自称“不遜”な小説家・天童荒太が描いた、震災5年目の「サバイバーズ・ギルト」

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 東日本大震災から5年。被災地からは続々と「復興」のニュースが届き、その安心感も手伝って、震災被害に思いを寄せる時間は格段に少なくなってきている。  直木賞作家・天童荒太の新作『ムーンナイト・ダイバー』は、そんな私たちに冷や水をぶっかける力作だった。描かれるのは、震災から4年半が過ぎた原発周辺地域。立ち入りが制限され、復興から取り残された町で行方不明になったままの方々の家族のために、主人公は月明かりだけを頼りに危険な海に潜って、遺品を拾い上げてくる。  あの震災を生き残ってしまった者の苦悩、いわゆる「サバイバーズ・ギルト」に苦しむ登場人物たちの姿は、あの日見た被災地のニュース映像を、自ら体験した大きな揺れとともに、まざまざと思い出させてくれた。  まだ、たった5年だった。深く自省しながら、ページを繰った。 ──深く自省しながら読み始めたのですが、そういう意識がすぐに吹っ飛んでしまったんです。どんどん読み進めてしまって、すごく面白い本を読んでいるという幸福感に包まれてしまい……。 天童 それは何よりです。願っていることなので(笑)。 ──幸福な読書体験だったのですが、読み終わった後に、少しだけ「私は震災を面白がってしまった」という罪悪感が湧いてきたんです。震災でつらい思いをした方がいる、まだまだいるということに思いを馳せようとして、思いを馳せながらも、時間を忘れて楽しんでいる自分がいた。そこに戸惑いを感じたんですね。 天童 それは自分が書くときにも生じるんですよ。『永遠の仔』で虐待された子を書くとき、あるいは『悼む人』で忘れられた人の死を書くときもそうですけれど、自分の中で昂揚感がなければ、表現として書くことができないですから。そうして昂揚していくときに「昂揚していいのか?」という罪悪感は、否定すべきものではないのではないか、と思っています。その罪悪感は、愛情の薄い人間だったり、「そんなことどうでもいいよ」と思っている人間だったら感じないものだから、肯定すべきものなのではないかと。それは人間の美質なんだろうと思います。大事なものだと思いながら表現しますし、届けるっていうのはありますね。 ──誠実さの裏返しとしての罪悪感。 天童 そう思っていましたし、物語の中の罪悪感、サバイバーズ・ギルトを書くときの基本路線はそれでしたね。生き残った側が、生き残ったことを幸せに思えない。「なんで俺が生きているのか」と。そのことを周囲は「おまえのせいじゃないんだから、そんなふうに考えるな」とか「くよくよせずに、そんなこと忘れて精一杯生きていけよ」って言い方をすると思うんですけれど、それは彼の持っている愛の豊かさを否定することになったり、大事に思う心を「忘れろ」と言っているに等しい。だから、言われた方はもっと苦しくなるし、「そんなことできない」と、もっと自分を責めてしまう。そういうことを、この世界はずっとしてきたんじゃないかと思ったんです。むしろ、そう思えることが愛の豊かさだし、忘れる必要もないし、そう思うことは大事なことだという社会に変わった方が、すごくいいんじゃないかっていう思いが根っこにあったんですね。
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■作家自身の震災体験と、「小説は不遜だ」という思い ──この作品の出発点となった2011年3月11日の東日本大震災を、どういう状況で迎えたのでしょうか。 天童 都内の自宅で、そのときは仕事はしていなかったですね。くつろいでいる時間帯でした。これだけの大きな揺れは経験したことがなかったので、とっさに思ったのは「これが東京の震源地ならいいんだけどな」ということでした。他が震源地だったら、その震源地はひどいことになっているだろうと。で、テレビをつけると、震源地は東北だった。これはもう尋常じゃないことが生じているだろうということを感じたのが、いちばん最初でしたね。 ──その報道を見ているときも、小説家としての職業意識は働くものですか? 天童 最初はやっぱり職業人としてではなく、属性のない一個の人間として驚愕の目で見ていました。