もののけと肉体関係を結ぶという至高の背徳感! 小泉八雲の世界を実写化した官能ホラー『雪女』

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杉野希妃主演・監督作『雪女』。雪女は人の精気を吸い取る魔物として村人たちから恐れられていた。
 人間ならざる美女と出逢った若者の心に刻み込まれた死への恐怖心と背徳的な性欲とがもたらした奇妙なラブストーリー。ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が書き残した『怪談』の中の一編『雪女』は、エロス&タナトスに彩られた珠玉のエピソードだ。ギリシャで生まれ、アイルランドで育った小泉八雲は日本での質素な生活を愛し、妻・節子に日本の昔話を語らせることで『怪談』を書き上げた。『アラビアンナイト』の語り部・シェヘラザードのように、節子は夜ごと艶かしく日本に言い伝わる不思議な物語を夫・八雲に語って聞かせていたのだろうか。杉野希妃監督&主演作『雪女』は“もののけ”と人間との禁断の愛を官能シーンを交えながら描いている。  小泉八雲が書き伝えた掌編『雪女』をベースに、杉野監督は独自の解釈を加え、上映時間96分の長編映画に仕立ててみせた。時代設定は明確にしていないが、昭和時代を思わせるのどかな山村が舞台だ。若い猟師の巳之吉(青木崇高)は仲間の茂吉(佐野史郎)と冬山へ猟に出たが、激しい吹雪に遭い、狭い小屋で夜を明かすことになる。夜更けに目が覚めた巳之吉は茂吉の上にひとりの女が覆い被さり、茂吉の命を吸い取る瞬間を目撃してしまう。白装束姿の女は雪女(杉野希妃)だった。巳之吉が恐ろしさのあまり身動きできずにいると、雪女は「このことは誰にもしゃべるな。もし、しゃべったら、お前の命を奪う」と言い残して姿を消す。巳之吉は恐怖心と共に、この世のものと思えない雪女の美しさが忘れられなくなる。それから1年後、巳之吉は山道で迷っている若い娘・ユキ(杉野2役)と出逢う。ユキが雪女とそっくりなことに巳之吉は驚くが、巳之吉は母親(宮崎美子)が待つ我が家へとユキを案内する。母親はひとり者の息子が若い娘を連れてきたことに大喜びした。  人里離れた一軒屋で若い男女が一緒に暮らせば、夜の契りを交わすことは自然な流れだった。ある晩、2人で湯治へと出掛け、ユキは巳之吉に何か伝えようとするが、巳之吉はユキの口を激しく吸い、ユキが秘密を明かそうとするのを塞いでしまう。ユキのひんやりとした白い肌を、すでに巳之吉は手放せなくなっていた。しばらくしてユキは身籠り、ウメという女の子を産む。利発な少女へと育っていくウメ(山口まゆ)。ユキは出逢ったときのまま、いつまでも若々しい。猟師をやめて、村にできた工場に通うようになった巳之吉だったが、幸せで満たされた日々だった。だが、この穏やかな生活はいつか壊れてしまうのではないかという不安感も常に心の奥には潜んでいた。そんな折り、村で謎めいた凍死体が立て続けに見つかり、ユキ母子に疑惑の目が向けられる──。
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巳之吉(青木崇高)が雪山で猛吹雪に遭ってから1年後、山道で美しい娘・ユキ(杉野希妃)と出逢う。
 異界の美女と人間との異類婚を描いた『雪女』だが、夫婦となってから穏やかな時間が流れていく本作を観ているうちに、この物語の主人公であるユキと巳之吉は、八雲と節子自身であることに気づかされる。世界各地を流浪した後、米国に渡りジャーナリストとなった八雲は、初めて訪れた日本をすっかり気に入り、士族の娘だった節子を嫁にもらう。やがて八雲は東大の英語講師を務め、3男1女に恵まれることになる。『蝶々夫人』で描かれているように当時の欧米人は日本で仮りそめの妻を持つことが多く、八雲も当初はおとなしい日本人の女性を愛人として迎え入れるつもりだった。ところが節子はしっかり者で、彼女に仕切られた形での結婚生活を八雲は送ることになる。目論み通りではなかったものの、両親の愛を知らずにずっと流れ者の人生を歩んできた八雲にとって、節子との慎ましい生活は安らぎを覚えるものだった。正体不明の女・ユキもまた、純朴で口の堅い巳之吉との暮らしに心地よさを感じていた。  優香との新婚生活を送る青木崇高を共演に迎えた『雪女』を、主演女優と兼任する形で撮り上げたのは“インディーズ映画のミューズ”と呼ばれる杉野希妃監督。1984年生まれの杉野希妃は女優業だけでは満足できず、香港ロケを行なった国際色豊かな『マジック&ロス』(10)、3.11をいち早くドラマ化した『おだやかな日常』(12)、ナント三大陸映画祭グランプリ受賞作『ほとりの朔子』(14)、誘拐監禁&少年愛を扱った『禁忌』(14)など数々の作品のプロデューサーを兼任してきた。作品のためなら脱ぐことも厭わない肝の座った美人女優だ。『欲動』(14)、『マンガ肉と僕』(16)に続く監督作となる『雪女』は、監督である杉野自身が青木と濃厚な濡れ場を演じてみせた官能ホラー、もしくは夫婦間ミステリーとしての味わいがある。  溝口健二の『雨月物語』(53)や小津安二郎の『浮草』(59)といった日本映画黄金期の作品を杉野監督は愛していることから、『雪女』にも1950年代っぽいクラシカルな雰囲気が漂う。だがその一方では、移民問題や他民族に対するヘイトスピーチといった寛容さを失いつつある現代社会の歪みを狭い山村に投影させたものにもなっている。2月23日、外国特派員クラブでの記者会見に杉野監督は共演の青木崇史と共に登壇し、素性の知れない相手との結婚生活を描いた本作についてこう語った。
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ユキと巳之吉との間に生まれたウメ(山口まゆ)。思春期を迎え、彼女もまた不思議な体験をすることに。
「これまでプロデューサーとして様々な国の方たちと仕事をしてきましたが、もちろん分かり合えないことだらけで、最初はそれがすごいストレスだったんですね。でも、分かり合えないのは当たり前であって、今では分かり合えない中でもお互いに尊重し、共有できる部分を模索し、受け入れ合うことが大事だと考えるようになりました。それは夫婦においても同じではないかなと思っています」(杉野監督)  小泉八雲は『雪女』の他にも、やはり異類婚を題材にした『青柳のはなし』や若き日の恋愛体験を気にして成仏できずにいる女の幽霊を主人公にした『葬られた秘密』など、女という生き物の深遠さを扱った不思議なエピソードを『怪談』の中に収録している。節子はどんな想いで、子どものように怖い話をねだる八雲に男女の仲をめぐる奇妙な逸話を語って聞かせたのだろうか。八雲もまた、節子をはじめとする女性たちに愛おしさと同時に恐怖心も感じていたに違いない。 (文=長野辰次)
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『雪女』 原作/小泉八雲 脚本/重田光雄、杉野希妃、富森星元  撮影/上野彰吾 監督/杉野希妃 出演/杉野希妃、青木崇高、山口まゆ、佐野史郎、水野久美、宮崎美子、山本剛史、松岡広大、梅野渚 配給/和エンタテインメント 3月4日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマ・ジャック&ベティ 4月1日(土)よりシネ・リーブル梅田、大阪シネ・ヌーヴォ、京都みなみ会館、神戸元町映画館ほか全国順次公開  (c)Snow Woman Film Partners http://snowwomanfilm.com

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ぼくらはみんな『アイヒマンの後継者』だった!? 平凡な市民の残酷さを明るみにした不快な実験結果

