ごく一部の視聴者に対してのみ絶賛放送中の今期月9『貴族探偵』(フジテレビ系)は第6話。ごく一部以外の視聴者はまるで興味がないらしく、視聴率は7.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、過去最低に沈みました。まあ、なんだかんだ言っても、15日に発表された連結決算をみるとフジ・メディア・ホールディングスさんは都市開発やら広告やらで儲かっているようなので、ここはひとつ『貴族探偵』チームには自由にやらせてあげてほしいと祈るばかりです。 というわけで、今回も“ごく一部”の立場から『貴族探偵』を振り返ってみたいと思います(過去のレビューはこちら)。 第6話は、前回の事件の解決編となりました。前回のレビューで、私はこのドラマの魅力を「謎解きの一点突破だ」と言いましたが、今回の謎解き編でその魅力が発揮されたかどうかといえば、圧巻のひと言だったと思います。堪能しました。詳細はまあ、いいでしょう。別のサイトでも見てください。 ここまで、『貴族探偵』というドラマで蔑ろにされてきた(意図的に簡素化されてきた)のが、犯人の動機やバックグラウンドといった、「事件そのものの魅力」「犯人の人間性」といった部分でした。今回はその部分で、毛色の違う描かれ方が行われたことが特徴的でした。 あまりにストイックに論理的な謎を構築することを志向した原作では、それらのバックグラウンドや人物の個性は、むしろ筋立てを複雑化し、作品そのもの魅力を半減させるものだったはずです。なるべく読者が理解しやすい、ステレオタイプな人物を事件周辺に配置することで、謎解きの精緻っぷりを浮き立たせるやり方。変な例えになりますが、麻耶雄嵩さんという作家さんは、まな板の上に何があっても「刺身で食え」と言ってくるんです。しかも「最低限の塩で食え」と。 当然、そうした推理小説は読者を選びます。麻耶さんがこの作風でしか物語を書けないのか、あるいは推理小説というジャンルそのものに対する実験や修行の類なのか、それとも「そこでなら勝負できる、勝てる」という職業作家としての確信めいた作戦なのか、それは想像するしかありません。しかし、麻耶さんの覚悟は見てとれます。「美味い刺身を食わせてやるから、船に乗れ」と読者に要求し、作家とともに洋上に出た奇特な読者にだけ、彼らが求める極上の刺身を提供してきたのでしょう。そこには、信じられないような釣りテクと包丁さばきがあったのでしょう。これも、今回のドラマで麻耶さんに初めて出会った私には、想像するしかありません。 しかし、テレビドラマという市場を通したら、どうしたって客層は広がりますし、素材の鮮度も落ちてしまいます。そこでフジテレビには、保存や調理の技術が求められます。「ストイックな推理劇」という素材の味を殺さないまま、テレビ向けに料理しなければならなくなったのです。 私はずっとここで、主にこの「フジテレビの調理技術」に対して、惜しみない賞賛を書き連ねてきました。過剰にポップな演出も、登場人物を増やしてオリジナルで追加された事件の概要と推理も、決して本筋をジャマするものではありませんでした。あくまでフジテレビは、素材の味を引き出しつつ、お子さまでも美味しく食べられる万人向けの料理として提供してきたと感じていました。 で、今回の第6話「解決編」を見終わった感触は、今までとは少し違います。 今回の事件では、テレビでオリジナルに追加された人物のバックグラウンドや個性、過去や未来といったキャラクターの連続性が、時間をかけて、実に感動的に描かれました。これは、今までにはなかったことです。事件の犯人や関係者は、その回が終わればキレイさっぱり印象を失って、解決にいたった爽快感だけが残る……『貴族探偵』は、そういう味わいのドラマだったのです。 料理の例をまだ続けるならば、今回は「フジテレビがカレーをぶかっけてきた」と感じたのです。別に不味いカレーじゃないし、むしろ高級な「帝国ホテルのカレー」っぽいカレーなんですが(食べたことはない)、明らかに『貴族探偵』はこの第6話で、「麻耶色のドラマ」から「フジテレビ色のドラマ」に舵を切ったと感じました。 思えば、なぜ1話完結で十分に楽しかったドラマを、中盤である5・6話で2話構成にしてきたのか。5話を見なければ6話はつまらないし、当然、視聴率は落ちる。視聴率を捨ててまで、あえて、なぜそうしたのか。 それはフジテレビが、この『貴族探偵』を単に原作モノの翻訳ドラマとして作るのではなく、あくまで「1クールの連続ドラマ」として成立させようとした結果なのだと思います。 第1話からイマジナリーな存在として示唆されてきた女探偵の師匠・喜多見切子(井川遥)が、今回初めて「すでに死んでいる」と明示されました。同時に、貴族探偵が彼女を「殺した」という過去もほのめかされた。 これは、原作に建て増しされた設定ではありません。原作そのものを底上げして、土台の部分に差し込まれたものです。少しずつ明らかにされてきたこの土台が、今回あらわになったことで、次回以降の『貴族探偵』は、これまでとは段違いに天井高の高い作品として描かれていくことになります。単話で楽しい『貴族探偵』が、最終話に向かって走り出すタイミングが、この5・6話だったということです。1話でも終われる事件を、2話分かけて解決すると同時に、最終回に向けて「床板を外すための時間」が必要だったということです。 単話でこれだけ楽しければ、最終回だけちょっと複雑な事件を持ってきて誰か殉職でもさせりゃ、それはそれでオッケーなドラマだったわけですが、フジテレビは「連続ドラマとしても面白くしてやる」という面倒な決意を、2時間使って宣言したわけです。 もちろん、今後の貴族探偵と女探偵をめぐる成り行きそのものも楽しみですが、フジテレビ制作陣の“クリエイターとしての戦い”というリアルなドラマとしても「こいつら、どこまでやる気なんだ」という期待に満ちた作品になってきました。この戦い、「どらまっ子」を名乗る者として、見守らないわけにはいきません。 いやー、「どこまでホメる気なんだ」って感じですね。ちょっと書いてて恥ずかしいよ。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
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自己最低7.5%も折り込み済み!? 『貴族探偵』第6話で、なぜフジテレビは視聴率を“捨てた”のか