小説家としてそこでできる仕事は、まずないので。ただ、2日3日たって、死者が1,500人、1,600人、もっと増えそうだとカウンティングが始まってきたときに……阪神淡路大震災の翌日に、自分の父親が亡くなっているんですね。これは病気で亡くなったので震災とは関係ないけれど、テレビでは「おまえの母ちゃんダメだったんだ」「えー!」みたいなことをずっと追いかけているし、地元の地方紙のお悔み欄に父親の名前を探したら、震災と関係なく大勢の方が亡くなっていて、子どももいて。人の死は死に方で扱いが変わるっていう現実を、肌感覚で感じたんです。その後、2001年の9.11があって、人の死がカウンティングされていくことの限界と、家族にとっては1万人分の1ではなく「オール」であるということのギャップに、我々はどう向き合っていけるんだろう。あるいは、向き合うことを忘れている世界は、人間にとって本来の幸せなのかと。3.11でも、カウンティングで災害の大きさが測られていくときに、またこのことが繰り返されていくのか、この世界は何も変わっていないということが、すごく重く堪えるようになってきた。そのときに、小説家として意識し始めたのかな。 ──その後、2011年の6月に、被災者にインタビューをするテレビの取材で陸前高田と大船渡に入っています。 天童 小説家として被災地に行くのは間違っている、という気がしていたので、葛藤はありましたね。そのときは『悼む人』を書いた人間としてどう思うかという取材依頼をいただいて、自分が媒介としての役割を果たせると思って、ようやく行けました。何かを表現するために行くっていうのは違うと思っていたんですが、小説家という人種は困ったもので、行くとそういう気持ちが絶対に芽生えるんです。単純にボランティアで行っても、それを何かに生かしてしまおうとするのではないか、という。 ──そのときの様子が『静人日記』の文庫版に収録されていますが、この文章は「一万五千、七千、という波底にもぐり、一つ一つのいのちの相貌を拾い上げられる本物の想像力がほしい」という一文で締めくくられています。これは「いつか小説を書くぞ」という決意表明だったのでしょうか? 天童 小説として書くことは、まったく考えていませんでした。現実を現実として表現するのは、小説として不遜であるという気持ちが強くあるんです。はっきり言えば小説はウソを通して真実を表現することなので、ああいう大きな災害は、ウソではなく現実を通して真実を伝えるべきだろうと。であれば、報道であったりノンフィクション、ドキュメンタリストの仕事なので、自分の仕事ではないという気持ちが強かったんですね。 ──書くにいたったきっかけというのは? 天童 あの震災が起きたときには、それまで経済優先だったがゆえに備えを低く見たり、怠ってきた部分があったのではないか? といった反省が起きたり、改めて人と人がつながり合うこと、絆が大事なのではないかという空気が生まれたにもかかわらず、1年2年たつうちにどんどん忘れられて……3.11以前にも増して、経済優先で格差を肯定している、あるいはそれによって孤立化が生まれ、モラルが中枢まで崩れていってしまうという現状がありました。それは根底に、我々が被災者を忘れようとしているがゆえに、自分たちの無意識のうちにも「利益を上げないと忘れられていくのではないか?」「悲しいことを背負ったら置き去りにされるのではないか?」という強迫観念を植え付けられているような気がしたんです。もう一度、悲しい思いをした人たち、つらい立場の人たちと向き合うことによって、我々の本来の美しさとか、豊かな在り方みたいなものを求めうるのではないかと。これは可能性であり、事実ではない。可能性を表現するのが小説の仕事ですから、自分の仕事がここにあると思ったんです。 ──それを実感した瞬間というか、奮い立った何かというのはあるのでしょうか。 天童 奮い立った何かはないですね。いろいろなものの総合的な感覚だったし、時代の流れだったし。そこで小説としての特性とか、小説にできることというのを考えたときに、今から2年前ですね、立ち入り禁止の町に海から入ることを思い立った。小説は人の目に見えないもの、カメラで写せないものを見せられるのが特性なので、立ち入ることができない海の底を見せるというのを思いついたときに、「それなら表現できる」「小説にできる」という小説家としての昂揚が生じたわけです。それがきっかけになっています。
