自分が愛した女は一体何者だったのか? フィンチャー作品の主題が詰まった『ゴーン・ガール』

gone-girl01.jpg
850万部以上のベストセラー小説を映画化した『ゴーン・ガール』。出版業界で働くフリーランサーたちのうめき声が聞こえてくるような内容だ。
 暗い、陰鬱な映画ばかり撮っているデヴィッド・フィンチャー監督は、なぜこんなに人気があるのだろうか。洗練されたビジュアルとは別に、フィンチャー作品にはある共通項がある。それは人間や社会に対する不信感を、真正面から描いているということだ。誰も信じられないこの世界で、それでも『ファイト・クラブ』(99)のタイラー(ブラッド・ピット)や『ドラゴン・タトゥーの女』(11)のリスベット(ルーニー・マーラ)らは自分たちなりの手段で、世界に向き合ってきた。全然かっこよくない『ソーシャル・ネットワーク』(10)のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は人間への不信感の裏返しで、SNSの開発に情熱を注いだ。全米で大ヒットした『ゴーン・ガール』も人間への不信感が主題となっている。ネタバレすると興味が半減するミステリー作品ゆえに、物語の前半パートにとどめて触れてみたい。  『ゴーン・ガール』の主人公は、米国ミズーリ州の閑静な住宅地で暮らすニック(ベン・アフレック)と妻エイミー(ロザムント・パイク)。ニックはNYで雑誌ライターとして活躍し、エイミーは女性誌向けにクイズを作る仕事をしていた。エイミーの両親は著名な児童作家で、人気シリーズ『アメージング・エイミー』は少女時代のエイミーがモデルだったことでも知られていた。NYのパーティーで知り合った2人は、誰もが羨む美男美女のカップルとして結婚に至った。転機となったのは2年前。ニックの母親の介護のために、2人はニックの実家へ転居。介護のかいなく母親は亡くなったものの、ニックは地元でバーを開業し、また広い邸宅も残され、夫婦生活は何ひとつ不自由のないはずだった。だが、5回目を迎えた結婚記念日、エイミーは忽然と自宅から姿を消してしまう。  リビングのテーブルが倒れ、争った形跡があったことから、エイミーは事件に巻き込まれたものとして警察は捜査を始める。ニックは記者会見を開き、その不憫な姿はマスコミを通じて多くの同情を集めた。ところが警察の現場検証が進むと、床には血痕の拭き取られた後が見つかり、ニックがエイミーに多額の保険金を掛けていたことも分かる。第一発見者であるニックは、悲劇の主人公から一転して妻殺しの容疑者へと変わってしまった。マスコミが騒ぎ立て、ニックが地元大学の女子大生と不倫していることも発覚。“完璧な夫婦”像は、まったくの虚像だったことが次々と明るみになっていく。さらにエイミーが残した日記が見つかり、そこには夫には浪費癖があること、夫の暴力に怯えていることが記述されていた。ニックは世間から“ほぼクロ”と断定されてしまう──。
gone-girl02.jpg
5回目の結婚記念日、ニック(ベン・アフレック)が帰宅すると、妻エイミーが消えていた。テーブルは倒れ、トラブルが起きたことは一目瞭然だった。
 前半はエイミー失踪事件の真相をめぐる緊張感溢れるサスペンスとして展開するが、後半からは「えっ~?」と驚く予想外のストーリーが待ち受けている。ドラマ展開が思いっきり転調していく。でも、ネタバレになるので、『ゴーン・ガール』のあらすじはここまで。代わりに関連作として、夫婦間に横たわる謎をテーマにした別の作品を挙げてみよう。  赤の他人である男と女が夫婦として一緒に暮らすことの奇妙さを描いた作品はロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、ガス・ヴァン・サント監督の『誘う女』(95)など少なくないが、観る人によって大きく異なる印象を与えるのがパトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主』(90)だ。子どもの頃から「理髪師を妻にする」ことを願っていた主人公アントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)はその夢が叶い、理髪店を営む美女マチルド(アンナ・ガリエナ)と結婚する。美しい妻がいれば、後は何もいらなかった。アントワーヌは浮気の類いはいっさいせず、マチルドが客の髭を剃る姿をうっとり眺め、店が終わるとマチルダを抱いた。2人にとって最高に幸せな日々が続いた。だが、ある嵐の晩、マチルドは「買い物してくる」といって出掛け、そのまま帰ってこなかった。やがて、増水した川からマチルドの溺死体が見つかる。  “髪結いの亭主”とは妻に働かせ、ヒモ状態の生活を送る夫のこと。口にはせずとも、多くの男が密かに憧れる職業である。『髪結いの亭主』は男性にしてみれば、とてもファンタジックな世界なのだ。公開時に『髪結いの亭主』を観たときは、美しい妻マチルドは夫から愛されすぎ、もうこれ以上は幸せになれないことを悟って川に身を投げたのだと思っていた。夫には美しい思い出の中の自分を愛し続けてほしいと願いながら姿を消したのだと。公開から時間が経過した今では、違う見方もできるようになった。マチルドは「体のラインが崩れるから」という夫の要望で、子どもを産む機会が与えられなかった。また、夫もマチルドも友達と遊びに出掛けることも、酒や煙草を嗜むこともなかった。男から観ればマチルドは理想の妻、完璧すぎる女である。でも、その役割を24時間×365日にわたって演じなくてはならないマチルドは堪らない。夫が愛しているのは“髪結いの女房”というフィクショナリーな存在であって、生身のマチルドではなかったのだ。耐えられなくなったマチルドは、川に身を投じるしか逃げ場がなかった。男から観ればファンタジーである『髪結いの亭主』だが、女性の立場から観れば妻の都合のいい部分しか知ろうとしない偏狭な夫への復讐劇でもあったのだ。
gone-girl03.jpg
やり手弁護士のターナー(タイラー・ペリー)を雇ったニックは、敵対するワイドショーに出演することで身の潔白を訴えようとする。
 最後に話を『ゴーン・ガール』に戻そう。エイミー失踪事件が起きたことで、理想の夫婦は偽装夫婦だったことが暴かれる。NYの出版業界で華やかな生活を送っていた2人だったが、出版不況で雑誌が次々と廃刊し、ニックの故郷へ都落ちしていた。親の介護というと聞こえはいいが、実際は親が残した家と財産のお陰で夫婦は暮らしていた。幼少の頃からセレブ扱いされて育ってきたエイミーは、ドン臭い田舎暮らしに辟易していた。夫婦生活のきれいごとでは済まない部分が、次第に観客にも見えてくる。『髪結いの亭主』のマチルドが理想の夫婦生活に疲れ果てたのとは真逆で、『ゴーン・ガール』のエイミーは都会での絵に描いたような理想の生活が忘れられずにいたのだ。  一緒に暮らしている妻(もしくは恋人)は一体何者なのかという、もっとも身近な謎をミステリー作品に仕立てた『ゴーン・ガール』。タイトルが実に象徴的なことに気づく。既婚女性のことを“ガール”とは普通呼ばない。“消えた少女”とは誰のことで、いつどこで消えたのか? フィンチャー監督らしい、人間に対する不信感が吹き荒れる。それでもフィンチャー作品の主人公たちは日々生きていく。神さまが手を差し伸べることも、スーパーヒーローが颯爽と現われることもない。信用ならないこの世界で、どうやって人は生きていくのか。それこそがフィンチャー作品を貫くメインテーマだろう。 (文=長野辰次)
gone-girl04.jpg
『ゴーン・ガール』 原作・脚本/ギリアン・フリン 監督/デヴィッド・フィンチャー 出演/ベン・アフレック、ロザムンド・パイク、ニール・パトリック・ハリス、タイラー・ペリー、キャリー・クーン、キム・ディケンズ、パトリック・フュジット、エミリー・ラタコウスキー、ミッシー・パイル、ケイシー・ウィルソン、デヴィッド・クレノン、ボイド・ホルブルック、ローラ・カーク、リサ・ベインズ 配給/20世紀フォックス映画 12月11日(木)前夜特別上映、12日(金)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー  (c)2014 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved. http://www.foxmovies-jp.com/gone-girl

