サイゾーなのに……! 嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』を初回から絶賛し続けた「たったひとつの理由」

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 なんだか大仰な見出しをつけてしまいましたが、面白かったから面白かったと書いていただけなんです。この3カ月、読者のみなさんの「サイゾーなのに……!」という反応が楽しかったので、つい、すみません。 (過去のレビューはこちらから)  さて、『貴族探偵』(フジテレビ系)の最終回ですが、まあ正直、震えたし、痺れました。テレビを見ていて「画面に飲まれる」という感覚を、久しぶりに味わったような気がします。見終わった瞬間は、原稿やべえな、どうしようかなと、ちょっとこれは言葉にならんぞという気分で。原作者の麻耶雄嵩さん風にいえば「ハレルヤ!」の一言です。はい。  それにしても、この足腰の強靭さというか、ブレなさはなんなのでしょう。最後の最後まで、きっちり本格ミステリーでありながら、とびきり楽しいエンタメ作品でした。おまけに、鮮やかな月9でもあった。もうね、ヒーローですよ。このドラマを作った人たちは、完全無欠の比類なきヒーローです。どうしよう、ホントに書くことないくらい総決算で、いいところが全部出た最終回でした。  もう、せっかく「初回から絶賛し続けた」と見出しを立てたことですし、第1話から自分が書いたレビューの一部を抜粋して、終わってみてどうだったかを考えてみることにします。手抜きじゃないよ。 【第1話】麻耶さんによる事件設計なので、どれだけ演出面で弾けても根幹がブレないのです。原作の段階で、「謎を作る」「謎を解く」という作業そのものに、作家の魂が込められているからです。記事参照)  やっぱりまず、このドラマを底支えしたのは「謎の設計」そのものの強さ・安定性だったと思います。でも、回を追うごとに感じたのは、このドラマの作り手の方々が、ただ原作をなぞればいいとは、全然思ってないなということで。麻耶さんの作る事件って、飛距離が長くて破壊力がある反面、余白もけっこう存在していたんだと思うんです。そういう余白を「映像ならでは」「連ドラならでは」で埋めていく、ある意味で原作の事件推理に対する批評的な創作が行われているな、と感じていました。なかなか、相当な自信と決意がないとできることじゃないと思います。 【第2話】もともと当代きっての推理作家が脳汁を噴出させながら組み上げた精緻な事件設計を一度解体し、その本質を変容させないまま再構築するという作業にフジテレビが挑み、成功させているのです。記事参照)  第2話の段階で、すでに「これは大変なことをやってるぞ」という感触だった『貴族探偵』でしたが、全話終わった今考えると、これを単話でやりつつ、全11話を通じてもやってた、多重のレイヤーでやってたわけですから、とんでもないと思います。同じ第2話のレビューでは「最後までうまくいったら偉業だと思う」とも書いてましたが、ハイハイ、軽々と偉業達成です。おめでとうございます。偉そうに言ってすみません。 【第3話】私が原作を読んで「足りない」と感じていたものが、ドラマではありありと画面に現れているからです。精巧な骨格標本が、血肉をまとってイキイキと疾走し始めた。その興奮にヤラれてしまっているんです。記事参照)  こういう疾走感というか、人物の血肉感を大きく引っ張っていたのが、今考えれば鼻さん(生瀬勝久)なんですよね。このころはまだ貴族も使用人ズもぶっきらぼうだし、愛香(武井咲)は無能で頼りないし、ほかの人はだいたい死ぬか殺してるかだし、いわゆる視聴者から見て「乗れる」キャラクターとして、鼻さんが躍動していたからこそ、推理が始まるまでの捜査パートを、動的なものとして楽しむことができたのだと思います。何しろ、鼻さんが出てる間は相葉ちゃんが出ないわけですので、課せられたハードルは高かったはずです。 【第4話】松重豊を風呂に入れたり座敷わらしを映り込ませて話題作りも怠らない。そういうわけで、今回の『貴族探偵』って、かなり全方位的に全力で頑張ってると思うんですけど記事参照)  松重豊を裸にするとか、幽霊映り込み騒ぎを誘発するとか、本来ならあんまり歓迎したくない無駄な演出である反面、最近の連ドラではむしろこうした話題作りの挿入こそがセオリーになりつつあるような気がしてるんです。見慣れた話題作り、よくある奇をてらった演出……普段なら「そんなことやってるからフジはダメなんだよ」とか書き殴るところですが、ここまで見てきて全然ダメじゃないから仕方がないよね。好意的に受け取っちゃうよね。という話。 【第5話】別に原作通り作ったって面白いだろうに、こうした複雑なシナリオの改編・拡張を、オリジナルで構築することを、フジテレビの現場の人たちは選んだんです。実に誇り高き創作行為だと思いますよ。記事参照【第6話】それはフジテレビが、この『貴族探偵』を単に原作モノの翻訳ドラマとして作るのではなく、あくまで「1クールの連続ドラマ」として成立させようとした結果なのだと思います。記事参照)  この第5~6話から、『貴族探偵』は原作を離れて、本格的なチャレンジを始めることになりました。愛香の師匠である喜多見切子(井川遥)が「死んでいる」と明示されることで、貴族探偵に対する愛香の心情に明確な変更が与えられることになります。  あ、今気付いたんですが、このレビューで武井咲のお芝居について一度も触れてませんでした。最終回まで見た今も、特に何も語るべき印象がないんです。基本的にこの作品の語り手は愛香なので、視聴者の目線は愛香を通すことになる。そこに違和感があっては、視聴者の没入を妨げることになります。  武井咲には、まるで妨げられた感じがしない。  これが武井さんのキャラによるものか、演技スキルによるものかわかりませんが、そういう意味で完璧な仕事だったのだと思います。お顔もけっこう好きよ。 【第7話】ところが今回、貴族探偵の秘書・鈴木として仲間由紀恵が実際に画面に登場しました。そして、この鈴木が貴族の命令によって「Giri」のアップデートに介入し、アプリをハッキングしたことが明かされました。記事参照)  これ、ホントにびっくりしましたよね。この回のレビューにも書いていますが、「Giri」の声が仲間由紀恵なのって、いかにもフジテレビ的な賑やかしだと思ってたんです。そういう自局のパブリックイメージを逆手に取っていたこともまた批評的だなと感じた次第ですし、何しろミステリーに触れていて「騙されて痛快」という感触を得られるというのは、これは最高のギミックですからね。 【第8話】小さなパズルの精巧さにばかり気を取られていましたが、それは、全話を通じたとてつもなく巨大なクリエイティブのごく一部だったんです。記事参照)  しかも、たぶんホントに撮影しながらシナリオ作ってたわけでしょう。ちょっと想像できないんです。どこまで準備がしてあって、どこを撮影中に作ったのか、とか。  自分に刺さるか刺さらないか、好みかどうかは別として、「巨大だ」と感じる作品ってあると思うんです。映画でいえば最近のジェームズ・キャメロンだったりクリストファー・ノーランだったり。そういう大作然とした作品に感じる畏怖のようなものが芽生え始めたのが、このころでした。  でも、そういう畏怖も、最終回で「みんなスッキリ!」しちゃった。「完全なる月9」に鮮やかな着地を決めたもんで、「あ、月9だった!」と。長い旅から帰ってきたような、心地よい解放感というか、そういうやつです。 【第9話】ここのスタッフは、原作の推理劇としての強度を信じ切ることはもちろん、自分たちが勝手に構築した「『貴族探偵』は一方で楽しいバカドラマですよ」という映像作家としての主張と技量も、とことん信じ切っている。記事参照)  それもそうなんですが、バカドラマとして成立した要素として、すごく大きいのは、やっぱり「30周年の月9だった」ってことなんだと思うんです。どれだけ能力が優れていても、予算がなかったらここまでバカ騒ぎできなかったと思う。第2話の謎解きで使われた数分間のストップモーションアニメなんて、あれを作る予算だけで裏番組の『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS)が何本撮れるのかと。  このドラマに批判的な意見の一部として「麻耶だし、地味に深夜でやるべきだった」というのがあって、それはそれで一理あると思うんですが、やっぱりこの楽しさというのは、麻耶なのに予算を投下したフジテレビ上層部の英断(蛮勇?)によるものだったと思います。ありがとう蛮勇。 【第10話】相葉ちゃんにも新たな演技プランが与えられることになりました。少し、変えただけだと思うんです。少し変えただけなのに、格段に華やかな人物として「貴族探偵」が浮き立ってくる。記事参照)  最終回も冴えてましたね、相葉ちゃん。言うことないっす。おつかれさまでした。ありがとう相葉ちゃん。 ■というわけで、まとめです。  視聴率はよくなかったし、記事のPVもあんまりよくなかったけど、楽しい3カ月間でした。  いろいろあるけど、テレビドラマって、やっぱり面白くあるべきだと思うんです。なぜかといえば、面白いドラマは人と人をつないで、世界を平和にするからです。私もTwitterとか見てましたけど、『貴族探偵』界隈、すごく平和だった。美しい光景だったと思う。必然的に多くの人の目に触れることになるテレビドラマを作る仕事というのは、世界を平和にする仕事なんだと、強く思いました。  そんなところでしょうか。そろそろ、編集長などという雑事に戻る時間がきたようです。ではまた夏クール、どこかのドラマで~。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