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■原発が見える海に、手をつけて「約束」してきた ──執筆を前に赴いた浪江町の港への取材は「復興できない場所」を見に行くという意図だったのでしょうか? 天童 最初はそんなことを考えて行ったわけではなく、主人公たちが海に潜るために出航する港を見つけに行こうという取材でした。実際に現地名は出さないことを決めていましたが、生活者が主人公なので、生活者としての生活に即した現場をしっかり見てこようという気持ちが強くあったんですね。そこで浪江町の請戸という港に入ったのですが、取材に行った去年の4月というのは、もう4年目なんです。当時の報道は「復興しています」「被災現場は更地になって、きれいになって、高台に街ができ始めています」「失われた店はこんなふうに復興していて、元のようではないけれど、みんな元気で頑張っています」という笑顔があふれるシーンばかりだったので、その場所のイメージがなかったんです。行ってみたら、11年6月に陸前高田に入った時とほぼ変わらない風景だった。土台だけを残して失われた街の情景がずーっと続いているのを見たとき、大きなショックを受けましたね。何も、あのときから変わっていない。我々が見てきた「復興しています」という報道はなんだったんだという、そのギャップに茫然としてしまった。意図して行ったわけではなく、行ってみて、ショックを受けて、これをちゃんと心に入れて書くべきだと、そのときに感じたんです。 ──作中では原発を「光のエリア」とだけ呼んで、放射能にも一切言及していません。ただそこは「立ち入り禁止である」ということだけに留めたのは? 天童 ひとつは、小説であるのに、現実と混同されて整合性をひとつひとつ見られていくと、フィクションとしての真実性が届かなくなるということ。それと、さまざまな問題にさらされている人たちを傷つけたくないという気持ちですね。取材に行ったときに、不遜なことをしている気持ちがすごくあったので、原子力発電所が見えて、もしかしたら汚染されているかもしれない海に、実際に手をつけて「書かせていただきます」と、約束をしたんです。それがどう読まれるかというのは、もう委ねるしかない。委ねるしかないがゆえに、全力を尽くさなければならない。この表現に対しては、自分の今持っている技術と、ここまで培ってきたキャリアをすべて注ぎ込んで、一片の悔いもないところまで作り込まざるを得なかった。委ねるということに、甘えは許されないとは思っていました。 ■「言葉が言葉を呼んで、もっと潜れる──!」 ──登場人物たちのセリフや行動には、実際に取材で聞いた言葉も入っているのでしょうか。 天童 僕、基本的に決めているんです。小説を書くために人の話は聞かない。テレビカメラを通してその方の言葉を伝えたりする仕事で聞くことはありましたが、自分が小説を書くときには、もう聞かない。お話を一度二度聞いただけでその人のことをわかったと思うのは間違いだし、どれだけ深く付き合っても、本音の部分なんてなかなか話さないと思うんです。それを取材して、聞いて、語ったから、この町の人はこんなふうに思っていると書いたら、それはとんだ間違いになる。それに、小説で人間を描くとき、よい部分もあれば、悪の部分、醜い部分も書かなければ、その人間を本当に描いたことにならない。話を聞いておいてそういう部分を書いたら、その人が嫌な気分になると思うんです。だから、話は聞かない。聞かない代わりに、リサーチをしっかりして、自分がそこにいたらどんな思いをするんだろう、自分だったらどうするんだ、っていうのはとことん突き詰めて、追い込みますね。 ──読んでいてすごくスピード感を感じましたが、書くスピード感はいかがでしたか? 天童 スピードはすごく速くて、ありえないくらいでしたね。最初は短編でという話だったので、物語がストレートにどーんと1本あるだけなのもあって、書き始めたらどんどん言葉が言葉を呼んで、このくらいの浅さ潜るつもりが、もっと潜れるという感じで。海の底に潜ることがメタファーになって、人間の心に潜ることに直結していくのが、書きながらわかったんです。