ごく一部の視聴者に対してのみ絶賛放送中の今期月9『貴族探偵』(フジテレビ系)は第6話。ごく一部以外の視聴者はまるで興味がないらしく、視聴率は7.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、過去最低に沈みました。まあ、なんだかんだ言っても、15日に発表された連結決算をみるとフジ・メディア・ホールディングスさんは都市開発やら広告やらで儲かっているようなので、ここはひとつ『貴族探偵』チームには自由にやらせてあげてほしいと祈るばかりです。 というわけで、今回も“ごく一部”の立場から『貴族探偵』を振り返ってみたいと思います(過去のレビューはこちら)。 第6話は、前回の事件の解決編となりました。前回のレビューで、私はこのドラマの魅力を「謎解きの一点突破だ」と言いましたが、今回の謎解き編でその魅力が発揮されたかどうかといえば、圧巻のひと言だったと思います。堪能しました。詳細はまあ、いいでしょう。別のサイトでも見てください。 ここまで、『貴族探偵』というドラマで蔑ろにされてきた(意図的に簡素化されてきた)のが、犯人の動機やバックグラウンドといった、「事件そのものの魅力」「犯人の人間性」といった部分でした。今回はその部分で、毛色の違う描かれ方が行われたことが特徴的でした。 あまりにストイックに論理的な謎を構築することを志向した原作では、それらのバックグラウンドや人物の個性は、むしろ筋立てを複雑化し、作品そのもの魅力を半減させるものだったはずです。なるべく読者が理解しやすい、ステレオタイプな人物を事件周辺に配置することで、謎解きの精緻っぷりを浮き立たせるやり方。変な例えになりますが、麻耶雄嵩さんという作家さんは、まな板の上に何があっても「刺身で食え」と言ってくるんです。しかも「最低限の塩で食え」と。 当然、そうした推理小説は読者を選びます。麻耶さんがこの作風でしか物語を書けないのか、あるいは推理小説というジャンルそのものに対する実験や修行の類なのか、それとも「そこでなら勝負できる、勝てる」という職業作家としての確信めいた作戦なのか、それは想像するしかありません。しかし、麻耶さんの覚悟は見てとれます。「美味い刺身を食わせてやるから、船に乗れ」と読者に要求し、作家とともに洋上に出た奇特な読者にだけ、彼らが求める極上の刺身を提供してきたのでしょう。そこには、信じられないような釣りテクと包丁さばきがあったのでしょう。これも、今回のドラマで麻耶さんに初めて出会った私には、想像するしかありません。 しかし、テレビドラマという市場を通したら、どうしたって客層は広がりますし、素材の鮮度も落ちてしまいます。そこでフジテレビには、保存や調理の技術が求められます。「ストイックな推理劇」という素材の味を殺さないまま、テレビ向けに料理しなければならなくなったのです。 私はずっとここで、主にこの「フジテレビの調理技術」に対して、惜しみない賞賛を書き連ねてきました。過剰にポップな演出も、登場人物を増やしてオリジナルで追加された事件の概要と推理も、決して本筋をジャマするものではありませんでした。あくまでフジテレビは、素材の味を引き出しつつ、お子さまでも美味しく食べられる万人向けの料理として提供してきたと感じていました。 で、今回の第6話「解決編」を見終わった感触は、今までとは少し違います。 今回の事件では、テレビでオリジナルに追加された人物のバックグラウンドや個性、過去や未来といったキャラクターの連続性が、時間をかけて、実に感動的に描かれました。これは、今までにはなかったことです。事件の犯人や関係者は、その回が終わればキレイさっぱり印象を失って、解決にいたった爽快感だけが残る……『貴族探偵』は、そういう味わいのドラマだったのです。 料理の例をまだ続けるならば、今回は「フジテレビがカレーをぶかっけてきた」と感じたのです。別に不味いカレーじゃないし、むしろ高級な「帝国ホテルのカレー」っぽいカレーなんですが(食べたことはない)、明らかに『貴族探偵』はこの第6話で、「麻耶色のドラマ」から「フジテレビ色のドラマ」に舵を切ったと感じました。 思えば、なぜ1話完結で十分に楽しかったドラマを、中盤である5・6話で2話構成にしてきたのか。5話を見なければ6話はつまらないし、当然、視聴率は落ちる。視聴率を捨ててまで、あえて、なぜそうしたのか。 それはフジテレビが、この『貴族探偵』を単に原作モノの翻訳ドラマとして作るのではなく、あくまで「1クールの連続ドラマ」として成立させようとした結果なのだと思います。 第1話からイマジナリーな存在として示唆されてきた女探偵の師匠・喜多見切子(井川遥)が、今回初めて「すでに死んでいる」と明示されました。同時に、貴族探偵が彼女を「殺した」という過去もほのめかされた。 これは、原作に建て増しされた設定ではありません。原作そのものを底上げして、土台の部分に差し込まれたものです。少しずつ明らかにされてきたこの土台が、今回あらわになったことで、次回以降の『貴族探偵』は、これまでとは段違いに天井高の高い作品として描かれていくことになります。単話で楽しい『貴族探偵』が、最終話に向かって走り出すタイミングが、この5・6話だったということです。1話でも終われる事件を、2話分かけて解決すると同時に、最終回に向けて「床板を外すための時間」が必要だったということです。 単話でこれだけ楽しければ、最終回だけちょっと複雑な事件を持ってきて誰か殉職でもさせりゃ、それはそれでオッケーなドラマだったわけですが、フジテレビは「連続ドラマとしても面白くしてやる」という面倒な決意を、2時間使って宣言したわけです。 もちろん、今後の貴族探偵と女探偵をめぐる成り行きそのものも楽しみですが、フジテレビ制作陣の“クリエイターとしての戦い”というリアルなドラマとしても「こいつら、どこまでやる気なんだ」という期待に満ちた作品になってきました。この戦い、「どらまっ子」を名乗る者として、見守らないわけにはいきません。 いやー、「どこまでホメる気なんだ」って感じですね。ちょっと書いてて恥ずかしいよ。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
フジ亀山社長の退任で『貴族探偵』嵐・相葉雅紀の“落ちこぼれイメージ”が増大中!?
