マニアも知らない歴史遺産級の劇場が続々登場! 映画がもたらす祝祭的悦楽を追う『旅する映写機』

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個性的な映画を上映してきた「シアターN渋谷」。黒字経営だったものの、デジタル化の波に呑まれ、7年間の歴史を終えた。
 肉体が滅んだ後も魂は生き続ける。ドキュメンタリー映画『旅する映写機』を観ながら、そんなことを考えた。映画の冒頭、2012年12月に映画ファンから惜しまれつつ閉館した「シアターN渋谷」のその後が映し出される。“サヨウナラ シアターN”と壁に書かれた館内では撤去作業が行われ、映画館の心臓といえる映写機が取り外されていく。運び出された映写機は鉄屑として回収されるわけではない。すでに日本では製造中止となった映写機は貴重なもの。その価値を知る関係者に引き取られていく。上映システムのデジタル化が進み、長年フィルム上映を続けてきた町の小さな映画館が次々と閉館に追いやられている。だが、回収された映写機たちは、再びスクリーンに夢を投影する機会をじっと待っているのだ。映写機たちはどんな輪廻転生を果たすのか? 『旅する映写機』の森田惠子監督はカメラを手に、映写機の行方を追って全国各地を回った。  旅の起点は北海道の小さな町からだった。人口1万4000人という浦河町で90年以上にわたって営業を続けている驚異の映画館「大黒座」をクローズアップした『小さな町の小さな映画館』(11)を撮り上げた森田監督は、大黒座に鎮座する年季の入った映写機は、1992年に閉館した札幌のミニシアター「ジャブ70ホール」で使われていたものだと知る。札幌で多くの人たちに夢を与えてきた古い映写機は170km離れた浦河町に再就職し、その後も多彩な夢を紡ぎ続けてきたのだ。映写機は映画館と共に運命を終えるわけではないことを知った森田監督の1年4か月に及ぶ撮影旅行はこうして始まった。
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高知県安芸郡安田町にある「大心劇場」。集落から離れた山奥にありながら、今も毎月1本ペースで上映を続けている。
 広島県尾道市の「シネマ尾道」はNPO法人として河本清順さんが2008年に開業したミニシアター。映画館を立ち上げる直前に映写機を預けていた倉庫が火事に見舞われ、開業を諦めるかどうかの選択を迫られたが、岡山市にある「シネマ・クレール」が1スクリーンを閉じたことで余った映写機に窮地を救われた。埼玉県川越市にある「川越スカラ座」は明治38年(1905)開業という古い歴史を持つ劇場だ。オーナーが高齢となり一度は閉館するも、地元の若いスタッフたちの手によってNPO法人として復活。1967年製の映写機を今も大事に使い続けている。最近の壊れやすい家電と違って、業務用映写機のなんとタフなことよ。川越スカラ座にある映写機はフジセントラルF−7。映写機のメンテナンスを請け負っているベテラン技師の桧原康次さんは「戦時中に零戦のエンジンを生産していた中島飛行機が戦後になって映写機を作るようになった」と語る。  映写機をめぐる旅は驚きの連続だ。四国に渡った森田監督は高知県の山道を進む。人家のない山奥に映画館があるのか? あった! 「大心劇場」だ。支配人の手づくり看板が何とも味わい深い。生きた映画資料館の様相を見せるこの小さな劇場にある映写機は1988年に閉館した「土佐山田東映」から貰い受けたもので、1954年製のフジセントラルF−5。さらに東京都東村山市にある「国立ハンセン病資料館」には1952年製のフジセントラルF−6が保存されていることが分かる。外部から隔離された療養所では映画の上映会が数少ない娯楽の場だった。ちなみに大黒座の映写機は1955年製のフジセントラルF-6。零戦の遺伝子を受け継ぐ名機・フジセントラルは戦後、全国津々浦々で実にいろんな人たちに夢を提供してきたのだ。2013年は零戦の設計者・堀越二郎を主人公にした宮崎駿アニメ『風立ちぬ』とベストセラー小説の映画化『永遠の0』が公開された年となるが、『旅する映写機』も“零戦をめぐるもう1つの物語”として記憶したい。
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大正3年に建てられた「本宮映画劇場」だが、東日本大震災にもビクともしなかった。不定期ながら上映会が行われている。
 森田監督のファンタスティックボヤージュはまだまだ続く。福島県本宮市にある「本宮映画劇場」は99年の歴史を持つ。常設の映画館としては1963年に休業したものの、館主である田村修司さんはサラリーマンとして働きながら人のいない映画館の電気代を払い続け、映写機の手入れを怠らなかった。サラリーマンを定年退職した後に再度開業するのが夢だった田村さんは、入院した際に世話になった病院関係者を招いての上映会を催す。この噂を聞きつけて町の人たちも集まり、大盛況のイベントとなった。本宮映画劇場にある映写機はカーボン映写機と呼ばれる旧式のもの。田村さんが2本の細長いカーボンを電流に近づけると発光が起き、その灯りによってフィルム映像がスクリーンに浮かび上がる。レトロな映写機は忘却の彼方にあった遠い夢を呼び起こす。  最新のシネコンやオシャレなミニシアターだけでなく、様々な形態で映画は上映され、多くの人たちに受け入れられていることを『旅する映写機』は教えてくれる。さて、冒頭でシアターNから撤去された映写機はどうなったのか? 森田監督に尋ねたところ、日本最後の映写機メーカーに勤めた加藤元治さんの手によってメンテナンスされ、飯田橋の名画座「ギンレイホール」のオーナーが所有する郊外の倉庫に他館から来た映写機たちと共に保管されているそうだ。いつかまた出番が来る日をじっと待つ映写機たち。休眠中の映写機は一体どんな夢を見ているのだろうか。 (文=長野辰次) eishaki_04.jpg 『旅する映写機』 製作・監督・撮影/森田惠子 構成・編集/四宮鉄男 音楽/遠藤春夫 語り/中村啓子 配給/『旅する映写機』製作委員会 11月30日(土)~12月20日(金)ポレポレ東中野にてモーニングショー、12月7日(土)より名古屋シネマスコーレほか全国順次公開 <http://www.eishaki.com/>