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『服従の心理』の著者として知られるミルグラム博士(ピーター・サースガード)。彼の業績は今も評価が分かれている。
 人類はこれまでに数々の大量虐殺を繰り返してきた。ナチスによるホロコーストでは600万人ものユダヤ人が犠牲となり、太平洋戦争を早期終結させるという名目のもとに広島と長崎に原爆が投下された。そして現在もスーダンではダルフール紛争が続いている。これらの虐殺行為は戦時下や特殊な環境で起きたものであって、自分なら絶対にこんな非人道的な行為に加担しないとあなたは思うはずだ。だが、あなたの信念を揺るがす実験がかつて米国で行なわれた。社会心理学者スタンレー・ミルグラム博士による「アイヒマン実験」がそれだ。62.5%の人間は命令されれば、恨みのない他人に対しても暴力行為を働くことをこの実験は証明してみせた。映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は「アイヒマン実験」がどのように行なわれたのか、またこの実験結果によってミルグラム博士はどのような人生を歩んだのかを描いている。  1961年8月、米国のイェール大学にて「アイヒマン実験」は実施された。ユダヤ系米国人であるミルグラム博士は、同年エルサレムで開かれたアイヒマン裁判に強い関心を示していた。元ナチスの親衛隊員でユダヤ人を収容所に移送する際に指揮を執ったアドルフ・アイヒマンだが、裁判の被告席に引きずり出された彼は自分の非を認めず「命令に従っただけ」と最期まで主張した。ヒトラーのような権力者から命令されれば、人間は誰しもホロコーストのような大量虐殺に加担してしまうものなのか。ミルグラム博士は人間の持つ残酷性を科学的に解き明かそうとした。 「アイヒマン実験」、またの名を「ミルグラム実験」とも呼ばれるこの実験は以下のようなものだった。まず被験者を2名、教育者と学習者に分ける。教育者が学習者に簡単なクイズを出題し、学習者が回答を間違えると罰として電流が流れるスイッチを押す。最初は45ボルトほどの微量の電流だが、学習者が回答を間違え続けると、次第に電圧が上がり、最終的には450ボルトの電流が流れることになる。誤答した学習者は途中から「痛い」「止めてくれ」と訴えるようになり、スイッチを押していた教育者は実験に立ち会っていた研究者風の白衣の男の顔色をうかがうが、白衣の男が「最後まで続けてください」「責任は大学側が負います」と実験を続けることを促すと、笑ったり首を振りながらもスイッチを押し続けた。ちなみに学習者は博士が用意したサクラ(演技者)であって、実際には電流は流れておらず、痛がっているように芝居を演じていただけだった。この実験の結果、62.5%の人々が最後までスイッチを押し続けたことが分かった。
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ミルグラム博士の妻サシャを演じたのはウィノナ・ライダー。『ブラック・スワン』(10)同様、惚れた男に振り回されるはめに。
 イェール大学で行なわれた実験では白衣を着た男性だったが、権威を持つ人間から命令されれば過半数の人々が虐待行為に加担することが明らかとなった。白人男性だけに限らず、女性の場合でも違う人種の場合でもほぼ同じ結果となった。この実験結果は学界のみならず、世界中に大きな波紋を起こす。ミルグラム博士の元上司は「君の実験は人を不快にする」と侮蔑し、学生からは「被験者を騙した詐欺まがいの実験」と罵られる。人間の真実の姿を暴いたことでミルグラム博士は有名になったものの、毀誉褒貶の人生を歩むことになる。  ミルグラム博士を演じたのはピーター・サースガード。『マグニフィセント・セブン』(16)の悪役など助演でいい味を出す演技派俳優だが、彼の演技キャリアの中で強く印象に残っているが、リーアム・ニーソン主演の実録映画『愛についてのキンゼイ・レポート』(04)。セックス研究の第一人者であるキンゼイ博士(リーアム・ニーソン)の助手に扮し、性の奥深さを探求するためにキンゼイ博士とベッドで同性愛に励むシーンを生々しく演じてみせた。研究にのめり込んでいく姿は本作と通じるものがある。ミルグラム博士の研究に理解を示す妻サシャには、『シザーハンズ』(90)でハサミ男と恋に陥るヒロインを演じたウィノナ・ライダー。ハリウッドのメインストリームからは外れていった彼女だが、実在するダーウィン賞を題材にした『ダーウィン・アワード』(06)ではバカな死に方をして、人類の進化に貢献した人たちを訪ねて回る保険調査員を演じている。奇妙な実験をドラマ化した本作に、相応しいキャスティングだといえそうだ。実験の途中で「非人道的な実験には協力できない」と毅然とした態度で退席する被験者を演じたのは、2016年に事故で亡くなった若手俳優のアントン・イェルチン。現在公開中の主演映画『グリーンルーム』(15)ではナオナチと戦うパンクロッカーを熱演しているアントンが、本作で1シーンながら自分の意思を貫く市民を演じているのも感慨深い。
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電気技師である被験者(アントン・イェルチン)は「この実験には協力できない」と途中退席する。彼は27.5%のひとりだった。
 人間という動物は社会性を重んじるあまり、簡単に主体性を失ってしまうことをミルグラム博士は解き明かした。批判を浴びながらも、博士はその後もユニークな実験を続けることになる。「スモールワールド現象」も「アイヒマン実験」と並ぶ博士の業績だ。自分とは面識のない人物宛ての手紙を知り合いに「知っている人、もしくは知っていそうな人に渡して」と頼むと、平均して6人を介して、目的の人物に手紙を転送できるというもの。世間は思ったよりも狭く、人と人とはいろんな形で繋がり合っていることを博士は検証してみせた。“六次の隔たり”と呼ばれるこの実験結果を前提に、多くのSNSは構築されている。「人生とは後ろ向きに理解して、前向きに生きるもの」という哲学者キルケゴールの言葉が劇中に何度か引用されるが、ミルグラム博士の人生はまさにキルケゴールの言葉どおりのものだった。奇妙な実験で名を馳せた博士は名門ハーバード大学の教壇に立つようになるが、ハーバード大学で教授職に就くことは叶わなかった。講演で世界各地を飛び回る中、51歳の若さで亡くなった。ジョージ・オーウェルが管理社会の恐怖を描いたSF小説『1984』の時代設定となっていた1984年のことだった。  ミルグラム博士がスクリーンから観客に向かって語り掛けてくる形で物語は進んでいく。時折、博士の後ろにゾウが現われる。かなりシュールな演出だが、これは“部屋の中のゾウ(the elephant of the room)”という英語のことわざに由来したもの。人間は自分が見たいと思うものしか見ようとせず、部屋の中に大きなゾウがいても平気で気づかないふりをする。ミルグラム博士が突き付けた実験結果を、あなたはどう受け止めるだろうか。 (文=長野辰次)
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『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』 監督・脚本/マイケル・アルメレイダ 出演/ピーター・サースガード、ウィノナ・ライダー、ジム・ガフィン、アントン・イェルチン、ジョン・レグイザモ 配給/アット エンタテインメント 2月25日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 (C)2014 Experimenter Productions, LLC. All rights reserved. http://next-eichmann.com

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日本人専門歓楽街タニヤ通りで生きる女と男の物語 『バンコクナイツ』に見る楽園のリアルな内情!!

