北朝鮮は“トゥルーマン・ショー”国家だった!? 演出だらけの日常生活『太陽の下で 真実の北朝鮮』

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北朝鮮ではエリートコースである北朝鮮少年団への入団が決まったジンミちゃん。撮影期間中、明るく利発な少女を演じ続けた。
 ジム・キャリー主演のコメディ映画『トゥルーマン・ショー』(98)を覚えているだろうか。気のいい保険のセールスマン・トゥルーマンの暮らしている自宅や街は、実はすべてドラマセットであって、彼の日常生活は密かにテレビ中継されているというもの。この『トゥルーマン・ショー』にそっくりなドキュメンタリー映画が、『太陽の下で 真実の北朝鮮』(チェコ=ロシア=ドイツ=ラトビア=北朝鮮合作)。ロシアの著名なドキュメンタリー監督ヴィタリー・マンスキーは北朝鮮を訪ね、平壌でごく普通に暮らす家族の日常生活を1年間にわたって密着取材しようとしたのだが、北朝鮮側があらかじめ撮影ポイントを決め、カメラに映る人々が口にする会話もすべて脚本として用意された上で、“最高の国・北朝鮮のごく普通の家族”を撮るはめになってしまった。だが、マンスキー監督はただでは転ばない。北朝鮮側の監督がちょくちょくカメラフレームに入ってきて「そこはもっと笑って」「明るく元気に」と演出し、リテイクを繰り返している様子を盗み撮りすることに成功。ごく普通の家族の日常を撮るために、様々な演出が施されている様子が映り込んだ、おかしなドキュメンタリー映画『太陽の下で』はこうして誕生した。来日したマンスキー監督に撮影現場の状況について聞いた。  本作の主人公となるのは、8歳になるジンミちゃん。丸顔でツインテールの三つ編みがかわいらしい女の子だ。冒頭、真新しいジャケットを着込んだジンミちゃんはバスに乗って、学校に向かう。クラスにいる同級生の女の子たちもかわいいい子ばかりで、鼻水を垂らしているような貧乏くさい子はおらず、みんな行儀よく授業に耳を傾けている。先生も若い女性で、なかなかの美人さんだが、この先生の歴史の授業が強烈だ。「金日成大元帥さまは子どもの頃から、日本人と地主を憎んでおられました」「遊び浮かれている日本人に万景峰から大きな石を投げつけ、追い返しました」と抗日運動と神話化された建国の歴史をごっちゃにして、イノセントな少女たちに叩き込む。女の子たちが元気よく暗誦できるようになるまで、何度も何度も繰り返す。幼い頃から反日思想を徹底的に教え込む、北朝鮮の学校教育の恐ろしさを序盤からまざまざと見せつけられる。 マンスキー監督「ひとりの純真な女の子が、社会主義国家で生まれ育ち、どのようにして社会の一員になっていくかを追ったドキュメンタリーを撮りたいと考えていたんです。つまり、北朝鮮で有名なマスゲームのひとコマになっていく過程を追うことで、社会主義とは何かを考えさせる作品にしたかったのです。北朝鮮側に企画書を送り、2年ごしで撮影許可をもらい、平壌で撮影を始めたのですが、映画スタッフという名目で監視役が私にずっと張り付いた形で、自由に撮ることはいっさいできませんでした。誰を主人公にするかだけは私に委ねられていたので、ジンミという少女は父親がジャーナリストだというので、彼女の一家を取材することにしたのです。ジャーナリストなら、いろんな場所を見ることができるに違いないと。ところが撮影が始まると、ジンミの父親はジャーナリストではなく、縫製工場のエンジニアに変わっていました。母親はレストラン勤務だったのですが、やはり豆乳工場勤務に変わっていました。撮影初日から自分が撮りたいものを撮ることは無理だと分かり、4~5日目から今回のようなスタイルの作品にすることを決心したんです」
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ジンミちゃん一家が暮らしているマンション。窓から主体思想塔が眺められる平壌で最高級の物件だ。
 両親の職業が北朝鮮当局の都合で変えられてしまうわけだから、まともなドキュメンタリーになるはずもなかった。ジンミちゃんのお父さんは自分の勤務先となった工場に赴き、そこで働いている女性労働者に何を作っている工場なのかを尋ねている様子もカメラは収めている。ジンミちゃん一家は広々としたこぎれいなマンションで暮らしているが、これも撮影用に用意されたものだった。 マンスキー監督「家族がこのマンションで暮らしていないことは明白でした。戸棚をこっそり開けてみると、食器がひとつも置いてありません。バスルームを覗くと、歯ブラシが1本もない状態でした。生活感がまるでないマンションで、撮影用のものだなと、すぐに気づきました。ジンミとあの父親、母親は確かに遺伝子的には家族なのかもしれません。でも、本当の家族と言えるのか、私は疑問に感じます。撮影期間中、ジンミ以外の家族に出会ったのは1日だけでした。金日成の誕生日を祝う祝日で、その日だけは家族が集まって、金日成・金正日親子の記念碑の前で家族写真を撮っていたんです。写真を撮っているときの家族たちがどんな表情をしているかを、じっくりご覧になってください。これは私の推測ですが、多くの家族は普段はバラバラに暮らしているようでした。父親は軍隊の兵舎、母親は工場のプレハブ小屋、子どもは学校の寮で暮らしているようです。工場の生産性や勉強をはかどらせるためなのかもしれませんが、私にはなぜそこまでやるのか理解できません。休み時間、校庭で遊んでいる子どもを見ることもありませんでした。ロシアから来た監督のドキュメンタリーの撮影のため、撮影期間中だけ幸せな家族を演じさせる。これは二重の意味での国家による暴力ではないでしょうか」 “在日二世”である梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督のドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(06)では家族向けのプレイベートビデオの中に、梁監督の兄たち一家が暮らす平壌のリアルな現状が映し出され、そのことから梁監督は北朝鮮へは入国禁止処分となった。マンスキー監督も盗み撮りしていることがバレたら、いちばん軽くて国外退去処分、最悪身の危険も覚悟したらしい。そんなリスクを冒して撮影した映像には北朝鮮側の監督が演出する姿が度々入り込んでいるが、ジンミちゃんが北朝鮮少年団に入団するくだりは現実のもの。少年団に入れる子どもはごく少数で、ジンミちゃんはエリートコースをこれから歩もうとしていることが分かる。入団式で赤いマフラーとバッジを渡され、うれしそうなジンミちゃん。その後、全身勲章だらけの偉い老将軍が入団のお祝いの言葉を述べるが、朝鮮戦争で米軍機を撃墜した自慢話を延々と続けるので、子どもたちは睡魔に負けないように懸命に堪えている仕草が何ともいじらしい(子どもたちにしてみれば命懸け)。また、金日成の誕生日を祝う“太陽節”で披露する踊りをジンミちゃんは学び始めるが、舞踏の先生が厳しすぎ(というか性格がすごく陰険)、ジンミちゃんは多分人生初の挫折を味わい、涙を流すシーンも撮られている。嘘だらけのドキュメンタリーの中に、いくつかの真実が浮かび上がる。
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モスクワ・ドキュメンタリー映画祭の会長も務める著名なヴィタリー・マンスキー監督。北朝鮮からの要請で、ロシアでも本作は上映禁止に。
マンスキー監督「撮った映像はデータ化して、すぐに安全な場所に送信しました。北朝鮮側にはNGシーンをカットした後の映像を見せるようにしていました。彼らはロシアも自由のない国で、私のこともプロパガンダ映画を撮っている自分たちと似た立場の人間なのだろうと思っていたようです。とはいえ、ホテルの部屋にはカバンやカメラを置かず、いつも持ち歩くようにしました。ちょっとでも目を離すと、中をチェックされてしまうからです。確かにロシアもソ連時代、スターリンによる独裁政権下では悲惨な状況でしたが、それでも今の北朝鮮ほどではなかったはずです。なぜなら、スターリン時代には優れた作家、音楽家たちが自由を求めた素晴しい作品を残しています。でも、今の北朝鮮にはそのような芸術家がいるように思えません。私が泊まっていたホテルの前の劇場では、抗日運動を題材にしたプロパガンダミュージカル『血の海』しか上演されていませんでした。私が当初考えていた内容とはまるで違うドキュメンタリーになりましたが、これをご覧になった方の心に何か感じるものがあれば幸いです」  純真無垢そうな瞳をキラキラさせていたジンミちゃんだが、少年団に入団を果たし、体制の一員となっていくことを予感させる形でこのドキュメンタリーは終わりを告げる。ラストカットで、ジンミちゃんがこぼす涙がひどく印象的だ。無事に入団式を終えた安堵感からなのか、それともイノセントな少女時代がすでに終わったことを本能的に察知したのか、ポロポロと大粒の涙を流す。ジンミちゃんがカメラの前で泣き出したことに慌てた北朝鮮側の監督が「楽しいことを考えてごらん」「好きな詩を言ってごらん」といってなだめる。しばらくして、ジンミちゃんは泣くのを止め、「チュチェ革命を受け継ぎ、強く生きることを少年団として固く決意します」とカメラに向かって答える。どこまでがリアル(本音)で、どこからがフェイク(演技)なのだろうか。そして、このボーダーラインが消える日は、いつか来るのだろうか。 (文=長野辰次)
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『太陽の下で 真実の北朝鮮』 監督・脚本/ヴィタリー・マンスキー 撮影/アレクサンドラ・イヴァノヴァ  編集/アオドレイ・ペパルヌィ 音楽/カルリス・アウザンス プロデューサー/ナタリア・マンスカヤ 出演/リ・ジンミ  配給/ハーク 1月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国ロードショー http://taiyouno-shitade.com

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スコセッシ監督がついに完成させた宗教時代劇! 神はこの世に存在するのか『沈黙 サイレンス』

