カメラマンは法を犯してもかまわない!? 国家の暗部を暴く男の情念『ニッポンの噓』

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フォトジャーナリストの福島菊次郎さん。ピカドン、学生運動、自衛隊、
軍需産業、三里塚闘争、水俣病、祝島……とカメラで真実を写し出してきた。
 “カメラマンは法を犯してもかまわないんです。問題自体が法を犯しており、それを暴くためならば”。ジャーナリストのあるべき姿を簡潔な言葉で表現してみせたのは、現在90歳となる報道カメラマンの福島菊次郎だ。この言葉はとてつもなく説得力がある。1967年、菊次郎は「撮った写真はすべて検閲を受ける。許可を得た写真のみ雑誌に掲載する」という約束を防衛庁と交わし、自衛隊と兵器産業の内部を3年間にわたって取材撮影する。自衛隊の軍事演習の様子だけでなく、国内の大企業で戦車、潜水艦、ミサイル、戦闘機が製造される過程まで撮影した。菊次郎は予め「撮影禁止場所」を指定してもらい、その区域を重点的に隠し撮り、盗み撮りした。後に写真集『迫る危機 自衛隊と兵器産業を告発する!』(現代書館)として刊行されるこれらのスクープ写真を“武器よさらば”というタイトルで雑誌に掲載する。もちろん事前検閲という約束を反故しての行為だ。雑誌の発売前に防衛庁広報室に呼び出された菊次郎は、雑誌の青焼きを手にした広報課長から「貴様、騙しやがったな」と責められるが、当の本人は平然と言い放つ。「憲法を破って、国民を騙しているのはあなたたちでしょう?」と。写真集が発刊された1970年、菊次郎は暴漢に襲われ、鼻骨骨折。数日後には不審火で自宅を焼かれてしまう。それでも菊次郎はシャッターを押し続ける。ドキュメンタリー映画『ニッポンの噓 報道写真家・福島菊次郎90歳』はカメラを武器にたった1人で日本国を相手に戦い続けている男の記録だ。
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愛犬ロクと共に朝食を摂る福島菊次郎さん。
生活保護を受け取ることを拒否し、男手で
育てた子どもたちからの援助も断って一人
で暮らしている。
 狙撃手が放つ銃弾のように、福島菊次郎がその人生を賭けてシャッターを押してきたモノクロ写真の1枚1枚が見る者の網膜に突き刺さる。菊次郎の最初の被写体となった広島の被爆者である中村杉松さんの太ももには、原爆症の苦しみを一瞬でも忘れたいがために押し付けた刃物の傷跡が幾重にも刻まれている。怒りと苦しみと絶望の年輪だ。『戦場からの報告 三里塚・終わりなきたたかい』(社会評論社)では機動隊と対峙する学生たちが竹槍で武装し、メラメラと殺気が立ち上っている。国内の軍需工場では最新鋭の戦闘機の前で若い作業員たちが自慢げな笑顔を見せている。菊次郎の撮った写真は、戦後日本の平和がいかに“噓っぱち”だったかを訴えている。狙撃手と菊次郎が違うとすれば、狙撃手は安全な場所から標的を狙うのに対し、菊次郎は確実に被写体を自分のものにするために危険を冒して相手に近づくことだろう。福島菊次郎の写真は尋常ならざるほどの至近距離から接写されている。当然だが、これらの写真を撮り上げた菊次郎が費やした気力、体力、精力も生半可なものではなかったはずだ。現在は山口県柳井市のアパートで愛犬ロクと穏やかな自炊生活を送る菊次郎だが、それでもカメラを手にすると表情が豹変する。とても90歳と思えない俊敏な足取りで被写体に迫っていく。  それにしても、福島菊次郎の枯れることにないカメラマンとしての情熱、使命感はどのようにして生まれ、育まれたのか。本作は菊次郎のカメラマンとしてルーツを辿っていく。1921年(大正10年)に山口県で生まれた菊次郎は第二次世界大戦中、広島の輸送部隊に配属されるが、1945年8月1日に宮崎県に移動。このとき菊次郎たちの部隊に命じられたのは、来る本土決戦用の突撃訓練だった。軍事訓練といっても銃も手榴弾も何ひとつない有り様だった。2012年4月に100歳で亡くなった新藤兼人監督の軍隊時代の体験をドキュメンタリー化した『陸に上がった軍艦』(07)で木箱を組み合わせて作った模造戦車に向かって突撃するシーンが再現されていたが、菊次郎も同じような訓練をさせられていたようだ。広島出身の新藤監督も、菊次郎もこのバカげた訓練に従事していたことで、広島での被爆を免れた。命拾いした新藤監督は『原爆の子』(52)から遺作『一枚のハガキ』(11)に至るまで戦争の不条理さを生涯訴え続ける。新藤監督が『原爆の子』を製作していた同時期、菊次郎は戦後の広島で被写体を探してさまよい歩き、おのれの生涯を大きく変えることになる漁師・中村杉松さん一家と知り合う。
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三里塚闘争では成田空港建設反対を訴える地元農民たちを支援する
学生たちが団結。3,500人の機動隊に立ち向かった。(c)福島菊次郎
 広島市江波町で被爆した中村さんは漁に出ることができず、原爆症と貧困に苦しんでいた。奥さんの懸命な看護のお陰で一命を取り留めた中村さんだったが、奥さんは残留放射能を浴び、6人の子を残して亡くなったばかりだった。被写体を探していたはずの菊次郎だったが、中村さんの家に土足同然で上がり込んで、中村さんがもがき苦しむ様子にカメラを向けることができずにいた。シャッターを押すことができないまま、中村さんの家に通い続けていた菊次郎は、ある日、中村さんから懇願される。「仇を討ってほしい。ピカに出会って、このざまだ。ワシの写真を撮って、世界中の人に見せてほしい」。意を決した菊次郎は、10年間にわたって中村さん一家の様子を赤裸々に撮り続けた。1960年に写真集『ピカドン ある原爆被災者の記録』(東京中日新聞)を発表し、菊次郎はプロのフォトジャーナリストとしてデビューを果たす。社会に対する怒りと憎しみの炎、そして生への渇望の中から、カメラマン福島菊次郎は誕生したのだった。  福島菊次郎が手にしたカメラは、持ち主の生き様に感応して特殊な能力を発揮する。権力者がいくら巧みに噓を並べても、真実だけを浮かび上がらせる。菊次郎によると広島の平和記念公園も“平和記念都市”という呼び名も、すべて噓なのだそうだ。それらは日本の戦争責任を欺くための巨大な噓なのだという。そして、菊次郎は福島原発事故でも権力者たちはまた噓をついて国民を欺こうとしていると指摘する。この国の噓を暴け。菊次郎のカメラは、持ち主をまだ休ませようとはしない。
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近代科学の粋を集めた最新鋭戦闘機を製造する工場。
自衛隊および軍需産業の内部を撮った写真は
国内外で大きな波紋を呼んだ。(c)福島菊次郎
 「これが最後の仕事」と称して、菊次郎は2011年9月の反原発集会、さらには福島の被災地へと向かう。90歳となる彼のモノクロ写真は、今なお見る者の網膜に突き刺さる。被災地の瓦礫の山が、広島の記憶と繋がっていく。撮影旅行を終えた菊次郎は山口の自宅へ向かう帰路、途中下車する。自分をこの世界に導いてくれた恩人に逢うためだ。1967年に亡くなった中村杉松さんの墓の前で、菊次郎は嗚咽する。中村さんのお陰でプロのカメラマンになることはできたが、本当に中村さんの“仇”を討つことはできたのかと自問する。  最後にもうひとつ、福島菊次郎が本作で語っている印象的な言葉を紹介したい。「カメラの中立性なんてない。中立的な立ち場でしか撮らないから、いい写真もいいドキュメントもできない。それは、撮る人にとっては楽なわけ。危ないところなんかに入らないし。でも、それでは報道はできない」。  権力者の噓を見破り、それを暴け。そして、みんなに知らせろ。福島菊次郎のメッセージに応えられる人間は、この国にどれだけいるだろうか。 (文=長野辰次) 『ニッポンの噓 報道写真家・福島菊次郎90歳』 監督/長谷川三郎 撮影/山崎裕 プロデューサー/橋本佳子、山崎裕 朗読/大杉蓮 配給/ビターズ・エンド 8月4日(土)より銀座シネパトス、新宿K’s cinema、広島八丁座ほか全国順次ロードショー ※8月4日は銀座シネパトスにて田原総一郎と堤未果とのトークショーあり(12:15の回上映終了後)。 <http://www.bitters.co.jp/nipponnouso> (c)2012『ニッポンの噓 報道写真家・福島菊次郎90歳』製作委員会 ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第181回]“学校”という名の密室ではびこる児童虐待の事実! 子どもたちは教師を訴える『トガニ 幼き瞳の告発』 [第180回]“神様”との出会いと別れ、そして旅からの帰還  ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』 [第179回]親友=お金を貸してくれる、女友達=SEXさせてくれる!? 品性お下劣男の青春『苦役列車』 [第178回]“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界 [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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“学校”という名の密室ではびこる児童虐待の事実! 子どもたちは教師を訴える『トガニ 幼き瞳の告発』

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実在の事件を題材にした『トガニ 幼き瞳の告発』。
虐待の事実を知った新米教師のカン(コン・ユ)は
自分が勤める職場を訴えることを決意する。
 子どもたちにとって学校は教育の場ではなく、暴力と欲望が渦巻く、金魚鉢のように逃げ場のない空間だった。映画『トガニ 幼き瞳の告発』は韓国・光州市で実際に起きた教職員による児童への性的虐待事件を題材にした社会派サスペンスだ。聴覚障害者学校で複数の生徒へ性的暴行が長年ふるわれていたことが2005年に明るみになった。同校に勤務する教職員による内部告発がきっかけだった。2011年9月に韓国で本作は公開され、460万人以上を動員するほどの大反響に。映画が放つ熱気が観客に伝播し、韓国の司法・国会を突き動かす。事件の再調査が行なわれ、また13歳未満の児童への性暴力犯罪の処罰に関する改定法が“トガニ法”と名付けられ立法化された。執行猶予処分で済まされた問題の教職員が復職していた同校は校名の変更を申請していたが、2012年2月に廃校に追い込まれている。  映画の主人公は、見るからにお人好しそうな男カン・イノ(人気ドラマ『コーヒープリンス1号店』のコン・ユ)。カンは画家を目指していたが、芸術ではひとり娘を食べさせていくことができない。大学時代の恩師のコネを頼って、何とか全寮制の聴覚障害者学校「慈愛学園」の美術教師の職を得る。ヤル気満々で教壇に立ったカンだが、生徒たちの顔がみんなどんよりとしていて暗い。先輩教師のパク(キム・ミンサン)は「障害がある児童は、教師になかなか心を開いてくれない」と説明するが、どうも釈然としない。やがて、生徒たちが怯えていた醜悪なモンスターの正体をカンは知ることになる。  カンは自分の目を疑った。障害を持つ児童への“躾”という名目での体罰が尋常ではないのだ。パク教師は男子生徒ミンス(ペク・スンファン)に向かって「何で言うことを聞けない? どうして心を開かない?」と流血するまで殴り続ける。女子生徒のヨンドゥ(キム・ヒョンス)は生活指導の女性教師から、作動中の洗濯機の中へ顔を押しつけられている。世間の目から隔離された学園内では、過剰な体罰が日常化していたのだ。驚いたカンは、ぐったりしているヨンドゥを病院へ連れていく。学園関係者のいない病室でヨンドゥが筆談で語った内容は、カンにとって驚愕の事実だった。ヨンドゥや知的障害を持つユリ(チョン・インソ)ら複数の生徒は、校長をはじめとする教職員たちから性的暴行を受けているという。人権センターのソ・ユジン(チョン・ユミ)と相談したカンは、事件の全貌をマスコミに公表することを決意。ようやく見つけた職場をクビになる覚悟での決断だった。さらに闘いの場は法廷に移り、虐待を受け続けた生徒vs.学園側の全面抗争へと発展する。
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『コーヒープリンス1号店』の人気二枚目
俳優コン・ユ。2009年に出版された原作
小説を読み、映画化を働き掛けた。
 実在の事件を社会派エンターテイメントに仕立て、観客のエモーションを掻き立てさせる手練は、韓国映画は抜きん出たものがある。前半は“社会派ホラー”と称したくなるエログロシーンの連続だ。男子生徒ミンスはパク教師のホモハラの餌食となり、一緒に入浴することを迫られる。校長室ではいつもニコニコした温和な校長(チャン・ガン)が、放課後はニタニタした変態ロリコンオヤジと化す。校長室から逃げ出したヨンドゥを女子トイレへと追い詰めていく校長の笑顔が不気味すぎる。学校という密室的環境の中で、ターゲットにされた子どもたちはどこにも逃げ場がない。子役たちの熱演もさることながら、題材となった事件のおぞましさを伝えるために、ギリギリの描写に取り組んだスタッフの熱意もハンパない。  学園ホラーから一転して、後半は本格的法廷サスペンスに。カンは好奇の目にさらされることになる裁判に子どもたちを引っぱり出してしまったことを後悔するが、証言台に着く生徒たちの顔は知らない間に激変していた。それまでの怯えきった表情から、毅然とした顔つきに変わっていく。学校しか自分たちの生きる場所はないと思っていた子どもたちが、学校の外にも世界があることを知る。煮えたぎる血の池地獄のようだった学校を離れ、“生きた教育”に触れた子どもたちが輝き始める。例え裁判所はシビアな闘いの場であっても、自分たちがこれまで受けてきた虐待の全てを吐き出したい。明るい太陽の下で、自分の想いをちゃんと訴えたい。対等な立場で、自分をなぶりものにしてきたヤツらと最後まで闘い通してみせる。大人たちが驚くような記憶力と判断力で、子どもたちは暴力教師を糾弾していく。傍聴席では学園の卒業生たちが声にならない熱い声援を送っている。ちなみに、この場面でのエキストラには、実際の問題になった学校の卒業生たちが参加しているそうだ。
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本格的法廷サスペンスとなる後半。聴覚障害