発見! SEX以外にも快感を味わう方法がある!? 歓びと痛みが永久ループするR18映画『メビウス』

moebius_01.jpg
母が息子の“男根”を切り取るという衝撃的なシーンから始まる『メビウス』。母と女の2役を演じ分けた主演女優イ・ウヌの怪演が強烈だ。
 旧約聖書によると、人類最初の男(アダム)の肋骨から人類最初の女(イヴ)は作られたそうだ。旧約聖書の内容に従えば、人類の歴史はもともと何かが欠けている状態から始まっているらしい。男は今でも自分が失ったものを探すために、夜の街をうろうろほっつき歩きたがるのだろう。前作『嘆きのピエタ』(12)でカンヌ映画祭金獅子賞を受賞したキム・ギドク監督の最新作『メビウス』は、2人の男と1人の女がイス取りゲームさながら、足りない何かを奪い合う物語だ。振り切った描写を好むギドク監督は、その何かを肋骨ではなく、男根として描いている。  『メビウス』は父(チョ・ジェヒョン)、母(イ・ウヌ)、息子(ソ・ヨンジュ)の3人が暮らす一家が舞台。家族関係は冷えきっており、父は近所でコンビニを営む女と不倫している。嫉妬の炎に燃える母は、父の男根を切断しようとする。ところが父の反撃に遭い、その代案として父がもっと苦しむであろう、息子の男根を切り取ることを思いつく。まさか母に寝込みを襲われるとは夢にも思わず、眠っていた息子は新品状態の男根を母に奪い取られてしまう。血まみれの母は息子の男根を呑み込み、そのまま家を出ていった。あまりの出来事に途方に暮れる父と息子。父は息子への罪悪感から、コンビニの女と別れ、病院で自分の男根も切除してもらう。  コンビニの女が、街の不良グループに集団レイプされる事件が起きた。検挙された不良グループの中に、なぜか息子が紛れ込んでいた。父は息子が無罪であることを証明するため、刑事や不良たちが見ている前で息子のパンツを脱がす。男根を失った息子は学校でイジメられ、それを嫌って不良グループとつるむようになっていたのだ。母に股間を傷つけられただけでなく、父にプライドまでズタズタにされた息子は、警察署内で暴れ回る。結局、息子は暴行罪で収監されてしまった。
moebius_02.jpg
父(チョ・ジェヒョン)と息子(ソ・ヨンジュ)は、1本の男根を共有し合う仲に。映画史上かつてない、濃厚な父子関係が描かれる。
 男根を失い、性的な快感を知ることができない絶望の中にいる息子を、どうすれば救い出すことができるか。インターネットを検索し続けた父は、あるサイトに辿り着く。そのサイトには性器以外の部位で快感が得られる方法が記載されていた。肌を石で擦り、皮膚が破けてもさらに擦り続ける。猛烈な痛みに襲われるが、その痛みの直後に形容しがたい快感が湧き上がってくるという。早速、自分の身体で試してみた父は、あまりの痛さと気持ち良さにびっくり。息子がいる収監先まで嬉々として面会に出掛け、この快感メソッドをこっそり息子に伝授する。最初はバカにしていた息子だが、独房で他にやることがない。『あしたのジョー』の矢吹丈ばりに、このメソッドにのめり込む。初めて知る快感の世界が、息子を虜にする。激しい痛みと歓びと同時に、息子は自分がこの世界で生きていることをリアルに実感できた。  こうして父と息子は新しい快感メソッドを通じて、親子の関係を修復していく。息子が出所し、男2人での平和な生活が始まった。息子を救った快感メソッドだが、やりすぎると全身が生傷だらけになるという難点がある。父はインターネットで男根の移植手術が可能なことを知り、病院に預けていた自分の男根を息子に譲ることを決意する。そんな折、あの母が帰ってきた。2人の男と1人の女は残された1本の男根をめぐって、再び修羅場を演じることになる―。  壊れた回転木馬のように、永遠に続くループ地獄を生み出したキム・ギドク監督は、作品を重ねるごとに作風がますます研ぎ澄まされたものになっている。主なキャストは3人。父役に『悪い男』(01)などキム・ギドク初期作品に主演していたチョ・ジェヒョン。息子役は撮影時15歳だったソ・ヨンジュ。2015年1月公開の廣木隆一監督作『さよなら歌舞伎町』でも見事な脱ぎっぷりを見せているイ・ウヌが、母と女の2役を巧みに演じ分けた。撮影期間はわずか5日間という早撮り。台詞はいっさいなく、男根を切り取られた際のうめき声や快感にのたうち回る歓びの声がキャストの口から漏れてくるだけ。まるで、まだ地上に言語が溢れ出す前の、神話の世界を見ているかのような気分になってくる。
moebius_03.jpg
息子役のソ・ヨンジュが未成年であるため、息子絡みの性的描写シーンは大幅カットに。韓国では上映不可だったのが、ギリギリOKになった。
 映画の世界で男と女が新しい家庭を築き始める物語は、一方もしくは双方が親の愛情を知らずに育ったケースが圧倒的に多い。家族愛に飢えた者たちは、試行錯誤を繰り返しながら家庭という新しい世界を創造していく。男と女はお互いの欠けている部分を補おうとすることで、そこにエネルギーが生じ、家族という名の永久機関が発動する。満たされている平穏な家族よりも、どこか欠陥を抱えた家族のほうが、アダムとイヴの末裔たちが暮らすこの世界ではより自然な状態なのかもしれない。  愛情だけでは家族はバカになる。愛情の裏返しである怒りや哀しみを織り交ぜることで、家族の結びつきはより強固なものになっていく。『メビウス』は激しい痛みの中に安らぎを見出すことができる、荘厳なるホームドラマだ。 (文=長野辰次)
moebius_04.jpg
『メビウス』 製作・監督・脚本・撮影・編集/キム・ギドク 出演/チョ・ジェヒョン、ソ・ヨンジュ、イ・ウヌ 配給/武蔵野エンタテインメント R18+ 12月6日(土)より新宿シネマカリテほか全国公開  (c)2013 KIM Ki-duk Film All Rights Reserved. http://moebius-movie.jp

平常時とは、まるで異なる倫理観と時間の流れ──ブラピ主演映画『フューリー』の硬質なる魅力

fury1127_01.jpg
シャーマン戦車の76ミリ砲は“男根”の象徴なのか? 男臭さがプンプン漂う、ブラッド・ピット主演の戦場映画『フューリー』。
 時間とはとても感覚的なものであり、一定の速度で流れることがない。楽しい時間ほどあっという間に過ぎ去り、辛い時間ほど足元にまとわりつくようにゆっくりゆっくりと流れていく。第二次世界大戦末期、連合軍側の戦車部隊の兵士たちを主人公にした『フューリー』の場合は、鉛のようにずしりと重く冷ややかな時間がすべてを押し潰すかのように流れていく。たった1日の間に、少年のようにあどけなかった新兵が熟練兵へと変貌していく姿が克明に描かれる。まばたきすることすら憚れる、濃厚さを極めた2時間15分が観る者の脳裏に刻み込まれる。  『フューリー』の時代設定は1945年4月。米軍の激しい空爆を受けて日本の焦土化が進んでいた頃、ヨーロッパ戦線も最終局面を迎えていた。米軍を中心にした連合軍はすでにバルジの戦いでドイツの主力部隊を撃破し、連合国側の勝利は揺るぎないものになっていた。終戦まであとわずか。今さら命を落とせば、犬死に等しい。だが、窮地に追い込まれたドイツ軍は必死に抵抗してくる。そんな予断ならない状況の中、米陸軍の第2機甲師団にひとりの若者が配属された。18歳の新兵ノーマン(ローガン・ラーマン)は、ドン・コリア軍曹(ブラッド・ピット)が車長を務めるM4中戦車シャーマンの補充兵として迎え入れられる。“フューリー(激しい怒り)”と名付けられたその戦車のハッチをくぐったノーマンがまずやるべきことは、亡くなった前副操縦士の肉片が飛び散ったシートをぬぐいさることだった。  フューリー号に搭乗する4人の部下を束ねるドン軍曹にとって最速最大の任務は、新兵ノーマンを1分でも1秒でも早く一人前の兵士に仕立て上げること。早く一人前になってもらわないと、ノーマン自身の命はおろか、チーム全員が道連れになってしまう。装甲で守られた戦車とはいえ、5人が一心同体となって操縦できなければ、逃げ場のない鉄の棺桶に入っているのと同じだからだ。それまでタイプライターを打つ訓練しかしなかったノーマンは、最初の野戦でまともに機関銃を撃つことができなかった。見かねたドンは捕虜となったドイツ兵をノーマンの前に突き出し、処刑するように命じる。投降してきた丸腰の敵兵を射殺すれば、それは戦時中でも犯罪である。激しく抵抗するノーマンだったが、ドンは冷酷にノーマンに銃を握らせて引き金を引かせる。戦場で生き延びるためには、理想も正義も神の教えも棄てなくてはならない。血染めの儀式を終え、ノーマンは否応なくフューリー号の一員となる。
fury1127_02.jpg
第二次世界大戦時に米国で大量生産されたシャーマン戦車。現存する希少なティガー戦車との対決シーンがあり、ミリタリーマニアは大興奮。
 『マネーボール』(11)や『ワールド・ウォーZ』(13)で新しい時代のリーダー像を演じてきたブラッド・ピットが、今回はフューリー号に搭乗する5人の男たちの“家長”役を渋く演じる。ドンは鬼軍曹として徹底した厳しい顔を持つが、それは部下たちを無事に本国へ帰すための必然に迫られてのことだ。ドイツ武装SS部隊との市街戦を制したドンたちは束の間の休息をとることに。ノーマンを連れたドンがアパートのドアを開けると、そこには民間人である未亡人イルマ(アナマリア・マリンカ)とその従姉妹エマ(アリシア・フォン・リットベルク)が潜んでいた。最初は怯えていたイルマたちだったが、ドンが民間人には優しいジェントルマンであることを察し、有り合わせの食材でドンとノーマンをもてなす。言葉は通じないものの、若く美しいエマにノーマンは心を惹かれる。戦場で花開く、はかない恋愛感情。1時間後の命さえわからないノーマンは、エマをベッドに押し倒す。それに応えるエマ。あわただしく脱童貞&脱ヴァージンを果たす若者たち。身も心も大人になっていくノーマンを、我が子のように見守るドンの眼差しがそこにはあった。激しい戦闘描写が売りである本作だが、ノーマンの童貞卒業シーンがとても胸に染みる。  ほんのひと時のラブロマンスの後、フューリー号の5人はもっとも過酷な時間を迎える。ドイツ軍が誇る重戦車ティガーとの交戦だ。ティガーI型は88ミリ砲と100ミリのブ厚い装甲を備え、量産型であるMA中A3シャーマンの76ミリ砲と64ミリ装甲を大きく上回る戦闘力を有している。『機動戦士ガンダム』で言うなら、ジオン軍の切り札ビグ・ザムに連邦軍の量産型モビルスーツのジムが立ち向かうようなもの。ティガーとの死闘、さらにはドイツの精鋭部隊300名との肉弾戦が待ち受ける。その日の午前中に配属されたノーマンだったが、夕刻にはすでにフューリー号に欠かせない一員となっていた。平時の若者が肉体の成長とシンクロさせながら青春を謳歌するのに対し、ノーマンはわずか数時間で青春時代を終え、キャタピラーの地響き音に合わせて殺人マシンへと変貌を遂げていく。  本作のデヴィッド・エアー監督は『トレーニングデイ』(01)や『S.W.A.T.』(03)の脚本家として知られ、POVスタイルで撮った監督作『エンド・オブ・ウォッチ』(12)が高い評価を得た。今回はPOVスタイルではないものの、戦場に初めて配属された新兵の目線を通し、最初の1日の出来事を狭い戦車内を中心に描くことで、POVスタイルと同様の臨場感たっぷりな戦場映画に仕上げている。エアー監督自身が手掛けた脚本も、実にシンプルで効果的だ。ドンをはじめとするフューリー号の搭乗員たちが軍隊入りする前の回想シーンの類いはいっさいなし。時間はまったく迷うことなく、過去から現在へと一方的に流れていく。砲弾で吹き飛ばされた者には確実に死が訪れ、もう二度と目を開けることはない。少しでも長生きしたい者は五感を研ぎ澄まし、一瞬一瞬の判断を的確に下しながら生きていくしかない。戦場で過去をセンチメンタルに振り返る余裕はいっさいない。
fury1127_03.jpg
新兵役のローガン・ラーマンは青春映画『ウォールフラワー』(12)をはじめ、童貞少年役で引っ張りだこ。戦時中ながらドイツ人女性といいムードに。
 怒濤のごとく押し寄せてくる時間の流れの中で、ノーマンは立ち止まることを許されない。その日、ノーマンは捕虜を殺害し、出会ったばかりの女を抱き、酒を呑み、そして仲間たちと共に戦った。『フューリー』は戦場映画であると同時に、時間をめぐる物語でもある。長い長い1日が終わった。ノーマンはもはや新兵ではなく、老成した疲れ果てたベテラン兵となっていた。 (文=長野辰次)
fury1127_04.jpg
『フューリー』 製作総指揮/ブラッド・ピット 製作・脚本・監督/デヴィッド・エアー 出演/ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル、ジェイソン・アイザックス、スコット・イーストウッド  配給/KADOKAWA 11月28日(金)より全国超拡大ロードショー  (c)Noman Licensing,LLC 2014  http://fury-movie.jp