サイゾーなのに……! 嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』を初回から絶賛し続けた「たったひとつの理由」

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 なんだか大仰な見出しをつけてしまいましたが、面白かったから面白かったと書いていただけなんです。この3カ月、読者のみなさんの「サイゾーなのに……!」という反応が楽しかったので、つい、すみません。 (過去のレビューはこちらから)  さて、『貴族探偵』(フジテレビ系)の最終回ですが、まあ正直、震えたし、痺れました。テレビを見ていて「画面に飲まれる」という感覚を、久しぶりに味わったような気がします。見終わった瞬間は、原稿やべえな、どうしようかなと、ちょっとこれは言葉にならんぞという気分で。原作者の麻耶雄嵩さん風にいえば「ハレルヤ!」の一言です。はい。  それにしても、この足腰の強靭さというか、ブレなさはなんなのでしょう。最後の最後まで、きっちり本格ミステリーでありながら、とびきり楽しいエンタメ作品でした。おまけに、鮮やかな月9でもあった。もうね、ヒーローですよ。このドラマを作った人たちは、完全無欠の比類なきヒーローです。どうしよう、ホントに書くことないくらい総決算で、いいところが全部出た最終回でした。  もう、せっかく「初回から絶賛し続けた」と見出しを立てたことですし、第1話から自分が書いたレビューの一部を抜粋して、終わってみてどうだったかを考えてみることにします。手抜きじゃないよ。 【第1話】麻耶さんによる事件設計なので、どれだけ演出面で弾けても根幹がブレないのです。原作の段階で、「謎を作る」「謎を解く」という作業そのものに、作家の魂が込められているからです。記事参照)  やっぱりまず、このドラマを底支えしたのは「謎の設計」そのものの強さ・安定性だったと思います。でも、回を追うごとに感じたのは、このドラマの作り手の方々が、ただ原作をなぞればいいとは、全然思ってないなということで。麻耶さんの作る事件って、飛距離が長くて破壊力がある反面、余白もけっこう存在していたんだと思うんです。そういう余白を「映像ならでは」「連ドラならでは」で埋めていく、ある意味で原作の事件推理に対する批評的な創作が行われているな、と感じていました。なかなか、相当な自信と決意がないとできることじゃないと思います。 【第2話】もともと当代きっての推理作家が脳汁を噴出させながら組み上げた精緻な事件設計を一度解体し、その本質を変容させないまま再構築するという作業にフジテレビが挑み、成功させているのです。記事参照)  第2話の段階で、すでに「これは大変なことをやってるぞ」という感触だった『貴族探偵』でしたが、全話終わった今考えると、これを単話でやりつつ、全11話を通じてもやってた、多重のレイヤーでやってたわけですから、とんでもないと思います。同じ第2話のレビューでは「最後までうまくいったら偉業だと思う」とも書いてましたが、ハイハイ、軽々と偉業達成です。おめでとうございます。偉そうに言ってすみません。 【第3話】私が原作を読んで「足りない」と感じていたものが、ドラマではありありと画面に現れているからです。精巧な骨格標本が、血肉をまとってイキイキと疾走し始めた。その興奮にヤラれてしまっているんです。記事参照)  こういう疾走感というか、人物の血肉感を大きく引っ張っていたのが、今考えれば鼻さん(生瀬勝久)なんですよね。このころはまだ貴族も使用人ズもぶっきらぼうだし、愛香(武井咲)は無能で頼りないし、ほかの人はだいたい死ぬか殺してるかだし、いわゆる視聴者から見て「乗れる」キャラクターとして、鼻さんが躍動していたからこそ、推理が始まるまでの捜査パートを、動的なものとして楽しむことができたのだと思います。何しろ、鼻さんが出てる間は相葉ちゃんが出ないわけですので、課せられたハードルは高かったはずです。 【第4話】松重豊を風呂に入れたり座敷わらしを映り込ませて話題作りも怠らない。そういうわけで、今回の『貴族探偵』って、かなり全方位的に全力で頑張ってると思うんですけど記事参照)  松重豊を裸にするとか、幽霊映り込み騒ぎを誘発するとか、本来ならあんまり歓迎したくない無駄な演出である反面、最近の連ドラではむしろこうした話題作りの挿入こそがセオリーになりつつあるような気がしてるんです。見慣れた話題作り、よくある奇をてらった演出……普段なら「そんなことやってるからフジはダメなんだよ」とか書き殴るところですが、ここまで見てきて全然ダメじゃないから仕方がないよね。好意的に受け取っちゃうよね。という話。 【第5話】別に原作通り作ったって面白いだろうに、こうした複雑なシナリオの改編・拡張を、オリジナルで構築することを、フジテレビの現場の人たちは選んだんです。実に誇り高き創作行為だと思いますよ。記事参照【第6話】それはフジテレビが、この『貴族探偵』を単に原作モノの翻訳ドラマとして作るのではなく、あくまで「1クールの連続ドラマ」として成立させようとした結果なのだと思います。記事参照)  この第5~6話から、『貴族探偵』は原作を離れて、本格的なチャレンジを始めることになりました。愛香の師匠である喜多見切子(井川遥)が「死んでいる」と明示されることで、貴族探偵に対する愛香の心情に明確な変更が与えられることになります。  あ、今気付いたんですが、このレビューで武井咲のお芝居について一度も触れてませんでした。最終回まで見た今も、特に何も語るべき印象がないんです。基本的にこの作品の語り手は愛香なので、視聴者の目線は愛香を通すことになる。そこに違和感があっては、視聴者の没入を妨げることになります。  武井咲には、まるで妨げられた感じがしない。  これが武井さんのキャラによるものか、演技スキルによるものかわかりませんが、そういう意味で完璧な仕事だったのだと思います。お顔もけっこう好きよ。 【第7話】ところが今回、貴族探偵の秘書・鈴木として仲間由紀恵が実際に画面に登場しました。そして、この鈴木が貴族の命令によって「Giri」のアップデートに介入し、アプリをハッキングしたことが明かされました。記事参照)  これ、ホントにびっくりしましたよね。この回のレビューにも書いていますが、「Giri」の声が仲間由紀恵なのって、いかにもフジテレビ的な賑やかしだと思ってたんです。そういう自局のパブリックイメージを逆手に取っていたこともまた批評的だなと感じた次第ですし、何しろミステリーに触れていて「騙されて痛快」という感触を得られるというのは、これは最高のギミックですからね。 【第8話】小さなパズルの精巧さにばかり気を取られていましたが、それは、全話を通じたとてつもなく巨大なクリエイティブのごく一部だったんです。記事参照)  しかも、たぶんホントに撮影しながらシナリオ作ってたわけでしょう。ちょっと想像できないんです。どこまで準備がしてあって、どこを撮影中に作ったのか、とか。  自分に刺さるか刺さらないか、好みかどうかは別として、「巨大だ」と感じる作品ってあると思うんです。映画でいえば最近のジェームズ・キャメロンだったりクリストファー・ノーランだったり。そういう大作然とした作品に感じる畏怖のようなものが芽生え始めたのが、このころでした。  でも、そういう畏怖も、最終回で「みんなスッキリ!」しちゃった。「完全なる月9」に鮮やかな着地を決めたもんで、「あ、月9だった!」と。長い旅から帰ってきたような、心地よい解放感というか、そういうやつです。 【第9話】ここのスタッフは、原作の推理劇としての強度を信じ切ることはもちろん、自分たちが勝手に構築した「『貴族探偵』は一方で楽しいバカドラマですよ」という映像作家としての主張と技量も、とことん信じ切っている。記事参照)  それもそうなんですが、バカドラマとして成立した要素として、すごく大きいのは、やっぱり「30周年の月9だった」ってことなんだと思うんです。どれだけ能力が優れていても、予算がなかったらここまでバカ騒ぎできなかったと思う。第2話の謎解きで使われた数分間のストップモーションアニメなんて、あれを作る予算だけで裏番組の『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS)が何本撮れるのかと。  このドラマに批判的な意見の一部として「麻耶だし、地味に深夜でやるべきだった」というのがあって、それはそれで一理あると思うんですが、やっぱりこの楽しさというのは、麻耶なのに予算を投下したフジテレビ上層部の英断(蛮勇?)によるものだったと思います。ありがとう蛮勇。 【第10話】相葉ちゃんにも新たな演技プランが与えられることになりました。少し、変えただけだと思うんです。少し変えただけなのに、格段に華やかな人物として「貴族探偵」が浮き立ってくる。記事参照)  最終回も冴えてましたね、相葉ちゃん。言うことないっす。おつかれさまでした。ありがとう相葉ちゃん。 ■というわけで、まとめです。  視聴率はよくなかったし、記事のPVもあんまりよくなかったけど、楽しい3カ月間でした。  いろいろあるけど、テレビドラマって、やっぱり面白くあるべきだと思うんです。なぜかといえば、面白いドラマは人と人をつないで、世界を平和にするからです。私もTwitterとか見てましたけど、『貴族探偵』界隈、すごく平和だった。美しい光景だったと思う。必然的に多くの人の目に触れることになるテレビドラマを作る仕事というのは、世界を平和にする仕事なんだと、強く思いました。  そんなところでしょうか。そろそろ、編集長などという雑事に戻る時間がきたようです。ではまた夏クール、どこかのドラマで~。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

