嵐・相葉雅紀が、「貴族探偵」を自称しながら自分で推理しないヘンテコ人間を演じているフジテレビ系月9『貴族探偵』の第2話が、24日に放送されました。 前回、第1話のレビュー(記事参照)で必要以上に絶賛してしまい、「『ジャニーズ』だとか『月9』だとか『フジテレビ』だとか、そういう単語だけで敬遠している方がいるなら、1話だけでいいから見てみてほしいと願うのです。」とまで書いてしまったので、正直ちょっと不安だったのです。つまんなかったらどうしましょうか、と。 で、結論としては、まったくの杞憂でした。推理劇としての『貴族探偵』は、間違いなく面白いです。ガチャついた演出が鼻につくという向きもあるでしょうが、あんなの飾りですし。相葉ちゃんが「貴族らしくない」といわれても、実際、日本人の貴族とか見たことないですし。あくまで推理を主役と捉えて楽しんでまいりたいと思います。 今回、貴族探偵と女探偵(武井咲)が挑むのは、富士山麓の別荘で大物小説家が殺害されたという事件。いかにも古臭いというか、新鮮味のない舞台設定ですが、探偵たちがその場に居合わせる偶然が毎度訪れるのも含め、古典的な推理劇を踏襲していると思えば肯定的に受け止めることができます。 原作の時点で『貴族探偵』という物語は、なるべくそういう前提条件を簡素化して、「もうそこは飲み込んでください」というスタンスを打ち出しています。「その分、謎解きはガッツリやりますんで」という、推理作家の強い意志を感じる作りです。 第1話の放送を終えてのプロデューサーインタビューが「マイナビニュース」さんに掲載されていましたが、いわく原作者・麻耶雄嵩さんとの約束事は「謎解きの部分は忠実に演出してほしい」ということだけだったそうです。ここまで、その麻耶さんの要望は、実に忠実に叶えられていると感じます。 とはいえ、ドラマ版『貴族探偵』が、原作の事件推理をそのまま再現しているかというと、そうではありません。第1話でも改変が見られましたし、今回の事件は、そもそも原作では「女探偵」が登場しないので、見せ場となった貴族探偵と女探偵の“推理合戦”は、フジテレビ側の完全な創作となります。 もともとの原作に女探偵という人物を差し込むだけでも大きな工事になりそうなものですが、さらにその女探偵が間違った推理をしなければならないし、女探偵の推理にもそれなりの説得力を生まなければならない。そして、説得力のある女探偵の推理を、貴族探偵が根底からひっくり返さなければならない。ただ映像として再現するよりも、ずっと難しい改変作業が行われているわけです。 これは、原作に何かを足したり引いたりということではありません。もともと当代きっての推理作家が脳汁を噴出させながら組み上げた精緻な事件設計を一度解体し、その本質を変容させないまま再構築するという作業にフジテレビが挑み、成功させているのです。今回の事件、原作ではドローンを使ったトリックは存在しませんし、殺された作家が「絶対に北枕で寝ない」というギミックは、原作よりも効果的に、人物の心情描写を補強する形で生かされています。 今回も見ていない人はFODで見てほしいので、事件のあらすじは記しませんが、もちろん、2017年に放送されるテレビドラマとして、手放しでホメられるところばかりではありません。推理が主役であるこのドラマは、視聴者にある程度の情報を「記憶する」ことを強要します。第1話は5人、第2話は4人、少なくとも、謎解きが始まるクライマックス前までに容疑者のプロフィールを理解していないと、謎解きが始まっても何が行われているのか把握することができません。本格ミステリーは“ながら見”に向かないんです。集中していないとクソつまらんのです。Twitterやらで実況する文字を打ち込んでいるうちに、伏線を見逃してしまうかもしれない。本来なら月9じゃなく、テレビ朝日系の木9あたりで地味にやったほうが、視聴者層には刺さるのかもしれない。 でも、だからこそ、この本格ミステリーを月9に持ち込んで、必死になって若者向けに、ポップにしようと頑張りながら、推理にもトコトン真面目に向き合っている『貴族探偵』というドラマを愛さずにはいられないのです。 これ、最後までうまくいったら偉業だと思うんですよ。ここ1年余り、わたしはここでずっと月9のレビューを書かせていただいています。毎週数千字、累計では数万字にわたって、主に「フジはもうダメだ」「視聴者をナメるのもいいかげんにしろ」「やる気がないならやめちまえ」という論調だったはずです。 その月9が、偉業を成し遂げようとしている。なんとも興奮してしまいますし、「あとでもう1回、今週の月9を見よう」とか「来週はあの事件を、月9がどんな解釈で描くのだろう」とか期待しちゃうなんて、ちょっと想像もしていなかった事態です。 ちなみに視聴率は前回から3.5ポイント下げて8.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だそうです。うーん、せちがらいね! (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
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11.2%スタート『フランケンシュタインの恋』圧倒的な「かわいさ」の綾野剛が“和製ジョニー・デップ”に見えてくる
とかく怪物は美少女と出会うべきだし、その美少女は病弱であるべきだし、怪物は心優しくて純粋なのに、その意に反して人間を傷つけてしまう存在であるべきだと思うんです。それはもう、こうした物語を描く上での定石、しきたり、ルールといえるものでしょう。 怪物は美少女に、「僕が怖くないのか?」と聞かなければいけないし、美少女は「怖くないわ、だって……」と答えなければいけない。この「だって……」の後に続く理由づけさえ決まっていれば、おのずとドラマは走り出すことになります。 地味ながら真面目な作品作りで一定の評価を得てきた日本テレビ系「日曜ドラマ」枠、今期の『フランケンシュタインの恋』は、そうした定石を一歩一歩、丁寧に踏みながらスタートしました。第1話の視聴率は11.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、まずは及第点といえるでしょう。 120年前に、医学博士である父・深志研太郎によって生み出されたという人造人間を演じるのは、現在の日本映画・ドラマ界では山田孝之と並んで“当代一のカメレオン俳優”と評される綾野剛。背も高いし、脱いだらバッキバキの身体でしたし、ドンズバなキャスティングだと思います。 病弱な美少女・津軽継実(つがるつぐみ)には、二階堂ふみ。キノコをこよなく愛する女子大生で、薬が切れると頭が痛くなって死にそうになっちゃう病気の持ち主です。 継実の先輩男子・稲庭聖哉には柳楽優弥が配され、二階堂ふみと熱愛が報じられたこともある新井浩文をはじめ、光石研、柄本明、そして、もはや「元AKB」の肩書ナシでもバンバン仕事が取れるようになった川栄李奈といった実力派俳優たちが脇を固めます。脚本に向田邦子賞をはじめ数々の受賞歴を誇る大森寿美男を迎えたことも含めて、日テレドラマ班、実に手堅い仕事です。とりあえず第1話を終えて、ダメなドラマになる要素は見当たりませんでした。 30分延長版となった第1話は、2つのパートに分かれています。まずは、怪物が美少女と出会い、その美少女に連れられて山を降りるまで。 怪物には、悲しい過去がありました。120年前、ひとりの少女に触れたことで、その少女を殺してしまったのです。怪物の手が白く光ると、なんらかの白い菌がまきちらされ、それを浴びた人間は激しいアレルギー症状に陥ってしまうようです。 そして120年後、その少女とそっくりな女の子が山に現れたのでした。 継実が怪物の棲む山に入ったきっかけは、なかなかハードでした。研究熱心で人見知りしない性格の継実は、平気で男だらけの飲み会に顔を出します。しかしこの日の飲み会の相手だった3人組の男たちは、最初から継実の身体が目的だったようです。酔い潰され、車で山にさらわれる継実。レイプされてポイのパターンです。 しかし、継実を乗せた車の前に、突如怪物が姿を現します。車はそのまま怪物をはねてしまいます。すわ、殺しちゃったか、とうろたえる男子たち。その隙をついて道なき道を逃げ出そうとする継実でしたが、頭も痛いし、逃げ切ることができません。さっきまでうろたえていた男子たちも、継実が逃げだしたことに気付くと、事故被害者のことも忘れて追いかけてきます。 ところが、その男たちの前に事故被害者が空から降ってきました。立ちはだかる被害者=怪物。1人が木の棒で殴りかかりますが、怪物は白い菌をまきちらして男3人を倒してしまいました。 怪物は、気を失った継実を近くのバス停に放置して姿を消します。しかしその場に、とっても珍しい「アカナリカミタケ」というキノコを落としていったため、継実の興味を大いに引くことになります。 シンデレラが残したガラスの靴を探しに街へ降りてきた王子様のように、継実はアカナリカミタケの生息地を求めて再び山に入ります。すると、物陰から怪物が現れるのでした。 怪物は、継実に問いかけます。 