入江悠監督のメジャーでの所信表明『日々ロック』たった一人の聴衆に捧げる屋上ライブの愚直さ

hibi_rock01.jpg
『日々ロック』でデジタル系人気アイドル・宇多川咲を演じた二階堂ふみ。そのままデビューできちゃいそうなほど超ラブリーです♪
 勉強はできない、スポーツもできない、ファッションセンスなし、コミュニケーション能力は著しく低い。そんな“まるでだめお”な主人公が唯一輝ける瞬間がある。それはギターを手に、自作の曲を大音量でがなり立てているときだ。がなっているうちに気持ちよくなって、すぐ裸になってしまう。いや、輝いていると思っているのは自分だけで、ほとんどの人はダサくて、うるさくて、頭のおかしな露出狂としか認識していない。それでも彼は爆音でギターを弾き、そして叫び続ける。そうすることでしか、自分の体の中に渦巻いている猛烈な感情を吐き出すことができないからだ。松竹系で全国公開される『日々ロック』は、入江悠監督にとって初のメジャー公開作となる。『SRサイタマノラッパー』(09)でインディーズ映画シーンを席巻した入江監督による、メジャーでの所信表明的な作品と言えるだろう。ロックであることに、メジャーもインディーも関係ねぇ!! そんなシンプルなメッセージが作品を貫いている。  「週刊ヤングジャンプ」連載中の榎屋克優の同名コミックを原作に、超売れっ子の二階堂ふみをヒロインに配するというメジャー映画っぽいパッケージだが、中身は『SRサイタマノラッパー』三部作と同様に異様なまでに暑苦しく、鬱屈している。『SR』との違いを挙げるなら、ラップがロックに代わり、主人公たちが田舎からあっさり東京に上京してきたことぐらい。野村周平演じる主人公・日々沼拓郎は原作以上の変人で、すぐ裸になり、『少林寺木人拳』(76)のジャッキー・チェンかよと思うくらいまともな台詞がない。高校時代のイジメられっ子仲間たちと組んだバンド名は“ザ・ロックンロール・ブラザーズ”とダサダサの極み。歌詞はひとりよがりで、歌もうまくはない。はっきり言って、彼らの演奏は自分たちだけ気持ちよくなっているマスターベーションにしか過ぎない。無名な男たちの自慰行為にお金を払う奇特な客はおらず、彼らがステージに立つライブハウスはいつもガラガラだった。  ある日、童貞たちの巣窟と化していたライブハウスに、ひとりの珍客が現われる。ザ・ロックンロール・ブラザーズの演奏のド下手さに怒りを覚え、酒に酔った若い女性がステージに乱入してきた。酒乱で怖いもの知らずな、今をときめくアイドルシンガーの宇多川咲(二階堂ふみ)だった。咲はマイクを奪い、RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」をブチかます。メジャーデビューを果たした売れっ子と売れないインディーズバンドとの違いを見せつけるように、咲はエネルギッシュなステージングで居合わせた観客を一気に魅了してしまう。自分たちのライブをめちゃめちゃにされた日々沼たちだが、嵐のように現われて去っていった咲に心の童貞を奪われる。彼女のキュートな凶暴さは、それこそロックだった。いつか彼女を振り向かせるような曲を書きたい、演奏したい。日々沼たちの演奏がただのマスターベーションから、リスナーを意識したものへと開かれていく。童貞臭をぷんぷんさせる日々沼にとって、咲は大切なミューズとなる。
hibi_rock02.jpg
『パズル』の野村周平、『桐島、部活やめるってよ』の前野朋哉、黒猫チェルシーのドラマー・岡本啓佑が“ザ・ロックンロール・ブラザーズ”を結成。
 入江監督とは『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(11)ですでにタッグを組んでいる二階堂ふみは、今回のアイドル役を実に楽しそうに演じている。「雨あがりの夜空に」を熱くシャウトした後は、宇多川咲としてのオリジナルナンバー「サンライズ」「ラブリーサマータイム」をポップに歌い上げる。カワイイということは、それだけで充分にメジャーたりえる価値があるようだ。園子温監督の『地獄でなぜ悪い』(13)でコミカルな魅力を、熊切和嘉監督の『私の男』(14)で妖しい美しさを披露した二階堂ふみが本作でまたまた新しい顔を見せる。酒乱で凶暴という破壊願望丸出しなアーティストとしての一面をさらす一方、ステージを降りてひとりぼっちになった彼女の素顔はとてもナイーヴで、ちょっとした衝撃でバラバラに壊れてしまいそうな弱々しい女の子でしかない。メジャーとインディーの狭間で揺れる人気アイドル・宇多川咲は、今の二階堂ふみにぴったりの役だろう。  宇多川咲は天使なのか悪魔なのか? 女性偏差値が限りなくゼロに近い日々沼にとって、宇多川咲はまるで遠い星からやってきた異星人のような存在だ。でも、そんな宇宙人、いや宇多川咲とコンタクトできる手段がある。それがロックだ。消耗品であるアイドルは寿命がとても短いことを自覚している咲は、ロックバカの日々沼に「私のために曲を書いて」と頼む。日々沼にとって初めてのオファーであり、ザ・ロックンロール・ブラザーズがメージャーシーンと接点を持つ絶好のチャンスだった。だが、そのことが原因で、バンドは解散の危機を迎える。みうらじゅん原作、田口トモロヲ監督によるロック映画の金字塔『アイデン&ティティ』(03)の中で、ヒロイン(麻生久美子)は主人公の中島(峯田和伸)に「君は私のことをマザーだと思っているでしょ? でもマザーって、君が思っているような安定型じゃなくて破滅型と隣り合わせなんだよ」と静かにすごんで見せた。宇多川咲も日々沼にとって単に美しく、創作意欲を掻き立ててくれるミューズではない。女とは、男に多大なる試練を与える邪神、魔神でもあることを『日々ロック』は描いている。  邪神、魔神、宇宙人でもかまわない。自分の曲を、自分たちの演奏を初めてちゃんと聴いてくれた宇多川咲に、今の想いをすべてブチまけた曲を捧げたい。遠い世界へ旅立とうとする彼女のためだけに、日々沼は新曲を演奏する。ギャラリーは咲以外は誰もいない。強風と豪雨が吹き荒れる悪天候での屋上ライブだ。それまでのぐだぐだ、うだうだぶりの一切合切が、この屋上ライブで一気に反転する。自分自身の才能のなさに対するコンプレックス、成功者に対する妬み、生きていくことの息苦しさ、夢を見続けることの耐えがたい重み……。そういったすべてのネガティヴな感情を全部プラスに転じて、日々沼は絶唱する。たったひとり、咲だけに届けばいいと願いを込めて。それは、絶望というとても深い暗黒の淵に架ける、小さな小さな頼りない橋だった。
hibi_rock03.jpg
日々沼(野村周平)たちは大豪雨の中で屋上ライブを決行する。リスナーはたったひとり、どこかで聴いているはずの宇多川咲だけだ。
 大型扇風機による強風と大量の雨という台風コントを思わせるベタな設定の中で、丸2日間にわたってぶっ通しで歌い続けた野村周平は、役づくりというレベルを越えて、ロックバカの日々沼そのものと化していく。自分のためだけに、純粋無垢なロックを捧げるバカものがいる。窓を開けた咲が、そして二階堂ふみが、微笑む。言葉にならない何かが通じ合った瞬間だった。  2015年1月31日(土)には、松竹よりもさらにメジャーな東宝系で入江監督が撮ったサスペンス大作『ジョーカー・ゲーム』が公開される。今後もメジャーから面白いオファーが届けば、入江監督はメジャーの仕事を受けるだろうし、インディーズで撮りたいテーマが見つかれば、またインディーズに戻って撮ることだろう。入江監督にとって、メジャーであるかインディーであるかはさほど重要な問題ではない。日々沼が愚直なまでにロックを追い求めたように、入江監督もまたロックな映画を作ることに情熱を注ぎ続けるはずだ。 (文=長野辰次)
hibi_rock04.jpg
『日々ロック』 原作/榎屋克優 脚本/吹原幸太、入江悠 監督/入江悠 出演/野村周平、二階堂ふみ、前野朋哉、落合モトキ、岡本啓佑、古舘佑太郎、喜多陽子、毬谷友子、蛭子能収、竹中直人 配給/松竹 11月22日(土)よりロードショー  (c)2014「日々ロック」製作委員会 (c)榎屋克優/集英社  http://hibirock.jp

