銭湯を舞台にした宮沢りえ主演作は海外でも話題! 新鋭・中野量太監督が銭湯に託した熱い愛を語る

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双葉(宮沢りえ)をはじめとする「幸の湯」を経営する幸野家の人々。世間の常識に縛られない、かなりユニークな一家。
 リゾート地に行かずともワンコインで気軽に温泉気分が楽しめる銭湯は、庶民にとって心のオアシス。経営者の高齢化や建物の老朽化によって年々消えつつある銭湯だが、レトロな風情が漂うあの空間を愛する銭湯マニアなら見逃せない映画が『湯を沸かすほどの熱い愛』だ。主演女優・宮沢りえが脚本に惚れ込んで出演を即決した本作は、インディーズ映画『チチを撮りに』(12)がベルリン国際映画祭をはじめ世界各国で絶賛された新鋭・中野量太監督のオリジナル作品。昔ながらの銭湯を舞台に、宮沢りえ扮する肝っ玉母さんが家族に、そして銭湯に集まる人たちにありったけの愛情を注ぐ感涙作なのだ。本作で商業デビューを飾った中野監督が、銭湯というコミュニティー空間と血縁にこだわらない新しい家族の在り方について語った。
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インタビューに応じた中野量太監督。「母にも観てもらいました。感想は聞いていませんが、多分喜んでくれているはずです(笑)」
――東京の下町の銭湯みたいに熱い熱い映画。中野監督が日本映画学校(現・日本映画大学)の卒業制作として撮った作品も銭湯が舞台だったとのこと。銭湯がどれだけ好きなのかが伝わってきます。 中野 はい、ボクが初めて撮った映画が『バンザイ人生まっ赤っ赤』(00)という作品で、銭湯が舞台でした。実家は京都なんですが、近所に銭湯が2つあり、友達がうちに遊びに来るとよく一緒に銭湯に行っていたんです。銭湯って不思議な空間ですよね。いろんな人たちが裸になって、同じ湯船に浸かり、知らないおじさんからも当たり前のように声を掛けられたりする。あの雰囲気が不思議で面白い場所だなと思っていたんです。絵的にもいいですよね。大きな富士山の壁絵があり、番台からは男湯も女湯も見渡せる。ボクがテーマにしている人と人との繋がりや親子の愛情を描くには最高の舞台だなと思って、映画学校の卒業制作で、舞台に選んだんです。今回、商業デビューするにあたって、オリジナル脚本ということで内容は任されていたので、自分らしさがいちばん発揮できて、初心に戻れる場所として、もう一度銭湯を舞台にしたドラマを描くことにしたんです。 ――銭湯って日本ならではの文化ですが、『湯を沸かすほどの熱い愛』は海外での評判もいい。すでに香港、韓国、台湾などでの公開が決まったと聞きました。 中野 ヨーロッパはちょっと分かりませんが、アジアはけっこーいけそうですね(笑)。先日、釜山国際映画祭に参加したんですが、上映後のお客さんの反響がすごかった。最近の韓国は家族を描いた映画がヒットしていて、是枝裕和監督の作品もかなり人気があるみたいです。配給の方から「だから『湯を沸かすほどの熱い愛』もきっと韓国で当たるよ」と言ってもらっています(笑)。普遍的な家族のドラマを描けば、海外でも観てもらえるとは考えてはいたんですが、実際にアジア各国での公開が決まって、うれしいです。 ――最近はジャグジータイプ、サウナや露天風呂付きの新しい銭湯もありますが、『湯を沸かすほどの熱い愛』は昔ながらのトラディショナルな銭湯。ロケ地にはこだわった? 中野 そこはこだわりました。基本、ボクが知っている銭湯、ボクが子どもの頃に通っていたような懐かしい銭湯で撮影したかったんです。昭和の香りがする銭湯をずいぶん探しました。映画の中の「幸の湯」は2軒の銭湯を組み合わせたものです。外観は足利市にある「花の湯」です。「花の湯」は内観も悪くなかったんですが、ボクの理想とする銭湯を求めて、さらに調べて回り、都内で最古級の銭湯「月の湯」を内観にしています。「月の湯」は2015年5月に廃業したんですが、すぐ取り壊される予定だったところを撮影の期間だけ延ばしてもらいました。営業中の銭湯だとどうしても休業日と平日の午前中だけしか撮影できないなどの制限があるんですが、「月の湯」では自由に撮影することができて、助かりました。撮影が終わった翌月には取り壊されましたが、都内で最古級の木造建築の銭湯を映画の中に残すことができてよかったなと思います。
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『とと姉ちゃん』で注目を集めた杉咲花は宮沢りえの娘役を熱演。「演技の感度が違う。彼女の出演を前提で脚本を書いた」と中野監督。
■家族の繋がりは血縁だけではない。それを証明するための映画 ――中野監督の銭湯愛を感じさせますが、中野監督は前作『チチを撮りに』もシングルマザーに育てられた2人の娘たちの成長物語で、今回も主人公の幸野双葉(宮沢りえ)は女手ひとつで娘・安澄(杉咲花)を育てているという設定。父親の不在も、中野監督の作品に共通しているテーマのように感じます。 中野 自分の中にある本当の感情を使って表現したいなと常に思っているんです。映画の世界でも、ウソはつきたくないんです。自分がちゃんと分かっている感情を使って演出することで、自信の持てる作品にできると考えています。ボク自身、父親を早くに亡くし、母親が女手で兄とボクを育ててくれました。双葉=ボクの母というわけではありませんが、母親の愛情のお陰でボクは育つことができたという想いがすごくある。なので、その感覚を使って、ウソのないものを描こうとすると、どうしても片親の物語になってしまうんです。 ――主演の宮沢りえさんも、お母さんと二人三脚で芸能活動してきたことで有名でしたね。 中野 宮沢りえさんが主演を受けてくれたのも縁あってのことだったなと思います。最初は新人監督のボクが、『紙の月』(14)での演技が絶賛されていた宮沢さんにオファーしていいものかと躊躇しました(苦笑)。当たって砕けろと思い、脚本を送ったところ、読んだその日に出演を決めたそうです。宮沢さんはこれまで母親役のイメージはなかったんですが、実際にはお子さんを育てていますし、絶対にこの役をできると確信していました。存在感のある母親役ですが、宮沢さんは現場でも座長としてみんなを引っ張ってくれる姿がすごくかっこよかったですね。 ――前半は双葉と安澄の母子の物語ですが、次第に母子の縦の関係だけでなく、「幸の湯」に関わる人たちが家族同然の関係へと広がっていくことに。 中野 家族って何だろうと考えてみると、血の繋がりだけが家族ではないとボクは思っているんです。家族の定義はないと思っていますし、もしあったとしても家族の数だけ定義はあると思うんです。だから、幸野家みたいにアンバランスな家族でも、家族だと言えると思うし、そのことを証明してみたくて映画にしたところがあります。でも唯一、家族として大切なものは食卓だとボクは考えているんです。ひとつ屋根の下で、食卓を囲んで一緒にご飯を食べるということが、もし家族の定義があるとすればそれが家族の証じゃないのかなと思うんです。逆に血が繋がっていても、同じ食卓を囲むことがない家族もいる。それって本当の家族なのかなというと、ちょっと難しいですよね。それもあって、幸野家が食事をするシーンは何度も登場させているんです。 ――映画の撮影中はスタッフもキャストも同じ弁当を食べて、寝起きを共にする。撮影クルーも家族みたいなもの? 中野 そうですねぇ、映画の撮影隊ってひとつのチームですし、よく“組”って言い方しますしね。一緒に映画を作っているうちに、家族みたいな関係になっていきますね。撮影中、オダギリさんはよくひとりで食べようとするので、子役の女の子たちに「ちょっとお父さんのところに行って、『一緒に食べよう』と言ってきて」とけしかけていました。子どもたちに声を掛けられたら、オダギリさんも逆らえなかったみたいです(笑)。 ――なるほど、カメラの裏側でも、中野監督は演出していたわけですか。 中野 もちろん。カメラの回っていないときも、いろいろ考えて演出しています(笑)。双葉たち幸野家がみんなそろって浴場を清掃するシーンがありますが、撮影とは別にクランクインの10日間くらい前に宮沢りえさんたちに集まってもらい、「月の湯」のご主人に清掃の仕方を教えてもらい、実際に掃除しました。銭湯の仕事を体験することで、キャスト間の親子感も生まれ、役づくりに繋がったんじゃないかと思います。でも、やっぱりオダギリさんだけいませんでしたけど(笑)。 ――本作はかなりシリアスなホームドラマですが、オダギリジョー扮する頼りない父親の存在が笑いを誘う。 中野 オダギリさんの三の線の芝居が大好きなんです。『舟を編む』(13)の演技とか素晴しいですよね。オダギリさんが加わってくれたことは頼もしかったし、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)との母子のドラマ部分はかなり熱い芝居だったので、オダギリさんがふっと力の抜いた芝居をしてくれたことで、すごくいいバランスになったと思います。そこも計算して脚本段階から練り込みました。
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幸野家の人々が熱海旅行中に出会うバックパッカーの青年・拓海(松坂桃李)。彼も「幸の湯」にとって欠かせない一員となる。
■コミュニティー空間としての銭湯のこれから ――今も中野監督は銭湯に通っているとのこと。銭湯の素晴らしさを改めて語ってください。 中野 最近はたまにしか行けていませんが、やっぱり疲れたときは自宅の狭い浴槽ではなく、銭湯の広い湯船に浸かりたくなりますね。ダイエットしたいときも利用しています。子どもの頃は「銭湯の番台に上がっているオバさんは男の裸を見て恥ずかしくないのかな」なんて不思議に思っていました。今回の撮影中に、ボクも番台に上がってみました。番台って、浴場中が見渡せて眺めがいいんです。撮影の最終日には松坂桃李くんも番台に上がって喜んでいました。番台って、誰もが一度は座ってみたい場所みたいですね(笑)。あと、僕は銭湯の帰り道も好きなんです。風呂から上がって外を歩く機会ってあまりない。湯上がりに髪がまだちょっと濡れたまま家に帰るのっていいなと。冬だと外は暗くて寒いんですが、自分の家へこれから帰るんだという気持ちが際立ってくる。ボクは帰り道も含めて、銭湯は楽しいなと感じています。 ――銭湯と同じように、街の映画館も知らない人たちが集まって、笑ったり泣いたり感情をあらわにする一種のコミュニティースペースだと思うんです。銭湯と映画館って、どこか通じるものを感じさせます。 中野 ミニシアターはお客さんとの距離感も近くて、確かにそんな感じがします。上映後などに気軽に話ができると面白いでしょうね。 ――昔ながらの銭湯や街の映画館は年々姿を消しつつありますが、これからどうなっていくと中野監督は予測していますか? 中野 最近は若い人が古い銭湯の経営を受け継いでいるというケースがあるみたいです。銭湯の経営者とは血の繋がりのない若い人が、意欲を持って経営を引き継いで営業しているそうです。川口市の「喜楽湯」や京都市の「サウナの梅湯」はまさにそうです。新しく改装して機能的な銭湯にするのか、それとも古いまま残すのか、どちらが正解かは決められませんが、頑張っている銭湯は多いみたいですね。 ――川越市の映画館「川越スカラ座」は2007年に一度閉館したものの、地元の若者たちがグループ経営する形で営業を再開しています。ヤル気のある若者たちが血縁にかかわらずに、街の公共財産を受け継ぐケースが増えていくといいですね。 中野 そういう映画館もあるんですね。いい話だなぁ。若者の映画離れが進んでいるなんて言われましたけど、『君の名は。』はあれだけ大ヒットしているわけですから、内容が面白ければ映画館に足を運ぶ予備軍はちゃんといるってことですよね。映画界の将来は決して暗くないとボクは思っています。 ――オリジナル脚本で商業デビューを飾るわけですが、今後の抱負について聞かせてください。 中野 これまでオリジナル作品にこだわってきたので、基本はオリジナルを作っていきたいと思っています。でも、前作『チチを撮りに』から『湯を沸かすほどの熱い愛』まで3年ほど時間を要したように、どうしてもオリジナル作品をゼロから立ち上げていくのは時間も労力もかかってしまうんです。「次もオリジナルで撮っていいよ」と言われても、なかなかすぐには出来ない。今回の『湯を沸かすほどの熱い愛』に全力を注いだばかりですし(苦笑)。でも、それではプロの映画監督としては食べていけない。なので、面白い原作ものがあれば受けますし、その間にオリジナルの企画も温めて、ここぞというときにオリジナル作品で勝負できるといいなと思っているんです。人と人との関わりをテーマにした面白い話は、いくらでも作れる自信はありますので。 (取材・文=長野辰次)
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『湯を沸かすほどの熱い愛』 脚本・監督/中野量太 主題歌/「愛のゆくえ」きのこ帝国  出演/宮沢りえ、杉咲花、伊東蒼、篠原ゆき子、駿河太郎、松坂桃李、オダギリジョー  配給/クロックワークス 10月29日(土)より新宿バルト9ほか全国ロードショー (c)2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会 http://atsui-ai.com
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●なかの・りょうた 1973年京都府出身。日本映画学校の卒業制作『バンザイ人生まっ赤っ赤』(00)が日本映画学校今村昌平賞、TAMA NEW WAVEグランプリなどを受賞。助監督やテレビディレクターを経て、6年ぶりに撮った短編『ロケットパンチを君に!』(06)がひろしま映像展グランプリなどに輝く。35ミリフィルムで撮影した短編『琥珀色のキラキラ』(08)の後、初めての長編『チチを撮りに』(12)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭監督賞を受賞、ベルリン国際映画祭に正式招待されるなど高い評価を得た。2013年のTAMA CINEMA FPRUMでは「中野量太監督特集−作品に息づく人生賛歌」として『バンザイ人生まっ赤っ赤』『琥珀色のキラキラ』『チチを撮りに』が一挙上映された。中野監督自身が執筆したノベライズ版『湯を沸かすほどの熱い愛』(文春文庫)も発売中。

