「ルールは破る」登山家・野口健が提唱する、避難所に“テント村”という選択肢

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撮影=尾藤能暢
 2016年4月14日に発生した熊本地震。短期間で2度も震度7の揺れに襲われたため、多くの家屋が倒壊。避難所には人々があふれ、車内泊による被災者の体調悪化が大きな問題となっていた。  そんな中、最も被害が大きかった益城町では、一風変わった避難所が運営されていたことをご存じだろうか? 登山家・野口健氏と、災害援助に対して非常に熱心で、被災した自治体からの要請を待たずに自発的に支援する「プッシュ型支援」を進めている岡山県総社市が共同運営した、過去最大規模のテント村だ。 「エベレストのベースキャンプを再現する」という発想のもとスタートした、このテント村の活動をまとめた『震災が起きた後で死なないために』(PHP新書)が、このたび上梓された。  11年の東日本大震災では寝袋支援を行い、15年のネパール大地震では「野口健 ヒマラヤ大震災基金」を設立、そして熊本地震ではテント村運営に取り組んだ野口氏が提唱する、新しい避難所のカタチとは――。 *** ――熊本地震から約1カ月半、益城町総合運動公園の陸上グラウンドにテント100張り、最大600人を収容できるテント村を開設されましたが、けっこうな規模ですよね。
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テント村の全景
野口 テント村は本震から10日目にできたんですが、最初は車中泊の方限定にしていたんですよ。でも、けっこう体育館からも移ってこられました。体育館の中って、仕切りもなくて雑魚寝で人目にさらされるから、ストレスになるじゃないですか。赤ちゃんが泣いたり、小さい子どもが走り回ったりすると、周りの人から舌打ちされるんですって。「表に出せよ」っていうのが聞こえてきたり。やっぱり、みんなが一番求めるものって、自分たちの空間なんですよね。それがないと、ストレスがすごくたまる。テントだったら、完全なプライベートルームですから。 ――みなさん、ほぼ全員が初めてのテント生活ですよね? そこに対する戸惑いはありませんでしたか? 野口 なかったと思いますね。車内よりも、体育館よりもいいって。とにかく、自分たちの空間がほしいって。よっぽど最初は苦戦するかなって思ってたんですが、みなさん自分なりに工夫されて。タープの中に、自宅から持ってきた勉強机や自転車を置いたり、洗濯物を干したりしていました。 ――ずらっときれいに並んだテントやタープを見る限り、快適そうですね。 野口 一番優秀だったのは、日本セイフティーさんの「ラップポン」という仮設トイレです。熱圧着によって排泄物が1回ごとに密封されるので、これをゴミ箱に捨てればいいだけ。ニオイも漏れません。最初にあった仮設トイレは和式で、本当に汚かったんです。誰が管理するか決まっていなかったようで、掃除もされていないし。今の小学生は洋式に慣れているし、お年寄りには和式はなかなかつらい。だから、みんなトイレに行きたがらない。1~2日ならいいけど、ずっとじゃないですか。テント村独自のトイレをなんとかしたいね、ってことで、ラップポンが5基と、あと洋式の仮設トイレを10基入れたんです。
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テントの中
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テントの前に設置されたタープスペースは、各家庭が趣向を凝らして活用していた
――そもそも最初は、テントを届ける物資援助を行う予定だったんですよね。 野口 はい。でも、テントを届けても、果たしてみんな生活できるのかな、という懸念があったんです。テントって、みんなバラバラに薄暗いところに張ると無防備だし、配るだけじゃダメだなと。そんな中、僕が環境観光大使を務め、旧知の仲である岡山県総社市の片岡(総一)市長から「テント村やりましょう!」とご提案いただいて、それで、「エベレストのベースキャンプか」と。エベレストのベースキャンプって、本当にこういう感じなんですよ。だいたい1カ月~1カ月半、長期間滞在するので、いかに快適に生活できるかっていうのを考えて僕らはベースキャンプを作るんです。それを再現すれば、いけるかと。 ――とはいえ、物資援助とテント村運営では、責任の重さも違います。 野口 そうですね。でも、こういう緊急時は、早くやらないと意味がない。同時にテントメーカー(コールマンジャパン)にテントを発注して。そのテントが届くまでの間に、総社市の職員が場所探しをしてくれて、「益城町総合運動公園の陸上グラウンドが使えるよ」と。だから、すべてが同時進行。総社市は行政との交渉、僕らは物資。やるぞ、と決めたのは震災4日目。注文して3日目にテントが届いて、いったん総社市にトラックで送って積み替えて。震災直後って、行政の車しか入れないですからね。5~6日くらいで準備は整いました。 ――実際のテント村運営は、スムーズにいきましたか? 野口 いろいろと壁にぶつかりましたね。テント村って前例がないし、みんなイメージが湧かない。そうすると、グラウンドの指定管理者(公的な施設の管理・運営を自治体に代わって行っている民間団体)から、テントで大丈夫かと。「熱中症は?」「死角で女性が暴行されたらどうするんだ?」とか、デメリットの部分ばかりがフィーチャーされて。あとは「公平性をどうするのか?」ということ。この公平性っていうのが、いろいろと厄介で。「車中泊は何人いるのか把握できていますか?」「すべての人が入れないなら、公平性に反するので、やるべきではないんじゃないか」とか。でも結局、避難所に入れないから車中泊しているわけで、「助けられるところからやりましょうよ」って。 ――東日本大震災でも、公平性が邪魔をして、うまく救援物資が届けられなかったという話を聞きました。 野口 いろいろな人が、トラックで救援物資を持ってくるじゃないですか。でも、避難所の場合は、500人いたら500個ないとダメなんですよ。みんなに同じものを配らなければならない。バカバカしいけど、頑なにそうなんです。だから、せっかく遠路はるばる運んできても、避難所に拒否されるトラックがたくさんあって。テント村では、すべて「ありがとうございます」って受け取っていたので、ちょっとした市場状態でした。僕がマイクで「救援物資が届きました」ってアナウンスすると、みんなが集まってくる。そうすると、体育館から行政関係者が飛んでくるんですよ。「全員分ありますか?」って。「いや、ないですね。でもうち、早いもん勝ちなんで」って言うと、「ありえません!」って(苦笑)。でも、みんながみんな同じものが必要かといえば、そうではないですからね。
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――とはいえ、テント村も体育館の指定管理者の管轄下にあったわけで、ルールには従わないといけないですよね? 野口 それはそうなんですけど……そうも言ってられない。そういう意味では、彼らとの対立は絶えずありましたね。「早く出てけ」とか言われてました。 ――1カ月半、ずっと? 野口 ほぼですね。最後の最後で、彼らも態度を軟化させてくれましたけどね。大変でした。たとえば、タープは許可は出なかったんです。最初テントだけだったんですが、日陰がないから日中は暑くて、熱中症になってしまう。でもタープがあれば、メッシュなので風が通るし、その分、スペースもできる。なぜ彼らが許可を出さなかったかといえば、「風でタープが飛んで車にぶつかって傷がついたらどうするんですか?」って。そんなの知りませんよ! それはそのとき考えますよ。でも、そういうことを大真面目に言ってくるんですよ。悔しいから土木業者の方に来てもらって鉄筋とか打ちまくって、絶対飛ばないようにしました。ドリルで穴開けまくってビス打って、土のう置いて、絶対飛ばないようにしました。グラウンドは亀裂だらけでしたから。人工芝の下はコンクリなんで、ペグは入らないんですよ。 ――すごい執念ですね(笑)。 野口 いま振り返ってみると、指定管理者の彼らも、総社市っていう馴染みのない自治体と訳のわからない登山家が来て、600人の命を預かるなんて、本当にできるのか? って疑心暗鬼だったと思いますよ。