フジテレビの亀山千広社長の退任が、5月9日に内定した。視聴率低迷の責任を取らされた形だが、青天霹靂の人事に、局内にも動揺が走っているという。 「月9の存続が危ぶまれる中、亀山社長主導でキャスティングされていた10月クールの木村拓哉の主演が白紙となったといわれています。代わりの候補として、米倉涼子や篠原涼子、天海祐希らの名前が挙がっているようですね」(テレビ関係者) 亀山社長の事実上の“更迭”で、最も被害を被ったといわれているのが、現在放送中の月9ドラマ『貴族探偵』で主演する嵐の相葉雅紀だという。 初回視聴率こそ11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)だったが、2話以降は1ケタに転落。5月15日放送の第5話は、出産で休養していた加藤あいが久々に登場する話題性があったにもかかわらず、8.0%と自己ワーストを記録している。 「『貴族探偵』の爆死が、亀山社長退任の引き金になったといわれています。月9復活を掲げて、キャストと宣伝に金をかけまくってこの体たらくですから。実は、フジがオファーしたかったのは松本潤、もしくは二宮和也だったといいます。しかし、嵐を名実ともにポストSMAPにするには、相葉の人気の底上げが不可欠と考えたジャニーズがゴリ押しで相葉を入れ込んだ。昨年末のNHK紅白の司会を相葉が務めたもの同じ理由です。しかし、相葉が“ピンでは使えない”ことが、亀山社長の退任のニュースで余計に目立ってしまった形です」(業界関係者) 相葉=嵐の落ちこぼれ。世間には、そんなイメージがついてしまったようだ。フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
嵐・相葉雅紀『貴族探偵』初の“前後編”で不安も……? 「よくできた謎解き」の条件とは何か
さて、視聴率が低調にもかかわらずサイゾーにあるまじき絶賛コラムを書き続けてきた(過去記事参照)嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)ですが、第5話となった今回ばかりは手放しで賞賛するわけにはいきません。 なぜなら、これまでは単話完結で謎解きまでキッチリ見せてくれたので「お見事や! 超絶技巧や!」とウキウキで筆を走らせることができましたが、今回の第5話は、第6話と前後編の2話構成になっていて、まだ謎が解かれていないからです。5話では死体が3つ、密室の中に転がっているところまでしか描かれておらず、果たしてこれまでのように「お見事」な謎解きが見られるかどうかは、来週を待たなければなりません。 私は、このドラマの見どころを「謎解き」の一点突破だと思っていて、その「謎解き」がよくできているからこそ「なんかガチャついた演出とか相葉ちゃんのキャラも楽しくていいね」と思えるタイプの視聴者なので、謎が解かれていない今回は「相変わらず楽しくていいね」くらいの評価しかできないのです。もちろん、これまでの4話で、ある程度このドラマのスタッフを信頼しているので、次回にも期待はしていますが、正直、不安もないわけではないです。 では、「謎解きがよくできている」とは、どういうことなのか。今回はそんなことを考えてみたいと思います。 原作を読んでしまっているので、どうしても既読者の立場からしか話ができないのですが、今回の原典は『貴族探偵』(集英社文庫)に収録されている「春の声」という短編から引用されています。金持ちの爺さんが身寄りのない孫娘に婿を取ろうと、3人の婿候補を家に呼びつけるという設定です。で、その3人が離れの密室の中で死んでいて、「誰がどうやって殺したんだ」状態に。その真相を、貴族探偵が突き止めるわけです。 この「春の声」も、実に謎解きがよくできた話だと感じました。 まず、現場が密室であることが語られると、読者は「犯人が犯行後に密室を作ったのでは?」と疑います。これは、数多くのミステリー小説に触れてきたわけではない私たちのような一般読者でも、『コナン』とか『古畑』とかちょっとでも見てれば、そうなるところでしょう。 しかし、3人の死体を見てみると、それぞれどこか違和感がある。どうやら「ただ殺されたわけじゃない」っぽい感じだ。ここで作者は、3人の死体や現場の状況について、与えうる限りの情報を、登場人物を通じて読者に与えます。 そして読者は、あらゆる情報を提供されると、結果として「じゃあ誰も殺せないじゃん」と当惑することになります。密室だし、3人とも死んでるし、犯人がいないじゃないか、と。 しかし、私たち読者は、あらゆる情報を提供されたと思い込んでいるだけで、実は提供されていない情報や、読者が勝手に誤解している状況があります。それを作者が、探偵を通じて「ここが実はこうで、だからこれが真相です」と推理するわけです。その推理に納得できれば「よくできた謎解き」だし、納得できなければ「できの悪い謎解き」というわけです。 つまり、よくできた謎解きの条件は、第1にまず、読者が「すべての情報を与えられたのに真相がわからない」と思えるかどうかということになります。推理が始まる前に「なんかちょっと、あそこらへん説明不足なんじゃない?」という消化不良や、「なんか、あの死に方って普通に考えておかしくない?」という違和感が残れば、仮に推理として筋が通っていてもモヤモヤが残ることになります。 そして第2に、推理が「ここが実はこうだったのだ」と述べたときに、それを素直に「気付かなかった!」と驚けるかどうか。ヒントや伏線もなく、いきなり新情報がブッ込まれれば「わかるわけねーだろ!」となるし、あえて状況説明を曖昧にしていた(と読者が感じていた)付近に真相があれば「わざと説明してなかったじゃねーか卑怯だぞ!」となる。 事件の構造を組み立て、矛盾を潰し、情報の出し入れをコントロールするという極めて理知的でロジカルな作業をしながら、最終的に働きかけるのが「これなら納得できるでしょ」という読者の感覚的な部分だったりするところが、たぶん本格ミステリーと呼ばれるジャンルの面白さなんだと思うんです。麻耶雄嵩さんの小説というのは、その読者の感覚を「ロジカルに納得(=快感)に導く」ことに特化し、そこだけに全精力が注がれているように見える。だから、好みの問題はあれど「謎解きがよくできてる」ことだけは疑いようがないんです。 で、第5話。そうして精緻に組み上げた麻耶さんの「春の声」を、またまたフジテレビは大胆に脚色してきました。原作では3人だった婿候補を1人増やし、そこに忍成修吾というアクの強すぎる(ホメてます)役者を配置して、血を吐かせて生きたままダイイングメッセージを書かせるなど派手な立ち回りをさせた挙句、とりあえず放置している。 孫娘と幼なじみの青年執事を登場させ、現場となった密室への行き来に含みを持たせるとともに、婿候補を殺す動機を抱かせて、重要な容疑者候補に仕立て上げている。彼が左脚を引きずっているのも、カイザー・ソゼ世代である私たちの予断を誘います。 原作では完全な密室だった現場も、内側からチェーンがかかっているが、30センチくらい扉が開く、という少しゆるい密室になっています。 先ほどの例でいうところの「第1の条件」で、これだけの改変が行われている。第6話は、視聴者を「すべての情報を与えられたのに真相がわからない」と思わせる段階から始まります。まず、これを成功させることができるのか。 そして、女探偵が「ここが実はこうだったのだ」「これなら納得できるでしょ」と推理し、その推理に視聴者が納得したうえで、今度は貴族探偵が「それは違う」「ここが実はこうだったのだ」「これなら納得できるでしょ」に至ることになるわけです。そんな難しいこと、本当にできるのか。 別に原作通り作ったって面白いだろうに、こうした複雑なシナリオの改編・拡張を、オリジナルで構築することを、フジテレビの現場の人たちは選んだんです。実に誇り高き創作行為だと思いますよ。もはや、失敗してもいいよ、という気分にさえなってきました。 視聴率もますます下がってますし、なんか『新・週刊フジテレビ批評』(同)で、身内からよくわかんない批判を食らったりしていたみたいですが、そういうのの対応みたいな雑事は、まあプロデューサーとか偉い人に任せておけばいいんじゃないっすかね。面白いドラマを作るという目的の前では、そんなのは塵芥にすぎませんよ。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』公式サイトより
“切り札”『貴族探偵』低迷、亀山社長の退任で、いよいよフジ“月9”ドラマ「消滅」の危機
今春で30周年を迎えたフジテレビの看板ドラマ枠“月9”の意欲作『貴族探偵』が、予想以上の苦戦をしいられている。 初回は11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)で、低迷する月9としては3期ぶりの2ケタスタートとなった。しかし、第2話で8.3%と急降下。第3話は9.1%と微増するも、続く第4話は8.9%と再びダウン。3週連続1ケタ台で、早くも先行きに暗雲が漂っている。 主演の嵐・相葉雅紀、ヒロインの武井咲をはじめ、生瀬勝久、井川遥、滝藤賢一、中山美穂、松重豊、仲間由紀恵ら豪華キャストが集結。これにより、出演料は高騰し、制作費は1話あたり約1億円ともいわれている。にもかかわらず、のっけからの不振で、局内では“月9不要論”がさらに強くなっているという。 看板ドラマ枠であるのに、昨年1月期『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』から、今年1月期『突然ですが、明日結婚します』まで、視聴率は5期連続1ケタ台。『明日結婚します』に至っては、平均6.7%しか取れなかった。“切り札”となるべく『貴族探偵』も低迷しているとあって、いよいよ消滅の危機を迎えたといってもよさそうだ。 「『貴族探偵』も1ケタで終わってしまうようなら、局内の意見は月9廃止に大きく傾くでしょうね。視聴率が悪いことで、CMスポンサーが次々に離れていく可能性も高そうで、広告代理店の営業マンからは悲鳴が上がっているそうです。この状況が続くようなら、『制作費がかかるドラマより、バラエティに変換したほうがコストパフォーマンスがいい』との声が大勢を占めることになるでしょう」(テレビ制作関係者) 月9の命運については、その大きなカギを握っていた亀山千広社長の退任が9日に発表されたことで、さらに廃止への動きが加速しそうだ。 「亀山社長はもともとドラマ、アニメ、映画を手掛けてきた敏腕プロデューサーで、『ロングバケーション』『踊る大捜査線』などのヒット作に関ってきました。それだけに、ドラマ、特に月9に対しての思い入れが強く、不振が続いても月9を庇護してきたのです。その亀山社長が退任したことで、月9は一気に消滅へと向かう可能性が高そうです。ただし、『貴族探偵』がなんとか2ケタ台に乗せられれば、延命するのではないでしょうか?」(同) すでに、7月期の月9は山下智久主演『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-3rd SEASON』のオンエアが決まっている。その先の10月期は、『HERO』シリーズなど、同枠で実績がある木村拓哉の主演ドラマを制作するプランが進行中だともいわれている。木村の主演ドラマとなると、これまた膨大な制作費がかかるのは必至で、局内では賛否両論が渦巻くことになりそう。ただ、その企画も、月9自体が廃止になれば、露と消える。果たして月9は存続するのか、消滅してしまうのか――? (文=田中七男)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
嵐・相葉雅紀主演『貴族探偵』多重の叙述トリックを処理したフジテレビの“原作改変”がスゴすぎる!?
今期の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)も、すっかり安心して楽しめるようになってきました。これだけ面白いミステリードラマが毎週供給される幸せを感じながら、第4話を振り返っていきたいと思います。 原典は麻耶雄嵩さんによる小説『貴族探偵対女探偵』(集英社文庫)に収録されている「幣もとりあへず」という短編。これぞ本格推理小説! と言いたくなるような、叙述トリックに特化した作品です。 第3話までは、とりあえず読者のみなさんにもこのドラマを見てほしいと思ってあらすじをほとんど記してきませんでしたが、今回は特徴的な原作ということもあり、このフジテレビによるドラマ化で何が行われているのか、少し考えてみたいと思います。 まず、原作の叙述トリックですが、これは完全に小説でしか成立しない類のものです。事実関係としては、風呂場の隅の小屋に全裸死体が転がっているわけですが、読者はこれを「女性の死体」と思い込む形でミスリードされます。 麻耶さんは、地の文と登場人物の自己紹介セリフを巧妙に使い分けながら、読者に対して「赤川和美」と名乗った女性が殺されたように見せかけます。これが第1のトリック。そして、女探偵が推理を始めると、読者に対して「実は死体は男性でした」という種明かしがなされ、この時点で読者は「えー、死体は女じゃないの!?」という驚きとともに、ページを巻き戻して読み直すことになります。 さらに、最初から死体を男性だと知っていた女探偵も、誤認をしていることが明らかになります。「赤川和美」を名乗った女性(読者は殺されたと思っているが、女探偵は生きていることを知っている)と、「田名部優」を名乗った男性(読者は生きていると思っているが、女探偵は殺されたことを知っている)が、実はそれぞれの名前を入れ替えていたのです。これが第2のトリック。女探偵はこの入れ替えに気付くことができず、愚かにも貴族探偵を犯人と断定し、貴族探偵の使用人にあっさり正しい推理を披露されて「ぐぬぬ」となる。そういう話です。 こうして簡単に文字で説明しても、よくわからないでしょう。実際、普通に読んでもよくわからないんです。読み返して、読み返して、「あーほんとだ、騙されてる!」と読者が自分自身で納得して、初めて満足感が得られるタイプの作品です。筋金入りのミステリーマニアの方々でしたら、一読して絶頂快感を得られるのかもしれませんが、私には難しかったです。 こうした叙述トリック作品の特徴は、読者との関係性によってのみ成り立つというところにあります。作家が騙しているのはあくまで読者であり、登場人物は、作家と共謀関係であるのが一般的なのです。しかしこの「幣もとりあへず」では、まず「作家と読者」の間で第1の欺きがあり、「事件と女探偵」の間で第2の欺きがあるという、多重の叙述トリックが行われているわけです。それを、女探偵と貴族探偵がそれぞれ推理するという多重推理の構造です。多重アンド多重です。まあ、ホントにマニア向けだなと思います。普通の、例えば星新一とか読んで育った私たちは、ここまで求めてないよ! で、ドラマはどうしたか。この多重トリックをそのまま採用することを、さっぱりと諦めてしまいました。 原作の読者をドラマ視聴者に置き換えて、そのままトリックを忠実に映像化するなら、死体を画面に映すわけにはいきません。しかし、殺人事件を扱うドラマで死体が映らなければ、視聴者は当然「そこに何か仕掛けがある」と思うに決まってるんです。それはちょっと不自然すぎる、というドラマ制作の常識に則って、「死体を女だと思わせる」という第1のトリックを潔く切り捨てました。この話の最大の面白ポイントが使えなくなったわけです。 それでもこの第4話が成立したのは、「幣もとりあへず」が多重トリック作品だからでした。第1の叙述トリックを切り捨てても、名前の入れ替えトリックが残されているので、女探偵と貴族探偵の多重推理という楽しさは十分に表現できるわけです。 しかし、ただ捨てれば成立するわけではありません。まず単純な話として、小説の読者は第1のトリックで「うわ死体は男かよ騙された!」の後に、「うわ田名部優は赤川和美かよ騙された!」という驚きが訪れ、これによって「二重のヤツかよ、おもしれーな!」という満足を得るわけですが、ドラマでは第1のトリックを捨てているので「うわ田名部優は赤川和美かよ!」の一点勝負で視聴者を納得させなければならない。半分になってしまった原作の魅力を、オリジナルで創作しなければならなくなりました。 今回は、このドラマオリジナルの改変部分に、たいへん感心してしまったんです。主な改編は以下の2点です。まず、原作では小屋に押し込められていた死体が、湯船から脱衣所に引きずられていたこと。もうひとつは、原作では電波が圏外だった携帯電話が、ドラマでは女将によって没収されていたことです。画面に映る景色としては、些細な変化でしょう。一見すれば、どっちでもいいよ、という程度の改変にしか見えない。原作読者に対しても「あんまり変えてないな」と思わせておいて、がっつりこの2つの改変点に推理の根拠を噛ませてくることで、謎解きに広がりを出しているのです。結果、第1の叙述トリックがなくても普通に面白いミステリーに仕上がっている。事件の内容と謎の解明は、よりわかりやすく、すっきりと提示されている。見事なものです。 ほかにも、貴族探偵が途中で入れ替わりに気付いていたくだりを入れる意味だったり、田名部優(女)から頼まれて入れ替わりに応じた赤川和美(男)に、ちょっとした設定がプラスされることで行動原理から不自然さが取り除かれたりで、原作より格段に視聴者の間口を広げていると思います。 そういうすごく難しい仕事を、すごく頭を使って、すごく誠実にやり遂げながら、松重豊を風呂に入れたり座敷わらしを映り込ませて話題作りも怠らない。そういうわけで、今回の『貴族探偵』って、かなり全方位的に全力で頑張ってると思うんですけど、視聴率あんまり上がらないですね。あと、あんまりこういうことを書くとアレなんですけど、フジテレビの月9をいくら絶賛しても、記事のPVも上がらないんですよねえ……。仕方ないよねえ、面白いんだものねえ……。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
フジ月9『貴族探偵』主演・相葉雅紀 「週3くらいしか撮影しない」のに、スタッフが喜ぶ理由
豪華キャスト陣が話題の月9ドラマ30周年記念作品『貴族探偵』(フジテレビ系毎週月曜夜9時)。第1話こそ平均視聴率11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)で2ケタを超えたものの、第2話では8.3%と1ケタ台に急落し、早くも苦戦を強いられている。 そんな『貴族探偵』において注目の的となっているのが、女探偵・高徳愛香を演じる武井咲だ。Twitterでは、「貴族探偵見てきたけど相葉くん主演だよね?武井咲とのダブル主演に見えてくる」「主演は武井咲か!?っていうぐらい相葉ちゃん出てこないけど(笑)」などと、主人公であるはずの相葉雅紀演じる貴族探偵よりも、武井の出番が多いと話題なのだ。 こうなった事情について、テレビ局関係者は次のように証言する。 「嵐としてのレギュラー番組に加えて、ソロでもレギュラーを持つ相葉さんは、週に3~4日しかドラマ撮影に参加していないそうです。一方の武井さんは、休みなしで撮影しています」 連ドラの主演ともなれば、ほぼ毎日撮影するのが通常。『貴族探偵』における相葉のケースは異例といえるだろう。本来ならフジテレビとしても、ドラマのためにスケジュールを調整してほしいところだろうが、今回ばかりはそんな要請すらできない都合があるという。 「最近の月9ドラマは、視聴率が悪いと主演俳優が“戦犯”にされることも多く、とかく敬遠されがちのようです。前クールも、竹野内豊が主演オファーを断ったことで、西内まりやが抜てきされたといわれています。今回も『月9』30周年記念作品でありながら、キャスティングは難航したようです。フジとしては日本を代表するアイドルグループである嵐の誰かを起用したかったんですが、ジャニーズ事務所としては、はっきり言って今の月9に出るメリットはあまりない。そういった双方の思惑もあって相葉さんに落ち着いたのですが、ジャニーズ事務所側の意向を汲む形で、相葉さんのスケジュールを優先するほかなかったようです」(同) しかし、主演俳優のスケジュールを押さえられなかったことが、逆に功を奏しているようだ。 「主演の出番が少ないということで、その分豪華なキャストを揃えることができたと喜んでいる上層部もいるとか。あと、初回では中江功監督の意向で、一部シーンが撮り直しとなったのですが、それも相葉さんの出番が少なかったからこそ実現したともいわれています。もしも主演が出ずっぱりだったら、現場もかなりピリピリしているだろうし、撮り直しなんて無茶なオファーはできませんからね」(同) 今後の視聴率アップは、武井を含めた脇役陣にかかっているということか? (文=橋本ほのか)
観月ありさの変人役は、嵐・相葉雅紀より「はまってる」!? フジ『櫻子さんの足下~』に視聴者号泣のワケ
観月ありさ主演のフジテレビ系連続ドラマ『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』第2話の平均視聴率が、初回から0.4ポイントダウンの6.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。 同作は、骨を愛する“ドS”標本士・九条櫻子(観月)が、骨の状態から殺人事件を解決する一話完結の推理ドラマ。原作は、大人気推理小説シリーズで、過去にはアニメ化も。また、観月にとって“テレビドラマ主演女優連年記録”において26年目の作品となる。 「前クールで大コケした小雪主演『大貧乏』の後ということもあり、放送前から期待されていなかった同ドラマですが、案の定、6%台が続き大コケ。初回放送後の評判もイマイチでした」(テレビ誌記者) だが、第2話が放送されると、「急に面白くなった」と評判が一転。ネット上では「泣いてしまった」「涙なくして見られない」「このドラマで号泣するなんて」といった声が相次いでいる。 なお、第2話では、博物館の技術補佐員である正太郎(Kis-My-Ft2・藤ヶ谷太輔)が、深夜に裸足で出歩く女児を保護。櫻子は、女児の橈骨の感触から過去に虐待されていたと推測。通院歴から身元を割り出し、自宅へ向かうと、そこには母親の遺体が。さらに、遺体の下の床下収納から心肺停止状態の赤ん坊を発見し、櫻子が蘇生を施すというストーリーだった。 「残酷で悲しい話ながら、日曜夜9時という放送帯を考えてかコミカルな演出が散りばめられ、視聴者からは『見た後にドンヨリしなくていい』と好評。また、ドラマオリジナルの展開もいい効果をもたらしています」(同) 放送前、原作では20代中盤の主人公を、40代の観月が演じるという点に、原作ファンから批判が上がっていた。 「観月が主人公になりきっており、ぶっきらぼうな口調や、『お前の骨には敬意を払う』『骨は決して裏切らないんだ』といった独特なセリフ回しもさほど違和感がない。同局の月9『貴族探偵』では、嵐・相葉雅紀が変人を演じているが、観月の変人ぶりのほうが、よほど板についているようにも。顔がアップになると、時々『老けてるなあ』と感じさせるものの、そこさえ無視すればドラマに集中できる。ただ、フジの大コケ枠という先入観や、裏がTBS系『日曜劇場』ということもあり、なかなか目を向けてもらえないのが現実でしょう」(同) 現時点での期間平均視聴率において、放送中のプライム帯ドラマでは最下位の『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』。櫻子の決めゼリフは「骨が全て繋がった」だが、評判と視聴率が繋がるのはいつになるのだろうか?フジテレビ公式サイトより