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『シン・ゴジラ』(16)でもおなじみ塚本晋也が大熱演する、マーティン・スコセッシ監督作『沈黙 サイレンス』。
 宗教戦争や異教徒への弾圧によって、これまでにどれだけの命が奪われたのだろうか。宗教の教義をめぐって人間同士が殺し合うなんて、あまりにもバカげているし、宗教なんか存在しないほうがよっぽど人類は平和ではないのか。多くの人が一度は考えることだろう。それでも人間は神を信じ、宗教に救いを求めずにはいられない。人間はみんなひとりぼっちで、非力で、とても弱々しい生き物だからだ。心の支えになってくれるものを常に欲し続けている。では、その肝心の神様は果たして実在するのか。もし存在するのなら、なぜ信者たちの救済に現われないのか。そんな根源的なテーマを扱った歴史小説が遠藤周作の『沈黙』(新潮社)であり、マーティン・スコセッシ監督は28年の歳月を掛けて『沈黙 サイレンス』として映画化を果たした。  遠藤周作がキリスト教禁止令の出された江戸時代初期の長崎を舞台にした『沈黙』を発表したのは1966年。12歳のときに洗礼を受けた遠藤と同じくカトリック信者であるスコセッシ監督は、イエス・キリストの受難劇『最後の誘惑』(88)を完成させた頃に『沈黙』の翻訳版に出会った。1990年代以降、スコセッシ監督が『沈黙』を映画化することは度々公表され、純粋さと狂気とが背中合わせの世界を描いた『タクシードライバー』(76)や『レイジング・ブル』(80)のスコセッシ監督がどんな問題作に仕立てるのかワクワクさせられた。やがて『シャッターアイランド』(10)などの娯楽大作がスコセッシ監督のフィルモグラフィーに目立つようになり、「お金に転んだか」と諦めかけていた矢先に、台湾での撮影準備が進んでいるニュースが流れてきた。今思えば、誰が味方で真実は何であるかが定かでない孤島ミステリー『シャッターアイランド』は、『沈黙』の予行演習だったように感じられる。黒澤明や小林正樹といった日本の映画監督を敬愛するスコセッシ監督は、決して日本のファンを裏切ることはなかった。  スコセッシ監督版『沈黙 サイレンス』は、真っ暗なスクリーンに小さな虫の鳴き声だけが聞こえてくる静かな始まりとなっている。日本人にとって虫の鳴き声は夜の静寂さを感じさせるものだが、西洋人にとって虫の鳴き声はただのノイズでしかない。虫の鳴き声ひとつをとっても、日本人と西洋人との間には受け止め方に隔たりがある。そんなささいな喰い違いが、ドラマが進んでいくに従って取り返しがつかないほど大きくなっていく。日本人の感性と西洋人の論理性との違いが本作のメインテーマとなっている。
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宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)は拷問の恐ろしさから棄教してしまう。地獄責め、火あぶり、水磔……と様々な処刑シーンあり。
 時は17世紀。ポルトガルの若き司祭ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は、鎖国中の日本への危険な航海に向かう。ロドリコとガルペの恩師である宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が日本で棄教したという知らせを聞き、それが真実であるかどうかを確かめるためだった。いずれにしろ、日本で消えかかっているキリスト教の灯火を自分たちが守らなくてはという使命感に燃えていた。マカオで出会った日本人・キチジロー(窪塚洋介)の案内で、ロドリゴたちは無事に長崎の小さな集落に上陸。江戸幕府による厳しい取り締りの目を盗んで、モキチ(塚本晋也)やイチゾウ(笈田ヨシ)ら隠れ切支丹がキリスト教を信仰し続けていることを知り、ロドリゴは胸を熱くする。貧しい彼ら百姓たちの暮らしに、キリストの教えが少しでも救いになればいい。ロドリゴは布教活動に励むが、その純真さがモキチたちの村に災いを招くことになる。  当時の日本は、キリスト教を信仰する農民たちを中心にした一揆「島原の乱」が鎮圧されて間もない頃。キリスト教の司祭や隠れ信者がいることを密告したものには莫大な報酬が与えられるお触れが出されており、モキチたちの村にも信者狩りの手が伸びる。キリスト像を踏むことができない者は切支丹だと見なされる「踏み絵」が行なわれ、これを拒否したモキチとイチゾウは水磔に処せられる。絶命するまで何日間も荒波に洗われ続ける恐ろしい処刑法だ。村を離れたロドリゴはモニカという洗礼名を持つ娘(小松菜奈)が簀巻き状態で海に棄てられる様子も目の当たりにする。さらには、汚物で満たされた穴の中に逆さ吊りにされる穴吊りの刑が待っていた。吊るされた者の精神をじりじりと蝕むえげつない拷問だ。ロドリゴの身代わりとなって、罪なき信者たちが次々と処刑されていく。キリストの教えを知らない日本人たちを救いにきたつもりのロドリゴだったが、逆に自分が日本人を苦しめている事実に苦悶する。なぜ神は奇蹟を起こし、神の子である彼らを救おうとはしないのか。ロドリゴは心の中で叫び続ける。  緑豊かな台湾でのロケーション撮影が、江戸時代の日本の風情をうまく感じさせる。撮影中は数多くのトラブルに見舞われたそうだが、スコセッシ流宗教時代劇として違和感のない仕上がりだ。様々な拷問刑を考え出した冷血な長崎奉行として、ロドリゴたちから恐れられる井上筑後守を演じるのはイッセー尾形。残酷さとは無縁そうな、とても気さくで農民想いの優れた役人として描かれている。江戸幕府は農民たちを一方的に搾取していたわけではなく、社会秩序を守るためにキリスト教とポルトガル人を日本から追放したことが語られていく。浅野忠信が扮する通詞(通訳)を介して、井上とロドリゴとの間でシンプルかつ深遠な宗教問答が交わされる。壮絶な殉教を遂げるモキチ役の塚本晋也(オーディション会場に現われ、スコセッシ監督を驚かせた)を含め、日本人キャストの好演が光る。
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ハリウッドデビューを果たした窪塚洋介。物語の核となるキチジロー役のオーディションは浅野忠信も受けていた。
 ロドリゴの目線でドラマは進むが、本作の実質的な主人公と言えるのは窪塚洋介演じるキチジローだ。マカオでの出会い以来、キチジローは誰よりも長くロドリゴと接し続けるが、小心者ゆえにキチジローは「踏み絵」を迫られると真っ先にキリスト像を踏みつけ、ロドリゴを裏切ってしまう。そして裏切る度に、キチジローは泣きながら懺悔を求めてロドリゴの後を追っていく。イエス・キリストを売ったユダのように、キチジローもまたどこにも自分の居場所がなかった。キチジローという存在が、ロドリゴを悟りの境地へと導くことになる。またドラマが進むにつれ、ロドリゴが信じているキリストの教えと日本に根づいた切支丹の信仰は異なるものであることに気づかされる。日本人にはキリスト教を信じさえすれば病気や飢えや年貢の取り立てもないパライソに行け、信じないものはインヘルノに墜ちるという楽園願望&地獄への恐怖心が根底にあり、絶対的な存在である創造主としての神を敬う西洋人とは大きな隔たりがあった。ロドリゴが信じる神と日本人に受け入れられている神はあまりにも違いすぎた。  それでもロドリゴは、恥も外聞もなく自分に救いを求めてくるキチジローの懺悔を聞き入れようとする。心の弱い人間、心に傷を負った人間こそ、宗教をいちばん必要としているからだ。異郷の地で祈りを捧げるロドリゴに対し、神は沈黙で応えるだけだった。ロゴリゴも、そして現代を生きる我々も、そんな静寂なる世界にただ耳をじっと傾けるしかない。 (文=長野辰次)
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『沈黙 サイレンス』 原作/遠藤周作 監督・脚本/マーティン・スコセッシ 脚本/ジェイ・コックス 撮影/ロドリゴ・プリエト 出演/アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライバー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシ 配給/KADOKAWA 1月21日(土)より全国ロードショー (c)2016 FM Films,LLC.All Rights Reserved. http://chinmoku.jp