だから益城町の町長が許可しても、彼らが体を張って阻止しようとしたのはわからなくもない。けれども、そういう状況じゃないですからね。だって、車中泊よりはテントのほうがいいし。こういうときって、リスクばかり考えていたら何もできないし、体育館の中だってぐちゃぐちゃになっている。やらなきゃならない状況だったんです。ただこれができたのも、総社市との連携ですよね。僕だけじゃ、できなかった。 ――片岡市長の判断力、行動力には、目を見張るものがありますよね。 野口 いい意味で、ケンカもできるしね(笑)。片岡市長が「やれ」と言ったら、職員はそれに従う。指定管理者からいろいろ言われたときに、片岡市長に電話で「公平性がどうのこうのって問題になってます」って話したら、「野口さん、行政っていうのは、みんなそう言うんです。でも、こういう有事のときはそんなの関係ない。私は自分の職員に対しては『有事のときはルールを無視しろ』『破れ』と言っているからね」と。「ルール破りましょう」って言うから、「そうしましょう」って。だから、益城町からしたら、とんでもないやつらですよ。 ――テント村は100点満点中何点くらいですか? 野口 うーん、走りながらすべて同時進行で作ったからね。たとえば「来年テント村やります」っていうなら、今から準備したら、もっといいものができる。震災が起きてからイチから始めたんでね、それを考えると100点満点かな。最初はもちろん違いますよ。テントしかなかったし、もっとよくしようって、タープを入れたり、ラップポンを置いたり、JTさんの協力で喫煙所を設けたり、徐々に徐々に。最終的には、やれることは全部やった。ただ今回、災害が起きてからでは遅い、ということを痛感しました。先日、総社市と僕が代表を務めるNPOで「大規模災害時における支援に関する協定」を結んだんですけど、これは災害に備えて先に準備するためなんですよ。総社市には「大規模災害被災地支援に関する条例」というのがあって、日本国内で大規模な災害が起きた際は、市長の権限において即座に支援を行うことができる。そのための費用として、年間1,000万円の予算もつけているんです。そこに僕も「テント村班」としてセットになったわけです。そうすることで、テント村も、次に災害が起きてからやるんじゃなくて、もっとクオリティの高いものを準備できるんじゃないかと。 ――次にテント村をやるなら、これを付け加える、というものはありますか? 野口 いろいろありますが、まず、大型テントですね。東京ドームを作っている業者さんが来てくれて、本当はテント村があるグラウンドの5分の1くらいを覆う巨大テントを作る予定だったんですよ。それがあれば、暑いときは涼しいし、卓球台を置いたり、ヨガの先生や床屋さんに来てもらったりできる。でもやっぱり、指定管理者が許可しなかった。僕らだったら勝手にやっちゃうけど、彼らは会社として来ているので、断念せざるを得なかったんです。  あと、食堂テントもあるといいですね。食事は3食、コンビニチェーンが提供してくれていたんですけど、だんだんみんな食べなくなるんですよ。(指定管理者から)炊き出しはダメと言われていたけど、僕らは「ルールは破る」ってことで統一してましたから(笑)、テント村の人たちは、タープの中だけは自炊OKとしたんです。東北の場合は、街によっては大半が失われましたよね? でも、益城町はピンポイントで被害が出てるけど、車で15分も行けば、普通にスーパーもコンビニも、ファミレスもやっている。住宅街は大変なことになっているけど、会社は市外にあるから、みんなテント村から出勤するわけです。夕方、帰りにスーパーで買い物して、コンロで自炊してましたね。やっぱり自炊って大事なんですよ。みんな温かいものを食べたいし、なんでもかんでも提供してもらっていると、生活のリズムが作れなくなるんです。  それと、医療系は充実していたんですが、精神科医が抜けていた。テント村って、体育館とかと比べると明るい雰囲気だったんですけど、そうはいってもみんな家を失っているし、不安はある。それが抜けていた。精神科医的なケアって、素人が中途半端にやるもんじゃないですからね。
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エベレストのベースキャンプの様子
――本書の中では、「避難所の質」について繰り返し言及されていますが、その原点となっているのが、エベレストのベースキャンプだそうですね。 野口 どちらも「生きのびる」ことをテーマにした場所ですから。エベレスト登山っていうのは、ベースキャンプから一気に登頂を目指すわけではなく、その上に、キャンプ1、キャンプ2、キャンプ3、キャンプ4とハイキャンプを設け、徐々に体を慣らしていくんです。上に行くと酸素が薄くて頭痛や吐き気が続いてバテるから、定期的にベースキャンプに戻ってきて4~5日ゆっくり休んでまた上がっていくということを繰り返すんです。そのためには、心身ともにリラックスできる場所でなければならない。災害の避難所というのも、家族や家を失った人たちが命からがら集まっている。だから、僕はテント村を安心できる空間にしたかったんです。 ――特に日本人の場合、「我慢するのが当たり前」という風潮がありますよね。 野口 我慢や美徳は、時に人を追い詰めてしまいますからね。環境の劣悪さに目をつむり「避難所とはそういうものだ」というみんなの思い込みを、なんとか打破したいなと。もちろん、テント村がすべてだとは思っていませんし、高齢者や持病がある人にはエアコンが完備された体育館のほうがいい。いろいろな選択肢があったほうがいいと思うんです。 ――現在、野口さんは、自治体などに向けた災害時の避難所のあり方について提言する活動に力を入れているとのことですが、反応はいかがですか? 野口 いろいろな首長さんに会うと「それは面白いな、うちでもやってみたい」って言ってくれる。だから、やっぱり体験するかしないかなと。たとえば東京は、大きな公園がたくさんある。だから、秋くらいに、都と共催でテント村お試し体験を、代々木公園とかでできたらいいなと思っています。  また南海トラフでは、東北の何倍もの被害が予想されていますから、そのエリアの自治体は今すごくシビアで、いろいろなイベントを積極的にやっている。そういうところとうまく連携できればいいなと。とにかく、いろいろな場所にミニテント村を作って、体験してもらうしかないですからね。 ――海外では、テント村はわりと普通なんですよね? 野口 欧米人って、本当にキャンプが好きなんですよね。だから、だいたいみんなテントを持っている。地震が多いイタリアなんて、避難所はほとんどテント村なんですよ。日本人は一部の人しかキャンプしないし、なかなか伝わらないんですよ。でも、アウトドア経験っていうのは、最強の防災術になる。だから、日ごろからもっとアウトドアライフに親しんでほしいですね。 ――登山家である野口さんが、ここまで災害支援活動に力を入れる理由はなんなんでしょうか? 野口 なんですかね。大変なんですよ、始まっちゃうと。でも、大変なだけでもないんですよ。いろいろな発見があるというか。 ――楽しいんですか? 野口 そう、楽しいんですよ。小さな街づくりみたいなもんで。みんなが生活しやすいように、テント村内だけの決まりごとを作ったり、ラップポンがくれば女性の表情がパッと明るくなって、「トイレひとつで、こんなに変わるのか」って。これはこれで発見じゃないですか。こいのぼりとか風鈴置いたら、子どもが喜ぶし。それが楽しい。しんどいだけじゃ、嫌になっちゃいますよ。  みんな好きで避難所に来ているわけではないし、嫌でもここで生活しなければならない。そうすると、ここでの生活を楽しむしかないんですよ。だから、前向きになれるような空間、雰囲気ってなんなのかっていうのが最大のテーマでした。やっぱり活動って、面白くなきゃ続かないんですよ。 (取材・文=編集部) ●のぐち・けん 1973年、アメリカ・ボストン生まれ。アルピニスト。亜細亜大学卒業。99年、エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰最年少登頂記録(当時)を25歳で樹立。以降、エベレストや富士山で清掃登山を開始。野口健 環境学校など、子どもたちへの環境教育や、日本兵の遺骨収集活動にも取り組む。