トキワ荘とは異なる、もうひとつの“まんが道”! 劇画を考案した辰巳ヨシヒロの自伝『TATSUMI』

tatsumi1114_01.jpg
子ども向けだった漫画を、大人が楽しめる劇画へと押し進めた辰巳ヨシヒロの半生を描いた『TATSUMI』。彼の功績は海外で高く評価されている。
 ずっと疑問に思っていたことがある。なぜ、トキワ荘というアパートに藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら天才漫画家たちが集中して現われたのかということだ。“漫画の神様”手塚治虫を慕って、手塚がかつて暮らしていた椎名町のアパートに若き才能が集まったという説明だけでは納得できないものを感じていた。劇場アニメーション『TATSUMI マンガに革命を起こした男』とその原作となった辰巳ヨシヒロの自伝的コミック『劇画漂流』に触れることで、長年の謎がようやく氷解した。トキワ荘以外にも才能と情熱に溢れた若き漫画家たちは大勢おり、各地に群雄割拠していたのだ。だが、漫画産業が巨大化していく中で、最後まで生き残ったのがトキワ荘のメンバーだったということなのだ。シンガポールを拠点に活動するエリック・クー監督の手による『TATSUMI』は、“劇画”を考案した漫画家・辰巳ヨシヒロの半生をアニメーションとして描くことで、トキワ荘とは異なる漫画の歴史、そして日本の戦後文化史をひも解いていく。  辰巳ヨシヒロは1935年大阪府生まれ。兄・桜井昌一の影響で漫画に熱中し、雑誌『漫画少年』の読者投稿コーナーの常連となっていく。中学時代には宝塚市で暮らしていた手塚治虫の自宅を訪問するなど、“漫画の神様”と早くから交流していた。高校卒業後、大阪の貸本業界を中心にプロの漫画家としてキャリアを築いていく辰巳は、次第に大人向けのシリアスな画風や題材を描くことに傾倒する。キャラクターの内面に生々しく迫った辰巳の作品は、笑いをベースにした従来の子ども向け漫画とは明らかに異なるものだった。1958年に辰巳は上京。同じ関西出身のさいとう・たかを、佐藤まさあき、松本正彦らと国分寺に住み、「劇画工房」を名乗る。劇画というネーミングを考えた辰巳のこの“劇画宣言”は、誰もが楽しめる“漫画”であることにこだわり続けた“神様”手塚治虫との決別でもあった。関西で絶大な人気を誇った漫画誌『影』の新鋭作家たちが名前を連ねた「劇画工房」だったが、会社組織ではなく、あくまでも同人の集まりだったために足並みが合わず、あっけなく瓦解してしまう。少年漫画を中心にしたトキワ荘のメンバーがテレビアニメーションやキャラクタービジネスと融合してメジャー化していくのに対し、「劇画工房」参加者たちの多くは時代の波に呑まれ、漫画家からの転職や廃業に追い込まれていった。
tatsumi1114_02.jpg
中学時代の辰巳は、憧れの存在だった手塚治虫の自宅に招待された。「長編漫画を描きなさい」という“漫画の神様”のアドバイスに従う。
 辰巳ヨシヒロの短編集を読んで衝撃を受けたというエリック監督は、2008年に単行本化された『劇画漂流』を縦軸に、辰巳が1970年代に発表した5つの傑作短編を織り込みながら、96分の実録アニメーションに仕上げた。“神様”手塚治虫との震えるような出会い、弟・ヨシヒロに多大な影響を与えた兄・桜井昌一との愛憎劇、伝説のカルト誌『影』で腕を競い合ったさいとう・たかを、松本正彦との合宿生活……。それらの実話エピソードと5つの短編が絡み合うことで、それまで子ども向きとされていた漫画を大人の鑑賞に耐えうる劇画へと押し上げていった辰巳の苦渋多き道のりが浮かび上がる。  辰巳の迫力ある画風をそのまま生かしたシンプルなアニメーションが味わい深い。日本の高度成長期の雰囲気がうまく再現されている。5つの短編の中で辰巳の心情がより色濃く投影されているのは、後半に登場する「はいってます/OCCUPIED」だろう。子ども向きの作品をうまく描くことができず、連載打ち切りを出版社から言い渡される漫画家が主人公だ。連日の徹夜で体調を崩していた彼は、公衆トイレに駆け込み、胃の中で消化できずにいたものを嘔吐する。ふと顔を上げると、トイレの個室の壁は猥雑ならくがきで埋め尽くされていた。そこは誰にも知られずにこっそりと、でも描かずにはいられないという初期衝動がブチまけられた名もなき者たちのギャラリーだった。自分を見失っていた漫画家はエロらくがきの数々に魅了されていることに気づく。その個室では名もなき者たちの叫び声が聞こえてくる。その中には、漫画家になる夢が叶わなかった者たちの深いため息、商業ペースに付いて行けない漫画家の嗚咽と筆を折る音……、そんな声にならない声が混じっているような気がしてならない。次々と創刊される漫画誌、そしてテレビアニメーションというポップカルチャーが花開いていく賑やかな時代の中で、辰巳は陽の当たらない裏街道をさまよう人々を好んで描き続けた。
tatsumi1114_03.jpg
エリック・クー監督と辰巳ヨシヒロ。「劇画というジャンルを確立した辰巳先生が日本でもっと知られることを願う」とエリック監督は語る。
 「まんだらけ」の季刊カタログで95年から2006年にわたって連載された原作コミック『劇画漂流』は本格的な劇画ブームが到来するものの、すでに劇画が形骸化してしまったことに主人公が怒りをあらわにするところで終わっているが、エリック監督は『TATSUMI』の中でその後の『劇画漂流』を辰巳に描かせている。辰巳の作品はますますディープさを増していく一方、発表する媒体は次第に限られていく。そんな中、仕事場にしていた喫茶店のウエイトレスと懇意になり、人生の伴侶とする。決して華やかではないが、自分の信じる道を歩き続ける辰巳。彼の作品は英語・フランス語・スペイン語・イタリア語・インドネシア語などに翻訳され、海外では手塚治虫と並ぶ高い評価を得ているという。世界的なポップカルチャーへと成長を遂げた日本の漫画産業だが、そこに至る道は“まんが道”だけでなかった。辰巳が切り開いた“劇画道”を含む、数多くの様々な道が連なっていたのだ。 (文=長野辰次)
tatsumi1114_04.jpg
『TATSUMI マンガに革命を起こした男』 原作/辰巳ヨシヒロ 監督/エリック・クー 声の出演/別所哲也(一人六役)、辰巳ヨシヒロ 配給/スターサンズ 11月15日(土)より角川シネマ新宿ほか全国順次公開 (c)ZHAO WEI FILMS http://tatsumi-movie.jp