美少女として生まれし者の恍惚と不安、ここにあり エマ・ワトソンの輝きを記録『ウォールフラワー』

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『ウォールフラワー』で我が道を進むサブカル少女を演じたエマ・ワトソン。眼のやり場に困ってしまう衣装で年下男子を悩殺す。
 『ハリー・ポッター』シリーズで10年間にわたって魔法少女ハーマイオニーを演じたエマ・ワトソン。10代のほとんどをハーマイオニー役と共に過ごしてきた彼女が、等身大の生身の女の子に扮したのが『ウォールフラワー』だ。アメリカの田舎の高校に通う変わり者の美少女役を実に楽しげに演じている。撮影時21歳だったエマ・ワトソンの輝きを記録した作品として語り継がれることになるだろう。  ウォールフラワーとはパーティー会場などで壁際にいる、ひとりぼっちの人のこと。主人公は高校に進学したばかりの少年チャーリー(ローガン・ラーマン)。内気な性格が災いして、なかなか同学年に友達が作れずにいる。クラス内はあっという間にグループ分けができてしまい、チャーリーはどこにも属することができないはみだし者になってしまった。いつも1人っきりで、昼休みは学食の片隅で黙ってランチを喉に押し込んでいる。卒業までずっとこのままの生活が続くかと思うと気が重い。  アメフト部の対校試合を観戦にきたチャーリーは、ここで一念発起。上級生だけど同じ工作の授業を受けているパトリック(エズラ・ミラー)に思い切って声を掛けてみる。パトリックは学園いちの変人だったが、年下のチャーリーに優しく接し、隣の空いている席を勧めてくれた。学内で初めて口を利いてくれる相手が見つかってチャーリーはうれしくて堪らない。そして、ちょっと遅れて現われたのは眼を見張るような美少女サム(エマ・ワトソン)。パトリックとサムはお互いの親が再婚した義兄妹。2人は学内でどのグループにも属さない異色の存在だった。翌日、パトリックは学食にひとりでいたチャーリーに「一緒にランチしようぜ」と声を掛けてくれた。サムも一緒だ。チャーリーの灰色の学生生活が一気にバラ色に塗り替わった。
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学内でどこにも所属できずにいるチャーリー(ローガン・ラーマン)。サムたちに出会うまではスクールカーストの底辺をさまよっていた。
 年上の女性・サムは、チャーリーにとって眩しすぎる存在。ダンスパーティーではデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの83年の大ヒット曲「カモン・アイリーン」をBGMに弾けたダンスを披露する。パーティー後の深夜ドライブでは、車から上半身を乗り出してショートヘアをなびかせた姿が神々しい。そしてクリスマスには作家志望のチャーリーのためにタイプライターを用意しただけでなく、特別な贈り物を2人っきりのときにこっそりプレゼントしてくれる。サムにリードされ、チャーリーは大人の階段を一歩ずつ上がっていく。スクールカーストなどに縛られない自由なサムたちに感化されたチャーリーは、今ではキング・オブ・ウォールフラワーとして堂々と咲き誇っていた。  義兄のパトリックとは別に、いつもワイルド系の恋人を侍らせているサム。でも年下のチャーリーには格別に優しい。どうしてサムはチャーリーに親切なのだろうか? サムは自分の美しさを知っている。それが傲慢に感じられないほど、彼女は完璧に美しい。だが、その美しさは永遠に続かないことも彼女は承知している。美少女とは、生命のはかなさと創造主である神の残酷さを知る美しい生き物の呼称なのだ。多分、美少女たちは自分の最盛期の輝きを記録し、後世に語り継いでくれるスクリプターを本能的に欲しているに違いない。サムとチャーリーはとても仲のよい親友となるが、恋人の関係には踏み出せない。上級生と下級生という年齢差以上に、神に選ばれし美少女とその記録係という関係性によって2人はお互いの距離をそれ以上縮めることができない。
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パトリック(エズラ・ミラー)の運転で真夜中のドライブへ。彼らにとって、この3人でいるときがいちばんハッピーな時間だった。
 原作者であるスティーブン・チョボスキー監督自身の手によって映画化された本作。物語の設定は1991年だが、田舎の高校が舞台ということもあり、80年代の色合いが強い。チャーリーもサムも80年代に活躍したUKバンド、ザ・スミスが大のお気に入りで、リバイバルブームに沸いたホラーミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』(75)のコスプレ上映会に嬉々として参加する。仏教徒でパンクスのメアリー(メイ・ホイットマン)らと一緒になって、映画マニア向けのミニコミ誌づくりに熱中する。UKロック、カルトムービー、ミニコミ誌……。学内の主流派にはなれない、いや主流派になることにまるで興味がない、はみだし者たち文化系の青春が鮮やかに描かれていく。  ヒロインであるサム役に英国人エマ・ワトソンを起用したチョボスキー監督は、エマ・ワトソンの中に孤独な影を感じていたそうだ。美少女は美しければ美しいほど孤独に映る。チョボスキー監督の故郷であるピッツバーグ郊外で撮影は行なわれ、本作のハイライトともいえる車から上半身を乗り出してのドライブシーンの撮影中、エマ・ワトソンは泣き出してしまった。「両手を挙げていたら、気持ちが高ぶっちゃって。間違いなく、あれは私の人生の中で最高の瞬間のひとつだったわ」と振り返るエマ・ワトソン。彼女自身、『ウォールフラワー』の撮影時に人生のあるピークに自分が達していることを悟っていた。  映画とは過去を振り返る表現に他ならない。そこにはすでに失われてしまった美しさが刻まれ、どうしようもない哀しみやはかなさが伴う。その宿命を背負う覚悟がある者だけが、美少女として輝くことができるのだ。『ウォールフラワー』の中のエマ・ワトソンは、泣きたくなるほど美しい。 (文=長野辰次) wallflower04.jpg 『ウォールフラワー』 原作・脚本・監督/スティーブン・チョボスキー 出演/ローガン・ラーマン、エマ・ワトソン、エズラ・ミラー、メイ・ホイットマン、ケイト・ウォルシュ、ディラン・マクダーモット、メラニー・リンスキー、ニーナ・ドブレフ、ジョニー・シモンズ、ジョーン・キューザック、ポール・ラッド  配給/ギャガ 11月22日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開  (c)2013 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. <http://wallflower.gaga.ne.jp>

“アニメーションは呪われた夢”なのか? スタジオジブリの1年間を密着撮影した『夢と狂気の王国』

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宮崎駿、鈴木敏夫、高畑勲という強烈な3つの個性の化学反応を推進力とするスタジオジブリの1年を追った『夢と狂気の王国』。(c)2013 dwango
 日本アニメの黄金時代は終わりを告げたのか? 国民的アニメ作品を次々と生み出してきたスタジオジブリは今、大きな転換期を迎えている。アニメーション製作に人生を捧げた自身の姿を投影した『風立ちぬ』を最後に宮崎駿監督は引退を表明、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』(11月23日公開)も東映動画作品やTVシリーズ『アルプスの少女ハイジ』などを彷彿させる日本アニメ史の集大成的な作品に仕上がっている。2013年は宮崎駿、高畑勲という両巨匠の作品が同年公開されたメモリアルな年として記憶されるだろう。鈴木敏夫プロデューサーが両巨匠の劇場作品を作るために奔走したスタジオジブリはその当初の目的を果たしたことになる。そんなひとつの時代の節目を見届けたのは、ドキュメンタリー映画『エンディングノート』(11)でデビューを果たした砂田麻美監督だ。2012年秋から1年間近く、砂田監督はスタジオジブリに通い続け、『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の製作過程を追った。日本人が大好きな国民的アニメは、“呪われた夢”と“明るい狂気”によって命を吹き込まれていることを砂田監督は『夢と狂気の王国』の中で明かしていく。  緑に覆われたメルヘンの世界に登場する洋館のようなスタジオジブリの外観から映画は始まる。敷地内には社員用の保育園が併設されており、宮崎駿監督は子どもたちに手を振るのを日課にしている。スタジオの屋上は庭園となっており、美しい夕焼けを眺めることができる。そしてフロアには物づくりの現場らしい活気が満ちている。ある女性スタッフは「会社というより、学校みたい」と笑顔で話す。スタジオジブリはとても環境の整った職場のようだ。だが、別の女性スタッフはこうも言う。「犠牲にしても得たいものがある人はいいけど、自分の中に守りたいものがある人は長くいないほうがいい」と。宮崎駿監督は自分に厳しいが、スタッフにも厳しい。巨匠の要求するレベルに応えるのは生半可なことではない。巨匠の周辺にはとてつもない引力が働き、正しい距離を保ち続けるのは困難を極める。黒澤明、今村昌平……過去の巨匠たちにも多くの優秀な人材が仕えたが、そこからオリジナリティーある監督として独り立ちした人間は数少ないことをふと思い出させる。  巨匠・宮崎駿との距離をはかることに、どうしようもなく苦しんでいるのは宮崎吾朗監督だろう。宮崎吾朗監督と新作映画の担当プロデューサーが打ち合わせる席に鈴木プロデューサーも同席するが、新作の企画は難航を極めているようだ。『ゲド戦記』(06)『コクリコ坂から』(11)を興行的に成功させた宮崎吾朗監督だが、今も自分の進んでいる道に葛藤を抱えている。自分の感情を吐露する宮崎吾朗監督を、鈴木プロデューサーは「今回、宮崎駿さんも高畑勲さんも作りたがらないのを、僕が無理矢理作らせているんだよ」と笑顔で言い含めようとする。父とは違う道を歩んできた宮崎吾朗監督をアニメ製作の世界へ引き込んだ鈴木プロデューサーがまるでメフィストフェレスのように感じられるではないか。一見、明るく平和そうに見えるジブリ内には激しい風がごうごうと吹き荒れている。  スタジオジブリの住人の中で宮崎駿監督といちばんうまく距離を保っているのはジブリの名物猫・ウシコに違いない。画面に度々登場するウシコはジブリの正式な飼い猫ではなく、いつの間にかジブリに住みついてしまった迷い猫。猫という動物は自分にとって居心地のよい場所を見つける天才だ。スタッフに可愛がられ、白と黒のツートンカラーの毛並みをいつも艶やかにしているウシコ。屋上庭園で昼寝するウシコを見て、宮崎駿監督は「なんて平和な顔をしているんだ。スケジュールがないんだな」と羨ましげだ。ジブリ内を自由気ままに闊歩するウシコだが、決して足を踏み入れない聖域があるという。それは宮崎駿監督の仕事場だ。宮崎駿監督が絵コンテや作画に集中する背中には他者を寄せ付けないオーラが漂う。ウシコは人間の眼には見えない巨匠のオーラを敏感に感じ取っているらしい。  宮崎駿監督が『風立ちぬ』の完成を目指すスタジオジブリとは別棟で、高畑勲監督は『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)以来となる新作『かぐや姫の物語』と向き合っている。ひとつのスタジオが同時に2つのアニメ大作を製作するのは尋常なことではないが、鈴木プロデューサーは高畑監督と宮崎監督の両者の間にあるライバル意識を巧妙に煽る。ちょっとやそっとの刺激では、この両巨匠が動かないことを“猛獣使い”である鈴木プロデューサーは熟知している。『風立ちぬ』と同時公開はならなかったが、8年間の製作期間を要した『かぐや姫の物語』はその期待を裏切らない傑作として徐々に姿を見せつつあった。  本作のいちばんの注目点は、宮崎駿監督が引退表明するまでの心情の動きを砂田監督が細やかに追い続けたことだろう。煙草を片手に一心不乱にペンを走らせる宮崎駿監督の姿は『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎そのものである。夜、ジブリを出た宮崎駿監督は個人用のアトリエに砂田監督を招き、東日本大震災や福島第一原発事故についての私見を語る。「機械文明は呪われた夢」だと言う。飛行機づくりもアニメーション製作も同じく、呪われた夢なのだと。映画づくりが本当に素晴しいものなのか今もわからないと話す。巨匠・宮崎駿も息子・宮崎吾朗と同じように葛藤を抱えながら仕事に向き合っていた。  『風立ちぬ』の完成を間近にした宮崎駿監督に一通の手紙が届く。送り主は戦時中に宮崎家の隣に住んでいた少年。空襲で焼き出された少年は、宮崎駿監督の父親から当時は貴重品だったチョコレートを手渡されたという。そのお礼状を息子である宮崎駿監督宛てに送ってきたのだ。宮崎駿監督の父親は町工場を経営し、戦時中は戦闘機の風防を作る軍需景気で賑わった。軍需産業に従事しながら、戦争被害者には優しい心遣いを見せていた父親の素顔が明かされる。宮崎家の人々は代々にわたって仕事に対する葛藤を抱えながら生きてきたのだ。この手紙が宮崎駿監督の内面にどれだけ影響を与えたのかは本人以外にはわからないが、腑に落ちるものがあったのだろう。『風立ちぬ』が劇場公開を迎え、そして9月。宮崎駿監督は引退会見を開く。  高畑監督の『かぐや姫の物語』の劇中に素晴しい台詞がある。「この世は生きるに値する」。この台詞は『かぐや姫の物語』の世界だけでなく、『風立ちぬ』で悲惨なラストに見舞われる主人公に向けられた言葉のようにも感じられる。アニメーションは呪われた夢なのかも知れない。でも、それは懸命に生きた人間だけが見ることを許された美しい夢でもあるのだ。『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』を完成させたスタジオジブリは、新しい夢を見るためにしばし冬の眠りに就く。 (文=長野辰次) 『夢と狂気の王国』 製作/ドワンゴ 脚本・監督/砂田麻美 プロデューサー/川上量生 音楽/高木正勝 配給/東宝 11月16日(土)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー <http://yumetokyoki.com>