主演なのに嵐・相葉雅紀が全然出てこない!『貴族探偵』視聴率低下と“忖度”しないプライド

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 いよいよ佳境に入ってきた嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)も第10話。視聴率は8.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と最終回目前にして0.4%も下げました。  そりゃ下げるよ! 相葉ちゃん、最初と最後にちょろっと出ただけじゃんか! ……と言われることを、このドラマは全然恐れてない。上層部やらスポンサーやら、数字にこだわる大人たちに怒られたって、別に関係ないと思ってる。まったく“忖度”してない。なぜなら、そのほうが面白いと信じているから。そういうプライドがあるから。もう何度もこのレビューで書いていますが、実に尊い創作態度です。(過去のレビューはこちらから)  それにしても、前回の第9話「こうもり」で、ひとつ山を越えた感じはありますよね。原作既読組の1人としての感想ですけど、「ああ、もうこの制作陣は信じてもいいんだ」という結論が出たような気がしていて、わりと気軽に最後となる殺人事件を迎えることができました。今回は前後編の「事件編」となりますので、シナリオや演出については特にありません。来週の最終回を待ちたいと思います。もうお祭り気分です。  とはいえ、何も書かないわけにもいかないので、今回は主演を務めている相葉ちゃんについて考えてみたいと思います。  この『貴族探偵』の第1話を見始めて、最初に「あ、映像化に成功してるな」と感じたのが、この相葉ちゃんの起用だったんです。今になって思い返せば、最初の事件が解かれる前にそう思えたことが、このドラマを楽しめた一因だったと思います。  原作を読んだ段階では、「貴族探偵」の顔立ちをまるで想像することができませんでした。「皇室御用達の常盤洋品店」が仕立てたという高価なスーツを着こなしていて、口ひげをたくわえている。それしか描写されておらず、事件現場に現れては紅茶を飲み、使用人に推理をさせ、そこらへんの女性を口説いている。完全に常軌を逸した行動を繰り返す不審人物であり、最初から「リアリティ」という言葉が通用しない役柄なんです。「貴族探偵」というキャラクターそのものが、「頭に赤い洗面器を乗せている」というのと同じくらいリアルじゃない。人格や個性を消して、正体不明なキャラクターであることが要求されていたわけです。  実際、相葉ちゃんは「常盤洋品店」どころじゃないバカみたいな衣装に身を包んで現れ、おすまししながら棒読みのセリフ回しで事件を解決していきました。ガチャついた画面と、生瀬勝久を筆頭としたガチャついた芝居がフォーマットとして選択されたこのドラマにおいて、相葉ちゃん一派だけが無表情で佇んでいる。存在感を残しながら、人格だけが消えているように見える。  これによって、原作を読んだときに感じた「一般人」と「貴族」という人物描写における2本のリアリティラインが、映像の中で消化されていると感じたんです。ネット上には「貴族らしくないからダメ」という書き込みも散見されましたが、例えば及川ミッチーとかGACKTとか、山田ルイ53世とかひぐち君では、ガチャついた画面の中にガチャ溶けしちゃうので、「貴族探偵」というキャラクターに設定された“異物感”が表現できなくなっちゃう。アクがなくてツルンとした相葉ちゃんの年齢不詳な顔面と、「貴族らしくない演技」が正解だったのだと思うんです。  単話完結で、物語の縦軸がほとんど語られなかった前半の4話まで、相葉ちゃんの演技は徹底的に抑制されていました。原作の要求通りの演技を達成していたということです。ここまでは、相葉ちゃんにとっても、そんなに難しいプランではなかったと思います。  そもそも演技力は……という話をしてしまえば、それは確かに相葉ちゃんは上手な俳優さんではないのでしょう。与えられたキャラクターの個性と人格を咀嚼して自分の中に落とし込み、身体動作、表情変化、発声行為に反映させる技量と情熱において、例えば5・6話に登場した忍成修吾には及ばない。しかし、こと今回の「貴族探偵」というキャラクターにおいては、訓練を受けた本職の俳優よりも相葉ちゃんのほうが適任だったと思うんです。忍成なんてね、その場にいる全員をしっちゃかめっちゃかの混乱に陥れた上に、うぐぐぐぐとか言いながら床にダイイングメッセージを書き殴るあたりの役柄がお似合いなんですよ(大好き!)。  相葉ちゃんが適任だったな、と思わせるのは、5話以降です。女探偵が貴族探偵の正体を暴きにいったことで、徐々に物語が原作から離れていきます。同時に、相葉ちゃんにも新たな演技プランが与えられることになりました。  少し、変えただけだと思うんです。少し変えただけなのに、格段に華やかな人物として「貴族探偵」が浮き立ってくる。「確実に殺せ」というセリフもそうだし、バックハグとか花冠とか、そういう「キメ」のシーンを確実に決めてくる。一方で、「美しすぎる死体」を見つけたときの無邪気なしゃがみ方とのギャップも、1人の人物として違和感が全然ない。  つまりは相葉ちゃんの存在の中に、そうしたギャップが、あらかじめ内包されているんです。  それはきっと、相葉ちゃんが20年近く積み重ねてきた「アイドル」という職業の賜物なんだと思います。司会もするしバラエティも出るし、ステージに立てば5万人を前にして歌うし踊る。スチール撮影の現場なんかでは、何時間だって表情を作り続けることができるのでしょう。だからお芝居の中でも、アップショットで抜かれたら顔面を美しいまま固定できるし、高岡早紀を後ろから抱きしめるときの動作の華やかさたるや、思わず息を飲んでしまう。こうしたキメ顔や動作には、もちろんダンスの素養もあると思いますが、それ以上に「さまざまな自分を見せるプロ」としてのアイドル・相葉雅紀のキャリアが裏付けになっているはずです。相葉ちゃんがアイドルだったからこそ、『貴族探偵』は中盤を過ぎて一気に加速することができた。  いや、正直、そこまで計算されたキャスティングだとは思ってないです。さまざまなタイミングが重なった結果、偶然の産物として化学反応が起こって、原作と映像が完全にハマってしまったのだと思う。私は事前に原作を読んでしまっているので、「原作を受けて」という立場からしか話ができませんし、未読だったらどういう感想を抱いたのかも想像できません。もしかしたら、いつまでも伸びない視聴率が「世間の評判」として正しいのかもしれない。  さらに言えば、こうして相葉ちゃんに好意的な文章を書いているのだって、ドラマそのものが面白かったからであって、あくまで作品のパーツとしての評価でしかない。「これにより相葉雅紀は俳優として大きく飛躍していくであろう」とも、あんまり思ってない。  でもね、この3カ月、私が『貴族探偵』というドラマを心から楽しんできたことだけは間違いないんです。それは、相葉ちゃんが20年近くも国民的アイドルとして超一流の人気者であり続けてきたからこそ、成立した企画なんですよね。何しろ月9で、しかも30周年で、こんな企画そこらへんのタレントじゃ通るわけないんだから。 「面白いドラマができた。そこに、どうしたって相葉ちゃんは不可欠だった」  その事実こそが、相葉ちゃんの今回の最大の手柄だったと思うわけです。  あとNHKの『グッと!スポーツ』は、とてもいい番組だと思うので『貴族探偵』が終わっても頑張ってください。  そんなわけで、来週は最終回ですねえ。なんだか感傷的になってしまうね。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