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 宗教戦争や異教徒への弾圧によって、これまでにどれだけの命が奪われたのだろうか。宗教の教義をめぐって人間同士が殺し合うなんて、あまりにもバカげているし、宗教なんか存在しないほうがよっぽど人類は平和ではないのか。多くの人が一度は考えることだろう。それでも人間は神を信じ、宗教に救いを求めずにはいられない。人間はみんなひとりぼっちで、非力で、とても弱々しい生き物だからだ。心の支えになってくれるものを常に欲し続けている。では、その肝心の神様は果たして実在するのか。もし存在するのなら、なぜ信者たちの救済に現われないのか。そんな根源的なテーマを扱った歴史小説が遠藤周作の『沈黙』(新潮社)であり、マーティン・スコセッシ監督は28年の歳月を掛けて『沈黙 サイレンス』として映画化を果たした。  遠藤周作がキリスト教禁止令の出された江戸時代初期の長崎を舞台にした『沈黙』を発表したのは1966年。12歳のときに洗礼を受けた遠藤と同じくカトリック信者であるスコセッシ監督は、イエス・キリストの受難劇『最後の誘惑』(88)を完成させた頃に『沈黙』の翻訳版に出会った。1990年代以降、スコセッシ監督が『沈黙』を映画化することは度々公表され、純粋さと狂気とが背中合わせの世界を描いた『タクシードライバー』(76)や『レイジング・ブル』(80)のスコセッシ監督がどんな問題作に仕立てるのかワクワクさせられた。やがて『シャッターアイランド』(10)などの娯楽大作がスコセッシ監督のフィルモグラフィーに目立つようになり、「お金に転んだか」と諦めかけていた矢先に、台湾での撮影準備が進んでいるニュースが流れてきた。今思えば、誰が味方で真実は何であるかが定かでない孤島ミステリー『シャッターアイランド』は、『沈黙』の予行演習だったように感じられる。黒澤明や小林正樹といった日本の映画監督を敬愛するスコセッシ監督は、決して日本のファンを裏切ることはなかった。  スコセッシ監督版『沈黙 サイレンス』は、真っ暗なスクリーンに小さな虫の鳴き声だけが聞こえてくる静かな始まりとなっている。日本人にとって虫の鳴き声は夜の静寂さを感じさせるものだが、西洋人にとって虫の鳴き声はただのノイズでしかない。虫の鳴き声ひとつをとっても、日本人と西洋人との間には受け止め方に隔たりがある。そんなささいな喰い違いが、ドラマが進んでいくに従って取り返しがつかないほど大きくなっていく。日本人の感性と西洋人の論理性との違いが本作のメインテーマとなっている。
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宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)は拷問の恐ろしさから棄教してしまう。地獄責め、火あぶり、水磔……と様々な処刑シーンあり。
 時は17世紀。ポルトガルの若き司祭ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は、鎖国中の日本への危険な航海に向かう。ロドリコとガルペの恩師である宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が日本で棄教したという知らせを聞き、それが真実であるかどうかを確かめるためだった。いずれにしろ、日本で消えかかっているキリスト教の灯火を自分たちが守らなくてはという使命感に燃えていた。マカオで出会った日本人・キチジロー(窪塚洋介)の案内で、ロドリゴたちは無事に長崎の小さな集落に上陸。江戸幕府による厳しい取り締りの目を盗んで、モキチ(塚本晋也)やイチゾウ(笈田ヨシ)ら隠れ切支丹がキリスト教を信仰し続けていることを知り、ロドリゴは胸を熱くする。貧しい彼ら百姓たちの暮らしに、キリストの教えが少しでも救いになればいい。ロドリゴは布教活動に励むが、その純真さがモキチたちの村に災いを招くことになる。  当時の日本は、キリスト教を信仰する農民たちを中心にした一揆「島原の乱」が鎮圧されて間もない頃。キリスト教の司祭や隠れ信者がいることを密告したものには莫大な報酬が与えられるお触れが出されており、モキチたちの村にも信者狩りの手が伸びる。キリスト像を踏むことができない者は切支丹だと見なされる「踏み絵」が行なわれ、これを拒否したモキチとイチゾウは水磔に処せられる。絶命するまで何日間も荒波に洗われ続ける恐ろしい処刑法だ。村を離れたロドリゴはモニカという洗礼名を持つ娘(小松菜奈)が簀巻き状態で海に棄てられる様子も目の当たりにする。さらには、汚物で満たされた穴の中に逆さ吊りにされる穴吊りの刑が待っていた。吊るされた者の精神をじりじりと蝕むえげつない拷問だ。ロドリゴの身代わりとなって、罪なき信者たちが次々と処刑されていく。キリストの教えを知らない日本人たちを救いにきたつもりのロドリゴだったが、逆に自分が日本人を苦しめている事実に苦悶する。なぜ神は奇蹟を起こし、神の子である彼らを救おうとはしないのか。ロドリゴは心の中で叫び続ける。  緑豊かな台湾でのロケーション撮影が、江戸時代の日本の風情をうまく感じさせる。撮影中は数多くのトラブルに見舞われたそうだが、スコセッシ流宗教時代劇として違和感のない仕上がりだ。様々な拷問刑を考え出した冷血な長崎奉行として、ロドリゴたちから恐れられる井上筑後守を演じるのはイッセー尾形。残酷さとは無縁そうな、とても気さくで農民想いの優れた役人として描かれている。江戸幕府は農民たちを一方的に搾取していたわけではなく、社会秩序を守るためにキリスト教とポルトガル人を日本から追放したことが語られていく。浅野忠信が扮する通詞(通訳)を介して、井上とロドリゴとの間でシンプルかつ深遠な宗教問答が交わされる。壮絶な殉教を遂げるモキチ役の塚本晋也(オーディション会場に現われ、スコセッシ監督を驚かせた)を含め、日本人キャストの好演が光る。
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ハリウッドデビューを果たした窪塚洋介。物語の核となるキチジロー役のオーディションは浅野忠信も受けていた。
 ロドリゴの目線でドラマは進むが、本作の実質的な主人公と言えるのは窪塚洋介演じるキチジローだ。マカオでの出会い以来、キチジローは誰よりも長くロドリゴと接し続けるが、小心者ゆえにキチジローは「踏み絵」を迫られると真っ先にキリスト像を踏みつけ、ロドリゴを裏切ってしまう。そして裏切る度に、キチジローは泣きながら懺悔を求めてロドリゴの後を追っていく。イエス・キリストを売ったユダのように、キチジローもまたどこにも自分の居場所がなかった。キチジローという存在が、ロドリゴを悟りの境地へと導くことになる。またドラマが進むにつれ、ロドリゴが信じているキリストの教えと日本に根づいた切支丹の信仰は異なるものであることに気づかされる。日本人にはキリスト教を信じさえすれば病気や飢えや年貢の取り立てもないパライソに行け、信じないものはインヘルノに墜ちるという楽園願望&地獄への恐怖心が根底にあり、絶対的な存在である創造主としての神を敬う西洋人とは大きな隔たりがあった。ロドリゴが信じる神と日本人に受け入れられている神はあまりにも違いすぎた。  それでもロドリゴは、恥も外聞もなく自分に救いを求めてくるキチジローの懺悔を聞き入れようとする。心の弱い人間、心に傷を負った人間こそ、宗教をいちばん必要としているからだ。異郷の地で祈りを捧げるロドリゴに対し、神は沈黙で応えるだけだった。ロゴリゴも、そして現代を生きる我々も、そんな静寂なる世界にただ耳をじっと傾けるしかない。 (文=長野辰次)
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『沈黙 サイレンス』 原作/遠藤周作 監督・脚本/マーティン・スコセッシ 脚本/ジェイ・コックス 撮影/ロドリゴ・プリエト 出演/アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライバー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシ 配給/KADOKAWA 1月21日(土)より全国ロードショー (c)2016 FM Films,LLC.All Rights Reserved. http://chinmoku.jp

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宮崎駿監督が夢想した“理想郷”は愛知に実在した!? 生きることを楽しむ夫婦の記録『人生フルーツ』

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毎回、大きな反響を呼ぶ東海テレビ製作のドキュメンタリー『人生フルーツ』。2016年の放送文化基金賞を受賞している。
 体罰問題でバッシングされた戸塚ヨットスクールのその後を追った『平成ジレンマ』(11)、暴排条例によって人権が奪われたヤクザ一家に密着取材した『ヤクザと憲法』(16)など、東海テレビが製作したドキュメンタリー作品は劇場公開される度に観る者に強烈なインパクトを残す。名古屋のローカル局というよりも、ハードコア系ドキュメンタリー製作会社としてのイメージが強い東海テレビだが、最新作『人生フルーツ』は風に揺られるナックルボールのようにゆらゆらと、それでいて観る者の心のストライクゾーンにすとんと落ちてくる作品だ。タイトルの通り、色とりどりで実に味わい深い。そしてドキュメンタリーながら、どこか宮崎駿監督作品のようなファンタジー世界を思わせる内容となっている。  東海地方では2016年3月にオンエアされた『人生フルーツ』の主人公は、90歳になる津端修一さんと87歳の英子さんのご夫婦。名古屋市のお隣・春日井市の高蔵寺ニュータウンの一角に津端さん夫婦は半世紀にわたって暮らし続けている。2人で毎日欠かさず庭の畑を耕し、自分たちが口にする野菜や果物はすべて自給自足。ひと仕事した後はゆっくりとお茶や英子さんが作ったお菓子を楽しむという悠々自適な生活を送っている。と、ここまではスローライフを実践している素敵な高齢者夫婦の1日をカメラで追っているだけなのだが、ご夫婦のプロフィールを知ることで、その穏やかな日常風景が滋味溢れるものに変わっていく。  妻・英子さんが「年をとって、よりいい顔になった」とのろける夫・修一さんは毎日野良仕事で忙しいが、本来の職業は建築家。丹下健三やアントニン・レーモンドのもとで学んだ修一さんは日本住宅公団のエース設計士として活躍し、阿佐ヶ谷住宅、多摩平団地など数多くの集合住宅を生み出してきた。団地マニアにとってはスーパースター的存在なのだ。国内最大級の事業と呼ばれた高蔵寺ニュータウンのグランドデザインも手掛け、地元の地勢を活かし、風の通る谷や緑を残した自然との調和を図った画期的な集合住宅を修一さんは目指していた。だが、実際に完成した団地は経済効率が優先された味気ないものになっていた。
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修一さんが建てた木造の一軒家で暮らして半世紀。外食を嫌う修一さんのために、英子さんは毎食欠かさず手料理を用意してきた。
 そこで修一さんは、「はい、僕の仕事は終わり」では済まさなかった。修一さんはニュータウンの土地300坪を購入して一軒家を建て、愛妻・英子さんと移り住む。そして自宅の庭を雑木林にすることで、少しでも理想に叶った街にしようと努めてきたのだ。近隣の小学校に呼び掛けて、禿げ山状態だった裏山にブナなどの木の苗を植樹する「どんぐり作戦」も実行した。子どもや孫に財産を残すことはできないけど、次の世代にせめていい土地を残したいと、せっせと庭を耕し続けてきた。極めて平穏に映る老夫婦の日々の生活は、実は壮大な理想に向かった大いなる実験ライフだったのだ。  東京大学のヨット部に所属していた修一さんは、ヨット部の合宿中に愛知県半田市の造り酒屋の娘だった英子さんと出会い、1955年の結婚以来ずっと連れ添ってきた。万事マイペースな修一さんの人生を、英子さんはニコニコと大らかに見守ってきた。また、修一さんは戦時中は海軍の技術士官として戦闘機の開発に従事していたことにも触れられる。戦時中は高性能な戦闘機を作ることがお国のためだと修一さんは考え、そして終戦後の焼け野原になった日本を見て、ゼロから勉強をし直して建築家となり、各地に集合住宅を建てることにありったけの情熱を注ぐ。第一線を退いてからは、自由時間評論家を名乗り、畑仕事の合間を縫って、余暇の過ごし方やリゾートの在り方について執筆や講演をするという生活を送ってきた。何とも濃厚なフルーツ人生だ。  戦闘機を開発していたことも含め、自然と文明が共生するライフスタイルを追求する姿は、まさに宮崎駿監督が『風の谷のナウシカ』(84)や『となりのトトロ』(88)などのアニメーション世界で描いてきたものと重なる。零戦開発者の堀越二郎をモデルにした『風立ちぬ』(13)を最後に長編アニメの製作から退くことを表明した宮崎監督だが、それ以前から三鷹天命反転住宅などを手掛けた荒川修作と一緒に理想の街づくりに取り組むためにアニメの仕事を辞めたいと口にしてきた。いわば津端夫妻は、宮崎監督がアニメーションでしか表現できなかった理想の世界を現実のものとして形にしてきたことになる。あまりにもかっこよすぎるよ、シュウ&ヒデコ!
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様々なニュータウンのグランドデザインを修一さんは手掛けてきた。『耳をすませば』(95)などの団地映画愛好家は見逃せない内容だ。
 2年がかりで本作を完成させたのは東海テレビ報道部の伏原健之ディレクター。劇場公開作品は女優・樹木希林が人生初のお伊勢参りに向かうドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』(14)に続く2作目となる。 伏原「雑木林に囲まれた一軒家で暮らしている津端さんご夫婦はまるでファンタジー世界の住人のようでした。スタジオジブリの作品に出てきそうだなと思いましたね(笑)。津端さんのご自宅で過ごす時間は心地よく、英子さんが手際よく作るお菓子や料理はとても美味しかった。そんな穏やかな日常をカメラで追って、果たしてドキュメンタリーになるのかと不安にも駆られましたが、編集して繋いでみると、とても豊かなものが感じられる作品になったように思います。津端さんご夫婦を取材している僕自身は毎日仕事に追われ、独身なのでマンションに戻ってコンビニ弁当を食べるだけの生活です(苦笑)。津端さんご夫婦とは真逆ですが、それゆえに憧れを感じます。誰もが真似できる暮らしではありませんが、こんな夫婦がこの世界には実在するんだということを知っているだけでも、とても幸せな気持ちになれると思うんです」  本作の後半、ほとんどの取材は「もう、いい年齢なので自分の時間を大切にしたい」と断ってきた修一さんだが、佐賀県伊万里市の精神科病院が新しい施設を建てることになり、「患者たちが人間らしく暮らすためのアドバイスをほしい」という要請に顔を輝かせる。「私も90歳。人生最後のよい仕事にめぐりあえました」とノーギャラでこの仕事を引き受け、打ち合わせのわずか2日後には新しい施設の図面をメッセージ付きで書き上げる。無事完成した新しい施設に修一さんが足を踏み入れることは叶わなかったが、代わりに英子さんが最期に夫が残した作品をにっこり笑顔で見届けることになる。 伏原「スタジオジブリみたいなファンタジーをドキュメンタリーとしてできないかと考えた作品です。ラストシーンは『風の谷のナウシカ』をちょっとだけ意識してみました。宮崎監督は『風立ちぬ』を完成させた後の引退会見で『この世界は生きるに値する』という言葉を残しましたが、そのことがこのドキュメンタリーでも伝わればいいなと思っています。今、英子さんはひとりで暮らしていますが、本作でナレーションを務めてくれた樹木希林さんと先日名古屋の居酒屋でお酒を呑み交わし、とても楽しそうにされていたのが印象的でしたね」  人生フルーツ。一生を通して、人は何を残すことができるのだろうか。本作はそんな問いをゆったりのんびりと投げ掛けてくる。 (文=長野辰次)
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『人生フルーツ』 ナレーション/樹木希林 プロデューサー/阿武野勝彦 音楽/村井秀清 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/村田敦崇 音声/伊藤紀明 編集/奥田繁 監督/伏原健之 製作・配給/東海テレビ 2017年1月2日(月)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開 ※ 1月2日は伏原監督、阿武野プロデューサーによる舞台挨拶あり (c)東海テレビ http://life-is-fruity.com