「どうして、ここにいるんですか」 「死ななかったんですか、120年前……」 しかし怪物は、継実があのとき殺してしまった少女ではないことに気付くと、「僕は、人間じゃないんです。ここであったことは、忘れてください」と言い残して、その場を去っていきます。 継実は、怪物の棲家まで付いて来ちゃいました。風車で電気を作っていると思しき、サイバーパンク風のオシャレな山小屋です。その内部は、非常に幻想的に撮られています。部屋の中央に地下に通じる螺旋階段があって、その地下室で怪物は、父によって生み出されたのでした。 「私は科学者だから、知らないことを知りたい」 「知りたいことを知らないまま死ぬのは嫌です」 脳に大きな病気を抱える継実のまっすぐな眼差しが、怪物の心を溶かしていきます。というか、二階堂ふみがいちいちかわいいので、さしもの怪物も気を許してしまうのでしょう。ホントに、いちいちかわいいんです。なんてかわいいんでしょう。 怪物は父の死後(地下室で白骨死体になってた)、拾ってきたラジオで人間界のことを学んできたといいます。お気に入りは、午後3時から始まる、ラジオレポーター天草純平(新井浩文)の説教くさいお悩み相談番組。一緒にテーマソングを歌えるくらい好きなようです。一緒にテーマソングを歌う怪物・綾野剛がまた、いちいちかわいい。その後、怪物は継実と一緒に山を降りることになりますが、初めて自転車に乗ってヨロヨロする怪物、両脚を広げて一気に坂を駆け下りる怪物、アーケード商店街で見るものすべてにキラキラ感を覚える怪物が、いちいちかわいい。悲劇的な設定を与えられた綾野剛と二階堂ふみが、いちいちかわいい。そういうドラマです。綾野剛が『シザーハンズ』のジョニー・デップに見えてきます。 後半は、街に降りた怪物が生活の場を得るまで。怪物は、継実の先輩・聖哉の実家である「稲庭工務店」に身を寄せることになります。継実は、怪物に父親の深志研太郎から取った「深志研」という名前を与えます。稲庭工務店の棟梁で聖哉の父親でもある恵治郎によれば、「ケン」という名前の最高峰は高倉健の「健さん」であり、研究の「研さん」は「ケンさんの中でも、いちばん位の低いケンさん」なのだとか。いわずもがな、棟梁を演じているのは光石研です。このあたりから、ドラマは一気にコメディタッチに振れていきます。 工務店で働き始めてからも、怪物のお気に入りは、3時のラジオ。今日も天草は独特の説教くささを発揮しながら「自分が誰だかわからない、仕事をしていてもデートをしていても、自分じゃないような気がする」という相談者に「わからないと思うことが大事なんだと思う。自分の考え方次第で変えられる。自分を面白がればいいと思う」と説きます。DJ仲間にも不評な天草コーナーですが、怪物にはなぜかストレートに届くようです。怪物は継実に、名前を付けてくれたことに感謝しながら「名前以外の自分もわかることができるでしょうか」「変えてゆけるでしょうか」と問いかけます。「いけますよ」と継実。ホントにかわいい。怪物は深志研という人間として、生きていくことにしたようです。 しかしその後、聖哉が継実をバックハグしているのを見てしまうと、両手にモワモワと白い胞子が……。たまたま居合わせた継実の姉・晴果(田島ゆみか)をその手で触ってしまい、晴果がぶっ倒れたところで、次回へ。 先に『シザーハンズ』を例に出しましたが、『フランケンシュタインの恋』というドラマの設定や展開そのものに、目新しさはまったくありません。ただし、綾野剛と二階堂ふみの圧倒的な存在感、圧倒的なかわいさが全編を支配しているので、見ていてとっても楽しいです。シナリオも細かく見ればいろいろ文句もつきそうですが、ここまでかわいい2人を前にすると、あえてツッコミを入れる気にもなりません。 今期は全体的に出来のいい作品が多いクールになっていますが、また毎週楽しみになる作品がスタートしたことを、素直に喜んでおきたいと思いますし、綾野剛にとっては“当たり役”になると思います。まあ、綾野剛に関していえば『日本で一番悪い奴ら』も『怒り』も『新宿スワン』も『コウノドリ』も“当たり役”だと思ったので、単に私が好きな役者さんだというだけなんですけれども。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『フランケンシュタインの恋』番組サイトより
嵐・相葉雅紀主演“本格ミステリー”月9『貴族探偵』11.8%スタート! フジテレビに希望はあるか
2015年冬クールの『5→9 ~私に恋したお坊さん~』を最後に、5クール連続で全話平均視聴率が1ケタに沈んでいるフジテレビ月9枠。今クールの『貴族探偵』が不調に終われば、いよいよ枠そのものの撤廃も視野に入ってくるといわれています。 そんな『貴族探偵』の初回視聴率は、11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、まずまずの結果。しかし、数字以上に好印象な作品となっていました。 物語は、正体不明の「貴族探偵」を名乗る男(相葉雅紀)が側近を引き連れて殺人現場に乗り込み、鮮やかに事件を解決していくというもの。ところが、肝心の貴族自身が推理をせず、執事や運転手、メイドたちが実際に事件を解決するというのが、本作の特色です。 原作は麻耶雄嵩という作家さんの『貴族探偵』(集英社)と、その続編となる『貴族探偵対女探偵』(同)。ドラマでは第1話から女探偵が登場していますので、人物配置は『──女探偵』を下敷きとしつつ、両書から事件を引用していくようです。 この『貴族探偵』シリーズという作品。「主人公の貴族が推理をしない」というところ以外は、ゴリゴリの本格ミステリーです。麻耶さんは一般的な知名度こそ低いものの、一部ミステリーファンからは熱烈な支持を受ける推理小説界のトリックスター的存在だそうです。 原作を一読してみたところ、ガチガチに事件の設計を固めて伏線をばらまき、読者の視点を思いのままにコントロールしながら解決に落とし込むこと「だけ」に特化した作品だと感じました。とにかく事件の概要説明と現場の状況、容疑者の配置や関係性を手抜かりなく説明して、その事件を論理的に解決する。一見、極めて精緻なミステリーに見えて、時おり強引な推理の踏み抜きが行われたりして(みんなが犯人だと思っていた人が、実はソックリさんだったとか)、不思議な味わいの小説でした。 そして、不思議な味わいといえば、やっぱり「貴族探偵」という人物そのものの奇怪さです。なぜいつも事件の現場にいるのか、なぜ警察の上のほうと通じていて現場の捜査員から追い出されたりしないのか、っていうか、そもそも「貴族」ってなんなのか、というあたりは一切説明されません。ただ、いるのです。そして、側近に事件を推理させるのです。自分は紅茶を飲んだり、事件の関係者の女性とディナーに行ったりするだけ。登場人物というより、マクガフィンとして扱われている感じといえばわかりやすいでしょうか。動的には機能していないけれど、それがないと物語が展開しないという存在です。とはいえ「貴族探偵」も人間ですので、この配置によって、人物描写のリアリティに「一般人」と「貴族一派」という2本の線が引かれることになっています。 その2本の線の描写が、ドラマになったときに、ことごとくうまくいっていると感じたんです。成功してるぞ、と。 相葉くんの演技は、いつにも増して、とことん“棒”です。しかし、貴族然とした衣装に身を包み、突拍子もない行動を繰り返す「貴族」ですので、その演技プランに生活者としてのリアリティは必要ありません。むしろ、相葉ちゃんがバカみたいな振る舞いをすればするほど、原作小説では人物像がボヤけていた「貴族探偵」の輪郭が、よりくっきり見えてくるという好循環が起こっています。執事・山本(松重豊)と運転手・佐藤(瀧藤賢一)の“無表情コンビ”は盤石ですし、メイド・田中を演じた中山美穂の浮世離れした存在感も、「貴族」の世界観をよく表しているように見えてきます。 普通、ここまで荒唐無稽なバカ貴族軍団を4人も登場させれば、ドラマそのものが散漫になりそうなものですが、容疑者や被害者、女探偵(武井咲)や鼻形警部補(生瀬勝久)との掛け合いが実にリズミカルに、テンポよく描かれることで飽きさせません。そして、もともとミステリーを構築するというジャンルでは「現役の日本チャンピオン」ともいえる麻耶さんによる事件設計なので、どれだけ演出面で弾けても根幹がブレないのです。原作の段階で、「謎を作る」「謎を解く」という作業そのものに、作家の魂が込められているからです。プロが作った原作をプロが料理している感じがして、たいへん気持ちがよかったです。 いや、1話だけでここまでベタボメするのもどうかと思うんですが、前作の『突然ウンコしました』みたいな作品があまりにひどい出来だったので、もうフジテレビの月9には真面目にドラマを作ろうとする人は誰もいないのかと絶望していたんです。今回、少しはいるよ、ということはわかった。面白いものを作ろうと思っている人が、少しはいた、ということがうれしかった。やっぱりなんだかんだ、フジテレビを見て育ってますし、フジテレビに愛着があるんですよ。 ドラマはまだFODで見られますので、事件のあらましについては、とりあえず今回は記しません。「ジャニーズ」だとか「月9」だとか「フジテレビ」だとか、そういう単語だけで敬遠している方がいるなら、1話だけでいいから見てみてほしいと願うのです。少なくとも、近年の連続ドラマでは見られなかった本格的な推理と、戯画的な演出による楽しさを併せ持った良作だと思います。 逆にいうと『貴族探偵』を、ちょっと数字が悪いからって『ラヴソング』みたいに壊しちゃうようだったら、もうフジテレビは救いようがないなと思います。はい。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『貴族探偵』番組サイトより