イジメに関わったヤツらはみんな断罪するッ!! 現代に甦った“思春期ホラー”の傑作『キャリー』

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クロエ・グレース・モレッツ主演でリメイクされた『キャリー』。オリジナル版のファンだったモレッツは、オーディションを受けてキャリー役をつかんだ。
 “百獣の王”ライオンが吠え叫ぶMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のオープニングロゴ。レオ・ザ・ライオンの名で洋画ファンに長年親しまれているマスコットキャラクターだが、クロエ・グレース・モレッツ主演作『キャリー』のオープニングはちょっと異なる。レオ・ザ・ライオンの瞳のクローズアップから始まり、普段のレオの瞳はとても優しいことがわかる。ところがレオを脅かす存在が現われると、その表情は一変してキバを剥く猛獣へと変貌する。オープニングロゴのアレンジに、リメイク版『キャリー』のテーマがすべて語られていると言っていいだろう。  原作はスティーブン・キングの初めての長編小説。まだ無名時代のキングが自宅代わりのトレーラーハウスで書き上げたものだ。高校の臨時教員をしていたキングは、生活費の足しになればと雑誌向けの短編小説を書いていた。イジメに遭う少女の復讐談を書き始めたが、雑誌に掲載するには長過ぎることから未完成原稿をゴミ箱に棄ててしまう。ゴミを片付けようとしたキングの奥さんに「この小説、面白いわ。あなたはこれを書き上げるべきよ」と励され、完成させるに至る。生みの親であるキングから一度は見捨てられた少女キャリー・ホワイトの物語はこうして誕生した。  キング原作の初めての映画化となったブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(76)は世界中で大ヒットし、今なお“思春期ホラー”の金字塔として人気が高い。キリスト教原理主義者の母親マーガレットと2人暮らしの高校生キャリー・ホワイトはいつも地味な服装で、オドオドしていることから、クラスメイトたちにからかわれてばかりいた。体育の授業の後、シャワーを浴びている最中にキャリーは遅めの初潮を迎え、パニック状態に陥る。大人への成長はけがらわしいことと考えるマーガレットから、キャリーは生理について一切教えてもらっていなかった。下半身から血を流して泣きわめくキャリーに向かって、女子たちは爆笑しながら生理用品を投げつける。体育教師に連れ出され、うなだれるようにして帰宅するキャリー。だが、この日を境にキャリーは不思議な力を発揮するようになる。キャリーの感情が高ぶると、周囲のガラスや鏡は次々と割れ始めた。
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狂信的なキリスト教信者である母親マーガレット(ジュリアン・ムーア)に育てられたキャリーは「産まなければよかった」という母の言葉に傷つく。
 プロムパーティー(卒業パーティー)で起きる血の惨劇はあまりにも有名だ。友達のいないひとりぼっちのキャリーに、学年でいちばんのイメケン男子トミーが「僕と一緒にプロムに行かないか」と誘ってきた。「からかわないで」と顔をそむけるキャリーだが、冗談でもパーティーに誘われたことがうれしかった。キャリーへのイジメの輪に加わったことに罪悪感を覚えた同級生のスーが恋人であるトミーに「キャリーを誘ってあげて」と頼んだからだったが、はにかんだキャリーの顔が意外とかわいいことにトミーは気づく。母親が大反対するのを押しのけて、キャリーは晴れてトミーに伴われて夢に見たプロムパーティーへ向かう。そして喜びの絶頂から、一気に奈落の底へ。青春の美しさと残酷さの両極を描き切った名シーンだ。キャリーの怒りと絶望が爆発し、パーティー会場は血の海と化す。  デ・パルマ版は、キャリー役のシシー・スペイセクの目が異様に大きく、腺病質的な表情がハマり過ぎで、「女子の世界は恐ろしい」「日本の高校にはプロムがなくて良かった」とトラウマになりかねないほどの強烈なインパクトを残した。デ・パルマ版に比べ、性同一障害の女性を主人公にした『ボーイズ・ドント・クライ』(99)の女性監督キンバリー・ピアースが撮った今回のリメイク版はストレートなホラー映画ではなく、学園ドラマとしての比重が重い。クロエ・グレース・モレッツ演じるキャリーは自分に超能力が備わっていることを知り、図書館やパソコンでいろいろと調べ、どうすれば社会に適合できるか自分なりに懸命に考える。トミーにプロムに誘われて一度は断るものの、思い切って人の善意を信じてみようと決意する。母親の言いなりで、学校でイジメられてばかりいる人生から何とか脱しようと試みる。それゆえに、悪意を持った一部の存在がプロムパーティーに闖入したことから歪められる、キャリーの「普通の女の子になりたい」という願いがより切なく響く。キャリーがこれまでの人生で溜め込んでいたネガティブエネルギーがマックス状態で吹き出し、パーティー参加者たちはイジメに直接的には関わっていない人たちまで巻き添えとなり、復讐の炎に包まれてしまう。
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憧れていたトミー(アンセル・エルゴート)にエスコートされてプロムパーティーへ向かうキャリー。イケてない自分から卒業できるはずだったが……。
 肉親との確執、自分は誰からも愛されていないという孤立感、肉体が子どもから大人へと変わっていくことへの戸惑い、幸せそうなクラスメイトへの羨望と嫉妬……。キャリーは自分の中で渦巻く負の感情を制御できなくなり、大暴走を始める。明るく健康的なイメージの強いクロエ・グレース・モレッツがキャリーを演じたことへの不満の声も少なくないが、きっと人気者のモレッツの中にもキャリーは存在するのだろう。キャリーはキングが生み出した創作上のキャラクターだが、どの学校にも、どの町にも、誰の心の中にも存在する女の子なのだ。  キャリー・ホワイトをイジメてはいけない。なぜなら彼女はあなたの心の中にもいるからだ。キャリーを傷つけることは、自分自身を傷つけることになる。キャリーは決して死なない。キャリーはあなたの心の中でずっと生き続けている。 (文=長野辰次) carrie_04.jpg 『キャリー』 原作/スティーブン・キング 脚色/ローレンス・D・コーエン、ロベルト・アギーレ=サカサ 監督/キンバリー・ピアース 出演/クロエ・グレース・モレッツ、ジュリアン・ムーア、ジュディ・グリア、ポーシャ・ダブルデイ、アレックス・ラッセル、ガブリエラ・ワイルド、アンセル・エルゴート 配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント PG12 11月8日(金)より公開  <http://www.carrie-movie.jp>