あの“アホの坂田”師匠が和製イーストウッドに!? 安藤サクラ主演作『0.5ミリ』で光り輝く名優たち

05mm01.jpg
高知ロケが行なわれた『0.5ミリ』。元自動車整備士の茂(坂田利夫)は、さすらいのヘルパー・サワ(安藤サクラ)と束の間の甘い生活を送る。
 映画の普遍的なモチーフのひとつに“疑似家族”ものがある。血の繋がらない人々が様々なトラブルを乗り越えて、ひとつの絆で結ばれていく物語だ。ラブコメ、バディムービー、任侠映画も広い意味での疑似家族ものの一種といえる。絆という言葉は曖昧なので、共通言語と言い換えてもいい。キャスト同士、そしてキャストとスタッフとが、映画という共通言語で結ばれていくのが映画製作である。ゆえに古今東西すべての映画は、キャストやスタッフが監督や主演俳優を中心にひとつのファミリーになっていく過程を追ったドキュメンタリーだと言うことができる。奥田瑛二の長女・安藤桃子監督が妹・安藤サクラを主演にして撮ったロードムービー『0.5ミリ』は、まさに典型的な疑似家族もの。流浪のヘルパーを主人公に、血縁関係や従来の家族制度に囚われることなく新しい家族が生み出されていく様子を3時間16分にわたって描いている。  主人公・山際サワ(安藤サクラ)はさすらいの介護ヘルパーだ。もともとはちゃんと介護センターに登録していたが、「冥土の土産に」と平田家の寝たきりの昭三おじいちゃん(織本順吉)にひと晩添い寝したことが原因で、介護センターをクビになってしまった。ついでに寮まで追い出されてしまう。職なし、家なし、家族なし、貯金なしのサワは、かくして流しのヘルパーとなる。以後、サワは街を徘徊する寂しそうな老人を見つけては、強引に家に上がり込んで勝手に世話を焼くのだった。押し掛けヘルパー・サワの冒険が始まった。  老人介護が題材と聞くとシリアスなものを思いがちだが、ロケ地である南国・高知の明るい陽射しと安藤サクラのバイタリティー溢れる行動力が、そんな先入観をバコ~ンッと吹き飛ばしてしまう。そして何よりも安藤サクラと絡むベテラン俳優たちの妙演が実に味わい深い。サワが最初に出会うのは、カラオケボックスをホテル代わりにして夜を明かそうとする康夫ちゃん(井上竜夫)。カラオケボックスの利用方法に不慣れな康夫ちゃんに代わって、サワは受付をちゃちゃっと済ませる。サワと康夫ちゃんはひと晩カラオケボックスで過ごすだけの仲だが、赤の他人同士だからこそ相手をいたわることができる。翌朝、エロジジイでもある康夫ちゃんはサワのお尻を撫でながら、さりげなくサワの手に1万円札を握らせる。そして颯爽と去っていく康夫ちゃん。「おじゃましまんにゃわ〜」「ごめんくらはい」のギャグでおなじみ「よしもと新喜劇」の重鎮・竜じいの軽妙な芝居が旅物語の序盤を軽快に後押しする。
05mm02.jpg
「よしもと新喜劇」の“竜じい”こと井上竜夫は、酸素ボンベを抱えながらの好演。安藤サクラと息の合った芝居を見せる。
 井上竜夫に続いて名優ぶりを発揮するのは、やはり吉本興業の大ベテラン・坂田利夫。コメディNo.1というより、“アホの坂田”師匠と言ったほうが耳なじみがいいだろう。さすがに劇中ではキダ・タロー作曲「アホの坂田のテーマ」は流れないが、安藤桃子監督と相方役を務める安藤サクラは“アホの坂田”師匠のチャーミングさをスクリーンいっぱいに引き出してみせる。安藤姉妹に乗せられて、師匠もすっかりご機嫌だ。師匠の役は元自動車修理工で、今はひとりぼっちで暮らす茂じいさん。話し相手もおらず、道端に停めてある自転車を盗んだり、タイヤをパンクさせることで日々のうさを紛らわせている。その様子を見かけたサワは、一方的に茂じいさんの家に住みつくことに。最初は厚かましいサワのことを警戒していた茂じいさんだが、サワの手料理にあっという間に飼い馴らされてしまう。ひとりぼっちで食べる晩ご飯に比べ、ふたりぼっちで囲む食卓の何と温かいことか。年齢の離れた茂じいさんとサワとの共同生活は、父娘というよりも新婚家庭のような艶っぽさが漂う。  頑固な元自動車整備士という設定は『グラン・トリノ』(08)のクリント・イーストウッドを連想するが、安藤桃子監督によると『グラン・トリノ』のパクりではなく、『グラン・トリノ』の公開前に『0.5ミリ』の原作小説は書き上げていたそうだ。「もちろん『グラン・トリノ』は大好き。あの映画を観ていて、米国も日本も頑固な職人像って同じなんだなぁってうれしくなりましたね」と語っている。イーストウッドのこだわりの愛車が70年代を代表するビンテージカーのグラン・トリノなら、茂じいさんの宝物は“幻の名車”いすゞ117クーペ。茂じいさんが40年間大切に手を入れてきたので新車同様にピカピカ輝いている。偏屈な独居老人と化していた茂じいさんだが、自動車の整備に情熱を注いできた誇り高き“昭和の男”であることが分かる。サワにアシストされ、生きる活力を取り戻した茂じいさん。アホの坂田師匠がイーストウッドばりのダンディーな男に見えてくるではないか。2人の穏やかな生活がいつまでも続けばいいのに……。そう思わせる美しいシークエンスとなっている。  サワと老人との共同生活は、血縁や戸籍上の登録によって結ばれた家族の関係とも、恋愛感情を介した男女の関係とも異なる。サワは孤独な老人たちの世話をすることで、その代償として泊まる部屋と食費を提供してもらう。いわば、カバの背中にとまって、カバに寄ってくるダニなどの虫をついばむ小鳥のウシツツキのような存在だ。周囲からはフケ専だの財産狙いだのと中傷されるが、サワは人生の先輩たちからお金以上のものを受け取る。彼らと一緒にご飯を食べ、話を聞き、諸々の世話をすることで、サワは自分が知らない世界や自分が生まれる以前の時代について触れることができる。放浪ヘルパーとして根なし草のごとき生活を送るサワだが、自宅や家族の代わりにもっと大きな社会や時代の流れの中に身を委ねることになる。サワを演じる安藤サクラが次第に菩薩さまに思えてくる。映画の世界で深い深い母性を感じさせる安藤サクラ。彼女のことをこれからは映画菩薩と呼びたい。
05mm03.jpg
“日本映画の父”牧野省三を祖父に持つ津川雅彦が後半に登場。安藤姉妹は撮影を通して日本の映画史を、そして近代史を貪欲に取り込む。
 父親が俳優の奥田瑛二、母親がタレント兼エッセイストの安藤和津という芸能一家に生まれ育った安藤桃子&サクラ姉妹。両親が家にいないことが多く、少女時代の姉妹の面倒を看ていたのは母方の祖母だったそうだ。愛する祖母が晩年に病気を患い、そのときの在宅介護の体験が本作のベースとなっている。今は亡き祖母への想いを形にするべく、安藤姉妹はタッグを組み、さらに奥田瑛二がエグゼクティブプロデューサー、安藤和津がフードスタイリストとして参加。映画の後半では安藤姉妹と幼い頃から交流のあった津川雅彦、また俳優の柄本佑と結婚した安藤サクラにとっては義父・義母となる柄本明と角替和枝がそれぞれ重要な役どころで登場する。疑似家族ものを実際の家族・親族らで撮り上げるという、『0.5ミリ』は相当ユニークな作品だ。妹・サクラに続いて桃子監督も結婚を決め、映画製作を通して“家族”とは何であるのかを確かめたかったに違いない。  家族とは、本当に面倒くさくて、超うざったい存在だ。ほとんどの家族は言うべきことを口にせず、言わなくていいことを口にする。くだらないことで、すぐにケンカになる。でも多分、そんな面倒くささ、うざったさ、くだらなさの中に、ひどく大事なものが隠されているらしい。さすらいのヘルパー・サワはアウトサイダーゆえに、その隠されているものの大事さに気づいている。面倒くさく、うざったく、くだらないものが複雑にこんがらがったものを丁寧に解いていく。そして旅を続けることでサワは、それまで出会った人たちをひとつの“拡大家族”へと繋げていく。とてもカラフルなパッチワークのように。サワが行く先々には、これからも血縁や地縁に縛られない、新しい大きな家族が誕生していくはずだ。 (文=長野辰次)
05mm04.jpg
『0.5ミリ』 原作・脚本・監督/安藤桃子 出演/安藤サクラ、織本順吉、木内みどり、土屋希望、井上竜夫、東出昌大、ベンガル、角替和枝、浅田美代子、坂田利夫、柄本明、草笛光子、津川雅彦  配給/彩プロ 11月8日(土)より有楽町スバル座ほか全国順次ロードショー。高知市では高知城西公園内『0.5ミリ』特設劇場にて先行上映中。 (c)2013 ZERO PICTURES/REALPRODUCTS http://www.05mm.ayapro.ne.jp

“哀しき天才”安達祐実、20年ぶりの主演映画! ロリータの呪縛から解放された官能作『花宵道中』

hanayoidouchu01.jpg
安達祐実がフルヌードを披露した『花宵道中』。幼少期から吉原で生きてきた遊女・朝霧役は、2歳で芸能界デビューした安達自身と重なるキャラクターだ。
 人並みはずれた才能を持っていると、逆にその能力を発揮する機会が限られてしまう。日本の芸能界でいえば、安達祐実もそのケースに当てはまるだろう。わずか2歳で芸能界入りし、天才子役ともてはやされたが、子役と呼べる年齢を過ぎると出演作は徐々に減っていった。12歳のときに主演した『家なき子』(日本テレビ系)で人気のピークを極めた彼女が、フツーのドラマで共演者のひとりとして呼ばれることはなかった。演技力がありすぎ、キャスティングのバランスが悪くなってしまうからだ。才能があるために活躍できない。そんな不条理さに悩まされていた安達祐実が、ようやく本領を発揮できる機会を得た。劇場版『家なき子』以来、20年ぶりとなる主演映画『花宵道中』がそれだ。官能時代劇である本作で孤高の遊女役を演じ、長年引き摺ってきた子役イメージの完全払拭に挑んでいる。  安達祐実の女優としての能力を高く評価してきたのが、LAのアメリカン・フィルム・インスティチュート留学経験のある豊島圭介監督。2013年にオンエアされたWOWOWドラマ『CLAMPドラマ ホリック xxxHOLiC』で、主人公の染谷将太を惑わす悪女・女郎蜘蛛役として安達を起用している。このときの安達は少女なのか熟女なのか老婆なのか分からない年齢不詳の妖しいファムファタールを嬉々として演じ、チーフディレクターをつとめた豊島監督の期待に応えてみせた。深夜ドラマで今までにない妖艶さを見せた安達と彼女の新しい魅力を引き出した豊島監督が、時代劇の聖地・東映京都撮影所で再タッグを組んだのが『花宵道中』だ。信頼できる豊島監督ということもあって、安達は大胆な濡れ場に挑んでいる。  『花宵道中』は“女による女のためのR-18文学賞”の大賞&読者賞をW受賞した宮木あや子の同名オムニバス小説が原作。江戸時代の遊郭・吉原で生きる遊女たちを主人公にした官能ストーリーだ。朝霧(安達祐実)は7歳のときに下級女郎だった母を亡くし、女郎屋・山田屋に引き取られた。顔は地味でおとなしい性格だったが、身体が火照ると肌にピンク色のアザが次々と浮かぶ特異体質のため、知る人ぞ知る人気女郎となっていく。朝霧の身体に花のように咲き乱れるアザを見たさに、男たちは山田屋に通い詰めた。男たちが朝霧を責め立てると、花はますます妖しく咲き誇った。
hanayoidouchu02.jpg
江戸時代の女郎遊びを再現。安達祐実、小篠恵奈の他、三津谷葉子、多岐川華子、立花彩野、さらに高岡早紀といった綺麗どころがそろう。
 男たちを歓ばせるために、夜ごと秘密の花を咲かせる朝霧だったが、幼い頃から吉原の塀の中で育ったため、まだ本気で男を愛したことがない。そんな折、吉原で大火があり、山田屋の女郎たちは女将(友近)に連れられ、深川へと一時移転する。吉原に売られてきた女郎たちは、久々に外の空気が味わえてうれしい。妹分の八津(小篠恵奈)と深川八幡の縁日へと出掛けた朝霧は、そこで気のいい染め物職人の半次郎(淵上泰史)と出会い、切れた下駄の鼻緒を直してもらう。仕事以外の場所で初めて男に優しくしてもらい、生娘のように心をときめかす朝霧。だが、2人の仲を引き裂くように腹黒い商人・吉田屋(津田寛治)が現われる。2人がただならぬ関係であることに感づいた吉田屋は、座敷に朝霧を呼び寄せ、半次郎が同席している場で陵辱するのだった。  惚れた男が見ている目の前で、プロの風俗嬢を手篭めにするというこのシーン、相当ポイントが高い羞恥プレイである。このシチュエーションを考え出した吉田屋自身もかなり興奮している。子役時代の面影が残るロリータフェイスに苦悶の表情を浮かべる安達祐実。彼女の小ぶりな乳房をあらわにして執拗にもみしだくのは、『不倫純愛』(10)や『恋の罪』(11)などの官能映画で過激な濡れ場を演じてきた津田寛治だ。熟練した責め技にリアルに悶えながら、愛する男の前で痴態をさらす己の業を呪うヒロインの葛藤を安達祐実は見事に演じてみせる。まさにプロ中のプロの仕事ではないか。 「ずっと世間の安達祐実に対するイメージと、実際の私の間には大きな隔たりがあると感じてきました。そこで、見ている方に驚いていただけるような役や演技をすることで、安達祐実をもっと自由に捉えていただけるようになるのではないかと考えたんです。イメージにないことをすると、当然賛否両論が出てくると思います。ただ、今の私にはそれらを受け止める準備ができています」と初めての遊女役を演じきった安達祐実は語る。彼女にとって本作が覚悟の作品であったことが分かる。
hanayoidouchu03.jpg
朝霧(安達祐実)が想いを寄せる半次郎役は『ぼっちゃん』(12)でレイプ&殺人鬼役を怪演した淵上泰史。今回は爽やかに、切ない濡れ場を演じる。
 俳優という職業はとても特殊な仕事だ。撮影所や舞台といったフィクションの世界で過ごす時間が長く、現実世界とは異なる時間が身体の中を流れている。安達祐実の場合はさらに童顔ということもあり、子役時代のイメージが我々観客の脳裏にずっと焼き付いていた。『家なき子』に主演していた頃のイメージが更新されないままだった。そんな壊れたままの時計の針を動かしてみせたのが豊島監督だった。かつて天才子役と呼ばれた安達祐実も彼女に新しいチャンスを与えなかった日本の芸能界も、20年間近くずっと時間が止まったままだったのだ。子役イメージの呪縛からようやく解き放たれた安達祐実は、とても無邪気な笑顔と妖艶な姿の両面を見せる。止まっていた時間を取り戻したかのように、持てる能力を存分に発揮してみせる。  『花宵道中』は単なる官能映画ではない。豊島監督と安達祐実が止まっていた時計の針を動かすことを決心した本気印の勝負作である。20年前からほとんど変わりばえしない日本の芸能界もそろそろ真剣に時計のネジを巻いたほうがいい。才能が発揮できずにいる“哀しき天才”は安達祐実の他にもまだまだいる。 (文=長野辰次)
hanayoidouchu04.jpg
『花宵道中』 原作/宮木あや子 脚本/鴨義信 監督/豊島圭介 出演/安達祐実、淵上泰史、小篠恵奈、三津谷葉子、多岐川華子、立花彩野、不破万作、友近、高岡早紀、津田寛治 配給/東京テアトル R15 11月8日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー (c)2014 東映ビデオ http://hanayoidouchu.com