8.4%に再浮上した嵐・相葉雅紀『貴族探偵』推理の「弱さ」と、バカドラマとしての「強度」

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 視聴率、上がりましたね。嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)第9話は、前回から1.4ポイント上昇して8.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)でした。  今回は、麻耶雄嵩さんの原作『貴族探偵』(集英社文庫)から、傑作の呼び声高い短編「こうもり」が引用されました。ネット上でも麻耶さんファンを中心に「『こうもり』は読んだ方がいい」「次はすごいことになる」と放送前から話題になっていたので、今回の視聴率にはその影響もあったかもしれません。数字は低いより高いほうがいいことは間違いないので、とりあえずおめでとうございます。そんなわけで今回も振り返りです。長いよ。(前回までのレビューはこちらから)  さて、ジャニーズドラマであり、月9であり、原作がミステリーマニア向けの本格推理小説でもある『貴族探偵』は、視聴者によってさまざまな見方があると思います。極論を言えば「相葉ちゃんが1時間、流し目してるだけでいい」という人もいるだろうし、「月9なんだから胸キュンさせなきゃ許さない」という人もいるし、「フーダニットにおけるミスディレクションは厳密なアレがアレ」みたいな人もいるでしょう。  今回の第9話は、特にそうした視聴者の属性によって評価が分かれる回だったように思います。なので、とりあえず書き手である私が、どういう立場からこの「こうもり回」を見たのかということから考えてみます。普段は単なる「どらまっ子」ですし、そんなこと考えないですけど、今回は考えさせられた回だった、ということで。  私は『貴族探偵』のドラマ化が決まってから麻耶さんの名前を知ったような半可通でして、一読した感想は以前、第3話(記事参照)でも書いた通り、「あんまり好みじゃないな」というものでした。その「好みじゃない」という印象を深く抱かせたのが、この「こうもり」という短編だったのです。 「こうもり」は、叙述トリックに特化した小説でした。どんな叙述トリックかをわかりやすく説明するには、それこそ「こうもり」本編以上の文字量が必要になりそうなので割愛しますが、とにかく頭のネジが4~5本はブッ飛んでるんじゃないかという(4本か5本かは不明)、「なんでそんなことすんの!?」と言いたくなるようなトリックが採用されています。麻耶さんが、なんでそんなことをしたかといえば、「叙述トリック」という言葉に普段から馴染んでいるマニアにだけ向けて書いた作品だからです。日常的に本格激辛ラーメンを食べている人だけに向けて、「味わったことのないスコヴィル(辛さの単位)を食らえ!」と叫びながら放ったのが、「こうもり」だったのです。  しかも麻耶さんは、このスコヴィルを際だたせるために、一見これを「凡庸なあっさりラーメン」に見えるような仕掛けを施しています。謎解きのアリバイに「犯人がそっくりさんを使った」という超ベタなトリックを用いたのです。第1話のレビュー(記事参照)で「強引な推理の踏み抜きが行われている」と書いたのは、これのことです。  これにより、一般読者は「本格っていうわりに、別に普通だな美味しいけど」といった心境で読み進め、スープを飲み干したとき(叙述トリックが明かされたとき)になって「辛すぎだわ! なんでこんなことすんだよ!」と丼を放り投げることになるわけです。そして一部マニアだけが「ススススコヴィル!(叙叙叙叙述トリック!)」と絶頂に至ることになります。私は辛いものあんまり食べられませんし、そこまでの刺激は求めてませんので、「こうもり」を「ものすごい奇作」だとは思ったけれど、「傑作」とは思わなかったんです。  ここまでが前置き。そういう立場からのお話です。  第4話の「幣もとりあへず」も、同様に叙述トリックがメーンの小説でした。麻耶さんの『貴族探偵』シリーズにおける叙述トリックは、設定を誤認させる(例えば伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』における「隣の隣のブータン人は誰なのか問題」とか)のではなく、目の前にある状況を誤認させる(「正=遺体は男/誤=遺体は女」とか)タイプなので、状況をカメラで撮影する映像媒体とは特に相性の悪いものです。この回、ドラマは叙述トリックを「映像化しない」という選択をしました。そして、事件を肉付けすることで面白く仕上げていました。「男女が名前を入れ替えている」というトリックも、そこそこベタではあるのでしょうが、本当にうまくやったと思います。  第9話、「こうもり」の叙述トリックを映像化するのは、まず無理です。しかし第9話で叙述トリックを切り捨てると、「アリバイはそっくりさん」という超ベタな謎解き1本で勝負しなければなりません。凡庸なあっさりラーメンが凡庸なまま供されてしまう可能性があったわけです。  結果、個人の感想ですが、第9話は推理劇としては凡庸だったと思いました。やっぱり「アリバイはそっくりさん」というのはどうしても弱いし(嫁以外の人も別人なら気付くだろと思うし)、真犯人の“第2の殺人”も、凶器については伏線がありましたが、こちらのアリバイの抜け目は最後まで示唆されなかったので若干モヤモヤが残りました。  それでも、今回も原作にない多重推理を創作する手腕は冴え渡っています。第2話の北枕の件(記事参照)と同様に、もともとあった仕掛けに「人の心情」を乗せて人物描写に幅を持たせることにも成功していました。相葉ちゃんの芝居も、回を増すごとに怪しさを増しているように思います。その程度の成功では驚かないほどに、私は『貴族探偵』ドラマスタッフに調教されてしまったということです。  ただ、推理劇としては凡庸だった今回が、実はこれまででもっとも楽しく見ることができる回でもありました。これまでの「使用人たちが一瞬で事件の再現VTRを作ってしまう」というドラマオリジナルの設定を、「生中継もしちゃう」と進化させている。「アリバイはそっくりさん」がアリなら、これもアリだろうとばかりに「使用人のそっくりさん」も2人出しちゃう。映像ならではだし、バカバカしくて、すごく楽しい。  これまで主に、原作の改変に敬意を払いまくっていて偉いな! という話ばかりしてきたこのレビューでしたが、今回はたぶん、脚本家も「ちょっと完璧には無理だぞ」という感触があったんだと思うんです。だから、作品のもうひとつの魅力である「バカ方面」にとことん振り切って、楽しい画面を作り上げた。  偉いな! と思うんですよ。ここのスタッフは、原作の推理劇としての強度を信じ切ることはもちろん、自分たちが勝手に構築した「『貴族探偵』は一方で楽しいバカドラマですよ」という映像作家としての主張と技量も、とことん信じ切っている。だからこそ、叙述トリックを失って強度の下がった今回でも、全体としての出力は決して落とさない。先に「視聴者の属性によって評価が分かれる回だった」と書きましたが、彼らがどの属性に対しても楽しんでもらおうと全力でトライしていたことだけは間違いないと思います。  あと2回かー。なんか、終わっちゃうの寂しいですね。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