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バンコクにある日本人専門の歓楽街タニヤ通りで働く女たち。彼女らとのコミュニケーションは日本語でOK。
 女、ドラッグ、拳銃……。男が欲しいものは、そこへ行けばすべて手に入るという。タイの首都バンコクは、自国に息苦しさを感じている男たちを否応なく惹き付ける魔力に溢れている。日本人専門の歓楽街タニヤ通りに繰り出せば、日本語の看板と妖しいネオンがきらめいている。店のドアを開くと、甘い匂いを漂わせたセクシーな美女たちがひな壇にずらりと並び、指名されるのを待っている。男たちの脳内物質を刺激して止まない、そんな夜の歓楽街へとカメラはごく自然に入っていく。そして、男と女の出逢いと別れのドラマをカメラは映し出す。富田克也監督ら空族によるインディペンデント映画『バンコクナイツ』は、日本映画でありながら今まで描かれることのなかったタイの内情とバンコクに集まる人々の心情を赤裸々に描き出していく。  富田監督は前作『サウダーヂ』(11)で自身の故郷・甲府を舞台に、地方都市で暮らす肉体労働者や外国からの移民たちのシビアな日常を描き、国際的な評価を得た。『サウダーヂ』に出てきた人々は働いても働いても楽にならない生活に疲れ、楽園に旅立つことを夢想する。そんな彼らの楽園願望を叶えてくれる先が、“ほほえみの国”タイだった。構想10年、製作に4年を要し、映像制作集団・空族を支援するファンから集まったクラウドファンディングで完成したインディペンデント大作が『バンコクナイツ』だ。この世界に楽園は存在するのか? そんな楽園での暮らしはどんなものなのか? レオナルド・ディカプリオ主演作『ザ・ビーチ』(00)とは異なるリアルな楽園像を空族は追い求めていく。  上映時間182分という長尺ながら、物語はシンプルさを極めている。日本人男性がタイの女性と恋に堕ち、楽園を目指すというものだ。バンコクのタニヤ通りで働くラック(スベンジャ・ポンコン)はお店でNo.1の人気嬢。裏パーティーに呼ばれたラックは、そこでかつて恋人だったオザワ(富田克也)と再会。元自衛官のオザワはバンコクに出てきたばかりのラックと出逢い、2人は恋に陥った。その後、オザワはネットゲームで日銭を稼ぐ、いわゆる海外沈没組に成り下がってしまう。高給マンションで暮らすようになったラックとは身分違いとなったが、それでも5年ぶりに巡り合った2人は焼けぼっくいに火が点くことに。そんなとき、オザワは自衛隊時代の上官・富岡(村田進二)からタイの隣国ラオス周辺の不動産の調査を依頼される。ラックの故郷イサーン地方は、ラオスとの国境に近い。オザワとラックはバンコクから抜け出すように、イサーン地方へと向かう。ラックの故郷で暮らす人々は、みんな純朴だった。自然が豊かで昔ながらの共同体が残るイサーンは、日本の高度成長期の田舎町を思わせ、どこにも居場所のないオザワの目にはまるで桃源郷のように映った。  ラックをはじめとするタイの女性たちは美しく、たくましく、そして情が深い。彼女たちはプロの女優ではなく、実際に夜の街で働く女たちだ。現在はバンコクで暮らし、プロモーションのために日本に帰ってきた富田監督は『バンコクナイツ』の舞台裏をこう語った。 富田「僕と脚本を担当した相澤(虎之助)の2人で夜のバンコクを歩き回って、『この子、いいな』という女の子たちに声を掛けていったんです。タニヤ通りの撮影は苦労しました。何度も通ってお願いしているうちに、『いつになったら撮るんだ?』と訊かれるような関係になった。タニヤ通り以外のシーンの撮影を先に済ませ、もう機は熟しただろうというタイミングでタニヤ通りでカメラを回そうとしたんですが、やっぱりダメで騒ぎになっちゃったんです。そこでようやくボスが現われて、呼び出されました。タニヤ通りは複雑で、最終的な話を誰につければいいのか分からなかったんです。僕らの切り札は、それまでに撮った映像だけ。ダイジェストをボスに見てもらったところ、『OK。パーフェクトだ!』と(笑)。翌日からはスムーズに撮影できるようになりました。撮影がOKになった要因として、この映画に出演してくれた女の子たちがみんなで『この人たちは悪い人たちじゃないよ。撮影させてあげて』と頼んでくれたことも大きかったと思います。『バンコクナイツ』が撮影できたのは、本当に彼女たちのお陰です」
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タイ名物の三輪タクシー・トゥクトゥクに乗るラックとオザワ。富田監督はオザワ役も兼ねている。
 タニヤ通りで働く女たちとそこに群がる日本から来た男たちとの関係を有りのままに映し出した前半のバンコク編から、中盤からはラックの故郷であるタイ東北部のイサーン編へ。タイ名物の三輪タクシーに乗ったオザワとラックは心地よい風を浴びながら、恋愛すらも金銭を介するバンコクを脱出する。ラオスとの国境が近いイサーン地方は、質素で人情味溢れる土地だった。異邦人ながらオザワは自分が生まれ育った日本からは失われしまったものが、ここには残っていることを実感する。身も心も癒されていくオザワ。だが、長く滞在していれば、当然ながら100%のユートピアがこの世には存在しないことが分かってくる。ノスタルジックさが漂う村だが、ここにはまともな産業がなかった。ラックの実家は彼女がバンコクで体を張って稼いだお金によって生活を維持していた。この村では女は娼婦に、男は出家して僧になるか軍隊に入るかしか道はなかった。地方都市の惨状を描いた『サウダーヂ』と同じように、“ほほえみの国”タイでも中央と地方との地域格差、搾取する側とされる側との大きな壁があることが明らかになってくる。 『サウダーヂ』に続いて『バンコクナイツ』でも共同脚本を務めた空族の相澤虎之助氏は90年代をバックパッカーとして過ごし、東南アジア各国の内情に詳しい。相澤監督作として東南アジアと戦争、麻薬の関係について掘り下げた『花物語バビロン』(97)や『バビロン2 The OZAWA 』(12)を撮っている。日本とタイを行き来する相澤氏にも話を聞いた。 相澤「タイ東北部のイサーン地方は、ラオスとの国境に近く、異なる文化や気質を持っている地域なんです。バンコクで働く娼婦やタクシー運転手たち出稼ぎ労働者の8割はイサーン出身だと言われているくらい経済的には貧しいけれど、ラオスの文化と交じり合った独特の音楽も生まれています。タイは歴史的に一度も植民地化されたことがなく、ベトナム戦争とも無関係だったと思われているけど、ベトナムへの米軍の前線基地がいちばん多く作られたのがイサーン地方であり、ゲリラが解放区を造ったのもイサーンだった。バンコクの歓楽街もベトナム戦争に従軍した米兵たちのためのリゾートとして誕生したという背景があるんです。欧米による植民地化が始まって以降、東南アジアの歴史にはずっと戦争と売春産業がセットになって刻まれているんです」
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仏教国であるタイらしさを感じさせる出家式。ご近所さんが集まって、賑やかにお祝いする。
 オザワのような旅行者にはパラダイスとして映っていたイサーン地方だが、その土地で暮らしているうちに楽園のダークサイドが次第に見えてくる。毎晩バーに現われるフランス人は世界各地を旅していたが、欧米が宗主国として君臨していた旧植民地にしか足を踏み入れていないことが分かる。深い森の中では、ゲリラ兵たちが今も幽霊となって戦いを続けていた。そしてオザワが国境を越えてラオスへと渡ると、そこにはより生々しい戦争の傷跡がむきだし状態で残っていた。大きな時代のうねり、歴史の流れをオザワは全身で体感することになる。 『サウダーヂ』同様に資本主義経済の波に呑まれ、下流層から脱することができない人々の哀歓を描いた『バンコクナイツ』だが、日本から離れたタイを舞台にしていることで、より鮮明に現代社会の問題構造が浮かび上がって見えてくる。ちなみに米国のラストベルトの荒んだ現状を描いたクリント・イーストウッド主演・監督作『グラン・トリノ』(08)で主人公コワルスキーの隣家で暮らしていたのはラオスからの移民であるモン族一家だった。相澤氏によるとモン族の多くはベトナム戦争の終結と共に内戦状態のラオスからタイのイサーン地方へと避難し、さらに米国に渡ったという。タイを舞台にした『バンコクナイツ』は、甲府を舞台にした『サウダーヂ』、そしてデトロイトの物語『グラン・トリノ』とも繋がっていることになる。  楽園の本当の姿を知ったオザワは、クライマックスで一丁の拳銃を手に入れる。大きな時代のうねり、社会の激流に、たった一丁の拳銃で立ち向かうことにどれだけの意味があるのか。迫りくる絶望に足を絡め取られそうになりながらも、それでも彼は生きることを選択する。それは幻の楽園を追い求めるのではなく、苦い現実世界に向き合うことに他ならなかった。 (文=長野辰次)
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『バンコクナイツ』 監督/富田克也 脚本/相澤虎之助、富田克也 撮影・照明/スタジオ石(向山正洋、古屋卓麿) 録音/山﨑巌、YOUNG-G DJs/Soi48、YOUNG-G 出演/スベンジャ・ポンコン、スナン・プーウィセット、チュティンバー・ポンピアン、タンヤラット・コンプー、サリンヤー・ヨンサワット、伊藤仁、川瀬陽太、田我流、富田克也 配給/空族 2月25日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開 (c)Bangkok Nites Partners 2016 http://www.bangkok-nites.asia

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日本は格差社会ではなく、すでに階級社会だった!? 『愚行録』が暴くこの国の見えないヒエラルヒー

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映像化は困難とされた貫井徳郎作品の初映画化『愚行録』。週刊誌記者の田中(妻夫木聡)はエリート一家惨殺事件の真相を探る。
 慶應大学には付属校から上がった内部生と大学から入った外部生との間に見えない溝が存在し、早稲田大学では一流企業に就職するための猛烈なコネづくりが行なわれている──。有名大学のえげつない内情を克明に描いた貫井徳郎のミステリー小説『愚行録』(東京創元社)が、妻夫木聡&満島ひかり主演作として映画化された。本作で長編デビューを果たしたのは、ポーランド国立映画大学で演出を学んだ新鋭・石川慶監督。にこやかな表情を浮かべながらも、いっさい本音を吐くことのないエリート階級の人々の腹黒い内面を、乾いた映像で切り取ってみせ、魅力的なドス黒系エンターテイメントに仕立てている。  誰からも愛された美男美女のエリート夫婦とその娘が新築されたばかり自宅で刺殺されるという陰惨な事件が起き、犯行から1年が経っても犯人の手掛かりはつかめない。週刊誌記者の田中(妻夫木聡)はエリート夫婦の過去を知る関係者たちへの取材を始める。被害者夫婦の友人たちは「あんないい人がなぜ?」と首を傾げるが、その言葉の裏側から被害者夫婦の意外な素顔が浮かび上がってくる。さらに田中が取材を進めていくと、今の日本は格差社会どころか、歴然とした階級社会であることを思い知らされる。実の妹・光子(満島ひかり)が我が子をネグレクトしていた疑いで拘置所送りとなっている田中にとって、エリート階級とその階級に憧れる人々たちの言動はあまりにも虚しく感じられた。  直木賞候補にもなった原作小説を1時間57分に収めるために、映画ではぎゅっと絞った形となっているが、登場キャラクターたちの腹黒さや浅はかさが次々とスクリーンに映し出されていく。本人たちはそのことに気づいていない分、取材記者・田中の目を通して見る我々には、よりイタくてキモいキャラクターに映る。中でも極めつけなのが、殺されることになる夏原友季恵(松本若菜)だ。美人でファッションセンスに優れている友季恵は、学生の頃から人気者だった。大学から入った外部生ながら、華やかさと育ちの良さから内部生とのランチに呼ばれ、あっさりと学内カーストを駆け上がっていく。クラスメイトの誰とも明るく接するが、ダサくて取り柄もない外部生を内部生に紹介することは決してしない。友季恵をライバル視する同級生の淳子(臼田あさ美)は目障りなので、淳子の彼氏・尾形(中村倫也)を思わせぶりな態度で奪い取ってしまう。尾形が淳子から自分に乗り換える様子を見て、友季恵はにっこりと微笑む。
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外部生ながら、真っ先に内部生グループに昇格した夏原友季恵(松本若菜)。誰とでも気さくに接し、育ちの良さを感じさせる人気者だった。
 友季恵には自分がえげつないことをしているという自覚はまるでなく、自分が欲しいものは素直に手に入れ、逆らう者は容赦なく叩き潰すという行為が無意識レベルでできてしまう。多分、友季恵は自分がなぜ殺されたのか、その理由を知らないまま死んでいったはずだ。殺人鬼から愛する我が子を最期まで庇おうとした悲劇のヒロインとして、同窓生たちの記憶に残ることになる。生まれつきの悪女である友季恵役にオーディションで選ばれたのは松本若菜。成海璃子主演の官能作『無伴奏』(16)では池松壮亮の美しい姉を演じており、二面性のある美女役でこれから活躍の場を増やしてきそうだ。  週刊誌記者として事件の真相を追っていく主人公役の妻夫木聡とその妹役の満島ひかりは演技力に定評があるが、友季恵と一緒に殺されることになる大手不動産会社勤務の夫・田向役の小出恵介、田向にとって“都合のいい女”である恵美役の市川由衣ら助演陣も、実に素晴しく腹黒い人間像をはつらつと演じてみせる。彼らの生き生きとした悪人顔を見ていると、俳優として裏表のあるキャラクターのほうが薄っぺらい善人役よりも演じがいがあることが、とてもよく分かる。
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事件を追う田中にとって、気がかりな存在である妹の光子(満島ひかり)。兄妹とも、家族に関しては苦い思い出しかなかった。
 人間のドロドロした嫌な部分を描きながらも、本作を魅力的なエンターテイメント作品に押し上げている要因に、端正なカメラワークと湿度の低い映像も挙げられる。石川監督がポーランド国立映画大学に留学した際、撮影科にいた同期生のポーランド人ピオトル・ニエミイスキを日本に招き、撮影監督を任せている。石川監督によると、日本とポーランドは1本あたりの映画製作の予算規模が似ており、ピオトルの異文化に対するオープンな性格もあって、限られたスケジュールの中でもスムーズに撮影が進んだとのこと。日本の知られざるヒエラルヒー社会を、異邦人の乾いた目線で見つめるような冷ややかな味わいが本作にはある。  原作では慶應大学となっていた大学名は、映画では文應大学となっているが、多分どのキャンパスにも夏原友季恵によく似た女性がいたはずだ。とても美しい上に頭もキレ、彼女が現われただけでパッと場が明るくなる。多くの人の目には社交的な性格に映るが、でもごく自然に自分の周囲にいる人間をコマのように扱うことに優れている無慈悲な女王さま。それが夏原友季恵という女だ。愚かなことに、男たちはそんな女王さまに尽くすことに喜びを感じてしまう。人間はどうしようもなく愚かな生き物であることを、『愚行録』は思い出させてくれる。 (文=長野辰次)
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『愚行録』 原作/貫井徳郎 脚本/向井康介 監督・編集/石川慶 出演/妻夫木聡、満島ひかり、小出恵介、臼田あさ美、市川由衣、松本若菜、中村倫也、眞島秀和、濱田マリ、平田満 配給/ワーナー・ブラザーズ映画、オフィス北野  2月18日(土)より全国ロードショー (c)2017「愚行録」製作委員会 http://gukoroku.jp