“人種差別”の壁に挑んだ男たちの実録ドラマ! 背番号が与える重みと力『42 世界を変えた男』

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近代メジャーリーグ初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソン。脅迫や嫌がらせに屈することなく、ガッツ溢れるプレーでドジャースの躍進に貢献した。
 武器を持たずに、完全なる非暴力を貫くことで“革命”に挑んだ男たちの物語だ。『42 世界を変えた男』のタイトルにある“42”とは、近代メジャーリーグ初となる黒人選手ジャッキー・ロビンソンが背負っていた背番号のこと。現在、全米のあらゆる球団で永久欠番扱いとなっている唯一の背番号である。ロビンソンがメジャーリーグ入りを果たした1947年の米国にはまだ激しい人種差別が残り、400人いるメジャーリーガーは全員白人だった。ブルックリン・ドジャース率いるブランチ・リッキー会長と契約したロビンソンは、たった1人でグランド上での闘いを強いられた。対戦チームだけでなく、観客、審判、そしてチームメイトさえも、肌の色が違うロビンソンのことを敵対視していた。ひとりのアスリートが起こした革命が全米にどのような影響をもたらしたのかを『42 世界を変えた男』は伝える。  物語は第2次世界大戦が終結した1945年から始まる。祖国アメリカを守るために戦場へと送り出された多くの黒人兵たちが帰ってきた。だが、彼らが命懸けで守った米国には「人種隔離法」という悪しき法律が存在していた。リンカーン大統領の奴隷解放宣言によって奴隷制度は表向きはなくなったものの、ホテル、レストラン、バス、トイレ、水飲み場などの公共施設を黒人は白人と一緒に利用することができないままだった。メジャーリーグは白人たちのもので、身体能力の優れた黒人選手たちはニグロリーグでプレーするしかなかった。陸軍を退役したロビンソン(チャドウイック・ボーズマン)もニグロリーグに属する選手のひとり。厳しい人種差別に遭いながらも、野球を愛する仲間たちとバスに揺られて巡業する日々を送っていた。彼らにとっては大好きな野球をやって食べていけることが現実的な理想であって、メジャーリーグでプレーすることは夢のまた夢でしかなかった。  そんなニグロリーグに注目していたのがドジャースのリッチー会長(ハリソン・フォード)だった。ドジャースの本拠地であるNYの下町・ブルックリンは黒人層が多い。ニグロリーグから有能な選手を連れてくれば、低迷するチームの戦力アップは間違いない。当時のニグロリーグはメジャーリーグとのエキシビションマッチで圧倒的な勝率を誇っていた。ドジャースが強くなり、しかも球場に大勢のファンが詰めかける。“興行の天才”と呼ばれたリッチー会長はこのアイデアを迷わず実行に移す。「前例がありません」と慌てふためく球団職員たちに対し、リッチー会長はこう言い放つ。「1ドル紙幣は白でも黒でもない。緑色だ」。
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ロビンソン(チャドウイック・ボーズマン)は罵声が飛び交う球場で、チームメイト、ファン、マスコミが納得する成績を残さなくてはならなかった。
 球団職員たちには「これはビジネスだ」と説く一方、リッチー会長にはもう1つの思惑があった。戦争が終わり、これからは新しい平和な時代。人種隔離制度がおかしいことはみんな気づいているのに、誰もそのことに触れようとしない。それならば球界が、フェアプレーの精神を重んじる野球人こそが率先して改革に取り組むべきではないのか。リッチー会長は豪腕ビジネスマンであると同時に、誰よりもドジャースを愛し、そして野球が大好きだった。お金儲けという“実利”と差別のない社会づくりという“理想”、この2つの歯車が噛み合い、リッチー会長の「偉大なる実験」が動き始める。  リッチー会長のお眼鏡に適ったのは、ニグロリーグに参加して間もない26歳のロビンソンだった。当時のニグロリーグには超人級のスーパープレイヤーたちがゴロゴロしていた。投手のサチュル・ペイジは時速170キロの豪速球を投げ、さらにホームベースに置いたタバコの箱にボールを当てて倒してみせる絶妙のコントロールも備えていた。“黒いベーブ・ルース”と呼ばれるジョシュ・ギブソンは通算本塁打が900本を越えるスラッガーだった。彼らの超絶プレーを観るために黒人ファンはニグロリーグに押し寄せた。だが、リッチー会長はあえてスーパースターではないロビンソンを抜擢する。まだ伸びしろのあるロビンソンがメジャーリーグに移籍して成長する姿こそが、ファンの感動を呼ぶと考えたのだ。もうひとつ、ロビンソンがUCLAに在籍し、陸軍将校を務めたプロフィールも重要視された。白人社会の中に入っても、ロビンソンなら理不尽なトラブルに冷静に対処できるだろうと。ドジャースの事務所に呼び出されたロビンソンは、リッチー会長に求める選手像を尋ねる。「会長はやられてもやり返さない腰抜けが欲しいんですか?」。プレイヤーとしての能力だけでなく人格面も見込んでいるリッチー会長の返事はこうだ。「やられても、やり返さない勇気の持ち主がほしいんだ」。
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ビジネスマンの仮面を被りながら、野球改革を進めるドジャースのリッチー会長。映画賞に無縁だったハリソン・フォードが久々の好演!
 リッチー会長と契約を結んだロビンソンがグランドに一歩足を踏み入れると、尋常ではないプレッシャーが襲い掛かってきた。敵チームや観客は「ニガー! ニガー!」の大合唱、ロビンソンの頭部を狙ってビーンボールが投げられ、俊足を活かしてベース上を駆け抜けても塁審はアウトを宣告する。チーム内では「黒人選手の参加は認めない」という署名運動が水面下で進められていた。リッチー会長はグランドの中までは助けに来てくれない。そんな孤立無援の状況で、どうしてロビンソンは耐えることができたのだろうか?  ロビンソンが対戦相手や観客のヤジに切れてしまったら、ようやくリッチー会長が開けてくれたドアを自分で閉めてしまうことになる。そのドアの向こう側で待っているニグロリーグの同胞たち、将来を夢見る若い選手たちの可能性をすべて潰すことになってしまう。黒人アスリートたちの未来が、ロビンソンの言動やプレーのひとつひとつに託されていたのだ。ロビンソンが背負った“42”という背番号はとてつもなく重かった。だが、その重みがロビンソンをグランドに踏みとどまらせた。  ロビンソンがメジャーリーガーとなってどれだけ大活躍したかは、野球好きな人ならご存知だろう。1956年に現役引退したロビンソンは公民権運動に積極的に参加し、1964年になって人種隔離法はようやく廃止となる。リッチー会長とロビンソンがたった2人で始めた非暴力革命は、全米中に多大な影響を及ぼすことになった。ロビンソンの成功に刺激され、サチュル・ペイジは42歳にしてメジャーリーグ入りするなど、ニグロリーグの有力選手たちは次々と大舞台へと挑戦していく。その結果、ニグロリーグは急速に人気を失い、リーグ解散を余儀なくされた。“42”という数字が偉大なる伝説となった影で、伝説を生み出す豊かな土壌を誇ったニグロリーグという世界が存在したことも記憶しておきたい。 (文=長野辰次) 42_4.jpg 『42 世界を変えた男』 監督・脚本/ブライアン・ヘルゲランド 出演/チャドウイック・ボーズマン、ハリソン・フォード、ニコール・ベハーリー、クリストファー・メローニ、アンドレ・ホランド、ルーカス・ブラック、ハミッシュ・リンクレイター  配給/ワーナー・ブラザース映画 11月1日(金)より全国公開  (c)2013 LEGENDARY PICTURES PRODUCTIONS LLC. <http://wwws.warnerbros.co.jp/42movie>