過去最低7.0%の嵐・相葉雅紀『貴族探偵』それでも絶賛したい制作陣の“クリエイティブ”の高さ

過去最低7.0%の嵐・相葉雅紀『貴族探偵』それでも絶賛したい制作陣のクリエイティブの高さの画像1
フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 骨太な推理劇とガッチャガチャのコメディ演出を同居させて、毎回“楽しい本格ミステリー”という新体験を与えてくれる今期の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)ですが、5日に放送された第8話の視聴率は7.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と過去最低を記録。大手マスコミによれば、9.9%を取ったテレ東の『全仏オープンテニス 錦織圭×ベルダスコ』に食われた形だそうです。  まあ、健全な結果だと思いますよ。錦織はもっと国民的スターとして扱われるべき偉大なプレーヤーだと思いますし、下位ランカー相手の4回戦でも、いい試合をすれば視聴者が付くというのは、スポーツ中継そのものの明るい未来を示す結果だと思います。実に健全です。  それに比べて『貴族探偵』って、まったく健全じゃないもんね。人とか死ぬし。  というか、このドラマ、中盤を過ぎて俄然、不穏な空気が漂ってきました(過去のレビューはこちらから)。不穏というか、薄気味悪いです。このドラマの作り手が何をどこまでコントロールしているのか、底が知れなくて気持ち悪い。  正体不明の貴族探偵を演じる嵐・相葉雅紀の芝居も、ここまで抑えてきた分、どんな振る舞いを見せられても「何か含みがありそうだ」と思わされて、すんごく気持ち悪い。  クール初の2話構成となった5・6話以降、物語は「貴族探偵とは何者か」という物語の縦軸を語り始めながら、少しずつ「貴族探偵対女探偵」という単話としてのフォーマットを崩し始めました。第7話では1年前の回想として「女探偵」を高徳愛香(武井咲)ではなく、その師匠である故・喜多見切子(井川遥)に差し替え、今回の第8話では女探偵を容疑者とすることで事件現場から追い出し、代わりに刑事の“ハナさん”こと鼻形雷雨(生瀬勝久)が貴族探偵と対峙することになりました。  そして、冒頭から不穏です。  1カット目の前に「今夜からでも間に合う、これまでの貴族探偵」を振り返るダイジェストが流れます。「これまでの」と言いつつ、振り返るのは前回の7話で語られた切子と鼻形、そして貴族探偵の秘書・鈴木(仲間由紀恵)の説明だけです。ここだけ把握しておけばいいよ、1~6話は忘れても別に大丈夫だよ、というドラマからのメッセージなわけで、やっぱり明らかに5・6話を挟んで「ここからが本番」なわけです。 「貴族探偵第8話、お楽しみください」  そう語ってダイジェストを締めくくるのは、当初ただの便利ギアとして登場したSiri的なアプリ「Giri」。前回、このGiriは貴族探偵の指示によって秘書・鈴木がハッキングしたことが語られていますので、このダイジェストすら客観的なものではなく、疑ってかかるべき存在ということです。なんと挑発的な演出でしょう。  そうして始まった今回の推理合戦は、第1話の構造を踏襲しています。先にハナさん(第1話では愛香)が誤った推理によって貴族探偵を犯人と断定し、後に貴族探偵がそれを覆すというものです。  事件のトリックは、ほぼ原作通り。原作で女探偵が披露した推理を、代わりにハナさんがしゃべるだけです。  だけです、っていうか、だけじゃないですよ。「だけ」なんて簡単なものじゃない。女探偵・愛香を現場から追い出すためには、この人物に殺人事件の動機と証拠を与えなければならない。そんなの、超難しいに決まってる。でも、ドラマ全体の縦軸から「愛香がかつてストーカーに悩まされていた」ことを引っ張ってきて動機を与え、「落ちていたプレートをなんとなく拾う」というなんでもない行動から指紋の証拠を作ることで、実にあっさりと成し遂げてしまったので、つい「だけです」と書いてしまっただけです。  でも、これくらいの原作改変の手際のよさについては、もう驚きません。『貴族探偵』のスタッフは、これくらいやるでしょ、と思えてしまう。慣れというのは怖いもので、私たちがドラマに課すハードルは、回を重ねるごとにどんどん高くなっていきます。  ではなぜ、ここにきて愛香ではなくハナさんに推理をさせたのか。今回はそれについて考えてみたいと思います。  生瀬勝久が演じるハナさんというキャラクターは、絵に描いたようなコメディリリーフとして登場しました。クール前半を象徴するガチャ演出の象徴として、存分に暴れまわっていた。ドラマの方向性を司り、ある意味で主人公・貴族探偵より目立った存在でした。  しかし、後半のシリアス路線には、どうしても馴染むことはできません。貴族探偵が「私の正体を探るなら、命がけになる」と宣言している通り、ここからはバカを振りまいてバカ騒ぎをすればするほど、浮くことになる。安易なドラマだったら、ここでハナさんを転勤なり入院なりさせてしまうところでしょう。それでもいいんです。最終回、何もかもが終わった後に「平和だったころの象徴」としてお気楽バカなハナさんが現れれば、それはそれでカタルシスを演出することができます。  だけど、ハナさんはそうではなかった。もともと、この段階から本筋に組み込まれる存在として用意されていました。そしてこの組み込み作業も、『貴族探偵』は実に上手くやりました。フォーマットとしてあった「女探偵」というハコにハナを入れ込むだけでそれを達成できてしまう構造的な周到さと、ハナの刑事としてのプライドや勤勉さをつぶさに描いた脚本・演出と、何より俳優・生瀬勝久の凄まじい芝居の振り幅の大きさによって、すんなりとシリアス路線とハナを馴染ませてしまった。  そして、ふと思い当たるんです。このドラマは原作である短編集『貴族探偵』『貴族探偵対女探偵』(ともに集英社文庫)から、順不同にエピソードを引用してきたように見えました。しかし、当然なんですが、ランダムじゃないんです。「貴族探偵の正体に迫る」という最終回に向けて、そのオリジナル要素の起点になる第5・6話はどの事件なのか、切子との回想を語るべき第7話は、愛香の身柄を拘束し、ハナに推理させる第8話は……と、縦軸の流れに合致するような短編を選んで、それを改変しているんです。大切なことなのでもう一度書きますが、当然、これはランダムじゃない。  これまで、選ばれた原作が上手に改変されていることにばかり驚いていた私ですが、順序が逆だったんです。『貴族探偵』は、もともとドラマオリジナルの縦軸を構築し、それに合う改変が成立する短編を原作から抽出していたということです。小さなパズルの精巧さにばかり気を取られていましたが、それは、全話を通じたとてつもなく巨大なクリエイティブのごく一部だったんです。  この巨大さが、もう気持ち悪い。そんなの、ちょっと上手くできすぎだろ、と思ってしまう。人智を超えてるというか、特別な力が働いているような気がしてしまう。隅々にまで工夫が行き届きすぎてる。  例えばフジテレビは、シナリオをプリントした紙を流し込んだら、エラーを吐き出してくれる計算装置でも持っているんじゃないかというくらいです。「ここは破綻しています」「矛盾があります」と言って、端からそれを潰す最適解を提供してくれる装置。脚本家がどれだけ冒険しても、決して推理の誤りを見逃さない装置。  まあそんなシナリオ最適化装置は現存するわけないですし、現存するとしたら、それは原作者の麻耶雄嵩さん本人しかいないんでしょうけど……。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