結成20周年! バイきんぐが葛藤の果てに見つけた、「バカ」と「注意」の境地

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撮影=後藤秀二
 2012年のキングオブコント。初の決勝進出コンビでありながら、当時歴代最高得点で優勝。そして、その優勝のインパクトをも凌駕した「なんて日だ!!」というキラーフレーズ。バイきんぐは、一瞬にしてお笑い界を席巻した。あれから4年、バラエティ番組の常連になってもなお、毎年一度の新ネタライブは欠かさない。今回、コンビ結成20年の節目となるライブDVD『ハート』を引っ提げて、日刊サイゾーに2度目の登場。風格さえ漂い始めた2人が、20年の月日に思うこととは――。 *** ――結成20周年おめでとうございます。赤ちゃんが成人になるほどの長い間、コンビを続けてこられたということですよね。 西村瑞樹(以下、西村) 組んだ時は、20年後までは考えていなかったですけど(笑)。 ――20年間続いたポイントは、なんでしょう? 西村 やっぱり「あきらめない」という強い気持ちですね。 小峠英二(以下、小峠)   真矢ミキさんか(笑)。 ――一口に20年といっても、もちろん、いろいろありましたよね……。 西村 結成7年目ぐらいですかね、どこの事務所にも所属しないでフリーでやっていた時はしんどかったです。もともと僕ら、大阪吉本で芸人を始めて、2000年くらいに東京に出てきたんですけど、そのとき入った事務所も、ちょっと合わなくてやめて。それから3年間くらい、我慢の時期が。 小峠 単純に、事務所のオーディションに、まったく引っ掛からなかっただけなんですけど。 ――気持ちは折れなかったですか? 西村 あの時は結構、解散話もありました。 ――それを乗り越えたきっかけは? 西村 ……「あきらめない」という強い気持ちで。 ――そこにつながるわけですね(笑)。2012年に「キングオブコント」で優勝して、一躍その名がお茶の間に知れ渡ったわけですが、今あらためて、あの優勝がコンビニもたらしたものはなんだったと思いますか? 西村 今あるもののきっかけですからね。すべての始まり。 ――優勝したことが、プレッシャーになったりとしたことは? 西村 チャンピオンの称号の重みとかではないですけどね。これからテレビに出させていただく間に結果を出していかなきゃな、という気持ちはありました。 小峠 これからヘタなネタ、面白くないネタはできないなっていう。「キングオブコント」という大会で優勝したからには、それなりのネタをやらなくちゃいけないんだろうなっていうのは、確かにありましたね。
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――お2人は、優勝してからもあまりはしゃがないというか、「売れたぜ!!」みたいな感じを全然出さない……。 西村 「売れたぜ!!」は、ないですよ(笑)。だって、売れるまで16年かかりましたから、はしゃぐなんて気持ちにはなれなかったです。 小峠 早く売れた人って、やっぱすごいと思う。16年かけてやっと食えるようになったやつが、偉そうにできる理由がないというか。「オマエ、16年もかかったじゃねぇか」って。たぶん、これからもそれは変わらないと思う。 ――忙しくなっても、年に1回コントライブをやるというのは、お2人とも共通で思ってらっしゃることなんですか? 小峠 そうですね。 西村 さまぁ~ずさんだってバナナマンさんだって、もっと忙しいのにやってますからね(笑)。僕らがやらないと、逆にサボってるみたいですよね。 ――以前、小峠さんがインタビューで「バイきんぐのコントは“ボケとツッコミ”というより“バカと注意”だ」とおっしゃっていて、すごく面白いなと思ったんですよ。 小峠 西村のやっているキャラクターって、ボケてはいないんですよ。例えば、ここからあの扉を出るとしたら、ボケの人はわざと扉に挟まったり、扉に頭をぶつけたりすると思うんですけど、おそらく西村は自然につまずいてコケる。扉に頭をぶつけて外に出る人はたぶんボケていて、つまずいている人はバカなんですよね。すごく微妙で細かいところなんですけど、その差だと思います。 ――それに対して“ツッコミ”ではなく“注意”する。 小峠 そうですね。例えば……扉に頭をぶつけてコケた人には「何やってんだよ!」ってツッコむんでしょうけど、つまずいた人には……やっぱり「何やってんだよ!」か(笑)。いや、「なんでそんなところでつまずくんだよ!? バカじゃねえか」ですね。これが注意ですね。 ――ツッコミはお客さんに「これがボケです」と提示する、みたいなところがありますけど、注意は「正してあげよう」という、思いやりが見え隠れする気がします。 小峠 そう、そうなんです。「あなたのやっていることは間違ってますよ」って教えてあげているんです。 ――その関係性も、 20年の中で培ったものなのですか? それとも、最初からベースにはありましたか? 小峠 まぁ、「キングオブコント」の2~3年前くらいからですね。この形ができたのは。これが一番しっくりくる形だった。 ――お2人が、もともと持っている素養も関係していますか? 小峠 たぶんそう思いますね。僕はもともとボケだったけど、気質はツッコミですからね。それなのに、ボケをやっていたのが、そもそも間違いだったんでしょう。僕、ホント細かいんですよ、ネタに関して、ものすごく細かい。特に間とか、何秒、ヘタしたら1秒以下の0コンマ何秒とかまで要求してしまう。普通はそこまで言われたらイヤだと思うんですけど、本当に微妙な差なんでね。それをちゃんと文句言わずにやってくれるのはありがたいですね。普通は怒ると思う。
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――西村さんは、小峠さんのどんなところが自分に合っているから、ここまで続いたと思いますか? 西村 笑いに対してのストイックさですね。絶対にかなわない。 ――ストイックエピソード、教えてください(笑)。 小峠 ストイック小話(笑)。 西村 そうだなあ、なんだろう。バイトもいろいろやってたんですけど、食えてない頃ね。ネタを考える時間があるバイトしか(小峠は)探していなかった。ドライバーとか。害虫駆除も、駆除した後に待機時間があるので、その時間にネタを考えられる。 ――あくまでも、芸人活動あってのバイト探し。 西村 僕なんか“バイトしんどいなぁ”くらいしか考えてなかったですもん(笑)。そのへんの意識は、本当にすごいなあと思います。 ――いまバラエティ番組でバイきんぐさんを見かけることは、まったく珍しいことではなくなりましたが、お2人にとってバラエティ番組に出ることは、どんな意味を持っているのでしょうか? 西村 もともとそれが、やりたいことでしたから。そういうテレビを見て僕らは育ちましたから。 小峠 なぜネタをやっていたかといえば、テレビに出るためなんですよね。今でも、もっともっと出たいと思ってます。 西村 『徹子の部屋』(テレビ朝日系)とか出てみたいよな。まだないんですよ。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)も、テレフォンショッキングは出られなかったし。コーナーには呼ばれたことがあるんですけどね。長寿番組に出たいです。 ――『徹子の部屋』まだなんですね。意外です。小峠さんは、何か出たい番組はありますか? 小峠 僕ね、池上彰さんに会ってみたいです。 西村 なんでだよ(笑)。 小峠 僕、世の中のこととかまったく知らなくて、2年くらい前から新聞を読み始めたんです。徐々になんとなく社会情勢や政治がわかり始めて、いま池上さんにお会いして、いろいろ聞いてみたいですね。わかりやすく解説してほしい。 ――なぜ、新聞を読み始めたんですか? 小峠 マジで、バカはだめだなと(笑)。たぶんひと昔前だったらバカな芸人もOKだったんですけど、今バカのポジションは、アイドルだとか、ぺこ&りゅうちぇるだとか、そういう人たちのものなんですよ。芸人のバカは、もう笑えない。需要がないんです、今は。そこのポジションはたくさんいるから、鈴木奈々ちゃんを筆頭に(笑)。そうなった時に、「あぁそうだよな」って思って、読み始めましたね。 ――社会情勢に詳しくなると、作るネタも変わってくるのですか? 小峠 いや、ネタはやっぱり変わらないですね(笑)。 ――“バカと注意”しかり、バイきんぐさんはお笑い界でも独特の地位を築いていると思うのですが、そんなお2人がいま脅威に感じている若手芸人さんは誰ですか? 西村 若手じゃないかもしれないけど……2人ともハゲてるという点では、トレンディエンジェルですかね(笑)。これは、永遠につきまとう問題。 小峠 トレンディエンジェルの斎藤(司)と話しててスゲエなと思ったのは、アイツね「ハゲをもっとポップにしたい」って言うんですよ。もう、見ている景色が違うなと。 西村 すごいとこ行ってるな(笑)。 小峠 とてもじゃないけど勝てないですよね、ハゲという面では。 西村 ハゲの意識が高いよ(笑)。 小峠 考えたことないですもん。自分がハゲているだけではなく、それをどうやって世に広めようかなんて。ハゲの、いわゆる底上げを図ろうとしているわけですから。 西村 最近、若手のネタ番組を見ても思うんですけど、本当にレベルが高くて。僕らの若手の時よりも、絶対レベルは上がっていると思う。1年目から面白いって、なんだよ!? ってね。一時期より少しずつネタ番組も増えてきてるし、僕らも、うかうかしてられませんね。 ――だからこそ、こうやって定期的にコントライブも続けているんですね。 小峠 DVDの幕間のVTRとか、一日で撮ったものをブッタ切って差し込んだだけで、すごく効率重視ですけど(笑)。 ――いや、あの「はじめて2人で○○」シリーズ、すごく萌えます。こちらのDVD『ハート』でオススメのコントは何ですか? 小峠 私は「陶芸家」ですね。西村のサイコ感が出てる(笑)。 西村 サイコ感でいったら「スピード違反」かなぁ。2人ともイカレてますからね。 小峠 結局、注意してる人も、最後イカレちゃうんだよ(笑)。 (取材・文=西澤千央)