人間とハエとの恋愛は果たして成就するのか? インドからやって来た“虫愛づる姫”『マッキー』

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映画史上初となる一匹のハエを主人公にしたインド映画『マッキー』。愛する女性に、一途なハエ心は伝わるのだろうか?
 『風の谷のナウシカ』(83)のナウシカや『パンズ・ラビリンス』(06)のオフェリアなど、映画の世界では虫たちとコミュニケーションするヒロインたちが活躍してきた。そんな“虫愛づる姫”の仲間が新たに加わった。インド映画『マッキー』のヒロイン・ビンドゥは「恋人はハエです」という、かなり変わったキャラクターだ。“マッキー”とはヒンディー語でハエのこと。そう、『マッキー』の主人公は一匹のハエ。小さなハエと人間の女性とのラブロマンスを描いた現代版“異類婚”の物語なのだ。『ロボット』(10)『きっと、うまくいく』(09)など世界的ヒット作を生み出している近年のインド映画の勢いと多様性を感じさせるではないか。  ビンドゥ(サマンサ・ルス・プラブ)は典型的なツンデレ美女。恵まれない子どもたちのために慈善活動を行なうNGO団体に勤める心優しい女性だが、隣に住む青年ジャニ(ナーニ)が自分に想いを寄せていることに気づきながらつれない態度をとっている。ビンボーなジャニは毎月わずかな金額しか寄付できないけれど、そんなジャニの健気さをビンドゥは実は好ましく感じていた。ある晩、残業で遅くなったビンドゥが空メールを送ると、ジャニは飛ぶようにして現われ、夜道をエスコートしてくれた。ジャニの2年越しとなる熱い想いを、ようやく素直に受け止めるビンドゥ。ついに人生の絶頂期を迎えたジャニ。浮かれまくった主人公が歌い踊るシーンはインド映画のお約束です。
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ビンドゥへの恋心が実り、喜びの絶頂に浸かるジャニ(ナーニ)。数時間後の自分に待っている衝撃的な運命はまるで予感できずにいる。
 ところが、わずか数時間後に彼の人生はジ・エンドとなってしまう。「欲しいものは全て手に入れる」という凶悪な建築会社社長スティープ(スティープ)もビンドゥを狙っており、ジャニが目障りだったのだ。スティープと部下たちに拉致されたジャニは哀れ、撲殺死してしまう。主人公が序盤で死ぬという衝撃的な展開。と、ここまでが前振り。死んだジャニは、愛するビンドゥを守るため、一匹のハエへと輪廻転生。小さな体で、極悪人スティープに戦いを挑む。まぁ、身も蓋もなく言ってしまえば、デミ・ムーア主演の大ヒット作『ゴースト/ニューヨークの幻』(90)の昆虫版ですよ。  ハエが主人公と聞いて、オシャレ女子は「えっー」と引いてしまいがちだが、むしろ女性に勧めたい本作。物語のキーアイテムとなっているのが、ビンドゥが作るマイクロアート。鉛筆の芯を細やかに削って、ハート型にしたり、鎖状にする、とってもミニマムな彫刻なのだ。マイクロアートはよ~く見ないとその魅力に気づかないし、丁寧に扱わないとあっさり壊れてしまう。それって、まぁ、人間の心と同じじゃないですか。寄付してくれた篤志家に対し、精魂込めたマイクロアートをお礼に贈るビンドゥ。ビンドゥはナウシカのように虫と交信できる特殊能力に恵まれているわけではないが、小さきもの、ささやかなものを愛でる繊細な心が持ち味。一匹のハエが妙に自分にまとわり付き、一生懸命に何かを訴えかけていることに気づくわけです。姿が変わってしまった恋人の存在をそのまま受け入れる、ヒロインのオープンマインドさにぐっと来ますね。  多種多様な言語、文化、宗教観が入り交じったお国柄がインド映画には反映されている。学歴偏重社会をクールに風刺した学園ドラマ『きっと、うまくいく』はインド北部のヒンディー語圏、ラジニカーント主演のベタなギャグ満載の『ロボット』はインド南部のタミル語圏の映画。もともとの『マッキー』はヒンディー語、タミル語に続くインド第3の言語、テルグ語で作られたもの。ちなみにインド南東部のテルグ語圏で作られる映画は、ボンベイで作られるボリウッド作品に対しトリウッド作品と呼ばれている。年間1200本以上もの映画が製作されているインドでは、それぞれの言語圏だけで産業として成り立っている映画界が10ほど存在するそうだ。それってインドのローカル映画でしょ、と侮るなかれ。最新VFXを駆使した『マッキー』は主人公をハエながら可愛げのあるキャラクター造形に仕上げたこともあり、インド全域でスマッシュヒットしたのみならず、米国では同時期に公開されたハリウッド超大作『アメイジング・スパイダーマン』(12)をスクリーンアベレージで上回ってみせた。小さきものがでっかい巨人をひっくり返してみせるという痛快さが『マッキー』の魅力となっている。
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ハエとなったジャニは、ビンドゥ(サマンサ・ルス・プラブ)に協力してもらい肉体トレーニングを開始。昆虫版『ロッキー』(76)の世界です。
 日本語吹替え版で悪役スティープのボイスキャストを担当したのは中村獅童。中村獅童によると、歌舞伎界にはハエに関して言われがあるそうだ。中村獅童は2012年12月に亡くなった中村勘三郎にずいぶん引き立ててもらっていたが、中村勘三郎は決してハエを殺そうとしなかったという。中村勘三郎の父親・17代目中村勘三郎が「俺が死んだらハエにでもなって、みんなを見張ってやる」と生前に言い残していたからだ。中村勘三郎が舞台上で口上を述べる際にハエが手に留まったりすると、「先代が見守ってくれている」と感じていたらしい。肉体を失ってからも、魂は愛するもののことをずっと想い続けている。残された者がそう信じることで、魂は本当に生き続ける。歌舞伎界とインド映画に、汎アジア的な死生観が共に流れていることも興味深い。  ハエとなったジャニから見れば、極悪人スティープは“進撃の巨人”ばりの大巨人。一匹のハエがありとあらゆる手段を講じて、人間に立ち向かっていく姿が何ともいじらしい。ハエと人間との戦いは壮絶なバトルへと向かっていく。さて、インド映画といえば最後は歌って踊っての大ハッピーエンディングがお約束なのだが、本作には一体どんな結末が待っているのだろうか? ハエとなった主人公ジャニは愛するビンドゥのために、映画史上かつてない無償の愛を捧げることになる。もはや愛というより、業(カルマ)である。走り出したカルマは、もうどうにも止まらない。ジャニが恋人のために生まれ変わったように、インド映画自体も大きく生まれ変わろうとしている。 (文=長野辰次) makkhi030.jpg 『マッキー』 原作・脚本・監督/S.S.ラージャマウリ 音楽/M.M.キーラヴァーニ 出演/ナーニ、スディープ、サマンサ・ルス・プラブ 配給/アンプラグド 10月26日(土)よりTOHOシネマズ六本木ほか全国公開  (c)2012 Varahi Chalana Chitram. All rights reserved. <http://masala-movie.com/makkhi>