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撮影=尾藤能暢
 2016年4月14日に発生した熊本地震。短期間で2度も震度7の揺れに襲われたため、多くの家屋が倒壊。避難所には人々があふれ、車内泊による被災者の体調悪化が大きな問題となっていた。  そんな中、最も被害が大きかった益城町では、一風変わった避難所が運営されていたことをご存じだろうか? 登山家・野口健氏と、災害援助に対して非常に熱心で、被災した自治体からの要請を待たずに自発的に支援する「プッシュ型支援」を進めている岡山県総社市が共同運営した、過去最大規模のテント村だ。 「エベレストのベースキャンプを再現する」という発想のもとスタートした、このテント村の活動をまとめた『震災が起きた後で死なないために』(PHP新書)が、このたび上梓された。  11年の東日本大震災では寝袋支援を行い、15年のネパール大地震では「野口健 ヒマラヤ大震災基金」を設立、そして熊本地震ではテント村運営に取り組んだ野口氏が提唱する、新しい避難所のカタチとは――。 *** ――熊本地震から約1カ月半、益城町総合運動公園の陸上グラウンドにテント100張り、最大600人を収容できるテント村を開設されましたが、けっこうな規模ですよね。
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テント村の全景
野口 テント村は本震から10日目にできたんですが、最初は車中泊の方限定にしていたんですよ。でも、けっこう体育館からも移ってこられました。体育館の中って、仕切りもなくて雑魚寝で人目にさらされるから、ストレスになるじゃないですか。赤ちゃんが泣いたり、小さい子どもが走り回ったりすると、周りの人から舌打ちされるんですって。「表に出せよ」っていうのが聞こえてきたり。やっぱり、みんなが一番求めるものって、自分たちの空間なんですよね。それがないと、ストレスがすごくたまる。テントだったら、完全なプライベートルームですから。 ――みなさん、ほぼ全員が初めてのテント生活ですよね? そこに対する戸惑いはありませんでしたか? 野口 なかったと思いますね。車内よりも、体育館よりもいいって。とにかく、自分たちの空間がほしいって。よっぽど最初は苦戦するかなって思ってたんですが、みなさん自分なりに工夫されて。タープの中に、自宅から持ってきた勉強机や自転車を置いたり、洗濯物を干したりしていました。 ――ずらっときれいに並んだテントやタープを見る限り、快適そうですね。 野口 一番優秀だったのは、日本セイフティーさんの「ラップポン」という仮設トイレです。熱圧着によって排泄物が1回ごとに密封されるので、これをゴミ箱に捨てればいいだけ。ニオイも漏れません。最初にあった仮設トイレは和式で、本当に汚かったんです。誰が管理するか決まっていなかったようで、掃除もされていないし。今の小学生は洋式に慣れているし、お年寄りには和式はなかなかつらい。だから、みんなトイレに行きたがらない。1~2日ならいいけど、ずっとじゃないですか。テント村独自のトイレをなんとかしたいね、ってことで、ラップポンが5基と、あと洋式の仮設トイレを10基入れたんです。
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テントの中。
「ルールは破る」登山家・野口健が提唱する、避難所に「テント村」という選択肢の画像4
テントの前に設置されたタープスペースは、各家庭が趣向を凝らして活用していた
――そもそも最初は、テントを届ける物資援助を行う予定だったんですよね。 野口 はい。でも、テントを届けても、果たしてみんな生活できるのかな、という懸念があったんです。テントって、みんなバラバラに薄暗いところに張ると無防備だし、配るだけじゃダメだなと。そんな中、僕が環境観光大使を務め、旧知の仲である岡山県総社市の片岡(総一)市長から「テント村やりましょう!」とご提案いただいて、それで、「エベレストのベースキャンプか」と。エベレストのベースキャンプって、本当にこういう感じなんですよ。だいたい1カ月~1カ月半、長期間滞在するので、いかに快適に生活できるかっていうのを考えて僕らはベースキャンプを作るんです。それを再現すれば、いけるかと。 ――とはいえ、物資援助とテント村運営では、責任の重さも違います。 野口 そうですね。でも、こういう緊急時は、早くやらないと意味がない。同時にテントメーカー(コールマンジャパン)にテントを発注して。そのテントが届くまでの間に、総社市の職員が場所探しをしてくれて、「益城町総合運動公園の陸上グラウンドが使えるよ」と。だから、すべてが同時進行。総社市は行政との交渉、僕らは物資。やるぞ、と決めたのは震災4日目。注文して3日目にテントが届いて、いったん総社市にトラックで送って積み替えて。震災直後って、行政の車しか入れないですからね。5~6日くらいで準備は整いました。 ――実際のテント村運営は、スムーズにいきましたか? 野口 いろいろと壁にぶつかりましたね。テント村って前例がないし、みんなイメージが湧かない。そうすると、グラウンドの指定管理者(公的な施設の管理・運営を自治体に代わって行っている民間団体)から、テントで大丈夫かと。「熱中症は?」「死角で女性が暴行されたらどうするんだ?」とか、デメリットの部分ばかりがフィーチャーされて。あとは「公平性をどうするのか?」ということ。この公平性っていうのが、いろいろと厄介で。「車中泊は何人いるのか把握できていますか?」「すべての人が入れないなら、公平性に反するので、やるべきではないんじゃないか」とか。でも結局、避難所に入れないから車中泊しているわけで、「助けられるところからやりましょうよ」って。 ――東日本大震災でも、公平性が邪魔をして、うまく救援物資が届けられなかったという話を聞きました。 野口 いろいろな人が、トラックで救援物資を持ってくるじゃないですか。でも、避難所の場合は、500人いたら500個ないとダメなんですよ。みんなに同じものを配らなければならない。バカバカしいけど、頑なにそうなんです。だから、せっかく遠路はるばる運んできても、避難所に拒否されるトラックがたくさんあって。テント村では、すべて「ありがとうございます」って受け取っていたので、ちょっとした市場状態でした。僕がマイクで「救援物資が届きました」ってアナウンスすると、みんなテントからぞろぞろやってくる。そうすると、体育館から指定管理者が飛んでくるんですよ。「全員分ありますか?」って。「いや、ないですね。でもうち、早いもん勝ちなんで」って言うと、「ありえません!」って(苦笑)。でも、みんながみんな同じものが必要かといえば、そうではないですからね。
「ルールは破る」登山家・野口健が提唱する、避難所に「テント村」という選択肢の画像5
――とはいえ、テント村も体育館の指定管理者の管轄下にあったわけで、ルールには従わないといけないですよね? 野口 それはそうなんですけど……そうも言ってられない。そういう意味では、彼らとの対立は絶えずありましたね。「早く出てけ」とか言われてました(苦笑)。 ――1カ月半、ずっと? 野口 ほぼですね。最後の最後で、彼らも態度を軟化させてくれましたけどね。大変でした。たとえば、タープは許可は出なかったんです。最初テントだけだったんですが、日陰がないから日中は暑くて、熱中症になってしまう。でもタープがあれば、メッシュなので風が通るし、その分、スペースもできる。なぜ彼らが許可を出さなかったかといえば、「風でタープが飛んで車にぶつかって傷がついたらどうするんですか?」って。そんなの知りませんよ! それはそのとき考えますよ。でも、そういうことを大真面目に言ってくるんですよ。悔しいから土木業者の方に来てもらって鉄筋とか打ちまくって、絶対飛ばないようにしました。ドリルで穴開けまくってビス打って、土のう置いて、絶対飛ばないようにしました。グラウンドは亀裂だらけでしたから。人工芝の下はコンクリなんで、ペグは入らないんですよ。 ――すごい執念ですね(笑)。 野口 いま振り返ってみると、指定管理者の彼らも、総社市っていう聞いたこともない自治体と訳のわからない登山家が来て、600人の命を預かるなんて、本当にできるのか? って疑心暗鬼だったと思いますよ。