映画よ、これがVシネマだ。史上最凶のアニキたちがVシネ記念作『25 NIJYU-GO』でドリーム競演!

nijugo01.jpg
Vシネマの歴史を築いてきた哀川翔、寺島進ら歴代のアニキたちが大集結した『25 NIJYU-GO』。和製『アベンジャーズ』の世界だ。
 人生は祭りだ。巨匠フェデリコ・フェリーニ監督は『8 1/2』(63)の主人公にそう語らせた。東映Vシネマ25周年を記念したメモリアル大作『25 NIJYU-GO』は、まさにお祭りムービー。フェリーニとVシネマではあまりに掛け離れているが、地球をぐるっと一周してごっつんこした、そんな感じ。“Vシネマの帝王”哀川翔を筆頭に、東映Vシネマ第1作『クライムハンター 怒りの銃弾』(89)にも出演していた寺島進、“顔面リーサルウェポンズ”小沢仁志・和義兄弟、Vシネマニアに語り継がれる『カルロス』(91)の竹中直人……。Vシネ四半世紀の歴史を築いてきたレジェンドたちが続々と登場する。彼らは当然ながら『8 1/2』の主人公のように悩むことはない。本能の赴くまま突っ走り、盛大なドンパチをぶちかます。うたかたの人生、どーせなら思いっきりアゲアゲのお祭りにしてやろうじゃねぇの。欲望原理主義者たちが集い、どでかい花火が打ち上げられる。  テレビドラマよりも倫理コードがゆるく、また従来の日本映画ではOKが出なかったような偏った企画内容こそがVシネマの魅力だ。Vシネマが産声を上げた80年代後半、邦画はドン底状態で、もはや映画スターという言葉は死語だった。映画界では食べていけず、かといってトレンディドラマ全盛期のテレビ業界にも馴染めない人々がVシネマに集まった。製作予算は限られ、撮影スケジュールは超ハード。そんな過酷なVシネマの現場では様々な伝説が生まれた。一世風靡セピアで活躍後、長渕剛主演ドラマ『とんぼ』(TBS系)などに出演していた哀川翔は「六本木でいちばん元気な男(=毎晩、飲み歩いている男)」という理由で、高橋伴明監督に抜擢されて『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』(90)で初主演を飾った。『鉄砲玉ぴゅ~』のヤクザにも堅気にもなれないハンパなチンピラ役は当時の哀川翔にぴったりだった。Vシネブームに乗って、哀川翔は年間で主演作10本、助演作12本を数える超売れっ子に。脚本を読む暇もなく、カメラのセッティング中に次のシーンの台詞を覚えた。役づくりは不要で、Vシネ界でのし上がっていく自分自身を演じていた。
nijugo02.jpg
汚職公務員(温水洋一)が持ち出した年金25億円に、誘蛾灯に引き寄せられた羽虫のようにバーのママ(高岡早紀)ら悪いヤツらが群がる。
 哀川翔が映画やテレビでも活躍するようになったのに対し、小沢兄弟はVシネマを主戦場にして今も戦い続けている。小沢兄は自覚しているだけで全身を47回骨折している。でも、どんなに大怪我を負っても現場に立ち続ける。泳ぐのをやめると死んでしまうサメみたいな兄弟だ。今回、メガホンをとった鹿島勤監督は代表作にVシネ版『静かなるドン』シリーズがあるが、主演の香川照之に1シーンで100回NGを出したことで知られる。テイク99とテイク100の違いは何だったんだろうか? Vシネの世界では、そんな伝説がゴロゴロしている。キツくて、痛くて、寝る暇もない。それでも彼らはオファーがある限り、Vシネの仕事を続ける。テレビドラマや映画よりも、ずっと自由な空気がVシネの現場にはあるからだ。スポンサーや事務所の顔色を気にすることなく、彼らは現場で来る日も来る日も暴れ続けた。  『25』での哀川翔は悪徳刑事役。その相棒に寺島進、腹に一物ありそうな警察署長に大杉漣、ヤクザの組長兄弟に小沢仁志・和義、中国マフィアに竹中直人。さらに石橋蓮司、笹野高史、菅田俊らも登場する。これだけキャリアのある俳優たちが集まれば、フツーの映画なら重厚な作品になるはずだが、『25』はまったくその逆を行く。濃い顔ぶれがそろえばそろうほど、物語にB級感がどんどん増していく。翔アニキは主演作がすでに110本を越えるのに、その芝居は実に軽やか。軽妙に、軽快に、でも軽薄にはならない、味のある軽さだ。演技のうまい下手は関係ない。この軽みこそ、翔アニキの持ち味だろう。横領した年金25億円を持ち逃げするキーパーソン役は温水洋一。彼は劇団「大人計画」に所属時代、やはりVシネの人気シリーズ『痴漢日記』に出演していた。そんな欲深い男たちの祭りに、彩りを加えるのは高岡早紀と岩佐真悠子。男たちを手玉に取る悪女役を2人とも楽しげに演じている。テレビや映画では見せない、リラックスした実にいい表情で男たちをたぶらかす。
nijugo03.jpg
Vシネ界のレジェンドたちに噛み付くのは波岡一喜。『ベイブルース』『夜だから』と主演映画が立て続けに公開される今、最も脂の乗ってる男優なのだ。
 25億円を求めて、悪いヤツらがクライマックスで一堂に会する。舞台となるのはVシネマや特撮もののロケでおなじみの群馬の廃工場。翔アニキが、小沢兄弟が、若手代表の波岡一喜が、そして竹中直人が、銃弾の雨を浴びながらキラキラと輝く。映画スターでもなく、テレビの視聴率にも無縁な、選ばれし男たちが出席するVシネ大同窓会だ。男たちはハグの代わりに、銃弾と拳で挨拶を交わす。廃工場での銃撃戦で飛び交う銃弾はおよそ1000発。さらに大爆破&大炎上、宙を舞う札束。Vシネ25年間の愛憎と欲望が凝縮された一大フィナーレだ。  Vシネマをジャンピングボードにして三池崇史、黒沢清、清水崇といった監督たちは世界へと飛び立った。90年代のヘアヌードブームとリンクして、多くのVシネクイーンたちが美乳と美尻を競い合った。その一方、Vシネマに将来を見出せず、ドロップアウトしてしまう者も少なくなかった。Vシネマの世界は敷居が低い分、転がり落ちるのも簡単だった。そんなVシネマ怒濤の25年の歴史を、翔アニキは軽やかに駆け抜けていく。爆破シーンでは名前の通り、身軽にぴゅ~と翔んでみせる。しかも、くるりと前方回転を決めながら。Vシネマの世界で輝く、男たち女たち。人生は祭りだ、ともに踊ろう。フェリーニの言葉が彼らにはとてもよく似合う。 (文=長野辰次) nijugo04.jpg 『25 NIJYU-GO』 脚本/柏原寛司、大川俊道、岡芳郎、ハセベバクシンオー 監督/鹿島勤 出演/哀川翔、寺島進、温水洋一、高岡早紀、小沢仁志、小沢和義、波岡一喜、井上正大、鈴木砂羽、笹野高史、嶋田久作、中村昌也、金子昇、本宮泰風、木村祐一、ブラザートム、木下隆行(TKO)、初音映莉子、伊沢弘、石井慎一、工藤俊作、菅田俊、岩佐真悠子、袴田吉彦、竹中直人、石橋蓮司、大杉漣 製作/東映ビデオ 配給/東映 R-15 11月1日(土)より新宿バルト9ほか全国ロードショー (c)2014東映ビデオ http://nijyu-go.com ※ラピュタ阿佐ヶ谷では「PLAYBACK 東映Vシネマ25連発!」を特集上映中。ダイヤモンド・ユカイが主演した元祖ヒップホップアクションミュージカル『ハートブレイカー 弾丸より愛をこめて』(11月7日~9日)、きうちかずひろ監督作『JOKER ジョーカー』(11月22日~24日)、荒井晴彦脚本による『F.ヘルス嬢日記』(11月28日~30日)など厳選された東映Vシネマが12月29日(月)まで絶賛レイトショー上映。 http://www.laputa-jp.com/laputa/program/toei-v-cinema