「棒だけど棒じゃない!?」『貴族探偵』嵐・相葉雅紀が見せた意図的な“芝居の変化”に瞠目する

「棒だけど棒じゃない!?」『貴族探偵』嵐・相葉雅紀が見せた意図的な芝居の変化に瞠目するの画像1
フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 いやー、今週も面白かったです『貴族探偵』(フジテレビ系)。毎週こんだけ面白いドラマを見せていただけるというのは、本当にありがたいことです。  気分としては、もはや「フムフム、なかなか優れたドラマであるね」なんて評論したい気持ちは全然なく、むしろ「佐藤琢磨が『インディ500』で勝つとこ見られるなんて!」とか「最近、イボ痔が軽い!」とか、そういった生活の中にある小さな喜びが、月曜21時になれば与えられるという、そういう事実に感謝を伝えたいと考え始めているのです。(過去のレビューはこちら)  ところで、前回までの『貴族探偵』は、とことん“変化球”的な探偵ドラマとして放送されてきました。推理そのものは「本格」の名に恥じない作り込まれたものでしたが、「探偵なのに推理をしない」という主人公の設定が、作品の不思議な魅力を引き出すことに大いに役立っていたように思うんです。 「貴族で探偵ってなんだよ」とか、「そもそも貴族ってなんだよ」とか、そういう疑問をすべてブン投げたところから物語がスタートしているので、どれだけコメディ要素を詰め込んでも「推理が主役」という作品の軸がブレないし、貴族を演じる相葉ちゃんの芝居や描写にリアリティが欠如していたとしても「そりゃ架空の貴族だし」ということで、割り切って楽しむことができました。  こうした演出のスタンス、つまりは「貴族は貴族だから、もうほっといて」という宣言が、原作の持つ「探偵は存在を漂白してこそ事件の真相に迫れるのだ」というニュアンスと実にマッチして、化学反応を起こしていたのが、このドラマが成功している所以だったと思うんです。ドラマが「貴族って、なんなんだよ」という疑問を追及しないからこそ、貴族探偵と女探偵のシンプルな推理合戦に没頭することができたんです。  ところが、前回の第6話から、いよいよドラマは「貴族って、なんなんだよ」という疑問に正面から取り組むことにしました。女探偵に「貴族探偵の正体」を追わせることにしたのです。  というわけで、第7話。  今回は、1年前の事件という設定です。今回、貴族探偵の相手となるのは、これまで推理合戦でコテンパンにしてきた女探偵・高徳愛香(武井咲)の師匠である喜多見切子(井川遥)。切子はこの事件の直後に死亡しており、どうやらその死に貴族探偵が関わっているらしい。愛香がその謎を追いながら、貴族の正体に迫るというストーリーです。  構図そのものは、前回までの「貴族探偵と女探偵の推理合戦」というフォーマットを引き継いでいます。事件現場に貴族探偵と女探偵・切子。一見して、愛香が切子と入れ替わっているだけにしか見えません。  しかし、まず気づかされるのは、相葉ちゃんの演技プランの変化です。ほんの少し、テンションが高いんです。楽しそうなんです。これまで「棒だ棒だ」と各方面から棒認定されてきた本作での相葉ちゃんの芝居が、『貴族探偵』というドラマの作風を表現するために、存在感を希薄にしようとする意図的な抑制だったことがわかります。  つまり、この相葉ちゃんの芝居の変化によって、1年前まで貴族はもっと純粋に趣味として無邪気に殺人事件の推理を楽しんでいたことが表現されます。もうひとつ、この事件とその後の切子の死を経て、何かの悲しみを背負ったことも。  演出家の指示通りに演じただけと言えば、そりゃそうなんでしょうけれど、芝居を変化させて物語を伝えることに成功しているわけですから、俳優としてこれ以上ない働きといえると思います。  そして、その無邪気な貴族が「名探偵」と呼ぶ女探偵師匠・切子との推理合戦も、これまでとは一味違います。脚本的にいえば、これまでは無能な弟子・愛香に見当外れの推理を披露させて、それを覆せばよかっただけですが(それでもすごい労力が払われていた)、今回は切子が「明らかに愛香よりも優れた推理」を披露し、それを貴族が覆さなければなりません。  ドラマが女探偵・切子に求めるのは「完璧でない推理」であり、さらに、その誤謬の「よく推理できてる度」「真相には足りないけど、見てて納得できる度」を高めにコントロールしなければならない。今までも「原作にいなかった女探偵の推理を差し込む」という難工事を成功させてきた『貴族探偵』ですが、今回、切子に課せられたストライクゾーンは極めて狭かったはずです。そして、その試みは成功していたと思います。  極めて狭いストライクゾーンを自らに課し、頑張ってそれを達成する。ずっと、このドラマはそういう作業を繰り返しています。なぜそんな難しいことをするのかといえば、そのほうが面白いからに他ならない。もう何度も書いていますが『貴族探偵』の制作陣にもっとも感動するのは、そういう志の高さなんです。こちらの想像を超えたハードルをわざわざ設定して、それを超えてくるんです。  例えば第1話から愛香が愛用している「Siri」のようなスマホアプリ「Giri」の存在。最初はただ、愛香の「能力的には劣るが、最先端のギアは使いこなせる」というキャラ付けのためだけに登場したと思っていました。そして、この声を仲間由紀恵が担当しているんですが、このキャスティングについても「いかにもフジテレビ」的な、「こんなチョイ役にも仲間由紀恵を引っ張ってこれちゃう俺たちスゴイでしょ」的な、単なる賑やかしだと思っていたんです。  ところが今回、貴族探偵の秘書・鈴木として仲間由紀恵が実際に画面に登場しました。そして、この鈴木が貴族の命令によって「Giri」のアップデートに介入し、アプリをハッキングしたことが明かされました。「Giri」は、貴族探偵の正体を探ろうとする愛香に「その質問にはお答えできません」と返答します。愛香にとって唯一、絶対的に信頼できる情報源だった「Giri」に揺らぎが生じます。  この「Giri」の仕込み、ホントにびっくりしたんです。そんな仕掛けがあったなんて、まったく気づいていなかった。繊細に繊細に作り込んでいる印象だった『貴族探偵』が、実は初っ端から豪快な伏線を忍ばせていた。「すげえな……」って、思わず声が出ましたもん。  最終回に向けて、こうして密かに仕込まれた伏線を少しずつ明かしながら、『貴族探偵』は盛り上がっていくことになるのでしょう。原作既読だからって、まったくこの先の展開は読めません。原作に書かれていないことが行われようとしているわけですから。  ともあれ、また来週の月曜21時を楽しみに待ちたいと思います。それまで、イボ痔が再発しませんように。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

自己最低7.5%も折り込み済み!? 『貴族探偵』第6話で、なぜフジテレビは視聴率を“捨てた”のか

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 ごく一部の視聴者に対してのみ絶賛放送中の今期月9『貴族探偵』(フジテレビ系)は第6話。ごく一部以外の視聴者はまるで興味がないらしく、視聴率は7.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、過去最低に沈みました。まあ、なんだかんだ言っても、15日に発表された連結決算をみるとフジ・メディア・ホールディングスさんは都市開発やら広告やらで儲かっているようなので、ここはひとつ『貴族探偵』チームには自由にやらせてあげてほしいと祈るばかりです。  というわけで、今回も“ごく一部”の立場から『貴族探偵』を振り返ってみたいと思います(過去のレビューはこちら)。  第6話は、前回の事件の解決編となりました。前回のレビューで、私はこのドラマの魅力を「謎解きの一点突破だ」と言いましたが、今回の謎解き編でその魅力が発揮されたかどうかといえば、圧巻のひと言だったと思います。堪能しました。詳細はまあ、いいでしょう。別のサイトでも見てください。  ここまで、『貴族探偵』というドラマで蔑ろにされてきた(意図的に簡素化されてきた)のが、犯人の動機やバックグラウンドといった、「事件そのものの魅力」「犯人の人間性」といった部分でした。今回はその部分で、毛色の違う描かれ方が行われたことが特徴的でした。  あまりにストイックに論理的な謎を構築することを志向した原作では、それらのバックグラウンドや人物の個性は、むしろ筋立てを複雑化し、作品そのもの魅力を半減させるものだったはずです。なるべく読者が理解しやすい、ステレオタイプな人物を事件周辺に配置することで、謎解きの精緻っぷりを浮き立たせるやり方。変な例えになりますが、麻耶雄嵩さんという作家さんは、まな板の上に何があっても「刺身で食え」と言ってくるんです。しかも「最低限の塩で食え」と。  当然、そうした推理小説は読者を選びます。麻耶さんがこの作風でしか物語を書けないのか、あるいは推理小説というジャンルそのものに対する実験や修行の類なのか、それとも「そこでなら勝負できる、勝てる」という職業作家としての確信めいた作戦なのか、それは想像するしかありません。しかし、麻耶さんの覚悟は見てとれます。「美味い刺身を食わせてやるから、船に乗れ」と読者に要求し、作家とともに洋上に出た奇特な読者にだけ、彼らが求める極上の刺身を提供してきたのでしょう。そこには、信じられないような釣りテクと包丁さばきがあったのでしょう。これも、今回のドラマで麻耶さんに初めて出会った私には、想像するしかありません。  しかし、テレビドラマという市場を通したら、どうしたって客層は広がりますし、素材の鮮度も落ちてしまいます。そこでフジテレビには、保存や調理の技術が求められます。「ストイックな推理劇」という素材の味を殺さないまま、テレビ向けに料理しなければならなくなったのです。  私はずっとここで、主にこの「フジテレビの調理技術」に対して、惜しみない賞賛を書き連ねてきました。過剰にポップな演出も、登場人物を増やしてオリジナルで追加された事件の概要と推理も、決して本筋をジャマするものではありませんでした。あくまでフジテレビは、素材の味を引き出しつつ、お子さまでも美味しく食べられる万人向けの料理として提供してきたと感じていました。  で、今回の第6話「解決編」を見終わった感触は、今までとは少し違います。  今回の事件では、テレビでオリジナルに追加された人物のバックグラウンドや個性、過去や未来といったキャラクターの連続性が、時間をかけて、実に感動的に描かれました。これは、今までにはなかったことです。事件の犯人や関係者は、その回が終わればキレイさっぱり印象を失って、解決にいたった爽快感だけが残る……『貴族探偵』は、そういう味わいのドラマだったのです。  料理の例をまだ続けるならば、今回は「フジテレビがカレーをぶかっけてきた」と感じたのです。別に不味いカレーじゃないし、むしろ高級な「帝国ホテルのカレー」っぽいカレーなんですが(食べたことはない)、明らかに『貴族探偵』はこの第6話で、「麻耶色のドラマ」から「フジテレビ色のドラマ」に舵を切ったと感じました。  思えば、なぜ1話完結で十分に楽しかったドラマを、中盤である5・6話で2話構成にしてきたのか。5話を見なければ6話はつまらないし、当然、視聴率は落ちる。視聴率を捨ててまで、あえて、なぜそうしたのか。  それはフジテレビが、この『貴族探偵』を単に原作モノの翻訳ドラマとして作るのではなく、あくまで「1クールの連続ドラマ」として成立させようとした結果なのだと思います。  第1話からイマジナリーな存在として示唆されてきた女探偵の師匠・喜多見切子(井川遥)が、今回初めて「すでに死んでいる」と明示されました。同時に、貴族探偵が彼女を「殺した」という過去もほのめかされた。  これは、原作に建て増しされた設定ではありません。原作そのものを底上げして、土台の部分に差し込まれたものです。少しずつ明らかにされてきたこの土台が、今回あらわになったことで、次回以降の『貴族探偵』は、これまでとは段違いに天井高の高い作品として描かれていくことになります。単話で楽しい『貴族探偵』が、最終話に向かって走り出すタイミングが、この5・6話だったということです。1話でも終われる事件を、2話分かけて解決すると同時に、最終回に向けて「床板を外すための時間」が必要だったということです。  単話でこれだけ楽しければ、最終回だけちょっと複雑な事件を持ってきて誰か殉職でもさせりゃ、それはそれでオッケーなドラマだったわけですが、フジテレビは「連続ドラマとしても面白くしてやる」という面倒な決意を、2時間使って宣言したわけです。  もちろん、今後の貴族探偵と女探偵をめぐる成り行きそのものも楽しみですが、フジテレビ制作陣の“クリエイターとしての戦い”というリアルなドラマとしても「こいつら、どこまでやる気なんだ」という期待に満ちた作品になってきました。この戦い、「どらまっ子」を名乗る者として、見守らないわけにはいきません。  いやー、「どこまでホメる気なんだ」って感じですね。ちょっと書いてて恥ずかしいよ。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