ザ・ブルーハーツ、BOOWY、尾崎豊らが競演した! 史上サイテーのロックフェス『BEATCHILD1987』

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豪雨の中で決行されたオールナイトイベント「BEATCHILD1987」。ズブ濡れになって歌う尾崎豊の姿に7万人の観客は陶酔し、一体感を覚えた。
 まるでこれから田植えでも始まるかのようなぬかるみ状態の会場。雷鳴まじりで断続的に降り続ける豪雨。ステージ上の機材は浸水のためトラブルの連続。当然ながら出演アーティストの演奏はベストコンディションには程遠いものだった。そんな悪条件ながら、いや最悪の状況だったからこそ、参加者たちの記憶に刻まれたロックライブがあった。フジロックフェスが始まる以前、1987年8月22日に九州の南阿蘇で開かれた「BEATCHILD1987」がそれだ。出演アーティストがあまりにも豪華すぎる。ザ・ブルーハーツ、RED WARRIERS、BOOWY、THE STREET SLIDERS、尾崎豊……。もう2度とありえない顔ぶれが集ったオールナイトイベントだった。LIVEドキュメンタリー『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』は、ロックムーブメントに湧いた80年代の熱気と野外フェスならではの悲惨な状況をそのままタイムカプセルに閉じ込めたレアものの映像記録だ。その封印が26年ぶりに解かれる。  出演アーティストが発表された時点で、大変な反響を呼んだロックイベントだった。3万人の動員を予定していたイベント会場のアスペクタには、7万2000人もの若者たちが全国から集結した。日本版ウッドストックだと騒がれた。阿蘇山麓の雄大な大草原の中で、さわやかな夜風を感じながら、星空に彩られた夢のロックフェスになるはずだった。だが、山の天候はあまりにも無情だった。夕方6時の開演を前に土砂降りのスコールが降り、ステージ前の客席スペースを濁流が流れる有り様となる。こんな状況でオールナイトイベントができるのだろうか?
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80年代後半のロックブームを牽引したザ・ブルーハーツ。ステージ上を飛び跳ねるヒロトのエネルギッシュさに観客は引き込まれていく。
 イベント関係者も観客も抱いていた不安な気持ちを、スコ~ンと蹴り飛ばしてみせたのはオープニングを飾るザ・ブルーハーツだった。ブルーハーツはこの年の5月にメジャーデビューを果たしたばかり。雨の中、会場入りしたヒロトがカメラに向かって笑う。「最高だな、おい!」。このヒロトのひと言と笑顔がこのドキュメンタリーの“核”となる。ロックとはポピュラー音楽のいちジャンルを指した言葉ではない。不満だらけの現実を爆発するエネルギーに転換させる強烈な思考性こそロックなのだ。ドブネズミみたいにずぶ濡れになった観客に、ブルーハーツの名曲「リンダリンダ」が捧げられる。こうして長い長いオールナイトイベントの幕が上がった。  続くRED WARRIERSの演奏中こそ小降りとなっていたが、“和製プリンス” 岡村靖幸が歌い始めると再び雨足が強くなっていく。岡村の「君とセックスしたいんだッ」という叫びが暗闇に溶けて消えてしまう。悲惨さを極めたのは白井貴子のステージだった。機材が水浸しでまるで使いものにならない。ドラムのドスドスッと響くリズムだけで、白井貴子はステージを乗り切らなくてはならなくなった。星降る夜空のもと、バラードをじっくり歌い上げようと考えていた白井貴子の目論みは完全に豪雨と共に流れ去ってしまった。頭からバケツで水を被った白井貴子はヒット曲「CHANCE!」を懸命に歌う。ボロボロのステージだったが、観客を気遣いながら最後までステージを勤め上げるプロ意識が焼き付く。ステージを降りた彼女のこぼした涙は、満足なライブを提供できなかった悔しさからか、それともステージを何とかやり遂げた安堵感からか。  夜更けになり、寒さがどんどん増していく。売店で用意されたタオルもTシャツもすべて売り切れ。悪寒と疲労を訴える観客が次々と救護スペースへと運ばれていく。そんな中で驚異的なパフォーマンスを披露したのはBOOWYの氷室京介だった。布袋寅泰のギターとの掛け合いの懐かしさもさることながら、雨の中でもヒムロックは普段とまるで変わらずに体をくねらせ続ける。悪条件に左右されない、恐ろしいまでの集中力だ。真夜中の2時に登場した尾崎豊に至っては、ステージ上でぐしょぐしょになって「シェリー」を歌う姿がとても自然に感じられてしまう。疲れきった観客たちを相手に、会場全体を支配してみせた尾崎のカリスマ性はハンパない。BOOWYはこの年の12月に解散を宣言、尾崎は5年後に26歳の若さで夭折する。
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この年、日本武道館に初進出を果たしたTHE STREET SLIDERS。ブームに左右されることなく、硬派なスタイルを貫いたバンドだった。
 尾崎、ハウンドドッグらマザーエンタープライズ所属のアーティスト出演パートだけで構成されたテレビ番組が過去にローカル放送されているが、主要アーティストたちをほぼ網羅したバージョンは本作が初となる。バンドの解散や所属事務所の移籍などあり、権利問題をクリアすることが困難なことからDVD化やテレビ放映は予定されていないとのこと。当時、南阿蘇まで辿り着けなかったファンにとっても、会場入りしたものの全ステージを楽しむことができなかった観客にとっても貴重な追体験の場となりそうだ。  トリを務める佐野元春のステージと共に冷たい雨がようやく止み、阿蘇の山麓に朝日が差し込む。夢の宴が終わった後、泥沼と化した会場から難民さながらの姿になった観客たちがぞろぞろと引き揚げていく。その様子をカメラは執拗に延々と映し出す。疲れきった若者たちの重い足取りを、バブル経済崩壊後のズタボロになる日本社会と重ね合わせているのだろうか。いや、ひと晩中、雨に打たれ続けた彼らの体内には泥と乳酸だけでなく、ロックの遺伝子も注入されたはずだ。伝説のロックフェスから四半世紀が過ぎ、タイムカプセルを開けるにはいい時期なのかもしれない。ヒロトの「最高だな、おい!」という笑顔が乾いた胸に染みる。 (文=長野辰次) BEATCHILD1987_4.jpg LIVEドキュメンタリー『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』 監督/佐藤輝 音楽監督/佐久間正英 出演/ザ・ブルーハーツ、RED WARRIERS、岡村靖幸、白井貴子、ハウンドドッグ、BOOWY、THE STREET SLIDERS、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春(出演順) 配給/ライブ・ビューイング・ジャパン、マイシアター 10月26日(土)よりイオンシネマ、TOHOシネマズ、Tジョイほか全国ロードショー (c)BEATCHILD1987製作委員会 <http://www.beatchild.jp>

日本で急増するうつ病は製薬会社の陰謀なの? 心にじんわり効く『マイク・ミルズのうつの話』

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日本人の15人に1人は生涯に一度はうつ病を経験するという。『マイク・ミルズのうつの話』は抗うつ剤服用者の生活を記録したものだ。
 「心の風邪をひいていませんか?」というフレーズに聞き覚えがないだろうか? 日本初のうつ病疾患啓発のTVコマーシャルとして2002年から3年間にわたってオンエアされたもので、このCMキャンペーンが成功し、日本における精神科への受診の敷居はずいぶん低くなったと言われている。その一方、1990年代までは年間150億円程度だった抗うつ剤の売上げが、現在では1000億円を越えるようになった。今や日本人の15人に1人はうつ病だという。どうしてこうも急激に日本で“うつ”は広まったのだろうか? 製薬会社のマーケティング戦略に日本人はまんまと乗せられたのだろうか? こうした疑問から日本でカメラを回し始めたのが、『サムサッカー』(05)『人生はビギナーズ』(10)といったハートウォーミングな作品で知られるマイク・ミルズ監督だ。ドキュメンタリー映画『マイク・ミルズのうつの話』(原題『DOES YOUR SOUL HAVE A COLD?』)は親日家であるミルズ監督が、東京で暮らす5人の男女とうつ病との関わりを丁寧に映し出していく。  映画に登場する5人の男女は、SNSサイト上でのミルズ監督の呼び掛けに応じた出演志願者たちだ。出演の条件は2つ。抗うつ剤を服用していること、日常生活をありのまま見せてくれること。自宅で暮らすミカは嫌いなお酢を毎日飲むことで精神力を鍛えている。タケトシはうつに関する本を熱心に読む努力家だ。Tシャツ工場で働くカヨコは犬を可愛がっている。プログラマーのケンは猫と同居中。エンジニアのダイスケは写真撮影、ジャズ鑑賞、サボテン栽培と多彩な趣味を持つ。5人はとても温厚そうで、派手さはないものの、マイペースに自分なりの生活を送っているようにカメラには映る。でも抗うつ剤が手放せない彼らの心の中には、様々な不安や疎外感、寂寥感が渦巻いているらしい。
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「ハッピーでなくてはならないという強迫観念は米国特有のもの」と考えるミルズ監督は2006年の春、夏と東京での取材を続けた。
 大企業のCMを次々と手掛ける売れっ子クリエイターだった時期もあるミルズ監督。日本に友人が多く、生マジメな日本人が欧米系のグルーバル製薬会社が仕掛けたCMキャンペーンの犠牲になっているのではないかと心配だった。でも日本に来てカメラを回していくうちに、製薬会社の企みを告発することよりも、気取りのない5人の淡々とした生活そのものに惹かれていく。5人はみんな、あのCMに好感を覚えたと評価している。CMを見るまでは「精神科にかかったら人生は終わりだと思っていた」と振り返るタケトシ。彼は15年間もうつと付き合いながら、前向きに毎日を過ごしている。ミルズ監督は製薬会社をめぐる問題はとりあえず疑問として投げ掛けるだけにとどめ、個の問題へとフォーカスを絞っていく。5人の生活に寄り添うことで、人間と“うつ”との関わりを日常レベルで掘り下げていく。  本作は2006年に春から夏にかけて撮影されたもの。最初は社交辞令的な笑顔をカメラに向けていた5人だったが、誠実なミルズ監督の性格もあって心をオープンにしていく。数カ月後に会ったカヨコは勤め先をクビになり、症状が悪化したことを打ち明ける。本人的には体重が7キロ増えたことが気になるらしい。ミカは抗うつ剤の服用をやめようとしたが、禁断症状が出てダメだったことが分かる。気の合うカウンセラーになかなか出会えないともこぼす。大企業のトップや政治家へのアポなし突撃取材で一躍名を成したマイケル・ムーア監督とは異なる、ミルズ監督ならではのミニマムなアプローチ方法で“うつ”の現実がクローズアップされていく。うつを題材にした作品ながらさほど暗さを感じさせないのは、ミルズ監督の映像センスによるところが大きいように思う。  ごくごくフツーな5人の男女だが、その中であえて個性的なキャラクターを挙げるならプログラマーのケンだろうか。「いつも通りにして」とミルズ監督に頼まれ、カメラの前で眠り込んでしまうほど打ち解けた関係になっていく。そんなケンの口から、「趣味でSMショーに出ている」という言葉が出てきた。ミルズ監督はケンと共に彼が定期的に通うSM教室へと向かう。マンションの一室でブリーフ姿になったケンは体中を縄で緊縛され、今まで見せたことのない恍惚とした表情を浮かべる。職場では自分がうつだということを内緒にしているケンだが、SM教室で縄で縛られている瞬間だけ心が解放されていく。一連のプレイの後、ケンの表情はとても晴れ晴れとしている。ケンが買ってきたハーゲンダッツのアイスクリームを一緒に食べる縄師も人が良さそうだ。「縛りに癒しを求めにくるお客さんは、何故かうつの人が多い」と語る縄師の言葉が印象に残る。  こうして私はうつ病を完治しました、抗うつ剤と手を切ることができました的なドラマチックな展開が待っているわけではない。このドキュメンタリー映画は、ミルズ監督のデビュー作となった劇映画『サムサッカー』によく似ている。落ち着きがなく、親指をしゃぶる癖がやめられない高校生のジャスティンは催眠療法、薬物治療、マリファナ体験と様々な方法で克服しようとするが、最終的にはあるがままの自分を自分自身が受け入れることで折り合いをつけていく。ミルズ監督の体験が投影されているナイーブな主人公ジャスティンは試行錯誤した上で、自分の欠点を隠すことよりもっと大事なことがあると気づく。それは「答えがない人生をどう生き抜くか」ということ。試験問題と違って、人生には決まった答えは用意されていない。自分自身で答えらしきものを探りながら、少しずつ進んでいくしかないのだ。
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母親と実家で暮らすミカ。ドイツ映画『es[エス]』(01)を観たことが、症状を招くきっかけだったと語る。
 10月5日、原宿のアートスペースVACANTで『マイク・ミルズのうつの話』の先行上映会が開かれ、カリフォルニア在住のミルズ監督とスカイプで会場が繋がった。司会者から「落ち込んだときに気分をアゲる秘訣は?」と尋ねられたミルズ監督。「(医学の専門家ではない)僕はみなさんにメッセージを届けるなんて立場ではないんだけど、僕も落ち込んでいた時期があります。落ち込んでいる自分の気持ちを自分でアゲるのはとても難しい。すごく基本的なことだけど、誠実であり、正直であることじゃないかな。自分の気持ちに対してもそうだし、他の人との関わりにおいてもそう。そうすることで自分なりの親密さを見つけていくことができるように思うよ」とミルズ監督らしい答えが返ってきた。客席には映画に出演していたミカさんも来ており、撮影の1年後には抗うつ剤をやめることができ、今はOLとして元気に働いていることをミルズ監督に報告した。ミルズ監督はスカイプ越しにうれしそうに手を振っていた。 (文=長野辰次) utsunohanashi04.jpg 『マイク・ミルズのうつの話』 監督/マイク・ミルズ 出演/タケトシ、ミカ、ケン、カヨコ、ダイスケ 配給/アップリンク 10月19日(土)より渋谷アップリンクほか全国順次公開  <http://uplink.co.jp/kokokaze

