大勢の人がドリンクを手にしていた。すでに次の仕事を抱えて、忙しい中で駆けつけた者。まだ、次の仕事で組む相手を探している者。いずれにしても、一つの仕事が大成功に終わったことに、万感の思いはあった。単なる生活の糧を得るための作業だったはず。それが、空前のヒットとなったのは驚きだった。自分が関わったのが、わずかの部分に過ぎないとしても、ボクは、ワタシは、ヤツガレは「アレをやったんですよ」と言えるのは、自慢だった。世の中では注目され、尊敬されるかと思いきや、内実は決して陽の当たることのない職業。「儲かりもしないのに、よくやってるよ」「どうしてそんな仕事を?」口には出さなくても、家族や友人の目が、そんな言葉を語っていることがある。でも、今回ばかりは、そんな想いも吹き飛んだ。作業の最中だって、嫌なことは数え切れないほどあった。でも、作品はヒットした。別に、作品がヒットしたからといって、自分の名前がグンと大きくクレジットされるわけではない。給料だって増えるわけじゃない。でも、作品のヒットは、そうした俗な想いを吹き飛ばしてくれるのだと思った。これから先の人生はわからない。でも、ひとまずは今日は会場に集うみんなと、一つの仕事を終えた感動を共有しよう。誰もが、そんなことを考えていた。 刹那、会場の雰囲気が変わったのは、ひとりの男が入ってきた時だった。その男……作品の立役者の一人であるアニメ制作会社・ヤオヨロズの福原慶匡。プロデューサーとして、箸にも棒にもかからない作品を、成功へと導いた中心的人物の一人。何より、そのきっかけとなった才能を見いだした人物。当然、誰もが駆け寄り、一言挨拶の言葉をかけたかったのは言うまでもない。むしろ、福原のほうが、時間の限りを尽して、スタッフ一人ひとりにねぎらいの言葉をかけて歩く立場だった。そのはずなのに、福原は、どこか声をかけづらい空気を身に纏っていた。それが、大勢の人が詰めかける会場の空気を変えているのだと、勘のよい者は気付いていた。 幾人かが、その見えない壁を乗り越えて、声をかけようと勇気を振り絞った時だった。 福原が、ポケットからスマートフォンを取り出した。着信音をオフにしていたけれども、誰かからの着信だとわかった。 こんな時に電話をかけてくるなんて、間の悪いヤツもいるものだな。勇気を振り絞った者たちは、少し遠巻きに福原の様子を見た。 でも、その見えない壁は、一瞬にして高くなったのもわかった。画面に表示される名前を見て、サッと福原の顔に沈痛の陰がかかったのである。 誰にするとなく会釈して、電話の相手に応答しながら、福原は外に出て行った。そして、そのまま3時間の宴の最中、福原が帰って来ることはなかった。 「たつき監督は、ずっと福原さんに『打ち上げにいかないでくれ』と言っていたそうなんです。でも、プロデューサーが欠席するわけにはいかないと、福原さんが打ち上げの会場に駆けつけたら、たつき監督から電話が掛かってきて……結局、誰も一言も、福原さんと話をすることができなかったんだそうです……」 関係者は、私を前に、そんな風に打ち上げで起こった顛末を語った。あの場にいた者なら、誰もが気付いていたことである。それでも、自分がそんなことを、私に話したのがバレたらどうしよう。そんな一抹の不安を抱えて、落ち着かないようだった。 何度か頷いてから、私は質問を続けた。 「その打ち上げは、何月何日に、どこで……会場は……参加した人数は……」 食らいつくように細部を尋ねた私に、この関係者は一転して態度を変えた。 「いや、それは……。ああ、彼も参加していたから……」 そうして、共通の知人でもある、もっと福原に近しい関係者の名前を挙げた。一文の得にもならないのだから、これ以上話させるな、察しろ。長年、アニメ業界の一角で、華やかな部分と、その何十倍もあるドス黒いものを見てきたことが刻まれた顔が、そんなことを語っていた。 9月25日午後8時の、ひとつのツイート。それが、すべての始まりだった。『けものフレンズ』プロジェクト公式サイト