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宮崎駿監督が夢想した“理想郷”は愛知に実在した!? 生きることを楽しむ夫婦の記録『人生フルーツ』

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毎回、大きな反響を呼ぶ東海テレビ製作のドキュメンタリー『人生フルーツ』。2016年の放送文化基金賞を受賞している。
 体罰問題でバッシングされた戸塚ヨットスクールのその後を追った『平成ジレンマ』(11)、暴排条例によって人権が奪われたヤクザ一家に密着取材した『ヤクザと憲法』(16)など、東海テレビが製作したドキュメンタリー作品は劇場公開される度に観る者に強烈なインパクトを残す。名古屋のローカル局というよりも、ハードコア系ドキュメンタリー製作会社としてのイメージが強い東海テレビだが、最新作『人生フルーツ』は風に揺られるナックルボールのようにゆらゆらと、それでいて観る者の心のストライクゾーンにすとんと落ちてくる作品だ。タイトルの通り、色とりどりで実に味わい深い。そしてドキュメンタリーながら、どこか宮崎駿監督作品のようなファンタジー世界を思わせる内容となっている。  東海地方では2016年3月にオンエアされた『人生フルーツ』の主人公は、90歳になる津端修一さんと87歳の英子さんのご夫婦。名古屋市のお隣・春日井市の高蔵寺ニュータウンの一角に津端さん夫婦は半世紀にわたって暮らし続けている。2人で毎日欠かさず庭の畑を耕し、自分たちが口にする野菜や果物はすべて自給自足。ひと仕事した後はゆっくりとお茶や英子さんが作ったお菓子を楽しむという悠々自適な生活を送っている。と、ここまではスローライフを実践している素敵な高齢者夫婦の1日をカメラで追っているだけなのだが、ご夫婦のプロフィールを知ることで、その穏やかな日常風景が滋味溢れるものに変わっていく。  妻・英子さんが「年をとって、よりいい顔になった」とのろける夫・修一さんは毎日野良仕事で忙しいが、本来の職業は建築家。丹下健三やアントニン・レーモンドのもとで学んだ修一さんは日本住宅公団のエース設計士として活躍し、阿佐ヶ谷住宅、多摩平団地など数多くの集合住宅を生み出してきた。団地マニアにとってはスーパースター的存在なのだ。国内最大級の事業と呼ばれた高蔵寺ニュータウンのグランドデザインも手掛け、地元の地勢を活かし、風の通る谷や緑を残した自然との調和を図った画期的な集合住宅を修一さんは目指していた。だが、実際に完成した団地は経済効率が優先された味気ないものになっていた。
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修一さんが建てた木造の一軒家で暮らして半世紀。外食を嫌う修一さんのために、英子さんは毎食欠かさず手料理を用意してきた。
 そこで修一さんは、「はい、僕の仕事は終わり」では済まさなかった。修一さんはニュータウンの土地300坪を購入して一軒家を建て、愛妻・英子さんと移り住む。そして自宅の庭を雑木林にすることで、少しでも理想に叶った街にしようと努めてきたのだ。近隣の小学校に呼び掛けて、禿げ山状態だった裏山にブナなどの木の苗を植樹する「どんぐり作戦」も実行した。子どもや孫に財産を残すことはできないけど、次の世代にせめていい土地を残したいと、せっせと庭を耕し続けてきた。極めて平穏に映る老夫婦の日々の生活は、実は壮大な理想に向かった大いなる実験ライフだったのだ。  東京大学のヨット部に所属していた修一さんは、ヨット部の合宿中に愛知県半田市の造り酒屋の娘だった英子さんと出会い、1955年の結婚以来ずっと連れ添ってきた。万事マイペースな修一さんの人生を、英子さんはニコニコと大らかに見守ってきた。また、修一さんは戦時中は海軍の技術士官として戦闘機の開発に従事していたことにも触れられる。戦時中は高性能な戦闘機を作ることがお国のためだと修一さんは考え、そして終戦後の焼け野原になった日本を見て、ゼロから勉強をし直して建築家となり、各地に集合住宅を建てることにありったけの情熱を注ぐ。第一線を退いてからは、自由時間評論家を名乗り、畑仕事の合間を縫って、余暇の過ごし方やリゾートの在り方について執筆や講演をするという生活を送ってきた。何とも濃厚なフルーツ人生だ。  戦闘機を開発していたことも含め、自然と文明が共生するライフスタイルを追求する姿は、まさに宮崎駿監督が『風の谷のナウシカ』(84)や『となりのトトロ』(88)などのアニメーション世界で描いてきたものと重なる。零戦開発者の堀越二郎をモデルにした『風立ちぬ』(13)を最後に長編アニメの製作から退くことを表明した宮崎監督だが、それ以前から三鷹天命反転住宅などを手掛けた荒川修作と一緒に理想の街づくりに取り組むためにアニメの仕事を辞めたいと口にしてきた。いわば津端夫妻は、宮崎監督がアニメーションでしか表現できなかった理想の世界を現実のものとして形にしてきたことになる。あまりにもかっこよすぎるよ、シュウ&ヒデコ!
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様々なニュータウンのグランドデザインを修一さんは手掛けてきた。『耳をすませば』(95)などの団地映画愛好家は見逃せない内容だ。
 2年がかりで本作を完成させたのは東海テレビ報道部の伏原健之ディレクター。劇場公開作品は女優・樹木希林が人生初のお伊勢参りに向かうドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』(14)に続く2作目となる。 伏原「雑木林に囲まれた一軒家で暮らしている津端さんご夫婦はまるでファンタジー世界の住人のようでした。スタジオジブリの作品に出てきそうだなと思いましたね(笑)。津端さんのご自宅で過ごす時間は心地よく、英子さんが手際よく作るお菓子や料理はとても美味しかった。そんな穏やかな日常をカメラで追って、果たしてドキュメンタリーになるのかと不安にも駆られましたが、編集して繋いでみると、とても豊かなものが感じられる作品になったように思います。津端さんご夫婦を取材している僕自身は毎日仕事に追われ、独身なのでマンションに戻ってコンビニ弁当を食べるだけの生活です(苦笑)。津端さんご夫婦とは真逆ですが、それゆえに憧れを感じます。誰もが真似できる暮らしではありませんが、こんな夫婦がこの世界には実在するんだということを知っているだけでも、とても幸せな気持ちになれると思うんです」  本作の後半、ほとんどの取材は「もう、いい年齢なので自分の時間を大切にしたい」と断ってきた修一さんだが、佐賀県伊万里市の精神科病院が新しい施設を建てることになり、「患者たちが人間らしく暮らすためのアドバイスをほしい」という要請に顔を輝かせる。「私も90歳。人生最後のよい仕事にめぐりあえました」とノーギャラでこの仕事を引き受け、打ち合わせのわずか2日後には新しい施設の図面をメッセージ付きで書き上げる。無事完成した新しい施設に修一さんが足を踏み入れることは叶わなかったが、代わりに英子さんが最期に夫が残した作品をにっこり笑顔で見届けることになる。 伏原「スタジオジブリみたいなファンタジーをドキュメンタリーとしてできないかと考えた作品です。ラストシーンは『風の谷のナウシカ』をちょっとだけ意識してみました。宮崎監督は『風立ちぬ』を完成させた後の引退会見で『この世界は生きるに値する』という言葉を残しましたが、そのことがこのドキュメンタリーでも伝わればいいなと思っています。今、英子さんはひとりで暮らしていますが、本作でナレーションを務めてくれた樹木希林さんと先日名古屋の居酒屋でお酒を呑み交わし、とても楽しそうにされていたのが印象的でしたね」  人生フルーツ。一生を通して、人は何を残すことができるのだろうか。本作はそんな問いをゆったりのんびりと投げ掛けてくる。 (文=長野辰次)
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『人生フルーツ』 ナレーション/樹木希林 プロデューサー/阿武野勝彦 音楽/村井秀清 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/村田敦崇 音声/伊藤紀明 編集/奥田繁 監督/伏原健之 製作・配給/東海テレビ 2017年1月2日(月)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開 ※ 1月2日は伏原監督、阿武野プロデューサーによる舞台挨拶あり (c)東海テレビ http://life-is-fruity.com