を持つ女子生徒ヨンドゥ(キム・ヒョンス)
は判決を左右する“切り札”を握っていた。
 当然ながら、したたかな校長たちは様々な妨害工作を仕掛け、カンたちは正義とは大きく掛け離れた不条理な現実を思い知らされる。それでも子どもたちは、法廷で過ごしたわずかな期間に瞬く間に成長を遂げていく。子どもたちは学校の外には広い世界があることを知っただけでなく、その広い世界は自分たちにとって単純なユートピアではなく、やはり不条理さに満ち、違った形の暴力があることも学んでいく。そして、激しい怒声、罵声が飛び交うクライマックス。実際の事件の被害者となった児童たちの痛み、怒り、哀しみを主人公カンは全身に浴びたかのようにズブ濡れになる。  2009年に発刊されたノンフィクション小説『トガニ』をベースに映画化に取り組んだファン・ドンヒョク監督が来日。7月24日、都内で開かれたトークイベントで次のように語った。 「映画化の企画を聞き、原作小説を読んだのですが、それまでは事件のことを自分は知らなかったし、無関心でした。原作を読み、衝撃を受けました。でも、自分には映画化する自信がなく、一度は『他の監督に頼んでください』と断ったんです。その後、1か月経っても他の監督が決まっていなかった。それで引き受けることにしました。もし、これが被害者も加害者も亡くっているような昔の事件だったら映画にする意味はなかったと思います。テレビ報道され、小説にもなっているのに、まだこの事件のことを知らない人が自分も含めて多かったのです。映画化はこの事件のことを世に知らしめるための最後のチャンスだと思い、決断しました。関係者にはあえて取材はしていません。原作小説はしっかり取材した上で書かれたものですし、彼らに会うことであまりに事実を知りすぎると映画的演出に支障が出ると思ったからです。公開後に被害者の支援者から激励の言葉をもらいました。『自分たちが5~6年働き掛けても何もできなかったのに、映画が公開されて2~3か月で事件が再調査され、法律が改正され、学校の仕組みが改められた。うれしい反面、ホロ苦いものも感じた』と。韓国だけでなく、世界各地で同じような事件が起きていることを知ってください」  劇映画がきっかけとなり、その国の司法や立法まで動かしたという事実にも驚く。脚色はどこまで許されるのかという問題を伴うが、タブーを恐れない製作者の腹の括り方、キャストたちのリミット越えの熱演、観る者の心情を揺さぶる演出や音楽、それらの要素ががっちりと噛み合った映画は、時として尋常ならざるエネルギーを放つ。お隣・韓国と同じように、日本も密室だらけだ。学校、家庭、職場、政治、原発……。密室の扉を吹き飛ばす、パワーみなぎる映画が日本からも生まれればいいのに思う。 (文=長野辰次) togani_4.jpg 『トガニ 幼き瞳の告発』 原作/コン・ジュン 監督/ファン・ドンヒョク 出演/コン・ユ、チョン・ユミ 配給/CJ Entertainment Japan R18+ 8月4日(土)より渋谷シネマライズ、新宿武蔵野館ほか全国公開 <http://dogani.jp> (c)2011 CJE&M Corporation.All Rights Reserved ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第180回]“神様”との出会いと別れ、そして旅からの帰還  ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』 [第179回]親友=お金を貸してくれる、女友達=SEXさせてくれる!? 品性お下劣男の青春『苦役列車』 [第178回]“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界 [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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“神様”との出会いと別れ、そして旅からの帰還  ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』

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原宿育ちの杉井ギサブロー監督。雨の明治神宮を歩きながら、
自身のアニメ人生を振り返る。
 アニメ界の巨匠・杉井ギサブロー。東映動画時代に日本初の長編カラーアニメ『白蛇伝』(58)の製作現場に参加し、虫プロ移籍後には世界初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』(63~66)の作画・演出を担当。幻の『ルパン三世』パイロット版にも名前を連ねている。日本アニメの黎明期から活躍し、最新作『グスコーブドリの伝記』が現在公開中の現役バリバリの監督である。しかし、作家性を前面に押し出すことなく、娯楽作品を提供することに徹してきたため、長いキャリアとアニメ界への貢献度の割にはそのフィルモグラフィーがスポットライトを浴びる機会は少なかった。そんなアニメ界の偉人・ギサブローの半生をドキュメンタリーにまとめ上げたのが石岡正人監督。前作『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(10)では、アテナ映像時代の師匠である伝説のAV監督“ヨヨチュウ”こと代々木忠監督の波乱に満ちた足跡を記録している。ヨヨチュウに続いて、石岡監督が「年代を重ねた、かっこいい大人の男」としてクローズアップしたのがギサブローだった。ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』は至高のアニメ職人の意外な素顔、知られざる内面に迫っている。  1940年生まれのギサブロー監督は原宿育ちだ。戦後間もない原宿には米軍の宿舎が建てられ、最新のアメリカンコミックに触れるためにギサブローは米軍の敷地内で英字新聞の配達をしていた。雨の降る原宿・明治神宮の境内でビニール傘を手にしたギサブローが自身の少年期を振り返る。ギサブローが東映動画に入社したばかりのエピソードが楽しい。18歳になったギサブローは、念願叶って日本初のアニメスタジオ・東映動画に入社する。大好きなアニメーションの仕事ができることがうれしくて堪らない。毎朝早くに目が覚めてしまい、明治神宮をランニングして汗を流してから大泉学園にある東映動画に出社する。それでも、まだ誰も出社していない。新人時代のギサブローの上司となったのが、後にカリスマアニメーターとして知られることになる大塚康生だった。また、同僚だったりんたろうが当時のギサブローの印象をこう語る。「昼休みに女の子たちを集めてバトミントンをしていた。しょっちゅう遊んでた」と。新人時代からギサブローは大物の片鱗を見せていた。  東映動画では大塚康生の指導のもと、『白蛇伝』に動画マンとして参加したギサブローだが、やっと入社できたはずの東映動画をわずか3年で退職してしまう。宮崎駿、高畑勲ら錚々たる人材を輩出することになる東映動画の中で、新人時代のギサブローは動画マンとしては凡庸で、才能を発揮するには至らなかった。ギサブローは新天地を求め、“漫画の神様”手塚治虫が立ち上げたばかりの虫プロに移籍。『鉄腕アトム』のメーンスタッフとなっていく。このとき、ギサブローはショックを覚えた。手塚治虫がテレビアニメ用に考えたのが“リミッドアニメーション”というコマ数を省略した手法。東映動画ではディズニーアニメと同様の“フルアニメーション”を教わっていたギサブローの目にはひどく邪道に映った。ところが、完成した『鉄腕アトム』を観てさらに驚いた。コマ数が少ないものの、アトムは存分に暴れ回っていたのだ。従来の手法にとらわれることなかれ。その後のギサブローは『豆富小僧』(11)では3D立体アニメに挑むなど、時代や状況に応じた新しい作品づくりに挑んでいく。鉄腕アトムの目覚めは、ギサブローのアニメ職人としての覚醒が始まった瞬間でもあった。天才・手塚治虫と至高のアニメ職人・ギサブローは出会うべくして出会ったようだ。『鉄腕アトム』で大車輪の活躍を見せたギサブローは虫プロの子会社「アートフレッシュ」を後輩・出崎統らと設立し、『悟空の大冒険』(67)、『どろろ』(69)の総監督を務める。この頃、手塚治虫は「ギッちゃんみたいな人が、あと2人いてくれたらなぁ」とこぼしていたという。まさにギサブローは天才の片腕として機能していたのだ。
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ギサブローにとって師匠であった“漫画の
神様”手塚治虫(1928~1989)。ギサブロー
は手塚の作家性、革新性に強く影響を受けた。
 だが、天才と至高の職人は『どろろ』の製作時に衝突してしまう。アニメ版『どろろ』のバイオレンスシーンがあまりに生々しく、スポンサー側が難色を示していた。手塚治虫は現場を任せていたギサブローに方向修正するよう諭すが、逆にギサブローは手塚の世界観を守ろうとする。後にギサブローは大人向け劇場アニメ『千夜一夜物語』(69)でエロティズム漂う名シーンを担当する。“国民的人気漫画家”手塚治虫の作家性を支える重要な部分であるグロテスクさやエロティズムを、誰よりも忠実にアニメーション表現していたのがギサブローだった。虫プロ経営者としての顔も持つ手塚治虫と師匠の薫陶を受け、アニメーターとして真っすぐに突き進もうとするギサブローの衝突は避けがたいものだった。自分から離れていくギサブローを、手塚治虫はどんな気持ちで見ていたのだろうか。  アートフレッシュを退職したギサブローはグループ・タックの設立メンバーとなり、『ジャックと豆の木』(74)で劇場デビューを果たす。アニメーター1人ひとりがキャラクターを個別に作画するという画期的なスタイルで製作されたが、資金難からスタッフが脱落していくという師匠が舐めた苦渋を同じく味わうことになる。このときギサブロー35歳。仕事仲間に「かすみを喰って生きる」とうそぶき、長い長い放浪の旅に出る。ただし実際問題として“かすみ”を喰って生きていくことはできない。この空白期間にギサブローが手掛けたのは『まんが日本昔話』(75~94)のコンテづくりだった。東京に残した家族への生活費を送るために引き受けた仕事だったが、1話ごとに作画もテイストも変わるという『まんが日本昔話』の個性的なスタイルは、ギサブローにとって理想の形だったはずだ。
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最新作『グスコーブドリの伝記』を手塚プロ
で製作するギサブロー。旧知のスタッフと
手塚プロとの混成チームをギサブロー
は束ねる。
 空に浮かぶ雲を追うような放浪を続けたギサブローだったが、約10年に及ぶ旅の生活を経て第一線にカムバック。ここからギサブローの黄金時代が幕を開ける。あだち充原作の『ナイン』『タッチ』がテレビ版&劇場版ともに大ヒット。宮沢賢治原作の児童文学のアニメ化『銀河鉄道の夜』(85)は作品の評価と興行成績で成功を収める。ジョバンニ少年のあの世への旅と現実への帰還を幻想的に描いた『銀河鉄道の夜』はギサブローの代表作となった。世紀が変わり、ギサブローは再び宮沢賢治の児童文学を題材にした『グスコーブドリの伝記』のアニメ化に取り掛かる。ギサブロー69歳。だが、グループ・タックが倒産し製作中止寸前に追い込まれる。『グスコーブドリの伝記』は手塚プロダクションが製作を引き受けることに。師である手塚治虫はすでに亡くなっていたが、ギサブローは30数年ぶりに師・手塚治虫のもとに帰ってくることになった。  多くの人が涙した『グスコーブドリの伝記』の主人公ブドリの行動を“自己犠牲の精神”と簡単に語ってしまうことはできるが、ギサブローはそうではないと手塚プロに集まった新旧スタッフを前に説明する。火山の研究に情熱を注ぎ、冷害を防ぐために自分の身を献じるブドリを突き動かしたのは“欠落感”なのだという。  ブドリの生涯を“欠落感”という言葉で説明したということは、ギサブロー自身もまた心の中に“欠落感”を抱え込んでいるということではないのか。ギサブローにとっての欠落感とは何か。“漫画の神様”手塚治虫を師として仰ぐが、師を超えることはできないという諦観だろうか。初めての劇場公開作『ジャックと豆の木』でスタッフを繋ぎ止めることができなかった苦い思い出だろうか。それとも家族を置いて旅に出てしまったことに対する呵責の念か、自分にとっての安住の地がいまだ見つからないという浮遊感だろうか。  本作の中では、そのことには具体的には言及されない。ギサブロー本人や石岡監督に尋ねるのはヤボというものだろう。欠落感さえもエネルギーにして作品をつくり続けるギサブロー。彼の作品は、今なお新しく若々しい。 (文=長野辰次) gizaburo04.jpg 『アニメ師・杉井ギサブロー』 製作・監督・撮影・編集/石岡正人 音楽/渡辺崇 登場人物/杉井ギサブロー、大塚康生、手塚治虫、山本暎一、りんたろう、高橋良輔、明田川進、丸山正雄、伊藤叡、原正人、前田庸生、馬郡美保子、田代敦巳、藤田健、桜井宏、古川雅士、藤山房伸、江口摩吏介、李普螺、瀬谷新二、篠崎亨、ブンサダカ、阿部行夫、はしもとなおと  配給/マコトヤ 7月28日(土)より銀座シネパトス、京都みなみ会館ほか全国順次公開 <http://www.animeshi-movie.com> (c)2012「アニメ師・杉井ギサブロー」製作委員会(ゴールドビュー/京都精華大学/手塚プロダクション) ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第179回]親友=お金を貸してくれる、女友達=SEXさせてくれる!? 品性お下劣男の青春『苦役列車』 [第178回]“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界 [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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“神様”との出会いと別れ、そして旅からの帰還  ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』

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原宿育ちの杉井ギサブロー監督。雨の明治神宮を歩きながら、
自身のアニメ人生を振り返る。