『山田孝之のカンヌ映画祭』最終話 映画『映画 山田孝之3D』に至る崩壊と再生と、それから芦田愛菜と……
ある日突然、「カンヌ映画祭の最高賞を目指す」を言い出した俳優・山田孝之。自らプロデューサーを買って出て“親殺し”をテーマとした作品の企画を立ち上げると、その主演に芦田愛菜を連れてきて、監督を務める山下敦弘を驚かせた。 しかし、そうして始まった『穢の森』の撮影は、クランクイン初日に空中分解。自らの理想にこだわりすぎる山田について行けず、監督・山下と主演・芦田が降板してしまった。これまで、日本映画大学校で勉強したり、実際にカンヌに行ってその雰囲気を感じ取ったり、『穢の森』にそっくりなタイトルの『殯の森』(2007)という作品で第60回カンヌ映画祭グランプリを受けた河瀬直美監督に叱られたり、マンガ家・長尾謙一郎に何枚ものイメージ画を描かせたり、長澤まさみを脱がせようとしたり……そうした努力(?)は、水泡に帰してしまった。 というわけで、最終話。「山田孝之 故郷へ帰る」を振り返る。 この映画のために作られた「合同会社カンヌ」の事務所は、荷物も片づけられて閑散としている。 現場崩壊から1週間後、山田孝之は故郷・鹿児島へ飛んでいた。最初に訪れたのは、薩摩川内市内の中学校。母校である川内南中学校に一歩足を踏み入れるだけで、山田にはこみ上げるものがあったようだ。同行スタッフに「どんなことを思い出しますか?」と問われても、「なんか、それこそこう、放課後……」と言ったきり言葉を継ぐことができない。 次に訪れたのは、生まれ育った実家だった。小型車でもすれ違えないほどの細い路地を抜けると、しかし、山田の生家は取り壊されて更地になっていた。 「なくなっちゃいましたね」 また、山田はこみ上げるものを抑えきれなくなる。山田は生家が取り壊されていたことを知らされていなかったという。 その更地に建っていた家を、なんとか思い出そうとしているのだろう。山田はここまでずっと着けていた黒いサングラスを外し、もう涙を隠そうともしない。玄関のタイル、父親と作ったベッドの部品……わずかに、思い出の残骸が次々に顔を見せてくれる。 「ああ、悔しい……もっと早く来ればよかったなぁ……」 山田は、父親が鹿児島市内で経営するダイニングバーを訪れる。ビールで乾杯。山田は更地の写真を父親に見せながら「すごい、いいとこだな、と思った」と言う。 父親が、山田の机は持ち出していたという。その引き出しから出てきたのは、卒業アルバムや卒業文集。「みんなの夢」というページには「カバディーの選手 山田孝之」とあった。 「ずっとふざけてんな、俺」 通知表に並ぶのは「1」と「2」ばかり。遅刻は中3の2学期だけで41日を数えている。 「中学のアルバムはないんだよなぁ」 中学時代にスカウトされた山田は、卒業を前に上京している。 翌日、山田は父親を釣りに誘った。ほんの1週間前まで、山下敦弘を言葉の限り罵倒したり、芦田愛菜に刺すような視線で糾弾されたり、全身全霊で映画の現場に身を捧げていた姿は、そこにはない。桜島をバックに並ぶ親子は、ごく普通の地元住人に見える。 「生まれたときのこととか、覚えてる?」 ダイニングバーに場所を移し、山田は父に話を聞くことにした。どこにでもある、ひとりの子どもの出生エピソードが語られる。 山田はこのとき、父親が30年にわたって小説を書いては、新人賞に応募していたことを初めて知る。 「実験的な生き方が好きだったんだろうね」 そう振り返る父親に、「破滅的な感じの?」と山田が問いかける。 「まあ、実験がうまくいけば破滅にはいかないんだけど」 山田は1週間前、映画プロデューサーとして一度、破滅した。監督を現場から追い出し、主演女優に降板され、多くのスタッフに迷惑をかけた。実験が、うまくいかなかったのだ。故郷に戻り、生い立ちを振り返ることで、再び自分の人生を見つめ直そうとしているのだろう。 「まあ、謙虚に反省すれば?」 それは、山田がもっとも父親に言ってほしかった言葉だったはずだ。 2人の話は「山田が俳優になっていなかったら」という話題に及ぶ。「なんとなくできる仕事をしているだけ」と語る山田に、父親は「なんか独創的に、とんでもなく発想豊かに、何の分野かわからないけど、はちゃめちゃやってそうな気もする」と言う。父親は、山田以上に山田を理解していたようだ。 山田にもう、涙はない。「おもしろい人だなぁ」と父親を評し、「その人の息子だから」と気負いを捨てることができた。 さらに1週間後、合同会社カンヌに、芦田が山田を訪ねてきた。『穢の森』の現場が崩壊した最大の理由は、芦田が自ら降板を決めたことだった。山田は、山下が去った後、自ら監督をするつもりでいたのだ。それを理解している芦田、どこか所在なさげに、勧められたパイプイスに腰を下ろす。 「親父のことを知ったら、自分のことがどんどん見えてきて」 穏やかな表情で語りかける山田の変化は、芦田にも伝わっている。2週間前までは想像もできないような、柔らかい空気が合同会社カンヌに漂っている。 「自分で枷を付けてたんですよね、あの映画撮ってるとき、面白くなかったから」 その山田の告白に、芦田も思わず笑ってしまう。 「山田さんは、次、何をやりたいんですか?」 2週間前、「山田さん何がやりたいんですか?」と言い残して『穢の森』プロジェクトを断ち切った芦田が、優しく問いかける。芦田がこれを問いかける意味を、山田も、芦田本人も、よくわかっているはずだ。 「言うの、怖いんですけど……やっぱり僕は映画が作りたい。カンヌとかそういうの関係なく、僕が本気で面白いと思うものを作れば、みんな面白がってくれると思うんですよ」 小学6年生の芦田愛菜を相手に、山田孝之はずっと敬語でしゃべっていた。 番組のカメラは、撮影スタジオに移る。壁一面にグリーンの布が垂れ下がっている。クロマキー合成で新作映画を撮影するようだ。 山田は、監督を決めかねていた。 「会ってくれるかな、山下さん……」帰京後に芦田と対面したとき、山田は不安を吐露している。 スタジオに山下敦弘が現れる。ギクシャクした2人の間に芦田が入り、「監督の山下敦弘さん」「主演の山田孝之さんです」と、お互いを紹介してみせる。クランクインは10月20日、山田孝之の33回目の誕生日だった。 ひげをそり、すっかり俳優の顔になった山田がカメラの前に立ち、山下と芦田が並んでモニターを覗き込んでいる。山田と山下がケータリングの列に並び、芦田が盛り付けの手伝いをしている。そうして完成させた『映画 山田孝之3D』は、今年6月16日に東宝配給で公開が決定している。監督はこの番組同様、松江哲明と山下敦弘。もちろん、カンヌ映画祭にも正式に応募しているそうだ。 全12話にわたって放送された『山田孝之のカンヌ映画祭』は、今までに見たことのない番組だった。どこまでが決まっていて、どこまでがアドリブだったのかはわからないし、もはやそれはどうでもいいことだ。 この番組では、映画に関わるさまざまなプロたちの剥き出しの凄味が、確かに画面上に現れていた。山田孝之と山下敦弘という、すでに多くのキャリアを積み「好きなように仕事を選べる」立場にある2人の映画人が戯画的な役割に徹し、まるで子どものように「カンヌ、カンヌ」と騒ぎ立てることで、真摯だったりイイカゲンだったりする日本映画界の側面が次々に姿を現していた。そして最後には、自分たちを崩壊するまで追い込み、そこから再生してみせた。 「もっと自由にやっていい」 きっとこの番組は、すべての日本の映画人へのテーゼとして作られたのだろう。そして、芦田愛菜こそが女神だった。 (文=どらまっ子AKIちゃん)テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
『山田孝之のカンヌ映画祭』最終話 映画『映画 山田孝之3D』に至る崩壊と再生と、それから芦田愛菜と……