だから益城町の町長が許可しても、彼らが体を張って阻止しようとしたのはわからなくもない。けれども、そういう状況じゃないですからね。だって、車中泊よりはテントのほうがいいし。こういうときって、リスクばかり考えていたら何もできないし、体育館の中だってぐちゃぐちゃになっている。やらなきゃならない状況だったんです。ただこれができたのも、総社市との連携ですよね。僕だけじゃ、できなかった。 ――片岡市長の判断力、行動力には、目を見張るものがありますよね。 野口 ほかの行政とケンカもできるしね(笑)。片岡市長が「やれ」と言ったら、職員はそれに従う。指定管理者からいろいろ言われたときに、片岡市長に電話で「公平性がどうのこうのって問題になってます」って話したら、「野口さん、行政っていうのは、みんなそう言うんです。でも、こういう有事のときはそんなの関係ない。私は自分の職員に対しては『有事のときはルールを無視しろ』『破れ』と言っているからね」と。「ルール破りましょう」って言うから、「そうしましょう」って。だから、益城町からしたら、とんでもないやつらですよ。 ――テント村は100点満点中何点くらいですか? 野口 うーん、走りながらすべて同時進行で作ったからね。たとえば「来年テント村やります」っていうなら、今から準備したら、もっといいものができる。震災が起きてからイチから始めたんでね、それを考えると100点満点かな。最初はもちろん違いますよ。テントしかなかったし、もっとよくしようって、タープを入れたり、ラップポンを置いたり、JTさんの協力で喫煙所を設けたり、徐々に徐々に。最終的には、やれることは全部やった。ただ今回、災害が起きてからでは遅い、ということを痛感しました。先日、総社市と僕が代表を務めるNPOで「大規模災害時における支援に関する協定」を結んだんですけど、これは災害に備えて先に準備するためなんですよ。総社市には「大規模災害被災地支援に関する条例」というのがあって、日本国内で大規模な災害が起きた際は、市長の権限において即座に支援を行うことができる。そのための費用として、年間1,000万円の予算もつけているんです。そこに僕も「テント村班」としてセットになったわけです。そうすることで、テント村も、次に災害が起きてからやるんじゃなくて、もっとクオリティの高いものを準備できるんじゃないかと。 ――次にテント村をやるなら、これを付け加える、というものはありますか? 野口 いろいろありますが、まず、大型テントですね。東京ドームを作っている業者さんが来てくれて、本当はテント村があるグラウンドの5分の1くらいを覆う巨大テントを作る予定だったんですよ。それがあれば、暑いときは涼しいし、卓球台を置いたり、ヨガの先生や床屋さんに来てもらったりできる。でもやっぱり、指定管理者が許可しなかった。僕らだったら勝手にやっちゃうけど、彼らは会社として来ているので、断念せざるを得なかったんです。  あと、食堂テントもあるといいですね。食事は3食、コンビニチェーンが提供してくれていたんですけど、だんだんみんな食べなくなるんですよ。(指定管理者から)炊き出しはダメと言われていたけど、僕らは「ルールは破る」ってことで統一してましたから(笑)、テント村の人たちは、タープの中だけは自炊OKとしたんです。東北の場合は、街ごと消えたじゃないですか? でも、益城町はピンポイントで被害が出てるけど、車で15分も行けば、普通にスーパーもコンビニも、ファミレスもやっている。住宅街は大変なことになっているけど、会社は市外にあるから、みんなテント村から出勤するわけです。夕方、帰りにスーパーで買い物して、コンロで自炊してましたね。やっぱり自炊って大事なんですよ。みんな温かいものを食べたいし、なんでもかんでも提供してもらっていると、生活のリズムが作れなくなるんです。  それと、医療系は充実していたんですが、精神科医が抜けていた。テント村って、体育館とかと比べると明るい雰囲気だったんですけど、そうはいってもみんな家を失っているし、不安はある。それが抜けていた。精神科医的なケアって、素人が中途半端にやるもんじゃないですからね。
「ルールは破る」登山家・野口健が提唱する、避難所に「テント村」という選択肢の画像6
エベレストのベースキャンプの様子
――本書の中では、「避難所の質」について繰り返し言及されていますが、その原点となっているのが、エベレストのベースキャンプだそうですね。 野口 どちらも「生きのびる」ことをテーマにした場所ですから。エベレスト登山っていうのは、ベースキャンプから一気に登頂を目指すわけではなく、その上に、キャンプ1、キャンプ2、キャンプ3、キャンプ4とハイキャンプを設け、徐々に体を慣らしていくんです。上に行くと酸素が薄くて頭痛や吐き気が続いてバテるから、定期的にベースキャンプに戻ってきて4~5日ゆっくり休んでまた上がっていくということを繰り返すんです。そのためには、心身ともにリラックスできる場所でなければならない。災害の避難所というのも、家族や家を失った人たちが命からがら集まっている。だから、僕はテント村を安心できる空間にしたかったんです。 ――特に日本人の場合、「我慢するのが当たり前」という風潮がありますよね。 野口 我慢や美徳は、時に人を追い詰めてしまいますからね。環境の劣悪さに目をつむり「避難所とはそういうものだ」というみんなの思い込みを、なんとか打破したいなと。もちろん、テント村がすべてだとは思っていませんし、高齢者や持病がある人にはエアコンが完備された体育館のほうがいい。いろいろな選択肢があったほうがいいと思うんです。 ――現在、野口さんは、自治体などに向けた災害時の避難所のあり方について提言する活動に力を入れているとのことですが、反応はいかがですか? 野口 いろいろな首長さんに会うと「それは面白いな、うちでもやってみたい」って言ってくれる。だから、やっぱり体験するかしないかなと。たとえば東京は、大きな公園がたくさんある。だから、秋くらいに、都と共催でテント村お試し体験を、代々木公園とかでできたらいいなと思っています。  また南海トラフでは、東北の何倍もの被害が予想されていますから、そのエリアの自治体は今すごくシビアで、いろいろなイベントを積極的にやっている。そういうところとうまく連携できればいいなと。とにかく、いろいろな場所にミニテント村を作って、体験してもらうしかないですからね。 ――海外では、テント村はわりと普通なんですよね? 野口 欧米人って、本当にキャンプが好きなんですよね。だから、だいたいみんなテントを持っている。地震が多いイタリアなんて、避難所はほとんどテント村なんですよ。日本人は一部の人しかキャンプしないし、なかなか伝わらないんですよ。でも、アウトドア経験っていうのは、最強の防災術になる。だから、日ごろからもっとアウトドアライフに親しんでほしいですね。 ――登山家である野口さんが、ここまで災害支援活動に力を入れる理由はなんなんでしょうか? 野口 なんですかね。大変なんですよ、始まっちゃうと。でも、大変なだけでもないんですよ。いろいろな発見があるというか。 ――楽しいんですか? 野口 そう、楽しいんですよ。小さな街づくりみたいなもんで。みんなが生活しやすいように、テント村内だけの決まりごとを作ったり、ラップポンがくれば女性の表情がパッと明るくなって、「トイレひとつで、こんなに変わるのか」って。これはこれで発見じゃないですか。こいのぼりとか風鈴置いたら、子どもが喜ぶし。それが楽しい。しんどいだけじゃ、嫌になっちゃいますよ。  みんな好きで避難所に来ているわけではないし、嫌でもここで生活しなければならない。そうすると、ここでの生活を楽しむしかないんですよ。だから、前向きになれるような空間、雰囲気ってなんなのかっていうのが最大のテーマでした。やっぱり活動って、面白くなきゃ続かないんですよ。 (取材・文=編集部) ●のぐち・けん 1973年、アメリカ・ボストン生まれ。アルピニスト。亜細亜大学卒業。99年、エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰最年少登頂記録(当時)を25歳で樹立。以降、エベレストや富士山で清掃登山を開始。野口健 環境学校など、子どもたちへの環境教育や、日本兵の遺骨収集活動にも取り組む。