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日本は格差社会ではなく、すでに階級社会だった!? 『愚行録』が暴くこの国の見えないヒエラルヒー

日本は格差社会ではなく、すでに階級社会だった!? 『愚行録』が暴くこの国の見えないヒエラルヒーの画像1
映像化は困難とされた貫井徳郎作品の初映画化『愚行録』。週刊誌記者の田中(妻夫木聡)はエリート一家惨殺事件の真相を探る。
 慶應大学には付属校から上がった内部生と大学から入った外部生との間に見えない溝が存在し、早稲田大学では一流企業に就職するための猛烈なコネづくりが行なわれている──。有名大学のえげつない内情を克明に描いた貫井徳郎のミステリー小説『愚行録』(東京創元社)が、妻夫木聡&満島ひかり主演作として映画化された。本作で長編デビューを果たしたのは、ポーランド国立映画大学で演出を学んだ新鋭・石川慶監督。にこやかな表情を浮かべながらも、いっさい本音を吐くことのないエリート階級の人々の腹黒い内面を、乾いた映像で切り取ってみせ、魅力的なドス黒系エンターテイメントに仕立てている。  誰からも愛された美男美女のエリート夫婦とその娘が新築されたばかり自宅で刺殺されるという陰惨な事件が起き、犯行から1年が経っても犯人の手掛かりはつかめない。週刊誌記者の田中(妻夫木聡)はエリート夫婦の過去を知る関係者たちへの取材を始める。被害者夫婦の友人たちは「あんないい人がなぜ?」と首を傾げるが、その言葉の裏側から被害者夫婦の意外な素顔が浮かび上がってくる。さらに田中が取材を進めていくと、今の日本は格差社会どころか、歴然とした階級社会であることを思い知らされる。実の妹・光子(満島ひかり)が我が子をネグレクトしていた疑いで拘置所送りとなっている田中にとって、エリート階級とその階級に憧れる人々たちの言動はあまりにも虚しく感じられた。  直木賞候補にもなった原作小説を1時間57分に収めるために、映画ではぎゅっと絞った形となっているが、登場キャラクターたちの腹黒さや浅はかさが次々とスクリーンに映し出されていく。本人たちはそのことに気づいていない分、取材記者・田中の目を通して見る我々には、よりイタくてキモいキャラクターに映る。中でも極めつけなのが、殺されることになる夏原友季恵(松本若菜)だ。美人でファッションセンスに優れている友季恵は、学生の頃から人気者だった。大学から入った外部生ながら、華やかさと育ちの良さから内部生とのランチに呼ばれ、あっさりと学内カーストを駆け上がっていく。クラスメイトの誰とも明るく接するが、ダサくて取り柄もない外部生を内部生に紹介することは決してしない。友季恵をライバル視する同級生の淳子(臼田あさ美)は目障りなので、淳子の彼氏・尾形(中村倫也)を思わせぶりな態度で奪い取ってしまう。尾形が淳子から自分に乗り換える様子を見て、友季恵はにっこりと微笑む。
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外部生ながら、真っ先に内部生グループに昇格した夏原友季恵(松本若菜)。誰とでも気さくに接し、育ちの良さを感じさせる人気者だった。
 友季恵には自分がえげつないことをしているという自覚はまるでなく、自分が欲しいものは素直に手に入れ、逆らう者は容赦なく叩き潰すという行為が無意識レベルでできてしまう。多分、友季恵は自分がなぜ殺されたのか、その理由を知らないまま死んでいったはずだ。殺人鬼から愛する我が子を最期まで庇おうとした悲劇のヒロインとして、同窓生たちの記憶に残ることになる。生まれつきの悪女である友季恵役にオーディションで選ばれたのは松本若菜。成海璃子主演の官能作『無伴奏』(16)では池松壮亮の美しい姉を演じており、二面性のある美女役でこれから活躍の場を増やしてきそうだ。  週刊誌記者として事件の真相を追っていく主人公役の妻夫木聡とその妹役の満島ひかりは演技力に定評があるが、友季恵と一緒に殺されることになる大手不動産会社勤務の夫・田向役の小出恵介、田向にとって“都合のいい女”である恵美役の市川由衣ら助演陣も、実に素晴しく腹黒い人間像をはつらつと演じてみせる。彼らの生き生きとした悪人顔を見ていると、俳優として裏表のあるキャラクターのほうが薄っぺらい善人役よりも演じがいがあることが、とてもよく分かる。
日本は格差社会ではなく、すでに階級社会だった!? 『愚行録』が暴くこの国の見えないヒエラルヒーの画像3
事件を追う田中にとって、気がかりな存在である妹の光子(満島ひかり)。兄妹とも、家族に関しては苦い思い出しかなかった。
 人間のドロドロした嫌な部分を描きながらも、本作を魅力的なエンターテイメント作品に押し上げている要因に、端正なカメラワークと湿度の低い映像も挙げられる。石川監督がポーランド国立映画大学に留学した際、撮影科にいた同期生のポーランド人ピオトル・ニエミイスキを日本に招き、撮影監督を任せている。石川監督によると、日本とポーランドは1本あたりの映画製作の予算規模が似ており、ピオトルの異文化に対するオープンな性格もあって、限られたスケジュールの中でもスムーズに撮影が進んだとのこと。日本の知られざるヒエラルヒー社会を、異邦人の乾いた目線で見つめるような冷ややかな味わいが本作にはある。  原作では慶應大学となっていた大学名は、映画では文應大学となっているが、多分どのキャンパスにも夏原友季恵によく似た女性がいたはずだ。とても美しい上に頭もキレ、彼女が現われただけでパッと場が明るくなる。多くの人の目には社交的な性格に映るが、でもごく自然に自分の周囲にいる人間をコマのように扱うことに優れている無慈悲な女王さま。それが夏原友季恵という女だ。愚かなことに、男たちはそんな女王さまに尽くすことに喜びを感じてしまう。人間はどうしようもなく愚かな生き物であることを、『愚行録』は思い出させてくれる。 (文=長野辰次)
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『愚行録』 原作/貫井徳郎 脚本/向井康介 監督・編集/石川慶 出演/妻夫木聡、満島ひかり、小出恵介、臼田あさ美、市川由衣、松本若菜、中村倫也、眞島秀和、濱田マリ、平田満 配給/ワーナー・ブラザーズ映画、オフィス北野  2月18日(土)より全国ロードショー (c)2017「愚行録」製作委員会 http://gukoroku.jp

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矢口史靖監督流“楽しい”ディザスタームービー!『サバイバルファミリー』が描く電気のない世界

矢口史靖監督流楽しいディザスタームービー!『サバイバルファミリー』が描く電気のない世界の画像1
謎の原因で電気が使えなくなってしまう『サバイバルファミリー』。サイバー攻撃でも起きうる、かなりリアルな設定だ。
 2016年は『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』など想定外の大災害にどう向き合うかをテーマにした作品が大きな反響を呼んだが、矢口史靖監督のオリジナル脚本作『サバイバルファミリー』もその流れの一本に加えることになりそうだ。もしも、まったく電気が使えない状況になったら、どーなる!? 灯りが消え、パソコンも電化製品もいっさい使えなくなり、街全体がパニックに陥る中、ごく平凡な一家・鈴木家の人々は東京から鹿児島までの道程1,400キロを自転車で走破しようとする。スマホでの位置確認はできず、コンビニでの食料補給も叶わない中、鈴木家の人々はいかにしてサバイバルツアーを続けるのか。コメディを得意とする矢口監督ならではの明るいサバイバルムービーの始まりだ。  矢口監督にとって、本作は10年ごしの企画だった。実話を題材にした『ウォーターボーイズ』(01)をロングランヒットさせた矢口監督が、次回作として考えていたのがパソコンやケータイなどのデジタルツールが使えなくなるというSFパニックものだった。折しも2003年には北米で原因不明の大停電が起き、NYが大騒ぎになっている様子がニュース映像で伝えられた。矢口監督は電気のない世界を、デジタルツールが苦手な人々(矢口監督がそう)にとっての楽園として描くことを考えていたが、スケールが大きな割りには映画としては地味なことから、矢口監督がホームグランドにしているアルタミラピクチャーズではこの企画は凍結扱いに。ところが2011年に福島第一原発事故に伴う計画停電が全国的に実施され、“電気が使えなくなる”という状況がとても身近なものとして浮上してきた。矢口監督にとって初となるパニック映画『サバイバルファミリー』はこうして動き出した。  スマホをはじめとする便利な電子機器に依存しがちな現代社会を風刺した本作だが、矢口監督らしくパニックに陥った街の様子を事細かくシュミレーションしてみせる。突然電気が使えなくなったことで、コンピューターで制御されていた水道やガスといったライフライン、さらには交通機関や流通機能も停止。テレビやラジオも点かないので、政府による公式見解もわからない。会社や学校はお休み状態だし、スーパーやコンビニで売っている飲料水や食料もあっという間に売り切れてしまう。いつまで待てば電気が復旧するのか見通しも立たないため、いつも威張っているくせに頼りないお父さん(小日向文世)はお母さん(深津絵里)の実家のある鹿児島へ向かおうと言い出す。普段は父親の存在を無視しまくっていた大学生の息子(泉澤祐希)と高校生の娘(葵わかな)も仕方なく従うことに。鈴木家の人々は自転車を必死に漕いで、遥か九州の最南端を目指す。当然ながら、矢口監督のデビュー作『裸足のピクニック』(93)のように、鈴木家の人々は行く先々で悲惨な目に遭遇し続ける。
矢口史靖監督流楽しいディザスタームービー!『サバイバルファミリー』が描く電気のない世界の画像2
お父さん(小日向文世)をはじめとする鈴木家の人々は空腹のあまり、野ブタを捕まえようとするが……。
『ウォーターボーイズ』では妻夫木聡、玉木宏たちがシンクロナイズドスイミングの特訓に明け暮れ、『スウィングガールズ』(04)では上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカたちがジャズ演奏に励み、そんなアナログな世界で若者たちが成長していく過程をドキュメンタリータッチで描いてきた矢口監督。今回もCGに頼らない、ドキュメンタリー的手法が大いに活かされている。自転車を漕ぎ続け、汗まみれになっていく鈴木家の人々。空腹のあまり野ブタを捕獲しようとするが、お父さん役の小日向文世は慣れないアクションシーンにあばらを強打。橋のない川を渡るシーンでは、身を切るような冷たい川の中へと全身浸かり、ガチで顔の表情が歪んでいく。2カ月半に及ぶ地方ロケは、かなりしんどいものだったらしい。だが、主演俳優たちが悲惨な目に遭えば遭うほど、矢口作品は俄然面白みを増していく。  大震災がきっかけでGOサインが出たディザスタームービーながら、矢口監督が撮ると明るくユーモラスなものになっていく。電気が使えなくなり、首都として機能しなくなった東京だが、パソコンもテレビも動かないことから暇を持て余した鈴木家の人々がマンションのベランダに出ると、夜空には今まで見たことのない大きな天の川が広がっている。息子や娘は初めて見る天の川の美しさに思わず感激する。車が走らなくなった高速道路を自転車で疾走するのは、なかなか気持ちがいい。サバイバルツアー中に出逢うアウトドア志向の夫婦(時任三郎、藤原紀香)は電気のない生活を喜び、とても生き生きとしている。スマホやパソコンが使えなくなったことで、逆に鈴木家の人々は自分たちの肉体を通していろんなことに気づくようになる。バッテリー補充液(精製水)は飲料水代わりになる、ネコ缶は生臭さを我慢すれば食べることができる、食料よりも体温保持や水の確保のほうが重要……そんなサバイバルライフに関するハウツーも散りばめられ、さいとう・たかをの人気コミック『サバイバル』を読んで育った世代には懐かしく感じられる。
矢口史靖監督流楽しいディザスタームービー!『サバイバルファミリー』が描く電気のない世界の画像3
旅先で遭遇するアウトドア志向のファミリー(時任三郎、藤原紀香)。いけすかないけど、鈴木家にとっては大切な出会いだった。
 新しい環境に柔軟に対応するようになっていく息子と娘に対し、サバイバル能力のない父親が足手まといになっていく展開は、舞台出身の演技派・小日向文世の巧みなダメ人間ぶりもあって、苦い切実さがある。そんなダメ親ながら旅を続けていく中で、父親は自分のかっこ悪さを受け入れ、ダメ親なりに家族のために懸命に体を張る。電気が使えた頃はバラバラだった家族が、サバイバルツアーを通してゼロから再構築されていく。利便性のみを追求する現代人への社会風刺に加え、これまで若者の成長談を描いてきた矢口監督が“家族の再生”をテーマに新しいステージに上がってきたことを感じさせる出来映えだ。  まったくの余談だが、大停電や大災害が起きて、しばらくするとその地域では出生率が上昇すると米国では言い伝えられている。電気が使えないことから、長い夜を持て余した男女のコミュニケーション時間が増えるに違いないという発想から生まれた都市伝説なわけだが、本作でも夫婦役を演じた小日向文世と深津絵里との闇夜のラブシーンがあってもよかったと思う。電気のない世界、意外と楽しいかもしれない。 (文=長野辰次)
矢口史靖監督流楽しいディザスタームービー!『サバイバルファミリー』が描く電気のない世界の画像4
『サバイバルファミリー』 原案・脚本・監督/矢口史靖 出演/小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな、時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志樽淳、渡辺えり、宅麻伸、柄本明、大地康雄 配給/東宝 2月11日(土)より全国ロードショー (c)2017 フジテレビジョン 東宝 電通 アルタミラピクチャーズ http://www.survivalfamily.jp

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謎の原因で電気が使えなくなってしまう『サバイバルファミリー』。サイバー攻撃でも起きうる、かなりリアルな設定だ。
 2016年は『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』など想定外の大災害にどう向き合うかをテーマにした作品が大きな反響を呼んだが、矢口史靖監督のオリジナル脚本作『サバイバルファミリー』もその流れの一本に加えることになりそうだ。もしも、まったく電気が使えない状況になったら、どーなる!? 灯りが消え、パソコンも電化製品もいっさい使えなくなり、街全体がパニックに陥る中、ごく平凡な一家・鈴木家の人々は東京から鹿児島までの道程1,400キロを自転車で走破しようとする。スマホでの位置確認はできず、コンビニでの食料補給も叶わない中、鈴木家の人々はいかにしてサバイバルツアーを続けるのか。コメディを得意とする矢口監督ならではの明るいサバイバルムービーの始まりだ。  矢口監督にとって、本作は10年ごしの企画だった。実話を題材にした『ウォーターボーイズ』(01)をロングランヒットさせた矢口監督が、次回作として考えていたのがパソコンやケータイなどのデジタルツールが使えなくなるというSFパニックものだった。折しも2003年には北米で原因不明の大停電が起き、NYが大騒ぎになっている様子がニュース映像で伝えられた。矢口監督は電気のない世界を、デジタルツールが苦手な人々(矢口監督がそう)にとっての楽園として描くことを考えていたが、スケールが大きな割りには映画としては地味なことから、矢口監督がホームグランドにしているアルタミラピクチャーズではこの企画は凍結扱いに。ところが2011年に福島第一原発事故に伴う計画停電が全国的に実施され、“電気が使えなくなる”という状況がとても身近なものとして浮上してきた。矢口監督にとって初となるパニック映画『サバイバルファミリー』はこうして動き出した。  スマホをはじめとする便利な電子機器に依存しがちな現代社会を風刺した本作だが、矢口監督らしくパニックに陥った街の様子を事細かくシュミレーションしてみせる。突然電気が使えなくなったことで、コンピューターで制御されていた水道やガスといったライフライン、さらには交通機関や流通機能も停止。テレビやラジオも点かないので、政府による公式見解もわからない。会社や学校はお休み状態だし、スーパーやコンビニで売っている飲料水や食料もあっという間に売り切れてしまう。いつまで待てば電気が復旧するのか見通しも立たないため、いつも威張っているくせに頼りないお父さん(小日向文世)はお母さん(深津絵里)の実家のある鹿児島へ向かおうと言い出す。普段は父親の存在を無視しまくっていた大学生の息子(泉澤祐希)と高校生の娘(葵わかな)も仕方なく従うことに。鈴木家の人々は自転車を必死に漕いで、遥か九州の最南端を目指す。当然ながら、矢口監督のデビュー作『裸足のピクニック』(93)のように、鈴木家の人々は行く先々で悲惨な目に遭遇し続ける。
矢口史靖監督流楽しいディザスタームービー!『サバイバルファミリー』が描く電気のない世界の画像2
お父さん(小日向文世)をはじめとする鈴木家の人々は空腹のあまり、野ブタを捕まえようとするが……。
『ウォーターボーイズ』では妻夫木聡、玉木宏たちがシンクロナイズドスイミングの特訓に明け暮れ、『スウィングガールズ』(04)では上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカたちがジャズ演奏に励み、そんなアナログな世界で若者たちが成長していく過程をドキュメンタリータッチで描いてきた矢口監督。今回もCGに頼らない、ドキュメンタリー的手法が大いに活かされている。自転車を漕ぎ続け、汗まみれになっていく鈴木家の人々。空腹のあまり野ブタを捕獲しようとするが、お父さん役の小日向文世は慣れないアクションシーンにあばらを強打。橋のない川を渡るシーンでは、身を切るような冷たい川の中へと全身浸かり、ガチで顔の表情が歪んでいく。2カ月半に及ぶ地方ロケは、かなりしんどいものだったらしい。だが、主演俳優たちが悲惨な目に遭えば遭うほど、矢口作品は俄然面白みを増していく。  大震災がきっかけでGOサインが出たディザスタームービーながら、矢口監督が撮ると明るくユーモラスなものになっていく。電気が使えなくなり、首都として機能しなくなった東京だが、パソコンもテレビも動かないことから暇を持て余した鈴木家の人々がマンションのベランダに出ると、夜空には今まで見たことのない大きな天の川が広がっている。息子や娘は初めて見る天の川の美しさに思わず感激する。車が走らなくなった高速道路を自転車で疾走するのは、なかなか気持ちがいい。サバイバルツアー中に出逢うアウトドア志向の夫婦(時任三郎、藤原紀香)は電気のない生活を喜び、とても生き生きとしている。スマホやパソコンが使えなくなったことで、逆に鈴木家の人々は自分たちの肉体を通していろんなことに気づくようになる。バッテリー補充液(精製水)は飲料水代わりになる、ネコ缶は生臭さを我慢すれば食べることができる、食料よりも体温保持や水の確保のほうが重要……そんなサバイバルライフに関するハウツーも散りばめられ、さいとう・たかをの人気コミック『サバイバル』を読んで育った世代には懐かしく感じられる。
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『サバイバルファミリー』 原案・脚本・監督/矢口史靖 出演/小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな、時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志樽淳、渡辺えり、宅麻伸、柄本明、大地康雄 配給/東宝 2月11日(土)より全国ロードショー (c)2017 フジテレビジョン 東宝 電通 アルタミラピクチャーズ http://www.survivalfamily.jp