これは自分の、あるいは人間の心の奥底に潜っていく、主人公や自分自身の心の奥底に潜って、無意識層に当たれば、それは多くの人々が持っている無意識層と重なるはずだと。その人類の無意識層にどこまで潜っていけるか、という感覚に変わっていったんですね。物語ラインは1本で、より深く潜っていく。より深く潜るためには、一回上がってきて息継ぎをしていると、距離感が取れなくなると思ったんです。だからもうそのまま、一気に潜っていき続けたのでスピード感があったし、この作品においては、レトリックをできるだけ省いて、いかに強くて深いところまで潜れる言葉を選択できるかというのを、自分に対して課していました。 ──主人公は危険なダイビングをするようになって、肉を欲するようになった、女の人の体を強く欲するようになったということが象徴的に描かれていますが、それは潜りきった奥底にあったのがそれだったということでしょうか? 天童 いや、あれは自分が取材に行って、何もない街を歩いて、どんどん歩いて、どこまで行っても死の匂いがするわけです。自分自身が『悼む人』を書いた人間なので、その死がどんどんどんどん体に入ってくるんですよね。そうして死が蓄積していって、いわきの大都会に戻ってきたときに、いちばん最初に思ったのが「肉を食いたい!」だったんですよ。なんで肉を食いたいのかなと思ったら、自分が死の世界にずーっと行ってきて、戻ってきて、その生命体として、細胞として、生きることを渇望している感じがしたんです。年齢的なこともあるから性的なものはそんなにないけれど、主人公は自分よりもっと死に近い場所に行くし、若いし、さらに本能的に生の活動が強くなるんじゃないかなと。人間にはいろいろな理屈があるけれど、まず生き物だから、死に近づいたら生きることに餓えるのではないかと。命を取り込みたいとか、肉体への渇望も強まるのではないかというのが、自然に出てきましたね。 ──では、それはキャラクターに潜り込んで探り当てたというよりは、最初に感じたこと。 天童 そうですね。それをフィードバックした感じです。
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■小説が社会に果たす役割と、作家・天童荒太の役割とは ──『永遠の仔』では、書いた後にぶっ倒れてしまったという話を聞きました。今回はどうでしたか? 天童 あのときは虐待された子の感情を生きたので、疲れたのは疲れたんですが、本当にぶっ倒れたのは、読者からものすごい数の手紙をいただいたときなんです。実際に自分が虐待されてきた方々から、精神科医やカウンセラーにも話さないような体験を書いた分厚い手紙がどんどん送られてきて、その体験が全部自分の中に入ってきた。それで、耐え切れなくなって倒れたという感じですね。いわゆる二次トラウマのような。今回はまだ倒れるということはないです。やっぱり慣れもあるし、『悼む人』なんかも仕事上で続けてきたので、リカバリーの仕方もわかりますし。 ──小説というメディアは、社会の中でどんな役割を果たすべきだと考えていますか? 天童 「べき」とまでは考えないですね。 ──では、ご自分の小説がどんな役割を果たしてくれたらなぁ、という思いを込めて書いてらっしゃいますか? 天童 小説は可能性を表現できるメディア、ある種の奇跡を見せられるメディアなので、報道とは違う、時事性とは違うものを拾い上げて、それを使ってどう人々に気づきをもたらすことができるか、人間や社会における深みにどれだけ潜っていって、人々の幸せや、本当の幸いとはなんなのかということに、どれだけ向き合って伝えられるかということは考えていますね。今回、いただいた感想の中に「被災地や被災者に対して感じていた後ろめたさを、きちんと消化する形で書いてくれて、自分としても救われました」というのがあって、そういう役割もあるんだなぁ、とは思いましたね。多くの人が実は被災地や被災者に対して、サバイバーズ・ギルトというほどではないにしろ、後ろめたさや罪悪感を持っているのではないか、そこに対しての訴えかけが届いたというのは、それはひとつ小説としての役割を果たし得たかな、というのはありますね。 ──将来的に、また震災をテーマに小説を書くことはあるのでしょうか。 