てれびのスキマ×太田省一特別対談「芸人はなぜ、“最強”になったのか?」

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太田省一氏(左)とてれびのスキマこと戸部田誠氏(右)
 日テレ『スッキリ!!』加藤浩次、フジ『ノンストップ!』設楽統、あるいは、日テレ『Going! Sports&News』上田晋也など、いまや芸人が情報番組やスポーツ番組の“顔”を務めることは珍しくなくなった。テレビだけではない。政治、文学、芸術などの分野においても、どこもかしこも芸人、芸人、芸人だらけ。一体、いつからこんなことになったんだっけ?  そんな芸人“最強”時代を、『中居正広という生き方』(青弓社)の著者である社会学者・太田省一氏が、戦後の日本人の深層心理と芸能史からひもとく『芸人最強社会ニッポン』(朝日新聞出版社)を上梓した。高度経済成長とともに育まれた「テレビ文化」と「芸人」の切っても切れない関係に、テレビっ子ライター・てれびのスキマが迫る! *** てれびのスキマ(以下、スキマ) 「どこもかしこも芸人だらけ!」という帯が、見事に現在のテレビを表していますが、『芸人最強社会ニッポン』では、「芸人万能社会」という言葉が重要なキーワードになっていますね。 太田省一(以下、太田) 歴史をさかのぼると、80年代のビートたけし、タモリ、明石家さんまの「お笑いBIG3」の登場がターニングポイントとなって、芸人は憧れの職業のひとつになっていきました。たけしさんたちが、お笑いが知的で誰にでもできるものではないということを啓蒙していった結果もあって、芸人が尊敬の対象となり、地位が上がっていった。  それが前提にあって、芸人がお笑いの分野に限らず、活躍し始めました。それまでも音楽や演技の分野に芸人が出ていくことはあったんですが、そういう場合、芸人をやめて、そちらの分野に行ってしまうことが多かった。だけど、たけしさん以降、芸人をベースにしたまま、他ジャンルに出ていくのが普通になりました。むしろ、芸人であるっていうことが、すごく価値を持つようになった。それが、90年代から現在に至る中で拡大していったように僕には見えたんですね。芸人であることや芸人が持っているスキルが、なんにでも応用できてしまう。それが「芸人万能社会」です。 スキマ かつては、芸人が他ジャンルに行くと「芸人のくせに」って言われてましたけど、今は当たり前すぎて、ギャグ以外でそんなこと言う人はいませんもんね。この本で、ちょっと意表を突かれたのは、日本が「笑いを中心にしたコミュニケーションを重視している社会」だという指摘です。言われてみれば確かにそうなんですが、とかく「日本人は真面目で勤勉」で、コミュニケーションは苦手と言われることが多いですよね。 太田 それは、今回強調しておきたかった部分ですね。戦後の歴史を大きく捉えつつ、芸人さんがどういうポジションにいたかを見ていくというのが、本書のコンセプトのひとつでした。「日本人は真面目で勤勉」というイメージは、直接的にはおそらく高度経済成長期に出来上がったものだと思うんです。戦争に負けて、そこからなんとか豊かな社会を作ろうと、国民が一致団結した。そのためには真面目に働くしかないし、実際にそれが豊かさとして自分に返ってきた。そのひとつがテレビです。高度経済成長が文化として何をもたらしたかといえば、やっぱりテレビなんです。そして、テレビからわれわれが受け取った一番大きなものが、「お笑い」だと思うんです。 スキマ 欽ちゃん(萩本欽一)や、ザ・ドリフターズですね。 太田 僕は1960年生まれですけど、彼らの登場で大きく変わったような感覚がありました。社会の真面目な雰囲気を感じつつ、実はテレビで不真面目なものばっかり見ていた(笑)。だから、僕らの世代が社会の中心になったとき、みんな不真面目というか、そういうものが好きな人たちばかりだったんです。僕らはずっと、「面白い人」になりたいと思っていた。人を笑わせられる人になりたいって感覚は、ごく自然なものでした。だから、「BIG3」が出てきたのは、時代的な必然だったんだと思います。 スキマ 「楽しくなければテレビじゃない」といった、おもしろ至上主義的な価値観は、テレビの中だけではなかったということですね。
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太田 お笑いこそ至高、みたいな考え方は、世代的に染み付いていますね。でも今、その時代がある意味、ひと巡りしたというか、時代が変わりつつあることを、この本を書く中で感じました。世の中の雰囲気が、テレビに対して冷ややかになっている部分がありますよね。80年代くらいからテレビでやっていたバラエティ的なお笑いの世界は衰えていないけど、それを世間が一緒になって面白がる熱気がなくなってきましたよね。 スキマ そのことは、本書でも「内輪受け社会」という言葉を使って説明されていますが、かつては、世間がテレビの内輪に入り込んでいた。だから少々、ムチャをやっても許されていた。けれど、今は外側から常識的な目で判断され、ちょっとしたことでクレームなどにつながってしまっているように感じます。 太田 そうですね。内輪みたいなものがピークだったのは、フジテレビの『27時間テレビ』で、さんまさんの愛車破壊をやった頃だと思います。間違いなく、今やったら大バッシングでしょう。でも、当時僕らは、あれに熱狂したわけですよね。実際には参加していないわけですけど、一緒に見ているというだけで、参加している気分になった。 スキマ 自分がやっているわけでもないのに、なんだか誇らしくなったりしてましたよね(笑)。 太田 バブル崩壊以降、一致団結していたみんなが、一人ひとりになった感覚が強まったと思うんです。そうした中で、そういうものに乗れない人たちがたくさん出てきた。それはテレビとの関係だけではなく、人と人との関係もそうで、それまで総中流意識の中で、以心伝心で自然とコミュニケーションが成立するというのが日本の社会だったんです。けれど、90年代から現在に近づけば近づくほど、格差が広がり、コミュニケーションは自分で身に付け、鍛えなければいけないものになった。そうすると、芸人さんはそれまでとは別の意味で、ある種のお手本になっていく。過酷になっていく日本の社会の中で生きていくには、コミュニケーション力が必要不可欠になる。ふと、われわれの周囲を見渡したときに、それを一番うまくやっているのは芸人さんだったんです。 スキマ 確かに。言われてみればそうですね。象徴的な芸人って、誰ですか? 太田 一番わかりやすいところでいえば、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さん。人を話術とかで動かしながら、自分の望むような結果に持っていけるような“コミュニケーションの達人”としての芸人という側面がクローズアップされだしたんです。それは、私たちの日常と近いところで芸人を捉えているっていうことですよね。 スキマ 太田さんは『中居正広という生き方』(青弓社)などを書かれている通り、アイドルにも深い造詣をお持ちですが、そうした芸人の側面は、SMAPのようなアイドルに関しても通ずる部分があるのではないですか? 太田 アイドルはまだ、ライブやコンサート、いわゆる「現場」の比重がすごく高いんですが、SMAPはその中でも別格だと思うんです。テレビにあそこまでフィットして、テレビの歴史を作ったという存在は、アイドルには今までいなかったし、これから出てくるのも難しいと思いますね。ある種、特殊なケースだと思います。  僕は、テレビの本質って「バラエティ」だと思うんですよ。つまり、いろんなジャンルがあるわけだけど、ジャンルがないジャンルっていうのがバラエティ。最終的に、なんでもありになっていくんです。なんでも受け入れるし、なんでもできるっていう楽しさがある。アイドルにしても芸人にしても、バラエティという、なんでもありな空間に入っていくことは必然で、SMAPがテレビを通じてそういう存在になっていったっていうのは、大げさにいえば、戦後日本における大衆的な娯楽とか文化の世界におけるひとつの完成形なんだと思います。
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スキマ 僕がいま、すごく象徴的だと思うのは、女子高生を中心とした若い世代に、出川哲朗さんやNON STYLEの井上さん、トレンディエンジェルの斎藤さんとかが、すごく人気があることなんです。いわゆる「気持ち悪い」とか「ブサイク」とか見た目の部分でネガティブな評価を受けがちな人たちが、これほどまとまって支持されたことって、歴史的に見てもあまりないんじゃないかと思うんです。実際、出川さんなんかは、かつて女性たちには本当に嫌われていましたから。彼らに共通するのは、ブレないポジティブさですよね。 太田 「コミュ力が高い」「コミュ障」っていう言い方がありますけど、当然、コミュ力が高い人たちばかりじゃない。そういった人たちにとって、いまスキマさんが挙げた人たちは、救いになっている。女性から見ればネガティブに受け取られる特徴を持った人たちっていうのが、お笑いの中でポジティブな輝きを持つことがある。そういうことを、僕らは日々、目撃してるわけじゃないですか。それって、冷静に考えるとすごいことだと思うんですよね。彼らに人気があるのは、女子中高生たちが、空気を読むコミュニケーションばかりが重視される今の時代に、生きにくさを感じているからかもしれないですね。 スキマ さまざまなジャンルに芸人さんが進出し、支持されている一方で、芸人の本業ともいえる漫才やコントなどのネタがなかなかテレビではできない状況があります。これは、芸人さんたちにとって不幸な状況だと思いますか? 太田 テレビに関しては、芸人にとって不幸なのかそうじゃないのかっていうのは、難しいところだと思いますね。今、テレビでネタは世に出るきっかけのひとつになってしまって、それだけで生きていくのが難しいというのは不幸なことかもしれませんね。でも、「バラエティこそ、テレビだ」って考え方からいくと、ネタももちろん笑いのひとつなんですけど、それだけではない。テレビで何が面白いかっていうと、それまでの常識を壊すことだと思うんです。それは別に、ネタじゃなくてもいいわけですよ。 スキマ なるほど。では、このような「芸人万能社会」は、これからも続くと思いますか? 太田 芸人が巧みなコミュニケーションのお手本だけなら、長く続かない。けれど、コミュニケーションがうまくない人だってこんなに面白いし、魅力的じゃないかというのを示してくれるのも、今の芸人さんだと思うんですよね。また、『万年B組ヒムケン先生』(TBS系)のように、空気を読むとか気にせずに、そこに存在するだけでいいんだと肯定してくれるような番組もある。芸人は、あらゆる人のロールモデルになっていると思うんです。今回、『芸人最強社会ニッポン』とタイトルをつけましたけど、その「最強」というのは、単に勝ち負けの強者という意味ではなくて、芸人こそがわれわれにとって助けになってくれる、救いになってくれるような“強さ”を持っている存在だっていう意味合いもあるんです。テレビの持っていた自由さが、ここまでのバリエーション豊かな文化を可能にした。笑いは、生きた文化なんです。だから、これからもなくならないと思いますね。 ●おおた・しょういち 1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなど、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論-南沙織から初音ミク、AKB48まで-』(筑摩書房)、『社会は笑う・増補版-ボケとツッコミの人間関係-』『中居正広という生き方』(青弓社)など。 ●てれびのスキマ(戸部田誠) 1978年、福島県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛するテレビっ子ライター。2015年にいわき市より上京。著作に『タモリ学』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』『コントに捧げた内村光良の怒り』(コアマガジン)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)。当サイトにて「テレビ裏ガイド」を連載中。

ダンス仕込みの騎乗位に注目! 超有名ダンスグループのバックダンサー、速水ライリが衝撃のAVデビュー

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 某有名ガールズダンスグループオーディションでセミファイナルまで残った実績を持つ実力派美女ダンサー、速水ライリがSODの「本職」シリーズ「超人気Girlsダンスユニットオーディション、セミファイナリストが衝撃のAVデビュー Professional Dancer 速水ライリ AVデビュー」(9月22日発売)でAVデビューを果たした。ダンスで鍛えた究極の美Bodyを武器に、騎乗位や3Pに挑戦。迫力満点のダンスシーンも挿入されている同作。ダンス歴は16年、現在21歳の彼女の素顔に迫るべく、今回は本人を直撃。デビュー作の見所や今後の活動について話を聞いてきた。 ──普段はダンサーなんですよね? 速水 そうです。超有名ダンスグループのバックダンサーとかをやっていたんです。一緒にツアーを回ったり、コンサートに出たり……。有名なガールズダンスグループのオーディションにも、セミファイナルまで残ったことがあります。 ──今回のデビューを機にダンスはどうするんですか? 辞めるんですか? 速水 もちろん続けていこうと思っています。なのでこのレーベルでデビューさせていただいたんです。 ──ダンスの世界で順調に活動できているのに、またなぜAVに? 速水 エッチが好きというのもありますし、もともとこういう世界に少し興味があったんです。知り合いの方に声をかけられて紹介してもらって、話を聞くうちに、やってみようかなって……。 ──ダンス仲間は、速水さんがAVデビューなんていうと、びっくりするんじゃないですか? 速水 友達の何人かはすでに知っているんですけど、びっくりする反面、別にやればいいんじゃないって。本当に信頼できる子だけには、もう話してあるんです。 ──撮影は7月の終わりに済ませたとのことですが、実際に撮影してみてどうでしたか? 速水 緊張しましたね。でも始まると全然大丈夫でした。わたし、もともと人に見られるのが好きなので。 ──内容はどんな作品なんですか。ダンスがモチーフになっていると聞きました 速水 どうなんでしょう。普通にデビュー作的な感じですよ(笑)。インタビューから始まって、何人かと絡んであと3P……それからハメ撮り。ダンスシーンもドローンを使ったりして撮っていただいています。作品の合間合間で見ることができるようになっています。ダンスは普段、ヒップホップをやっているんですけど、今回、これのために振り付けの先生までついて、オリジナルのダンスを踊っているんです。 ──AVでもドローンを使う時代になったんですね。 速水 そうなんです。わたしもすごいなって。 ──ハメ撮りとかいろいろなことに挑戦してみてどうでしたか? 一番印象的に残っているのはどの場面ですか? 速水 3Pです(笑)。カメラがまわっている中で、2人の男の人に同時に迫られるんですけど楽しかった。 ──恥ずかしくなかったですか? 速水 全然。こうしろ、ああしろって動き回らされるのも嫌いじゃなかったし。
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──もともと、やるよりやられる方が好き? 速水 そうですね。好きですね。エッチの面ではわたしドMだと思うんです。 ──じゃあ、男性のタイプもSっぽい人が好き? 速水 男臭さがある人がいいです。でも、性格的に口数の少ないタイプは苦手です。わたし、ガンガンしゃべるタイプなので(笑)。わたしのおしゃべりに付き合ってくれる方じゃないと難しいと思います。 ──ダンス同様、体力を使う撮影だったと思うのですが。 速水 でも、疲れたとかはあまりなかったです。ダンスと使う筋肉も似ているのかもしれないです。普段から鍛えているということもあるのかもしれないですけど、体力的には全く問題なかったです。 ──スタイルもいいですね。体のパーツではどこが一番自信がありますか? 速水 ウエストですかね。くびれを見てください(笑)。 ──胸も結構大きいですね。 速水 胸はそんなでもないです。あるように見えるなら、それはわたしが結構盛っているからだと思います(笑)。 ──エッチは何歳くらいから興味を持つようになったんですか? 速水 中学生くらいから興味を持ち始めたと思います。初体験はちょっと遅くて16歳でしたけど。 ──昔から、ませていたほうではあった? 速水 そうですね。ダンスをやっていたりというのも少し関係があるかもしれません。
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──上京前は関西にいたんですよね? 速水 そうなんです。 ──ちなみに学生時代はどんな感じの女の子だったんですか? 速水 派手だったと思います。ギャルだったので。うちの両親もそもそも派手なタイプ。おばあちゃんも派手でした(笑)。 ──初体験は16歳ということですが、過去、男性経験はその人を含めて何人くらい? 速水 3人です。 ──じゃあ、まだ、あんまり男性のことはわからない? 速水 どうでしょう。でも、前戯でこの人うまいとかへただとか、そういうことはわかりますよ。 ──うまい人は前戯もうまい? 速水 そうだと思います。前戯ができない人は、ただ入れればいいと思っているんですよ。女性としては最初、前戯で盛り上げてもらわないとってところはあります。急に入れられてもって感じです。 ──前戯はどこを攻められると感じるんですか? 速水 どこだろう……上半身より下半身を攻められるのが好きです。手マンが好き(笑)。 ──体位もバラエティに富んでいるほうがいい? 速水 そうですね。いろいろしてみたくなるタイプですね。 ──ちなみにどんな体位が好きなんですか? 速水 得意なのは騎乗位ですけど、好きなのは寝バックです。 ──騎乗位が得意っていいですね。 速水 男性の反応とか見て、わたし得意なんだろうなって思うんです。 ──腰の動かし方がいいんですかね? 速水 たぶん。腰が柔らかい方ではないんですけど、動かすのは速いです。ダンスの影響もあるかもしれないです。
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──今まで一番気持ちがよかったセックスのシチュエーションはどんなものでしたか? 速水 2番目に付き合った人が、すごくドSさんだったんです。その人とのエッチですかね。性格はオラオラ系で、見た目も色黒。言葉攻めとか得意でしたよ。「イク時はイクって言ってからイケ」とか(笑)、「俺がいいよって言ってからイケよ」って。あといきなり首を絞めてきたり。最初は殺されるかなと思いましたけど、慣れるとそれがいいなって。ストッキングも破られました。脱ぐの面倒くさいから、わたしも破いていいよって感じになってました(笑)。 ──何歳くらいの人? 速水 20代後半でした。その人とのセックスで初めてイク感覚も覚えたんです。 ──相性はいいけど、でも、別れたんですよね? 速水 はい。わたしのほうが何か嫌になってしまって。セックスの相性は確かに良かったけど、だんだんお腹いっぱいになってしまったというか……。ドSの人は最初はいいけど、だんだん飽きてしまうというのはあります。 ──デビュー後はどんな女優さんになっていきたいですか? 速水 やるからには有名な女優さんになりたいなって思っています。ダンスの面でもそうなんですけど。 ──プライベートで経験できないエッチを体験していきたいと、プロフィールにもありますが。 速水 体位だけじゃなく、複数とか。いろいろやっていきたいって思っているんです。 ──ぶっかけも平気? 速水 平気だと思います。やってみたいです。あと、作品の中で演技もしてみたいですね。 ──ジャンル的にはどんなものに? 速水 女教師をやりたいんです。相手は生徒2人とかで。プライベートで年下に興味はないんですけど、作品の中でならいいなって。年下をいじめるのとかやってみたいです。 ──プライベートのことも教えてください。ダンス以外ではどんなことに興味を持っているんですか? 速水 料理が好きです。あと、歌も。料理はカレーマイスターの資格も持っているんです。カレールーを作れるようになるという資格なんですけど……。あともちろんファッションやメイクも。お酒も大好きで最近は日本酒にもはまっています。 ──最後にファンにメッセージを。 速水 AVだけじゃなくて、わたしのダンスのパフォーマンスの部分もぜひ見てください。AVをやりつつダンスの方でも取り上げてもらえるようになれるよう頑張ります。みなさん、応援よろしくお願いします。 (取材・文=名鹿祥史) ■速水ライリ プロフィール 1995年6月9日生まれ T153/B83/W53/H88 大阪府出身 Twitter:@rairy_hayami 彼女のダンスは必見です!! https://youtu.be/OsbbuF_C9IE