自己最低7.5%も折り込み済み!? 『貴族探偵』第6話で、なぜフジテレビは視聴率を“捨てた”のか

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 ごく一部の視聴者に対してのみ絶賛放送中の今期月9『貴族探偵』(フジテレビ系)は第6話。ごく一部以外の視聴者はまるで興味がないらしく、視聴率は7.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、過去最低に沈みました。まあ、なんだかんだ言っても、15日に発表された連結決算をみるとフジ・メディア・ホールディングスさんは都市開発やら広告やらで儲かっているようなので、ここはひとつ『貴族探偵』チームには自由にやらせてあげてほしいと祈るばかりです。  というわけで、今回も“ごく一部”の立場から『貴族探偵』を振り返ってみたいと思います(過去のレビューはこちら)。  第6話は、前回の事件の解決編となりました。前回のレビューで、私はこのドラマの魅力を「謎解きの一点突破だ」と言いましたが、今回の謎解き編でその魅力が発揮されたかどうかといえば、圧巻のひと言だったと思います。堪能しました。詳細はまあ、いいでしょう。別のサイトでも見てください。  ここまで、『貴族探偵』というドラマで蔑ろにされてきた(意図的に簡素化されてきた)のが、犯人の動機やバックグラウンドといった、「事件そのものの魅力」「犯人の人間性」といった部分でした。今回はその部分で、毛色の違う描かれ方が行われたことが特徴的でした。  あまりにストイックに論理的な謎を構築することを志向した原作では、それらのバックグラウンドや人物の個性は、むしろ筋立てを複雑化し、作品そのもの魅力を半減させるものだったはずです。なるべく読者が理解しやすい、ステレオタイプな人物を事件周辺に配置することで、謎解きの精緻っぷりを浮き立たせるやり方。変な例えになりますが、麻耶雄嵩さんという作家さんは、まな板の上に何があっても「刺身で食え」と言ってくるんです。しかも「最低限の塩で食え」と。  当然、そうした推理小説は読者を選びます。麻耶さんがこの作風でしか物語を書けないのか、あるいは推理小説というジャンルそのものに対する実験や修行の類なのか、それとも「そこでなら勝負できる、勝てる」という職業作家としての確信めいた作戦なのか、それは想像するしかありません。しかし、麻耶さんの覚悟は見てとれます。「美味い刺身を食わせてやるから、船に乗れ」と読者に要求し、作家とともに洋上に出た奇特な読者にだけ、彼らが求める極上の刺身を提供してきたのでしょう。そこには、信じられないような釣りテクと包丁さばきがあったのでしょう。これも、今回のドラマで麻耶さんに初めて出会った私には、想像するしかありません。  しかし、テレビドラマという市場を通したら、どうしたって客層は広がりますし、素材の鮮度も落ちてしまいます。そこでフジテレビには、保存や調理の技術が求められます。「ストイックな推理劇」という素材の味を殺さないまま、テレビ向けに料理しなければならなくなったのです。  私はずっとここで、主にこの「フジテレビの調理技術」に対して、惜しみない賞賛を書き連ねてきました。過剰にポップな演出も、登場人物を増やしてオリジナルで追加された事件の概要と推理も、決して本筋をジャマするものではありませんでした。あくまでフジテレビは、素材の味を引き出しつつ、お子さまでも美味しく食べられる万人向けの料理として提供してきたと感じていました。  で、今回の第6話「解決編」を見終わった感触は、今までとは少し違います。  今回の事件では、テレビでオリジナルに追加された人物のバックグラウンドや個性、過去や未来といったキャラクターの連続性が、時間をかけて、実に感動的に描かれました。これは、今までにはなかったことです。事件の犯人や関係者は、その回が終わればキレイさっぱり印象を失って、解決にいたった爽快感だけが残る……『貴族探偵』は、そういう味わいのドラマだったのです。  料理の例をまだ続けるならば、今回は「フジテレビがカレーをぶかっけてきた」と感じたのです。別に不味いカレーじゃないし、むしろ高級な「帝国ホテルのカレー」っぽいカレーなんですが(食べたことはない)、明らかに『貴族探偵』はこの第6話で、「麻耶色のドラマ」から「フジテレビ色のドラマ」に舵を切ったと感じました。  思えば、なぜ1話完結で十分に楽しかったドラマを、中盤である5・6話で2話構成にしてきたのか。5話を見なければ6話はつまらないし、当然、視聴率は落ちる。視聴率を捨ててまで、あえて、なぜそうしたのか。  それはフジテレビが、この『貴族探偵』を単に原作モノの翻訳ドラマとして作るのではなく、あくまで「1クールの連続ドラマ」として成立させようとした結果なのだと思います。  第1話からイマジナリーな存在として示唆されてきた女探偵の師匠・喜多見切子(井川遥)が、今回初めて「すでに死んでいる」と明示されました。同時に、貴族探偵が彼女を「殺した」という過去もほのめかされた。  これは、原作に建て増しされた設定ではありません。原作そのものを底上げして、土台の部分に差し込まれたものです。少しずつ明らかにされてきたこの土台が、今回あらわになったことで、次回以降の『貴族探偵』は、これまでとは段違いに天井高の高い作品として描かれていくことになります。単話で楽しい『貴族探偵』が、最終話に向かって走り出すタイミングが、この5・6話だったということです。1話でも終われる事件を、2話分かけて解決すると同時に、最終回に向けて「床板を外すための時間」が必要だったということです。  単話でこれだけ楽しければ、最終回だけちょっと複雑な事件を持ってきて誰か殉職でもさせりゃ、それはそれでオッケーなドラマだったわけですが、フジテレビは「連続ドラマとしても面白くしてやる」という面倒な決意を、2時間使って宣言したわけです。  もちろん、今後の貴族探偵と女探偵をめぐる成り行きそのものも楽しみですが、フジテレビ制作陣の“クリエイターとしての戦い”というリアルなドラマとしても「こいつら、どこまでやる気なんだ」という期待に満ちた作品になってきました。この戦い、「どらまっ子」を名乗る者として、見守らないわけにはいきません。  いやー、「どこまでホメる気なんだ」って感じですね。ちょっと書いてて恥ずかしいよ。 (文=どらまっ子AKIちゃん)

フジ亀山社長の退任で『貴族探偵』嵐・相葉雅紀の“落ちこぼれイメージ”が増大中!?

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フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
 フジテレビの亀山千広社長の退任が、5月9日に内定した。視聴率低迷の責任を取らされた形だが、青天霹靂の人事に、局内にも動揺が走っているという。 「月9の存続が危ぶまれる中、亀山社長主導でキャスティングされていた10月クールの木村拓哉の主演が白紙となったといわれています。代わりの候補として、米倉涼子や篠原涼子、天海祐希らの名前が挙がっているようですね」(テレビ関係者)  亀山社長の事実上の“更迭”で、最も被害を被ったといわれているのが、現在放送中の月9ドラマ『貴族探偵』で主演する嵐の相葉雅紀だという。  初回視聴率こそ11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)だったが、2話以降は1ケタに転落。5月15日放送の第5話は、出産で休養していた加藤あいが久々に登場する話題性があったにもかかわらず、8.0%と自己ワーストを記録している。 「『貴族探偵』の爆死が、亀山社長退任の引き金になったといわれています。月9復活を掲げて、キャストと宣伝に金をかけまくってこの体たらくですから。実は、フジがオファーしたかったのは松本潤、もしくは二宮和也だったといいます。しかし、嵐を名実ともにポストSMAPにするには、相葉の人気の底上げが不可欠と考えたジャニーズがゴリ押しで相葉を入れ込んだ。昨年末のNHK紅白の司会を相葉が務めたもの同じ理由です。しかし、相葉が“ピンでは使えない”ことが、亀山社長の退任のニュースで余計に目立ってしまった形です」(業界関係者)  相葉=嵐の落ちこぼれ。世間には、そんなイメージがついてしまったようだ。

嵐・相葉雅紀『貴族探偵』初の“前後編”で不安も……? 「よくできた謎解き」の条件とは何か

嵐・相葉雅紀『貴族探偵』初の前後編で不安も……? 「よくできた謎解き」の条件とは何かの画像1
フジテレビ系『貴族探偵』公式サイトより
 さて、視聴率が低調にもかかわらずサイゾーにあるまじき絶賛コラムを書き続けてきた(過去記事参照)嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)ですが、第5話となった今回ばかりは手放しで賞賛するわけにはいきません。  なぜなら、これまでは単話完結で謎解きまでキッチリ見せてくれたので「お見事や! 超絶技巧や!」とウキウキで筆を走らせることができましたが、今回の第5話は、第6話と前後編の2話構成になっていて、まだ謎が解かれていないからです。5話では死体が3つ、密室の中に転がっているところまでしか描かれておらず、果たしてこれまでのように「お見事」な謎解きが見られるかどうかは、来週を待たなければなりません。  私は、このドラマの見どころを「謎解き」の一点突破だと思っていて、その「謎解き」がよくできているからこそ「なんかガチャついた演出とか相葉ちゃんのキャラも楽しくていいね」と思えるタイプの視聴者なので、謎が解かれていない今回は「相変わらず楽しくていいね」くらいの評価しかできないのです。もちろん、これまでの4話で、ある程度このドラマのスタッフを信頼しているので、次回にも期待はしていますが、正直、不安もないわけではないです。  では、「謎解きがよくできている」とは、どういうことなのか。今回はそんなことを考えてみたいと思います。  原作を読んでしまっているので、どうしても既読者の立場からしか話ができないのですが、今回の原典は『貴族探偵』(集英社文庫)に収録されている「春の声」という短編から引用されています。金持ちの爺さんが身寄りのない孫娘に婿を取ろうと、3人の婿候補を家に呼びつけるという設定です。で、その3人が離れの密室の中で死んでいて、「誰がどうやって殺したんだ」状態に。その真相を、貴族探偵が突き止めるわけです。  この「春の声」も、実に謎解きがよくできた話だと感じました。  まず、現場が密室であることが語られると、読者は「犯人が犯行後に密室を作ったのでは?」と疑います。これは、数多くのミステリー小説に触れてきたわけではない私たちのような一般読者でも、『コナン』とか『古畑』とかちょっとでも見てれば、そうなるところでしょう。  しかし、3人の死体を見てみると、それぞれどこか違和感がある。どうやら「ただ殺されたわけじゃない」っぽい感じだ。ここで作者は、3人の死体や現場の状況について、与えうる限りの情報を、登場人物を通じて読者に与えます。  そして読者は、あらゆる情報を提供されると、結果として「じゃあ誰も殺せないじゃん」と当惑することになります。密室だし、3人とも死んでるし、犯人がいないじゃないか、と。  しかし、私たち読者は、あらゆる情報を提供されたと思い込んでいるだけで、実は提供されていない情報や、読者が勝手に誤解している状況があります。それを作者が、探偵を通じて「ここが実はこうで、だからこれが真相です」と推理するわけです。その推理に納得できれば「よくできた謎解き」だし、納得できなければ「できの悪い謎解き」というわけです。  つまり、よくできた謎解きの条件は、第1にまず、読者が「すべての情報を与えられたのに真相がわからない」と思えるかどうかということになります。推理が始まる前に「なんかちょっと、あそこらへん説明不足なんじゃない?」という消化不良や、「なんか、あの死に方って普通に考えておかしくない?」という違和感が残れば、仮に推理として筋が通っていてもモヤモヤが残ることになります。  そして第2に、推理が「ここが実はこうだったのだ」と述べたときに、それを素直に「気付かなかった!」と驚けるかどうか。ヒントや伏線もなく、いきなり新情報がブッ込まれれば「わかるわけねーだろ!」となるし、あえて状況説明を曖昧にしていた(と読者が感じていた)付近に真相があれば「わざと説明してなかったじゃねーか卑怯だぞ!」となる。  事件の構造を組み立て、矛盾を潰し、情報の出し入れをコントロールするという極めて理知的でロジカルな作業をしながら、最終的に働きかけるのが「これなら納得できるでしょ」という読者の感覚的な部分だったりするところが、たぶん本格ミステリーと呼ばれるジャンルの面白さなんだと思うんです。麻耶雄嵩さんの小説というのは、その読者の感覚を「ロジカルに納得(=快感)に導く」ことに特化し、そこだけに全精力が注がれているように見える。だから、好みの問題はあれど「謎解きがよくできてる」ことだけは疑いようがないんです。  で、第5話。そうして精緻に組み上げた麻耶さんの「春の声」を、またまたフジテレビは大胆に脚色してきました。原作では3人だった婿候補を1人増やし、そこに忍成修吾というアクの強すぎる(ホメてます)役者を配置して、血を吐かせて生きたままダイイングメッセージを書かせるなど派手な立ち回りをさせた挙句、とりあえず放置している。  孫娘と幼なじみの青年執事を登場させ、現場となった密室への行き来に含みを持たせるとともに、婿候補を殺す動機を抱かせて、重要な容疑者候補に仕立て上げている。彼が左脚を引きずっているのも、カイザー・ソゼ世代である私たちの予断を誘います。  原作では完全な密室だった現場も、内側からチェーンがかかっているが、30センチくらい扉が開く、という少しゆるい密室になっています。  先ほどの例でいうところの「第1の条件」で、これだけの改変が行われている。第6話は、視聴者を「すべての情報を与えられたのに真相がわからない」と思わせる段階から始まります。まず、これを成功させることができるのか。  そして、女探偵が「ここが実はこうだったのだ」「これなら納得できるでしょ」と推理し、その推理に視聴者が納得したうえで、今度は貴族探偵が「それは違う」「ここが実はこうだったのだ」「これなら納得できるでしょ」に至ることになるわけです。そんな難しいこと、本当にできるのか。  別に原作通り作ったって面白いだろうに、こうした複雑なシナリオの改編・拡張を、オリジナルで構築することを、フジテレビの現場の人たちは選んだんです。実に誇り高き創作行為だと思いますよ。もはや、失敗してもいいよ、という気分にさえなってきました。  視聴率もますます下がってますし、なんか『新・週刊フジテレビ批評』(同)で、身内からよくわかんない批判を食らったりしていたみたいですが、そういうのの対応みたいな雑事は、まあプロデューサーとか偉い人に任せておけばいいんじゃないっすかね。面白いドラマを作るという目的の前では、そんなのは塵芥にすぎませんよ。 (文=どらまっ子AKIちゃん)