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超保守化する米国社会に反旗を翻した男がいた!! マシュー・マコノヒー主演『ニュートン・ナイト』

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マシュー・マコノヒー主演作『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』。庶民の視点からリアルな南北戦争が描かれる。
 戦争を始めるのはいつも金持ちたちで、戦場で死体の山となっていくのはビンボー人だけ。数百年、数千年と人類はそんな歴史を繰り返してきた。金持ちや政治家たちの利権争いだと分かっていても、安定した仕事のないビンボー人は食べていくために軍隊に入らざるを得ない。戦場の悲惨さを知って脱走すれば、裏切り者として真っ先に処刑される。ちょっと待てよ、それっておかしいだろ? 米国人同士が殺し合った南北戦争のさなか、ビンボー人だけが戦場に駆り出される不平等さに異議を申し立てたのがミシシッピ州の農民ニュートン・ナイトだった。マシュー・マコノヒー主演作『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』(原題『FREE STATE OF JONES』)は、南北戦争中に南軍でなければ北軍でもない、“ジョーンズ自由州”を立ち上げた歴史上の人物、でもほとんどその存在を知られていなかった無名の英雄にスポットライトを当てている。  時代は1862年。米国は北軍と南軍に分かれた南北戦争の真っ最中だった。南北戦争は工業化が進む北部と農園経営で成り立つ南部との主導権争いから起きた内戦で、4年間の戦いで60万人もの戦死者が出ている。この数字はネイティブ・アメリカンに対する虐殺を除いて、米国が関わった戦争で最も多い犠牲者数だ。南軍に属するミシシッピ州ジョーンズ郡出身の白人農民ニュートン・ナイト(マシュー・マコノヒー)は北軍に対する恨みはないが、兵役のため否応なく戦場に駆り出されていた。同じ隊の仲間から「奴隷を20人所有している農園の長男は兵役を免除される。40人所有していれば次男も免除される」という黒人20人法という新しい法律ができたことを知らされ、あまりの不平等さに怒りを覚える。そんなとき、ニュートンのまだ幼い甥っ子ダニエル(ジェイコブ・ロフランド)が新兵として戦場に送り込まれてきた。銃の扱い方も知らないまま最前線に立たされたダニエルは、北軍の銃弾を浴びてあっさりと戦死。我慢の臨界点を越えたニュートンは甥っ子の亡がらを実家に届けるため、無断で軍隊から離脱する。  故郷に帰ったニュートンが目にした光景は、戦場以上に酷い現実だった。男たちが戦場に送り込まれ、女や子どもしかいない村では南軍はやりたい放題だった。農民たちの収穫をことごとく搾取し、納められない者からは家財や家畜さえも奪い去ろうとしていた。あまりの横暴さにブチ切れたニュートンは、南軍の将校に銃口を向けて追い返してしまう。当然ながら、ニュートンは戦場からの脱走&反逆罪でお尋ね者に。黒人女性レイチェル(ググ・ンバータ=ロー)の案内で、ニュートンはミシシッピ州の奥地にある沼地へと身を潜める。そこは農園から逃げ出してきた黒人奴隷たちの隠れ場所だった。ニュートンは“梁山泊”よろしく沼地を拠点にして、黒人奴隷や逃亡兵たちと共に捜索隊との戦いを始めた。南軍の圧政に苦しめられていた村の女性や子どもたちもニュートン一派に加わり、反乱軍は勢いを増していく。ついにニュートンは白人と黒人を差別しない“ジョーンズ自由州”を立ち上げ、わずか500人の手勢ながら南軍100万人に対して反旗を翻す。
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沼地に逃げ込んだニュートン(マシュー・マコノヒー)は他の逃亡兵や奴隷たちを束ね、南軍に徹底抗戦することに。
 1864年にニュートンが旗を揚げた理想のコミュニティー“ジョーンズ自由州”は4原則を謳った。1)貧富の差は認めない。2)何人も他の者に命令してはならない。3)自分が作ったものを他者に搾取されることがあってはならない。4)誰しも同じ人間である。なぜなら皆2本足で歩いているから―という極めてシンプルなものだ。北軍を率いたリンカーン大統領による奴隷解放宣言は1863年に発布されたが、実際に黒人の参政権を認めた公民権法が成立したのは1875年になってからなので、ニュートンたちはいち早く平等社会の実現に取り組んだことになる。 『ダラス・バイヤーズクラブ』(13)や『インターステラー』(14)で現代に受け継がれた米国人のフロンティア魂を体現してみせたマシュー・マコノヒーだが、そんな彼を主演に起用した本作を製作したのはゲイリー・ロス監督。もともとは人気脚本家で、トム・ハンクスの出世作『ビッグ』(88)、トム・セレックが中日ドラゴンズに入団する『ミスター・ベースボール』(92)、ケビン・クライン主演の政治コメディ『デーヴ』(93)などの脚本を手掛けてきた。『ビッグ』では子どもの心を持ったまま大人になったトム・ハンクスが次々と画期的なオモチャを発明し、『ミスター・ベースボール』では侍のような日本の監督(高倉健)からチームプレイを学ぶことでダメ外人(トム・セレック)が野球選手として再起を果たす。『デーヴ』では米国大統領のそっくりさんが本職の大統領ができなかった善政を行なうことになる。  ゲイリー・ロス作品の特色は“米国人性善説”とでも言うべきヒューマニズムだ。監督作『カラー・オブ・ハート』(98)や『シービスケット』(03)にも、それは強く現われている。ティーン向けSF小説の映画化『ハンガー・ゲーム』(12)では、ジェニファー・ローレンスら10代の少年少女たちが独裁政権への逆襲を誓う。コメディタッチの作品から近年はシリアス色が強まってはいるが、ゲイリー・ロス作品の主人公たちは、時代と共に変化する社会情勢を受け入れながらも、自分の心の中のイノセントさを懸命に守り抜こうとする。監督デビュー作『カラー・オブ・ハート』の中に、高校生のトビー・マグワイアがマーク・トウェインの古典的名作『ハックルベリー・フィンの冒険』を暗誦するシーンがある。「ハックとジムは自由を求めて筏に乗ってミシシッピ川を下る。でも、2人は自分たちがすでに自由だったことに気づくんだ」とトビーはドヤ顔で語る。ホワイトトラッシュであるハックと黒人奴隷ジムとの友情談『ハックルベリー・フィンの冒険』と、黒人奴隷たちと蜂起するニュートンの戦いを描いた本作はミシシッピの地下水脈で繋がっている。
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黒人女性レイチェルと事実婚状態だったニュートンだが、故郷に残してきた本妻と息子も新居に迎え入れる。オープンな性格だった。
 南北戦争は1865年に北軍の勝利で終わるが、ニュートンたちの戦いはまだ終わらなかった。敗軍となった南軍の兵士たちは地元の南部に帰ってくるが、戦争に負けた憂さ晴らしのためにクー・クラックス・クラン(KKK)を結成。当初は白いシーツを頭から被って夜道で村人たちを脅かして楽しんでいた親睦会だったが、黒人に参政権が認められて白人の地位が低くなることが面白くない不平分子が次々と集まり、KKKは白人至上主義を唱える秘密結社として一大勢力となっていく。黒人のレイチェルを内縁の妻とし、共に戦った黒人たちの公民権運動に協力していたニュートンは、KKKにとっても目障りな存在だった。南北戦争後のニュートンは荒れ地の開墾に努めながら、KKKをはじめとする超保守勢力と戦うはめになる。  ニュートンたちの戦いは、さらに世代をまたいで続く。ニュートンとレイチェルの間に生まれた子孫は、黒人の血が混じっていることから南部の州法(ジム・クロウ法)で有色人種とみなされ、1960年代になっても白人との結婚が認められずにいた。ニュートンの子孫たちもまた、偏見まみれな南部の保守勢力との闘いを余儀なくされる。ニュートンは決して過去の人物ではない。人種差別も社会格差もない“ジョーンズ自由州”という理想郷は、短い期間だったが確かに実在した。そしてニュートンが掲げた旗は、今も自由な風を浴びてはためいている。 (文=長野辰次)
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『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』 製作・脚本・監督/ゲイリー・ロス  出演/マシュー・マコノヒー、ググ・ンバータ=ロー、マハーシャラ・アリ、ケリー・ラッセル 配給/キノフィルムズ 2月4日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー (c)2016 STX Financing, LLC. All Rights Reserved. http://newtonknight.jp/