 アニメ界の巨匠・杉井ギサブロー。東映動画時代に日本初の長編カラーアニメ『白蛇伝』(58)の製作現場に参加し、虫プロ移籍後には世界初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』(63~66)の作画・演出を担当。幻の『ルパン三世』パイロット版にも名前を連ねている。日本アニメの黎明期から活躍し、最新作『グスコーブドリの伝記』が現在公開中の現役バリバリの監督である。しかし、作家性を前面に押し出すことなく、娯楽作品を提供することに徹してきたため、長いキャリアとアニメ界への貢献度の割にはそのフィルモグラフィーがスポットライトを浴びる機会は少なかった。そんなアニメ界の偉人・ギサブローの半生をドキュメンタリーにまとめ上げたのが石岡正人監督。前作『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(10)では、アテナ映像時代の師匠である伝説のAV監督“ヨヨチュウ”こと代々木忠監督の波乱に満ちた足跡を記録している。ヨヨチュウに続いて、石岡監督が「年代を重ねた、かっこいい大人の男」としてクローズアップしたのがギサブローだった。ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』は至高のアニメ職人の意外な素顔、知られざる内面に迫っている。  1940年生まれのギサブロー監督は原宿育ちだ。戦後間もない原宿には米軍の宿舎が建てられ、最新のアメリカンコミックに触れるためにギサブローは米軍の敷地内で英字新聞の配達をしていた。雨の降る原宿・明治神宮の境内でビニール傘を手にしたギサブローが自身の少年期を振り返る。ギサブローが東映動画に入社したばかりのエピソードが楽しい。18歳になったギサブローは、念願叶って日本初のアニメスタジオ・東映動画に入社する。大好きなアニメーションの仕事ができることがうれしくて堪らない。毎朝早くに目が覚めてしまい、明治神宮をランニングして汗を流してから大泉学園にある東映動画に出社する。それでも、まだ誰も出社していない。新人時代のギサブローの上司となったのが、後にカリスマアニメーターとして知られることになる大塚康生だった。また、同僚だったりんたろうが当時のギサブローの印象をこう語る。「昼休みに女の子たちを集めてバトミントンをしていた。しょっちゅう遊んでた」と。新人時代からギサブローは大物の片鱗を見せていた。  東映動画では大塚康生の指導のもと、『白蛇伝』に動画マンとして参加したギサブローだが、やっと入社できたはずの東映動画をわずか3年で退職してしまう。宮崎駿、高畑勲ら錚々たる人材を輩出することになる東映動画の中で、新人時代のギサブローは動画マンとしては凡庸で、才能を発揮するには至らなかった。ギサブローは新天地を求め、“漫画の神様”手塚治虫が立ち上げたばかりの虫プロに移籍。『鉄腕アトム』のメーンスタッフとなっていく。このとき、ギサブローはショックを覚えた。手塚治虫がテレビアニメ用に考えたのが“リミッドアニメーション”というコマ数を省略した手法。東映動画ではディズニーアニメと同様の“フルアニメーション”を教わっていたギサブローの目にはひどく邪道に映った。ところが、完成した『鉄腕アトム』を観てさらに驚いた。コマ数が少ないものの、アトムは存分に暴れ回っていたのだ。従来の手法にとらわれることなかれ。その後のギサブローは『豆富小僧』(11)では3D立体アニメに挑むなど、時代や状況に応じた新しい作品づくりに挑んでいく。鉄腕アトムの目覚めは、ギサブローのアニメ職人としての覚醒が始まった瞬間でもあった。天才・手塚治虫と至高のアニメ職人・ギサブローは出会うべくして出会ったようだ。『鉄腕アトム』で大車輪の活躍を見せたギサブローは虫プロの子会社「アートフレッシュ」を後輩・出崎統らと設立し、『悟空の大冒険』(67)、『どろろ』(69)の総監督を務める。この頃、手塚治虫は「ギッちゃんみたいな人が、あと2人いてくれたらなぁ」とこぼしていたという。まさにギサブローは天才の片腕として機能していたのだ。
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ギサブローにとって師匠であった“漫画の
神様”手塚治虫(1928~1989)。ギサブロー
は手塚の作家性、革新性に強く影響を受けた。
 だが、天才と至高の職人は『どろろ』の製作時に衝突してしまう。アニメ版『どろろ』のバイオレンスシーンがあまりに生々しく、スポンサー側が難色を示していた。手塚治虫は現場を任せていたギサブローに方向修正するよう諭すが、逆にギサブローは手塚の世界観を守ろうとする。後にギサブローは大人向け劇場アニメ『千夜一夜物語』(69)でエロティズム漂う名シーンを担当する。“国民的人気漫画家”手塚治虫の作家性を支える重要な部分であるグロテスクさやエロティズムを、誰よりも忠実にアニメーション表現していたのがギサブローだった。虫プロ経営者としての顔も持つ手塚治虫と師匠の薫陶を受け、アニメーターとして真っすぐに突き進もうとするギサブローの衝突は避けがたいものだった。自分から離れていくギサブローを、手塚治虫はどんな気持ちで見ていたのだろうか。  アートフレッシュを退職したギサブローはグループ・タックの設立メンバーとなり、『ジャックと豆の木』(74)で劇場デビューを果たす。アニメーター1人ひとりがキャラクターを個別に作画するという画期的なスタイルで製作されたが、資金難からスタッフが脱落していくという師匠が舐めた苦渋を同じく味わうことになる。このときギサブロー35歳。仕事仲間に「かすみを喰って生きる」とうそぶき、長い長い放浪の旅に出る。ただし実際問題として“かすみ”を喰って生きていくことはできない。この空白期間にギサブローが手掛けたのは『まんが日本昔話』(75~94)のコンテづくりだった。東京に残した家族への生活費を送るために引き受けた仕事だったが、1話ごとに作画もテイストも変わるという『まんが日本昔話』の個性的なスタイルは、ギサブローにとって理想の形だったはずだ。
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最新作『グスコーブドリの伝記』を手塚プロ
で製作するギサブロー。旧知のスタッフと
手塚プロとの混成チームをギサブロー
は束ねる。
 空に浮かぶ雲を追うような放浪を続けたギサブローだったが、約10年に及ぶ旅の生活を経て第一線にカムバック。ここからギサブローの黄金時代が幕を開ける。あだち充原作の『ナイン』『タッチ』がテレビ版&劇場版ともに大ヒット。宮沢賢治原作の児童文学のアニメ化『銀河鉄道の夜』(85)は作品の評価と興行成績で成功を収める。ジョバンニ少年のあの世への旅と現実への帰還を幻想的に描いた『銀河鉄道の夜』はギサブローの代表作となった。世紀が変わり、ギサブローは再び宮沢賢治の児童文学を題材にした『グスコーブドリの伝記』のアニメ化に取り掛かる。ギサブロー69歳。だが、グループ・タックが倒産し製作中止寸前に追い込まれる。『グスコーブドリの伝記』は手塚プロダクションが製作を引き受けることに。師である手塚治虫はすでに亡くなっていたが、ギサブローは30数年ぶりに師・手塚治虫のもとに帰ってくることになった。  多くの人が涙した『グスコーブドリの伝記』の主人公ブドリの行動を“自己犠牲の精神”と簡単に語ってしまうことはできるが、ギサブローはそうではないと手塚プロに集まった新旧スタッフを前に説明する。火山の研究に情熱を注ぎ、冷害を防ぐために自分の身を献じるブドリを突き動かしたのは“欠落感”なのだという。  ブドリの生涯を“欠落感”という言葉で説明したということは、ギサブロー自身もまた心の中に“欠落感”を抱え込んでいるということではないのか。ギサブローにとっての欠落感とは何か。“漫画の神様”手塚治虫を師として仰ぐが、師を超えることはできないという諦観だろうか。初めての劇場公開作『ジャックと豆の木』でスタッフを繋ぎ止めることができなかった苦い思い出だろうか。それとも家族を置いて旅に出てしまったことに対する呵責の念か、自分にとっての安住の地がいまだ見つからないという浮遊感だろうか。  本作の中では、そのことには具体的には言及されない。ギサブロー本人や石岡監督に尋ねるのはヤボというものだろう。欠落感さえもエネルギーにして作品をつくり続けるギサブロー。彼の作品は、今なお新しく若々しい。 (文=長野辰次) gizaburo04.jpg 『アニメ師・杉井ギサブロー』 製作・監督・撮影・編集/石岡正人 音楽/渡辺崇 登場人物/杉井ギサブロー、大塚康生、手塚治虫、山本暎一、りんたろう、高橋良輔、明田川進、丸山正雄、伊藤叡、原正人、前田庸生、馬郡美保子、田代敦巳、藤田健、桜井宏、古川雅士、藤山房伸、江口摩吏介、李普螺、瀬谷新二、篠崎亨、ブンサダカ、阿部行夫、はしもとなおと  配給/マコトヤ 7月28日(土)より銀座シネパトス、京都みなみ会館ほか全国順次公開 <http://www.animeshi-movie.com> (c)2012「アニメ師・杉井ギサブロー」製作委員会(ゴールドビュー/京都精華大学/手塚プロダクション) ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第179回]親友=お金を貸してくれる、女友達=SEXさせてくれる!? 品性お下劣男の青春『苦役列車』 [第178回]“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界 [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! [第171回]自由社会に順応できない“脱北者”の過酷な現状 無垢なる季節との決別『ムサン日記 白い犬』 [第170回] 世界興収100億突破のSF大作『ロボット』はあらゆる既成概念を破壊する!! [第169回]“エンタの神さま”ツイ・ハークが大復活! B級映画マニアの心を焦がす『王朝の陰謀』 [第168回]人はお下劣な分だけ、強く優しくなれる!? 結婚を控えた女たちの本音『ブライズメイズ』 [第167回]行きすぎたシステム社会に警鐘を鳴らす“ユナボマー・マニフェスト”の映画化『モンスターズクラブ』 [第166回]祭りの終わりと新ステージの幕開け、3部作完結『サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 [第165回]すばらしき“コーマン野郎”の世界!『コーマン帝国』、愛と欲望の歴史 [第164回]懐かしき香り漂う、新感覚サスペンス 破滅へ突き進む男の悲劇『ドライヴ』 [第163回] 災害に備えた地下シェルターは必要? 心理ホラー『テイク・シェルター』 [第162回] 森田芳光監督の最終列車『僕達急行』人生は出会いと旅立ちのリフレイン! [第161回] 鬼才キム・ギドクの"多重人格ショー"セルフドキュメンタリー『アリラン』 [第160回]映画創成期に散った"殉教者"への聖歌 3D映画『ヒューゴの不思議な発明』 [第159回]これはホラー? それともコメディ? 勘違い女が爆走『ヤング≒アダルト』 [第158回] ピラミッドは古代からのメッセージ!? 歴史ミステリー『ピラミッドの謎』 [第157回] 韓国映画の名匠が明かす"創作の極意"イ・チャンドン監督『ポエトリー』 [第156回] ローカル局で"伝説となった男"の生涯『木村栄文レトロスペクティブ』 [第155回] 米国に半世紀も君臨した"影の大統領" FBI初代長官『J・エドガー』 [第154回]犯罪者たちに学ぶ"人心掌握術"の奨め『アニマル・キングダム』『預言者』 [第153回]"地獄"からの生還者・板尾創路の凄み 古典落語を過激に脚色『月光ノ仮面』 [第152回]早くも2012年ベスト1映画が登場!"代理殺人"を巡る恐怖『哀しき獣』 [第151回]父殺し、自分殺し、そして再生の物語 園子温流ラブストーリー『ヒミズ』 [第150回]米国お笑い横断旅行『宇宙人ポール』人間のちっぽけな悩みはETが解決! 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親友=お金を貸してくれる、女友達=SEXさせてくれる!? 品性お下劣男の青春『苦役列車』

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西村賢太の私小説『苦役列車』を山下敦弘監督が映画化。
貫多(森下未来)は想いを寄せる康子(前田敦子)に露骨に迫る。
金もなければ、ムードもなし。
 受賞直後のコメント「そろそろ風俗に行こうと思っていた。行かなくてよかった」で話題を呼んだ西村賢太の芥川賞受賞小説『苦役列車』が、山下敦弘監督によって映画化された。やはり、山下監督は『マイ・バック・ページ』(11)のインテリ青年よりも、『どんてん生活』(99)や『ばかのハコ船』(02)のようなどーしようもないダメ男を描くほうがイキイキしてくる。日雇い労働で日銭を稼ぎ、風俗に行くことを数少ない楽しみにしている主人公・北町貫多に『モテキ』(11)の森山未來。地方から上京してきたばかりで、都会への免疫がない日下部に若手演技派の高良健吾。貫多が惚れる古本屋の看板娘に前田敦子というキャスティングだ。汗あり、友情あり、そして汁ありの“王道”青春映画に仕上がっている。  大阪芸大出身の山下監督というと、大学時代からの盟友である人気脚本家・向井康介とのコンビで知られるが、今回はあえて定番となっている座組を変えて、ピンク映画界で活躍するいまおかしんじ監督が脚本を担当。この起用がうまくハマった。いまおか監督はデビュー作『彗星まち』(95)や林由美香主演の代表作『たまもの』(04)で青春時代の終わりを切なく描く一方、クリストファー・ドイルが撮影を担当した『おんなの河童』(11)や青春Hシリーズの一編『若きロッテちゃんの悩み』(11)などで独特のユーモアを漂わせている。原作者・西村賢太の若き日の姿である北町貫多の下品でお下劣などんぞこ生活が、いまおか流に脚色されることで青春の軽みや生きることのおかしみが加わったように思う。山下監督はいまおか監督より11歳年下だが、『たまもの』のトークイベントに呼ばれてから懇意となり、『苦役列車』で初めて一緒に仕事することになった。林由美香主演作を介して、2人の才人が出会ったというエピソードも、映画好きにはぐっと込み上げてくるものがあるではないか。  『苦役列車』の舞台は、日本がバブル期へと突入した1980年代後半の東京。でも、北町貫多(森山未來)はバブルとはまったく無関係の最下層の住人。小学生のとき、夜のワイドショー『ウィークエンダー』で父親が性犯罪を起こしたことが放映され、一家は夜逃げ&離散。中学を卒業した貫多は日雇い労働で汗を流し、稼いだバイト代は酒と風俗に消えていた。将来の夢も恋人もいない、味気ない毎日だ。そんな貫多に初めて親友と呼べる存在ができた。専門学校に通う日下部(高良健吾)とバイト先で仲良くなり、仕事帰りに一緒に飲みに行くようになる。気のいい日下部は、貫多が憧れている古本屋に勤めるバイト学生・康子(前田敦子)との仲介役を引き受け、口ベタな貫多は康子と“友達”になることに成功。灰色の日々を送っていた貫多の生活が、いっきにカラフルに色づき始める。