二階堂ふみとのデートは“地獄めぐり”で決まり!“史上最凶”のアイドル映画『地獄でなぜ悪い』

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トロント映画祭ミッドナイト・マッドネス部門で観客賞を受賞した『地獄でなぜ悪い』。美少女地獄はカナダ人も魅了した。
 『地獄でなぜ悪い』は、二階堂ふみの暴力的なキュートさが煮え立つ作品だ。ロープで緊縛された姿、男に靴を履かせるよう命じる様子、ガラス片を口に含んでの危険なディープキス、CMソングを無邪気に口ずさむ表情、そして日本刀を片手に敵対するヤクザ事務所に殴り込むクライマックス……。現在19歳(撮影時17歳)、沖縄出身、特攻服の似合う男にシビれてしまうというヤンチャな女優・二階堂ふみの全てが愛おしくスクリーンに映し出されていく。クレジット順はキャリアの長い諸先輩たちに先を譲っているが、園子温監督作『地獄でなぜ悪い』は女優・二階堂ふみの魅力を楽しむためのアイドル映画である。ひとりの女優の美しさを記録するために、園子温作品は存在すると言っていいだろう。  永井豪の人気コミック『あばしり一家』と深作欣二監督の『蒲田行進曲』(82)を合体させたかのような、エロス、バイオレンス、映画愛がグルグルネリネリした『地獄でなぜ悪い』。ストーリーは正直いって、田舎の高校生が考えた自主映画のような代物だ。でも、そんな企画をオールスターキャストで映画化できちゃうのが、今の園子温監督の凄さ。恐るべし、51歳!  物語の鍵を握るのは、自主映画製作集団「ファック・ボンバーズ」を主宰する映画監督志望の男・平田(長谷川博己)。“平成のブルース・リー”ことアクション俳優志望の佐々木(坂口拓)と共に、「永遠に刻まれる一本」を撮り上げる日を夢想してきた。30歳にもなってうだつの上がらない生活を送っていた平田たちだったが、ついに奇跡が起きる。「映画の神様、いつか映画を撮らせてください」とかつて神社で願掛けしていた平田に、まさかのオファーが10年越しで舞い込んだのだ。製作費と機材はすでに用意されている。条件は2つだけ。新人女優のミツコ(二階堂ふみ)の主演作として、8日間のうちに完成させよということ。ミツコは地元ヤクザの組長・武藤(國村隼)の愛娘で、近々刑期を終える母親(友近)の出所までにミツコ主演作を仕上げなくてはならなかった。平田は満面の笑顔で、この無謀なオファーを引き受ける。
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武藤組長(國村隼)率いる武藤組が映画製作を開始。映画と組長のためなら命を投げ打つことを惜しまない頼もしい人材がそろった。
 わずか8日間で、どーすれば「永遠に刻まれる一本」を撮り上げることができるのか。今さら脚本を書き上げる余裕はない。だが、逃げ場のない状況でこそ、アイデアが生まれるもの。映画のスポンサーである武藤たちに敵対する池上組を襲撃させ、その様子をドキュメンタリー映画として撮影すればいい。『ゆきゆきて、キルビル』だ。かつてないシチュエーションに、映画界を舐めきっていたミツコの女優魂に火が点く。武藤組の襲撃を受けて立つ池上(堤真一)もミツコの隠れファンで、撮影には協力を惜しまないと申し出てくれた。一連の騒ぎに巻き込まれた平凡な若者・公次(星野源)もミツコに魅了され、ついつい撮影に参加してしまう。大コーフンの抗争が始まり、もはやヤクザも撮影スタッフも区別がない。ヤクザたちと一緒になってカメラはシューティングし、そして一瞬一瞬のカットを切り取る。みんな生きるか死ぬかの瀬戸際で、ドーパミングがドパドパと流れ、シャブが粉雪のように舞う。虹色に輝く桃源郷で、ヤクザたちをバッタバタと斬り倒していくミツコの美しさは格別だった。ミツコの輝きは、破壊を無上の喜びとする阿修羅のようだ。ミツコは地獄に足を踏み入れたのではなく、ミツコ自身が地獄そのものだったのだ。カメラは自然にミツコに引き寄せられていく。  これまで自分の体験談を作品に投影してきた園子温監督だが、『地獄でなぜ悪い』はより自伝色が強いものになっている。若い頃、短期間だけ交際した女性から数年後に呼び出され、とある建物に連れて行かれたそうだ。そこはヤクザの事務所で、女性は組長の娘だった。劇中の星野源のように難癖付けられまくった園監督は、危うくコンクリート詰めになるところを九死に一生を得たらしい。でも、まぁ、男って危険な匂いのする女性にどうしようもなく惹かれてしまうもんスなぁ。自主映画サークル「ファック・ボンバーズ」も実在した集団。園監督が16ミリフィルムで『自転車吐息』(90)を作っていた頃、「ファック・ボンバーズ」を名乗ってメンバー募集のチラシを配ったそうだ。このとき、チラシを片手に園監督のもとを訪ねたのが後に『片腕マシンガール』(08)で世界を震撼させることになる高校時代の井口昇監督だった。ビッグネームになる前の鬼才たちが、映画づくりを夢見て出逢っていたというちょっといい話。
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武藤と敵対する池上(堤真一)はミツコ(二階堂ふみ)の大ファンだった。
全力歯ぎしり、レッツゴ~♪(作詞作曲/園子温)
 園子温作品を愛好する者にとって、女優陣の顔ぶれもうれしい。園監督の公私にわたるパートナーである神楽坂恵、園作品のみならずこれからの日本映画界のミューズになるだろう二階堂ふみ、極妻役を長年待っていたかのような友近の貫禄、またシネフィルぶりで知られる成海璃子も園作品に初参加。さらに、『紀子の食卓』(06)で特異な存在感を放っていたつぐみが短いシーンながら久々にカムバックを果たした。原発事故問題を真っ正面から描いたシリアスな社会派ドラマ『希望の国』(12)から一転、本作は祝祭性を感じさせる底抜けエンターテイメントとなっている。女優賛歌と映画愛に充ちた『地獄でなぜ悪い』は、園監督が映画の神さまに捧げる大豊饒祭であり、「永遠に刻まれる一本」を追い求めることを改めて誓う所信表明でもある。  園作品ではこれまで実に多くの地獄絵図が描かれてきた。『愛のむきだし』(08)の満島ひかりはカルト教団によって洗脳され、『恋の罪』(11)の神楽坂恵はセレブ主婦から売春婦へと身をやつした。でも、地獄の底でもがき苦しむヒロインたちの生々しさが美しかった。震災後の世界を描いた『ヒミズ』(12)でマルチェロ・マストロヤンニ賞を染谷将太とふたりで受賞した二階堂ふみの場合は、ぶっ壊れてしまった社会がそもそも彼女のホームグランドとなっている。ディストピアこそ、女優・二階堂ふみをサイコーに輝かせるステージなのだ。血しぶきを浴びながら、ニコッと微笑む二階堂ふみは映画が生んだ奇跡に他ならない。地獄でなぜ悪い。いや、地獄で眩しく輝く二階堂ふみに逢いたい! (文=長野辰次) jigokudenazewarui04.jpg 『地獄でなぜ悪い』 監督・脚本/園子温 出演/國村隼、長谷川博己、星野源、二階堂ふみ、友近、堤真一 配給/キングレコード、ティ・ジョイ 9月28日より新宿バルト9ほか全国公開中 (c)2012「地獄でなぜ悪い」製作委員会  <play-in-hell.com>

血縁・地縁が崩壊した現代に是枝監督が問う! 新しい“父性像”の模索ドラマ『そして父になる』

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“新生児取り違え事件”をモチーフにした是枝裕和監督の最新作『そして父になる』。様々な父親像、母親像が登場する。
 父親を家長にした従来の家族制度は、現代社会において完全に破綻してしまっていることを『誰も知らない』(04)の中で描き出した是枝裕和監督。シリアスさを極めた『誰も知らない』の後、是枝監督自身に子どもが生まれたことも影響し、『歩いても 歩いても』(08)や『奇跡』(11)は温かみを感じさせる作風へと変わってきた。とても面倒で、形態は様々だけれど、“家族”という最小単位が機能することで社会が成り立つことが是枝作品から伝わってくる。『歩いても 歩いても』『奇跡』に続いて、家族の在り方を問い直しているのが、今年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞した『そして父になる』だ。崩壊した家族制度の中でもっとも存在感を失ってしまった“父親”を主軸に、是枝監督は新しい時代の新しい家族像を打ち出そうとしている。  『誰も知らない』は1988年に実際に起きた「西巣鴨四兄妹置き去り事件」をモデルにしていたが、『そして父になる』は1960年代に日本各地で多発した「新生児取り違え事件」を題材にしたもの。当時の日本は看護士の絶対数が不足しており、沐浴中に赤ちゃんが取り違えられる事故が少なくなかった。小学校など就学時の血液検査で取り違えが発覚するが、事実を知った双方の親たちはほぼ全員が血のつながりを重視して、それまで育てた子どもたちを交換するという。交換後は連絡を絶ち、取り違え事件はなかったことにしてしまうそうだ。  仕事の合間を縫って子育てに取り組んでいた是枝監督は、この事実に興味を抱いた。お腹を痛め、出産後は母乳を与える母親と違って、父親の場合は自分から意識して子どもに向き合わないと親子であることを自覚することができない。父と子がお互いに自分たちは親子であることを認め合う手段は、“血のつながり”なのか、それとも“一緒に過ごした時間”なのか。是枝監督は「取り違え事件」を現代のドラマに置き換えて、観る者に問い掛ける。
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6年間育てた我が子は、他人の子だった! 子どもへの対応を巡り、良多(福山雅治)とみどり(尾野真千子)の夫婦間に亀裂が生じる。
 『そして父になる』には対照的な2つの家族が登場する。都心のタワーマンションに住む野々宮良多(福山雅治)は大手建設会社に勤めるエリート社員。会社の元同僚で専業主婦となった妻みどり(尾野真千子)、父・良多と違っておとなしい性格の慶多(二宮慶多)との3人暮らしだ。慶多の名門私立小学校入学を控えたある日、“取り違え”の事実が明るみになる。病院側は平謝りするが、その謝罪の席に現われたもう一方の家族は群馬在住の斎木雄大(リリー・フランキー)、ゆかり(真木よう子)の夫婦。斎木家は街で小さな電器屋を営み、取り違えられた琉晴(黄升炫)はわんぱくそのもの。さらに幼い弟と妹、ゆかりの父親が同居する3世代家族だった。病院側に「なるべく早く交換したほうがいい」と促され、まず両家は子どもたちを交えた食事会を開き、さらに週末限定で子どもたちをお互いの家にお泊まりさせていくことになる。  子どもたちは最初こそ兄妹・親戚が増えたかのように大はしゃぎしていたが、やがて慶多と琉晴は自分たちはこれまで育ててくれた親元を離れて暮らさなくてはならないという驚愕の事態に気づく。6歳にして突き付けられた不条理な現実に対し、琉晴は必死に抗い、慶多は哀しみや淋しさを無言で飲み込んで新しい環境に順応しようと試みる。はたして経済的に恵まれた都心暮らしのエリート一家とビンボーだけど愛情いっぱいの大家族、どっちの生活が子どもたちにとって幸せなのだろうか?  本作の参考文献となっている『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』(文春文庫)が非常に面白い。1971年に沖縄の病院で起き、77年に発覚した「女児取り違え事件」を描いたノンフィクション小説で、取り違えられた少女たちの交換から成人するまでを長期間にわたって取材し続けている。取り違えは血のつながった実の子を取り戻し、その後は交流を一切断つのが一般的なのだが、沖縄で起きたこのケースは珍しい展開を見せた。育てた子どもとの絆が断ちがたく、一方の家族が育てた子のいる家のすぐ真向かいに引っ越してきたのだ。2つの家族が複合する一種の拡大家族のような形態となった。母2人、父2人で愛情4倍の素晴らしい大家族となった……と思いきや現実はかなりシビアだった。一方の母親が毎晩のように外で酒を飲んで、朝方に帰ってくるというネグレクト化していたことから、血のつながっていた子は実の家族にはなつかずに、育ての親の家に入り浸るようになっていく。子育てに力を注ぐ親のほうに、実の子も育てた子も引き寄せられてしまったという結末を迎えている。ただ血がつながっていれば黙っていても自然と親子になれる、というわけにはいかなかったのだ。
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気のいい街の電器屋・斎木雄大を演じたリリー・フランキー。公開中の『凶悪』と同じ演技トーンで、180度異なるキャラに扮している。
 本作で主人公・野々宮良多を演じるのは福山雅治。『ガリレオ』シリーズと同様にかっこいい二枚目役だ。良多は一流企業に就職し、花形部署で常にスポットライトを浴びるエリート人生を歩んできた。ところが、ルックスに恵まれ人並み以上に年収があるだけでは、流動化した家族形態の中では今まで通りに“父親”で居続けることができない。取り違え事件が発覚して以降、良多はクールさを装いつつも、次々と噴出する不測の事態にうろたえてしまう。6年間を父子として過ごしてきた慶多は親の顔色をうかがう子どもに育ってしまったのではないか。また斎木家で奔放に育てられた琉晴は「なんで?」「なんで?」を連発して、厳しくしつけようとする良多に歯向かう。だが、自分に逆らう琉晴の姿は父親(夏八木勲)のことを嫌っていた良多の子どもの頃にそっくりでもある。一方、ルックスでも年収でも良多に及ばない電器屋の雄大だが、壊れたオモチャをハンダゴテで修理するなど、子どもとのコミュニケーション能力に優れている。教育レベルの低いビンボー所帯と斎木家のことを見下していた良多は、もはや自信喪失状態だ。会社やマンションのステータスに無頓着な子どもの前では、良多のかっこよさはデパートに飾られたマネキン人形レベルのものでしかない。  結末は観る人によって、それぞれ解釈の異なるものとなっている。会社ひと筋で生きてきて、家族のことを省みる余裕のなかった良多はイチから父親になるためのスキルを学び直す。慶多と琉晴がこれからどのように育っていくかはまだ分からない。だが、ひとつ注目したいのは、良多の勤務先が大手建設会社ということだ。家族の在り方を見つめ直さざるを得なくなった良多は、これからどんな都市計画を考えるのだろうか。利便性やセキュリティー面だけを重視した集合住宅ではなく、きっと新しい時代の新しい家族像に適応できる空間づくりに着手するに違いない。 (文=長野辰次) soshitechichininaru04.jpg 『そして父になる』 監督・脚本・編集/是枝裕和 撮影/瀧本幹也 出演/福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキー、二宮慶多、黄升炫、中村ゆり、高橋和也、田中哲也、井浦新、風吹ジュン、國村隼、樹木希林、夏八木勲 配給/ギャガ 9月24日(火)〜27日(木)全国先行公開、9月28日(土)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー  (c)2013「そして父になる」製作委員会  <http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp