肺がんで闘病生活を送っていた歌手のジョニー大倉さんが19日、都内の病院で死去した。62歳だった。 大倉さんは昨年5月下旬、肺にがんが見つかり、入院。医師からは余命2週間の宣告を受けるも、闘病生活の末、今年4月にはステージ復帰も果たしていた。しかし、8月に容体が悪化して再入院。「まだやりたいことがある」と、再び復帰へ向け治療に励んでいた。 4年ほど前に神奈川県内で大倉さんが出演したライブの演出を手掛けたこともある旧知の元ミュージシャン、KEI氏によると、医師から余命宣告を受けた際「急に言われても、死ぬ準備なんかできてねえからさ。まだ早いだろ」と、明るく話していたという。 しかし、抗がん剤治療はかなり苦しく、髪は抜け落ち、体重も激減。KEI氏によると、歌おうとしても「腹筋と横隔膜とノド、この3つがそろって歌わなきゃいけないのに、それができないんだよ」と、ショックを受けていたという。 「でも、医者に告げられた余命の2週間で死ぬ男ではなかった。本人も“俺は死ぬ準備なんかできちゃいない。これからは生きる喜びを歌えってことだ”と言っていました」(KEI氏) 大倉さんは1971年、矢沢永吉らとキャロルを結成。リーゼントに革ジャンのスタイルや、自ら作詞した「ファンキーモンキーベイビー」の大ヒットなどで一躍、日本を代表するロックンロールバンドとなった。 全盛期は、そのロックな風貌に憧れた不良少年たちが集まり、ときにライブでは暴動さながらの乱闘もあったというが、極真空手を習得して腕に自信のある大倉さんが自ら出て行って一喝、その場を収めたこともあったという。 しかし、大倉さんのドラッグ依存や失踪騒動などでバンド活動に亀裂が入り、最終的には主導権を握る矢沢との確執から、活動わずか3年で解散。ただ、関係者によると、解散ライブを終えても大倉さんだけはバンド活動への情熱が冷めず、その場にいたクールスのメンバーらミュージシャンたちと即席のバンドを組んで、打ち上げの席で演奏を続けたという伝説も聞かれる。 根っからのロッカーだった大倉さんはその後、キャロルの権利関係を矢沢が持っていったことなどに不満を持ち、マスコミを通じて矢沢バッシングを展開。そのことばかりがクローズアップされてしまったが、一方では肉体をビルドアップした映画俳優としてもブレーク、81年の映画『遠雷』では、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞している。 前出KEI氏は「ケンカが強くて度胸がある一方で、私生活ではちょっとフラついていたり、言葉はあまりうまいほうじゃなかった。不器用な感じでしたが、仕事になると本番にはめっぽう強いという、いかにもロックンローラーな方でした」と話す。 親しいミュージシャンの間では、日本語と英語を混ぜた歌詞の先駆者である大倉さんを英語で偲び「R.I.P.JOHNNY」というメールが交わされたという。 (文=ジャーナリスト・片岡亮)『アイ・リメンバー・キャロル・バイ・ジョニー』(ヴィヴィド・サウンド)
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「矢沢永吉は、ひどいことを平気でする」週刊誌暴露のジョニー大倉にファン・業界の反応は……

『アイ・リメンバー・キャロル・バイ・ジョニー』
(ヴィヴィド・サウンド)
昨年大みそかのNHK『紅白歌合戦』に出場し、伝説的ロックバンド・キャロルとしてデビューしてからの40周年を締めくくったロック歌手・矢沢永吉だが、長年にわたって矢沢と“冷戦状態”であることが知られているのが、キャロルの結成メンバーでミュージシャンのジョニー大倉だ。そんなジョニーが「週刊新潮」(新潮社)1月24日号で、矢沢との確執について語っている。
ジョニーは今月16日にキャロルの曲をセルフカバーしたアルバム『アイ・リメンバー・キャロル・バイ・ジョニー』を発売したが、インタビューによると、矢沢が作詞作曲したキャロルの名曲「涙のテディ・ボーイ」と「夏の終り」を収録しようとしたところ、矢沢の許可が出なかった。そのためジョニーは「とにかく矢沢さんは“キャロルは俺のもの”という意識が強い」と指摘。昨年9月に矢沢が横浜・日産スタジアムで開催した40周年記念ライブで、元キャロルのリードギター内海利勝が、37年ぶりに矢沢との共演を果たしたことについては、「内海くんだけは呼んで(中略)僕には声もかけやしない。そういうひどいことを平気でする」と内幕を明かした。
ジョニーが俳優として評価され始めたころには、「ジョニー、ギャラいくらもらってんだ」と声をかけたそうで、その時の心境を「相変わらず金にうるせえオヤジなんだなって思ったね」。10年前から矢沢の事務所がキャロルの肖像権や商標を管理することで合意しているにもかかわらず、「矢沢さんには美味しいところを全部持っていかれた悔しさがあるかな……」と“恨み節”をこぼしたが、実際ジョニーに対しては音楽業界からも冷ややかな目線が向けられているという。
「キャロルの解散、長年の確執の原因は、矢沢がキャロルの実権を握ったのをジョニーが恨んでいるからだが、バンドの中期にジョニーがドラッグ依存で失踪、生活に破綻を来すなど、バンドに多大なる迷惑をかけた。それでも、矢沢はジョニーの音楽性を高く評価していたが、最後はジョニーが不満を爆発させて活動わずか3年で解散。ジョニーはしばらくおとなしくしていたが、矢沢にキャロルの権利関係を押さえられて納得いかなかったようで、03年に『キャロルは矢沢だけのものじゃない。(メンバーの)3人(ジョニー、内海、ユウ岡崎)は矢沢のバックバンドじゃない』と発言して反撃ののろしを上げると、以後2冊の“暴露本”やメディアで矢沢バッシングを繰り返してきた。矢沢はまったくジョニーの挑発に乗ることがなかった」(音楽関係者)
そして、そんなジョニーを矢沢以上に嫌うのが、キャロルのファンや矢沢の側近、特に売れない時代から矢沢を支えた矢沢の妻だというのだ。
「おそらく、矢沢の40周年コンサートにジョニーが出てきても、これまでの経緯から大ブーイングを浴びることになっただろう。ファンの間でも知られるエピソードとして、キャロル時代から矢沢の妻は、内海から自宅に電話があればゴキゲンで矢沢に取り次いだが、ジョニーからの電話は『いい話じゃないな』と直感して、居留守などを使って取り次がなかったという。とにかく、矢沢の妻が嫌ったのがジョニーの“二枚舌”。別の関係者には平気で矢沢の悪口を言うくせに、矢沢の前では急にいい顔をしたりすることがキャロル時代からあった。最近のメディアのインタビューを見てみても、今回の『新潮』では堂々と矢沢批判を展開しているくせに、先に発売されたスポーツ紙では、デビュー40年間で最も印象的だったことを聞かれて『宿命的に矢沢永吉と出会ったこと』と即答。矢沢のライブについても『矢沢さんの40周年を祝い、何万人ものファンがきた。彼の力。そこで内海君が3曲ほどやったそうですね。うれしいことです』と歯の浮くようなコメントをしている。一体、どちらが本当のジョニーなのか?」(同)
ジョニーと矢沢との“雪解け”は永遠になさそうだ。