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友達のいなかった貫多だったが、バイト先で
同い年の専門学校生・日下部(高良健吾)と
仲良くなる。日下部はスポーツマンタイプ
のいいヤツ。
 貫多は自分の欲望にとことん忠実な男だ。最初の頃はそんな貫多のことを「気取りのない、真っ正直なヤツ」と好意的に感じていた日下部だが、家賃を滞納しまくった貫多が借金を申し込むあたりから次第にうんざりしてくる。康子とせっかく友達になれたにもかかわらず、貫多の頭の中には「女友達=セックスさせてくれる」という図式しか入っていない。性欲がみなぎった野獣のような貫多の表情に康子は怯える。自分に正直なのが貫多の数少ない長所なのだが、あまりに正直すぎるために貫多は社会生活において度々問題を引き起こす。貫多の青春は、まるでできそこないの線香花火のようにあっけなく終わる。  前田敦子演じる康子は映画版でのオリジナルキャラクターだが、マキタスポーツ演じるバイト先の同僚・高橋も原作では端役だったのが映画版ではかなり膨らんだキャラクターとなっている。人気ミュージシャンの思想模写で知られるマキタスポーツは40歳すぎてから売れ始めた、いわば“苦役列車芸人”。マキタスポーツの“所帯を持ち、芸人をしながらミュージシャン活動もする”というプロフィールがバイトしながら歌手を目指している高橋役にぴったりだったことから、オーディションなしで本作のキーパーソン役に抜擢された。  貫多よりかなり年上の高橋だが、この2人はひどく仲が悪い。休憩中に「お前ら、若いのに夢もないのか。オレは歌がうまいから、歌手になるぞ」と貫多と日下部に説教を垂れる高橋はうっとうしい存在だ。歌手になんか簡単になれるわけがない。夢を見れば、それだけ生きるのが虚しくなるだけだ。貫多にとっては、自分の将来の姿を見せつけられているようでムカムカする。高橋もまだ若くて人生のやり直しが可能な貫多に向かって、つい余計なひと言が言いたくなる。似た者同士でいがみ合ってしまうのだ。貫多にとって高橋は親友でもなければ尊敬できる先輩でもない。ただ、バイト先ですれ違っただけの関係。ところが意外にも高橋の存在が、無目的に生きていた貫多の人生に光を注ぐことになる。高橋自身も『小僧の神様』みたいに、そのことに気づいていない。人生を生きていく中で、家族、親友、恋人といった存在はもちろん大きいが、そうでない人たちの存在もけっこー大きいことを本作は教えてくれる。面白い人、つまんない人、面倒くさい人、いろんな人たちがいる中を、苦役列車は進んでいく。
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いつも自慢話か説教しかしない高橋(マキタス
ポーツ)のことが貫多は嫌い。でも、親しい
人には言えないことが、親しくない高橋には
言えてしまう。
 最後になったが、ヒロインである康子を演じた前田敦子について。AKB48卒業を心に秘め、かなり気合いを入れて本作に挑んだと思われる。でも、その気合いを入れてます感を感じさせないところが彼女の魅力なのだろう。寝たきりのおじいちゃんの下半身に溲瓶(しびん)をあてがうシーン、下着姿で冬の海に入るシーン、グチョグチョになりながらのキスシーン……。山下監督が用意したイジワルな難関を、まだピカピカの女優魂で挑んでいく。演技がうまいというのとは違うが、初めての山下組の撮影現場での、ちょこんとした身の置き方、控えめな佇まいが、地方から上京してきた康子のキャラクターと重なり、いい感じで作品に溶け込んでいる。  山下監督に女優・前田敦子の印象を聞いたところ、「つかみどころのない女の子。会う度に違った印象がある。できれば違う役でもう一本、彼女を撮ってみたい」と語っていた。山下監督の『リアリズムの宿』(03)では尾野真千子、『リンダ リンダ リンダ』(05)ではペ・ドゥナがやはりつかみどころのない不思議な女の子役で出演し、その後ブレイクを果たしている。山下監督のこの言葉は、AKBを離れて、彼女なりの“苦役列車”に乗り込む前田敦子にとって何よりもの餞別だろう。 (文=長野辰次) kueki_ressha4.jpg 『苦役列車』 原作/西村賢太 脚本/いまおかしんじ 監督/山下敦弘 出演/森山未來、高良健吾、前田敦子、マキタスポーツ、田口トモロヲ  R15 配給/東映 7月14日(土)より丸の内TOEI、新宿バルト9ほか全国ロードショー <http://www.kueki.jp> (c)2012「苦役列車」製作委員会 ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第178回]“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界 [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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親友=お金を貸してくれる、女友達=SEXさせてくれる!? 品性お下劣男の青春『苦役列車』

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西村健太の私小説『苦役列車』を山下敦弘監督が映画化。
貫多(森下未来)は想いを寄せる康子(前田敦子)に露骨に迫る。
金もなければ、ムードもなし。
 受賞直後のコメント「そろそろ風俗に行こうと思っていた。行かなくてよかった」で話題を呼んだ西村賢太の芥川賞受賞小説『苦役列車』が、山下敦弘監督によって映画化された。やはり、山下監督は『マイ・バック・ページ』(11)のインテリ青年よりも、『どんてん生活』(99)や『ばかのハコ船』(02)のようなどーしようもないダメ男を描くほうがイキイキしてくる。日雇い労働で日銭を稼ぎ、風俗に行くことを数少ない楽しみにしている主人公・北町貫多に『モテキ』(11)の森山未來。地方から上京してきたばかりで、都会への免疫がない日下部に若手演技派の高良健吾。貫多が惚れる古本屋の看板娘に前田敦子というキャスティングだ。汗あり、友情あり、そして汁ありの“王道”青春映画に仕上がっている。  大阪芸大出身の山下監督というと、大学時代からの盟友である人気脚本家・向井康介とのコンビで知られるが、今回はあえて定番となっている座組を変えて、ピンク映画界で活躍するいまおかしんじ監督が脚本を担当。この起用がうまくハマった。いまおか監督はデビュー作『彗星まち』(95)や林由美香主演の代表作『たまもの』(04)で青春時代の終わりを切なく描く一方、クリストファー・ドイルが撮影を担当した『おんなの河童』(11)や青春Hシリーズの一編『若きロッテちゃんの悩み』(11)などで独特のユーモアを漂わせている。原作者・西村賢太の若き日の姿である北町貫多の下品でお下劣などんぞこ生活が、いまおか流に脚色されることで青春の軽みや生きることのおかしみが加わったように思う。山下監督はいまおか監督より11歳年下だが、『たまもの』のトークイベントに呼ばれてから懇意となり、『苦役列車』で初めて一緒に仕事することになった。林由美香主演作を介して、2人の才人が出会ったというエピソードも、映画好きにはぐっと込み上げてくるものがあるではないか。  『苦役列車』の舞台は、日本がバブル期へと突入した1980年代後半の東京。でも、北町貫多(森山未來)はバブルとはまったく無関係の最下層の住人。小学生のとき、夜のワイドショー『ウィークエンダー』で父親が性犯罪を起こしたことが放映され、一家は夜逃げ&離散。中学を卒業した貫多は日雇い労働で汗を流し、稼いだバイト代は酒と風俗に消えていた。将来の夢も恋人もいない、味気ない毎日だ。そんな貫多に初めて親友と呼べる存在ができた。専門学校に通う日下部(高良健吾)とバイト先で仲良くなり、仕事帰りに一緒に飲みに行くようになる。気のいい日下部は、貫多が憧れている古本屋に勤めるバイト学生・康子(前田敦子)との仲介役を引き受け、口ベタな貫多は康子と“友達”になることに成功。灰色の日々を送っていた貫多の生活が、いっきにカラフルに色づき始める。
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友達のいなかった貫多だったが、バイト先で
同い年の専門学校生・日下部(高良健吾)と
仲良くなる。日下部はスポーツマンタイプ
のいいヤツ。
 貫多は自分の欲望にとことん忠実な男だ。最初の頃はそんな貫多のことを「気取りのない、真っ正直なヤツ」と好意的に感じていた日下部だが、家賃を滞納しまくった貫多が借金を申し込むあたりから次第にうんざりしてくる。康子とせっかく友達になれたにもかかわらず、貫多の頭の中には「女友達=セックスさせてくれる」という図式しか入っていない。性欲がみなぎった野獣のような貫多の表情に康子は怯える。自分に正直なのが貫多の数少ない長所なのだが、あまりに正直すぎるために貫多は社会生活において度々問題を引き起こす。貫多の青春は、まるで線香花火のようにあっけなく終わる。  前田敦子演じる康子は映画版でのオリジナルキャラクターだが、マキタスポーツ演じるバイト先の同僚・高橋も原作では端役だったのが映画版ではかなり膨らんだキャラクターとなっている。人気ミュージシャンの思想模写で知られるマキタスポーツは40歳すぎてから売れ始めた、いわば“苦役列車芸人”。マキタスポーツの“所帯を持ち、芸人をしながらミュージシャン活動もする”というプロフィールがバイトしながら歌手を目指している高橋役にぴったりだったことから、オーディションなしで本作のキーパーソン役に抜擢された。  貫多よりかなり年上の高橋だが、この2人はひどく仲が悪い。休憩中に「お前ら、若いのに夢もないのか。オレは歌がうまいから、歌手になるぞ」と貫多と日下部に説教を垂れる高橋はうっとうしい存在だ。歌手になんか簡単になれるわけがない。夢を見れば、それだけ生きるのが虚しくなるだけだ。貫多にとっては、自分の将来の姿を見せつけられているようでムカムカする。高橋もまだ若くて人生のやり直しが可能な貫多に向かって、つい余計なひと言が言いたくなる。似た者同士でいがみ合ってしまうのだ。貫多にとって高橋は親友でもなければ尊敬できる先輩でもない。ただ、バイト先ですれ違っただけの関係。ところが意外にも高橋の存在が、無目的に生きていた貫多の人生に光を注ぐことになる。高橋自身も『小僧の神様』みたいに、そのことに気づいていない。人生を生きていく中で、家族、親友、恋人といった存在はもちろん大きいが、そうでない人たちの存在もけっこー大きいことを本作は教えてくれる。面白い人、つまんない人、面倒くさい人、いろんな人たちがいる中を、苦役列車は進んでいく。
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いつも自慢話か説教しかしない高橋(マキタス
ポーツ)のことが貫多は嫌い。でも、親しい
人には言えないことが、親しくない高橋には
言えてしまう。
 最後になったが、ヒロインである康子を演じた前田敦子について。AKB48卒業を心に秘め、かなり気合いを入れて本作に挑んだと思われる。でも、その気合いを入れてます感を感じさせないところが彼女の魅力なのだろう。寝たきりのおじいちゃんの下半身に溲瓶(しびん)をあてがうシーン、下着姿で冬の海に入るシーン、グチョグチョになりながらのキスシーン……。山下監督が用意したイジワルな難関を、まだピカピカの女優魂で挑んでいく。演技がうまいというのとは違うが、初めての山下組の撮影現場での、ちょこんとした身の置き方、控えめな佇まいが、地方から上京してきた康子のキャラクターと重なり、いい感じで作品に溶け込んでいる。  山下監督に女優・前田敦子の印象を聞いたところ、「つかみどころのない女の子。会う度に違った印象がある。できれば違う役でもう一本、彼女を撮ってみたい」と語っていた。山下監督の『リアリズムの宿』(03)では尾野真千子、『リンダ リンダ リンダ』(05)ではペ・ドゥナがやはりつかみどころのない不思議な女の子役で出演し、その後ブレイクを果たしている。山下監督のこの言葉は、AKBを離れて、彼女なりの“苦役列車”に乗り込む前田敦子にとって何よりもの餞別だろう。 (文=長野辰次) kueki_ressha4.jpg 『苦役列車』 原作/西村賢太 脚本/いまおかしんじ 監督/山下敦弘 出演/森山未來、高良健吾、前田敦子、マキタスポーツ、田口トモロヲ  R15 配給/東映 7月14日(土)より丸の内TOEI、新宿バルト9ほか全国ロードショー <http://www.kueki.jp> (c)2012「苦役列車」製作委員会 ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第178回]“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界 [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! [第171回]自由社会に順応できない“脱北者”の過酷な現状 無垢なる季節との決別『ムサン日記 白い犬』 [第170回] 世界興収100億突破のSF大作『ロボット』はあらゆる既成概念を破壊する!! [第169回]“エンタの神さま”ツイ・ハークが大復活! B級映画マニアの心を焦がす『王朝の陰謀』 [第168回]人はお下劣な分だけ、強く優しくなれる!? 結婚を控えた女たちの本音『ブライズメイズ』 [第167回]行きすぎたシステム社会に警鐘を鳴らす“ユナボマー・マニフェスト”の映画化『モンスターズクラブ』 [第166回]祭りの終わりと新ステージの幕開け、3部作完結『サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 [第165回]すばらしき“コーマン野郎”の世界!