎日なんで。だから、ここ10年くらいのテレビの状況が、まったくわからないんですよ。あの番組は、年末の人気番組だということはお聞きしていたので『はい、わかりました』と引き受けたんですが、何をやらされるかはわかっていなかったですね」 ――音楽の仕事も、記者会見以前と比べたらすごくたくさん来ていると思いますけど、おそらくああいったことがなく、地道に音楽活動をやっていたら、こういう状況にはなっていませんよね? そこはラッキーだったと思いますか? 「そうですね……。ああいうことを公表して、もう二度と音楽の仕事はできないんじゃないかと思ってたんですが、多くの方が支えてくださったおかげで、少しずつ再スタートすることができて、その点においてはラッキーだったとは思いますね。ただ、地道な活動というのも、自分にとっては幸福なものだったんですよ。楽しく、気楽にやっていたんです」 ――今のように脚光を浴びている状況は、うれしいわけではない? 「うれしくないとは言いませんが、そこを目指していたわけではないですからね。逆にこういうことになって、前の状況に戻れなくなってしまったわけですよ。もちろん、すごく恵まれた状況ではあるので、チャンスであり、どう生かしていけるのかというのは考えています」 ――このゴーストライター事件のせいで、僕のような文章を書くライターは少々迷惑を被ったんですが、今回の本も新垣さん本人が書かれているわけではないですよね? 「そうですね。私がインタビューに答えていくという形で、ライターの先生がうまくまとめてくださったものです」 ――そのライターさんの名前もちゃんとクレジットされていますし、出版の世界では普通の仕事なわけなんですが、世間ではこういうのも「ゴーストライターだ」と思われてしまったフシがあるので、最後に新垣さんから説明していただければ……。 「もちろん、文芸作品などを本人以外が書いていたということになると別だと思いますが、ひとりの音楽家が、世間を騒がしてしまった事件のあらましを関心のある方々に伝える……という今回のような本を、私が語ってライターさんにまとめていただくというのは、なんら問題のない作業だと思います。こんなことをわざわざ説明しなければならないという状況になっていること自体が、申し訳ないことなんですけどね(笑)」 (取材・文=北村ヂン)

「おじさんを作るおじさん」を作る2人の素顔“狂おしきKOCファイナリスト”巨匠に迫る!

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『キングオブコント2014』で脚光を浴びた「巨匠」
すごいコンビ名
 バラエティでも活躍しているアンジャッシュ、ドランクドラゴン、『キングオブコント』で優勝した東京03、キングオブコメディなど、プロダクション人力舎には実力派のコント芸人が多い。  そんな人力舎の若手の中で、最近注目を集めているのが巨匠というコンビ。彼らは『キングオブコント2014』で決勝に進出。優勝したシソンヌとの一騎打ちに惜しくも敗れたものの、独創的なネタで視聴者に強烈なインパクトを残した。そんな巨匠が、5月27日に初のDVD『巨匠ベストコント集「よういち&かず」』をリリースした。彼らの奇抜な設定のコントはどのように生まれているのだろうか? ――初めてのDVDが出るわけですが、今のお気持ちは? 岡野 これで僕たちのネタを多くの人に見てもらえるというのがうれしいですね。あと、印税が入ってくるんで。 本田 やらしいな! ――『巨匠ベストコント集「よういち&かず」』というDVDタイトルは、どのように決まったんでしょうか? 岡野 最初、『初めての印税』っていうタイトルを提案したんですけど、まわりの大人の方々があんまりいい顔をしてなかったんで、ヤケクソで一番ポップな感じにしようと思って「よういち&かず」になりました。 ――抽象画のようなサイケデリックなデザインのDVDジャケットも印象的なんですが、これはどういうイメージで作られたんでしょうか? 岡野 これは「概念」です。僕、競馬場とパチンコ屋によく行くんですけど、あそこって人の欲望みたいなものが渦巻いてるじゃないですか。勝っている人もいれば負けている人もいる。パチンコを打ちながら泣いている人とかいるんですよ。で、その横ではめっちゃ出してる人もいて。いろんな概念が、もう混沌としているなあと思って。それを表現しました。 本田 そうだったの? 知らなかった。 ――このDVDに収録されているコントはたくさんありますが、岡野さんがおじさんを演じるネタが多いですね。 岡野 おじさんは多いですね。単純におじさんが好きなんです。おじさんって一番落差が大きいと思うんですよ。女性は女性っていうだけでちょっとかわいいというところがあるじゃないですか。でも、おじさんって、最高のおじさんと最低のおじさんの落差がすごい。そこが面白いんですよね。僕はその中でも下の方のおじさんが好きです。 ――ネタはどうやって作っているんですか? 岡野 基本的に僕が全部考えています。その間、本田は料理を作っている。 本田 そうですね、僕は料理を作っています。 ――それを2人で食べるんですか? 本田 いや、絶対食べてくれないです。汚いからって。「お前のこねくり回したもん食えるかよ」って言われるんですよ。 岡野 本田の手の組織とかが入ってるわけでしょう。なんか汚い感じがするんですよ。
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――例えば、おじさんのネタでは、実際に見たおじさんのイメージなどが反映されていたりするんでしょうか。 岡野 そうですね。例えば、「おじさんを作るおじさん」のネタで言うと、競馬場とかパチンコ屋には本当にとんでもない人しかいないんです。それをずっと見ていて、さては、これはたぶん、人間じゃねえな、って(笑)。そういうことですよね。そこから生まれました。 ――あと、お二人のコントには「万物の祖」とか「概念」とか、日常で使わないようなゴツゴツした響きの言葉が使われているのが珍しいなあと思うんですが、そういうのも岡野さんのこだわりなんでしょうか。 岡野 単純に「概念」っていう言葉が昔から好きなんですよ。正直、意味もそこまでわかってないですけどね。 ――あと、「お金吐くおじさん」とか、お金に絡んだネタも印象的です。 岡野 これはもう「お金が出たらいいなあ」って日々思ってるからですね。ただ、出てくる額とかは今に至るまでにいろいろ迷いました。今は週に7,000円出てくるという設定で。もうちょっと出た方がいいんじゃないかとも考えたんですけど、いや、こんな人間がそんなに出るわけない、と。こんなおじさんが裕福なわけはない、これで金持ちだったらなんか嫌だな、と思ったんですよね。 ――いっぱい出るのは、なんか違うなと。 岡野 違うと思います。これだけ苦しんで吐いて、週に7,000円、月に2万8,000円っていうのが、ちょうどいいところで。毎週金曜に出るんですけど、金曜日が少ない月とかはちょっと生活がキツいんだろうな、とか考えたりしますね。 ――このコントで使うために本田さんにお金を用意させて、ネタが終わると岡野さんがそのままお金を持っていくこともある、というのを聞いたんですが。 本田 ありますね。気付いたらそのまま帰ってるっていう。 岡野 そりゃ、たまたまでしょう。忘れることもあるよ。 本田 「返して」って言ったら「もうしまっちゃったよ」って。 岡野 それはそういうボケだよ! 本田 そのまま帰っちゃったじゃん。 岡野 もう一回強く来てたら返してたよ。来なかったからね。 本田 いや、言ったよ。そしたら、急にマジな顔になって、「いや、マジでマジで」って。 岡野 これ、おかしくないですか。僕、思うんですけど、7,000円を僕に貸すことによって、こいつが1円もなくなって、ああ、つらい、今日は何も食べられない、ってなったら、僕は最悪だと思うんですよ。でも、実際はなってないですからね。貯金があるんですよ。それをこんなに言うというのは、なんて浅はかな人間だ、というか。こいつは人間のクズですよ。 本田 お前だよ!(笑) 岡野 こいつは全然苦労してないですからね。僕は7,000円を借りて、本田さんに多大な感謝をしている。win-winの関係ですよ。 本田 win-winじゃないよ!
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岡野。借金が700万円くらいあるとか。
――7,000円のありがたみが違うということですね。 岡野 そうです。それで苦しまないのであれば、むしろもっと出せよと。あとでちゃんと返しますからね。現に、今日とかも僕、結構キツいですから。 本田 何の宣言なんだよ。 ――今、借りようとしてるんですか?(笑)確かに、取材中だから断りにくいですよね。 本田 手口が最低だよ! ――岡野さんは今いくら必要なんですか? 岡野 8万……いや、3,000でいい。 ――まずふっかけておいてから、額を下げてきた! 岡野 3,000ならいいか、ってなりますよね。 ――ならない、ならない! たぶん、岡野さんは普段からずっと、そういうことを考えてるんですよね。自分にとっての3,000円と一般人にとっての3,000円は違うんだ、と。 岡野 そうです。くれなくても、貸してくれたらいいんですよ。僕は返そうという意志は強く持ってますから。いったんお貸しいただきたいな、っていうのはありますね。 ――お金というと、岡野さんは数百万円の借金を抱えているそうですね。 岡野 そうですね、結構お借りしてますね。でも、今年は返していこうと思ってます。三重に大口の友人がいるんです。109万借りてたんですけど。とりあえず1万を返したので、108万にしていて。これをまずは何とか2ケタにしたいですね。 ――借金の総額はいくらなんですか? 岡野 700~800万ぐらい。自分でもはっきりわからないんですよ。まず、わかるっていうのが大事。だから、今年の上半期の目標は、額をわかるということです。わからないから、どこを目指していいかもわからない。目隠ししてる状態です。 ――何言ってるんですか?(笑) 岡野 何言ってるんでしょうね(笑)。
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本田。小道具をたくさん作る。
――それだけ借金があって、お笑いの仕事での収入もまだ十分ではない状態で、バイトはしているんですか? 岡野 してないです。……確かに、我ながら狂人ですよね、バイトもしてないっていうのは(笑)。 ――岡野さんにはお金に関する名言もありますよね。 岡野 ああ、そうですね。「お金とは、偉い人が作った紙くずである」っていう。 ――それは、本当にそう思ってるんですよね。 岡野 そう、僕は本当にお金が嫌いです。だから最近、本田にもなるべく使わせようとしてますし。1,000円を無駄に後輩に渡そうとしたりして。こいつ、1,000円をすげえ大事に使うんですよ。1,000円で、すごいやりくりしたりして。 本田 別にいいじゃない。 ――普通の人の生活じゃないですか。 本田 ただただ後輩に1,000円あげるみたいになってるんですよ。「お前、1,000円あげろよ」って。無駄にあげるときがあるんです。 岡野 それもwin-winだよ。本田は1,000円あげても痛くない。ギャンブルもタバコもしないし。後輩も1,000円もらってうれしい。本田さんは1,000円くれていい人だな、って思ってくれる。 本田 全然、win-winじゃないよ! 急に渡された後輩も気を使うし。困りますよね、いきなり渡されても。 ――岡野さんは視力が悪いのに、普段からメガネもしていないそうですね。 岡野 そうなんです。この世に、そんなに見たいものがないので。ただ、競馬のハナ差とかはマジでわからないんで、競馬の着順を見るときだけはメガネをかけます。第一コーナーとかは見なくてもいい。最終コーナーからゴールまでのところだけちゃんと見られれば。この世で見たいものは競馬の着順だけです。……これ、競馬好きな人にも怒られそうですね(笑)。 ――岡野さんは世の中にまだ参加していないというか、社会をボヤッと見ているような感じがありますね。 岡野 まあ、そうですね。見ないようにしてるんでしょうね。社会人とまともに戦ったらやられるんで。見なきゃ勝ちですから。見ないまま逃げ切れば勝ちですから、見なかったことにするんですよ。 ――いや、「勝ち」ではないかな、と……。 岡野 勝ちではないですか(笑)。でもまあ、見なきゃわからないなら、見なきゃいいんですよ。 ――最後に、このDVDをどんな人に見てもらいたいかを教えてください。 本田 社会の中でストレスを抱えてらっしゃるみなさんですね。これを見て、発散してもらえたらなと思います。あっ、私よりもこんなに下がいるんだ、というのを見てもらって、それで元気を出していただきたいですね。 岡野 変な話ですけど、自殺の前夜とかに一番見てほしいですね。死にたいなあ、っていうときに見たら、何かあるかもしれません。自殺の撲滅が目的ですからね。これで自殺を止めたいと思ってます。 本田 それも初めて聞いたよ! (取材・文=ラリー遠田/写真=尾藤能暢) ●巨匠(きょしょう) 名前:岡野陽一 (おかのよういち) 生年月日:1981年11月29日 出身地:福井県 身長:173cm 趣味:競馬、 パチンコ、麻雀 特技:ソフトテニス 名前:本田和之 (ほんだかずゆき) 生年月日:1987年12月8日 出身地:東京都 身長:162cm 趣味:ゲーム、カレー作り 特技:手先が器用、ラグビー、 ゲーム(ファミコンのスーパーマリオ) http://www.p-jinriki.com/talent/kyoshou/

元看護師・元風俗嬢・整形マニア……超個性派漫画家が語る、“やらかしすぎ”の人生

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 LD(学習障害)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断された幼少期のこと、看護師から風俗嬢への華麗なる転身、整形にどっぷりハマった日々……自らに起こった面白くも壮絶な日常を明るく楽しく描き、人気を博している漫画家、沖田×華(おきた・ばっか)。望まれない妊娠、児童虐待、中絶の現実……最新作『透明なゆりかご』(KC kiss)では、高校2年生の時の産婦人科アルバイトで経験したさまざまな「命」の在り様を、10代女性の視点で描いている。今後、テレビコメンテーターなどとしての活躍も期待されている彼女が、世のさまざまなセイ―性、生、整(形)をsayする! ――沖田さんの経歴を拝見すると、一体どんな方なんだろうと……ネットでも「沖田×華とは何者なのか?」というまとめがあるくらいなんですよ。 沖田×華(以下、沖田) こんなんですよ、本当に(笑)。 ――元看護師で、元風俗嬢で、整形マニア。経歴がにぎやかすぎます。 沖田 おかしいですよね。 ――風俗のお仕事は、石川にあった伝説のおっぱいパブが最初だと。 沖田 そう、「山乳証券」です(笑)。そこから名古屋のマットですね。風俗で働くということに関してはあんまり抵抗なくて、看護師の仕事をしてたから、ちょっとやそっとの人体の不思議には驚かない。ただキャバクラとか、疑似色恋みたいなのでお金をもらうのはたぶんヘタクソです。「俺のこと好きなんだろ」って言われても「好きなわけないじゃん! 何言ってんだこのハゲ」って言っちゃう。そんなんだったら、体でおとなしくさせたほうがいいやと思ってまして(笑)。「私すごい頭悪いけど、23歳でどれだけ稼げるか実験したい」と思い、山乳のナンバーワン嬢に「(風俗で)一番キツいところ教えてくれ」とお願いしました。 ――己に課しますね~(笑)。 沖田 男の人に攻められるのは嫌いなので、マットヘルスにしたんですよ。マットだったら自分が好きなようにできて、90分コースがあるところならお金もいっぱい入るだろうと。そこでは2年くらい働いて。おかげで、いわゆる“マット筋”、上腕二頭筋と背中がすごく鍛えられました。 ――当時の話は『×華のやらかし日記』(ぶんか社)にたくさん出てきますよね。ちんこ話は本当に面白い(笑)。 沖田 私ね、名前覚えられないんです。お客さんたちはだいたい偽名ですし、“吉田ひろし”か“田中たけし”か。「も~、どの吉田だよ!」って思いながらお客さんのところに行って脱がせてちんこ見ると「あ、先月来た人や」って、やっとわかる。そこからは次から次へと想い出話に花が咲くんですけど、お客さんに「どうしていつも、最初の時間はおとなしいの?」って、怪訝そうな顔されますね。 ――まさか、顔見ても思い出せないとは言えませんもんね。 沖田 だから、さっさと脱がせる。 ――風俗嬢っていうと「不幸な生い立ち」とか「貧困」とか「情緒が不安定」とかベタなイメージで語られがちですが、沖田さんの本を読むと全然違うんですよね。 沖田 昔、待機所に風俗嬢のことを書いた本が置いてありまして、それを読んでは、みんなでバカにしてました。なんだこれ? 風俗嬢のこと書いてるけど、この人、風俗のこと何にもわかってなくね? って。風俗嬢のことを書く男性エッセイストを、くそみそにけなしてました。 ――どんなところに引っかかりました? 沖田 変にストーリー作りすぎ! ナンバーワン性感エステ嬢が「男の人とプレイすると、すごく気持ちが入っちゃう。だから終わった後に1時間かけて、そのお客さんのことを忘れて次のお客さんの相手をする」とか。ちょっと待て、これおかしくないか? だとすると、このナンバーワンは客と客の間に1時間のロスタイムがあるってことだよね? だったら、1日に3~4人しか客取れねぇじゃん! 今までナンバーワンの子、腐るほど見てきましたけど、そんなまどろっこしいことしてる子に会ったことないですよ。 ――男の願望なのかもしれないですね(笑)。 沖田 「風俗嬢=理由アリ」という。「なんでこんな仕事やってんの?」って聞くから「私エッチ大好きだから」って答えてるのに、「そんなはずはない。何か抜き差しならない理由があるはず」って、ねぇわ!(笑) それが必ず、プレイが終わったあとなんですよ。 ――本当にいるんですね。風俗嬢に説教する人。 沖田 いますいます。またモテないやつなんですよ。でも「前の仕事はなんだよ?」「正看(護師)ですけど」って言ったら、たいてい黙りますけどね。 ――考えてみたら、看護師さんという職業も妄想されがちな仕事でした。 沖田 合コンで「俺が倒れたら……」「俺の親が倒れたら……」(面倒見て)とか本当に言ってくる人がいて、なんで無給でそんなことしなきゃならんのだと唖然としたことあります。 ――介護要員!? 沖田 彼らは信じて疑わないんですよ。仕事と関係なく、病気の人を助けるのが私の生きがいなんだと。はぁぁぁ? ですよ。 ――整形にハマったのは、何かきっかけがあったんですか? 沖田 最初は胸でした。美容外科に勤めていたこともあり「このおっぱいが大きかったら、人生は無敵になるはず」と思いきってやってみたら、十数年悩んでいたことがたった1時間で解消されました。整形すれば、コンプレックス全部解決じゃん! と目からウロコだったんですよ。それからは自ら進んで、脂肪吸引、二重、脱毛……etc。 ――すごい。 沖田 ただ「人から言われて」整形すると、依存症になる危険が高いかも。自分で望んだわけじゃないから、やっぱり仕上がりがイメージと違う、それを繰り返すというパターン。あと10代だとまだ脂肪も硬いので、脂肪吸引は痛いです。顔もハリがあるから、まぶたを縛って二重にしても弾力でパンって戻ったりする。もう少し全体的にたるみ気味になってからやったほうがいいです。ちなみに私は22歳の時に脂肪吸引しましたけど、こんな痛いことあるかなっていう痛みでした。足はむくむし、内出血はハンパないし。放っておくと固まっちゃうので、「痛い痛い痛い」と叫びながら毎日10kmくらい自転車で走らなきゃいけない。 ――風俗や整形などの経験を描いた今までの著書と比べると、この『透明なゆりかご』は少しテイストが違いますよね。高2でここまで産婦人科の現実を経験するって、すごいことではないでしょうか? 沖田 まだ処女でしたしね(笑)。バイトの初日に「中絶」に立ち会ったんですよ。カーテン開けたら、女の人がパカーッて足広げていまして。そんなの見るのも初めてだったのに、ましてや中絶手術なんて……マスクの下で、あわあわエア絶叫してました。術後に先生から「これを片づけといて」って塊のようなものを渡されて、それを決められたケースに入れて、シールを貼るんですけど、そこに性別欄があったのを見て初めて「あぁこれは……」と気が付いた。不思議なことに、ちっとも気持ち悪くなかったです。 ――本にもありますが、「日本人の死因の第1位は人工妊娠中絶」(1997年当時)というのも、あまり知られてはいないことですよね。 沖田 病気じゃないんでね。(中絶は)防ごうと思ったら防げるような気がしないでもないじゃないですか。でも、こんなに産めない事情の人がいるんだ、10代の女の子がデキちゃって、彼氏は逃げちゃって、親にも言えないどうしようっていうシチュエーションはとても多い。知識がないこともあるけど、男に言いくるめられちゃう子がほとんどじゃないかな。「大丈夫、外に出すから」とかね。それじゃ遅いんだよ! 「避妊して」って言って嫌われたらどうしようって思っちゃうんですよね、好きだから。 ――かといって、この漫画はそういう男性への怒りが燃料になっているわけではないので、かえって胸に迫るというか、答えのない迷路にはまったような気持ちにもなりました。 沖田 半分くらいは「仕方ない」って考えているのかもしれません。男と女のズレは、どうしようもないなと思っちゃいますね。たぶん、男に対して期待してないんだと思う。こうしてほしいとかああしてほしいとか思うから不満も出てくると思うんですけど、私はそういう感情が薄いんですよ。男のキャラを描けない理由もそれ。男のキャラクターは描いても動かないので、すぐ殺しちゃう(笑)。 ――『透明なゆりかご』で印象的だったのは、高校当時の沖田さんが「母性とは何か」考えあぐねているくだりでした。もしかしたら、この本のテーマそのものなのかもしれませんが。 沖田 そうですね。母性は、たぶん私自身にはないものなんです。看護学校時代も「母性とは脳みその中にシステム的に組み込まれていて、それが出産と同時に出てくる」って教わったんですけど、赤ちゃんを見ても自分の中にまったく感知できなくて。あれほど出産を心待ちにしていた人が、実際に生まれてきた赤ちゃんを見て「違う!」って否定する現場も目の当たりにしてきました。あまりにも個人差が大きすぎて、一言で「母性とはこういうもの」なんて言えないと思います。言えたとしても、それはあくまでも自分が思っている範囲のことであって、結論は出ないものじゃないですか。でも母性がなくても子どもを育てている人はいる。そういう人に「それでも子どもは育てられるものなの?」って聞いたら「義務だ」って。産んだこの子をいっぱしに育てるという義務。だからといって、嫌々やっているわけじゃないんですよ。自分に与えられた仕事として、ちゃんと子育てをする。そういう人もいるから「母性を語る」って相当難しいことだと思います。ただ女が唯一子どもを産める性だから、出てこざるを得ない問題なんだろうなとは思います。 ――児童虐待などは、必ず「母性」とセットで語られますよね。 沖田 それはちょっと違いますよね。「母性」はもっと移ろうもののような気がします。どんなに泣いてもかわいいと思える日もあれば、何をしてもかわいいと思えない日だってあるでしょう。グラフがこう、上と下を行ったり来たり繰り返すような状態じゃないですか? 親は子どもと一緒にいることで“耐性”を高めていくというか、勉強しながら育っていくんだと思う。そして何事にも動じなくなった時に、そのグラフはゆるやかに一定するんじゃないでしょうか。  ――高校生の時のあのバイトが、今の沖田さんに影響を与えているのはどんなところですか? 沖田 「私は妊娠できない」という確信かな(笑)。とりあえず10代は絶対に妊娠しちゃダメだと。避妊に関しては, ものすごく厳しくなりました。当時相手はいなかったですけど(笑)。夏休み前に友達集めて「私、今こういうところでバイトしてて、若い子の中絶すごい多いからさ、中絶ってああしてこうしてこうやってやるんだよ」って話をするんです。だいたいみんな「やめて~!!」と言います。それで「わかった? ちゃんとゴム買うんだよ」って促して解散(笑)。 ――「経験者は語る」いや、「目撃者は語る」ですね。 沖田 中絶は、痛いし、ツラい。私のように実物を見ることはないけど、やっぱり心の傷になる。一方で男は、な~んにもダメージない。「今はダメだけど、今度結婚するときに作ろうよ」くらいの軽いノリ。そのズレ。中絶したカップルは、すぐ別れます。男は普通のテンションなんだけど、女はそのうち去っていく。そりゃそうですよね。「私はあなたのこと信じて子ども作って体も傷つけたのに、どうしてそんなに軽いの?」って。でも、それは男の人にはわからないんです。おそらく、一生埋まらないズレなんでしょう。 ――今までの体験談を漫画にしたことで、何か変わったことはありますか? 沖田 そうだなぁ……。自分より周りの目、かな。ある程度口では言ってましたけど、実際に本になるとね。『やらかし日記』なんか、こんなに明るく風俗嬢の日常を描いてるのに、まだ「悲劇のヒロイン」的観点でレビューを書く人がいるんですよ。「きっと親に愛されなかった子なんだろうな」とか。だからここまで描いても「元風俗嬢」というのは世間的にはものすごくマイナスなんだとわかったし、自分がまったく感じてないことや思っていないことを勝手に結論づけて語られるんだなとも。私、別にツラくないですよ(笑)。 ――沖田さんはこれからテレビのコメンテーターなどで、ひっぱりだこになる予感がします……。 沖田 いや、無理です。絶対に言ってはいけないことを言ってしまう(笑)。私はたぶん好きなんですよ、人の体を触るのが。いやらしい意味ではなくね(笑)。昔タイに行った時に怪しげな店で「きんたまマッサージ」を教えてもらったことがあるんです、60くらいのおばちゃんに。あれはすごい技術らしい。「きんたまマッサージは、ちんこじゃなくて脳みそが元気になる」って、そのおばちゃんが言ってました。今の彼氏に毎日やってるんですけど、特に反応なくて(笑)。次はきんたまマッサージ師っていう仕事もいいなと、ちょっぴり考えている今日この頃です。 (取材・文=西澤千央) ●おきた・ばっか 富山県出身。1979年2月2日生まれ。小学4年生の時に、医師よりLD(学習障害)とADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断を受ける。看護師、風俗嬢を経て、2008年『こんなアホでも幸せになりたい』(マガシン・マガジン)で漫画家デビュー。著書に『×華やらかし日記』(ぶんか社)、『ガキのためいき』(講談社)ほか。

「ノースキンは亡国病」女帝が見続けた吉原の変遷を読む『吉原まんだら』

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清泉亮氏
 吉原といえば江戸時代からの歴史が続く性風俗の街。明治維新から150年の時間がたっても、いまだに日本一のソープ街として独特の輝きを放っている場所だ。  そんな、吉原には「女帝」と呼ばれる女がいる。  彼女の名前は「高麗きち」。かつて吉原が赤線時代だった頃からソープランドを経営し、浮き沈みの激しい時代の荒波をくぐり抜けてきた。93歳となった現在、店の経営こそ引退したものの、吉原の地で生活を行いながら女帝として君臨し続けているのだ。そんな彼女に4年間にわたって密着を続けてきたノンフィクションが、清泉亮氏による『吉原まんだら』(徳間書店)。清泉氏にインタビューを行ったところ、そこには女帝をはじめとするソープ経営者たちのプライドが見えてきた。 ──本書の主人公となる高麗きちこと「おきち」さんは、これまでメディアに一切登場していない人物です。いったい、どのようにして彼女と出会ったのでしょうか? 清泉 吉原について調査するために、町内会の古い人たちに話を聞いていたら「自分たちよりもはるかに吉原に詳しい人がいる」と、おきちの名前を紹介してくれました。けれども「気むずかしい人だから……」と警告されたんです。町内会の有力者たちですらビビってしまうおきちさんという人が、いったいどんな人だろうと思い、怖いもの見たさで飛び込んでいったのが出会いでした。けれども、出会って早々、僕のお線香の立て方が気に入らなかったらしく「おめえ、なんにも知らねえな!」と叱られてしまいます。 ──おきちさんの気性の激しさが伝わってきますね(笑)。 清泉 煙草を吸いながら、べらんめえ口調でガーッとまくし立てるから、やはり怖いんです。ただ、その怖さの中でシンパシーを覚えたのが、おきちの持つ「蔑まれてきた」という感覚。ソープを始めるとき、親戚から「あんなところで3日と持つわけない」と露骨に笑われたように、彼女は世間から常に蔑まれ「あいつら覚えてろよ」という反発心をバネに歯を食いしばってきたんです。 ──世間から蔑まれてきた人間だから持ちうる魅力があった、と。 清泉 ただ、お話を聞いていくにつれ、おきちの持つ経営者としての才覚にも注目するようになりました。中卒で、経営学を学んだわけでもないのに、彼女だけが最後までソープランドを続けて引退して、老後を迎えている。他の経営者の多くはバブルのときに、株や土地に手を出して没落してしまいました。おきちには経営者としての才能があったんですね。 ──「経営者としての才能」とは、具体的にどのようなものでしょうか? 清泉 おきちはソープだけでなくキャバレーをはじめとする男女のあらゆる職業を手がけましたが、絶対に浅草・吉原周辺からは出ないという哲学がありました。日経新聞的にいえば「選択と集中」ですか(笑)。彼女はそんな難しい言葉は知らないけれど、結果的にそれを選んでいたんです。また、絶対に博打的な経営を行うことなく、こつこつと事業を展開していきました。
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現在の高麗きち氏。書棚には往年の吉原に関する貴重な文献がズラリ
──堅実に経営を行っていった結果、吉原の女帝にまで上り詰めることができた。 清泉 たたき上げの人生の中で、皮膚感覚で身につけた経営論を実践してきたんですね。単純に言えば、失敗した場合でも同じ轍を二度は踏まないというだけのことかもしれません。しかし、それを頭で、理屈で理解できても、確実に実行し続けられる経営者はそうはいないのではないでしょうか。また、経営者の常として、少し商売が成功すると、すぐに成功体験に酔い、浮足立ってしまう。おきちが踏み込んだ商売は、売春防止法に抵触するかどうかという、ある意味で崖っぷちを走り続ける正真正銘の“ブレードランナー”とは言えないでしょうか。そして、どこかで何かの瞬間に足を滑らせて、奈落に落ちる者も多い。そのなかで、「このおばあさんの生き様が面白い」という興味だけではなく、経営者としての感覚、才能にも興味を惹かれたんです。 ──おきちさんと実際に話しながら、「女帝」として凄味を感じる部分はありますか? 清泉 彼女のもとには、地元の警察署長から、かつて総理候補の呼び声高かった超有力代議士、さらには区議会議員や地元の有力者、銀座で店を構えるクラブのママまでがよろず相談ごとに訪れるんですが、彼らの怯えっぷりが尋常ではない。いくら頭がはっきりしているとはいえ、おきちは93歳のおばあちゃん。彼らはそんなおきちに圧倒され、とにかく頭が上がらないんです。経済力だけではなく、会話での間合いの取り方、話題への切りこみ方など、老婆の所作、作法が、社会的に成功を収めている表の人間たちを圧倒していく……怖いほどの光景です。まるで、松本清張の『黒革の手帖』に登場するフィクサーを間近に見ているような錯覚さえありました。 ──本の中では、吉原で働くボーイたちがおきちに頭を下げる描写もありますね。 清泉 おきちは口癖で「人殺し使えるようじゃなきゃ、やってらんねえ」と言っていました。彼女が使っていた人間の中には、実際に、神戸のソープでオーナーを殺して刑務所に入ったボーイもいる。「人殺し」というのは比喩ではないんです。そんな荒くれ者や、気性の激しい女の子たちと上手く関係を作りながら、おきちは店を経営していきました。おきちのもとには、店を辞めたボーイからも、女の子たちからも「ママにはお世話になりました」っていう手紙が届けられています。 ──在籍期間も短い風俗の世界では、その場限りの人間関係になりがちですが、おきちの場合はそうではなかった? 清泉 おきちは、女の子たちにもボーイたちにも情を込めて付き合っていたんです。それが、彼女のいちばんの魅力でした。おきちには子どももいなかったので、その愛情を周りの従業員に向けることができたんですね。  赤線やトルコの時代には、自分の店だけでなく、働く女の子たちのために、ヒモや悪い男から守ってあげていたこともあるようで、今でも、かつて働いていた女性がおきちのところに挨拶に訪れて近況を語っているのには驚かされました。やはり風俗業というのは、携わった人間にとっては、あえて振り返りたくはない過去になるのだろうと信じていましたから。でも、還暦を過ぎた女性たちも、ママなんて言って、おきちのところを訪れてくるんです。風俗業で働く女性とオーナーとが、人生の晩年でも、信頼関係でつながり続けているというのは、それもまた一面の真実として新鮮に受け止めました。 ──本書には、おきちと並んで角海老グループを取り仕切る鈴木正雄会長の姿も描かれていますね。 清泉 彼は、輪タク屋を経営し、吉原界隈で働く女性たちから、ときに煙草を分けてもらいながらお金を貯めて、日本最大のソープランドチェーンを持つまでに至った人物です。はじめにつくったお店はベニヤ板で部屋を区切っただけの「あけぼの2号店」というお店。そこから店を増やし、一代で「ソープの帝王」へと駆けあがりました。
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寝首をかこうとする者には時に凄みも必要。この商売はまさに“真剣勝負”
──83歳の高齢でありながら、現在も、グループの経営に現役で携わっていますね。やはり、おきちと同様に吉原の荒波をくぐり抜けることができた人物です。 清泉 鈴木さんは戦後、上野駅の地下道で、餓死した死体を間近にしながら戦後の日々を暮らしていました。その底辺から這い上がって今の地位を手に入れたから、お金を手にする苦労を知っています。決して余計な出費などありえない庶民がこぞって、株だ、海外の国債だと資産運用に奔走する現代に、鈴木さんは有り余る財を持っていても、身の丈を超えた博打まがいの投資をすることはないし、不動産は買えども、利ざや稼ぎに転がすことはない。どんなに小さな、猫の額ほどの土地でも決して手放さない。それは決して、彼が吝嗇だから、ではないでしょう。手離すことよりも、手に入れることの苦難を知っているからだと思います。そして、それは彼の戦中戦後体験によって強く育まれたものでしょう。ソープランドという、ともすれば人に蔑まれる商売でありつつも、1円、1銭を稼ぐ大変さを肌身で理解している経営者だと思います。おきちも、吉原で働く女性たちからマー坊と呼ばれて愛された鈴木さんも、共通するのは、戦中戦後に死線をさまよったという体験です。死線を経験した人間には、僕のような第二次ベビーブーマーにはない、絶対体験があると思います。それは、言い換えれば、不退転の覚悟、とでもいうような。 ──本書では、膨大な資料から吉原の明治~平成にかけての変遷を辿っていますが、その中で吉原の「町」について印象的なものありますか? 清泉 角海老の創業者である宮澤平吉を調べていたら、意外にも当時、吉原の経営を支えていたのは明治維新後の華族たちだったことを知りました。立場のある人々が、妓楼の出資者だったのには驚きましたね。今でも、吉原神社の玉垣(神社の周囲にめぐらされている石でつくられた柵)には、昭和初期に名門・角海老のオーナーであり、衆議院議員だった遠藤千元の係累の名前も刻まれています。妓楼を持つことは、当時の人間から見れば相当のステータスだったんです。  また、今回、法務局に入っている吉原の土地台帳をすべてコピーしてもらい、戦前からの各店のオーナーから店長、そして土地の所有者を照らし合わせていったんですが、わかったのは、いずれも名前が一致しないということです。わかりやすく言えば、土地、建物、店のすべてで所有者が異なり、そして、オーナーと呼ばれる人間は「のれん」を持っている。近代以降の遊郭は、極めて輻輳的な支配関係が入り乱れているということなんです。ですから、名オーナーと呼ばれてきたような人物が、登記関係の書類には一切、登場しないということになります。  この複雑な支配関係が、赤線廃止によって構造的に変わる時代が来るんです。トルコ風呂に移行できたのは、土地の所有権を持っている人々になります。土地を担保に銀行が金を貸付けて、銀行自身がトルコ風呂経営を積極的に後押しし始めたからなんです。そうすると、土地を持っていた者がオーナーとして生き残る時代がやってきました。店のオーナーと登記上の所有権者とが初めて一致する時代を迎えるわけです。江戸以来の旧態とした支配関係の構造が、赤線からトルコ風呂への移行において初めて劇的に変わったんですね。  このように、吉原という遊郭の所有関係には、見方によっては近代日本の支配構造が象徴的に凝縮されていたようにも見えて、大変に興味深いです。
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爬虫類との愛の交歓を客たちに見せつけた「ヘビ女」の艶技は話題を呼んだ。
──今、政治家がソープランドを経営していたら大問題に発展しそうですが、かつては粋な遊びとして許容されていたんですね。 清泉 今の吉原の経営者たちには「風俗業」という認識しかないかもしれませんが、おきちや鈴木さんはソープランドに対して、江戸時代からの遊郭文化を今に引き継いでいるという誇りがあります。そんな誇りを持つ最後の世代が彼らなんでしょうね。そんな歴史を保存するため、吉原の資料を展示する博物館が作れないかと、彼らは資料を収集しているんです。 ──では、現在の吉原に対して、おきちさんはどのように感じているのでしょうか? 清泉 一時期はデリヘルに客を取られて閑古鳥が鳴いていたんですが、現在、吉原に客が戻ってきています。その理由がノースキン(NS)の店が流行しているから。そんな風潮を、おきちさんは「ダメだ」と激怒しています。 ──「ダメ」というのは、いったいどうして? 清泉 吉原は江戸の頃から衛生管理をきちっとやってきた街だったのに、NSが流行すれば衛生的に問題となる可能性がある。エイズが蔓延したら大変なことになりますよね。おきちさんは「エイズは亡国病だ」と語っています。 ──「亡国病」……ですか? 清泉 それも、江戸時代からの遊郭文化の上にいるという気概の現れでしょう。また、おきちさんはNSは商売をする女たちがかわいそうだと嘆いている。女の子を使い捨てにしたら、この商売は決して長くは持たない、女の子を犠牲にする店は生き残らないというのがおきちさんの考え方なんです。NSで吉原がにぎわうことは、女の子を犠牲にして金儲けをしているに等しい行為なんだと、そう憤るわけです。 ──いくら儲かったとしても、国を滅ぼし、女の子を犠牲にするNSはまずい、と。 清泉 そう。ソープランドのような商売にはさまざまな意見があるとは思いますが、おきちはおきちなりに女の子たちのことを考え、愛情を持って接していました。おきちと吉原にいるときに、道で「ママー!」と呼ばれて振り向くと、昔おきちの店で働いていた女性がいたんです。「あんたー、どうしたの? 寂しかったよ」と、2人は再会を喜んでいた。その光景は、経営者と風俗嬢という関係を超えて、本当の親子なんじゃないかと錯覚するような姿でした。 ──おきちさんを通じて吉原を見ていくと、文化や人情など、とてもソープランドとは縁遠いと思われていた世界が広がって見えてきますね。 清泉 だから、おきちや鈴木さんの人生はとても興味深いし、我々が学ぶところはたくさんあります。人生、経営、人付き合い、そして男と女……生々しい現実に揉まれてきた末の言葉だからこそ、あるいは、一歩間違えれば逮捕か廃業かという決死のブレードランナーとして、今まで生き残り続けて来た彼らの言葉だからこそ、その含蓄は何より説得力があるのだと思います。業種が業種だけに、彼らはこれまでも決して表立って登場することはありませんでしたが、彼らの背中は、風俗論にとどまらず、経営論、渡世論としても、これまでにない実践術として、大いに学ぶべきところがあるのではないかな、と思っています。  そして、彼らは何よりも、哀しみを抱えて生きています。「女郎屋」と世間からは蔑まれる商売に身を投じることになった哀しみをしっかりと意識して今を生きています。それがあるからこそ、彼らの言葉は戒めにはなりえても、傲慢には響かないんです。そこがまた、無二の魅力でもあります。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=名鹿祥史)
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●清泉亮(せいせん・とおる) 1974年生まれ。近現代史の現場を訪ね、「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」姿勢で、消えゆく記憶を書きとめ、発表している。本書は、清泉亮としての単行本デビュー作となる。

『龍三と七人の子分たち』俳優・藤竜也に聞いた「“ジジイ”になるって、どうですか?」

fujitatsuya041701.jpg  年を重ねる楽しさがあるのなら、こんな老後も悪くない!? 北野武監督の最新作『龍三と七人の子分たち』は、引退して寂しい老後を送っている元ヤクザの“ジジイ”たちの物語だ。オレオレ詐欺に狙われたのをきっかけに、子ども、いや孫ほど年の離れたチンピラたちに逆襲を仕掛けるジジイたち。スカッとする結末を迎えるのか、それとも寄る年波には勝てぬのか。北野監督ならではのブラックユーモアがたっぷり詰まった、もうひとつの『アウトレイジ』だ。  博打狂いのマサ(近藤正臣)、戦争に行ったこともないのに自分を特攻志願兵だったと思い込んでいる“神風のヤス”(小野寺昭)、震える手で拳銃を握る“早撃ちのマック”(品川徹)ら血気盛んな元ヤクザを束ねるのは、70歳にして再び組長となった龍三親分だ。演じるのは映画『私の男』(2014年)での好演も記憶に新しい、藤竜也。渋い、セクシーといった従来イメージを覆す“おじいちゃん”を、驚くほど楽しそうに演じている。実のところ、男性にとって年を重ねることはどういった実感があるのか。話を聞くために取材に赴くと、「タブレットで毎日サイゾーを見てるよ」といううれしい一言からインタビューは始まった。 ――北野監督からオファーがあったときは驚かれたそうですね。 藤竜也(以下、藤) オファーがあったとマネジャーから聞いたときは、そんなはずはないだろうって思いました。「そのうち映画に出してやるから金振り込め」っていう“出てくれ詐欺”なんじゃないの、って思いましたよ(笑)。台本が届いて、やっと信じられましたね。 ――劇中でも、龍三にオレオレ詐欺の電話がかかってきますしね。  台本を読んだだけでもおかしくてね。詐欺じゃないかという不安と、こんなジジイばっかりで映画になるのかっていう不安。さらにもうひとつ、撮影が終わるまでにみんな無事でいるんだろうかという不安(笑)。監督も「誰かの遺作にならなきゃいいけど」なんておっしゃってたけどね。今のところみんな元気にやってるので、「あとは公開日の舞台あいさつまで頑張んなきゃな」って励まし合ってますよ。 ――藤さんといえば、撮影数カ月前から現地に住むといった、入念な役作りに関する逸話があります。今作のキャラクターは、どのように作っていったんですか?  今回は、監督が「白紙で来てくれ」とのことだったんです。今までギャングやヤクザは何度もやっているのもあって、現場で監督の演出に従ってやっただけですね。確かに役によっては役作りを一所懸命やるんです。手に職のある人の役なら、それなりに見えるように術を会得すると、なんとなく説得力が出てくる。科学者の役をやったときは悩んだけど、その人と家族のドラマを考えた。そうやって習ったり勉強したりするのは、もともと好きなほうですね。 ――役に応じて、準備の仕方を変えるんですね。  そう。僕の一番のモットーは、楽しんでやること。楽しめない仕事はしたくない。今回は、「監督の言う通りにやること」を楽しみました。監督の一言で方向性がわかるので、修正しながら作っていきましたね。でも今考えると……北野さんというのは吸血鬼だね。僕らの持てる生命力や技術を、余すところなく吸い取ってくれる。ありがたい吸血鬼様だなと思っていました。 fujitatsuya041702.jpg ――龍三たちの乗ったバスが商店街を暴走するシーンでは、藤さんたちも実際にバスの中に乗ってらっしゃったんですよね。怖そうでしたが……。  ううん、楽しかった。 ――笑顔で即答とは(笑)。  運転してるのはプロの方でしたから、ジェットコースターのように楽しみながら乗ってましたよ。僕が座っていた側のガラスが割れてしまったというハプニングはありましたけど、それでも楽しかったんですよ。 ――「楽しかった」とおっしゃるところが、藤さんらしく思えます。  ただ、人が好きなだけなんですよ。人の話を聞くのも好きだし。僕はいつも、自分はワン・オブ・ゼムだって思ってる。多くの中のひとりと意識すると、周りの人たちの存在がとても大きくなって、いろんなことに興味が向く。話を聞いちゃおう、なにか習っちゃおうってね。僕自身には何もないし、こうやって取材のときにしゃべらせてもらえれば十分ですね。 ――ちなみに、サイゾーを見てくださっているのはどうしてですか?  いつまでも野次馬でいたいんですよ。俳優の仕事は虚構の世界で、僕らはその中心にいる。それだけで十分に満足できるし、その仕込みをするためには普段から“人”を見ていなきゃいけないから。僕もいろんな人を見て、吸血鬼になりたいんです。 ――その好奇心、野次馬根性が、藤さんの若さの秘訣なのかもしれませんね。  お金と時間がうんとあっても、好奇心がないとつまらない。どんなことにも飽きないためには、常に自分を空っぽにしておくこと。ほかのものが入ってくる余地を、たくさん作っておくようにはしていますね。 ――そう思えるようになるのも、経験値ゆえですね。  年を取ってよかったことは、素直になれること。たとえば女性に「かわいいね」って平気で言える(笑)。言われたほうも相手にしないでしょ。若いときは意識しちゃって言えないし、言ったら言ったで変に受け止められてややこしくなっちゃったりするけど、年寄りなら「どうもありがとう」って言ってもらえる。失礼なことを言っていいというんじゃなく、素直にいいと思ったことを言える、というのは年を取ってよかったことですよね。 ――逆に失ったものというと?  やっぱり若さ。体の柔軟性とか。落ちたものを拾うだけで時間がかかるんだもん(笑)。でも、それぐらいなんだよね。ほかはそんなに変わらない。昔は、年取ったらいろんなことが変わるのかなって思ってたんですよ。だけど、自分自身はたいして変わりませんね。 fujitatsuya041703.jpg ――仕事へのスタンスも変わらないですか?  全然変わらない。いまだに慣れないんですよ。仕事を受けて台本をもらって、「この役が、はたしてできるんだろうか」って悩むところから、まず始まるんです。自分が気に入ってこれをやろうって心に決めたのに、「自分にできるんだろうか」という思いを、「できる」に変えていく作業なんです。そして撮影現場で「よーい、スタート!」の声を聞いたら、あとは競走馬みたいに一気にゴールを目指すだけ。最初のカチンコが鳴るまでは、いまだにすごく気が張りますね。だけど、そういう緊張がないとつまらないとも思う。クールにホットに。相反するものなんですけどね。 ――映画だけでも毎年のように出演作が公開されている藤さんですが、『愛のコリーダ』(大島渚監督作、76年)では実際のセックスを伴う撮影法がセンセーショナルに取り上げられ、その後2年間はオファーが来なかったという経験をされています。先が見えない時期を、どのような気持ちで過ごされていたんですか?  自分を信じ続けてました。絶対に大丈夫だって。10年だったらわからないけど、2年ぐらいだったから気持ちを持ち続けることができた。それ以上長かったら、どうなっていたかわからないけどね。 ――自分を信じるというのは、口で言うより相当難しいことですよね。  持てる力をこれだけ映画に捧げたんだという気持ちしかなかったですね。やるだけのことをやったんだ、自分を信じようと。そうすればきっと誰かが、「あいつを救ってやろうよ」って言ってくれるんじゃないかなって思ってました。それにさっき言った、自分を空っぽにして新しいことを入れる上でも大事な期間だったんですよ。つまらないことでもなんでも、むきになってやってた。遊びでもなんでも、懸命にやることって本当に大事なことなんですよ。 (取材・文=大曲智子/撮影=後藤秀二) 『龍三と七人の子分たち』 監督・脚本・編集/北野武 出演/藤竜也 近藤正臣 中尾彬 品川徹 樋浦勉 伊藤幸純 吉澤健 小野寺昭 安田顕 矢島健一 下條アトム 勝村政信 萬田久子 ビートたけし 4月25日より全国ロードショー http://www.ryuzo7.jp/ (c)2015「龍三と七人の子分たち」製作委員会 ●藤竜也(ふじ・たつや) 1941年、北京生まれ。大学時代にスカウトされ、日活に入社。62年、『望郷の海』でデビュー。76年、『愛のコリーダ』で報知映画賞最優秀主演男優賞を受賞。阿部定事件を題材にしたハードな内容ながら、国際的に高く評価された。近年だけでも、『スープ・オペラ』(10年)、『はやぶさ 遥かなる帰還』(11年)、『サクラサク』、『私の男』、『柘榴坂の仇討』(14年)など多数の映画に出演。4月9日からは、ドラマ『かぶき者 慶次』(NHK総合)に出演中。

『ラブプラス』内田明理Pに聞く「コンシューマーゲームはなぜ、ソーシャルゲームに敗北したのか」

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ファンからは、「お義父さん」「内P」の愛称で親しまれた内田明理氏。
 テレビゲーム黎明期より、日本のゲーム業界を盛り上げ続けてきたコナミ。同社で『ときめきメモリアル Girl’s Side』『ラブプラス』『ランブルローズ』『とんがりボウシと魔法の365にち』など 、老若男女問わずゲームファンを魅了する中毒性高めなゲームを多数手掛けてきたゲームクリエイター・内田明理氏が3月16日、Twitter上で退社を発表した。  同社の看板タイトルを多数手掛けた名物クリエイターの退社に、多くのゲームファンは、さぞ驚いたことだろう。そこで、今回は内田氏に今後の活動の展望や、フリーランスになった今だからこそ話せる「コンシューマーゲーム業界への意見」を聞いてみた! ――退社のニュースには非常に驚きました。しかも、その報告が久々のツイートという。 内田明理氏(以下、内田) 退社報告以前の最後のツイートが、手掛けたタイトルの10周年に関するつぶやきだったので、2012年以来のツイートでしたね。当時は会社員という立場もあり、あまりつぶやかないようにしていたのですが、今はお客様とじかにやりとりできるのですごく楽しいです。 ──ファンとのやりとりを見ていると、そういう人たちと一緒に何かを作ろうとしているのかな、というふうにも見えるのですが……。 内田 まさに、そういうことをやりたいんですよ。いまやサブカル系のコンテンツがメジャーシーンに躍り出ることが頻繁にあって、メディア発信の「右へ倣え」で流行りものが決まる時代は終わってしまいました。特に若い方の趣味が多様化し、その中で突出したものがとあるきっかけでメディアに紹介され、世の中に広まる。ここ数年、そういう動きが以前にも増して活発になってきています。そのコンテンツは大企業がやっていようが、個人制作だろうが、あるいはソーシャル的にたまたま出来上がったものだろうが、関係ありません。それが本当に面白いですよね。  例えば、Google PlayやApp Storeの無料アプリランキングでは、個人がシャレで作ったようなものが普通にランクインしている一方で、大企業が作ったものが埋もれている。大企業だと会社的にやる意味をなかなか見いだせないとしても、エンタテインメントとしてはユーザーに求められてもいるという現状があります。僕も“プロのアイデアマン”を自称していますので(笑)、今後は小回りの利く立場でいろいろとやってみたいと思います。 ――具体的には、どんなことをやろうとしているんですか? 内田 まずひとつは、お客さんと一緒に騒ぎながらコンテンツを作り上げていく、ということをやってみたいですね。あとは、ゲームという形かはわかりませんが、デジタルキャラクターのエンタテインメントを、新たなモデルで作り上げてみたいと思います。  結局、デジタルコンテンツは劣化しないので、何を作っても宿命的に無料になるんです。それどころか、過去のアナログコンテンツもデジタル化されるので。今の子どもたちが、YouTubeで昔の『ウルトラマン』や『仮面ライダー』などの特撮モノを見ている時代です。新しいものを作っても、過去のレガシーと競合しなきゃいけない。これは、ゲームでも同じことです。しかも、過去にペイしたコンテンツの多くは無料に近い形で供給されるでしょう。そう考えると、デジタルコンテンツそのもので対価をいただくビジネスは、相当難しいはずです。  音楽業界はとっくにそうなっていて、パッケージでもDLでも、音源データは中高年にしか売れない。その一方で、ライブとかフェスは年々市場が拡大していますよね。つまりデータにお金を払うのは嫌だけど、「経験」に価値を感じている方が増えているということだと思うんです。僕は経験自体にお金を使ってもらうことをデジタルコンテンツでやってみたいです。ただ、アーケード以外であまり先例がないので、説明が難しくて(笑)。 ──お金を持っている世代の人ほど、そういう感覚は理解しがたいのかもしれませんね。 内田 クリエイターとしては常に新しいものを作っていたいんですけど、“プレイヤーにどれほどの素敵な経験を残せるか”という点にこだわってゲームを作ってきたつもりだし、キャラクターたちにはプレイヤーにとって単なるキャラではなく、その人の体験として、あたかも身の回りにいる人物のような存在感を持ってほしい。だから当然、そこに対する責任、というのはあると思います。「どうしてくれるの、この恋心!」というユーザーさんの声、キャラクターたちを「登場人物」以上にしてくださった皆さんにどう応えていくことができるだろう、というのはまさに今のテーマです。  僕が手掛けてきたゲームって、そのキャラクター、ストーリーの明確な終わりというものはないんです。「さあ、ここからあなたのストーリーが始まりました」というエンディングだったり、エンディング自体がなかったり。たとえあなたがプレイをやめてしまっても、ゲームの中に彼、彼女たちは生きていて、いつでもあなたとのコミュニケーションを待っています、と。まあ、陰陽道でいう「呪」かもしれませんけど(笑)。 ――ゲームに限らずエンタメ作品は、作品世界に没入した後はエンディングで日常に帰っていきましょう、という作りが定石ですが、内田さんの作品は毎回日常にどんどん介入してきますよね。『ラブプラス』人気が最高潮の頃には、熱海の旅館にDSを持っていって一緒にお泊まりしたり、実際に結婚式を挙げるプレイヤーが出現して大きな話題になりました。 内田 残念なことに、一部メディアではオタクの人の奇異な行為として面白おかしく取り上げられてしまいましたが、ほとんどのユーザーさんはちゃんとわかった上で、それに乗っかって楽しんでいるんです。「俺なんて、ここまでやっちゃったぜ!」と愛着を表現することが楽しいんです。同志と集まれば、なお楽しい。 ――ゲームが、なんからの表現行動のきっかけになっている。 内田 そうです。自らコンテンツを演出する側に加わって発信しようとする。TwitterとYouTubeが、一気にそれを可能にしましたよね。みんなでひとつのコンテンツを、エンタメとして盛り上げようとしている。旗を振って誰かがやっているわけではないのだけど、イノベーターになる人たちがいるというのは、現代のサブカルの真骨頂だと思います。  やはりここ10年ほどで、ユーザーがエンタテインメントに求めている本質は大きく変わりました。今はユーザーがなんらかの形でそのエンタメに参加して発信できる、自分もそのエンタメの一部として立ち回れる、ということを求めていると思います。 ■コンシューマーゲームはどうなる? ──ところで近年、コンシューマーゲームのビジネスが頭打ちになっている印象がありますが、実際にその市場で作品を手掛けられていた内田さんとしては、どんな印象をお持ちでしょうか? 内田 国内の話としていえば、ニンテンドーDSがコンシューマー業界のカンフル剤になったとはいえ、そもそもその以前から、強気のタイトルや予算のかかったタイトルにとってコンシューマーゲーム市場は厳しいビジネスになっていました。後に無料のモバイルゲームが台頭して、多くの人にとって、あるいはマスから見てゲーム市場のマジョリティは“暇つぶし層”である、ということが明確になりました。実際、僕らが携わっていたコンシューマーの歴代ハードでも今のアプリでも、市場が拡大したのはマスである「暇つぶし層」がゲームを「流行りの遊び」としていた時でした。  僕のお客様の多くはゲーム、あるいはキャラクターに理解の深い、いわゆるコアな方が多いわけですが、「ゲーム市場」となると、そういった皆さんと暇つぶし層の皆さんが「ゲーム専用機」のイメージに丸められて、一緒くたにされることがままあります。本当は、営業車と乗用車のビジネスくらい違うのに。そこに、ハードスペックを商品価値としづらいフィーチャーフォンを使って無料で遊ぶゲームが登場して、スマホアプリの登場後もコア層と暇つぶし層が「コンシューマー対アプリ」のようなわかりやすい構造で語られるようになったために、もともと数も金額も小さい前者が好むリッチコンテンツの需要自体が衰退したかのようなストーリーとして語られてしまうのは残念です。でも、本質はコンシューマーだから、アプリだからじゃないと思うんです。 ――先日、任天堂がDeNAと共同で新ハードを作るという発表がありましたね。コンシューマーゲームを愛するゲームユーザー側には、いわゆるソーシャルゲームやアプリゲームを格下に見ていた部分は間違いなくあると思います。その格下のはずのソシャゲ企業がコンシューマーのトップ企業である任天堂と手を組んで新たなハードを作るというニュースに、今はコンシューマーゲームというものへの考え方を、さすがに誰もが改める時期なのではないかと感じました。 内田 やっぱり無料のソーシャルゲームと、コンシューマーゲームのファンの出会いが悪すぎたんですよね。そのショックが大きすぎて、まだ誤解している方もたくさんいると思いますし、感情的に「スマホのゲームは悪だ!」と考えている方も少なからずいます。  でも、いまやスマホもタブレットもスペックとしては最先端ですし、しかも、携帯端末はそもそも持ち歩く必然があるので、そこでゲームを遊べることは誰にとっても便利じゃないですか。ゲーマーが注意すべきは、「それって、ゲーム(ビデオゲームからの流れの)じゃなくてギャンブルでは?」というところですよね。  人間の脳みそは、勝った負けた、取った取られたでアドレナリンが出て、条件反射で再び快感を得ようとします。ここにお金がかかってくるのがギャンブルで……というと、ギャンブルを否定しているように聞こえるかもしれませんが、判断力を持った大人が発散のためにギャンブルを嗜むことは、全然問題がないと思います。そういうの必要ですもん、大人には。もちろん判断力がない人がハマるのはまずいので、古今東西、あらゆるギャンブルは規制されてきたわけですが。ただ、ギャンブルとして優れたタイトルとゲームプレイやキャラクターコンテンツを楽しむためのゲームを同列にして「儲かるほうがエライ!」となると、僕のような人間には厳しい世界ですよね(笑)。 ――任天堂に限らず、最近は、かつてコンシューマーゲーム業界を支えた大手ゲームメーカーも、ソーシャルゲームやアプリゲーム主体に切り替えつつありますが。 内田 そうですね。多くの企業は、「もはやアプリの時代だ」となっているように見えます。そこで、アプリでもコンシューマー黄金期のようなメーカーブランド戦略に出るのは、自然な流れだと思います。ただ、アプリのゲームでもコンシューマーのようなリッチコンテンツの成功例が出始めたことで、今後はリッチコンテンツがアプリ市場のマスを握ると考えるのは危ないと思います。  さっきの話にも出たように、ファミコンの頃から国内「ゲーム市場」の圧倒的多数は暇つぶし層であって、その人たちは今も昔もリッチなコンテンツや複雑なゲームプレイにはあまり興味がないですから。 ――ただ従来のゲームファンは、これまで彼らを魅了してきたようなストーリー、世界観、音楽、グラフィック、プレイ感覚の、いわば総合芸術のようなゲームが今後作られなくなるのではないか、という心配もしていると思います。 内田 よくわかります。でも、僕はそうならないと信じたい。大くくりの「ゲーム市場」としては、リッチコンテンツはマイノリティでも、人数規模は減るどころか、サブカル自体の支持層は年々拡大していて、もはや、従来のサブとかメインというカテゴライズが意味を失いつつありますから。それに、(プラットフォームが)スマホであることや、入り口が無料で、その後コンテンツに課金していくというスタイルは、優れたシステムだと思っています。  パッケージ販売しかない頃は、自分が楽しめるかどうかわからないゲームに6,000~7,000円出すという、それこそ賭けをしなければいけませんでした。でも、課金スタイルだと試しに遊んでみて、そこで初めて「これ楽しいから100円使ってみようかな」「次は500円使ってみようかな」という判断ができるので、ユーザーから見ても合理的でフェアなシステムだと思います。  ただ、このシステムだとスケールメリットを使った販売戦略が打ちづらいので、リリース前の開発費で冒険できません。だから、そこは作り手が工夫すべきです。工夫する方法がないかといったら、そんなことは全然ない。現状、アプリゲーム開発では、「とにかく安く始めて、うまくいったらお金をかけよう」という方法(実際は、うまくいったら「じゃあ、お金かけなくていいや」になりがちですが)か、「リスクを冒してリッチコンテンツで差別化しよう!」の両極に振れているようですが、その中間になるビジネスモデルとユーザーの開拓が、業界の当面の課題だと思います。 (構成=編集部) ●内田明理Twitter @Akari_Uchida

「音楽的なレベルは10段階で5」孤高のラッパー5lackに聞く、日本語ラップが“アングラ”から抜け出せないワケ

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撮影=Katsuhide Morimoto
 2009年、『My Space』『Whalabout?』2枚のアルバムで、突如として日本語ラップシーンに登場し、衝撃を与えたトラックメーカー/ラッパー、5lack(S.L.A.C.K)。“オラオラ”感あるラップとは一線を画す、音楽性を重視した心地のよい脱力系ラップを奏で、シーンに新たな世界観を構築した。コンスタントに作品を発表し、日本語詞の表現領域を拡張し続ける一方、実兄PUNPEE、GAPPERとのユニット・PSGや、Budamunk、ISSUGIから成るSICK TEAMとしても活躍する5lackだが、注目度の高さとは裏腹に、あまりメディアの前に姿を見せることはない。そんな彼が、3月25日(水)にニューアルバム『夢から覚め。』をリリースするという情報が舞い込んできた。飄々とシーンを駆け抜ける新世代ラッパーが今の日本語ラップシーンをどのように見ているか、話を聞いた。 ――5lackさんは、あまりインタビュー取材を受けないイメージがありますが、今回はなぜ、日刊サイゾーの取材を受けようと思われたんですか? 5lack 聴きやすいアルバムができたんで、宣伝もありますし、自分のことをあんまり説明できていなかったんで、この機会に話せればと思いまして。今までは「これ以上、有名になりたくない」「顔を知られたくない」とか思ってたんですけど、最近は余裕ができたというか。厄年が終わったからですかね(笑)。厄年中、挑戦と結果と挫折で、かなり食らってた。大きく円くなる瞬間って、生きていれば誰でもあると思うんですけど、今はそこです。
――とはいえ、音楽的にはシーンの内外から評価され、結果も出していますよね。どんな挫折があったんですか? 5lack 叶えられる理想と、叶えられない理想の予想がついた。「あぁ、これはやっても無駄だな」と。世の中、改善点が見えても、どうにもできないことって多いじゃないですか。個人的な話でいえば、仲間と真剣に「ラップで飯を食う」ってことをやりたかったんですけど、難しいですね。他人を動かすというのは。一番年下なんで、気の利いたことも言えなかったし、生意気に相手の悪いところばかりを指摘してしまって……。どんどん嫌なやつになってきちゃった。距離が近いと、すげー気になるじゃないですか。それで福岡に引っ越したというのもあります。 ――今までは、音楽で飯を食うために東京に出てくるというのが一般的でしたが、5lackさんは2013年、東京から福岡に移った。同地在住のビートメーカー、OLIVE OILと制作した『50』では、これまでとはまた違った空気をはらんでいますね。 5lack でも、意外と地方のほうが食えるようになるかもしれないですよ。家賃だって安いし、曲は家でも作れる。今のほうが、東京にいた時より、グレードが上がった生活しています。世田谷みたいな場所に、板橋くらいの家賃で住めますから。昔住んでいた場所より、いま住んでいる福岡のほうが都会だし。福岡に住みつつ、仕事で東京に来る感じですね。
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――最近では実の兄であるPUNPEEさんが、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の音楽を担当したり、『レッドブル』のCMに楽曲が使われるなど、メジャーな仕事をしていますが、そこでスイッチが入った部分もありますか? 5lack 兄貴に限らず、周りの仲間がいろんなことやりだしていますよね。俺はずっと90年代っぽいこと、ストイックでアングラ風な感じがカッコいいって思ってやっていたんですけど、最近はなんでもありかなって。ちゃぶ台返しじゃないけど、俺もこれからいろいろやって、みんなの仕事を奪っちゃおうかなと(笑)。でも、兄貴とはまったく役割が違うと思っています。兄貴は入り口を作る人。でも、俺はもっと深いところで音楽を突き詰めたいんです。常に目指しているのは世界基準。海外の基準で新しいと思われるものを作りたい。でも、それが日本でヒットするかはわからない。だから、今の若い子たちが、大人になった時に、「5lackって、いま聴いたらヤバくない?」ってなればいいと思います。昔からシーンのど真ん中で注目を浴びるより、端っこのほうで黒レンジャーみたいな存在になりたかったんで、今けっこう理想的なポジションです。 ■本当にジャンルをよくしたいなら、みんなが正しい評価をしなきゃいけない ――そういう意味で、現在の日本語ラップシーンについて思うことはありますか? 5lack 音楽とかまじめな話をするとしたら、正直興味ないです。日本語ラップを楽しむっていう意味では、よくなるといいなと応援しています。でも、ジャンルのレベルとしては、最高が10だとしたら、5にも達していない。 ――知名度的に? それとも音楽的ですか? 5lack 音楽的ですね。知名度的には上がってきているんじゃないですか。でも、歴史とか文化とか、そういうのはないし、今の流行は自由の尊重ですよね。その行きつく先は見えるし、その時に今と同じスタミナがあるかな? とは客観的に見ています。本質がないままはやっちゃうと危険というか。周りのやつらは、金になる限り、そいつのことを使い尽くすだろうし、使えなくなったら終わりですよね。 ――“さんぴんcamp”前はコミカルなラップばかりだったのが、さんぴん以降は不良性やメッセージ性がある日本語ラップが出てきて、それがスタンダードになりました。そして、2009年くらいから5lackさんのようにラップの音楽性を重視するラッパーが出てきた。でも、いまだに“巧さ”を追求するラップがムーヴメントにはなってないように感じます。 5lack 俺みたいなのは、都合悪いんでしょうね。合コンに、自分よりルックスの悪いやつを連れていく、みたいなノリっていうか。 ――(笑)。一緒にされたくないっていう気持ちもありますか?
5lack いや、一緒にしてもらってもいいです。曲を聴き比べてもらったら、損するのは俺らではないから。ボブ・ディランとかニール・ヤングとか憧れるんですけど、できるやつが(世の音楽のスタンダードに)出てくると都合悪いやつらって、いっぱいいたんじゃないかなって。アメリカで長い時間を過ごしたKOJOE君とかすごいラップ巧くて、初めて聴いた時「日本語ラップの人たちはやっぱり……」と思った。でも、「KOJOE、俺よりヤバい」って言えるラッパーっていないじゃないですか? 本当にジャンルをよくしたいなら、みんなが正しい評価をしなきゃいけない。でも、いいものを隠すんですよ。本当によくするんじゃなくて、自分にとっていい状態にする。それが、シーンがよくならない一番の理由な気がする。
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――現在の日本語ラップシーンにはさまざまなタイプのメディアがあるわけではなく、曲のリリースと曲に関するインタビューが大半のように思います。シーンが、メディアの力によって盛り上がることは期待していますか? 5lack 俺がいる世代では、「Grateful days / DragonAsh feat.ACO,ZEEBRA」みたいなの(芸能メディアにも取り上げられる曲)は出ていない。そういう盛り上がりを経験していないから、それが良いのか悪いのかわからない。でも、アンダーグラウンドでやってるやつの9割方が、意外とメジャーをバカにできるほどの実力を持ってないと思うんですよ。アングラっていうのを都合のいいことに、メジャーとか、自分にできないことをしているやつらを否定している。  メジャーで活躍する知り合いもできて、彼らが頑張っているのもわかったし、彼らもアングラぶることはできると思う。そういう意味でも、いま日本語ラップのやつらがメディアの力で表に出て注目されても、命が短い。たとえば、井上陽水さんクラスになれる才能があるやつらは、シーン全体でギリ1人か2人なんじゃないかな。「ワルが音楽やっている」っていう売りしかないと、だらしないだけのジャンルになっちゃう。もっと本気で音楽を突き詰めていく、日本語ラップを音楽として消化できるやつらが集まる、健全なジャンルになってほしいですね。 (取材・文=石井紘人@FBRJ_JP) ●5lack(スラック) 1987年、東京生まれ。ラッパー、トラックメーカー。現在は福岡に居を移し、精力的に活躍している。 ●『夢から覚め。』 3月25日発売の5lackニューアルバム。ほぼすべての楽曲のトラックを自ら手がける。 発売/高田音楽制作事務所  価格/2,390円(税別)