フリースタイルバトルブームの“台風の目” ブラジル人ラッパーACEが語る、「エミネムの壁」と「果てなき野望」

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撮影=尾藤能暢
『フリースタイルダンジョン』(以下、FSD/テレビ朝日系)をきっかけに、いまや空前の盛り上がりを見せているフリースタイルバトル。その半面、浮かれてばかりもいられない。というのも、「さんぴんCAMP」が着火剤となり、「Grateful days / DragonAsh feat,zeebra&ACO」が大ヒットして一躍注目を浴びた日本語ラップシーンだが、その後、セールス的にメジャーシーンで成功したといえるのは、KICK THE CAN CREW、KREVA、RIP SLYMEくらいだった(参考記事:月刊サイゾー『フリースタイルダンジョン』に至る30年のウラ側)。もちろん、THA BLUE HERBなど、インディーズながら成功を収めたアーティストもいるが、日本語ラップがメジャーシーンで日の目を見ることは少なくなっていった。  そんな時代を経て、久々に何かやってくれそうなラッパーが現れた。渋谷サイファー(註:路上や公園などに集まり、輪になってフリースタイルでラップし合うこと)という新たなカルチャーを確立した、ブラジル生まれ新宿育ちのラッパー・ACEである。アニメとASIAN KUNG-FU GENERATIONをこよなく愛し、「もっとテレビに出たい」と声高に叫ぶ、これまでにいないタイプのラッパーが、現在の日本語ラップシーンをどのように見ているか、話を聞いた。 *** ――ACEさんは、般若さんから『FSD』への出演を依頼されるきっかけとなった「アドレナリン」をはじめ、クラブイベントを主催されていますが、その中でなぜ、渋谷サイファーを始めようと思ったんですか? ACE もともとは、高田馬場でやってたんです。当時、フリースタイルバトルで勝ちまくるというのを目標にしていたこともあって、練習の場としてもそうだし、単純にサイファーは楽しい。でも、サイファーやってるやつは少ないから、“じゃあ、ゲリラでやろう”と思って、たまに渋谷のハチ公前とかでもやってたんです。それで、ひょんなことからスピーカーとマイクを入手して。ある時、「高校生ラップ選手権」の前夜祭サイファーをやっていたんですけど、遅い時間だったんで一回解散して、TSUTAYA前に移動して大人の部をやることにしたんです。そこに偶然、ドラムのユージ・レルレ・カワグチさんがいて、その音を聞いていたらビートが合いそうだなと思ったんで、なんなら一緒にやっちゃおうと(笑)。スピーカー置いて、ドーンってやったら、化学反応が起きたんです。路上ライブスタイルのサイファーってこれまでなかったから、新しいなって。もうね、TSUTAYA前がフェス状態でしたからね。これはヤバイと思って、「掌幻、お前も味わったほうがいいぞ! ラップうまくなるぞ。来いよ」って誘って、今の掌幻がある(笑)。そこからCHARLESとかギターのユースケ・ローレンスも加わり、今の渋谷サイファーの形になりました。最近では、トランペットやサックスから、ディジュリドゥ(アボリジニの管楽器)まで、いろいろな楽器が飛び入りで入ってきたり、ダンサーもいたり、みんな自由にやってますよ。 ――渋谷でやることの意義って、何かあるんですか? ACE 僕の家から近いから(笑)。もちろん、一緒にやってるやつらには、それぞれ思い入れはあると思います。でも、北海道でも沖縄でも、どこでだってやりますよ。最近は『FSD』の影響もあって、サイファーをやっていれば足を止めて見てくれる人もいますけど、僕らがサイファーを始めた頃って、今ほどHIP HOPに日が当たっていなかった。当時は「黒人が日本語でラップしてる」くらいの関心度で、人も集まらないし、内々のものだったんです。
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――そんな渋谷サイファーが、なぜここまで広まったと思いますか? ACE 「すごいから」じゃないですか? 「なにこれ?」って、驚きがある。黒人が日本語ラップしている。腕の細いドラマーが、ぶっとい音で叩いている。ギターはめっちゃオタクなのに、なんか色っぽい。女の子のラッパーもいて、ジャンルの幅がめちゃくちゃ広い――。視覚にも聴覚にも、響きますよね。そんなごちゃまぜ感に加え、まぁ僕らのエンタメスキルですかね(笑)。 ――そのエンタメスキルが、ACEさん最大の持ち味でもありますよね。 ACE やっぱり『FSD』の影響は大きいですね。ここで初めて言いますけど、山下新治名義(ACEは『FSD』に般若の通訳役・山下として出演している)で、結構なビッグネームの映画出演オファーが来たんですよ(笑)。結局、スケジュールが合わなくて出られなかったんですが、山下名義でオファー来るって、すごい影響力ですよね。でも、僕らがやっていることって、本当にずっと変わっていない。内容的には進化し続けているけど、方向性やメッセージはブレていない。にもかかわらず、『FSD』やるまで、メディアは見向きもしなかった。遅いよ、日本のメディアは! 何年待ったか……(笑)。 ――その『FSD』がきっかけで、現在のさまざまなバラエティ番組への出演につながったと思うんですが、DOTAMAさんと一緒に出演した『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)の生放送でのフリースタイルは、かなりリスクがありましたよね。撮り直しができないし、禁止ワードを言ったらアウトです。さらに、情報バラエティだと、番組側がACEさんの見せ方を作るので、本来のACEさんのスタイルと齟齬が生じる。 ACE もちろん、リスクはありました。でも、単純に面白そうだなと思って。だって、『ヒルナンデス!』で俺がラップしてるって、おかしいじゃないですか?(笑) ただ、バトルをテレビでやると、当然、禁止ワードがある。自由表現じゃないって嫌がるラッパーもいますが、僕はそのルールの中で、どれだけ自分がうまくやれるかというスリルを楽しむのも一興かなと思っています。最近は「口説きMCバトル」とか、お題のあるバトルも多くなってきていますし、そういったテーマの中で、いかに格好良く見せられるかというのが大事になってくる。おちゃらけて伝わるのは僕たちの本意ではないですが、決められたルールの中で、どれだけ言葉遊びを楽しめるか、ですね。 ――一方で、テレビに出て“タレント性”を求められるのを嫌がるアーティストも多いですよね。 ACE 僕はぜんぜん嫌じゃないです。もっとテレビに出たい! だって、テレビに出たらモテるもん(笑)。曲のイメージが崩れるのを懸念する気持ちはわかります。でも、ある程度、露出をしているのに、中途半端にメディアに出るのを嫌がるのは、本人がアーティスティックじゃないから。般若さんの『FSD』での振り切り方がいい例で、逆に彼のアーティスト性を高めている。僕は、ラッパーっていう職業が、もっと芸能界に食い込んでいったほうがいいと思います。テレビで出し尽くしちゃって、飽きられる怖さっていうのもあるかもしれない。ただ、それはスキルの問題ですよね。フリースタイルなんて、毎回変わるワケで、飽きられるはずがない。僕のフリースタイルは一生続くから、今のフリースタイルブームに対しても「仕事増えるぜ」「ありがとー!」って程度で、僕のスタイル自体は何も変わってない。
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――現在、日本語ラップシーンはこのまま行けば爆発しそうな雰囲気もあって、そのためには「Grateful days」のようなスマッシュヒットが必要だ、という意見も多いですが、ACEさんはそのあたり、どう思われますか? ACE いや、“エミネムを超えてやる”っていう覚悟のあるラッパーが、あと15人はいないと、変わらないんじゃないですか? スマッシュヒットごときを狙ってちゃ、ダメでしょ。結局、フリースタイルがはやっているっていったって、「日本のラッパー、誰知ってる?」って聞いても、答えられる人は実はそんなに多くない。やっぱり、エミネムくらい有名なやつが出ないと、何も変わらない。 ――その覚悟を持っている人は少ない? ACE 少ないと思います。長くやっている人ほど、その覚悟が削がれていくっていうか。現実を見れば、そう簡単には食っていけないし、業界のしがらみもある。もしくは、やってみたら意外と行けたけど、そこで行き止まり。「エミネムはアメリカで、日本と市場が違うもんなー」と、あきらめてしまう。そういったさまざまな要因にくじけず、「エミネムを超えるんだ」っていう覚悟と実力と行動が伴っている人がもう何人かいれば、変えられるんじゃないですかね。ここでドカーンと残しておかないと、10年後に「一発屋だった」って言われますからね。ここから先、戦国時代ですよ。 ――ACEさん、別のインタビューで「シーンのこととか考えていない」とおっしゃられていましたけど、なにげにいろいろと考えていますよね。 ACE シーンのことは考えていないですよ。というか、先輩たちが頑張ってくれたから今があって、先輩たちがやらかしてしまったからできなくなったこともある。ただ言えるのは、団結する時だということですかね。城を建てないといけないんじゃないですか? きちんとお金の流れをつくって、マネジメントではなく、エージェントのような形でラッパーを守るような組織ができてもいい時期なのかなとは思います。HIP HOPというくくりでは、表には出ず、シーン周辺のビジネスで稼ぎたい人もいる。だから、城を造り、その城の中でラップするアーティストもいれば、HIP HOPに生きる人もいる。その城のラップアーティストに属するなら、『FSD』で盛り上がった今が前に出る時です。客目線でいうと、KICK THE CAN CREWみたいな、ヒットを続けるラップグループが出れば楽しいと思います。そういったユニットがボーンって出て、引っ張っていくっていう可能性はあるかもしれない。 ――では最後に、エミネムを超えるのはもちろんですが、今後の目標を教えてください。 ACE フリースタイルもラップもタレント性も、全部ナンバーワンを目指してます。去年「フェスに出たい」って言っていたら、今年はフェスにたくさん出演できたので、今のところは作戦通りですね。今後もフェスに出続けつつ、12月7日にセカンドアルバム『LIGHT DOWN』、来年の上半期にサードアルバム、その後に新曲を出す予定で、その新曲はセルアウトとかではなく、皆の心に届くホームランを狙います。その曲で『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出たい。あとは『ワイドナショー』(フジテレビ系)で前園(真聖)さんの隣に山下として出て、ラップでコメントしたい(笑)。そういった意味で、僕はHIP HOPアーティストではないのかもしれません。ラップっていう歌唱法を使っている、ブラジル人ACEなんですよ。それが死んだ時に、HIP HOPアーティストになるのかもしれないですね。 (取材・文=石井紘人@hayato_fbrj) ●ACE DVD『ACEのフリースタイルマップ Vol.2』 発売日11月16日 価格:2,000円(税抜) ●ACE 2nd Album『LIGHT DOWN(ライト・ダウン)』 レーベル: 戦極CAICA 発売日: 2016/12/07(水) 品番: SGKC-012 価格: 2,315円(税抜) ブログ <http://ameblo.jp/aceofficial/> Twitter <https://twitter.com/ace0317?lang=ja

元“アウトローのカリスマ”瓜田純士がメタボ解消!「ペ・ヨンジュンレベルのボディに……」

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 今年の1月、医者から「メタボ宣告」を受けた“元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(36)。「夏までに全身をペ(・ヨンジュン)レベルに仕上げ、ヌードを披露する」と宣言し、春先からダイエットと筋トレを始めたが、果たしてその後、どうなったのか? 約束の夏を過ぎたので、ヌードの撮影を要請してみた。  9月某日。渋谷区道玄坂にあるサイゾーの特設スタジオに妻同伴で現れた瓜田は、開口一番、こう詫びた。 「力及ばず、『ペ』には届きませんでした。すいません」  目標とする、ペ・ヨンジュンのようなボディーは獲得できなかったという。しかし、それなりの成果は得られたようだ。 「下半身はまだまだですが、上半身は結構いい感じに仕上がりましたよ」  そう言ってウィンドブレーカーを脱ぎ捨てると、その場に居合わせたカメラマンや編集スタッフから「おおっ!」という感嘆の声が漏れた。かつて医者から「ポッコリおなか」と笑われた腹部は、ボクサーのようにシェイプされ、腹筋の凸凹も認められる。 「シックスパックまではいきませんでしたが、どうにかファイブパックまで割ることに成功しました」
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逆三角形(▽)のボディーを手に入れた瓜田が、誇らしげに妻を抱き寄せる。
 驚くべきは、腹筋ばかりではない。かつてはまな板のようだった胸板も、大胸筋がほどよく隆起。上腕の太さも増している。それに対し腹部は凹んでいるため、男なら誰もが憧れる逆三角形ボディーを、わずか半年あまりで手に入れた格好だ。数値の変化は以下の通り。 身長   182㎝→182.5㎝  体重   74㎏→63㎏ バスト  95㎝→99㎝ ウエスト 85㎝→69㎝ 上腕   30㎝→33㎝ 体脂肪率 20%→10%  ジムにもライザップにも通わず、自宅でボディーメイクに励んだという瓜田。その苦労話と成功の秘訣を聞いてみた。 ――年始にお会いしたとき、ふっくらされた印象を受け、「いよいよ瓜田さんも、中年太りか……」と思ったのですが、あれから随分と努力をされたようですね。8年前のアウトサイダー出場時よりも、若々しいボディーじゃないですか。 瓜田 今後も更新は続きますが、今が瓜田史上、最もイケてるボディーです。
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今年1月に撮った瓜田。お腹が出ており、上半身のフォルムが三角形(△)になっている。
――一時とはいえ、なぜあんなに太ったのでしょうか? 瓜田 酒と夜ふかしかな。あとは、食生活。僕が嫁の料理を「おいしい」「おいしい」言うもんだから、嫁が僕を喜ばそうと張り切って、どんどん料理が豪華になっていったんです。カレーライスの上に、ハンバーグや魚フライ、ナポリタンなどをのせてくれたりね。で、気づいたら、医者からメタボ宣告ですよ。嫁のせいで太ったとも言えますが(笑)、そこからダイエットを始めたあとは、嫁のおかげで痩せることができました。カロリーや栄養のバランスを考えつつ、痩せて、なおかつ筋肉がつきやすいレシピを毎日せっせと考えてくれた。禁酒にも運動にも、付き合ってくれましたしね。 ――主にどのような運動を? 瓜田 最初のうちは、前にも言った通り、有酸素運動を中心に行いました(記事参照)。で、2カ月やそこらで10㎏ほど痩せたので、そこからは筋トレ中心に切り替えて、食べる量を増やしました。筋肉をつけたければ、嫌でも食べないといけないんですよ。 ――筋トレのメニューは? 瓜田 海外の刑務所にいる奴の鍛え方を参考にしました。主に大胸筋と、肩と、太ももを毎日鍛えます。 ――1日のトレーニングメニューを教えてください。 瓜田 だいたい朝は6時に起きて、午前中の暇な時間に、家にある懸垂マシーンを使って、いろんなパターンの懸垂を10回3セットずつ。そのあと、10㎏(両手で20㎏)のダンベルを立った状態で10回2セット。それが終わったらベンチに寝そべり、20㎏(両手で40㎏)のダンベルプレスを10回3セット。それらこれらの合間を縫って、腕立て伏せや腹筋やスクワットを20回3セットずつ。それが第1部です。で、夜間に第2部として、ほぼ同じメニューを繰り返しやって、なるべく12時前に寝ます。筋肉を育てるには、睡眠と食事が非常に大事。よく寝て、よく食べないと、すぐに痩せちゃうんですよ。 ――普段の食事の内容は? 瓜田 ダイエット期間は糖質を若干控えましたが、筋トレを本格的に始めてからは、嫁の指導のもと、糖質も脂質もタンパク質もバランス良く摂取するようにしてます。ちなみに最近は僕ひとりで「ご飯4~5合、鶏肉2㎏」を2日でたいらげますが、それでも太らない。それだけ筋肉量が増えて、基礎代謝がアップしたんでしょうね。
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――筋トレのメニューが、かなりキツそうですが。 瓜田 目で見てわかるほどの効果が現れるまではしんどかったけど、目で見てわかるようになると、今度はサボるのが嫌になる。ダイエットやボディーメイクを挫折しがちな人は、きっと効果が目に見える前にやめちゃうんじゃないでしょうか。 ――筋トレの効果が目に見えるようになるのは、いつ頃ですか? 瓜田 僕の場合、ワンシーズン。3カ月程度でしたね。春夏秋冬。秋なら秋。どんだけ嫌でも、いっぺん本気でメニューを決めて、3カ月だけ頑張って続けてみれば、誰でも必ず成果は出る。そうなると、楽しくてやめられなくなりますよ。 ――奥様も、ダイエットに成功したそうですね。 瓜田 彼女は僕と別メニューですが、シャッフルダンスや家庭用トランポリンで体幹を鍛え続けた結果、この半年ちょいで、53㎏から42㎏まで痩せたそうです。 ――奥様につかぬことをお聞きしますが、そこまで痩せると、胸のサイズも小さくなってしまうのでは?  そうなんですぅ。揺れるところからぜい肉が減っていくらしいので。 瓜田 揺れるほどなかっただろ、もともと(笑)。ていうか、人の嫁に変なこと聞いてんじゃねぇ!
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――失礼しました。ところで、夫婦そろって自宅でトレーニングしてる間、飼い猫のセブンくんは何をしてますか? 瓜田 邪魔しに来ます。僕が腕立て伏せを始めると、裾(すそ)からタンクトップの中に入ってきて、体をクルリと反転させて、首元から顔だけ出して、こっちを見てくる(笑)。それがスーパーかわいいし、セブンの重さが加わるから、腕立ての効果も増すんです。 ――今後も、ボディーメイクを続けますか? 瓜田 はい。「ペ」はあくまで通過点。最終的には、アメリカンマッチョになるまで鍛えようと思います。 ――アメリカンマッチョとは? 瓜田 アメリカのヒーロー映画の主人公みたく、服がビリビリに破けるようなゴリゴリのマッチョボディーです。 ――それは骨格的に無理があるのでは? やせ型長身の瓜田さんは、今ぐらいの細マッチョが一番格好いいのではないでしょうか。 瓜田 「格好いい」と言われるようじゃダメ。「ヤベぇ」と言われたいんですよ。あからさまに一目置かれるような、誰もがビビって距離を置くような、そういう激ヤバなボディーを手に入れて、ハロウィンで見せびらかしたいですね。昨年の今頃はパニック障害で引きこもってましたが、今年のハロウィンはマッチョが映えるコスプレでキメて、肩で風切って新宿二丁目を練り歩きますんで、おおいに期待しといてください。 (取材・文=岡林敬太/撮影=尾藤能暢) ※瓜田純士&麗子 Instagram https://www.instagram.com/junshi.reiko/ ※日刊サイゾーでは瓜田純士の最新情報をほぼ月イチペースでお届けしています。

「差別を言い訳にしたら“負け”」在日コリアン3世・ベンチャー企業代表(男性・34)の場合

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 先頃、「在日特権を許さない市民の会」(以下、在特会)の桜井誠元会長が、都知事選に出馬。11万4,171票を獲得しました。その得票数については、社会的にさまざまな反応があります。「恐ろしいヘイトスピーチを繰り返す人々に、そんなに票が集まったのか」、また「都民全体で見た時、やはりほんの一部の支持にとどまった」など、意見・分析も多種多様です。 「在日コリアンの若者は、現在の日本社会をどう見ているのか」  都知事選の前後から、そんな質問を、よく受けるようになりました。質問の主は皆、日本の方々です。ヘイトスピーチなど、いわゆる差別的攻撃の標的となっている当事者たちが、現在の日本社会にどんな思いをはせているのか? また、在日コリアンの若者は、日本でどのように日々を過ごしているのか? その率直な意見や、リアルな生活を聞きたいというのです。  ただこれまで、そのような質問に対し、明確な答えを返すことはできませんでした。一言で“在日コリアン”といっても、人によって国籍も、生活環境も、意見も違います。家族をはじめとするコミュニティーの影響もそれぞれ異なるし、生きていく上でのモチベーションも千差万別です。もちろん、好きな異性のタイプも違うし、リア充もいれば、孤独を愛し趣味に走る“オタク”もいます。年齢や世代によって、いくらか似たような認識や共通点はあるだろうけれども、決してひとくくりに語れるものではありません。戦前、戦後、そして日本の植民地時代を前後して海を渡ってきた在日コリアンの歴史は、すでに100年以上が経過したともいわれており、その“それぞれ”は広がるばかりです。 「在日コリアンは○○だ。日本社会については○○だと思っている」  おそらくその空白部分を埋められる人は、当の在日コリアンの中でも皆無かもしれません。僕自身、まるで在日コリアンを代表するかのように語るのは、「なんだか気が引ける」というのが正直なところでした。それを明確に、また遠慮なしに語る人がいるとすれば、よほど全体像が見えている神様みたいな人か、もしくは“世間知らずの無知な人”だと思います。  それでも、書き手として「何かすべきかもしれない」と考えてきました。何よりも、日本の方々が「知りたい」と問いかけてくれることは、とても恵まれた機会だからです。そしてもうひとつ、個人的な問題意識もありました。  ここ数年、世界各国では移民排斥の機運が高まっています。高い“人権意識”を持つと豪語する欧州・米国など、先進国でも、その動きは例外ではなくなってきています。グローバル化の動きとはまったく正反対の現象が起きていて、衝突や差別、排他的な雰囲気が世界各国を覆っています。おそらく、そのような世界の在り方は、日本社会と在日コリアンの関係性にも間違いなく影響しているはずです。  そしてイスラム国の若者の実情――。中東、また欧州各国で銃を手に取り、自爆テロを繰り返す若者たちには、移民2世や3世も多く含まれているという話があります。共通点というほどのものではないかもしれませんが、僕自身も日本で生まれ育った在日コリアン3世です。日本と欧州に暮らす“異邦人”には、歴史的・社会的に、どのような環境の差があったのか? そして、日本では想像もつかない凄惨な環境に身を投じる若者が、後を絶たない理由は一体何なのか? 雑誌の取材などを通じていろいろな話を聞きかじるうちに、そのような問いが頭から離れなくなりました。決して、社会正義をうたいたいわけではありません。日本で暮らす外国人として、純粋に興味を抱くようになったのです。  もしかすると、自分の周囲の人間の話を聞くことで、何かしらのヒントを得ることができるかもしれない。そういう思いが、日ごとに強まっていきました。  おそらく、これから先も、在日コリアンについて「何かを語る」ことは難しいかもしれません。それでも、その声を聞くことはできると思います。どれくらいの期間・回数が許されるかわかりませんが、できる限り多くの在日コリアンの若者の声を残していきたいと思います。 *** ■「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」 「日本社会に差別があるかどうか問われれば、ひどく差別されていると感じる人もいるだろうし、差別なんてされたことがないという人もいるでしょう。ただ、個人的には、差別を言い訳にした瞬間に“負け”だと考えるようにしています」  東京都内の焼鳥店で、2杯目の生ビールを飲み干したチェ氏(仮名)は、そう切り出した。チェ氏は今年34歳の、在日コリアン3世。なお、34歳という年齢は、日本の行政が若者と定義する最後の年代だ(一昔前まで、若者の定義は24歳までというものが多かったが、最近では40歳までを若者と定義する場合もある)。  チェ氏は、小学校から民族系の学校に通っていた。そのため、友人や知人も在日コリアンがほとんど。20代前半まで、日本社会との接点は、まったくと言っていいほどなかった。卒業後、右も左もわからない日本社会にいきなり投げ出されたチェ氏は、しばらくまともな職にも就けず、フリーター生活を続ける日々を送る。転機が訪れたのは、20代半ばを過ぎた頃だった。なんとか採用が決まった広告関連の企業で、脇目も振らず仕事に没頭。日本社会で人脈を増やすために、休日も取ることなく働き続けた。そんな数年間を過ごした後、30代を迎えた頃にはビジネスで独立を果たし、現在はベンチャー企業の代表として充実した日々を送っている。「相手も自分も一緒に向上できる仕事をする」「人を泣かせる仕事はしない」それが、チェ氏の仕事の哲学だ。 「20代の頃は、誰にも頼れずフラフラと生きていました。一時期、歌舞伎町でホストをやっていたこともあるんです。ホストって、羽振りいい世界に見えるでしょう? でも、あんなのは一部だけ。ほとんどがどうにもならなくて、薄給や罰金でヒーヒー言ってる。当時、生活しながら強く感じたのは、日本にも“持っている人”と“持っていない人”がいるということ。格差っていうんですかね。貧しくなると『男は路上に、女は(水商売の)待機室に行く』というのが僕のしょうもない持論なんですが、実際に目にした日本の若者たちの風景は、まさにそれでした」  未来が不透明な若者が、酒や疑似恋愛に溺れて刹那的に生きる。時には、安い金で体を売ったり、人をだましたり、犯罪にも手を染める。バカ騒ぎをして楽しそうに見えても、満たされない虚しさを抱える人々の一群。チェ氏が20代の頃に見た風景は、そんな日本社会の一面だった。  チェ氏自身、ホストやアルバイトばかりしていた頃は、経済的に苦しかったという。帰りの電車賃すらなく、駅で一夜を明かすことも珍しくなかったし、東京郊外の住まいまで、数時間かけて歩いて帰った日もあったという。そんな生活の中、格差や日本という環境、そして自分の人生について深く考えるようになる。お金も自信もなかったけれど、考える時間だけはたくさんありましたから――。そう、当時を振り返る。 「いま、そしてこれからの日本では、日本人でも在日コリアンでもあまり差がない。スタートラインはそれほど変わらない。そう思うようになりました。結局、持っているか、そうでないか。日本人の若者にだって、在日コリアンより苦労している人は多くいます。それに、在日同士だってお金がなくなれば離れていく。そんな現実の前では、日本社会にある差別という言葉は、あまり現実味がないような気がしていました」 ■在特会が主張するような“特権”なんてない  ただ最近は、嫌でも耳に入ってくるニュースのせいで、差別という言葉についても、深く考えざるを得なくなったという。4杯目のビールが狭いテーブルに運ばれてきたときには、話題は在特会やヘイトスピーチに及んだ。 「僕は韓国とか朝鮮、それに在日コリアンを嫌いな層というのは、日本からは絶対にいなくならないと思います。それは、差別ではなくて自然なこと。どこの国にだって、そういう人はいますから。僕だって嫌いな人はいる。そういう人たちが、まったく発言できない社会だとしたら、それは民主主義ですらないと思います。ただ、在特会やヘイトスピーチは水準が低いし、やり方を間違ってきた」  チェ氏は、日本で生活していると在日コリアンであることに多々不便を感じるが、在特会が主張するような“特権”は、感じたことも、使ったこともないという。実際、経営者としてのチェ氏は、客観的に見ても、世界的に見て起業が少ないとされる日本社会で、同世代の平均的な日本の若者より多くの税金を納めている。 「百歩譲って、もし在日特権なるものがあるならば、在特会はそれを証明して、政治家になって、日本の国民の支持のもと、法律を作ってなくせばいい。でも、彼らはそういうことはしないし、できない。裏を返せば、『自分たちは日本人なのに差別されている』ということを叫び続けて、間違った努力しかしていないんです」  在日コリアンに“特権”がないにもかかわらず、在特会などに関わる人々が『差別されている』と感じ続けることは、自分たち自身の成長を阻害する“鎖”にしかならない。チェ氏がそういった意見を持つようになった背景には、くしくも、幼少期、また青年期の一部を過ごした在日コリアンコミュニティーでの生活がある。 「M・ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』っていう映画を知っていますか? 映画の舞台は、外の世界と隔離された小さな村。村の大人たちは、外の世界との境にある森に怪物が出るといって、子どもたちを牧歌的な村に閉じ込め続けます。結局、森の怪物たちは村の大人だった。大人たちは、外の社会で差別を受けた人たちなのですが、その経験から、よかれと思って子どもたちを隔離していたのです。僕はあの映画を見た時に、自分がいた在日コリアンのコミュニティーと重なる部分が多いなと感じました」  映画の中で重要なのは「子どもたちは、生きるために外に出る必要があるということ」とチェ氏。ビールグラスの水滴を指でなぞりながら、話を続ける。 「僕らのおじいさん、おばあさんなど在日1世の時代、またある時期までは、確かに差別があったのかもしれない。しかし、それが現在もまったく同じかといえば、そうではないと思います。時代や人間は変わりますから。もし仮にまだ日本に差別があるとしても、それは自分の頭や体で経験すべき。そういう実態と離れた場所で『差別されている意識』だけが膨らむと、人間は歪んでしまうと思います。現に在日コリアンの中には、日本社会と接点がないのに『差別されている』と言ったり、拒絶反応を示す人もいます。説得力が、まったくないですよね。そういう人たちには、日本の友人もいません。結局、自分たちの中でだけ通じる理屈をつくって、内側に閉じこもっているんです。立場は違いますが、在特会にも同じような空気を感じる。なんて言ったかな……、そうそう、“自己植民地化”ってやつです」  チェ氏は、自信もお金も、頼れる人もいなかった20代の頃に読んだ村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』の一文を、今でも反芻するという。 <自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ――>  本当に差別があるかどうかは、自分の外に飛び出さなければわからない。そして、そこで自分にとって不都合があるならば、戦って勝ち取るべきだ。「差別されている」という意識は、自分を甘やかして殻に閉じ込めてしまう甘い罠にもなる。それが、彼が「差別を言い訳にしたら“負け”」と話す理由だ。 「僕は、在日1世を尊敬しています。それは、差別されていたからではなくて、差別に負けなかったから。言い換えれば、前向きに戦って生きてきたということです。日本の若者だって生きにくい時代、じゃあ、僕はどう生きるか。これからの日本では、差別を言い訳にしないで生きていく方がかっこいい。そうやって前向きに生きている在日コリアンの若者は、意外に少なくないと思いますよ。もちろん、そういう日本の若者もたくさんいるはずです」 (取材・文・写真=河鐘基)

精神科医が話題の実録犯罪映画をカウンセリング!「家族への幻想は捨てたほうが楽に生きられる」

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父アルキメデスを中心にしたプッチオ家。家族の絆パワーで、凶悪犯罪を次々と積み重ねていく。
 家族とは共に支え合い、いたわり合うもの。誰もがイメージする普遍的な家族像だろう。ところが南米アルゼンチンで実際に起きた誘拐事件を題材にした映画『エル・クラン』に登場するプッチオ家はあまりに強烈なモンスターファミリーだ。ブエノスアイレス郊外の高級住宅街で暮らすプッチオ家は一見すると平穏そのものな幸福家族だが、家長である父親の職業はなんと営利目的の誘拐犯。ラグビーで鍛えた息子たちに手伝わせて人質をさらい、身代金の交渉がうまく進まないとあっさり人質は殺してしまう。母親と娘たちは自宅の一室に人質が監禁され、悲鳴を上げているのを知りながら、警察に通報することなく平然と暮らしていた。本作を手掛けたパブロ・トラペロ監督の軽妙な演出ぶりは高く評価され、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。アルゼンチンで300万人を動員する記録的大ヒットとなった注目作だ。  事件が発覚したのは1985年。アルゼンチンは長らく軍事独裁政権が続いていたが、フォークランド紛争を経て、ようやく民主化の道を進み始めた時代の変換期でもあった。軍事政権下で秘密警察として働いていた父親アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)は職を失い、家族を路頭に迷わすわけにいかず誘拐業に手を染める。シリアスな社会派ドラマとしても、軽快な音楽に乗せて犯罪が描かれるブラックコメディとしても楽しむことができる。だが、この家族は謎めいた行動がとても多い。長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)はアルゼンチン代表選手に選ばれるほどの名ラガーマンだったのに、父親は長男と同じチームの選手を誘拐する。父親は「家族のため」と言いながら、同時に子どもたちが逃げられないよう共犯関係に追い込んでいく。一方、次男マキラ(ガストン・コッチャラーレ)は海外で暮らしていたにもかかわらず、一家がそろそろヤバいという状況になって、わざわざ帰国して家族と合流する。本作を観ていると、家族とは何なのか分からなくなってくる。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)や『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)などの著書で知られる精神科医の斎藤学氏に、本作で描かれた登場人物たちの行動心理について尋ねた。 ──アルゼンチンで実際に起きた事件を題材にした『エル・クラン』ですが、斎藤先生がプッチオ家をカウンセリングするとしたら、まず誰から診ますか? 斎藤 家族の中でいちばん強い人間が一家の代表として、私のところに来ます。強い人間といっても、それは腕力があるとか大きな声を出すということではなく、いちばん柔軟性のある人物ということで、それは母親であることが多いんです。でも、母親はいちばん厄介な存在でもある。家族内で起きたトラブルを母親は黒いベールで覆い隠してしまい、「私は何も見ていません」と答えるわけです。『エル・クラン』の母親エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)もそうですし、綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め事件や新潟少女監禁事件のときも、犯人と同居していた母親は犯行に気づきながら、気づかないふりをしていました。母親が家族に与える影響力はとても大きい。事件の真相を解く鍵は女性が握っていることがほとんどです。
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長男のアレハンドロはラグビー選手として活躍し、地元の人気者だった。でも、家族の秘密は誰にも話せない。
──母親という存在が凶悪犯罪を補完させてしまうわけですか。威厳たっぷりに息子たちに犯罪計画を指示する父親アルキメデスは罪悪感なさそうですね。 斎藤 あの父親は最後まで罪の意識は感じていないでしょう。軍事政権時代は秘密警察に勤めており、日常的に政治犯を拉致したり拷問していたのが、民主政権に変わり、食べていくために誘拐犯になった。それまで政治犯を拉致していたのが、裕福なご近所さんが標的に変わっただけ。威張っているけれど父親の思考回路は頑迷で、社会が変わったことを認識できずにいるんです。これは私の推測に過ぎないのですが、ご近所さんが集まっての宴会などの場で政治談話など交わしているのを父親のアルキメデスは耳にしており、彼なりの基準で左寄りの人間を選んで犯行に及んでいたんではないかと思うんです。トラペロ監督はあえて細かい描写は省略していますが、アルキメデスは秘密警察時代からの自分の任務をまっとうしていた、くらいの認識だったのではないかと思います。男は社会の中に取り込まれてしまい、その中での自分の立場でしか物事を考えられないので、おかしなことをしでかしても気づかないことが多いんです。逆に妻であり母親であるエピファニアは客観的に状況を把握しています。夫たちの犯罪を知りながら、一家の経済状態を維持するために必要なことだと冷静に受け止めていたのかもしれない。 ──次男マギラは家族とは距離をおいて海外で暮らしていたのに、警察の手が一家に及びそうな段階になって、のこのこ帰国する。自分からわざわざ逮捕されるために家族と合流してしまう次男のこの行動は、理解しがたいものがありますが……。 斎藤 そこが家族の恐ろしさです。毒親の毒に子どもたちもすっかり毒されていたということなのか。私から見ても、この家族はおかしな行動がとても多いですよ。父親はなんで足がつきやすいご近所さんをターゲットにして誘拐を続けたのか。身代金を要求する電話を掛ける際は、地声でしゃべっていますよね。あんなことをしてたら、すぐにバレるでしょうに(笑)。この映画は底が抜けたようなおかしさがありますが、実際の事件の解明には大変な労力と時間が掛かります。裁判所や弁護士から依頼され、当人の精神状態についての「精神鑑定」や「意見書」を私たちが作成するのに最低でも3カ月は要しますが、裁判員制度が導入されてからは迅速化が求められ、1カ月しか与えられていません。こういった事件の真相を知ることが、ますます難しい状況に今の日本はなっていますね。 ──家族とは困ったときに助け合うものだと一般的に言われていますが、プッチオ家の場合は家族の団結が間違った方向に暴走してしまう。家族って一体、何なんでしょうか? 斎藤 家族は温かいもの、というイメージは人間が抱く願望でしょう。家族とは太古からある社会保障制度でしかないんです。国家が成立する以前から家族は存在したわけで、女性や子どもが食べ物に困らないための福祉制度として機能していたシステムだったものです。もちろん家族の存在が癒しをもたらすなどの側面はあるわけですが、システムであり社会制度である家族というものを、あまり美化して幻想を抱くと辛い思いをします。「毒親のせいで、酷いめにあった」と訴えてくる人は私の診療所にもいっぱいいますよ。
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斎藤先生が要注意人物だと指摘する母親エピファニア。海外で暮らしていた次男マキラだが、家族のもとに戻ってしまう。
──斎藤先生の著書『家族の闇をさぐる』では、“家族とは「近親姦防止装置」だ”とあまりにも明快に喝破されています。 斎藤 科学的な視点から見ると、人類は家族という制度を生み出したことで近親姦を防ぎ、また世代という概念を作ることで安定した関係性を得ることができたわけです。もともと家族とは毒性の強いものであって、その毒が強まらないように努めてきたというのが人類なんです。中国の孔子の教えは、礼儀に関するものがほとんどですが、それは親や親の世代と適度に距離を保つための知恵でもあったんです。時代によっても、家族の在り方はずいぶんと変わってきています。万葉集に「金も銀も玉も、どんな宝も子どもには及ばない」と歌った一首があり、親子の愛情は昔から変わらないなんて言われていますが、あの時代の日本は集団婚が認められており、現代の家族制度とはずいぶん違ったものでした。「明治時代は良かった」と言う人もいますが、明治時代の家族制度の中では現代人は息苦しさを感じるだけだと思いますよ。跡取りである長男だけが優遇され、次男以下の男の子や女の子は冷遇されていた時代でもあったわけですから。現代の日本も今の家族制度に固執していると、どんどん少子化していく一方でしょう。フランスではシングルマザーが50%を越えていますが、逆に出産率が上昇するようになってきました。「親としての役割を果たそう」「良い子でいよう」という考え方に縛られ過ぎていると、みんな疲れていく一方で、不幸になるだけです。家族の繋がりはもちろんこれからの時代も続くわけですが、もっと緩やかな家族関係が必要になってくると思いますよ。 ──カウンセリングで忙しい斎藤先生ですが、日本では劇場未公開だったグウィネス・パルトロー主演コメディ『恋人はセックス依存症』(12)をご覧になるなど、かなり映画がお好きなようですね。 斎藤 『恋人はセックス依存症』はね、シェアリング(集団セラピー)の様子が描かれているので、患者さんに説明するのが面倒くさいときに、「これを観て」と勧めているんです(笑)。若いころはずいぶん映画を観ましたね。私の生涯ベスト作品は、『ゴッド・ファーザー』三部作と医者が主人公の『ドクトル・ジバゴ』(65)なんです。音楽がいい映画が好きですね。今回、パンフレットに寄稿させてもらった『エル・クラン』は映画としても面白かったので、トラペロ監督の過去の作品もネットで注文しようかなと考えているところです。トラペロ監督は音楽の使い方に才能を感じさせますし、もっと注目されていい監督じゃないですか。機会があれば、またいろいろお話しましょう。  映画『エル・クラン』以外にも、多彩な話題について語ってくれた斎藤先生。南米のジャングルに潜む食人族を描いたイーライ・ロス監督のホラー映画『グリーン・インフェルノ』(13)はどうやら実話らしいという衝撃の逸話まで会話の中では飛び出した。斎藤先生、また取材させていただく機会を楽しみにしています! (取材・文=長野辰次)
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診療の合間にインタビューに応じてくれた斎藤学先生。動物行動学から少子化問題まで、話の内容は実に多彩。
『エル・クラン』 製作/ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロ 監督/パブロ・トラペロ 脚本/パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか  出演/グレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチ  配給/シンカ、ブロードメディア・スタジオ 9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかロードショー  (c)2014 Capital Interlectual S.A./MATANZA CINE/EL DESEO http://el-clan.jp ●さいとう・さとる 1941年東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神科医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年より「さいとうクリニック」「家族機能研究所」を設立。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)、『「家族神話」があなたをしばる 元気になるための家族療法』(NHK出版生活人新書)、『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)など多くの著書を執筆している。

精神科医が話題の実録犯罪映画をカウンセリング!「家族への幻想は捨てたほうが楽に生きられる」

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父アルキメデスを中心にしたプッチオ家。家族の絆パワーで、凶悪犯罪を次々と積み重ねていく。
 家族とは共に支え合い、いたわり合うもの。誰もがイメージする普遍的な家族像だろう。ところが南米アルゼンチンで実際に起きた誘拐事件を題材にした映画『エル・クラン』に登場するプッチオ家はあまりに強烈なモンスターファミリーだ。ブエノスアイレス郊外の高級住宅街で暮らすプッチオ家は一見すると平穏そのものな幸福家族だが、家長である父親の職業はなんと営利目的の誘拐犯。ラグビーで鍛えた息子たちに手伝わせて人質をさらい、身代金の交渉がうまく進まないとあっさり人質は殺してしまう。母親と娘たちは自宅の一室に人質が監禁され、悲鳴を上げているのを知りながら、警察に通報することなく平然と暮らしていた。本作を手掛けたパブロ・トラペロ監督の軽妙な演出ぶりは高く評価され、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。アルゼンチンで300万人を動員する記録的大ヒットとなった注目作だ。  事件が発覚したのは1985年。アルゼンチンは長らく軍事独裁政権が続いていたが、フォークランド紛争を経て、ようやく民主化の道を進み始めた時代の変換期でもあった。軍事政権下で秘密警察として働いていた父親アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)は職を失い、家族を路頭に迷わすわけにいかず誘拐業に手を染める。シリアスな社会派ドラマとしても、軽快な音楽に乗せて犯罪が描かれるブラックコメディとしても楽しむことができる。だが、この家族は謎めいた行動がとても多い。長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)はアルゼンチン代表選手に選ばれるほどの名ラガーマンだったのに、父親は長男と同じチームの選手を誘拐する。父親は「家族のため」と言いながら、同時に子どもたちが逃げられないよう共犯関係に追い込んでいく。一方、次男マキラ(ガストン・コッチャラーレ)は海外で暮らしていたにもかかわらず、一家がそろそろヤバいという状況になって、わざわざ帰国して家族と合流する。本作を観ていると、家族とは何なのか分からなくなってくる。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)や『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)などの著書で知られる精神科医の斎藤学氏に、本作で描かれた登場人物たちの行動心理について尋ねた。 ──アルゼンチンで実際に起きた事件を題材にした『エル・クラン』ですが、斎藤先生がプッチオ家をカウンセリングするとしたら、まず誰から診ますか? 斎藤 家族の中でいちばん強い人間が一家の代表として、私のところに来ます。強い人間といっても、それは腕力があるとか大きな声を出すということではなく、いちばん柔軟性のある人物ということで、それは母親であることが多いんです。でも、母親はいちばん厄介な存在でもある。家族内で起きたトラブルを母親は黒いベールで覆い隠してしまい、「私は何も見ていません」と答えるわけです。『エル・クラン』の母親エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)もそうですし、綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め事件や新潟少女監禁事件のときも、犯人と同居していた母親は犯行に気づきながら、気づかないふりをしていました。母親が家族に与える影響力はとても大きい。事件の真相を解く鍵は女性が握っていることがほとんどです。
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長男のアレハンドロはラグビー選手として活躍し、地元の人気者だった。でも、家族の秘密は誰にも話せない。
──母親という存在が凶悪犯罪を補完させてしまうわけですか。威厳たっぷりに息子たちに犯罪計画を指示する父親アルキメデスは罪悪感なさそうですね。 斎藤 あの父親は最後まで罪の意識は感じていないでしょう。軍事政権時代は秘密警察に勤めており、日常的に政治犯を拉致したり拷問していたのが、民主政権に変わり、食べていくために誘拐犯になった。それまで政治犯を拉致していたのが、裕福なご近所さんが標的に変わっただけ。威張っているけれど父親の思考回路は頑迷で、社会が変わったことを認識できずにいるんです。これは私の推測に過ぎないのですが、ご近所さんが集まっての宴会などの場で政治談話など交わしているのを父親のアルキメデスは耳にしており、彼なりの基準で左寄りの人間を選んで犯行に及んでいたんではないかと思うんです。トラペロ監督はあえて細かい描写は省略していますが、アルキメデスは秘密警察時代からの自分の任務をまっとうしていた、くらいの認識だったのではないかと思います。男は社会の中に取り込まれてしまい、その中での自分の立場でしか物事を考えられないので、おかしなことをしでかしても気づかないことが多いんです。逆に妻であり母親であるエピファニアは客観的に状況を把握しています。夫たちの犯罪を知りながら、一家の経済状態を維持するために必要なことだと冷静に受け止めていたのかもしれない。 ──次男マギラは家族とは距離をおいて海外で暮らしていたのに、警察の手が一家に及びそうな段階になって、のこのこ帰国する。自分からわざわざ逮捕されるために家族と合流してしまう次男のこの行動は、理解しがたいものがありますが……。 斎藤 そこが家族の恐ろしさです。毒親の毒に子どもたちもすっかり毒されていたということなのか。私から見ても、この家族はおかしな行動がとても多いですよ。父親はなんで足がつきやすいご近所さんをターゲットにして誘拐を続けたのか。身代金を要求する電話を掛ける際は、地声でしゃべっていますよね。あんなことをしてたら、すぐにバレるでしょうに(笑)。この映画は底が抜けたようなおかしさがありますが、実際の事件の解明には大変な労力と時間が掛かります。裁判所や弁護士から依頼され、当人の精神状態についての「精神鑑定」や「意見書」を私たちが作成するのに最低でも3カ月は要しますが、裁判員制度が導入されてからは迅速化が求められ、1カ月しか与えられていません。こういった事件の真相を知ることが、ますます難しい状況に今の日本はなっていますね。 ──家族とは困ったときに助け合うものだと一般的に言われていますが、プッチオ家の場合は家族の団結が間違った方向に暴走してしまう。家族って一体、何なんでしょうか? 斎藤 家族は温かいもの、というイメージは人間が抱く願望でしょう。家族とは太古からある社会保障制度でしかないんです。国家が成立する以前から家族は存在したわけで、女性や子どもが食べ物に困らないための福祉制度として機能していたシステムだったものです。もちろん家族の存在が癒しをもたらすなどの側面はあるわけですが、システムであり社会制度である家族というものを、あまり美化して幻想を抱くと辛い思いをします。「毒親のせいで、酷いめにあった」と訴えてくる人は私の診療所にもいっぱいいますよ。
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斎藤先生が要注意人物だと指摘する母親エピファニア。海外で暮らしていた次男マキラだが、家族のもとに戻ってしまう。
──斎藤先生の著書『家族の闇をさぐる』では、“家族とは「近親姦防止装置」だ”とあまりにも明快に喝破されています。 斎藤 科学的な視点から見ると、人類は家族という制度を生み出したことで近親姦を防ぎ、また世代という概念を作ることで安定した関係性を得ることができたわけです。もともと家族とは毒性の強いものであって、その毒が強まらないように努めてきたというのが人類なんです。中国の孔子の教えは、礼儀に関するものがほとんどですが、それは親や親の世代と適度に距離を保つための知恵でもあったんです。時代によっても、家族の在り方はずいぶんと変わってきています。万葉集に「金も銀も玉も、どんな宝も子どもには及ばない」と歌った一首があり、親子の愛情は昔から変わらないなんて言われていますが、あの時代の日本は集団婚が認められており、現代の家族制度とはずいぶん違ったものでした。「明治時代は良かった」と言う人もいますが、明治時代の家族制度の中では現代人は息苦しさを感じるだけだと思いますよ。跡取りである長男だけが優遇され、次男以下の男の子や女の子は冷遇されていた時代でもあったわけですから。現代の日本も今の家族制度に固執していると、どんどん少子化していく一方でしょう。フランスではシングルマザーが50%を越えていますが、逆に出産率が上昇するようになってきました。「親としての役割を果たそう」「良い子でいよう」という考え方に縛られ過ぎていると、みんな疲れていく一方で、不幸になるだけです。家族の繋がりはもちろんこれからの時代も続くわけですが、もっと緩やかな家族関係が必要になってくると思いますよ。 ──カウンセリングで忙しい斎藤先生ですが、日本では劇場未公開だったグウィネス・パルトロー主演コメディ『恋人はセックス依存症』(12)をご覧になるなど、かなり映画がお好きなようですね。 斎藤 『恋人はセックス依存症』はね、シェアリング(集団セラピー)の様子が描かれているので、患者さんに説明するのが面倒くさいときに、「これを観て」と勧めているんです(笑)。若いころはずいぶん映画を観ましたね。私の生涯ベスト作品は、『ゴッド・ファーザー』三部作と医者が主人公の『ドクトル・ジバゴ』(65)なんです。音楽がいい映画が好きですね。今回、パンフレットに寄稿させてもらった『エル・クラン』は映画としても面白かったので、トラペロ監督の過去の作品もネットで注文しようかなと考えているところです。トラペロ監督は音楽の使い方に才能を感じさせますし、もっと注目されていい監督じゃないですか。機会があれば、またいろいろお話しましょう。  映画『エル・クラン』以外にも、多彩な話題について語ってくれた斎藤先生。南米のジャングルに潜む食人族を描いたイーライ・ロス監督のホラー映画『グリーン・インフェルノ』(13)はどうやら実話らしいという衝撃の逸話まで会話の中では飛び出した。斎藤先生、また取材させていただく機会を楽しみにしています! (取材・文=長野辰次)
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診療の合間にインタビューに応じてくれた斎藤学先生。動物行動学から少子化問題まで、話の内容は実に多彩。
『エル・クラン』 製作/ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロ 監督/パブロ・トラペロ 脚本/パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか  出演/グレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチ  配給/シンカ、ブロードメディア・スタジオ 9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかロードショー  (c)2014 Capital Interlectual S.A./MATANZA CINE/EL DESEO http://el-clan.jp ●さいとう・さとる 1941年東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神科医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年より「さいとうクリニック」「家族機能研究所」を設立。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)、『「家族神話」があなたをしばる 元気になるための家族療法』(NHK出版生活人新書)、『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)など多くの著書を執筆している。

いらっしゃ~い? 落語界の大御所との不倫騒動を経て演歌歌手・紫艶がセクシーDVDデビュー

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 落語界の大御所との20年間に渡る不倫騒動が話題となった元演歌歌手の紫艶が人気メーカーのKMPから『芸能人 紫艶』(9月23日発売)で、セクシーDVDデビューを果たす。本編には不倫騒動についてのインタビューもしっかり収録されているといい、紫艶の妖艶な絡み同様、その赤裸々な告白も話題を呼びそうだ。今回はそんな紫艶にデビュー前の心境や、気になるあの人とのこと、今後の活動について詳しく話を聞いてきた。 ──デビュー作を撮影されて現在の心境を聞かせてください。 紫艶 まだ全然実感が湧かない感じですね。最近いろいろ取材を受ける中で、徐々にですかね、実感が湧き始めたのは。 ──デビューすることに対して、周囲の人、例えば友人などから何か反応はありましたか? 紫艶 ありました。友達が「もうずっとこういう作品でやっていくの?」って(笑)。今回1本きりと決めているので、それはないですけど。 ──1本で終わるということは、その後はどのような活動をされていくんですか? 紫艶 本業は歌。演技やグラビアもやっていこうと思っています。歌は4年間休んでいたので、今ボイストレーニングをやっています。秋くらいから再開する予定です。きちんと準備をしてやりたいと思っています。芸能活動は、これからもずっと続けていきたいです。 ──今年は落語界の大御所との愛人報道などもあり、紫艶さんにとってめまぐるしい一年になったと思います。 紫艶 人生って、こんなことあるんだなって、改めて思いましたね(笑)。 ──でも、騒動の発端は紫艶さんの方からだったのでは? 紫艶 いえ、違います。週刊誌の方があるとき、わたしと師匠の関係について証拠を持ってこられて、それがもう完璧な証拠だったんです。あることないこと書かれるより、もう本当のことをお話しするしかないということで、わたしも取材を受けたんです。わたしから発信したわけではないです。ネットとかでは売名行為とか言われているんですけど、わたし、休業していたのでその必要も全くなく、売名行為というのも違います。 ──報道はすべて事実なのですか? 紫艶 本当の話です。 ──多くを語ったことについての、後悔のような気持ちはありますか? 紫艶 後悔はまあありますけど……後悔先に立たずと言いますか、それがあっての今なので……反省するところは多々ありますけどね。 ──作品の中で、紫艶さんが師匠への反省の言葉をおっしゃっていました。「新しい人生を歩んでいることを知ってほしい」という言葉も印象的でした。 紫艶 そうですね。やっぱり新しい人生を歩んでいて、師匠はどう思われるかわかりませんけど、「ああ、やっているんだな」ってどこかで見てくれていたらうれしいですね。
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──今回の出演のオファーは、騒動の渦中に来たのですか? 紫艶 違います。騒動の後です。 ──お話が来て、やはり悩まれたのでは? 紫艶 悩みましたね。やっぱり今までやったことのない世界なので。でも、誰かにやれと言われてやったわけではなく、マネージャーからは「自分で決めなさい。相談には乗ります」ということだったんです。復帰するにあたって、わたしの目標は「素敵な熟女になりたい」だったので、そのあたりをいろいろ模索中のオファーで、素敵な熟女のエロスってどういうものなのかなっていうところを追求してみたかったし、挑戦したかったので決意しました。 ──熟女のエロスに対する答えはこの作品の出演で見つかりましたか? 紫艶 まだスタートしたばっかりなので。まだ暗中模索の状態です。 ──撮影初日はどんな気持ちでしたか? 紫艶 初日はスチール撮り。グラビアをやっていたので、それほど緊張はなかったんですけど、2日目は映像撮り。緊張どころじゃなかったです。前日も3時間くらいしか寝れなくて。寝坊しちゃまずいというのもありましたけど(笑)。バージンのときより緊張しました。 ──当日に迷いが出たりはしませんでしたか? 紫艶 やるって決めたら、もう120%の力でやろうって思っていたので、迷いは全然。スタッフさんも、みなさんいい人ばかりだったし。わたし、こういう撮影現場はおじさんがいっぱいいるのかと思っていたんですけど、そしたらみなさんイケメンで(笑)。若いし、お洒落だし……。すごいびっくりして、今時ってこういう感じなのって。ちょっとホッとしましたね。 ──紫艶さんにとって、イケメンってどういう感じの人を指すんですか? 紫艶 タイプというのはないですけど……例えばマッチョも好きだし細身も好きだし……メンズ全般が好きです(笑)。守備範囲はものすごく広いですよ。 ──作品からは緊張もそうですけど、恥じらいのようなものも伝わってきて、紫艶さんの雰囲気や仕草がすごく気になりました。 紫艶 どうしていいかわからないという……始まったけど、どうしていいかわからない。ドギマギしたところが映っちゃたんですかね。始まると、もう無我夢中でしたけど。何も考えずに終わってしまった感じです。
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──男優さんはどうでした? 紫艶 すごくエスコートしてくださいました。 ──やっぱり今までの男性では、一番気持ち良かったですか? 紫艶 それは言えないです。師匠にも失礼になるので。 ──経験人数はちなみに今まで何人くらい? 紫艶 (口の前で人差し指で“ひとり”のポーズ) ──おひとり? 師匠だけってことですか? 紫艶 (うなづく) ──僕の認識不足ですいません。作品の中で18歳で処女を捨てたって話がありましたけど、バージンも、じゃあ師匠ですか? 紫艶 (うなづく) ──全部師匠? 紫艶 全部師匠って(失笑)。 ──そうなんですか。ああ、そうなんですか。じゃあ男優さんとの比較は、立場的にもしにくいですね。 紫艶 そうです。 ──師匠が男優さんよりすごいとか言われても、ちょっと困りますけど……。 紫艶 男優さんが一番上手いとか言ったら、それは師匠と比べることになるんです。 ──師匠と最後そういうことになったのは、いつくらいですか? 紫艶 一番最初に週刊誌が出る2カ月くらい前ですね。 ──そのくらいまでは接点があったということですね。 紫艶 前の日まで電話していました。 ──今は? 紫艶 ないです。でもしょうがないですね。 ──これまで男性経験が師匠ひとりで、20年間。離れて心にぽっかり穴があくという感じになってしまいませんか? 紫艶 ありましたね。でも、今はもう前に進んでいるので……。 ──恋愛もセックスもこれから仕切り直しですね。 紫艶 作品のときも、知らない人とそういうことをするのがどういうことなのか、葛藤がありました。でも撮影を終えてホッとしたのが一番。本当に終わったって。
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──師匠はデビューについて知っているんですか? 紫艶 どうなんですかね……わからないですけど。まあ、そこはあえて考えないようにしています。 ──師匠ひとりってことは、本当に一途な愛だったんですね。 紫艶 そうです。 ──18のときに、どうやって師匠と出会ったんですか? 向こうは芸能人からしても、雲の上のような存在の方です。 紫艶 わたしは18のとき、吉本で歌をやっていたんです。それで師匠の舞台に出させていただいて、その打ち上げの時に番号交換して、「今度カラオケでも行こうよ」って。それでカラオケに後日行ったんです。「みんなで行こうよ」みたいな感じだったんですけど、着いたら誰も来なくて2人だったっていう……(笑)。 ──なるほど。相手はずいぶん年上なわけですし、最初は抵抗もあったのでは? 紫艶 師匠もお歌が好きなので、一緒に歌って……そこはわたしも楽しんで……恋愛に歳は関係ないですよ。 ──その後師匠と一緒にいて、愛されている実感はありましたか? 紫艶 ありましたね。大切にしてもらいました。 ──18のときに、今回のような結末は想像できました? 紫艶 そうですね……やっぱり永遠に愛を誓ったからこそタトゥーも入れたし……想像はしていなかったですね。永遠の愛があると信じたかったですね。 ──師匠との結婚も考えたり……。 紫艶 それは思わなかったですね。 ──復帰後歌手活動を控えていますが、どんな歌を歌っていきたいんですか? 紫艶 昭和の歌謡曲が好きで、70年代、80年代の歌を中心にやりたいです。ちあきなおみさんとかも好きなので、そのあたりの歌を歌っていきたいです。新しい曲も出せたらうれしいです。 ──またチャイナドレスで、という感じですか? 紫艶 いや、もうチャイナドレスは着ないです。それは一度リセットしたんで。事務所も変わりましたし。 ──オリジナルをやる際、歌詞は自分で書いたりするのですか? 紫艶 自分で書いた詞で、世に出ていない歌は1曲だけあります。今後も書いていきたいなと思います。 ──やっぱり歌詞を書くと実体験が出ると思いますが。年上相手の恋の歌詞も多くなるのでは? 紫艶 そうかもしれないです(笑)。
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──次はどんな人と交際したいですか? 紫艶 わたしのことを好きになってくれる人なら……。 ──なるべくイケメンがいいですか? 紫艶 いや、わたし、外見では選ばないので。やっぱり人間は一皮むいたら中身だと思いますので。職業とかもこだわらないです。 ──新しい恋を経ての、今後の結婚願望はありますか? 紫艶 できたらいいなとは思います。 ──師匠のときは全部おごってもらえたと思うんですけど、「ワリカンで」みたいな男でも平気ですか? 紫艶 それは……ちょっと困ると思います(笑)。 ──やっぱり面倒見が良くて包容力のある年上の人がいい感じですか? 紫艶 そうかもしれないです。でも年下でも全然いいですよ。わたし、母性本能は強いので。自分で言うのも変だけど、尽くすタイプだと思います。 ──性に関してですけど、ご自身の性感帯ってどこなんですか? 紫艶 それは……ノーコメントでお願いします(笑)。DVDを見ていただいて、わたしの声が大きくなっているところがそうだと思います。 ──ここを見て欲しいというところはありますか? 紫艶 わたし、映像はまだ見ていないんです。どこがよかったですか? ──個人的には強さの中に垣間見せる紫艶さんの恥じらいのような表情がいいなと。 紫艶 (笑)。 ──内容的には満足していますか? 紫艶 まだまだです。わたしの目指す素敵な熟女はスタートしたばかり。これから心身ともに、男性にも女性にも憧れられるような人になりたいなと思います。この作品はそのスタートです。年齢はただの背番号。わたしは38という背番号をつけて今後も頑張っていきたいです。 ──ちなみに今回の作品のギャランティーというのはどのくらいのものだったんですか? 紫艶 ノーコメントで。そんなこと話せるわけないじゃないですか(笑)。 ──あと、この作品を師匠以外に見てもらいたい人がいるとすれば、どんな人に見てもらいたいですか? 紫艶 師匠は見ないでしょうね。もちろん男性がターゲットなんですけど、女性も見てくれたらうれしいですね。逆に、これを見て「紫艶みたいになりたい」って思っていただければ。 ──最後に師匠との関係についてもうひとつ。もし師匠と今後、寄りを戻す機会があったとしたら、そのときはどうしますか? 紫艶 戻しません(笑)。でも、師匠にはたくさん迷惑をかけたので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。最初にちょっと言ったように、どこかで紫艶も頑張っているんだな、新しい人生を歩んでいるんだなと少しでも思っていただければうれしいなと思っています。 (取材・文=名鹿祥史) 紫艶オフィシャルサイト http://www.km-produce.com/shien_debut/