『コーマン帝国』、愛と欲望の歴史 [第164回]懐かしき香り漂う、新感覚サスペンス 破滅へ突き進む男の悲劇『ドライヴ』 [第163回] 災害に備えた地下シェルターは必要? 心理ホラー『テイク・シェルター』 [第162回] 森田芳光監督の最終列車『僕達急行』人生は出会いと旅立ちのリフレイン! [第161回] 鬼才キム・ギドクの"多重人格ショー"セルフドキュメンタリー『アリラン』 [第160回]映画創成期に散った"殉教者"への聖歌 3D映画『ヒューゴの不思議な発明』 [第159回]これはホラー? それともコメディ? 勘違い女が爆走『ヤング≒アダルト』 [第158回] ピラミッドは古代からのメッセージ!? 歴史ミステリー『ピラミッドの謎』 [第157回] 韓国映画の名匠が明かす"創作の極意"イ・チャンドン監督『ポエトリー』 [第156回] ローカル局で"伝説となった男"の生涯『木村栄文レトロスペクティブ』 [第155回] 米国に半世紀も君臨した"影の大統領" FBI初代長官『J・エドガー』 [第154回]犯罪者たちに学ぶ"人心掌握術"の奨め『アニマル・キングダム』『預言者』 [第153回]"地獄"からの生還者・板尾創路の凄み 古典落語を過激に脚色『月光ノ仮面』 [第152回]早くも2012年ベスト1映画が登場!"代理殺人"を巡る恐怖『哀しき獣』 [第151回]父殺し、自分殺し、そして再生の物語 園子温流ラブストーリー『ヒミズ』 [第150回]米国お笑い横断旅行『宇宙人ポール』人間のちっぽけな悩みはETが解決! [第149回]70年前と変わらない日本人の精神構造『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 [第148回]追悼......"永遠の反逆児"原田芳雄さん幻の主演作『原子力戦争』がDVD化 [第147回]"ファスト風土"を舞台にした犯罪喜劇 J・アイゼンバーグ主演『ピザボーイ』 [第146回]"正義のゾンビ"が犯罪者を貪り喰う! イラク戦争奇談『ゾンビ処刑人』 [第145回] "時代の寵児"の未ソフト化作品上映!「松江哲明グレイテスト・ヒッツ」 [第144回]原発事故を描いた『カリーナの林檎』と今関あきよし監督の背負った贖罪 [第143回]"窮屈なモラル"を脱ぎ捨てた裸の女たち 園子温監督の犯罪エロス『恋の罪』 [第142回]ノーベル賞作家・川端康成が夢想した新風俗『スリーピングビューティー』 [第141回]横暴な上司は有志社員が制裁します!『モンスター上司』のブラックな笑い [第140回]"クソみたいな社会を変えたい!"高校生テロリストの凄春『アジアの純真』 [第139回] うつ病なんかヘーキ!? 宮崎あおい主演作『ツレがうつになりまして。』 [第138回]"神話"が生まれる瞬間を目撃せよ! 人類への黙示録『猿の惑星:創世記』 [第137回]刑務所で食する至高の味『極道めし』ヒロインの後ろ姿に、むせび泣き! [第136回]"理想の恋人"という偶像を破壊せよ 深夜番長の劇場デビュー作『モテキ』 [第135回]"城定秀夫監督、ブレイク前夜の予感! 闘争本能を呼び覚ます『タナトス』 [第134回]"人間失格"の道を選んだ映画監督の業 林由美香の最新主演作『監督失格』 [第133回]ホラ吹きのホラを見破る特異な職能 ポランスキー監督『ゴーストライター』 [第132回]芦田愛菜、6歳にして危険な魅力!? 子連れで全力疾走『うさぎドロップ』 [第131回]元"暴走族"が書いた旧友への鎮魂歌 青春懺悔録『アメイジング グレイス』 [第130回]V・ギャロ主演のサバイバルグルメ!? 『エッセンシャル・キリング』 [第129回]『キック・アス』より悪趣味で泣ける 中年男の悪ノリ暴走劇『スーパー!』 [第128回]この夏の清涼剤、地方少女のダンス成長記『あぜみちジャンピンッ!』 [第127回]竹ヤリで世界進出"スシタイフーン"『エイリアンVSニンジャ』ほか逆上陸 [第126回]イーモウ監督、久々のアイドル映画 中華的妹萌え『サンザシの樹の下で』 [第125回]ナタリー・ポートマン vs. ヘビメタ野郎 人気女優の隠し球『メタルヘッド』 [第124回]黒澤明の名作『生きる』のラテン版! ヤモメ男が残した遺産『BIUTIFUL』 [第123回]北国で93年間営業を続ける"大黒座"と町の記録『小さな町の小さな映画館』 [第122回]新幹線がすれ違う瞬間、願いが叶う? 小学生の目線で描かれた『奇跡』 [第121回]理想と情熱がもたらした"痛い現実" 青春の蹉跌『マイ・バック・ページ』 [第120回]胸に響く金言"プロとは手を抜くこと" 職人秘話『アトムの足音が聞こえる』 [第119回]危険な出会い、井口昇ミーツ仲村みう 悪夢の遊園地『富江 アンリミテッド』 [第118回]ナタリー・ポートマン"第1章"の終幕 虚実が攻め合う『ブラック・スワン』 [第117回]"セカイ"を旅立った少女の地底探検記 新海誠監督の新作『星を追う子ども』 [第116回] 美少女たちの輝きが脳裏から離れない。青春ムービー『魔法少女を忘れない』 [第115回] 恋愛が与える"陶酔"とリアルな"痛み"サブカル活劇『スコット・ピルグリム』 [第114回]妄想、空想、そして現実からの大脱走 美少女革命『エンジェル ウォーズ』 [第113回]"3.11"後の新しい映画モデルとなるか『劇場版 神聖かまってちゃん』の挑戦 [第112回]マスコミが讃えた"楽園"のその後、ひとりの少女の成長記録『愛しきソナ』 [第111回]閉鎖的な"村社会"をブチ破ったれ! 韓流サバイバル劇『ビー・デビル』 [第110回]"粋"を愛したフランスの伯父さん J・タチ主演『イリュージョニスト』 [第109回]自分にとって家族は敵か、味方か? オスカー2冠受賞『ザ・ファイター』 [第108回]コーエン兄弟『トゥルー・グリット』40年で変化した"米国のヒーロー像" [第107回]ジョニー・デップが愛した"極道記者" 『GONZO』奇人がスターだった時代 [第106回] 巨匠イーストウッド監督の異色作! 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[第66回]アナーキーな"社歌"で生産性アップ! 満島ひかり大進撃『川の底からこんにちは』 [第65回]超ヘビー級なシリアス劇『プレシャス』"家族"という名の地獄から脱出せよ [第64回]乱れ咲く"悪の華"ゼブラクイーン! 仲里依紗が過激変身『ゼブラーマン2』 [第63回] オタク王が見出した"夢と現実"の接点 ティム・バートン監督作『アリス──』 [第62回] バッドテイストな感動作『第9地区』 アナタはエビ人間とお友達になれるか? [第61回]スコセッシ監督の犯罪アトラクション『シャッターアイランド』へようこそ! [第60回]宮崎あおいの"映画代表作"が誕生! 毒を呑んでも生き続けよ『ソラニン』 [第59回]"おっぱいアート"は世界を救えるか? 母乳戦士の記録『桃色のジャンヌ・ダルク』 [第58回]現代に甦った"梶原一騎ワールド"韓流ステゴロ映画『息もできない』 [第57回]命知らずの変態レポーター、中東へ! 史上最大のどっきり?『ブルーノ』 [第56回]仲里依紗がアニメから実写へと跳躍! 母娘2代の時空旅行『時をかける少女』 [第55回]ビグロー監督はキャメロンより硬派! 人間爆弾の恐怖『ハート・ロッカー』 [第54回] "空気を読む"若者の悲劇『パレード』楽しいルームシェア生活の行き先は? [第53回]社会の"生け贄"に選ばれた男の逃亡劇 堺雅人主演『ゴールデンスランバー』 [第52回]『男はつらいよ』の別エンディング? "寅さん"の最期を描く『おとうと』 [第51回]ひとり相撲なら無敵のチャンピオン! 童貞暴走劇『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 [第50回]ヒース・レジャーが最後に見た夢の世界 理想と欲望が渦巻く『Dr.パルナサスの鏡』 [第49回]トニー・ジャーは本気なんジャー! CGなしの狂乱劇再び『マッハ!弐』 [第48回]全米"オシャレ番長"ズーイー、見参! 草食系に捧ぐ『(500日)のサマー』 [第47回]市川崑監督&水谷豊"幻の名作"『幸福』28年の歳月を経て、初のパッケージ化 [第46回]押井守監督、大いなる方向転換か? 黒木メイサ主演『アサルトガールズ』 [第45回]ドラッグ漬けの芸能関係者必見!"神の子"の復活を追う『マラドーナ』 [第44回] 暴走する"システム"が止まらない! マイケル・ムーア監督『キャピタリズム』 [第43回]"人は二度死ぬ"という独自の死生観『ガマの油』役所広司の監督ぶりは? 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“沢尻エリカ”という名のアトラクションムービー『ヘルタースケルター』が描く無常の世界

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全身整形による外見的な美しさを手に入れたりりこ(沢尻エリカ)は、
自分の過去を封印して瞬く間に芸能界を登り詰める。
 映画『ヘルタースケルター』は、沢尻エリカという名のアトラクションムービーだ。いわずもがな、主人公のりりこは、マスコミを賑わせるお騒がせ女優・沢尻エリカの分身である。映画の冒頭から、フルヌードを披露するりりこ/沢尻エリカの胸や腰まわりのなめらかなカーブに観客の目はクギづけ状態。人気フォトグラファーである蜷川実花が入念にディレクションした極彩色の世界へと、りりこ/沢尻エリカは毒蛾のように優雅に羽ばたいていく。財閥の御曹司(窪塚洋介)や映画プロデューサー(哀川翔)とまぐわうことで、男たちのエキスを吸い取ったりりこ/沢尻エリカは、さらに妖しい輝きを放つ。でも、毒蛾の命は思った以上に短い。人気のピークを極めた後は、もがき叫びながら堕ちていくだけ。人気女優のヌードを目当てに劇場に足を運んだ自分たちも、彼女と一緒にヘルタースケルター(しっちゃかめっちゃか)な芸能界をジェットコースター感覚で急降下し、束の間の陶酔感を味わう。
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若手の台頭、整形手術の後遺症に怯える
りりこは、マネージャーの羽田(寺島
しのぶ)をマインドコントロールしていく。
 原作は1995~96年に発表された岡崎京子の同名コミック。完璧なルックスを誇るりりこ(沢尻エリカ)はあらゆる雑誌の表紙を飾り、CMに引っ張りだこの人気スター。だが、りりこの美しさは全身整形で手に入れたもの。外見の美しさとは裏腹に、りりこの内面は歪んでいる。「目ん玉と爪と耳とアソコ以外」は全部整形した莫大な手術費を回収するために事務所の社長・多田(桃井かおり)から仕事を詰め込まれ、そのストレスを年上のマネージャー・羽田(寺島しのぶ)に向かって吐き出している。恐ろしく気分屋で、羽田に自分の股間をクンニリングスするよう命じたかと思うと、翌日には「一回マンコを舐めたぐらいで、調子にのってんじゃねぇよ。この変態女!」と罵倒する。  そんなりりこでも、優しい顔を見せることがある。整形手術と同時に自分の過去は棄てたりりこだが、田舎で暮らす妹に逢うときだけは姉としての思いやりを見せる。丸まるとした体型の妹は、手術によって別人に生まれ変わった姉のことを尊敬してやまない。りりこは「あなたも整形すればいいのに」と勧めるが、妹はりりこのようにはなれないと答える。女たちにとって“美しさこそ強さ”なのだ。りりこは勇気があったから、美しさ=強さを手に入れたらしい。
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りりこがひとりで暮らす部屋。彼女の嗜好性を
感じさせるゴージャスな内装だが、生活用品
はどこにも見当たらない。
 事務所に後輩として、新人モデルのこずえ(水原希子)が現われる。こずえの整形ではないナチュラルな美しさと若さに、りりこは嫉妬と恐怖を感じる。さらにりりこの受けた整形手術は定期的なメンテナンスを必要とし、仕事に追われるりりこの額や首筋に黒いアザが浮かび上がる。白い肌に黒いアザが次第に広がり、りりこは大笑いしながら卒倒する。整形医(原田美枝子)が処方したクスリを浴びるように呑むうちに、りりこは奇行に走り始める。  りりこは整形手術によって外見的な美しさと自信を手に入れたが、中身は限りなく空っぽだ。りりこの部屋には悪趣味なインテリアが雑然と並び、壁には赤いルージュを塗った唇の巨大画が飾られている。りりこの部屋がりりこの心の中を反映しているのなら、どんな物でも呑み込む巨大唇はりりこの欲望のシンボルなのだろう。欲望という名のエンジンに、フラッシュと喝采をエネルギーとして注入し、クスリを潤滑油にして、りりこは芸能界を突っ走る。でも、りりこが何を目指しているのかは分からない。マネージャーの羽田も、何を考えているのかさっぱり分からない。りりこに命じられるまま、年下の恋人(綾野剛)をりりこに差し出す。りりこがライバル視する若いこずえも、また空っぽだ。りりこに操られて顔を切り刻みに来た羽田に向かって、「いいよ」と自分の顔を突き出す。さらに、りりこを追い掛ける検事(大森南朋)も意味不明の言葉をつぶやき、自分が空っぽの存在であることをほのめかす。頭を叩けば、みんなカポーンといい音がしそうだ。そして多分、空っぽの存在のほうが大衆から支持を得やすいのだろう。大衆のみんなも空っぽだから。  空っぽな美女たちが、空っぽな芸能界をうつろう。いくらSEXシーンを盛り込んでも、欲望が一方的に吐き出されるだけで、そこには体温のぬくもり、体臭、生身と生身のぶつかり合いといった生の実感は観客側には伝わってこない。そこが蜷川版『ヘルタースケルター』の物足りなさであり、でも観客がシンパシーを感じるところに違いない。と、ここまで空っぽな頭で書いていたら、ある4文字熟語が思い浮かんだ。FUCK、ではない。色即是空。観音さまの有り難いお言葉だ。すべての事物はやがて色褪せ、空虚と化していく。なんという無常の世界。観音さまが2,500年も前から『ヘルタースケルター』の世界を見通していたことに、ちょっとビックリ。でも、きっと、多分、消費社会に生まれ落ちた現代人の多くは、この社会がいつまでも続かないことに小さなときからすでに気づいている。  整形手術により本来の肉体を棄て、芸能界で若さとモラルを消耗し、さらにスキャンダルによって名声と人脈も失ったりりこは芸能界から姿を消す。心の中は空っぽで、欲望のままに突き動かされてきた彼女に残されたものは、一体何だろうか。過去の栄光ではないことは確かだ。物語のラスト、空っぽの世界から新しい物語が誕生する。原作者である岡崎京子、ドラマ性よりもビジュアルにこだわる蜷川実花、そして渦中の人・沢尻エリカは、これからどんな物語を生み出していくのだろうか。 (文=長野辰次)