天童 どうだろう、今回も震災はシンボル化してしか書けなかったし、そのことが自分の小説としての意味合いだと思っているので……。考えてみると僕は、忘れられた傷とか、忘れられていく死者とか、今回だったら忘れられていく場所だったり、そういうことを表現して届ける人であって、そういう作家は日本にそんなにいないな、という。自分はそういう場所に立てているという「恵まれ」があると思うんです。『永遠の仔』以降、そういう場所に恵まれている。それは読者に置いてもらったので、多くの悲しみやつらさを抱えている人が、「自分と同じようなことを考えている、語っている表現者はいないのか」「この世界には、明るいことばっかり書く作家しかいないのか」と考えたときに「1人はいるよ」っていう作家であれればいいなと思っているんですよ。「いや、1人はいるよ」という作家で。『永遠の仔』で、自分が倒れるほどの手紙をいただいて、そこから復帰してくるときに、こんな手紙をもらえる作家は世界でも自分だけだろうと。だったら、その世界でたったひとりの作家になれればいいじゃないかと。これで生きていこうと決めたんです。 ──先ほどから何度も「小説家は不遜だから」とおっしゃっていますが、その意識は『永遠の仔』以降に感じるようになったのでしょうか? 天童 より強く感じるようになったのは『永遠の仔』以降ですが、昔からあったんですよ。あのね、米が作れない、食料が作れないっていうのは、いちばんダメだなという。本来は、お米を作ってくれる人とか、食料を作ってくれる人が人間にとっていちばん価値があるし、大事だろうと思っているので、物語を作ってお金をいただくというのは……これは小説を書くより前、16歳で映画監督になりたいと思ったあたりから、「うわぁ、これは不遜な、申し訳ない仕事だよね」という意識は、すごくあります。ぜんぜん拭えないです。 ──あのー、自分でも、こういうことを聞いちゃうのか、という感じなのですが……。 天童 はい? ──小説家になって、よかったですか? 天童 聞いちゃったなー。 ──出てきちゃいました。 天童 いや、すっごく、よかったです。映画をやりたかったのは本当だし、自分のすべてをそっちに向けて生きていた時代もあるんですが、今、小説の世界に立っているときに、小説で書けること、表現できることって、すごく豊かだと思っているんです。例えば病気になると、なんか気持ち悪い、なんだろうこれは、というときがあるじゃないですか。そんなときに、これはこういう病気ですよと言われると、ホッとする。そういう病気だってわかったことで、それに対して何かができる。そういう言葉付け、名付けって大事だと思っていて、それに似ているんですね。言葉にならない思いだとか、なんでこんなふうに自分を責めてしまうのか、どうしてこんなに悲しいのかっていうことに対して、それはこういうことなのではないか、誰もが持っている「生きたい」という気持ちや、「生きていてもいい」という肯定感を求めるからこそ起きているのではないか。罪悪感やサバイバーズ・ギルトを抱えていても人は幸せになれるし、なっていいのではないかという、言葉付け、名付けをすることができるのは、たぶん小説だけなんです。小説は物語によって伝えるので、深層心理の感情に届く、感情に届いたものは長く続くんです。人間を根底から変化させていく力を持っている。それに携わっていることが意識できたときに、本当に小説家にならせていただいてよかったなと、心から思いますね。 (取材・文=編集部/撮影=尾藤能暢) ●てんどう・あらた 1960年、愛媛県生まれ。86年「白の家族」で野性時代新人文学賞を受賞、93年『孤独の歌声』が日本推理サスペンス大賞優秀作となる。96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年に『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、09年に『悼む人』で直木賞受賞。13年に『歓喜の仔』で毎日出版文化賞を受賞。ほか著作に『あふれた愛』、『包帯クラブ』、画文集『あなたが想う本』(舟越桂と共著)、対談集『少年とアフリカ』(坂本龍一と共著)、荒井良二画の絵本『どーしたどーした』がある。近著に新書『だから人間は滅びない』。