橋本環奈ちゃんと結婚したくなる! 嵐・相葉雅紀主演『貴族探偵』推理マニア向け作品を映像化した意味
嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)は、第3話も安定の面白さでした。いやー、面白いです。見ててよかった『貴族探偵』。 実は、昨年春あたりから毎クール月9のレビューを書くようになって、今年の春は『貴族探偵』だよ、ということで、初めて麻耶雄嵩さんの作品を読んだんです。 で、白状してしまえば、原作である『貴族探偵』および『貴族探偵対女探偵』(ともに集英社文庫)という小説は、あんまり好みじゃなかった。事件の謎と解決がすごく練られていることは伝わってきたし、何度か読み直して「うへー、そういうことかい!」と思わず虚空を見上げてしまうこともありましたが、とにかく作品に無駄がないんです。事件→推理→解決、それしかない。人物の背景や物語が、極限まで削ぎ落とされている。 例えば、第3話の出典元となった『貴族探偵』収録の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の書き出しを以下に引用してみます。 * * * 事件の概要はこうである。 三月四日の日曜日の午前九時、東北地方の小都市・猪飼市の郊外にある廃倉庫から三十歳前後と思われる女性の死体が発見された。 * * * いきなりこれです。そしてこの後、延々と事件の概要、現在の捜査状況、容疑者のアリバイについてなどが説明されます。必要な情報しかありません。 これは明らかに「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。」(『火花』又吉直樹/文藝春秋)といった書き出しの文学作品とは、一線を画す小説です。 麻耶さんは「太鼓と笛の音が確認された。」なんです。 そこからは、人物の顔や風景、匂いや痛みといったものが、まったく感じられない。登場人物全員が謎解きを構築するためだけに配置されて、結果、場面に出てくる誰のことも愛せない。文学というより、「謎解きの快感」だけに特化した、マニア向けの快楽装置といった風情です。 もちろん、そのどちらが価値があるとかないとか、そういう評価軸の話ではありません。商品の性質として、私たちのような一般人向けに開いていないということです。 そういう『貴族探偵』を1話からずっと絶賛しているのは、私が原作を読んで「足りない」と感じていたものが、ドラマではありありと画面に現れているからです。精巧な骨格標本が、血肉をまとってイキイキと疾走し始めた。その興奮にヤラれてしまっているんです。楽しくてしょうがないし、これを作ってるヤツはすげえな! と思ってしまう。魔法使いかよ、と。ドラマの面白さというより、テレビの中ですごいことが行われている感じに圧倒されているんです。もうけっこう慣れてきたけど、2話目まではホントに興奮しっぱなしでした。 第3話のレビューですが、例によって、今回も未見の方はFODでもTVerでもいいから見てほしいので、あらすじは記しません。女子高生の橋本環奈ちゃんと結婚したくなる話です。ずっと環奈ちゃんを幸せにしたいと思える話です。原作では、環奈ちゃんが演じた垂水遥という人物と結婚したくはならなかったもんなー。これがドラマの力よなー。 と、そんな風に、事件関係者や警察に血肉が与えられた一方で、相変わらず標本のままなのが相葉ちゃん演じる貴族探偵なんですね。人格がないし、情熱もないし、意欲もない。相葉ちゃんが“棒”だからキャスティングされたのか、相葉ちゃんが“棒”であろうと努力しているのかは判然としませんが、ここに原作とドラマの美しいシンクロを見るんです。 探偵って、変に目的意識とか倫理観とか、人間味みたいなものが備わってないほうがいいんじゃない? そういうことを、この作品は言おうとしているのではないかと。 今回、象徴的な場面がありました。貴族探偵の使用人によって事件が解決に導かれた後、食い下がる刑事を、貴族探偵がこう突き放します。 「君の疑問などどうでもいい、使用人は真実を述べたまでだ」 つまり、誰のどんな“思い”も、真実の探求とは関係がない。真実に辿りつくために存在しているのが探偵であり、真実に辿りつくためには、人間らしくある必要はない。 逆にいえば、そこまで何もかもを捨て去らないと、解けない謎があると。相葉ちゃんが貴族を貴族らしく「演じない」ことで、貴族探偵という存在が見事に漂白されている。その彼がいつも真実を突き止めることで、作品が主張する「探偵とは何か」が明確になっている、という構図です。 そして、ここがキモなんですが、その「探偵が存在を漂白しなければ解けない謎」を構築しているのも、また『貴族探偵』という作品なんですよねえ。 麻耶さんの側から見れば、「オレの作った謎は、今まで世間に登場したどんな情熱的な探偵にも解けない」「オレの謎は、探偵が自らの存在を漂白し、真実だけに向き合わなければ解けない超難解な謎なのだ」という宣言なわけです。 そこまで言っちゃえば、謎そのものをマジのガチで作り込むしかないですよね。ちゃんとした人がガチのマジで作り込んでるものって、だいたい面白いに決まってるんですよ。はい、次回も普通に楽しみです。 ちなみに視聴率は、2話目より少し戻して9.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、また1ケタ。いろいろ言われるでしょうけれど、まあ「視聴率三冠王」を盛んに喧伝して「視聴率の高いテレビが価値があるテレビ、あとは価値がない」というイメージを振りまいたのは、ほかでもない過去のフジテレビですからね。いたしかたなし。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