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日活ロマンポルノは現代社会にどう蘇ったのか? 園子温が撮った極彩色の悪夢世界『アンチポルノ』

日活ロマンポルノは現代社会にどう蘇ったのか? 園子温が撮った極彩色の悪夢世界『アンチポルノ』の画像1
『アンチポルノ』で初ヌードに挑んだ冨手麻妙。「園子温監督作品に主演するのが目標だった」と堂々とした脱ぎっぷりを見せている。
『愛のむきだし』(09)でのブレーク以降、日本で最も忙しい映画監督となった園子温監督。2017年も正月から『新宿スワンII』(1月21日公開)と「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」の1本『アンチポルノ』(1月28日公開)が同時期に劇場公開される。相変わらずの売れっ子ぶりだが、どうやら我々が知っている園子温監督は2人存在するらしい。ひとりは『冷たい熱帯魚』(11)など従来の日本映画の枠組みをブチ壊す野心作を放つ♂園子温であり、もうひとりは現代社会の歪みを繊細に受け止めた『恋の罪』(11)や『ひそひそ星』(16)などのアート系の作品を得意とする♀園子温である。園子温はふたりいる、そう考えると園監督の多彩すぎるフィルモグラフィーはすっきりする。前作のヒットを受けて製作された『新宿スワンII』はさしずめアクション満載の男の子映画であり、初期の秀作『桂子ですけど』(97)などは典型的なガールズムービーだ。男女共に人気の高い『愛のむきだし』や『ヒミズ』(12)には男性視点と女性視点がせめぎあう複眼的な面白さがある。  AKB48の元研究生・冨手麻妙(とみて・あみ)を主演に抜擢した『アンチポルノ』は、完全に♀園子温作品だと言っていい。人気女流作家・京子(冨手麻妙)の華麗で刺激的な1日が、これまでになくカラフルなセットの中で描かれていく。宮崎萬純が主演した官能作『奇妙なサーカス』(05)と同じように、どこまでが現実なのか、それとも京子の妄想世界なのか分からない、メタフィクション的ストーリーが展開されていく。  園監督が日活から懇願された形で『アンチポルノ』を撮ったのは2015年の夏。国会が安保関連法案で大きく揺れた暑い季節だった。オシャレなアトリエに篭った京子は二日酔い状態の頭で新作小説の構想を練っているが、京子を崇拝するマネージャーの典子(筒井真理子)との関係性も、取材に訪れた女性誌の編集者やカメラマンたちの存在も、どこまでがリアルなのか虚構なのか、とても曖昧で現実味が感じられない。この国の政治もマスコミも文化も、どこまでが本気で、どこからが茶番なのか。み~んなクソ野郎だ。そんな苛立ちや不安感がスムージーのように撹拌され、極彩色の悪夢ワールドが誕生する。アイドルもSEXも、そして作家としての才能も、すべて消費し尽くそうとする現代社会への怒りを、園監督は京子の裸体を使って吐露していく。撮影段階では国会議事堂前のデモ行進に京子が加わるシーンもあったそうだ。『自殺サークル』(02)を観て以来、園監督の大ファンだという冨手と園監督の心の中にいる♀園子温とのシンクロぶりを楽しみたい。
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『牝猫たち』より、デリヘルで働く女たち。派遣型風俗は元手が掛からず、新規参加しやすいいビジネスだ。
 今回の「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」に参加した5人の実力派監督たちの中で、最も若い白石和彌監督の『牝猫たち』(現在公開中)も見逃せない好編となっている。プログラムピクチャーとしての日活ロマンポルノをリアルタイムでは体感していない1974年生まれの白石監督だが、ピンク映画界で問題作を連発した若松孝二監督の弟子だったことで知られる。性事情や犯罪を絡め、社会の底辺で生きる人々をリアルに活写する作風は、師匠譲り。また、『牝猫たち』はロマンポルノの巨匠・田中登監督の『牝猫たちの夜』(72)へのオマージュ作ともなっている。田中監督はロマンポルノ史に残る名作『(秘)色情めす市場』(74)や『人妻集団暴行致死事件』(78)に加え、実録犯罪映画の金字塔『丑三つの村』(83)も残している。若松孝二や田中登といった大監督の系譜を受け継ごうという、白石監督の意欲が『牝猫たち』には感じられる。  洗練さからは遠い街・池袋を舞台にした『牝猫たち』は、デリヘルに勤める3人の女たち、雅子(井端珠里)、結依(真上さつき)、里枝(美知枝)の物語だ。追加料金を支払えば、本番サービスもしている違法風俗だが、3人がデリヘルに勤める理由はそれぞれ異なる。子持ちの結依は手っ取り早く食べていくため、人妻である里枝は夫以外の男性との繋がりを求め、そして住所不定の雅子は居場所を提供してくれる一夜限りの相手を探している。キャバクラだと客との会話に神経をすり減らすが、デリヘルなら無駄話はそこそこに男の下半身を気持ちよくさせれば、とりあえず喜んでもらえ、対価を受け取ることができる。この分かりやすさが、雅子たちには心地よかった。犯罪と地続きなグレーゾーンの世界に生きる雅子たちだが、どこか自分のすぐ隣りにいそうなとても身近な存在に思える。男たちがネット上のアクセス数に一喜一憂しているのに対し、肌で感じる痛みや喜びに忠実な彼女たちの生き方は、野良猫のようではあるがどこか羨ましくもある。  ロマンポルノに初挑戦した5人の監督たちの中で、いちばんロマンポルノに縁の深いのが中田秀夫監督。中田監督は「にっかつ撮影所」出身で、SM映画の名手・小沼勝監督の助監督も経験している。『ホワイトリリー』(2月11日公開)は中田監督にとって、30年ごしとなる念願のロマンポルノ監督デビュー作だ。『仮面ライダーW』(テレビ朝日系)で人気アイドル・園咲若菜を演じた飛鳥凛を主演に起用し、往年のロマンポルノファンも満足させる出来映えとなっている。
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飛鳥凛の柔肌が眩しい『ホワイトリリー』。陶芸家として生きる師弟の禁断の世界が妖艶に描かれる。
 タイトルから察せられるように、『ホワイトリリー』は妖艶なレズビアン世界を描いたもの。人気陶芸家・登紀子(山口香織)の自宅兼アトリエに、弟子のはるか(飛鳥凛)は住み込むで働いている。男癖の悪い登紀子は夜な夜な自分の寝室に男を呼び込むが、男のイチモツだけでは満足できない。息を潜めて登紀子の寝室の様子をうかがっているはるかの部屋を夜更けに訪ねては、男では満足できなかった肉欲を、はるかに奉仕させることで解消させている。はるかはそんな生活に喜びを感じていた。だが、登紀子が知り合いの陶芸家の息子・悟(町井祥真)を呼び寄せ、3人での同居生活を始めたことから、はるかにとっての楽園生活は終わりを迎えることに。 『女優霊』(96)や『リング』(98)などのホラー映画をヒットさせてきた中田監督だけに、登紀子たちが暮らす郊外の一軒屋が舞台ながら、とてもメリハリのある演出となっている。夜更けにはるかの部屋のドアが開き、全裸の登紀子が現われるシーンは、『リング』の貞子がテレビの中から這いずり出てくるシーンと同じくらいのインパクトがある。男性経験のないはるかに悟とSEXするよう登紀子が強要するシーンの異様な緊迫感は、すでに円熟のエロ演出である。  低予算ながら、実力派監督たちがオリジナル作品で競い合った「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」。日活ロマンポルノ誕生50周年を迎える2021年までは、少なくとも継続されていきそうだ。この国の性と性文化はこれからどう変わっていくのか。そして、新しいロマンポルノは何を映し出していくのだろうか。 (文=長野辰次)
日活ロマンポルノは現代社会にどう蘇ったのか? 園子温が撮った極彩色の悪夢世界『アンチポルノ』の画像4
『アンチポルノ』 監督・脚本/園子温 撮影/伊藤麻樹  出演/冨手麻妙、筒井真理子、不二子、小谷早弥花、吉牟田眞奈、麻美、下村愛、福田愛美、貴山侑哉、長谷川大、池田ひらり、沙紀、小橋秀行、河屋秀俊、坂東工、内野智  配給/日活 R18+ 1月28日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開 (c)2016 日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot/antiporno
日活ロマンポルノは現代社会にどう蘇ったのか? 園子温が撮った極彩色の悪夢世界『アンチポルノ』の画像5
『牝猫たち』 監督・脚本/白石和彌 撮影/灰原隆裕  出演/井端珠里、真上さつき、美知枝、音尾琢真、郭智博、村田秀亮(とろサーモン)、吉澤健、白川和子、松永拓野、吉村界人、米村亮太朗、ウダタカキ、野中隆光、山咲美花、天馬ハル、久保田和靖(とろサーモン) 配給/日活 R18+ 新宿武蔵野館ほか全国順次公開中 (c)2016 日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot/felines
日活ロマンポルノは現代社会にどう蘇ったのか? 園子温が撮った極彩色の悪夢世界『アンチポルノ』の画像6
『ホワイトリリー』 監督/中田秀夫 脚本/加藤淳也、三宅隆太 撮影/近藤龍人 出演/飛鳥凛、山口香緒里、町井祥真、西川カナコ、三上市朗、鎌倉太郎、伊藤こうこ、榎本由希、松山尚子、はやしだみき 配給/日活 R18+ 2月11日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開 (c)2016 日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot/whitelily