ある日突然、「カンヌ映画祭の最高賞を目指す」を言い出した俳優・山田孝之。自らプロデューサーを買って出て“親殺し”をテーマとした作品の企画を立ち上げると、その主演に芦田愛菜を連れてきて、監督を務める山下敦弘を驚かせた。 しかし、そうして始まった『穢の森』の撮影は、クランクイン初日に空中分解。自らの理想にこだわりすぎる山田について行けず、監督・山下と主演・芦田が降板してしまった。これまで、日本映画大学校で勉強したり、実際にカンヌに行ってその雰囲気を感じ取ったり、『穢の森』にそっくりなタイトルの『殯の森』(2007)という作品で第60回カンヌ映画祭グランプリを受けた河瀬直美監督に叱られたり、マンガ家・長尾謙一郎に何枚ものイメージ画を描かせたり、長澤まさみを脱がせようとしたり……そうした努力(?)は、水泡に帰してしまった。 というわけで、最終話。「山田孝之 故郷へ帰る」を振り返る。 この映画のために作られた「合同会社カンヌ」の事務所は、荷物も片づけられて閑散としている。 現場崩壊から1週間後、山田孝之は故郷・鹿児島へ飛んでいた。最初に訪れたのは、薩摩川内市内の中学校。母校である川内南中学校に一歩足を踏み入れるだけで、山田にはこみ上げるものがあったようだ。同行スタッフに「どんなことを思い出しますか?」と問われても、「なんか、それこそこう、放課後……」と言ったきり言葉を継ぐことができない。 次に訪れたのは、生まれ育った実家だった。小型車でもすれ違えないほどの細い路地を抜けると、しかし、山田の生家は取り壊されて更地になっていた。 「なくなっちゃいましたね」 また、山田はこみ上げるものを抑えきれなくなる。山田は生家が取り壊されていたことを知らされていなかったという。 その更地に建っていた家を、なんとか思い出そうとしているのだろう。山田はここまでずっと着けていた黒いサングラスを外し、もう涙を隠そうともしない。玄関のタイル、父親と作ったベッドの部品……わずかに、思い出の残骸が次々に顔を見せてくれる。 「ああ、悔しい……もっと早く来ればよかったなぁ……」 山田は、父親が鹿児島市内で経営するダイニングバーを訪れる。ビールで乾杯。山田は更地の写真を父親に見せながら「すごい、いいとこだな、と思った」と言う。 父親が、山田の机は持ち出していたという。その引き出しから出てきたのは、卒業アルバムや卒業文集。「みんなの夢」というページには「カバディーの選手 山田孝之」とあった。 「ずっとふざけてんな、俺」 通知表に並ぶのは「1」と「2」ばかり。遅刻は中3の2学期だけで41日を数えている。 「中学のアルバムはないんだよなぁ」 中学時代にスカウトされた山田は、卒業を前に上京している。 翌日、山田は父親を釣りに誘った。ほんの1週間前まで、山下敦弘を言葉の限り罵倒したり、芦田愛菜に刺すような視線で糾弾されたり、全身全霊で映画の現場に身を捧げていた姿は、そこにはない。桜島をバックに並ぶ親子は、ごく普通の地元住人に見える。 「生まれたときのこととか、覚えてる?」 ダイニングバーに場所を移し、山田は父に話を聞くことにした。どこにでもある、ひとりの子どもの出生エピソードが語られる。 山田はこのとき、父親が30年にわたって小説を書いては、新人賞に応募していたことを初めて知る。 「実験的な生き方が好きだったんだろうね」 そう振り返る父親に、「破滅的な感じの?」と山田が問いかける。 「まあ、実験がうまくいけば破滅にはいかないんだけど」 山田は1週間前、映画プロデューサーとして一度、破滅した。監督を現場から追い出し、主演女優に降板され、多くのスタッフに迷惑をかけた。実験が、うまくいかなかったのだ。故郷に戻り、生い立ちを振り返ることで、再び自分の人生を見つめ直そうとしているのだろう。 「まあ、謙虚に反省すれば?」 それは、山田がもっとも父親に言ってほしかった言葉だったはずだ。 2人の話は「山田が俳優になっていなかったら」という話題に及ぶ。「なんとなくできる仕事をしているだけ」と語る山田に、父親は「なんか独創的に、とんでもなく発想豊かに、何の分野かわからないけど、はちゃめちゃやってそうな気もする」と言う。父親は、山田以上に山田を理解していたようだ。 山田にもう、涙はない。「おもしろい人だなぁ」と父親を評し、「その人の息子だから」と気負いを捨てることができた。 さらに1週間後、合同会社カンヌに、芦田が山田を訪ねてきた。『穢の森』の現場が崩壊した最大の理由は、芦田が自ら降板を決めたことだった。山田は、山下が去った後、自ら監督をするつもりでいたのだ。それを理解している芦田、どこか所在なさげに、勧められたパイプイスに腰を下ろす。 「親父のことを知ったら、自分のことがどんどん見えてきて」 穏やかな表情で語りかける山田の変化は、芦田にも伝わっている。2週間前までは想像もできないような、柔らかい空気が合同会社カンヌに漂っている。 「自分で枷を付けてたんですよね、あの映画撮ってるとき、面白くなかったから」 その山田の告白に、芦田も思わず笑ってしまう。 「山田さんは、次、何をやりたいんですか?」 2週間前、「山田さん何がやりたいんですか?」と言い残して『穢の森』プロジェクトを断ち切った芦田が、優しく問いかける。芦田がこれを問いかける意味を、山田も、芦田本人も、よくわかっているはずだ。 「言うの、怖いんですけど……やっぱり僕は映画が作りたい。カンヌとかそういうの関係なく、僕が本気で面白いと思うものを作れば、みんな面白がってくれると思うんですよ」 小学6年生の芦田愛菜を相手に、山田孝之はずっと敬語でしゃべっていた。 番組のカメラは、撮影スタジオに移る。壁一面にグリーンの布が垂れ下がっている。クロマキー合成で新作映画を撮影するようだ。 山田は、監督を決めかねていた。 「会ってくれるかな、山下さん……」帰京後に芦田と対面したとき、山田は不安を吐露している。 スタジオに山下敦弘が現れる。ギクシャクした2人の間に芦田が入り、「監督の山下敦弘さん」「主演の山田孝之さんです」と、お互いを紹介してみせる。クランクインは10月20日、山田孝之の33回目の誕生日だった。 ひげをそり、すっかり俳優の顔になった山田がカメラの前に立ち、山下と芦田が並んでモニターを覗き込んでいる。山田と山下がケータリングの列に並び、芦田が盛り付けの手伝いをしている。そうして完成させた『映画 山田孝之3D』は、今年6月16日に東宝配給で公開が決定している。監督はこの番組同様、松江哲明と山下敦弘。もちろん、カンヌ映画祭にも正式に応募しているそうだ。 全12話にわたって放送された『山田孝之のカンヌ映画祭』は、今までに見たことのない番組だった。どこまでが決まっていて、どこまでがアドリブだったのかはわからないし、もはやそれはどうでもいいことだ。 この番組では、映画に関わるさまざまなプロたちの剥き出しの凄味が、確かに画面上に現れていた。山田孝之と山下敦弘という、すでに多くのキャリアを積み「好きなように仕事を選べる」立場にある2人の映画人が戯画的な役割に徹し、まるで子どものように「カンヌ、カンヌ」と騒ぎ立てることで、真摯だったりイイカゲンだったりする日本映画界の側面が次々に姿を現していた。そして最後には、自分たちを崩壊するまで追い込み、そこから再生してみせた。 「もっと自由にやっていい」 きっとこの番組は、すべての日本の映画人へのテーゼとして作られたのだろう。そして、芦田愛菜こそが女神だった。 (文=どらまっ子AKIちゃん)テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
史上最低を大幅更新したフジテレビ月9『突然ですが、明日結婚します』は、何がダメだったのか
『突然ですが、明日結婚します』(フジテレビ系)の最終回。視聴率は6.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と、5.0%だった第6話に次いで2番目の低さ。全話平均も6.6%と、同枠での史上最低記録を大幅に更新しました。 ところで今日、東京でも桜が開花しましたね。穏やかな気持ちで、この最終回を含めてドラマ全体を振り返ってみたいと思います。 ■flumpool・山村隆太の起用について 1月~3月に放送されたこの作品の制作発表が行われたのは、年が明けた1月8日のこと。放送は第4週の23日(月)からで、明らかに出遅れたスタートでした。フジテレビはトラブルを明らかにしていませんが、昨年末にかけて進んでいた企画が頓挫し、差し替えとして用意されたのが『突然ですが、明日結婚します』だったのです。 当然、売れっ子の俳優さんのスケジュールは埋まっています。約3カ月を拘束する連続ドラマのキャスティングは、遅くとも半年前にはオファーが始まるといいます。そんなわけで同月から海外に留学予定だったという西内まりやと、演技未経験のflumpool・山村隆太がブッキングされましたが、この山村の起用が第1の失敗だったと思います。 もちろん、ミュージシャンだからダメ、演技未経験だからダメ、というわけではありません。事実、山村と同じアミューズ所属の藤原さくらは昨年4月期の月9『ラヴソング』で本職の夏帆や菅田将暉を相手に充実した芝居合戦を見せていましたし、ピエール瀧や浜野謙太は今やバイプレイヤーとして確固たる地位を築いています。武田鉄矢や石橋凌なんて、若い世代はミュージシャンだったことすら知らないでしょう。いわずもがな、西内まりやも歌手活動をしています。 結果として、山村という人に演技の素養がなかったことがドラマの欠点になりました。相手のセリフに反応できない、顔の表情で感情を表現できない、抑揚をつけた発声ができない……もちろんこれは、山村氏の責任ではまったくありません。flumpoolは『NHK紅白歌合戦』に何度も出演し、日本武道館公演をこなすほどの一線級のバンドです。ただ、演技には向いていなかった。演技に向いていない人間を主役級に据えてしまったこと。これは100%、完全にフジテレビの落ち度です。これ以上ないほどの「妥協」だし、「いいものを作ろう」という意識の欠如だと思います。 ■原作『突然ですが、明日結婚します』について 制作に急を要した今回の月9では、当然、準備に時間が必要なオリジナル脚本を用意することはできません。