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毎回、大きな反響を呼ぶ東海テレビ製作のドキュメンタリー『人生フルーツ』。2016年の放送文化基金賞を受賞している。
 体罰問題でバッシングされた戸塚ヨットスクールのその後を追った『平成ジレンマ』(11)、暴排条例によって人権が奪われたヤクザ一家に密着取材した『ヤクザと憲法』(16)など、東海テレビが製作したドキュメンタリー作品は劇場公開される度に観る者に強烈なインパクトを残す。名古屋のローカル局というよりも、ハードコア系ドキュメンタリー製作会社としてのイメージが強い東海テレビだが、最新作『人生フルーツ』は風に揺られるナックルボールのようにゆらゆらと、それでいて観る者の心のストライクゾーンにすとんと落ちてくる作品だ。タイトルの通り、色とりどりで実に味わい深い。そしてドキュメンタリーながら、どこか宮崎駿監督作品のようなファンタジー世界を思わせる内容となっている。  東海地方では2016年3月にオンエアされた『人生フルーツ』の主人公は、90歳になる津端修一さんと87歳の英子さんのご夫婦。名古屋市のお隣・春日井市の高蔵寺ニュータウンの一角に津端さん夫婦は半世紀にわたって暮らし続けている。2人で毎日欠かさず庭の畑を耕し、自分たちが口にする野菜や果物はすべて自給自足。ひと仕事した後はゆっくりとお茶や英子さんが作ったお菓子を楽しむという悠々自適な生活を送っている。と、ここまではスローライフを実践している素敵な高齢者夫婦の1日をカメラで追っているだけなのだが、ご夫婦のプロフィールを知ることで、その穏やかな日常風景が滋味溢れるものに変わっていく。  妻・英子さんが「年をとって、よりいい顔になった」とのろける夫・修一さんは毎日野良仕事で忙しいが、本来の職業は建築家。丹下健三やアントニン・レーモンドのもとで学んだ修一さんは日本住宅公団のエース設計士として活躍し、阿佐ヶ谷住宅、多摩平団地など数多くの集合住宅を生み出してきた。団地マニアにとってはスーパースター的存在なのだ。国内最大級の事業と呼ばれた高蔵寺ニュータウンのグランドデザインも手掛け、地元の地勢を活かし、風の通る谷や緑を残した自然との調和を図った画期的な集合住宅を修一さんは目指していた。だが、実際に完成した団地は経済効率が優先された味気ないものになっていた。
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修一さんが建てた木造の一軒家で暮らして半世紀。外食を嫌う修一さんのために、英子さんは毎食欠かさず手料理を用意してきた。
 そこで修一さんは、「はい、僕の仕事は終わり」では済まさなかった。修一さんはニュータウンの土地300坪を購入して一軒家を建て、愛妻・英子さんと移り住む。そして自宅の庭を雑木林にすることで、少しでも理想に叶った街にしようと努めてきたのだ。近隣の小学校に呼び掛けて、禿げ山状態だった裏山にブナなどの木の苗を植樹する「どんぐり作戦」も実行した。子どもや孫に財産を残すことはできないけど、次の世代にせめていい土地を残したいと、せっせと庭を耕し続けてきた。極めて平穏に映る老夫婦の日々の生活は、実は壮大な理想に向かった大いなる実験ライフだったのだ。  東京大学のヨット部に所属していた修一さんは、ヨット部の合宿中に愛知県半田市の造り酒屋の娘だった英子さんと出会い、1955年の結婚以来ずっと連れ添ってきた。万事マイペースな修一さんの人生を、英子さんはニコニコと大らかに見守ってきた。また、修一さんは戦時中は海軍の技術士官として戦闘機の開発に従事していたことにも触れられる。戦時中は高性能な戦闘機を作ることがお国のためだと修一さんは考え、そして終戦後の焼け野原になった日本を見て、ゼロから勉強をし直して建築家となり、各地に集合住宅を建てることにありったけの情熱を注ぐ。第一線を退いてからは、自由時間評論家を名乗り、畑仕事の合間を縫って、余暇の過ごし方やリゾートの在り方について執筆や講演をするという生活を送ってきた。何とも濃厚なフルーツ人生だ。  戦闘機を開発していたことも含め、自然と文明が共生するライフスタイルを追求する姿は、まさに宮崎駿監督が『風の谷のナウシカ』(84)や『となりのトトロ』(88)などのアニメーション世界で描いてきたものと重なる。零戦開発者の堀越二郎をモデルにした『風立ちぬ』(13)を最後に長編アニメの製作から退くことを表明した宮崎監督だが、それ以前から三鷹天命反転住宅などを手掛けた荒川修作と一緒に理想の街づくりに取り組むためにアニメの仕事を辞めたいと口にしてきた。いわば津端夫妻は、宮崎監督がアニメーションでしか表現できなかった理想の世界を現実のものとして形にしてきたことになる。あまりにもかっこよすぎるよ、シュウ&ヒデコ!
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 2年がかりで本作を完成させたのは東海テレビ報道部の伏原健之ディレクター。劇場公開作品は女優・樹木希林が人生初のお伊勢参りに向かうドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』(14)に続く2作目となる。 伏原「雑木林に囲まれた一軒家で暮らしている津端さんご夫婦はまるでファンタジー世界の住人のようでした。スタジオジブリの作品に出てきそうだなと思いましたね(笑)。津端さんのご自宅で過ごす時間は心地よく、英子さんが手際よく作るお菓子や料理はとても美味しかった。そんな穏やかな日常をカメラで追って、果たしてドキュメンタリーになるのかと不安にも駆られましたが、編集して繋いでみると、とても豊かなものが感じられる作品になったように思います。津端さんご夫婦を取材している僕自身は毎日仕事に追われ、独身なのでマンションに戻ってコンビニ弁当を食べるだけの生活です(苦笑)。津端さんご夫婦とは真逆ですが、それゆえに憧れを感じます。誰もが真似できる暮らしではありませんが、こんな夫婦がこの世界には実在するんだということを知っているだけでも、とても幸せな気持ちになれると思うんです」  本作の後半、ほとんどの取材は「もう、いい年齢なので自分の時間を大切にしたい」と断ってきた修一さんだが、佐賀県伊万里市の精神科病院が新しい施設を建てることになり、「患者たちが人間らしく暮らすためのアドバイスをほしい」という要請に顔を輝かせる。「私も90歳。人生最後のよい仕事にめぐりあえました」とノーギャラでこの仕事を引き受け、打ち合わせのわずか2日後には新しい施設の図面をメッセージ付きで書き上げる。無事完成した新しい施設に修一さんが足を踏み入れることは叶わなかったが、代わりに英子さんが最期に夫が残した作品をにっこり笑顔で見届けることになる。 伏原「スタジオジブリみたいなファンタジーをドキュメンタリーとしてできないかと考えた作品です。ラストシーンは『風の谷のナウシカ』をちょっとだけ意識してみました。宮崎監督は『風立ちぬ』を完成させた後の引退会見で『この世界は生きるに値する』という言葉を残しましたが、そのことがこのドキュメンタリーでも伝わればいいなと思っています。今、英子さんはひとりで暮らしていますが、本作でナレーションを務めてくれた樹木希林さんと先日名古屋の居酒屋でお酒を呑み交わし、とても楽しそうにされていたのが印象的でしたね」  人生フルーツ。一生を通して、人は何を残すことができるのだろうか。本作はそんな問いをゆったりのんびりと投げ掛けてくる。 (文=長野辰次)
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『人生フルーツ』 ナレーション/樹木希林 プロデューサー/阿武野勝彦 音楽/村井秀清 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/村田敦崇 音声/伊藤紀明 編集/奥田繁 監督/伏原健之 製作・配給/東海テレビ 2017年1月2日(月)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開 ※ 1月2日は伏原監督、阿武野プロデューサーによる舞台挨拶あり (c)東海テレビ http://life-is-fruity.com

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社畜は死ね、狼は生きろ! 本物の狼との交歓シーンもある衝撃作『ワイルド わたしの中の獣』