『キス我慢選手権』の最中に“アイ”を叫んだけもの 劇団ひとりこと川島省吾は脚本なき人生を生きる!!

kiss_gaman2_01.jpg
『キス我慢選手権 THE MOVIE2』でヒロインに抜擢された上原亜衣。彼女は劇団ひとりを狂わせる魔性の女か、それとも運命の恋人か?
 主演俳優のみならず、共演者も脚本家もカメラマンも、そして監督ですら結末を知らずに物語が進むという壮大な実験映画『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE』(13)が帰ってきた。『キス我慢選手権』にはこれまで何度も裏切られてきた。テレビ番組『ゴッドタン』(テレビ東京)の人気企画だった『キス我慢選手権』が映画化されると聞いたときは、「テレビだから面白いのに、映画化する意味があるのか」といぶかしんだが、完全に裏切られた。劇団ひとりが24時間をアドリブで演じ通すという驚異のノンストップムービーとして、映画館を爆笑と感動の渦に巻き込んだのだ。そして前作のヒットを受けて登場したのが、『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE2 サイキック・ラブ』。「さすがに前作以上に面白いものは無理だろう」と予測していたら、またしても見事に裏切られた。劇団ひとりのアドリブも、共演陣やスタッフの対応もさらなる進化を遂げ、前作以上に面白い作品に仕上がっているではないか。  今さら説明するまでもないが、『キス我慢選手権』は深夜番組『ゴッドタン』の企画のひとつであり、お笑い芸人たちがセクシーアイドルたちのキスの誘惑にどれだけ耐えられるかを競い合うシンプルな内容だった。企画を盛り上げるためにドラマ的なシチュエーションを設けたところ、劇団ひとりが人格交替したかのような尋常ならざるアドリブ能力を発揮。美女たちの甘いキスをかわすために次々とキザな台詞(=痩せ我慢)を連発した。ゼロ年代の名作『SRサイタマノラッパー』(09)でヒロインを演じるなど長回しになればなるほど魅力を発揮するみひろが劇団ひとりのアドリブに対応し、伝説級の名場面の数々が生まれた。どれだけキスを我慢できるかという当初のコンセプトから大きく逸脱し、男と女の見栄と本音が激しくせめぎあい、そしてドラマならではの娯楽性とドキュメンタリー的なリアルさを兼ねそろえた奇跡的な映画へと羽ばたいていった。だが、『キス我慢選手権 THE MOVIE2』には劇団ひとりの潜在能力を存分に引き出してみせたミューズ・みひろはもういない。一抹の寂しさ、喪失感が漂う。それでも、劇団ひとりは新しいステージへと単身で挑む。  前作の劇団ひとりは、自分が何者であるかを知らない『ボーン・アイデンティティー』(02)のジェイソン・ボーンを思わせる凄腕のスナイパー役だった。アドリブで演じるうちに自分の正体に気づき、巨大な組織を相手に戦うというハードボイルドタッチの内容だった。今回はTVシリーズで人気を博していた青春学園ドラマという設定で始まる。メインキャストが一新された『キス我慢選手権 THE MOVIE2』の共演女優は、2011年にAVデビューして、たちまち売れっ子になった上原亜衣。清純そうなルックスながら、大胆プレイで男性ファンのハートと局部を鷲づかみしている。豊かなバストから母性愛がほとばしる白石茉莉奈、アイドル並みのキュートな容姿を誇る小島みなみも出演。前作のみひろ、葵つかさ、紗倉まなも強力だったが、今回もAV界のトップ女優をきっちりと押さえている。前作越えを狙う、スタッフの本気度が感じられるキャスティングだ。
kiss_gaman2_02.jpg
保健室にほんわかしたフェロモンを充満させる白石先生(白石茉莉奈)。物語の序盤は明るくエッチな学園コメディーとして展開する。
 例によって撮影内容をまったく知らされずに現場に放り込まれた劇団ひとりこと川島省吾は、学生服を着ての登場。学園ものは劇団ひとりの得意ジャンルだ。学校中の生徒たちみんなが、省吾に声を掛けてくる。どうやら省吾は勉強もでき、スポーツも万能な学園きっての人気者らしい。「先輩、遊びに連れてって」「省吾、今度の試合もよろしくな」と次々と声を掛けてくる共演者たちに、爽やかな笑顔で応える省吾。本当に脚本を渡されていないことが信じられないほど、映画の世界に溶け込んでみせる。そんな省吾に甘い罠を仕掛けるのは白衣の下に柔肌がチラつく保健室の白石先生(白石茉莉奈)と高校生らしからぬセクシーな衣装で誘惑するみなみ先輩(小島みなみ)。この序盤のピンチを劇団ひとりは童貞キャラで乗り切る。童貞らしい、どうでもいい理屈を並べたてて、キスの間合いをギリギリ寸止めで逃げ切る劇団ひとり。海外ドラマに出てきそうなノー天気な人気者キャラから、一転してモジモジした童貞キャラにスイッチング。まさに劇団ひとりの独壇場である。  今回の劇団ひとりはアドリブに追われるだけでなく、劇団ひとり抜きでリハーサルを重ねている共演陣に逆襲を仕掛けるのも大きな見どころ。『ゴッドタン』のもうひとつの人気企画『芸人マジ歌選手権』でおなじみのマキタスポーツを相手に、劇団ひとりはアドリブ勝負を挑む。物語の中盤、廃工場に集まった省吾たちは景気づけのために思い出の歌を歌い出す。ところがこの歌は劇団ひとりがその場でとっさに考えた即興の歌。「えっ!?」と戸惑いの表情を浮かべながらマキタは必死で食らいついていく。一発撮りならではの緊張感が生み出す爆笑シーンだ。そして今回、劇団ひとりが暴走しすぎて物語から脱線しないようにナビゲートする役割を担っているのは同級生役の安井順平。お笑い好きな方なら覚えているだろう。まだ若手芸人だった劇団ひとりが「スープレックス」という名でコンビをやっていた頃、「アクシャン」としてコントをやっていたのが彼だ。スープレックスやアクシャンはよくお笑いライブで名前を連ねていた。安井は2007年以降、劇団イキウメの一員として舞台を中心に活動している。2人は何年ぶりの邂逅だろうか。映画の本番中にいきなり旧友と再会し、驚きながらも安井のリードに従って物語の流れに乗っていく省吾。パラレルワールドで懐かしい友達が別人になって現われたような、そんな不思議な感慨がドラマの中に広がっていく。  本作の最大のハイライトは、ヒロインである上原亜衣と省吾とが2人っきりで過ごす夕暮れのプールサイドでのシーンだ。『キャリー』(13)のクロエ・グレース・モレッツばりの特殊能力を持っているため、亜衣は幼い頃からずっと心を閉ざして生きてきた。陽の当たらない人生を歩んできた亜衣にとって、学園の人気者である省吾は羨ましい存在だった。放課後の誰もいないプールサイドで、亜衣はプールの水面を見つめながら「心から笑ったことが一度もない」とこぼす。亜衣の心情に感応したかのように小雨が降り始めた。雨に濡れながら自分の少年時代を振り返る省吾。子どもの頃はいじめられっ子で、それが嫌で必死で勉強やスポーツに励み、人気者になったのだと。生まれつきの人気者ではなく、人気者であることを懸命に演じているだけなのだと。
kiss_gaman2_03.jpg
平和な学園があっという間にディストピアに。あのセクシーだったみなみ先輩(小島みなみ)はゲリラ兵に身を投じていた。一体何が起きた?
「みんなヘラヘラ笑っていると思っていたら、お門違いだぜ。みんな無理してでも笑っているのさ。でも、無理して笑っているうちに、本当におかしくなってくるんだよ」  そんな名台詞が省吾の口から即興でこぼれ落ちていく。省吾の言葉に促され、笑ってみせる亜衣。でも、まだ表情がぎこちない。すぐさま、「固いな」とツッコミを入れる省吾。思わず、亜衣ははにかんだ笑顔を浮かべる。この瞬間、スクリーンを観ていた観客は誰もがこのヒロインに恋をしてしまう。いつの間にか雨も止み、プールサイドに夜の帳が降りてきた。でも、亜衣の心には小さな明るい灯りが確かにともされていた。  物語はこの後、SFアクションムービーとして怒濤の展開を見せていく。『悪の教典』(12)でサイコパス教師を怪演した伊藤英明、謎のシステムを管理する研究員たち(入江雅人、戸次重幸)らが絡み、時空を越えたスケールの大きな物語へと転じる。予測不能な状況を懸命にクリアしていく省吾。プールサイドで将来の夢を語り合った後、離ればなれになった亜衣ともう一度逢うために。  「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」という学説がもてはやされたことがあった。だが、省吾はこの学説を真っ向から否定してみせる。人間の一生を決めるのは遺伝子ではない。アドリブの積み重ねこそが、その人の人生なのだ。さらに言うならば、アドリブとは単なる思い付きや口からのでまかせではない。お笑い芸人として、あらゆるメディアの中で常に鍛え抜いてきた劇団ひとりだからこそ、自在に繰り出すことができる必殺技なのだ。そして演じることに集中している劇団ひとりは、ほぼトランス状態だ。演じるということは、フィクショナリーな行為ではなく、潜在意識下のもうひとつの人生を生きるということでもある。  本気モードになった省吾は、物語のクライマックスで亜衣の名前を全力で叫ぶ。もはや省吾の前では、脚本家が用意した筋書きも、『キス我慢選手権』のルールも役に立たなかった。誰もが予想しなかった驚きのエンディングが訪れる。そして、ラストシーンを見届けた観客はあることに気づく。キャラクターとは物語に支配されている従属物ではないということを。キャラクターこそが物語を動かしているのだということを。言い換えれば、人間は遺伝子やシステムに支配されているのではないということだ。遺伝子やシステムに支配されているという我々の思い込みを、劇団ひとりは熱いキスで解き放ってみせる。世界を根底から変えてしまうような、甘く情熱的なキスがここにある。 (文=長野辰次) kiss_gaman2_04.jpg 『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE2 サイキック・ラブ』 監督/佐久間宣行 脚本/森ハヤシ、佐久間宣行 構成/オークラ 音楽/岩崎太整 主題歌/森山直太朗「五線譜を飛行機にして」 出演/川島省吾(劇団ひとり)、おぎやはぎ、バナナマン、福士誠治、中尾明慶、柄本時生、安井順平、上原亜衣、小島みなみ、白石茉莉奈、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)、三四郎、東京03、深水元基、マキタスポーツ、入江雅人、戸次重幸、近藤芳正、伊藤英明 配給/東宝映像事業部 PG12 10月17日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー  (c)2014「キス我慢選手権 THE MOVIE2」製作委員会 http://www.god-tongue.com