通常、いくつか連ドラの企画や仮シナリオくらい準備してあるはずですが、適当なものがなかったのでしょう。人気コミック『突然ですが、明日結婚します』(小学館)が原作に選ばれました。 同コミックは、少女マンガではありません。セックスシーンがふんだんに盛り込まれた、いわゆるレディコミに分類される作品でしょう。連載誌である「プチコミック」誌のキャッチフレーズも、小学館の公式サイトによれば「オトナの恋愛コミック誌。ねえ、もっと恋しない?」というもの。明らかにティーン向けではありません。 原作ではナナリューとあすかがセックスをすることで関係性に変化が訪れますが、月9でセックスをするわけにはいきません。それどころか、セックスの匂いを完全に消さなければいけない。そういう基準が一概に悪いというわけではありませんが、原作選びの時点で「月9では描き切れない」物語を選んでしまっていたということです。 また一方で、同コミックはコメディ作品でもあります。ドラマも初期段階では、原作よりさらにコメディ寄りに作ろうとしていた意図が感じられました。原作ではイケメンだったナナリューの親友・小野さんに“冴えないデブ”である森田甘路を起用したこともそうですし、加藤諒や椿鬼奴といった、芸達者でキャラクターの立った配置にも、作品の世界観を定める上で重要な役割を背負わせていたはずです。 しかし、肝心のナナリューこと山村氏が演技ができないので、この作品はコメディにはなりえませんでした。ここにもミスマッチが発生しています。 世の中には、シリアス演技はできてもコメディができない俳優はたくさんいます。重ねて言いますが、山村氏に責任はありません。どういう順番かは知りませんが、山村氏を起用するなら起用するなりの企画選びをする必要があったということです。山村氏はずっと仏頂面で、ボソボソとしかしゃべることができない。だったら、仏頂面でボソボソとしゃべってるけど「でも、それがいい!」と思える企画を用意すべきだったのです。逆に、コメディ企画であることが先に決まっていて山村氏を起用したのなら、これ以上ないほどの「妥協」だし、「いいものを作ろう」という意識の欠如だと思います。 ■全9話の主に脚本について この原作を選んで、しかもセックスが描けないことになり、脚本家は途方に暮れたことでしょう。2人の関係性に、発展を与えることができないのです。 昨日放送された最終回のクライマックスで、ナナリューとあすかは声を揃えて「突然ですが、明日結婚します!」と宣言しました。出会って恋に落ちた2人が、いろいろあって最後に2人でこのセリフを言う。きっとそれだけは決まっていたに違いありません。あとは、時間を埋めるための空虚な会話や、山崎育三郎による空虚なセクハラ、それに高岡早紀の空虚な説教が続くばかりでした。9週にわたって、それが続くばかりでした。 第1話で、あすかがナナリューに恋をしたきっかけは、買い物中に偶然手が触れ合ったことと、前カレにフラれた傷が癒えていないときに優しくしてくれて、キャンディをくれたことだけでした。「ティーン向け」だから、それでいいという判断なのかもしれませんが、そういうきっかけで付き合い始めた2人には話すことが何もありません。ケンカとキス、ケンカとキス、ケンカとキス、「胸キュン」シーンの羅列が続き、「結婚したい」あすかと「結婚したくない」ナナリューとの価値観の衝突やすり合わせ、つまり2人の間で「結婚についての話し合い」が行われることは、ほとんどありませんでした。 そもそも、ドラマ版の高梨あすかには「こういう人と結婚したい」「こういう相手となら理想の家庭を築ける」という考え方そのものがありません。買い物中に手が触れて、なんかキャンディをくれたイケメンを好きになったから「この人と結婚したい」と思っただけなんです。「この相手となら」と、なぜあすかが思ったのか。エリートの先輩社員に対して「この相手はダメ」と、なぜ思ったのか。ナナリューのどこが好きで、なぜ結婚相手に選びたいと思ったのか。それを語らずして「結婚したい」という気持ちを理解できるわけがないんです。 ドラマの登場人物に共感できるかどうかは、その人物の価値観や人生観に共鳴できるものがあるかどうかで決まります。しかしこのドラマでは、価値観や人生観が、視聴者に提示すらされなかった。わたしはこのドラマに出てくる登場人物の誰ひとりとして、好きにも嫌いにもなりませんでした。あすかやナナリューが、このドラマ時間の以前にどんな人生を送って、どんな恋愛をしてきたかも一切想像できなかったし、「結婚します!」と宣言した2人がどんな結婚生活を送るのかも一切想像できません。爺さん婆さんになっても、カップラーメンを食ってキスをするだけの生活を送っているようにしか思えない。そのまま死んでいくとしか思えない。つまり、人間が描けていないということです。 第1話のレビュー(記事参照)で「『結婚』を語っていくドラマで“イケメンに優しくされたら、理屈抜きに好きになっちゃう”女のコが主人公というのは、これはすごく展開に不安を残す原作改変だと思った次第です」と書きましたが、その不安がものの見事に的中してしまいました。 ■で、何が言いたいの? すごくつまんなかったと言いたいんです。 この作品に「いいところ」があるとすれば、視聴率が最低に低かったことくらいです。この程度の創作物が電波に乗ってたくさんの人に届けられてしまったら、みんなテレビドラマという媒体そのものに絶望してしまうよ。 最後にもう一度、念を押しておきますが、山村氏を含むキャストに今回の失敗の責任は一切ないと思います。フジテレビさん、次からはがんばってください。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『突然ですが、明日結婚します』番組サイトより
史上最低を大幅更新したフジテレビ月9『突然ですが、明日結婚します』は、何がダメだったのか
『突然ですが、明日結婚します』(フジテレビ系)の最終回。視聴率は6.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と、5.0%だった第6話に次いで2番目の低さ。全話平均も6.6%と、同枠での史上最低記録を大幅に更新しました。 ところで今日、東京でも桜が開花しましたね。穏やかな気持ちで、この最終回を含めてドラマ全体を振り返ってみたいと思います。 ■flumpool・山村隆太の起用について 1月~3月に放送されたこの作品の制作発表が行われたのは、年が明けた1月8日のこと。放送は第4週の23日(月)からで、明らかに出遅れたスタートでした。フジテレビはトラブルを明らかにしていませんが、昨年末にかけて進んでいた企画が頓挫し、差し替えとして用意されたのが『突然ですが、明日結婚します』だったのです。 当然、売れっ子の俳優さんのスケジュールは埋まっています。約3カ月を拘束する連続ドラマのキャスティングは、遅くとも半年前にはオファーが始まるといいます。そんなわけで同月から海外に留学予定だったという西内まりやと、演技未経験のflumpool・山村隆太がブッキングされましたが、この山村の起用が第1の失敗だったと思います。 もちろん、ミュージシャンだからダメ、演技未経験だからダメ、というわけではありません。事実、山村と同じアミューズ所属の藤原さくらは昨年4月期の月9『ラヴソング』で本職の夏帆や菅田将暉を相手に充実した芝居合戦を見せていましたし、ピエール瀧や浜野謙太は今やバイプレイヤーとして確固たる地位を築いています。武田鉄矢や石橋凌なんて、若い世代はミュージシャンだったことすら知らないでしょう。いわずもがな、西内まりやも歌手活動をしています。 結果として、山村という人に演技の素養がなかったことがドラマの欠点になりました。相手のセリフに反応できない、顔の表情で感情を表現できない、抑揚をつけた発声ができない……もちろんこれは、山村氏の責任ではまったくありません。flumpoolは『NHK紅白歌合戦』に何度も出演し、日本武道館公演をこなすほどの一線級のバンドです。ただ、演技には向いていなかった。演技に向いていない人間を主役級に据えてしまったこと。これは100%、完全にフジテレビの落ち度です。これ以上ないほどの「妥協」だし、「いいものを作ろう」という意識の欠如だと思います。 ■原作『突然ですが、明日結婚します』について 制作に急を要した今回の月9では、当然、準備に時間が必要なオリジナル脚本を用意することはできません。通常、いくつか連ドラの企画や仮シナリオくらい準備してあるはずですが、適当なものがなかったのでしょう。人気コミック『突然ですが、明日結婚します』(小学館)が原作に選ばれました。 同コミックは、少女マンガではありません。セックスシーンがふんだんに盛り込まれた、いわゆるレディコミに分類される作品でしょう。連載誌である「プチコミック」誌のキャッチフレーズも、小学館の公式サイトによれば「オトナの恋愛コミック誌。ねえ、もっと恋しない?」というもの。明らかにティーン向けではありません。 原作ではナナリューとあすかがセックスをすることで関係性に変化が訪れますが、月9でセックスをするわけにはいきません。それどころか、セックスの匂いを完全に消さなければいけない。