私のTwitterのタイムラインでも、このツイートが、幾人ものアカウントを通じて流れてきた。でも、私には何も、驚きも感慨もなかった。なぜなら『けものフレンズ』という作品を、見たことがなかったからである。正確には、放送中の半ばの頃。大勢の人が『けものフレンズ』がいかに素晴らしい作品か力説していた頃に、第1話を見てみた。 いったい、なにが面白いのだろうか。まったくわからなかった。5分ほど見て、そっと画面を閉じた。その後も、夏のコミックマーケットへの、たつき監督の出展など、『けものフレンズ』という作品のムーブメント。「すっごーい」などという言い回しの流行を目にする機会は多かった。けれども、私には、なんら<ひっかかり>を感じなかった。 それは、たつき監督のツイートが騒動となり、あちこちが、その話題に埋め尽くされても同じであった。なるほど、ずいぶんと大勢の人が見ている作品だったのだな……程度に考えていた。<ひっかかり>を感じないのは、今は燃え上がっている話題も、じきに忘れられた話になっていくと思ったからだ。何かの事故調査報告書のように、明確にどこで何があったかが関係者の証言によって明らかになることはない。「御用」が当たり前のアニメ情報誌は、もちろん扱わない。数多のオタクネタを扱うネットニュースは、ネットに転がっている情報を再構成して消費し尽くすだけで終わるのだろうと。 そのはずなのに、私の中で何かの<ひっかかり>ができたのは、翌日のことだった。 翌日の午前中から、電話やLINE、Facebookのメッセンジャーで、さまざまな人が、この話題を振ってきていた。私自身、最近のアニメはさほど見てはいない。けれども、いつの頃からか親しく付き合う業界の関係者は増えた。互いに「ネタ元」であるとか、何か表では語れない問題がある時には、利用できる便利なメディアの関係者という意識もあるかもしれない。でも、そんな利用し合うような関係性であれば、長続きするはずもない。相互に、相手を信用しているからこそ、まだ表には出ていないような情報を交えながら、たわいもない話を繰り返す日常は続いている。この騒動もまた、雑談のような形で、語られていた。 「8月には、もう決まっていたんですけどね」 いつものように、LINEでアレコレと話していた関係者が『けものフレンズ』の話題になった時に、最初に語ったのは、そんな一言だった。まあ、そんなものだろう。みんな本当に『けものフレンズ』の話題が好きだな……。そんな感じで、あまり興味なく「へえ」とか「うむ」とか返事をしていた。でも、打ち上げで起こった顛末が、LINE上に表示された時に、突然、私の<ひっかかり>が、噴出した。インターネットの中で展開する世論は、この騒動の原因を求めて止まなかった。どうして、たつき監督が降板しなくてはならなかったのか。「戦犯」は誰なのか。 KADOKAWAが悪い。いや、ヤオヨロズに問題があった。はたまた、総監督としてクレジットされている吉崎観音が悪い。その間には、多くのノイズもあった。あるアニメ関連企業に所属する人物は、ほかの作品で、KADOKAWAの対応の悪さにイラついたことを語る。ヤオヨロズの親会社であるジャストプロの体質から語り始める者もいた。だが、そんなことは、私にはどうでもいいことだった。私が感じた<ひっかかり>は、ただ一つのことだけだった。 なぜ、たつき監督は、あんなツイートをしてしまったのか。 そのことだけを知りたいと思った。 打ち上げの顛末を聞いた時に、こんな文章が頭に浮かんだ。 ……どうしても、気持ちの整理が出来なかった。なぜ、福原さんは打ち上げに行ってしまったのか。俺の気持ちをわかってくれなかったのか。最初に出会った時の、福原さんの顔が、幾度も浮かんでは消えていった。名刺を渡された時は半信半疑だった。でも、何度か出会い、話をするうちに気持ちは変わっていった。この人は、俺の作品をもっと大勢の人が見てくれる機会を与えてくれる人だ。俺のために、こんなにも時間を割いて、魂を捧げてくれる。だから、俺もその想いに応えたい。そう思って頑張ってきた。そして、俺の心血を注いだ作品は、大ヒットした。自分の人生の大切な時間を刻んで注いだ魂。俺の魂の欠片が溶け込んでいるから、あんなにみんなが賞讃してくれる作品になったんだ。なのに、どこか置いてけぼりな感じがする。もっと、もっと『けものフレンズ』でやりたいことがある。やりたいことが多くて、いつも身体は熱くなってしまう。人生には限られた時間しかない。だから、この熱が冷めてしまわないうちに、1日でも早く、いま、自分の身体の中に渦巻いている熱を作品にしたい。でも、それをしようと思うと待ったがかけられる。福原さんも、そうだ。俺のことを信じて、俺の情熱を愛してくれているはずなのに。「作品がヒットしたのは、俺がいたからでしょう」そんな思い上がったことを言うつもりはない。わかっている。アニメには製作委員会というものがあって、いろんな会社が出資していて……。でも、福原さんは、ヒットすればするほど、グチャグチャになる俺の心を理解して、寄り添っていてくれているのだと信じていたのに。信頼という2文字が、今はとても憎い……。ふと、気がつくと、グチャグチャなまま、スマホの住所録から、福原さんの番号を表示させ、赤い電話のマークを押していた。数回のコール。少し焦った口調で福原さんは電話に出た……。 打ち上げに出席していた関係者。中でも、福原と関係の深い人物。思いあたったのは、打ち上げの顛末を教えてくれた関係者が口にしたのと同じ名前だった。電話をするべきか、メールを送るべきか。逡巡してから、LINEにすることにした。オタク業界の片隅で、真冬でも夏のように熱い情熱を燃やしているこの男。幸いにして彼のほうから、幾つかのメディアの報道について、彼視点での感想を話しかけてきていたからだ。 何か、いろいろと話したいことがあるのに、話せないのか。LINEだというのに、いくつかの長文を送ってきた彼への返事を短文で送った。 「というか、福原さん紹介してください。ちゃんとしたルポを書きましょう」 すぐに返事が来た。 「いやー福原さんめっちゃちゃんとしてたからなぁ。あれをハンドリング不足というのは僕にはできない」 そんなことは、どうでもいいこと。私が知りたいのは、たつき監督の内面の紀行なのだ。そういうことを、何度かに分けて、LINEで読みやすいように、少し文章を短くして送った。はぐらかすようなやりとりが何度か続いて、既読スルーになった。 翌日、別の話題をLINEで話しかけてみると、愉快な返事が来た。既読スルーにしている理由は、明らかだった。 また、取材は行き詰まった。 でも、その間に、もう一人の事情を知っているはずの関係者に思い当たっていた。すぐに、コンタクトを取ってみた。 「おっさんから、一言……勘違いにも、ほどがある」 いつも、資料がパンパンに詰まった鞄を抱えて、あちこちの会社と会議の日々を送っている彼は、私が聞いた限り関係者としては初めて、たつき監督批判を口にした。もちろん、その前に『けものフレンズ』が多くの問題を抱えた作品だったことも、きちんと語ってくれていた。 アニメがヒットするまで『けものフレンズ』は、完全に失敗したコンテンツであった。 「関係者なら知っていますが、もともと『けものフレンズ』は、某社が立案した吉崎観音先生案件だったわけです。でも、ご存じのようにコケにコケまくっていました。ゲームは2016年末で終了してしまうというのに、アニメは2017年……」 製作委員会に出資する各社の分担で、KADOKAWAが版権窓口になっていた。なったものの、実質的な業務など、ほとんどないだろうと思われていた。とりあえず、スケジュール通り、アニメを放送するだけ。あとは、互いに損の少ないように、うまく畳むだけ。だらだらと、どうでもいいような会議も打ち合わせも少ない。でも、顔を合わせる時間が少ないだけに、必要なコミュニケーションも取ることはできていなかった。どうせ、終わるコンテンツなのだから、精緻な座組も必要ではないと思っていた。 なのに作品はヒットしてしまった。それは、天の采配だったのか。たつき監督の才能ゆえだったのか。おそらく、後者による部分は大きかっただろう。ここで不幸だったのは、たつき監督が自由に暴走した果てに、目を見張るような作品を生み出す才能の持ち主だったことだった。コントロール不能。誰も止めることはできない。製作委員会の中には、その才能の裏にある危険が見えていた人も、いたかもしれない。でも、幕を下ろす準備のままに進んでいた座組では、それを止めることはできなかった。 「才能があるのでしたら、周囲に実害が出ない場所で活躍してほしいですね。実害を被るのは、普通の人なので……」 ふと、彼が漏らした言葉に、すべての問題が集約されていると思った。自由に作品をつくることができたのは、たつき監督にとっては、幸運でもあったし不幸でもあったのだと思った。 「なんとか、もっとディテールを知りたいのですが……」 いつも、ルポルタージュが出来上がっていく過程には、先人たちの膨大な作品群がある。今、自分が試している方法論は、それらを現代風に仕立て直したものに、ほかならない。その時、私の脳裏にあったのは、かれこれ50年以上前に「エスクワイア」に掲載された、ゲイ・タリーズの『フランク・シナトラは風邪をひいている。』であった。はるばる西海岸にやってきたのに、シナトラにインタヴューを断られたタリーズ。でも、始まりはそこからだった。タリーズは、シナトラを知る膨大な数の人々に出会い、シナトラの人物像を生き生きと描いた。その偉大な書き手の手法を援用すれば、福原にも、たつき監督にも会えずとも、どうにかなるのではないかと思った。 「やってみましょう」 そして、数日が流れた。まったく芳しくない答えが返ってきた。 「ダメですね。ちょっと話題に出そうしても、みんな口ごもるんですよ。どうも『週刊文春』が動いているみたいで……」 取材は、もう無理だと思った。彼は、こう言葉を続けた。 「ところで、たつき監督にはコンタクトは取りました?」 返事は来ないと思ったけれども、メールだけは送っていた。記事にするかどうかもわからないが、あなたに会ってみたいと記して。当然、返事は来ていなかった。きっと膨大なファン、そして、メディアが送ったであろうメールの中に埋もれているのだろうと思っていた。 ここで一旦取材は諦めることにした。それから数日後、ポツポツと情報を教えてくれた中の幾人かと、なんとはなしに会って飲むことになった。 中央線沿線の駅前にある古ぼけた飲食街。その片隅にある場末感の漂う焼き鳥屋に、私たちは集まった。最近のエロレイヤー事情だとか、口説いている声優の話だとか、その場限りの笑い話で、こわばった身体をほぐしていた。 ふと、隣の席を見た。四人掛けの席の、壁側のほうに一人、引き締まった身体の見栄えだけはいい、30歳くらいの男が座っていた。向かいには、平凡な雰囲気のロングヘアの若い女を挟むようにして、気弱そうな髭面の若い男と、虚勢を張った金髪の、そばかすが目立つ男が座っていた。劇団員か何かだろうかと思った。 「俺さあ、みんな東大とか当たり前に行く高校に通ってたんだよ。俺だけだぜ、大学に行かなかったのは~」 見栄えだけはよい男の自慢話を、窮屈に座った男女3人は、有り難そうに聞いていた。でも、3人が本当に見ているものは、まったく違っているように見えた。女は、見栄えだけいい男から、何かを得ようと虎視眈々と狙っているようだった。髭面は、自慢話を腹の中ではバカにしていた。そして、金髪は、早く帰りたそうにしていた。 「ああ、これだ」 私の中で、たつき監督のツイートに至る光景が浮かんだ。それは、私自身の人生での、痛い思い出とリンクして。 人生論をぶつまでもない。人は誰もが、実力を過信するものだ。とりわけ、努力の結果を成し遂げた時はそうだ。私も、それで幾度か失敗と反省をしている。格段に楽なものとはいえ、倍率の高い試験を突破して東京大学大学院情報学環教育部に入学した時のこと。あるいは過去、ほかの仕事を断ってまで心血を注いだ本を上梓した時のこと。自分の成果を自分で誇り、もっと賞讃されたいと思った時に、他人はそうは思ってくれないものだ。その浮ついた気持ちは、注意されても気づかない。むしろ、思ったように賞讃してくれない周囲には憎しみが募り、真摯な忠告も耳には入らなくなる。それはやがて、悲惨な末路へと至る。失うものなど、ないはずがないのに。すべてを失った気分になって、破壊をしたくなる衝動へと至るのだ。 あの、9月25日の、たつき監督のツイートは、まさにそれだったのだ。 でも、それから僅かな時間の間に、たつき監督は自身の愚かさに気づき、成長したのだろうか。突然ですが、けものフレンズのアニメから外れる事になりました。ざっくりカドカワさん方面よりのお達しみたいです。すみません、僕もとても残念です
— たつき/irodori (@irodori7) 2017年9月25日
10月9日の、たつき監督のツイートを見て、そう思った。 黒も白もなく。すべては、人が何かを成し遂げたいという思いゆえのこと。誰かを名指しして、あげつらうことなどできようはずもない。 ただ、いつかは、たつき監督の心の旅路を彼自身の口から聞いてみたいと思っている。 (取材・文=昼間たかし)(どうも、とくにご報告はないのですが、irodori3人元気に生きております。気にかけて下さった方、各種お便り下さった方、ありがとうございます。励まされました。何の作品になるかは分かりませんが、かわらずアニメ屋らしくもくもく作ってゆきますー)
— たつき/irodori (@irodori7) 2017年10月9日