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本物の狼との獣姦ドラマか、それとも異類婚ファンタジーか。野生動物と人間との共生を描いたドイツ映画『ワイルド わたしの中の獣』。
 毎日当たり前のように残業が続き、休日も自宅のパソコンでの仕事が待っている。年末年始さえ、まともに休みが取れそうにない。そんな社畜ライフとの決別を考えている人にお勧めなのが、ドイツ映画『ワイルド わたしの中の獣』だ。上司の顔色をいつも気にしているマジメでおとなしいOLが森で見つけた野生の狼を捕獲し、マンションでの同居生活を始めるというワイルドすぎる衝撃作。誰にも言えない秘密を持ったことでOLは徐々に大胆で攻撃的な性格へと変貌を遂げていくことになる。社会生活の中で本音を押し殺して生きている人ほど、主人公の変身ぶりに共感を覚えるに違いない。そして本作の特記すべき点は、登場する狼は“本物”であるということだ。  シェパードやシベリアンハスキーといった狼に近い犬種を使うのではなく、本物の狼と人間が共演を果たした『ワイルド わたしの中の獣』。主人公のOL・アニアを演じた女優リリト・シュタンゲンベルクは、実録映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも恐れた男』(1月7日公開)にもドラマの鍵を握るミステリアスな美女役で出演している注目の若手女優。本作では全裸姿で狼に股間を愛撫されるという超過激なシーンにも挑んでいる。CG全盛のハリウッドやコミック原作の実写化が主流となっている日本映画では、まず作られることがないデンジャラスな映画だ。マンションの一室で狼と主演女優リリトが対峙するシーンだけでも、とてもスリリングで見応えがある。  ストーリーはシンプルさを極めている。マンションでひとり暮らしをしているアニア(リリト・シュタンゲンベルク)は職場と自宅を往復するだけの味気ない毎日を過ごしていた。少し前までは妹ジェニー(ザスキア・ローゼンタール)も一緒だったが、恋人ができてジェニーはマンションを出ていき、すっかり疎遠になってしまった。職場ではアニアがいちばん年下の女性ということから、上司ボリス(ゲオルク・フリードリヒ)にお茶汲みをするのが当たり前となっている。ボリスは上司としてまるで尊敬できない胸くそ悪いヤツで、他の男性社員たちもアニアがおとなしいことから面倒くさい雑用を押し付けてくる。  そんなある日、アニアはマンション近くの森で一匹の狼と遭遇する。神秘的であり、毅然とした佇まいの狼にアニアは魅了され、それ以来ずっと狼を捕獲することばかり考えるようになっていく。寝たきり状態の祖父が入院している病院で睡眠薬を手に入れ、アジア系の労働者たちを狩りの勢子として雇い、ついにアニアは狼を生きたまま捕獲することに成功。マンションでの狼との同居生活を始めたことで、アニアは危険な匂いのする女へと変わっていく。上司ボリスはそんなアニアに興味津々だった。だが、マンションの住人から「変な匂いがする。どうにかしろ」と苦情が寄せられ、アニアはある決心をする──。
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狼との共演を果たしたリリト・シュタンゲンベルクはドイツ期待の若手女優。ニコレッテ・クレビッツ監督の若い頃に似ている。
 本作を撮り上げたニコレッテ・クレビッツ監督は、自由を求める女囚たちの脱獄青春ムービー『バンディッツ』(99)などに出演した人気女優であり、現在は脚本家、映画監督、ミュージシャンなど多彩な才能を発揮しているクリエイター。今回のぶっとんだ企画はどのようにして生まれたのか、スカイプインタビューで答えてくれた。 クレビッツ「同じ夢を何度も見たんです。何かにずっと後ろを付けられているという夢でした。あまりにも何度も続くので、怖かったけれど思い切って後ろを振り返ってみると、そこにいたのは一匹の狼でした。ドイツでは狼は100年前に絶滅したと言われていたんですが、ポーランドから国境を越えて狼たちがドイツに移動しているというニュースを耳にしたことも、そんな夢を見た要因だったと思います。狼はどんな環境にも適応するなど人間に近い一面を持っている一方、野生動物として生きる習性を棄てることなく種を保ってきた。狼のそんなところに私は憧れているんです。人間は安定した生活を求めながらも、どこか危険なもの、自分とは異なるものに魅了される生き物ではないでしょうか。そんな私の想いが、ひとつの作品になったものが本作なんです」  本物の狼を使って、どうやって撮影したのか。種を明かせば、ハンガリーにはウルフトレーナーという職種が存在し、主演女優のリリトはクランクインの3週間前からハンガリーで過ごし、狼と接する上での基本的なことを身に付けたとのこと。それでも撮影期間28日間のうちの15日間を占めた狼との共演シーンは、クレビッツ監督も出演者たちも一瞬も気を緩めることが許されない緊張感のある撮影が続いた。 クレビッツ「撮影に使う狼は適度にお腹をすかせ、でも飢え過ぎた状態にしないようにしておくことが重要でした。リリトはとても勇気のある女優です。リリトの股間に狼が顔を突っ込むシーンがありますが、あのシーンはリリトの股間にフォアグラを用意しておいたんです(笑)。基本、狼は食べ物に釣られるんです。部屋の中をリリトの後を狼が付いて歩くシーンは、リリトのポケットの中に生肉を仕込んでおきました。生まれたときからトレーナーによってしっかり躾られた狼たちでしたが、ちょっとでも人間が油断すると、狼は見逃しません。狼に対して、怖がったり弱気を見せないようにしました。トレーナーが檻の扉を普段より1秒長く開けていただけでも、狼はその隙を突いて逃げ出し、戻ってこようとはしません。犬と違って、狼は人間を喜ばせようとは決して思わない動物なんです」
finefilmswild03
狼との共演シーンは15日間に及んだ。「狼の前で決して恐れや弱気を見せないことが重要でした」とクレビッツ監督は語る。
 もし男性監督が本作を撮っていたなら、森で狼を捕獲するシーンに重点が置かれ、人間が野生のシンボルである狼をどう服従させるかが作品の主題になっていただろう。クレビッツ監督はむしろ狼と一緒に暮らすことで、野生に触れた主人公がどう変わっていくかをカメラでじっくりと追っていく。 クレビッツ「主人公は自分の中の秘めた野生に目覚め、自由を求めるようになっていくわけですが、これはドイツの若い女性に限ったことではないはず。世界中の資本主義経済の国すべてに当てはまることだと思います。祖父や父の世代は私たちのためにこの世界を築いてくれたわけだけれども、今の私たちの肌には合わない部分がいろいろと生じてきている。多くの人間が共存してくためには仕方ないこともあるけれど、人間には自分でも予測できないような知らない一面があり、闇も抱えているものです。でも、今の社会にはそれを許容できるほどのキャパがないように私は感じるんです。周囲の期待に応えることを止め、自分がやりたいと思っていることにだけ集中すれば、人間はもっと自由になれるし、どんな道でも進めるんじゃないかしら」  狼は生きろ、豚は死ね。実在の金融詐欺事件を題材にした角川映画『白昼の死角』(79)のCMで使われた有名なフレーズだ。『白昼の死角』で主人公を演じた夏八木勲は法に縛られることなく、図太く豪快に生きてみせた。本作の主人公・アニアも社会のルールや常識に左右されることなく、内なる野生を解き放ってワイルドに生きる道を選ぶ。社畜は死ね、狼は生きろ。そんな言葉が本作にはよく似合う。 (文=長野辰次)
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『ワイルド わたしの中の獣』 監督・脚本/ニコレッテ・クレビッツ 音楽/テラ・ノヴァ、ジェイムス・ブレイク 出演/リリト・シュタンゲンベルク、ゲオルク・フリードリヒ、ザスキア・ローゼンタール、ジルク・ボーデンベンダー 配給/ファインフィルムズ R15+ 12月24日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 (C)2014 Heimatfilm GmbH + Co KG http://www.finefilms.co.jp/wild

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社畜は死ね、狼は生きろ! 本物の狼との交歓シーンもある衝撃作『ワイルド わたしの中の獣』