そういう基準が一概に悪いというわけではありませんが、原作選びの時点で「月9では描き切れない」物語を選んでしまっていたということです。 また一方で、同コミックはコメディ作品でもあります。ドラマも初期段階では、原作よりさらにコメディ寄りに作ろうとしていた意図が感じられました。原作ではイケメンだったナナリューの親友・小野さんに“冴えないデブ”である森田甘路を起用したこともそうですし、加藤諒や椿鬼奴といった、芸達者でキャラクターの立った配置にも、作品の世界観を定める上で重要な役割を背負わせていたはずです。 しかし、肝心のナナリューこと山村氏が演技ができないので、この作品はコメディにはなりえませんでした。ここにもミスマッチが発生しています。 世の中には、シリアス演技はできてもコメディができない俳優はたくさんいます。重ねて言いますが、山村氏に責任はありません。どういう順番かは知りませんが、山村氏を起用するなら起用するなりの企画選びをする必要があったということです。山村氏はずっと仏頂面で、ボソボソとしかしゃべることができない。だったら、仏頂面でボソボソとしゃべってるけど「でも、それがいい!」と思える企画を用意すべきだったのです。逆に、コメディ企画であることが先に決まっていて山村氏を起用したのなら、これ以上ないほどの「妥協」だし、「いいものを作ろう」という意識の欠如だと思います。 ■全9話の主に脚本について この原作を選んで、しかもセックスが描けないことになり、脚本家は途方に暮れたことでしょう。2人の関係性に、発展を与えることができないのです。 昨日放送された最終回のクライマックスで、ナナリューとあすかは声を揃えて「突然ですが、明日結婚します!」と宣言しました。出会って恋に落ちた2人が、いろいろあって最後に2人でこのセリフを言う。きっとそれだけは決まっていたに違いありません。あとは、時間を埋めるための空虚な会話や、山崎育三郎による空虚なセクハラ、それに高岡早紀の空虚な説教が続くばかりでした。9週にわたって、それが続くばかりでした。 第1話で、あすかがナナリューに恋をしたきっかけは、買い物中に偶然手が触れ合ったことと、前カレにフラれた傷が癒えていないときに優しくしてくれて、キャンディをくれたことだけでした。「ティーン向け」だから、それでいいという判断なのかもしれませんが、そういうきっかけで付き合い始めた2人には話すことが何もありません。ケンカとキス、ケンカとキス、ケンカとキス、「胸キュン」シーンの羅列が続き、「結婚したい」あすかと「結婚したくない」ナナリューとの価値観の衝突やすり合わせ、つまり2人の間で「結婚についての話し合い」が行われることは、ほとんどありませんでした。 そもそも、ドラマ版の高梨あすかには「こういう人と結婚したい」「こういう相手となら理想の家庭を築ける」という考え方そのものがありません。買い物中に手が触れて、なんかキャンディをくれたイケメンを好きになったから「この人と結婚したい」と思っただけなんです。「この相手となら」と、なぜあすかが思ったのか。エリートの先輩社員に対して「この相手はダメ」と、なぜ思ったのか。ナナリューのどこが好きで、なぜ結婚相手に選びたいと思ったのか。それを語らずして「結婚したい」という気持ちを理解できるわけがないんです。 ドラマの登場人物に共感できるかどうかは、その人物の価値観や人生観に共鳴できるものがあるかどうかで決まります。しかしこのドラマでは、価値観や人生観が、視聴者に提示すらされなかった。わたしはこのドラマに出てくる登場人物の誰ひとりとして、好きにも嫌いにもなりませんでした。あすかやナナリューが、このドラマ時間の以前にどんな人生を送って、どんな恋愛をしてきたかも一切想像できなかったし、「結婚します!」と宣言した2人がどんな結婚生活を送るのかも一切想像できません。爺さん婆さんになっても、カップラーメンを食ってキスをするだけの生活を送っているようにしか思えない。そのまま死んでいくとしか思えない。つまり、人間が描けていないということです。 第1話のレビュー(記事参照)で「『結婚』を語っていくドラマで“イケメンに優しくされたら、理屈抜きに好きになっちゃう”女のコが主人公というのは、これはすごく展開に不安を残す原作改変だと思った次第です」と書きましたが、その不安がものの見事に的中してしまいました。 ■で、何が言いたいの? すごくつまんなかったと言いたいんです。 この作品に「いいところ」があるとすれば、視聴率が最低に低かったことくらいです。この程度の創作物が電波に乗ってたくさんの人に届けられてしまったら、みんなテレビドラマという媒体そのものに絶望してしまうよ。 最後にもう一度、念を押しておきますが、山村氏を含むキャストに今回の失敗の責任は一切ないと思います。フジテレビさん、次からはがんばってください。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『突然ですが、明日結婚します』番組サイトより
『山田孝之のカンヌ映画祭』第11話 もう見てられない! 正論vs正論の正面衝突が痛すぎて……
山田孝之がカンヌ映画祭最高賞目指して、監督・山下敦弘や周りを巻き込み、自分勝手に突き進む。そんな、どこまでがドキュメンタリーなのかわからない「ドキュメンタリー風」番組。 親殺しの殺人者・らいせ役には芦田愛菜、母親の愛人役には演技素人のエロマンガ家が据えられた。そして、フルヌードが必要な母親役には長澤まさみをブッキングしてみたものの、あえなく「脱げない」と断られてしまったところが前回まで。今回は、そんなこんなで迎えた『穢れの森』クランクイン初日の様子が描かれた。 ヌードを断り、番組のナレーションを引き受けた長澤によれば、この8月29日のクランクイン当日は山下監督の誕生日なのだという。 「山田プロデューサーの粋な計らいです」 と長澤。しかし、この日は山下監督にとって、もしかしたら映画人生で最悪の1日だったかもしれない。 「第11話 芦田愛菜 決断する」を振り返る。 撮影はクライマックスから始まるという。長澤まさみの代役として用意されたのは、全高3メートルはありそうなグロテスクなオブジェ。山田がマンガ家・長尾謙一郎に依頼して描かせたイメージボードそのものだが、上半身が異様に膨れ上がり、顔面は焼け焦げたように真っ黒で、目鼻の判別もできない状態。髪は金髪。芦田がそのドテッ腹に包丁を突き立てると、ぴょろろ~と乳首から水が飛び出す謎仕様だ。刺されたオブジェは、火柱を上げて爆発するのだそうだ。これにより「狂い死に」を表現しているらしい。改めて、長澤まさみの降板という判断は正しかったと感じてしまう。 山下と芦田は大喜びだが、リハ中も終始憮然とした表情の山田。ひと通り打ち合わせを見届けると、まずはカメラマン(是枝裕和監督とのコンビで数々の賞を受けている山崎裕だ)に「発泡スチロールの質感」について確認する。 さらに気に食わないのが、長尾のイメージボードそのままに作ってきたのに、サイズ感が足りないこと。確かに長尾の絵では、この「さちこ」は港湾に並ぶガントリークレーンより、はるかにでかい。たぶん50メートルとか、それくらいあるのだろう。それを作れというのか、山田。 乳首から出る水の勢いを増すことで妥協点を見出そうとする山下だが、山田は聞く耳を持たず、とりあえず「3倍くらいの大きさ」のオブジェを要求する。それには3週間の期間と、さらなる予算が必要になるというのに。 「これで撮りたい」と言い張る監督・山下と、「1回戻して(撤去して)もらっていいですよ」と、スタッフに撮影中断を指示するプロデューサー・山田。現場に険悪な空気が流れだす。右往左往するチーフ助監督に、ベテランカメラマン・山崎が「方向性が出ない、どうしようもない」と、穏やかな表情ながら吐き捨ててみせる。ものすごい緊迫感だ。 ■芦田愛菜をヘビに噛ませる 結局、「さちこ」は撤去された。 問題は、まだある。明日、芦田がヘビに噛まれるシーンがあり、そのヘビを確認することになる。 用意されたヘビは3匹。「噛まれたときにケガが小さいのはこれで、ものすごい大ケガしそうな可能性があるのはこちら」と、ヘビ担当者が淡々と説明する。芦田は、うろたえつつ「やってみます」と口にする。「明日までに仲良くなっておいて、甘噛みみたいな……ないですかね」と、与えられた条件の中で少しでも現実的な方法を模索しているようだ。小学校6年生。見上げたプロ根性である。 「血がけっこう、多く出るんです」という担当者の説明に、「それ、大丈夫? 芦田さん」と大丈夫なわけがない質問をぶつける山下。まずは自分が噛まれてみることにするが、案の定、血が多く出てしまう。「芦田さん、こんな感じ」と平静を装う山下だが、一同ドン引きである。 山下は、当然だが、噛まれるシーンを吹き替えにして、カットを割ることを提案。しかし山田は「ワンカットです」と、にべもない。 ■さらに険悪になっていく山田・山下コンビ さらに悪いことに、愛人役のエロマンガ家が一度は了承したはずの「火だるま」シーンを「ちょっと無理」と言い出した。「火傷とかのリスクがあると思うんですよね」そりゃそうだ。 スタントマンを用意することを提案する山下に対し、山田は「覚悟の問題だと思うんですよ」と、これも譲らない。「噛まれてくれたら、俺も噛まれます。燃えてくれたら俺も燃えますよ」と、なんの生産性もない提案をしてくる。 話は再び「さちこ」へ。3週間待ってでも巨大「さちこ」にこだわる山田と、予算や日程などの現実的な問題を加味しながら、あくまでこの日にクランクインしたい山下。出資者である山田ファンの稲垣さん(ガールズバー経営)からの振り込みも滞っており、映画そのものの完成も危ぶまれてきた。 この日、40歳を迎えた山下は大人として、数々の現場を仕切ってきたプロの映画人として、冷静に山田を説得しようと試みる。誠意をもって話す山下に「仕方ないです」「無理なんだったら無理です」と冷たく言い放つ山田。 小柄な山田が、さらに小柄な山下を見下しながら、 「意味のないこと、なんのためにやるんですか?」 「意味わかんないです」 「とりあえず撮りたいってことですか?」 「妥協しかないじゃないですか」 「とりあえず撮りたいんだったら好きなもん撮ればいいじゃないですか。いつもやってるように」 「一生カンヌ獲れないですよ。妥協妥協妥協じゃ」 さすがにここまで言われて、山下も黙っていない。 「それはちょっと失礼じゃない?」 ちょっとじゃない。すごく失礼だ。 「なんで俺の映画作りを否定すんの?」 「今までの俺の映画が全部クソってこと?」 山下も感情が高ぶってくる。それでも山田は止まらない。 「いいっす、もういいっす。帰っていいっすよ。いらないっす」 すわ、乱闘か、という雰囲気である。殴ってしかるべき場面だ。 「ホントに終わりなの、これで」 スタッフを集め、ここまで進めてきた企画に未練を残す山下の肩を叩き「ホントもういいっす」「もうやだ」と、山田はまるで子どものように駄々をこねて、山下を現場から追い出してしまう。 山田をブン殴るかわりに、全力疾走で現場をあとにする山下。自分の現場から、いの一番にいなくなる映画監督とは、どんな気分だろうか。スタッフたちも、山田の話より山下のほうが気になって仕方がない。 突如、森の向こうから爆発音がして、火柱が上がった。「さちこ」が燃えてしまったようだ。監督もいないし、「さちこ」もいない。これで、この日のクランクインは絶望的になってしまった。 ■芦田愛菜からの糾弾が突き刺さる 撮影は延期に。監督も自分でやることにした山田は、主演女優・芦田に「気持ちを切らさないで」と話そうとするが、その山田の言葉を聞かずに、芦田が山田を糾弾する。 「山田さん何がやりたいんですか?」 冷たい声だ。芸能界の先輩で、大人で、ついさっきから監督でもある山田に、芦田愛菜からの容赦ない視線が突き刺さる。山田は芦田に視線を合わせることができない。気まずい時間が流れる。鳥の声がする。 ちょこん、と愛らしく芦田は頭を下げ、「ごめんなさい」と言って踵を返した。この回の表題「芦田愛菜 決断する」は、『穢れの森』からの降板を意味していた。 クランクインの20日前、山下と芦田が並んで打ち上げ花火を見上げ、その後ろでつまらなそうな山田が座っているシーンで今回はエンドロール。 「さちこ」が爆発炎上したことで、今回はより“フェイク”の部分が強調され、なんとか見通すことができた。これ、全部が全部ガチのマジだったら胃が痛すぎて見ていられなかっただろう。とにかく山田孝之の言っている理想論が全部正論だし、山下敦弘の言っている現実論も全部正論なのだ。正論と正論が正面衝突すると、相手の人格やキャリアを否定するところにまで到達してしまう。2人とも、そこまで言いたいわけじゃないのだ。ただ「完成」が見たいだけなのだ。映画のみならず、物作りに携わった経験のある人間にとっては、涙なくしては見られなかった回だったはずだ。 次回は最終回。「山田孝之 故郷へ帰る」のだそうだ。山田は、そして『穢れの森』の監督であったのと同時にこの『山田孝之のカンヌ映画祭』というテレビプログラムでも松江哲明と並んで「監督」にクレジットされている山下は、どんな結末を用意しているのだろう。楽しみで仕方がない。 (文=どらまっ子AKIちゃん)『山田孝之のカンヌ映画祭』テレビ東京より
『山田孝之のカンヌ映画祭』第11話 もう見てられない! 正論vs正論の正面衝突が痛すぎて……
山田孝之がカンヌ映画祭最高賞目指して、監督・山下敦弘や周りを巻き込み、自分勝手に突き進む。そんな、どこまでがドキュメンタリーなのかわからない「ドキュメンタリー風」番組。 親殺しの殺人者・らいせ役には芦田愛菜、母親の愛人役には演技素人のエロマンガ家が据えられた。そして、フルヌードが必要な母親役には長澤まさみをブッキングしてみたものの、あえなく「脱げない」と断られてしまったところが前回まで。今回は、そんなこんなで迎えた『穢の森』クランクイン初日の様子が描かれた。 ヌードを断り、番組のナレーションを引き受けた長澤によれば、この8月29日のクランクイン当日は山下監督の誕生日なのだという。 「山田プロデューサーの粋な計らいです」 と長澤。しかし、この日は山下監督にとって、もしかしたら映画人生で最悪の1日だったかもしれない。 「第11話 芦田愛菜 決断する」を振り返る。 撮影はクライマックスから始まるという。長澤まさみの代役として用意されたのは、全高3メートルはありそうなグロテスクなオブジェ。山田がマンガ家・長尾謙一郎に依頼して描かせたイメージボードそのものだが、上半身が異様に膨れ上がり、顔面は焼け焦げたように真っ黒で、目鼻の判別もできない状態。髪は金髪。芦田がそのドテッ腹に包丁を突き立てると、ぴょろろ~と乳首から水が飛び出す謎仕様だ。刺されたオブジェは、火柱を上げて爆発するのだそうだ。これにより「狂い死に」を表現しているらしい。改めて、長澤まさみの降板という判断は正しかったと感じてしまう。 山下と芦田は大喜びだが、リハ中も終始憮然とした表情の山田。ひと通り打ち合わせを見届けると、まずはカメラマン(是枝裕和監督とのコンビで数々の賞を受けている山崎裕だ)に「発泡スチロールの質感」について確認する。 さらに気に食わないのが、長尾のイメージボードそのままに作ってきたのに、サイズ感が足りないこと。確かに長尾の絵では、この「さちこ」は港湾に並ぶガントリークレーンより、はるかにでかい。たぶん50メートルとか、それくらいあるのだろう。それを作れというのか、山田。 乳首から出る水の勢いを増すことで妥協点を見出そうとする山下だが、山田は聞く耳を持たず、とりあえず「3倍くらいの大きさ」のオブジェを要求する。それには3週間の期間と、さらなる予算が必要になるというのに。 「これで撮りたい」と言い張る監督・山下と、「1回戻して(撤去して)もらっていいですよ」と、スタッフに撮影中断を指示するプロデューサー・山田。現場に険悪な空気が流れだす。右往左往するチーフ助監督に、ベテランカメラマン・山崎が「方向性が出ない、どうしようもない」と、穏やかな表情ながら吐き捨ててみせる。ものすごい緊迫感だ。 ■芦田愛菜をヘビに噛ませる 結局、「さちこ」は撤去された。 問題は、まだある。明日、芦田がヘビに噛まれるシーンがあり、そのヘビを確認することになる。 用意されたヘビは3匹。「噛まれたときにケガが小さいのはこれで、ものすごい大ケガしそうな可能性があるのはこちら」と、ヘビ担当者が淡々と説明する。芦田は、うろたえつつ「やってみます」と口にする。「明日までに仲良くなっておいて、甘噛みみたいな……ないですかね」と、与えられた条件の中で少しでも現実的な方法を模索しているようだ。小学校6年生。見上げたプロ根性である。 「血がけっこう、多く出るんです」という担当者の説明に、「それ、大丈夫? 芦田さん」と大丈夫なわけがない質問をぶつける山下。まずは自分が噛まれてみることにするが、案の定、血が多く出てしまう。「芦田さん、こんな感じ」と平静を装う山下だが、一同ドン引きである。 山下は、当然だが、噛まれるシーンを吹き替えにして、カットを割ることを提案。しかし山田は「ワンカットです」と、にべもない。 ■さらに険悪になっていく山田・山下コンビ さらに悪いことに、愛人役のエロマンガ家が一度は了承したはずの「火だるま」シーンを「ちょっと無理」と言い出した。「火傷とかのリスクがあると思うんですよね」そりゃそうだ。 スタントマンを用意することを提案する山下に対し、山田は「覚悟の問題だと思うんですよ」と、これも譲らない。「噛まれてくれたら、俺も噛まれます。燃えてくれたら俺も燃えますよ」と、なんの生産性もない提案をしてくる。 話は再び「さちこ」へ。3週間待ってでも巨大「さちこ」にこだわる山田と、予算や日程などの現実的な問題を加味しながら、あくまでこの日にクランクインしたい山下。出資者である山田ファンの稲垣さん(ガールズバー経営)からの振り込みも滞っており、映画そのものの完成も危ぶまれてきた。 この日、40歳を迎えた山下は大人として、数々の現場を仕切ってきたプロの映画人として、冷静に山田を説得しようと試みる。誠意をもって話す山下に「仕方ないです」「無理なんだったら無理です」と冷たく言い放つ山田。 小柄な山田が、さらに小柄な山下を見下しながら、 「意味のないこと、なんのためにやるんですか?」 「意味わかんないです」 「とりあえず撮りたいってことですか?」 「妥協しかないじゃないですか」 「とりあえず撮りたいんだったら好きなもん撮ればいいじゃないですか。いつもやってるように」 「一生カンヌ獲れないですよ。妥協妥協妥協じゃ」 さすがにここまで言われて、山下も黙っていない。 