ロングインタビュー「“薬物依存症の田代まさし”を、やっと受け入れることができた」

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58歳で、この若々しさ
 人気ミュージシャンからお笑い界への華麗な転身後、志村けんとの名コンビをはじめ、“ダジャレの帝王”“ギャグの王様”としてバブル期のテレビを駆け抜けた田代まさし。  しかし「白い粉」との出会いが、ファミコンソフトにまでなった人気者を奈落の底へと突き落とす。5回の逮捕と2回の懲役を経て、現在はダルク(薬物依存症者のリハビリ施設)で薬物依存からの回復プログラムを受ける田代。そんな彼がその壮絶な薬物体験、獄中での日々、そして現在のリハビリ生活から「本当のクスリの怖さ」を伝えるコミックエッセイ『マーシーの薬物リハビリ日記』(泰文堂)を発売する(マンガ・北村ヂン)。今度こそはと言いながら断ち切れなかった薬物。今、田代の胸に去来するものとは。
本日19時30分よりトークライブ生中継!
――まずは本を出版するきっかけを教えてください。 田代 今回この本を出した根本的な理由としては、今までは自分で犯してしまった罪から遠ざかりたい、逃げたいとばかり思っていたんだけど、それが回復に一番よくないことだったと、今ダルクという施設でプログラムを受けている上で気がついて。ちゃんと薬物と向き合わなきゃダメなんだと。俺が本を出したり、ブログやTwitterを始めたことでネットでは「田代が復帰!?」みたいに騒がれてるらしいけど、俺の中では本当の薬物の怖さというものを、いまだ苦しんでいる人たちや、まだ薬に出会ってない人たちに伝えることが、今自分にしかできないことかなと思っているし、それこそが自分の回復にもつながると思っています。以前は早く芸能界に戻りたい、応援してくれる人たちに早く立ち直った姿を見せたいと、そればかり考えてた。でも、それではダメだったんだよね。ありのままの自分を受け入れて、今日一日薬物を断っている姿を見せていることが、一番の恩返しなんだよ。 ――そのように気持ちが切り替わったのは、なぜですか? 田代 今まで自分で自分のことを「薬物依存」なんて思ってなくて、強い意志とか根性があればやめられるって思ってたんだよね。でも、この本にも書いたけど、クスリの怖さはそんな甘いもんじゃなかった。実は最初にダルクに来たときも「本当にこんなところで回復できるのか」って、半信半疑でね。ダルクの考えは「回復に一番大切なのは、同じような苦しみを抱えた仲間たちと一緒に歩むこと、そしてその仲間たちを手助けすること」。僕自身も(日本ダルクの)近藤代表と一緒に全国のフォーラムに足を運んで自分の体験談を話したり、仲間たちとハグしたり握手したりすると、不思議なんだけど徐々に変化が起こってきたの。どうしてそうなるのかは自分でもわからない。ただイメージだけど、今まではそういう場所にいると逆効果だと思っていたのが、今はすごい安心というか、「ここに俺の居場所がある」って感じる。刑務所から出てきて、仕事もなくて、知り合いからも疎外されて、「これからどうやって生きていこうか」と思い悩みながら生きていくより、自分の居場所を見つけて、そこで花を咲かせればいいやって、考え方が変わってきたんだと思う。 ――それまでは疎外感や孤独を感じていましたか? 田代 薬物依存からの回復に「孤独」が一番よくないらしい。一人で頑張ろうと思っていたのがよくなかったんだよね。クスリをやるときに必ずそばで教えてくれる仲間がいたように、クスリを止めるときにも仲間が必要。そして自分がちゃんとしていて、初めて誰かにメッセージを届けられる。誰かを勇気づけると同時に、自分も勇気づけられる。そういう気持ちになったのは本当に初めて。自分ひとりでなんとかなると思って、決意して、やっぱりダメで、いろんな人を裏切って。すごく大切なものをいっぱい失ってきてるのに、それでもクスリを止められなかったわけだから。 ――今はどういう生活を送っているのですか? 田代 毎日スタッフとしてダルクに電車で通って、事務所の掃除したり電話番をしたり、会報の封筒貼りしたり。薬物受刑者からくる手紙に返事を書いたりもする。それから近藤代表と一緒に全国の保護観察所のイベントに行ったり、講演で警視庁に行ったりもしてますよ。 ――警視庁!! 田代 今まで警視庁には罪を犯してしか行ったことないのに、手助けする側で行くのがすごい不思議だった。「俺、今警視庁にいるんだ……」って(笑)。 ――ドキドキするものですか? 田代 震えはしないですけど、やっぱりドキドキはするよね。悪いことしてないのに。
本日19時30分よりトークライブ生中継!
marcy031703.jpg ――出所されてから、どんなプログラムを受けていたのですか? 田代 今でも受けていますけど、「リカバリーダイナミクス」っていうプログラムを週3で。あと、できるだけ夜はミーティングに行く。同じ薬物依存の仲間たちが自分の体験談を話し合う。それに参加するのが、すごく励みになる。自分だけじゃないんだって。ミーティングでしゃべる前には必ず「薬物依存症の○○です」って言わなきゃいけないんだけど、始めた頃はそれにすごく抵抗があった。依存症だって認めたくない。だけど今は、それを素直に言えるようになりました。 ――認めたくないと思っていたのはなぜですか? 田代 ダメ人間の烙印を押されているようでね。だけど認めれば楽になる。スッと軽くなった。 ――この本を読むと「薬物依存」の本当の怖さがわかる気がします。今までは単純に「怖いもの」としか思っていなかったので。 田代 薬物は意志ではやめたくても、脳が覚えているんです。そうなると、どうにもならない。それが本当に怖い。 ――自分が自分でなくなっていくような? 田代 今までハッピーになりたいとか仕事がうまくいくようにとか、そういう気持ちで使っていたのが、そのうち生活のために使うようになってくる。俺はすごいアガリ症で、人前でしゃべるとか、すごい緊張しちゃう性格なんですよ。手も震えるし滑舌も悪くなる。前回刑務所から出て記者会見に臨んだときに、うまくしゃべれない、手も震えてるでしょ。「あいつ大丈夫なのか?」って。逆ですから。クスリ使えば震え止まるし、滑舌もよくなるんだから(笑)。 ――それだけ芸能界という場所での緊張感はすごかったんですね。一発勝負の緊張感。 田代 そう、一発勝負のために一発打っちゃった。 ――(笑)。売れれば売れるほど、プレッシャーは強くなるものですか? 田代 でもね、そういうこと言うと「そんなクスリに頼らなくたって、頑張ってる人いるでしょ?」って言われちゃうから。でも俺はダメだったな。結構プレッシャーはキツかった。毎日面白いことを言い続けなきゃいけない、みんなの期待に応えたい。 ――それがまた緊張につながって。 田代 逆にどんどん硬くなるんだよね。今日ね、テレビで「鈴木雅之デビュー35周年記念アルバム発売」っていうのを見て、あぁこいつスゲエな、35年も歌い続けたのかって思ったんだけど、アレ? 俺も35年かって。2人でバンド作ってデビューして、俺は途中からバラエティの世界に行ったけど。 ――バラエティに行ったときは、どういう気持ちでしたか? 田代 歌でコイツ(鈴木雅之)には絶対に敵わないなと思ったんだよね。じゃあコイツに勝てるものはなんだろうと。それが「面白さ」だった。じゃあ俺はそれを追求していこうと。 ――なるほど。 田代 鈴木雅之がね、言ったの。「俺は歌で日本一になるから、お前はお笑いで日本一になれ」って。そんな2人が別々にがんばって、またバンドで合わさったらすごいグルーブになるじゃないかって。 ――とはいえ、ミュージシャンからお笑いの世界って、ギャップはありませんでしたか? 田代 最初はありましたよ。ミュージシャンのプライドもすごく強かったから。なんでここまでみんなにバカにされたり笑われたりしなきゃいけないんだって。バンドのときにファンだった人は「田代さん!」って言ってたのに、それがいつしか「田代!!」に変わって。おい、田代じゃねぇだろ、田代さんだろ!! ってね。
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marcy031704.jpg ――それはおそらく「志村うしろ!!」と同じ感覚で言ってるんですよね。 田代 そうなんですよ。バンドやってた期間よりもバラエティやってる期間が長くなってくると、あぁこれも全部含めて「俺」なんだなって思えるようになってきた。だってね、刑務所に居ても、みんな志村さんのこと聞いてくる。「志村けんと優香は付き合ってるの?」とか。 ――鈴木雅之さんの話は聞かれました? 田代 ありましたよ。「悪かった時代に、いつも聴いてました!」って、お前、今も悪いじゃねえかよって(笑)。でも「僕の青春でした」とか言われると、胸が苦しくなったなぁ。 ――おつとめ中は、どんなことを考えていましたか? 田代 服役中はさぞかし反省して罪を償っていると思うでしょ? 全然! 「出たらまた一緒にやろうよ」みたいなやつばっかりだから。だって、そういう場所なんですよ。コネクションをつくる場所。クスリを止めたい、薬物依存から回復したいと思っている人はあまりいない。まだ“気がついていない”人ばっかりだから。 ――おつとめは逆効果じゃないですか。 田代 かえって「同じ釜の飯を食った」みたいな仲間意識は強くなるから厄介。塀の中でも助け合ったんだから、出てからも助け合おうと。薬物から立ち直るという点では、あそこはまったく意味のない場所です。ただ自由を奪われてそこに閉じ込められてるだけ。クスリ使ってすごい気持ちよかった夢とかすごく見るしね。 ――あまり意味ないんですね。 田代 俺がこんなこと言うのも変だけど、薬物で捕まって刑務所に入れるんだったら、こういう(ダルクのような)施設に入れたほうが、よっぽど回復する率が高いんじゃないかと思う。だって刑務所って、食費だの光熱費だの刑務官の人件費だの考えたら受刑者1人あたり月に35万以上かかっているらしいよ。 ――そんなに! 田代 でもダルクだったら入所して16万くらいで済むわけだから。そっちのほうがお金もかからないし回復も早い。 ――今回本を出版することについて「田代復帰=芸能界は薬物に甘い」という論調で批判する人も多くいますが、そのことについてはどう思われますか? 田代 甘くないでしょう。だって一般の人が捕まったってニュースにもならないし、刑務所から出ても誰にも気がつかれませんけど、芸能人はものすごいバッシングを受けますよ。のりピーが捕まったときに「スゲェな、あんなに記者が来るんだな」って妹に言ったら「お兄ちゃんのときはヘリコプター飛んだんだよ」って言われたし。出所して家を借りようと思っても「あ……田代さんですよね、私はいいんだけど、うちの主人がちょっと……」って、大家さんに言われちゃう。自分だけだったらいいけど、カミさんのお母さんから「あなたのおかげで洗濯物を外に干せなくなりました」って手紙来たこともある。それくらい影響力あるし、身内にも迷惑かけるんです。 ――うかつに外も歩けませんしね。 田代 ダルク通うのに電車に乗ってたら、一般人に盗撮されて写真誌に持ち込まれてたんだよね。俺は盗撮で捕まったのにお前らはアリか! って思ったよ! ――本当ですね、匿名をいいことに。 田代 盗撮ついでに言うと、アダルトビデオの盗撮コーナーに俺の似顔絵使って「マーシーおすすめ!」とか書いてあるらしいんだけど、俺すすめてねぇよ!! 俺のレーベルとかもあるらしいじゃん。
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――『盗撮マーシー無修正』と『盗撮マーシープレミアム』があるらしいですね。 田代 やかましいわ! 一回俺にお伺いを立てろ!! ――よくも悪くも“マーシー”はキャッチーなんですよね。マーシーがひとり歩きしてるというか。 田代 刑務所で坊主になってヒゲも剃ってたら、受刑者の1人が「この刑務所に田代まさしがいるんだって、知ってる?」って言いに来たの。俺そんなに変わっちゃったんだって、ショックだったな。やっと最近ですよ「田代さんですか?」って声かけられるようになったのは。 ――確かに、今日もここに来るまで、田代さんどんな感じになられているのか少し心配でした。 田代 アレでしょ? 逮捕前のあの写真のイメージが悪すぎるから(笑)。あれは本当に警察のいいキャンペーンになっただろうね。「クスリ使うと、こんなになっちゃうぞ」っていう。 ――ASKAさんとか、そんなに見た目は変わってないですもんね。 田代 人によるんだって。クスリ合うやつは飯も食えるし、寝れる。だから痩せこけない。 ――本にも書いてありましたけど、薬物に悩む芸能人の回復を助ける“芸能人ダルク”は画期的だと思います。 田代 芸能人だからこその悩みはありますから。今の俺みたいにこうやって(薬物依存とは)出せないだろうし。以前はイベントなんかで掟ポルシェに「この間、田代さんと焼肉行ったら、田代さん、炙って食べてましたよ~」とか言われると「よせよ! 言うなよ!」ってムキになって反論してたけど、今はダルクの仲間と焼肉行って「炙りかよ!」ってギャグで言えるようになった。そもそも出所してすぐにダルクの会長と食事に行ったのが「しゃぶしゃぶ」だからね(笑)。でも腫れものに触るように扱われるよりも「炙り焼肉3人前!」って、元気に言われたほうがいい。気が楽です。 ――そう言えるようになるまでは長い年月が必要だったんですね。 田代 自分で依存症だと気づいて、認められるようになるまでにはね。先日、昔のマネージャーが食事に誘ってくれたんだけど、そいつが「もしあのとき田代さんが捕まってなくて、ずっと芸能界にいたら、どうなってたんだろうってよく考えるんです」って言うんですよ。今まで俺は、そんなこと考えたこともなかった。どうだっただろう。クスリに頼らずプレッシャーに負けて潰れていたかもしれないし、そんなの跳ねのけて今でも頑張っているかもしれない。それは、なってみなきゃわからないよね。 ――ファンとしては、志村さんとのコントをまた観たいです。 田代 そういう風に言ってくれる人が結構いてくれて、すごくありがたいなって思うんだけど、でもテレビを観ていて、俺がいなくても何事もなかったように流れていくじゃないですか、芸能界は。自分の存在なんてちっぽけだなって思えたし。 ――虚しさを感じますか? 田代 虚しさというか……前ね、雑誌の「嫌いなタレントランキング」で、俺3位に入ってたのよ。1位が麻生太郎で2位がキムタクで3位が俺。この並びに入るか~! って、スゲー嬉しかったんだよね。いいにつけ悪いにつけ「取り上げてくれている」ってことが。でも最近になって「消えそうなタレント」にも入ってないことに寂しさを覚えて。あぁ、そこからも消えちゃったのかって。 ――「嫌われ」も「消えそう」も人気のバロメーターですもんね。 田代 だから今Twitter始めて、いきなりフォロワーが3万とかいって、まぁコメントの60%はお叱りだけど、そこにコメントするって労力いるじゃない? 俺のために時間を割いてくれている人がいるっていうことが嬉しいって、思うようにしてる。
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marcy031702.jpg ――これから田代さんがやりたいことは何ですか? やっぱり芸能界復帰? 田代 今は自分の回復と人の回復のために時間を使いたいし、まだプログラムも受けている段階だからね。薬物の依存症に特効薬はなくて「はい、これで回復しました」とはいかないんだ。うちの近藤代表も34年以上やめているのに「まだ明日はわからない」って言う。あのときの快感を脳が覚えてて、モノ見ちゃったらわからないってまだ言うから。 ――「今日一日止めた」ということが大事だと。 田代 「今日一日」が長いなら「今この瞬間」でもいい。それを積み重ねていくしかないから。俺は今与えられたところで咲きたい。そのためにはこの本や、こういうインタビューが苦しんでいる人たちの助けになればいいと思います。 ――今は「ダルクの田代まさし」として働いているわけじゃないですか。もし田代さんがまた転んでしまったら……。 田代 ダルクに迷惑かけるだろうね(笑)。近藤代表も「ダルクとしてこんなに田代くんの面倒みてて、もし田代くんがスベっちゃったら(※再度薬物に手を出すこと)どうするの?」ってよく聞かれるんだって。でも「だからいいんだよ。クスリがそれだけ怖いってことがわかるじゃん!」だって。 ――田代さんが今、幸せだと思うことは何ですか? 田代 人は誰でも幸せを求めて生きていると思うけど、かつての俺はクスリに幸せを求めてました。だけど今はクスリがなくても幸せだと言える。広島のダルクに講演に行ったときに、スタッフさんがお好み焼き屋さんに連れていってくれたんだけど、そこの大将が「田代さんですよね? サインもらってもいいですか?」って。事件を起こして俺のサインを外した店はたくさんあっただろうに、この人は今の俺にサインを求めてくれるんだって思った。サインを求められることがこんなに嬉しいことだったなんて、今まで知らなかったですよ。それですごく丁寧に書いて、似顔絵やコメントも入れて渡したら「ありがとうございます! 飾らせていただきます!」って。油がつかないように丁寧にラップでくるんでね、それ見て感激してたら、色紙の裏側を固定するのにラップを火で炙った! ――炙り!! 田代 止めてよ!!(笑) でも、売れて勝ち続けているときには絶対にわからなかった感情だよなって思った。こうやって失敗してみて、初めて人の優しさとか思いやりとかすごくわかるから。 ――以前は「復帰に向かって進んでる」ことが幸せでしたか? 田代 うん、たぶんそれは誤解してたんだよね。それが自分にとっての幸せだし、応援してくれる人もきっとそうだろうって。でもね、「人のために止めたい」っていうのが回復に最も邪魔なの。今回は「自分のために止めよう」って思った。クスリ使うのも何かのせいにしていたし、止めるのも「応援してくれる人のため」とか自分以外の誰かに責任転嫁してたんだと思う。 ――今ドラッグを取り巻く環境について、田代さんはどう思われますか? 田代 俺も最初はファッション感覚で、「黒人ミュージシャンはみんなやってる」っていう……。そもそも俺、シンナー吸ってた不良だったし。だけど今出回ってる「危険ドラッグ」なんかは、成分がなんだかわからないんだから。精神も肉体も完全に壊れちゃいますよ。ダルクでも勉強してることだけど、いかに「最初の一回」に手を出さないか。生まれ育った環境もあるだろうし、周りにいる仲間にもよるし、そういう場所にいたって、やらない人ももちろんいるけど、誰しもクスリに遭遇する危険があるっていうことは念頭に置いたほうがいいと思う。 ――過去に戻れるとしたら、やっぱりそのことを伝えたいですか? 田代 最初に使う瞬間に戻って「ダメだよそれ! 大変なことになるぞ!」って言うかなぁ。でもさ、ここに飾ってあるロイ神父、近藤代表はこの人に助けられたんだけど、ロイ神父が言うには「偶然はない」んだって。クスリを使った過去も、その怖さと向き合って立ち直ろうとしている現在も、全部が必然。捕まってダルクに出会ったから、今こうして話もできるわけで、もしうまいこと逃げられて、ずっとクスリを使い続けていたら、そのまま死んでいたかもしれない。 ――考えてみたら、こんなかたちでクスリの怖さを伝える芸能人って、今までいなかったんじゃないですか? 田代 そりゃそうでしょう。芸能人だったら、そのイメージからなるべく早く離れたいもの。 ――じゃあ第一人者ですね。 田代 パイオニアだ(笑)。 ――ネットでは「田代まさしのリハビリ本はピンクの電話のダイエット本みたいなもん」などと揶揄されていますが。 田代 ……誰がリバウンドの女王だよ!! (取材・文=西澤千央/写真=尾藤能暢)

平和を愛する“元アウトローのカリスマ”瓜田純士が川崎中1殺害事件に提言「チンコロする勇気持て」

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瓜田純士と麗子夫人。
「少年よ、チンコロする勇気を持て」  “元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(35)が、川崎中1殺害事件に憤怒。同じような悲劇を繰り返さないための対策として、「もし怖い先輩に脅されて困っている子がいたら、今すぐ周囲の大人を巻き込んで警察に通報しなさい」と呼びかけた。また、親の目が行き届かない環境を減らすため、そして暴力的な映像を子どもたちに見せないためにも、「親は子どもにスマホを買い与えるべきではない」と力説した。  川崎中1殺害事件を聞き、居ても立ってもいられなくなった瓜田が、日刊サイゾーに思いの丈をぶちまけた。自身も不良時代に幾度となく大人数に囲まれ、リンチされた経験を持つ瓜田だが、「わずか13歳の子が、万引きを断っただけで4つも5つも年上の連中に深夜の河原へ連れて行かれ、冷たい川を泳がされ、シメられて……。彼がどれだけ怖い思いをしたのか、俺でさえ想像を絶するよ。二度とこんな事件が起きちゃいけない。そのためには世の中が変わらなくちゃいけない」として、各方面に怒りの緊急提言だ。 ――川崎中1殺害事件を知り、まず何を思ったでしょうか? 瓜田 アイツら(犯人グループ)がもし今、俺の目の前にいたら……。これ以上は言えないぐらい、絶対に許せない事件なんだけど、その許せない奴らを周りが放置していたから、犯人グループが調子に乗って今回の事件が起きた、というふうに僕は考えます。何かこういう事件が起きるたびに周囲の環境のせいにする傾向があり、その風潮には僕も抵抗を感じますけど、そうは言っても今回の被害者は年端もいかない13歳の少年です。周りの大人たちが先手を打つことはできなかったのか、という憤りを感じますね。 ――具体的に、周囲の誰が、どうするべきだったと思いますか? 瓜田 親でも先生でも近隣住人でも誰でもいいから、被害者の上村君が不良グループから万引きを強要されたり暴力を振るわれたりしている様子を察知した周囲の大人が、もっと早い段階で警察に通報して、大ごとにするべきだったと思います。 ――事件の約1カ月前、上村君がケガをしていることを知った、上村君と親しい先輩のグループが、加害者の18歳少年A宅に謝罪を求め押し掛け、警察も出動する騒ぎがあったようです。その一件で「チクられた」と根に持った少年Aが、上村君の殺害に及んだと見られています。
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新宿・靖国通りにて。
瓜田 少年A宅に乗り込んだ先輩グループの男気には感動しますけど、ここまで相手が悪質だと、子どもたちの間だけでトラブルを解決しようとしても、それは難しい。少年Aの親から通報を受けて警察も駆けつけたらしいですけど、現場での騒ぎが収まれば、警察の役目はそこで終わりです。だけど、被害者が親同伴で学校の先生も巻き込んで警察に駆け込んでりゃ、そうはならない。警察は細かい内容に耳を傾けざるを得ないからです。「警察はアテにならない」という声もよく聞くけど、そんなことはない。天下の警察を、もっと信じろと言いたい。もし今、怖い先輩に絡まれて困っている少年がいたら、親に相談して警察に駆け込めばいい。親がアテにならないなら先生、先生もアテにならないなら自分ひとりで警察に駆け込んでチンコロ(密告)しなさい。もし自分も悪いことをやっているなら、それを洗いざらい白状してから、周りのもっと悪い奴らの悪事をすべて告げ口してやればいいんです。 ――密告がバレた場合の報復が怖い気もするのですが。 瓜田 報復が怖かったら、家から一歩も出なけりゃいいんです。家にヤカラが来たら、その都度、110番通報すればいい。 ――元アウトローで元格闘家の瓜田さんですから、「腕力を鍛えて相手と戦え」とでも言うのかと思いきや、「警察に頼れ」とおっしゃるとは、意外です。 瓜田 これはすべての不良少年に言いたいんですけど、立ち向かう勇気は真の勇気じゃない。立ち向かうよりも、チンコロするほうが、よっぽど勇気があるんです。
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六本木の街角で知人と遭遇。
――不良少年たちの間では、「警察に泣きつくのはダサい」という考えがあるのでは? 瓜田 警察に言うのは恥ずかしい、地元の仲間や先輩にバカにされる、だから気乗りしないけど悪いことを続けよう……っていう考え方ですよね? 僕も昔はそうでした。でも、それこそが、超ダサいんですよ。本当に根性があって本当に筋が通った奴は、「邪魔しないでくれ」と言えるんです。メンチを切り合うよりも、「今忙しいんで」「部活があるんで」と言って目をそらせる奴のほうが、勇気がある。僕は目を閉じる勇気がなくて見ちゃっていたから、トラブルだらけの人生になって、何度も命を落としかけた。目を見る勇気は誰にでもある。でもそれは、怖いからこそ相手を見てしまい、相手の土俵に乗ってしまっているだけ。例えば駅で変な奴に絡まれたときに、「上等だ!」ってやり合うのは一見勇気があるけども、それによって、自分や、自分の愛する人や、周囲の人がケガをしてしまったら意味がない。駅員さんに「変な人に絡まれているので、警察を呼んでください!」と言える奴のほうが勇気がある。一緒にいる友人や知人に「ダサい」「弱虫」と思われようが、それは氷山の一角の評価であって、駅にいるその他大勢から見て勇気があるのは、真っ先に「誰か助けて!」という声を上げられる人なんですよ。 ――しかし、今回の事件の被害者の上村君は、「不良グループから抜けたい」「万引きはやりたくない」という意思表示をした結果、殺されてしまいました。 瓜田 彼はイヤなことをイヤと言える、勇気のある子だった。ただ、いかんせん、年齢差や体格差があり過ぎたため、卑怯極まりない連中にねじ伏せられてしまいました。だからこそ、周囲の大人の存在が重要なんです。子どもの小さなヘルプサインを拾い上げて、的確な判断力で助けてあげられるのは、親、先生、警察などの大人しかいないんです。
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クラブのVIP席から睨みを利かせる。「街には“本物”がいないとダメ」。
――瓜田さんは元アウトローですが、今回の加害者グループについて思うことは? 瓜田 弱いものイジメをするような奴は、男として下の下ですよ。絶対にのさばらしちゃいけない連中です。もし中学時代の僕と出会っていたら、僕はコイツらに、二度と立ち上がれなくなるぐらいのヤキを入れていたと思います。僕もこれまで数多くのトラブルを起こしてきましたが、どれも基本的には、あり得ない大人数や、強い者に立ち向かって行くというスタンスでした。幼稚園時代には、病弱な兄がイジメられていたから、加害者の名前と顔を調べて、積み木でそいつの頭をカチ割ったこともある。それも決して褒められた行為ではありませんが、僕は昔から弱いものイジメだけは大嫌いで、強い者に立ち向かって行くという哲学で、アウトローをやってきたわけです。でも、前の話に戻りますけど、そういう僕も、所詮はただの弱虫なんですよ。格闘王の前田日明さんに、さんざん噛み付いたこともあり、周りは「あんな強い男に噛み付くなんて勇気がある」と思ったかもしれませんけど、僕はただ怖いから噛み付いていただけの弱虫野郎なんです。前田さんから見たら、「邪魔すんなよ」っていう話であって、自分の大切な興行や選手を守るために、徹底して僕を無視し続けた前田さんこそが、真に勇気ある男なんですよ。 ――そういう考えに至ったのは、いつですか? 瓜田 去年ですね。本を出して、結婚して、僕にも守るべきものができた。今の安全な生活を失いたくない、今ある安定や温かい人間関係を失いたくない。そういう怖さがあれば、余計なものを欲しようとしないじゃないですか。侍が刀を50本持ち歩きますか? 1本でいいんです。必要以上のものを持ち過ぎなんです、今の子は。子どもがスマホなんか持っちゃダメですよ。子どもがLINEだのなんだのを使って仲間とやり取りを始めたもんだから、親や先生が、子どもたちの交友関係や行動を把握できなくなってしまった。それも今回の事件の大きな一因だと思いますよ。 ――瓜田さんは去年から、スマホを持たなくなったんですよね? 瓜田 僕みたいな大人でさえ、ハッキリ言ってこんなもん、なくたって余裕で生きていけるどころか、むしろ持っていないほうがストレスなく快適に暮らせるんだから、子どもに必要ないのは言うまでもないことです。百年前に戻れとは言いませんが、20年前の、ヤクザでさえポケベルを使っていた時代、最先端を行くギャルでさえポケベルで「4949(至急至急)」とか打っていたようなノンキな時代に、また戻ればいいんですよ。
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コワモテだが平和主義な瓜田。行きずりの外国人と意気投合。
――とはいえ、今さらその時代に逆戻りするというのは、現実味に欠ける話です。 瓜田 だったらせめて、「おまえらは所詮、未成年なんだ」「秘密のやりとりをするなんて百万年早い」ってことをわからせるため、親は子どもにスマホなんか買い与えちゃダメですよ。同時に、子どものスマホやSNSの利用について、国がなんらかの規制を加えるべき。ISの残虐映像をスマホで気軽に見られる時代になったせいで、一部の子どもたちが「暴力的なことは格好いい」と感化されちゃう恐れもあるわけです。現に今回の川崎の事件も、その影響が見て取れるわけでしょう。そういや、このあいだテレビでヤンキー映画を見ていて呆れたんですが、角材で人を思い切り殴るシーンがあったんです。その映画には国民的アイドルもヤンキー役で出ていましたから、憧れて真似しちゃう子たちだって出てきますよ。角材の痛さだとか、バットの痛さだとか、袋にされる怖さだとかを誰よりもよく知っている僕だからこそ、「この映画に感化された子どもが、手加減を知らずに角材で人を殴ったら、どうなるんだ?」って心配になりました。「暴力的なことは格好いい」という世の中だけにはなってほしくない。表面化していないだけで、似たような事件はきっと今も日本のあちこちで起きているはずなので、今回の事件だけをことさらピックアップするのも不公平かもしれませんが、それでも今回の上村君の死はこれだけ大きく取り上げられたんだから、せめて世の中が良くなる方向で生かさないと。 ――子どものスマホの使用を制限する以外に、われわれ大人がやるべきことは何でしょうか? 瓜田 見て見ぬ振りをせず、思ったことは堂々と口に出せる大人になるべきです。さっきの「目をそらす勇気」と矛盾するようですが、それは自分が悪事に関わらないための術であって、他人の悪事を目撃した場合は、見て見ぬ振りをしたらダメ。怖くて自分で注意することはできなくても、しかるべきところに報告や相談をすることはできるはず。僕らがガキのころは、悪さをすると、近所のおっちゃんからよく怒られました。そのときは「このクソジジイ。親でもねえのに説教しやがって」と思いましたが、今にして思えば、ありがたいことですよ。小さなころから周りの大人にガミガミ言われることで、僕みたいな聞かん坊ですら、徐々に社会性が身に付いて、いいことと悪いことの区別がつくようになった。口うるさい大人が周囲にたくさんいれば、今回の川崎の事件も、きっと起こらなかったはずなんです。 ――犯人グループの処遇について思うことは? 瓜田 センズリして射精できるんだったら、もう大人。全員晒しものにしてやりゃいいんですよ。警察にはホント、懲戒免職覚悟で、警棒が折れるまでブン殴って、グチャグチャにシメて、拳銃こめかみに当ててロシアンルーレットでもやってほしい。それぐらいのことをして、シャバに出ても殺されるかもしれないという恐怖心を与えて、精神的に殺してから表に出さないと、奴らは自分らのやったことを「格好いい」って勘違いしたまま大人になっちゃいますよ。 ――今の発言は書いても大丈夫ですか? 瓜田 書けよ! 俺の言っていることに文句がある奴がいたら、俺んとこ来い。なんだったら加害者の親、全員まとめて相手にしてやるよ。「息子の不始末は、てめえら親の不始末だろ! この野郎!」って説教してやりますよ。ついでに言うと、今回の件について、まるで腫れ物に触るかのように何も言及しない大人にも腹が立つ。もっと、もっと、言えや! 発言すりゃ伝わるんだよ! ハラワタ煮えくり返っているなら、もっと顔を出して発言しろよ! 特にアウトサイダーや地下格闘技に出ているような、不良にも影響力がある有名人は、黙ってねえでガンガン発言しろよ! そうしたら政府にも声が届いて、少年法が改正されるかもしれねえんだよ! ――今回の事件を受け、与党幹部からも「少年法の見直しが必要」との声が上がっています。 瓜田 ひとつの死をきっかけに、法律が変わって、世の中がちょっとでも良い方向に向かえば、「それだけウチの子は愛されていたんだ」と親御さんの心も救われるだろうし、亡くなった上村君も少しは浮かばれるかもしれない。僕らは決して、彼の死を無駄にしちゃいけません。四十九日までに、法改正に向けた大きな進展があることを願います。 (取材・文=岡林敬太) ひとりで悩まず、相談を・・・ 【各都道府県警察の被害相談窓口案内】 https://www.npa.go.jp/higaisya/shien/prf/index.htm

「『俺を育てろ』と手紙を書いた──」“自己啓発書の雄”水野敬也と映画脚本の幸せな関係

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 著書『夢をかなえるゾウ』(飛鳥新社)がシリーズ累計280万部を超えるベストセラーになるなど、自己啓発書の世界で飛ぶ鳥を落とす勢いを見せている作家・水野敬也。そんな水野が初めて劇場公開映画の脚本を担当したのが、唐沢寿明主演で“スーツアクター”の知られざる世界を描いた『イン・ザ・ヒーロー』だ。昨年9月に公開された同作は「ぴあ初日満足度ランキング」で1位を獲得し、共演の福士蒼汰に「第38回日本アカデミー賞」新人俳優賞をもたらすなど、大成功を収めた。  そんな『イン・ザ・ヒーロー』のブルーレイ&DVD発売を前に、ベストセラー作家にして新人脚本家の水野敬也に話を聞いた。水野はいかにして、この作品に携わることになったのか。そして、今後の野望とは──。

プロデューサー李鳳宇との出会い

──かつて、本作のプロデューサーである李鳳宇さんに「俺を育てろ」という手紙を書いたことがあるとか。 水野 あはは。いや、そもそもそうなんです。彼の作る映画がすごく大好きなんですね。『フラガール』を見たときに、めちゃくちゃ感動して、勝手にいきり立ってしまったんです。当時、李さんが授業をしている『スクーリング・パッド』というものがあったんですが、もう生徒の募集が締め切られていたので、手紙を書いて、自分の作品である『ウケる技術』(新潮社)っていう本と、『温厚な上司の怒らせ方』のDVDを一緒に送ったんです。「一般人より僕を育てた方が、日本映画界のためになる」って(笑)。 ──なんという大胆な。李さんの映画の、何がそれほどまでに水野さんを惹きつけたのでしょうか? 水野 僕は映画の外側から構造を分析するということが好きなんですが、『フラガール』も、『パッチギ!』という映画もそうでしたけど、すごく美しい構造だったんです。ひとつの場面があったとしたら、そこに3つくらいの意味がある。ただ笑いを取るだけじゃなくて、その笑いの取り方がキャラの意味を説明していて、次の感動につながっていくような、重層的な印象があったんです。なんでそんなことができるのか、と。「育てろ」とは書きましたが、実は質問したいことがたくさんあって手紙を書いたんです。彼はプロデューサーなので、あまり表には出てきませんが、当時けっこうシネカノンの映画を見ていて、それらの作品に共通して関わっているのが彼だったので、彼のスタンスに興味があったんですね。当然、手紙は無視されましたけど……。 ──その後、雑誌の対談で李さんと初めてお会いになった。 水野 「KING」(講談社)という雑誌の連載で、僕がインタビューをする企画があったんです。ただ普通のインタビューではなく、僕のキャラを出していいということで『グラップラー刃牙』でいうところの「今からオーガに会いに行く」みたいな感じで。矢沢永吉さん、中村勘三郎さんとか、偉い人ばかりに、講談社の人から「この人に会いに行け」と言われるんですが、そんなときに、ポーンと李さんが来たんです。いきなり。ちょっと不思議な感じだったんですが、この李さんって、あの李さんですか? っていう感じで、ホントにたまたまお会いすることができたという。  その後、いろいろ何か一緒にやろうという話になったんですが、少し時期が空いてから電話がかかってきて、「映画の脚本で、こんなのを面白いと思ってるんだ」「書いてみないか」と。正直、僕はそのとき『夢をかなえるゾウ』も出て、本がすごく売れていたので(笑)、映画の脚本を書いている場合なのかな、という思いもあったんですが、李さんから学びたいことがすごくたくさんあったので、誘惑に負けてしまいました。「やりましょう!」と。売れているから、とかそういうことより、最初の感動みたいなところに飛び込んでいきたいタイプなんでしょうね。
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主演は、自らもスーツアクターを務めた経験がある唐沢寿明。

“マニュアルの鬼”が出会った「生」の脚本術

──水野さんといえば、あらゆるマニュアル本を読破している“マニュアルの鬼”としても知られています。当然、シナリオ術のマニュアル本もお読みになったと思いますが。 水野 いちおう、シド・フィールドのやつとか、有名なものは、ほぼ目を通しましたね。ただ、僕自身がマニュアル本を読んでいくと、その落とし穴みたいなものを、すごく感じるんです。だから、その本に沿って作ったということではなかったです。李さんのふとした意見をね、僕、自分の家で「李鳳宇名言集」っていうのを作って、全部メモしているんです。例えば、だいたいどの脚本術も「キャラクターが大事、キャラクターを決めなさい」って書いてあるんですが、李さんは「一度決めたキャラが途中で変わってもいいじゃん」「面白くなるんだったら変えればいいじゃん」って。結局はキャラとスジの摩擦だから、キャラが決まるのは脚本が完成したときなのかなって、そういうことに気づいたんですね。 ──シナリオを書いては、李さんに見せる、という繰り返しだったのでしょうか? 水野 そうですね、基本的には李さんがバーッとしゃべって、僕が書いて見せて、と。例えれば、李さんが「ここをジャンプして」とハードルを設定して、僕がイルカのようにぴょーんとジャンプしていくみたいな作業がベースにありました。もちろん、逆に僕のほうから大きく変更すべきなんじゃないかと提案することもありますし、役割はぐちゃぐちゃだったかも。マニュアル本より、生でやり合うことによって吸収することがすごく大きかった。これはホントに皮肉なことだと思うんですけど、李さんはいろんな大学やスクールで何千人と教えてきたと思いますが、間違いなく、最も成長した生徒は僕でしょうね。理解した部分もありますけど、よりブラックボックスが広がった部分もあって、そこは難しいところなんですが……。

映画は「僕のものではない」という感覚

──作品の話に移りたいと思います。『イン・ザ・ヒーロー』といえば、なんといっても圧巻のラストシーン。唐沢さん演じるスーツアクターの本城渉が、極めて危険なスタントに挑むことになるわけですが、「見たこともないようなプリミティブなアクションシーンを撮る」という物語の要請は、作る側にとっても、けっこうなハードルだったように思います。 水野 そうですよね。本城の持っているものをすべて吐き出し、彼の周辺にいる人たち、それぞれのキャラクターの持っている悩みも全部昇華するクライマックスという認識で書いたんですが、そこは監督ですよね。監督とアクション監督の間でも、男の摩擦があったんだろうと思います。出来上がったシーンは、あまりにもすごかったし、もう僕のものではないという感じです。もちろん、めちゃくちゃ悩んで脚本は作っているんですが、逆に申し訳ないくらいでした。
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クライマックスの百人斬りは圧巻のひと言。
──クライマックス以外で、気に入っているシーンは? 水野 いや、もう、すげえ……っていう言葉しか……。特に、唐沢さんと福士さんの演技が、ホントに素晴らしかったと思うんです。僕がすごい感動したシーンがあって、唐沢さんが危険なスタントに挑むことになったとき、後輩に「俺がやらなきゃよう、夢見れなくなるだろ」っていう、すごいシリアスなセリフがあって、そのあとすぐ「おまえも誰かのヒーローになれよ」って、お兄ちゃんの顔になるんですね。本城って、すごく滑稽なやつだし、めちゃくちゃ熱いし、笑いと涙を共有している人なんです。僕の想像上にはいるんですけど、その人を実際に体現するって、すごく難しいと思うんですよ。それを唐沢さんはホントに一瞬で、緊張と緩和というか、フッと笑えるようになったり、フッと熱い人になったりというところを行き来していて、いや、ホントにすげーなと。それと、ただ普通に走っているだけのシーンでもね、走り方ひとつに、本城が「20年くらい、毎日こうして走ってきたんだな」っていうのが、全部出ていた。泣けましたね。一ノ瀬リョウ役の福士さんも、完全に僕の中の一ノ瀬リョウでした。(『仮面ライダーフォーゼ』出身の)彼の中にある文脈だったんじゃないかと思うんですけど。あの2人の“バディ”な感じっていうんですかね、キャスティングとか、プロデューサーの李さんはじめ、そこを全部見て作っているわけじゃないですか。僕以外の人はすごいな! と。 ──映画の製作は魅力的な仕事だった? 水野 すごく魅力的でしたね。ただやっぱり、関わる人が多い分、ダイナミックに動くし、乗組員のひとりみたいな感じでした。自分が船長ではないので、また貢献できるならやりたいし、そうじゃなかったら、また本の作業をやっていくのかなと。

自己啓発は“寒空の下の人たち”へのアプローチ

──『イン・ザ・ヒーロー』はヒーローの映画でしたが、水野さんにとっての幼いころのヒーローって誰でしたか? 水野 ヒーロー、そうですね。僕は中学1~2年から、ずっとゲームをやっていたんです。『ストリートファイターII』をずっとやっていた。ゲームのキャラクターは、僕はずっと好きだったし、僕を面白がらせてくれるし、受け止めてくれる。この、こういう手の動きだけで昇龍拳が出せる。現実の僕は出せないのに、彼らはすぐ出せる、確実に出せるっていう、夢をかなえてくれる受け手ではあったんですけど、僕の中でヒーローというわけじゃないんですよね。『ストリートファイター』が強くなればなるほど、現実の僕はストリートファイトが弱くなっていくという、そのジレンマに悩んでいた。女の子にモテないし、運動もできないということを、ずーっと思春期に抱えていました。そんなことから、やっぱりエンターテインメントはエンターテインメントでも、どこかで何か、現実とつなげて、おこがましいけれど、現実の行動を変えたい、考え方を変えるくらいまで何かを残したいという思いが、僕の中で生まれてきたのかもしれません。
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「ピンク」に寺島進。小柄な男性が女性のスーツアクターを務めることも、よくあるという。
──ヒーローに憧れるのではなく、ゲームにのめり込む自分自身を俯瞰的に見て、というところから? 水野 中学時代、学校の近くの「LSI」っていうゲーセンに走って行って、ずーっとゲームをやるんですけど、帰るときにね、名古屋の千種駅まで長い道を歩きながら、すごく悲しくて、ホントはもっと充実したいのに……と。ゲーセンがなかったら、より暗黒で、ゲームは僕を救ってくれてはいたんだけれど、このエンターテインメントから寒空の下へ、一歩出るときに、現実でも通用する武器というか、手土産を持たせていただきたかったという。それが僕の理想のエンターテインメント、こだわりでしょうね。僕の作品が実用に寄ってしまうのは、その思春期の圧倒的な経験があるからだと思うんです。人によっては、現実が寒空じゃない人だっているんですよ。そもそも現実が南国みたいな、まあイケメンとか、そういう人もいますけど、そうじゃない人の生き方に影響を与えるくらいのものを残したいなっていう思いがあります。 ──それは今後、映画の世界でも? 水野 今、李さんと、いろいろ話している企画があるんです。自己啓発とか、恋愛マニュアルとか、僕はすごく気持ち悪いジャンルだと思っていて、コイツを美しくできないかってことだけを、人生のテーマにしているんですね。実際、人生において恋愛ってめちゃくちゃ重要じゃないですか。お金って、めちゃめちゃ重要じゃないですか。そういうものを、気持ち悪いジャンルに落とし込んじゃった人たちが、たくさんいるわけですよ。僕は自己啓発を最大限、映像として美しく見せる方法ってあるんじゃないかと思っている。それはまだ誰もやったことがないはずなんですよね。李さんというエンターテインメントの神様と僕が次に作る作品は、より僕の色が濃い、それでいてエンターテインメントとして、どこに出しても恥ずかしくないっていう、両極の、これこそが僕のやりたいことなんだっていう作品になると思いますね。 ──ご自分で考えて、映画プロデューサーの李鳳宇という人は、水野さんのどこをいちばん評価してらっしゃると思いますか? 水野 たぶん、彼の周りには僕より優秀な人がたくさんいると思うんですけど、あのー、僕ほど直さないんじゃないかと思いますね。これは僕がトップだと思うし、トップでありたいと思っていることなんです。僕の本作りのスタイルでもあるんですが、直すことのデメリットって一切ないんですよ、実は。一度直しても、前のほうが良ければ戻せばいいだけなんです。でも、著者の人って編集者から言われると、ムスッとしたり、俺は一言一句変えねえんだって感じの人も多くて。僕は、相手が間違っていると思っても直すことがあるくらい、直すんです。たぶんね、李さんは楽しいんじゃないかな。ここを飛べといわれたら、僕、必ず飛ぶんで。僕は、李さんがそこにいれば、飛んでいくことに命を懸ければいいだけなんです。それって、李さんも楽しいことなんじゃないかって。そう勝手に思っているんですよ。 (取材・文=編集部)
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●『イン・ザ・ヒーロー』 エグゼクティブプロデューサー・脚本/李鳳宇 監督/武正晴 脚本/水野敬也 音楽/李東峻 出演/唐沢寿明、福士蒼汰、黒谷友香、寺島進、草野イニ、日向丈、松方弘樹、和久井映見ほか 配給/東映 イン・ザ・ヒーロー 豪華版(本編ブルーレイ+特典DVD)〔初回生産限定〕 3月4日発売 ¥5,800+税 (同時レンタル開始) 発売元:株式会社RESPECT(レスペ) 販売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン株式会社 (C)2014 Team REAL HERO (C)2015 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved. ●みずの・けいや 愛知県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。著書に『夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え』(飛鳥新社)、『人生はニャンとかなる!』(文響社)、『人生はZOOっと楽しい!』(同)、『それでも僕は夢を見る』(同/画・鉄拳)などがある。恋愛に関する講演、執筆は恋愛体育教師・水野愛也として活動し、著書に『LOVE理論』(同)、『スパルタ婚活塾』(同)、講演DVD『スパルタ恋愛塾』がある。また、DVD作品『温厚な上司の怒らせ方』の企画・脚本や、映画『イン・ザ・ヒーロー』の脚本を手掛けるなど活動は多岐に渡る。 公式ブログ「ウケる日記」 http://ameblo.jp/mizunokeiya/ Twitterアカウント @mizunokeiya