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『ヘルタースケルター』 原作/岡崎京子 脚本/金子ありさ テーマソング/浜崎あゆみ 監督/蜷川実花 出演/沢尻エリカ、大森南朋、寺島しのぶ、綾野剛、水原希子、新井浩文、鈴木杏、寺島進、哀川翔、窪塚洋介、原田美枝子、桃井かおり R15 配給/アスミック・エース 7月14日(土)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー <http://hs-movie.com>  (c)2012 映画『ヘルタースケルター』製作委員会 ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第177回]毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』 [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! [第171回]自由社会に順応できない“脱北者”の過酷な現状 無垢なる季節との決別『ムサン日記 白い犬』 [第170回] 世界興収100億突破のSF大作『ロボット』はあらゆる既成概念を破壊する!! [第169回]“エンタの神さま”ツイ・ハークが大復活! B級映画マニアの心を焦がす『王朝の陰謀』 [第168回]人はお下劣な分だけ、強く優しくなれる!? 結婚を控えた女たちの本音『ブライズメイズ』 [第167回]行きすぎたシステム社会に警鐘を鳴らす“ユナボマー・マニフェスト”の映画化『モンスターズクラブ』 [第166回]祭りの終わりと新ステージの幕開け、3部作完結『サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 [第165回]すばらしき“コーマン野郎”の世界!『コーマン帝国』、愛と欲望の歴史 [第164回]懐かしき香り漂う、新感覚サスペンス 破滅へ突き進む男の悲劇『ドライヴ』 [第163回] 災害に備えた地下シェルターは必要? 心理ホラー『テイク・シェルター』 [第162回] 森田芳光監督の最終列車『僕達急行』人生は出会いと旅立ちのリフレイン! [第161回] 鬼才キム・ギドクの"多重人格ショー"セルフドキュメンタリー『アリラン』 [第160回]映画創成期に散った"殉教者"への聖歌 3D映画『ヒューゴの不思議な発明』 [第159回]これはホラー? それともコメディ? 勘違い女が爆走『ヤング≒アダルト』 [第158回] ピラミッドは古代からのメッセージ!? 歴史ミステリー『ピラミッドの謎』 [第157回] 韓国映画の名匠が明かす"創作の極意"イ・チャンドン監督『ポエトリー』 [第156回] ローカル局で"伝説となった男"の生涯『木村栄文レトロスペクティブ』 [第155回] 米国に半世紀も君臨した"影の大統領" FBI初代長官『J・エドガー』 [第154回]犯罪者たちに学ぶ"人心掌握術"の奨め『アニマル・キングダム』『預言者』 [第153回]"地獄"からの生還者・板尾創路の凄み 古典落語を過激に脚色『月光ノ仮面』 [第152回]早くも2012年ベスト1映画が登場!"代理殺人"を巡る恐怖『哀しき獣』 [第151回]父殺し、自分殺し、そして再生の物語 園子温流ラブストーリー『ヒミズ』 [第150回]米国お笑い横断旅行『宇宙人ポール』人間のちっぽけな悩みはETが解決! [第149回]70年前と変わらない日本人の精神構造『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 [第148回]追悼......"永遠の反逆児"原田芳雄さん幻の主演作『原子力戦争』がDVD化 [第147回]"ファスト風土"を舞台にした犯罪喜劇 J・アイゼンバーグ主演『ピザボーイ』 [第146回]"正義のゾンビ"が犯罪者を貪り喰う! イラク戦争奇談『ゾンビ処刑人』 [第145回] "時代の寵児"の未ソフト化作品上映!「松江哲明グレイテスト・ヒッツ」 [第144回]原発事故を描いた『カリーナの林檎』と今関あきよし監督の背負った贖罪 [第143回]"窮屈なモラル"を脱ぎ捨てた裸の女たち 園子温監督の犯罪エロス『恋の罪』 [第142回]ノーベル賞作家・川端康成が夢想した新風俗『スリーピングビューティー』 [第141回]横暴な上司は有志社員が制裁します!『モンスター上司』のブラックな笑い [第140回]"クソみたいな社会を変えたい!"高校生テロリストの凄春『アジアの純真』 [第139回] うつ病なんかヘーキ!? 宮崎あおい主演作『ツレがうつになりまして。』 [第138回]"神話"が生まれる瞬間を目撃せよ! 人類への黙示録『猿の惑星:創世記』 [第137回]刑務所で食する至高の味『極道めし』ヒロインの後ろ姿に、むせび泣き! [第136回]"理想の恋人"という偶像を破壊せよ 深夜番長の劇場デビュー作『モテキ』 [第135回]"城定秀夫監督、ブレイク前夜の予感! 闘争本能を呼び覚ます『タナトス』 [第134回]"人間失格"の道を選んだ映画監督の業 林由美香の最新主演作『監督失格』 [第133回]ホラ吹きのホラを見破る特異な職能 ポランスキー監督『ゴーストライター』 [第132回]芦田愛菜、6歳にして危険な魅力!? 子連れで全力疾走『うさぎドロップ』 [第131回]元"暴走族"が書いた旧友への鎮魂歌 青春懺悔録『アメイジング グレイス』 [第130回]V・ギャロ主演のサバイバルグルメ!? 『エッセンシャル・キリング』 [第129回]『キック・アス』より悪趣味で泣ける 中年男の悪ノリ暴走劇『スーパー!』 [第128回]この夏の清涼剤、地方少女のダンス成長記『あぜみちジャンピンッ!』 [第127回]竹ヤリで世界進出"スシタイフーン"『エイリアンVSニンジャ』ほか逆上陸 [第126回]イーモウ監督、久々のアイドル映画 中華的妹萌え『サンザシの樹の下で』 [第125回]ナタリー・ポートマン vs. ヘビメタ野郎 人気女優の隠し球『メタルヘッド』 [第124回]黒澤明の名作『生きる』のラテン版! ヤモメ男が残した遺産『BIUTIFUL』 [第123回]北国で93年間営業を続ける"大黒座"と町の記録『小さな町の小さな映画館』 [第122回]新幹線がすれ違う瞬間、願いが叶う? 小学生の目線で描かれた『奇跡』 [第121回]理想と情熱がもたらした"痛い現実" 青春の蹉跌『マイ・バック・ページ』 [第120回]胸に響く金言"プロとは手を抜くこと" 職人秘話『アトムの足音が聞こえる』 [第119回]危険な出会い、井口昇ミーツ仲村みう 悪夢の遊園地『富江 アンリミテッド』 [第118回]ナタリー・ポートマン"第1章"の終幕 虚実が攻め合う『ブラック・スワン』 [第117回]"セカイ"を旅立った少女の地底探検記 新海誠監督の新作『星を追う子ども』 [第116回] 美少女たちの輝きが脳裏から離れない。青春ムービー『魔法少女を忘れない』 [第115回] 恋愛が与える"陶酔"とリアルな"痛み"サブカル活劇『スコット・ピルグリム』 [第114回]妄想、空想、そして現実からの大脱走 美少女革命『エンジェル ウォーズ』 [第113回]"3.11"後の新しい映画モデルとなるか『劇場版 神聖かまってちゃん』の挑戦 [第112回]マスコミが讃えた"楽園"のその後、ひとりの少女の成長記録『愛しきソナ』 [第111回]閉鎖的な"村社会"をブチ破ったれ! 韓流サバイバル劇『ビー・デビル』 [第110回]"粋"を愛したフランスの伯父さん J・タチ主演『イリュージョニスト』 [第109回]自分にとって家族は敵か、味方か? オスカー2冠受賞『ザ・ファイター』 [第108回]コーエン兄弟『トゥルー・グリット』40年で変化した"米国のヒーロー像" [第107回]ジョニー・デップが愛した"極道記者" 『GONZO』奇人がスターだった時代 [第106回] 巨匠イーストウッド監督の異色作! 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[第66回]アナーキーな"社歌"で生産性アップ! 満島ひかり大進撃『川の底からこんにちは』 [第65回]超ヘビー級なシリアス劇『プレシャス』"家族"という名の地獄から脱出せよ [第64回]乱れ咲く"悪の華"ゼブラクイーン! 仲里依紗が過激変身『ゼブラーマン2』 [第63回] オタク王が見出した"夢と現実"の接点 ティム・バートン監督作『アリス──』 [第62回] バッドテイストな感動作『第9地区』 アナタはエビ人間とお友達になれるか? [第61回]スコセッシ監督の犯罪アトラクション『シャッターアイランド』へようこそ! [第60回]宮崎あおいの"映画代表作"が誕生! 毒を呑んでも生き続けよ『ソラニン』 [第59回]"おっぱいアート"は世界を救えるか? 母乳戦士の記録『桃色のジャンヌ・ダルク』 [第58回]現代に甦った"梶原一騎ワールド"韓流ステゴロ映画『息もできない』 [第57回]命知らずの変態レポーター、中東へ! 史上最大のどっきり?『ブルーノ』 [第56回]仲里依紗がアニメから実写へと跳躍! 母娘2代の時空旅行『時をかける少女』 [第55回]ビグロー監督はキャメロンより硬派! 人間爆弾の恐怖『ハート・ロッカー』 [第54回] "空気を読む"若者の悲劇『パレード』楽しいルームシェア生活の行き先は? [第53回]社会の"生け贄"に選ばれた男の逃亡劇 堺雅人主演『ゴールデンスランバー』 [第52回]『男はつらいよ』の別エンディング? "寅さん"の最期を描く『おとうと』 [第51回]ひとり相撲なら無敵のチャンピオン! 童貞暴走劇『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 [第50回]ヒース・レジャーが最後に見た夢の世界 理想と欲望が渦巻く『Dr.パルナサスの鏡』 [第49回]トニー・ジャーは本気なんジャー! 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毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』

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極悪人を擁護する人でなし、鬼畜弁護士……と激しいバッシングを浴びる
安田好弘弁護士。「マスコミは人を痛めつけることが多い」と
マスコミを毛嫌いする。(c)東海テレビ放送
 悪魔の弁護人。マスコミは弁護士・安田好弘のことをこう呼ぶ。「オウム真理教事件」の麻原彰晃、「和歌山毒カレー事件」の林眞須美、「光市母子殺害事件」の元少年……。どれも安田弁護士が担当している死刑事件だ。マスコミや世間は、凶悪事件の弁護を請け負う安田弁護士のことを猛烈にバッシングする。それでも彼は法廷に向かう。刑事事件、しかも死刑事件を引き受ける弁護士はそうそういないからだ。裁判に勝つ見込みは限りなく少なく、国選でない場合は身銭を切ることがほとんど。ではなぜ、安田弁護士は極悪人とされる被告人たちの弁護を続けるのか? その真相に迫ったのが、ドキュメンタリー映画『死刑弁護人』だ。マスコミぎらいで知られる安田弁護士の密着取材に成功したのは、東海テレビの齊藤潤一ディレクター。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長を追った『平成ジレンマ』(10)に続いて、齊藤ディレクターが再びバッシングの渦中の人物をクローズアップした、ローカル局発の問題提起作となっている。  1998年に4人の死者を出した「和歌山毒カレー事件」。夏祭りに提供されたカレーの中から大量のヒ素が見つかり、カレー鍋の近くにいた林眞須美に疑いが向けられた。林眞須美はヒ素を使った保険金詐欺の常習犯だった。マスコミの報道は連日過熱し、マスコミに突き動かされる形で警察は逮捕に踏み切った。留置中の林眞須美は故三浦和義を介して安田弁護士に助けを求める。このときの安田弁護士が弁護を引き受けた理由は明快。「林眞須美はこれまで保険金詐欺で稼いできた。だから、一銭の得にもならないことをやるとは思えない」と安田弁護士は語る。だが、最高裁は直接証拠や犯行の動機が見つからないまま、林眞須美に死刑を宣告する。  オウム事件の麻原彰晃も弁護の引き受け手がいないことから、安田弁護士が国選弁護人として選ばれた。当初、麻原は接見にきた安田弁護士と友好的な関係だった。しかし、教団幹部・井上嘉浩の反対尋問の際に、麻原が打ち切りを要求し、安田も休廷を申し入れるが、裁判所はこれを認めなかった。この後、麻原は態度を一転させる。弁護人との接見を拒否し、意味不明の言語を口にするようになる。麻原の精神は崩壊していった。やむをえず安田弁護士は法廷を欠席しての引き延ばしを図る。麻原の量刑を早急に決めることよりも、社会を揺るがした大事件の真相を明らかにすることが何よりも大事だと安田弁護士は考えた。ところが、安田弁護士は1998年に強制執行妨害の容疑で身柄を拘束され、麻原の弁護人から解任されてしまう。オウム裁判の早期終結を目指していた司法にとって、“悪魔の弁護人”の存在はひどく目障りだったらしい。この事件は“安田事件”と呼ばれ、国家権力がひとりの弁護士を潰しに掛かったことを物語っている。
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悪徳弁護士=高級車での移動、のイメージが
あるが、安田弁護士はもっぱら電車での移動。
いつも質素な身なりだ。
 そして、安田弁護士へのバッシングが最高潮に達したのが、「光市母子殺害事件」。排水検査を装った当時18歳だった元少年は、同じ公団アパートに住んでいた主婦の首を絞めて殺害した後に陵辱。さらに生後11か月の赤ちゃんの首にヒモを巻き付けて殺害。遺体をそれぞれ押し入れと天袋に隠した。未成年者の犯罪ゆえ一審二審の判決は無期懲役だったが、遺族感情を考慮した最高裁が審理の差し戻しを命じたため、死刑判決の可能性が強まった。ここで前任弁護士に代わって元少年の弁護に就くことになったのが、安田弁護士を主任とする21人の弁護団だった。それまで殺意を認めていた元少年だが、接見した安田弁護士に「殺意はなかった」と話したことから、法廷は混沌と化す。精神鑑定の際の「ドラえもんが助けてくれると思った」「『魔界転生』の復活の儀式のつもりだった」という供述を持ち出したため、世論の怒りの火に油を注いだ。安田弁護士らは鬼畜、悪魔と罵られ、カッターナイフの刃や銃弾が送り付けられた。それでも安田弁護士はひるまない。オウム事件と同様、懲罰の度合いよりも事件の真相を徹底的に究明することが自分の使命だと考えているからだ。再び悲惨な事件が起きることを防ぐには、事件の問題点をすべて明るみにしなくてはならない。そのために“悪魔の弁護士”の汚名を甘んじて受けている。  曲げることのない信念を持つ安田弁護士にとって、重大な事件があった。1980年に8人の死傷者を出した「新宿西口バス放火事件」だ。子どもを施設に預けて東京へ出稼ぎに来ていた丸山博文は、お盆にも子どもに会いに行けなかった罪悪感や福祉に対する後ろめたさから朝から酔っぱらい、停車中の路線バスにガソリンと火の点いた新聞紙を放り込んでしまう。「死にたい。むごいことをした」と悔やみ続ける丸山には死刑が求刑されたが、若手時代の安田弁護士は心神喪失状態にあったと訴え、無期懲役を勝ち取った。裁判に勝利し、安堵した安田弁護士だったが、事件はそれで終わりではなかった。獄中にいた丸山は自殺を遂げてしまう。安田弁護士は半年後に新聞記事でそのことを知る。裁判で勝っても、丸山の心の闇はずっと晴れることはなかったのだ。
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安田弁護士64歳。夕食を終えた後、事務所に
戻って深夜3~4時まで仕事が続く。事務所
に寝泊まりし、睡眠時間は3時間。
 マスコミを毛嫌いする安田弁護士から取材OKを取り付けるのに2年間を要したという東海テレビの齊藤ディレクターに企画・取材の経緯を聞いた。 齊藤 「2008年にドキュメンタリー番組『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』を作った際に、主任弁護士だった安田さんの存在に興味を持ったんです。あれだけバッシングされながらも、決して自分の信念を曲げない人。『平成ジレンマ』の戸塚宏校長にも通じるところがありますね。それで2年ほど前に懇親会の場で取材を打診したのですが、『ふんッ』と鼻先であしらわれました(苦笑)。『平成ジレンマ』を作りながらも、安田さんの取材をやりたいなと考え続けていたんです。それで、正式に企画書を作成して取材を申し込んだんですが、『俳優でもタレントでもないのに密着取材なんてありえないし、取材に対応している余裕もない』と断られました。一度は諦めたんですが、安田さんの周囲にいる方たちが、『安田さんの言動は一度きちんと映像として記録されたほうがいい』と協力してくれたんです。『安田さんひとりじゃなくて、4人くらいの弁護士を取り上げる企画だと話せば、安田さんは断りにくくなるはず。最悪、放送前に謝ればいい』とアドバイスされました。それで偽の企画書を渡し、『仕方ない。そこまでしつこく言うなら』と安田さんはOKしてくれたんです。偽の企画書で弁護士を騙してしまった(苦笑)」  ひと筋縄ではいかない死刑弁護人のドキュメンタリーを作るためには、きれいごとだけでは企画は前に進まなかった。また、取材のOKはもらったものの、安田弁護士の素顔を追うのは簡単ではなかった。 齊藤 「弁護士というとお金持ちなイメージがありますが、安田弁護士はブランド品など身に付けず、いつも質素な服装です。赤坂の事務所に寝泊まりして、自宅に帰るのは月に1~2度。毎日、深夜3~4時まで仕事をして、3時間だけ休んでから近くのサウナで汗を流し、また働き始めるという生活です。でも、安田さんはそういう普段の姿をカメラで撮ろうとすると『オレは芸能人じゃない、やめろ』と言うんです。どうしたものかと頭を抱えました(苦笑)。毎晩、取材が終わった後は安田さんに誘われて一緒に夕食を摂っていたんですが、安田さんがお酒を呑んで気分よくなっているとき、カメラマンがさっと小型カメラを持ち出して、安田さんの了承なしで撮り始めたんです。安田さん、お酒を呑むとガードが低くなるんですよ。そのことが分かってからは、安田さんと一緒にカメラマンもボクもお酒を呑んでからカメラを回すようにしました(笑)。いつもは取材対象者と親しくなり過ぎないよう、一定の距離を保つために一緒に食事などはしないようにしていたんですが、今回は特別でしたね」
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2011年10月に東海地区でオンエアされた内容に、
2012年2月の「光市母子殺害事件」の最高裁判決
の様子を追撮している。
 安田弁護士は“死刑廃止論者”として知られ、光市母子殺害事件など担当する死刑裁判を政治的に利用していると非難する声もある。 齊藤 「ボク自身は、冤罪の人が死刑になるなんて許されないことだと思います。かといって被害者の遺族を取材していると、簡単には“死刑廃止”とは口にできない。そんなグラグラした心境の中で、安田さんの『どんな悪人でも、必ず更生できる』という言葉を聞いて、深く考えさせられるものがありました。死刑制度が是か否か、ボク自身は今でも悩み続けています。死刑事件を取材していると、明るい気持ちにはなれませんね。どんどん暗い性格になっていきます(笑)。それでも、安田さんはバッシングに負けずに弁護を続けている。安田さんの人間としての魅力に惹かれて取材を続けたように思います」  司法関連の作品を度々手掛ける齊藤ディレクターに、聞いてみたいことがあった。マスコミは世論を誘導し、バッシングを引き起こすトリガーの役目を容易に果たす。そんなマスコミが司法の過ちをただし、冤罪事件を救済する力を持っているのだろうか。 齊藤 「マスコミは裁判の判決が出ると、一斉に報道し、その後はさぁーと引いてしまいます。『平成ジレンマ』と同様、そのことに対する自戒の念も込めたつもりです。その一方、足利事件や布川事件はマスコミがキャンペーンを張ったことで、無罪を勝ち取っています。ただし、足利事件も布川事件も無期懲役刑でした。死刑判決を覆すのは非常に難しい。そこには大きな分厚い壁があるように感じます。死刑判決が覆ると、それは司法制度そのものの存在を根底から揺るがすことになるからです。でも、マスコミには権力を監視する役目があります。冤罪の可能性がある事件なら、徹底的に解明しなくてはいけないはずです」  齊藤ディレクターが初めてドキュメンタリー番組を手掛けたのが『重い扉 名張毒ぶどう酒事件の45年』(06)。さらに『黒と白 自白・名張毒ぶどう酒事件の闇』(08)『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』(10)と冤罪の可能性が高い“名張毒ぶどう酒事件”を題材にした3本のドキュメンタリー番組を発表している。さらに6月30日(土)には、仲代達矢、樹木希林、本作のナレーションを担当した山本太郎らが出演するドラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』が東海エリアで放映される。一度取材した事件は、その真相が究明されるまで追い続ける。『死刑弁護人』は安田弁護士を礼賛するための作品ではないと話す齊藤ディレクターだが、おのれの信念に従って一本道を突き進む安田弁護士の姿に深く共鳴しているのは確かなようだ。 (文=長野辰次) shikei_bengonin5.jpg 『死刑弁護人』 ナレーター/山本太郎 プロデューサー/阿武野勝彦 音楽/村井秀清 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/岩井彰彦 音声/伊藤大介 スクリプター/河合舞 音響効果/久保田吉根 編集/山本哲二 アソシエイトプロデューサー/安田俊之 監督/齋藤潤一 配給/東海テレビ放送 配給協力/東風 6月30日(土)よりポレポレ東中野、名古屋シネマテークほか全国順次公開 http://shikeibengonin.jp ※ポレポレ東中野にて、6月30日(土)~7月6日(金)夜9時10分より『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』を二本立て上映。7月7日(土)~8日(日)、10日(火)~13日(金)は『平成ジレンマ』を夜9時10分よりアンコール上映 ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』

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極悪人を擁護する人でなし、鬼畜弁護士……と激しいバッシングを浴びる
安田好弘弁護士。「マスコミは人を痛めつけることが多い」と
マスコミを毛嫌いする。(c)東海テレビ放送
 悪魔の弁護人。マスコミは弁護士・安田好弘のことをこう呼ぶ。「オウム真理教事件」の麻原彰晃、「和歌山毒カレー事件」の林眞須美、「光市母子殺害事件」の元少年……。どれも安田弁護士が担当している死刑事件だ。マスコミや世間は、凶悪事件の弁護を請け負う安田弁護士のことを猛烈にバッシングする。それでも彼は法廷に向かう。刑事事件、しかも死刑事件を引き受ける弁護士はそうそういないからだ。裁判に勝つ見込みは限りなく少なく、国選でない場合は身銭を切ることがほとんど。ではなぜ、安田弁護士は極悪人とされる被告人たちの弁護を続けるのか? その真相に迫ったのが、ドキュメンタリー映画『死刑弁護人』だ。マスコミぎらいで知られる安田弁護士の密着取材に成功したのは、東海テレビの齊藤潤一ディレクター。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長を追った『平成ジレンマ』(10)に続いて、齊藤ディレクターが再びバッシングの渦中の人物をクローズアップした、ローカル局発の問題提起作となっている。  1998年に4人の死者を出した「和歌山毒カレー事件」。夏祭りに提供されたカレーの中から大量のヒ素が見つかり、カレー鍋の近くにいた林眞須美に疑いが向けられた。林眞須美はヒ素を使った保険金詐欺の常習犯だった。マスコミの報道は連日過熱し、マスコミに突き動かされる形で警察は逮捕に踏み切った。留置中の林眞須美は故三浦和義を介して安田弁護士に助けを求める。このときの安田弁護士が弁護を引き受けた理由は明快。「林眞須美はこれまで保険金詐欺で稼いできた。だから、一銭の得にもならないことをやるとは思えない」と安田弁護士は語る。だが、最高裁は直接証拠や犯行の動機が見つからないまま、林眞須美に死刑を宣告する。  オウム事件の麻原彰晃も弁護の引き受け手がいないことから、安田弁護士が国選弁護人として選ばれた。当初、麻原は接見にきた安田弁護士と友好的な関係だった。しかし、教団幹部・井上嘉浩の反対尋問の際に、麻原が打ち切りを要求し、安田も休廷を申し入れるが、裁判所はこれを認めなかった。この後、麻原は態度を一転させる。弁護人との接見を拒否し、意味不明の言語を口にするようになる。麻原の精神は崩壊していった。やむをえず安田弁護士は法廷を欠席しての引き延ばしを図る。麻原の量刑を早急に決めることよりも、社会を揺るがした大事件の真相を明らかにすることが何よりも大事だと安田弁護士は考えた。ところが、安田弁護士は1998年に強制執行妨害の容疑で身柄を拘束され、麻原の弁護人から解任されてしまう。オウム裁判の早期終結を目指していた司法にとって、“悪魔の弁護人”の存在はひどく目障りだったらしい。この事件は“安田事件”と呼ばれ、国家権力がひとりの弁護士を潰しに掛かったことを物語っている。
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悪徳弁護士=高級車での移動、のイメージが
あるが、安田弁護士はもっぱら電車での移動。
いつも質素な身なりだ。
 そして、安田弁護士へのバッシングが最高潮に達したのが、「光市母子殺害事件」。排水検査を装った当時18歳だった元少年は、同じ公団アパートに住んでいた主婦の首を絞めて殺害した後に陵辱。さらに生後11か月の赤ちゃんの首にヒモを巻き付けて殺害。遺体をそれぞれ押し入れと天袋に隠した。未成年者の犯罪ゆえ一審二審の判決は無期懲役だったが、遺族感情を考慮した最高裁が審理の差し戻しを命じたため、死刑判決の可能性が強まった。ここで前任弁護士に代わって元少年の弁護に就くことになったのが、安田弁護士を主任とする21人の弁護団だった。それまで殺意を認めていた元少年だが、接見した安田弁護士に「殺意はなかった」と話したことから、法廷は混沌と化す。精神鑑定の際の「ドラえもんが助けてくれると思った」「『魔界転生』の復活の儀式のつもりだった」という供述を持ち出したため、世論の怒りの火に油を注いだ。安田弁護士らは鬼畜、悪魔と罵られ、カッターナイフの刃や銃弾が送り付けられた。それでも安田弁護士はひるまない。オウム事件と同様、懲罰の度合いよりも事件の真相を徹底的に究明することが自分の使命だと考えているからだ。再び悲惨な事件が起きることを防ぐには、事件の問題点をすべて明るみにしなくてはならない。そのために“悪魔の弁護士”の汚名を甘んじて受けている。  曲げることのない信念を持つ安田弁護士にとって、重大な事件があった。1980年に8人の死傷者を出した「新宿西口バス放火事件」だ。子どもを施設に預けて東京へ出稼ぎに来ていた丸山博文は、お盆にも子どもに会いに行けなかった罪悪感や福祉に対する後ろめたさから朝から酔っぱらい、停車中の路線バスにガソリンと火の点いた新聞紙を放り込んでしまう。「死にたい。むごいことをした」と悔やみ続ける丸山には死刑が求刑されたが、若手時代の安田弁護士は心神喪失状態にあったと訴え、無期懲役を勝ち取った。裁判に勝利し、安堵した安田弁護士だったが、事件はそれで終わりではなかった。獄中にいた丸山は自殺を遂げてしまう。安田弁護士は半年後に新聞記事でそのことを知る。裁判で勝っても、丸山の心の闇はずっと晴れることはなかったのだ。
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安田弁護士64歳。夕食を終えた後、事務所に
戻って深夜3~4時まで仕事が続く。事務所
に寝泊まりし、睡眠時間は3時間。
 マスコミを毛嫌いする安田弁護士から取材OKを取り付けるのに2年間を要したという東海テレビの齊藤ディレクターに企画・取材の経緯を聞いた。 齊藤 「2008年にドキュメンタリー番組『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』を作った際に、主任弁護士だった安田さんの存在に興味を持ったんです。あれだけバッシングされながらも、決して自分の信念を曲げない人。『平成ジレンマ』の戸塚宏校長にも通じるところがありますね。それで2年ほど前に懇親会の場で取材を打診したのですが、『ふんッ』と鼻先であしらわれました(苦笑)。『平成ジレンマ』を作りながらも、安田さんの取材をやりたいなと考え続けていたんです。それで、正式に企画書を作成して取材を申し込んだんですが、『俳優でもタレントでもないのに密着取材なんてありえないし、取材に対応している余裕もない』と断られました。一度は諦めたんですが、安田さんの周囲にいる方たちが、『安田さんの言動は一度きちんと映像として記録されたほうがいい』と協力してくれたんです。『安田さんひとりじゃなくて、4人くらいの弁護士を取り上げる企画だと話せば、安田さんは断りにくくなるはず。最悪、放送前に謝ればいい』とアドバイスされました。それで偽の企画書を渡し、『仕方ない。そこまでしつこく言うなら』と安田さんはOKしてくれたんです。偽の企画書で弁護士を騙してしまった(苦笑)」  ひと筋縄ではいかない死刑弁護人のドキュメンタリーを作るためには、きれいごとだけでは企画は前に進まなかった。また、取材のOKはもらったものの、安田弁護士の素顔を追うのは簡単ではなかった。 齊藤 「弁護士というとお金持ちなイメージがありますが、安田弁護士はブランド品など身に付けず、いつも質素な服装です。赤坂の事務所に寝泊まりして、自宅に帰るのは月に1~2度。毎日、深夜3~4時まで仕事をして、3時間だけ休んでから近くのサウナで汗を流し、また働き始めるという生活です。でも、安田さんはそういう普段の姿をカメラで撮ろうとすると『オレは芸能人じゃない、やめろ』と言うんです。どうしたものかと頭を抱えました(苦笑)。毎晩、取材が終わった後は安田さんに誘われて一緒に夕食を摂っていたんですが、安田さんがお酒を呑んで気分よくなっているとき、カメラマンがさっと小型カメラを持ち出して、安田さんの了承なしで撮り始めたんです。安田さん、お酒を呑むとガードが低くなるんですよ。そのことが分かってからは、安田さんと一緒にカメラマンもボクもお酒を呑んでからカメラを回すようにしました(笑)。いつもは取材対象者と親しくなり過ぎないよう、一定の距離を保つために一緒に食事などはしないようにしていたんですが、今回は特別でしたね」
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2011年10月に東海地区でオンエアされた内容に、
2012年2月の「光市母子殺害事件」の最高裁判決
の様子を追撮している。
 安田弁護士は“死刑廃止論者”として知られ、光市母子殺害事件など担当する死刑裁判を政治的に利用していると非難する声もある。 齊藤 「ボク自身は、冤罪の人が死刑になるなんて許されないことだと思います。かといって被害者の遺族を取材していると、簡単には“死刑廃止”とは口にできない。そんなグラグラした心境の中で、安田さんの『どんな悪人でも、必ず更生できる』という言葉を聞いて、深く考えさせられるものがありました。死刑制度が是か否か、ボク自身は今でも悩み続けています。死刑事件を取材していると、明るい気持ちにはなれませんね。どんどん暗い性格になっていきます(笑)。それでも、安田さんはバッシングに負けずに弁護を続けている。安田さんの人間としての魅力に惹かれて取材を続けたように思います」  司法関連の作品を度々手掛ける齊藤ディレクターに、聞いてみたいことがあった。マスコミは世論を誘導し、バッシングを引き起こすトリガーの役目を容易に果たす。そんなマスコミが司法の過ちをただし、冤罪事件を救済する力を持っているのだろうか。 齊藤 「マスコミは裁判の判決が出ると、一斉に報道し、その後はさぁーと引いてしまいます。『平成ジレンマ』と同様、そのことに対する自戒の念も込めたつもりです。その一方、足利事件や布川事件はマスコミがキャンペーンを張ったことで、無罪を勝ち取っています。ただし、足利事件も布川事件も無期懲役刑でした。死刑判決を覆すのは非常に難しい。そこには大きな分厚い壁があるように感じます。死刑判決が覆ると、それは司法制度そのものの存在を根底から揺るがすことになるからです。でも、マスコミには権力を監視する役目があります。冤罪の可能性がある事件なら、徹底的に解明しなくてはいけないはずです」  齊藤ディレクターが初めてドキュメンタリー番組を手掛けたのが『重い扉 名張毒ぶどう酒事件の45年』(06)。さらに『黒と白 自白・名張毒ぶどう酒事件の闇』(08)『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』(10)と冤罪の可能性が高い“名張毒ぶどう酒事件”を題材にした3本のドキュメンタリー番組を発表している。さらに6月30日(土)には、仲代達矢、樹木希林、本作のナレーションを担当した山本太郎らが出演するドラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』が東海エリアで放映される。一度取材した事件は、その真相が究明されるまで追い続ける。『死刑弁護人』は安田弁護士を礼賛するための作品ではないと話す齊藤ディレクターだが、おのれの信念に従って一本道を突き進む安田弁護士の姿に深く共鳴しているのは確かなようだ。 (文=長野辰次) shikei_bengonin5.jpg 『死刑弁護人』 ナレーター/山本太郎 プロデューサー/阿武野勝彦 音楽/村井秀清 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/岩井彰彦 音声/伊藤大介 スクリプター/河合舞 音響効果/久保田吉根 編集/山本哲二 アソシエイトプロデューサー/安田俊之 監督/齋藤潤一 配給/東海テレビ放送 配給協力/東風 6月30日(土)よりポレポレ東中野、名古屋シネマテークほか全国順次公開 http://shikeibengonin.jp ※ポレポレ東中野にて、6月30日(土)~7月6日(金)夜9時10分より『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』を二本立て上映。7月7日(土)~8日(日)、10日(火)~13日(金)は『平成ジレンマ』を夜9時10分よりアンコール上映 ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第176回]“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』 [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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“芸能生活30周年”ニコラス・ケイジの会心作! 被災地に流布する暗号『ハングリー・ラビット』

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妻を強姦された高校教師のウィル(ニコラス・ケイジ)は
謎の男・サイモン(ガイ・ピアーズ)から“代理殺人”を
提案される。
 サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックの代表作のひとつに『見知らぬ乗客』(51)がある。妻との離婚調停が進まない主人公に、たまたま列車の中で知り合った乗客が“交換殺人”を持ち掛けるというもの。“見知らぬ乗客”は主人公にこう囁く。「あなたの妻をあの世に送ってさしあげますよ。代わりに、私の父を殺してくれませんか」と。お互いに殺人の動機がないので、警察は逮捕することができないと言う。『見知らぬ乗客』は個人間で取り交わされる契約だったが、もしも“交換殺人”を組織単位で行なったらどうなるか? ターゲットの選定、行動パターンの調査、そして実行、証拠隠滅を別々の人間が分担して“完全犯罪”をやり遂げる。ニコラス・ケイジ主演の『ハングリー・ラビット』は、平凡な高校教師が組織ぐるみの“交換殺人”に巻き込まれる恐怖を描いている。  舞台は米国のニューオリンズ。2005年に米国南部を襲った超大型ハリケーン・カトリーナの災禍からようやく街は立ち直り、かつての平和な暮らしが戻りつつあった。そんなある日、高校教師のウィル(ニコラス・ケイジ)の妻ローラ(ジャニュアリー・ジョーンズ)が銃で武装した暴漢にレイプされるという事件が起きる。ローラは一命を取り留めたが、ボコボコにされた顔が痛ましい。外傷以上に心の傷が深刻だった。夫であるウィルが近づいても怯えている。なぜ自分の妻が? 警察は何をしているのか? 怒りの吐け口を見つけられずにいるウィルに“見知らぬ男”が声を掛けてきた。「警察が犯人を捕まえても、すぐに釈放されます。私たちが代わりに強姦魔を罰してあげましょう」と謎の男サイモン(ガイ・ピアース)は話す。強姦魔をこのまま街にのさばらせておくわけにはいかない。正義は自分たちの側にあるのだ。そう考えたウィルは「イエス」の返事をする。しばらくして強姦魔の死体が発見された。ウィルは違和感を覚えつつも、ローラとの夫婦生活に平穏が戻ってくることを喜んだ。  ローラが元気を取り戻した頃、“見知らぬ男”サイモンが再びウィルの前に姿を現わす。強姦魔の件の代償として、今度はウィルが殺人を引き受けなくてはならないと説明する。交換殺人は組織単位で巧妙に行なわれており、彼らは「空腹なウサギは?」「ジャンプする」という暗号を交わしていた。次のターゲットはすでに選定されており、記事を捏造して人心を惑わす悪徳ジャーナリストを事故に見せかけて消すようウィルは命じられる。ウィルは頑なに代理殺人を拒み続けるが、想像以上に秘密組織の規模は大きく、ウィルは逃げ場を失っていく。「空腹なウサギは?」と問われたウィルは、やむえず「ジャンプする」と答えざるを得なくなる。
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強姦魔に襲われ、病院に運ばれた妻ローラ
(ジャニュアリー・ジョーンズ)。ウィルは自分
が何もできないことが恨めしい。
 ハリケーン・カトリーナによって堤防が決壊し、ニューオリンズの八割が水没した。行政の対応が遅れ、移動手段を持たない低所得者、高齢者、障害者たちが犠牲となった。さらに、ブッシュ政権の災害に対する認識が甘かったために救援体制が整わず、食料や医療品をめぐる略奪行為が相次いだ。自分たちの安全は自分たちで守らなくてはいけない。『ハングリー・ラビット』では災害をきっかけに防災・自衛の意識が強まった被災都市で、秘密裡に自警団が結成される。あくまでもフィクションだが、60年代の南部を舞台にした実録映画『ミシシッピー・バーニング』(88)に登場するKKKのような不気味さがある。また、災害の起きた地域では情報が錯綜し、デマや噂が飛び交いやすい。災害がもたらす以上の恐怖が人々を襲う。街が復興した後も、様々な都市伝説が生まれる。本作の善良なる主人公ウィルも、妻の暴行事件や交換殺人の依頼にパニック状態となり、冷静な判断ができなくなってしまう。『キック・アス』(10)では自警団の無茶ぶりをコメディとして演じたニコラス・ケイジが、本作では正義の名のもとに暴力を振るうことの是非を問い掛けてくる。
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“交換殺人”を断ったため、ウィルは秘密
組織に追い詰められる。一体、どちらが正義
なのか。
 今年で“芸能生活30周年”を迎えたニコラス・ケイジ。私生活では古城マニアであることに加え、スーパーカーやレアコミックの収集による散財が祟って、借金まみれ状態。そのため、ここ数年は作品を選ばぬ多作ぶりだ。やはり被災後のニューオリンズを舞台にした『バッド・ルーテナント』(09)や趣味と実益を兼ねた『キック・アス』(10)『ドライブ・アングリー3D』(11)は見応えのある好編だったが、古典アニメの実写化『魔法使いの弟子』(10)や伝奇ファンタジー『デビルクエスト』(11)といったビミョーな作品にまで主演。シネコンに行くと、いつもニコラス・ケイジの哀愁をたたえた中年顔が待っている。もはや“ハリウッドの船越英一郎”状態だ。ニコラス・ケイジひとりによって、ハリウッド大作が“プログラム・ピクチャー”化している感がある。とはいえ、ある一定レベル以上の娯楽作品に押し上げてみせているところは、さすがハリウッドのトップスター。本作では秘密組織の追っ手を振り切るシーンにおいて、立体高速道路でのパルクールを交えたスタントに挑んだ。金遣いはルーズだが、自分が二枚目スターではないことはしっかり自覚している。  借金まみれのニコラス・ケイジにぴったりな、もう一本の主演作が『ブレイクアウト』(6月23日公開)。美人妻(ニコール・キッドマン)と生意気ざかりな愛娘との3人で優雅な豪邸暮らしを満喫していたところ、その派手さに目をつけた覆面強盗団の襲撃に遭う。こちらの作品も、不意に降り掛かってきた暴力に対し、どうやって自分と自分の家族を守るかがテーマだ。果たして家族の絆パワーで、セキュリティー設備の盲点を突いてきた強盗団を撃退できるか? 借金に追われ、お尻に火が点いた状態で次々と映画に主演するニコラス・ケイジ。彼が現代の米国を象徴するスターであることは間違いない。 (文=長野辰次) hungryrabbit4.jpg 『ハングリー・ラビット』 製作/トビー・マグワイア、ジェームズ・D・スターン 監督/ロジャー・ドナルドソン 脚本/ロバート・タネン、ユーリー・ゼルツァー 出演/ニコラス・ケイジ、ジャニュアリー・ジョーンズ、ハロルド・ペリノー、ガイ・ピアーズ  配給/ショウゲート 6月16日(土)より新宿バトル9ほか全国公開中 <http://hungry-rabbit.com> (C)2011 HRJ DISTRIBUTION, LLC ●深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】INDEX [第175回]やめろと言われても、今では遅すぎたッ! 妻夫木聡&武井咲主演の過剰なる純愛劇『愛と誠』 [第174回]年間自殺者数3万人を越える現代社会への提言 自殺対策の現状を追った『希望のシグナル』 [第173回]“三島割腹事件”を若松孝二監督が映画化!『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 [第172回]実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開! 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