「それはちょっと失礼じゃない?」 ちょっとじゃない。すごく失礼だ。 「なんで俺の映画作りを否定すんの?」 「今までの俺の映画が全部クソってこと?」 山下も感情が高ぶってくる。それでも山田は止まらない。 「いいっす、もういいっす。帰っていいっすよ。いらないっす」 すわ、乱闘か、という雰囲気である。殴ってしかるべき場面だ。 「ホントに終わりなの、これで」 スタッフを集め、ここまで進めてきた企画に未練を残す山下の肩を叩き「ホントもういいっす」「もうやだ」と、山田はまるで子どものように駄々をこねて、山下を現場から追い出してしまう。 山田をブン殴るかわりに、全力疾走で現場をあとにする山下。自分の現場から、いの一番にいなくなる映画監督とは、どんな気分だろうか。スタッフたちも、山田の話より山下のほうが気になって仕方がない。 突如、森の向こうから爆発音がして、火柱が上がった。「さちこ」が燃えてしまったようだ。監督もいないし、「さちこ」もいない。これで、この日のクランクインは絶望的になってしまった。 ■芦田愛菜からの糾弾が突き刺さる 撮影は延期に。監督も自分でやることにした山田は、主演女優・芦田に「気持ちを切らさないで」と話そうとするが、その山田の言葉を聞かずに、芦田が山田を糾弾する。 「山田さん何がやりたいんですか?」 冷たい声だ。芸能界の先輩で、大人で、ついさっきから監督でもある山田に、芦田愛菜からの容赦ない視線が突き刺さる。山田は芦田に視線を合わせることができない。気まずい時間が流れる。鳥の声がする。 ちょこん、と愛らしく芦田は頭を下げ、「ごめんなさい」と言って踵を返した。この回の表題「芦田愛菜 決断する」は、『穢の森』からの降板を意味していた。 クランクインの20日前、山下と芦田が並んで打ち上げ花火を見上げ、その後ろでつまらなそうな山田が座っているシーンで今回はエンドロール。 「さちこ」が爆発炎上したことで、今回はより“フェイク”の部分が強調され、なんとか見通すことができた。これ、全部が全部ガチのマジだったら胃が痛すぎて見ていられなかっただろう。とにかく山田孝之の言っている理想論が全部正論だし、山下敦弘の言っている現実論も全部正論なのだ。正論と正論が正面衝突すると、相手の人格やキャリアを否定するところにまで到達してしまう。2人とも、そこまで言いたいわけじゃないのだ。ただ「完成」が見たいだけなのだ。映画のみならず、物作りに携わった経験のある人間にとっては、涙なくしては見られなかった回だったはずだ。 次回は最終回。「山田孝之 故郷へ帰る」のだそうだ。山田は、そして『穢の森』の監督であったのと同時にこの『山田孝之のカンヌ映画祭』というテレビプログラムでも松江哲明と並んで「監督」にクレジットされている山下は、どんな結末を用意しているのだろう。楽しみで仕方がない。 (文=どらまっ子AKIちゃん)『山田孝之のカンヌ映画祭』テレビ東京より
『A LIFE~愛しき人~』最終回 木村拓哉を“主役から外す”という大英断、そして神話の崩壊
毎週マサオ(浅野忠信)を愛でてきた日曜劇場『A LIFE ~愛しき人~』も最終回。視聴率は祝日なのでまだ出ていませんが、そこそこ取ると思います。何しろ、面白かったので。 前回、妻の深冬(竹内結子)が、自分の脳腫瘍の手術をマサオではなく沖田先生(木村拓哉)にお願いしたことでブチ切れ、さらに悪いことに、院長(柄本明)に黙って進めていた“乗っ取り計画”まで暴露されてしまい、病院を放逐されることになったマサオ。幼馴染の沖田に「おまえに俺の気持ちわかるか、わからないだろ」と言い残し、どこかへ行ってしまいます。 マサオは、どいつもこいつも沖田ばっかり頼りにすることが許せなかったし、沖田と深冬が隠れて抱き合ってたのも許せなかったし、どうにも情緒が定まりませんでした。フラフラと街をうろついてみても、ガード下で出会った野良猫にさえソッポを向かれる始末です。 マサオの医学部時代からの友人である外科部長・羽村(及川光博)によれば、マサオが壊れ始めたのは沖田がシアトルからこの病院に戻ってきてからなんだそうです。妻を救いたい、頼れるのは妻の元カレである沖田しかいない、妻は沖田に未練があるかもしれない、そういう複雑な状況の狭間で苦しむマサオが、ここまで丹念に描かれてきました。 しかし、今回は最終回ですし、主役は天下のキムタクですから、最後の手術というドラマ最大の見せ場は、やはり沖田が執刀することにしかなりません。 淡々と準備を進め、オペの日を迎えた沖田。万全の体制で臨みますが、手術中に深冬の脳に腫れが出てしまい、“天才”沖田をしても、3つの腫瘍のうち1つを取りきれません。そのまま閉頭し、脳の腫れが引くのを待って、再手術をすることになります。 もともと心臓外科が専門の沖田にとって、この再手術は大変難しいものだそうです。特に、神経と腫瘍の見極めは経験がモノを言うのだそうで、沖田もイマイチ自信がなさそうです。 そんなとき、マサオと深冬の娘を預かっている親戚のおばちゃんが医局に沖田を訪ねてきます。 「このノートを、マサオさんに渡していただけないでしょうか」 そのノートは、深冬が娘にあてた遺書でした。深冬は、マサオがいなくなってしまったために、おばちゃんにこれを預けていたのでした。 沖田はノートを携え、マサオの実家を訪ねます。マサオは、かつて小さな医院だった実家の診察室でウィスキーを煽り、やさぐれていました。 ここでマサオは、深冬が沖田に手術を頼んだ本当の理由を聞くことになります。万が一のことがあったときに、子どもが「お父さんがお母さんを殺した」ことを理解すると、非常につらいことになる。それを避けるために、深冬はマサオではなく沖田に手術を頼んだのでした。 マサオは、深冬がそういう大切なことを直接話してくれないことも寂しくて仕方がありません。そもそも深冬は「沖田先生にお願いします」と言ったときにその理由を説明しようとしており、自分が逆上して聞く耳を持たなかったわけですが、そんなことも忘れてグチグチグチグチといじけてしまいます。 沖田は「オペは3日後だ」と言い残してマサオの実家を後にしました。 今回の手術は、どうやら沖田だけでは成功しなそうなことが手際よく説明されました。心臓外科の技術を応用したバイパス術は沖田に一日の長がありますが、深い場所にある腫瘍を完全に取りきるには、やはり脳神経外科医としての経験が豊富なマサオの腕が必要です。しかしマサオは病院をクビになった身だし、いじけているのでオペに来るかどうかわかりません。 オペ当日。手術室に向かう沖田。振り返っても奴はいません。一縷の望みを託してその場で待っていると、フォーカスの向こうから術衣に身を包んだマサオが現れました。ヒーロー見参。2人は固く抱き合い、バディとして手術に向かいます。 沖田がバイパスを終えて術野をつくると、マサオに交代します。ここまで、ぐっちゃぐちゃの精神状態だったはずのマサオですが、さすが日本でも指折りの脳神経外科医。実に冷静に、沖田やほかのスタッフに指示を飛ばします。そんなマサオの腕をもってしても、深冬の腫瘍摘出は困難を極めました。 「うーん、見えないね」 「カズ(沖田)、そしたらね」 「見えてきたね」 「よーし、気を付けてね」 「向こうにきれいなのが見えるね」 「取れるよ、まだ吸引しないでよ」 「よし、取れた」 タメ口で、まるで少年2人が一緒に精密なプラモデルでも作っているみたいに、マサオとカズは深冬の腫瘍を取り切りました。まっさらな気持ちで、手術だけに集中していることが伝わってくるシーンでした。 ここにいたり、『A LIFE』の主人公は沖田ではなく、完全にマサオとなりました。さまざまな葛藤を乗り越え、自分のやるべき仕事を愛する人のために完璧にやりきったマサオ。どこかギクシャクしていた夫婦の関係も、すっかり円満になりました。 これ、画期的なことだったと思うんですよね。キムタク主演のドラマで、その最終回で、キムタクを主役から外してしまった。マサオによるマサオのためのドラマとして最後まで描き切ってしまった。 本当の意味で、視聴率的なことじゃなく“キムタク神話”が崩壊した瞬間だったと思います。これまでキムタクの出演するドラマで、ここまでキムタク以外に見せ場を振ったまま終幕した作品があったでしょうか。SMAPじゃなくなって、もしかしたらシナリオに横槍が入らなくなったのかもしれません。役を配置してストーリーを進めてみたら、偶然そういうふうになっちゃっただけなのかもしれない。それでも、脚本家が物語に準じて、登場人物の心情や設定に準じて、無理やりキムタクに花を持たせなかったことで、見応えのある作品になったと思います。虚飾に満ちた“神話”が崩壊したあとに、シンプルで愛すべき“物語”が残ったということです。 「キムタク主演=接待脚本のスターシステム」という構図が崩れたことは、今後の俳優・木村拓哉にとってもいいことだと思うし、この国のドラマ界にとっても、すごくいいことだと思うんです。 そしてやっぱり、キムタクを向こうに回してもドラマの中心に屹立することができたマサオ、つまり浅野忠信という俳優さんが、やっぱりタダモノではなかったと、この最終回を見て強く思いました。LOVEマサオ! (文=どらまっ子AKIちゃん)日曜劇場『A LIFE~愛しき人~』TBSテレビより