変態だっていいじゃないの、だって人間だもの。怒濤のセックス大河ドラマ『ニンフォマニアック』

nymphomaniac01.jpg
ニンフォマニア(色情狂)であることを自認するジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、あらゆるSEXプレイに果敢に挑んでいく。
 快楽のためにセックスするのは、どうやら人間と一部の霊長類に限られているらしい。だとすると、快楽目的のセックスを追求するということは、非常に人間らしい(もしくは一部の霊長類らしい)行為ではないのか。ニンフォマニアとは“色情狂”のこと。快楽としてのセックスを常に欲している女性のことを指す。デンマーク出身の鬼才ラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック』は、ひとりの女性の半生を男性遍歴を通して物語るというセックス大河ドラマだ。自他ともに色情狂であることを認める女主人公ジョーの性の大饗宴がVol.1(1時間57分)とVol.2(2時間3分)の合計4時間にわたって繰り広げられる。  物語は路上で行き倒れている中年女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)が親切な銀髪の紳士セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に介抱される場面から始まる。お礼代わりにジョーは、自分が行き倒れになるまでの経緯をベッド上で語り始める。現代版『アラビアンナイト』といった趣きだ。Vol.1では若き日のジョー(ステイシー・マーティン)が性に目覚めていく様子が語られる。いわば、ヰタ・セクスアリス的世界。2歳にして浴室でカエルごっこをして、濡れた床に下半身を押し付けることで快感を覚えるジョー。学校にあった様々な備品は、どれも魅惑的なオナニーグッズだった。初体験は15歳のとき。バイク好きな青年J(シャイア・ラブーフ)にバージンを奪ってほしいと自分から頼んだ。Jはジョーを正常位で3回、バックで5回突いて果ててしまった。3+5=ロストバージン。痛みと屈辱しか残らなかった処女喪失だった。  そんな苦い思い出を払拭するかのように、高校生になったジョーは親友のBと共に列車内でのボーイハントに熱中する。思わせぶりな台詞と目くばせで、どちらが多くの男とエッチできるかを競い合う。すくすくとビッチに育っていくジョー。性に対する貞操観はその人の人格形成に大きな影響を与えるようだ。奔放なセックスで彩られた青春時代を過ごしたジョーは、高校卒業後も奔放な性生活を送る。Vol.1のラスト、ジョーに優しかった最愛の父親(クリスチャン・スレイター)が心の病で入院する。病院のベッドに付き添うジョーだが、意識の混濁した父と妄想の世界で禁断の関係を結ぶ。父が息を引き取った瞬間、ジョーの股間はびしょびしょになる。ジョーは肉親との永遠の別れと引き換えに最高のエクスタシーを感じた。タブーこそ、人類にとって最大の媚薬だった。
nymphomaniac02.jpg
高校生になったジョー(ステイシー・マーティン)は、親友Bと列車内で何人の男とエッチできるかを競い合う。このゲームで男の扱い方をほぼマスター。
 Vol.2で結婚&出産を経験するジョーは、新人ステイシー・マーティンからシャルロット・ゲンズブールへバトンタッチ。ステイシーの鮮烈なスレンダーボディが、唐突にゲンズブールの疲れ果てた熟女ヌードに変わることに戸惑いを覚える。愛のないセックスを繰り返していると、肉体も人格も別人のように変貌してしまうのだろうか。ぜひ「an・an」のセックス特集班に解明してほしい。家庭を持ち、母親になったことで、ジョーの二股三股は当たり前、一時は8人と分刻みで付き合っていた性生活も落ち着くかと思えば、さらにアブノーマルなプレイへと向かう。まだ幼い子どもを放ったらかして、SMサロンを主宰するセックスセラピスト・K(ジェイミー・ベル)のサディスティックさにハマってしまう。ジョーは家庭よりも快楽追求を選んでしまった。歯止めを失った彼女は、生きながら性の無間地獄へと堕ちていく。  家庭を失い、ますます過激なセックスにのめり込んでいくジョー。道端にいた黒人の巨根ブラザーズをホテルに呼び出し、3Pにも挑戦する。ジョーの暴走は、勤務先でも大問題となっていた。誰とでも寝るジョーがいることで、職場が混乱して会社として機能しなくなってしまったのだ。上司からの命令で、ジョーはセックス依存症の治療を受けることに。自分の性欲を制御できるように努力するジョーだったが、セックス依存症患者たちが集まる互助会に参加していく中で、ジョーの我慢袋が爆発する。「私はセックス依存症じゃない。私は色情狂なだけよ!」と啖呵を切るジョー。自分自身にとても正直なジョーは限りなくかっこよく、そして限りなく痛々しい。  映画には多かれ少なかれ監督個人の変態性が作品の中に滲み出るものであり、そういった作品が「作家性がよく表れている」と高く評価される傾向にある。さしずめラース・フォン・トリアー監督は、変態映画の王道をぶっちぎりで暴走する孤独なトップランナーだ。前作『メランコリア』(11)では、鬱状態の主人公を演じたキルスティン・ダンストが全裸でオナニーするシーンが強烈だった。キルスティン・ダンストは地球が滅亡する瞬間に、かつてないエクスタシーを感じていた。シャルロット・ゲンズブールが主演した『アンチクライスト』(09)ではセックスと罪悪感との関係を掘り下げていった。このテーマは『ニンフォマニアック』vol.2でも引き続き取り上げられる。過激な内容から難解なイメージを抱かれがちなトリアー監督作だが、『ニンフォマニアック』はとても分かりやすい娯楽作品に仕上がっている。トリアー監督に言わせれば、自分の体の中に湧き上がる欲望をうまく押し隠せる人間こそが、立派な社会人だということらしい。でも欲望を完全に切り離してみせる聖者よりも、自分の欲望にのたうち回るジョーのほうがとても人間らしいではないか。
nymphomaniac03.jpg
ジョーと中年男Hとの不倫現場に、H夫人(ユマ・サーマン)が子どもを連れて乱入。鬼気迫るユマ・サーマンの熱演ぶりに思わず爆笑してしまう。
 合計4時間に及ぶジョーの性遍歴を見て思うのは、彼女は本当に色情狂なのかという疑問だ。若い頃にセックスをしまくり、結婚した時点ですでに不感症に陥っていたジョーは、SMや3Pなどアブノーマルなプレイを求めるようになる。性的な充足感よりも、精神的な刺激に飢えているように感じられる。セックスでの刹那的な喜びでは満足できず、Vol.2では裏社会へ足を踏み入れていく。セックスそのものよりも、スリリングな生き方をジョーは求めているように映る。登山家が危険な山頂を目指すように、ジョーもまた快感のピークを目指して登り詰めていく。多くの人はほどほどのセックスで満足し、子育てや社会での出世に情熱の注ぎ先を換えていくのに対し、ジョーは飽くなき探究心で前人未到の領域へと向かう。ジョーは色情狂ではない、彼女は孤高なるセックス冒険家なのだ。なぜ、あなたはセックスするのかと尋ねられたから、ジョーはこう答えるだろう。「そこにチンコがあるから」。 (文=長野辰次) nymphomaniac04.jpg 『ニンフォマニアック』 監督・脚本/ラース・フォン・トリアー 出演/シャルロット・ゲンズブール、ステラン・スカルスガルド、ステイシー・マーティン、シャイア・ラブーフ、クリスチャン・スレイター、ジェイミー・ベル、ユマ・サーマン、ウィレム・デフォー、ミア・ゴス、ソフィ・ケネディ・クラーク、コニー・ニールセン、ジャン=マルク・バール、ウド・ギア 配給/ブロードメディア・スタジオ R-18 『ニンフォマニアックvol.1』は10月11日(土)より、『ニンフォマニアックvol.2』は11月1日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。 (c)2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA http://www.nymphomaniac.jp