熊本地震で浮き彫りとなった、ペット「同行避難」と「同伴避難」のあいまいさ

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イメージ画像(Thinkstockより)
ペット業界を知り尽くしたライターが業界の内側に迫る、短期集中連載。  報道番組で自然災害のニュースが流れるたび、ペットの救助シーンや避難所での様子が報じられるようになりました。ペットが “かけがえのない命”として認識され、災害時になされた「ペットも一緒に避難しましょう」という呼びかけの賜物だと思います。  1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災をきっかけに、災害時にペットと一緒に避難する対策を講じるための組織づくりが検討され、96年「全国緊急災害時動物救援本部」(どうぶつ救援本部)が公益4団体により組織されました。以降発生した自然災害時には、災害地域の自治体より依頼を受け、フードなどの支援、避難時のペット一時預かり施設の設置、迷子動物の保護と治療、里親募集など、被災飼い主に対する支援を主体的に行い、2011年3月11日の東日本大震災でも発生から約1カ月後、支援を開始しました。  まだ進行形ではありますが、16年4月14日に発生した熊本地震では、新体制となったペット災害対策推進協会が、現地動物救護本部の設置を見越し、いち早く募金活動を開始。後方支援を始めました。その後、同28日付で熊本地震ペット救護本部(構成団体:熊本県、熊本市、熊本県獣医師会)が設置され、災害地域での飼い主支援を進めています。  しかし、被災地ではいまだ復旧が進んでおらず、当初ペットの同伴が可能だった公共の避難所でも、ペットの受け入れを一切行わない事態となっています。一部の避難所では、敷地内に飼育施設を作り、飼い主はその施設内でペットの面倒を見ていますが、ペット連れの被災者の多くはいまだ車中泊や、NGOなどが運営するペット同伴可の施設で避難生活を送っています。  この時期になってようやく仮設住宅も建設され、入居者の募集を開始していますが、ペット同伴可かどうか不明な場所も少なくあいません。自治体でペットの一時預かりを行う活動も進めているようですが、収容数が多くなりすぎて、地域を超えた引き取りによってその数を減らさざるを得ない状況となっているようです。  いったいなぜ、このような事態となっているのでしょうか?  各都道府県では、地域防災計画により、災害時のペットに対する措置について地域の獣医師会と協定を結んでいる自治体が多いのですが、協定の内容にはペットの一時預かりと応急処置などの項目はあるものの、避難所にペットと一緒に避難するために必要な項目(ペット飼養施設の設置・同伴できる部屋割りの方法・同伴の基準など)はありません。避難所は、その施設の長(例えば、学校であれば校長)にどこまで受け入れるかの権限があるのが実情です。緊急時に多くの判断を強いられる立場ですので、その判断は優先させるべきものと理解できます。そもそも人間の避難所に動物を連れ込むことの是非は、いまだに決着していない争点です。  熊本地震では、ペットとの「同行避難」と「同伴避難」という2つの言葉の曖昧さが浮き彫りになりました。国として推奨しているのは同行避難。これは、災害時にはペットを連れて、一緒に避難しましょうというもの。しかし、被災した飼い主が期待しているのは同伴避難(同じ部屋や施設で、ペットと一緒に避難生活を行うこと)です。家族であるペットの命を安全に保護できない限り、被災者は安心して避難生活を送れないのです。  実は今回、自治体に「すべての避難所でペットを受け入れない」という判断をさせた原因があります。それは、自己中心的な動物愛護団体を名乗る人間からのクレームでした。こともあろうに、地震発生後、被災者の救護・復旧活動で混乱している自治体に電話をかけ、執拗に全避難所でペットの同伴を受け入れるよう訴えてきたのです。前述のように、緊急時、避難所での受け入れ範囲は、施設の長が決定します。初動では地域で避難者の状況を判断し、ペット同伴を認めていた施設もありましたが、クレームを受けた自治体の長には、全施設受け入れの命令を出す権限はありませんので、時間と労力を被災者対応に使うため、全避難所でのペットの受け入れを断るという判断をせざるを得なかったようです。このクレームがなかったなら、同伴を続けることができた避難所もあったのですが、状況を顧みない自分勝手な行動が、保護するべき動物たちに残念な結果をもたらしたのです。  いまや、犬猫の飼育率は4世帯に1頭となっています。災害時にペットをどう守るかの問題は、災害が起こるたびに議論されています。災害現場での“かけがえのない命”の存在は、行政や政治家も無視できない存在となりました。そろそろ共通の認識として、災害時のペット同伴避難、避難所での動物の扱い、支援受け入れの時期と方法、などは自治体の災害マニュアルに盛り込むべきです。  また飼い主は、ペットに対する最低限のしつけや健康管理は必須なことはもちろん、支援を行う団体も自治体やほかの団体と連携できるよう、お互いの価値観をすり合わせておく必要があります。多くの災害を経験し、すでにその準備期間は十分なはずです。 (文=成田司) ●なりた・つかさ ペットビジネスライター。動物福祉の発想に基づく日本版ティアハイム設立を目指す「Giraf Project」を主宰。共著に『ペット市場の現状と展望2013-2014』(JPR)がある。

被災地・熊本でのさばる“悪質”土地転がし業者……その正体は「半グレ」だった!

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イメージ画像(「Thinkstock」より)
 大地震に見舞われた熊本県の地価下落が懸念されている。被災者からは「2~3割ぐらい下がるのではないか」という不安の声が聞かれるが、現地の不動産業者によると「これから地盤の安定した地域に移転する人が増え、そこは逆に上昇しますから、県全体で考えれば大きく下がることはない」という。  実際、先の東日本大震災でもそういった現象は確認されている。 「もちろん被災者の中には資産価値が目減りする方もいるでしょうが、福島県のような原発事故の影響がなく、阪神淡路のときのような都市圏でもないので、変動は緩やか。長期的に見れば、大きな不安を抱える必要はないと思います」(同)  そもそも熊本県の公示地価は3月に19年ぶりの上昇が伝えられたばかりだが、都市圏以外の市町では下落傾向にあった。「なので、少々の下げ幅は想定内」と業者。  それでも県民の中には「もう生活拠点にはしたくない」と、できるだけ早く土地を手放したいと考える人もおり、業者によると「熊本県在住の女性タレントが、商業施設を建てる計画で持っていた土地を売却しようとしている」という。  そんな中、弱った被災者に襲いかかるのが、悪質な土地転がし。実際には大きな土地の下落はないのだが、ウソの査定で安く買い叩こうとする者が出没しているという。それがなんと「半グレ」と呼ばれる不良グループが主体となっているというから驚く。  地元のアウトロー事情に詳しい県内出身のフリーライターによると「福岡を中心とした九州は、首都圏に比べて暴力団の勢力が強いので、六本木のように半グレの一大勢力になるということはないけど、暴力団傘下には入らないアウトロー集団が生まれる傾向があり、ヤクザの縄張りを荒らさない程度の詐欺商法が横行しつつある」という。 「中には東京や大阪から出てきて、土地を二束三文で買いあさろうとしている者もいるけど、実際に被害に遭いそうになった人の話では『数百万円を上乗せしてくれれば、もっと良い土地と交換できる』という原野商法のようなものだったとか。大掛かりな話だから、不良グループがやる詐欺にしては効率が悪そうだけど、2012年に六本木のクラブで起きた襲撃事件で関東連合が準暴力団認定を受けてから、半グレ組織のメンバーらは全国に散らばって生き残りに必死。これには警察だけでなく、地元ヤクザも警戒を強めていて、組織間で情報交換がされている」(同)  昨年、NHKでは「東日本大震災の被災者のために大規模な集合住宅が計画されている土地がある。あなたの土地と交換しないか」と誘う詐欺商法が報じられたことがあったが、こうしたグループが新たな被災地にも出向く可能性は高い。  今のところ熊本県内で実際に被害報告はないからか、熊本県警に取材したところ「まだ掌握していない」との返答だったが、いずれにせよパニック時の土地売買には、より一層の注意が必要だ。 (文=ハイセーヤスダ/NEWSIDER Tokyo)

「被災者がいるのにヘビメタなんて」!? アイアン・メイデンの厚意を無視した民放各局の残念ぶり

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アイアンメイデンオフィシャルサイトより
 イギリスの人気へヴィメタルバンド「アイアン・メイデン」がジャパン・ツアーを成功させた。4月20・21日の両国国技館はともにチケットがソールドアウトとなったが、これは前回のツアーが東日本大震災で中止になり2008年以来、8年ぶりの来日だったことも大きかった。くしくも今回の来日前に熊本地震が起き、開催を不安視する声が高まっていたが、公演は無事に行われた。 「残念だったのは、地上波テレビ番組の出演が決まらなかったこと」と日本の音楽関係者。 「レコード会社が今回の公演には力を入れていて、担当者が情報番組などに出演をプッシュしていたんですよ。いつもはそんな番組出演はメンバー自身が引き受けないんですが、今回は地震の惨状も知ってか『出るよ』と言ってくれていたので、とても貴重な機会だったんです」(同)  しかし、当の局側の反応は鈍く、世界的に有名なへヴィメタルバンドでも、番組の担当者がまったく知らなかったり、名前を知っていても「日本でそんなに人気があるんですかねえ」と、来日の価値すら把握していないことが多かったという。 「ある昼のワイドショーでは、ディレクターが『出るとなれば彼らの音楽をBGMで流さなきゃいけないけど、日中からヘビメタやったら苦情がきちゃうんじゃないかなあ』なんて言っていたんですよ。いまだにそんな偏見しかないなんて、悲しかった」(前出音楽関係者)  アイアン・メイデンはボーカルのブルース・ディッキンソンが操縦士の資格を持っており、自身が操縦する専用機「エド・フォース・ワン」で移動することで知られている。今回もバンドロゴなどが描かれたジャンボ機で羽田空港に降り立ち、着陸映像などがテレビ映えすることから、CS局の音楽チャンネルMTVがドキュメンタリーとして取材していた。 「でも、地上波の番組にメンバーが出ることを実現させたかった」と関係者。  メタル色の強いアイドルグループ・BABYMETALが日本より海外で受けているとおり、へヴィメタルに対する国内の理解度の低さでアイアン・メイデンの番組出演がかなわなかったのは、非常にもったいない話だった。 「朝番組のゲストなんて、日本人でも知らない無名の芸人やアイドルが出ているのに。ある番組プロデューサーなんて『被災者が多くいる時期に、ヘビメタバンドのメンバーが“地獄に連れて行ってやるぜ”なんて言ったら問題になる』なんて言っていて、ガッカリ。メイデンのメンバーはそんなこと言わないのに……」  たしかにへヴィメタルバンドの歌詞に「HELL(地獄)」はよく出てくるが、日本では悪魔キャラ全開のバンド、聖飢魔IIの影響が大きいのだろうか。いずれにせよ、メンバーの厚意を無にするもったいない話だった。 (文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

「被災者がいるのにヘビメタなんて」!? アイアン・メイデンの厚意を無視した民放各局の残念ぶり

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アイアンメイデンオフィシャルサイトより
 イギリスの人気へヴィメタルバンド「アイアン・メイデン」がジャパン・ツアーを成功させた。4月20・21日の両国国技館はともにチケットがソールドアウトとなったが、これは前回のツアーが東日本大震災で中止になり2008年以来、8年ぶりの来日だったことも大きかった。くしくも今回の来日前に熊本地震が起き、開催を不安視する声が高まっていたが、公演は無事に行われた。 「残念だったのは、地上波テレビ番組の出演が決まらなかったこと」と日本の音楽関係者。 「レコード会社が今回の公演には力を入れていて、担当者が情報番組などに出演をプッシュしていたんですよ。いつもはそんな番組出演はメンバー自身が引き受けないんですが、今回は地震の惨状も知ってか『出るよ』と言ってくれていたので、とても貴重な機会だったんです」(同)  しかし、当の局側の反応は鈍く、世界的に有名なへヴィメタルバンドでも、番組の担当者がまったく知らなかったり、名前を知っていても「日本でそんなに人気があるんですかねえ」と、来日の価値すら把握していないことが多かったという。 「ある昼のワイドショーでは、ディレクターが『出るとなれば彼らの音楽をBGMで流さなきゃいけないけど、日中からヘビメタやったら苦情がきちゃうんじゃないかなあ』なんて言っていたんですよ。いまだにそんな偏見しかないなんて、悲しかった」(前出音楽関係者)  アイアン・メイデンはボーカルのブルース・ディッキンソンが操縦士の資格を持っており、自身が操縦する専用機「エド・フォース・ワン」で移動することで知られている。今回もバンドロゴなどが描かれたジャンボ機で羽田空港に降り立ち、着陸映像などがテレビ映えすることから、CS局の音楽チャンネルMTVがドキュメンタリーとして取材していた。 「でも、地上波の番組にメンバーが出ることを実現させたかった」と関係者。  メタル色の強いアイドルグループ・BABYMETALが日本より海外で受けているとおり、へヴィメタルに対する国内の理解度の低さでアイアン・メイデンの番組出演がかなわなかったのは、非常にもったいない話だった。 「朝番組のゲストなんて、日本人でも知らない無名の芸人やアイドルが出ているのに。ある番組プロデューサーなんて『被災者が多くいる時期に、ヘビメタバンドのメンバーが“地獄に連れて行ってやるぜ”なんて言ったら問題になる』なんて言っていて、ガッカリ。メイデンのメンバーはそんなこと言わないのに……」  たしかにへヴィメタルバンドの歌詞に「HELL(地獄)」はよく出てくるが、日本では悪魔キャラ全開のバンド、聖飢魔IIの影響が大きいのだろうか。いずれにせよ、メンバーの厚意を無にするもったいない話だった。 (文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

元KAT-TUN・赤西仁、熊本地震になぜか“英語でツイート”も「炎上すらしない……」

akanini0428
 14日に発生した熊本地震をめぐっては、SNSやブログなどインターネット上での発言が炎上する芸能人が後を絶たない。代表的なのは藤原紀香や紗栄子のケースだが、元KAT-TUNの赤西仁もまた自身のTwitter上での発言で、ネットユーザーらをざわつかせた。  赤西は地震発生から約5時間半後、Twitter上で「熊本 my soul will be with you!!!!!!!」(心は熊本にあるよ)とつぶやき、続く投稿でも「Pray for Kumamoto Japan everybody!!」(みんな、熊本のために祈ろう)と呼びかけた。  だが、これに対し、ネット上では「日本人が日本人に向けてツイートしてるのに、なんで英語やねん」「誰向けかまったくわかんねーな」「なんで英語やねん、外タレ気取りか」「英語が中途半端にできるやつって、やたらと誇示したがるからな」などの声が上がった。 「日本人の赤西が日本の熊本で起きた地震について、日本人に呼びかけるのに、英語でツイートする意味がわからないですよね。当時、赤西は『チャイナミュージックアワード』の授賞式に出席するためにマカオに滞在していたそうですが、それこそ外タレ気取りで英語でツイートしたのでしょう」(スポーツ紙記者)  ちなみに当の外タレの発言はどうなのかというと、米歌手のアリアナ・グランデはTwitterで、「きょうのじしんでひがいをうけたかたがたへ、わたしのあいといのりがとどきますように」(原文ママ)と、日本語で綴っている。 「アメリカ人のアリアナがわざわざ日本語でツイートしているのに、日本人の赤西が英語だなんて、本当に熊本の人たちのことを心配しているのかと言いたいですね。赤西は同アワードで『アジアで最も影響力のある日本人アーティスト賞』を受賞して、英語でツイートすることで、“ワールドワイドに活躍しているオレ”をアピールしたかったのでしょうが、単に日本で活躍の場がないだけ。藤原紀香もそうでしたが、人の不幸にかこつけて自己アピールに努めようとするなんて、品性がゲスすぎますね」(前出記者)  とはいうものの、この赤西の一連のツイート、実は紀香のように炎上するわけでもなく、一部のネットユーザーからの批判があっただけで、大した話題にもならなかった。つまり本人のアピールとは裏腹に、いまや日本における赤西の存在感など、その程度だということである。

元KAT-TUN・赤西仁、熊本地震になぜか“英語でツイート”も「炎上すらしない……」

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 14日に発生した熊本地震をめぐっては、SNSやブログなどインターネット上での発言が炎上する芸能人が後を絶たない。代表的なのは藤原紀香や紗栄子のケースだが、元KAT-TUNの赤西仁もまた自身のTwitter上での発言で、ネットユーザーらをざわつかせた。  赤西は地震発生から約5時間半後、Twitter上で「熊本 my soul will be with you!!!!!!!」(心は熊本にあるよ)とつぶやき、続く投稿でも「Pray for Kumamoto Japan everybody!!」(みんな、熊本のために祈ろう)と呼びかけた。  だが、これに対し、ネット上では「日本人が日本人に向けてツイートしてるのに、なんで英語やねん」「誰向けかまったくわかんねーな」「なんで英語やねん、外タレ気取りか」「英語が中途半端にできるやつって、やたらと誇示したがるからな」などの声が上がった。 「日本人の赤西が日本の熊本で起きた地震について、日本人に呼びかけるのに、英語でツイートする意味がわからないですよね。当時、赤西は『チャイナミュージックアワード』の授賞式に出席するためにマカオに滞在していたそうですが、それこそ外タレ気取りで英語でツイートしたのでしょう」(スポーツ紙記者)  ちなみに当の外タレの発言はどうなのかというと、米歌手のアリアナ・グランデはTwitterで、「きょうのじしんでひがいをうけたかたがたへ、わたしのあいといのりがとどきますように」(原文ママ)と、日本語で綴っている。 「アメリカ人のアリアナがわざわざ日本語でツイートしているのに、日本人の赤西が英語だなんて、本当に熊本の人たちのことを心配しているのかと言いたいですね。赤西は同アワードで『アジアで最も影響力のある日本人アーティスト賞』を受賞して、英語でツイートすることで、“ワールドワイドに活躍しているオレ”をアピールしたかったのでしょうが、単に日本で活躍の場がないだけ。藤原紀香もそうでしたが、人の不幸にかこつけて自己アピールに努めようとするなんて、品性がゲスすぎますね」(前出記者)  とはいうものの、この赤西の一連のツイート、実は紀香のように炎上するわけでもなく、一部のネットユーザーからの批判があっただけで、大した話題にもならなかった。つまり本人のアピールとは裏腹に、いまや日本における赤西の存在感など、その程度だということである。

SMAP・中居正広の「プライベート」被災地支援は、ジャニーズへの決別宣言か?