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本物の狼との獣姦ドラマか、それとも異類婚ファンタジーか。野生動物と人間との共生を描いたドイツ映画『ワイルド わたしの中の獣』。
 毎日当たり前のように残業が続き、休日も自宅のパソコンでの仕事が待っている。年末年始さえ、まともに休みが取れそうにない。そんな社畜ライフとの決別を考えている人にお勧めなのが、ドイツ映画『ワイルド わたしの中の獣』だ。上司の顔色をいつも気にしているマジメでおとなしいOLが森で見つけた野生の狼を捕獲し、マンションでの同居生活を始めるというワイルドすぎる衝撃作。誰にも言えない秘密を持ったことでOLは徐々に大胆で攻撃的な性格へと変貌を遂げていくことになる。社会生活の中で本音を押し殺して生きている人ほど、主人公の変身ぶりに共感を覚えるに違いない。そして本作の特記すべき点は、登場する狼は“本物”であるということだ。  シェパードやシベリアンハスキーといった狼に近い犬種を使うのではなく、本物の狼と人間が共演を果たした『ワイルド わたしの中の獣』。主人公のOL・アニアを演じた女優リリト・シュタンゲンベルクは、実録映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも恐れた男』(1月7日公開)にもドラマの鍵を握るミステリアスな美女役で出演している注目の若手女優。本作では全裸姿で狼に股間を愛撫されるという超過激なシーンにも挑んでいる。CG全盛のハリウッドやコミック原作の実写化が主流となっている日本映画では、まず作られることがないデンジャラスな映画だ。マンションの一室で狼と主演女優リリトが対峙するシーンだけでも、とてもスリリングで見応えがある。  ストーリーはシンプルさを極めている。マンションでひとり暮らしをしているアニア(リリト・シュタンゲンベルク)は職場と自宅を往復するだけの味気ない毎日を過ごしていた。少し前までは妹ジェニー(ザスキア・ローゼンタール)も一緒だったが、恋人ができてジェニーはマンションを出ていき、すっかり疎遠になってしまった。職場ではアニアがいちばん年下の女性ということから、上司ボリス(ゲオルク・フリードリヒ)にお茶汲みをするのが当たり前となっている。ボリスは上司としてまるで尊敬できない胸くそ悪いヤツで、他の男性社員たちもアニアがおとなしいことから面倒くさい雑用を押し付けてくる。  そんなある日、アニアはマンション近くの森で一匹の狼と遭遇する。神秘的であり、毅然とした佇まいの狼にアニアは魅了され、それ以来ずっと狼を捕獲することばかり考えるようになっていく。寝たきり状態の祖父が入院している病院で睡眠薬を手に入れ、アジア系の労働者たちを狩りの勢子として雇い、ついにアニアは狼を生きたまま捕獲することに成功。マンションでの狼との同居生活を始めたことで、アニアは危険な匂いのする女へと変わっていく。上司ボリスはそんなアニアに興味津々だった。だが、マンションの住人から「変な匂いがする。どうにかしろ」と苦情が寄せられ、アニアはある決心をする──。
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狼との共演を果たしたリリト・シュタンゲンベルクはドイツ期待の若手女優。ニコレッテ・クレビッツ監督の若い頃に似ている。
 本作を撮り上げたニコレッテ・クレビッツ監督は、自由を求める女囚たちの脱獄青春ムービー『バンディッツ』(99)などに出演した人気女優であり、現在は脚本家、映画監督、ミュージシャンなど多彩な才能を発揮しているクリエイター。今回のぶっとんだ企画はどのようにして生まれたのか、スカイプインタビューで答えてくれた。 クレビッツ「同じ夢を何度も見たんです。何かにずっと後ろを付けられているという夢でした。あまりにも何度も続くので、怖かったけれど思い切って後ろを振り返ってみると、そこにいたのは一匹の狼でした。ドイツでは狼は100年前に絶滅したと言われていたんですが、ポーランドから国境を越えて狼たちがドイツに移動しているというニュースを耳にしたことも、そんな夢を見た要因だったと思います。狼はどんな環境にも適応するなど人間に近い一面を持っている一方、野生動物として生きる習性を棄てることなく種を保ってきた。狼のそんなところに私は憧れているんです。人間は安定した生活を求めながらも、どこか危険なもの、自分とは異なるものに魅了される生き物ではないでしょうか。そんな私の想いが、ひとつの作品になったものが本作なんです」  本物の狼を使って、どうやって撮影したのか。種を明かせば、ハンガリーにはウルフトレーナーという職種が存在し、主演女優のリリトはクランクインの3週間前からハンガリーで過ごし、狼と接する上での基本的なことを身に付けたとのこと。それでも撮影期間28日間のうちの15日間を占めた狼との共演シーンは、クレビッツ監督も出演者たちも一瞬も気を緩めることが許されない緊張感のある撮影が続いた。 クレビッツ「撮影に使う狼は適度にお腹をすかせ、でも飢え過ぎた状態にしないようにしておくことが重要でした。リリトはとても勇気のある女優です。リリトの股間に狼が顔を突っ込むシーンがありますが、あのシーンはリリトの股間にフォアグラを用意しておいたんです(笑)。基本、狼は食べ物に釣られるんです。部屋の中をリリトの後を狼が付いて歩くシーンは、リリトのポケットの中に生肉を仕込んでおきました。生まれたときからトレーナーによってしっかり躾られた狼たちでしたが、ちょっとでも人間が油断すると、狼は見逃しません。狼に対して、怖がったり弱気を見せないようにしました。トレーナーが檻の扉を普段より1秒長く開けていただけでも、狼はその隙を突いて逃げ出し、戻ってこようとはしません。犬と違って、狼は人間を喜ばせようとは決して思わない動物なんです」
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狼との共演シーンは15日間に及んだ。「狼の前で決して恐れや弱気を見せないことが重要でした」とクレビッツ監督は語る。
 もし男性監督が本作を撮っていたなら、森で狼を捕獲するシーンに重点が置かれ、人間が野生のシンボルである狼をどう服従させるかが作品の主題になっていただろう。クレビッツ監督はむしろ狼と一緒に暮らすことで、野生に触れた主人公がどう変わっていくかをカメラでじっくりと追っていく。 クレビッツ「主人公は自分の中の秘めた野生に目覚め、自由を求めるようになっていくわけですが、これはドイツの若い女性に限ったことではないはず。世界中の資本主義経済の国すべてに当てはまることだと思います。祖父や父の世代は私たちのためにこの世界を築いてくれたわけだけれども、今の私たちの肌には合わない部分がいろいろと生じてきている。多くの人間が共存してくためには仕方ないこともあるけれど、人間には自分でも予測できないような知らない一面があり、闇も抱えているものです。でも、今の社会にはそれを許容できるほどのキャパがないように私は感じるんです。周囲の期待に応えることを止め、自分がやりたいと思っていることにだけ集中すれば、人間はもっと自由になれるし、どんな道でも進めるんじゃないかしら」  狼は生きろ、豚は死ね。実在の金融詐欺事件を題材にした角川映画『白昼の死角』(79)のCMで使われた有名なフレーズだ。『白昼の死角』で主人公を演じた夏八木勲は法に縛られることなく、図太く豪快に生きてみせた。本作の主人公・アニアも社会のルールや常識に左右されることなく、内なる野生を解き放ってワイルドに生きる道を選ぶ。社畜は死ね、狼は生きろ。そんな言葉が本作にはよく似合う。 (文=長野辰次)
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『ワイルド わたしの中の獣』 監督・脚本/ニコレッテ・クレビッツ 音楽/テラ・ノヴァ、ジェイムス・ブレイク 出演/リリト・シュタンゲンベルク、ゲオルク・フリードリヒ、ザスキア・ローゼンタール、ジルク・ボーデンベンダー 配給/ファインフィルムズ R15+ 12月24日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 (C)2014 Heimatfilm GmbH + Co KG http://www.finefilms.co.jp/wild

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ロボトミー手術、地雷撤去の強制……世界残酷史『ニーゼと光のアトリエ』『ヒトラーの忘れもの』

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ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』。速効性のあるロボトミー手術に対し、女医ニーゼは穏やかな芸術療法を取り入れる。
 人類に大きな貢献を果たした人々に贈られるノーベル賞だが、過去には化学兵器を開発したフリッツ・ハーバーにノーベル化学賞が与えられるなど、かなりおかしな選考もしている。神経科医のエガス・モニスは精神疾患を根本的に治す“ロボトミー手術”を考案し、ノーベル生理学・医学賞を1949年に受賞している。ロボトミー手術は患者の前頭葉部分を切除することで、激昂しやすい患者の性格を穏やかにするというもの。当時は画期的な発明として賞讃されたが、手術後に廃人化してしまう患者も少なくなく、1970年代になってロボトミー手術は行なわれなくなった。ブラジル映画『ニーゼと光のアトリエ』はロボトミー手術が最新の医療だと信じられていた1940年代の精神病院を舞台に、実在の精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラを主人公にした実録映画だ。  1943年のリオデジャネイロ。女医のニーゼ(グロリア・ピエス)はかつて勤めていた精神病院に復職するが、監獄のような鉄格子で覆われた病棟内の現状に驚きを隠せない。病院側や家族の介護の負担が減るという理由から、精神疾患を抱えた患者へのロボトミー手術が行なわれており、しかも患者の眼孔からアイスピックを突き刺し、前頭葉部分を手探りで切断するという簡易な方法が奨励されていた。当時の精神病院では電気ショック療法も行なわれていた。ベッドに患者を縛り付け、患者が泡を吹いて意識を失うまで電圧は上げられた。患者たちをモルモットのように扱うそれらの医療法は、ニーゼには受け入れがたいものだった。  女医に対する偏見が強い病院内で、ニーゼは与えられた病室を鍵の掛からない出入り自由なアトリエとして開放し、患者たちに思い思いに絵を描かせることを始める。またニーゼは患者のことをクライアントと呼び、病院の中庭で犬を飼い、その世話を患者たちに任せる。「精神は身体と同じように自然治癒力を持ち、本来の形に戻ろうとする」というユング理論に従ったものだった。ニーゼの根気づよい指導によって、患者たちは次第に心を開くようになり、彼らの描いた色彩豊かな絵画は、美術界で評判を集める。だが病院の主流派医師たちは、ニーゼが取り組む芸術療法や動物セラピーといった穏やかな医療スタイルを頑なに認めようとしない。衛生上の問題を口実に、患者たちがかわいがっていた犬たちを殺処分してしまう。明るさを取り戻しつつあった患者たちの怒りが病院内でついに爆発する―。
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終戦直後のデンマークを舞台にした『ヒトラーの忘れもの』。地雷撤去にドイツの少年兵が駆り出された実話をベースにしたものだ。
 デンマークとドイツの合作映画『ヒトラーの忘れもの』も知られざる歴史の暗部を暴いた作品だ。第二次世界大戦中、ドイツによって占領されていたデンマークには連合軍の上陸を防ぐために200万個もの地雷が海岸線に埋められていた。ドイツの全面降伏によってデンマークは5年ぶりに解放されたが、海岸線の地雷はそのままの状態。この地雷群の撤去を命じられたのは、デンマークに取り残されていたドイツの捕虜兵たちで、その大半は15歳から18歳までの少年兵だった。ナチスドイツが残した負の財産を処理するなかで、少年兵たちは手足を、そして命を次々と落としていくことになる。  デンマーク軍のカール軍曹(ローラン・ムラ)が監視する中、双子のレスナー兄弟(エーミール&オスカー・ベルトン)ら11名のドイツ少年兵たちが砂浜に埋まった地雷群の撤去に従事する。あどけない顔の少年兵たちは「母国が犯した戦争犯罪を自分たちが償なわなくては」と地雷撤去の経験もないまま、手探りでの作業に当たる。カール軍曹から「地雷撤去さえ済めば、帰国できる」と言われた少年兵たちだったが、彼らが置かれている状況は最悪だった。デンマーク兵だけでなく民間人もドイツ兵のことを憎み、食料をろくに与えない。1日の作業が終わると逃げ出さないように、狭い粗末な小屋の中に鍵を掛けて閉じ込める。お腹をすかせ、体調を崩しても休ませてもらえず、少年兵たちはひとり、またひとりと地雷を誤って爆発させてしまう。ドイツ人を憎んでいたカール軍曹だが、少年兵たちのあまりに悲惨な状況を見かねて、こっそり食べ物を調達する。だが、このことからカール軍曹はデンマーク軍の上官に睨まれ、少年兵たちはより苛酷な運命に追い込まれてしまう。 『ヒトラーの忘れもの』を手掛けたのは、戦後日本の裏社会を描いたジャレット・レト主演のヤクザ映画『The Outsider』を撮影中のデンマーク出身のマーチン・サントフリート監督。「戦争において自分たちがいかに正しかったか、どれほど人々の助けになったかという話はよく聞くけれど、どの国の歴史にも暗黒面はある。地雷を埋めたのはドイツ人であり、ドイツ人が撤去すべきだとは思うが、だからといって地雷撤去の経験のない少年たちにやらせるべきだったのかは大きな疑問だ。この出来事に関する歴史資料はほとんどなく、墓地や病院を訪ね、また民間の歴史研究家たちから話を聞いて回った。70年前の戦争の物語だが、人間は戦時中と戦後でどんな態度をとるのか、また怪物を倒すために自分も怪物になってしまうことに警鐘を鳴らしたものなんだ」と語っている。
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地雷撤去に従事する少年兵たち。ドイツ兵捕虜2600人が強制労働させられ、その半数が地雷の犠牲となった。
 ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』とデンマークでの地雷撤去を題材にした『ヒトラーの忘れもの』は描かれている世界はまったく異なるが、主人公たちは似たような状況に追い詰められる。女医ニーゼはロボトミー手術を推し進める病院側との軋轢を招き、カール軍曹は少年兵たちと交わした「地雷撤去が済めば、家に戻れる」という約束を守ろうとし、デンマーク軍内で白眼視されることになる。自分が所属する組織からの命令に背けば、組織内での自分の居場所を失ってしまいかねない。厳しい選択を主人公たちは強いられることになる。  時代が変われば、社会的倫理観も大きく変わり、そのときは正しいと思われた判断も、後から責任を問われる可能性が生じる。砂丘のように刻々と形を変えていく大きな時流の中で、我々は少年兵たちと同じように手探りで少しずつ前に進むことしかできない。人間は過ちを犯すものであり、そんな人間たちが集団で犯した大きな過ちに、個人としてどう向き合うかを両作品は問い掛けてくる。 (文=長野辰次)
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『ニーゼと光のアトリエ』 監督・脚本/ホベルト・ベリネール  出演/グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン、クラウジオ・ジャボランジー、ファブリシオ・ボリヴェイラ、ホネイ・ヴィレラ  配給/ココロヲ・動かす・映画社 12月17日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)TvZero http://maru-movie.com/nise.html
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『ヒトラーの忘れもの』 脚本・監督/マーチン・サントフリート 出演/ローラン・ムラ、ミゲル・ボー・フルスゴー、ルイス・ホフマン、ジョエル・バズマン、エーミール・ベルトン、オスカー・ベルトン 配給/キノフィルムズ 12月17日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー (c)2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S & AMUSEMENT PARK FILM GMBH & ZDF http://hitler-wasuremono.jp

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ロボトミー手術、地雷撤去の強制……世界残酷史『ニーゼと光のアトリエ』『ヒトラーの忘れもの』

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ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』。速効性のあるロボトミー手術に対し、女医ニーゼは穏やかな芸術療法を取り入れる。
 人類に大きな貢献を果たした人々に贈られるノーベル賞だが、過去には化学兵器を開発したフリッツ・ハーバーにノーベル化学賞が与えられるなど、かなりおかしな選考もしている。神経科医のエガス・モニスは精神疾患を根本的に治す“ロボトミー手術”を考案し、ノーベル生理学・医学賞を1949年に受賞している。ロボトミー手術は患者の前頭葉部分を切除することで、激昂しやすい患者の性格を穏やかにするというもの。当時は画期的な発明として賞讃されたが、手術後に廃人化してしまう患者も少なくなく、1970年代になってロボトミー手術は行なわれなくなった。ブラジル映画『ニーゼと光のアトリエ』はロボトミー手術が最新の医療だと信じられていた1940年代の精神病院を舞台に、実在の精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラを主人公にした実録映画だ。  1943年のリオデジャネイロ。女医のニーゼ(グロリア・ピエス)はかつて勤めていた精神病院に復職するが、監獄のような鉄格子で覆われた病棟内の現状に驚きを隠せない。病院側や家族の介護の負担が減るという理由から、精神疾患を抱えた患者へのロボトミー手術が行なわれており、しかも患者の眼孔からアイスピックを突き刺し、前頭葉部分を手探りで切断するという簡易な方法が奨励されていた。当時の精神病院では電気ショック療法も行なわれていた。ベッドに患者を縛り付け、患者が泡を吹いて意識を失うまで電圧は上げられた。患者たちをモルモットのように扱うそれらの医療法は、ニーゼには受け入れがたいものだった。  女医に対する偏見が強い病院内で、ニーゼは与えられた病室を鍵の掛からない出入り自由なアトリエとして開放し、患者たちに思い思いに絵を描かせることを始める。またニーゼは患者のことをクライアントと呼び、病院の中庭で犬を飼い、その世話を患者たちに任せる。「精神は身体と同じように自然治癒力を持ち、本来の形に戻ろうとする」というユング理論に従ったものだった。ニーゼの根気づよい指導によって、患者たちは次第に心を開くようになり、彼らの描いた色彩豊かな絵画は、美術界で評判を集める。だが病院の主流派医師たちは、ニーゼが取り組む芸術療法や動物セラピーといった穏やかな医療スタイルを頑なに認めようとしない。衛生上の問題を口実に、患者たちがかわいがっていた犬たちを殺処分してしまう。明るさを取り戻しつつあった患者たちの怒りが病院内でついに爆発する―。
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終戦直後のデンマークを舞台にした『ヒトラーの忘れもの』。地雷撤去にドイツの少年兵が駆り出された実話をベースにしたものだ。
 デンマークとドイツの合作映画『ヒトラーの忘れもの』も知られざる歴史の暗部を暴いた作品だ。第二次世界大戦中、ドイツによって占領されていたデンマークには連合軍の上陸を防ぐために200万個もの地雷が海岸線に埋められていた。ドイツの全面降伏によってデンマークは5年ぶりに解放されたが、海岸線の地雷はそのままの状態。この地雷群の撤去を命じられたのは、デンマークに取り残されていたドイツの捕虜兵たちで、その大半は15歳から18歳までの少年兵だった。ナチスドイツが残した負の財産を処理するなかで、少年兵たちは手足を、そして命を次々と落としていくことになる。  デンマーク軍のカール軍曹(ローラン・ムラ)が監視する中、双子のレスナー兄弟(エーミール&オスカー・ベルトン)ら11名のドイツ少年兵たちが砂浜に埋まった地雷群の撤去に従事する。あどけない顔の少年兵たちは「母国が犯した戦争犯罪を自分たちが償なわなくては」と地雷撤去の経験もないまま、手探りでの作業に当たる。カール軍曹から「地雷撤去さえ済めば、帰国できる」と言われた少年兵たちだったが、彼らが置かれている状況は最悪だった。デンマーク兵だけでなく民間人もドイツ兵のことを憎み、食料をろくに与えない。1日の作業が終わると逃げ出さないように、狭い粗末な小屋の中に鍵を掛けて閉じ込める。お腹をすかせ、体調を崩しても休ませてもらえず、少年兵たちはひとり、またひとりと地雷を誤って爆発させてしまう。ドイツ人を憎んでいたカール軍曹だが、少年兵たちのあまりに悲惨な状況を見かねて、こっそり食べ物を調達する。だが、このことからカール軍曹はデンマーク軍の上官に睨まれ、少年兵たちはより苛酷な運命に追い込まれてしまう。 『ヒトラーの忘れもの』を手掛けたのは、戦後日本の裏社会を描いたジャレット・レト主演のヤクザ映画『The Outsider』を撮影中のデンマーク出身のマーチン・サントフリート監督。「戦争において自分たちがいかに正しかったか、どれほど人々の助けになったかという話はよく聞くけれど、どの国の歴史にも暗黒面はある。地雷を埋めたのはドイツ人であり、ドイツ人が撤去すべきだとは思うが、だからといって地雷撤去の経験のない少年たちにやらせるべきだったのかは大きな疑問だ。この出来事に関する歴史資料はほとんどなく、墓地や病院を訪ね、また民間の歴史研究家たちから話を聞いて回った。70年前の戦争の物語だが、人間は戦時中と戦後でどんな態度をとるのか、また怪物を倒すために自分も怪物になってしまうことに警鐘を鳴らしたものなんだ」と語っている。
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地雷撤去に従事する少年兵たち。ドイツ兵捕虜2600人が強制労働させられ、その半数が地雷の犠牲となった。
 ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』とデンマークでの地雷撤去を題材にした『ヒトラーの忘れもの』は描かれている世界はまったく異なるが、主人公たちは似たような状況に追い詰められる。女医ニーゼはロボトミー手術を推し進める病院側との軋轢を招き、カール軍曹は少年兵たちと交わした「地雷撤去が済めば、家に戻れる」という約束を守ろうとし、デンマーク軍内で白眼視されることになる。自分が所属する組織からの命令に背けば、組織内での自分の居場所を失ってしまいかねない。厳しい選択を主人公たちは強いられることになる。  時代が変われば、社会的倫理観も大きく変わり、そのときは正しいと思われた判断も、後から責任を問われる可能性が生じる。砂丘のように刻々と形を変えていく大きな時流の中で、我々は少年兵たちと同じように手探りで少しずつ前に進むことしかできない。人間は過ちを犯すものであり、そんな人間たちが集団で犯した大きな過ちに、個人としてどう向き合うかを両作品は問い掛けてくる。 (文=長野辰次)
ni-zenoatorie02
『ニーゼと光のアトリエ』 監督・脚本/ホベルト・ベリネール  出演/グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン、クラウジオ・ジャボランジー、ファブリシオ・ボリヴェイラ、ホネイ・ヴィレラ  配給/ココロヲ・動かす・映画社 12月17日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)TvZero http://maru-movie.com/nise.html
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『ヒトラーの忘れもの』 脚本・監督/マーチン・サントフリート 出演/ローラン・ムラ、ミゲル・ボー・フルスゴー、ルイス・ホフマン、ジョエル・バズマン、エーミール・ベルトン、オスカー・ベルトン 配給/キノフィルムズ 12月17日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー (c)2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S & AMUSEMENT PARK FILM GMBH & ZDF http://hitler-wasuremono.jp

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