橋本環奈ちゃんと結婚したくなる! 嵐・相葉雅紀主演『貴族探偵』推理マニア向け作品を映像化した意味
嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)は、第3話も安定の面白さでした。いやー、面白いです。見ててよかった『貴族探偵』。 実は、昨年春あたりから毎クール月9のレビューを書くようになって、今年の春は『貴族探偵』だよ、ということで、初めて麻耶雄嵩さんの作品を読んだんです。 で、白状してしまえば、原作である『貴族探偵』および『貴族探偵対女探偵』(ともに集英社文庫)という小説は、あんまり好みじゃなかった。事件の謎と解決がすごく練られていることは伝わってきたし、何度か読み直して「うへー、そういうことかい!」と思わず虚空を見上げてしまうこともありましたが、とにかく作品に無駄がないんです。事件→推理→解決、それしかない。人物の背景や物語が、極限まで削ぎ落とされている。 例えば、第3話の出典元となった『貴族探偵』収録の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の書き出しを以下に引用してみます。 * * * 事件の概要はこうである。 三月四日の日曜日の午前九時、東北地方の小都市・猪飼市の郊外にある廃倉庫から三十歳前後と思われる女性の死体が発見された。 * * * いきなりこれです。そしてこの後、延々と事件の概要、現在の捜査状況、容疑者のアリバイについてなどが説明されます。必要な情報しかありません。 これは明らかに「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。」(『火花』又吉直樹/文藝春秋)といった書き出しの文学作品とは、一線を画す小説です。 麻耶さんは「太鼓と笛の音が確認された。」なんです。 そこからは、人物の顔や風景、匂いや痛みといったものが、まったく感じられない。登場人物全員が謎解きを構築するためだけに配置されて、結果、場面に出てくる誰のことも愛せない。文学というより、「謎解きの快感」だけに特化した、マニア向けの快楽装置といった風情です。 もちろん、そのどちらが価値があるとかないとか、そういう評価軸の話ではありません。商品の性質として、私たちのような一般人向けに開いていないということです。 そういう『貴族探偵』を1話からずっと絶賛しているのは、私が原作を読んで「足りない」と感じていたものが、ドラマではありありと画面に現れているからです。精巧な骨格標本が、血肉をまとってイキイキと疾走し始めた。その興奮にヤラれてしまっているんです。楽しくてしょうがないし、これを作ってるヤツはすげえな! と思ってしまう。魔法使いかよ、と。ドラマの面白さというより、テレビの中ですごいことが行われている感じに圧倒されているんです。もうけっこう慣れてきたけど、2話目まではホントに興奮しっぱなしでした。 第3話のレビューですが、例によって、今回も未見の方はFODでもTVerでもいいから見てほしいので、あらすじは記しません。女子高生の橋本環奈ちゃんと結婚したくなる話です。ずっと環奈ちゃんを幸せにしたいと思える話です。原作では、環奈ちゃんが演じた垂水遥という人物と結婚したくはならなかったもんなー。これがドラマの力よなー。 と、そんな風に、事件関係者や警察に血肉が与えられた一方で、相変わらず標本のままなのが相葉ちゃん演じる貴族探偵なんですね。人格がないし、情熱もないし、意欲もない。相葉ちゃんが“棒”だからキャスティングされたのか、相葉ちゃんが“棒”であろうと努力しているのかは判然としませんが、ここに原作とドラマの美しいシンクロを見るんです。 探偵って、変に目的意識とか倫理観とか、人間味みたいなものが備わってないほうがいいんじゃない? そういうことを、この作品は言おうとしているのではないかと。 今回、象徴的な場面がありました。貴族探偵の使用人によって事件が解決に導かれた後、食い下がる刑事を、貴族探偵がこう突き放します。 「君の疑問などどうでもいい、使用人は真実を述べたまでだ」 つまり、誰のどんな“思い”も、真実の探求とは関係がない。真実に辿りつくために存在しているのが探偵であり、真実に辿りつくためには、人間らしくある必要はない。 逆にいえば、そこまで何もかもを捨て去らないと、解けない謎があると。相葉ちゃんが貴族を貴族らしく「演じない」ことで、貴族探偵という存在が見事に漂白されている。その彼がいつも真実を突き止めることで、作品が主張する「探偵とは何か」が明確になっている、という構図です。 そして、ここがキモなんですが、その「探偵が存在を漂白しなければ解けない謎」を構築しているのも、また『貴族探偵』という作品なんですよねえ。 麻耶さんの側から見れば、「オレの作った謎は、今まで世間に登場したどんな情熱的な探偵にも解けない」「オレの謎は、探偵が自らの存在を漂白し、真実だけに向き合わなければ解けない超難解な謎なのだ」という宣言なわけです。 そこまで言っちゃえば、謎そのものをマジのガチで作り込むしかないですよね。ちゃんとした人がガチのマジで作り込んでるものって、だいたい面白いに決まってるんですよ。はい、次回も普通に楽しみです。 ちなみに視聴率は、2話目より少し戻して9.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、また1ケタ。いろいろ言われるでしょうけれど、まあ「視聴率三冠王」を盛んに喧伝して「視聴率の高いテレビが価値があるテレビ、あとは価値がない」というイメージを振りまいたのは、ほかでもない過去のフジテレビですからね。いたしかたなし。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより