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 SMAPの中居正広が4月24日、熊本地震の被災者300人以上が避難している熊本市立長嶺小学校でお忍びの炊き出しを行ったことに、「ジャニーズ離脱の予兆」と見るファンが続出している。SNSを中心にその活動が大きく伝えられている一方、取材した大手メディアがないことから、「ジャニーズと一線を引いた活動は、事務所からの近い離脱を暗示している」と見る向きがあるのだ。  中居は今年1月のSMAP独立騒動の中心人物だったとささやかれ、「退社した元マネジャーと最も親しく、ジャニーズが本業とする“歌って踊る”ライブ活動をできるだけ避けるタイプ」とスポーツ紙記者。SMAPは騒動後の3月、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのCM契約が終了してメンバーのそろうCMがなくなるなど、現在は仕事が減少傾向にある。4月スタートのテレビドラマを見ても、嵐の大野智や松本潤は主演を決めたが、SMAPでは稲垣吾郎が『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)で主役から数えて6番目にあたる脇役キャスティング。中居自身は冠番組4本、司会番組6本でその活躍に変わりないが、近い将来に徐々に出演番組が減っていく不安がないこともない。それだけに、秋の契約更改時に独立するという説も、いまだくすぶっている。  ネットユーザーの証言によると、被災地に現れた中居は、ニット帽にサングラス、マスク姿で炊き出しに参加、自ら料理を振る舞ったという。当然、国民的人気グループのメンバーが“顔バレ”しないはずもなく「中居クンだ!」と人々が集まったというが、中居は「撮影はやめてね」と言いながらもサングラスとマスクを取って、笑顔で握手していたという。  思えば中居は、2011年の東日本大震災の際も、福島県の被災地をプライベート訪問して炊き出しに参加しており、今回の行動に他意はないかもしれないが、ジャニーズ担当のスポーツ紙記者に言わせれば「ジャニーズ事務所としては、面白く思っていないところはある」という。 「こういうときだから口が裂けても言えないことではありますけど、事務所側にはタレント全体で足並みそろえたチャリティー活動をしたいという思惑がありますからね。一方、中居クンが東日本大震災のときに単独で動いたのは、事務所全体で動くと行動が遅くなるという考えがあったからだそうです。それを後押ししたのが、当時のマネジャーでしたが、今回はそのバックアップもない。それなのに本人は、事務所の意向を無視して自分を貫いた形です。サングラスとマスクをしたのは顔バレを恐れたんじゃなく、プライベートで行っているというのを無言で示した形で、表向き事務所側が文句を言えない状況を作りました。でも、そうなると事務所との関係は、なおギクシャクしますよ」(同)  東日本大震災の際、中居の個人的なボランティア活動に関しては、ジャニーズ関係者から「彼ひとりが先行して行動してしまうと、ほかのジャニーズタレントがまるで何もしていないように見えてしまい、各地から『ほかのタレントは来てくれないのか』という問い合わせもあった」と不満も聞かれていた。  実際、ジャニーズ事務所は、東日本大震災の際に誕生した支援プロジェクト「Marching J」を通じて募金を呼びかけ、イベントに募金箱を設置するなどしたが、「お金を集めるより、タレントに来てほしい」という要望が噴出。中には「使途がわからないと募金できない」と、ジャニーズの支援活動に不信感を募らせる声まで聞かれている。  一方の中居に対しては、「来てくれるだけで元気が出た。地震の恐怖を忘れられた」「すごく忙しいのに仕事の合間を縫って来てくれた思いやりが伝わって、自分も頑張ろうと思った」と感謝ばかりなのを見ると、まるで先の独立未遂騒動でも起こった「SMAPがかわいそう、ジャニーズ事務所はひどい」という印象を蒸し返したよう。  また、ファンの間では「熊本で支援イベントがあったら、SMAPだけ外されるのでは」「事務所の仕事に背を向けて熊本入りしたから干される」といったウワサまで飛び交う始末。  被災者支援をめぐるスタンスが、中居とジャニーズを、さらに遠ざけてしまうのか? ファンの心境を複雑にさせる“余震”が続く――。 (文=ハイセーヤスダ/NEWSIDER Tokyo)

清原和博被告と“シャブ仲間”報道の長渕剛、被災地にエールも「このタイミングで使って大丈夫?」

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長渕剛オフィシャルサイトより
「このタイミングで出しちゃって大丈夫なのか? と思いましたよ」  そう語るのは、テレビ関係者だ。歌手の長渕剛が23日、TOKYO FMで緊急特別番組『長渕剛 届け!九州へ!!』に出演し、熊本地震の被災者にエールを送った。  2014年10月から15年3月まで期間限定番組『長渕LOCKS!』を担当した縁で、同局プロデューサーに「何かできないか」と長渕が直訴し、実現。オンエアでは「FMの電波を飛ばしたり、歌ったりするから、ほんの一時でも耳を傾けられたら、やってみてくれ」と、被災地を励ます歌をギターで弾き語りした。  また、熊本城前で撮影した映画の思い出を語り、城が壊れていく映像に「自分が壊れていくようで、『くそー、冗談じゃねえ』と思った」と悲痛な叫びを上げていた。  長渕といえば、2011年3月に発生した東日本大震災でも被災地に何度も足を運び、鎮魂歌「ひとつ」を書き上げるなど、復興活動に熱心なことで知られる。  だが、今年2月に元プロ野球選手・清原和博被告が覚せい剤取締法違反の罪で逮捕されると、一部週刊誌で“シャブ仲間”と実名報道された。 「長渕サイドは完全否定していますが、あの報道以降、テレビなどでは“要注意人物”として扱われることになりました。ある雑誌でインタビューが掲載されたこともありましたが、それは週刊誌で実名が報じられる以前に取材されたもの。『危なくて使えない』というのが実情でした」(同)  事実、東日本大震災から5年目の今年、震災特番で長渕の姿を確認することはできなかった。 「もちろんオファーはあったそうですが、一連の薬物疑惑で一気に(テレビ局が)引いたそうです」とは別のテレビ関係者。  そんな状況下でのラジオ出演だけに、心配の声が上がるのも当然だ。 「27日には、清原被告に薬物を譲り渡した疑いで起訴された売人の初公判が控えている。来月17日には清原被告本人の裁判も開かれる。万が一、長渕さんの名前が法廷で出れば、さかのぼって、ラジオ局が叩かれる可能性もある。よく出したなぁというのが、正直な感想ですね」(社会部記者)  長渕の被災地を想う気持ちは、本物だが……。