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北朝鮮は“トゥルーマン・ショー”国家だった!? 演出だらけの日常生活『太陽の下で 真実の北朝鮮』

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北朝鮮ではエリートコースである北朝鮮少年団への入団が決まったジンミちゃん。撮影期間中、明るく利発な少女を演じ続けた。
 ジム・キャリー主演のコメディ映画『トゥルーマン・ショー』(98)を覚えているだろうか。気のいい保険のセールスマン・トゥルーマンの暮らしている自宅や街は、実はすべてドラマセットであって、彼の日常生活は密かにテレビ中継されているというもの。この『トゥルーマン・ショー』にそっくりなドキュメンタリー映画が、『太陽の下で 真実の北朝鮮』(チェコ=ロシア=ドイツ=ラトビア=北朝鮮合作)。ロシアの著名なドキュメンタリー監督ヴィタリー・マンスキーは北朝鮮を訪ね、平壌でごく普通に暮らす家族の日常生活を1年間にわたって密着取材しようとしたのだが、北朝鮮側があらかじめ撮影ポイントを決め、カメラに映る人々が口にする会話もすべて脚本として用意された上で、“最高の国・北朝鮮のごく普通の家族”を撮るはめになってしまった。だが、マンスキー監督はただでは転ばない。北朝鮮側の監督がちょくちょくカメラフレームに入ってきて「そこはもっと笑って」「明るく元気に」と演出し、リテイクを繰り返している様子を盗み撮りすることに成功。ごく普通の家族の日常を撮るために、様々な演出が施されている様子が映り込んだ、おかしなドキュメンタリー映画 『太陽の下で』はこうして誕生した。来日したマンスキー監督に撮影現場の状況について聞いた。  本作の主人公となるのは、8歳になるジンミちゃん。丸顔でツインテールの三つ編みがかわいらしい女の子だ。冒頭、真新しいジャケットを着込んだジンミちゃんはバスに乗って、学校に向かう。クラスにいる同級生の女の子たちもかわいいい子ばかりで、鼻水を垂らしているような貧乏くさい子はおらず、みんな行儀よく授業に耳を傾けている。先生も若い女性で、なかなかの美人さんだが、この先生の歴史の授業が強烈だ。「金日成大元帥さまは子どもの頃から、日本人と地主を憎んでおられました」「遊び浮かれている日本人に万景峰から大きな石を投げつけ、追い返しました」と抗日運動と神話化された建国の歴史をごっちゃにして、イノセントな少女たちに叩き込む。女の子たちが元気よく暗誦できるようになるまで、何度も何度も繰り返す。幼い頃から反日思想を徹底的に教え込む、北朝鮮の学校教育の恐ろしさを序盤からまざまざと見せつけられる。 マンスキー監督「ひとりの純真な女の子が、社会主義国家で生まれ育ち、どのようにして社会の一員になっていくかを追ったドキュメンタリーを撮りたいと考えていたんです。つまり、北朝鮮で有名なマスゲームのひとコマになっていく過程を追うことで、社会主義とは何かを考えさせる作品にしたかったのです。北朝鮮側に企画書を送り、2年ごしで撮影許可をもらい、平壌で撮影を始めたのですが、映画スタッフという名目で監視役が私にずっと張り付いた形で、自由に撮ることはいっさいできませんでした。誰を主人公にするかだけは私に委ねられていたので、ジンミという少女は父親がジャーナリストだというので、彼女の一家を取材することにしたのです。ジャーナリストなら、いろんな場所を見ることができるに違いないと。ところが撮影が始まると、ジンミの父親はジャーナリストではなく、縫製工場のエンジニアに変わっていました。母親はレストラン勤務だったのですが、やはり豆乳工場勤務に変わっていました。撮影初日から自分が撮りたいものを撮ることは無理だと分かり、4~5日目から今回のようなスタイルの作品にすることを決心したんです」
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ジンミちゃん一家が暮らしているマンション。窓から主体思想塔が眺められる平壌で最高級の物件だ。
 両親の職業が北朝鮮当局の都合で変えられてしまうわけだから、まともなドキュメンタリーになるはずもなかった。ジンミちゃんのお父さんは自分の勤務先となった工場に赴き、そこで働いている女性労働者に何を作っている工場なのかを尋ねている様子もカメラは収めている。ジンミちゃん一家は広々としたこぎれいなマンションで暮らしているが、これも撮影用に用意されたものだった。 マンスキー監督「家族がこのマンションで暮らしていないことは明白でした。戸棚をこっそり開けてみると、食器がひとつも置いてありません。バスルームを覗くと、歯ブラシが1本もない状態でした。生活感がまるでないマンションで、撮影用のものだなと、すぐに気づきました。ジンミとあの父親、母親は確かに遺伝子的には家族なのかもしれません。でも、本当の家族と言えるのか、私は疑問に感じます。撮影期間中、ジンミ以外の家族に出会ったのは1日だけでした。金日成の誕生日を祝う祝日で、その日だけは家族が集まって、金日成・金正日親子の記念碑の前で家族写真を撮っていたんです。写真を撮っているときの家族たちがどんな表情をしているかを、じっくりご覧になってください。これは私の推測ですが、多くの家族は普段はバラバラに暮らしているようでした。父親は軍隊の兵舎、母親は工場のプレハブ小屋、子どもは学校の寮で暮らしているようです。工場の生産性や勉強をはかどらせるためなのかもしれませんが、私にはなぜそこまでやるのか理解できません。休み時間、校庭で遊んでいる子どもを見ることもありませんでした。ロシアから来た監督のドキュメンタリーの撮影のため、 撮影期間中だけ幸せな家族を演じさせる。これは二重の意味での国家による暴力ではないでしょうか」 “在日二世”である梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督のドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(06)では家族向けのプレイベートビデオの中に、梁監督の兄たち一家が暮らす平壌のリアルな現状が映し出され、そのことから梁監督は北朝鮮へは入国禁止処分となった。マンスキー監督も盗み撮りしていることがバレたら、いちばん軽くて国外退去処分、最悪身の危険も覚悟したらしい。そんなリスクを冒して撮影した映像には北朝鮮側の監督が演出する姿が度々入り込んでいるが、ジンミちゃんが北朝鮮少年団に入団するくだりは現実のもの。少年団に入れる子どもはごく少数で、ジンミちゃんはエリートコースをこれから歩もうとしていることが分かる。入団式で赤いマフラーとバッジを渡され、うれしそうなジンミちゃん。その後、全身勲章だらけの偉い老将軍が入団のお祝いの言葉を述べるが、朝鮮戦争で米軍機を撃墜した自慢話を延々と続けるので、子どもたちは睡魔に負けないように懸命に堪えている仕草が何ともいじらしい(子どもたちにしてみれば命懸け)。また、金日成の誕生日を祝う“太陽節”で披露する踊りをジンミちゃんは学び始めるが、舞踏の先生が厳しすぎ(というか性格がすご く陰険)、ジンミちゃんは多分人生初の挫折を味わい、涙を流すシーンも撮られている。嘘だらけのドキュメンタリーの中に、いくつかの真実が浮かび上がる。 マンスキー監督「撮った映像はデータ化して、すぐに安全な場所に送信しました。北朝鮮側にはNGシーンをカットした後の映像を見せるようにしていました。彼らはロシアも自由のない国で、私のこともプロパガンダ映画を撮っている自分たちと似た立場の人間なのだろうと思っていたようです。とはいえ、ホテルの部屋にはカバンやカメラを置かず、いつも持ち歩くようにしました。ちょっとでも目を離すと、中をチェックされてしまうからです。確かにロシアもソ連時代、スターリンによる独裁政権下では悲惨な状況でしたが、それでも今の北朝鮮ほどではなかったはずです。なぜなら、スターリン時代には優れた作家、音楽家たちが自由を求めた素晴しい作品を残しています。でも、今の北朝鮮にはそのような芸術家がいるように思えません。私が泊まっていたホテルの前の劇場では、抗日運動を題材にしたプロパガンダミュージカル『血の海』しか上演されていませんでした。私が当初考えていた内容とはまるで違うドキュメンタリーになりましたが、これをご覧になった方の心に何か感じるものがあれば幸いです」  純真無垢そうな瞳をキラキラさせていたジンミちゃんだが、少年団に入団を果たし、体制の一員となっていくことを予感させる形でこのドキュメンタリーは終わりを告げる。ラストカットで、ジンミちゃんがこぼす涙がひどく印象的だ。無事に入団式を終えた安堵感からなのか、それともイノセントな少女時代がすでに終わったことを本能的に察知したのか、ポロポロと大粒の涙を流す。ジンミちゃんがカメラの前で泣き出したことに慌てた北朝鮮側の監督が「楽しいことを考えてごらん」「好きな詩を言ってごらん」といってなだめる。しばらくして、ジンミちゃんは泣くのを止め、「チュチェ革命を受け継ぎ、強く生きることを少年団として固く決意します」とカメラに向かって答える。どこまでがリアル(本音)で、どこからがフェイク(演技)なのだろうか。そして、このボーダーラインが消える日は、いつか来るのだろうか。 (文=長野辰次)
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『太陽の下で 真実の北朝鮮』 監督・脚本/ヴィタリー・マンスキー 撮影/アレクサンドラ・イヴァノヴァ  編集/アオドレイ・ペパルヌィ 音楽/カルリス・アウザンス プロデューサー/ナタリア・マンスカヤ 出演/リ・ジンミ  配給/ハーク 1月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国ロードショー http://taiyouno-shitade.com

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